【大分】古代中国の鏡?なぜ大分に 「曹操の墓から出土の鉄鏡と酷似」指摘も
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https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20190906000236_comm.jpg
「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」=「国華」から
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20190906000234_comm.jpg
曹操高陵出土の鉄鏡。全面さびに覆われている=潘偉斌研究員の発表から
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20190906000231_comm.jpg
“華麗さでは随一”と多くの考古学者が太鼓判をおす古(いにしえ)の鏡がある。「金銀錯嵌珠龍文(さくがんしゅりゅうもん)鉄鏡」。大分県日田市で戦前に見つかったものとされ、装飾の巧みさから1964年に重要文化財に指定された。由来を含め多くの謎が残るこの鏡が、三国志の英雄・曹操の墓から出土した鏡とほぼ同じ…
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朝日新聞デジタル 2019年9月6日05時00分
https://www.asahi.com/articles/DA3S14167103.html 秦王国だっけ
当時、日本に来た中国人が、中国と変わらんとぬかしていたよな 曹操は官渡の戦いの前に倭国へ援軍の要請をしたのかも ●金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)
復元写真
http://i.imgur.com/cWaweIN.jpg
大分県日田市日高町にあったダンワラ古墳から出土したと伝えられる弥生時代中期の鉄鏡。
金銀を象眼した鉄鏡は、日本国内ではこれしか出土していない。
中国の三国時代に書かれた『曹操集訳注』には、
魏の曹操が金錯鉄鏡を持っていたと記されており、
この種の鉄鏡は高位の支配層の所持物であったと考えられる。
1933年(昭和8年)、国鉄久大本線豊後三芳駅付近で、線路の盛土を採集している際に
出土した石棺の中から発見されたとされる。
しかし、この鉄鏡は注目を集めることなく、行方も分からなくなった。
1960年(昭和35年)に京都大学の梅原末治が奈良の古物商からこの鉄鏡を買い取り
天理大学附属天理参考館に依頼して研ぎ上げると、
1962年(昭和37年)に金銀玉による模様が施されていることが明らかになった。
そこで、梅原は、発見者の渡辺音吉の案内のもとで現地調査を実施。
その結果、日田市日高町の通称ダンワラと呼ばれる場所から出土したものと判断され、
その場所がダンワラ古墳と呼ばれるようになった。
ただし、発見から調査までの間に約30年が経過しており、
出土地点は前述の線路工事によって発見当時に破壊されていたため、
ダンワラ古墳が実際の出土地であったかどうかは確かではない。 >>5
これが奈良から出ました! って言い始めたらねつ造だよね! 文献に残らなかっただけで大分で赤壁の戦いみたいなのがあったんだろう >>9
3世紀ごろの朝鮮半島北半分は漢民族支配だし朝鮮半島経由でもあながち間違ってはいないんじゃね?
朝鮮民族経由は間違ってもありえないとは思うがw 日本人が魏に行ったのは曹叡の時代らしいから、貰って帰ってきたってのもアリやろ
そこからどうして大分にまで渡ったのかが問題なんだろうけど そりゃあ邪馬台国は魏に使者を送ったんだから
何かもらったんだろ まさか部下の司馬イが天下取るとは思わなかったろうな そりゃ大陸から近い九州では鏡くらい見つかるやろ
これが北海道とかで見つかったのなら「なぜ」ともなるが >>5
金印は本物でしょ
なぜあそこに埋められていたのかは判らないけど 邪馬台国は無かったと思うんだが
紀元前から天皇陛下がおられたのに朝廷を通さずに勝手に外交をするはずがない 当時の中国の使者にもろたんでは?
奈良方面に引っ越す前の卑弥呼か誰かが
時代が違うか? >>1
そりゃ、日本はそもそも中国と韓国から来たからだよ >>1
>大分県日田市で戦前に見つかったものとされ、 邪馬台国なんだろうかね
やはり九州は大分福岡あたりが有力 >>32
南部は韓国じゃなくて、フィリピン人が住んでた。伝承にもツングース民やないんやでと書いてある
で遺伝的には北部ツングース、中部中国、南端フィリピン系の遺伝構造
但し農地拡大でこの人口バランスは過去数百年で崩れた >>5
中国というのは、昔の(中国の地域にあった国、唐とか)遺物を他国にて発見したことにして、ここは中国のものだと言い出すそうな
ロシアの辺りを元は中国だと言う、ソコソコエリートの中国人から聞いた時は、いや、あれはモンゴル帝国だし、元はモンゴルだよとツッコミ入れたわ また金印が出てきて皇帝になろうとする人が現れるかも ・駅裏は他駅に漏れず長年Zが巣喰ってた
・筑紫チョル也の故郷、なのにどこに住んでたとか生家とか聞いた事ない
・織田無道がイメージキャラしてたパチ屋あり
・ひるおび愛ちゃんの故郷
・ムツゴロウさんの故郷
・だけど、夏場は最高気温の常連 大分→豊前、豊後→豊の国→台与
卑弥呼の後継の時に贈られたものかな。 人は記憶型と思考型に大別できる
『晋書』
宣帝之平公孫氏也其女王遣使至帯方朝見
宣帝(司馬懿)が公孫氏を平らげるとその女王(卑弥呼)は帯方(平壌の南)に使いを寄越し朝見した
で、その司馬懿と諸葛孔明の対決
大軍を率いる司馬懿
城を守る兵がいない孔明
司馬懿にただ1人で挑む孔明、果たして城を守れるかのか・・・・・
司馬懿 「これは孔明の罠だ」
https://www.youtube.com/watch?v=EzIj5ZiNRYQ 曹操の墓は罠がいっぱい仕掛けてあるって、聊斎志異で読んだぞ 中国の鏡?
いや我々自身が日本の鏡なのだ!
愚か者!禿彡 ⌒ ミを知りなさい!
全ての道は禿道へ通ず!
禿は国家なり!
それは、大和民族の最終形態彡 ⌒ ミにして究極の姿
今、少子高齢化により大和民族は日の丸と一体化、融合する彡 ⌒ ミことに覚醒しつつあるのだ
そこのお前も日の丸と融合しつつあるのだ
運命を受け入れよ!
「あなたは髪を信じますか?」と聞き廻った生まれるのが早すぎた天才ザビエル彡 ⌒ ミ(1506-1552)が予期していたと言われている
ニーチェ(1844-1900)が「髪は死んだ」という言葉を残したのに先刈けていたのである
問いを投げかけた天才も、解を見出した天才も、禿が真の姿に目覚めるには必要であったのだ
まもなく過半数が最終形態である完全体彡 ⌒ ミに移行する
(禿のシンギュラリティ)
その時、ハゲマルドンにより黄金に輝く日出ずる頭彡 ⌒ ミの力が解放される
高輪ゲートウェイとは高輪禿道彡 ⌒ ミ
つまり高いところに輪が輝き、開かれた道が照らされることを祈念して作られた詩的な素敵な駅なのだ
https://youtu.be/9pVZ1jCY09s
私には夢がある。この動画の後半で流れる歌が国歌となり、全ての国民が同時に皆で歌うという夢が。 大分県出身で考古学マニアの苅谷俊介と西部署の見解を聞いてからが始まり 大分といえば宇佐神宮だが、やっぱりなんかあるのか? 朝鮮人が日本に亡命するにあたり手土産にくすねてきた偽物 名探偵が見事この事件を解決してしんぜよう。
曹操と言えば河南省。河南省と言えばダルマ禅師が
禅宗を広めた場所でありダルマ和尚が少林寺拳法を
広めた場所
つまり河南省は元祖
筋トレの聖地でありマッスルの聖地
当然に少林寺拳法でカラダをムキムキにした
禅宗の禅師達が欲しくなるもの。
そう自分の鍛え抜いたマッスルを映す鏡!!
つまり臨済宗と曹洞宗のお坊さんが河南省で
仕上げた自分のムキムキの自分のカラダを日本で
見せびらかすために持ちあるていた河南製品のマッスルミラー!!
これで謎はすべて解けた!!
筋肉はいつも ひとつ!! 河南省のダルマ筋肉ジム(少林寺)愛用の
マッスルミラーを鎌倉時代に臨済宗か曹洞宗の
お坊さんが持ち帰った説ううううう 古代中国っておかしい表現やめろよな
清とか明とか正しい呼称で言えよ
中国って言うのアメリカが決めた呼称だ
本来中国は日本の中国地方の事が先だ
洗脳されまくってる日本人 じゃあ真面目に正解を教えてやる
答えは旧約聖書にある。
曹操と言えば河南省。カナンは旧約聖書では約束の土地の
名前であり同時にノアに呪われた邪悪な民族である
カナン人が住んでいる場所の名前でもある
そしてカナンの邪神はバアル神。
神武天皇が産まれたのは九州の皇子原(おうじばる)神社
そう。神武天皇はカナンの神、皇子バアルである。
ゆえにカナンの末裔がたくさんすんでいるであろう
九州にカナンに墓がある曹操と同じ祭具がでてきても
不思議ではない。
それはノアの子ハムの子孫。呪われたカナン人が
使う神具ということである 日本と中国は交流していた。
朝鮮半島はその通り道というだけ。
(むしろ、朝鮮の連中が、日本と中国の友好的な交流を邪魔することが多かった。例:倭王武上表文)
中国由来の者を「朝鮮半島から来た」という奴がいるが、
「消防署の方から来ました」という消火器詐欺師と同じだよ。 日田は超重要な場所、
九州に対するヤマトの楔、
日田を征した者は九州を征す
みたいなことを関祐二が言ってた 曹操のやつ腐食しすぎで原型ないけどほんとに同系か? だから
神武天皇→皇子原(おうじばる)→皇子バアル→カナンの神バアル→河南(カナン)の神→河南省→曹操
旧約聖書にでてくるカナン人が
九州一体と中国河南省に住み着いた時のバアル崇拝のなごり ┏( .-. ┏ ) ┓
【ボードゲーム盤、大阪ジュマンジ🎲構想】
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大阪の主要路線図を眺めて見て下さい
ジュマンジの様なボードゲーム版になって居ます
フジテレビの為の世界です
--
*新大阪駅
*One World(New World Order)勢力のフジテレビや
安倍「晋」三首相が
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続きは、下記のアドレス先のPをクリック
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1169949746624004096
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 普通に交流してた。後漢の飢饉や反乱で日本に亡命してくるから中国人たくさんいた 倭人は模様や文字の意味はわかってないからな
でかい方が価値があると考えたと思うわ
世界最大直径40cmの平原遺跡のやつとか 大分の鏡が当時の中国で価値があったかは疑わしい
曹操は墓を豪華にするなと遺言している
実際でてきた鏡はこれ1枚だけだしあとへんな土細工くらい
かなり質素なもの
鏡が40枚そのほかが出てきた平原1号墳の方が豪華 >>71 の続き
で、その公孫氏の一族だろうが公孫賛に身を寄せていた趙雲の映画『三國之見龍卸甲』
https://www.youtube.com/watch?v=H0DPeGu9n64
前半は若き日の趙雲
後半は老将となって北伐に参加
押し寄せる魏の大軍、最後の戦いに挑む趙雲 大分からはたいがいなんでも出てくる。
宇佐平野のところに昔からくにがあったし
大分の県南なんか水銀の産地だったりしたし
日田の近所もむかしからいろいろある 古い鉄鏡めくり ありがとうってつぶやいた
<中略>
君への想い 涙そうそう ← 飾っておくにはいいもんですから、大事になすってください。 織田信長は単なるお人よしで部下に舐められまくり。
曹操は万能の天才。 世界最先端国の中国を頂点に近い順から上位なんだから
日本じゃ九州北部が国内で一番の先端都市だろうよ 朝鮮半島の太守だった公孫氏が私欲に走り情報を遮断してたため
中国にとって倭国は長い間未知の領域だった
公孫氏を殲滅後にようやく倭国と中国は互いに交流をもち、
その時の倭王が卑弥呼というBBAだった
…というのが魏志倭人伝の内容 だから九州が邪馬台国だからだろう。もうわかってんじゃん。
癒着利権のお偉いさんが畿内に無理矢理持って行きたくて 駄々をこねるからおかしくなっている現状w >>76
邪馬台国はやっぱこのあたりにあったんだろうな 当時は九州北部が先進地帯だったからな、今からは想像もつかんが >>86
まあ言いたいことは分かる
三国志の三国時代までが古代中国かな。疫病と戦乱と飢餓で人口が90%激減した時代
ここで本来の中国は終わっている。
その後北方民族である鮮卑・匈奴・女真・契丹などが流入し、鮮卑族による隋や唐が栄える
さらに南宋が蒙古によって滅亡し、モンゴル帝国、ツングース系(女真族)による清国の時代へ そら卑弥呼が魏と通じてたんだからそういうことやろ
近畿説終了 (-_-;)y-~
俺が作ったSファイルに大分県、豊後はあるよ。
国東半島に「真玉」という地名があるねん。 もっと分かりやすい名前をつければいいのに。ドラゴンの鏡とか >>67
邪馬台国、トヨの末裔が豊臣秀吉。
朝鮮出兵は、魏の再興。千利休切腹と関係? >>63
中国人は俺も知り合い何人かいるけどおかしいの多いよ
特に共産党支持者はチベットで弾圧と拷問してることすら絶対に認めない 大分にあったのは、天皇系の国家じゃないと言われてるよ
宇佐神宮とかも主神差し替えてる臭いからな 古代や現代の中国っていうと、中国というのがず=っと続いてるという
錯覚をしてしまうから、やめろ。
国も民族も宗教もすべて変わってるんだから。
イタリア人がローマ4000年の伝統とか、
ギリシャ人も3000年の伝統とか、
イラク人もメソポタミア5000年の歴史とか、
エジプト人ですら、エジプト5000年の歴史とか言わないだろう。
中国とそのまねしいの朝鮮だけだ、
ありもしない5000年の長い歴史とかアホな宣伝するのは。
古代から2000年以上の歴史と名乗れるのは日本だけ。 >>86
「国」が国名について呼称するのは
中国と韓国だけ
これらは、中華と韓でいいんだよ
ちなみに明とか清とかは王朝の名前だからな >>86
百歩譲って現代のあの国を中国というのはありだけど
歴史的に正しい呼び方は古代支那だよな
>>134
漢字を使用している日本にとって他国を中華と呼ぶのは自虐世界観だ >>133
ほぼ全員言ってるだろw
だから宝物も返せって話になる 日田なんて狭くて不便で、夏は暑いし冬は寒くて人の住めるところじゃないぞ >>137
九州説の連中はどうしても邪馬台国を矮小化したいんだよね。
朝鮮半島の方が発展していたと主張したいがために。 日本はかつて「姫氏国」 という
倭漢通用の国称をもっていた。
姫の姓は本来、黄帝や周王に関わる者の姓。
曹操の曹姓も姫姓である周の武王の弟・振鐸が
曹に封じられた時に始まるを由来とする
卑弥呼が姫巫女(ひめみこ)だったとするなら
姫姓を継ぐ周王朝の末裔だった可能性がある
というか日本自体が周(姫)の末裔だから
高貴なひとを姫様と呼ぶのではとも言われるから
曹操もとい曹氏とはつながりがあっても
なんら不思議はないのです というか日本の呼称である姫氏国の姫の姓が
周王の末裔ではなく黄帝そのものの直系を示すなら
なんで聖徳太子があんな偉そうな態度を中国の皇帝に
とれたかも納得いくし
なんで曹操の鏡と日本から出土した鏡がクリソツなのかも
全部簡単に説明つくんだけどな
ようするに本物の姫(黄帝=最初の皇帝)の末裔が日本人で
皇帝ゆかりの品々を日本まで持ってきてたという
だけのこと 邪馬台国は九州だよなって話以前に、九州を経ずに近畿でいきなり統一政権湧きましたって
物理的にどうなんだって思うわ 太陽を反射させて民に神の力だと騙すために使ったのかね。 >>145
九州は自然災害が激しいんだよ。
なぜ大和朝廷が奈良盆地で誕生したのかを考えればわかるだろ? >>147
わからんよ。九州で国家として成功せずに近畿で成功しましたっておかしいだろ。
順序から言えば九州で成熟して徐々に東にってのは日本の歴史の常だよ
天皇家中心の歴史観故に九州をすっ飛ばしてきただけじゃないか 魏志倭人伝にある邪馬台国連合国は
宮崎を中心に佐賀、福岡南部、熊本、大分まで広範囲にあった。
卑弥呼の後継の台与・豊玉姫の大分で鉄鏡が発見されるのは当然だ。 金印、銀印、竹簡が出土されると
邪馬台国は九州に確定。
秦以前から交流あったかもしれない。
国宝になるかも? 支那産がサビサビ過ぎて、どこが似てるのか分かんない >>8
直接下賜されるものがなんで朝鮮を経由するんだよ。 大分県民からすると日田と中津は大分ではない
日田は日田だし、中津は福岡 >>51
昔読んだ漫画では。
朝貢して金印ゲット!でも帰国したら国が滅びていて再起の時まで埋めて隠してそのまんま。 >>133
ローマは4000年も無いだろ
イラク人もエジプト人も言うぞ 魏志倭人伝の魏志が三国志と気付いた時はちょっと感動した
熟語みたいに覚えちゃってるよね >>34
邪馬台国の傘下の諸国に鏡を配ったとかだろうな。 発掘調査によらず偶然発見され経緯が不明瞭なものなら
福岡の漢倭奴国王の金印が有名だが
宮崎は紀元前2世紀前漢時代の穀璧(玉璧)がある
大分の曹操の鉄鏡?と合わせて
不明瞭性からあまり語られはしなかった
金印は本物として藤村ゴッドハンドではない物として通っているが 魏滅亡後倭国亡命した帯方郡要職者か王族のものだろ。
その後九州に倭の五王に見られる大陸風諡を冠する倭王が誕生し、大陸外交を向上させるノウハウが吸収されると同時に半島含めた支配権を百済より先行して有利に展開することに繋がったわけだろ >>51
古代志賀島は人も入れぬ安曇族の聖地だったし、安曇族が日本各地に移る時に聖地に埋めてったんだろ >>154
むしろ北九州市からむこうは大分だろ
博多弁とは言葉がまったく違う 日田は邪馬台国連合国家でも有力だったので卑弥呼から鏡を貰ったんだろう。
卑弥呼の住んでいた筑後地方、敵方の狗奴国は熊本県北部、邪馬台国と狗奴国が
正面衝突している隙をついて日田から山道を通って狗奴国の中心部に攻め込む作戦が
とれる、日田は絶好の位置にあった。 >>162
燕人・張飛の絵は何れも褐色か黒人みたいに黒く描かれている
日焼けしてた可能性も有るが
倭人じゃないかと思う
倭人が朝貢に訪れた絵でも褐色の肌色で描かれている >>143
このスレのお題は「鉄」の鏡なんだが。
製鉄は今のトルコで発明された技術で、中国の鉄の歴史は浅い。
黄帝時代の中国に鉄なんぞ無いぞ。 >>86
中国は昔から支那だろ
支那が→China >>179
発見できなかっただけで
今回の曹操墓によって、覆るかもしれない。卑弥呼、トヨの墓もこの近辺かも? >>25
魏の王族しか持ってない豪華な飾りの鏡が日本ではここでしか出てないって重要発見じゃん。
倭人伝に書いてないだけで卑弥呼に関連する鏡の可能性が極めて高いのに出土地点が怪しい。
卑弥呼の墓が見つからないのはそれまでに壊されていて残ってないからでは?
近代の道路や線路工事だけでさなく、戦国時代でも古墳を壊して城作ったりしてるからね。 >>52
それは大和朝廷が記紀で言いたかったことだよね。
だけど大和朝廷自身がそれがウソだというのは認識しているからこそ様々な偽装工作しているわけで。 しかし、珍しく畿内派は黙りだね。ショックで言葉も出ないのかな、、
なんか可哀想になってきたよ。頑張っていいよ。 まあ邪馬台国はどう考えても四国にあったにちがいない 纏向遺跡が見つかった時に奈良説信者は小躍りして喜んだだろうが
出土した物、極めて非文明的な物しか出てこなかったじゃ無いか。
纏向から北部九州では普通に見つかる硯や絹布、金銀製の装飾品でも見つかれば
鬼の首を取ったように騒いだだろうが、今は静まりかえっているな。 >>190
纏向は掘れば掘るほど5世紀くさいからな 九州が邪馬台国だと思うがなー。卑弥呼の墓や祀所も九州にあると思う。
当否はともかく、井沢元彦らの宇佐神宮に卑弥呼が祀られている説も、それなりに説得力
あると思う。
何しろ大陸に近い。天孫降臨の地は九州だ。 >>86
アメリカ人がChinaの訳語に中国って漢字をあてろと命じたなんて話は聞いたこともないが。 天孫降臨で九州に降り立ったと言われる
天照大御神とされる人物が
黄帝の末裔である『姫姓』を継いでいる皇帝の縁者で
姫神(女神)として日本神話に取り入れられたんじゃね?
だから出土品は黄帝から続く姫氏の子孫の皇室の品々で
大昔に姫氏が形見分けしてそれが長い年月を経て
九州と河南省から見つかったと 神=シン=秦=シナ
だから日本は神(シナ)の末裔で黄帝の直系である
姫の本姓を継いでいると
だから新年の姫初めは漢字で火水(ひめ)初めとも書くが
これは火水(かみ)と読む。
だから日本は火水(ひめ)の国であり火水(かみ)の国
その正体は神=シン=秦=シナの皇帝の直系であり
姫氏の国であると
まあ大和民族の正体はこんなところかな 秦では焚書坑儒が行われ漢では史記を無理矢理書かせ編者は処されているので支那のことは分からんことが多いわな
文字資料があるからといってそれに固執していては実態を見誤るだろう 鉄鏡が貴重な一品モノだったのか、、市販の量産品とは考えないのかな、量産品なら日本に有ってもおかしくないし、、
日本で古墳から出てくる銅鏡は葬式用の量産品だったからな…明らかに加工中のが出て来ている >>196
降り立ったのはニニギノミコトだから
君はただの知識不足
新説を出せるレベルに全然たりない >>193
材料が鉄+金銀などで装飾+龍が描かれていた
もうセット品なんじゃないかというレベル 邪馬台国は福岡佐賀大分、狗奴国は熊本だね。
で神武天皇は日向出身。海幸彦、山幸彦の話も宮崎。
天孫族は実は沖縄から北上してきた一族?それとも徐福など海に新天地を求めた中国人の子孫?
そうとも思えるけど天孫降臨は倭国大乱前(卑弥呼前)かトヨの死で邪馬台国崩壊後に
険しい山道を越えて宮崎に逃れた邪馬台国勢力圏の人間のような気がする。 >>201
じゃあニギギをタイに連れていって
性転換してお姫様にすれば問題解決ううううううう だから卑弥呼=ひめみこ=姫御子で
卑弥呼は姫(黄帝)の御子(子孫)って意味なんじゃね?
だから黄帝ゆかりの品々をもっていて
たまたまそれらの副製品?が河南省の曹氏の曹操にも
渡っていたと >>200
仿製鏡という劣化コピー品と
舶載鏡という仿製鏡の元になる輸入品がある
舶載鏡ならそれなりの有力者有力勢力 239年
銅鏡2、3枚ください
と覚えたけど
鉄鏡もあったんだね。 >>201
知識不足は貴様だ。ここまでヒントを出して
答えにたどり着かないのだから
鏡の発明者は古代中国では嫫母という人物だ。
この嫫母は黄帝の后でその出自は倭。
つまり日本人。
倭人だった嫫母が黄帝に作って見せたのは石板鏡だが
それはつまり鏡を作る技術が倭から中国に
伝播したことを意味している
これが不思議だと考古学者や民族学者というものは
本当にたいしたことがない。
鏡の発明者が倭人の嫫母であった時点で
必然の結果であろう。
そして黄帝の妻が倭人であったのなら
倭に黄帝の子孫。つまり黄帝の姫の姓を継ぐ姫氏が
移民してきてもなんら不思議はない
そして嫫母の子孫なら必ず黄帝に褒められた手柄である
『鏡』を象徴に持つ。
卑弥呼が姫御子(ひめみこ)の隠喩で鏡を大事に
もっていたなら答えはひとつしかあるまいよ
それは嫫母の子孫のお姫様達だとということだ。
そしてこれが黄帝の直系たる嫫母と黄帝の血に
交わった倭人が中国王朝に偉そうな態度をとる理由であり
今の天皇家が鏡を崇拝する理由だとなぜわからない
答えすでに鏡を大事にしているという時点で
書いてあるだろう? 鉄鏡は三国志の戦乱が元で生まれた文化らしい
中国側の研究者が下記のように述べている
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku365.htm
> 魏や晋の時代、中国の北方では、銅材が不足していた。
> このことについて、中国の考古学者、徐苹芳氏は、「三国・両晋・南北朝の銅鏡」(王仲殊他著『三角縁神獣鏡の謎』角川書店、1985年刊所収)
> という文章のなかで、つぎのようにのべている。
> 「漢代以降、中国の主な銅鉱はすべて南方の長江流域にありました。三国時代、中国は南北に分裂していたので、魏の領域内では
> 銅材が不足し、銅鏡の鋳造はその影響を受けざるを得ませんでした。魏の銅鏡鋳造があまり振るわなかったことによって、
> 新たに鉄鏡の鋳造がうながされたのです。数多くの出土例から見ますと、鉄鏡は、後漢の後期に初めて出現し、後漢末から魏の時代にかけて
> さらに流行しました。ただしそれは、地域的には北方に限られておりました。これらの鉄鏡はすべて夔鳳鏡(きほうきょう)に属し、
> 金や銀で文様を象嵌(ぞうがん)しているものもあり、極めて華麗なものでした。『太平御覧』〔巻七一七〕所引の
> 『魏武帝の雑物を上(のぼす)すの疏(そ)』(安本註。ここは『上(たてまつ)る疏(そ)』と訳すべきか)によると、曹操が後漢の献帝に贈った品物の中に
> ”金銀を象嵌した鉄鏡”が見えています。西晋時代にも鉄鏡は引き続き流行しました。洛陽の西晋墓出土の鉄鏡のその出土数は、
> 位至三公鏡と内行花文鏡に次いで、三番目に位置しております。北京市順義、遼寧省の瀋陽、甘粛省の嘉峪関などの魏晋墓にも、
> すべて鉄鏡が副葬されていました。
> 銅材の欠乏によって、鉄鏡が西晋時代の一時期に北方に極めて流行したということは、きわめて注目に値する事実です。」
つまり魏には銅が無かったから苦肉の策で鉄を材料にしなければならなかった訳だね
逆に言えば鉄鏡は魏〜西晋の文化と言ってもいいだろう これで纒向一派は大人しくなるかね
あいつら根拠なく卑弥呼と天皇家を結び付けたがるし
ゴッドハンドと同じくらいタチが悪い >>210
>逆に言えば鉄鏡は魏〜西晋の文化と言ってもいいだろう
それが九州から出土するってことは、魏志倭人伝に記された邪馬台国は九州の可能性が高いってことだね
当時の畿内には>>1と同等レベルのお宝は全く存在しないし 戦争のドサクサで盗んできたんだろ
どうしようもないな いや鏡を発明した黄帝の奥さんの嫫母が倭人の時点で
なんも不思議じゃないわ >>214
どういう縁で嫁いたんだ 皇帝の嫁なんて高家の娘でないと無理だろ…将来の国母だからな
政略結婚か 人質に手を付けたか、、倭が相応の存在力があったとしか思えないのだが 由来云々は知らないが皇室が亀卜を行うのは殷と関連ありそうだよね 倭国ってのは北部九州と朝鮮半島南部の事を指すから邪馬台国は韓国にあったニダ日本の起源は我々ニダ >>215
相手をするだけ無駄だぞ
古文書に「嫫姆・倭傀」と二人の個人名が並記されてるのを
「嫫姆は偉大な倭」と曲解することで成り立ってるトンデモ説だから 九州は(いわゆる今でいう)中国の領土だったんじゃね? 魏の使者に邪馬台国の位置を正確に押さえられるのを恐れたので
九州をグルグル遠回りして案内した結果だと考えれば魏志倭人伝の中身との辻褄が合うな >>218
じゃあ日本人の神鏡崇拝と中国と同じ鏡が九州から
出土したのはどう説明するの?
嫫姆が倭人なら全部なっとくいくじゃん >>180
外人が中国をChainaと呼び始めたのは清(Chin)由来
国名を表すときの発音をiaとする慣わしでチャイナとなる
イタリア、ブルガリア、ガリア、マケドニアみたいな感じで しかし、日本人は昔からこういうのを大事ににするの民族だね >>61
Kindleで読みたくなったのに売ってない >>133
渡来人「おっ、そうだな」
薩長簒奪者「そうだよ(便乗)」
国家神道「当たり前だよなあ?」 >>221
安全保障上の観点。
なんせ、晋になってから
貢ぎもんが途絶える。 豊後一の宮ささむた神社は北向き神社でオオキタ(古代オオイタ)の英雄の墓(古墳)らしい
背後の本宮山に奥宮とご神体の巨石がある
二つの岩に大きな岩がひとつ乗っていて二等辺三角形に見える三位一体の巨石
ささむた神社のご神体は三柱
豊前の宇佐神宮に注目が集まりがちだが豊後のささむた神社もナゾが多い
古い時代の大分の研究は意外と進んでいないよなー >>140
日御子だろ
あと姫は代替に使われるだけで臣の字が違うからな ねえよ
意地でも吸収を手に入れようってか
帰れ侵略者 >>239
神代日本の話になるから、荒唐無稽だと現代人は相手にしない 曹操「わいは日本にいって優秀な部下を集めておったんや!」 >>239
神代文字で検索をすると、色々な文字種が出て来て、人類?はかなり歴史が有るのに
驚かされる 中国の史料
・倭と日本は別種
・倭人は呉の太伯の子孫を自称している
・隋の使者が噴煙を上げる阿蘇山の見える倭の王都で王と妃・太子に拝謁した(推古女帝の時代)
・倭の東の島に秦国があり東と北の大山までが国土で、山の向こうは毛人が住む
日本の史料
・漢委奴国王の金印が九州で出土
・曹操墳墓出土鏡と酷似する鉄鏡が九州で出土
・平安初期に編まれた新撰姓氏録に九州出身の松野連を呉王夫差の後裔・諸蕃と記す(天皇家など大和の豪族は皇別・神別)
邪馬台国機内説って宗教だよね 機内には中国に朝貢しない独立国家があったでいいやん
なんで邪馬台国にしたがるのか >>212
まあ普通に考えれば九州以外にはあり得ない
魏志倭人伝を見た中国側の研究者は大半九州説だしな
畿内説ってのは中国語読めない人たちが漢文を曲解してるだけ >>240
>>241
漢字を日本にもたらしたのが王仁(わに)博士
王仁は『おうじん』とも読める。つまり
応神天皇と同一人物の可能性がある
そして応神天皇時代に移民してきたのが秦氏。
亡命してきた秦氏の弓月君は始皇帝の縁者。
秦は『シン(シナ)王朝』そのものを示す名前。
そして秦(はた)は機織りの機(はた)であり
八幡神の幡(はた)に通じるわけ。
わたしはやはり黄帝(姫氏)の子孫が日本の建国に
大きく関わっていると思うよ。
漢字を作ったのが
黄帝(姫氏)の子孫なら移住先の日本でも簡単に再編纂できるからね 日本では神社で鏡を崇拝する。
鏡を崇拝するなんて鏡を発明した
黄帝の妻である嫫母(ぼぼ)を讃える以外に
なんの意味がある?
今回の発見は嫫母(ぼぼ)が倭人だったというなら
説明がつく。事実。そう読める資料があるのだから。 >>254
太白に子がいない
この時点で孫呉も卑弥呼もホラ >>259
なるほど、女性器の名称になっているのか? 鏡は今も昔も『真実』を映す道具。
仏教の十王信仰においても水晶でできた鏡である
浄玻璃の鏡は罪人の嘘を暴く
わたしには黄帝の神霊が
自分の本物の子孫を知りたいなら
朕の妻が作った鏡の歴史をおって真実を暴き
偽りの臣民と王朝を引きずりおろせと語り
かけているようにしかみえんがね
黄帝の末裔達である姫氏達は嫫母(ぼぼ)様の作った
鏡と姫の姓こそ真実の王朝の証と思って
絶対に手放さなかったはずだ。
仏教や神道において鏡は真実を映すという言葉を
したためたのはいつか遠い未来の誰かが
その言葉の真意に気づいて嫫母(ぼぼ)様が作った鏡の
歴史から黄帝の子孫がどこにいるかを知らせるため
だったのではないのかね? >>254
九州の倭人王朝とは別の民族の国が本州にあって、それが倭人王朝の九州を侵略して国ごと乗っ取り、歴史まで都合よく消し去ってしまった >>259
アマテラスの日の光を反射させた鏡じゃね? >>257
畿内説は今の天皇家に忖度して、ねじ曲げてるだけなんだよな >>261
そう。『ぼぼ』は女性器を示す。
つまり古代大和において
『ぼぼ』は女性や母親を指す言葉だったということ
おれは黄帝の末裔が母親を呼ぶ時に『ぼぼ様』と
呼んでいたのではないかと思っている
それが日本に伝わってぼぼが女性器を示す言葉になったと 偽物は真実を恐れる
鏡は真実を映す道具
だから偽物は真実を示す鏡を壊そうとする
重要なのはむしろ鏡を誰がまっさきに壊しに来るかである
その民族こそ黄帝の子孫の名を語らう逆賊の末裔ということ 時代はバラバラだけどルーツを呉に求める人がいて、これが倭人でしょ
太伯の子孫を称した倭人
夫差の子孫を称した松野連
孫権の子孫を称した牟佐村主・茨田勝 >>1 >>2 >>100
川崎、神戸(尼崎)、京都は在日朝鮮人の巣窟
凶悪犯罪を繰り返す在日朝鮮人・帰化人がわきまくってるし
パンスト朝鮮顔を整形しまくったネトエラ(ネット工作の在日朝鮮人)がものすごい勢いで暴れまくってるからな。
日本に密入国して きて図々しく居つき、
生活保護を受給しながら性犯罪を繰り返し、
日本人になりすましネット工作を続ける在日朝鮮人。
在日朝鮮人はスパイそのもの。
帰化人を含めて朝鮮人全員をいったん強制送還するしかない。
●●● ネトウヨ連呼厨(ネトエラ)の正体 ●●●
http://karutosouka2.tripod.com/uyokusyoutai.htm
. 魏は日本だった、なんて事があったら嬉しいな
甄姫ちゃんペロペロ >>271
そして、その呉人の末裔の倭人と、天皇家は全くの別民族なんだよな どっちが曹操のものなの?
片方は汚すぎて比べ物にならんでしょーに。 >>1
ゴッドハンドだな
あらゆる時代のものがあらゆる場所から出てく特殊能力 地政学を考えると、日田が邪馬台(やまと)国の起こりの地と分かる。
やまとの名の通り山手のクニ。天然の要害に守られた盆地のクニが、
平野(米どころ)の支配者となる。そして、博多(奴国)の港も支配下に入れ、
漢代、奴国に朝貢させ、漢の権威と半島倭人との交易ルート独占で
列島の覇権国となった。
このころ、政治・軍事・経済の拠点を、地理的結節点・大宰府に置いたはず。
日田は儀礼的古都。大宰府が新首都。(今の日本の京都と東京みたいな。) >>258
「ヒメ」が日本語であることの反論に全くなってなくいよ。
漢字をもたないから、音に対して「卑弥呼」という字をあてられたんでしょ。 >>274
じゃあ天皇は中国のどの地域からきたんですか?呉じゃないなら越?
まさか戦後の知識しかない日本のバカウヨの盲言を信じて
土着縄文人とか朝鮮とか言わないですよね?
天皇家の素性は現代人より、その時代に近い昔の人のほうが正確に知ってるに決まってる
でも日本はアメ公に教育を破壊されて古文書を読める人間がほとんどいなくなって
勉強といえば英語英語って元植民地の土人国みたいになっちまったの
天皇家が春秋戦国時代の中国から来たってのは江戸までは日本の常識だよ >>278
そうだよ
日本の史料でも中国の史料でも呉王の子孫を自称している人々がいる >>279
そのくちぶりからするに
あなたは陰陽術における漢字の破字法をたぶん
しらんだろう?
陰陽師は折字法という漢字の部首を分解して意味を解き
吉凶を占う。
陰陽師は漢字の部首を分解した音で
さもそれを暗号のように使う術をもつ
あなたがもし黄帝の本物の末裔で
中国大陸が偽物の皇帝と王朝に支配されていたとして
バカ正直に一族の言葉や文字を使うかね?
もし黄帝の直系がかの島国で生きてるとバレれば
消されるだろう?
だから彼らは一族の文字を本当の意味は
一族にしかわからないように再編纂した。
そう。音読み、訓読み、ひらがな、漢字、漢字分解法、
言葉遊び。
それらを音読みという音を大事にす
る言霊信仰に偽装したり
『恥を知れ』という言葉に『破字(はじ)を知れ』という
言葉遊びの暗号に隠して彼ら黄帝の直系は
漢字を使った暗号をこの国に広めたわけだ
一族だけがわかるように。
もっと直接的に言えば大陸に住まう偽漢民族達に
自分達が消されぬように わたしは仏教も黄皇の子孫を隠す暗号文ではないかと
疑っているよ
観音菩薩は音を観る菩薩と書くからね
これもにかしらのお教を音読みで解読しろという
黄帝の子孫にだけわかる暗号文かなにかと思っている >>280
天皇家自身がルーツは半島と言っている。
加羅諸国のどこか。アマ族。
お前のような偏見の塊は歴史の議論など無理。
そもそもが畿内の弥生DNAはほとんどが半島由来。縄文時代は
人が住まないエリアだった。 畿内説は戦前のご都合主義だよな。大した論拠もないのにこれ以上ないほど凝り固まっていた >>1,>>285,>>286
(1)記紀を編纂し、国記・天皇記を焚書した渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項
・寒冷地適応済みの民族だった (https://i.imgur.com/dGV8hpU.jpg )
・文字(漢字)を持たない民族だった
・中国語とは違う(今の朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった なぜって交流があったからだろ
そんなに不思議なことか? べつに不思議なことではない。起源前から人が行き来している。 赤壁で敗れた曹操は日本に落ち延びて聖徳太子になった 北部九州からの東征で征服された畿内に住み着いたヤマト朝廷は
畿内の文化が非常に遅れていたからその遅れを挽回する為に
使者を百済に派遣して畿内への移住を説いて回った
そのおかげで非常に大勢の百済人が畿内地方に住み着いて畿内は
発展した訳だ。百済人は現在の関西人の祖先と言う事になる。 >>294
単に百済が滅びて百済から大量の難民が日本に押し寄せた
対馬海流に流され出雲や丹後あたりにたどり着いた。
半島から来た一部知識がある人達は秦氏のようにシナから滅亡国の上層部で逃げて来た人達。 今でも北朝鮮の木造船が時々漂着してるくらいだから、昔も相当半島から来てるだろうね。 面白いのは曹操も諸葛亮も卑弥呼も同じ時代にいた事だよね
歴史が変わってたら卑弥呼が曹操と出会ったり
諸葛亮が日本に亡命してたりとかあったかも知れないと思うと胸熱だよね
曹操の要請で日本から援軍を出して赤壁で勝ったりとか面白そう >>92
地経学的というか金山あるからでは?だから江戸幕府も天領にしてた しかしよく古物商が持ってたもののでどころがわかったな
佐賀や熊本あたりじゃ、土木工事をすれば大概遺跡が出てくるが、公共工事でもない限り重機で破壊して終了。
時々金の装飾品とか出てくるが、現場のドカタで山分けが基本 >>300
卑弥呼の墓はそれまでの工事で壊されて現存しない疑いあるよね。 魏志倭人伝か、
戦争だけでなく曹操の一族ってマジ有能やな アマテラス卑弥呼様がこの鏡の持ち主だったら十分どころか三種の神器に勝る国宝
レプリカ作れよ 宮崎の天孫降臨もあるし九州の太古はなかなか面白いな 学会では畿内で決まってるってのがなぜか出てくるけど
普通に物証から見たら九州だな 邪馬台国(ヤマト国) 完全に大和地方ですねw
魏志倭人伝のころから 壱岐や対馬の名はかわらない 出雲(ズマ)もある
魏志倭人伝でも方角を間違えているだけで 距離的には大和
(邪馬台国よりかなり新しい時代の地図でも方角を間違えている地図はある 混一彊理歴代国都之図で検索)
魏志倭人伝だけでなく 邪馬台国の時代にあった古墳等は 機内ばかり >296
歴史は繰り返すていうけど、古代も現在も同じだよ。朝鮮人が日本に来て各業界で影響力をもつ(これは何故なのか
僅か数パーセントの人口構成なのに)今朝鮮間で戦争でも起こったら、壬申の乱(百済救援)と同じで、日本も朝鮮戦争に巻き込まれるね
しかしながらなぜこうも簡単に日本に支配階級になれるのか不思議だ(ユダヤ人と同じだな 韓国の墓から同じものが出土してたら
「我が国から盗まれたものだ、直ちに返却せよ、謝罪と損害賠償も請求する」
これくらいは言ってきそうだな 畿内は重要な古墳がいまだに未発掘
邪馬台国かどうかはともかく古代日本の歴史は畿内の歴史 邪馬台国の時代は弥生時代で、古墳は一基たりとも存在しない
畿内説の連中>>310の知能はしょせんこんなもの >>1
もしかしたら源義経が中国に渡って曹操になったのかも >>310
残念賞
筑後の山門(ヤマト)なんだなぁこれが
> 86 :名無しさん@1周年 :2019/09/06(金) 23:46:57.90 ID:953HWZUu0
> >>1
> 最近日本史板で見た内容とおおむね一致してるな
>
> 309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
> >>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
> 総合的に考えた結果こうなった
> https://i.imgur.com/8UPzltf.jpg
> https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg >>297
曹操が援軍をとか無理。
日本は徐福一行が農耕と製鉄を齎して間もない。 > 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
> http://inoues.net/tango/tango_z1.jpg
> http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
> そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と 考古学的に見て邪馬台国は完全に九州
> 841 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:23:21.53 ID:1L9obXG40
> >>825
> >>308の資料と照らしても間違いなさそうだな
> 弁韓の鉄材と鉄加工の技術を持った海人が西日本を席巻していき、やがて東日本をも射程に捉えたので畿内を前線基地にしたのだろう
> だが東に版図を広げるにつれて遠い九州が本国では不便になり、畿内に都を移した、というのが一番しっくりくるストーリーだ
> 308 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 07:29:57.35 ID:nfEZxMc70
> 伊都国が海人の国であったことを考えると、邪馬台国の場所も見えてくる
> 海人の高位の者が身につけたとされるゴホウラ貝輪の分布が有明海東岸に集中しているのだ
> http://ac.jpn.org/kuroshio/hitomono/f012.gif
>
> また、弥生時代の鉄鍛冶工房もまたこのあたりに集中している
> http://inoues.net/club6/tetu2.jpg
>
> 有明海の東海岸、すなわち筑後国山門郡が邪馬台国の中心だろう
> 製鉄関係はもう少し南まで続いているので、>>86の図のとおり山鹿市あたりまで邪馬台国の範疇と見る
> 狗奴国との国境は菊池川だろう
>
> 鉄鍛冶工房の分布は貝輪の分布とほぼ完全に一致しており、鉄加工の技術は半島からの鉄材料とともに海人が各地に進出した際に広めたもの >>280
初代天皇の神武は日向から出発してる
古事記にそう書いてある 古来の国同士のアイサツでは鉄鏡を相手に送ることが最大の敬意であった
古事記にもそう書かれている
そういや、丁度卑弥呼が漢の皇帝に使節を送って親魏倭王の印を貰ったのもこの頃だっけか
貿易とまでは行かないまでも互いを認知して博打まがいの貿易はしてたんかな >>327
博打まがいじゃなく朝鮮半島経由で交易はしていたはずだよ
対馬や壱岐には良田がなくて中継貿易で食料を得ていたと魏志倭人伝に書かれているから 大陸から出土した原型が分かる鏡はないのか
錆び錆びの円盤で似ているとか阿呆抜かせ 公孫淵が朝鮮半島で反乱を起こしたりしているから、当時倭国は魏にとって重要な外交相手だったんだよな むしろ大分に曹操は墓を作らせた説、地元のは全部ダミー
そして卑弥呼はその墓守に任命された祭司
国交も魏とは強固だったからありえる新説だとおもうの 近年見つかった、曹操の墓についてはないことにするのかw 日田市で戦前に見つかっただけじゃわかんないよね
日田市の人が持ってたのか土中から出てきたのか >>148
九州は小国が乱立した状態だな。
初期は確かに九州のほうが進んでるというか豊かに見える。
それが、弥生中期以降、東へ進み、後期の段階では鉄は近畿の丹後地方で増える。
丹後王国論があるくらいで。
弥生後期の鉄は、「出雲」(出雲と伯耆)と丹波(丹後)が多い。
記紀に書かれる邪馬台国直前の時代の丹後の影響は大きく(丹波の竹野媛ほか)。
初期の巨大な前方後円墳もある。
丹後、尾張、近江、摂津、吉備、河内あたりの有力者が共立したのが卑弥呼。
連合政権が首都にしたのがヤマトの地であり、天皇家が牛耳っていたわけではない。
奈良がそれまでど田舎であっても問題ないw >>335
古物商がそう言ってるだけ
誰も確認してない
古墳の発掘結果や当時の関係者の証言からは、違う場所である可能性が極めて高い >>320
邪馬台国をその範囲で囲った図初めて見たけど、
狗奴国とモロに接してるよね
狗奴国は新羅にそそのかされて反乱を起こしたと韓伝にあるらしいから、そりゃ大変だ
あと邪馬台国の範囲は山を囲ってるよね。北部に岩戸山がある。アマテラスのモデル? >>294
邪馬台国時代には百済なんて存在していないよw >>297
それな。
魏の骨格を作った曹操が持ってた鏡と似たのがあるなんて胸アツだわ。 あと熊本にいた人らは有明の倭人と呼ばれていて、有明航路で朝鮮半島と密に交流していたらしい
(水谷千秋『継体天皇と朝鮮半島の謎』)
この本は確か継体天皇の裏に熊本の倭人がいたって内容だった
>>345
中国にある日本関連の記録を総称して倭国伝というみたいに韓伝と書いたけど、詳しくは覚えていない
上の本読み直せば書いてあるかもしれないけど、今は分からない。すまん 「貨泉」ってのがある。
お金だな。
これは紀元8-23年のわずか15年の王莽が建てた「新」という国で作られた貨幣だ。
これがあちこちから出土する。
この時代にはすでに九州は絶対的な先進地域ではなかった。 古代日本では、九州人が鉄器をふんだんに使った便利な生活をしていた頃、
奈良の山奥では、木と石の道具で原始人のような生活をしていたそうじゃ。。。☺ 魏志倭人伝があるくらいなんだからなぜ?とか思わんだろ >>147
奈良は卑弥呼の時代は湿地でもう少し前は湖だった
人が住める訳がない
考古学者だってここには都はありません!ってさじ投げたから
そこから外した纏向を必死に都でちゅ!って言い出したんだぞ・・・ >>347
この本の内容少し思い出した
継体天皇は朝鮮半島人に援助されているように見えるけど、でも
その半島人っていうのはいったん半島に渡った有明の倭人だから、実際は日本人同士の争いらしい
いったん半島に降臨してから日本に再降臨っていうのはスサノオなんだっけ?
いったん半島に行かないと倭国だか畿内だかへ行けないのは狗奴国っぽい 天皇家は饒速日系の歴史、つまり丹後、近江、尾張あたりの歴史を全く認識してないように見える。
その辺の種族が中国と交易してた可能性は大いにある。 貿易もすれば、制作方法も流れるだろ。そもそも支那が鏡を創作してない。
エジプト、欧州、中東やインド、そして支那を経由してとかだろ
支那なんて単なる経由地 >>355
そうそう
シルクロードの東端が日本だったという認識で良いんだよ
中国様から全て教えてもらったんだーというのは戦後の自虐史観だから >>350
それなら邪馬台国でなくヒミコの国にならないとおかしい >>354
種族w
部族というか氏族というか。
天皇家ではないそれらの氏族が倭国の主流であった時代が邪馬台国時代なんだろう。
崇神までは天皇家はただの地方の末端の氏族だったのかもしれん。
宮も墓も盆地の南部のはしっこにある。
だから、魏との交渉が伝わっていない。
崇神の一世代か二世代前くらいがトヨの時代か。 >>352
湖って、いつの話だw
タイムマシンに乗って時代を行き来するのかw >>255
ヒント: 秦王国 = 大分
隋書東夷伝に記述されている。竹斯国(筑紫)の東にあったとされるので、大分だね
http://izumiyayoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-359e.html
「百済を度り、行きて竹島に至り、南に耽羅国を望み、都斯麻国を経、迥かに大海の中にあり。
また東して一支国に至り、また竹斯国に至り、また東して秦王国に至る。その人華夏に同じ、
以て夷洲となすも、疑うらくは、明らかにする能わざるなり。また十余国を経て海岸に達す。
竹斯国より以東は、皆な倭に附庸す。」 >>曹操の墓から出土の鉄鏡と酷似
邪馬台国が大分の可能性は高い、なんたって親魏倭王だからな(笑) 隋書東夷伝 卷八十一 列傳第四十六 東夷 ?國
「また竹斯国に至り、また東して秦王国に至る。その人華夏に同じ」
(又至竹斯國 又東至秦王國 其人同於華夏)
筑紫の東にある「秦王国」の人間は、中国人だと記述されている。
つまり、大分に中国人の国があった、ということ また日本人になりすましの九州のチョンが起源主調かw
死ね糞チョン
だから九州民嫌いなんだよチョンばっかり >>12
隋書東夷伝には、
「筑紫国の東の秦王国(大分)にいるのは中国人」と書いてあるのであって、
「中国と変わらない」、ではないと思われ
つまり、中国人の国が大分に存在していた
それなのにずっと嘘八百の歴史を教え続けてきたのが日本 卑弥呼
日を観る巫女
火を観る巫女
火を使って預言してたシャーマンから
すぐに火が作れるように
また近くに火山がなきゃ無理だよん
中国の文化、技術を取り入れる必要があるから
いきなり畿内なわけねえだろ ヤマタイ
阿蘇の台地と山をみれば
その意味がわかる
自然の防壁 またきちんと整備された
広大な田んぼが
古代都市の証拠だぜ 阿蘇や
卑弥呼の里だとアピール福岡朝倉
きちんと整備された田んぼ たとえば豊前豊後
地つづきだが、
肥前肥後は離れてる
もちろん肥も火や日 三国志の舞台は、大分 佐賀 熊本 だったんだよ!! この世あの世をつなぐイタコ
大分県はオオイタ
つまりこの世とあの世を大きくわける
別府全体の硫黄臭はむかしから
古代の人間からすりゃ
別の府、地獄な入り口にしか思えない
先は死国 大分に中国人の国(秦王国)があった、と記述している隋書東夷伝は魏志倭人伝と同じくらい日本にとっては
貴重な資料なので、一回読んで見てね
日本の歴史がウソだらけなのがバレるので、学校ではあまり教えませんが(笑)
隋書?(倭)国伝
http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/zuisyo/zuisyo_wa.htm
隋書(東夷伝・第81巻・倭国)を読む
http://kamodoku.dee.cc/zuisho-wo-yomu.html 大分県には国東
国の東とかいてクニのサキがある
宮崎には日南、日の南
リンクさせりゃわかる
国見、クニを見るの地名もある 阿蘇の噴火から移動
まわりこみ
別の府はこわいから北上
宇佐で軍事衝突
敵の慰霊として宇佐神宮 出雲で鉄器の大量生産に出会い
大量にもってきたものを破棄
天草ー阿蘇ー宮崎にリンクする
淡路ー畿内ー三重
宮崎高千穂にリンクする三重伊勢 大分県日田市は
太古からヒタ
つまり卑弥呼の田
貴重な鉄の鏡がでるのは当たり前 大分県日田
たしか日高から
工事の最中に鉄の鏡は出土かな
梅なんちゃらが胡散臭いやつだったから
ずっと黙殺されてきた 井沢は
宇佐が卑弥呼の墓なんちゃらだっけ?
由緒ある神社はむかしから
たしかに敵の慰霊だよな
残念 ヤマタイ
阿蘇に行けばその意味がわかる
きちんと整備された広大な田が
古代都市の証拠
国造の神社もある 日田にはたしか
会所山神社って小さな神社がある
会所山とかいてヨソヤマ、不思議だなあ
不思議な名前だらけ大分
葬られあの世と合う山かな
卑弥呼の墓という記述と大きさは合致 隋書東夷伝の
「日出処天子至書日没処天子無恙云々」
(日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す 恙なきや」
ってところだけは「聖徳太子」の言葉として日本では教えていたけども、
隋書東夷伝には倭王「タリシホコ」からの国書としか書いていないんだよね
そもそも聖徳太子の業績なんて、チベットのソンツェン・ガンポ伝説とまったく
一緒で、そもそも日本人じゃないだろってのが最近あまりにバレバレになった
んで、学校の歴史授業では教えないようにしちゃった
日本の歴史は本当にウソだらけ 曹操の墓から分骨して日本にも曹操の墓があった
そうそう カゴメカゴメ
カゴの中の鳥は、いついつ出やる
夜明けの晩に、鶴と亀がすべった
後ろの正面だあれ
二つの三角のリンクにまつまるもう一方の民
カゴの中の救世主はいつ現れるんですか
(7つの隕石のせいで)
夜明けなのに真っ暗なままの空
人種の永遠の命の象徴、鶴と亀が滅びるんですよ
やらかすのはだあれ
神様だよん 大分県日田に
夜明け、大鶴、亀山
三つの地名がきちんと揃うのはご愛敬
大鶴と亀山を結べば龍体山にもつながる
受ける
神様のヒントは >>363
その時代は日本人は夏王朝と同族と思われてたのか? ますます中華文明は日本人が作った可能性が高くなってきてるじゃん もしかして鏡の出た古墳が卑弥呼の墓で中に金印も一緒に入ってたりして
その時誰かに持って帰られたかブルトーザーでつぶされて泥と一緒にどこかに運ばれたか
運ばれた泥のかなからいつか偶然に金印が見つかるのかもね 秦(ハタ)王国。
豊前にある宇佐神宮は
全国の八幡(ヤハタ)神社の総本社であり、
豊前国一宮で豊前国を代表する神社でもある。 復元した鏡をみると偽物や量産品に見えない
もし卑弥呼の時代の物なら国宝かもしれない 曹丕の時に国交あったんだから贈り物貰ってても不思議じゃないだろ >>388
鶴は古くは蛇の姿とも言われていて、亀と合わさる事で玄武となるそうだ
玄武は古代中国で信仰対象となっていたから中国の信仰がそこに流れ着いてたんだろうな 曹操一族の墓から倭人字磚が出土している。一族の誰かが倭人と交流してた可能性あり。 曹操は別府の杉の井パレスで夜、夜景を見ながら風呂に入っていた >>353
倭人とは、扶余族やワイ族と、縄文人が交雑して朝鮮半島に生まれた民族
https://i.imgur.com/USmmEcL.jpg
沖縄から北海道に進出していた縄文人が、朝鮮半島にだけは進出しなかったと考えるのが不自然
縄文人は、日本列島のみならず、朝鮮半島にまで広く生息し、扶余族やワイ族と混雑して倭人となった。
https://pbs.twimg.com/media/Dzr6bbAVAAE4YaS.jpg
そして中国からの先進的な鉄などの技術を取得した半島人が半島と九州に渡る倭国を作った。 >>397
近畿で出てたら嬉ションで直ぐに国宝になってただろw
新聞テレビで国民を騙す確定キャンペーン
纏向や箸墓なんてほっぽり出してさ >>408
ホント。真実なんかどうでもよくてマウント取りたいだけなんだよね 百済は日本の親戚で間違いないけど、
半島は、その後2度ほど民族が代わったので、今の朝鮮人とは何の関係はない。
今の朝鮮人は、モンゴル人と女真人のあいの子だろ。
今のギリシャ人やローマ人が古代の人とは別物というのと一緒 >>410
現代朝鮮人と、現代日本人の遺伝子に殆ど差異はみられず、縄文人とはかけ離れている
https://i.imgur.com/Mq0Xygo.jpg もし本物なら、日本のみならず東アジア最大級のお宝じゃないか >>411
これほど顔の特長が違って、体格が2回りも大きい奴等とルーツが同じ訳がない 古代日本語の特異性から古代朝鮮とも古代中国ともルーツが異なるのは確定してる
ヘブライ語との親和性から日ユ同祖論なんてものが生まれるくらいだからね
中国とは定期的に交流が有り、最終的に漢字を輸入する事になるけど
魏志倭人伝の記載ではそう頻繁な交流が有った様にも見えないが
金印みたいな出土品から漢とも交流があったと言われてるね この鏡が関西から出土していたら10スレは簡単に越えるんだが、九州なので
関西人が無視しているのが笑わせる。 これでもまだ畿内説が有力ってのは、考古学会ってどうなってんだ? 熊本肥国から見て、
筑紫との国境の大牟田荒尾の周辺地域
同じく筑紫との国境の吉野ヶ里から鳥栖
豊前国国境の大野郡大野町
熊襲国との国境の球磨地方人吉盆地
には、戦の痕跡がある。 桃の種でうれしゅんして邪馬台国が決定的になる畿内で、もしこの鏡が出たらあまりの嬉しさに気絶するんじゃない?!w >>417
今に始まった事じゃない
大昔は近畿より古い遺跡は日本にはないと明言し
関東や東北の発掘調査実質禁止していた
だから日本に石器時代の遺跡があると関東で発見したのは在野(素人)考古学者
今や青森の三内丸山遺跡とかあるけど
あれも中々認めたがらず教科書にのったのは最近 中国からもらった宝物がずっと同じ場所にとどまってる可能性の方が低くないか? 九州に邪馬台国があって支配地か属力の有力者に鏡を下賜してても何も不思議は 日本人は最初は旧石器時代に海面が氷河期で低下した頃に北海道が大陸と地続きになった時に入ってきたのが最初じゃなかったっけ?
その頃は九州や沖縄方面から入ってくる技術がなくて無理だったかも
縄文時代になって大陸の技術が上がってから九州方面からも入りはじめてやっと北経由の数千年過ごしてきた縄文人と接触開始
その後も大陸からは九州方面に新しい文化が入ってきて本来いた縄文人は肩身の狭い思いだったろうね
なんとなく双方の交流地点が近畿になってそこはマホロバになったかも
縄文時代には九州は部族間の争いで混沌となって最後には卑弥呼も死んで九州勢はみんな近畿に逃げてきて一緒に大和を作ったんだろうと思う
九州は昔も今も修羅の国だったんだろうね 親魏倭王の厚遇は争乱末期の亡命の対価。
その義が倭の五王の大陸朝貢にも一目置かれる国家として信頼を得るが白村江の戦の敗戦により九州倭国は壊滅。
薩夜馬王の解放は倭王の誠実な人望からであり、その後の勃発した近畿日本王権が余りにも現韓国人並みであったため唐王朝より忌避されたのは、この鉄鏡の出土で全て説明がつく >>424
>九州に邪馬台国があって支配地か属力の有力者に鏡を下賜してても何も不思議は
でも学会で有力なのは邪馬台国畿内説 呉が人を確保すんのに台湾や日本で人狩りしてたから
その頃にもちこまれたんじゃね? 畿内説なんて唱えてるアホは誰だよ。
ビジネスのために考古学を悪用するクズの歴史として、
日本史の一頁にきちんと残しておこうぜ。 やはりそうだったか
じゃあやはり涙そうそうのそうそうもあの曹操のこと韃靼だな だいたい日本のお宝の多くが
中国で流行ってから何百年とたってから
日本に伝わってきたものだから
普通だろ何も驚くことはない 古事記によれば八咫の鏡も鉄鏡で草薙の剣も鉄で古代の鉄は信仰の対象になるほど重要なもの
邪馬台国は鉄鏡を貰った記述もないし
もしかしたら金印より遥かに意味があるかもしれないね
場所としては狗奴国あたりの王が貰ったように思う 一枚じゃな。魏の時代の鏡が畿内で大量に出てるからなんとも 大陸の文物と女を大量に受け入れ弥生文明を謳歌していた九州が高天原なんだろ
芦原中国の根拠地は瀬戸内のどん詰まりの畿内 曹操が持っているものと同じとなると
金印は従属した国の王
鉄鏡は対等な外交国というイメージ 邪馬台国は公孫淵や魏と交易してたんだから
そういう鏡が日本にあっても不思議はないだろう >>5
金印は田んぼの中に、それだけポツンとあって、周りを掘り返したけど何も見つからなかったんだよな、物凄く嘘くさい >>435
畿内のは日本製の鏡じゃないのか
三角縁神獣鏡 >>441
三角縁神獣鏡は銅鏡だから複製しまくって配りまくってるっぽいね >>63
中国人的には異民族に支配されてたのも、時が経てば中国になる。
チベットやウイグルを中国と主張してるのも清王朝が当時支配してたから。
なので、元寇の時に例えば九州支配してたら、今頃九州は中国のものだと言ってるよ。 卑弥呼は曹操や曹丕じゃなく曹叡の時代だから、ひょっとしたらその間に引っ越したのかね >>438
その鏡が大分にあるってのが要点なんよ。
やっぱり邪馬台国は九州?大分も勢力圏だったの?じゃなけりゃどういう経緯とルートで大分に来たの?とか。 >>12
豊前風土記によると宇佐と並んで重要視された香春神社あたりは天日槍の領域
秦王国≒秦韓からやってきた渡来人の領域だったのだろう
珍敷塚古墳の月とヒキガエルの壁画もまんま中国の伝承そのもの >>447
もしかしたら実はかなり日本を制圧出来ていて、本拠が畿内で戦争の最前線だから九州地域に遺跡が多いのかも
秀吉の九州征伐みたいに卑弥呼もやっていたとか >>452
この時代すでに畿内も北部九州も親戚同士だったという可能性はある
鏡を埋葬する文化は当時の中国と同じなことを考えると、北部九州から畿内までの瀬戸内海文化圏は渡来系の影響がかなり強かったのかもしれない 中国から鉄鏡を貰った勢力と邪馬台国が同じではないとしたら
中国から貰った銅鏡を地域の長に渡して味方を各地に増やして
中国から鉄鏡を貰った九州の国と争ったとか
この頃の鏡は占いに使うから政治的に重要なものだっただろうし
まあ妄想が膨らむね 福岡、大分、宮崎
点と線が繋がったな 邪馬台国は九州 別に大和に王朝があって戦った、そこが最近話題
の阿波徳島 で、大和朝が勝って今日につなぐ ふつーに考えて、邪馬台国が大分近辺にあったんやろ
複製とは考えられへんし
邪馬台国論争からは、纏向なんてポイやわ 畿内からやってきた神功皇后と伊都の県主が同じ渡来系で親戚同士だという記述も筑前風土記にあるし、豊前も渡来系。
渡来系文化でネットワークがあったのかもね >>457
徳島説は邪馬台国じゃ航路がかなり厳しいと思ったからこっちの方がしっくりくる 魏とは交流あったんだから普通だろ?
魏志倭人伝どうすんだよ >>25
昔の中国の偉い人が持って逃げてきたとかなのかねえ。
なかなか浪漫だなあ。 戦後の共産化の中で、マルクス史観の京大思想家たちは、
どうしても皇国史観につながる東大派の邪馬台国山門説を潰す必要があった。
だから、間違えるはずの無い方角を間違えた事にして、
帯方郡から拘邪韓国まで7000里って短里である事は明白なのに、
あえて短里でない事にして、無理やり大和まで邪馬台国を持ってきた。
それに異を唱える東大派や九州説派は公職追放で発言権を消しながら。
そうやって、無理やり作り出した畿内説も、
結局、発掘の成果がつみあがる結果として、
大和は魏志倭人伝に書かれた邪馬台国でない事が明らかになって来たが、
大和政権が中国に朝貢してきた倭国とは、
まったく別の勢力であることが明らかになって、
そこが中国の属国を目論むコミュニスト達には、
まったく受け入れられないというのが今の畿内説派の現状だ。 曹操日本人節キタコレ!
神武天皇が大陸に渡って曹操になったんだよ >>464
邪馬台国論争ってマジで飛ばされたり首になったりするらしいな
正史ごと捻じ曲げる赤旗勢力は恐ろしいもんだ 行き来あったからに決まってる
大陸から全然人が来てないと考える方が無理がある この鏡は価値高いよー
京大の学者さんの屁理屈が楽しみ 卑弥呼は曹操の愛人だったんじゃねぇの
呉を叩くから挟撃よろしくって鏡を送ったんだろ >>368
阿蘇の景色は007のジェームズ・ボンドの生まれ故郷のスカイフォール(スコットランド グレンコー)に似てるなあ。
まあ、虐殺があったとこらしいけど。 話しを面白くするなら
卑弥呼は当時 倭国大乱で荒れていた日本の豪族をまとめるために曹操が送り込んだアイドル的存在だった
鉄の鏡をもって当時最先端のファッションに身をつつんだ卑弥呼は
金属鎧や剣で武装して馬に乗った護衛に守られて各地の豪族をまわって説得した
そしてメロメロになった豪族の同意をえて初代大統領みたいな存在になった >>475
そのストーリーで行くとやっぱり枕営業もしたんだろうなあ卑弥呼さん 日田と玖珠って近い?陸上自衛隊の玖珠駐屯地や大分大学近くの分屯地は奈良時代には
もう兵馬の基地的な要所だったと聞いた事がある
日田は金山があるから天領だと思ってたけど日田とか玖珠は昔から軍事的に重要な場所だったのかも?
馬の餌場があったとか?権力者を惹きつける金以上の何かがあったのかな
あと大分と福岡の県境の英彦山神社と前方後円墳がある福岡の赤村周辺や豊後一の宮西寒多神社は
なんとかかんとかカチハヤヒ天之忍穂耳尊を祀っている
ニニギとニギハヤヒにくらべてカチハヤヒって語られる事が少ないけど
カチハヤヒを祖とする豪族が弱小勢力だったとは思えないw
X線で調べたら曹操の鏡と日田の鏡がそっくりだった事がこのあたりの歴史を紐解くキーになりそう >>477
日田玖珠ってひとまとめにされるくらい同じ山間部の地域だからまあ近いよ
玖珠の子が日田の高校に毎朝汽車(田舎だから汽車)で通えるくらい
徒歩では無理 日田玖珠は近いからひとまとめで呼ばれるが全く異なった地域で、日田は久留米や
朝倉に近いから経済圏も久留米、朝倉経済圏、玖珠は中津や大分の経済圏となっている 日田は久留米と繋がっている平野
吉野ヶ里も実は筑後平野と繋がっている ここの書き込みを呼んでいると卑弥呼や邪馬台国とは全く無関係な畿内が
九州にどうにかして関わりたいと必死なのが笑えるが、当時の北部九州は
畿内や本州とは絶縁状態だったから近畿から北部九州に来ても殺される恐れが
あるから来る事は無かったし北部九州から本州に行く事も無かったと言う事だ
但し高地性集落があるので九州勢力が本州攻略を進めていたんだろう。 魏志倭人伝の魏って曹操の魏なんでしょ
当時の日本には文字の文献が残ってないが
三国志の時代の中国ならバリバリだろうし
邪馬台国のヒントもそこにあるんだろうな 中国の南越王墓の出土品と酷似している玉璧が宮崎でも出土しているから、九州は昔から中国と繋がりがあるんだろうな >>478>>480
有り難う大分は江戸時代の藩も多いイメージだw隣接していても経済圏も言葉も違うんだろうな
古代は尚更だったはず夢が膨らむ
姫島とか古代は瀬戸内海における交通の要所のはずだし
豊予海峡を渡れば伊予と豊後は玖珠と日田より楽に行き来できたんだろうな 前方後方墳の発生状況からして、九州ー瀬戸内海畿内勢力が連合し始めたのは大体この頃なんだよな
卑弥呼が吉備系という説が最近は有力視されているが、宇佐と吉備は同族でもある オーパーツ的な不思議な鏡だな
情況考えるとここの豪族が大金で後の世に中国から購入した物なんだろうと思う 九州のバカがいきってて笑える
お前等はチョンまみれで日本人ではない
死ね >>494
wwwwwwww
田舎町に降りて来た猿に口が付いてるw 出土状況がはっきりしない事を良い事に
大和から銅鏡を九州に持ち込んだのではないかという説を唱えてる人がいてわろた
そこまで邪馬台国が大和でないといけないかと 日本人、風呂好きだし、今の別府温泉にあったのでは?邪馬台国。
湯治に最高な当時の都みたいな。 後の政権が鉄鏡に全く関心を持ってない所を見ると連続性はなさそうに見える
奪い取られもせずに6世紀まで伝世してるとするなら特に意味のあるものでもないのかもしれないな
特別な下賜品と言うよりも財物として後の世で購入したと言う方が自然な気がする 九州チョンの起源主調
バーカチョーン
お前エラーはチョンのあいのこだらけで日本人ですらない >>496
どこの土地に限らず利権がからんでるから必死なのは仕方ないね
特にお金の出る研究者の人や関係者は死に物狂いでしょう
まあまだ邪馬台国が特定されていないからどこが名乗っても問題無いけどね 古代中国は動乱のたびに日本に逃げ込んできたんだろ
三国志時代なんて数千万いた人口が半減したらしいし なにせ古代アメリカからの渡来人が移り住んだのが、今の宇佐(USA)だからな。 池上遼一/武論尊の覇-LOAD、SOULの
最終回で曹操が劉備として中国に渡っていた
倭人と日本に渡ったのを思い出した。 邪馬台国 自分の住んでる都道府県
でググってみ?各県に邪馬台国がうちにあったと主張してるバカがいるから。 >>505
小浜市も古のオバマ氏が古アメリカ大陸から渡って定着した地だしな >>148
漢委奴国王は倭国大乱で負けて奈良の山奥まで逃亡したときに貰った金印置いてきた
その後、九州に親魏倭王政権が誕生して金印を貰ってしまった
自分たち(漢委奴国)が金印失くしたってのは不味いので親魏倭王政権に背乗りした
それが近畿のヤマト王権の最初 そのうち…
「曹操はBカップ」
とか言うキャッチコピーで映画が… 卑弥呼と曹操が使ってた鏡、レプリカでいいからほすい >>510
献上品見るとかなり広範囲に勢力広げてたみたいだからねえ
絹(九州)・真珠(機内)・翡翠(富山)等
ウチのとこだ!って言いあってるだけで有力箇所は数知れずあると思うよ 曹操の鏡の方は模様全然わからんな
面径は殆ど同じだな 曹操の時代は倭国大乱の真っ最中だから微妙に時代がずれてる
また、この時代頃から鏡の分布が北部九州中心から瀬戸内/畿内へと遷移している
何かしら大きな政変があったのだろう まぁ出土地も出土状況も不明じゃ何にもならないな
それこそ遺跡から出たかどうかも怪しいわけで
普通に考えるならこれを何かの資料とすることは不可能だな >>1
記事の続きを読むと出土地不明なんだよな
古美術商が中国で入手した可能性もあるwww >>520
出土されてから30年後ってのがな
記憶なんて殆ど残ってないだろうし 魏の領土が今の38度線くらいまであったとしても
そこから運んだやつが居たわけだが。
魏に旅した古代人なんて何人いたんだかな。
統一した国もないから代表する立場でもないし。
謎だな 九州説否定派ではないが邪馬台国に鉄鏡を送った記述が魏志倭人伝にないのは不自然
金印は臣下に送るが技の皇帝が持っているものと同等のものを持つことが許されるもんだろうか? 発見して30年後だし
戦争もあったし
どさくさに紛らしてしまえって感じじゃね? >>439
最近までゴミ捨て場だったと聞いたことがある >>523
曹操は皇帝ちゃうやろ
話にならんな、オッさんwwww >>527
それやw
秘宝館の入り口に闊書いて、
太平洋!殿は太平洋はお嫌い!秘技!ハーケンクロスは瀬戸内海と申しておられる!
言うてるわ
鶏肋鶏肋 日田と宇佐神宮だと同じ大分県でも少し距離あるよ
あと、意外と九州は山があるんで、行きにくかったりする 正直、畿内説は、、、ムリポ。しかし頑張れ畿内説派 しかし曹操はこの鏡を持っていたって書かれてて実際に墓きら出てくる所がなんか物凄いロマンを感じるな
質素な墓を厳命した曹操が持ってたって事はマジでお気に入りだったんだろう
魏から金印を受ける国ならこれを賜ったとしてもおかしくは無いな 曹操は155-220年
238年以降は公孫氏の反乱や司馬氏によるクーデター
曹操の鏡とやらがありがたがられるのは
存命中から238年より前という事に成る
弱小勢力にはやらんと思うよ。そんな大事なら
そこまで大きな勢力出来てたろうか? 要するに鏡の出た付近に卑弥呼の墓があるんだろう。それで決まりさ
ハイティーンブギ >>533
質素にしろっていったんだが、曹丕がやっぱり親を心底敬ってたんだろうな巨大にしてしまった
後に縮小したらしい 日田と言えば大蔵氏
東漢氏の末裔と言われてるから霊帝のからみかね >>526
そうだったな笑
まあ鉄鏡は魏と倭にとってかなり価値があるものだろう 宮崎を「日向」と名付けたのは、景行天皇が九州へ行った時と古事記に書いてある。
では本当の日向はどこか。
九州で、「日向」とつく地名の一覧
https://i.imgur.com/jCJpZkL.jpg
宮崎県には、延岡と日向市の2ヶ所しかない。
ほとんどが九州北部に集中している。
「日向」とはその名の通り、日に向かった所。
これらの中心に日があると考えると、
それらを線で結ぶと大分県の日田が浮かび上がる。
さらに日田は、宇佐・中津と隣接し、近くには耶馬溪もある。
http://travel.rakuten.co.jp/group/hojintiku/prefecture/images/Oita_x.gif
耶馬溪は江戸時代につけられた名前だが、もともと山国(やまくに)と呼ばれていた場所。
頼山陽がそれに「耶馬」とあてたものだ。
日向は古くは、「ヒムカ」と読んでいた。これを卑弥呼と関連づける人もいる。
また宇佐神宮は神道のルーツとも言われ、卑弥呼の墓説まであるところ。
道鏡事件のときも、天皇家の大事を、アマテラスのいる伊勢神宮ではなく
この宇佐神宮にお伺いをたてている。
そして中津だが、天孫が降臨した豊葦原(とよあしはら)の中ツ国(なかつくに)こそ、
この豊前の中津ではないかという説もある。 https://www.fsight.jp/articles/-/41598
中国の三国時代に書かれた『曹操集訳注』(そうそうしゅうやくちゅう)には、
皇帝は金をあしらった鉄鏡、
皇后と皇太子は銀をあしらった鉄鏡、
以下の貴人たちは、金銀を用いない鉄鏡を持った
とある。
日田の金銀錯嵌珠龍文は皇帝クラスっていうすさまじさ。 この二つが似ているとか、ほぼ同じとか見える奴は眼科に行け 鉄鏡の大分県日田市と福岡の前方後円墳の赤村は古代に交流があったんだろうか 邪馬台国はエジプト
邪馬台国の南の狗奴国はスーダン
スーダンの意味は「黒い人」
黒い人→日に焼けた人
狗→旬→日に焼けた 近畿は埋葬物がゴミだから王族以外の格下が埋葬された場所に過ぎん >>51
金印を授かった一族の子孫が、瓊瓊杵尊に攻められ海に身を投げる直前に隠したんだろう。 >>548
隠す必要がなくね
渡したくないなら、海に出て沖合いに捨てるのが間違いない >>541
三種の神器の八咫の鏡はこの経緯を組んだのか
どう考えても邪馬台国を超える国になる
これ古事記や日本書記の歴史がやっぱり神話ってだけじゃないんかな 曹操は海を渡り日本で邪馬台国を築いた!ってことだろ。 畿内みたいに旅人達が食べかけた桃の種を発見して、うひょー(゚∀゚)している暇はない
掘れ掘れ、日田を掘れ、出るぞ出るぞ!w >>543
(1)博多と久留米をつなぐ河川交通があった。
江戸時代にも米を運ぶのは陸路ではなく、その川を利用した。2つの川を利用するんだが。
(2)そして、久留米と日田は、つい最近まで河川交通があったことは知っているだろう。
魏志倭人伝では、博多の少し南あたりとされる不弥国から水行20日で投馬国に至り、次に水行10日、そして陸行1月で邪馬台国となっている。
水行20日が、(1)の2つの川を利用した久留米までの行程を指す。
次の水行10日が、(2)の久留米から日田までの行程を指す。 >>549
渡したくないだけではない。
一族の再興の時のために金印は必要なんだ。 >>559
曹操の墓も発見された時すでに盗掘に遭ってたらしいからなぁ... >>554
wiki見ると、247年から20年過ごしたとあるけど
来た時は魏だけど、帰ったら西晋
249年には司馬懿によるクーデター
曹操の鏡を持って来るだろうか? >>558
この鉄鏡も、その一族のものだったかもしれない。
金印を持っていた一族は、少なくとも2つのルートに分けて、子を逃した。
2つの宝物、権威の象徴を2人の子に託し再興を願ったということかもしれない。 孫権も1万の兵を日本に送り込んだって知ってた?
夷州(台湾と見られる)と亶州(日本かもと思われる)に送り込んだけど、
台湾までしかいけずに失敗。
兵の8〜9割を失い、替わりに現地人数千人を連れ帰った。
責任者は激怒した孫権に処刑された。
実は兵の半分は日本に残って○○国を築いた、とか有ると面白いんだけどねぇ 大分が邪馬台国の可能性もあるのか
近畿でこの鏡が発見されてたら近畿説を裏付ける重大な証拠になってたろ 鉄鏡は弥生、古墳時代、畿内、九州を通じて一度も序列に組み込まれたことはない
この事からこの鏡は仮に本当に弥生終末に手に入れたとしても、
どことも関わりを持たないものとなっているので倭を代表するような存在の所有物ではなかっただろうと思われる
何らかの形で6世紀ごろにで入手した輸入品ではないだろうか >>563
魏滅亡後盗掘を恐れた権力者が東海の離島に隠したんじゃね。 赤壁の戦いで負けた曹操が大分に逃げてそこで死んだんだよな
その後の曹操は影武者 >>520
中国に行くと発掘品の贋作が結構売ってたりするので結構胡散臭かったりする >>566
ロマンに欠けるけど冷静にそうだろうなぁ
記述が無いんだから正式に貰ったという証拠もないし >>564
マークシートの天才孫権が自分で立案した事だから仕方がないw
孫権「人口が増えれば国力が上がるから台湾から人を攫って連れてこよう」
陸遜「おい馬鹿やめろ」
治安悪化などで大変だったとか
現代の移民政策と一緒だな >>499
天皇家に伝わる三種の神器の一つ、八たの鏡は鉄鏡だよ。 曹操の鉄鏡と酷似とかもう想像しただけで、半端ねー。これが畿内だったならお祭り騒ぎでマスコミを動かしワイドショーでバリバリ宣伝させて
NHKでは特番まで組ませて邪馬台国好きの芸能人に権威ある学者を多数呼んで
「決まりですね」って絶対に言ったはず!w >>548
ストーリー的にはいいけど敵はニニギじゃないと思うよ
志賀島は>>320のとおり伊都国の安曇氏が祭祀の中心地として崇めていた場所だが、歴史上外国に占領されたことが2回ある
最初は白村江の戦いに敗れた後で、もう一つは元寇
恐らくそのどちらかの時に一族の宝を奪われるのを恐れて隠したが、隠し場所が失伝してしまったものだろう 日本で作られたものが
朝貢の時に貢ぎ物として
中国に持っていかれた
っていう仮説はどう? コレは誰の鏡か分かりました。
曹丕(魏文帝)の子孫安貴公です。
日本にわたってきた渡来人の中にも曹操の子孫がおり、
新撰姓氏録には「大崗忌寸、出自魏文帝之後安貴公也、
大泊瀬幼武天皇[謚雄略。]御世。率四部衆帰化。
(中略)亦高野天皇神護景雲三年。依居地。改賜大崗忌寸姓」とあり、
曹丕(魏文帝)の子孫安貴公が雄略天皇の時に
一族とともに帰化し、神護景雲三年に「大崗忌寸」の姓を賜ったとしている。
この一族からは高向玄理が出ている。
コレです。 >>564
衛温「イヤだって言ったんですよ」
諸葛直「陸丞相は武昌にいるし…」 邪馬台の鏡が八幡の鏡になり八咫の鏡に訛ったんだろうな 恐らく、安貴公が宗家だったのではないでしょうか。
金銀錯嵌珠龍文は皇帝の鏡であるという事実が、それを証明している。 買ってくれ!って日本に持ってきたのもあるらしいし
日本で作ったものが、古代支那に渡ったこともあるらしい
交易ですよ
交易
単なる キリストの墓があるくらいだし日本に曹操の墓があっても驚かない 陽変天目とかいう皿あんだろ
あれは、シナでは売りもんにならなかった駄作らしいで
日本に持ってきたら
「なんと綺麗な柄であろうか!」ってなって
それで日本でプレミア付いたって
交易だわいな >>535
そもそも弱小勢力に金印はやらん
しかし曹家なら遠い異国であり極端に魅力的なら厚遇してもおかしくない
芸術を解する民族とかなら凄い喜びそう
曹三代って中国王家でも特別変わってるし 倭の五王の時代、宋の古物商から買い取って倭国で見せびらかした 魏の皇帝しか持ち得ない金をあしらった鉄鏡。
安貴公が曹氏の正当な宗家であった事は間違いない。
いやー、一足先に、5chで結論出ちゃったな。 倭国って朝貢していたんだろ
だったら皇帝からの恩賜品に鏡があっても不思議じゃないよな
そういうことじゃなくて邪馬台国九州説を裏付けるということを言っているんだよな 倭国の民は阿蘇山を崇めているって中国の歴史書に記載されてるから熊本か宮崎に邪馬台国があるのでは? 八咫の鏡もこんな立派な鉄鏡だったのかな。
今はさすがに差し変わってるだろうけど。 >>580
雄略天皇ていつ頃?
日田に住みついたのか? 大きな集落があったという証拠は出てきても、中国とのつながりを示す証拠が何一つ出てこない畿内 今回の鏡にしても地理的な事を考えても九州にしか邪馬台国があるとしか思えないのにね
畿内にあるのは普通の弥生人の大きく平和な集落でしょうに
九州のような大乱があって戦う村の作りになってないと思うけど
大和が大和朝廷って言うのはそうだと思うけどね でも卑弥呼の墓は九州のどこなの?
御陵じゃないから発掘してもいいんでしょ? 八咫鏡は平安時代の火災で遷しの鏡が露見してる
道長の日記なんかに書いてあるな
特に鉄鏡と言う話はないな >>599
つまり
大和朝廷と邪馬台国とはなんの関係もないってことか
なんとなく
邪馬台国が後の大和朝廷の元になった国だというイメージあるよね
名前も似ているし >>601
古事記の記述には金山から取れた鉄で作ったと書かれてるんだけど、平安時代の火事で溶解したから実物は鉄じゃないという話もあるよ >>1
支那は今国策で本物の古い陶器を世界中に埋め回ってるんだと。
将来、昔支那人がここに来た住んでたと言い張って
侵略の足掛かりにするのだそうだ。
地面掘ってチャイナ出てきたら捨てましょう。 九州説と近畿説と
どっちが無理やりなこじつけをしている感じなの? 曹操より大分の鉄鏡の方が保存状態良いのな
国宝に指定すれば良いのに 雄略天皇(21代天皇)の治世=倭の五王の時代=477年頃〜502年頃
安貴公が郷土の人々を率いて渡来した。←コレが日田だったのだろう。
その子の龍(辰貴)は画才も以て武烈天皇(25代天皇)から首の姓を賜り、
また、その五世孫に当たる恵尊も画才を認められて倭画師の姓を賜った。
これらの実績を以て大崗忌寸姓を許されたのである。
で、子の代以降に楢に住み着いたと。 普通に銅鐸とか銅鏡って当時の日本の交易品だと聞いたがなあ
だから鉄鏡も同じ様に材料を魏から仕入れて作ったんじゃね >>609
畿内説は時空を歪ませないと無理
九州説は微細な正誤を正せば成立 >>602
邪馬台国って、中国語読みでもヤマタイ国なのか? 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡自体は前漢が後漢の鏡と言われていて、ここで魏の曹操という名前を
出してきたのは、ただ単に、邪馬台国北九州説に有利になることを狙った印象操作でしょ。
北九州の遺跡は後漢時代のがほとんど。魏の時代は奈良のマキムクになる。 >>607
二十数年前旅先(海外)で読んだニュースなんだけど
アメリカでインディアンより古い時代の白人の骨がみつかって
その骨をインディアンが襲撃した、とかってのあったわw
インディアン、そんな荒々しい事する元気あるんだ、と
少し驚いた。薬漬け酒漬け、にされてるイメージだったから
まぁ、北米大陸は、コロンブスより前に北欧から人渡ってた、ってのは
欧州の特に北部では常識らしいけどな >>619
アメドラのヴァイキングで
新大陸を目指すってやってたもんな このアクロバット解釈が畿内説論者www
九州大学の辻田淳一郎准教授は「出土状況や遺跡の時期が不明確なため、位置づけが難しい」と話す。「中国でも最
高級の鏡が日田地域で出土したことの説明が困難で、もしダンワラで出土したとするなら、近畿などの別の土地に
当初持ち込まれたものが、日田地域に搬入された可能性が考えられる」とみる。 >>618
史実とは認められてないけど実際に任那あたりから古墳があるということは領有は確実にしていた
ていうか白村江の戦いをする意味もないし
領有した経緯は神功皇后以外の記述は全くないからそれ以外は考えられないね ていうか畿内説押してる人は、済州島虐殺で日本に逃げてきたあちらの人の系譜とか
満州行って帰ってきた人の系譜じゃない?
あるいは、その人たちに唆されてる日本人
上でも書いてる人いるけど利権で飯食える、って実感したたかりの人が
その道極めたい、と思っているような印象しかない
中国に文明があったなら九州がどうしてもその最初の余波を受けるだろう
アメリカが黒船で横須賀?に来て、関東からその流れが波及したように
そして、アメリカが西進する限りにおいては日本は前線で、シナと半島は、日本に隠れて
楽できるんだよね、地勢的に >>620
北欧とか行くと「最初アメリカ大陸渡ったの
バイキング、わいらやで」って書いてる葉書を
地道に売ってたりするw
歴史の大舞台からは抹殺されてるんだろうけど
地球儀見ると、まぁ、氷河期ならいけそう、と思わなくない ヤマタノオロチも邪馬台国に関係ありそうな名前だよね 安貴公が渡来してなぜ日田に住み着いたのかと言うと、
もちろん、魏と交流のあった場所がそこにあったからとしか言いようがない。
もちろんその時代は既に大和政権傘下にあったと言う事か。
これは、江田船山古墳の鉄剣から見てもそういう事だろう。 >>628
日本史板で見たが、実はヤマタノオロチ伝説って出雲国風土記には載ってないらしい
地元なのになぜ?というのは古代史の謎の一つ
ついでに言うと国譲り神話も載ってないらしい
> 649 :日本@名無史さん :2019/09/08(日) 22:01:02.95
> >>647
> 山鹿・菊池は怪しいねえ
> なんとスサノオのヤマタノオロチ退治の逸話がこのあたりにもあるらしい
> 実はヤマタノオロチ退治の逸話って地元のはずの出雲国風土記にはなぜか載ってないんだよね
> 本当はこの地域の話だったんじゃないか?
>
> https://ameblo.jp/kenbuncho2017/entry-12513375590.html
> >熊本県山鹿市菊池市一帯は「肥川 ひのかわ」と呼ばれる菊池川が流れ、八岐大蛇(やまたのおろち)神話の櫛稲田姫(くしなだひめ)生誕の
> >伝説の地・熊本県山鹿市に旧稲田村があります。櫛稲田姫の本来の名称は「稲田媛」。
>
> >福岡県高良大社の「高良玉垂宮神秘書」第1条に「ヤマタノオロチと天叢雲の剣」について古典的記載があります。 邪馬台国は九州北部だと認めると半島南部も倭国の領域だったと認める事になるので反対する人がいるんだよね
そして邪馬台国は大和王朝だから畿内とでっち上げた
これが戦後サヨクの悪行ですよ >>619
アパッチが暴れまわる西部劇とか見たことないだろw >>627
最初にアメリカ大陸に渡った人間は原日本人だろ
船で海を渡っていった >>637
ほんまに何もないな
別府の百分の一くらいの市街ちゃうか? >>631
ついでに軽く調べたらサメに娘食われたり地味な話ばっかりあるわりに載ってなさそうだった
なるほど
弥生時代や日本の不明な歴史の部分は鉄が重要な鍵になってそうだな 大分と宮崎の県境にある祖母山はニニギノミコトが天孫降臨したという伝説がある。
「祖母」とは神武天皇の祖母であるトヨタマヒメを指している。 >>630
交流があった邪馬台国の地に住みついたかもしれない。 歴史学的には京大基地外左翼派閥は百害あって一利なし 本宮山(豊後一の宮西寒多神社の奥宮がある)神功皇后が登ってる
豊後まで足を伸ばした理由は何だろう 九州って日本神話から邪馬台国までのいろいろな物語や確信に近い出土品が多すぎるよね
さすがに桃の種が沢山出土したから邪馬台国だってとんでも説とは違うよね
装飾鉄鏡で図柄も普通の物じゃなく特別性なのは見たら分る鏡と桃の種じゃあ話にならないね >>63
なるほど
で、油断すると>>366みたいなことを言いだすんだな 融点が高い鉄を加工さらに金銀で装飾て
高い技術が必要とするんだよね。
又、曹操の墓から白磁も出土、白磁起源が一気に300年古くなった。 今後の発掘期待
白磁、金印や銀印及び関連品、
できれば、記録竹簡。 しかしそんな貴重なものが何で圧倒的に国力差があるこの島国に? >>631
お酒をふるまって寝込んだところを襲うのは熊襲の常とう手段で、出身地は山鹿や菊池も含まれる。
邪馬台国の役人は蛇の刺青を入れていたらしい
つまり出雲地区は当時、邪馬台国に支配され、重い年貢に苦しめられていた
そこへ熊襲出身のスサノヲが現れて、8人の役人をお酒を飲ませて接待し、寝込んだところを征伐した。
この話が神話となり、毎年大事な娘を八岐大蛇に食われるが、お酒を飲ませて退治したという話に変化したと推測。
娘の名は奇稲田姫、つまり年貢のこと。 >>487
古代は、経済圏も言葉も似ていたのが、
江戸時代の藩政の都合で、経済圏も言葉も違ってきたという可能性もある。 邪馬台国奈良説信者が一番期待した纏向遺跡からは邪馬台国を決定づける出土品が全く
出土しなかったから、九州からの出土品を徹底的に貶しまくって憂さ晴らしをしよう
と言う朝鮮系関西人特有の心理状態がある事を考えておく必要がある。 >>609
九州の遺跡は小規模、近畿は大規模。
邪馬台国がどの程度の規模だったかの問題になるな。
金印もらうくらいだから、小規模とは考えにくいとすると、九州説が無理なこじつけかl やっぱりどう考えても魏と関係が深かったのは北九州なんだよな ★ 瞬殺される在日韓国人のデタラメ無茶苦茶妄想(w★
150名無しさん@1周年2019/09/09(月) 04:04:54.68ID:QaLqNkW00
>>148
倭人とは、扶余族やワイ族と、縄文人が交雑して朝鮮半島に生まれた民族
https://i.imgur.com/DrfNedE.jpg
その後、半島の倭人が九州に進出して、半島と九州にまたがる海洋国家の倭国を作った。
その後、半島での勢力が衰えた代わりに、近畿にも勢力を伸ばし(神武東征)、九州倭国が
白村江の戦いで勢力を弱めると、近畿の倭国が日本書紀をでっち上げ、大和朝廷を名乗った。>>30 ★ 在日韓国人の無茶苦茶を瞬殺する日本人の解説★
163名無しさん@1周年2019/09/09(月) 05:49:36.72ID:3G6sADqu0
>>150
>倭人は、扶余族やワイ族と、縄文人が交雑して生まれた民族
また今はやりの厚顔無知な在日韓国人ですかw
倭人というのは、150の先祖の朝鮮半島の扶余や穢族のような
獣肉喰らいながらコウリャンや雑穀しか畑作できない種族とは違い
最も遠いといえそうな種族
水稲文化を持たない扶余や穢族のような北方系の半島種族とは
似ても似つかない
日本列島にいて縄文人と交雑や共生していた列島弥生倭人
にいちばん近いのは、古い形式の銅鼓に描かれた図象や日本の
弥生中期の線刻画とそっくりなものが多いロンザオ遺跡など
の地域含む広域の銅戈を僻邪に用いる倭人たち
朝鮮半島では日本の弥生文化の特徴である線刻画の資料など殆んどない
日本の弥生稲作文化と似た特徴を持つ地域はこれまでも知られる呉越文化
や雲南や東南アジアの各地の銅戈などで、半島にはその特徴はない >>660
金印をもらうくらいwww
バカか。属国の金印をもらうくらい小規模な証拠
日本を支配するくらいだったら、「日出づる処の天子」とおまえらとは対等だとかますぞ
邪馬台国は社民党みたいなもの。
消えそうなので、福島瑞穂が中国へ助けを求めた。
もちろん中国は大歓迎して、「親中倭王」の称号を与えた
その記録を読んだおまえみたいなのが「当時の日本は、福島瑞穂が支配していた」と発表 大分で出たとしたら当初は近畿に持ち込まれたものが大分に運ばれた、というのが九大の准教授やれる世界って、
理系から見たら頭がクラクラする 福岡の赤村の前方後円墳の調査が進んで鉄鏡と勾玉の首飾りと剣が出ないかなー
それか曹操の鏡と日田の鏡を分析したら同じ隕鉄を利用していた事が判明したらいいなw 邪馬台国九州説とか本筋じゃないからな、日本文明は九州から始まり東へと移動していった
これを認めるかどうか。認めないんだなw >>656
魏は南の呉と敵対してるんだから東に優遇する友交国を求めるのは当然では? >>668
俺は九州邪馬台国説だけど日本人の主な原型に関しては北方からの流入説派だわ
縄文後期になって海を渡る技術が上がってからの大陸沖縄方面からの流入だと思ってる
弥生文化と稲作や金属なんかは九州に拠点が出来て発達しながら北上して縄文文化を駆逐したと思う
で俺は九州の拠点が邪馬台国だと思うわ
畿内よりも北や東の大集落は北方から流入して繁栄したけど稲作や金属なんかの文化は無くて採集や狩りがメインのマッタリした生活だったと思う
当時の魏とかから見たら野蛮な生活してた印象だろうけど >>660
日本列島を一つの国として認識していない当時の魏から見たら、規模なんてどうでもいいんじゃないか?
「近畿の方にもっと大きい国があってそいつらが頭下げてきた」となったら、そっちはそっちで金印送るだけだろ。 曹操がいたころの日本は高句麗の属国ニダ。
魏も高句麗の属国だったから魏の物が日本にあってもおかしくないニダね。 >>669
納得できる
呉の南に魏の友好国が在るだけでも牽制になるね 秦氏本当に中国人だったのか
てっきりまた百済人がくだらないハッタリかましたのかと思ってたよw >>440
田んぼの土はどこか別なところから持ってきたんじゃないの? >>669
魏からみたら日本は東というより北だと思うんだけど 卑弥呼が曹操から贈り物もらってんだからあってもおかしくないだろ >>1
昔から日本はチャイナと直接貿易してるからな
百済伽耶は船の休憩地みたいなもんだろ
だから半島南西にある >>670
縄文文明というのは別に考えなきゃいけない。
2000年そこそこの弥生時代に限定して考察すべきで
一万年も遡れる縄文文明には触れる気ない >689
最近は弥生時代って、そもそも無いんじゃねってのが主流では?
ずっと縄文時代 出土地の土の付着の記録のない出土品は考古学的になんの意味もない >>676
これ不思議だよね
同じものが糸島の神社にあって盗まれて何年か後になって志賀島で見つかってるのに
いまだに新発見のような話になってる
このことをガン無視してるのはなんでなのかな?
もし金印が糸島から出たのならあそこに大きい遺跡があるはずなんだけど
来歴とかは今じゃわかんないんだろうね >>562
魏の領域に銅山が無かったから代用品としての鉄鏡が生産された。
呉が滅びて統一される280年位までは鉄鏡が生産されていたのでは。 國友 里美(くにとも さとみ)
淫行 前科アリ・いじめ 加担者
英語 中学教師
神奈川県 横須賀市 不入斗(イリヤマズ )中学へ 逃げた >>693
日田だからな
杉か河童のどっちかだろう 大分には何もないって思った誰かの自作自演だと思うわ。 >>695
あー
なんとなく糸島のどの神社かわかるわ
恐ろしく古い神社あるものなあそこ しかし曹操の墓の中身を確認してから日本の鏡を複製したなら誰かが似せて作ったって言えるけど
先に日本の鏡が出て最近になって曹操の墓の中に同じような鏡があるってなったら
もう物証としては国宝級だよね
曹操が日本に贈った鏡で確定なんて凄い
今までに三国時代との強いつながりは魏志倭人伝しかなかったから嬉しいね 曹操と日本国天皇の関係。
魏史倭人伝の原文に書かれている、卑弥呼の帯方郡への使者派遣の年「景初2年(238年)」を、日本の
歴史学会は、なぜ、わざわざ、「景初3年(239)」として、理解して、それを、国家の権威にしてきたか?
「景初2年である」としたときの意味が分かるもの、あるいは、本当の真実を知っているものがいても、
列島民を、蒙昧なままに置いておきたいために、あえて、日本書紀の記載(神功皇后の条)どおりに
「景初3年」として、教育の現場で強制してきたのでしょうね。
この状態を、ようやく、中国側の研究者が、日本国の歴史「改竄」を解き始めましたね。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190908-00000006-asahi-soci
これによって、日本列島で実在したハツクニシラス、初代王権の成立者、第10代の崇神(ミマキイリヒコイニエ)が、
公孫淵である可能性が生まれます。
これは、新井説です。
私は、これを2005年に歴史系図の第一番に書き、そのとき、金井敏伯氏に渡しました。
そのとき、金井氏からは、「縄文からの連続性を調べよ」と課題を言い渡され、その課題は、2008年に
解いて、以後、より大きな全体像の構築を進めてきました。
ここからは、アメノミナカヌシから始まる日本神話と、地球史の中の歴史事実のすり合わせ作業です。
なかでも、ダビデ〜アレクサンダー〜始皇帝〜武帝〜光武帝〜曹操 と、列島の王権の関連性です。
それにしても、これは、ほんとうに嬉しいニュースだ。これで、列島民のファンタジーが終わる。
曹操と大分県日田出土の金銀錯嵌珠龍文鉄鏡。「実在ハツクニシラス(10代崇神)とは公孫淵」という新井史観の裏付けだ!!!
https://nunato.net/%e6%9b%b9%e6%93%8d%e3%81%a8%e5%a4%a7%e5%88%86%e7%9c%8c%e6%97%a5%e7%94%b0%e5%87%ba%e5%9c%9f%e3%81%ae%e9%87%91%e9%8a%80%e9%8c%af%e5%b5%8c%e7%8f%a0%e9%be%8d%e6%96%87%e9%89%84%e9%8f%a1%e3%80%82%ef%bc%9c/ 公孫淵
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%AD%AB%E6%B7%B5
倭との関係
遼東公孫氏の滅亡が、邪馬台国の卑弥呼が魏の帯方郡に遣使することにつながった、との見方が有力である。
これは当時の公孫氏政権が事実上の自立状態にあり、邪馬台国をはじめとする東方諸国の使者を
遼東に留めて、自らへの朝貢をさせていたため、滅亡により陸路が通じるようになったという見解に基づくものである。
なお、『魏志倭人伝』においていわゆる倭国の乱から卑弥呼の遣使まで倭国に関する記述が途絶えているが、
この期間は公孫氏が遼東で自立していた時期と重なるため、根拠に挙げられている。卑弥呼の帯方郡への
遣使は、ちょうど公孫氏滅亡の直前である景初2年6月であると魏志倭人伝に記述されている。しかしこれに
ついては、帯方郡など遼東での戦乱最中時(まだ公孫氏はまだ滅んでいない)の遣使は困難であるとして、
翌年の景初3年ではないかという説[3]が主流である。ただし、邪馬台国が遣使2人で朝貢物の奴婢10人
布2匹2丈と、かつての奴国の貢物奴婢160人と比べても粗末なものであったのに、魏が邪馬台国を厚遇したのは、
公孫氏からいち早く魏に乗り換えた事の功績を認めたからだという観点から、公孫氏滅亡直前のこの時期
の遣使が正確であるという説[4]もある。
日本の『新撰姓氏録』では、帰化人系の氏族の一つである常世氏(もと赤染氏)は、公孫淵の子孫と称している。 https://nunato.net/%e3%80%90%e3%81%94%e6%a1%88%e5%86%85%e3%80%91-%e6%96%b0%e4%ba%95%e4%bf%a1%e4%bb%8b%e8%ac%9b%e6%bc%94%e4%bc%9a-%e3%80%8e%e5%8f%a4%e4%bb%a3%e5%8f%b2%e7%a0%94%e7%a9%b6%e4%bc%9a%e3%80%8f%ef%bc%882/
列島で初の本格的統治体「ハツクニシラス」は、3世紀中頃、後漢の献帝の実子、公孫淵による亡命政権だった。
https://nunato.net/%e6%9b%b9%e6%93%8d%e3%82%92%e3%82%82%e3%81%a3%e3%81%a8%e7%9f%a5%e3%82%8d%e3%81%86%e3%80%82%e8%b5%a4%e5%a3%81208%e5%b9%b4%e3%81%a7%e5%8f%b8%e9%a6%ac%e6%87%bf%e3%81%8c%e5%87%ba%e3%81%a6%e3%81%8d/
曹操は196年に後漢の献帝劉協を抱えこんで許に連れていき、自らは丞相・魏王のまま生涯を閉じた。
実質的に最高実力者ながら最期まで皇帝にはならなかったが、息子の曹丕は違った。魏の皇帝になり、
献帝を山陽公にした。
ここで問題。この間、卑弥呼は日本列島のどこにいて何をしていたのか?
魏志では、卑弥呼が景初2年(238年)に帯方郡へ使者難升米を送ると、そのまま郡の吏に連れられて洛陽
まで行き、魏の皇帝と謁見しているのですが、遼東地域は公孫淵の支配地域で、しかも司馬懿との戦闘中
というより、襄平で籠城している最中でした。
しかし、629年に編纂された梁書では「至魏景初三年(239年)公孫淵誅後 卑彌呼始遣使朝貢」とし、公孫淵の
死後に卑弥呼は初めて使者を出した、としています。
卑弥呼と公孫淵の関係は、中国の正史編纂においても「何かの重大問題」があったことが分かります。
因みに日本書紀では、卑弥呼のこの記事について梁書に習って年代を景初3年とし、しかも、わざと神功皇后の
条に書き込んでいます。これは神功皇后の生存年代を卑弥呼時代に重ねる作為そのものでした。
また三国史記・新羅本記には、阿達羅尼師今「二十年(173年)夏五月 倭女王卑彌乎 遣使來聘」の記載があります。
公孫淵とは何者か?この人物は魏の曹丕が226年に死んで曹叡(明帝)が即位した2年後の228年に、強引に
叔父から遼東太守の地位を奪いました。公孫淵は204年に帯方郡をつくった公孫康の息子とされていますが、
生年がはっきりしません。私の考えでは210年生まれです。
208年の赤壁の戦いで曹操が呉と蜀の連合軍に負けたことは、献帝に対し、曹操自身は大いに面目を失った
はずです。このとき公孫康は曹操を支えていたのは間違いなく、このころに公孫淵が生まれたのではないか、
と考えられるのです。公孫淵には出生の秘密がある。これが私の見解です。
因みに、新撰姓氏録では、公孫淵の子孫は、赤添氏となっています。
曹操曹丕の子孫で、応神時代に阿智王と一緒に列島に入ったのが七姓漢人で、その中に高向氏がいて、
高向玄理は、608年に来た裴世清の帰国に際し、仏教研修生として隋に渡っています。そして、隋の滅亡から
唐の成立、李世民の即位まで、全て大陸側で実見しています。
日本列島の古代は、孔子や始皇帝の時代から、中華皇帝を軸とする東アジアの政治的ダイナミズムのなかで
動いてきましたが、それを、いかに、列島だけの「香しい物語」にするか、これが持統と不比等の狙いでした。
そうした画策の下に、皇祖神アマテラスと高天原神話が誕生しています。 https://ameblo.jp/oyasumipon/entry-11991001691.html
春香神社の赤染氏(息長の姫を祭る)は公孫淵の後裔である。
*新選姓氏集より。
net上では、子孫を名乗る赤染氏は、公孫淵の兄の公孫晃の子孫としています。けれど、公孫晃は、魏の
洛陽に人質兼大使としてとらわれており、その家族ともども処罰(毒を飲んで死んだ)事になっています。
つまり、洛陽・帯方郡の方にいた公孫淵の後裔である方の確率が高いので、新選姓氏集にあるのが正しい
気もします。(→訂正。7000傑ではちゃんと淵の子孫となっています。web上の、別のソースが違っているようです)
中国側の情報でも、公孫淵とともにとらえられて処刑されたのは、長男のみ。直系の息子は一人しか
処罰されていない。この混乱の世、息子が一人とは思えないが、、。ちなみに、公孫淵には、叔父に
公孫恭がいるが、この人には子供がいなかったらしい。
さらに、赤染氏の系図によると、この公孫氏というのは、もっと昔の魯国の傾公から続くとされています。
それは、「姫」姓のようです。
なお赤染氏は、豊前国(現福岡県田川郡香春町)の式内社・香春神社(カハラ)の神職でもあったという。
香春神社は新羅系渡来氏族(秦氏に連なるともいう)が創建した神社で(豊前国風土記に、「昔、新羅の
国の神−香春の神−が自ら海を渡って来た」とある)、その渡来氏族が香春の地から東進して宇佐地方に
入り、在地氏族(宇佐氏)と一体化して創建したのが宇佐八幡宮という。
彼らは土木・養蚕・機織・採鉱冶金といった先進技術をもって各地に展開したといわれ、当地の赤染氏も
その一族として染色・赤染(紅染・茜染)などの特技をもった技術集団であろうといわれ、時代は降るが、
鎌倉時代の吾妻鏡(1300頃)には、
「この地の人々は河内国藍御作手(アイミツクテ)奉行に任ぜられ、諸国へ藍作・藍染の技術を指導した」 https://ameblo.jp/oyasumipon/entry-11424901355.html
話は変わるが、「晋書」には、卑弥呼は公孫氏の出という記述があるそうである。真偽は不明だがもし公孫氏の
一派なら、公孫氏が魏に滅ぼされる前後、とてもタイミングよく魏に朝貢できたのはうなずける事になる。公孫氏は
中国人(漢人)だから中国の情勢にたけていただろうし、公孫氏が韓や倭を支配したのは文献上明らかだから、
その支配の一環として同族の誰かを倭に派遣し土着させた可能性もある。
(このような観点から、邪馬台国は元は韓半島にあり、邪馬台国は亡命政府だ、とかいう人もいる)
新撰姓氏録には、公孫淵(公孫氏の最後の代)の子孫だという人物の記録があり、歴史上確認されていない
子供が当時国交のあった倭国に亡命していた可能性は十分にある。
そしてその新撰では、公孫淵の子孫は当然ながら諸藩(外国からの移住)扱いになっている。もし邪馬台国が
大和朝廷なら、遠い血縁関係にあって時代も渡来時期もかなり古い公孫淵の子孫を諸藩の項目に入れるだろうか。
推測の域を出ないが、
公孫氏=中国・魏と繋がり、卑弥呼(公孫一族の一派)、公孫淵の子孫の受け入れ、大和朝廷に滅ぼされた
邪馬台国は、渡来氏族の一派と認識されている、という事もできる。
公孫氏・卑弥呼(道教)・大陸との国交の邪馬台国の背景には中国らしさを伴い、大和朝廷や奈良の遺跡には
中国らしさがない。 http://kamodoku.dee.cc/sin-jo.html
晋書・四夷伝・倭人
宣帝の公孫氏を平ぐるや・・・宣帝は晋王朝初代・武帝(司馬炎)の祖父・司馬懿への贈号。
宣帝・司馬懿は魏の大将軍として景初2(238)年、帯方郡を拓き、燕王を自任していた公孫氏の嫡流で
ある公孫淵(コウソン・エン)を遼東の襄平で破り、帯方郡までを平定した。
その余勢を怖れた邪馬台国では女王・卑弥呼が早速に朝貢使を送り、よしみを繋ごうとしている。それはまた
女王国の南部にある狗奴国への牽制でもあった。幸いにも女王卑弥呼は魏の明帝から「親魏倭王」の金印を
授かり、九州島では並びなき権勢のお墨付きを得て、7〜8年の安泰を確保することになった。
この部分に関して、上の「名づけて卑弥呼という」から「宣帝の公孫氏を平ぐるや」までを一体と見る解釈がある。
それは「名づけて卑弥呼という。(卑弥呼は)宣帝の平げし公孫氏なり」と解釈するもので、それだと「卑弥呼が
燕王を自任し、宣帝(司馬懿)に討ち取られた公孫氏の同族に他ならない」そうだ。
驚天動地とはこのことで、改めて原文を提示してみると、その誤りがわかる。
<名曰卑弥呼。宣帝之平公孫氏也、其女王遣使、至帯方朝見。>
誤りは「宣帝の平げし公孫氏なり」と「也」を「なり=である」の意味に採ってしまっていることで、ここでは「也」を
「や」ととらねば次の「その女王・・・」につながってこない。帯方郡という韓半島中央部までが強大な大陸国家・
魏による直接支配に入れば、やがてさらに南下し、半島南部はおろか九州島にまでその食指が伸びてくるのは
避けられまい――という危機感が九州島全体を襲ったゆえの遣使朝貢であった。
現に、その直後には楽浪郡、帯方郡の両郡支配を断行し、半島南部の三韓を、冊封体制に組み入れようと
しており、それによって辰韓を中心とする反乱が起こっているのである。
卑弥乎がもし公孫氏の出身であれば、何と言ってもまず「魏志韓伝」「魏志倭人伝」に真っ先にそう書かれなければ
おかしい。中国人史官がそのことを隠す必要はさらさらないからだ。まして滅ぼした宿敵公孫氏の出自であれば
いくら倭人に擁立されたとはいえ「親魏倭王」などに任命するはずはない。逆にそのような卑弥呼を王に立てたら
倭国までが魏の敵国になってしまうではないか。これが有り得ないことは言うまでもないだろう。 >>708-709にあるように
名曰卑弥呼。宣帝之平公孫氏也、其女王遣使、至帯方朝見。
の解釈については、やはり中国人の間でも2つに分かれている模様。詳細は山形 明郷氏のページでどうぞ
http://www2s.biglobe.ne.jp/~takao-3/h34.htm
あまり長文コピペしてもあれなのでこのヘンでやめるが、
公孫淵と卑弥呼の関係、
公孫淵の後裔とされる帰化人系の氏族の赤染氏の存在などを考えれば、
公孫淵一族は、卑弥呼の計らいで、日本へとわたって来た可能性が高い
だから、曹操の墓から出土した鉄鏡と酷似したものが大分県で発見されるのは何の不思議もない >>710
中国製のはんこであって貰ったからには日本のもんだろ https://nunato.net/1222_3/
神武は架空だが、重要存在。 崇神は実在で公孫淵。 後漢献帝の息子「劉淵」。
卑弥呼は、AD172年に後漢に反発した、浙江会稽山「五斗米道」の許生の娘、許黄玉。
彼女の死しんだ247年、魏は張政を派遣。 阿波に。 >>1
日田は天領。
日田を取れば、北九州を制圧できる。
逆に九州西側からの防御は完璧。
古代よ地図見れば当たり前 非常に信憑性に乏しいが、九州は渡来系が多く入ってきた地域なのであまり不思議ではないというか 曹操の墓が確定した時期に合わせて出土とか出来すぎな気もするよな
・・・・・・・・・・・・・・・・え、おれだけ? 新井(新井宏)がどうとか何が関係あるの?
これまでの新井の説明の仕方では、確か鉛が非中国産でしかも楽浪や帯方郡という前提だったんじゃ?
当時の楽浪・帯方領域は実質は中国の飛び地の中国都市で中国
それで、崇神天皇とどう関係があるという?
それはどういう飛躍?
宇佐が大陸系の巫術に専横されるまでの縄文?につまがる古層は大元神、つまり許元山の三つの巨石崇拝
息長の神?
あえてその流れでいえば、百済氏族を一掃した天武派の常世氏の常世岐姫でもいいけれども
それは日高見の常世国にいた族も関係してくる
秦氏が厳しい指導に赴いた古事とも絡みが生じるけれども、次代が実際の宇佐の根源祭祀からすると
800年からして違う >>718
あ、そういう残念なレベルの話だったのね 昔から大分の宇佐神宮は卑弥呼の墓と言われてるからなあ こういうスレには必ずトンスル半島と結び付けたがる面倒な人たちが害虫のように湧いてくるんだよ >>721 それで終わらせておけばいいんじゃないの?
詳しく調べたくなった人は自分で調べればいい >>1
海の向こうの攻撃してこない連中など知ったこっちゃ無いのが1600年頃までのこと
じゃね?
海を渡ってまでとか無駄な経費かかりすぎ >>340
盗まれる前は大分の博物館的な場所に展示してあったらしいというの見た
>>357
ヒの巫女だとしたら肥前肥後はちょうど>>320の範囲ピッタリじゃない? >>663
2.縄文犬と弥生犬
日本犬は、「南方系」と「南方と北方との混血系」とに大きく分かれるという。
縄文時代の日本列島樺太、千島には、体高40cmくらいの小型で、キツネのような
顔立ちをした「縄文犬」がいたのだが、渡来してきた弥生人が連れてきた犬と混血
し、やがて、柴犬、紀州犬、甲斐犬、四国犬などに分岐するもとになる、前頭部に
くぼみを持ち、頬骨が張り出した「弥生犬」が形成されたらしい。一方、そのまま
沖縄で生きてきた犬は、琉球犬の祖犬となり、北海道の犬は北海道犬の祖犬となっ
た。北海道犬と琉球犬が近縁であることが、血中タンパク質の遺伝子組成を比較し
た最新の調査で確認されたという。
しかし、弥生時代になると犬に対する扱いは激変する。犬の種類も代わり、ほと
んど埋葬されなくなり、骨もバラバラの状態で出土し、解体痕が認められる。要する
に食料とされていたのである。このことからも、弥生人が縄文人とは別の民族であっ
たことが推測される。弥生人は、水田稲作農耕の技術だけでなく、食犬習慣も持って
きたのである。狩猟民には貴重な存在であった犬も、農耕民にとっては番犬か、食用
犬としてしか役に立たなかったのであろう。 >>717
隋、北史 大業4年にすでに
現在でも同じ名で呼ばれている島が
竹島だ。第三者の歴史外国文献が証拠になる。 >>395
国璽を副葬品にはしないだろう
その代で国家滅亡した場合を除いて ●時代考証がムチャクチャな韓流ドラマ!!
そんな韓流時代劇で歴史の勉強する在日韓国人の皆さん!!
韓国KBS放送
2010年の大河ドラマ『百済の王クンチュワゴン』
4世紀になぜかフィリピンや台湾に国家があり、百済王に朝貢。
倭のヤマタイ国から王女「チング」姫が来るが、
原始人に毛の生えた程度の身なりのため使臣扱いされず門前払い。
しかし百済王の配慮で謁見が叶い、ヤマタイ国の使臣たちは感激
して土下座で臣下にしてくれと懇願。
百済の臣下たちは倭人は海賊ばかりで信用できないと反対するが、
百済王は広い心でヤマタイ国を百済の臣下となることを許す。
4世紀の倭人たちがなぜか稲や鉄器を見て驚き、チング姫は百済で
勉強したいと土下座して懇願。
ヤマタイ王が病没すると、百済の第二王子がチング姫と結婚し、新しい
ヤマタイ王となる。
百済王から、ヤマタイ国に「大和」の国号が与えられ、倭の統一を命じ
られる。大和王となった第二王子は、百済の臣下として倭の統一に
乗り出す。
・・・トホホ、何なの?
この在日韓国朝鮮人のトンスル妄想感・・・・・・・。 >>737
普通は中国に返すみたいだけど
倭奴国は滅ぼされたのかもしれない。だから金印を捨て置かれたのかもしれない。 邪馬台国が滅んでないなら親魏倭王印は中国から発見されるのではないだろうか? >>740
渡した時は魏だったけど
数年後には傀儡政権になり20年後には王朝が交代する
潰すんじゃね? 曹操が皇帝にしか持つ事を
許さなかった鏡が
日本の日田にあるという事実が
明らかになった訳で、
その様な鏡を日本に贈る筈も無く、
長宣子孫と書かれている通り、
やはり、日本に来た安貴公が、
曹家の直系の子孫で間違いないのではないか。 匈奴かなにかが、王朝が変わったんで
前もらった印を返して、新しいのもらったってのがなかったっけ 背景が分からないけど国宝ってそういう物でもなるんかな 曹操は持病の偏頭痛に苦しんでいた
荀ケ「丞相、大海の向うに在る、倭国に薬草があるかも知れません」「嘗て、徐福も不老不死の薬を求め渡海しました」
なんて事もあったかも 豊の国だから。卑弥呼の娘はトヨ。
魏の鏡があってもおかしくない。 じゃあオラの県でも劉備センセイか孫権センセイでも呼ぼうかのう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています