古代に活躍した渡来人、秦氏(はたし)の実像に、考古学の研究成果から迫る特別展「謎の氏族−秦氏」(神戸新聞社主催)が11日、兵庫県赤穂市立有年考古館(有年楢原)で始まった。秦氏と旧赤穂郡(赤穂市・相生市・上郡町)との関わりを紹介。人の形をした装飾付き須恵器(東有年・沖田遺跡)や金銅製冠(相生市陸・狐塚遺跡)など資料約350点で、渡来人の軌跡や秦氏の実像を探る。

 渡来人の考古学研究が飛躍的に進んだことを受けて赤穂市教育委員会が企画した。秦氏は中国大陸に起源を持ち、朝鮮半島を経て日本にやって来たという。世阿弥は「風姿花伝」に「(能楽の祖とされる秦河勝が)播磨の国しゃくしの浦につく」と記し、赤穂の坂越浦に着いたと伝わる。秦河勝を祭る大避神社が赤穂郡には約20社あり、秦氏の伝説が多数残る。

 展示では5〜6世紀の古墳時代に渡来人が播磨に多くいたことを示す。5世紀の古墳からひつぎに使われたくぎなどが出土。渡来人が葬られた可能性があることや朝鮮半島の埋葬の風習が播磨に現れたことも紹介。6世紀に増えた金ぴかの馬具や装身具も朝鮮の新羅や加耶の影響だという。

 秦氏の存在を示す最古の資料は平城京から出土した木簡(8世紀)で、赤穂郡大原郷(有年原か西有年)に多くいたことを示す。赤穂郡に新たな集落が次々と現れた7世紀初頭には秦氏がやって来て古墳などを築いたとみられ、9〜11世紀には地方官人集団として耕地開発や塩・陶器作り、寺院建設などに携わった。

 秦氏は7〜12世紀(飛鳥−平安時代)に赤穂郡にいたと結論付け、貴族や大寺院に利権を奪われた後、農民になったと紹介。山中良平学芸員(32)は「秦氏の存在が忘れられた地域もある中、赤穂郡には大避神社があり伝説を残し続けていて興味深い」と話す。

神戸新聞NEXT 2019/9/11 21:20
https://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/201909/0012690794.shtml