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【社会】「40歳超えたオッサン」に伸びシロはあるのか
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0001みなみ ★
垢版 |
2019/10/24(木) 21:17:59.04ID:WfzRVwXg9
2019年10月24日 11時15分
https://news.livedoor.com/article/detail/17277977/

「人間には何歳になっても可能性がある」といわれる。だが、その言葉を素直に信じていいのだろうか。ブロガーのフミコフミオ氏は、「たしかに可能性はある。だが、可能性があることこそが希望であり残酷なことだ」という--。

※本稿は、フミコフミオ『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■「伸びシロがあるよ」と言われて、喜んでいいのか

誰にもできないことをするのではなく、誰でもできることを積み重ねて、誰にもできないレベルにまで高めていく。仕事であれ、学業であれ、研究であれ、趣味であれ、それが大事なのではないか、と考えるようになった。

そのように考えるのは、僕が皆さんと同じように凡人で、そのうえすでに中年で、伸びしろのないオッサンだからだ。

一方、「人間には何歳になっても可能性がある」とおっしゃる人もいる。そりゃそうだ。可能性が0%の人間はいない。どんなボンクラでも0.001%くらいは可能性がある。だが、冷静に20歳の頃の自分と今の自分とを比べたら、可能性は相当減っているのは間違いがない。

もちろん、年齢を重ねるごとに可能性が増していく人もいる。僕は年齢に比例して可能性が増していくタイプではないということ。狭い観測範囲からの推測だが、年齢とともに可能性が減っていくタイプのほうが多いのではないだろうか。40歳を超えたオッサンで、誰かから「あんた伸びシロがあるよ」と言われて、素直に喜ぶ人がいたら、楽観的すぎやしないかと訝ってしまう。

■可能性が残されているのは素晴らしくも残酷だ

逆に言えば、どんな人間でも可能性がゼロパーにならないことが、人生の素晴らしさであり、残酷さなのだ。人は誰でも、自分に与えられた時間を自由に使う権利がある。仮に、可能性がゼロだったら、ああ俺には可能性がない、堅実に今を生きようと、諦めがつく。だが、イチパーでも可能性があれば、そのイチパーに残りの人生のすべてを賭ける人がいても、咎められない。

以下ソースで
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