X



【古代】邪馬台国論争、議論は永遠の平行線★5
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001樽悶 ★
垢版 |
2019/08/02(金) 18:16:47.47ID:uSxet+hV9
 考古学ファンの心を揺さぶる邪馬台国の所在地論争。先日、テレビで九州説と畿内説を対決させる番組が放送されていた。九州説の有力な手掛かりは硯(すずり)。畿内説の方は赤色顔料の原料、水銀だ。

 ただ、硯は、福岡市埋蔵文化財課の久住猛雄さんが今春、大阪府泉南市にある弥生時代の遺跡出土品に含まれているのを確認している。一方、水銀の鉱床も畿内限定ではなく、「丹生(にゅう)」などゆかりの地名は九州にもある。お互い説得力はいまひとつだった。

 折も折、九州説をとるミスター吉野ケ里こと高島忠平さんと、纒向(まきむく)学研究センター(奈良県桜井市)所長の寺沢薫さんによる対論が福岡県飯塚市で開かれた。寺沢さんは桜井市の纒向遺跡を邪馬台国=ヤマト国とみる研究者だ。

 結論から言えば「議論は永遠の平行線」という印象だ。

 重要な鍵は多様な土器が出土している纒向遺跡。遺跡の時期と重なる「庄内式」と呼ばれる土器が登場した年代を、寺沢さんは3世紀初めごろとする。中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」にある女王・卑弥呼の共立時期と同じで、「卑弥呼の都」との見方が強まる。

 高島さんは3世紀半ばとみる。卑弥呼が没した時期であり、纒向遺跡は無関係という解釈を導く。2人とも庄内式土器が用いられた時期と纒向に「都市」があった時期は一致すると考えているが、その土器が示す実年代のとらえ方に50年の差があり、対論でもなかなか縮まらなかった。

 土器の年代は研究の積み重ねを基に設定されている。実年代に当てはめる場合は一定程度の推測が伴い、各研究者がそれぞれの尺度を持つ。放射性炭素14を使った科学的な年代分析法もあるが、概して従来の年代設定より古い数値が出ており、精度を疑問視し否定的な研究者もいる。

 ちなみに庄内式土器も、炭素14測定では卑弥呼が生まれる前の2世紀−との数値も出ている。もっともこの分析法は「100年ほどの誤差を含み、10年、20年単位の判定には不向き」との指摘も聞く。

 論争が袋小路に入るそもそもの原因は倭人伝の記述だ。文字通りに進めば邪馬台国は日本の南方海上になってしまう。数々の論者が自分流に読み換え、各地に所在地を求めた。これも永遠の平行線。ドイツ近代政治史が専門の九州大教授、熊野直樹さんは「攻めてくる恐れのある他国に、自国の地理情報を正確に伝えるはずがない」と、国際関係論をベースに邪馬台国側の意図を読み解いてみせる。

 交わることなき論争。故に歴史ロマンが生き続けるのかもしれない。(文化部次長 古賀英毅)

西日本新聞 2019/7/27 10:40
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/530555/

★1:2019/07/29(月) 23:59:18.84
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1564647106/
0002名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:17:10.61ID:VR2/G/gh0
もう北海道で良いよ
0003名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:18:21.74ID:rliqAOtR0
絶対負けない気だもんね
0004名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:18:49.23ID:s8X47rqy0
実は出雲だった説
岡山説
畿内説
九州説
新潟説
などなどなど
0005名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:19:11.81ID:YjU4DzzJ0
九州説は認めたくないよな
韓国の属国だったのがバレちゃうし
0006名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:19:58.02ID:yrx5Rl9d0
銅鏡の出土状況が割と重要
紀元前後は北部九州中心だったのが卑弥呼の時代ごろになると畿内中心に遷移している
鏡は今でも神道で重要
0007名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:21:59.26ID:MbKnM54x0
海外から飛行機で日本にやってきて
草津へ行くにはどうしたらいいか尋ねたら
滋賀県の草津までの道のりを教えてもらって
その道順の記録と
魏志倭人伝は同じようなものだと考えればいいんだよ
0008ネトサポハンター
垢版 |
2019/08/02(金) 18:24:56.86ID:WtuPjh9X0
いやもう、俺んちでいいよ

これからは俺んちが邪馬台国な
0009名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:26:15.66ID:LaMm73ZP0
何で永遠なのか
科学発達したらどこに何があるかわかる日も来るだろう
0010名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:27:12.63ID:ka3h7Ku80
人は記憶型と思考型に大別できる

誰かが書いてたものだが・・・・

從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里
(平壌と釜山の距離。厳密には平壌辺りだけどな)

自郡至女王國、萬二千餘里
(平壌から女王国までの距離)



帯方郡(平壌)
 │
 │7000里
 │
狗邪韓国(釜山)
 │
 │5000里
 │
女王國


平壌から釜山まで直線距離520km
0011名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:28:52.90ID:3UWX7Ou10
大体そもそもヘブライ民族の国に邪馬台国の九州説や近畿説をだしたところで
朝鮮繋がりを強引に主張してシベリアエベンキの朝鮮人イコール古代朝鮮人とは全く血筋違うので全くならないわけで
邪馬台国の位置を示す場所は剣山なわけで九州説でも近畿説でもなく朝鮮繋がりは全くない
シベリアエベンキわい族ルーツの朝鮮人達が誤魔化してるのは
明治以降朝鮮人達が日本の統治下で朝鮮総督府から住民登録の際
苗字が無く名前しかなかった朝鮮人達が苗字を統治下登録の際に
全く血筋の無い王侯貴族の名前をつけて
金や李や朴が乱立
そもそもこの苗字
元々ヘブライ人のユダヤ教徒へ中国皇帝から許された苗字
朝鮮人達が自分が王侯貴族の末裔と言い張っても
実際シベリアエベンキの朝鮮人達がユダヤ教徒でないのは明白で
百済新羅が日本民族ヘブライ人の出雲族ルーツの国だったの明白で
彼らは苗字もあり中国歴史書にも記載され
彼らが日本へ逃げて日本で暮らしても日本民族と同じ言葉だからこそ通じたわけだから
現在の朝鮮人とは全く違う
0012名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:29:44.63ID:3UWX7Ou10
大体大和王権の大和の発音は元々ヘブライ語
ヤマトゥが本来古く
ヤはヘブライ語で神の民の意味になり
大和のダイワの発音は後から
本来の邪馬台国も大和王権も全てヘブライ語
邪馬台はヘブライ語でマタイ
大和はヘブライ語でヤマトゥ
邪のヤはヘブライ語で発音せず
ヤマタイとヤマトのヤはヘブライ語で神の民
馬台はヘブライ語でキリスト十二支族の民
和は倭でヘブライ語でイワレでヘブライ人のこと
全てヘブライ語で意味がある
0013名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:29:45.81ID:GZvSm0Kk0
>>1
プロレスだよプロレス
結論でたら片っ方は終わりw 飯の食い上げw

だからどっちも本音じゃ陵墓の発掘調査許可が下りないことを祈ってるんだよwwwww
0014名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:30:36.62ID:3UWX7Ou10
大体漢字は全てヘブライ語の当て字
そもそも日本にはカタカナやひらがなのヘブライ語そのものがあったわけで
日本の万歳は日本語でなくヘブライ語
万歳のバンザイはヘブライ語でユダヤ
ユダヤの意味は神に感謝する言葉
日本民族が神に感謝してバンザイバンザイと叫ぶ民族だからこそ
他民族は日本民族を万歳民族ヘブライ語でユダヤ民族と言ってたわけだから
日本の漢字は全てヘブライ語の当て字からできているのは仏教伝来と共に中国で使用されてた漢字をヘブライ語の当て字
日本のひらがなやカタカナを併用することで文章化
朝鮮人が嫌う日本の国歌君が代も全てヘブライ語
漢字は中国読みとはまた別
0015名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:31:16.77ID:ka3h7Ku80
>>10 の続き
前のスレでこんなことを書いてる奴がいた
なる程と思ったよ

投馬国  (南に水行二十曰)
邪馬台国 (南に水行十日、陸行一月)

これを先ほどのものに当てはめる
合うんだな〜


帯方郡(平壌)
 │
 │7000里-----投馬国  (南に水行二十曰)
 │
狗邪韓国(釜山)
 │
 │5000里-----邪馬台国 (南に水行十日、陸行一月)
 │
女王國
0016名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:31:22.35ID:3UWX7Ou10
縄文時代の日本民族が海洋民族の海の民なのは縄文時代から船を操ってたからで
食料を海に求めていたから
クジラやマグロなどの漁の伝統文化があるわけで
日本民族が船を操っていたのは北方民族だからこそ
トルコ北方民族の歴史のはアイヌ達はソリを操っていたわけで
ソリから船を作りだしたからこそ
南の民族が船を作り出せてない時代に日本民族は月や太陽の位置で方角や時期を知って生活してたわけで
一週間7日で一年365日の生活も全てその縄文人達は知って生活してたわけだから
農耕も20000年前からと世界ではダントツで早く
高度な縄文土器や神具の土偶が出土してるのも日本民族が最も古く
在日達が誤魔化して日本民族はポリネシア人とかアボリジニとか言ってるが
そもそも遺伝子も文化も言語も全く違う
日本民族しかない遺伝子を持つY染色体のD2遺伝子を持つ民族は日本民族のみ
他民族の文化とも全く違う神道文化
全て在日達が誤魔化してるわけだから
0017名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:32:11.41ID:3UWX7Ou10
結局本来邪馬台国自体ヘブライ語でマタイ
マタイはヘブライ語でキリスト十二支族の人々を示し
イスラエル王国からアラビア海から海ルートで沖縄へ渡来したユダ族の物部氏が元の民族集団
徳島剣山に今も残るキリスト十二支族の祭りが行われ遺跡や遺物やミイラがあったことなどから邪馬台国自体の場所を意味するわけで
現在キリスト十二支族のゆかりの秦一族の末裔が今も剣山にすんでるのもそのため
元々秦一族はヘブライ人として中央アジアメソポタミアのシュメール人達スメラ族が日本へ弥生人として渡来する前にチベットから四川を経て中国に秦を建国したのが秦一族の始皇帝
ヘブライ人の始皇帝達は15年で秦を捨て朝鮮半島から日本へ弥生人として渡来した一族
大和王権のイワレピコの初代ヘブライ人の天皇が神武天皇であり
秦一族はヘブライ人として渡来系氏族の祖として日本の大和王権でのキリスト十二支族のゆかり文化は伊勢などにも残り
大和王権と同じ民族のヘブライ人のイスラエル王国のキリスト十二支族のユダ族の物部氏達邪馬台国の民の地の剣山に今も秦一族の末裔が住んで
古代ユダヤ民族とは全く違う現在のイスラエル大使の剣山への訪問や天皇家との繋がりのあるこの秦一族の末裔と未だにあるわけで
戦後アメリカGHQが剣山や仁徳天皇陵の検索し遺跡や遺物のミイラをアメリカ博物館へ持ち帰って今も保管
この剣山が邪馬台国の跡地で他の地ではないことが明らかで
魏志倭人伝の邪馬台国への位置を示す場所こそ剣山
0019名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:33:06.16ID:3UWX7Ou10
まぁいつも思うんだが古代の日本民族の歴史を調べる上でヘブライ語の意味が欠かせないわけで
その事実を誤魔化して壺や遺跡がどうとかではないが
本当なぜ在日の考古学者やこう言った考古学研究所の在日所長とか
邪馬台国=大和王権と一緒にしたがるのか
実際は別もので
邪馬台も大和もヘブライ語
邪馬台はヘブライ語でマタイでキリスト十二支族のユダ族の民が由来で
イスラエル王国からアラビア海から海ルートで沖縄に
邪馬台国の民はユダ族の物部氏が由来でニギハヤヒがその民
大和もヘブライ語でヤマトゥは神の民
メソポタミアのシュメールのスメル族が神の民であり
メソポタミアからチベットから中国四川を経て朝鮮半島から渡来したヘブライ人の弥生人達こそメソポタミアのシュメールのスメル族
その大和の神の民のヘブライ人達弥生人率いるヘブライ語でイワレピコは初代天皇
その大和王権の初代天皇が神武天皇
全く別もの大和王権と邪馬台国
0020名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:33:25.35ID:WhsFEO360
>>10
>人は記憶型と思考型に大別できる

毎回貼ってるこのゴミコピペ何を言いたい?
0021名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:33:37.39ID:3UWX7Ou10
大体そもそも在日考古学者は確か天皇を朝鮮由来にしたがってるが
現実朝鮮人達のルーツの由来はシベリアエベンキのわい族で
1万年前に現れた新モンゴロイドの由来の民族でシベリアデニソワ人達との混血が朝鮮人や中国人達
全く別民族で
旧モンゴロイドの由来のヘブライ人が日本民族でありアイヌが縄文人であり弥生人で日本民族遺伝子を持つY染色体のD2遺伝子を持つ民族は日本人のみ
朝鮮人や中国人には全く存在しない
従って日本出雲族の百済新羅のヘブライ人達は日本人でありシベリアエベンキの朝鮮人ではない
百済王が日本の天皇陛下の由来なとわ全くのデタラメ
メソポタミアのシュメールのスメトラノミコトのヘブライ人が天皇家であり
スメラミコトとはヘブライ語で栄光の神を奉る人でイワレピコはヘブライ語で初代の天皇
メソポタミアシュメールのスメル族のスメトラノミコトの初代ヘブライ人の天皇こそ神武天皇で百済王とか全く関係ない
0022名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:34:01.09ID:fDFXCFNM0
>>4
福井説も加えてくれ
0023名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:34:20.37ID:3UWX7Ou10
結局本来の邪馬台国も大和王権も全てヘブライ語
邪馬台はヘブライ語でマタイ
大和はヘブライ語でヤマトゥ
邪のヤはヘブライ語で発音せず
ヤマタイとヤマトのヤはヘブライ語で神の民
馬台はヘブライ語でキリスト十二支族の民
和は倭でヘブライ語でイワレでヘブライ人のこと
全てヘブライ語で意味がある
0024名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:34:36.85ID:DlNCCWVL0
部下の2人難升米と都市牛利は、邪馬台国で埋葬されたと思うんだよね。銀印見つかればな
0025名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:34:54.93ID:NatQpLx50
南と書いたが実は東だったとかね・・・
0026名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:35:06.48ID:3UWX7Ou10
本来ならそもそも13000年前から30000年前の縄文時代に
新モンゴロイドのシベリアデニソワ人との混血のシベリアエベンキの今の朝鮮人や中国人はこの地球上に存在すらしなかったわけで
その時点で現代の朝鮮人との繋がりをしてるかのごとく誤魔化し記事
実際は縄文人の血筋のアイヌ達は元々トルコ北部の遊牧民だからこそアイヌの言語はトルコ語
ヨーロッパの気候変動で5万年前から移動した先が日本列島
旧モンゴロイドのアイヌの遺伝子Y染色体のD2遺伝子を持つ日本民族は最早現実世界で日本民族のみで朝鮮人や中国人にはない別民族
現代明治以降朝鮮人達の日本流入が急速に進んでる現在
ゲノム解析で現在の在日朝鮮人達の遺伝子解析したところで朝鮮半島の遺伝子と同じなのは当たり前で
日本民族に新モンゴロイドと同じシベリアエベンキの遺伝子を持つことなど当たり前だがないわけだから
この解析の結果自体おかしな話
0028名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:40:47.53ID:c4n2IpNv0
とりあえず東大閥が言う事は全て間違い
0029名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:41:41.02ID:xgXGQyKn0
奈良>>>>>>>>岩手=徳島=九州
纏向遺跡のある奈良が最有力であとは遺跡がないのでダンゴ
0030名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:41:55.85ID:48zqmN+n0
中国の学者の大部分は邪馬台国は九州にあったと思っているんじゃないの。
0031名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:44:31.45ID:ka3h7Ku80
>>15 の続き
〜晋書〜
宣帝之平公孫氏也其女王遣使至帯方朝見 其後貢聘不絶 及文帝作相又數至 泰始初遣使重譯入貢

宣帝が公孫氏を平定すると女王は帯方まで使いを寄越して朝見した
その後も絶えることなく貢ぎ、晋が建国されたときも入貢した

宣帝は三国志に出てくる司馬懿
「死せる孔明生ける仲達を走らす」の司馬懿
0032名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:45:52.43ID:8AJQVl8W0
京大と東大のプライドだけの問題です
もう答えは出ているのに相手が認めないだけの話です

憐れなものです
0033名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:47:20.19ID:48zqmN+n0
鬼道は神道だと思う。
0034名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:47:35.05ID:ka3h7Ku80
>>31 の続き
劉備の配下の趙雲は元々公孫氏の配下だったんだ
0035名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:48:06.23ID:lNNaWKv80
>>32
それは昔の話なw
今は畿内説捏造計画の時代で、とりあえず目標を達成して解散したところ。
0036名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:51:33.89ID:ka3h7Ku80
>>34 の続き

>>33
鬼道は孫子の兵法という話もある
兵法をマスターしたことにより女王国は他国を圧倒した
0037名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:52:17.22ID:PwqPtfbx0
無駄無駄無駄

どんなに論争してもないものはない

中国の役人が自国を大きく見せるためについた嘘が魏誌倭人伝
0039名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:54:07.75ID:7pea3E5c0
今までの墓の中で一番大きくて、かつ、女性(DNA鑑定すればわかる)が埋葬されていたところを
邪馬台国の所在地とすればいい。一番合理的だ。
0040名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 18:59:35.55ID:ka3h7Ku80
>>38
公孫度。。。
公孫瓚とは違うのか・・・・
趙雲の話は俺が間違ってた
0041名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:04:12.49ID:S9FsCrZj0
>>32
だな。
東大が京大に対抗したいだけなんだろ。
所詮無駄な労力と時間。
それが邪馬台国論争って奴よ。
0042名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:04:28.38ID:S9FsCrZj0
>>30
例えば誰?
0043名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:08:13.24ID:dPtzyp+B0
九州説も畿内説も間違っていることがある。
九州上陸後の進む方角が、南東と記載されているのに、両説ともに北東に読み替えている。

これがそもそも重大な問題点。

上陸地点を松浦ではなく、宗像にしてみろ。
その後の行程がスムーズに考えられるぞ。
0045名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:13:47.35ID:axbQIUV/0
>>43
壱岐からの方角も指定されてないしな。壱岐から東に同じ距離を
進むと神湊にたどり着く。
0046名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:15:46.68ID:FtIDTjDc0
卑弥呼から魏への使者の難升米、都市牛利は、
邪馬台国グループ(九州にあり)の狗邪韓国の人間。

難升米 = 鳴旨 ナシメ(釜山江西区鳴旨)
都市牛利 = 竹林 チクリ(釜山江西区賀洛)
0048名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:20:11.17ID:Yv64Y9se0
>>36
正に言ったもの勝ちだな。
よく民衆を惑わす兵法ってなんなんだよw
適当に言えばいいってもんじゃない
0049名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:20:22.17ID:xgXGQyKn0
女王国
>皆、女王国に統属す。郡使往来し常に駐する所。
>郡より女王国に至る。万二千余里。
>女王国より以北、その戸数、道里は略載を得べきも、その余の旁国は遠くして絶へ、詳を得べからず。
>女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚す。
>女王国の東、海を渡ること千余里。復(また)国有りて、皆、倭種。又、侏儒国有りて、その南に在り。

女王之所都
>南、邪馬壱国に至る。女王の都とする所。

倭国の統治形態が当時の魏と同じで
皇帝が都にいて各郡に太守(知事)がいる形式と同様だと
3世紀の中国人は考えた
もし違うなら倭国の統治形態がわが国魏と違っており
とかの説明がはいるはずだがない

女王国=倭国勢力全域 多数の郡で構成
女王之所都=倭国王卑弥呼がいる都
0053名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:24:45.75ID:ka3h7Ku80
>>48
噛み付くね〜
そういう話もあるってことさ

孫子は兵を統率するにあたって規律を重んじる
規律に反したら罰せられる
そんなところから惑わすってこともあるやもしれん
0055◆HKZsYRUkck
垢版 |
2019/08/02(金) 19:27:00.78ID:PZmHotHs0
>>48とか
「鬼道」については、たしかに「衆を惑わす」という言葉から
中原の人らに理解不明な怪しげなもの、というニュアンスが感じられるよね。

傍証としては、、魏志東夷伝で「鬼道」「鬼神」という言葉は
烏丸、馬韓、高句麗、弁辰で出てくるけど、このうち弁辰条では
「ここの鬼神の祀り方は他のところと違う」と書かれている。

つまり、陳寿が考えていた鬼道(鬼神の道)は、五斗米道や太平道といった
中原の人が知っている何かを指していたのではなく、
「東夷どもが信じる野蛮な宗教」とひとくくりで捉えていたっぽいのだ。
0056名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:33:49.73ID:j5R0+8C60
┏( .-. ┏ ) ┓【孫正義のクローン体】


*オーム真理教/麻原彰晃
*創価学会/池田大作

光の戦士とソフトバンク犬

--

【要約】

*孫正義氏は、タイムマシンを使い過去世界に
自分のクローン体(麻原彰晃&池田大作)を配置して
統一協会と創価学会と云う、二つのカルト宗教を入手させた

・オーム真理教=統一協会=キリスト教
・創価学会=仏教

*一年前から「統合政府(電子政府)」を
統一協会(キリスト教)と創価学会(仏教)との
合同結婚式で誕生させる動きがあり
その時の生贄の羊の予定が私であった
まだ生贄になって無いが電子政府は誕生した

*大魔王フジテレビが「One World(友達の輪)」を稼働させる為に
魔王軍の孫正義氏に宗教系を掌握させた

*孫正義氏と池田大作の共通点とは名言好き cf

https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1156731862523318272/photo/1
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0057名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:34:50.98ID:xgXGQyKn0
>塞曹掾史、張政等を遣わし、因って詔書、黄幢を齎し、
>難升米に拝仮し、檄を為(つく)りて之を告諭す。

奈良の祟神天皇稜そばの黒塚古墳にU字形鉄製品がある
それが黄幢なら黒塚古墳は
祟神天皇に仕えた難升米の墓である可能性がある

>>46 釜山にその名前が残ったのも
魏と高句麗の戦いで難升米が何らかの活躍をしたからかもしれない
それで魏から黄幢をもらった
0058名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:36:30.85ID:Yv64Y9se0
>>55
魏にとっての正道では無いものを鬼道と見なしたんだろうね。
孫氏の兵法は逆に正道中の正道だから無茶苦茶な発想。
0059名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:37:58.63ID:xgXGQyKn0
そもそも鳴旨(ミョンジ)だから違うか
九州のアホみたいなチェリーピッキング
多方面を見ないよな九州て
0060名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:38:12.07ID:SEjLAzBX0
韓国は加羅国であり 伽耶国でありようするにすでに倭国領である
0062名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:43:41.95ID:SX96clYV0
女王国
>皆、女王国に統属す。郡使往来し常に駐する所。
>郡より女王国に至る。万二千余里。
>女王国より以北、その戸数、道里は略載を得べきも、その余の旁国は遠くして絶へ、詳を得べからず。
>女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚す。
>女王国の東、海を渡ること千余里。復(また)国有りて、皆、倭種。又、侏儒国有りて、その南に在り。

女王国(伊都国(糸島市南東部)、奴国(福岡市周辺))
女王国より以北・・・末盧国から北の諸国
女王国の東、海を渡ること千余里・・・博多湾から1000里(80km)山口県
0063名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:45:31.06ID:SX96clYV0
>>15
帯方郡(平壌)
 │
 │7000里-----投馬国  (南に水行二十曰)
 │
狗邪韓国(釜山)
 │
 │5000里-----邪馬台国 (南に水行十日、陸行一日)
 │
女王國(伊都国、奴国)
0064名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:46:04.44ID:xgXGQyKn0
>投馬国に至る。水行二十日。

>南、邪馬壱国に至る。女王の都とする所。水行十日、陸行一月。

>壱与は倭の大夫、率善中郎将、掖邪拘等二十人を遣わし、
>政等の還るを送る。

伊都国で使者張政が実際に待った日数÷2なので
かかった日数については間違いだとは考えにくいし
魏の使者を待たせているので意味の無い遠回りはせず
もっとも早い手段で往復したはず

そうなると伊都国のある九州は一番最初に消える
0065名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:51:01.05ID:SX96clYV0
>>64
何言ってんだ???
イミフ
0066名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:53:04.61ID:xgXGQyKn0
>壱与は倭の大夫、率善中郎将、掖邪拘等二十人を遣わし、
>政等の還るを送る。
>因って、臺に詣り、男女生口三十人を献上し、
>白珠五千孔、青大句珠二枚、異文雜錦二十匹を貢ぐ。

献上の品を記録した魏の中央の公式文書なので
この部分は魏志倭人伝の中でも信憑性が高いとこ
0068名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:53:48.75ID:j5R0+8C60
┏( .-. ┏ ) ┓
【三菱UFJ銀行 = オーム真理教フジテレビ銀行🏦】


* オウム真理教マークには
インドの少数言語であるサンスクリット語で

【AUM】

の文字が入っている

--

*三菱UFJ銀行
【オーム真理教フジテレビ銀行】である

・三 → 数字の3を回転するとM(魔物)、オーム真理教のM
・菱 → 釣り🎣のビシ、割りビシ

・U → オーム真理教のU、Ω、馬蹄、釣針
・FJ → フジテレビ

--

*私自身は大王イカ🦑、イカ娘とも云われれいる
*モニター側が撒き餌に釣られてる可能性もあり di

https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1156865131734659072/photo/1
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0070名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:56:51.26ID:SX96clYV0
>>67
>張政が実際に待った日数÷2なので

張政が待った?何時???
0071名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:58:49.41ID:V9bHL8UW0
>>4
台湾説も忘れるな
0072名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 19:59:36.60ID:aDmC6fwJ0
宮内庁が管理しとって発掘できない古墳も調査できれば少しは進むんかね
0073名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:00:13.93ID:SEjLAzBX0
邪馬台国の磐井が邪馬台国の末裔、九州王朝だろう
記録に残すべき重大事件
邪馬台国の正体って結構明らかだよね
倭国が消滅して日本国に併合されたのが530年頃ってことだな
0074名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:01:13.00ID:xgXGQyKn0
>>70
>東南陸行。五百里。伊都国に到る。
>官は爾支といい、副は泄謨觚、柄渠觚という。
>千余戸有り。世、王有り。皆、女王国に統属す。
>郡使往来し常に駐する所。
魏の使者は伊都国に滞在したと思われるのと
もしもメモ魔張政が纏向まできていたら
途中の旅路についても書いてるはずだし
なにより纏向の川の防御や運河についても触れているはずで
張政は纏向にきてないと考えるよ
だから伊都国でまってた
0075名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:03:22.94ID:MYQ7ZdAi0
邪馬台国論争って、金が欲しい考古学者の詐欺だよね。

オレは最近、天皇のすごさに気が付いた。
昭和天皇は、多分「超人的な感」で現代に生きる卑弥呼を見つけ出したんだ。
実在する天皇家の最初の人物は第26代継体天皇(450〜531年)で卑弥呼(生年不明〜248年)で卑弥呼の家系は天皇家より古い。
そして紀元200年というのは人生25年とすると、たった73代前の話だ。
両家の遺伝子が現代も保たれている可能性はある。
昭和天皇はおそらく超人的な能力を持っているのだろう。
その昭和天皇が見初めた女性は、昭和天皇を魅了するだけの特徴を持っていたと推察できる。
オレは、昭和天皇が自分の遺伝子を残す女性を持ち前の超人的能力で見抜いたと思ってる。
ようするに、美智子様は単なるきれいなお嬢さんではなく、実際は天皇家より古い卑弥呼の家系の子孫だったのではないかと思う。
今の憶測だが、卑弥呼の遺伝子も超人的に優れているのだ。
その遺伝子は、息子の昭仁天皇にも娘の愛子様にも受け継がれているのではないかと思ってる。
家系が合体していて日本人としては最強の家系になっていると思ってる。
愛子様が次の天皇になれば日本は1800年の時を経て卑弥呼の時代になるんだろう。
0076◆HKZsYRUkck
垢版 |
2019/08/02(金) 20:07:05.71ID:PZmHotHs0
>>69
神秘の女神が住まう地 八女だもんな。

ちなみに俺は磐井を打ち破ったヤマト王権が得た
糟屋の屯倉(現在の糟屋郡)の出身だが、ここを貫流する
多々良(タタラ)川は、文字通り砂鉄の流れる川だ。
0077名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:07:08.01ID:MYQ7ZdAi0
今の天皇家には日本をしょって立つ能力が備わっていると思う。
0078名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:09:52.84ID:Jh0Xb87d0
何故邪馬台国のスレに朝鮮人や朝鮮の地の国の話が出てくるのか
そもそも地名などは全てヘブライ語
漢字はヘブライ語の当て字なのだから
全て意味があるわけで
それらの意味するものの説明がないと全く邪馬台国の説明になってない
桃があった何があったと九州説や近畿説の説明も結局根拠の無い説明でだろうの中途半端
コメントの説明してる内容が単なる朝鮮都合の根拠の全くない憶測で事実に即してな説明ばかり
全てが朝鮮都合
そんなので邪馬台国の地など説明など出来るはずもなく
四国の剣山に邪馬台国の位置だったことは確かで九州説や近畿説ではない
近畿説や九州説にキリスト十二支族のユダ族の逸話やそれを示すものがあるか
そもそも邪馬台国の人達は山岳信仰の遊牧民なんだから平地に邪馬台国などあるはずもなく
まして魏志倭人伝の場所説明で九州説や近畿説では全く距離や位置が全く示されてない
全て根拠の無い朝鮮都合の憶測で在日達の嘘
0079◆HKZsYRUkck
垢版 |
2019/08/02(金) 20:11:41.58ID:PZmHotHs0
>>77
まったく関係ないが、大正帝のギャグを思い出した。

侍従長 「陛下、何を背負っていらっしゃるんですか?」
大正帝 「鯛しょってんのぉ(大正天皇)」

ちなみに明治帝は「目いじってんのぉ」、昭和帝は「ショー終わってんのぉ」だ。
0080名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:16:26.91ID:SX96clYV0
>>74
張政は伊都国までしか来ていないけど
その計算は何?
0081名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:17:16.83ID:j5R0+8C60
┏( .-. ┏ ) ┓

【UFJ銀行(現:三菱UFJ銀行)】


*UFJ銀行のロゴとは
統一協会カラーの黄色であった
(友達の輪、祝福の指輪)

--

*三菱を母体にした後
その総合商社の信頼にて東京銀行を吸収した

その後、東京銀行を切り捨てた悪質な体質とは

当時、世界一裕福であった
東京都民の顧客名簿と資産を奪った後に
「三菱東京UFJ銀行」より「東京」の名称を外した

--

*その後、統一教会カラーが
「世界平和統一家庭連合」に名称変更と共に
赤系の日章旗に変化して
三菱UFJ銀行のロゴが、数字の8の横向き(輪)になった dz

https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1153983619737632768/photo/1
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0082名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:20:31.47ID:DsFFq4050
>>1
結論は簡単。
議論している団体の中に
チョンが住み着いていたら
負け。
0083名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:25:38.00ID:SX96clYV0
>>73
壬申の乱が九州王朝から大和朝廷への政権交代だろうな。
0084名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:29:39.91ID:XgfBQ8q50
【大陸から畿内へ】【畿内から大陸へ】のルートは、

1.畿内が出雲を植民地化して併合

魏(220年 - 265年)の時代  
対馬國 − 一大国(隠岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(摂津住吉)−投馬国(紀伊)を経て邪馬壱國(奈良)


2.既得権益を侵害された九州が畿内を植民地化して併合

九州狗奴国の第32代目国王「ウガヤフキアエズ」の第4皇子の神武が
自分が王になれる国を求めて狗奴国の軍隊と共に、九州から吉備に滞在して畿内に入り

南朝梁(502年から557年)の時代
対馬國 − 一支国(壱岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(摂津住吉)−投馬国(紀伊)を経て邪馬壱國(奈良)


3.植民地にされた畿内が蜂起、九州を植民地化して併合

ヤマトタケルが西征して、九州に入り

隋(581年 - 618年)の時代
百済−竹嶋−耽羅国−都斯麻国−一支国(壱岐)−竹斯国(筑紫)−秦王国−十余国を経て難波津−奈良

バッチリはまる
0085名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:29:47.66ID:IX/7HwaL0
結局どっちなんだ?
論争は終わってる負けた方が認められないだけというが素人からするとどっちが勝ったのか自体しらん
0086名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:31:33.09ID:xgXGQyKn0
>>80
>卑弥呼以って死す。冢を大きく作る。径百余歩。徇葬者は奴婢百余人。
>更に男王を立つ。国中服さず。更に相誅殺し、当時、千余人を殺す。
>復(また)、卑弥呼の宗女、壱与、年十三を立てて王と為す。
>国中遂に定まる。
>政等は檄を以って壱与に告諭す。

張政は伊都国に行ってそこで卑弥呼の死と
13歳の新女王台与のことを知って台与に檄(公文書)を送る
そのお礼として台与は張政を送り
その使者はそのまま魏の中央に行き貢物をしている

>壱与は倭の大夫、率善中郎将、掖邪拘等二十人を遣わし、
>政等の還るを送る。
>因って、臺に詣り、男女生口三十人を献上し、白珠五千孔、
>青大句珠二枚、異文雜錦二十匹を貢ぐ。

張政が伊都国から邪馬台国の台与に手紙を送って
その返事の使者が来るまで
張政は伊都国で待っていたと思われる
0087名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:35:25.35ID:Yv64Y9se0
>>73
九州王朝って何なんだろうな。
漢委奴国王印を貰った倭の奴国は、北九州ではなく九州の南端にあったとされている。

後漢書倭伝
建武中元二年 倭奴国奉貢朝賀使人自稱大夫 倭國之極南界也

倭國之極南界也、つまり当時北九州ではなく鹿児島に奴国はあったことになる。

だが金印は九州の最北端とも言える志賀島から出てる。
AD57年に鹿児島の奴国から後漢に朝貢した時点で九州制覇ができていたのかその後なのか。

やっぱ隼人は強いんだな。
0088名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:49:13.15ID:L5fgi9NI0
>>87
九州全域が倭国だったわけじゃない。
倭国は北部九州から半島南部にかけた海洋国家
0089名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:53:37.32ID:48zqmN+n0
卑弥呼って天照大神説もあるそうだな。
卑弥呼の頃に日食が起きたそうだが、岩戸隠れの伝説と酷似。
0090名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:55:30.52ID:7X2F/kbK0
箸墓掘ろうぜ!
0091名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:56:10.67ID:SX96clYV0
>>86
結局それ全部君の妄想だな
自分の妄想を根拠にされてもなw
0092名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:56:18.34ID:L5fgi9NI0
>>87
あと漢委奴国王は「かんのわのなのこくおう」
とは読まない。三段国名読みした印文はないんだよ。
0093名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:58:30.21ID:SX96clYV0
>>88
博多湾岸で金印が出土してるから
北部九州が倭の極南界
倭国は北部九州から半島南部にかけた海洋国家だったわけだな。
0094名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 20:59:58.08ID:panistUC0
>>55
面白いな。昨夜から卑弥呼の使った鬼道について考えていたのだよ。
0095名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:03:47.60ID:Yv64Y9se0
>>88
倭国とは九州全域の事だよ。

魏の頃に交流があった30国は倭国の北側の卑弥呼を女王に頂くグループ
残りの70国が九州中南部の卑弥呼と和せずのグループ

合わせて倭国100国。
後漢の頃に確認されてた九州全域の数。
0096名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:04:42.55ID:PVfFVXmJ0
倭人や倭国は倭はイワレでヘブライ語でヘブライ人
倭人や倭寇はヘブライ人達はイスラエル王国からアラビア海から沖縄へ渡来したキリスト十二支族のユダ族
船に乗る海洋民族であり村上水軍や邪馬台国の民そのものがユダ族の物部氏達
朝鮮半島とはなんの関わりも無い
0098名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:06:29.61ID:panistUC0
>>72
まだこんな誤解をしている人がいるのか・・・・
陵墓及び陵墓参考地は神道の現役宗教施設であるため、発掘については静謐と尊厳を
守ることが大事。だから発掘後のこともキチンと対処してもらいたいのだ。
いい加減な団体に無暗に掘らせるわけにはいかないが、キチンと申請すればちゃんと対処してくれるのだ。
大仙古墳も一部調査されただろう。
まあ、掘っても元に戻すまでかなりお金がかかるかもしれんがな。
0099名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:08:05.01ID:Ix9HlVBK0
近年の歴史学会の大勢は九州邪馬台国だけど、かつて国体護持のために畿内説が唱えられた経緯があると聞いた
0100名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:08:05.95ID:L5fgi9NI0
>>95
出土品の文化圏が違う。
勾玉、鏡とかの出土分布を示したおきまりの
図があっただろ。
0101名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:08:12.06ID:WhndzZGh0
百済、新羅は日本の属国だった。
九州を中心としたのが邪馬台国。
0102◆HKZsYRUkck
垢版 |
2019/08/02(金) 21:12:14.51ID:PZmHotHs0
>>98
> キチンと申請すればちゃんと対処してくれるのだ。

なにをゆっとるんだきみは。
ここ数年の大事件である大仙古墳の周郷部分の調査だって、
「宮内庁で保全工事するんだけど、ついでに見せてあげるよ」というスタンスだぞ。
0103名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:12:33.82ID:SX96clYV0
>>95
100国から30国へは北部九州の国々の統一が進んだからだろ
0104名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:12:45.92ID:PVfFVXmJ0
前1〜2世紀の大陸で秦の崩壊を機に民族移動
朝鮮半島から日本列島に向けて西アジア系の東夷を中心とする渡来人の流入
2〜3世紀にはその数はピークに
最終的には100万とも200万とも考えられる膨大な数の渡来人が海を越え北九州界隈から入国
渡来する民族は
南ユダ王国系
北イスラエル系
東夷に関わる諸民族
邪馬台国の時代には西アジアからヘブライ人達がどっと押し寄せてるのに
何故邪馬台国の時代に朝鮮半島にまだ居なかった朝鮮人達シベリアエベンキの話が出てくるのか
0105名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:12:56.02ID:Yv64Y9se0
>>100
倭国というのは後漢や魏の時代の行政区分で変わるものではない。
周の時代から倭人が住んでいると確認されている地域=九州全域を倭国という。

魏の時代の行政区分で言いたいならそれは倭国ではなく邪馬台国だよ。
0107名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:14:55.76ID:c57OwVX10
>>98
今回の大仙古墳の調査は端っこの数メートル程度の調査のみで、
中央の部分の調査は却下
歴史を隠蔽する宮内庁はホント日本の癌だぜ
0108名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:15:28.19ID:RGEimpmq0
邪馬台国は奈良であり、奈良の地を征伐してできたヤマト政権の始まりであり、牛と石の政権である
0109名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:17:12.58ID:Gl5Xq0Ap0
>>103
交流のある国が100国→30国に減った。
つまり魏の時代で交流を継続している九州邪馬台国連合が30国、交流の無い狗奴国連合が70国。
畿内政権は当然後者。
0110名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:17:25.77ID:panistUC0
>>102
はぁぁ。
宮内庁はちゃんと公言してるんだけどな。
宮内庁が邪魔してないと困るわけ?
0111名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:18:13.02ID:xgXGQyKn0
>>91 妄想だよ でも根拠としてるのは魏志倭人伝だよ
こぴぺ張ってるだろ
0112◆HKZsYRUkck
垢版 |
2019/08/02(金) 21:18:57.40ID:PZmHotHs0
>>110
んじゃ、日本考古学会が「箸墓を発掘させてください」と言ったら、
許可してもらえるのん?
0113名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:18:59.25ID:L5fgi9NI0
>>95
よく読まずにレスしてもうた。
でも委奴国も北部九州だと思うぞ。
それも伊都国。
同時期の三雲遺跡から金銅四葉座飾金具やら
ガラス壁やら、中国皇帝が王侯貴族に下賜してたものが見つかっている。
他でそれに匹敵するものが見つからない限り、
伊都国が有力だよ。
0114名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:19:13.92ID:panistUC0
>>107
 >>110
0115名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:22:37.44ID:PVfFVXmJ0
日ユ同祖って
日本人のことを言ってるのであって
現イスラエル人のトルコ北部に居た白人系アシュケナージのトルコ人とは違う
古代ユダヤ民族と言われのは日本人の縄文人
ユダヤはヘブライ語でバンザイ
万歳は元々ヘブライ語で日本語では無い
在日達はそれを全く知らないから
日ユ同祖を朝鮮都合が悪いから人種が違うと誤魔化してるが
万歳民族と言われたヘブライ語での万歳民族はユダヤ民族で縄文人のことを言ってる
日ユ同祖は
現在の日本人と縄文人が同祖と言ってるだけに過ぎず
在日達が言ってる日ユ同祖は違うとかおかしいだろ
日本人と縄文人は当たり前だが同じ日本人
日ユ同祖で違うのはシベリアエベンキの朝鮮人達の在日達
0117名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:23:07.62ID:panistUC0
>>112
元に戻す金があればでるんじゃね?
0118◆HKZsYRUkck
垢版 |
2019/08/02(金) 21:25:48.37ID:PZmHotHs0
>>117
ここは大事なところなので質問を重ねるが、
もし完全に元に戻すことが可能で、それを客観的に証明する手立てがあるならば、
申請した陵墓の発掘を宮内庁は許可すると?
0119名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:29:18.82ID:L5fgi9NI0
>>105
鹿児島から委奴国があった証拠が見つかったら
そうかもしれないけど、中国から王侯として
扱われた痕跡がないから、
倭国の領域は出土品の分布通りだよ
0120名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:30:57.11ID:rqM7ricm0
邪馬臺国が正式な表記だからな。

これで大和じゃないとか言うやつの方がどうかしてるけどな。
0121名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:31:44.85ID:PVfFVXmJ0
日本考古学会って
中身は全て在日朝鮮人帰化人達ばかりの朝鮮人組織
ロクでもない朝鮮都合の憶測調査され
朝鮮繋がりのデマ結果を出すのはは明白だから
絶対日本民族の歴史に関する陵墓発掘などさせてはいけない
在日朝鮮人帰化人の東大考古学教授とかでさえ
日本の方言が朝鮮半島ゆかりとかデマ論文でイギリスアカデミーに論文を発表してたぐらいだから
絶対陵墓発掘などさせてはいけない
0122名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:34:07.95ID:Yv64Y9se0
>>113
魏の時代に伊都国の隣に奴国があったのは魏志倭人伝に書いてある通りだよね。
それを否定しているわけではなくて、曖昧に言われる九州王朝って何なんだろう?という話し。

少なくとも後漢の時代に九州を制覇したのは鹿児島に本拠地を構えた方の奴国=倭奴国
もらった金印が志賀島から出ていることからも、九州全域に支配が及んだのだろうから
それをもって九州王朝というのではないか?というのが俺の考え。

倭奴国が倭国の南端にあったというのは、後漢書倭伝に書いてあるのでどうしようもない。
0123名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:36:33.03ID:KlFLl6u40
>>43
呼子だよ
0124名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:39:16.60ID:FRTibfHo0
九州説の人はもうダメだわ
俺も今まで随分丁寧に説明してきたけどまるで話を聞かずに
代わりに訳のわからん事を長々言ってくる始末
0126名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:44:41.84ID:jU7tbusp0
>>125
漢時に100国だった倭国が大乱で分裂して、片割れは30国だったってことも書いてあるな
0127名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:46:03.35ID:L5fgi9NI0
>>122
いや、倭国の支配が及んでいない地域は
倭種が住んでいても倭国じゃないわけで、出土品から九州全域に同一文化圏があったとは考えられないから、倭国の極南界とは同一文化圏の
南端という意味だろ。あと委奴国は奴国じゃないよ。
0128名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:47:31.34ID:L5fgi9NI0
>>124
どっちかというと、それ畿内説の人の特徴
0129名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:49:47.13ID:NatQpLx50
邪馬台国 九州か畿内のいずれか
大和政権 畿内一択

ポイントのひとつは西遷があったかどうかだな
0130名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:50:36.74ID:jU7tbusp0
漢時には同じ勢力だった奴国と狗奴国が倭国大乱で分裂してただけだったってことを、馬鹿どもは何故、読み取れないんだろうか?w
0131名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:50:50.26ID:NatQpLx50
ゴメン
東遷だ
0133名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:51:52.23ID:SEjLAzBX0
卑弥呼さんの出した船は遼東半島から
山東半島の
青島あたりつけて、洛陽まで行ったのかなぁ?
0134名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:53:24.18ID:mbVBRnN50
中国の属国邪馬台国が大和朝廷の全身だって?
屈辱!屈辱!
0135名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:54:09.84ID:ZJ/twPMJ0
主要神社をもう少し真剣に調べれば
色々分かる事実ありそうだけどな。
0136名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:56:44.75ID:Wxo5TCxK0
邪馬台国は現在の鹿児島の桜島周辺にあって噴火で痕跡は全て消えたんだよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0137名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:57:12.51ID:panistUC0
>>118
ひつこいな。そんなに掘りたいのか?
陵墓・陵墓参考地なんて江戸時代に記紀の記述を元に
目立つところを指定したのを参考に決めただけだぞ。
それにあんな箸墓みたいな大きいの、掘ったところでとっくに盗掘されて空っぽだは。おそらく大仙古墳もな。
発掘ってお金かかんねんで。それに只の史跡じゃない宗教施設だ。大騒ぎして大金かけてほりました。盗掘されてて空っぽで、
成果ありませんでした。適当に埋めときますねって。それで済むかよ。掘った学者は大恥だは。
それより近くのめぼしいのを掘ったほうがよほど期待が持てる。継体疑惑みたいなの。
0138名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:58:44.91ID:U6ejEpqG0
畿内説の場合は卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命ってことでいいの?
三輪山の大物主が太陽神だったならそれっぽいとは思うけど
0139名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:59:01.35ID:panistUC0
>>118
掘りたい理由と掘る団体がちゃんとしたところなら出るやろ。
うたがうなら電話しろ
0140名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 21:59:24.29ID:jU7tbusp0
>>136
桜島が破局噴火したのっていつ頃?
約7300年前にアカホヤが破局噴火したってのは知ってるけど
0141名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:01:06.20ID:panistUC0
>>138
他にも神功皇后とか倭姫とか、色々いるで。
0142◆HKZsYRUkck
垢版 |
2019/08/02(金) 22:02:25.58ID:PZmHotHs0
>>137
つまり、「大恥」をかくから掘るべきではないという意見か。
それでは、「恥をかいても耐えます」という念書を提出すれば、
宮内省は陵墓の発掘を認めてくれるのか?

ついでに書いとくと、今城塚は宮内庁の陵墓に指定されていなかったから
邪魔されずに掘れた稀有な例だけど、そういう例はもうありそうにない。
0144名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:06:35.56ID:BPchbS210
>>58
説文解字に「鬼」は「人死曰鬼=死ぬれば鬼と曰ふ」と書いてある。

12世紀版魏志倭人伝と同じ時代に改竄された
説文解字に壱岐を意味する「一支」という漢字の
「支」の音読みを表わす反切を「章移切」と書いている。
「章移切」では所謂呉音、漢音の「し」となり魏志倭人伝、魏略の「一支」と矛盾し
「壱岐」の「岐」の音キと一致しない。
0146名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:14:58.92ID:BPchbS210
>>115
万歳は支那の皇帝が一万年長生き出来ますようにという呪文から来た言葉。
支那皇帝以外の諸侯や蛮夷の王は「千歳」と言った。
0147名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:17:35.39ID:panistUC0
>>142
わからん奴やな。
「大恥」をかくから掘るべきではないという意見か。
とか、誰がそんなことゆうてるねん。掘るべきでないなんて誰もゆうてないし。
掘らへん理由なんか考古学者に聞け。
「恥をかいても耐えます」とか、そんな理由で誰が許可だすねん。それがちゃんとした理由か?

そういう例はもうありそうにない。 とかそんなんキミの都合やろ。ワシは知らんがな。
なんか宮内庁陰謀論とか、そんなつまらんこと言いながら歴史調べてておもしろいのか?
0150名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:21:01.42ID:panistUC0
>>139
  >>142
0151名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:27:07.53ID:jTVE/81E0
>>124
あいつら、真正面から議論しようとか、真実を追求しようとか、これっぽっちも思ってないから放置でいいんじゃない?
掲示板でやってることを見れば明らかで、嘘、捏造、何でもありで騙そうとしてるだけだしな
鉄デマのコピペなんか、その典型例
0152名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:30:41.93ID:oS8D3qoz0
邪馬台国論争の9割はただの町おこしだから真面目に聞かなくていいぞ
0153名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:34:31.59ID:SEjLAzBX0
山東半島には呉の船も去来してたらしいし
山東半島から朝鮮半島に船は出せた
魏の国の船に乗せてもらって朝貢できたのかなぁ
0154◆HKZsYRUkck
垢版 |
2019/08/02(金) 22:35:47.97ID:PZmHotHs0
>>147
陵墓比定地と参考地を「掘れない」(×掘らない)理由は、宮内庁が
許可しないからだ、と言っている。しかしあなたは「掘れば良い」というから、
どうすれば宮内庁が許可するのかを再三尋ねているのだ。

無責任に「掘るべきでないなんて誰もゆうてないし」と述べるなら、
どうしたら宮内庁が掘らせてくれるのかを教えてくれよ。
0155名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:37:26.21ID:yrx5Rl9d0
>>138
瀬戸内海勢力(百襲)と大物主(大国主)系勢力の手打ちではないかという説もある
0156名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:37:28.75ID:BPchbS210
>>145
アモイ(廈門)語でキ、
アモイ(廈門)語の下位方言の潮州語でキ、
客家語の総本山の梅県方言でtje1チェ (匈奴、鮮卑、女真系)

シンガポールの福建語で「支、枝、肢」は皆キと読む。
0157名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:42:30.05ID:haI1Yd/50
>>151
とりあえず勝利宣言しとけば自説が優勢になるはずだという幼稚な思考
0158名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:43:02.11ID:XgfBQ8q50
日本の記紀では

初めの主、天御中主(あめのみなかぬし)から
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)が生まれ

伊弉諾尊からまず
天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)が生まれた

天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)が統べていたのが筑紫城・・つまり九州

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」の印をもらったのが、この、九州の綿津見大神(豊玉彦)の筑紫国

ここまでが古の九州王朝で、その後

天照大神尊(あまてらすおおみかみのみこと)
月読命(つくよみのみこと)
素戔烏尊(すさのおのみこと)

が生まれて

伊弉諾尊から

天照大神尊は、高天原(畿内)を統治せよと言われ
月読命は、伊邪那美命の根之国(出雲)を統治せよと言われ
素戔烏尊は、豊玉彦の筑紫城(九州)を統治せよと言われ

0159名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:48:40.22ID:h7f959LO0
関東民だけどどうでもいい
0160名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:50:50.21ID:pHRZosp90
東北説を支持
0161名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:53:25.43ID:SbVCAjWn0
もうコピペで同じ主張を繰り返し異説を馬鹿にする奴しかいないから次スレは要らないよ
0162名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:54:31.71ID:PtyR6Lut0
>>153
そうそう。
自分は機内でも九州でもどちらの意見でもまともな議論される場が
すきだったから別の板で参加していたけど、あまりにも誹謗中傷がひどくて
九州説の連中にはついていけなくなったわ。
0163名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:55:45.95ID:Dl6sJvIX0
漢委奴国王印の金印これは志賀島から出たという話だが
元々は糸島の桜井神社で保管されていたという
そう考えるとイトコク王の金印が正しいのだろう
魏志倭人条でも奴国よりも倭奴国が重要のようだ
奴国が拠点なら、マツロ国で上陸せずに海岸線を船で回り、直接奴国に上陸するはずだ
だがそうせずに、倭奴国を中心に国を紹介しているのだから
邪馬壹国にとっても倭奴国の方が重要度が高かったと考えられる
0164名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:57:27.29ID:/BePAw5ZO
どちらでもナンタラといいつつ九州説の方を腐してんのか
0165名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:57:37.89ID:sYM2azEm0
>>149
まあたしかに6万年前は同祖だったみたいだが、そこまで昔だとお互い同祖とは認識できないだろうなあ
0166名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 22:57:52.57ID:panistUC0
>>154
ほんまひつこいな。
コテハンでそんなこと聞いてたら恥かくで。
オマイの宮内庁が許可しないと云ってる理由と根拠はなんやねん。
ワシはある団体の会合でのコメントで、宮内庁の弁として
陵墓・陵墓参考地の歴史調査については今後も、陵墓としての静謐と尊厳が保たれるのであれば
出来る限り協力するとコメントをしたのを知ってるからゆうてるねん。

疑うんやったら、自分で宮内庁に電話してきいてみたらええねん。
秘密組織やない、ただの役所や。電話くらいできるやろ。
気分悪いわ
0167名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 23:00:46.98ID:panistUC0
>>158
天照大神尊は、高天原(畿内)を統治せよと言われ
月読命は、伊邪那美命の根之国(出雲)を統治せよと言われ
素戔烏尊は、豊玉彦の筑紫城(九州)を統治せよと言われ

ここ、おかしくね?
0168名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 23:02:19.23ID:panistUC0
>>144
面白いと思うんやけど、
3世紀当時ではどうなん?
0169◆HKZsYRUkck
垢版 |
2019/08/02(金) 23:04:33.92ID:PZmHotHs0
>>166
> 陵墓・陵墓参考地の歴史調査については今後も、陵墓としての静謐と尊厳が保たれるのであれば
> 出来る限り協力するとコメントをしたのを知ってるからゆうてるねん。

その実が墳丘はおろか前方部の発掘も許されず、ただ歩いて
表面に露出した遺物を確認するのみ、発掘はわずかに周溝部外側の
工事で崩した堤体のトレンチのみだ。
それが>>98で書いてある
> キチンと申請すればちゃんと対処してくれる
なのか?
0170名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 23:08:08.40ID:Dl6sJvIX0
>>144
地理的に日本に近いのは呉だろうが、魏志で魏が敵国の呉音で記入するだろうか
呉音は疑問だな
0171名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 23:08:35.63ID:haI1Yd/50
>>164
中立、もしくは相手側の一員を装い
さも公平な立場からの攻撃のように見せかけるってのは
2ちゃんねる時代からの常套テクニックですよ
0172名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 23:09:36.05ID:panistUC0
>>169
苛々するな。板をたのしませてくれよ。

墳丘はおろか前方部の発掘も許されず、て言うてるけど墳丘の発掘は申請されてたのか?
キミの想像やろ。
それに質問ばかりでワシの質問に答えてない。
宮内庁が許可しないと云ってる理由と根拠はなんやねん。


ワシの根拠はつい何か月か前のコメントや。今度は質問にこたえろや。
0173名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 23:10:32.49ID:gb4al9K30
>>16
コピペに文句言っても空しいが・・・
北方民族が南方民族より舟を先に発明した可能性は100%無い。
豪州やパプアニューギニアには人類が5万年前に到達してる。
これらの地域に行くには渡海能力が必要であり、5万年前に南方民族は既に舟と航海技術を有していた。

また分子遺伝学の見解では、北方民族はスンダランドの南方民族から後世に派生した新参者である。
彼らが航海能力を有していたとしても、それは南方民族から継承した「おさがり」にすぎない。
0174◆HKZsYRUkck
垢版 |
2019/08/02(金) 23:15:06.59ID:PZmHotHs0
>>172
> 宮内庁が許可しないと云ってる理由と根拠はなんやねん。

(彼らが比定している)陵墓の尊厳を守るためだよ。
その証拠に、ほぼ今城塚が継体天皇陵であることが確実になっても、
三島藍野陵は比定地のままだよね。彼らには陵墓を管理する
知識も見識も気概もない。
0175名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 23:22:08.23ID:panistUC0
>>173
コピペに文句言っても空しいが・・・
というのは同意だが、ワシが常々疑問に思ってるのが、3世紀当時倭人が使っていた船について。
沿岸航海も遠洋航海も皆、丸木舟かカヌー(現在の長崎等の祭で使われているもの)
を想像してるように思うのだが、やはり構造船は当時、中華からの技術流出というのは無かったのだろうか。
そして、記紀の垂仁帝のところに出てくるフタマタオフネとはどんな船だったのだろうか。
ワシは双胴カヌーのようなものを想像しているのだが、それだと南方色が如何にも強い。
0177名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 23:23:47.06ID:175/ZuYj0
このスレまだ続くんか

だからな奴国
邪馬台国も結構だがその前にその200年前の奴国議論しろと
0178名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 23:26:35.60ID:haI1Yd/50
>>166
作業員の集団でおしかけて、ワイワイ騒ぎながら墓掘り返す発掘調査に静謐も糞も無いからなw
実質的に調査を大幅に制限してるって理解も間違いじゃございませんぜ
0179名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 23:27:11.87ID:zOYSR9fO0
ただ自説唱えて人の意見は全く聞かない
そういう奴しかおらんね
0180名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 23:27:32.87ID:jU7tbusp0
歴史学をやってる奴らなんて学問界の落ちこぼれ
時系列なんて理解出来ませんw
0181名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 23:30:59.94ID:175/ZuYj0
いま知らんが紀元前後は石器時代のように習ってきたわけだ
そこに邪馬台国が〜と

ところがどっこいしっかり奴国を教わっていればこんな議論に入る必要もなかった

紀元前後は石器時代どころか
中国に行き来し、外交までしとるやないの
外交でなく内政かもしれんがそれは議論すればよろしい

少なくとも紀元前後の日本(九州)は世界史的にみてそれなりの水準であった
これを教育で教えろと
0182◆HKZsYRUkck
垢版 |
2019/08/02(金) 23:33:00.53ID:PZmHotHs0
>>178
衆議院の平成二十二年六月三日の質問
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a174535.htm
その答弁
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b174535.htm

質問の(四)に、まさにその趣旨が述べられている。
> (四) 陵墓の調査は、宮内庁職員によるものであれば静安と尊厳が保持され、
> それ以外の研究者によるものであれば静安と尊厳が保持されないのか。
> そうであれば、その理由を詳細に答えられたい。

それに対する答弁は「適切に管理している」だけだ。
これを読むと、多くの人は「はぐらかしている」と感じると思う。
0183名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 23:34:28.17ID:panistUC0
>>174
やっぱり想像か。まあ、アカ的、陰謀論的理由でなくてホッとしたよ。
結論からいえば、変える必要も理由も無いからだよ。
継体墓といってもあくまでも「ほぼ」だ。
確実に100%比定できる根拠が出ればどうかははっきり言ってわからん。
昔は万世一系を担保する物証として陵墓は必須であったけど、現在はどうなのかね。
万世一系という概念が担保されれば、陵墓指定はどこであろうと宗教的にもそれほど重要じゃない気もするが。
現在も行われている祭祀的には疑問も残るがね。
0184名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 23:34:32.32ID:qeziuP7RO
五胡十六国時代に入ってない地域の話だぞ、でっかい国が東にあるか?記紀はこの国を治めるに相応しいを延々と書かれてるだけだし、伴造に始まり確固たる身分制を決められただけよ。卑弥呼の時代にありゃしない支配国。
0186名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 23:37:39.49ID:175/ZuYj0
紀元前後に中国と外交なり内政なりしてたの江戸時代から確認されてるのに

登呂遺跡のあとから稲作も行われていた模様って教育してきた日本って
どこまで馬鹿なの
0187◆HKZsYRUkck
垢版 |
2019/08/02(金) 23:38:59.98ID:PZmHotHs0
>>183
自問自答でごまかさずに、>>98の「キチンと申請すればちゃんと対処してくれる」の
落とし前をつけて欲しい。
宮内庁が求める要件を満たした上で申請をすれば、本当に陵墓の発掘は許可されるのか?
0191名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 23:50:17.38ID:jU7tbusp0
魏志倭人伝は、帯方へやって来た難升米とは何者だったのかを文献を寄せ集めて解き明かしてるだけ
0194名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 23:57:55.31ID:175/ZuYj0
邪馬台国スレは定期なの知ってるがこれまで入ったことなかったわ
ここ数日入れ込んだのはいまの公文書改竄は
この辺のこれまでの教育の間違いも少なからずあるのかなと思ったまでからで

紀元前後に中国とやりとりがある、すなわち文字があったのに
日本に初めて文字が確認されるのはその700年後だ

どれだけ徹底した焚書、歴史改竄したんだと
この文化が今の公文書改竄を許す起源なのでは
0195名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/02(金) 23:59:44.35ID:Zn/l2jQL0
>>124
「丁寧に説明」キタ

それって「相手の質問全部はねつけてこちらの言い分全部呑ませる」って意味だよな
0196名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:00:48.56ID:ikN9GUBu0
>>182
この件はスレチやし、ちょっと、うんざりしてきてるんだが、
質問、答弁共に読ませてもらったが、そ182の通りとしか言いようがない。
胡散臭く思えるのは陵墓・及び陵墓参考地とは何かをよく理解していないからだ。

陵墓・及び陵墓参考地とはあくまでも現在も祭祀がおこなわれている宗教施設であり、
天皇及び皇族を葬る所として、国有財産法上の皇室用財産として宮内庁が管理している土地だということだよ

陰謀論を唱えているひとはここが理解できないらしい。
宮内庁はお役所なんだからお役所としての仕事をしているだけなんだよ。
陰謀論者の夢を壊してもうしわけないのだが。
0197名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:03:44.86ID:rm//xepH0
邪馬台国議論っていまは廃たれてるけどすごかったわけだ
奴国議論逸らしが目的だったのでは
0198◆HKZsYRUkck
垢版 |
2019/08/03(土) 00:07:30.95ID:E+MW2Qow0
>>196
この話は、

> 72 名無しさん@1周年 sage ▼ New! 2019/08/02(金) 19:59:36.60 ID:aDmC6fwJ0 [1回目]
> 宮内庁が管理しとって発掘できない古墳も調査できれば少しは進むんかね

に対する、以下のスレから話が始まっている。

> 98 名無しさん@1周年 ▼ New! 2019/08/02(金) 21:06:29.61 ID:panistUC0 [2回目]
> >>72
> まだこんな誤解をしている人がいるのか・・・・
> 陵墓及び陵墓参考地は神道の現役宗教施設であるため、発掘については静謐と尊厳を
> 守ることが大事。だから発掘後のこともキチンと対処してもらいたいのだ。
> いい加減な団体に無暗に掘らせるわけにはいかないが、キチンと申請すればちゃんと対処してくれるのだ。
> 大仙古墳も一部調査されただろう。
> まあ、掘っても元に戻すまでかなりお金がかかるかもしれんがな。

胡麻化しようもなく、「発掘」に関して話していて、その文脈の中で
「無暗に掘らせるわけにはいかないが、キチンと申請すればちゃんと対処してくれる」
と書いている。

だから俺は、さんざんレスを重ねて、「本当にキチンと申請すれば発掘できるのか」を問うている。
0199名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:09:35.22ID:ikN9GUBu0
ああああああ!うっとおしい。
おまえのおかげで、今日はつまらん日やったわ。

ここを見ろ!

139名無しさん@1周年2019/08/02(金) 21:59:01.35ID:panistUC0>>150
>>118
掘りたい理由と掘る団体がちゃんとしたところなら出るやろ。
うたがうなら電話しろ



とっくにこたえてるやろが。  うっとおしい奴。ほんま、今日はつまらん日!寝る!!!
0200名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:10:31.65ID:OECvQL8A0
邪馬台国は東三河でしょ
0201◆HKZsYRUkck
垢版 |
2019/08/03(土) 00:10:48.33ID:E+MW2Qow0
>>199
だから、出ないんだって。
だから>>182の国会質問になっている。
0202名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:11:21.36ID:ikN9GUBu0
>>198
お前がコテハンでよかったわ。


>>199
0203名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:11:50.17ID:rm//xepH0
天皇絶対色が薄れてきた昨今
古墳を調べるのは必要だろうな
本当の日本を知りたいのなら

調べないまでもなぜ突然に古墳建造文化が消えたのかの議論すらも
ほとんど行われてこなかったのは不思議であるが
0204名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:16:02.80ID:XFaWyLtI0
>>167
いんや

豊玉彦の筑紫城(九州)を統治せよ、まぁ九州王朝を引き継げと言われた素戔烏尊は

「豊玉彦たちはおっかねぇからオラ嫌だ」と断ったら
伊弉諾尊から筑紫(九州)の地を追放されて

優しいママンの伊邪那美命の根之国(出雲)にいく途中に
天照大神尊の高天原(畿内)に立ち寄って

そこで

天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
天穂日命(あめのほひのみこと)
天津彦根命(あまつひこねのみこと)
活津彦根命(いくつひこねのみこと)
熊野櫲樟日命(くまのくすびのみこと)

の五皇子を生んだあと、やっばり奈良でも暴れて追放されて
優しいママンの伊邪那美命の根之国(出雲)に行って櫛名田比売命と結婚し
出雲の根之堅洲国にある須賀(すが)の地(中国・山陰地方にある島根県雲南市)で暮らした
0205名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:16:52.76ID:rm//xepH0
空路にもよるけど大阪着陸まえ
堺あたり上空で下を見るとどれがあの有名な古墳なの
ってぐらい古墳見えるやん

あの古墳絶対文化が突然消えた議論の方が邪馬台国がどこにあったかより
有益だとふと思った
0206名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:18:17.54ID:mHXs+tA60
正直、記紀ですら都合の悪い事は書いてなさそうなのに

その記紀ですら「九州のクマソが逆らってる」とあるのに
卑弥呼の時代に、九州を通って畿内まで来てる可能性は無いわな
0207名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:19:16.80ID:8JRJB2P/0
古墳の大きさは農地を開墾した残土の量で、当初は古墳の大きさ=開墾した農地の広さ、ってことだったんだろうな
0208名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:20:40.74ID:ikN9GUBu0
>>201

ワシはある団体の会合でのコメントで、宮内庁の弁として  <ココ
陵墓・陵墓参考地の歴史調査については今後も、陵墓としての静謐と尊厳が保たれるのであれば
出来る限り協力するとコメントをしたのを知ってるからゆうてるねん。


勝ち負けの話やったらそんなガキのあそびにはよお付き合わん。
自分で電話して聞けや
0209名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:20:58.49ID:GA6MJ7hJ0
旧唐書

倭国はいにしえの倭奴国のことである。
四方の小島五十余国は皆、倭国に属していた。倭国の王の姓は阿毎(あま・あめ)氏で、一大率を諸国において検察させている。小島の諸国はこれを畏怖している。

日本国は倭国の別種である。
その国は日の昇る方にあるので、「日本」という名前をつけている。
あるいは「倭国がみずからその名前が優雅でないのを嫌がって、改めて日本とつけた」ともいう。
またあるいは「日本は古くは小国だったが、倭国の地を併合した」とも。
0210名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:24:11.48ID:V54CnQS/0
「発掘なんてしたら、静謐が保たれませんよねえ?そうは思われないですか?」
「思いませんね」
「残念ですがこれ以上は見解の相違ですなあ」
0212名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:25:45.12ID:V54CnQS/0
「できる限り協力はしますと申しましたが、できないことまではできませんなあ」
0214名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:27:55.01ID:8JRJB2P/0
文献でさえ曲解しまくりなんだから、古墳掘ったところでまた曲解しまくるだけだろw
0215名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:33:17.32ID:cX+mQchi0
>>123
東南に進んでも海には出ないし、船にも乗れない。

船に乗るためには、宗像に上陸し、東南に進み、北九州空港あたりで船に乗ることしかない。
当時関門海峡の海流が早いために、陸路でショートカットするのがベストの選択だった。
0216名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:34:00.62ID:rm//xepH0
古代日本史って中国の鼻くそみたいな2、3行の一文で
推察するしかないって悲しいことですわ
600年あたりに日出るやら遣隋使とかやらも送っていたらしいが
この記録すらオンタイム記録は中国に頼るしかなくとか、なにやってんだか
0217名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:36:42.43ID:0osAXLMa0
九州王朝説・多元王朝説 

弥生中期から卑弥呼の時代はもとより7世紀にいたるまで、ヤマト王権のみならず、日本列島内において様々な勢力圏、連合独立地域自治権、が存在していた、
という多元王朝説が古田武彦らによって1970年代以降提唱され、かつては歴史愛好家などから一定の支持を得たこともあったが、
存在している文献資料の検討や古墳をはじめとする考古資料から、現時点において、学界は「この説は信憑性に欠けている」としている。

なお、これをさらに発展させ、九州王朝のみが存在したとする九州王朝一元説や、大和に王朝は存在せず、本来は豊前の王朝だったとする豊前王朝説、
九州王朝と東北王朝のみが存在し、大和は東北王朝の支配下にあったとする東北王朝説もあるが、多元王朝説論者も含めて学界からは無視されている。
0219名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:37:20.81ID:0osAXLMa0
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?

Answer
(-略-)
私(佐原)は
(-略-)
なお、しいて「どちらか」というなら私は大和説で、卑弥呼の使いの時の年号を書いた「三角縁神獣鏡」が近畿を中心に出土していることなどからです。

  大 多 数 の 考 古 学 者 は 大 和 説 で す。 

参考文献として、『邪馬台国への道』(朝日新聞西部本社編 不知火書房 1995年)を挙げておきます。
(元館長・佐原真)
0220名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:40:07.17ID:sLysN4BX0
記紀って色々な氏族の神話がごちゃ混ぜだから訳が分からなくなってるな
例えば神武東征が出雲側にとっては瀬戸内海から播磨に侵入してきた天日槍だったのかもしれんし、卑弥呼が吉備出身の百襲媛だったり神功皇后だったり、卑弥呼共立が大国主の国譲りだったりと同じ事象が何度も別の立場で書かれてる可能性がある
0221名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:40:36.24ID:MPVy/B1u0
卑弥呼というのは卑弥というのが氏で呼が名前という説
卑弥弓呼とは夫婦で喧嘩別れした
0223名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:41:40.85ID:0osAXLMa0
コレが定説
九州説の珍説なんかだれも相手にしてないワケ

時間と空間の設定―神武東征と即位―  そのカムヤマトイワレヒコは
よき地をもとめて日向から大和へと東征し、磐余宮で即位して初代の神
武天皇となる。これは地上における大和という地理的な特定地点の由来
を説明する物語である。ここで最重要の主題は、 神話から歴史への転換、
つまり、人間としての神武天皇という存在の位置づけである。そして
もう一つが現実的な空間的地理と時間的年代の設定である。時間につい
ては天孫降臨から一七九万二七四〇年余が経過したといい、東征の開始
の年を「是年、太歳甲寅」とし出発の日を「冬十月丁巳朔辛酉(五日) 」
としている。そして、橿原宮に即位した神武天皇元年が、辛酉年の正月
庚辰の朔(西暦への換算では紀元前六六〇年)としているのである。空
間については、出発地を九州の日向として瀬戸内海を通過し浪速、河内
から紀州へと旋回して熊野から大和の東部山中の菟田に出てそこから西
方に向かって大和盆地へ入る、という地理的関係を設定している。

ここで重要なのは大和盆地という現実的な王権発祥の土地であり、出
発地の日向については神話的な構成の産物にすぎないという点である。
先の一七九万二七四〇年余という時間が歴史時間として虚構であるとす
るならば、同時にこの日向という空間と地理も神話的な構成によるもの
である。それは、 『日本書紀』第9段の天孫降臨の一書〔1〕で、天孫
降臨の地が「筑紫の日向の」高千穂のクジフル峯であるといい、 『古事
記』でも同様で、 さらに「此地は韓国に向ひ、 笠沙の御前を真木通りて、
朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり、故、此地は甚吉き地。 」と表現
されていることからも明らかである。 「筑紫の日向の」小戸の橘の檍原
に至りまして、という言い方は、三貴神の誕生を記す『日本書紀』第5
段の一書〔6〕でも、『古事記』でも同じくみられる表現であり、この「筑 
紫の日向の」という表現こそが重要な伝承である。その筑紫は地名であ
り日向はその筑紫における太陽信仰に関連する呼称である。それについ
て現実上の日向国という地理的認識を与えたのは、国郡制などが整備さ
れたのちのことであり、記紀編纂の最終段階であった可能性が高い。つ
まり、一七九万二七四〇年余という時間と日向という空間とは現実の時
間と空間ではなくまだ神話の中での伝承情報と考えるべきなのである。
0224名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:42:08.52ID:MPVy/B1u0
卑弥呼卑弥弓呼二人はともに奴国の正統後継者であり
であるから結局ふたりともお冷めている国は奴国なのだった
0225名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:43:04.59ID:XFaWyLtI0
>>204
んで、奈良のアマテラスのところに取り残された

素戔烏尊の5人の息子たち

天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
天穂日命(あめのほひのみこと)
天津彦根命(あまつひこねのみこと)
活津彦根命(いくつひこねのみこと)
熊野櫲樟日命(くまのくすびのみこと)

は、みんなアマテラスの養子になって

長男天忍穂耳命は、最初に出雲平定に行かされたが失敗し
高皇産霊神の娘である栲幡千千姫命との間に瓊瓊杵尊をもうけ
瓊瓊杵尊は出雲国譲りの際に出雲に行かされる

次男天穂日命は、次に出雲平定に行かされたが、大国主神を説得するうちに心服して出雲に住み着いてしまう
0226名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:44:57.40ID:RgIeShy10
これは歴史論争というより観光地の誘致合戦なんだから、
お互い譲るわけがない
何しろ金儲けがかかってるからなw
0227名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:49:39.13ID:rm//xepH0
日本側の日本史正式記録が出るの8世紀だわ
歴史事項に順位づけもあれだが
8世紀までの日本史で邪馬台国、卑弥呼って相当に順位低いと思うんだわ

奴国は教えず、古墳が突然消えたことは考えさせず
ずっと卑弥呼を知ることこそが日本を知るすべてであるかのような
世論誘導に問題を投げかけたい

そしてそれにまんまと乗って
俺って歴史にちょっと詳しいぜ
って感じでこの邪馬台国議論に乗ってきた方々も反省していただきたい
0228名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:55:07.85ID:edyuUg9/0
>>227
日本書紀の編纂者は、天皇の時代はずれても
卑弥呼・台与と神功皇后の時代だけはきっちり合わせてるから
日本書紀の編纂者にとっても卑弥呼と台与は最重要人物ていう認識だよ
0229名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:56:28.63ID:4zXPw1Aw0
祭政一致の巨大な神殿があるのが『古代』だと思い込む人が大半だが、
邪馬台国のような大きな神殿が登場するのは、大和王権が世俗化して、宗教セクタが首都から追い出された結果だよ
0231名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 00:58:45.44ID:edyuUg9/0
>>230
日本書紀は正しいとは言ってない
ただ日本書紀が重要な歴史書なのは間違いないだろ
0232名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:01:29.69ID:rm//xepH0
>>231
重要なのは異論ないがどう考えたって滅茶苦茶だろ
なんで100年前の17条憲法が詳細で書けるのよ
50歳まで生きれば長寿の時代に
0233名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:02:00.07ID:4zXPw1Aw0
最大公約数的な意味で
・ヤマトが日本国の源流
・九州が天皇家の源流    という事までは納得できるだろう?

しかし、納得できないからこそ、邪馬台国論争が続く
神道には、縄文からの古層と、新宗教(アマテラスの太陽信仰)が重なっているのだ
邪馬台国の宗教は、明らかに後者
0235名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:04:46.73ID:4zXPw1Aw0
>>232  口伝を侮るなかれ・・・

巫女が唄で暗記する神話は、けっこう長期間の記録になるよ
日本からはるか遠いアフリカで、
『キングの兵隊が来た年に、クンタ・キンテは行方不明になった』
という一節を記録していたのは、文字ではなく、シャーマンの唄だった
0236名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:04:50.83ID:edyuUg9/0
>>234
書いてないし
0238名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:05:55.19ID:0osAXLMa0
倭 在帯方東南大海 中、依山島為国 。(魏略)
倭人在帯方東南大海之中、依山島為国邑。(魏志)

帯方より女 国に至る万二千余里。(魏略)
郡より女王国に至る万二千余里。(魏志)

自帶方至女国万二千余里(太平御覧・倭条)

百女国以北其戸数道里可得略載(翰苑)
自女三國以北其戸數道里可得略載(紹興版本魏志倭人伝)


と中国の歴史書なんかテキトーに孫引きして
もともと酷いシロモノだからな

こんなシロモノに書いてある数字をいちいち正確に真に受けるほうが
どうかしてるからな


つまり魏志倭人伝の数字をまにうけてるヤツは池沼
0240名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:07:33.68ID:rm//xepH0
日本書紀で17条憲法
すなわち100年前には日本語バリバリ使ってましたとゲロってるのに
日本書紀まで記録がないって
世界史的ミステリーだわ
0241名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:09:53.78ID:4zXPw1Aw0
>>234
ある程度は無視していいと思う(完全に無視すべきではない)

邪馬台国がどういう組織だったか考えれば、その範囲は限定できるでしょう
・邪馬台国はヤマト王権の宗教セクタであり、占領統治の出先機関です
・邪馬台国は、ある程度の自己裁量で地方の統治を行いました
・邪馬台国の宗教は縄文以来の古層ではなく、ヤマトで創作された新宗教です

こう考えれば、邪馬台国が一か所だと考える方が不自然で、
大宰府を筆頭に、交通の要衝ごとに設置されたと考えるべきでしょう
後世の国分寺に似た存在と思えばいいです
0242名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:10:02.25ID:edyuUg9/0
>>238
距離がいい加減なのは言うまでもないね
あと「東治の東」とはっきり書いてあるから
「魏志倭人伝」の作者は倭国は沖縄県あたりにあると認識してたのは間違いない
0243名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:12:04.53ID:cm74PtDt0
別に平行線でいいだろ。分からないものを無理に決着させる必要もない。
0244名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:12:39.72ID:4zXPw1Aw0
>>237
歩き巫女がメディアとして機能した例としては、
日露戦争におけるベトナムの巫女を参考にすればいいよ

口伝による情報伝達を軽視してはいけない    そう、巫女さんが歌ってた♪
0245名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:14:29.96ID:rm//xepH0
卑弥呼か卑弥太郎か知らんが
日本書紀からも相手にされない
中国書物にも鼻くそレベル程度で出てくる人物に
なんでそんなに熱くなれるんですか
0246名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:16:31.62ID:rm//xepH0
>>244
口伝を馬鹿にしてるというより文字で残す手段が
十二分にあっただろうにそれが残ってないのを疑問視してるんだがな
0247名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:16:47.79ID:edyuUg9/0
あと「魏志倭人伝」の作者は「東治の東(沖縄県付近)」とはっきり書いてるから
邪馬台国が北部九州ではないのも間違いない。
北部九州の場所を間違うはずがないからだ。

「北部九州から水行30日・陸行一ヶ月の場所にある」ともはっきり書いてある。

つまり邪馬台国が北部九州ではないことだけは『魏志倭人伝』にはっきり書いてあるんだよ
0248名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:18:48.06ID:rm//xepH0
卑弥呼がうんたらって熱く話してるの
おそらくは戦後の日本人だけだよ
0249名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:21:04.78ID:4zXPw1Aw0
そもそも太陽信仰って、三輪山信仰より新しいじゃん?
どこでも拝めるから、九州から来た連中にもウケがいいじゃん?
それに鬼道って大陸の五斗米道でしょ? おっしゃれー♪
      これどう考えても、纏向でテストしてた新宗教の成果でしょ・・・・

とはいえ、邪馬台国『機関説』には問題もあります   朝貢ですね
ヤマト王権としては、占領地に勝手な朝貢なんかさせたくない
しかし、ヤマトの占領はゆるいものだったようで、
占領地の祭政一致な自治体は、事あるごとに朝貢を行って主権を回復しようとしました
(戦後の日本も、講和前からいろいろ動いてたでしょ?)

ヒミコさんは大和(纏向)から派遣された宗教官僚だったでしょうが、
上からは報告を求められ、地元からは大陸への朝貢を求められ、嫌〜な立場だったと思いますよ
それこそ、執務室に閉じこもって泣きたくなるぐらいに・・・・
0250名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:22:50.35ID:rm//xepH0
日本史を見つめようって機運が出たの江戸時代からと思うが
江戸時代の歴史家で邪馬台国、卑弥呼に情熱かけた人いるんか
0251名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:23:16.89ID:edyuUg9/0
>>248
戦前から人気だが
0252名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:24:40.75ID:edyuUg9/0
>>250
昭和天皇と上皇
大神神社に参拝してるし
0253名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:26:15.78ID:4zXPw1Aw0
>>250
本居宣長は、限られた情報のなかで、よく頑張ったと思いますよ

イデオロギー対立になったのは戦後です
皇室の起源(九州)と国家の起源(畿内)が対立するようになったのと、あとは観光誘致ですねw
0255名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:29:14.66ID:edyuUg9/0
>>249
年代が合ってるから倭国大乱の原因はタウポ大噴火だと思うよ

181年 タウポ大噴火
181年  『後漢書』によると「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」
182年 『後漢書』によると「井戸の中が凍ってしまった」異常気象を示す記述は2年続く。
184年 黄巾の乱
181~184年頃 『梁書』によると「霊帝光和年中(178年 - 184年)」に倭国大乱が起きた。
184年頃 『三国志』によると卑弥呼が女王になった(新宗教ができた)。

黄巾の乱のスローガン「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」は
青い空が噴煙に覆われて、空が黄色くなったことをあらわしている。
0256名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:29:17.59ID:rm//xepH0
>>253
本居宣長の代表経歴が邪馬台国研究ってことはなかろう
戦後の歴史家では仰山いそうだが
0258名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:32:31.71ID:rm//xepH0
>>257
ミステリーでしょ、これに限らず
奴国から紀元前後には文字を使用していたと強く推察で来るわけよ
起源前後から文字がつかわれていたと強く推察できるのに
日本語が初めて世に出るのが8世紀よ
ありえんでしょ
0259名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:32:39.79ID:azbDax0d0
何が見つかれば決着するんだ?卑弥呼の白骨遺体?金印?
0260名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:34:49.69ID:4zXPw1Aw0
戦前の国家宣伝として、歴史の映画も作られました
タイトルなんだっけ? 国体の本義だったかな?
円谷プロダクションの制作で、古墳などの写真を多用し、
国策宣伝映画の枠内ながら、精一杯の仕事をしていた印象がある

はて、タイトルなんだっけ???
0261名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:35:31.63ID:edyuUg9/0
>>259
99%の学者は畿内説と言われているから
学問的にはすでにほぼ決着済み
畿内には古代の大王の墓(物的証拠)などがそろってるが
九州説って邪馬台国の場所すら確定できなからまともな学者からは相手にされないの
0263名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:36:56.73ID:4zXPw1Aw0
>>259
金印ならパーフェクトですね!
逆に、ヒミコの骨が出ても、当時は墓碑銘を銅板に刻んだりしないから・・・わからん;
0264名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:38:43.23ID:4zXPw1Aw0
>>261
政治の中心が99%ヤマトだってのは同意
     しかし
ヤマトが世俗政権化した結果が地方の邪馬台国だとすると、
ヤマト(特に纏向遺跡)が邪馬台国だったはずがない
0265名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:38:44.23ID:edyuUg9/0
>>258
文字は使えたのはごく一部の人だけだよ
5世紀までは、剣などに残ってる文字の書き方がかなりいい加減で
王族にも文字がほとんど理解されてなかったことがわかる
0266名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:39:15.11ID:ktbll0bA0
>>261
アホか
遺物から見たら普通に九州だよ
畿内は完全に派閥があるからな
もう学問でも何でもないある意味忖度と宗教だろ
0267名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:39:39.47ID:edyuUg9/0
>>262
さすがに北部九州の場所は間違わないのでは?
0268名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:40:49.21ID:edyuUg9/0
>>266
遺物から見たら九州の全盛期は邪馬台国よりも前の時代だが
0270名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:41:13.71ID:rm//xepH0
>>265
その手の落書きすら残ってないのが日本史のミステリーなわけだが
その剣とかに残ってるという日本語ソースあるの
0271名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:42:21.24ID:0osAXLMa0
【平成27年度】
・中国鏡の発見

【平成29年度】
・大型の竪穴建物跡1棟の発見

・104点の鉄器の発見
 その中に鉄製ヤス(あるいはモリ)があります。弥生時代のものとしては、九州北部や山陰地域での出土例はあるものの、
 そ の 数 は 少 な く、他の地域では極めて 稀 な 鉄 器 といえます。

つまり淡路島は
新羅系のチョンコもどきの土人(北部九州、山陰、北陸)とは一切関係ない
0272名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:42:27.76ID:4zXPw1Aw0
>>266
北九州に邪馬台国があったとして、それはどういう政治形態だと思う?

・祭政一致の主権国家
・ヤマトの出先機関

私は大和の占領地における、出先機関だと思う
ただし、地元には独立志向が強く、政治的妥協として朝貢が継続したのでは?
0273名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:42:48.38ID:0osAXLMa0
たな大型の鉄器工房跡 国内最大級か

毎日新聞2017年1月25日 17時03分(最終更新 1月25日 20時46分)
https://mainichi.jp/articles/20170126/k00/00e/040/001000c

弥生時代後期 鉄製品57点と工房含む竪穴建物跡4棟発見

 兵庫県淡路市教委は25日、弥生時代後期の舟木遺跡(同市舟木)から大型の鉄器工房
跡を確認したと発表した。遺跡中心部の状況を把握するため狭い範囲で溝(トレンチ)を
掘って調査した結果、鉄製品57点と工房を含む竪穴建物跡4棟が見つかった。同遺跡全
体の鉄器工房の規模が、南西約6キロにある国内最大級の鉄器生産集落で国史跡の五斗長
垣内(ごっさかいと)遺跡(同市黒谷)をしのぐ可能性があるとしている。

 舟木遺跡は約40ヘクタールの大規模な山間地集落遺跡。これまでに約5700平方メー
トルを調査し、弥生時代後期の竪穴建物跡10棟や土器、中国鏡の破片が出土しているが、
鉄器工房は確認されていなかった。

 2016年度は遺跡中心部の尾根沿いに7本の溝、計128平方メートルを掘り、弥生
時代後期後半(2世紀後半)の竪穴建物跡4棟を確認した。3棟は直径10メートル前後
の大規模な円形で、うち1棟から床が赤く焼けた炉跡4カ所が見つかった。もう1棟は四
隅が丸い隅丸方形建物だった。


イザナミとイザナギがセックスした島に古代 最 大 規 模 の 鉄 器 工 場 もある
※ 弥生時代後期後半( 2 世 紀 後 半 )の竪穴建物跡4棟を確認済

国産みのはじまり淡路島 

こおろこおろのすべての始まりの場所だからな
ココが国産みの最初の場所だからな
九州土人みたいな夷人雑類と一切関係ない 

わかった?
0274名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:43:31.30ID:edyuUg9/0
>>270
稲荷山古墳出土鉄剣とか知らないの?
もっと古い土器にも文字残ってるよ
0275名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:43:35.69ID:0osAXLMa0
暦年代 纒向編年 土器出土遺構 対応する土器型式
180年-210年 纒向1類 北溝北部下層 灰粘土層 弥生V様式末
210年-250年 纒向2類 辻地区土坑2 庄内I式(庄内古式)
250年-270年 纒向3類 南溝南部 黒粘土(1)下層 庄内II式(庄内新式)
270年-290年 纒向4類 辻地区土坑4下層 庄内III式(庄内新新式) 布留0式
290年-350年 纒向5類 辻地区土坑4上層 辻地区土坑7 布留T式

倭国大乱(146年-189年)
卑弥呼(-242〜248年

垂仁天皇(壬辰→西暦212年)
┣景行天皇(辛未→西暦251年)
┃┗倭姫命(トヨスキリヒメ)
┗豊鍬入姫命(ヒミコ)

ぴったり一致

AD 238
 アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) →朝貢(ナマオナホ+ドレイとかいろんなもん)→ 明帝
 アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) ←下賜(倭王とか一杯いろんなもん)← 明帝「いいもんくれた オマエを倭王にしてやる」
AD 240
 アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) ←下賜(仮の倭王とかいろんなもん)← 斉王「まえのヤツは死んだ 挨拶だ おまえのことよく知らんから一旦仮の倭王にしてやる」
 アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) →(お、ありがとな)→ 斉王
AD 244
 アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) →朝貢(ドレイとかいろんなもん)→ 斉王「おい だれか黄色い旗刺しでもやっとけ ん? もってけるやつがいないのか?」
AD 247
 アマテラス御杖代伊勢斎王(ヤマト ヒメミコト) →(クマソどもぶっころしにいった キャハ)→ 斉王
AD 248
 アマテラス御杖代伊勢斎王(ヤマト ヒメミコト) →朝貢(ナマオナホ+ドレイとかいろんなもん)→ 斉王

以後、ずっと交信記録なし

コレもぴったり一致
0276名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:43:47.56ID:bQh7VU0x0
新たに有力な証拠が出るまで議論を中止しろや
時間の無駄だろ
0277名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:44:44.06ID:0osAXLMa0
どうみても記述では

卑弥呼:倭姫命(ヤマトヒメ)(初代斎王)
台与:豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)

コレですべて辻褄があう
※ 伝承によって記述が逆になった

卑弥呼:豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)
台与:倭姫命(ヤマトヒメ)(初代斎王)
だったのが伝承で変な伝わりかたして
記述の内容が逆になった可能性が高い

つまり、トヨスキイリヒメの時代に倭国大乱がおきてる


> 其國本亦以男子爲王住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子爲王 名曰卑彌呼 事鬼道 能惑衆 年已長大 無夫婿

つまりこの部分 

卑弥呼の時代、
すでにチンカスの北部九州の土人地域は大和朝廷の版図内

新羅系のチョンコもどきの土人は
倭国大乱で駆逐されたあと
0278名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:44:50.56ID:8MaaZbq/0
どこもおらが村が邪馬台国ってやってるのかな
0279名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:45:57.86ID:0osAXLMa0
暦年代 纒向編年 土器出土遺構 対応する土器型式
180年-210年 纒向1類 北溝北部下層 灰粘土層 弥生V様式末
210年-250年 纒向2類 辻地区土坑2 庄内I式(庄内古式)
250年-270年 纒向3類 南溝南部 黒粘土(1)下層 庄内II式(庄内新式)
270年-290年 纒向4類 辻地区土坑4下層 庄内III式(庄内新新式) 布留0式
290年-350年 纒向5類 辻地区土坑4上層 辻地区土坑7 布留T式

纏向の発掘進捗は5%もいってない 
これだけでもこんな広範囲な年代の遺物が検出されてる

チンカスみたいな九州の土人遺跡集落とは規模が違うからな

卑弥呼の時代
奈良には超巨大な帝都があったからな

新羅系のチョンコもどきが群がってた未開の土人地域の北部九州に
そんなんあったの?
0280名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:46:29.55ID:rm//xepH0
2、3、40年以上前に卒論で邪馬台国を書いてしまって
それを基にいま学校残ってる人それなりにいると思うんだわ
言い換えれば、これがたいした問題じゃないとなったら大問題の人が結構

いまの邪馬台国問題の多くがこれなのではないかと
0281名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:47:32.25ID:0osAXLMa0
九州南部が朝廷の支配が及ぶようになったのは
班田収受法にさからって隼人の乱がおきてから

律令の時代になってからも
ずっとあとのこと

隼人の乱がおきる前ははっきりいって
朝廷の支配が及ばなかった地域といっていい

隼人の乱を鎮圧されて、しばらくたって公民と認められてから
班田収受法が適用されるようになった

当の班田収受法自体は制度がひどすぎて
すぐに制度崩壊がおきる

それまで九州南部の土人は
大宝令の賦役令にもあるように
朝廷の公民ですらない
土人扱いだからな

↓このとおり
凡邊遠國。有夷人雑類謂。夷者夷狄也。雑類者夷之種類也。釋云。夷。東夷也。挙東而示餘。推可知雑類。謂夷人之雑類耳。
古記云。夷人雑類謂毛人。肥人。阿麻彌人等類。問。夷人雑類一歟二歟。仮令。隼人。毛人。本土謂之夷人也。此等雑居華夏。謂之雑類也。
一云。一種無別。 之所。應輸調役者。随時斟量。不必同之華夏。謂。中國也。


で北部九州については  
はすでに卑弥呼の時代、大和朝廷の版図内
0282名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:49:02.60ID:0osAXLMa0
栲衾  志 羅 紀 の三埼を、国の余りありやと見れば、国の余りあり、と詔たまひて、
乙女の胸取らして、大魚の支太衝き別けて、波多須々支穂振り別て、三身の網打ち挂て、霜黒葛闇や闇やに、河船の毛曽呂毛曽呂にき国来国来と引き来縫へる国はや 


出雲風土記の国引き神話からも
出雲が新羅の半島系なのがわかる
0283名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:49:03.06ID:ktbll0bA0
畿内にゃ殉葬された150メートル位の円墳なんて無いしな
涙ふけよとしか言えんわw
これが畿内から出てきたらそりゃもう何も出てこない纏向とか
ポイーだろうに
0284名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:49:38.94ID:0osAXLMa0
宇佐神宮Webページ
http://www.usajinguu.com/shinbutsu.html
8世紀の『豊前風土記』には、「むかし新羅の神が渡ってきて、この河原に住んだので鹿
春郷(かわらのさと)と名づけた」ことなどが記されています。つまり、田川郡には銅を産
する香春岳があったので、新羅国(しらぎのくに)の神を祀る技術集団が住んでいたことが
分かります。

北部九州も
出雲信仰、白山信仰と同じく新羅系
つまり渡来神

北部九州も新羅の半島系
0285名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:49:44.42ID:V54CnQS/0
>>267
いや「魏志の認識が北部九州ではない」まではわかる
それと「実際に北部九州ではない」はイコールじゃない

「魏志の認識が南西諸島あたり」だからといって
「実際に南西諸島あたり」になるわけではないのと、同じこと
0286名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:49:54.12ID:4zXPw1Aw0
>>278 交通の要衝なら、どこにも邪馬台国があった可能性が・・・・

・縄文以来の三輪山信仰が、近畿から濃尾にかけて信仰された(山が見える範囲限定)
・ヤマトで宗教改革があり、九州人にも受け入れられる広域宗教が模索された(纏向遺跡)
・ヤマトの占領地に新宗教の神殿建設ラッシュ(たぶん大宰府に邪馬台国)

ずっと後の時代に、仏教をネタにした国分寺ラッシュがあるので、
この政治方針は大まかに言って間違いじゃなかった
0287名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:50:51.31ID:0osAXLMa0
北部九州も新羅の半島系


福井にも大量の新羅神社がある
北陸も新羅の半島系
0288名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:54:04.54ID:0osAXLMa0
夜(ヤ)麻(マ)登(ト)波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流夜(ヤ)麻(マ)登(ト)志宇流波斯

ヤマトは奈良しかない
邪(ヤ)馬(マ)台(ト)は奈良
0289名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:54:32.89ID:4zXPw1Aw0
>>287 そうなんだよね

朝鮮半島から20人乗りの大型カヌーで日本へ渡るとき、
対馬で潮流を横切るのは大変だが、
海流に乗って出雲や北陸へ寄せるのなら、とても簡単なのだ

そういう意味で、畿内のヤマト王権が琵琶湖経由・日本海で大陸と往来してたのには合理性がある
0291名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:57:29.04ID:0osAXLMa0
倭国大乱前

北部九州、出雲 ←→ 大和朝廷 → 北陸
※ 北部九州、出雲は、北陸は新羅系のチョンコもどきの土人

倭国大乱後 ヒミコの時代

熊襲 ←→ 大和朝廷 ←→ 東夷(元新羅系のチョンコもどきの土人 俘囚)

※ 隼人土人は9世紀初頭まで朝廷の公民ですらない
※ 東夷の柵
https://www.sekainorekisi.com/wp-content/uploads/2018/03/a9db036739edf33a636fa120892b858a.png
0292名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:58:09.32ID:edyuUg9/0
>>285
いや「魏志の認識が北部九州ではない」なら
「実際に北部九州ではない」はイコールだと思うよ
伊都国(北部九州)に魏の役人が駐留してたのに間違うはずない
0293名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:58:47.17ID:4zXPw1Aw0
>>290  だよねー (ほじゃねー)

どんな議論でも、大いに語ってこそ進展があるものだ
古墳時代の日本海が群雄割拠の状態にあり、大宰府から大阪湾への横断が困難だったという考察は、
大勢の人が断片情報から語ったからこそ、得られた結果ではないか?

語るのを止めたら、知識の進歩は停止する
0294名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 01:59:06.37ID:0osAXLMa0
田舎もんは朝廷の公民ですらなかった夷人雑類

北部九州、山陰、北陸 (つまり新羅系のチョンコもどき)


 ↓     ↓   ↓ (倭国大乱)


    関東  東北

     ↓ (征 夷 大将軍の 坂上田村麻呂)

    東北

東北にも古い八幡神社があるのはなんでか
もう分かるな
0295名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:00:22.54ID:0osAXLMa0
大和朝廷が北部九州を版図に治めてからも
大和朝廷と北部九州の一部の豪族と争いもおきてる 

北部九州の豪族(チョンコもどきの土人)は新羅との関係が深かった
大和朝廷のほうは百済に支配地域を広げていた 
で、南朝鮮の権益で九州北部の豪族は大和朝廷の朝鮮出兵を時折邪魔したりして争いもあったりした
北部九州の豪族が新羅から賄賂をもらってたというのも古事記に記述されてる

そう
もうコタエはでてるワケ
0296名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:00:28.16ID:9lVxPL6I0
>>289
往来とは行ったり来たりする事を意味する、朝鮮半島から山陰に来るのは
割と簡単だろうが、山陰から朝鮮半島には潮流に逆行して船を漕ぐ必要があるから
絶対に無理、往来では無くて片道通行だ。
0297名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:01:36.33ID:0osAXLMa0
当時、尾張より東は魔界の住む土人
ヤマトヒメノミコト(ヒミコ)がヤマトタケルノミコトにクサナギノツルギを渡してることからも分かる

なんで愛知に白山神社が多いか?

愛知県より東の各都県の部落には、必ずといってよいほど白山神社が祀られている
愛知県は、西日本と東日本のちょうど中間地帯だが、部落内に白山神社があるのは、かつての三河国に限られ、尾張国には存在しない

愛知でも三河に集中してる
三河の東国武士()なんか、ほぼ元エタヒニンだからな

ココは境界

クサナギノツルギが祀られてる熱田神宮がある理由を考えればいい
ヤマトヒメノミコト(つまりヒミコ)がヤマトタケルノミコトに託したツルギになる

ノブナガさまも東国からやってきた夷人雑類をやっつけるまえに
熱田神宮にお参りして桶狭間で東国の夷人雑類(今川義元)をやっつけてる
0298名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:01:48.26ID:4zXPw1Aw0
293 おっと誤字;
✖古墳時代の日本海    〇古墳時代の瀬戸内海

瀬戸内海が航行不能だったという考古学的な推論は、かなり大変だったと思う
神武東征の困難を検証する研究から得られた推論だよ
(瀬戸内海を商船が往来できたら、神武東征なんか必要ないw)
0299名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:03:38.98ID:0osAXLMa0
ヒミコは伊勢斎王さま

神の子以外は天子さまにもミコにもなれない

皇族は神の子

 皇子
 皇女
 親王
 御子
 神子

コレ全部ミコと読む

古代の祀り事(マツリゴト)は政(マツリゴト)
ヒミコも神の子

 ヒミコはヤマトヒメノミコト

わかりましたか?
0300名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:04:24.49ID:0osAXLMa0
 廿五年春二月丁巳朔甲子 詔阿倍臣遠祖武渟川別 和珥臣遠祖彦國 中臣連遠祖大鹿嶋
 物部連遠祖十千根 大伴連遠祖武日 五大夫曰 我先皇御間城入彦五十瓊殖天皇 惟叡
作聖 欽明聰達 深執謙損 志懷沖退 綢繆機衡 禮祭~祇 剋己勤躬 日愼一日 是以
人民富足 天下太平也 今當朕世 祭祀~祇 豈得有怠乎 ○三月丁亥朔丙申 離天照大
~於豐耜入姫命 託于倭姫命 爰倭姫命求鎭坐大~之處 而詣莵田筱幡 【筱此云佐佐】
更還之入近江國 東廻美濃到伊勢國 時天照大~誨倭姫命曰 是~風伊勢國 則常世之浪
重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國 故隨大~ヘ 其祠立於伊勢國 因興齋宮于五十鈴
川上 是謂磯宮 則天照大~始自天降之處也 【一云 天皇以倭姫命爲御杖 貢奉於天照
大~ 是以倭姫命以天照大~ 鎭坐於磯城嚴橿之本而祠之 然後隨~誨 取丁巳年 冬十
月甲子 遷于伊勢國渡遇宮 是時倭大~ 著穗積臣遠祖大水口宿禰 而誨之曰 太初之時
期曰 天照大~悉治天原 皇御孫尊 専治葦原中國之八十魂~ 我親治大地官者 言已訖
焉 然先皇御間城天皇 雖祭祀~祇 微細未探其源根 以粗留於枝葉 故其天皇短命也 
是以 今汝御孫尊 悔先皇之不及而愼祭 則汝尊壽命延長 復天下太平矣 時天皇聞是言
 則仰中臣連祖探湯主而卜之 誰人以令祭大倭大~ 即渟名城稚姫命食卜焉 因以命渟名
城稚姫命 定~地於穴礒邑 祠於大市長岡岬 然是渟名城稚姫命 既身體悉痩弱以不能祭
 是以命大倭直祖長尾市宿禰 令祭矣】

倭姫命 = ヤマト ヒメノミコト(ヤマトコクの女王と使節が勘違い)
ヒメノミコト ⇒ ヒミコ

コレ以外ない
0301名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:04:35.93ID:qTta2obl0
そもそも弥生時代における、倭人というのは、危険な海を渡って貿易を営める一定の人種で主に韓国と九州を行き来していた。
卑弥呼時代の大陸の覇権国家はそんな危険な海へ出る必要はなく技術も知識も乏しいため、海の向こう側にある大陸の情報源は非常に興味深く覇権争いの対象ではなかった。
しかし大陸の覇権争いが激化したことで、韓国側に住む倭人は日本側へ追いやられたが、大和を建国して力を蓄え、韓国側の利権を拡大すべく努力した。
これが大和朝廷と近畿が急速に発展した理由。

なので邪馬台国は大和朝廷の前の時代の別組織のお話。
0302名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:04:49.59ID:4zXPw1Aw0
>>297
平安時代になって、三河にもエミシ奴隷は入植させられているね
ちなみにマツダイラというのは、エミシ入植者の入った荘園の地名っぽい;

だから江戸幕府が出来た後になって、水戸家が朝廷と徳川の関係構築に苦労した
(大日本史の編纂中に、阿弖流為の塩首が行方不明になったのも、政治的な配慮か)
0303名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:07:40.54ID:9lVxPL6I0
日本を支配したのは新羅人では無い、高句麗人だ、三韓人が大量に畿内地域に
住み着いている。三韓の親分格は高句麗に繋がる馬韓で北方のツングース系民族だ
現代の関西人は縄文遺伝子を持たない純粋なツングース系民族と言える。
0304名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:07:55.46ID:0osAXLMa0
八幡神は普通に新羅系のチョンコもどき土人の渡来神だからな
普通に元をたどればスサノオ
出雲、八幡、白山の信仰

つまり、関東東北へと逃げたヤツラ
つまり俘囚になるようなヤツラだからな


隼人は九州にいた
ただの土着土人
ずっとそこにいる
0305名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:08:01.85ID:4zXPw1Aw0
>>301
邪馬台国が独立系だとすると、身の丈以上の豪華な神殿だし、
地元の信者を重視していないし、五斗米道とか『ナウい』んだよなぁ・・・・

そして九州には、大国を支えるだけの穀物生産が無かったわけで、
邪馬台国を支えた米と兵隊は、どこから得られたのだろう?  謎だ
0306名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:11:16.08ID:0osAXLMa0
もともと東北の蝦夷土人のルーツが
出雲、北部九州、北陸のヤツラだからな

出雲の負け組が
関東、東北へ落ち延びてる

出雲弁と東北弁が似てるのは
そのせい
0309名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:15:12.11ID:0osAXLMa0
日本が律令の時代になっても
東北では田舎もんが住む区域と野蛮な土人が住む区域の境界が↓コレになる
http://livedoor.blogimg.jp/itotaku77/imgs/2/a/2a761c8e.jpg

柵より向こうは
ずっと日本じゃなかったからな
野蛮人が住むエミシ土人(つまり 新 羅 系 の 俘 囚)地域

コイツラは公民になるまでヤマトの民じゃなかったワケ
南部九州の隼人土人と同じ

九州、東北の田舎もん土人がヤマト民族を自称するとか
わらっちゃうワケ
0310名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:16:47.56ID:0osAXLMa0
蝦夷土人が住んでる場所との境目が越後だからな

つまり辺境の地が越後

 越(こし)というのはそういう場所だ

朝廷の公民と認められる田舎もんは越後まで
越後超えたら朝廷の公民と認められない土人の巣なワケ

越後でも沼垂城より先は土人が住む魔界
概ね阿賀野川が境になる

越後には渟足柵がある
コレで土人の侵入をふせいでた

渟足柵は
これより先は野蛮な土人が住んでたことを示す遺構になる
0311名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:17:26.61ID:0osAXLMa0
つまり東北は
普通にいまの半島人じゃない半島のヤツラが支配してた

のちに俘囚となって
その俘囚が勢力をもつようになった

前九年の役とか普通に半島人がまぎれこんでたからな

平泉なんかもろ新羅系
安倍氏も間違いなくもろ新羅系だからな
0312名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:19:16.75ID:0osAXLMa0
清和源氏を自称してる甲斐源氏の武田氏とか小笠原氏とか
普通に新羅系だからな
朝鮮由来


長野県の新羅神社(2)

三、神社の由来

更に、小笠原氏の祖は加賀美遠光(新羅三郎義光の孫)の子・小笠原長清であるので、 新羅明神の勧請は小笠原氏の氏族的な因縁もあるものと考えられる。
当神社には明治初年まで「新羅大明神」の社額(現在社宝で二面、蔵されている)が 元禄三年建立の石の大鳥居に掲げられていたという。
前宮司・倉田氏に新羅明神の像が見られないかと尋ねたら写真をみせてくれた。 像は朝鮮風の服装で頭に烏帽子風のかぶりものをした坐像である。
像には極彩色が施され、顔は博多人形のような感じがした。 両腕を膝の上に乗せて落ち着いた上品なイメージであった。
『阿智村誌』によれば、「当社の新羅明神像は江戸時代の造立であるが、 一見して渡来神であることが知られる形容の倚(い)像である」と説明されている。
0313名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:20:05.16ID:0osAXLMa0
関東の清和源氏は系図を偽造してる
あいつらの出自は新羅系

八幡太郎 賀茂次郎 新羅三郎
もろ新羅系

ホモ信玄の祖先も
石橋八幡神社を創建した新羅三郎義光
0314名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:22:21.90ID:9lVxPL6I0
九州は大勢の人民を食わせるほどの田んぼが無かったとかどうしてそう言う嘘ばかり
書きたがるのか?、北部九州の稲作は近畿よりも四百年以上早くから始まっており
当然平野部は開拓し尽くし山間部の斜面にも田畑を作っていた訳で、当時の人口は
畿内を遙かに上回っていた訳だな。
0315名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:28:42.57ID:9lVxPL6I0
弥生時代の翡翠・勾玉・丸玉などが出土した地域(20箇所勾玉48丸玉3小玉1なつめ玉1)
福岡県・・福岡市西区、福岡市博多区、福岡市南区、糸島市 宇美町、宮若市、行橋市、
     筑紫野市、嘉麻市 (9箇所 勾玉18なつめ玉1)
佐賀県・・多久市、武雄市、唐津市、(3箇所 勾玉19丸玉2)
長崎県・・島原市、壱岐市(2箇所 勾玉2)
熊本県・・菊陽町、熊本市、阿蘇市(3箇所 勾玉2丸玉1)
大分県・・日田市、宇佐市、大分市(3箇所 勾玉7小玉1)

古墳時代の翡翠(糸魚川産)勾玉・丸玉などが出土した地域(47箇所)
福岡県・・福岡市西区、福岡市博多区、福岡市南区、福岡市東区
     糸島市、春日市、大野城市、志免町、篠栗町、古賀市
     福津市、宗像市、宮若市、鞍手町、田川市、嘉麻市
     飯塚市、苅田町、行橋市、筑紫野市、那珂川町、筑前町
     朝倉市、久留米市、八女市、うきは市、(26箇所)
佐賀県・・佐賀市、吉野ヶ里町、神埼市、多久市、武雄市、唐津市、(6箇所)
長崎県・・雲仙市、壱岐市 (2箇所)
熊本県・・玉名市、和水町、菊池市、御船町、熊本市、宇城市、八代市(7箇所)
大分県・・宇佐市、大分市 (2箇所)
宮崎県・・宮崎市、高鍋町、西都市 (3箇所)
鹿児島県・・長島町 (1箇所)

※以上の出土物から九州は弥生時代よりも大和朝廷が成立した古墳時代の方が
繁栄しているのが判る。古墳時代からは朝鮮半島製の金銀製品も多数出土している。
0316名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:32:14.56ID:9lVxPL6I0
北部九州には俺の住んでいる福岡都市圏には白山神社は全く無い。
神功皇后が祭神の宝満神社はかなりある。宝満神社は殆どが福岡県内だけしか無い。
0317名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:35:10.79ID:0osAXLMa0
熊襲って
大和朝廷に恭順してるのを示すために
イヌみたいにおなか出して
おちんちんびろーんしながら
隼人舞踊るんでしょ 

ちがうの?
0318名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:36:35.72ID:0osAXLMa0
宇佐神宮Webページ 
http://www.usajinguu.com/shinbutsu.html
8世紀の『豊前風土記』には、「むかし新羅の神が渡ってきて、この河原に住んだので鹿
春郷(かわらのさと)と名づけた」ことなどが記されています。つまり、田川郡には銅を産
する香春岳があったので、新羅国(しらぎのくに)の神を祀る技術集団が住んでいたことが
分かります。

北部九州も
出雲信仰、白山信仰と同じく新羅系
つまり渡来神

北部九州も新羅の半島系
0319名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:40:37.74ID:9lVxPL6I0
大和朝廷が成立して、天皇は畿内地方が北部九州に比べて文化が大変劣っている
事に気が付き、それを打開する為朝鮮半島に使いを送って畿内地方に移住を奨めた訳だ
これに応じた大勢の朝鮮人達は畿内地方に住み着いたと言う事になる。
朝鮮移民のおかげで畿内は北部九州を追い抜いて日本の先進地域になったと言う事だ。
0320名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:41:08.70ID:kfFD4a+Y0
>>253
本居宣長こそ、ばりばりイデオロギー全開で九州説主張してるんだが…
0321名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:42:46.53ID:0osAXLMa0
隼人は隼人の乱がおさまるまで
そもそも公民ですらない

つまり夷人雑類

つまり日向とか南部九州は
土人の巣
0322名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:43:48.49ID:0osAXLMa0
>>223 ←神武東征はコレが定説

そもそも当時日向なんかないからな 
律令制ができたころでもまだ土人の巣だったわけだしな

九州説の知恵遅れたちは
そんな基本的な歴史的事実すら分かってない

そもそも神武東征は天孫降臨から179万2740年後
まだ観念世界の継続 
現実の世界とは一切関係ない
0323名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:44:39.29ID:0osAXLMa0
普通に皇統と隼人土人(律令制の時代でも夷人雑類)なんか無関係
明治時代に薩摩のどこかのゴミが言い始めたホラ話といっていい

記紀を忠実に読めば、皇統と九州の土人は一切無関係

↓皇統は普通にこうなるからな
https://i.imgur.com/5dhXZIN.png

どこにも九州土人(新羅系のチョンコもどきの土人・クマソ土人)の血なんか
一滴もまぎれこんでない
0324名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:45:19.26ID:0osAXLMa0
律令制が整った時代になってもの
まだ(朝廷の公民にすらなってない)土人しかいない場所から
どうやって東征するわけ? マジで

九州説の池沼たちがなにいってるのか分からないワケ 
日向という地名も景行天皇になるまで、そんな地名すら存在しない
0325名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:46:23.93ID:0osAXLMa0
東海 54,400 ← 大和朝廷の版図内(景行天皇が美濃でセックスしまくってる)
畿内 30,200 ← 大和朝廷の版図(そのまんま)
畿内周辺 70,300 ← 大和朝廷の版図(そのまんま) 
山陰 17,700 
山陽 48,900 ← 大和朝廷の版図(チョンコとクマソをしばきにいくために九州北部まで行軍してるから当然)
北九州 40,500 ← 大和朝廷の版図(チョンコとクマソをしばきにいくために九州北部まで行軍してるから当然)
南九州 64,600 ← 大和朝廷の版図外(班田収受で隼人の乱がおきて鎮圧するまで放置)

九州土人(プッ
0326名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:47:38.24ID:0osAXLMa0
太平洋側は完全にヤマト朝廷が支配してたからな

日本海側は今現存する神社みてもわかるとおり
新羅のチョンコもどきの土人の巣

丁度北朝鮮の工作員が日本海側に漂着するのと同じ

卑弥呼の時代はすでに
そいつらチョンコもどきの土人どもはすでに
関東東北へおいやられてる
0327名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 02:55:38.93ID:9lVxPL6I0
古墳時代に金冠、銀冠が出土した古墳
宮地嶽古墳・・・福岡県福津市
沖ノ島・・・・・宗像大社
銀冠塚古墳・・・福岡県鞍手郡鞍手町
セスドノ古墳・・福岡県田川市
関行丸古墳・・・佐賀県佐賀市
島田塚古墳・・・佐賀県唐津市
江田舟山古墳・・熊本県玉名郡和水町
産島古墳群2号墳・・熊本県八代市

古墳時代に金環・銀環(耳飾り)などが出土した九州の地域
福岡県・・43箇所 佐賀県・・4箇所 長崎県・・4箇所 熊本県・・22箇所
大分県・・9箇所  宮崎県・・2箇所 鹿児島県・・2箇所
※古墳時代に金銀製品が大量に出土したのは九州だけ!!!
0328名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 03:09:32.94ID:9lVxPL6I0
三種の神器とは剣、鏡、勾玉の事を指し
.弥生時代後期に副葬品として三種の神器が全部揃って出土した古墳は総て福岡都市圏で
吉武高木遺跡(福岡市西区)三雲南小路遺跡(糸島市)井原遺跡(糸島市)
須玖岡本遺跡(春日市)平原遺跡(糸島市)の五カ所のみ。
古墳時代になったら奈良の遺跡でもようやく三種の神器が出土するようになった。
0329名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 03:21:08.99ID:bDCF/JrZ0
>>5
邪馬台国がどこだとしても狗邪韓国は倭国の一部
日本、朝鮮、中国の文献をみれば、むしろ倭人が朝鮮南部を支配したり侵攻していた様子がわかる、
0330名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 03:25:23.11ID:9lVxPL6I0
>>329
その倭人と言うのは本州の倭人の事では無くて北部九州の倭人の事、
北部九州の倭人が半島南部で鉄の採取などもしていたから北部九州では
鉄製品が大量に出土した、そのころの本州は未開の土人地域だったと言う事だ
0331名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 03:34:49.40ID:fU0hxuNd0
>>1

その前に、支那がつけた蔑称から脱却しろよ。

「邪」馬台国、「卑」弥呼、「倭」 って、わざと卑しい当て字を使ってるのをきちんと批判しろ、学者ならな。

大和国、日巫女、和
0332名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 04:41:25.18ID:9lVxPL6I0
現代の関西人は朝鮮半島の朝鮮人よりもピュアな朝鮮人と言えるだろう
0333名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 04:54:11.41ID:V+ZmGBL60
アマテラス 高天原 富士宮
月読 夜の食国 御食国のどこか
スサノオ 海原 ? 熊野?
0334名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 05:03:41.70ID:EJh+n+8S0
清水 眞一氏
 私は20年間、大和の中央部・桜井市で、
「邪馬台国は何処(いずこ)」とのテーマを持って、発掘調査に従事してきた。その結果として、邪馬台国が成立して、女王卑弥呼を擁立するまでの弥生時代中・後期に、大和には他地域を圧倒するような「ムラ」や「墓」が見られないことに気付いた。
 代表的なムラである唐古・鍵遺跡も、畿内の同時期の池上曽根遺跡や田能遺跡などと比較して、飛び抜けて大きいムラとは思えなかった。逆に、墓に関しては、西日本各地と比べて遅れた地域との思いも抱いたことだった。
 であれば、その次の古墳時代に入って、纏向の地に100メートル以上もの巨大古墳が、なぜ突如として築造されるのか。これは、大和の地に別の地域の人々が入って来たと考えざるを得ない状況であるとみた。
 では、誰が何処からきたのか? 考古学の資料からは、特定の地域が限定できない。となれば、卑弥呼の邪馬台国は、北部九州のどこかではないかと思われる。
0335名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 05:41:02.54ID:AUj5KEt40
>>331
倭とは刺青の意味
だから中国の文献だと中国南部の海洋族で刺青をしている人達も倭人て書いてある
刺青はサメからの攻撃を避ける為だったが、海洋族のファッション的なマストアイテム=風習となった
畿内は刺青の風習はなく、畿内人は倭人ではない
0336名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 06:01:24.39ID:AUj5KEt40
>>334
畿内の他の古墳の様式と年代からも箸墓は5世紀が妥当と考えられていた
邪馬台国の時代に合わせる為に土中に埋まっていた鐙も発見時の発表と違う表現に変えてしまった
5世紀に入って渡来人が馬を日本に連れて来てから馬を使って石積みの前方後円墳を作るようになった
箸墓は石積みで鐙も埋まっていたので5世紀が妥当
そもそも魏志倭人伝に卑弥呼の墓は家=塚、つまり墳ではなく土を盛った形状かつ、槨が無く棺のみと書いてある
石積みで槨がある前方後円墳の箸墓は邪馬台国の文化には無く、卑弥呼の墓ではない
0337名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 06:07:36.01ID:XFaWyLtI0
>>334
壹與が晋に266年に朝貢し
魏志が書かれたのが280年

北部九州はありえない
0338名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 06:21:03.58ID:XFaWyLtI0
大陸の役人は、邪馬台国へ2回しか行っていない

正始元年(240年)帯方太守弓遵は建中校尉梯儁らに詔書と印綬を持たせて倭国へ派遣し、倭王の位を仮授するとともに下賜品を与えた。

正始8年(247年)女王は帯方太守王頎に載斯烏越を使者として派遣して、狗奴国との戦いについて報告。帯方太守は塞曹掾史張政らを倭国に派遣した。
0339名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 06:25:04.24ID:nyS14e0B0
>>320
正しく漢文の読める人が魏志倭人伝を読んだら卑弥呼は伊都国に居たとしか読めないからな
皇国史観の時代なら九州の族長が勝手に魏に倭王を名乗ってたとなるわな。
0340名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 06:33:18.20ID:nyS14e0B0
>>337
壹與が晋に266年に朝貢し
魏志が書かれたのが280年

北部九州しかありえない
0341名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 06:38:26.06ID:nyS14e0B0
>>329
紀元1世紀頃から7世紀頃まで連続的に倭は頻繫に朝鮮半島に派兵している
関西に倭の都なんかあったらこんなことは不可能だな
北部九州に倭があったと考えるしかない。
0342名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 06:39:17.31ID:XFaWyLtI0
>>340
大陸の役人は、邪馬台国へ2回しか行っていない

正始元年(240年)帯方太守弓遵は建中校尉梯儁らに詔書と印綬を持たせて倭国へ派遣し、倭王の位を仮授するとともに下賜品を与えた。

正始8年(247年)女王は帯方太守王頎に載斯烏越を使者として派遣して、狗奴国との戦いについて報告。帯方太守は塞曹掾史張政らを倭国に派遣した。

壹與が晋に266年に朝貢し、魏志が書かれたのが280年

しかし、邪馬台国が

後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられ
それから150年間以上、倭の国王として君臨し、大陸との交易を独占していた北部九州であれば

魏志の記述は北部九州内にバッチリ収まっているはず

それが北部九州から遥かに遠くに、九州すら飛び出す記述となっているということは

邪馬台国は九州には存在していない
0343名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 06:43:41.95ID:XFaWyLtI0
過去に大陸の役人なんか一度もいったことがない畿内の邪馬台国に

大陸の役人が、2回しか行っていない

正始元年(240年)帯方太守弓遵は建中校尉梯儁らに詔書と印綬を持たせて倭国へ派遣し、倭王の位を仮授するとともに下賜品を与えた。

正始8年(247年)女王は帯方太守王頎に載斯烏越を使者として派遣して、狗奴国との戦いについて報告。帯方太守は塞曹掾史張政らを倭国に派遣した

にもかかわにず

魏志が書かれたのが280年

なので、魏志の記述がメチャクチャなのだ
0344名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 06:47:23.42ID:nyS14e0B0
>>342
>それが北部九州から遥かに遠くに、九州すら飛び出す記述となっているということは
>>343
>魏志の記述がメチャクチャなのだ

魏志倭人伝には北部九州に邪馬台国が在ったと書かれている
君の誤読を根拠にされてもなw
0345名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 06:56:24.04ID:nQkfu3qq0
>>4
エジプト説もあるよ(byムー)
0346名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 07:10:03.25ID:9lVxPL6I0
近畿のアホ共はこんな簡単な事がいつになれば理解出来るのだ?
倭国(百余国からなる国) 邪馬台国連合(三十余国の連合国家)
倭国と海を隔てて1千余里の所に倭種の国がある(本州と四国)
従って邪馬台国は本州には存在しないと言う事だ。
0347名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 07:26:40.62ID:znVh98eO0
>>163
「狗奴」は「クナ」と読むんだから
「委(倭)奴」も「ウォナ」と読まないと辻褄が合わない。
「委(倭)奴」をイトと読むのは魏晋時代の漢字音を無視した御都合主義の読み方

「委(倭)」は唇を丸くして発音する合口(ごうこう)音。

「委(倭)」は音読みが二つある破音字。
ひとつは「いろは歌」に出てくる「有為」の「為」、旧仮名遣いで「ゐ、ヰ」、中国式ローマ字でwiと書く。
もうひとつは「倭寇」という場合。
中国語ではwokouと発音する
「破音字」で検索してみろ。

「本居宣長仮名遣い」も検索
(h)ttp://tanaka0903.net/?m=201007
0350名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 07:34:18.17ID:1ZP3BOGO0
>>323
ニニギの天孫降臨のゴールは宮崎県の高千穂ではない。
もちろん福岡でもない。

日本書紀になんて書いてあるか知ってる?

到於吾田長屋笠狹之碕矣。

現在の地名に治すと、鹿児島県南さつま市。
同地で鹿葦津姫との間に、ガッツリ隼人の始祖である火闌降命を設けてたりする。

明治維新の頃の話ではなく、日本書紀が編纂された奈良時代からそう書いてある。
しかも神代日本書紀に大量にある諸説を表す『一書』ではなく、公式採用の『本文』に書いてある。

神武東征でも最初に通過するのは速吸之門。
四国と九州の間にある豊後水道を船で北上してる。
九州南端を海沿いに移動してた事は間違いない。
0351名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 07:42:53.01ID:nyS14e0B0
>>349
中国の専門家が読んでも邪馬台国は九州だって言ってたしな
日本の通説の読み方はトンデモ読みだな。
0352名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 07:46:03.22ID:1ZP3BOGO0
>>347
委奴国も倭国の南端

倭國之極南界也

鹿児島県ですね。
って昨日書いたら、急に倭国が九州北部限定に縮小されて頭痛くなった。
0353名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 07:51:02.65ID:znVh98eO0
>>315
吉野ヶ里に勝るとも劣らぬ唐古・鍵を
意図(委奴)的に無視する吸収パーwww
オマエ等の魂胆は見え透いている。
0354名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 07:56:04.40ID:DgKyVynW0
邪馬台国の所在は意見が分かれるとして、
邪馬台国=大和政権なのかどうか
ここも微妙だね
0355名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 08:04:27.49ID:znVh98eO0
>>340
>>337
まだ「壹」與なんて書いてるのか
「壹」與なんて書くのは東日流外三郡誌に騙された
古田武彦の信者だけだぞwww
0356名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 08:05:22.50ID:JTek68CWO
だいたい記紀が邪馬台国も古墳もよくわかってないんだから連続性があるわけないだろ
0357名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 08:17:01.40ID:eWVIXwPB0
>>354
邪馬台国とヤマト王権に連続性を感じられるのは古田武彦に洗脳されてる糸クズぐらいだ。
0359名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 08:25:43.02ID:RabDGMAeO
>>354
邪馬台国と大和政権が連続してるというのは、
鎌倉幕府と江戸幕府が連続してるとか、
江戸幕府と今の日本は連続してて
徳川家康が初代天皇、
っていうくらい時代に開きがある。
0360名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 08:28:15.74ID:LlcXo47h0
邪馬台国って中国の歴史書にしか記述がないんやろ?
日本での本当の国名も読みもわからんのやろ?
0361名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 08:29:43.30ID:lUXTGBg40
纏向の発掘調査は昭和46年からはじまり
昭和52年まで橿原考古学研究所が行っていた
昭和52年以降の発掘調査は地元の桜井市の関係者に移り
2009年166次調査で大型建物を跡を見つける
回数は多いが小規模なものが多く
ここまでの調査をしてもまだ全体の1%も終わっていない
最新は193次調査となる
0362名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 08:39:23.86ID:lUXTGBg40
桜井市は当時も権威のあった橿原市の
橿原考古学研究所に事前調査をしてもらう
昭和46年から昭和52年までの発掘調査で
大田遺跡、勝山遺跡、巻向川跡?、川底から吉備の特殊器台
などが出てきて比較的大きい遺跡だとオ言うことがわかってくる

そこで昭和62年からは桜井市が自身による発掘調査を進めるが
橿原考古学研究所の昭和62年までの発掘調査を元に纒向編年をつくる
0364名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 08:39:51.15ID:AV8gjFzQ0
>>346

当時の伊勢湾は大垣まで続いていた。したがって、東国へ行くには伊勢から船に乗って渥美半島などへ渡った。
静岡に初期古墳が多いのもそういうこと。
狗奴国は毛野国のこと。実際に北関東の古墳から魏の記年鏡が出土している。
0365名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 08:43:17.93ID:tNJznKMb0
畿内どころから山陰・山陽の国名地名も出てこないのに、静岡て
0366名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 08:44:46.37ID:wSk7eU3w0
だから魏志倭人伝なんて何の価値もないんだよ
日本の歴史は日本の書に聞くべし
0367名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 08:46:53.92ID:lUXTGBg40
纏向を調査した橿原考古学研究所の人が纒向編年を作るんだけど
まだ調査場所も少なく193次まで行った現在ではおかしいところがでてきた

ただこの纒向編年を作った人は
纒向型前方後円墳が2世紀末から拡散が始まったという説を支持している
比較的見る目のある人で邪馬台国は橿原市にあると主張していない
そのためか橿原考古学研究所から現在は徳島に移る

橿原考古学研究所で偉くなるのは邪馬台国橿原説を唱えないとね
0368名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 08:47:17.84ID:w8y0HXNo0
魏志倭人伝の内容を鵜呑みにするのは、東方見聞録を信じて黄金の国ジパングを探すようなもの。

東夷の倭人についてなんて、真面目に書いてるわけもない。
0369名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 08:51:02.52ID:lUXTGBg40
現在86歳くらいになられる纒向編年を決めた人は
初期発掘調査をしてくれて桜井市は非常にお世話になっており
まだしばらくは桜井市から纒向編年を否定するのはしないのかもね
0370名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 08:54:56.15ID:JTek68CWO
勲章持ちとか
ノーベル賞を取った所長とかなんだろ?

こういう老害への忖度を悪用してる朝鮮会議が日ユ同祖論に誘導してんだろ
0371名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 08:56:30.10ID:tNJznKMb0
>>366
だったら邪馬台国にこだわらんでええやん
大和朝廷成立の話なら無粋な突っ込みも入れんわ
0373名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 08:58:06.13ID:lUXTGBg40
>>362の昭和62年てとこ昭和52年だった

14次調査までは橿原考古学研究所が行って
それを元に橿原考古学研究所の人が纒向編年を作って
昭和52年の15次調査以降は桜井市が調査して最新193次
0374名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 08:58:10.01ID:XFaWyLtI0
>>354
たとえばだ

奈良のアマテラスが、出雲を植民地化した手法は、それまでの出雲の王である大国主を神格化して、孫の「ニニギ(邇邇芸)」に統治させた

北九州「漢委奴国王」狗奴国第32代目国王「ウガヤフキアエズ」が、奈良を植民地化した手法は、それまでの奈良の王であるアマテラスを神格化して、息子の「神武」に統治させた
0376名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:07:36.84ID:zIoiqcXN0
このテーマになると
いつも思うことがある



本当に日本は遅れてるよな

同時代の中国は、三国志の時代で
各地域の英雄達が天下に覇を唱えていた
日夜、国を語り、民を語り、兵法を語り、音楽を語り、詩を興じていた


魏の国の曹操、家臣は歴史に名を残す者が多い
程c・荀ケ・夏侯淵・曹仁・司馬仲達
枚挙に暇が無い

語の国も
周瑜・魯粛・陸遜と人材の宝庫だった
0377名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:08:17.68ID:zIoiqcXN0
一方の日本では
卑弥呼がどんな統治体制だったのか?
どんなメンバーで政治を行っていたのか?
まったく不明
首都の場所すらハッキリしない

どんだけ未開拓な村社会だったんだよ
日本人としてガッカリするわ
0378名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:08:47.25ID:zIoiqcXN0
当時の三国志の
魏の国の首都・許昌
許昌の都の整然とした姿を見れば
どれだけ文化・建築レベルが高かったか一目瞭然だわ
皇帝の宮殿、丞相府の宮殿、各要人の屋敷、街並みも整備されていた、
商店街みたいな施設群もあり、旅人の宿屋も整備されていた




一方の日本の邪馬台国の「都」だっとされる所
「物見やぐら」があったり、竪穴住居があったり
ハッキリ言って、ただの集落じゃん

当時の中国の軍の一時的な駐屯地レベルの建築レベル
いや駐屯地の方が立派だわマジで
0379名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:09:20.59ID:zIoiqcXN0
当時の卑弥呼の配下が
魏に使者を送ったんだから
中国語を翻訳したり読み書きできる人物がいただろうに

何故に、その者に、邪馬台国の記録を書き残す事をさせなかったのだろうか?
三国志を記述した陳寿のように
0380名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:09:22.02ID:w8y0HXNo0
>>352
古田狂徒は頭がオカシイからな?
オウムみたいなもの。
0381名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:09:23.90ID:sLysN4BX0
結局倭国大乱って昔から日本にいた氏族と、後漢末期からの乱世で北部九州経由で渡ってきた新しい渡来系氏族の争いなのかもな
だから発祥が九州になってたりそこから瀬戸内海を東征して吉備に滞在したり畿内で出雲と争いになってる
そういう記憶があったから後の倭の五王は太伯の末裔と自称していたんじゃない
0382名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:09:42.30ID:R+wjgdQF0
千葉にきまってんだろ
0383名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:12:59.40ID:lUXTGBg40
南、邪馬壱国に至る。女王の都とする所。水行十日、陸行一月。
官は伊支馬有り。
次は弥馬升と曰う。
次は弥馬獲支と曰う。
次は奴佳?と曰う。
七万余戸ばかり。

地方役員制度はあった模様
0384名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:13:27.38ID:R+wjgdQF0
>>379
中国なんてメソポタミア文明と比べると実に1500年も遅れてますけどね
メソポタミア文明が栄えてた時代、中国ではあなたの言う感じでした

比較なんてそんなもの
ローマとゲルマンもそうだし、あなたのゴミ発言には意味がない
0385名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:14:51.23ID:szDIoim40
纒向ハ倭国大乱の痕跡ゼロだからな。
いい加減あきらめろ。
0386名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:16:22.41ID:npToTUTK0
>>1
>>378
大陸でも少数民族系でしょう 倭人は全身に入れ墨をしていたというので
長江含む華南あたりにいた越人系(タイ族など)の少数民族であると思われます

現在のタイ国のタイ人は色黒ですが本来、彼らは色白で雲南省や江西省の越人・タイ族系諸族はいまでも色白です

意外に邪馬台国はヤマト国ではなくそのままヤマタイ族の国ということなのかもしれません
0387名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:18:39.73ID:lUXTGBg40
魏志倭人伝の各国に官と副が記載されてることから
魏の人たちも倭国は魏と似たような社会制度だと考えたんじゃないか
皇帝→倭国王 太守→官

ゆえに昨日書いたやつ>>49
女王国=倭国勢力全域 都と多数の郡で構成
女王之所都=倭国王卑弥呼がいる都

魏にしてみれば同じだったので理解しやすい
0388名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:19:01.66ID:npToTUTK0
>>379
我々の日本史教科書には載っていませんでしたが、近年、墨が残った硯は各古墳で見つかっています
当時は記録に合ったのかもしれませんが

石にでも刻んでいないと木管程度では現代まで文字も木管も古墳時代のものは残らないのでしょうね
0389名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:20:20.91ID:npToTUTK0
卑弥呼の時代から魏国の領土だった半島北部の楽浪郡に船を出しまくって交易しまくってたから日本は

もちろん現地のキムチ土人は無視して楽浪郡にせっせと通っていた
0390名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:21:37.75ID:edyuUg9/0
>>352
倭国は、朝鮮半島南部から九州北部までで、奴国(福岡)が「倭國之極南界也」
0391名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:26:04.46ID:npToTUTK0
>>1
吉野ケ里は立派ですが、数百年以上前の始皇帝の時代の建造物でも中国大陸では城壁が当たり前であり、比較には無理があります

渡来人の主体はやはり大陸でも全身に入れ墨がしていた倭人と似ている長江含む華南の越人(タイ族系など)だったのではないか?
呉や越あたりで楚人(項羽などを輩出)もいたことでしょう 

いずれも国が滅びて国を支える人士は雲散霧消し遠方へ逃れたとされています

「楚」は蘇我氏の「蘇」と発音も同じ須佐神社(素戔鳴尊を祀る)の「須」とも発音が似ていますね
0392名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:30:02.71ID:AUj5KEt40
>>364
伊勢湾から渥美半島は千里に全く当てはまらない
畿内に邪馬台国は不可能
0393名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:40:41.08ID:npToTUTK0
邪馬台国=山のタイ国でありヤマト国とは別物

つまり、彼らは現在の雲南省(長江から遡れる)あたりにいる山岳に住んでいる雲南タイ族と同族だということ
隋書によれば全身入れ墨だったという倭人 、一部は長江(揚子江)あたりで越人として生活を営んでいたのであろう
呉や楚国など徒競走し国が滅びたので海神を報じて日本に来たタイ族
漢族に破れ長江を上り江西省や雲南所に到達したタイ族

彼らタイ族はもちろん現在は仏教徒だがスピリチュアルな祈りにおいては日本人以上にいまでも信じている
卑弥呼的な存在は当たり前であった

ヤマタイ国=山のタイ国 ということで決着
0394名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:49:40.01ID:edyuUg9/0
古事記の崩御年は正確というのが定説である。
しかし架空の天皇の崩御年が書かれているので
架空の天皇を削除して崩御年をずらしてみると面白いことがわかる。

開化天皇 記載なし  ←欠史八代、架空の天皇
崇神天皇 戊寅    ←実在
垂仁天皇 記載なし  ←実在
景行天皇 記載なし  ←実在
成務天皇 乙卯    ←架空
仲哀天皇 壬戌    ←架空
神功皇后       ←架空
応神天皇 甲午(394年)  ←実在、学者の間でも新王朝説が有力

※架空の天皇を削って崩御年をずらしてみたら実在の天皇の正確な崩御年がわかった↓
崇神天皇 戊寅(198年)
垂仁天皇 乙卯(235年)
景行天皇 壬戌(242年)  ←卑弥呼の死亡は242~249年
応神天皇 甲午(394年)  ←実在、学者の間でも新王朝説が有力

仮に卑弥呼の死亡を242年とすると
その直後に後継者争いが起こり男王の系譜が途絶えているので
景行天皇 壬戌(242年)の崩御年が正確であることがわかる
0395名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:53:40.42ID:AUj5KEt40
>>393
当時邪馬台国に居て邪馬台国を名乗っていた原住民がタイなんて知らない
山ト国と名乗っていたのを魏の役人が漢字の当て字で邪馬壹国と書いただけ
山ト国はどこかと言うと今も山国という地名が残る耶馬渓付近から山国川の河口の宇佐が邪馬台国=ヤマト国の女王が住む都で、邪馬台国全体は豊前から豊後にまたがる地域
0396名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:54:55.11ID:eWVIXwPB0
>>390
じゃあ、倭国の南は何なんだ?
0397名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:56:12.23ID:edyuUg9/0
>>396
倭の別の国だが
0398名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 09:57:50.54ID:AUj5KEt40
豊前と豊後はトヨの国
葦原中国=アシハラナカツコクは中津国
宇佐の隣に唐揚げで全国制覇した中津がある
つまりそういうことだ
0399名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 10:01:12.99ID:edyuUg9/0
>>393
面白い
倭人は「大夫(タイフ)」を辞任し
『隋書』でも「倭国」から「俀国(タイ国)」に書き換わってるからな
0400名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 10:06:18.78ID:RabDGMAeO
まあ魏史の倭国の一周が4000里というのに従えば
九州の北の半分か1/3くらいが版図だろうか。
九州全部だと大きすぎるし。
0401名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 10:06:22.83ID:AUj5KEt40
台与の時代に邪馬台国は消滅して豊前と豊後になる
記紀のネタ元の豊後風土記に大きな田が広がっていたからおおいたという地名を付けたと書いてあるくらいに全国トップクラスの穀倉地帯だったことがわかる
0402名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 10:10:46.02ID:EJh+n+8S0
>>347
匈奴はキョウドと読むのだから、
委(倭)奴はイド若しくはワドと読むべき。
奴をナと読むのはずっと後世の大和言葉で
古代支那人の発音ではない。
0403名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 10:11:02.12ID:TwGqBYUn0
そもそも台与の後に邪馬台国が滅んだと思い込んでる人が多い

台与の後に男性の王がなにごともなく即位して使節を継続して送り続けてると史書に書いてある
0404名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 10:12:04.35ID:AUj5KEt40
邪馬台国勢力は半島南部から豊後=大分まで
宮崎と熊本東部は狗奴国で別勢力
しかし投馬国=殺馬国=薩摩国だった鹿児島西部など九州西部は邪馬台国勢力
0405名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 10:15:52.37ID:AUj5KEt40
>>403
男性の王は卑弥呼と台与の間
さらに台与の時代で途切れて倭の五王まで記録が飛んでいる
妄想はやめた方がいい
0406名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 10:16:07.29ID:szDIoim40
>>402
匈奴はキョウドとは読まない。
シィォン ヌゥー
0407名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 10:17:32.59ID:1ZP3BOGO0
>>390
倭国は後漢の頃の100国交流があったが、魏の時代には30国しかない。

30国は北九州の卑弥呼勢力
70国が卑弥呼勢力の南にいた狗奴国の卑弥弓呼素勢力
合わせて100国で倭国

北九州の卑弥呼勢力は女王国若しくは邪馬台国であって倭国全体の事ではない。
0408名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 10:19:15.97ID:FDZ0QKEG0
>>394
レステーマに関係ないが、
崇神、垂仁は一人の事跡=倭人伝の男王で、
台与は垂仁の後妻、ヒバスヒメでは?という仮説を持っている。
この仮説での卑弥呼はモモヒと
垂仁の前妻、あの悲劇のヒロイン、サホヒメを合わせた形ではなかったかと。
伝承は事績だけが残って「誰が」が伝承地でまず崩れるからね。
0409名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 10:29:40.19ID:yU+bgSicO
学者も四世紀あたりからは色々述べるが卑弥呼の頃になると奈良の卑弥呼と決めつけから入ってきて、何故なら、その前の帥升らはは曖昧なんだよな。五王もそう、安東将軍なんて格からいやあ、高句麗、百済の下だからな、で、さも記紀は上の立場な記述をしている
0410名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 10:32:08.22ID:EJh+n+8S0
>>406
>>シィォン
どう発音するんだよ。
「アッー」くらいにむずかしいぞ
0411名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 10:32:10.47ID:IYIWKeCA0
30国って言うと広大な国を思い浮かべがちだけど今の1つの県に収まってしまうくらいの規模なんだよな
0412名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 10:35:25.58ID:edyuUg9/0
>>407
「倭」というのは倭人が住む地域
「倭国」というのは「倭」の代表国だよ

「倭」と「倭国」を混同してはいけない
「倭」には「倭国」の他に29カ国あるって意味の記載だぞ
0413名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 10:41:55.98ID:szDIoim40
>>410
ググレカス
0414名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 10:50:15.55ID:npToTUTK0
>>399
ほんまですか? タイ族でも色々おって【タイヤイ族】っていう色白な集団があり、日本人ソックリなんですよね彼ら
0415名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 10:55:35.28ID:9lVxPL6I0
だから俺が書いていたように邪馬台国を突き止める前に、倭国はどこなのか
倭国と海を隔ててある倭種の国とはどこの事を指しているのかを決めるのが先
0416名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 10:57:28.69ID:1ZP3BOGO0
>>412
後漢の頃の倭国には100国あったんだよ?
魏志倭人伝の話じゃねーから
0419名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:01:12.54ID:EJh+n+8S0
>>407
書いてないね。
後漢書倭伝には、
「凡そ百余国あり。武帝朝鮮を滅ぼしてより、使訳漢に通ずる者、30許国なり」

前漢の武帝以来、30の連合国家が倭国。
0422名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:11:12.18ID:edyuUg9/0
年表できた

〜57年 伊都国王の時代(平原遺跡)

新王朝スタート
57年 金印「漢委奴国王」を授かったことにより、奴国王の地位が伊都国王よりも上になった。
57年 奴国王が初代天皇(神武天皇)に即位
57年 神武天皇の兄が新羅王に即位
107年 倭国王帥升等(第6代・孝安天皇)が後漢に朝貢
177年 第10代・崇神天皇が即位
179年 奈良県の三輪山西麓の瑞籬宮に都を移した。
181年 ニュージーランドのタウポ大噴火
181年 崇神5年、疾病の流行。『崇神紀』によると「倭国の人口の半分が死んだ」
181年  『後漢書』によると「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」
181〜184年 倭国大乱
181〜184年 タウポ大噴火による飢饉や疾病などの影響で崇神天皇の権威消失
184年 黄巾の乱が勃発し、漢が衰退した。漢から授かった金印の権威消失
王朝終了
0423名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:11:25.73ID:AV8gjFzQ0
>>415

倭国と海を隔てているのは伊勢湾。倭種の国は関東。しかし、浜松くらいまでは邪馬台国と
密接に交流があった。箱根以東が狗奴国では?
0424名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:11:51.13ID:edyuUg9/0
新王朝スタート
184年 祈祷の力で倭国を救ったスーパーヒーローのモモソ姫が女王・卑弥呼に即位
198年(戊寅年) 崇神天皇が崩御した。
199年 12代・垂仁天皇が即位した(実態は、倭王ではなく女王・卑弥呼を補佐する役人)
202年 纒向珠城宮(纒向遺跡)に都を移した。
※『魏志倭人伝』によると官のトップは伊支馬(垂仁天皇の本名は伊久米)
235年(乙卯年) 垂仁天皇が崩御した。
236年 第12代・景行天皇が即位した。(実態は、倭王ではなく女王・卑弥呼を補佐する役人)
238年 難升米と都市牛利が魏に朝貢した。卑弥呼が「親魏倭王」の金印を授かった。
242年 『三国志』によると女王・卑弥呼亡くなった。
242年(壬戌年) 卑弥呼死亡後の後継者争いによって景行天皇が亡くなった。
242年頃 台与が新女王に即位した。
242年頃 男王制度の廃止、女王制度に完全に移行した。
266年 台与が晋に朝貢した。

※約100年間以上の男王不在の空白期間

新王朝スタート
390年頃 女王制度を廃止
390年頃 第15代・応神天皇が即位
※学者の間でも応神天皇は新王朝が定説
0425名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:13:34.78ID:edyuUg9/0
>>416
後漢の頃の倭には100国あった
その中の1つが倭国と呼ばれた
倭には倭国の他に99カ国あったという意味だよ
0426名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:15:55.01ID:ACxHrhrT0
ここまでのまとめ     

1. 畿内説は完全に否定され切った。文献的にも考古学的にも可能性はない。ゼロ。
例えば>>50こんなもの一発で反論出来ず大破轟沈するようなシロモノ。ただの寝言。ネタ。

2. 近畿パーの目的は、議論を誤魔化しケムに巻くこと。
だから根拠無しの妄想でもお構い無しww

3. 他のパーは面倒くさいから省略。

4. 九州説は、卑弥呼の墓が祇園山古墳であることまで突き止めた。九州説の深刻な欠点は、御井周辺にある邪馬台国の具体的位置を突き止められていないことだけ。
あと全て謎は解けた。少なくとも深刻な矛盾はゼロ。何も無い。



 
0427名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:25:05.68ID:szDIoim40
分かった、もうググルな。
0428名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:29:18.52ID:znVh98eO0
>>385
神武東征が本当なら生駒山西山麓の孔舎衙に戦乱の跡が残っているはずだよな
戦跡が残ってないのは神武東征がインチキだってことだ。
そもそも神武即位がBC660年の旧正月って言うのもでっち上げだし・・・
0429名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:39:16.23ID:qQb69Srh0
>>347
では金印は奴国で間違いないということか
しかし、邪馬壹国当時では伊都国の方が重要視されてると思う
伊都国は女王国でもある

>>318
確かに川原に新羅から来た複数人の職人が住んでるとは書いてあるが
宇佐神宮の主神ではないし、あくまで傍系のようだが名前もよくわかっていないし
それとあなたはレイシストの傾向があるね
やたら九州を蔑んだ発言、少数の新羅人がいた形跡が有るだけで
大分や北九州全域が新羅人のように発言する
元々の人口が多い国に、10人ほどの移民が来ただけで、多数派を乗っ取れるわけないでしょう?
日本の歴史で、外国人はしっかりと人数も住所も把握されてますから
王朝や国を乗っ取るなんて証拠が無いんですよ
妄想願望が肥大化してます
話に願望や尾ひれをつけて、誇大願望話を広めないでいただきたい
0430名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:39:34.22ID:znVh98eO0
>>393
卑弥呼の時代の倭人語に「tai」>aiなんていう二重母音は無かった。

だから邪馬台をヤマタイと読むのは大間違い。
これは国文科、言語学科卒レベルの知識だから
中卒、高卒レベルのオマエ等には信じられないだろうけど
本当のことだ。
0431名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:48:29.93ID:4zXPw1Aw0
>>428 戦乱の跡って、具体的に何が出土するんだい?
ヤマトの首都って、焼けた都に炭の層が残るほど大きなものではなく、
有力豪族の屋敷に、交代で『ここが宮殿!』という軒飾りを掲げただけだぞ;
0432名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:48:43.19ID:qQb69Srh0
>>417
今は日本語の起源は不明になっています
明確にはアルタイ語とは無関係だとなってるはず
それは語順で判断するのは古い学問で
北方の言葉とは日本語と共通性が無いとなったからです
日本語の語彙についてはむしろ南方の言葉にしばしば共通性が見られ
それは以前から指摘されていました
南北の言葉が日本で合体したとも、しかし、現在は北方の起源は完全に否定されました
それで最近、南方からの縄文航路などの文化探求が活発化しているのです
0433名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:48:49.26ID:vD32hjMt0
>>137
陵墓を掘りたい奴は、掘ったら必ず出てくる朝鮮半島からの貢物を持ち出して
天皇は朝鮮由来、朝鮮の影響を受けたとか馬鹿丸出しのイデオロギーを展開したいキチガイだからだよ。

属国からの貢物を陵墓にあるのは当たり前なのになw
0434名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:50:19.17ID:4zXPw1Aw0
>>430
空海が参考にしたインドの発音表には ai の子音もあったから、何とも言えないぞ?
0435名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:50:50.81ID:znVh98eO0
>>391
>「楚」は蘇我氏の「蘇」と発音も同じ須佐神社(素戔鳴尊を祀る)の「須」とも発音が似ていますね

現代日本語で読めば似ているが
中国語で読めば違う。
「楚」はツー系の発音
「蘇」はソー、スー系の発音。
残念だな、中国語方言を勉強してから出直せ
0436名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:52:09.07ID:4zXPw1Aw0
>>432 大まかな傾向として、

・征服民族の文法が残る
・被征服民族の単語が残る
0437名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:52:59.48ID:vD32hjMt0
>>154
簡単だよ、属国であった朝鮮半島由来のものが出てもイデオロギー満載の天皇は朝鮮由来とか寝言言わないって言えばな。

あいつら歴史書も無視してチョンがなんかしてあげたって言いたいだけだから、
学問の基礎も知らない無知な日本の歴史学者に陵墓掘らせるのは現在だと不可能ってだけ
あいつらが死ぬ50年後なら可能だな。
0438名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:55:14.53ID:qQb69Srh0
>>436
何か論文というか事例でもあるのですか?
征服の証拠なども?
0439名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 11:59:11.12ID:4zXPw1Aw0
>>438
原典に当たってないから悪いけど、ロシアの言語学者がいい仕事してったよ
ここまでシンプルなのは、人類に共通の傾向じゃまいか
0440名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:05:25.75ID:lUXTGBg40
>>426 祇園山古墳の一番でかいのは盗掘されてなにもないのに
どうやって卑弥呼の墓とわかったの?
巫女ぽい女性の小さいやつか?あれも時代が合わない

そして当然だが盗掘されて何もでない一番でかいやつが
一番最初にできて一番古いと考えると時代が合わない
0441名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:09:42.50ID:AUj5KEt40
日本の古い言語の特徴は奄美の方言に残っている
日本語の原型は南方から
0442名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:11:41.82ID:4zXPw1Aw0
古墳時代には墓誌に銅板を使う習慣が無かったので、骨が出ても文字情報は無い
鬼道は最新流行の『ナウい』宗教で、ごく短期間しか流行しなかったので、
五斗米道を示す副葬品が出たら、ヒミコである可能性が高いね

逆に言えば、個人が特定できるほどに短期間のブームだったことになり、
ヤマタイコク機関説、つまり大和王権の出先機関だったという証拠たりうる;
0443名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:13:27.02ID:4zXPw1Aw0
>>441 そう思う

縄文人は海洋民なので、わりと均一な言語が日本から朝鮮南部まで広がり、
その後、征服されて離島に残ったと思われ
0444名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:13:44.87ID:edyuUg9/0
>>442
鬼道はどう考えても祈祷で
大神神社の御神体が三輪山だが
0445名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:14:34.90ID:AUj5KEt40
>>415
東に約千里なので畿内は完全に否定される
宇佐から四国だと東に海を渡って千里で合致する
日向だと四国に近過ぎるし関門海峡だとさらに狭い
0446名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:14:48.90ID:lUXTGBg40
>>426 >畿内説は完全に否定
これいつも言ってるけどこれも説明して欲しいな

てかおれ昨日九州を完全否定したよね
張政が伊都国にきて邪馬台国を往復する間滞在しており
張政の出国日や帰国日も帯方郡の方で記録してただろうから
魏志倭人伝のかかった日数については高確率で間違って無いと思われる

異論が出なかったので説として認められたと思ってるんだけど
そうなると久留米も違うからね
0447名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:17:38.61ID:4zXPw1Aw0
>>445  わからん

単に船(大型カヌー)で一日の行程を『千里』と書いたかもしれん
実証試験をやってみるべきだな
0448名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:18:36.98ID:edyuUg9/0
『魏志倭人伝』って「邪馬台国は北部九州にはない」ことだけははっきり記述されてるからな。
北部九州説があるのが不思議
0449名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:19:57.87ID:nyS14e0B0
>>446
君の主張は筋が通っていないし
根拠が自分の妄想だからね。
0452名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:22:32.66ID:nyS14e0B0
>>447
一日の行程を『千里』とは書かないよ
1里80mとして千里は80kmだからね
1日は普通15〜25km、急いでも40kmくらいが限界。
0453名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:23:15.87ID:AUj5KEt40
当時の中国人にとって祈祷=鬼道だから祭祀のスタイルは関係ない
古神道ではアニミズムで山や磐座や海を拝んでいた
今のような神殿が作られたのは仏教の影響で早くても6世紀
0454名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:23:18.57ID:edyuUg9/0
>>447
おそらく当時使われてた「1日30里」で単純計算しただけだよ

30×60=1800
10600+1800=12400(1万2000余里)

ちなみに日本側の資料『延喜式』でも畿内から筑紫まで船で一ヶ月だから
畿内から筑紫まで水行1ヶ月くらいっていうのは倭国の認識とも合ってる
0455名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:23:35.11ID:nyS14e0B0
>>450
全く根拠が示されてないだろ。
0457名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:25:04.37ID:4zXPw1Aw0
>>444
大和王権は広域化し、それに応じた広域宗教を求めていたと思う
後に天皇と呼ばれるオオキミたちは、途中から九州系が増えるし、
領土も増えて、三輪山などが見える濃尾平野だけじゃなくなった

突如建設された纏向の神殿
しかも豪華な神殿で通年の祭祀
そして突然の消滅

纏向遺跡はヤマト王権による、新しい祭祀の実験場だったのでは?
実際に祭祀してみて、住民の反応や神様の反応も見ることができる
たぶん、三輪山はずっと静かで、祟ることも無かったんだと思う

だからヤマト王権は宗教改革にGoサインを出し、
宗教施設は首都からなるべく遠い、交通の要地に建てられた・・・・・ヒミコはその一部か?
0458名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:26:29.05ID:edyuUg9/0
>>446
君は合ってる
魏の役人は伊都国に駐留してたんだし
邪馬台国が北部九州にあったとしたら場所を間違うわけない

魏志倭人伝を信じるなら北部九州だけは100%ない
0459名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:27:32.08ID:4zXPw1Aw0
カヌーの場合、一日に千里=80キロは可能だよ
船体が細長いから、とにかくスピードが出る
0460名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:28:56.82ID:AUj5KEt40
>>447
魏志倭人伝では帯方郡から狗奴韓国まで約7千里
狗奴韓国と対馬が約千里
対馬と壱岐が千里
壱岐と九州北端の末盧国まで約千里
と書いてある
千里の距離ははっきりしている
畿内から海を東に千里渡った先には何も無い
宇佐から海を東に千里渡った先には四国がある
0461名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:29:22.34ID:qQb69Srh0
>>439
それじゃ何にも判らないな
まずロシアの言語学者とは名前は?
0462名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:30:05.47ID:edyuUg9/0
>>459
倭人伝って倭の王族や魏の偉い役人の話だからね
基本的に飛脚みたいに快速で移動した可能性はないんよ
0463名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:33:14.57ID:9lVxPL6I0
対馬〜壱岐までが千里、壱岐〜唐津までが五百里と記載がある、
船を早朝から夕方まで漕いで到達したら千里、昼頃つけば五百里と言うような
大まかな数字だな。倭国と倭種の国との千里は豊予海峡あたりを指しているから
倭国は九州で倭種の国は四国や本州となる訳だ、従って邪馬台国は九州内にあると
倭人伝にはっきりと書いている。
0464名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:33:16.48ID:4zXPw1Aw0
>>461
手許に資料があるわけじゃないので、ネットで調べられる範囲で調べてみそ?
欧州からシベリアにかけての、少数言語を横断的に調べた研究だったと思う
タイトルとアブストの和訳よろしこ
0465名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:33:26.08ID:edyuUg9/0
>>457
いちばん重要な御神体(三輪山)は消滅するわけないし
昭和天皇なども参拝してるから
邪馬台国時代から途切れることなく存続してる
0466名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:35:11.38ID:qQb69Srh0
>>464
で、日本が征服された証拠は?
0468名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:40:25.06ID:4zXPw1Aw0
>>465  ヤマト王権の宗教改革は、三輪山を否定する性格じゃなかった、ということだね
仮定の話ではあるが、纏向の神殿で拝んでる時期に大災害があったら、
これは三輪山の神様がお怒りだ! として宗教改革はとん挫したでしょうね
でも、記録されるような三輪山のお怒りは無かったので、『グッド!』だったのでしょう

>>466  普通に、弥生人(大陸民)が縄文人(海洋民)を征服しているではないかw
0469名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:40:53.82ID:AUj5KEt40
当時の中国の船は帆があって手漕ぎより早い
ただ、魏志倭人伝は帯方郡の役人が書いたから
帯方郡から南に水行20日の投馬国=殺馬国=薩摩国
帯方郡から水行10日で九州北端。そこから馬も橋もトンネルも無い時代、前も見えないくらい草木が生い茂った中を歩いたと書いてあるので、川の上流の日田まで行って細い川を渡り、東に海がある宇佐まで歩くと一月かかる。
0470名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:41:16.44ID:nyS14e0B0
>>456
でも根拠は君の妄想だったよな。
0471名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:42:19.22ID:67BJa1m20
いくら論じても、探しても
ないものはない

同時代の他の中国国家の記録にはない
つまり、魏が、でっちあげた嘘
0472名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:43:05.76ID:qQb69Srh0
>>468
それは教育の誤解だね
縄文時代、弥生時代は時代区分であって
別の人種ではない
何故か誤解させるようなミスリードがテレビメディアで使われてるけど
0473オレンジ・エア
垢版 |
2019/08/03(土) 12:43:44.89ID:ahTMUptb0
倭暦の1月は2倍暦なので実質半月
0474名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:44:48.08ID:edyuUg9/0
>>467
その放送にはなかった科学的な遺伝子解析
いまは科学的な遺伝子解析がほぼ終了したからな

九州・・分領(新羅)
近畿・・分領(百済)
北関東・・分領(高句麗)

九州・近畿からは近いので直接統治できたが
北関東から大量に移住して高句麗付近の地域を統治したことが遺伝子調査から推測できる
0475名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:45:19.92ID:4zXPw1Aw0
>>469
カヌーの速さを侮ってはいけない   あれは速いよ
(オリンピックの後で、ぜひ体験しよう   ゴリラになれるよ!   なれるよ!!)

あと、三国志の時代の帆船は、後代のジャンク船ほどに完成度が高くなく、
大量の荷物をゆっくり運ぶ乗り物だと思った方がいい
(中国では川船が発達し、遠洋を行ける船はインドの方が優れていた)
0476オレンジ・エア
垢版 |
2019/08/03(土) 12:45:24.02ID:ahTMUptb0
九州王朝はニホン
畿内王朝はニッポン
0478名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:47:45.82ID:edyuUg9/0
>>468
科学的には縄文人と弥生人は
両方とも日本列島で爆発的に増えたのであって
侵略者の弥生人が増えた形跡は科学的にはないよ
0479名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:49:40.05ID:4zXPw1Aw0
>>472  征服が人種の入れ替えとは限らないってことだよ

征服民が勝って、被征服民を奴隷にしたとしよう
全員を殺すことはめったになく、奴隷にして残す
だから、縄文人が地域の人口として飽和した状況では、
勝った弥生人が君臨したとしても、人口比率が激変しないんだよ

逆に、縄文人が旧石器人を駆逐した時は、
人口比率が圧倒的に縄文人優位だったので、人種構成が縄文人で塗りつぶされた
0480名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:49:53.18ID:yU+bgSicO
卑弥呼は共立と言うからには、共立した場所もあるはずだろ、半島への航路も確保してるということは半島南部も女王国、伊都が共立場所としては相応しいだろ、シロ国も倭人の内だし、三韓邑国も混じってる中での百国の30で本州の山ん中に支配国が存在するなんて中国しらねえよ
0482名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:52:31.02ID:4zXPw1Aw0
>>476  いまいち、わかりにくい;

皇室の起源は九州で、
政府の起源は畿内      これでよくね?
0483名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:54:21.79ID:4zXPw1Aw0
>>481
逆に、『世界史』なんて科目の方が珍しいんだとさ
どこも、自分の国・自分の文明の事しか教えないから・・・・
0484名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:54:52.71ID:V54CnQS/0
>>372
つい最近まで(といっても75年くらい前だが)日鮮同祖論とかいって同じ国として運命を共にしてたのにな
0485名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:55:04.18ID:KLDmpV9G0
邪馬台は国の幻場
唯名付く阿を書き
0486名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:58:06.03ID:4zXPw1Aw0
>>477
近畿にはカナート(中東に多い井戸)もあるね
水田の水を再利用する、ごく小規模なものになっているが、これも大陸からの技術でしょう
0487名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 12:58:32.29ID:tNJznKMb0
九州が畿内を征服したならともかく、
おそらく畿内が九州を制圧した
にもかかわらず皇室の正史として神武東征を大々的に入れる必要があった
これ
0488名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 13:01:14.97ID:4zXPw1Aw0
>>484
実際に縄文人は半島南部まで広域分布してたよね
だから日韓同祖論があったわけで、これを否定するために、韓国の考古学はだいぶ歪んだ;
そうでなくても、被征服民である百済や済州島への差別はひどかった
0489名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 13:07:21.53ID:4zXPw1Aw0
>>487 両方の要素があるでしょう

九州が畿内を征服したのが神武東征
これは軍事技術に長けた、少数の軍事集団が大和を征服した事件です
ジンムの一党は千人やそこらで、既に広域政府だったヤマトを占領することは出来ず、
単純に王族の交代、という形で婿入りしたのだと思います
そもそもヤマト王権は豪族の合議制だったので、ジンムの即位は簡単でした

これに対し、本格的な占領だったのが、ヤマトタケルの九州征伐
個人の英雄譚にしてありますが、これは正規軍による本格的な占領
神武天皇を追い出した九州勢に、根本的な服属を強いた、半ば意趣返しの戦争;
それでも民族浄化の類は無かったようです
0490名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 13:08:50.41ID:AV8gjFzQ0
>>487

記紀の神話には南九州の説話も多く載ってるし、隼人族は朝廷で警護として重宝された。
敵を警護として置くなんてあまりないからね。
0492名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 13:10:40.49ID:AV8gjFzQ0
また、明治維新時に朝廷を立てて幕府を倒したのは隼人族の薩摩藩。南九州と朝廷とは縁があるのかもしれない。
0493名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 13:14:21.83ID:vD32hjMt0
>>158
こう言う歴史書に書いてない寝言を堂々と書ける神経って凄いな。
論理的なものが存在しない人でコピペ九州と同じキチガイ?
0494名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 13:15:02.10ID:XnPy5KXj0
ということにしたいんだろうな福岡人としては
0495名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 13:15:14.13ID:nyS14e0B0
>>487
九州からの関西への移民が神武東征
神武東征は、おそらくは古墳時代のこと
その後、関西で勢力を拡大して8世紀には九州をも併合
古代より関西に大和朝廷が存在したかの如き記紀を編纂
邪馬台国の歴史も消し去られる。
0496名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 13:16:24.53ID:vD32hjMt0
>>164
九州のキチガイコピペが凄いからな60レス70レスで人の話を一切聞かない人だからな
0497名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 13:17:00.52ID:4zXPw1Aw0
>>492  そうかもね

薩摩人にとっては、俺たちが皇室の祖だ、という親近感があったかも
(実際の戦力としては、対外貿易の力関係だったけど・・・)
0498名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 13:20:46.86ID:4zXPw1Aw0
>>495
縄文の古層に邪馬台国があったのか、
ヤマト王権の宗教改革によって、新興宗教の邪馬台国が設置されたのか・・・・・

私は後者だと思います
纏向遺跡は宗教改革のテスト場で、邪馬台国は北九州統治の最前線だったか
0500名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 13:45:15.66ID:7dvfqHIB0
>>432
その「南方」という場合、似た単語があるのは水稲稲作があとから伝わった地域だね。
5000年前か4000年か前以降に稲作民が拡散した地域。
インドの東部もそうだけど。
あるいは、水稲以前の農耕民かもわからんが。

現地民がいたインドの東部に稲作民が流入して合体してできたのが少数民族の言葉みたいな。
先住の民族の人口が多いか少ないか、先住の民族の文化的な水準が高いかどうか。
ここらへんが言語転換が起きるか、合体するか、吸収されるかの違いに関係するんじゃないかな。

イギリスなんかは、
一番古くからいたと思われる言語は消えて、ケルト系に変わる。
そこへ、ヴァイキングがゲルマン語を持ってくる。
そこへ、フランスから支配者がイングランドへフランス語を持ってくる。
支配者はフランス語を捨て英語に切り替えた。イングランド以外の地域はウェールズとか
ケルト系の言語が残っている。
ケルト系以降はどれも印欧語であり、フランスからやってきた王様は元はといえば
ゲルマン人であり、フランス自身がゲルマン民族が立てた国だからな。

バスク語が今も残っているのは不思議といえば不思議だ。
欧州のほぼ全域が印欧語に支配されたというのに。
フィンランドは圧倒的にフィン人の地域だったからと思えるが。
ハンガリーも良うわからんね。
0501名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 13:50:26.15ID:V54CnQS/0
同じ印欧語とはいっても
It's Greek to me.

ルーマニア人がブルガリア語を聞いて「近い言語だ」と思うのだろうか
0502名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 13:55:30.42ID:8Oo2R5HC0
史学会の二大派閥、東大閥が九州説・京大閥が畿内説で割れてる限り永遠の平行線だろうな。
戦前の陸海軍みたいに敗戦で解体されるまで。
0503名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 13:55:32.70ID:Bwh8HjW7O
>>307
天武の頃は元々仲良くやってたのに、フヒト(片親が百済系)が権力を握ってから、敵愾心剥き出しで柵を作らせてった
0505名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 14:12:40.62ID:edyuUg9/0
>>502
東大も畿内説だから別れてないし
学者の99%は畿内説と言われているから学問的にはほぼ決着済みだし
0506名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 14:22:01.38ID:7dvfqHIB0
>>501
別れてから時間が経ってるからね。
ブルガリア語はスラブ系だし、ルーマニアは何故かラテン系。
昔の津軽人が話してるのを関西人が聞いてもわからないのと同程度にわからない
0507名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 14:27:21.48ID:7dvfqHIB0
>>307
人種が違うわけじゃないよ。
古墳時代に仙台平野に前方後円墳が作られてるからね。
中央に税金を収めるのを嫌ったってことだよ。
0509名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 14:42:29.22ID:EJh+n+8S0
福岡平野は、弥生中期のはじめから前半は板付遺跡中心に発展するが、中頃をすぎるとすべてが須玖岡本遺跡に集中する。 博多駅の近くの比恵から、那珂を経て春日市の須玖遺跡に至るそれぞれ100ヘクタール級の広さの地域に遺跡が途切れなく存在する。
発掘は大字、小字ごとにやっているので、その単位で遺跡の名前が付けられているが、この地域の遺跡は連続した遺跡であり、環濠を設けることなしに繋がっている。
30ヘクタールほどの吉野ヶ里が最大の環濠集落といわれているが、伊都国では三雲地域を発掘した時にすでに40ヘクタールの広さがあり、井原鑓溝遺跡の調査で、60ヘクタールにもなる遺跡であることがわかった。
須玖岡本遺跡はわずかな丘陵にはいるので、平野に面したところだけに環濠がある。環濠の内側の春日丘陵の地域は100ヘクタール以上にもなる一つの単位集落と思われる。
比恵那珂遺跡は弥生終末には、側溝を持つ幅6〜7mの縦貫道路遺溝が出てくる。比恵遺跡では幅20mの運河が出てくる。
吉野ヶ里、池上曽根、唐子鍵を取り上げて弥生都市について議論されることがあるが、この地域の遺跡と比べるとこれらの遺跡は規模が小さく、どんぐりの背比べである。
0510名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 14:44:34.15ID:9lVxPL6I0
>>487
鉄製の武器は九州が圧倒的に多いし、九州内では戦争で戦争なれしているから
関西の腰抜けを降参させるのは非常に簡単な事だった。
正解は勇猛果敢な北部九州勢力が腰抜け揃いの近畿勢力を拍子抜けするほど
簡単に降伏させた。
0511名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 15:05:47.18ID:znVh98eO0
>>402
>奴をナと読むのはずっと後世の大和言葉で
それはおおきな大間違いw
「匈奴」は国際的にはフン族といわれている。
「奴」をドと読むのは李白、杜甫、白居易の時代の唐代長安方言で所謂前期漢音。
オマイラ土器や古墳の編年には五月蝿いが漢字音の編年はまったくの素人だなwww
漢字の音読みで「ナ行」「ダ行」両方の読みがあるものは
ナ行読みが呉音で「ダ行」読みが漢音」=(唐代長安方言)

「内」を「ナイ」と読むのが呉音、「ndaiンダイダイ」と読むのが漢音(唐代長安方言)
「捏造」の「捏」も「ネツ」と読むのが呉音、「デツ」と読むのが漢音だ。
「尼」や「二」を「に」と読むのが呉音、「 ndi=ンディ>ヂ>ジ」と読むのが漢音だ。
0512名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 15:06:28.14ID:IYIWKeCA0
ところで唐は九州を占領したんだろうか?
0513名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 15:17:03.15ID:znVh98eO0
>>476
つまり九州王朝が有ったかどうか証明できないが
畿内王朝の方が古く、九州は平安中期以降という主張だなw
日本語発音の編年でそういう結論になる。
0514名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 15:20:39.34ID:XFaWyLtI0
奈良のアマテラスが大国主に国譲させ、植民地にした「葦原中国」は

出雲(島根県)、伯耆(島根県西部)、因幡(島根県東部)、北陸(富山)、岡山県(吉備地方)、広島県東部(三次市・千代田市)

にまたがる地域

これらは葦原中国国譲りの後、

アマテラスが養子にしたスサノオの長男のアメノオシホミミの子のニニギを、出雲に一大卒という総督として派遣して

奈良のアマテラスがガッツリ統治した

なので

『魏志』倭人伝(280年完成)
女王国より北には特に一大率という官が置かれ、諸国を検察し、諸国は之を畏れていた。
常に伊都国で治めており、中国でいう刺史のようである。
0515名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 15:23:50.59ID:XFaWyLtI0
【大陸から畿内へ】【畿内から大陸へ】のルートは、

1.畿内が出雲を植民地化して併合

魏(220年 - 265年)の時代  
対馬國 − 一大国(隠岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(摂津住吉)−投馬国(近江)を経て邪馬壱國(奈良)


2.既得権益を侵害された九州が畿内を植民地化して併合

九州狗奴国の第32代目国王「ウガヤフキアエズ」の第4皇子の神武が
自分が王になれる国を求めて狗奴国の軍隊と共に、九州から吉備に滞在して畿内に入り

南朝梁(502年から557年)の時代
対馬國 − 一支国(壱岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(摂津住吉)−投馬国(近江)を経て邪馬壱國(奈良)


3.植民地にされた畿内が蜂起、九州を植民地化して併合

ヤマトタケルが西征して、九州に入り

隋(581年 - 618年)の時代
百済−竹嶋−耽羅国−都斯麻国−一支国(壱岐)−竹斯国(筑紫)−秦王国−十余国を経て難波津−奈良

バッチリはまる
0516名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 15:32:15.54ID:npToTUTK0
>>474
ええかげんなこと言うなゴミクズ
そんなもんモンゴルと満州族のDNAが朝鮮半島の全土に広がってるというのと同じ
0517名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 15:50:53.96ID:MPVy/B1u0
それにしても不思議なのはナ国王が奴隷160人献上
一体どうやって運んだ・・・
0518名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 15:56:20.54ID:Teb9YZIu0
>>517
伽耶近辺で現地調達する方法も
0519名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 16:14:29.13ID:KLDmpV9G0
山子群れる
0520名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 16:32:56.34ID:WB9X3rWc0
ていうか樺太北海道から渡って来た人以外は基本的に日本人は西から東への流れだし
祖先が西から来たという伝承と邪馬臺国は関係無いと思うね
時代が違うだろう
0522名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 16:46:58.82ID:YdsHtaB20
狗奴国は邪馬臺の南なのか東なのか
3世紀に書かれた魏志倭人伝なら南、5世紀に書かれた後漢書なら東だけど
0523名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 16:59:18.79ID:edyuUg9/0
>>522
狗奴国(クナ国)って国名というよりも「敵対国」という意味の言葉だよ
天皇の敵対勢力は熊(クマ)や蜘蛛(クモ)と書かれてることが多いからね。

3世紀のクナ(敵対国)は熊本だろうけど
5世紀のクナ(敵対国)は関東、東北、北海道あたりに変わってるだろうね

倭人の話を聞いて記述を変えてる
0524名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 17:01:15.33ID:PFVQTDXd0
>>508
何この陰謀論と思って、こいつのカキコミ読んだら
ことごとくデンパ系のカキコミだったw
さすが九州説です
0525名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 17:03:11.16ID:9FnVNmJZ0
じゃ、邪馬台国
戦艦ジャマト、黒猫ジャマト、ジャマト証券
0526名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 17:05:25.47ID:RHpMbOJQ0
>>470 違うぞ 魏志倭人伝が根拠で
妄想と言ったのはあくまで説であり確定してないと言う意味
謙虚だろ
0527名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 17:12:23.36ID:4zXPw1Aw0
九州説では、バックの国家が貧弱すぎる
穀物生産が軍隊を規定する

畿内説では、邪馬台国がハイカラすぎる
太陽信仰も鬼道も、ヤマトの宗教改革の後だ

だから、邪馬台国はヤマト王権の出先機関で、
数ある宗教セクタの一つでしかないと考える
0528名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 17:19:14.95ID:4zXPw1Aw0
天皇家の起源は九州
日本国の起源は畿内    これなら何の問題もあるまい?  最初から一致していないのだ
0529名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 17:19:31.66ID:eIIjbozm0
奈良の邪馬台国なんて、クソ田舎の、内陸の、大陸の人間なんか誰も行ったことがなかった小国が

出雲を植民地にして統治して、急に大陸に行けるようになっちゃった 

ので

邪馬台国がまだあるときに書かれた『魏志』倭人伝(280年完成)が、こんな状態 ↓

大阪なんてクソ田舎に新幹線で始めて来た、大都会東京の都会人が、
大阪駅で大阪の田舎者に「USJはどっちですか?」と訪ねる

そのとき大阪の田舎者が指を指した方角が「USJ」の方角で
そのとき大阪の田舎者が言った距離・時間が「USJ」までの距離・時間だ

大阪なんてクソ田舎に新幹線で始めて来た大都会東京の都会人には、
大阪の田舎者が言うことが、あってるかどうかなんか判断できない

ちなみに

奈良の邪馬台国なんて、クソ田舎の、内陸の、大陸の人間なんか誰も行ったことがなかった小国が、植民地にして併合した出雲は、

のちに、大陸と大和政権の航海を一手に引き受ける
宗像氏の祖先は、出雲6代主王
0530名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 17:24:59.57ID:0XYhZP4t0
神話を根拠とするのはやめるべき
さらに酷いのは、神話を勝手に改編して、元の史実はこれだと得意げに披露するやつ
それただの妄想ラノベなんだけど
0531名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 17:59:23.40ID:ZgSko4mW0
>>530
ある意味正しくある意味間違いかな
日向神話は南方海洋民族の説話が元になっており
天皇家の始祖が南方系であることを示しているが
その中に出てくるニニギノミコトや海幸山幸は架空の人物
分けて考えないとね
0532名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 18:10:30.35ID:9lVxPL6I0
記紀では東征のくだりで神武勢力が大阪上陸を阻まれた事になっているが実際は
殆ど抵抗無しに上陸して奈良に入ったと言うのが真実。そして奈良土人は勇猛な
神武天皇に服従を誓い、古墳造りに精を出したと言う事だ、奈良土人は決して
強制されて古墳造りをした訳では無く神武の人柄に惹かれて積極的に古墳造り
に励んだ訳だよ。
0533名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 18:16:57.42ID:ZgSko4mW0
>>532
こういう記紀の記述すら無視するのは論外
もちろん天孫降臨とか現実にあるとは思えないイベントは否定していいけど
私の解釈としては天孫降臨以前の記述は天皇家とは直接の関わりがなく
よさ気な話をかき集めたもの
0534名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 18:19:44.30ID:F3eKrRCH0
まあ神話は倭人の中で共有してて各地の伝承になってたものを元にしてるんだろ。
そうじゃないと各地の倭人はヤマト王権に征服されるまでは神がいなかったことになるからな。
でこういう編纂ができるのはやはりかなり後の世で、仏教がひろまって人々が神話に関心が薄れていたからじゃないかな。
0535longinus_bouz ◆bq94Vh60JQ
垢版 |
2019/08/03(土) 18:22:43.00ID:ja3QUkIq0
>>517
> それにしても不思議なのはナ国王が奴隷160人献上
一体どうやって運んだ・・・//

別段、北九州から運んだんじゃないと思う。
中国だって、言葉も通じない労務者を押し付けられたって困るだろうし、
「生口」というのが、多言語をこなせる者たちだったとすれば、
そういうインテリは献上なんかしなくとも、いくらでも使い道あると思うんだが。
献上数は少ないが、卑弥呼の献じた生口も同じ。

>>518 > 伽耶近辺で現地調達する方法も//
  まぁ、そいった感じだと思うね。但し、
そこで調達しても、やはり中国では言葉もわからない労務者だね。
0536名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 18:25:41.18ID:znVh98eO0
>>529
田舎者ほど都会にあこがれるものでござんす(鶴田浩二)
60年前は玄界灘に面した裏日本気候の糞田舎で
朝鮮からの密航者で賑わった新興九州
その後石炭から石油電気へとエネルギー革命。
三井三池炭鉱の労使紛争、閉山で食いっぱぐれた九州炭鉱夫が
阪神工業地帯へ民族移動したのが第二次神武東征www
石炭掘ってた九州男が神戸や大阪の失業者対策のアパートに住んで
再度ツルハシ担いで道路工事www
0537名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 18:28:34.66ID:zDKQ6jxg0
>>530
神話に出てくる奈良県橿原市畝傍山の麓には、本当に紀元前7世紀頃に使われていた遺跡が見つかってる。

神武東征が事実かどうかまではわからないが、一概に神話を全てあり得ないと否定するのも違う。
何かの痕跡を元に神話化されている部分もあり得る。
0538longinus_bouz ◆bq94Vh60JQ
垢版 |
2019/08/03(土) 18:32:30.41ID:ja3QUkIq0
>>533 > 私の解釈としては天孫降臨以前の記述は
天皇家とは直接の関わりがなく よさ気な話をかき集めたもの//

天皇家とは直接の関わりがなくを、なぜ、天孫降臨以前に限定するのですか?
神武東遷以前、としても構わないでしょ。つまり、
宮崎県のオサーンが日向灘をボケっと見つめてたところまでが、現地説話。
そして、ナガスネ彦なんかを制圧した、というのが奈良県の説話。

両者を合成すれば、宮崎県のオサーンは、カムヤマトイワレヒコなんて御大層な名前になって、
東遷せざるを得ないハメになる。
0539名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 18:34:56.33ID:ikN9GUBu0
>>246
口伝を馬鹿にしてるというより文字で残す手段が
十二分にあっただろうにそれが残ってないのを疑問視してるんだがな

<< 乙巳の変の折に『天皇記』、『国記』が焼失してるな。有名な話だ。
0540名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 18:38:53.56ID:nyS14e0B0
>>526
魏志倭人伝を基に想像を膨らまして妄想して
それを根拠としてるじゃないかい。
0541longinus_bouz ◆bq94Vh60JQ
垢版 |
2019/08/03(土) 18:42:50.36ID:ja3QUkIq0
>>539 > 乙巳の変の折に『天皇記』、『国記』が焼失してるな。有名な話だ//
  ワンコピーだけ回収された事になってるよね。なぜだと思う?
史書なんだから、何も蘇我邸だけにあった訳ではないでしょう。
書写なんかされて、あちこちにあった筈だ。
それは当方で回収した原本と異なりますね、なんて言い張るためなんだと思うね。
結果、日本書紀が好都合な正史として遺存することととなった、いや、それが目的だ。
0542名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 18:44:04.85ID:ZgSko4mW0
>>538
いい加減宮崎県はやめてね
何故天孫降臨で分けるかというと
それ以降の日向神話が南方海洋民族の説話で成り立っているから
区切りになるのは天子ではなく天孫にして更に一拍おいているところかな

さてコピペ

日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う

続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり

木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ

おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる

よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる

なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話

高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925)   智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜)  日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂)
0543名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 18:47:49.92ID:ZgSko4mW0
>>538
ちょっとわかりにくいか
天皇家の始祖が隼人族と同族というのが何らかの理由で作られたことではなく
事実を元にしているからということなんだけど
0544longinus_bouz ◆bq94Vh60JQ
垢版 |
2019/08/03(土) 18:56:48.67ID:ja3QUkIq0
>>542
> 何故天孫降臨で分けるかというと
それ以降の日向神話が南方海洋民族の説話で成り立っているから//

ですからね、南方海洋民族の説話で成り立っている宮崎県のオサーンと、
イワレヒコという奈良県のオサーンをショッカーが、
いや、不比等が改造合成したとして、何の矛盾がありますか?
南方海洋なんて言霊を振り回したって、何の論にもならんでしょ。

> さてコピペ//
  ホントのコピペだね、内容薄いし。
0545longinus_bouz ◆bq94Vh60JQ
垢版 |
2019/08/03(土) 19:03:25.53ID:ja3QUkIq0
>>543
> ちょっとわかりにくいか・・・
事実を元にしているからということなんだけど //

分かりにくいんじゃなくて、内容が希薄なんだよ。元が事実なんて勝手に決めるなよ。
宮崎県のオサーンが事実を元にされてても構わんし、
奈良県のオサーンも事実を元にされてても構わんが、
両者の合成改造人間は、事実には何のかかわりもない造形物にしかならないでしょ。

要するに君は、東遷説話があるから事実が反映されてるんダァ、
なんて無造作に信じ込んでるだけなんだよ、如何に言霊を並べ立ててみたってね。。
0546名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 19:08:21.87ID:0dUypOgT0
墓誌が出土しなきゃ永遠に決着つかない
だから先生方の論文も好き放題書いてる
畿内説九州説の対立なんて、もはやプロレスでしかない
0547名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 19:15:25.20ID:1ZP3BOGO0
>>425
帰ってきたら倭国がミニマム化してるwww
暑すぎて思考が回ってないでしょ?

倭国大乱って一体何だったんだ?
1/100国の中でのいさかいを大乱と呼んだのか?
0548名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 19:23:13.91ID:RHpMbOJQ0
>>540 そのとおりだけど何か?
九州もやってるよね 想像膨らましてる=妄想
0549名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 19:26:11.61ID:ja3QUkIq0
>>546
> 墓誌が出土しなきゃ永遠に決着つかない
畿内説九州説の対立なんて、もはやプロレスでしかない//
  記紀と魏志をキチンと解釈し、遺物の編年と併せて考えれば、
箸墓が卑弥呼墓、以外の結論はないよ。
例えばノッケの、「倭人在帶方東南大海之中」なんかは、
倭人は太平洋のド真ん中に住んでいる藁 ンなわけネェだろ、
と、なぜ解釈できないんだ?

> だから先生方の論文も好き放題書いてる//
  それは云えてるな。非畿内ファンタジーについては今更どうこう云わん。
纏向遺跡の報文?なんか、遺物が卑弥呼時代の年代に合致するってだけをネタにして、
魏志なんかの倭国内記載を付会してるだけだしね。
0550名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 19:29:09.03ID:znVh98eO0
>>537
神武東征はもちろんでっち上げ
BC660年辛酉歳の旧正月元日に即位というのもウソ
「辛酉革命説」でググッて見ろ
0551名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 19:29:57.24ID:3iyXlI/D0
>>546
学問の世界ではもう対立なんかないじゃん
対立を煽ってるのは部外者
一部のローカルメディアや九州説の団体だけ
0552名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 19:35:20.31ID:zDKQ6jxg0
>>550
7世紀の人間がどうやって紀元前7世紀の遺跡について知ってたんだろうな?

神武東征が有ったか無かったか、否定することもできるし、肯定することもできる。
さも本当の事のように辛酉革命説を唱える人もいるが、それすら一説には〜であって、真実だと確定したものでもない。
0553名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 19:41:39.72ID:rVnMrpdl0
三角縁神獣鏡の舶載説とかガチの基地外だろ。
主流派の学者はそのレベルほとんどだし、プライドもクソもない
0554longinus_bouz ◆bq94Vh60JQ
垢版 |
2019/08/03(土) 19:49:12.30ID:ja3QUkIq0
>>550
> 神武東征はもちろんでっち上げ
BC660年辛酉歳の旧正月元日に即位というのもウソ//

その通りですが、即位年を、なぜBC660年としたか、については考える必要がある。

> 「辛酉革命説」でググッて見ろ//
  三善清行による革命勘文、なんて一切信用してはいかん。
支離滅裂なだけで論理破綻してるし、コイツは単なる摂関家(ではないか、まだ)の犬だ。
コイツが引っ張ってきたとされる、辛酉革命説なんてモンは存在しないし、
コイツは、即位年をなぜBC660年としたか、についても、何も知らないと思う。

まぁ、清行が辛酉革命説を引っ張ってきたというのは、コイツのせいではなく、
那珂通世の誤謬なの鴨試練のだが。
0555名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 19:55:03.93ID:XFaWyLtI0
>>542
いや、「天孫降臨」は、本当にあったのよ

天孫・・つまり、天津彦彦火瓊瓊杵尊の第2子の「山幸彦」が
海幸彦とケンカして出雲を追い出されて、

海神の国・・つまり、北九州の綿津見大神(豊玉彦)の元を訪れ、綿津見大神の娘である豊玉毘売と結婚している
0556longinus_bouz ◆bq94Vh60JQ
垢版 |
2019/08/03(土) 19:56:29.84ID:ja3QUkIq0
>>553 > 三角縁神獣鏡の舶載説とかガチの基地外だろ//

景初四年鏡って、景初が実際に四年まであったから存在してるんだと思うがね。
正史では三年までってのは、司馬仲達と曹爽の妥協の結果だと思うな。
景初から正始への改元の不自然さを読み取るべきだ。
正始という年号だが、景初四年を正始元年とするのが、正しい始まりなんですよ、の意味だと思うね。
0557名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 19:56:37.32ID:nyS14e0B0
>>548
俺は妄想は根拠としないけど
確かに九州説でも畿内説ほどではないが妄想してるひとは多いね
事実と妄想を区別して事実だけを根拠とする必要はあるね。
0559名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 20:08:01.01ID:ikN9GUBu0
>>203
調べないまでもなぜ突然に古墳建造文化が消えたのかの議論すらも
ほとんど行われてこなかったのは不思議であるが

< 『日本書紀』大化2年(646年)3月22日条にある一連の詔を「薄葬令」と呼ぶ。
中国の故事に習い、民衆の犠牲を軽減するため、王臣と庶民の身分に応じて作ってよい陵墓を制限し、人馬の殉死殉葬を禁止し、
天皇の陵にかける時間を7日以内に制限するという趣旨の詔が発せられた。
    BY Wiki
0560ID:ja3QUkIq0 の筈
垢版 |
2019/08/03(土) 20:15:47.16ID:ja3QUkIq0
>>558 > 狗奴国が応神朝で解決しそうだ//
  応神が九州出身なんてハナシをマに受けるな。
まぁ、筑紫君磐井がヒミクコの子孫、なんて可能性はありそうだがね。
欽明與磐井素不和 なんて、キャラ被ってるし。
0561名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 20:21:41.31ID:jVQ5B9lF0
>>392
壱岐松浦半島も当てはまらないけど
そうとういい加減な距離感だったんだろう。
0562名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 20:26:53.55ID:sLysN4BX0
>>559
薄墓令もだが、古墳の代わりに寺をこぞって寺を建て始めたのもある
中には勾玉を砕いて装飾に使っている例も
0563名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 20:29:46.66ID:ikN9GUBu0
>>541
残ってないし、内容もわからんからな。如何ともし難いが、
プレ記紀であったのか、また違う内容を含んでいたのか。夢があるじゃないか。
0565名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 20:39:31.99ID:ikN9GUBu0
>>560
磐井の件は機内と墓制が微妙に違う気がするし、根深い対立が古くからあったのが想像されるな。
応神朝の成立は面白い。八幡信仰とあわせて考えると、キリがないくらいに。
ただ、現在残っている八幡信仰は神仏習合の時代を経てずいぶん変わっているのだろう。

>>562
神仏習合が在来の神の信仰をすっかりかえてしまったからな。
まあ、古代の神道にとっては、仏さえ八百万の一柱だったからな。
0566名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 20:40:25.18ID:sqf6Kv1l0
とにかく証拠がなさすぎる
とりあえず日本中を掘り返したら何か出てくるんじゃないか?
0568名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 20:43:02.82ID:aY3fwgaZ0
九州なんだが、それ認めると職が無くなる学者擬きが困るんだろ。
0569名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 20:46:05.40ID:sujFZz2f0
>>523
近江にも雲居という地名があるが、それも天皇の敵対勢力が住んでいた地という意味かもしれない。
0570名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 21:14:57.35ID:XFaWyLtI0
天孫・・つまり、天津彦彦火瓊瓊杵尊の第2子の山幸彦、
天津日高日子穂穂手見命(あまつひこ ひこほほでみ の みこと)が
海幸彦とケンカして出雲を追い出されて、

海神の国・・つまり、北九州の綿津見大神(豊玉彦)の元を訪れ、綿津見大神の娘である豊玉毘売と結婚している

これが「天孫降臨」

その後、山幸彦と豊玉毘売の間に
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと )
が生まれ

天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと )の第4皇子の神武が

海神の国・・つまり、北九州の綿津見大神(豊玉彦)の元から
綿津見大神の軍を率いて、進軍し

アマテラスから十種の神宝を授かった奈良の饒速日命
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)を服従させて、

九州の「海神の国」から奈良のアマテラスの国に移り住んで、
天皇を名のって統治した
0571名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 21:30:54.02ID:cX+mQchi0
>>17
ヘブライがどうかはわからんが、当着点は剣山というのには同意する。

だいたい陸路一か月ってなんだ?
学者たちよ、書き間違いって簡単に済ますなよ。

船が主な移動手段なのに、船を降りて一か月も歩くのはなぜ?

答えはひとつ。
登山したってことだろ。
0573名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 21:36:29.19ID:znVh98eO0
倭人の暦を探る
数字から読み解く歴史の謎
谷崎俊之(大阪市立大学理学研究科)
(h)ttp://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/111F0000004.pdf
>邪馬台国や卑弥呼で有名な『魏志倭人伝』に次のような記述がある1):
>其俗不知正歳四節但計春耕秋収爲年紀
>その俗正歳四節を知らず.ただ春耕秋収をはかり年紀となす.
>これは,3世紀の邪馬台国時代の日本人(倭人)について,同時代の中国人が書いた文章
>である.「倭人は暦を知らず,ただ肌で感じる季節の移りかわりをもとに米作りをして年
>を数えている」というふうに解釈できそうだが,他方「倭人は中国式の太陰暦とは別の独
>自の暦を使っており,これに基づいて米作りをしている」というふうに読めなくもない.
>本稿では,『魏志倭人伝』より数百年後に著された日本の歴史書である『古事記』と『日
>本書紀』を用いて,倭人がどのような暦を使っていたかについて考察する.
>よく知られているように,『古事記』も『日本書紀』も神代から7世紀頃までの歴史を記
>述する歴史書であり,『古事記』は西暦 712 年に,また『日本書紀』は少し遅れて西暦 720
>年に成立したものとされている.
中略
>.『日本書紀』のほうは編年体歴史書としての性格上,多
>くの出来事に関してその暦日が記されている.実際 1700 件以上の暦日が含まれていると
>も言われている.

魏志倭人伝と日本書紀の矛盾
さてオマイラはどっちを信じるんだ???www
0576名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 21:46:16.82ID:XFaWyLtI0
天津彦彦火瓊瓊杵尊の第2子の山幸彦、
天津日高日子穂穂手見命(あまつひこ ひこほほでみ の みこと)が
海幸彦とケンカして出雲を追い出されて、

海神の国・・つまり、北九州の綿津見大神(豊玉彦)の元を訪れ、
綿津見大神の娘である豊玉毘売と結婚した

これが「天孫降臨」

その後、山幸彦と豊玉毘売の間に
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと )
が生まれ

天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと )の第4皇子の神武が

海神の国・・つまり、北九州の綿津見大神(豊玉彦)の元から
綿津見大神の軍を率いて、進軍し

アマテラスから十種の神宝を授かって大和の地を守っていた饒速日命
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)を服従させて、

九州の「海神の国」から奈良のアマテラスの大和の国に移り住んで、
天皇を名のって統治した
0577名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 21:47:35.41ID:V54CnQS/0
ハ行音は昔からp音だったという説があるな

アマトゥピコピコポポデミノミコト
0578名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 22:02:44.39ID:ikN9GUBu0
>>573
暦無しには農業は成り立たない。
0579名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 22:17:33.98ID:XFaWyLtI0
国譲りの後に、天照大御神により、奈良から出雲に一大卒として派遣された

天孫・・つまり、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の子孫である、天津彦彦火瓊瓊杵尊の
第2子の山幸彦、天津日高日子穂穂手見命(あまつひこ ひこほほでみ の みこと)が
海幸彦とケンカして出雲を追い出されて、

海神の国・・つまり、北九州の綿津見大神(豊玉彦)の元を訪れ、
綿津見大神の娘である豊玉毘売と結婚した

【これが「天孫降臨」】

その後、山幸彦と豊玉毘売の間に
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと )
が生まれ

天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと )の第4皇子の神武が

海神の国・・つまり、北九州の綿津見大神(豊玉彦)の元から
綿津見大神の軍を率いて、進軍し

アマテラスから十種の神宝を授かって大和の地を守っていた饒速日命
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)を服従させて、

九州の「海神の国」から奈良のアマテラスの大和の国に移り住んで、
天の王「天皇」を名のって統治した

【これが「天孫の帰還」】
0580名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 22:25:47.44ID:V54CnQS/0
2倍暦だの4倍暦だのって
俄かには信じられないどころか真面目に聞く気が失せる考えだよな
0581名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 22:28:53.89ID:yU+bgSicO
岩戸隠れって日が沈んだだけだぞ、八神が大事なだけの話。コイツらが元の株主。
0583名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 23:01:26.17ID:XFaWyLtI0
そののち、天皇の命で筑紫の熊曾建(くまそたける)を討伐したヤマトタケルが、その帰途に、

天孫・・つまり、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の子孫である、天津彦彦火瓊瓊杵尊の
第2子の山幸彦、天津日高日子穂穂手見命(あまつひこ ひこほほでみ の みこと)を追い出した出雲に入る

ヤマトタケルは出雲建と親交を結び、油断させ
出雲建の大刀を偽物と交換して大刀あわせを申し込み、殺し

「やつめさす 出雲建が 佩ける大刀 つづらさは巻き さ身無しにあはれ」と“出雲建の大刀は、つづらがたくさん巻いてあって派手だが刃が無くては意味がない、可哀想に”と歌う

【これが「天孫の逆襲」】
0584longinus_bouz ◆bq94Vh60JQ
垢版 |
2019/08/03(土) 23:02:23.37ID:ja3QUkIq0
>>565
> 磐井の件は機内と墓制が微妙に違う気がするし、
根深い対立が古くからあったのが想像されるな//
  邪馬台国とクナ国との対立、継体欽明朝と磐井の対立って、
その原因も同じだったんじゃないかと思うのだが。

> 応神朝の成立は面白い//
  応神朝って無かったんだと思うな。
崇神朝・応神朝、三輪王朝・河内王朝、イリ王朝・ワケ王朝、なんて言い方するが、
男系血統的には、崇神から雄略までと、継体以降の2王朝だけだと思う。
(飯豊、顕宗=仁賢については、人物の存在は否定しないが、即位は否定。
 武烈は雄略の分立キャラで、同一として、存在は否定。)
いわゆる3王朝交代なんて見解だと、崇神朝-三輪王朝-イリ王朝 に含まれる景行が、
オシロワケなんて名前なのが説明つかないし。

> 八幡信仰とあわせて考えると、キリがないくらいに//
  八幡って、好太王碑文に出てくる倭王で、武の上表に出てくる「ソデイ」だと思う。
記紀でいえば、仲哀かな(日本武尊、神功、応神、仁徳は、仲哀の分離キャラ)。
国内軍事は日本武尊に、外征は神功に、名前(ホンダワケ)は応神に、
ソコソコだった鴨試練内治は仁徳に割り振られてしまい、仲哀に残されたのは、
なんだか間抜けな死に方をしたという説話と、タラシナカツヒコという、実態を伴わない名前だけ。
外征で惨敗して、多分帰路で海難死したからじゃないかな。

八幡神社って豊国神社と似た様なもんじゃないかな。外征失敗なんて同じだし。
0585名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 23:06:04.64ID:DJyLbMnI0
在日の天照大神が、今日の日本を造ったことは間違いない。
0586名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 23:16:06.29ID:+DPSUqzR0
これはまあ話が逆であってw
プロレスじゃないが永遠の平行線であるからこそ
話題が盛り上がって双方二度おいしいってやつっすねwww
だから逆に考古学的にどちあらかが妥当ってジャッジがくだると
困るんだよw 永劫回帰な邪馬台国比定論争がオワコンになっちゃうからwww

ところで話は変わるが、その意味でネットで隆盛しているところの
「きのこ=たけのこ論争」って解決したの?w 裁定はされたの?www
まあウリは特に関心ないけど「キノコ派」であることは鮮明にしておくよwww
0589名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 23:29:19.33ID:qQb69Srh0
>>573
農業で使うのは太陰暦
学者さまでも畑違いはド素人だな
0590名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 23:31:15.51ID:DsxzjVUk0
新羅の海人が日本人の先祖だ
0592名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 23:34:36.74ID:fQZj0nB70
>>553
三角縁神獣鏡の舶載鏡説は今でも主流だろ
出土が多すぎるだの、銘文がおかしいだのは、すべての三角縁神獣鏡を舶載鏡とする説を批判してるに過ぎない
舶載鏡とボウ製鏡もあるというだけ

後漢鏡にも、舶載鏡とボウ製鏡がある
後漢鏡の場合、ボウ製鏡が存在することを理由にして、舶載鏡にまでイチャモンをつける人はいない

だが、三角縁神獣鏡の場合、ボウ製鏡が存在する可能性を口実にして、
三角縁神獣鏡はすべてボウ製鏡だという屁理屈をいうやつがいる
そもそも、すべてボウ製鏡だみなすには、ヤマト王権と魏の間に相当密接な交流がないと、
技術面などで製作自体が不可能

まあ三角縁神獣鏡の場合は、どれが舶載鏡でどれがボウ製鏡なのか、識別方法にいろんな見解が
あってまとまってない状況ではあるが
0593名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 23:36:43.17ID:+DPSUqzR0
>>590
然り
ついでにいうと紀元前13世紀に太古の地中海世界に現れて
周囲に征服の限りを尽くし、忽然と消えてしまった
欧州古代史における謎の民族「海の民」ってのは
地上最強の偉大なる大韓民族であることは
これは心ある歴史学の徒としては自明の常識だよねwww

まあ一衣帯水という言葉があるがw 偉大なる大韓の東海、トンヘと
東地中海は遮るものもない海であるからのう。

偉大なる大韓の空母、超ド級戦艦、巡洋艦、駆逐艦が地中海を遊弋し
文明以前の蛮民をミサイル攻撃しても不思議はあるまいてwww
0595名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/03(土) 23:42:20.33ID:ikN9GUBu0
>>584
八幡神はナゾの多い神で興味深いのは、託宣神としての性格だ。記紀では神功・仲哀の御子として書かれているが
神功・仲哀のコンビは託宣の神事とかかわりが深い。では何故神功や仲哀ではなく応神なのか。
このスレにそった解釈でいけば二人の子というよりも神功の子としての性格が強い。
仲哀は、架空か?と思えるほどだ。
神功だが、香椎の宮時代とオキナガ氏の媛としての時代、三韓征伐の時代と、3種類の性格が合わせられている点。
そしてその子としての応神。これが一つの疑問。
銅鏡の時の宇佐八幡宮託宣事件で一気にメジャーになる印象だが、取るに足らない田舎の神社の託宣が
中央政界を動かしえるだろうか。そこには中央政界の意識の奥に宇佐の託宣なら、という下地があったはずだ。
0596名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 00:00:57.59ID:H4nDiI9W0
>>595
八幡神について。
神宮で祀られている当初から仏教との関係が深い。これはおそらく成立時の神仏習合の流れの影響も強いのだが
八幡大菩薩として、武家の守護としての性格が付け加えられている点。
このことによって日本中に(このことだけではないのだが)八幡神社が広まっていくのだが、例えば宇佐の場合
元々祀られていたのが比売神という、これまたよくわからない神であると思われるのだが、
その上に立って主催神として祀られていること。これは皇祖神という性格の由縁なのか。
ヤハタノ神とホムタワケ命が重ねられたのは何故なのか。
他にもいろいろ謎は尽きない。   >>584
0597名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 00:02:17.40ID:H4nDiI9W0
>>589
ほう。根拠は?
0598名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 00:23:49.99ID:H4nDiI9W0
>>590
先祖かというと、先祖の一つというべきか。
いずれにしろ初期の山陰・近畿中北部・北陸への文化伝搬の点においては
見過ごせない影響をあたえたのは否めない。
0599名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 00:39:25.72ID:u4sryLNE0
>>596
ヤマト王権で宗教改革が起きた可能性はどうだろう?
新しい信仰のスタイルを要求したのでは、九州系の大王(天皇)たちでしょう

三輪山信仰では近隣の美濃や尾張にしか有効ではなく、
どこからでも拝める、太陽信仰は大和王権の広域統治に必要な宗教でした
同時に魏で流行した鬼道(五斗米道)の実践テストも必要でした

テストというのは、纏向に新規格の神社を作り、所定の期間、運用する事です
国民のウケは良いか? 祭祀に不都合はないか? 予期せぬ費用はないか?
  そして最も大切なのは、 三輪山の神々の怒りはないか?

こういうのは悪魔の証明ですが、自然災害など三輪山の神々の怒りが記録されていないので、
信仰としては 『おっけー!』だったと思われます
そして、テストが終わった以上、宗教施設は首都から遠い場所に移築されたと思われ、これは発掘と一致します
(纏向の廃材を使った遺跡が、どこかで発見されるかも・・・)
0600名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 01:10:52.62ID:H4nDiI9W0
>>599
九州王朝説か。記録ではホムタワケ命が宇佐に祀られたのは6世紀中ごろ以降だな。
それ以前に何者が祀られていたのかは諸説あるのだが、3世紀というとどうなのだろう。
記紀神功皇后の時代というと4-5世紀位となるのだろうか。
私は神功皇后については複数素材の寄せ木細工とかんがえているからな。
魏志倭人伝を信用すると、3世紀の北九州の政治形態は大陸との交流もあって、かなり進んでいたようだ。
官を定めての統治の萌芽も見てとれるのかもしれない。政教分離がかなり進んでいたのではないかとは思うのだ。
しかし、首脳はではなく民衆はまだまだ、巫女の力を望んでいたのではないだろうか。
これは記紀・風土記の記述から読み取っているのだが。
貴方の言う宗教改革というのは2種類が考えられる。復古であるのか、新宗教であるのか。
0601名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 01:15:25.99ID:rkZfEYgY0
そもそもの問題は中華の文献の内容は全て事実という前提で語られてること
九州だ畿内だじゃなくて、邪馬台国そのものが存在してなかったという可能性も考えないと
0602名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 01:56:03.95ID:H4nDiI9W0
>>600
一説に、宇佐に先に祀られていた比売神についてだが、宗像三女神という説もあるのだが、
これについては、関連深い沖ノ島の祭祀遺跡をみるに、弥生期において極小規模であり、
国家祭祀規模の遺跡においては4世紀以後においてであることは、念のため。
0603名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 02:11:32.91ID:fabLbdpp0
九州王朝説は完全なトンデモ説

遺跡調査でも1世紀から九州の勢力が衰退してるのは明らかになっている
0605名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 02:34:45.41ID:34XDGHUs0
天皇家は半島からわたってきた人たちでしょ。
卑弥呼とかの九州の国々は彼らに最初に征服された。
そして奈良時代になるまでに天皇家が
東征していき近畿に拠点を移した。
0606名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 03:00:15.71ID:/dTQqs6/0
>>76
多々良とタタールは何か繋がりあるのかな
製鉄に長けた民族だったのかもな
0607名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 03:11:57.72ID:u4sryLNE0
>>605
天皇家は九州だけど、そこには大陸の影響があったね
だから半島の影響もありうる・・・というか混ざる
そもそも朝鮮半島南部は縄文文化圏で、うまくすれば言葉が通じたのでは?
0608名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 03:19:25.73ID:u4sryLNE0
>>600 そうですね
先進的なヤマトや、大宰府のような都市国家は、政教分離と官僚制度が始まっていたと思います
国家規模で可能なのはヤマト一択ですが、都市国家の規模なら、大宰府でも可能ですね

ここでいう宗教改革とは、広域政府に適した太陽信仰への移行であり、
ヤマトの三輪山信仰など、土着系の宗教にとっては、リストラでしかありません
おそらく、一般民衆の支持は土着信仰の方にあったと思いますが、
それ以上のご利益があれば、受け入れられたかもしれません
神殿は納税用の倉庫でもあり、コメを一括管理することで飢餓が遠のくからです
0611名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 04:35:53.02ID:+SPyAlTX0
>>601
さすがに、邪馬台国が朝貢してきたことまで事実でないとするのは無理がある
逆に言えば、魏にとって大事なのは朝貢してきたという事実のみであり
まともに信じていいのはその部分くらいである

それ以外は、距離やら方角やら風習やらの記述は
政治的な理由から色々と操作が行われているというのが
中国史の研究者の側の見解
0612名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 04:41:35.11ID:+SPyAlTX0
>>592
日本からしか見つからないのに舶載鏡説が主流とな?
昔から相当つっこまれている話なのに
最近は舶載鏡説が主流になるような大発見でもあったのか?

中国で見つかったとかいう話も
入手先は古物商で発掘場所は不明とかいう酷いオチだったよなあw
0613名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 04:50:03.89ID:+SPyAlTX0
>>556
訳本でいいから斉王紀の冒頭読んで事実関係ちゃんと把握しとけ
0615名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 05:12:03.18ID:LkxNBW/o0
九州で興り、東征して、畿内で落ち着いたではダメなのか?
0616名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 05:19:16.58ID:oCq3sjk+0
>>614
当時の中国の文献を見てから出直してきてね
0617名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 05:27:01.07ID:oCq3sjk+0
日本は小国だったが倭国を併合したと書いてあるから
九州から中国四国の倭国を畿内の日本が併合したことになる
時期は5世紀から6世紀
畿内に馬が入って、馬を使って石積みの箸墓や大仙陵などの巨大な前方後円墳が作られた時期
0619名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 05:32:30.95ID:oCq3sjk+0
箸墓の様式や工法は畿内周辺の古墳と比較すると5世紀でないと辻褄が合わない
卑弥呼の時期に合わせようと必死になって捏造しているが、3世紀前半から中盤というのはオボちゃんレベル
0620名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 05:37:58.35ID:yIZLYgLZ0
>>599
古事記の中に「本教」という言葉が出てくるから
古事記は宗教の経典だ。
旧約聖書を歴史書という奴はいないだろう、
0621名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 05:40:32.72ID:+9B4DzZu0
>>616
倭奴王というのは、奴隷の王

例えて言えば、牢名主みたいなものでしかない

そういう蔑称を当て字しているだけのこと

知ったかチャンは、気付きが欠落している
0622名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 05:52:10.40ID:oCq3sjk+0
>>621
中国南方の刺青をしている海洋族のことも倭人と書いてある
一方で中国の研究者によると倭奴国の当時の読みはイト国になる
つまり金印は、漢がケツモチしてるイト国の国王の印、という意味になる
0623名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 06:22:56.83ID:oCq3sjk+0
倭国の中に倭奴国がある

建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫倭國之極南界也光武賜以印綬
0626名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 07:43:00.73ID:+W1AdTOvO
人偏が入ってるのが伊と倭なんだろ?

そんなおかしくない
0628名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 08:17:10.47ID:fabLbdpp0
>>617
「日本は小国だったが倭国を併合した」とは書いてない。
「日本は小国だったが倭国を併合したという日本の使者の話は信用できない」と書いてある。
0629名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 08:21:51.67ID:fabLbdpp0
>>605
それはないよ
朝鮮半島の国々の国力って倭国よりもかなり低かったから。
朝鮮半島は銅印しかもらえなかったことからも明らか。
0632名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 08:37:09.57ID:vYFsPzDj0
>>619
>>627
黒塚古墳も箸墓古墳も5世紀ってことだな。
0633名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 08:38:30.42ID:vYFsPzDj0
>>603
>遺跡調査でも1世紀から九州の勢力が衰退してるのは明らかになっている

これがトンデモだなw
0634名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 08:50:29.29ID:o17rJelR0
まあ確かに1世紀はまだ九州黄金時代
九州の凋落がはっきりしてくるのは2世紀後半
0635名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 08:51:05.84ID:oYHQFSOG0
>>633
全くだ。
他地域より発展してたというのがそもそもの誤解。
0636名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 08:54:14.01ID:3yDnKvyS0
つか九州説とかいう奴ってそもそも九州の状況全然知らないよな

鏡がたくさんでるんだ!
絹がたくさん出るんだ!
大勢力がいたんだ!
文化の発信の中心なんだ!

とか
で、聞いてみれば「弥生時代を通じて」の資料とかをドヤ顔で出してくる
あーこいつら本当に何一つ知らないで想像だけで喋ってんだなと
0637名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 09:19:01.25ID:LnPqDYObO
共立とあって何処と共立なのか?畿内では共立が遠すぎる。五胡にも入らん半島南部や倭なのに広域支配国なぞ、無い。四、五世紀位からまとまり出してるようで盤井でも固まってはいない。やっと記紀で神を統一して正当化してる位の状況。卑弥呼は大和朝廷とは別口。
0638名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 09:32:31.96ID:3oCPJUgT0
>>637
これは一番思うところだな
3世紀に西日本全体を支配する王国があったかという疑問
遺跡がショボすぎる
0641名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 09:35:49.45ID:Ocm8mbgC0
えーっと、何が出土したらここが邪馬台国だと決まるんだっけ?
0642名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 09:38:03.66ID:LnPqDYObO
そもそも畿内なら、共立で元祖八神の国が入ってないとおかしい、それは何処?
0644名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 09:42:47.90ID:WgGwEiGy0
飾り耳が特徴の近畿式銅鐸と
はみ出す太い横線が特徴の三遠式銅鐸の
両方の特徴を併せ持った滋賀県大岩山遺跡の銅鐸135cm
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/b5/3f5f38da66fc08be10650c707167abff.jpg
共立のあとと考えられるよ

歴史秘話ヒストリア 銅鐸とまぼろしの王国 A
http://blog.goo.ne.jp/snclim

近畿には争いからの共立の跡はあるが
九州には争いの跡があるだけ 鉄のやじり
0646名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 10:16:44.40ID:yIZLYgLZ0
>>606
タタール
(韃靼人 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/15 01:55 UTC 版)
タタール(Tatar)は、北アジアのモンゴル高原とシベリアとカザフステップから
東ヨーロッパのリトアニアにかけての幅広い地域にかけて活動したモンゴル系、テュルク系、
ツングース系およびサモエード系とフィン=ウゴル系の一部など様々な民族を指す語として
様々な人々によって用いられてきた民族総称である。
日本では、中国から伝わった韃靼(だったん)という表記も用いてきた[1]。

清朝の復興を目指す青竜党の王女である少女・錦華(きんか)が持つ「オルコンの弓」、
黒幇=ヘイバン=黒社会組織「豹(ジャガー)の眼」の首領が持つ「韃靼(タタール)の的」、
母の形見として「フビライの矢」を持つ正義の日本人青年・黒田杜夫(モリー)。
三つの宝物が揃えばそれらを鍵としてジンギスカンが隠した財宝の在り処が分かるということで
繰り広げられる三つ巴の争奪戦冒険活劇。
(h)ttp://www.senkosha.net/sakuhinlist/jyagaanome
0647名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 10:18:03.23ID:UpPRNi100
天岩戸はデメテル由来だぞ
ギリシャ神話だ
0648名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 10:20:48.05ID:x3S/cldL0
倭人伝が適当な創作という結論で
お互いケンカはやめましょう
0649longinus_bouz ◆bq94Vh60JQ
垢版 |
2019/08/04(日) 10:21:50.01ID:4tM7EciE0
>>619
> 箸墓の様式や工法は畿内周辺の古墳と比較すると5世紀でないと辻褄が合わない//
  まぁ、邪馬台国を非畿内と言い張るには、箸墓が3世紀では困る、
とは分かってはいるるんだな、莫迦なりに。
張政が卑弥呼墓の規模形状を報じたのは、どうしてもその必要があったからであり、
当時の段階では、その規模の墳墓は箸墓しかなかったので、卑弥呼墓のID情報として適切だったからだ。
まぁ彼も、その後に同規模以上の墳墓は出来るのだろうとは考え、実際そうなってるが、
報告時点でID情報として有効であれば構わなかった。
「徑百餘步,徇葬者奴婢百餘人」なのだから、大規模な円墳で、共同墓地だった。
後方部は、その後に付け加えられた事になる。
徇葬者は「更相誅殺,當時殺千餘人」の一部が割り当てられた。
「卑彌呼以死」は、行ってみたら既に死んでいたので、急死であり、
突貫工事で大規模墳墓を築造せざるを得なかったので、後方部周溝は後付けになった。
昼夜を問わずの突貫工事で見る見る墳丘が積みあがる様は、
昼は人が作り夜は神が作ると例えられた。記紀と魏志の記載は一致している。

> 卑弥呼の時期に合わせようと必死になって捏造しているが//
  まぁお〆は莫迦なりにヒシ〜の捏造なんだろうが、
やってる事と云えば、様式、工法、辻褄という単語を使って作文してるだけだろ。
小学生かよ。ハナシにならんよ。
0650名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 10:23:21.40ID:oCq3sjk+0
>>631
箸墓が石積みだったことを隠してたけど発覚したのを知らないのかな?これで卑弥呼はおろか邪馬台国の墓ではないことが決定したんだけどな。

 邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓との説もある奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳(3世紀中ごろ〜後半、全長約280メートル)の後円部頂上部分が、全面に石を厚く積んだ特異な構造だとわかった。
同古墳を管理する宮内庁がこれまで公開していなかった発掘調査の記録を朝日新聞が情報公開請求で入手し、判明した。
0651ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 10:28:03.63ID:4tM7EciE0
>>648 > 倭人伝が適当な創作という結論で//
  なんで適当な創作がなされたか、を読み取れないようじゃハナシにならんよ。
出張旅費を稼ぐため、なんてのもバカげてるし。

> お互いケンカはやめましょう//
  批判をけんかとしか受け止められない様では、死沼で莫迦は治らんぞ。
0654ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 10:33:00.41ID:4tM7EciE0
>>650
> 箸墓が石積みだったことを隠してたけど発覚したのを知らないのかな?
これで卑弥呼はおろか邪馬台国の墓ではないことが決定したんだけどな//
  はァ? なんでかね。盛り土掘れば石くらい幾らでも出るのであり、
それを使っても何の不自然もないだろ、何世紀のハナシであっても。
石積みだったら卑弥呼墓ではないというのは、お〆が勝手に作った法律にしかすぎず、
何人をも拘束せんだろアホウ
0655ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 10:35:31.35ID:4tM7EciE0
>>652 > 箸墓が石積みなのも知らないバカはお引き取りください//
  死沼で治らん莫迦はお〆だろが、>>654 記載の通りだノータリン
0656ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 10:37:50.08ID:4tM7EciE0
>>653 > 石積みのソース//
  だから何かね、>>654 記載の通りだノータリン
同じことを何べんも云わせるなよ、エテ公。
0657名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 10:38:33.57ID:oYHQFSOG0
>>641
ようこそ!邪馬台国へ!
としか話さないNPCの門番
0658名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 10:44:20.60ID:shcneP6F0
幸福の科学が卑弥呼降霊させればいいじゃんか
0659名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 10:44:48.60ID:+SPyAlTX0
>>634
ちょうど2世紀の後半ころ主導権争いで潰しあいの戦争やってて
なんとか女王立てて妥協したものの
狗奴国におびえて、魏に助けを求めてるってのが倭人伝の記述なんだから
この時期衰退し始めてるってのは、むしろ九州説の後押しになるんじゃないか
0660名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 10:44:57.73ID:uFVmBaC90
>>1
邪馬台国 ・・・
解明の鍵は
三種の神器の成立と甕棺だな
日本神道や日本人の起源にもそれはかかわる

九州で生まれて、東遷した
それが邪馬台国:大和:日本だ

弥生人なんて特殊な人種はいない
古来から縄文が今の日本を形成していったにすぎない
0662名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 10:53:28.66ID:oCq3sjk+0
卑弥呼の墓が土を盛っただけと書いてあるのに石積みの箸墓を卑弥呼の墓とか言ってるのは詐欺師しかいない
卑弥呼死後に戦乱が起きているし狗奴国に攻められて魏に助けを求めてるポロポロの邪馬台国が巨大な前方後円墳を作る余裕があるわけない
箸墓は戦乱のない圧倒的な勢力が支配していなければ造成不可能なので情勢的にも5世紀が妥当
0663名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 10:55:32.07ID:hEfrHMIX0
>>660

後漢鏡などを副葬する習慣が北九州でできたとして、奈良のマキムクの前方後円墳でそれが
三種の神器へとなって全国へ伝播した。
前方後円墳は三角縁神獣鏡という魏と関連がある鏡が主流となる。
0664longinus_bouz ◆bq94Vh60JQ
垢版 |
2019/08/04(日) 10:57:57.44ID:4tM7EciE0
>>617
> 畿内に馬が入って、馬を使って石積みの箸墓や大仙陵などの巨大な前方後円墳が作られた時期//
  牛馬なしってんで、それならばという事で、牛馬が導入されたんだよ。
邪馬台国は魏に(てか、曹爽に)優遇されてるんだ、それくらいはしてくれるだろ、
鏡や宝物類の下賜なんかに止まらずにね。

> 日本は小国だったが倭国を併合したと書いてあるから
九州から中国四国の倭国を畿内の日本が併合したことになる//
  唐書類のハナシだよね、それは。
その事について中国は、否定も肯定もしていない。
半島への出兵で日本は敗北し(まぁ、近世と近代も同じことしたんだが)、
その詫びをしに唐へ遣使したわけだ。
言い訳として日本が云ったのは、半島出兵時の倭と、今の日本は別の国なんです、
というシロモノだった。対して中国は、承継国家だろヴォケ、という見解を示しただけだ。

序に云えば、以前の倭国について日本は、万世一系的な説明もした。
別段それは中国も否定はしなかったが、チャチャは入れてるね。
治世百年を超えてる天皇がいたんで、そりゃ天安だねと書き換え、
推古朝遣隋使の下りについては、隋書記載の事実なんかを意識して、
アンタは男だったんじゃないのかよ藁、ってことで、雄古なんて書き換えられた。
0665名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 10:59:15.43ID:P8cMoxom0
邪馬台国スレって陰謀論と妄想を叫ぶ基地外だらけだなw
0666名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:02:05.25ID:yIZLYgLZ0
>>600
名前の一部に「ワケ」を持つ人物は備前に縁(ゆかり)がある。
『播磨国風土記』の賀古郡・印南郡条に登場する「印南別嬢」(いなみのわきいらつめ)
と同一人と考えられる。「ワキイラツメ」の名は、『古事記』で妹とされ、
『日本書紀』で別名とされた「ワカイラツメ」の名に通じる。
風土記によれば、印南別嬢の父は丸部臣(わにべのおみ)の祖・比古汝茅(ひこなむち、
彦汝命か)、母は吉備比売(きびひめ)である。
母が吉備比売ということで岡山、広島に縁がある事を示している。
景行天皇は印南別嬢を妻問いに播磨へと出向いた。別嬢は身を隠したが、天皇に探し当てられ、
2人は城宮(加古川町木村?)で結ばれた。
没した後は日岡に墓を造ったが、遺骸を運ぶときに大水によって流されてしまい、
櫛箱と比礼(薄絹の肩掛け)のみを埋葬した事で比礼墓(ひればか)と俗に呼ばれている。

加古川を渡って遺骸を日岡へ運ぼうとしたということは軍師官兵衛(黒田如水)の
正室光(てる)の出身地である加古川右岸の志方や神吉方面で亡くなった事を意味する。
0667名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:03:32.16ID:eU0ZBfYK0
>>659
国譲りの後に、天照大御神により、奈良から出雲に一大卒として派遣された

天孫・・つまり、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の子孫である、天津彦彦火瓊瓊杵尊の
第2子の山幸彦、天津日高日子穂穂手見命(あまつひこ ひこほほでみ の みこと)が
海幸彦とケンカして出雲を追い出されて、

海神の国・・つまり、北九州の綿津見大神(豊玉彦)の元を訪れ、
綿津見大神の娘である豊玉毘売と結婚した

これが【天孫降臨 新たなる希望】


その後、山幸彦と豊玉毘売の間に
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと )
が生まれ

天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと )の第4皇子の神武が

海神の国・・つまり、北九州の綿津見大神(豊玉彦)の元から
綿津見大神の軍を率いて、進軍し

アマテラスから十種の神宝を授かって大和の地を守っていた饒速日命
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)を服従させて、

九州の「海神の国」から奈良のアマテラスの大和の国に移り住んで、
天(あま)の王「天皇」を名のって統治した

これが【天孫の帰還】

つづく
0668名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:09:13.83ID:oCq3sjk+0
纒向最古級とされるホケノ山古墳の石室床面から布留1式からしか出現しない小形丸底壷が出土していることも重要である。

小形丸底壷が出たホケノ山古墳の築造時期を、庄内式土器期にすることはできない。ホケノ山古墳は 4世紀後半である。

また、『魏志倭人伝』に卑弥呼の都のようすを「居所、宮室、桜観、城柵を厳重にめぐらして、人が居て、武器を持って守っている」と記述している。城柵などの記述があることからこれは環濠集落である。

纒向遺跡をはじめ近畿では、弥生時代後期後半以降には環濠集落は存在しない。この記述に適合するのは九州の弥生時代後期後半の環濠集落がふさわしい。
0669名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:11:41.95ID:eU0ZBfYK0
>>667 つづき

ここまで代々男王であったが

神武の死後、次の天皇を誰にするかで

神武とともに海神の国・・つまり、北九州の綿津見大神(豊玉彦)の元から進軍してきた、綿津見大神(豊玉彦)の勢力は
神武が北九州狗奴国日向の高千穂の宮にいたときに、日向の吾田邑(むら)の小椅(おはし)の娘「アヒラツヒメ」との間に作った子タギシミミにするべきだ

と主張し

進軍してきた神武に服従して、神武に仕えていた
アマテラスから十種の神宝を授かって大和の地を守っていた饒速日命
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)の勢力は
神武が大和に来てから、大和国で出雲のコトシロヌシの娘「イスケヨリヒメ」との間に作った子カムヌナカワミミにするべきだ

と主張し、跡目争いが勃発する
0670ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 11:12:26.01ID:4tM7EciE0
>>662 > 卑弥呼の墓が土を盛っただけと書いてあるのに//
  卑弥呼墓の記載は「大作塚,徑百餘步,徇葬者奴婢百餘人」であり、
石造工作物の有無については情報なしだろ。
一般墓については、「有棺無槨,封土作塚」だが、これだって、盛り土はしてると書いてあるが、
石造工作物の有無については情報なし、の範疇だ。

> 石積みの箸墓を卑弥呼の墓とか言ってるのは詐欺師しかいない//
  お〆は何だか鋭い事でも云ってるツモリなんだろうが、
そりゃスなんだろうから、意図的ではなく、詐欺犯という故意犯罪者でないんだろうな。
従ってお〆は、頭の悪い詐欺師、という事になる。
0671名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:12:51.45ID:oCq3sjk+0
三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏からもらった鏡だとする説がある。しかし、次のような理由から、魏の鏡ではないと考える。

三角縁神獣鏡はこれまでに五百数十面出土しているのに中国からは一面も出土していない。

三角縁神獣鏡の文様は中国南方の呉鏡系の文様で、北方の魏鏡の文様ではない。このことから、中国の考古学者、王仲殊氏、除苹芳氏などは、三角縁神獣鏡を卑弥呼の鏡とすることに強く反対している。

五百数十面出ということは、出土率5%とすると、一万面以上の三角縁神獣鏡が日本にあったことになる。卑弥呼のもらった百面の銅鏡にあてはめるには多すぎる。

材料に含まれる鉛同位体の分析から、三角縁神獣鏡の銅は中国南方のものである。

4世紀以降の古墳から発見される。
0672名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:16:38.91ID:oCq3sjk+0
大塚初重編の『日本古墳大辞典』に古墳の築造推定年代が記されている。景初三年、景初四年、正始元年などの紀年鏡を出土した古墳で、築造年代が記されているものを全て調べると
これらの古墳の築造時期はすべて4世紀中葉から5世紀中葉の期間内であり、中国の東晋の時代にあたる。卑弥呼の時代と100年以上の差がある。

これらの鏡は、4世紀ごろ、中国の東晋(中国南方の南京の地に都があった)と交渉のあったわが国で、東晋渡来の工人の指導のもとで、つくられたものであろう。

「景初四年」の銘のある盤竜鏡が2面ある。晋代の文献に「景初四年」の使用例がある(季刊邪馬台国104号参照)ので、この鏡はとくに東晋の工人が関与した可能性がある。

この時代は、卑弥呼についての記憶をもっていた崇神、垂仁、景行天皇ごろの時代にあたるとみられる。

今回の桜井茶臼山古墳出土の紀年銘鏡を含め、日本で出土した13面の紀年銘鏡に示される年代は、元康□年(291〜299年)、赤烏(せきう)七年(244年)の2面を除く11面が、235〜240年である。

この年代は卑弥呼が活躍し、魏と交流していた期間である。

高島忠平氏は、三角縁神獣鏡は「国内生産」のもので、正始元年鏡は「権力の拠り所を魏に求めようとして作ったにすぎない」と述べているのは、大略妥当と思われる。
0673名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:20:53.30ID:fabLbdpp0
>>632
あきらめろ

箸墓は発掘調査されてないが、黒塚古墳は「発掘調査」されている。
黒塚古墳は3世紀で間違いない。
箸墓も3世紀
0674名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:25:45.29ID:fabLbdpp0
>>634
(紀元1〜2世紀の王墓)伊都国の井原鑓溝遺跡 

この遺跡調査によってこの頃に漢鏡流通の核としての機能が停止(首都機能の喪失)したことが判明してる
邪馬台国時代にはすでに九州に首都はない
0675名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:25:47.13ID:eU0ZBfYK0
>>669 つづき ここからが重要

天皇という地位を巡っての

神武とともに海神の国・・つまり、北九州の綿津見大神(豊玉彦)の元から進軍してきた、綿津見大神(豊玉彦)の勢力と

進軍してきた神武に服従して、神武に仕えていた
アマテラスから十種の神宝を授かって大和の地を守っていた饒速日命
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)の勢力の跡目争いは、

その後8代つづき(欠史8代)

10代目の崇神天皇(すじんてんのう)の時に
天皇の上に「卑弥呼」という女王を共立することで、ようやく終息する

「親魏倭王・卑弥呼」には

【官有 伊支馬(いきま)】
垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコト

【次曰 彌馬升(みます)】
皇后「氷羽州比賣命」ヒバス・ヒメノミコト

【次曰 彌馬獲支(みまかし)】
皇太子(後の第12代景行天皇)妃「美波迦斯毘賣命」ミカハシ・ビメノミコト

【次曰 奴佳醍(ぬはだい)】
皇妃「沼羽田入毘賣命」ヌバタノ・イリビメノミコト
0676名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:27:27.37ID:H4nDiI9W0
>>647
このスレの一連で天の岩戸とデメテルを関連つけている人は初めてみたよ。
邪馬台国論争で語られるときは常に日食との関連でだからね。確かに日食という事象との重ね合わせは一般人には解り易いからね。
ここで重要なのはアマテラスの神的性格だ。
単純に太陽神とのみ理解している人が多いとおもう。確かにそうなのだがもう一つ大事なこと。それが穀霊を授けるものとしての豊穣神的性格だ。
そして、穀霊とは年毎に再生復活を行わなければならないのであり、天の岩戸とはまさしく死者の黄泉と現世とを遮る境界ということだ。
黄泉の国といえば伊弉諾・伊弉冉神話でおなじみだが、天の岩戸神話ではアマテラスと伊弉冉との同化であり、岩戸からの脱出は伊弉諾との同化である。
黄泉の穢れを祓うための禊で生まれたアマテラスは、伊弉諾により、ミクラタナという穀霊を継ぐことになるのだが、このミクラタナは地母神としての伊弉冉の霊力の象徴であり、
アマテラスに授けられることによって、穀霊の復活ととらえることができるのだ。
ついでに言うと
この時点において、具体的に示されるのはアマテラスが任されたのは穀物豊かな高天原であって、天孫降臨とはニニギノ命が穀霊を授かり葦原の中つ国に降り立ち、そこは豊葦原瑞穂国となるということだ。
古事記において天孫降臨に付与された意味とはまさにこれが肝要なのである。
0678名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:35:54.82ID:eU0ZBfYK0
>>667 つづき
ここまで代々男王であったが、神武の死後、次の天皇を誰にするかで

神武とともに海神の国・・つまり、北九州の綿津見大神(豊玉彦)の元から進軍してきた、綿津見大神(豊玉彦)の勢力は
神武が北九州狗奴国日向の高千穂の宮にいたときに、日向の吾田邑(むら)の小椅(おはし)の娘「アヒラツヒメ」との間に作った子タギシミミにするべきだと主張し

進軍してきた神武に服従して、神武に仕えていた
アマテラスから十種の神宝を授かって大和の地を守っていた饒速日命
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)の勢力は
神武が大和に来てから、大和国で出雲のコトシロヌシの娘「イスケヨリヒメ」との間に作った子カムヌナカワミミにするべきだと主張して

跡目争いが勃発し、戦いの末に

神武が大和に来てから、大和国で出雲のコトシロヌシの娘「イスケヨリヒメ」との間に作った子カムヌナカワミミが勝利する

これが【大和の逆襲】
0680名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:37:09.46ID:eU0ZBfYK0
>>678 つづき
天皇という地位を巡っての

神武とともに海神の国・・つまり、北九州の綿津見大神(豊玉彦)の元から進軍してきた、綿津見大神(豊玉彦)の勢力と

進軍してきた神武に服従して、神武に仕えていた
アマテラスから十種の神宝を授かって大和の地を守っていた饒速日命
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)の勢力の跡目争いは、

その後8代つづき(欠史8代)

10代目の崇神天皇(すじんてんのう)の時に
天皇の上に「卑弥呼」という女王を共立することで、ようやく終息する

「親魏倭王・卑弥呼」には

官有 伊支馬(いきま)
垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコト

次曰 彌馬升(みます)
皇后「氷羽州比賣命」ヒバス・ヒメノミコト

次曰 彌馬獲支(みまかし)
皇太子(後の第12代景行天皇)妃「美波迦斯毘賣命」ミカハシ・ビメノミコト

次曰 奴佳醍(ぬはだい)
皇妃「沼羽田入毘賣命」ヌバタノ・イリビメノミコト

これが【大和の夜明け】
0681名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:38:54.38ID:oCq3sjk+0
>>674
邪馬台国は首都じゃないし卑弥呼は戦乱を鎮める為の邪馬台国の象徴天皇みたいな立場なだけで南隣の狗奴国に攻められてたヘタレ国
0682名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:40:46.87ID:oCq3sjk+0
>>670
当時の中国の文献で塚は土を盛っただけの意味な
勉強して出直してこい
0683名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:41:43.69ID:eU0ZBfYK0
>>680 つづき

そののち、天皇の命でヤマトタケルが、天(あま)の王「天皇」に反逆した筑紫の熊曾建(くまそたける)を討伐し、さらにその帰途に、

天孫・・つまり、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の子孫である、天津彦彦火瓊瓊杵尊の
第2子の山幸彦、天津日高日子穂穂手見命(あまつひこ ひこほほでみ の みこと)を追い出した出雲に入る

ヤマトタケルは出雲建と親交を結び、油断させ
出雲建の大刀を偽物と交換して大刀あわせを申し込み、殺し

「やつめさす 出雲建が 佩ける大刀 つづらさは巻き さ身無しにあはれ」と“出雲建の大刀は、つづらがたくさん巻いてあって派手だが刃が無くては意味がない、可哀想に”と歌う

これが【大和の日本統一】
0684名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:42:58.85ID:u4sryLNE0
九州説、それ自体はいいんだ
問題なのは、
「天皇家は九州から出たのだから、九州に大規模国家があって、威風堂々の正規軍があった」
という皇室ファンタジーです

これは、大和王権が宣伝したかったファンタジー神話と同じものですが、
今の時代になっても、他人の権威を美化して、それに依存する人は多い;

とはいえ、「ジンムら、少数の武装難民が食糧を奪いながら、九州から畿内へ東進した」
そういう痕跡は考古学的に残らないので、正規軍の不存在は悪魔の証明ですね
0685名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:44:40.77ID:H4nDiI9W0
>>676の続き
ただ、神とは成立時から様々に変容していく。神的性格が付与されたり分割されたり。
先に書いたアマテラスの神的性格は記紀成立当時のものであり、纏められた其々の説話の成立時には
アマテラスを構成したそれぞれの神格が、どの説話に対応しているのかはフィールドワークによる研究の成果を待たなければならない。
0687名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:51:07.81ID:u4sryLNE0
邪馬台国が大宰府にあっても、何ら問題は無い
なぜなら、邪馬台国という仮想的な宗教自治政府は覇権国には程遠く、
実態は覇権国家たるヤマトの出先機関だからです

新しい広域宗教を使った占領統治
このテストが纏向遺跡であり、実践が邪馬台国

大宰府あたりに大きな神殿が建てられたのは、九州に強大な国家が存在したからではなく、
むしろ弱体で、大和に占領されていたからだと考えられます
(植民地に大聖堂を建てるのは、どこでも同じ)
ですから、邪馬台国をダシにして、九州に強大な王朝があって天皇家は強かった、と主張するのは誤りです
0688名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:51:31.46ID:rczS85y70
邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓との説もある
奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳(3世紀中ごろ〜後半、全長約280メートル)の後円部頂上部分が、
全面に石を厚く積んだ特異な構造だとわかった。
同古墳を管理する宮内庁がこれまで公開していなかった発掘調査の記録を朝日新聞が情報公開請求で入手し、判明した。

 公開された文書は、築造当初の古墳の姿を確認するため、
1968年に同庁が前方部と後円部の頂上付近で実施した発掘調査と、
71年、74年の追加調査の記録と写真。
写真に写った後円部最上段は、全面がこぶし大の丸石に覆われていた。写真を見た複数の専門家が、
最上段は大量の石を積み重ねて築かれていると推定。ほかの古墳には見られない構造だという。

 宮内庁は同古墳を皇族の墓に指定して立ち入りを厳しく制限している。
76年に「書陵部紀要」で同古墳で出土した土器を報告したが、詳細な発掘の記録や現場の写真は公開していなかった。
古墳の測量図は公表されていたが、墳丘の構造はほとんど不明のままで、
今後は過去の調査成果の公表や新たな調査を求める声が高まりそうだ。
0689名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:52:03.36ID:tUx4lrX80
>>612
>日本からしか見つからないのに舶載鏡説が主流とな?

自分で三角縁神獣鏡は中国で見つかったと書いてるだろ
出土ではないが、中国に存在してた可能性が極めて高い

で、中国では1枚しか見つからないことが三角縁神獣鏡を否定する理由になると思ってることが間違い
その理屈で否定できるのは、三角縁神獣鏡のすべてが舶載鏡という説のみだ
舶載鏡は一部で、残りはボウ製鏡という説にはまったく影響ない
0690名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:55:00.82ID:eU0ZBfYK0
>>687
いんや

>>684
いんや

邪馬台国九州説だと、中国の史書と日本の記紀を組み合わせて

>>667
>>678
>>680
>>683

のようなストーリーが組めないので

九州説は、中国の史書と日本の記紀の両方を全否定しなければならない、完全な「妄想」
0691名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:56:46.65ID:tUx4lrX80
>>653
それ古墳の最上段のみが石積み構造になってたというだけなんだが?
古墳全体が石積みではない
古墳のほとんどは土だ
こうやって一部を切り取り、事実を歪曲するのは九州説の常套手段
0692名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:57:56.96ID:eU0ZBfYK0
邪馬台国九州説だと、中国の史書と日本の記紀を組み合わせて

>>667
>>678
>>680
>>683

のようなストーリーが組めないので

九州説は、中国の史書と日本の記紀の両方を全否定しなければならない、完全な「妄想」



国立歴史民俗博物館
Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c
0693名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:58:54.77ID:H4nDiI9W0
>>685
最後にいいたいのは、記紀に見える神統譜をあたかも実在の投影のように語る人が多々いるのだが、
古事記にみることができる神統譜とそれにまつわる説話は、天智・天武においての国家機構の整備のための
天皇の権威の由来、国家の霊的基本構造を定めるために整理・統合されたものであることは明白である。
しかし、その神統譜・それにまつわる説話等々が古代日本の姿・心的情景を垣間見ることのできる重要な資料であることは
否定しない。むしろ注意を払いつつ積極的に活用すべきである。
0694名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 11:59:18.64ID:u4sryLNE0
邪馬台国がヤマトの出先機関とすれば、
ヤマトの中央政府は、邪馬台国の名義での朝貢を嫌ったでしょうね
しかし九州の地元民からすれば、やっぱり朝貢によるステータスが安心材料なんです

この矛盾した力関係の真ん中に立って、派遣官僚のヒミコさんは苦労したと思うよ
0695名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:00:55.18ID:tUx4lrX80
>>662
妄想並べて、魏志倭人伝が間違いだと難癖つけてるだけ
九州説では径百余歩の墓の記述にまったく当てはまらないから
魏志倭人伝そのものを否定するとは論外
0696名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:02:43.41ID:oCq3sjk+0
>>691
頂上のみを調査したから頂上部分のことだけ書いてあるのに
それを頂上のみが石積みだと嘘を吐くのが畿内派
0697名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:06:02.78ID:tUx4lrX80
>>668>>671>>672
それどこからのコピペだ?
20年前、30年前の古い情報ばっかり並んでるが
今では否定されたデタラメのオンパレード
0698名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:06:07.27ID:u4sryLNE0
  天皇家の起源は九州
  日本国の起源は畿内
九州に大規模国家は無く、神武東征は少数の武装勢力がヤマトに奉戴された政変

  邪馬台国は九州
  纏向遺跡はテスト場
統治に広域宗教を必要としたヤマト王権は、纏向で試した新宗教を九州で実践した
0699名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:06:13.15ID:fabLbdpp0
>>681
邪馬台国は首都だし
南隣の狗奴国に邪馬台国が攻められたなんてどこにも書いてない
0700名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:07:00.94ID:oCq3sjk+0
頂上が石積みなら全体が石積みでないと崩れてしまう
前方後円墳は石室があるので石積みでないと崩壊する
前方後円墳の箸墓は卑弥呼の墓でもなく邪馬台国の墓でもない別勢力の墓
崇神か百襲の5世紀の墓が妥当
0701名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:09:38.26ID:tUx4lrX80
>>696
頂上部に2mの厚さの石積みだろが
全部が石積みだったら、あんな樹木が茂るわけないだろ
0702名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:09:43.70ID:eU0ZBfYK0
まぁ

中国の史書と日本の記紀を組み合わせて

>>667
>>678
>>680
>>683

のようなストーリー

だと

綿津見大神(豊玉彦)の時代を含めて
天皇は中国の皇帝に、日本の王だと認めてもらいに行っていた

っつーことになっちまうから、大日本帝国の意向をうけて

学習院教授(1886年 - 1921年)
東京帝国大学文科大学史学科教授(1904年 - 1925年)
東宮御学問御用掛(1914年 - 1920年)

の白鳥庫吉が、1910年に「倭女王卑弥呼考」を著し
中国の史書と日本の記紀の両方を全否定する九州説を造り出したんだけどね
0703名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:10:08.28ID:Akh/gB7/0
以前から思っているけど、具体的な出土物からロジックを組み立てる考古学の観点では畿内説
が多く、その一方、文献からロジックを組み立てる文献学の観点では九州説を唱える人が多い
ような気がする
0704ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 12:11:59.26ID:4tM7EciE0
>>682 > 当時の中国の文献で塚は土を盛っただけの意味な//
  ほぉ、ならば、石造工作物の付随する土盛り墓って、
当時の中国の文献では何と表記してたのかね。
石家 とでも書いてたのかね。
安直に「だけ」なんぞ云うなよ、アフォ
0705名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:12:08.19ID:fabLbdpp0
ダイワとしか読めない大倭(後に大和)を「ヤマト」と読ませるのは
魏志倭人伝の「大倭(邪馬台国のこと)」が大和だからとしか考えられない

中国が考えた「大倭」をヤマトが国名の漢字に採用した
0707名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:13:38.04ID:fabLbdpp0
>>703
まあ、九州説には物的証拠がないからな
文献を解釈するしかないだろう
0708名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:14:49.18ID:eU0ZBfYK0
中国の史書と日本の記紀を組み合わせると

>>667
>>678
>>680
>>683

のような無理がないストーリーになる

しかしそれだと

綿津見大神(豊玉彦)の時代を含めて
天皇は中国の皇帝に、日本の王だと認めてもらいに行っていた

っつーことになっちまうから、

【大日本帝国の意向をうけて】

学習院教授(1886年 - 1921年)
東京帝国大学文科大学史学科教授(1904年 - 1925年)
東宮御学問御用掛(1914年 - 1920年)

の白鳥庫吉が、1910年に「倭女王卑弥呼考」を著し
中国の史書と日本の記紀の両方を全否定する九州説を造り出したんだ
0709名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:14:51.60ID:u4sryLNE0
>>699
邪馬台国がヤマト王権の出先機関とすれば、
邪馬台国が紛争の当事国になる、って事は無かったと思うよ
謀反を起こせば、ヤマト正規軍が鎮圧に来るから;

邪馬台国の位置には諸説あるが、どこも交通の要衝です
田舎の統治には祭政一致が適していますが、
その田舎が独立国なら、太陽を拝む広域宗教ではなく地元の山を拝むべきだし、
鬼道のようにハイカラな信仰と巨大な神殿には、大きなコストがかかります
この事からいって、邪馬台国の信仰は地元勢力ではなく、遠く離れたヤマトの利益に合致します
0711名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:15:55.43ID:tUx4lrX80
>>703
まあ、文献解釈で九州説と言い張ってるのは、九州説の素人さんたちだけで
文献史学の学者は今はほとんど手を引いているか、考古学者の説をそのまま使ってるかのどちらか
ちなみに、文献解釈で九州というのは考古学的物証に矛盾するけど、素人さんたちはそれを知らないからね
0712名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:16:01.73ID:DBEqy31Z0
専門家はほとんどが畿内説だろ
九州説なんて言ってるのはトンデモ学者と村おこししたい素人だけ
0713名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:16:28.26ID:OiAcm3Tn0
・南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
・自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳
・自女王國以北 特置一大率檢察

倭人伝には、邪馬台国が伊都国の南にあると判断できる箇所が三つもある
畿内説はちょっと難しいかな
0714名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:16:42.85ID:wp8h3LOC0
>>660
三種の神器は九州で発掘されてるから、九州が発祥だろう
0715名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:17:28.23ID:oCq3sjk+0
邪馬台国が大和の出先機関なら狗奴国との戦乱で魏に助けを求めるはずがない

其八年 太守王頎到官 倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和 遺倭載斯 烏越等詣郡 說相攻擊狀 遣塞曹掾史張政等 因齎詔書 黃幢 拜假難升米 爲檄告喻之 
0716名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:18:07.59ID:u4sryLNE0
>>699
邪馬台国は首都ではなく、覇権国家ヤマトの出先機関だと思うよ
充分に大きな地元勢力があったとしても、あの広域信仰は地元の利益と合致しない

仮に九州にヤマト並みの広域国家が存在し、背後に穀倉地帯があったのなら・・・・・
そんな仮定は成り立ちません   出土遺物がありませんから
0717名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:18:48.63ID:eU0ZBfYK0
九州説は

具体的な出土物からロジックを組み立てる考古学にも基づかない
文献からロジックを組み立てる文献学にも基づかない

大日本帝国が産み出した「神話」なんだよ

>>708
0718名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:19:19.75ID:fabLbdpp0
>>710
知識ないのね。可哀想
0719名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:20:39.36ID:tUx4lrX80
>>710
ソース不明のコピペにマジレスするのもアホらしいが、とりあえず1つ出しておく
三角縁神獣鏡は3世紀後半の黒塚古墳からも出土している
上の方に誰からソースを貼ってるだろ
0721名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:20:53.70ID:fabLbdpp0
>>716
邪馬台国は女王のいる首都だよ。そう書いてあるだろ
邪馬台国は奈良だし
0722ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 12:21:03.59ID:4tM7EciE0
>>696
> 頂上のみを調査したから頂上部分のことだけ書いてあるのに
それを頂上のみが石積みだと嘘を吐くの//

少なくともアンタは、頂上部のみの調査という認識前提で、
頂上部以外の状態に憶測を言い立ててる嘘つき、という事になるけどね。
0724名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:23:21.78ID:oCq3sjk+0
>>721
魏志倭人伝に邪馬台国は帯方郡から一万二千里と書いてある
九州以外は不可能
0725名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:24:29.88ID:u4sryLNE0
天皇家は昔から強かった!

結論ありきの『美しい歴史』に依存するから、九州説の変な文献解釈が横行するのですね
物証で語ればヤマトこそが日本国の源流であり、天皇家は九州から婿入りした系統なのです

神道には縄文以来の古層に、ヤマト王権が推進した新宗教(太陽信仰)が乗っています
纏向遺跡でテストされた新宗教が、九州で邪馬台国として実施されたのでしょう
大きな神殿は、それが新しい時代に建てられたことを意味しますから、
邪馬台国は九州に覇権国家があったことを否定する材料です
0726名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:25:02.27ID:fabLbdpp0
>>724
魏志倭人伝に邪馬台国は北部九州から水行30日と書いてある
北部九州は不可能
0727名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:25:46.66ID:eU0ZBfYK0
九州説は

具体的な出土物からロジックを組み立てる考古学にも基づかない
文献からロジックを組み立てる文献学にも基づかない

大日本帝国が産み出した「神話」なんだよ

>>708

九州説者は、大日本帝国が産み出した「神話」を信じている信者

だから

考古学的に、具体的な出土物から反論しても
文献学的に、中国と日本の文献から反論しても

九州説者は九州説を唱えるんだ
0728名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:26:34.20ID:OiAcm3Tn0
大和の弥生集落の消滅についての寺澤さんのことば

「これまで連綿として経営されてきた母集落の消滅であり、また、母集落を核とした基本的な地域的統一体であった基礎地域の解体である。
これは大きな政治的権力によって一方的な政治的再編 (あるいは軍事的・宗教的統合)を余儀なくされる過渡的な状況を示しているのではないだろうか。
さらに高地性集落の消滅問題がある。大和では第五様式をもって高地性集落の消滅があり、低丘陵上の集落もこれに相応して消滅する。」

大和が覇権国とかw
大和は外部勢力により支配された側
その勢力が吉備なのか筑紫のなのか、その時点で王都が移っていたのかが焦点だよ
0729名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:26:41.93ID:fabLbdpp0
>>723
発掘調査されて3世紀だからあきらめろ
あきらめられないなら正式な発掘調査結果をくつがえす5世紀の根拠を出しなさい
0730ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 12:28:24.76ID:4tM7EciE0
>>720 > それは墳と書かれている//
  はァ? 墳も普通に、
1 盛り上がった土。堤や丘。「丘墳」
2 土を盛り上げて造った墓。
なんて説明されてるぞ。いい加減だなお〆は。
自分で勝手に法律作るのは頭が悪くて結構だが、莫迦は身の程を弁えなよ。
0731名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:30:12.97ID:oCq3sjk+0
>>726
魏志倭人伝は帯方郡の役人が書いたから全て帯方郡が起点
帯方郡から南に水行20日で投馬国=殺馬国=薩摩国
帯方郡から水行10日は九州北端。馬も橋もトンネルも無い時代で前も見えないくらい草木が生い茂った中を歩いたと書いてあるから、川が細い日田まで遡って東側に海がある宇佐まで一月かかる
0732名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:30:25.94ID:tUx4lrX80
>>723
学問を否定して、ド素人が根拠も証拠もなし言い張るだけになってきたな
九州説をごり押しするためには、教科書レベルの日本史さえ否定するトンデモに過ぎない
0734名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:32:05.84ID:oCq3sjk+0
畿内説は邪馬台国が魏志倭人伝に帯方郡から一万二千里は、どう説明するの?
0735名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:32:40.41ID:tUx4lrX80
>>724
アホなの?
帯方郡から一万二千里が正しいなら赤道付近だ
それを九州と言い張るのは、黒を白と言い張ってるのと同じ
こんなやつばっかりだな
0736名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:33:30.88ID:u4sryLNE0
>>721
ヤマト王権の首都は奈良あたりで持ち回りだった
豪族の屋敷を『宮』に指定し、軒飾りを掲げただけ

これに対し、纏向遺跡は豪華な宮殿で、しかも通年運用された
しかしこれはヤマト王権の求める新宗教を実験する施設であり、
三輪山の祟りがなく、実務にも問題なかったので、実施段階に入り、
豪華な宮殿は解体され、首都から離れた地域に持ち去られた

大宰府に邪馬台国があったとすれば、それは政治的にヤマトの出先機関ですよ
ただし想定外もありました
大宰府の地元民は大和王権の安全保障を全面的には信用せず、旧来の朝貢をヒミコに続けさせたのです
0738名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:35:36.52ID:WgGwEiGy0
纏向編年が間違ってるから三角縁神獣鏡も間違う
1970年代に決めたこととかマジで見直すべき
0739名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:36:22.33ID:oCq3sjk+0
>>735
帯方郡から狗奴韓国まで7千里と書いてある
九州北端まで一万里
残り2千里しかないのに嘘しかつかない畿内派
0740名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:37:42.74ID:u4sryLNE0
>>728 無いよ

神武東征で少数の軍隊が大和に婿入りしたのが最大であり、
ヤマトが外地の覇権国家に征服された事実は無いよ
あったら、膨大な考古遺物が物語っているはずで、九州によるヤマト征服は『無い』

軍隊が動くなら、相応の穀物生産が必要であり、それは考古学的に残る
そういう物証の無い『大国』を歴史のIFにはできないなぁ・・・
0743名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:40:26.39ID:fabLbdpp0
>>731
>魏志倭人伝は帯方郡の役人が書いたから全て帯方郡が起点

こういう中国の学者がぜったい採用しない説はトンデモ説としか言いようがない
0744名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:42:23.57ID:u4sryLNE0
歴史や神話には『嘘』が多い
しかし、嘘だからといって否定するのではなく、
どういう政治的配慮によって、その嘘が決定されたのか・・・・そこまで掘り下げる必要がある
0745名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:53:25.69ID:u4sryLNE0
ここでキーになる情報があるかもしれない

三輪山の神様がお怒りになった(/お喜びになった)記録が、
神社の記録に残っていないかな? 後に仏教説話化された伝承でもいい
纏向遺跡がどのように評価されたのか、三輪の大神に聞くのが早い
0746名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 12:57:04.30ID:mFnAj3uZ0
>>1
決着しない方が本が売れるからどうでもいい
0747ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 13:03:23.15ID:4tM7EciE0
>>737
> 今の日本語ではなく当時の中国の文献見てから勉強し直してこい//
  だからさ、当時の文献では、塚は石造工作物を排除するという概念は、
どの様に定義されてるんだよ。お〆の膿味噌って、云い貼るだけのシロモノだね。

>>739 > 帯方郡から狗奴韓国まで7千里と書いてある//
  だからさ、その部分もね、
ソウルからプザンまで7千里(3500km)もあるわけないだろヴォケ、
と書いてあるんだよ。むろん、ソウルから日本のどの地点までであっても、
1万2000里(6000km)もある訳もない。

「循海岸水行,歷韓國,乍南乍東,到其北岸狗邪韓國,七千餘里」
海岸沿いに、ズズ〜と南へ行ってズズ〜っと東へ行って3500km、
ンなわけないだろ、と書いてあるんだよ。
「乍南乍東」という表記の、揶揄的な言い回しに気づけよな。

ノッケの「倭人在帶方東南大海之中」だって、
倭人は太平洋のド真ん中に住んでいる藁、の意味だ。
大河である江が揚子江で、河が黄河なら、大海は太平洋だ。

「計其道里,當在會稽東治之東」
会稽(現在の紹興)の緯度は、九州最南端に一致する。
東治(東冶:現在の福州)の緯度は、台湾最北端に一致する。
會稽東治之東は、小さな島嶼しかない海域だ。
そんなとこが倭国の訳ないだろと云って、オチを付けている。

むろん、九州最南端と台湾最北端に上陸して、北極星の仰角を測定し、
緯度を確定した上での結論だし、地球は丸くて、その円周を把握していた、という事になる。
0748名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 13:07:48.69ID:Dr3jBsPR0
記紀には神異とか奇怪な話は多いが時代が下るにつれ順調に減少する。しかし時代からぶっ飛んだ特異な伝承もまたいくつかあって例えば「雄略天皇、一言主大神と会う」記事だろうか。
この伝承の解釈だが、後世生まれた物語などではなく歴史事実と解釈すべき。想像するに、原古事記的世界に生きていた人びとにとってこの雄略天皇の所業は大変に困った事であっただろう。雄略天皇、顕宗天皇と言う二人の困り者を経て古事記本文は終了する。
時代は変わる。六世紀が近づく頃、古事記的世界もまた黄昏の時を迎えたのであった。(詩的に)
0749名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 13:08:31.59ID:u4sryLNE0
>>747
うん・・・・歴史を勉強してね   薄っぺらな知識では、ひどい恥をかくから・・・
0750名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 13:10:17.16ID:i0+g/UeV0
オマエラ良く妄想出来るなwww
0751名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 13:11:53.25ID:WgGwEiGy0
アマテラスが天岩戸に隠れたきっかけ

古事記
天照大御神が機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、
建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて、
皮を剥いだ馬を落とし入れたため、
驚いた1人の天の服織女は梭(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった。

日本書紀
素戔嗚尊が皮を剥いだ天斑駒を投げ込んだ。
すると、天照大神は驚いて梭で自分を傷つけた。

日本書紀 崇神天皇10年9月
百襲姫は三輪山の大物主の妻だったが
大物主は夜しかやって来ず昼に姿は見せなかった
百襲姫が明朝にご尊顔を見たいと願うと
翌朝大物主は櫛笥の中に小蛇の姿で現れた
百襲姫は驚いて叫んだため
大物主神は恥じて人の姿になって
「汝が私に恥をかかせたので、私も汝に恥をかかせよう」
そう妻に言って天を翔け三輪山に帰ってしまった
百襲姫はこれを後悔して急に座り込んだ時に
箸が陰部を突いて死ぬ
大きな墓が作られて人はその墓を箸墓と言った

爰倭迹迹姫命仰見而悔之急居。〈急居。此云菟岐于。〉
則箸撞陰而薨。
乃葬於大市。故時人号其墓。謂箸墓也。
0752ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 13:12:05.02ID:4tM7EciE0
>>749
> うん・・・・歴史を勉強してね   薄っぺらな知識では、ひどい恥をかくから//
  で、私の書いてる事の、どこが矛盾してるのかね、エテ公。
鳴いてるだけでは死沼で莫迦は治らんぞ、寡頭生物が。
0753名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 13:18:03.09ID:eU0ZBfYK0
>>739
九州なんかいかないから、距離もぼぼあってるよ

魏(220年 - 265年)の時代  
対馬國 − 一大国(隠岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(摂津住吉)−投馬国(近江)を経て邪馬壱國(奈良)
0754名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 13:24:28.66ID:vYFsPzDj0
>>753を見たら畿内説も落ちたなと思う。
0755名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 13:27:41.94ID:vYFsPzDj0
>>731
魏志倭人伝は帯方郡の役人目線で書かれてるよね
里数行程も日数行程も起点が帯方郡なのは当然ですね。
0756名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 13:31:03.80ID:vYFsPzDj0
>>741
里数は正しいよ
韓が方4000里だから東夷伝の1里80mくらいで書かれてるな。
0757ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 13:32:15.73ID:4tM7EciE0
>>753 > 九州なんかいかないから、距離もぼぼあってるよ//
  ソウルから1万2000里(6000km)って、
日本のいったいどこの地点と距離が合うっていうんだよ。
短里なんてトンデモを引っ張り出すのかね。
>>747 後段記載の通りで、当時の中国は、緯度という概念を把握していて、
地球円周から距離の単位である里を決定してるんだよ。
帯方郡から1万2000里というのは6000kmなのであって、
日本のどの地点にも該当しない、と魏志は断じて、張政報告を嘲ることにより、
それを主導していた、政敵の曹爽を貶めているんだよ。
0758名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 13:32:49.28ID:eFDym7Ah0
よく広辞苑の語義引いて「言葉の使い方が間違ってる!」というやつがあるが、「でもここで実際使われてるじゃん?」で終わりなんだよな

度量衡も似たようなもん
0760名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 13:36:47.05ID:eU0ZBfYK0
>>757
んなこといったら

「奈良よりもっと近い九州」なんて【まったく可能性ゼロ】じゃん(笑)
0761ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 13:37:34.01ID:4tM7EciE0
>>756
> 韓が方4000里だから東夷伝の1里80mくらいで書かれてるな//
  そんな距離単位は存在しない。>>757 で書いたとおりだ。

>>754 > 753を見たら畿内説も落ちたなと思う//
  邪馬台国がどこにあったと思い込むのかに関わらず、
道程記載をマに受けてる者は、評価できないのだが。
0762名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 13:39:03.67ID:4tM7EciE0
>>759> 東治と東冶を間違えてる大馬鹿は勉強して出直してこい//
0763名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 13:41:32.04ID:f5S9ZDZa0
三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡だと京大の偉い学者が昔に言っていたが、今は全否定され
てるらしいね。実は国産鏡だったとか? 違うの?
これからも、いわゆる定説が覆ることがどんどん出てくるだろうから決めつけはしな
いほうがいいね。
0764名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 13:42:38.22ID:eU0ZBfYK0
なっ、やっばり九州説は

具体的な出土物からロジックを組み立てる考古学にも基づかない
文献からロジックを組み立てる文献学にも基づかない

大日本帝国が産み出した「神話」>>708

だろ

九州説者は、大日本帝国が産み出した「神話」を信じている信者

だから

考古学的に、具体的な出土物から反論しても
文献学的に、中国と日本の文献から反論しても

九州説者は九州説を唱えるんだ
0765ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 13:47:02.42ID:4tM7EciE0
>>759  東治と東冶を間違えて大馬鹿は勉強して出直してこい//
  東治・東冶の表記のブレには理由があるんだよ。
王郎・王朗という人物が関与している。
序に云えば、邪馬台国・邪馬壱国、台与・壱与の表記ブレにも理由がある。
まぁ、お〆みたいなエテ公に云っても生姜ないけどな。

>>762は編集途中での誤送信。
0766名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 13:48:27.27ID:ngw9Kxvl0
>>301
>しかし大陸の覇権争いが激化したことで、韓国側に住む倭人は日本側へ追いやられたが、
>大和を建国して力を蓄え、韓国側の利権を拡大すべく努力した。

貴方の結論は、前後関係がなく、意図的に誤解を生むようにも見える。相当な部分を省略し、
または混乱を招く書き方になっている。
倭人が、韓半島の国家の要人(総理大臣クラス)として、働いていた。
 三回以上の倭人と半島側の戦闘があり、しかも、半島側が、三韓(秦韓>辰韓>新羅、弁韓
>加羅・任那、扶餘族>馬韓)戦闘からの類推だと思う。
 日本列島に既に居住していた所謂倭人が、朝鮮半島・韓半島に進出したという記述が、
12世紀以降に書かれた、朝鮮・韓国側の資料の三国史記にはっきりと書かれている。
 朝鮮半島から、多くの人質として、または、政治亡命をした難民として、大和朝廷が受け入
れた。

秦の時代に、徐福が5000組の幼い男女のペアーを日本列島と思われる東方の地に、『暢艸』
と言う不老長寿の薬があるという自作自演のデマかもしれないが、そういった情報を手に入れ
たということは、どうやるの。おそらくは、日本のイトカワ(糸魚川)産出の硬性翡翠が、中国で重
宝されている事実を考えると、日本列島から情報を持った人類が遣ってきたということになる。
対馬海峡は、大変に潮流が速く、朝鮮半島の住民の力では、渡れない。なので、日本列島には、
特別な技術を、特殊な文化を持った人類が居たとうことになるのです。それが、秦代に既に知
られていたのです。
0767名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 13:49:54.65ID:eU0ZBfYK0
日清戦争 1894年(明治27年)に勝利した大日本帝国は

中国の史書と日本の記紀を組み合わせると

>>667
>>678
>>680
>>683

のような無理がないストーリーになる

ことか、とにかく嫌だったのよ

綿津見大神(豊玉彦)の時代を含めて
天皇は中国の皇帝に、日本の王だと認めてもらいに行っていた

っつーことになっちまうから・・・

んで【大日本帝国の意向をうけて】

学習院教授(1886年 - 1921年)
東京帝国大学文科大学史学科教授(1904年 - 1925年)
東宮御学問御用掛(1914年 - 1920年)

の白鳥庫吉が、1910年に「倭女王卑弥呼考」を著し
中国の史書と日本の記紀の両方を全否定する九州説を造り出したんだ
0769名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 13:50:52.54ID:tUx4lrX80
>>756
里数は正しいと自分で書きながら、
直後に、韓が方4000里だから東夷伝の1里80mくらいと矛盾したことを書いている
度量衡の捏造は不可
0770名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 13:51:23.71ID:WgGwEiGy0
>>763 完全否定ということではない
年代について意見が分かれてる

昭和にできた編年を今も使ってるせいでずれてるけど
将来見直されたら卑弥呼の鏡になる可能性が十分ある
0771名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 13:54:37.84ID:eU0ZBfYK0
日清戦争 1894年(明治27年)に勝利した大日本帝国は

中国の史書と日本の記紀を組み合わせると

>>667
>>678
>>680
>>683

のような無理がないストーリーに【なること】・・・が

とにかく嫌だったのよ

綿津見大神(豊玉彦)の時代を含めて
天皇は中国の皇帝に、日本の王だと認めてもらいに行っていた

っつーことになっちまうから・・・

んで【大日本帝国の意向をうけて】

学習院教授(1886年 - 1921年)
東京帝国大学文科大学史学科教授(1904年 - 1925年)
東宮御学問御用掛(1914年 - 1920年)

の白鳥庫吉が、1910年に「倭女王卑弥呼考」を著し
中国の史書と日本の記紀の両方を全否定する九州説を造り出したんだ
0773名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:00:59.20ID:eU0ZBfYK0
だから【九州説は学問ではない】んだ

日清戦争 1894年(明治27年)に勝利した大日本帝国は

中国の史書と日本の記紀を組み合わせると

>>667
>>678
>>680
>>683

のような無理がないストーリーに【なること】

を、とにかく嫌った、日清戦争 1894年(明治27年)に勝利した大日本帝国がひろめた

プロパガンダ

なんだよ
0774名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:02:06.05ID:P8cMoxom0
>>763
三角縁はかなり不自然だからな
国産の可能性が高い

下賜鏡は他の方角規矩鏡とかの方だろう

とは言っても国産だとしても大和に邪馬台国があった事に何の問題もないけどね
むしろ意図的に鏡を作って配布してる主体が明らかになるわけだからね
0776名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:02:58.40ID:oYHQFSOG0
>>670
当時の庶民の埋葬の仕方が
有棺無槨 封土作冢(棺はあるが槨は無く土を盛る)

卑弥呼が死んだことに対する描写は
卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人
大きさと殉葬者についてしか触れられていない。

卑弥呼の埋葬については、棺や槨の有無は書いてないから、一般人と同じだろうという推測で
棺があり、槨はないに違いないとされてるが、果たして本当にそうなのかな?

一般人には殉葬者なんて当然無く、王の埋葬が特別仕様なことは間違いないわけだから、卑弥呼の墓に槨が無いとは断定できないんだがな。
0777名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:03:17.63ID:WgGwEiGy0
庄内式土器や布留式土器や三角縁神獣鏡の編年を
昭和に決めたやつを今も使う
箸墓は280年〜4世紀初め
・奈良県立橿原考古学研究所
・現在の定説(暫定)
・九州説

昭和の編年を新しく見直そうとしている
箸墓は240〜260年
・国立歴史民俗博物館
・桜井市纒向学研究センター
・畿内説
0778名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:05:07.79ID:eU0ZBfYK0
だから【九州説は学問ではない】んだ

中国の史書と日本の記紀を組み合わせると

>>667
>>678
>>680
>>683

のような無理がないストーリーに【なること】

を、とにかく嫌った、

日清戦争 1894年(明治27年)に勝利した大日本帝国がひろめた

プロパガンダ

なんだよ
0779名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:06:16.43ID:eFDym7Ah0
具体的な記述からロジックを組み立てれば、短里が使われていることがわかるよな
0780名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:06:50.22ID:OiAcm3Tn0
そのプロパガンダ風のコピペ連投はギャグなのかw
0782名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:12:35.98ID:eU0ZBfYK0
綿津見大神(豊玉彦)の時代を含めて
天皇は中国の皇帝に、日本の王だと認めてもらいに行っていた

よな?

畿内説「学問的には、それが現実」
九州説「認めるわけにはいかん」
0783longinus_bouz ◆bq94Vh60JQ
垢版 |
2019/08/04(日) 14:12:47.44ID:4tM7EciE0
>>771
> 白鳥庫吉が、1910年に「倭女王卑弥呼考」を著し
中国の史書と日本の記紀の両方を全否定する九州説を造り出したんだ//

古墳編年もなく、三角縁神獣鏡の分布についても知られてなかった時代のはなしなのだから、
別段、九州説という見解があっても構わないのでは。
内藤湖南の方だって、卑弥呼墓と箸墓・モモちゃんを紐づけてはいなかったんだし。

いわゆる内藤白鳥論争では、道程記載には何らかの錯誤があるとの同意があって、
それは抜きにして考えてるんだから、その点は両者評価すべきだと思う。
逆に言えば、道程記載に振り回されてる人たちって、邪馬台国の所在をどこに求めるかに関わらず、
この時代から一歩も進歩していない、という事になるけどね。
0784名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:13:46.02ID:eU0ZBfYK0
綿津見大神(豊玉彦)の時代を含めて
天皇は中国の皇帝に、日本の王だと認めてもらいに行っていた

よな?

畿内説「考古学や文献に基づく学問的には、それが現実」
九州説「考古学や文献なんかクソ食らえ、認めるわけにはいかん」
0785名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:16:18.49ID:H4nDiI9W0
>>740
神武東征について考えてみよう。
神武東征で重要なのは紀ノ國熊野からの侵入ということだ。
IFで、河内の海にはいれなかった一行は南を迂回しようとするわけだが、はたして熊野まで回る必要があっただろうか。
紀の川、有田川・日高川・熊野川とあるなかで熊野川を選んだ理由。
紀の川から有田川に至る紀北地域では、ナクサトベなどとの交戦が記録されるが、ここはどれ位さかのぼれるかはここでは避けるが、
古くから紀氏などの有力豪族の本拠であることから、相応の文化先進地であったことがうかがわれる。
河内の海からの大和地域への航海が難しかったという当時であれば、西からの海路での正規ルートとしては紀の川をさかのぼることであったであろうことは
充分かんがえられる。
日高川については竜神地域から十津川・吉野。それか、竜神地域から花園村、紀の川流域に至る道。
ちなみに河口付近にはヤタガラスにかかわる民話がのこっているが、これは熊野参詣が盛んであった時代に生まれた可能性もある。
0786名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:17:56.61ID:ngw9Kxvl0
>>763
>三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡だと京大の偉い学者が昔に言っていたが、今は全否定され
>てるらしいね。実は国産鏡だったとか? 違うの?
 色々言っている。 WIKI 参照。

冶金学的な、例えば、スペクトル分析(同位体を含む)錫、鉛、(Si,Ti,Fe,Ni,Cu,Zn,As,Sn,
Sb,Au,Hg,Pd,Bi)等の組成から、中国製であることが解っている。一つの鋳造一つしかでき
ない。一つの親鏡から、型取りをするので、サイズが変わる。タダでさえ、多かった三角縁神
獣鏡が、500枚を越えために、また、明帝曹叡帝が、亡くなったのが景初三年一月で、景初
3年間が数ヶ月しかない筈?なのに景初3年と言う三角縁神獣鏡があるために、国産品だ
ということになった。しかし、今の日本の元号制定過程と違い、中国は魏呉蜀の三国時代
で、元号の決まりがはっきりしない。ただ、中国では景初年号では、3年の鏡が出てこない
のが問題になっている。

 放射性同位体の分析までするとはっきりと分かるが、呉から技術者を日本に渡来させて
作ったとか、材料は、別の中国製の鏡を集めて、溶かして混ぜて作ったとか、色んな事を言
っている。最初に言った者勝ち。
0787名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:19:08.88ID:tUx4lrX80
>>777
>箸墓は280年〜4世紀初め
>・奈良県立橿原考古学研究所
>・現在の定説(暫定)

これは違う
寺沢氏が橿原考古学研究所いた20年くらい前に唱えてた年代観じゃいか?

教科書で使われている年代がもっとも一般的な編年であり
古墳時代の始まりは3世紀中頃から後半と書かれている
0788名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:19:13.35ID:P8cMoxom0
文献は同時代の複数の資料を読み合わせてその内容を探っていくもの
裏の取れない本一冊の珍解釈で「真実を見抜いた!」とか言い出す時点で学問でも何でもない

まぁだから素人が「我こそが真相を解き明かした!」とか意味不明な妄想を引っ提げて群がってくるんだろうな

本だけじゃ話にならないから考古学と併用していく事になるわけだ
0789名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:20:21.84ID:eFDym7Ah0
道程記載に錯誤がある、から一歩も進歩してないわけかな
0790名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:22:34.48ID:jyF28KXa0
九州からは邪馬台国の時代の古墳がまったくでないからなぁ
魏志倭人伝の水行陸行の期間の記述からも奈良だね
方角がまちがってただけ
魏志倭人伝以降の新しい地図でも方角を間違えた地図は存在する
これは1402年の混一疆理歴代国都之図
http://scoby.blog.fc2.com/img/KangnidoMapcc.jpg/
0791名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:23:50.20ID:vO/sjsX90
大和国の最初の王であるニギハヤヒは三河県豊橋市出身の可能性が高い


ニギハヤヒの天孫降臨ルート
三河→伊勢→熊野→河内(天孫降臨)→大和


三河県豊橋市の石巻山は三輪山の奥の院であると大神神社の社伝に書いてある

神社の拝殿は三輪山の正面に向いていない、三輪山の南側にズレている

実は三輪山の奥の院、豊橋市の石巻山(神山)に向いているわけだな
0792ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 14:27:18.74ID:4tM7EciE0
>>776 > 卑弥呼の墓に槨が無いとは断定できないんだがな//
  卑弥呼墓・箸墓の槨の有無については何も云っていない私に、
そんな事を振られても困るのだが。
墓のサイズと殉葬者の存在だけを書けば、卑弥呼墓のID情報として十分だと、
張政は判断したんだろうな、と私は考えるだけで。
実際に箸墓が調査されて、槨が確認されれば、ああ、あったのか、
確認されなければ、なかったのかもね、と思うってだけのハナシでさ。
0793名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:28:13.36ID:ngw9Kxvl0
>>769
>度量衡の捏造は不可

この頃は、10倍するのが公文書の決まりだった時代ですから、かなりオカシナ事を記述して
いるか、そういったものを参考にしている可能性がある。遣っている。

文献学的には遣り尽くされているという専門家が少なくない。
0794名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:28:18.64ID:vO/sjsX90
>>302
尾張の田舎者か?

最大の皇室御領は三河国にあった
松平のその皇室御領で発祥した



松平郷に地の力があるのは流石は最大の皇室領と言うしかないですなw
出自の悪い田舎者は見抜けず、何もない山の中に見えるらしいが



■三河国高橋荘・高橋新荘

豊田市ほぼ全域とみよし市は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した


・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?


・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる
0795名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:31:06.65ID:kzGbt13k0
三角縁神獣鏡ってロボのパワーアップアイテムみたいな名前でカッコイイよな
0796名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:32:29.63ID:lmQj9qMM0
で、魏志倭人伝そのものが信用に足る理由は誰かが説明済みなのか??
USO800書いてあるかも知れないという可能性は??
0797名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:33:14.09ID:H4nDiI9W0
>>785
さて、熊野川であるが、ここでは熊野本宮からかんがえてみたい。
本宮については神仏習合時代の影響もかなりのものなので、取り扱いも慎重でなければ
ならないのだが、本宮設立にかかわると思われる初代熊熊野国造が東国系の豪族であること。
熊野から奈良盆地に至る説話では物部氏の影響がみられること。等を鑑みると、
これは東征というよりも、伊勢・東海地域と熊野地方との関わりを示す為の説話であると考えられる。
長くなるので私見の結論を述べると神武東征説話は幾つかに分けてみるべきではないか。
1、海幸山幸神話から、日向出立まで。
2、九州東岸から瀬戸内河内に至るまで。
3、河内でのナガスネヒコとの闘い。
4、紀北地域の侵攻
5、熊野から奈良盆地に至るまで。
6、奈良盆地での在地勢力との闘い。

この6つは其々別の説話であり、かんがえなくてはそれぞれの意義があるので、分けてかんがえなくては
いけないということだ。
0798名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:35:58.48ID:eFDym7Ah0
「邪馬台国はヤマト国! ヤマトは大和=奈良!」
「その邪馬台国て何や?」
「お前魏志倭人伝も知らないのか?!」
「魏志倭人伝は信用ならんちゃうんか?」
0800名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:41:08.01ID:eU0ZBfYK0
>>785
とても簡単な話

神武は、アマテラスの養子となったスサノオの5皇子の子孫

紀ノ國は、大屋毘古神(おおやびこのかみ)つまり、スサノオ息子の五十猛神(イソタケル)の国

だからだよ


八十神の迫害を受けた大国主も

大国主の母である母親の刺国若比売(サシクニワカヒメ)から
紀ノ國の大屋毘古神(オオヤビコ)つまり、スサノオ息子の五十猛神(イソタケル)の国へ行かされて

大屋毘古神(オオヤビコ)つまり、スサノオ息子の五十猛神(イソタケル)がさらに

父親のスサノオのいる根の堅州国の須賀(すが)の地(中国・山陰地方にある島根県雲南市)に、大国主を逃がしている
0801名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:43:38.85ID:eU0ZBfYK0
訂正

>>785
とても簡単な話

神武は、アマテラスの養子となったスサノオの5皇子の長男の
天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと、天忍穂耳命)の子孫

紀ノ國は、大屋毘古神(おおやびこのかみ)つまり、スサノオ息子の五十猛神(イソタケル)の国

だからだよ


八十神の迫害を受けた大国主も

大国主の母である母親の刺国若比売(サシクニワカヒメ)から
紀ノ國の大屋毘古神(オオヤビコ)つまり、スサノオ息子の五十猛神(イソタケル)の国へ行かされて

大屋毘古神(オオヤビコ)つまり、スサノオ息子の五十猛神(イソタケル)がさらに

父親のスサノオのいる根の堅州国の須賀(すが)の地(中国・山陰地方にある島根県雲南市)に、大国主を逃がしている
0802longinus_bouz ◆bq94Vh60JQ
垢版 |
2019/08/04(日) 14:50:12.67ID:4tM7EciE0
>>786
> 中国では景初年号では、3年の鏡が出てこないのが問題になっている//

景初3年銘の紀年が忌避されているという事実があったとすれば、
司馬仲達と曹爽の権力闘争を慮っての事だと思えるのだが。

明帝の次の曹芳って子、出自がはっきりしない様だ。
曹芳押しは曹爽で、司馬仲達は即位を認めていなかった、様に思える。
とすれば景初3年という年は、改元がなされるかも知れないが、
仲達の意見が通って、景初年間が続くかもしれない、という状況だった事になる。
ウッカリと景初紀年鏡なんか、作れなかったんじゃないかな。

なお、この状況は翌年まで続いたので、景初四年鏡なんかも出来たんだと思う。
まぁ、結構腹が座っていないとできないことかもだが、鏡師さんは仲達押しだったのかな。
0803名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:51:56.06ID:ngw9Kxvl0
>>790
>九州からは邪馬台国の時代の古墳がまったくでないからなぁ
>魏志倭人伝の水行陸行の期間の記述からも奈良だね

九州説では前方後円墳型の古墳が出てこないから無理で、それらしい卑弥呼の古墳が出て
いる大和説では、正しいという事か。

 生き埋め?の代わりの埴輪が出てくる前方後円墳型古墳は、嘘だと思う。
三國志 魏書三十 烏丸鮮卑東夷傳第三十では、
>卑彌呼以死,大作塚,徑百餘步,徇葬者奴婢百餘人。

円墳で、100人以上の徇葬者とは、生き埋めのことか。そんな古墳が発見されているのか。
教えてほしいぞ。
 生贄なのか、殺した後に、共に埋葬されたのか、犠牲の方式が知りたい。
生き埋めにされた時代などは、古墳とか作らないと思う。

  
0804名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:56:10.61ID:H4nDiI9W0
>>801
長いがコレを読んでみてくれ。

>>676 >>693

其の上で、記紀に書かれている出雲神話の神統譜・伝承も同じことがいえるんじゃないか。
しかし、天津神と国津神の、神々の二重構造については私見は余りに長くなるから控えるが。
0805名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:57:32.31ID:oCq3sjk+0
宇佐神宮の本殿が建つ亀山は径百歩
本殿の地下に石棺が埋まっている
すぐ近くに百人の殉葬者を祀る百体神社がある
宇佐神宮の元宮である大元神社がある身許山の山頂には古神道の太陽を使った祭祀場だった磐座がある
0806名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 14:59:00.28ID:P8cMoxom0
・裏も取れない本の珍解釈
・神話と安易に結び付けて真相だとか言い出す
・地名を無理やり当てはめて所在地だとか言い出す

素人がはしゃいでるのがよく分かる
0807名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:03:19.73ID:eFDym7Ah0
里とか歩とかが、面積の単位なのか距離の単位なのか

300歩=1里とか360歩=1里とか言ってたときに、それが面積の換算だったのなら、距離の換算に使うときには平方根にしないといけないはずだが
中国史の先生方はどうやってきたのかな
日本の1里=4kmというのも、逆に2乗しちゃったっぽいし

million、billion、trillionがアメリカとヨーロッパで違うとか、ファーストフロアが英米で違うとか、信じられない不統一というのはいつの世にもあるんではないかな
0808名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:04:22.48ID:P8cMoxom0
「ぼくちゃんの考えたすごい行程」

とかもうお腹いっぱい
0809名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:06:21.95ID:eU0ZBfYK0
ちなみに

アマテラスの養子となったスサノオの5皇子の長男の
天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと、天忍穂耳命)



投馬国の長官の「彌彌(ミミ)」で



天忍穗耳尊と高皇産霊尊の娘である栲幡千千姫命の間にできた
皇孫(すめみま)、天孫(あめみま)で

出雲平定の後、アマテラスが出雲に派遣した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
別名、天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)



「伊都国(出雲)」の長官「爾支(にき)」
0810longinus_bouz ◆bq94Vh60JQ
垢版 |
2019/08/04(日) 15:06:22.31ID:4tM7EciE0
>>796
> で、魏志倭人伝そのものが信用に足る理由は誰かが説明済みなのか??
USO800書いてあるかも知れないという可能性は??//

ISO800に準拠して書かれてるんだから大丈夫なのでわ???
てか、USO800では史料としての価値が損なわれてしまうので、
分からないように嘘を混ぜて真実を書く、という事にならざるを得ない。
当然に嘘は、編纂者に都合の悪い部分に混ぜられる、という事になる。
それを読み解くって事が、史料評価・解釈に他ならないのでわ。

当然に、読んでる者自身の都合で、ここは嘘だなんて断ずるのは、史料解釈とは云えない。
塚は土盛りだけ、なんて独自法制定なんてのも、史料解釈なんぞではありえない。
0811名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:10:31.60ID:eU0ZBfYK0
>>804
んだから、んなこたぁ関係無いんだって

日清戦争 1894年(明治27年)に勝利した大日本帝国は
中国の史書と日本の記紀を組み合わせると

>>667
>>678
>>680
>>683

のような無理がないストーリーに【なること】

を、とにかく嫌ったんだ

事実か、想像かはどうでもよくてね

で、九州説というプロパガンダを広めたんだよ
0812名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:12:28.88ID:eU0ZBfYK0
訂正

ちなみに

アマテラスの養子となったスサノオの5皇子の長男の
天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと、天忍穂耳命)



投馬国(近江)の長官の「彌彌(ミミ)」で



天忍穗耳尊と高皇産霊尊の娘である栲幡千千姫命の間にできた
皇孫(すめみま)、天孫(あめみま)で

出雲平定の後、アマテラスが出雲に派遣した

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
別名、天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)



「伊都国(出雲)」の長官「爾支(にき)」
0813名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:15:56.18ID:ngw9Kxvl0
>>305
>そして九州には、大国を支えるだけの穀物生産が無かったわけで、
>邪馬台国を支えた米と兵隊は、どこから得られたのだろう?

吉野ヶ里は、三国志魏書三十 烏丸鮮卑東夷傳第三十にある100あるの一つだったとしても、
未熟な王権の連合だった筑紫を、熊本に当たる狗奴国の卑弥弓呼とは完全に独立して、卑弥
呼が支配していたのであって、九州説にやましいところはない。発掘されて、観光地になった
三〇年前は、発掘当時の規模としては、日本最大級で相当大きかったのです。いまは、もっと
大きなものが発掘されている。今後の発掘を期待したい。

 大和と音が似ている邪馬台国を大和とするとしたら、既に小和・小倭と見下したい対象となる
元祖の倭があり、『大和・(大倭)』といきり立って、小さい癖に大という名を付けたい背伸び指向
を感じる。かわいい。
  唐書に、
>日本國者倭國之別種也 以其國在日 故以日本爲名
> 或曰 倭國自惡其名不雅 改爲日本
> 或云 日本舊小國 併倭國之地

 別種とあるじゃないか。
0814名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:17:44.73ID:H4nDiI9W0
>>803
記紀ではでは崇神・垂仁で殉死を廃止し、代わりに埴輪をおくことを決める記述が出てるな。
ここでは崇神・垂仁推定年代は取っ払って、箸墓の記述と合わせて書かれていることに
注目すると、100%とは言わないが前方後円墳と埴輪の関係は切っても切れないとおもわれることだ。

卑弥呼=箸墓とすると、箸墓の推定年代は3世紀中葉となる。そして、殉葬者が出なければならない。
それ以前の円墳・方墳の殉葬例はいまのところ無いようだな。
ただ、古墳と弥生式墳墓との違い、定義の問題になるとは思うが。
埴輪の導入は垂仁帝のヒバスヒメ陵とされているが、もし死亡時期の順番が正しければ箸墓に殉葬者がいてもおかしくは無いということになるか。
そして、箸墓は年代に拘わらず誰の墓か。という問題がでてくる。
0815ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 15:18:47.21ID:4tM7EciE0
>>803 > 円墳で、100人以上の徇葬者とは、生き埋めのことか//
>>649
徇葬者は「更相誅殺,當時殺千餘人」の一部が割り当てられた。

戦没者慰霊公園でもあったってことだよ。
如何にに昔だからって、生き埋めなんかにしないだろうし、被葬者だってそんなのいやだろ。

> 生き埋め?の代わりの埴輪が出てくる前方後円墳型古墳は、嘘だと思う//
  そういうこと。
私たちの先祖は埴輪を導入して、生き埋めを廃止しましたという、ファンタジーだね。
0816名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:19:30.30ID:eU0ZBfYK0
>>812
・・と、言われることが

日清戦争 1894年(明治27年)に勝利した大日本帝国は

とにかく嫌だったんだ

綿津見大神(豊玉彦)の時代を含めて
天皇は中国の皇帝に、日本の王だと認めてもらいに行っていた

という話に繋がるからね

で、事実か、想像かはどうでもよくて
九州説というプロパガンダを広めたんだよ
0817名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:19:48.29ID:eFDym7Ah0
1里を6倍しちゃったのが近世近代の日本里
逆に1/6くらいだったのがいわゆる短里
0818名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:22:33.29ID:H4nDiI9W0
>>801
なるほど。
貴方とは話のテーマが違っていたようだ。
0820名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:23:23.86ID:eU0ZBfYK0
邪馬台国が九州・・ならば

「親魏倭王・卑弥呼」の
【官有 伊支馬(いきま)】
【次曰 彌馬升(みます)】
【次曰 彌馬獲支(みまかし)】
【次曰 奴佳醍(ぬはだい)】



垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコト
皇后「氷羽州比賣命」ヒバス・ヒメノミコト
皇太子(後の第12代景行天皇)妃「美波迦斯毘賣命」ミカハシ・ビメノミコト
皇妃「沼羽田入毘賣命」ヌバタノ・イリビメノミコト



繋げることかできない

つまり

綿津見大神(豊玉彦)の時代を含めて
天皇は中国の皇帝に、日本の王だと認めてもらいに行っていた

という話にはならないのよ
0821名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:26:53.77ID:H4nDiI9W0
>>815
大多数の古墳で殉葬者がいない事実との整合性を聞きたいのだが。
0822名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:27:10.48ID:4tM7EciE0
>>813 > 別種とあるじゃないか//
>>664
言い訳として日本が云ったのは、半島出兵時の倭と、今の日本は別の国なんです、
というシロモノだった。対して中国は、承継国家だろヴォケ、という見解を示しただけだ。

同国別種だと云われたんだよ。
0823名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:28:25.61ID:H4nDiI9W0
>>819
え?そうなの?
0824名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:29:40.83ID:eU0ZBfYK0
>>818
天皇家が編纂させた日本の記紀では

神武は、アマテラスの養子となったスサノオの5皇子の長男の
天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと、天忍穂耳命)の子孫

紀ノ國は、大屋毘古神(おおやびこのかみ)つまり、スサノオ息子の五十猛神(イソタケル)の国

だから

天皇家が編纂させた日本の記紀が

アマテラスの養子となったスサノオの5皇子の長男の
天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと、天忍穂耳命)の子孫の神武が

大屋毘古神(おおやびこのかみ)つまり、スサノオ息子の五十猛神(イソタケル)の国の紀ノ國から

東征に成功する・・というストーリーになるのは当然だろ?
0825ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 15:32:31.82ID:4tM7EciE0
>>821
> 大多数の古墳で殉葬者がいない事実との整合性を聞きたいのだが//

生きてる者を埋める殉葬なんて風習はなく、ファンタジーだった、
という見解の私にそんなこと云われても知らんがな。

なお、直近>>822 も私の投稿ね、名前欄空白だが。
0827ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 15:37:18.71ID:4tM7EciE0
>>820> 【次曰 彌馬升(みます)】//
  ズバリ、彼がミマキイリヒコなのでわ。
0828名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:38:07.33ID:H4nDiI9W0
>>824
それはそう解釈できるように「つくっている」のだからな。
私にとっては明治以後のプロパガンダがどうのとかはどうでも良いのだ。

記紀に書かれた神武東征説話への、アプローチなのだよ。
神統譜・皇統譜を含めて、マンマ実在としてストーリーを展開している人達への
アンチテーゼなのだ。
だから貴方とはレスのテーマが全く違うという事なのだ。すまんが。
0829名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:38:10.81ID:+zL2S2gs0
>>820
伊支馬(いきみ) 「将君」
いる(率る、将る)君、将いる君、つまり将軍

彌馬升(みまと) 「御体人」
升は斗の写し間違い。みまわる人、つまり警護部隊隊長

彌馬獲支(みまわき) 「御体脇」
脇をみまわる人、つまり周辺警護部隊隊長

奴佳醍(なかて) 「中手」
間に入る人、つまり裁判所長官

どっちが説得力があるかは他の人の判断にまかせる
0830名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:40:00.52ID:H4nDiI9W0
>>825
いや、ファンタジーと言い切るには何か根拠があるのかと思っただけだ。
無ければいいのだよ。邪魔したな。
0831名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:41:24.29ID:hsCT8Aln0
九州にあったなら、なぜその後近畿の豪族が日本を統一できたのか
そもそも近畿にあったと考えるのが自然だろう
0832ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 15:45:32.90ID:4tM7EciE0
>>830
> いや、ファンタジーと言い切るには何か根拠があるのかと思っただけだ//
  そんな残虐な風習ある訳ないだろ、ってのは根拠にならんのかね。

> 無ければいいのだよ//
  はァ? キミは一寸トロいね。
0833名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:46:35.47ID:eFDym7Ah0
蒙古族が中国統一したのも
もともと中国にいたと考えるのが自然

白人がアメリカを統一?したのも
もともとアメリカにいたと考えるのが自然
0834名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:48:55.77ID:H4nDiI9W0
>>832
怒るなよ。聞いただけなんだから。

残虐かどうかは、現代人の我々が決めることではない。当時の人達の決めることだからな。
0835名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:50:05.63ID:eFDym7Ah0
薩摩藩も長州藩も江戸かその近辺にあった
そうでなければ明治政府を担えた理由が説明できない
もともと江戸にあったと考えるのが自然
0836名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:50:50.07ID:krI5j43x0
項羽と劉邦が頭脳戦を繰り広げてた頃



ジャップは縄文土人をやっていたw


(邪マタイ国はその500年も後wwww
0837名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:56:32.92ID:ngw9Kxvl0
>>822
>言い訳として日本が云ったのは、半島出兵時の倭と、今の日本は別の国なんです、
>というシロモノだった

唐書とは、明代に書かれたもの。唐代の出来事を客観的に書いたとする。

白村江の戦いとは、当時の世界的なスケールでも最大規模の戦争なのです。
筑紫(九州島の北部を治める)の君(首長・大統領・殿様・国王)サチヤマが総大将とした倭の
軍隊が新羅・唐同盟に負けて、捕虜になるのです。8年間も、唐に留め置かれました。唐の進駐
軍(GHQ)が、終に日本に上陸するのです。この時には、九州王朝と、大和王朝が2つあった様
な記述になるのです。記紀には、そのことを間接的に書いている。記紀は、白村江の戦いの後、
80年経過した頃の、言わば4ー5世代後の公的な歴史書の記述です。
0838名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 15:59:16.57ID:oCq3sjk+0
>>831
隼人に追い出され日向から東征した神武は畿内を征服し、数代経た後、最後に残った九州の隼人を征伐した。
0839名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 16:05:35.89ID:uFVmBaC90
>>1
日本は古い縄文から形成されて今に至ったに過ぎない
弥生人なんていう学者デッチ上げた特殊な人種は存在しないのが真実だ

日本や日本人を解明するならば
宗教、文化、言語すべてを包括的に解明しないといけない

鍵は
日本神道、三種の神器、甕棺だ
0840ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 16:12:25.32ID:4tM7EciE0
>>837 > 唐書とは、明代に書かれたもの//
  はぁ?

> 80年経過した頃の、言わば4ー5世代後の公的な歴史書の記述です//
  アンタの糞投稿は、千数百年後の妄想日記だね。
まぁ、アンタのオツムでは、同時代でも妄想しか書けんのだろうがね。
莫迦が伝染ってもヤなので、安直にレスなんか付けるなよ。
0841名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 16:12:38.04ID:wS7Gzx040
邪馬台国の所在地より、なぜ突如として消えたのか、
空白の100年に何が起きたのかという点のほうが興味あるんだが
0845ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 16:21:15.16ID:4tM7EciE0
>>793 > この頃は、10倍するのが公文書の決まりだった時代ですから//
  だったらさ、公文書からは何も読み取れんとして、
アンタはサッサと消え失せればエエんだよ。
支離滅裂なだけの妄想日記をダラダラと書き散らすには及ばない。
0846名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 16:26:20.41ID:eU0ZBfYK0
>>828
だから

記紀に書かれた神武東征説話への、アプローチ



記紀では

神武は、アマテラスの養子となったスサノオの5皇子の長男の
天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと、天忍穂耳命)の子孫

紀ノ國は、大屋毘古神(おおやびこのかみ)つまり、スサノオ息子の五十猛神(イソタケル)の国

だから

神武東征説話も当然

アマテラスの養子となったスサノオの5皇子の長男の
天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと、天忍穂耳命)の子孫の神武が

大屋毘古神(おおやびこのかみ)つまり、スサノオ息子の五十猛神(イソタケル)の国の紀ノ國から

というものだっつーの
0847名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 16:42:03.24ID:eU0ZBfYK0
江戸時代の天皇とは違い、近代学問として古事記や日本書紀を学んだ昭和天皇は

東宮時代、御学問御用掛の白鳥庫吉に

我々天皇家の祖は、天照大御神ではなく

天照大御神に高天原を追い出され
海幸彦に葦原中国を追い出され
九州の綿津見の国から大和の地に来た
素戔烏尊(すさのおのみこと)の一族ですよね

と素朴な疑問をぶつけられたのだろう

そこで

日清戦争 1894年(明治27年)に勝利した大日本帝国は
白鳥庫吉に、邪馬台国九州説を作らせた
0849名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 16:46:48.64ID:ngw9Kxvl0
>>845
>だったらさ、公文書からは何も読み取れんとして、

>793
>この頃は、10倍するのが公文書の決まりだった時代ですから、

このネタで、魏志倭人伝の当時の記録にあたり、考古学書を書いた中国人の本を最近、友人から
手渡されて読んだ。
0850名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 16:52:59.85ID:ngw9Kxvl0
訂正す。
>>837
>唐書とは、明代に書かれたもの。唐代の出来事を客観的に書いたとする。

件の唐書は旧唐書のことです。それで、『五代の後晋』の代の間違い。

>五代の後晋の劉昫の手になる『旧唐書』(くとうじょ)と区別するために、『新唐書』と呼ぶが、
>単に『唐書』(とうじょ)と呼ぶこともある。 北宋の欧陽脩・曾公亮らの奉勅撰、225巻、仁宗
>の嘉祐6年(1060年)の成立 ...
0851名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 16:57:38.35ID:oCq3sjk+0
>>841
神武は日向を出て最初に宇佐に向かっている
そこにあった邪馬台国を乗っ取り、背乗りして東征し、畿内を征服した。
0852名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:01:12.83ID:oCq3sjk+0
>>848
魏志倭人伝に邪馬台国は帯方郡から一万二千里と書いてある
さらに帯方郡から半島南端の狗奴韓国まで7千里、そこから、対馬、壱岐、九州北端の末盧国まで渡っている
九州北端の末盧国から残り2千里が邪馬台国の場所
九州以外は不可能
0853名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:01:16.77ID:ngw9Kxvl0
>>841
>空白の100年に何が起きたのかという点のほうが興味あるんだが

勿論。問題は、記紀にそういった時代のことを天皇(おおきみ)の年齢を偽らざるを得ない形で、
神話として書かれているところから、支配層における人種?土族?交代が起こったことが想像さ
れるのです。でないと、特に武烈・雄略朝等の記載にあるように悪し様に記述してある等、もっと
遡ると、すごくおかしな記述が多い。

 記紀では、土蜘蛛伝説が書いてあるために、卑弥呼の系譜を土蜘蛛だとする説が結構強い。
0854名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:02:40.99ID:H4nDiI9W0
>>846
ふむ。
私の先のレスを読んでもらえたらわかると思うのだが、
君の説とは別に矛盾するものではない。神統譜を実在の人物ととらえていないかぎりは。
紀ノ國のしかも熊野からの侵入としたところを考えてみたかったのだ。
0855ネトサポハンター
垢版 |
2019/08/04(日) 17:06:07.25ID:16VzZOwn0
邪馬台国なら今俺の隣で寝てるよ
0856名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:09:35.79ID:H4nDiI9W0
>>846
この部分だ↓
   >>797  >>854
0857名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:09:49.45ID:eU0ZBfYK0
>>854
神統譜を実在の人物と、とらえようが、とらえなかろうが


神武は、アマテラスの養子となったスサノオの5皇子の長男の
天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと、天忍穂耳命)の子孫

紀ノ國は、大屋毘古神(おおやびこのかみ)つまり、スサノオ息子の五十猛神(イソタケル)の国

なんだから

神武東征説話も当然

アマテラスの養子となったスサノオの5皇子の長男の
天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと、天忍穂耳命)の子孫の神武が

大屋毘古神(おおやびこのかみ)つまり、スサノオ息子の五十猛神(イソタケル)の国の紀ノ國から

だろ?
0859名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:14:37.46ID:H4nDiI9W0
>>857
この部分だ↓
   >>79
0860名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:16:39.86ID:H4nDiI9W0
>>857
アンカミス

この部分だ↓
   >>797
0861名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:16:48.32ID:WgGwEiGy0
記紀は8世紀初めの国内の結束に利用されて
スサノオとか大国主とかその他たくさんの地方を
よいしょしてる部分は捏造が入ってると考えてる
0862名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:18:52.55ID:tUx4lrX80
>>852
こいつ救いようのないバカだな
何度同じゴミコピペ貼れば気が済むんだ
里数が正しくない事例を自分で示しておきながら、
正しくない里数を根拠に九州だと言い張ってる
矛盾という概念さえも持ってないバカ
0863名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:19:24.39ID:H4nDiI9W0
>>861

どう捏造をいれているか、その理由を考えるのが面白いのだ。
0864名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:21:58.42ID:eFDym7Ah0
里数が正しくない
里数が正しくない
里数が正しくない
里数が正しくない

いつほんとうに正しくなくなるかなあ
0867名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:28:08.08ID:WgGwEiGy0
日本書紀を作らせた不比等は鎌足の息子で
鎌足が早く亡くなったが偶然の人脈で歴代天皇に重用された
当時の不比等の地位は天皇家のおかげ

645年大化の改新から始まるクーデター乙巳の変後に
政権をとった当時の天皇家と父親の鎌足を正当化する必要があった
0868名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:28:54.48ID:C2NzDqXu0
松浦までで、実距離は中国の里の1/5程度であることがわかっている。
これを前提として5倍誇張説を仮定する。一里あたり87mである。

5倍誇張説の場合の計算結果と推定場所

帯方郡の場所
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b2/Ancient_Korea_Taihougun.png
帯方郡黄海北道鳳山郡説より、帯方郡側の海州を起点とする。

帯方郡から狗邪韓国まで、乍南乍東7000余里 7000里/5=1400里*435m=609km 海州―釜山広域市 700km
狗邪韓国から松浦まで3000里 3000里/5=600里*435m=261km 釜山広域市−唐津 210km
松浦から伊都国南東500里 500里/5=100里*435m=43.5km 唐津―小城 38.3km
東南100里の奴国まで 100里/5=20里*435m=8.7km 小城―佐賀 10.1km
東100里の不弥国までの道 100里/5=20里*435m=8.7km 佐賀―大川 9.5km
南水行20日の投馬国まで 20日/5=4日*30里=120里*435m=52.2km 大川―玉名 47q

水行10日、陸行1月の邪馬台国
水行10日 10日/5=2日*30里=60里*435m=26.1km 玉名―緑川 26q
陸行1月 30日/5=6日*30里=180里*435m=78.3km 緑川―人吉 86q

侏儒國 南4000里 4000里/5=800里*435m=348km 熊本緑川流域―屋久島 315km
裸国、K歯国 水行一年 365日/5=73日*30里=2190里*435m=952.65km
熊本緑川流域-奄美大島 580km
熊本緑川流域-沖縄本島 824km

おまけ
韓地、方4000里 (4000里/5)^2=800里^2=(800*435)^2 =121104km^2
wikipediaより、
韓国  面積 100,210km^2
0869名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:30:22.59ID:H4nDiI9W0
言ってしまえば元も子もないのだが、

魏志倭人伝他、中華の文書の行程表の解釈の根拠をおいての邪馬台国の推測は
もはや議論が出尽くしていて、しかも真実をあぶり出すのは不可能なのだ。
あとは文献・発掘結果をもとに古代の姿をできるだけ具体化して、探し出す段階にきている。
そうすれ、ばおのずと邪馬台国が姿を現すだろう。
里数が、方角がとかの論争は意味が無いのだ。
0870名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:33:19.23ID:eU0ZBfYK0
>>859
天照大御神の子孫ではなく

天照大御神に高天原を追い出され
海幸彦に葦原中国を追い出され
九州の綿津見の国から大和の地に来た
素戔烏尊(すさのおのみこと)の一族

が大和に戻る

浪速国・・大阪から堂々と奈良に向かおうとしたら
天照大御神の子孫の邇芸速日命(にぎはやひのみこと)に仕える
登美能那賀須泥毘古(ナガスネビコ)の軍勢に阻まれた

そこで同じ素戔烏尊(すさのおのみこと)の一族の

大屋毘古神(おおやびこのかみ)つまり、スサノオ息子の五十猛神(イソタケル)の紀ノ國から

大和に侵入し

天照大御神の子孫の邇芸速日命(にぎはやひのみこと)に

天照大御神と素戔烏尊の違いはあるが、神武もおなじ天孫である

と説得した


登美能那賀須泥毘古(ナガスネビコ)の軍勢に阻まれ
0871名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:34:39.14ID:H4nDiI9W0
>>867
藤原氏=中臣氏からのアプローチも面白いものだ。
古語拾遺・延喜式も読んでもらいたい。
0872名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:36:37.20ID:H4nDiI9W0
>>870
スマンな。アンカミスしてたのだ。>>797
0873名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:37:00.13ID:WgGwEiGy0
モモソヒメが卑弥呼説がでたのは大正時代らしい
この説が有力と成ったのは2009年の纏向大型建物発掘からで
それ以前は有力ではなかった

説なんて新たになにか出たら簡単にひっくりかえる そこが面白い
0874名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 17:44:51.92ID:gIT5x7BY0
全行程の1万2千里が誇張されいたとしても韓半島から海を渡って
少し内陸を行った場所って地理感覚は残ってると思うけどな
近畿にはどうしてもならないでしょ
0875ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 17:52:06.36ID:4tM7EciE0
>>852 > 魏志倭人伝に邪馬台国は帯方郡から一万二千里と書いてある//
  だからさ、ソウルから日本のどこかの地点まで、
一万二千里(6000km)もあるわけないだろ、莫ァ迦〜
と魏志は書いてるんだよ。

> さらに帯方郡から半島南端の狗奴韓国まで7千里//
  ソウルからプサンまで、7千里(3500km)もあるわけないだろ、莫ァ迦〜
と魏志は書いてるんだよ。

> そこから、対馬、壱岐、九州北端の末盧国まで渡っている
九州北端の末盧国から残り2千里が邪馬台国の場所//
 プサンの段階で既に太平洋のド真ん中なんだから、
松浦市だって太平洋のド真ん中で、そこから2千里(1000km)の地点だって、
太平洋のド真ん中なのだが、ンなワケないだろ、莫ァ迦〜
と魏志は書いてるんだよ。

> 九州以外は不可能//
  お〆のオツムでは、無理なんだよ、エテ公。
道程記事はデタラメだと魏志は書いてるんだから、他の知見によるしかない。

「徑百餘步」って張政当時は箸墓しかなく、ある理由により彼は、
卑弥呼墓を正確に記さねばならなかったのだから(魏志から読み取れ)、
彼の残したID情報である「徑百餘步」より、箸墓が卑弥呼墓である事は確定だ。
0876longinus_bouz ◆bq94Vh60JQ
垢版 |
2019/08/04(日) 18:09:10.44ID:4tM7EciE0
>>874 >全行程の1万2千里が誇張されいたとしても//
  張政は、なぜ誇張したかを読み取りな。
出張旅費の水増しなんて所帯じみた思い付きではどうにもならん。
まぁ、誇張した理由もどうにもならんのだが、読み取ることは必要だ。

> 韓半島から海を渡って 少し内陸を行った場所って地理感覚は残ってると思うけどな//
  そういう感覚からしても、ソウルから1万2千里(6000km)、
太平洋のド真ん中の訳もないだろ莫ァ迦〜、と魏志は書いてるんだよ。
魏志は「計其道里,當在會稽東治之東」とオチを付けている。
張政の云い草で計れば、紹興と福州の間になると書いている。
紹興の緯度は九州最南端と、福州の緯度は台湾最北端と一致している。
魏志は極東の位置関係を正確に把握してるのだから、地理に暗かったという事はありえない。

> 近畿にはどうしてもならないでしょ//
  道程記事をマに受けてる限り、日本のいかなる地点であってもどうにもならんのだよ。
0877名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 18:12:09.37ID:ngw9Kxvl0
>>815
>徇葬者は「更相誅殺,當時殺千餘人」の一部が割り当てられた。

それは、学会の一つの説なのかしら。『奴婢』は、女偏に奴隷の奴、女偏に卑しいの卑弥呼
に充てた字『卑』を使っているところからもわかるように、平民ではない身分の低い人、つまり、
公的使用人であろう。公私の別があった筈もないとすれば、奴隷であり、戦時捕虜等の子孫
がそれらしい。武器を取る兵士にすると、反逆が怖いので、奴婢は兵士ではない。

>更立男王,國中不服,更相誅殺,當時殺千餘人。復立卑彌呼宗女壹與,

の後の方にある文面から、
「暗殺したと思われる男の次の王に服従しなかった為に、殺された兵士や役人の総勢100人
が、併葬する形で埋められた。」
というのは、辻褄が合わない。おそらくは、当時の流行遅れの宗教であった鬼道・道教・五米道
の世界であるから、秦始皇帝陵が、兵馬俑という陶磁器製だったことを考えると、恐ろしいくら
いに、遅れていたのではないか。シャーマニズムと、殉教というので、崇神天皇が、やめさせた
という、殉教禁止令が、記紀に書いてあるので、もしも殉教した土塚が将来発掘されれば、
はっきりすると思う。
0878名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 18:18:10.21ID:eFDym7Ah0
「オレ(たち)が認めない限り証明は成り立ってないからな!www」
0879名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 18:20:48.53ID:eFDym7Ah0
(ほんとに証明されると困るから、議論に意味がないことにするよ!www)
0880名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 18:23:47.79ID:ngw9Kxvl0
訂正’
>>877
>いに、遅れていたのではないか。シャーマニズムと、殉教というので、崇神天皇が、やめさせた
>という、殉教禁止令が、記紀に書いてあるので、もしも殉教した土塚が将来発掘されれば、
>はっきりすると思う。

いに、遅れていたのではないか。シャーマニズムと、殉教というので、日本武尊=崇神天皇が、
最後であったが、次代の垂仁天皇がやめさせたという、殉教禁止令が、記紀に書いてあるの
で、もしも殉教した土塚が将来発掘されれば、はっきりすると思う。

に訂正します。
0881名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 18:25:58.41ID:eFDym7Ah0
篤志家でもない限り、またたとえ億万長者であっても、発掘して証明するというのは、シュリーマンみたいな幸運なのを稀な例外として、殆ど期待できない

ゴッドハンドみたいに、長年かけて学者たちの中に取り入って、末席に連なって、という活動が必要
最近は俳優にもいたな
(時には自分で埋めて証明w)
0882名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 18:27:01.98ID:eFDym7Ah0
証明証明、成果成果、議論は不要、という文化がゴッドハンドを生んだという反省が少しも見られない
0884名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 18:29:46.05ID:ngw9Kxvl0
>>869
>そうすれ、ばおのずと邪馬台国が姿を現すだろう。
>里数が、方角がとかの論争は意味が無いのだ。

皆そう思っている。だけど、めいめいが、持論を展開して、議論を遣っており、勝ち負けではないと思う。
0885名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 18:30:53.47ID:eFDym7Ah0
「分布がおかしいよ、どうして近年露出した面からしか出てこないんだ」
「嫉妬してるだけだろ悔しかったら掘り出してみろやい」

この文化がゴッドハンドを繰り返させて自浄能力を失っていった
0886名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 18:41:27.78ID:gIT5x7BY0
ほぼ確実に比定できる奴国までの距離の比率は合ってるわけで
なんらかの元データがあってそれを何倍かにしたとしか思えないね
杜撰に拡大させたから韓の面積が中国に匹敵するぐらい巨大になるミスをおかしてるんじゃないかな
0887名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 18:43:45.77ID:oCq3sjk+0
魏志倭人伝では短里が使われ、全て九州内で問題なく当てはまる。
意味もなく長里を持ち出して邪馬台国は海の中と火病ってるのが畿内派。
0888名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 18:46:56.32ID:oCq3sjk+0
魏志倭人伝は帯方郡の役人が書いたから全て帯方郡が起点なのに勝手に起点を変えて方角まで変えてしまって強引に畿内にするのが畿内派
魏志倭人伝通りに帯方郡が起点だと九州以外にあり得ない
0889名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 18:48:06.95ID:H4nDiI9W0
>>884
ワイワイゆうのは楽しいからな。気持ちはわかる。
0890名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 18:51:46.36ID:tUx4lrX80
>>886
それ九州説信者がよく言うことだが、
具体的に場所を提示して、同じような比率になってることを証明したやつは一人もいない
一方的に言い張るのみ
0891名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 18:58:32.97ID:oYHQFSOG0
>>886
奴国がどこにあったかも、確定してるわけでもないけどな。
0893ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 19:02:05.51ID:4tM7EciE0
>>877 > それは、学会の一つの説なのかしら//
  はァ? 何らかの説を自慢げに並べ立てる事に、何か意味があるのか。
そのクダリだけで、キミは論には向かんと断じざるを得ないのだが。
口の利き方も、何で思いっきりキモいだけなのかしら。

> 「暗殺したと思われる男の次の王に服従しなかった為に、
殺された兵士や役人の総勢100人 が、併葬する形で埋められた。」//
  何? その解釈は? 何らかの学説なのか、なんと事は問わんよ。
暗殺って誰がされたのかね。卑弥呼か? 男王か? 
前者なら、松本清張の焼き直しだね。学説自慢のツモリか?

> というのは、辻褄が合わない//
  はぁ? 何で?
卑弥呼の急死後、トヨたん即位までの間に争乱があり、
その戦死者の一部が共に葬られた、で、何の矛盾があるのかね。
葬られたのは、卑弥呼に近かった者でも、トヨたん即位に尽くした者でも構わないし、
敵味方に関係なく、和平の結果、主だった者が選ばれた、であっても構わんだろ。

> おそらくは、当時の流行遅れの宗教であった鬼道・道教・五米道の世界であるから//
  宗教なんていつの時代も方便だ、ってくらいは弁えとくこと。

> 殉教禁止令が、記紀に書いてあるので//
  ですからね、それがファンタジーだと云うんだよ。
我々の先祖は、埴輪に替える事で、残虐な風習を廃止した、というね。
そんな残虐な風習なんて、何時の時代もある訳ないだろ。
被支配者の安全を確保するのが、収税者支配者の義務だろが、何時だって。
0895名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 19:10:32.92ID:vYFsPzDj0
末盧国への上陸地点を呼子か名護屋浦付近とすると
伊都GC付近で500里(40km)
呼子か名護屋浦付近から伊都GC付近までが末盧国の範囲

伊都GC付近から100里(8km)で福岡市
糸島市の南東部が伊都国

更に福岡県道56号線を100里(8km)で福岡市早良区を横切り那珂川市
福岡市周辺が奴国で那珂川市方面が不弥国だな。
0896ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 19:18:11.20ID:4tM7EciE0
>>886 > ほぼ確実に比定できる奴国までの距離の比率は合ってるわけで//
  邪馬台国以前にも、金印もらったりで馴染みのある地域だった奴国までについては、
輪郭だけは踏襲したってだけでしょ。マルで出鱈目も書かなかった、ってだけだ。

> 杜撰に拡大させたから韓の面積が
中国に匹敵するぐらい巨大になるミスをおかしてるんじゃないかな//

何遍も云うけどね、「計其道里,當在會稽東治之東」の記載より、
魏志は極東の位置関係を正確に把握してるのは明らかだ。
紹興(會稽)の緯度は九州最南端と、福州(東治・東冶)の緯度は台湾最北端と一致しているのだから。
ミスなんかないよ、ミス、というより、作為を嘲る事はあってもね。
0897名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 19:21:29.89ID:oYHQFSOG0
>>895
仮に一大国を壱岐だとしても、呼子や名護屋浦付近だと25kmぐらいしかない。
短里1里を77mとすると324里しかない。

壱岐最北端からとしても40kmもないので精々500里となる。

千里ある筈なのに呼子や名護屋浦に上陸してる時点で、結論ありきの偽装が始まってる。
0898ID:4tM7EciE0 の筈
垢版 |
2019/08/04(日) 19:22:39.14ID:4tM7EciE0
>>894 > これはどう?//
  単なる短里説だろ。
道程記載をマに受けてるってだけで、ハナシにならない、結論が何処であろうともね。
0899名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 19:38:21.06ID:oCq3sjk+0
魏志倭人伝は全て短里だと全て問題なく九州に収まるのに意味もなく長里と嘘をつくのが畿内派
畿内のバカは相手にしない方がいい
0900名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 19:45:55.91ID:gIT5x7BY0
里の解釈だけじゃなくて比定地までの距離(の割合)も考察されてるからそこも見て>>894
0901名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 19:47:06.97ID:l4Xali6a0
奈良説を支持していたがこのスレを読んでいくと奈良説は間違っていたと
つくづく思い知らされた、勉強不足も良い所だった、邪馬台国は福岡県の
筑後地方以外には絶対無いと確信出来た、狗奴国は熊本県だな
これで決定だ、奈良説は1万%ありえない。
0902名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 19:48:13.63ID:tUx4lrX80
>>894
それぞれの国の比定地がデタラメすぎる
遺跡も何もない場所に倭人伝の国があったことにして、辻褄を合わせようとしてるだけだな
帯方郡が仁川とか、末盧国が長崎県の松浦とか、奴国が志賀島とか、不弥国が福岡とかメチャクチャ
0904名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 19:50:55.99ID:vYFsPzDj0
>>897
海峡の海上部分は歩測や紐で実測出来なかったんだよ
しかたなく海峡の幅は一律1000里とされてるんだよ。
0905名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 19:54:45.22ID:hvi+fBw60
>>895
そこにあるのは

素戔烏尊の血統をもつ天彌聞尊(あめのににぎのみこと)
・・の息子の、炎尊(ほむらのみこと)火遠理命(山幸彦)が

海幸彦から出雲を追い出されて訪れて
第31代目の国王になった

綿津見大神(豊玉彦)の筑紫城

ですけど?
0906名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 20:00:03.75ID:tUx4lrX80
>>903
帯方郡 沙里院
狗邪韓国 金海
対馬国 対馬のどこか不明
一支国 壱岐の原の辻遺跡
末盧国 唐津市のどこか(宇木汲田遺跡、桜馬場遺跡、中原遺跡、千々賀遺跡など有力な遺跡はあるが決め手に欠ける)
伊都国 糸島の三雲・井原遺跡
奴国 福岡の比恵・那珂遺跡
不弥国 不明

この辺は多くの学者が支持してるところ
0907名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 20:00:26.03ID:oYHQFSOG0
>>894
仁川から釜山を海沿いに移動すると島やリアス式海岸の入り組んだ部分を無視しても660kmで8500里
魏志倭人伝の記述に従って南に行ったり東に行ったり、ガタガタに進むと750km以上にはなり9700里

短里は言うてかなり適当なのを、九州上陸後に意図した土地に着地する為に編み出された詭弁。

>>904
せめて500里だったらまだマシだが、流石にひと目でわかるくらい近すぎる。
0908名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 20:04:03.68ID:COiIQws30
二島の三渡海で210km
一渡海あたり70km

つまり平均すれば千里=70km程度。
0909名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 20:06:02.45ID:vYFsPzDj0
>>907
>ひと目でわかるくらい近すぎる

君は現地に行ったことないね。
0910名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 20:06:59.87ID:gIT5x7BY0
>>907
7000里が8500里か9700里でも1.2倍から1.4倍程度しか変わらないよ
これは当時としては妥当な誤差なんじゃないのかな
少なくとも距離を完全に創作したとは思えないでしょ
0911名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 20:09:16.07ID:hvi+fBw60
北宋(960年 - 1127年)『新唐書』1060年【日本伝】

王姓は阿毎氏

自ら言うには、初めの主は天御中主(あめのみなかぬし)と号し、彦瀲 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)に至り、

およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。

彦瀲の子の神武が立ち、改めて「天皇」を号とし、大和州に移って統治する。
0912名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 20:17:35.22ID:oCq3sjk+0
因みに日本でも近代まで様々な里が混在していたし畳なんていまだに数種類混在している
ただ同じ人が書いた書物では縮尺は統一されている
魏志倭人伝では1里は平均700m
0913名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 20:20:39.63ID:T1JlToM60
この頃の時代って古代史になるのか?
戦国や幕末並みに熱く語ってる人居てびっくりだわ
0914名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 20:26:36.77ID:oCq3sjk+0
魏志倭人伝では水行に関しては必ず千余里というように余を入れている
つまり70kmくらいじゃね?みたいな書き方をしている
海で目測70kmくらいだとアバウトに為らざるを得ない
0915名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 20:27:21.93ID:l4Xali6a0
>>906
不弥国は光正寺古墳がある宇美町だろう。投馬国は朝倉〜小郡〜鳥栖にかけての
筑後川上流のやや広い平野部。邪馬台国は久留米〜八女〜大牟田にかけての
広大な筑後平野部となる。狗奴国は熊本県で中心は菊池郡付近。
0916名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 20:28:44.99ID:gIT5x7BY0
>>906
そうなると末廬国から伊都国の距離が近くなるね
でも全体としての距離の割合の整合性はかなり高いでしょ
韓半島をかなり南下して海を渡って内陸を少し進むところに女王国があるという
地理的な理解を全く無視して距離を創作したとは思えないよ
0917名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 20:30:38.69ID:oCq3sjk+0
帯方郡が起点だから帯方郡から南に水行20日の投馬国=殺馬国=薩摩国
邪馬台国も起点は帯方郡からなので宇佐あたり
0918名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 20:42:51.76ID:hvi+fBw60
>>916
だーかーら

そこにあったのは、綿津見大神という「男王の国だ」っつーの
0919名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 20:45:26.87ID:u4sryLNE0
>>913  むしろ現代史の視点から、邪馬台国を見ると面白い

北九州の邪馬台国は、ヤマト王権による占領自治体でしかなく、
ヤマト本国は文武百官を置いて官僚制を模索しており、宗教分離が始まっていた

何も無かった場所に豪華な纏向の神殿が建設され、しかし唐突に神殿が廃棄されたのは、
ヤマト王権が必要とする宗教改革、つまり広域型の新宗教という社会実験が、成功裏に終わったことを意味する
0920名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 20:46:30.01ID:tUx4lrX80
>>916
そもそも架空の度量衡が存在したと主張するなら、
その理論的根拠と架空の度量衡が倭人伝の行程で当てはまることを証明する必要がある

一支国から末盧国はせいぜい50kmで、倭人伝ではこれを1000里と記述
1里=50m

伊都国から奴国の距離は現代の道路を通っても最短で23kmで、倭人伝ではこれを100里と記述
当時は直線の道路などなかったから30kmくらいあったかもしれない
1里=230m以上

1里あたりの距離が区間によって5倍も違うし、規則性などまったくない
こんな状況で、架空の度量衡が存在したと主張すること自体が無理筋
0921名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 20:50:53.58ID:gIT5x7BY0
>>920
そういう現代的な厳密性はないんじゃないかな
近ければ100里、少し離れてれば500里、海を渡れば1000里
帯方郡から狗邪韓国までにしても日数とかの係数を用いて出されてるんだと思う
全体を見渡すと里の解釈どうこうじゃなくて当時の地理の理解がわかるでしょってことだよ
0922名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 20:54:25.33ID:Cx+Tq7fc0
晋書 巻3 武帝紀 武帝=西晋初代皇帝 司馬炎
>泰始2年(266)11月
>倭人、来たりて方物を献ず。
>円丘・方丘を南・北の郊に併せ、ニ至の祀りをニ郊に合わせたり。

倭国から朝貢があって
前方後円墳らしきことが書いてる
0923名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 21:08:40.42ID:tUx4lrX80
>>921
つまり里数は当てにならないという主張だろ?
それでいいよ
帯方郡から九州上陸まで1万里とピッタリの数字なんだから、創作とみなすのが現実的

ちなみに帯方郡から狗邪韓国まで、沖合を無寄港で航行するというインチキをせずに
倭人伝にある通り、循海岸水行で航行すると、少なくとも1里=150mくらいになる
これも九州説信者が言い張る短里なるものとはかけ離れている

邪馬台国への距離を間違ってることが確実な里数から引き算で導こうというのが無理な話ってこと
邪馬台国への距離として、倭人伝の記述に実際にあるのは、水行二十曰と水行十日陸行一月だよ
0924名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 21:18:12.30ID:Cx+Tq7fc0
「ニ至」が冬至と夏至で
「郊」が天子の祭りと考えられるから
太陽信仰で266年は台与がまだ女王なのかも
そして前方後円墳があった

266年までに前方後円墳があったとこが邪馬台国である可能性がでてきたぞ
喜べ滋賀兵庫徳島岡山宮崎

福岡市博多区に3世紀中ごろの前方後円墳の那珂八幡古墳があるけど
あそこは奴国であり邪馬台国ではないのでので却下な
0925名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 21:18:55.21ID:gIT5x7BY0
>>923
違うよ
距離が誇張されてたとしても元になったものがあって
それは実際の地理の理解があったんじゃないかってことだよ
韓半島を進む距離は明らかに長くて海を渡ったら日本本土はちょっとでしょ
仮に近畿の位置にあったとして作為したとしても韓半島を長くする理由はないよね
0926名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 21:27:58.35ID:tUx4lrX80
>>925
それは、帯方郡から狗邪韓国まで距離を基準に架空の度量衡を捏造すると言ってるのと同じなんだよ
帯方郡から狗邪韓国の距離が公式の里と合わないなら、それは里数が間違ってるということ
架空の度量衡を捏造していい理由にはならない
架空の度量衡を他の区間に当てはめても全く合わないんだから、架空の度量衡は間違ってるということも証明されてるだろ

実際に倭人伝に書かかれているのは、「水行二十曰と水行十日陸行一月」
0927名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 21:36:39.78ID:gIT5x7BY0
>>926
短里の話をしてるじゃないって
この記述になった元の地理の理解だよ
里数を作為的に変えたとしても一から作るなんて馬鹿なことはしないでしょ
短いスケールを比べてると差は大きくなるけど韓半島と対馬海峡と
内陸のいくつかの国家の位置関係はまあまあ合ってるじゃない
0928名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 21:42:57.39ID:LnPqDYObO
5月を以て鬼神を祭り歌舞い飲食し昼夜休む事無し、十月農功終わりて復び之の如し(倭人条)。鬼神を信じ国邑各1人立て天神を祭ることを主らしむ、又別邑有り蘇塗となす大木を立て鈴鼓を懸け鬼神に事ふ(馬韓条)ハイチュウ。畿内は半島系です。
0929名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 21:46:40.05ID:hvi+fBw60
>>927
まぁ、倭国に上陸してからはともかく

帯方郡から狗邪韓国まで

なんて、里数も、一里の単位距離も間違わないよな
0930名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 21:49:16.55ID:hvi+fBw60
>>929
邪馬台国が「渡来人の勝手知ったる九州」にあったなら

上陸してからの、距離も、方位も、日程も、間違わないよね
0931名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 21:49:49.47ID:tUx4lrX80
>>927
>短いスケールを比べてると差は大きくなるけど韓半島と対馬海峡と
>内陸のいくつかの国家の位置関係はまあまあ合ってるじゃない

言い張るだけでなく、実際に合ってることを示してくれ
遺跡ベースのピンポイントで場所が確実な伊都国から奴国の距離は、
箸にも棒にもかからないことをすでに示した
0932名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 21:54:25.65ID:hvi+fBw60
>>931
伊都国が九州ならば、『魏志』には書かれないよ

邪馬台国は古の倭奴である・・でおしまいさ

行き方は、後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられてから150年間以上、何度も行っているんだから

わざわざ書き残す必要が無い
0933名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 21:56:07.22ID:hvi+fBw60
>>931
伊都国が九州ならば、『魏志』には書かれないよ

邪馬台国は古の倭奴である・・でおしまいさ

後漢(25年 - 220年)が57年に「漢委奴国王」に任じてから
150年間以上、何度も行って、行き方をみーーんな知っているんだから

わざわざ書き残す必要が無い
0934名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 21:57:25.91ID:hvi+fBw60
>>931
伊都国が九州ならば、『魏志』には書かれないよ

邪馬台国は古の倭奴である・・でおしまいさ

後漢(25年 - 220年)が57年に「漢委奴国王」に任じてから
150年間以上何度も行って、行き方は、みーーんな知っているんだから

わざわざ書き残す必要が無い

大切なことなので3回書きました
0935名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 21:57:28.66ID:Cx+Tq7fc0
3世紀後半 北に円、南に方がある前方後円墳で探して
天理市の西殿塚古墳ということになった 230m
ここなにかあるから掘れ宮内庁
0936名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 21:57:56.20ID:gIT5x7BY0
>>931
倭国内は近い国は100里、離れてる国は500里、海を渡れば1000里、この程度の正確さでしかないと思うよ
ポイントはやっぱり倭国内の距離が韓半島に比べてると少ないってことだよ
これが明らかに一大きな地理的理解なんだよ
0937名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 21:58:27.90ID:tUx4lrX80
>>927
>元になったものがあって

この書き方から短里だという主張と解釈したが
そんなものがないと言うことなら、「元になったもの」とは何?
途中で話が変わってるようにしか見えないんだが
0938名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 22:02:48.93ID:LnPqDYObO
高句麗条、十月を以て天を祭る。卑弥呼の国だけよ、朝から寝ないで飲み食いしてるの。畿内とは別の国。
0939名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 22:05:59.83ID:gIT5x7BY0
>>937
陳寿が元にした資料だよ
例えば元資料には普通の里で記述してあったのを誰かが改変したとしても
そこにあった位置関係は残されてるんじゃないのってことを最初から言ってるつもりなんだけどね
0940名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 22:10:53.49ID:tUx4lrX80
>>936
>ポイントはやっぱり倭国内の距離が韓半島に比べてると少ないってことだよ

結局、帯方郡から狗邪韓国の距離を基準にするという主張だろ
倭国内の距離は、区間によってバラバラで、そんな基準は通用しないと示しただろ
5倍も違って、一定の距離感があったなどと到底言えない
倭人伝の里数は正しくない
それだけのこと

一定の距離感みたいなものがあったと言い張るだけでは無意味だから、実際に示してくれ
0942名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 22:17:18.65ID:gIT5x7BY0
>>940
だから里そのものについて話してるんじゃないって

韓半島7000里と倭国内2000里

この地理認識はいくら元資料の里数を変えても残ってるんじゃないかってこと
細かいスケールの比で誤差を出したりしたらそりゃ大きくなるしまず厳密に当時の里数が正しいわけないよ
ただ韓半島と倭国内を進んだ距離は明らかに違うじゃない
0943◆HKZsYRUkck
垢版 |
2019/08/04(日) 22:19:58.92ID:H28FEkEe0
俺は「短里などを発明しなくても九州島内に収まる」と言う立場だが、それはさておき。

>>927
> 里数を作為的に変えたとしても一から作るなんて馬鹿なことはしないでしょ

この部分に関しては、一から作るほどハードルが高い話じゃないと思う。
たとえば、日本の中世(天正年間)の記録で、伝馬の駄賃が駿河西部を境に
西では6銭、西では1銭だった。同じ経済圏で物価が6倍のはずはなく、
その他の史料を精査した結果、西では1里=36町、東では1里=6町
だったことが証明されたのだ(相田二郎「中世の関所」1943)。

「里」というのは、寸や尺や歩のような直接の単位ではなく、
それらの基本単位の倍数であらわされる量だから、意外と
ローカルルールがあるし、そのローカルルールの中の人は
注釈無しに使うから、後世の人らに検出されにくいのだ。

もちろんこの話は短里があったことの直接の証明じゃないけど、
頭ごなしに比定するほど荒唐無稽な話じゃないことを示していると思う。
ただしこの理屈で行く場合、本来の里と短里との比は、必ず単純な整数に
なるはずだよね。
0944名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 22:25:19.91ID:tUx4lrX80
>>942
>韓半島7000里と倭国内2000里

だ・か・ら、その比較は里数が正しいという前提でないと、全く無意味だと実例で示しただろ?
実際に倭人伝に書かかれているのは、「水行二十曰と水行十日陸行一月」
0945名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 22:28:17.66ID:tUx4lrX80
>>943
ローカルの里を仮定したとしても、実際の距離に規則性がなく、区間によってバラバラなんだから
そんなものはなかったんだよ
0946名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 22:28:46.46ID:gIT5x7BY0
>>943
そこの文意はまったくでたらめに例えば帯方郡から狗邪韓国までの距離を作り出したという
ことは考えられないんじゃないかってことだった

短里があったとしてもあるいは普通の里で書かれていたものを誇張したとしても
やはり一律に数倍させる方法を取るのが妥当で地理認識は残るだろって思うんだよね
0947名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 22:29:49.78ID:tUx4lrX80
1万里も1万二千里も概念上の数字である可能性が極めて高いので
引き算など無意味
0948名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 22:36:27.61ID:gIT5x7BY0
>>944
里数を誇張したとしても完全に捏造しない限りは地理認識は残るはずだよ
仮に概念上の数字から作り出したとしても実際の行程の里数をそこにはてはめるぐらいはするでしょ
0949◆HKZsYRUkck
垢版 |
2019/08/04(日) 22:41:31.98ID:H28FEkEe0
>>946
なるほど、すまんかった。
>>943を書き込んだ後に>>942を読んで理解した。

>>945
俺も立場としてはこっちに近い(里程は信用ならん)だけども、
同じ単位を使っている圏内での比較に関しては、絶対値は関係ないよね。
0950名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 22:43:58.99ID:/lh3VvSi0
新羅の海人が日本人の先祖だって
スサノオも新羅出身だし
あめのひぼこもそうだしな
0951名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 22:44:04.46ID:tUx4lrX80
>>948
>地理認識は残るはず

一定の距離感があって、倭人伝の里数は比率では概ね正しいと相変わらず言ってるわけだ
こちらは、一定比率なんてものはなくバラバラだと、実例で示した
言い張るだけでは無意味だから、実際に例を出して証明してくれ
0952名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 22:47:42.65ID:3yDnKvyS0
九州説とかどうせ事実なんてどうでもいいんだから

会話するだけ無駄
0953名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 22:51:12.70ID:gIT5x7BY0
>>951
だから里数の比率なんて話してないんだって
韓半島と倭国内の進行距離が明らかに違うことがなにを意味してるかってことだよ
実際の地理認識を元にしていないのなら完全に捏造したんだろうか?
それはおかしくないかな
0955名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 22:59:57.97ID:tUx4lrX80
>>953
>だから里数の比率なんて話してないんだって

韓半島7000里と倭国内2000里の比較は無意味だと自分で認めてるわけだ
里の数値としては韓半島7000里の方が大きいが、実際の距離はどっちが長いか不明ということだ

間違ってることが確実な里数をもとに、里数の比較は無意味
邪馬台国への距離に使えるのは、「水行二十曰と水行十日陸行一月」のみ
0956名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 23:01:16.01ID:u4sryLNE0
>>954
まだ日本には本格的な文字記録がなく、歩き巫女が唄う神話が『メディア』だったからだよ
巫女さえ押さえておけば、歴史や神話の改変も容易だった
0957名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 23:11:34.10ID:u4sryLNE0
巫女の衣装って、どんなだったろう?
鬼道をアレンジした、ちょっとハイカラな巫女さんだったか
布を染める染料は一通りあるけど、生地に木綿が無い時代なので、麻布を雪に晒したホワイトかな?
0958◆HKZsYRUkck
垢版 |
2019/08/04(日) 23:13:35.74ID:H28FEkEe0
>>956
正確には男もいて、「巫覡(フゲキ)」だな。女が「巫」で男が「覡(巫偏に見)」。
特に出雲の巫覡集団が医療技術を持って各地に散らばったもんだから、
治癒神オホクニヌシが全国メジャーになっちゃった。
0959名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 23:17:08.22ID:tUx4lrX80
1万里も1万二千里も概念上の創作された数字とみなすのが妥当
帯方郡から狗邪韓国の7千里は、1万里から一部を切り取っただけ
概念上の数字同士の比較など全く無意味
0960名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 23:18:19.35ID:gIT5x7BY0
>>955
測量もあるかないかの当時ならある程度ばらばらになるの当たり前でしょ
でも韓半島と倭国内の大きな距離を間違えているとするなら明らかな作為がないとできないよ
つまりあなたは完全に捏造したって考えてるんだね
捏造するにしても元資料を数倍するか適度に割り当てればいいのにそんな無駄なことするかな
また韓半島や倭国が異常に巨大な面積になるような記述も避ければよかったんだよ
それはやっぱり稚拙すぎるから妥当性がないと思うけど
0961名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 23:23:23.94ID:eFDym7Ah0
>>926
我々が捏造してるのではなく、魏志に書いてる通りなんだからしょうがない
韓の大きさでもな
0962名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 23:25:00.89ID:LnPqDYObO
石上神宮が新羅だろ、奈乙に建てたといっとるし、。宮廷祭祀でも韓神のからをぎせむやからをぎせむやと歌舞いしとる。卑弥呼国は鬼神を相手に寝ずに飲み食いしてるからまったく関係ない国。恐らく鏡も女の足元に置いて覗く道具だったんだろう。
0964名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 23:27:56.01ID:fabLbdpp0
>>922
箸墓が卑弥呼の墓だとすると時代がピッタリだね
卑弥呼が亡くなったのが242~249年だから
それから10年以上かけて箸墓を完成させて
266年に普に報告した
0965名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 23:28:07.87ID:u4sryLNE0
>>962
人件費の安かった時代なので、エッチしたければ奴婢とやるだけで、
巫女に『萌え』や『チラリ』は無かったと思うぞ!
0966◆HKZsYRUkck
垢版 |
2019/08/04(日) 23:30:17.04ID:H28FEkEe0
>>960
当時の朝鮮半島は、製鉄のためにハゲ山になりつつある時期だよね。
だから風の神スサノオが息子の木の神であるイソタケルを連れて
木の国(紀伊)の熊野に降臨した。

一方の日本は、魏志倭人伝の末路国の記述にあるように、草木が生い茂って
前を歩く人も見失う密林だ。つまり、同じような起伏でも、朝鮮半島と日本列島とでは
見通す距離も違うし、当然、道の直線度も異なると思う。

>>963
出典を書き忘れたけど、松前健「日本の神々」だね。
古来から朝鮮半島と行き来していた出雲は大陸の医療技術も受容していて、
これがシロウサギの治療や、ハチやヘビや火傷などのオホクニヌシ自身の負傷の
治療に表れているんだと。
0969名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 23:33:51.43ID:tUx4lrX80
>>960
>元資料を数倍するか適度に割り当てればいいのに

なんだ結局、一定の比率があったと、また同じこと主張したいんじゃないか?
言い張るだけでは無意味なんだよ!!!
何度も出せと言ったが、実例を何も出してこないで、同じことをひたすら言い張るのみ
出せないならギブアップしろ

ちなみに、1万里も1万二千里も古代中国の世界観というのは渡邉義浩氏も言ってること
中国の勢力範囲が、漢代の1万里が魏代に1万二千里に拡大したという世界観を表したもの
0971名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 23:35:48.81ID:eFDym7Ah0
目の前の相手をギブアップさせたからといって、その説がこの世からなくなったり、正しくなくなったりするわけでもないんだがな
0974名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 23:38:49.61ID:u4sryLNE0
皇室を信奉するあまり、強いて大きい九州王朝があった、と信じたい人は居るね
0975名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 23:40:13.52ID:eFDym7Ah0
この説こそが正しいということはなかなか言い切れないが
ダメなもんはダメということはある
煤で炭素14を測って、そのままの数字を使うというのは後者の類
0977名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 23:50:01.71ID:gIT5x7BY0
>>966
ほんとによく読んで
1万2千里という概念的な数字を畿内までの距離に合わせるにしても
なんで韓半島を長くして倭国内は短くする必要があるの?
韓半島は四方4千里って記述されてるけどこれもその影響なの?
魏の間近に魏より大きな領土を持った国があることになるよ
0979名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 23:50:52.87ID:y35mCTW20
グーグル翻訳が
倭国王帥升等を皇家女王等と訳すんだから
邪馬台国の女王は国王のこと
0980名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 23:55:02.86ID:y35mCTW20
グーグル翻訳
邪馬台国王帥升等→国王陛下

国王陛下とか皇家とか訳されるんだから
金印の持ち主が、皇族や国王陛下と関係あるんだろ
0981名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/04(日) 23:59:34.16ID:fabLbdpp0
倭国王帥升等は、倭のクニオシヒトと読み
第6代・孝安天皇(本名クニオシヒト)のことだという説が一番好き
0982名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/05(月) 00:04:21.47ID:plaS/e2z0
>>977
漢代の倭奴国王の朝貢が万里だからだよ
魏代に邪馬台国まで二千里増えてたという世界観
0983名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/05(月) 00:06:02.85ID:mBRJ5JNI0
議論は永遠の平行線って日韓のことじゃなかったのか
いや日韓はもう乖離し離れ続けるだけか
0984名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/05(月) 00:07:32.22ID:CABQ1gP60
>>982
とうことは漢代から韓は四方四千里の超大国の認識だったってこと?
それはおしくないか
0985名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/05(月) 00:36:15.96ID:NvhBMVmR0
>>981
ほう。真偽はともかくそう言う読み方があったか。
ただ惜しむらくは、孝元天皇の事績が伝わっていないこと。
記紀の読み方によってはあるのかもしれんが。
0986名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/05(月) 00:46:11.44ID:YvlbJWXB0
畿内説のネックは卑弥呼と壱代にしっくり当てはまる皇族がいないこと
0987名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/05(月) 00:55:30.42ID:nhcdc/bl0
>>986
邪馬台国機関説wをとるなら、ヒミコは大和王権の高級官僚ですね
王族の可能性はありますが、役職としては官僚なのでは?

少なくとも、世俗化・官僚化・広域化の進む、纏向時代のヤマト王権では、
祭政一致の国家元首ではありえません
0988名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/05(月) 01:01:09.04ID:2Az6YBa10
いつまでやるの?
0989名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/05(月) 01:01:21.25ID:NvhBMVmR0
>>986
畿内説信者ではないが、
皇族でなくても問題ない件
0990名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/05(月) 01:02:28.31ID:NvhBMVmR0
>>988
行程信者が飽きるまで。
0991名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/05(月) 01:05:45.71ID:2Az6YBa10
さあ埋めようか???
0993名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/05(月) 01:08:22.20ID:OBP5iX0P0
>>624
イトに対する当て字が倭奴ということだな
わざわざ卑しい意味の字を当てていることに気付かないとはな
0995名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/05(月) 01:26:18.65ID:KQ7j0yUr0
焚書が行われたのだろうな
完全に捏造されたのだろう
0996名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/05(月) 01:48:35.13ID:1h6zBb2t0
焚書された文献の引用が残っている。

邪 馬 台 国 へ よ う こ そ

■廣志逸文の記述
廣志曰く、倭國東南陸行五百里、
到る伊都國(糸島付近)、又南、至る邪馬嘉(臺)国(筑紫平野?)。
https://i.imgur.com/bmslFbs.png

■アクセス
伊都国の南 徒歩すぐ
0997名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/05(月) 02:28:28.25ID:1RnLZVXc0
奈良説は生活の為
0998名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/05(月) 02:29:06.31ID:1RnLZVXc0
奈良説は生活の為に必要だ
0999名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/05(月) 02:29:42.96ID:1RnLZVXc0
奈良説は生活の為にはかかせない
1000名無しさん@1周年
垢版 |
2019/08/05(月) 02:30:29.77ID:1RnLZVXc0
生活の為にはどんな嘘でも平気で付ける関西土人
10011001
垢版 |
Over 1000Thread
このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 2日 8時間 13分 42秒
10021002
垢版 |
Over 1000Thread
5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。


───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────

会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。

▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/

▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。

ニューススポーツなんでも実況