飛鳥京跡苑池・北池で見つかった流水施設の遺構。水は一番奥の湧水(ゆうすい)点から、手前の溝に向かって流れていたとみられる=奈良県明日香村で2019年8月8日、梅田麻衣子撮影
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飛鳥京跡苑池
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 国内初の本格庭園と位置づけられる奈良県明日香村の飛鳥京跡苑池(えんち)(7世紀)の発掘調査で、水が湧き出る場所(湧水(ゆうすい)点)を中心に石組みで人為的に水を流した施設の遺構が見つかったと県立橿原考古学研究所(橿考研)が8日、発表した。天皇のみそぎなど祭祀(さいし)に深く関係したものとみられる。南北二つの池で構成される苑池は従来、主に観賞用と考えられてきたが、役割の再考につながる発見で、専門家も注目している。

 5月以降、北池の北東部の約476平方メートルを調べたところ、1辺約80センチ〜1メートルの枡(ます)状をした湧水点が見つかり、そこから西に水を流す溝(幅30〜80センチ)と別の枡も確認された。全長約11・5メートルで途中に木樋(もくひ)が渡されていた可能性もある。溝は南北に通る溝に合流し、傾斜から水の流れは北に向かって池の外まで続いたとみられる。これらの遺構の周辺一帯には石が敷きつめられ、湧水点の北側には階段状の遺構もあった。

 遺構の状態などから、湧水点や階段は斉明天皇(在位655〜661年)の時代に、溝や石敷きは天武天皇(同673〜686年)の頃にそれぞれ造られたと考えられる。

 調査が先行した南池は池の中に島を配するなど観賞目的の性格が強く、北池は貯水機能が主体と考えられてきた。人為的に水の流れを作っていることなどから祭祀との関係が強まった。

 水を使う祭祀が行われたとみられる場所は古くから存在し、邪馬台国との関連も指摘される纒向(まきむく)遺跡(同県桜井市)でも見つかっている。亀の形の水をためる石造物が出土し、同様に祭祀の場と考えられる酒船石(さかふねいし)遺跡が北池の東約400メートルと近接し、時期も重なる。今回の遺構もこうした系譜の上にあるとみられる。

 小野健吉・和歌山大教授(日本庭園史)は「古代には、地下から水が湧き上がる場所が別世界とつながっている不思議さがあった。南北で池の機能が分かれ、北で祭祀をした後、南で楽しむといったことも考えられる」と話す。

 現地説明会は10日午前10時〜午後3時の間、1時間置きに開く。問い合わせは橿考研(0744・24・1101)。【藤原弘】

 ■ことば

飛鳥京跡苑池

 飛鳥時代の5人6代の天皇の宮殿跡が重なっているとされる飛鳥京跡にある苑池で、1999年に初めて確認された。天皇の宮殿などがあった内裏に相当する内郭の北西に隣接する。全体の面積は約2万7400平方メートルあり、2003年に国の史跡・名勝に指定された。

毎日新聞 2019年8月9日
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