【歴史】邪馬台国の卑弥呼がもらった?曹操墓出土と同型の鏡 「皇帝の所有物にふさわしい最高級の鏡」がなぜ九州に?
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曹操高陵と大分県日田市
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20190905001744_comm.jpg
“華麗さでは随一”と多くの考古学者が太鼓判をおす古(いにしえ)の鏡がある。「金銀錯嵌珠龍文(さくがんしゅりゅうもん)鉄鏡」。大分県日田市で戦前に見つかったものとされ、装飾の巧みさから1964年に重要文化財に指定された。由来を含め多くの謎が残るこの鏡が、三国志の英雄・曹操の墓から出土した鏡とほぼ同じ型式である可能性が高まっている。「皇帝の所有物にふさわしい最高級の鏡」がなぜ九州に――。研究者らは首をかしげる。
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が学界に紹介されたのは63年。青銅器研究に大きな足跡を残した考古学者・梅原末治(1893〜1983)が美術研究誌「国華」で取り上げた。
国華によると、直径21・3センチ、厚み2・5ミリ。表面には金で龍文が、銀で爪などが象嵌され、所々に赤や緑の貴石をはめ込む。中央に子孫の繁栄を祈る「長宜子孫」の4字(子は欠落)が金象嵌で刻まれている。
古美術商から購入し、表面を覆うさびを削ったところ、これらの装飾が確認されたと報告。「中国本土でも(略)稀(まれ)なこの鏡」と評した。
日田での出土品だと古美術商から聞いた梅原は、出土地とおぼしき場所を調査。出土時に立ち会った人の話も聞き、33年の鉄道工事の際に出土したものと推定した。
梅原は出土地の地名から、この遺跡を「ダンワラ古墳」と名づけたものの、埋葬施設の詳細は不明。さらに、一緒に出土したとされる馬具は6世紀以降のごく一般的なもので、超一級の鉄鏡の持ち主にはそぐわない。「本当にダンワラ古墳と呼ばれる場所から出土した鏡か」と疑問を呈する研究者も少なくなかった。
それから半世紀余。新たな知見が明らかになったのは先月初めだ。東京国立博物館で開催中の「三国志」展(16日まで)に関連して開かれた学術交流団座談会でのことだった。
「X線で調べたところ、象嵌の…
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朝日新聞デジタル 2019年9月8日08時00分
https://www.asahi.com/articles/ASM9443XDM94UCLV009.html >>65
金印に使った形跡がないから、もらった人間が後生大事にしまっていたと考えるのが自然 >>272
かなりの熟女好きだね。80歳ぐらいかな 旧石器時代捏造事件を思い出せ。
畿内説とは、
魏志倭人伝の南は方角を間違えて記述されている
という仮説の上に積み上げられた想像群の総称です。
これを史実と主張する行為が歴史捏造事件だと言われても仕方のないことだ。
論理的事実は「畿内説は空想」だということです。 >>87
鏡の種類に触れてはないがテイキョウが鏡を持ってきたと倭人伝に書いてあるのか。
皇帝から100枚の銅鏡は後のチョウセイの時だっけ?
チョウセイが来たのは卑弥呼死去の前後だけど、
倭人伝は卑弥呼死後に内戦で犠牲者多数、トヨが王位について治ったで完結してる。
それ以降も中国人は邪馬台国に行ってて本国に報告しているの確実だね。 ネット見ると、出土したとされるときの状況についてガセネタが広まってるし
購入経緯についても、ガセネタっぽいのがが書かれてる
>>25なんかがそれ 邪馬台国畿内説は完全に崩壊したね。
ただし、大和朝廷なのはたしかなんだからそっちの研究で頑張ってよ。
さて、日田1択なのか流れついたのかを考察すべきだね。 >>237
荒神谷遺跡の鉄拳や銅鐸の大量出土を
出雲の国譲りは史実(要するに武装解除した)でまさにその場所だった、とする本も見たことあるな。 邪馬台国とかよく解らないから聞いてきたけど
倭人伝の記述通り旅すると、琉球か台湾だってさ
福建の真東で、更に東に国があったって言うなら「台湾」だなだってさ
ググってみたら卑南族とかの古墳があった、卑南族の巫女「卑弥呼」でいいんじゃない
刺青はアイヌが有名だし、大義の縄文人なんじゃまいか? >>278
いんや、崩壊したのは九州説
金印と鏡という動かぬ証拠により
240年に、邪馬台国が魏(220年 - 265年)から「親魏倭王」に任じられた時、九州にあったのは、
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた【倭奴国】だったことが確定した これは学者がすごいモノだと気付いて古物商から買ったものだが
由来がはっきりしないうちの適当な情報からいろいろぶち上げてしまって
よくよく調べてみると盗掘三昧の中国から普通に持ち込まれたものだと分かったけど
話が大きくなってしまいそのことを言い出せないまま亡くなられたという話です 科学的な物的証拠がここまで揃っているんだから「邪馬台国」は九州にあったと結論着けていいだろう
ただし、何らかの理由で九州から遙か遠い畿内に権力が委譲され奈良の地方豪族から「天皇」が生まれた
その九州から畿内への権力委譲を象徴的に架空の人物を使い「神武東征」と歴史書には残した訳だ 狗奴国との戦争に加担した見返りにもらったか、
大事な物を隠し保管しとくための邪馬台国の隠れ里的な存在だったかちゃう? 出土状況が怪しいというか、まったく確認が取れてないからな
1933年、ダンワラ古墳で何かが出た
1960年、古美術商から鉄鏡を購入した
2つを同一のものと判断する根拠がないというか、専門家は否定的
発掘に携わった関係者が、当時ダンワラ古墳で出土したモノを須恵器に入れたと述べている
これは鉄鏡と大きさが異なるということで、高島さんもダンワラ出土に否定的
実際どこで出土したかはまったく不明ということだろう >>281
今までお疲れ様でした。畿内学かなんかしらんけど、あっちに行けw 卑弥呼の邪馬台国が九州だとして、金印や皇帝の鏡など沢山出てきて栄華を誇るハズの九州ではなく、
3世紀の古墳時代には一転して巨大古墳が畿内から出てくる
日本の先進地域は九州であったが、田舎の畿内に飲み込まれたんだろうな
畿内の方が人口が多いとかで 金印と鏡という動かぬ証拠により
240年に、邪馬台国が魏(220年 - 265年)から「親魏倭王」に任じられた時に、九州にあったのは、
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」に任じられた【倭奴国】だったことが確定した
邪馬台国は九州には無かったんだねぇ >>283
邪馬台国と冠が付くと税金を使う大義名分ができるとかあるから、
白熱した論争を続けて欲しいんやろ。
九州は地方税をもっと地元の大学につぎ込んで、いろいろ調べるべきやな。 邪馬台国の場所については親魏倭王の金印が出土すれば一発なんだが、
魏の滅亡後に晋に朝貢した記録があるから、普通に考えれば返却しちゃってるだろうしな… >>288
鏡に付着してた土を調べたとかいう話じゃなかったっけ? そういえば、旧日本軍が戦争中、中国から強奪してきたという推測も前にどこかで見た
さすがそれはないだろう
錆を落とす前は、ただの鉄のかたまり
お宝だなんてわからなかったのだから、鉄のかたまりを持ち帰るとはとても思えない マジレスすると、三国時代にはかなり多くの人が日本に逃げてきてるから位の高い人間が九州の山中に逃げてきてても不思議ではない
糸島だけでなく宇佐と並び豊前で重視された香春神社も渡来系氏族が祭神だし、魏に滅ぼされた公孫氏は一族の神社が畿内に残ってる ここ数十年、畿内説を提唱する学者達は纒向遺跡を根拠とし、何かとお袈裟に持ち上げてきたが、
現時点においても科学的に認めることが出来るのは
「3世紀の九州と畿内は疎遠だった」
という事実だけ。
畿内説は公金横領が目的じゃないのか?などと罵られるのも当然だ。 見ず知らずの女性にいきなり卑弥呼様ァァって土下座してひれ伏すのたのしすぎワロタ >>82
大陸側から見たら倭国ほぼイコール九州とその周辺って感覚だけど
弥生後期各地に国ができてたのは定説だよね。 >>291
九州に一つの国しかないと仮定するとそうなるのかな? >>294
ソースある?
1962年に錆を落としたとしき、そんな技術はなかったはずだし
当時の土を現在まで保存してたとはとても思えない だから俺がずっと言ってるだろ
卑弥呼は伊都国生まれの伊都国のお姫様
その当時の倭は争いが耐えなかった
卑弥呼は鬼道(アイドル活動)にあつく
次第にその名声は他国にも響くようになり
争ってた国々も共同で卑弥呼の国邪馬台国(ファンクラブ)をつくった
邪馬台国(ファンクラブ兼事務所)の卑弥呼の鬼道(アイドル活動)は
とても人気で邪馬台国加盟国ツアーを開催
次第に常設劇場が欲しいねという話になり奈良に卑弥呼常設劇場が誕生
中国の史書の記述があーなのはアイドル活動を理解できないから女王とし
鬼道ツアーをやってたから邪馬台国の場所もああいう感じに書かれた >>283
鉄拳や鏡や古墳の件からしても三世紀まつから四世紀にかけて九州から畿内への変動があり、
考古学的にも神武東征(九州勢力の畿内進出)は史実なんだとね。
しかも応神天皇系の皇后は日向出身が多い(大和土着の葛城氏と並ぶ)とか。 >>301
九州に一つの国しかないもなにも
日本の記紀では
九州は、綿津見大神(神武の曽祖父)の「海神国」(倭奴国・狗奴国)
出雲は、素戔烏尊の「葦原中国」
奈良は、天照大神尊の「大和国」(邪馬台) >>305
日本の記紀では九州は、綿津見大神(神武の曽祖父)の「海神国」
初めの主、天御中主(あめのみなかぬし)から
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)が生まれ
伊弉諾尊からまず
天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)が生まれた
その天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)が統べていたのが筑紫城
・・つまり
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」の印をもらった倭奴国
その後
天照大神尊(あまてらすおおみかみのみこと)
月読命(つくよみのみこと)
素戔烏尊(すさのおのみこと)
が生まれて
伊弉諾尊から
天照大神尊は、高天原(畿内)を統治せよと言われ
月読命は、伊邪那美命の根之国(出雲)を統治せよと言われ
素戔烏尊は、豊玉彦の筑紫城(九州)を引き継げと言われた 北部九州は大陸との玄関口で渡来系氏族が多くやってきたから、弥生中期ごろは農業生産能力も最先端だったんだよ
だから人口爆発で農地が足りなくなり、各地に人が分散せざるを得ないことになった
高地性集落が中国地方→畿内と遷移し、戦乱の痕跡があるのもこの頃からの話 倭国は古の倭奴国なり。<旧唐書、倭国伝>
筑紫に三十二代いて神武のときに大和州に移った。
日本国は倭国の別種なり。<旧唐書、日本伝>
或は曰く、「倭国自ら其の名の雅ならざるを悪み改めて日本と為す」と。或は云わく「日本は旧小国、倭国の地を併す」と。其の人の入朝するは、多く自ら矜大。実を以て対えず。故に中国焉を疑う。
又云わく「其の国界、東西南北各数千里。西界南界、咸大海に至る。東界北界、大山有りて限りを為す。山外即ち毛人の国」と。
日本は昔は小国(筑紫)だったが、倭国を併合して大きくなっている。
倭奴国や倭国と呼ばれることが不満なので日本と名乗ることにした。
実家である倭奴国も存続しているから、これとは別種である。 >>307
なるほど
成分を調べたわけではないのか 記紀とか小説はどうでもよくて、やはり物的証拠でしょ
いわゆる動かぬ証拠ってやつ
卑弥呼の時代と古墳時代
なぜ九州の権力が畿内に奪われたのか
九州は外国に近くて危ないから引っ越したのかな? 四世紀半も経て編纂された古事記と日本書記で
熱心に卑弥呼の時代を語ろうとしてる奴いて笑うわw 盗品としても大分じゃあ秦一族か卑弥呼一派と考えていい話だよな。しかし記紀程いい加減な書物はないな!何故もっとちゃんとしたものを書かんのかねえ。大体記されてる戦い方も騙して皆ごろしにして喜んでる連中だからな >>304
応神天皇系の皇后は日向出身が多いってのが本当なら、
嫁とることを条件に熊襲に暴れてもらうよう手配してもらった可能性が十分考えられるな。 >>1
> 大分県日田市で戦前に見つかったものとされ、
数日前の朝日新聞に続きが載ってた
発見されたとされる墓の発掘も行ったが、他の出土品は平凡なものばかり
鏡の本当の発見場所は別ではないか? てのが専門家の大勢意見みたいよ そもそも日田から出たのか分からないのか
下手したら日本からの出土でもないかもしれんしな。これはちょっと 土器とかも胎土分析で、どの地域の胎土を使ってたかわかるようになってきたけど
当時の知見では、科学技術がこんなに進歩するとは予想できなかったから仕方がないな 戦前とは言え、まともな調査ならろくに調べず古美術商に売り渡すとかある訳ないしな
盗掘となると元は中国の可能性も充分あるしな >>316
なるほどなあ
金印もそうだが出土が曖昧な物はモノ自体に価値はあっても歴史的資料にはなり得ないね >>308 つづき
んが素戔烏尊は「豊玉彦はおっかねぇから引き継ぐのは無理」っつって断ったため、
素戔烏尊は伊弉諾尊から勘当されて
奈良の天照大神尊の「高天原」に立ち寄って、そこも追い出されて
出雲にたどり着き国を造った
そこに大国主がやってきて、素戔烏尊の娘と結婚し、出雲の第八代主王となり、出雲を「葦原中国」という大国にした
そしたらそこに奈良の天照大神尊の「高天原」から使者がやってきて
大国主は、天照大神尊の高天原(畿内)に「葦原中国」を国譲りして
そこに天照大神尊の養子となった素戔烏尊の長男の子・・つまり
天照大神尊の孫の天彌聞尊(あめのににぎのみこと)が派遣され
その出雲に派遣された天照大神尊の孫の天彌聞尊の子の【山幸彦】が、兄の海幸彦から出雲を追い出されて
天彦尊(あまつひこのみこと)綿津見大神(豊玉彦)が統べていた筑紫城・・つまり
後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」の印をもらった【九州の倭奴国に天孫降臨する】わけだ サビまくった鉄の塊の状態の物
というのが最初の状態で
そんなの見てもも貴重なものとは思わないわけで
伝日田出土
というのは、意図的にうそをつくようなものではないと思うな そうかもね。
ちなみに劉備、チンギスハン、ナポレオンは日本人だから >>321
奴国の金印は価値高いのに何を言う。
後漢の光武帝が倭国に金印を授けたと言うのが明記されてるのに。 高千穂に天孫降臨なんて伝説加えるぐらいだからな
元は九州なんだろな
高千穂付近に降臨だと朝鮮半島よりは中国から島伝いで来た感あるよね >>316
それって発掘当時の話?
昭和初期の鉄道建設の時に出土したとされる古墳は取り壊されて今は現存しないから。 >>324
古美術商は嘘をつかないと思い込む純粋さいいね >>326
金印のモノ自体に価値はある
出土が不明だと別の事柄の証拠にするには難しい >>210
よう間抜け なんだそのくだらない思考は >>327
個人的には反対の解釈だね、。
熊本側から峠を越えて来たとかの表現だと思っている。 >>327
残念
高千穂に降臨した天孫は、出雲を追い出された山幸彦です >>322 >>171
里の実際の長さによっても結論変わるしなあ
仮に「または」の例がそれだとしても、他に「連続」の用例がないということまでは言ってないし >>332
出土の経緯は怪しくとも後世のレプリカじゃないと分かってるんだから
それ以外に何がある、とならないかな? >>327
残念
高千穂に降臨した天孫は、出雲を追い出された山幸彦(神武の祖父)です >>322 >>331
嘘をつく必要があるのかな?
ただサビてるだけのみすぼらしい塊の出土地を偽る意味とは? >>313
編纂されたのが何世紀か後でも、説話が作られたのは数代後くらいじゃないの? 関西の古墳は発掘調査をしていないだけ、発掘調査をしたら九州の何百倍優れた
出土品がざくざく出て来るよ >>327
残念
高千穂に降臨した天孫は、出雲を追い出された山幸彦で、その山幸彦の孫が神武です >>322 ラピュタみたいなもの。みんなの頭の中にどこででも存在する。 記紀解釈は混乱の極みだねw
それこそが朝廷の狙いだったのだろう 古美術商に売り渡したやつが盗難経路を誤魔化すために嘘の発掘地を教えた可能性はあるのでは >>339
古美術商が30年前のことを知っていたと考えてるのか >>327
残念
高千穂に降臨した天孫は、出雲を追い出された山幸彦で、
その山幸彦の孫が、出雲・奈良と東征した神武
です >>322 食い散らかした大量の桃の種を見て喜ぶ畿内説派からしたら、曹操の鏡なんてゴミみたいなもんなんだろうな。 >>327
元は九州だよ
ただ、それが畿内に引っ越した部分が謎
三種の神器を重視する文化が弥生末期に畿内に移動してる >>345
最初の発見者が最近まで生きてたので(亡くなってるかは定かではないが)記録がそれなりに残ってるようなので
全くのデタラメとは言えないと思うわ >>327
残念
高千穂に降臨した天孫は、出雲を追い出された山幸彦で、
その山幸彦の孫が、出雲・奈良 を 東征した神武
です >>322 >>346
古美術商が知っている必要はないだろ
伝日田出土と言われてるのをそのままにしとくだけだろうが そもそも売り渡した奴も別の誰かから手に入れただけで発掘地など知らず適当に言った
可能性もあるしな。中韓の盗掘品で大陸の戦争時のどさくさで手に入れたようなものなら
元が何処かなんて誰も分からないだろう >>355
詳しいことは知らんが
発見者が日田だと言ってるのならそれほど間違いはないだろう 発見者がどういう経緯で鉄の塊を手放したのかがよくわからない
数年前にさらっと読んだ記憶があるだけなので
もっと詳しい人に教えてほしい >>293
言われてみればそうだが、晋から新しい印綬貰った記録ってあったっけ >>352
古美術商は、日田出土ということだけは知ってただと?
それを鵜呑みにできる純粋さはおれにはもうない 久大線の工事の時に古墳が見つかる
その古墳の出土品に件の鉄鏡が含まれていた
発見者の渡辺音吉は、その古墳があった場所の土地所有者
工事の時に出土品を回収する許可はもらってたので回収する
どういう経緯で鉄鏡を手放したのかは知らない
奈良の古美術商から京大教授が購入する
さび落としをすると装飾がすごくて大発見となった
京大教授が出土地を調査する
発見者の渡辺に繋がり、出土場所の調査を行う >>354
九州の出土品は、57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨した倭奴国のものだから
そりゃあ金印も出るし、皇帝が持ってるレベルの鏡も出る
240年に「親魏倭王」になってから、たかだか40年かそこらで大和政権に変わってしまった邪馬台国からは、んなもん出ない >>360
美術品なら謂れも記録するのは常識じゃないか?
お前は純粋さだけじゃなくて常識もないんだよ >>332
今回の鉄鏡の場合は盗難にあって不連続な時間があるが、金印にはどんな疑いがあるの? >>361
>その古墳の出土品に件の鉄鏡が含まれていた
この時点では、鉄鏡かどうかさえわからなかった
錆びた鉄のかたまり >>354
九州の出土品は、57年から150年間以上「漢委奴国王」として君臨した倭奴国のものだから
そりゃあ金印も出るし、皇帝が持ってるレベルの鏡も出る
240年に「親魏倭王」になってから、たかだか40年かそこらで大和政権に変わってしまった邪馬台国からは、んなもん出るわけがない
桃のタネで精一杯 >>365
それでいいと思うよ
鉄の塊が含まれていた
その鉄の塊が出土したことを渡辺は覚えていたという程度の話だろう >>364
あぁ、
渡辺氏が近所の学校に寄贈しててそれが盗まれたという事だったのかな? >>334
阿蘇山辺りから来たのかなと僕も思ったけど、
その前は熊本平野から来たのか、
ひょっとすると日田辺りから来たのかが気になったことがあったな。 >>291の意味がわからんなと思ったら
>>301
そういう意味か >>8
死後即曹丕は皇帝に、曹操は太祖武帝とされたんだから墓は皇帝格で作られてるんじゃないかな 日田か、また山が深い所でしょう。卑弥呼は温泉が好きだったかもしれんねwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています