【皇室】三笠宮崇仁親王殿下薨去(100歳で死去)からの三年 3年式年祭(墓所祭)が営まれる-三笠宮妃百合子殿下(96)ら皇族方が参列
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2016年10月27日に100歳で薨去(死去)された、三笠宮崇仁親王殿下の墓所祭が東京都の豊島岡墓地で営まれた。
時事通信の報道によると-《“三笠宮さまが100歳で亡くなってから3年の命日となった27日午後、東京都文京区の豊島岡墓地で三年式年祭「墓所祭」が営まれ、
三笠宮妃百合子さま(96)ら皇族方が三笠宮さまの墓前で拝礼された”》との事だ。
また、《“墓所祭は午後2時から始まり、約50人が参列した。最初に慣例で参列しない天皇、皇后両陛下の使者が墓前に玉串をささげ拝礼。
上皇ご夫妻の使者に続き、百合子さまが車いすに座ったまま拝礼した。福田康夫元首相も縁故者として参列した。”》との事である。
三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう、1915年〈大正4年〉12月2日 - 2016年〈平成28年〉10月27日)は、日本の皇族。
歴史学者(古代オリエント史)。大正天皇と貞明皇后の第4皇男子。
称号は澄宮(すみのみや)、お印は若杉(わかすぎ)。身位は親王。
皇室典範における敬称は殿下。
勲等は大勲位。
陸軍軍人であった(最終階級は陸軍少佐)。
昭和天皇は兄(長兄)、上皇は甥、今上天皇は大甥にあたる。
孫に、彬子さま(-http://www.tedawakou.com/princess-akiko-of-mikasa)や承子さまなどが居る。
〔略歴〕
1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争開戦後、陸軍大尉時代の1943年(昭和18年)1月から翌1944年(昭和19年)1月まで、
コードネーム「若杉」(姓は印にちなんで作られた)として、南京市の支那派遣軍総司令部に勤務。
三笠宮は「日本軍は中華民国との戦争が長引き戦闘が泥沼状態になっており、軍紀が乱れている者が一部いる事を深く反省すべきである」と畑俊六総司令官に言い、対中政策のブレーキ役となった。
総司令部は、着任に際して部隊内に通達を出し、勤務中の接遇及び食堂での食事の際の礼遇について周知している。
若杉の正体は陸軍省上層部に秘匿されていたため、部内にはかなり後期まで若杉が三笠宮であることを知らない者も多かった。
支那派遣軍勤務中には、中国語のエキスパートであった通訳の木村辰男から中国語と中国事情を学んでいる。
また、中国共産党の八路軍に興味を持ったことは、後のオリエント考古学への関心に影響を与える。その後、大本営参謀に転出。
日本帰国後、戦争終結を摸索し、同僚の津野田知重陸軍少佐らと共に東條内閣打倒のクーデター計画を立てるが、東條英機暗殺、主戦派数百名大量粛清などその過激な内容に躊躇し、自ら憲兵隊に通報。
津野田らは逮捕され、クーデター計画は未遂に終わった。成功時には支那派遣軍総司令官の職に就く予定であったと言われる(津野田事件)。
事件への関与は明白ではあったが不問に付され、1944年(昭和19年)9月、願い出て陸軍機甲本部付に異動。津野田はじめ他の将校も軽い処分で済まされた。
こうした経緯があったためか、1945年(昭和20年)4月に長兄・昭和天皇に対面を願い出た時には「何を言うつもりなのかな」と天皇が不安がったとも言われる。終戦時の階級は陸軍少佐・航空総軍参謀であった。
1945年(昭和20年)8月12日に皇族会議が召集されて、昭和天皇が終戦の決意を語り、三笠宮は「忠実に実行したい」と語った。
『南京大虐殺はあったという証言などから“赤い宮様”と言われている側面もある』
※《“”》内は引用部
【参考元:時事通信】
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019102700303 まだこんなに戦犯が残ってるのかと思うと、韓国に申し訳なくてげんなりする。 長男がDVアル中で、
長男とこの孫娘は親父の曲がった根性とカーチャンの曲がった顔が遺伝したドブス姉妹で、
長生きしてもろくなことがなかったな。 天皇が慣例で参列しないのはわかるけど
退位して上皇になっても続けるもんなんだな >>11
だからなるちゃんが江頭の葬式にノコノコ行った時ものすごく叩かれたのよ
将来天皇になる人なのに自覚が無さすぎるってね 生前に一度だけお見掛けした事があるお供の人振り切ってご夫妻で本を見てたよ
80は過ぎてたと思ったけど背筋ピンっとして格好良かったわ >>11
(´ºωº`)ェ? 一族の長がコレ系儀式やらない?
子孫が遠方だったりするけど系統は地場に残るじゃん
三笠宮様はワシらで言う孫ちゃんいるし 皇族の方々は東京に住んでるよ?
京都にご縁の親族がいらっしゃれば支度は東京でお呼びするでしょ? >>14
葬式から帰って塩で清めるように、弔事は穢れという考えがある
平安時代の貴族の葬儀は僧侶だけで行って、家族は葬儀に参列せず墓の場所も知らなかったそうだ
天皇が弔事に参列しないなんて初めて聞いたけど、そんなものかもしれない >>15
上位の宮さまは慶弔の儀式には参列しない。 戦中の事情を結構書いてくれて助かる
昭和天皇崩御の時の新聞にも戦中の事は結構書いてたが
これについてまでは書いてなかった。 >>15
ああ 皇室の穢れって言われたら 参加後精進潔斎やらないとって
大体一年精進潔斎だよね
過去の皇室プチイレギュラーってその間攻めて来られたらアウトみたいな( −人-) 皇族は介護はお付きの人がやるから楽だけど
一般の家では長生きしても介護が辛いだけ >>12
天皇皇后陛下上げが今すごいよね。
過去の件いろいろ無かったことにされてて笑うw >>4
東條英機暗殺計画にビビって憲兵にチクったヘタレが戦後に安全圏から攻撃w
石原莞爾が皇族は当てにならないから頼るなって忠告が完璧に当たった 太平洋戦争時の開戦主張とかの戦犯皇族だっけ?
東京裁判で無期懲役でもよかったのに >>8
こうきょ で変換
陛下以外の死亡はこう言う >>20
降嫁した内親王のところには3人男の子が生まれたのにね 宮様は長生きしたけどお子さんは皆病弱で常に逆縁でしたね 何かと残念な家系なとこだな。
男の子産まれとけばなー。 百合子妃は学習院に行っていた16歳のときに映画の試写会に呼び出されその間に三笠宮に品定めされて嫁に選ばれた人。 >>12
嫁は自分の爺の葬式には旦那連れてシレっと出たけど旦那の婆のは葬式にも法事も全ブッチ中だしね >>41
事実述べられて具体的に反論もできねえバカは黙っとけw こう大引けまで、残り150分。大引けまで、残り150分。大引けまで、残り150分。大引けまで、残り150分。大引けまで、残り150分。 100歳まで生きた皇族は初めてなんじゃないか?
どうせ神武とかの時代はウソなんだろうし >>47
最近はそうだね
持統天皇は火葬と聞いたけど 東久邇宮 稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう、1887年(明治20年)12月3日 - 1990 >>46
「皇族として」100歳は信頼に足る記録があるなかでは初。 >>5
次男も三男も酒が祟って半身不随&生涯未婚&早死にと、40代で突然死だろ?
三男に至っては親の歳の半分すらも生きられてなかったよな
孫は女ばかりだし長男のところは母娘で骨肉の争いが継続中
マジで呪われてるとしか >>47
上皇夫妻は火葬希望で準備してるので
ここから火葬になるんじゃない 三笠宮関係の慶弔に高円宮の次女と結婚した出雲の千家さん来ないよね
上手くいってないそうだけど出雲は次男がいるからそっちの子供が跡取りになるんだろうな あそこまで大きい神社だと跡目争いも血生臭くなりそうだし、小梨でも前提で結婚したんじゃない? カコ様姉妹と後愛子様以外誰がだれかわからないけど、式典みてると女性ばかりw
しかもややぶさ○く揃い?(除くカコ様姉妹)その上かなり高齢?やはり呪われてる >>58
もともと鬱っぽい引きこもりらしいからな
あの家柄でも40まで余ってたのと、あの固い表情からして
噂通りのアスペルガー+ゲイなんだろうよ
典子さんすごいドヤ顔で嫁いで行ったけど女としてはゴミ掴んじゃったよな >>56
上皇陛下:こじんまりと火葬がいいな、今後みんな土葬続けるほど土地残ってないし
宮内庁:承知しました。では火葬場を新築しましょう
一事が万事そんな感じ
縮小したい上皇陛下と格式を最大限大きくしたい宮内庁
なお皇族の火葬を行う火葬場は元々ある >>63
上皇陛下上皇后陛下の火葬場は火葬してその都度取り壊すって報道が有ったよ
他の皇族は落合斎場で火葬
お金さえ払えば誰でも利用できるとか >>1
>日本帰国後、戦争終結を摸索し、同僚の津野田知重陸軍少佐らと共に東條内閣打倒のクーデター計画を立てるが、東條英機暗殺、主戦派数百名大量粛清などその過激な内容に躊躇し、自ら憲兵隊に通報。
津野田らは逮捕され、クーデター計画は未遂に終わった。成功時には支那派遣軍総司令官の職に就く予定であったと言われる(津野田事件)。
事件への関与は明白ではあったが不問に付され、1944年(昭和19年)9月、願い出て陸軍機甲本部付に異動。津野田はじめ他の将校も軽い処分で済まされた。
性格の悪いヘタレ野郎じゃねねか 若宮様の喪があけたんかな
こういうときにようやく喪があけたってはっちゃけて
パパラッチに撮られたりするんだよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています