【トヨタ】ホンダジェットを導入 機体は「86」、ライバル社から
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トヨタがホンダジェットを導入
機体は「86」、ライバル社から
2019/10/29 18:07 (JST)
©一般社団法人共同通信社
トヨタ自動車がホンダ米子会社の小型ビジネスジェット機「ホンダジェットエリート」を導入することが29日、分かった。来年春から役員の移動用として使う方針で、既に系列会社が所有権を取得した。両社は車の技術開発や販売でしのぎを削っているが、今回はトヨタ側がライバル社側から購入した形となり関心を呼びそうだ。
機体の登録記号は「JA86GR」。関係者によると複数の候補から選んだ。トヨタのスポーツカーブランド「GR」と車名「86(ハチロク)」にゆかりがあったためとみられる。
トヨタ系の会社は「朝日航洋」(東京)で、幅広い航空サービスを手掛ける。 そういやホリエモンもこの前ホンダジェット購入で共同出資しとったな >>1
JA86GR
JAP86といかにもチョンが付けそうな機体名だこと 朝日航洋って今はトヨタ系なのか
以前は今は亡きセゾングループだったよな
川越のヘリポートは台風で水没
https://i.imgur.com/iFklZcv.jpg トヨタもセルシオのエンジンを登載したプロペラ機を開発してなかったか? おそらく将来両社は統合した世界最大の自動車会社になるだろう。 ホンダもトヨタ連合の仲間入りか
このまま孤独死するとこだったよかったな ライバルってもトヨタはジェット機なんて作ってねえだろ 分解して解析して
10年後にはトヨタジェット発売だろう >>11
トヨタが無許可改造したエンジンを載せさせて
墜落して死者3名だしてから
もう手を引いてるやろ スバルを子会社にしたから、
トヨタはガチで航空機分野に参入可能。 トヨタも飛行機やろうとしてたけど
試験中に人が死んでやめたとか聞いたことある >>15
ホンダがトヨタの一文字もらって新ブランド名「ホントダ」に トヨタってターボ自前で作れるようになったんか
古い知識で申し訳ないがターボのタービンて、三菱かIHIかKKKのイメージ >>1
鳥取県米子は凄いな。
飛行機作ってたのか! ん?トヨタの社員はホンダのバイクに乗ったらアカンのか? 北米で強いスバルのブランドを生かして、ビジネスジェット参入するのかな 朝日航洋ってヘリ墜落が多かった気がするが違ったかな? >>18 悔しくて、アメリカの航空機メーカーを買収している >>35
トヨタは昔
東富士研究所と元町工場間を1日4往復程
ヘリの定期運航してたけど
愛知と静岡の県境付近に墜落事故を起こし
ヘリ定期運航を廃止したよ >>29
ホンダジェットのエンジンにはIHI入ってる >>39
盗用多、マネシタ電機は解るけどサントリーは? レギュレーション無法のドラッグレースでもやるのかと ホンダだってトヨタのフォークリフト使ってるし 震え声 トヨタは、プロペラ機用エンジン開発で、違法な試験飛行やって
死人を出してたなw
あの航空機用エンジンの開発はどうなったんだ?? あのカテゴリーの小型ジェットって需要ほとんどアメリカでしょ
他にもオーストラリアとか南米なんかも使えそうな地域あるけど市場として小さ過ぎるし >>23
航空機でこそ本領発揮のボクサーエンジン
ちなみにFA-200エアロスバルに積まれていたフラット4エンジンが富士重工製ではないことはあまり知られていない
(米ライカミング・エンジンズ社製)
※推進用ではなく補助モーターとしてスバル360のエンジンを乗せたものはある >>1
トヨタも飛行機のエンジン開発しているよな。
昔セルシオのエンジンで墜落しなかったっけ?? さすがトヨタ。ホンダ製なのに86とかセンスのかけらも無いな。 >>42
ゼネラル・エレクトリックじゃなかったっけ?あるいは両方?? ホンダジェットのジェットエンジンを東京モーターショーで展示してあったがスゲー小さいのな
あれ2つであれだけの推力出るんだなぁと感心した ホンダとトヨタが航空機部門で合弁会社を設立しました。
その名も 「トンダ」 ホンダジェットってかなり操縦しにくいじゃじゃ馬らしいな
こんなん墜ちるの分かっているだろうに買うなよ 昔ホンダ社長がヤマハのボートを買ったことがある
HY戦争の手打ちとして >>35
墜落事故でいすゞから引き抜いたディーゼル技術者全てを失った
だからHVに傾倒した >>52
乗用車開発でライカミングのフラット4を使おうとしたら断られたんだよな。そんで自
社開発したんだけど、ちょうどその時、ライカミングのライバル会社のコンチネンタル
が倒産して廃業になった。コンチネンタルのフラット4がスバルのフラット4の祖先じゃ
ないかって話は聞いたことがある。 >>59
トヨタ「まてまて、これだとホンダさんの方が2文字使っててずるいだろ!トヨダにしよう」
ホンダ「それトヨタさんがある意味全部使ってね!?」 このサイズの飛行機ってほぼエンジンが飛んでる状態だからね
エンジンされ故障しなければ落ちる事はない
止まれば終わり ネジ緩めるどころかダッシュボード開けても通知されそうだなw 市販車だってライバル会社の車買って徹底的にバラすからな。
コレもバラすんだろうな。 >>1
別にクルマでライバルであって、航空機はトヨタ作ってないから
無問題だわなw 海外メーカーのビジネスジェットを買うより、ちゃんと国益考えてると思うぞ。 >>69
「トンダヨ」
これなら公平ですどうでしょう 最近ホンダとトヨタが妙に仲がよいな
モリゾーがモータースポーツ好きだからか? >>14
元中島飛行機のSUBARUと共同開発すればいいな ゴーンが乗ってたプライベートジェットに比べるとショボい
日産に負けてる エンジンが離れてるのでプライベートジェットとしては乗り心地最強だとホリエモンが言ってたな >>83
トヨタは自分達で車作るのやめたんだよ。
トヨタブランドとして売れればいい。 別に驚くような話ではないな
いくらライバルでも車買ったわけじゃないし
北米で一番売れている小型ジェットだし >>5
JAがなんなのかも知らんのだな。
あらゆる日本国籍の航空機はJAが冠せられているんだが。
馬鹿は休み休み言えな。 昔、スバルもビジネスジェットをやろうとしたんだよ。
当初1億円ビジネスジェットなんて言ってたが911でポシャった。
ベルのチルトローター機やらせば良いのに。(オスプレイみたいなの) 日本の自動車メーカーのお偉いさんは基本、本田宗一郎を尊敬しているんだろう。
トヨタがレクサスのディラーでホンダジェット販売したら相当売ると思う。
レクサスの顧客はビジネスジェットを必要とする層とかみ合う。 >>47,53
ホンダのカブを川崎重工のロボットが組み立ててる写真を見たような気が ホンダが今年久しぶりにF1で優勝したときにモリゾーが祝辞送ってたらしいし
少なくともモリゾーはホンダのことリスペクトしてるみたいだ というか、もうジェット機自体がオワコンだろ。
ドローンの輸送ヘリ化か、
ヘリのUber化
これが後数年でノーマルになる。
ジェット機事業の予算を、ドローン型のヘリに使って、アメリカに事業ごと売り飛ばすべきだったね。
正直、このままなら永久に赤字だよ。
趣味事業。 技術開発や販売でしのぎを削っていなくて、ホントは1列。 航空機作ってない以上、競合じゃないだろうに
名称だけ引っかかる感じだろうけど、それも一蹴しちゃうほどのCPということだろう そんなものを買わずに、札幌へマラソンの寄付をしてくれ 時代は飛行機作るカワサキだな
カワサキに乗れずに死ぬ馬鹿って人生何が楽しくて生きてるの? ホンダは、アメリカの小型ジェット作ってた会社買収して子会社にして
製造から認可まで丸投げしてたからね。だから最短期間で商品化できた。
三菱のMRJみたいな日本製の機体だとアメリカがいやがらせかけて認可出さないし。
トヨタもやるならアメリカの企業買収して子会社化が一番の近道。
間違ってスバルにやらしょうとしてもメインマーケットアメリカで認可下りないから商品にならない。 こんなん、言い訳で速攻バラしてリバースエンジニアリングするんやで
トヨタならエンジンから機体まで内製できちゃうで 86っ聞くと思い出す
イニシャルDだっけ
ドライバーが藤原文太(´;ω;) 飛行機のプロジェクトをやれと言われた。入社2年目であった。そのときの気持ちを、藤野道格はこう言っている。
「小さなプロジェクトでした。40代の上司がひとり、その他は入社2年ぐらいの若手が6人です。上司はアグレッシブな人で、
これから飛行機の機体を作って実際に売るのだと宣言した。そこで説明されたコンセプトは、飛行機の自動操縦、自動制御、
オールコンポジットの機体開発だとかで、それは当時のアメリカのNASAが手がけているような最先端技術ばかりなんですよ。
僕らにしてみれば、これから泳ぎを覚えるというのに、数年後の目標はオリンピックの水泳だと言われているようなもので、
自分たちの実力と開発コンセプトとテーマが、あまりにも離れすぎていてギャップが大きい。どこまで真面目に考えていいのかさえわからない。
なにしろ飛行機の設計をやれる人がいない。上司は意気軒昂で、こういう飛行機を作ろうとスケッチを描いたりするのですが、
飛行機を勉強してきただけの僕が見ても、それは飛びませんよと思うわけです。飛行機は物理現象で飛んでいるわけですから、それを無視したら飛びませんからね」
自動車メーカーが飛行機を作ろうとした、こうなるという話であろう。ようするにホンダはゼロからホンダジェットの研究開発をスタートしたのであった。
「会社からは、世界最先端の技術を学んでこいと言われました。私は学校で制御を学んでいましたから、
フライトコントロールの最先端技術や理論を学ぶのだと送り出されたのですが、ミシシッピ州へ行ってみたら、
そのようなことを学ぶ場所ではないことがわかりました」と藤野は言っている。
「ラスペット飛行研究所は、手作り飛行機を作っているような研究所でしたね。既存の単発ターボプロップ機の主翼と尾翼を、
コンポジット材(複合材料)で作りなおして、機体を軽量化するという研究をしたわけですが、毎日、部品を作っては、
ヤスリがけして、自分の手で飛行機を組み立てるような作業をしていた。最先端技術や理論なんて、どこにもないのです。
飛行機の機体は、綿密な構造計算の上で設計されるものなのですが、単発の小さな飛行機とはいえ、すごく簡単な計算をするだけでした。
さすがにある日、こういうやり方でいいのですか、とミシシッピ州立大学の教授に問うたわけです。そうしたら教授は、近くにあった椅子を指さして、
こういう椅子を設計するときに綿密な構造計算が必要だと思うのか、と言われました。これにはショックをうけましたね。こういうところに来たのかと、物凄いギャップを感じました」
ただし藤野は、ラスペット飛行研究所での経験は貴重なものだった、と後に気がついている。
「たしかに実際に図面を描いて飛行機を設計し、自分で部品を作り、組み立てる。自分で飛ぶことも出来た。
それまでは航空学科を卒業しているだけで、飛行機にさわったこともなければ、ましてや操縦したこともないわけですよ。
だから実際の経験が出来た。自分の手でボルトをしめたリ、リベットを打ったりする。こういう経験は、本場アメリカの航空機エンジニアですら経験していない。
飛行機の設計は出来るけれど、飛行機を作ったことがない。そういう経験は貴重だと後でわかった。しかしそのときは満足できないわけですね。
もっとハイテクなことを学びたいと思っている。だから昼間は飛行機を手作りして、夜はハイテク理論を勉強していました 1988年になると、本格的な飛行機開発がスタートした。実験機と位置づけられたMH02型の開発計画である。
「普通の飛行機の機体はアルミ製なのです。しかし私たちに与えられたミッションは、オールコンポジットの機体を作れ、ということでした。
コンポジットとは、プラスチックのなかにグラスファイバーみたいな繊維が入っている素材です。樹脂と繊維を編み合わせた構造で、
それを重ねて作るのがオールコンポジットです。アルミ製にくらべると利点は多くあります。軽くなる可能性が大きい。アルミ製より疲労に強い。
また腐食しない。曲線とか曲面がきれいに仕上がる。ただし設計も製造も、きわめて難しい。設計に手間がかかるし、
専用の大掛かりな製造設備を必要としますので、コストがかかる。いい技術陣がいて、いい理論があり、いい実験データが豊富で、
専用製造設備があればオールコンポジットもいいでしょうが、それがなければ成立しない。設計が難しく、製造が難しく、コストがかかる。
オールコンポジットの機体開発は、MH02の開発に着手した時点では、まぎれもない最先端技術でした。現在でも先端技術と言っていいと思います」
藤野は言葉にこそ出さなかったが、オールコンポジットの機体開発は、あまりにも冒険的であったと言いたげだった。
だが、ホンダ上層部の意志は強固であった。いまのホンダの技術水準では到達不可能と思える最先端技術であるからこそ、
チャレンジングな研究開発テーマになるのだという強烈な哲学が本田技術研究所には伝統的にある。そのとき最高の最先端技術に挑戦するからこそ、
技術的体力が身につくのだという考え方だ。
そうしたホンダの技術開発哲学について、藤野はひらたい言葉で、こう言っている。
「飛行機開発を始めたとき、上司から与えられた研究テーマについて、これは出来ませんと答えると、物凄く怒られるわけです。
出来ない理由を説明すると、もっと怒られます。出来ないことはない、と言うわけです。そうやって怒られながら僕は学びましたね。
出来ない、と思ったら、出来る方法を考える。出来ないと答えれば、怒られるけれど、こうすれば出来ますよと言えば、
比較的うけいれてくれる。ならば、やってみろ、ということになる」
1993年に飛行試験を開始した実験機MH02型は、ホンダが初めて自社設計して開発した記念すべき飛行機となった。
しかも実験機ではあったが世界初のオールコンポジット製ビジネスジェットである。ここにきてホンダは、飛行機開発の設計、
機体組み立て、地上テスト、飛行試験までをすべて自分たちで実行し、飛行機をゼロから設計して飛ばすまでの貴重な経験を積んだ。
初飛行のときのことを、藤野道格はこう言っている。
「もちろん綿密に計算して、間違いはない、という確信があるから飛行試験を開始したわけです。間違いは許されないですから、
すべての部品は計算して設計しテストしているし、機体はすべてチェックしている。ただし、自動車同様に飛行機にも特性というものがあります。
MH02の場合は、エンジンが機体の上についている特殊な形をしているので、離陸するときに操縦桿を強い力で引く必要があるという特性があった。
パイロットには、そのことを説明したのですが、そういうことは経験しているから大丈夫という感じで、あんまり心配していなかった。それで無事に離陸しました。
僕はそれを自分の目で見られないのです。設計者たちは、離陸するところが見えない場所で、テレメーターとかデータを見ていなくてはならないので、
あっ飛んだな、とデータを見てわかりました。初飛行をおえたときは、それは嬉しかった。嬉しくて嬉しくてしょうがないというのではなく、
ほっとした、という気持ちが強かったですね。なにしろ初飛行直前の3日間は、毎日2時間ぐらいしか眠る時間がなかったので、疲れているし眠たい。
無事に初飛行をおえたあとは、早く帰って寝たいということだけでしたね」 この実験機MH02型のエンジンは、実はホンダ製ではなかった。PWC社製のターボファン・ジェットエンジンを搭載していた。
ホンダは藤野たちの航空機プロジェクト立ち上げの1986年に、航空機エンジン開発のプロジェクトも立ち上げている
。したがって、おそらくホンダのターボファン・ジェットエンジンの開発が、MH02型の飛行試験開始までに間に合わなかったのだろう。
藤野道格は機密保護の立場から、そのことについて詳しく発言することをしない。
ただしホンダのターボファン・ジェットエンジン開発については、このような雑感を言っている。
「自動車用エンジンとは、まったく別のものですからね。凄い高温で、凄い遠心力で回転するエンジンですから、材料を限界まで使うし、
その使用条件も品質も異なりますから、大変な開発だったと思います。とはいえエンジンは、ホンダはエンジンの会社だというのがあって
、エンジンは自分たちの手の範囲内にあると思っている人が多かったようですね。だから航空機エンジンを作って、
航空機メーカーに売るというほうが比較的実現性が高いと思うわけです。そのほうがビジネスの範囲もうんと狭くなるし、
投資の回収は難しいかもしれないけれど、リスクは少なくなる。そういうことがあって、航空機エンジンの開発は今日まで、
ずっと継続されてきました。僕らのほうは途中で何度も航空機研究を続けることが難しい状況になりましたけれどね」
本田技術研究所では、困難な研究開発をするとき「2階にあげて、ハシゴを外し、下から火をつける」という手法がとられる。
オールコンポジットの飛行機機体開発は、まさにそれだった。ホンダの人材育成は、まことに強烈である。強烈だからこそ、短時間で成長してきたのだという自負がある。
実際問題、藤野たちの研究開発チームは、設計に必要とするコンピュータ・プログラムの開発から着手している。
航空機開発用の風洞実験設備がなかったので、自動車の屋根に風洞測定モデルをくくりつけて、自動車用テストコースを走って
空気の流れや力を測定したという笑い話のようなシーンすらあった。
藤野自身も自動車技術者から航空機技術者へと成長していた。開発拠点はアメリカのミシシッピに置いていた。そこで藤野は、
ベテランのアメリカ人航空機技術者と出会い、師事している。
「超音速機や超大型機の開発に挑んできたアメリカの超一流の技術者と仕事を通じて出会えたことである。彼らとの関係を通じて、
過去の航空機開発における技術やその歴史、そして成功体験でけでなく失敗事例や問題点などを、あたかも同時代を生きたかのように直接学びとることができた」と藤野はレポートに書いている。
また、アメリカでの研究開発業務活動では実際にビジネスジェットを使う機会があり、商品としてのビジネスジェットを見る目が鍛えられたという。
こうして5年間の精進が続けられた。そして1993年に、MH02型実験機は、初飛行に成功するのであった。 1993年に飛行試験を開始した実験機MH02型は、ホンダが初めて自社設計して開発した記念すべき飛行機となった。
しかも実験機ではあったが世界初のオールコンポジット製ビジネスジェットである。ここにきてホンダは、飛行機開発の設計、
機体組み立て、地上テスト、飛行試験までをすべて自分たちで実行し、飛行機をゼロから設計して飛ばすまでの貴重な経験を積んだ。
初飛行のときのことを、藤野道格はこう言っている。
「もちろん綿密に計算して、間違いはない、という確信があるから飛行試験を開始したわけです。間違いは許されないですから、
すべての部品は計算して設計しテストしているし、機体はすべてチェックしている。ただし、自動車同様に飛行機にも特性というものがあります。
MH02の場合は、エンジンが機体の上についている特殊な形をしているので、離陸するときに操縦桿を強い力で引く必要があるという特性があった。
パイロットには、そのことを説明したのですが、そういうことは経験しているから大丈夫という感じで、あんまり心配していなかった。
それで無事に離陸しました。僕はそれを自分の目で見られないのです。設計者たちは、離陸するところが見えない場所で、
テレメーターとかデータを見ていなくてはならないので、あっ飛んだな、とデータを見てわかりました。初飛行をおえたときは、それは嬉しかった。
嬉しくて嬉しくてしょうがないというのではなく、ほっとした、という気持ちが強かったですね。なにしろ初飛行直前の3日間は、
毎日2時間ぐらいしか眠る時間がなかったので、疲れているし眠たい。無事に初飛行をおえたあとは、早く帰って寝たいということだけでしたね」
たった5年間で、それまで世界に存在していなかったオールコンポジット製ビジネスジェットを設計して飛ばした人の思い出というのは、
こういうものなんだろなと思った。5年間の藤野たちの苦労がよくわかるエピソードである。
この実験機MH02型のエンジンは、実はホンダ製ではなかった。PWC社製のターボファン・ジェットエンジンを搭載していた。
ホンダは藤野たちの航空機プロジェクト立ち上げの1986年に、航空機エンジン開発のプロジェクトも立ち上げている。したがって、
おそらくホンダのターボファン・ジェットエンジンの開発が、MH02型の飛行試験開始までに間に合わなかったのだろう。藤野道格は機密保護の立場から、
そのことについて詳しく発言することをしない。
ただしホンダのターボファン・ジェットエンジン開発については、このような雑感を言っている。
「自動車用エンジンとは、まったく別のものですからね。凄い高温で、凄い遠心力で回転するエンジンですから、材料を限界まで使うし、
その使用条件も品質も異なりますから、大変な開発だったと思います。とはいえエンジンは、ホンダはエンジンの会社だというのがあって、
エンジンは自分たちの手の範囲内にあると思っている人が多かったようですね。だから航空機エンジンを作って、
航空機メーカーに売るというほうが比較的実現性が高いと思うわけです。そのほうがビジネスの範囲もうんと狭くなるし、投資の回収は難しいかもしれないけれど、
リスクは少なくなる。そういうことがあって、航空機エンジンの開発は今日まで、ずっと継続されてきました。僕らのほうは途中で何度も航空機研究を続けることが難しい状況になりましたけれどね」
その最初の危機は、MH02型実験機の飛行試験がすべて終了した1996年8月にやってきた。航空機研究プロジェクトはひとまず終了となり、ミシシッピの実験機開発のすべての設備が閉鎖された。
帰国した藤野道格は、どうしても研究を続行したいと思っていた。彼は10年間の航空機研究で、ビジネスジェットを所品として開発できるという自信をつけていた。
商品となるビジネスジェットの具体的要件すら考えていたのである 実験機MH02型の試験飛行が終わった1996年から1年半ぐらいの期間は、藤野道格にとって、いちばん辛い時期であった。
「要素研究は許されたのですが、先が見えないわけですね。これは辛いです。ここからもう一度、航空機研究プロジェクトを巻き返したいとは思っていたのですが、
やっぱり無理かなという考えも頭をもたげてきます。諦めて、ホンダを退職して、他の会社へ行くかという考えも出てきます。その頃に、マラソン選手の話を本で読んだのです。
マラソンをしていて苦しくなったときは、ゴールまで40キロを走るのだと思わないで、とにかく次の電柱まで走ろうと思って走り続ければ、完走できるという話でした。それを読んで、
とりあえず次の電柱まで走ってみるかという気持ちになりました」
と藤野は言っている。そして1年半がすぎた頃、藤野は当時のホンダ社長である川本信彦に呼ばれた。
そのとき藤野道格は、新しい航空機研究のコンセプトを話している。それはとても具体的なビジネスジェット開発アイデアであった。
従来のビジネスジェットより燃費を20、30%向上させて、3、4人が搭乗したときの1人あたりの運航コストが国内線のファーストクラス並であること。
キャビンのスペースがひとクラス上の機体と同様の広さで、対面シートに座った乗客の足がお互いにぶつからないこと。きちんとしたドアがついたトイレを設備し、
乗客人数分のゴルフバッグが無理なく積める荷物室があること。最高速度は400ノット(時速約740キロ)をこえ、ノンストップでニューヨークからマイアミまで飛行できる、
高性能な小型ビジネスジェットであること。購入者の所有欲を満たす魅力的なスタイリングとインテリアであること。
以上の性能をもたせるために、エンジンを主翼上面に搭載するという斬新かつ挑戦的な技術課題を考えていた。従来の小型ビジネスジェットのように胴体後部にエンジンを搭載すると、
胴体後部にエンジン支持構造が必要となるので、キャビンスペースや荷物室スペースを十分な広さにできない。だからエンジンを主翼に搭載することを考えた。
それもジェット旅客機のように主翼の下面に吊り下げるのではなく、主翼上面に搭載する。この方法は、空力や重量配分の問題解決が難しいために、
いままで実現されたことがなかった。そのような未知の技術開発に挑戦して実現すれば、新しい小型ビジネスジェットのスタイルを生み出すことになる。ホンダ好みの、まことに挑戦的な技術コンセプトであった。
この藤野のアイデアを聞いた社長の川本信彦は「このアイデアをまとめて、経営会議へもってこい」と言った。「これは千載一遇のチャンスだ」と藤野は思った。
こうして経営会議に、新しい航空機研究プロジェクトが提案され、そして承認された。藤野が提案したコンセプトを実証するためのプロジェクトである。 1997年ふたたび藤野道格たちは、航空機製作のプロジェクトに着手することになった。
独自に研究開発を続けていたホンダ製ターボファンジェット・エンジンが実用化の段階へと仕上がり、それを搭載することが決まった。
「主翼上面にエンジンを搭載したホンダジェットの設計には2年間の時間が必要だった」と藤野は言っている。入念な計算、何度も繰り返される
コンピュータ・シュミレーション、そしてテスト、風洞実験と、「絶対に大丈夫だ」と思えるまで時間をかけた。
ここでふたたび自動車メーカーが航空機を作ることの難しさに、藤野は何度も直面する。
「オートバイやクルマなら、厳しい評価ができますが、飛行機だとピンとこないというか、知識も経験もないのですから、ホンダの社内でも話が通じにくいことがありました。
本質的な理解が得られているのかどうか、判断が難しいことすらあった。いちばん異論が出されたのは、主翼上面にエンジンを配置するアイデアでした」
それまでの一般的な航空機設計理論では、主翼上面には何も配置しないというのが常識であった。しかしホンダジェットでは、キャビンスペースや荷物室スペースを十分な広さにするために、
主翼上面のエンジンを配置する設計である。たしかに主翼上面にエンジンを配置することは技術的に難しいことであった。空気抵抗が増加し、高速飛行時の空力特性が悪化するからである。
そのような問題を、藤野は技術課題として設定し、主翼まわりの空気の流れと、エンジンまわりの空気の流れを、うまく組み合わせれば、高速飛行時の空力特性を悪化させない圧力分布が
可能ではないかと考えたのである。この考えにそって、主翼上面の最適位置のエンジンを搭載すれば、高速飛行時の空力特性を悪化させず、むしろ向上させる可能性があることを、
コンピュータ・シュミレーションを何度も繰り返すことで発見していた。最終的に、最新鋭のCFD(数値流体掲載シュミレーション)でコンセプトをかため、ボーイング社とNASA(アメリカ航空宇宙局)の遷音速風洞試験で実証したのであった。
こうして藤野は主翼上面にエンジンを配置したホンダジェットを設計するのだが、社内での技術的理解を得ることは困難であった。
「理論で説明し、実験結果を提示しても、なかなか理解してくれなかった」と藤野は言っている。
「きちんとした評価をアメリカの航空学会でもらえれば、きっと安心して理解してくれると私は考えました。またホンダが変な形の飛行機を作ったというネガティブな印象をもたらすと、
ホンダのブランド・イメージを傷つけてしまうかもしれないという懸念もありましたから、学会だけはきちんと攻めて、評価を得ておこうという考えもありました。ただし、よい評価を得られるかどうかは、ひとつの賭けだなと思っていました」
エンジン主翼上面最適配置について、藤野は技術論文を書き、アメリカの航空学会で発表した。
その技術論文を、アメリカ航空機設計委員会は高く評価した。飛行機設計における重大な発見のひとつである、と論評されたのである。飛行機設計の専門誌である『AIAAジャーナル・オブ・エアクラフト』誌に論文が掲載されるほどであった。
エンジン主翼上面最適配置という最新飛行機設計技術は、社内はもちろんアメリカの航空学会でも理解と支持を得られたのである 二社+富士重工で軍用機開発して欲しい
胡坐をかいているクソ三菱を蹴落としてくれ 2年がかりの入念なホンダジェット設計がおわると、いよいよ実際に試作機の製作を始めた。1999年のことである。
設計図に描かれたホンダジェットは、実験機MH02型よりひとまわり小型であったが、キャビンスペースは広くなった。エンジン主翼上面最適配置を採用したから可能になったことである。
その胴体は、すでに10年間の研究が積み重ねられているコンポジット構造であった。胴体は、ノーズから最後尾すべてまで、徹底して空気抵抗が低減されていた。空気抵抗を減らせば、
飛行性能が向上し、さらに燃費向上まで可能になるのは、自動車設計と同じである。ホンダが作る小型ビジネスジェットであれば、高性能で燃費がいいのは当然という考え方だ。
エンジンを搭載する主翼はアルミ製であった。実験機MH02型は胴体と主翼すべてオールコンポジット構造であったが、商品化をめざすホンダジェットは、より現実的な選択として主翼はアルミ製となった。
こうした現実的な技術選択が出来るようになったのは、藤野道格が航空機設計者として成長したからだろう。必要な技術を必要に応じて使いこなすという設計手法はベテランのものだ。藤野はこう言っている。
「商品化するという目標があり、それはビジネスですから、コストを考える必要があります。コストに糸目をつけないで性能だけを追求するというのならオールコンポジット構造がいいと思います。
しかしコンポジットの製造設備投資は大きいですから、ビジネスとして考えてコストパフォーマンスを判断する必要があります。胴体だけをコンポジット構造にしたのは、
胴体はコンポジットの良さを最大限に活かせるからですね。そうではないところ、たとえば主翼はアルミを使うべきだという、ベストのコンビネーションでやろうと判断をした。
あまりにコンポジットにこだわると、エンジニアの視野を狭くしてしまい、何でもコンポジットで作ろうとして、簡単なLブラケットまでコンポジットだと考えてしまう。
Lブラケットなどはアルミで作れば30ドルの部品なのに、コンポジットでは100ドルになってしまう。飛行機の全体をまとめるときには、どこがコンポジットか、どこがアルミかを、きちんと見極めなければならない。
そういう観点で全体を考えると、やはり主翼をアルミにするのが、最良のコストパフォーマンスを生み出すと判断した」
ホンダジェット試作機の製造に取り組んでいる間も、ホンダ社内では航空機プロジェクトの存在を問いなおす議論が続いていた。2001年になると、商品化しないという声が大きくなってきた。
「2001年ぐらいから、航空機プロジェクトは、もうやめるという話が出てきた。ところが福井(威夫/第5代社長)さんが、まだ研究所の社長だったと思いますが、とにかく飛ばすところまでは絶対にやるべきだ、
と言っていると伝わってきた。この福井さんの意志は、福井さんが2003年6月にホンダの社長になってから、ふたたび表明してくれました。あのとき福井さんが言ってくれなかったら、
はたしてどうなっていただろうかと考えることがあります。私の人生というか、ホンダの航空機プロジェクトは、つねに綱渡りですよ。ひとつ間違っていたら、ホンダジェットは生まれていない。
本当に危なくなったときに、どこからか助け舟が出てくる。あるときは、その人が川本(信彦/第4代社長)であり、福井さんだった。どこかで私たちの仕事を見ていてくれたのだと思います。
いまはホンダって、こういう会社なのだろうと思いますが、プロジェクトが危機にひんしたときは、そんなことは考えられない。これでプロジェクトが中止されたら、ホンダを退職して、他の仕事をやろうと何度も考えましたからね」 こうした紆余曲折のなかで、ホンダジェットの試作機作りが続けられていた。細心の作業で組み立てを完了すると、入念な強度試験がおこなわれた。
次の段階は地上走行試験と初飛行であった。
そして2003年11月に、地上走行試験、航空機業界の言葉ではタキシー試験を開始できた。そのときの感動を、藤野はレポートにこう書いている。
「格納庫から太陽の下にあらわれたホンダジェットのプロトタイプは、既存機と比較して格段の新しさであった。地上ステアリング走行試験で、
ホンダジェットが8の字にランプを自走する姿は、あたかもフィギュアスケートの選手がリンクの上でのびのびと滑るかのような美しさがあり、
この瞬間は長い開発過程のなかでも格別な感慨を感じた」
1986年に航空機プロジェクトを開始して以来17年がすぎていた。その17年間を全力で走り抜けてきた者のみに許される感動の瞬間であった。
ホンダジェット試作機の初飛行は2003年12月3日に成功している。タキシー試験の直後であった。このときの藤野の感想は、
エンジンをふくめてオールホンダ製の航空機が初めて飛んだにもかかわらず、タキシー試験のときほど心が躍動していない。疲れはてていたからである。
「初飛行前は凄く忙しくて、とても疲れていました。だから、やっと初飛行に成功してホッとしたという気持ちが半分。あとの半分は、これですべて終わりになるのかという
複雑な気持ちがしていた。研究所の上司は、初飛行まではやると言っていたから、これで終わりになるかもしれないわけで、希望をもってやったというより、
自分で自分にケジメをつけるためにやっていたから、嬉しくて嬉しくてという感じではなかったですね。疲れきっていたから、飛んだのは嬉しいけれど、
これで終わりだという気持ちのほうが大きく感じたのだと思います」
初飛行をおえた藤野は、3週間の長期休暇をとってバハマへ行った。バハマのリゾートホテルのレストランで、ひとりのアメリカ人と知り合った。
自分のビジネスジェットでバハマへ家族連れで遊びに来たという。ホンダジェットを知っているかと質問すると、よく知っていると答えた。
「知っている人がいるのだと思って、嬉しかったですね。するとその人は、あんなにカッコいい飛行機はいままでなかったから、ぜひ買いたいと思っている、
と言ったのです。驚いたというか、こういうふうに思ってくれる人がいるのだという気持ちがしました。まったく知らない人から、そう言われて、少し元気が出て、
3週間休んでいたから体力が回復してきて、もうちょっとやってみるかという気になった」
と藤野は言っている。休暇をおえると、事業化をめざして飛行試験に取り組んだ。
ホンダジェットには、開発の目標とした性能や商品力があることを確認したが、社内では相変わらず事業化への声が盛り上がらない。そればかりか、
もしホンダジェットを市販して、それが墜落でもしたら、ホンダの4輪商品のセールスに大きなダメージを与えるだろうという真摯な意見もあり、そう言われれば藤野は黙るしかない。
「ホンダは飛行機が好きな人は多いから、みんな飛行機をやりたいという気持ちがあると思います。しかし経営者であれば、自分はやりたいけれど、
経営責任者としての判断はまた別ですからね。本当にホンダジェットが売れるのか、という心配があるでしょう。自動車メーカーが作った飛行機を、
買ってくれる人がいるのかという不安です。僕はハバナでの経験があったし、ホンダジェットは商品性が高いから売れると言っていたのですが、
そこがなかなか通じなかった。事業化できなければ、本当にすべてが終わるのだと思った」 トヨタってパクリの王様だもんな。
多方面に圧力かけて 情弱に完全オリジナルって感じで宣伝して
堂々と販売。無理矢理 商品を成立させる。
エンジンは中国製なのに国内でトヨタが売るとMADE IN JAPAN w ホンダジェットを航空ショーに展示しようと考えたのである。2005年のことだった。
そのときの気持ちを、藤野はこう言っている。
「ホンダジェットを事業化する、つまり製造販売できなければ、ここで終わりだと思いました。社内では事業化は難しいだろうという意見が多いと感じていましたから、
航空機プロジェクトが終了する公算が強かった。20年間やってきたホンダの航空機研究が、これで終わるのならば、きちんと総括しておきたかった。
入念な飛行試験をやって性能や商品性を確かめたし、技術論文はアメリカの航空学会で評価をうけた。もうひとつやっておきたかったことは、
ホンダジェットを一般の人たちに公開することでした。飛行機のユーザー層や航空機ファンたちに評価してほしかった。それで2005年7月にアメリカのウィスコン
シン州で開催される
オシコシ航空ショーに出展する計画をたてた。その計画が承認されて実現するわけですが、僕は複雑な気持ちでした。これが最後の活動になるかもしれない。
しかしオシコシ航空ショーで展示することで、多くの人たちの評価がえられれば、事業化への道が切り開けるかもしれないという、かすかな望みをもっていました」
オシコシ航空ショーは自作機や民間機ための航空ショーである。世界中から航空機技術やファンが集まる。まさにホンダジェットにふさわしい発表会場だった。
それは藤野道格にとって感動的な体験となった。彼はレポートに、こう書いている。
「ホンダジェットがオシコシ・エアショーにあらわれたとき、1000人をこえる飛行機ファンたちが、ホンダジェットを一瞬にして取り囲んだ。
朝の澄み切った空気を貫く日射しをうけたホンダジェットの強烈な存在感。それを見る人びとの熱気は、それまでの人生で経験すらしたこともないものであった。
人びとの発するエネルギーが空気の圧力として全身に伝わってくるのを感じた。」
航空機ファンの何人もが「こんなに美しい飛行機は見たことがない」と口々に言ったという。藤野の想像をこえる熱狂的な反応があった。
そうした航空機ファンにまじって、ホンダの第4代社長の川本信彦、第5代社長の吉野浩行、アメリカ・ホンダの社長であった雨宮高一が航空ショーの現場にいた。
「このオシコシ航空ショーから、ホンダ社内の流れに変化が出てきた」と藤野は言っている。その機運を見逃すことはなかった。事業化のための企画提案を、何度もおこなった。
自動車メーカーが開発した飛行機を買う人がいることを経営陣に理解してもらわなければならない。飛行試験で性能を確認し、技術論文で独自技術のステイタスを高め、
航空ショーで一般の人たちの評価を得たあとは、ホンダの経営者たちにホンダジェットの高い商品性を認めてもらえばいい。そこが事業化への突破口となった。
たとえばホンダジェットには、きちんとしたドアがあり個室になるトイレが設備されているが、それはいままでの小型ビジネスジェットにない設備であった。
従来の小型ビジネスジェットはキャビンスペースが狭かったので、カーテンで仕切るような緊急用のトイレしか設備していない。
そのようにホンダジェットは、徹底したお客様目線での設備や装備があった。これこそが自動車メーカーが作る飛行機の商品的な魅力であった。
大型ゴルフバッグが4つ入る荷物室なども、その一例である。これは自動車のトランクスペースを開発するときと同じ考え方だ。
そのほかにも自動車メーカーならではの強みが発揮されている。機能とデザインを両立したインテリア・デザイン、地上を走行しているときの乗り心地、
フィーリングのいいブレーキペダル、しっかりと効き気持ちのいいブレーキ・システム、電子制御のステアリング・システムなど、高級乗用車開発の技術をいかんなくつぎ込まれている。
こうしてオシコシ航空ショーから、およそ半年後の2006年3月に、ホンダジェットの事業化が決定された。 藤野道格は「たった一度だけ、本田宗一郎さんにお会いしたことがある」と言っている。
「たしか29歳のときだったと思う」と藤野は言っているから、1989年あたりの頃であろう。
本田宗一郎に29歳の藤野道格が会ったのは、本田技術研究所の基礎技術開発センターを視察したときであった。その思い出を藤野は、こう言っている。
「ホンダが飛行機を研究していることは、極秘事項でした。そもそも基礎技術開発センターの存在自体が、社内でも秘密になっていて、
従業員でも知っている人は少なかった。そういう基礎技術研究センターに本田宗一郎さんが来られた。そのときの上司は、
僕に、飛行機をやっていることは本田宗一郎さんには絶対に言ってはならない、と厳命しました」
本田宗一郎が飛行機を作ることを夢みていたのを藤野道格は知っていた。だから、なぜ、本田宗一郎におしえてはならないのかが、よくわからなかった。
飛行機研究をやっていると知れば、とても喜ぶのではないかと思ったからだ。藤野は本田宗一郎の喜び顔が見たかったのである。
ところが上司は、こう言ったという。
「もし、飛行機研究をやっていると知ったら、引退を撤回して研究所の現場に戻ってきてしまうかもしれない。あるいは、いろいろな意見を言ってくるだろう。
そうなったら研究所の仕事がめちゃくちゃになってしまう可能性がある。だから絶対に言ってはならない」
本田宗一郎はそこまでエネルギッシュだった。そういう人物でなければ、たった一代で世界的企業を興すことはできない。
藤野は上司の厳命を守った。その直後のエピソードは、藤野の人柄をよくあらわしている。本田宗一郎の視察がおわり、緊張していた藤野がトイレに入ると、
そこで本田宗一郎が用をたしていた。藤野はこう言っている。
「トイレに入ったらアロハシャツを着ている人がいた。すぐに宗一郎さんだとわかった。僕は、飛行機やっているんですよ、と言おうかなと思った。
でも、言えなかった。言ってはいけない。宗一郎さんとすれちがったとき、お前は暗い顔をしているけれど飛行機でもやっているのか、
と声をかけてくれるかなと期待しましたね。しかし何事もないように、すれちがっただけでした。あのとき、言ってしまえばよかったなと思うことが、いまでもあります。
宗一郎さんが、どんな顔をなさって、何をおっしゃるのか、それは聞きたかった。とても聞いてみたいことでした。しかしチャンスを逃してしまった。
それがたった一度のチャンスだったのです」 Q:アメリカにホンダジェットの生産工場を造ったのは?
藤野 ビジネスジェットの主要マーケットはアメリカが一番です。
ヨーロッパやアジアが伸びていると言ってもアメリカが一番大きいです。
市場に一番近いところでないとニーズに応じた製品が設計出来ないし造れないのは確かだと思います。
これはホンダの他の製品にも言えることで、マーケットのあるところで造るというのが大事です。
私もアメリカに長く住んで、何でアメリカ人がピックアップトラックをカッコイイと思うかが、
今になると判ります。日本に住んでいて映画などで「俺のトラック」と自慢するのが本当のところ判らなかったです。ま
さにビジネスジェットは、自分で使ってみないと、どのような使われ方をしているからどこが重要なのか、どの性能が設計リクアイアメント(要求)として重要なのか、判りません。
だから飛行機を設計する前に企画の半分は決まっています。例えばニューヨーク〜マイアミ間の移動がなぜ重要かは住んでみないと判らない。
どれ位の航続距離が必要か、速度が重要かというのはそこの市場にいて初めて判る事だと思います。
そういったトータルの航空事業、ビジネスジェットを考えた時に、アメリカに居ないとちゃんとしたものが出来上がらないし造れない。
造った後にお客様の声も聞こえない。日本にいてそれらの情報を集めるのは至難の業だと思います。
それら総合的な観点から初めから迷わずにアメリカに拠点を作る事を決めてました。 「米国の学会は、私の新技術開発に対する関心度が高かった。私が研究論文を出したら、
普通ならば論文評価に1年以上かかるのに、何と3週間で回答が来て、
専門家の間でも認められるようになった。スピード感がすごい」
「最初、ボーイングの技術者たちは、われわれのコンセプトを見て馬鹿にしているような様子で、
『まあ、やってやるか』といった受け止め方でした。でも試験を進めていく中で、データが出てくるに従い、
その態度が変わってきて、彼らも認めざるを得なくなりました」
「研究開発のやり方は、おそらく普通の飛行機会社ではできないでしょう。
なぜかというと、開発の途中で万一、新しいアイデアがダメだったとなると、一からやり直しになり、
膨大な開発費が無駄になってしまい、最悪、開発を諦めることになるでしょう」
「すべての基本設計は全部、ホンダの中でやってきました。
その意味で、ホンダジェットは、安易に海外の専門サプライヤーなどに頼ることなく、
文字通りホンダ自身でつくった機体だ、と胸を張って言えます」 HondaJet の場合にはアイコンで、どこに行くというアイコンを押せば飛行場のリストがずっと出てきて、
それを指でスクロールしてNRT を選ぶ。皆さんがスマートフォンで使っているような感じです。
これなども最新の考え方でやっています。最初、FAA にこのコンセプトを話した時、FAA はコンサバなので絶対にだめだと、
あらゆる理由をつけてだめだと言いました。例えば突風で揺れた時に指で押し間違えるだろうと、押そうとしたら突風で
ほかのところを押すかもしれないと、新しいテクノロジーで考えられるありとあらゆる危険性とかそういうものを。
ですから、航空機で新しい技術を採用して認定するのは非常に難しいわけです。この例ではどのような解決策を立てたかというと、
二つのスクリーンに手を当てて、親指と小指で握りながら押せる絶対に押し間違いのないような設計にしました。
タッチスクリーンの幅とか、ここがきちっとグリップできるとか、そういうことで最終的に認定もOK になりました。
認定の時の定性的なパイロットのコメントなどにも応えていかなければいけないというのが難しいところです
日本ではあまり知られていないと思いますので、飛行機の認定を取るのがなぜそんなに大変なのかということをご紹介させていただきます。
認定にアプリケーションしてからのプロセスですが、すべてのプロセスでFAA との合意をとっていかなければいけません。
例えばアプリケーションをした時に、実際どういう認定の基準でやるのかとかいったサティフィケーション・ベーシスとか、そういうことを決めるのから始まりまして、
実際にサティフィケーションをする時にはどういう方法で、どういう試験をして、どういうプランでやっていくかということを、機体全体の設計、
すべての部品に対してやっていかないといけません。そのようなことが終わった後にすべての部品レベルでの認定試験があり、
そして実際のフライト試験に入ります。そのフライト試験に入る時もフライトプランをまず初めにFAA に提出して、FAA がそれを承認しないとテストも始められません。
それが承認されたらFAA のまた違うディビジョンが、いま飛んでいる機体、テストに使っている機体と設計とがまったく同じに作られていることを証明して
承認してもらわないといけません。そして、それがわかった時点で初めてFAAのパイロットが乗って、先ほどのビデオにあったようなフライト試験が始まります。
そのフライト試験が終わった後にAEG といって、例えばFSB とかいろいろなエアクラフトのエバリュエーションが行われます。
そしてタイプ・サティフィケーションボードというのが開かれて、ここで基本的なタイプ・サティフィケーションが下りて、
その後にフライトマニュアルとかそういうものの承認が下りて、最後にTC 取得となります。 具体的にどういうことかというと、例えばサティフィケーション・プランというのはメソッド・オブ・コンプライアンスといいまして、
どのように法規に合っているかということを、われわれはどういう解析方法で、どういう精度で、あるいはどういう試験をして、
そしてこれを承認するというような論理、ストーリーをまず作って、それをサティフィケーションの書類として、プランとして出さなければいけません。
それを認めてもらわないと次に進めないのです。図面とか解析レポートとか、そういうものは全部FAA のレビューが入って承認されないと次に進めません。
テストを始める時も、テストプランとかテストの供試体などが図面どおりに、あるいは規定どおりに、材料もどこの国で作られた材料かとか
そのようなことも全部チェックされます。テストする時にはテスト器具の承認も必要です。テスト器具が適切にキャリブレーションされて精度が出ているか。
そして実際に機体をテストし始める時には、コンフォーミティといって、テストされる機体が本当にそのテストをする機体どおりになっているかということを
ボルト1 本までチェックする。このようなことを全部していってFAA のアグリーメントを得なければいけないわけです。
大変だということを言おうと思って話しましたが、たぶんあまり伝わらないでしょうから(笑)、
どうやったら大変だということをわかってもらえるかなと考えてきました。そこで、FAA に提出した書類がどれぐらいかということを調べてもらいました。
FAA に提出した書類の枚数は240 万ページです。それを全部、FAA との整合を取っていかなければいけない、承認されなければいけないというイメージです。
ちなみに「広辞苑」の厚いのでも確か4000 ページぐらいですから、240万ページというとどれぐらいかというイメージがわかると思います。
飛行機の認定を経験して思ったのは、これは本当に想像を絶するような仕事量と正確さと忍耐が必要だと。
一つのことに対してFAA が絶対に譲らないという時には感情的に爆発しそうになりますが、そういう時でも我慢して我慢して納得してもらう。
時には譲歩もしなければいけない。おそらく認定をした人でなければわからないような人知を超えた経験だったと思います。
Hondaが1 社でこの飛行機の認定を取ったというのは、Honda だけではなくて、日本にとっても、あるいは新しく参入する会社にとってもすごいことなのではないかと
私は思っています。それだけ認定が大変だったので、認定を取った時は、その紙を渡された時のうれしさは今でも忘れられません。 認定になりますと要求がさらに厳しくなります。例えばここでお示ししていますように、
材料ですとキューポンテスト、材料レベルからの特性。そしてサプコンポーネントといいまして、ウィンドシールドとか
いろいろなコンポーネントレベルで試験をして、それらの試験をビルディング・ブロック・アプローチで積み上げていく
というようなことをして強度を証明していきます
また、例えばシートのクラッシュ・ウォージネスの試験などもコンポーネントでしています。またアビオニクスなどの
いろいろなファンクションテスト、ソフトウェアの試験をします。システムですと、アイシングトンネルを使って実際に凍らせて、
氷が解けるかとか、氷が付いた状態では氷の形がどうなるかとか、飛行機の設計では飛んだ時にどういう氷が付くかということも
全部計算します。そして計算からの氷のかたちとテストの氷のかたちが同じになることを実証しなければいけません。
そのようなことまで試験をしなくてはいけないということです。あと、ランディングギアのドロップテスト(落下試験)です。 全機の構造試験に関しては73 個の油圧のアクチエーターをコンピュータでコントロールして、飛んでいる状況をすべて模擬する。
例えば着陸した時の荷重、あるいは片輪で着陸した時の荷重、飛んでいる時、旋回した時、突風の時、ありとあらゆる条件を
コンピュータに入れていまして、この73 個の組み合わせでその荷重をつくり出して、機体が壊れないか、あるいは計算どおりに壊れるか
というようなことを実証します。このように非常にソフィスティケートなテストをして認定試験をパスすることになります。
飛行試験ですが、認定の飛行試験でも多くのことが要求されます。例えば高高度での離着陸性能特性。あるいは、これはアリゾナのユマですが、
高温ですね。40 度近いところに機体をずっと駐機していても燃料がベーパーしないか、フューエルポンプは大丈夫か。
あとはごく低温の試験です。マイナス40 度でもランディングギアが下りるか、ドアが開くか、エンジンがスタートできるかといった試験です。
これはNASA のワロップスというところでやった試験ですが、滑走路にハーフインチ、12 ミリぐらいの水を溜めて離陸滑走試験をして、
実際にノーズから立ち上がった水がエンジンに吸い込まれてもエンジンの性能が悪くならないというふうな試験をします。
HondaJet ではこういう試験をして、トータルの飛行試験は3000 時間を超えています。ですから、認定を取るために3000 時間以上の試験をして
認定を取っているということです。このような試験を全部終えた後、最後にファンクション・アンド・リライアビリティ、機能信頼性飛行試験というのがあります。
これはどのような試験かといいますと、朝から晩まで、そして連続して300 時間飛び続けます。そして実際に考えられるあらゆる状況、
飛行場とか高度とか天候とかそのような状況で300 時間飛び続けても機能に問題がない、信頼性があるという試験です。
HondaJet の場合、この300 時間を4 週間以内でパスしました。通常ですと4 週間でパスできることはほとんどないのですが、
HondaJet は4 週間でパスしまして、FAA の人もびっくりしていたというか、コンプリメントをいただきまして、
認定の段階から信頼性の高さを実証することができました。 2 年ぐらい前には日本でもデモンストレーションをしました。あとロシアとか、去年の12 月には中東のドバイでやりまして、
4 月には中国の上海と香港、そして台北というところを回って皆さんに見てもらっています。
どこでもレスポンスは非常に良い。Honda が作った飛行機という期待が高くて、お客さんと話しているとエキサイトメントが伝わってきます。
あるいは乗った時にみんな「すごい」と言います。どういうところがすごいかというと、まず加速です。ポルシェみたいな感じだと思います。
Honda だからポルシェではなく・・・(笑)。すごい加速です。その加速で、わーっ、いいなと。あと、
上昇率です。4 万1000 フィートまで19 分、4 万3000 フィートでも22、3 分ですから、あっという間に上がります。
皆さん、ロケットみたいだと言います。そして、通常このクラスですと温度が高いと最高速度が出ないのですが、HondaJet はISA、
国際標準大気の7 度ぐらい高くても420 ノットがバシッと出ます。とにかく性能がいい。乗って、下りてきた人はポルシェみたいだと。
もう一つ、乗り心地がすごくソリッドです。小さいと感じるかもしれませんが、乗り心地が抜群によくて、突風の中に入ってもビシッとして
揺れ方が全然違います。大型機に乗っていると、揺れは小型機ほどバタバタではないけれど、胴体が振動して揺れる感じがありますよね。
バスみたいな感じでしょうか。HondaJet はバスではなくてスポーツカーです。そのようなところがエモーションで買いたいという感じになる方が多いようです。
ただ、最近は燃費が良くて広いので、商業的に使われる方も多いです。いまドイツとかフランスではチャーター会社が買っています。
お客さんは1 回乗ったらもう1 回乗りたいということで、チャーター会社のフィードバックは「すごいデマンドで、1回乗ったらまた乗りたい」と。
実は私もそうでして、1 回乗ったらまた乗りたいという気持ちになります。自分で設計して自分で言ってはあまり説得力がないのですが、本当に疲れない。 主翼上面エンジン搭載形態
設計上最も大きな決断を要したのはエンジン搭載位置である.通常の胴体後部搭載案に対し,
主翼上面搭載案を選定するにあたってはさまざまな角度から技術的検討がなされた.
一般的には主翼上面にエンジンナセルを配置すると好ましくない空力干渉が生じることにより強い衝撃波が発生し,
抵抗発散マッハ数が低くなる.この現象について検討するため,まず三次元オイラー解法による理論解析(5)をおこない,
次にその理論的予測の妥当性検証のため,ボーイング社の遷音速風洞を用いて遷音速風洞試験(Fig. 5)をおこなった.
その結果,衝撃波が最小となるナセルの主翼に対する相対位置が見出され,抵抗発散がクリーン翼形態より大きな
マッハ数で起きることがわかった.
ナセル前面がクリーン翼の衝撃波発生位置近くにあり,ナセル下面が翼上面から垂直方向にナセル最大高さの
約 1/3 から 1/2 の位置にあるとき,有利な空力干渉が生じて主翼上面エンジン搭載形態での抵抗は
通常の後部胴体搭載形態のそれより小さくなることが確認された(1).本機の最終形態はこの結果に基づいて決められた.
主翼上面エンジン搭載形態を採用することにより,巡航性能は通常の後部胴体搭載形態に比べて高く,
かつキャビン容積は同クラスのビジネスジェット機の中で最大とすることができた 主翼
主翼の空力設計をおこなう上で重要なことは良好な失速特性を維持しつつ抵抗を最小とすることである.
また最小構造重量で誘導抵抗を最小とするために詳細なトレードスタディもおこなわれた.
その結果,航続距離が 1100nm(2 037km)の航空機の場合,主翼の幾何学的アスペクト比が8.5で,
ウイングレットの高さが主翼翼幅の約9%のウイングレットを装備した時に離陸重量を最小にできることがわかった.
本機には主翼上面エンジン搭載形態を採用した.この形態の特徴はナセルを最適な位置に置くことにより
高速での造波抵抗を最小とできること,およびキャビン容積を拡大できることにある(1).
しかし通常使われる形態ではないため,理論解析および低速風洞試験によって失速特性が注意深く調べられた.
縮尺 1/6 の模型を用いた低速風洞試験による主翼上面エンジン搭載形態の失速パターンをFig. 2に示す.
主翼の失速は最初セミスパンの約 55%で発生し,その後剥離は主翼中央部前方に向かって拡がっていく.
これより主翼の外側部分には適切な失速余裕があることがわかる.そして胴体とナセルの間の主翼付根部分は
機体が失速角に達しても失速せず,主翼上面エンジン搭載形態が良好な失速特性を有することも示している.
ナセルの有無による揚力特性についても同様な低速風洞試験結果により,ナセルを主翼上面に搭載しても不利になることはないことが実証された(2).
HondaJetの高い性能目標を実現するため,コンフォーマル・マッピング法(3)を使って新しい自然層流(NLF)翼型SHM-1 が開発された(
4).
SHM-1 翼型の形状と代表的圧力コンター図をFig. 3に示す.この翼型では翼上面の圧力が約42%翼弦長まで順圧力勾配に設計され,
そのあと凹型の圧力回復が続き,最大揚力,ピッチングモーメント,抵抗発散の間の最適なバランスが取られている.
翼下面の圧力は約63%翼弦長まで順圧力勾配に設計されており,抵抗を減少させる圧力分布をしている.
また表面粗さによる最大揚力係数の損失を最小とするため,高迎角において前縁付近で遷移が起こるような特別な翼前縁形状が設計された
さらに,翼上面の後縁部分の形状は,圧力勾配を非常に大きくすることで,意図的に小さな剥離を生じさせている.
この新しいコンセプトの後縁設計の採用により高速でのピッチングモーメントを大幅に減少することが可能となった.
この翼型については低速および遷音速での風洞試験に加え,T-33航空機(Fig. 4)の主翼を改修した実機を用いた飛行試験により,
実レイノルズ数,実マッハ数での翼型性能の検証をおこなった.この翼型は高い最大揚力係数と穏やかな失速特性をもつことに加え,
巡航および上昇時には低い形状抵抗係数を有することが特徴である トヨタ「おい、スバル、お前は今日から飛行機メーカーな、こんなのを今年中に作っとけ!」
スバル「そんなぁ、無理です。」
トヨタ「出来なきゃお取り潰しな、ちゃんと作れよ!」
ダイハツ、スズキ「怖や怖や・・・」 当時を知る者ならホント腹がたつ話しなんだぜ。AE86からAE92へフルモデルチェンジしたとき駆動がFRからFFになってしまったことに皆絶望した、各モータースポーツ雑誌も協力してAE92の次期モデルはFRに戻してくれと読者やレーサーなんかも署名を集めてトヨタに頼みこんだ
トヨタの答えは『FFでも楽しく走れるから』そう言って後継のTE101もFFで販売してレビントレノは廃れて行ってしまった
おそらくAE92がFRだったらAE86なんてTE71と同じように忘れさられただろう存在になってただろうな ホンダは昔から完成車を運ぶ積載車に日野の車を使ってるし。 日野はトヨタの子会社だ。 >>49
軍用無人機のエンジンにはちょうど良さそうだよね 三菱より云々ほざいてる馬鹿がいるが、MU-300(レイセオン ホーカー400)ってベストセラーがあるの知らないんだろな。 >>151
アメリカじゃMU-2の人気も今も衰えてないよね 車で2時間のところへ10分で着くからな。めちゃくちゃ速いよ。 朝日航洋はトヨタの子会社だな
ヘリ「トヨタ定期便」を出してる
ミッドランドスクエア屋上から豊田市の工場…ヘリ移動「トヨタ定期便2」とかね
ゆっくり異動するときは2台のセンチュリーGRMN(黒白)
白い”センチュリー GRMN「品川ナンバー」東京本社用で役員車
黒い”センチュリー GRMN「豊田ナンバー」愛知本社用で役員車 >>15
OEM供給はどこでもやってる
スズキが圧倒的にOEM供給多いけどね 墜落した飛行機でトヨタが“ある”実験をしていた
2000年10月20日(金) 12時00分
運輸省の航空事故調査委員会は19日、エアフライトジャパンの運行するプロペラ機が昨年3月、
北海道室蘭市の地球岬沖で墜落し、3名が死亡した事故原因の調査結果を明らかにした。
調査によるとエンジンの燃料系統の不正改造が墜落の原因。
エアフライトジャパンはトヨタ自動車系の小型機操縦士養成会社である。
この事故ではトヨタ自動車の研究員、3名が亡くなっているが、事故当時この飛行機は
トヨタ自動車からの依頼で運行されており、アメリカ製エンジンの寒冷時におけるデータ収集を目的とした飛行を行っていた。
しかし、測定のためにエンジンのインジェクター(燃料噴射装置)と、燃料タンクを結ぶホースの中間に、
燃料の流入量や温度を測定するためのジョイントチューブが設けられ、それがセンサーに接続されていた。
このジョイントチューブの加工が不適切だったため、旋回中に金属疲労で破壊。
燃料が行き届かずエンジンが停止したことが墜落の直接原因になったとしている。
センサーの取り付け自体は違法ではないが、改造の場合には運輸省に届け出を行い、
試験飛行を行うことが航空法で義務付けられしている。しかし、同社はこの届け出を行っておらず、
定められた試験飛行も行っていなかった。
プロペラ機のエンジンには自動車とよく似た構造のものが使用されており、
アメリカなどの自動車メーカーでもインジェクターなどの試験を行う場合、飛行機に取り付けて実験することがあるが、
トヨタが同様の実験を行っていたかどうかは明らかにされていない。 トヨタも航空機をやってたがエンジンを違法改造して海に落ちたw
パクリ以外何もできないのがトヨタ >>29
フェラーリF40のタービンはIHI製なのはあまりにも有名 >>152
アメリカ市場に投入してから半世紀以上経つのに、近年5翔ペラに替えて低騒音化するとか、未だに高い人気(商品性)があるようだね。 やっぱ今のアキオ社長になってからトヨタは色々と変わったな
敵は海外にありって感じで日本メーカー各社を大事にしてるように見える >>158
殺人会社トヨタ
社員が毎年自殺しても報道されないクソ会社 >>166
それ韓国www
まあトヨタがまた勝手に改造して墜落しないか心配だわ >>160
そんな骨があったらスープラもBMWに丸投げせんわw >>161
航空機用のジェットエンジンはGEとP&WとRRのどれかだしな テーマ:ホンダの夢を世界の空に 〜航空機エンジン開発物語
(株)本田技術研究所取締役 執行役員 藁谷 篤邦
・目標: 燃費30%↑×サイズ半分=価値2倍
・初期のコンセプト: 個人の為の飛行機=Flying CIVIC
*安いエンジン ⇒ 鋳造の多用
*低燃費 ⇒ 無冷却で高温化 ⇒ セラミック材
*高効率 ⇒ 2重反転プロペラ
・「独創性」は大切、しかし目標に達せず ⇒ 基本に戻ろう
*自前の新エンジン: HF118(競争力なし) ⇒ HF120(目標達成)
Q: なぜそこまでジェットエンジンに情熱をかけて開発を続けられたのか?(カネ食い虫だし・・・)
A: 始めた人は既に退社、社長もその間4人代わったが、Hondaの場合やってる人間が「やめた」と言わない限り
プロジェクトは続く
*1999年には店じまいの話も出たが、GEとかの外部が評価してくれたので、続けられた
*開発コストはF1よりはるかに安く、20億円/年×13年程度、機体も入れるとその倍ぐらい
Q: 自動車ビジネスとの関連は?
A: ほとんど無い、アメリカでは車の宣伝に使っているが・・・、技術力のアピールにはなる
*機械設計的に共通点はほとんど無いが、空力とソフトウエアのレベルは段違いに高いので応用できる
Q: 最初の独創的なコンセプトを基本に戻したのはなぜ?
A: 技術力が追いつかなかった事と、当時石油価格下落もあり、2重反転の認定が通りにくい環境に変化した為
Q: ジェットエンジン開発時のユニット数は? Hondaらしさは?
A: エンジニアは100名ちょっと(少人数)、GEとの分担は詳細設計がHonda、テストはGE
*GEでは設計エンジニアの担当分野が細分化、Hondaでは一人でいくつも担当 ⇒ Hondaの方が優れていると思う
Q: 航空機ビジネス参入による日本全体への貢献は?
A: 航空機エンジンとかに日本人のまじめさが向いている、ただ車に比べてビジネス規模は小さい
Q: GEとの合弁はなぜ? 必要だった?
A: 当時日本の自動車メーカーが全米自動車協会(AAMA)から追い出されたような状況下で、単独参入は
宣戦布告に等しかった、またFAAの認定はアメリカ人がいないと取れないような仕組み
Q: 今回のエンジンが軍事用とかに使われることはあるのか?
A: GE側は使いたがっているが、Hondaは絶対拒否、GEもそれを尊重してくれている
■ 開発にまつわるエピソード
・トラブル〜「鳥の吸込み」デスト: 推力ロス25%以内が認定条件 ⇒ テスト結果44%のロス
⇒ 総力を挙げて1ヶ月で対策を施した結果ロス19%でクリア
・課題: ?日本にはジェネラル・アビエーションの市場がない
?日本政府の認定では世界に通用しない
?米国の技術輸出規制(ココム、ワッセナー)
ex. エンジンコントロールのソフトは横にGEがいながらHondaが独自に開発 >>25
欠陥と捏造だらけで飛行機乗りから嫌われていた中島飛行機製が? エンジンはロールスロイス?ポルシェだと飛行船になっちゃうしなw おい、トヨタ!
ハイブリッドが水没したら、感電するリスクがあるらしい。
売る前に言え! トヨタは、
EVは、近距離向けの小・中型車
水素燃料電池は、長距離向けの中・大型車
と位置付けてる。
電車や船も水素燃料電池にシフトして行くから
数十年後のトヨタは電車や船も造っていると思う。 ホンダジェットは何故売れてるの?
新規参入にありがちなディスカウント? >>109
川崎は大型ジェットを作ってるけど民間向けはないんだよな まぁ実はホンダのレースマシンを運ぶトラックは
日野自(トヨタ子会社)だったりしてるわけだがw >>184
ディスカウントというか
元々コスパに優れた機体だから
人気があるんじゃなかったっけ? >>185
軍事用だけだっけ?
自衛隊が導入した国産の対潜哨戒機がカワサキ製だったよな?たしか >>145
マツダ「軽量コンパクトで高出力のロータリーエンジンはどうでっか?」 ホンダって日本の企業の中では
革新的でなんか好きだな
アシモつくったり、ホンダジェット作ったり
冒険しているよな >>18
子会社のスバルがT-1つくってたで、
あと、スペースジェットにも出資してる。 >>32
日本で設計した傑作練習機T-400の巣やな。川重のC-2と 実はトヨタも軽飛行機なら作ったことがある、ただし試作のみで失敗
それから子会社になる前の富士重工業も軽飛行機を造っている
エアロスバルFA-200
当時、スバルという名前は自動車に使う商標であって、自動車以外にスバルの名前を冠したのはこれだけのはず 誰にも相手にされないホンダを助けてやれと
お国に頼まれたんじゃないの? そういえば
オリンピックの開会式で
空飛ぶ車を出すはずになっているのはトヨタだよね?
空飛ぶ車はどうなってんだよ?
もう時間が差し迫っているぞw
間に合いませんでした、とか無様なことを言うわけないよな、あの豊田社長がw
まさかホンダジェットを車に改造するつもりじゃないよな? >>190
P-1だけじゃなく輸送機のC-1やC-2もね カワサキは
ninnja250を久しぶりの250cc4気筒で出すんだよな
欲しい気もするけど
オッサンが250ccでしかも4気筒なんて乗ってたら似合わないかな?w >>117
三菱航空機はトヨタも出資してるで。
外資は防衛産業には出資できない。 トヨタの墜落したヘリでCAやってて亡くなった女性の妹さんが追求HPやってたけどもう見つからなかった ライバル企業同士だからって、裏で色々あるにしても
ガチで対立してるのはそこまで多くねえしな >>204
体力落ちてるんだから軽いヤツ選ぶのは当然だ >>27
ゼロヨンチャンプに出てきそうなメーカーだな >>19
社内報で日産の社員が電車で厚木のテクニカルセンターから銀座の本社に行くより
短い時間で名古屋本社から東京本社に行けると自慢していたのに悲惨な結果になった。 >>182
サカブーってどこでも球蹴りの話に持っていきたがるよね トヨタ → 日本人特有の超ビビリ&潔癖気質ゆえに、プロジェクトで死人が出たので終わり
ホンダ → 航空機では無いとしても、F1とかWGPで死人が結構出てる気がするんだが >>218
徳大寺有恒が生前よく言ってたな
「トヨタって会社は石橋を叩きまくった揚句結局渡らない会社」だと 朝日効用?
ヘリコやセスナはあるけど、ジェット経験なんか有ったっけ? 家電は日本企業同士の足の引っ張り合い、過当競争で
あっという間に自滅した。
トヨタはそのことが頭にこびりついているようだ。
ほんとの敵がどこか知っていることは大事なことだ。 徹底的に分解して解析して、トヨタジェット作るのかw >>2
俺もそんな気がしてる。
パクるっていうか、航空機分野への参加を目論んでそうな気がw >>219
そうでもないだろ。 MR-2とかエスティマみたいなのも出すし、
何よりトヨタハイブリッドを出して、自分のところの売り物をほとんどそれにしちゃったじゃん。 >>191
直6ターボより悪燃費、低出力のロータリーが何だって? ホンダはトランスポーターとしてハイエースを昔から買ってるんだからお互い様だろ トヨタとホンダとスバルが合体して自動車も飛行機も作る会社になったらええな
三菱堕ちたもんだなあ >>1
自分とこで作ってないんだから別にいいだろ
その代わりホンダのマークが入ってる所は全部トヨタのマークに替えるだろうけど 86がカローラとつながりあるかどうかはアレだけどカローラ開発したひとも
HRCもスバルも中島飛行機出身者が >>204
別にいいだろ
4気筒だろうと単気筒だろうと知らん人には同じバイクにしか見えん トヨタはホンダの技術が喉から手が出るくらい欲してるからな >>1
ヽ ̄ ̄ノ
( ^ω^)なんかやる事がズレてねーか?
ヽ ̄ ̄ノ
( ^ω^)通常の考えではB737あたりを都度チャーターしたほうがええやろ
ヽ ̄ ̄ノ
( ^ω^)せっまい機内とか嫌やわ
ヽ ̄ ̄ノ
( ^ω^)ねーちゃんもおらんやろ >>231
ターボ付けりゃロータリーだって高出力になるぞ
前面面積が小さくて軽量なロータリーは航空機に向いてると思うけどな
すでに魚雷では実績があるけど トヨタは本田宗一郎が戦前に創業した東海精機を買った歴史がある
1936年 8月 株式会社アート商会として浜松にて創業
創業者:本田 宗一郎
1939年 3月 東海精機重工業株式会社に社名変更
自動車用ピストンリングの生産開始
1945年 11月 東海精機株式会社に社名変更、磐田(現在地)に移転
1946年 8月 株式会社豊田自動織機 繊維機械部品の製造開始 >>243
ターボを付けると排ガス規制をパスできない→RX8 トヨタは航空機の開発を参加の石田財団でやっていたけど、
今、石田財団ってあるのかな? EV分野では既に提携しているやん。
スバルのようにはならないだろうが、連合は組むはず。 トヨタの某事業所へ行ったら
社員駐輪場にホンダのバイクが沢山あったけど いけないことなの? バイクも一昨年提携したよ
ホンダとヤマハ発動機(トヨタ) >>226
MR2はフィアットX1/9の焼き直しじゃん >>259
そんな低回転じゃあアイドルも維持できないよ 本田技研工業株式会社
本社(東京都港区南青山二丁目1番1号)
<四輪車>
鈴鹿製作所(三重県鈴鹿市)
N-BOX/N-BOXスラッシュ、N-WGN、N-ONE、フィット、N-VAN 53万台/年
埼玉製作所狭山完成車工場(埼玉県狭山市)
オデッセイ、ステップワゴン、フリード/フリード+、アコード、アキュラRLX/レジェンド
クラリティ フューエル セル/クラリティ PHEV、ジェイド 25万台/年
埼玉製作所寄居完成車工場(埼玉県大里郡寄居町)
シビックセダン、フィット、ヴェゼル、グレイス、シャトル、CR-V、インサイト 25万台/年
生産企画統括部・パワートレイン生産企画統括部(栃木県塩谷郡高根沢町)
ホンダオートボディー(三重県四日市市)
<二輪車及びパワープロダクツ製品>
熊本製作所(熊本県菊池郡大津町)
中・大型二輪、ATV、50ccスクーター、発電機、GCV大型、モンパル、除雪機、ポンプ、耕うん機、芝刈機
<四輪車用エンジン等>
埼玉製作所 小川エンジン工場(埼玉県比企郡小川町)
四輪車用エンジン
パワートレインユニット製造部(栃木県真岡市)
四輪車用エンジン部品、足回り部品、ミッション部品
トランスミッション製造部
浜松製作所(静岡県浜松市中区)
四輪車用ATミッション
<船外機>
パワープロダクツ事業本部細江船外機工場(静岡県浜松市北区)
船外機
<研究開発施設>
本田技術研究所(埼玉県和光市)
ホンダは埼玉(普通車)、三重(軽自動車)、熊本(バイク)の会社だよ >>55
プライム ライフ テクノロジーズ株式会社
トヨタホーム、ミサワホーム、パナホーム、パナ建エンジニアリング、松村組が経営統合した
戸建住宅供給戸数は約1万7000戸となり国内トップ
出資比率はトヨタ50:パナソニック50、+三井物産が参加
ミサワは今年12月末に上場廃止
売上高9000億(住宅業界5位) 米国人による 米国人のための
米国人のホンダジェット
ジャップは名前だけ
MRJみればわかるだろうに >>184
翼上のエンジン配置で客室に余裕が出来トイレが標準装備
あと燃費 日本ってプライベートジェット買っても今日北海道に行きたいからとか沖縄に行きたいとか無理なんだろ?
後駐機てどこにすんの? トヨタの野望は
フォルクスワーゲンを買収することじゃないの?
ワーゲン傘下のポルシェ、アウディ、ベントレー、ランボルギーニもトヨタグループに >>48 パイパーの単発水平対向にセンサーたくさん付けてたのが修理改造だって言われたやつだろ。
そもそも液冷のV6かなんかを作って、レグザスの名前で売ろうとした話で、事故機とは直接関係ないと思ったけど。
センサーは事故原因でもなかったでしょ。 >>274
Gazoo Racing (Team) >>275
Gazooの意味ググったら
中古車販売?そこのレーシングチーム? 自己顕示欲から来る、あからさまな、モラハラだと思うよ。 公聴会の章男社長はとっても立派だった
日本人なら皆んなそう思っただろう >>178
トヨタは将来、乗り物だけじゃなくて
各家庭に一台の家庭用燃料電池とか作ってるかもな >>281
あの男は人の上に立つ器でもないし商売の才覚もない
やたら出しゃばってくるが完全に逆効果 >>225
トヨタは三菱航空機に出資してるけど、関係ある? >>287
トヨタは本田宗一郎が戦前に創業した東海精機を買った歴史がある
1936年 8月 株式会社アート商会として浜松にて創業
創業者:本田 宗一郎
1939年 3月 東海精機重工業株式会社に社名変更
自動車用ピストンリングの生産開始
1945年 11月 東海精機株式会社に社名変更、磐田(現在地)に移転
1946年 8月 株式会社豊田自動織機 繊維機械部品の製造開始 >>15
そういう事だろうな
自動車各社提携が進む中で
ホンダだけが蚊帳の外で瀕死になってるから
なんなら買ってやってもいいんだぞ?って軽いジャブだろうね
トヨタグループ
・トヨタ
・ダイハツ
・スバル
・マツダ
ニッサングループ
・ニッサン
・三菱
・スズキ
ホンダグループ
・ホンダ
(´・ω・`) ホンダは四輪撤退すべきだと思う >>1
事故のせいで買われたのかな。
朝日が国内便サービスで購入しただけ。
トヨタのライバル?
航空部門は持ってないでしょ? そりゃ性能が良けりゃ買うだろう
実際素晴らしいジェット機だからね >>282
eパックなら、ホンダが試験運用してるわな。 >>268
あのエンジン配置、いいらしいねえ。
エンジンを支えるステーが機体の後ろの渦を消すようになってるのかな?
それで機体全体の抗力(空気抵抗)が下がってるの? ホンダジェットって最大航続距離が2100キロだから、
日本からは行ける外国は限られてしまう
国内なら新幹線のほうが便利だし、日本で買ってもあまり意味がない気がする 主翼パイロン下のエンジン配置
胴体後部のエンジン配置
その中間なんだよね。
あの配置 >>147
当時はAE92がフルタイム4WD化されて
WRCもセリカからカローラになって、ボディが小型化される
という噂記事がいろいろ出てたな >>300
色々複雑っぽいんだよね
軽自動車だとスズキは三菱、マツダ、ニッサンにOEM出してたり
マツダがこないだトヨタと提携とか言われてたりでわかりにくいんだよね
大きい意味ではダイハツがあるんで
スズキはトヨタの仲間じゃないと思うよ ホンダジェットご自慢のトイレって、プライバシーがほぼないが誰が使うんだあんなもの? モリゾーはメディア対抗のロードスターレースにも出たんだってね レッドブルHONDAはメヒコでのF1GPで実質は予選1位だった。
フェラーリもメルセデスもぶち抜き圧倒的な速さだった。それは
ジェットで鍛えたターボの違いなのだ。せっかく1位を取ったのに
メルセデスの糞ボッタスが事故ってイエローフラグを見落として
3グリッドダインとハミの幅寄せで車体を壊してお仕舞いだった。
降格しなかったら間違いなく最初から最後までぶち抜きのトップ
だったのに糞ボッタス目。お前邪魔過ぎるぞー 世界レベルのレースでTOYOTAが多くのメーカーを差し置いて優勝したのはないな。
ルマンは殆どの有名なメーカーは出場していなかった中での優勝だから全く価値が
無いぞ。F1に出て優勝する事よ。それが一番説得力があるよ。HONDAは1986年
18戦中16戦で優勝してるぜ。セナというドライバーがマクラーレンHONDAの車に
乗ってやったぞ。日本オ何処のメーカーも勝てませんわ。 トヨタ様からのメッセージ
ホンダジェット買ってあげたよ
86って名前にしたんだ
86って言えばスポーティな車でさ
そういえばホンダ君さ、君ってスポーツ部門得意としてたよね?
なんならジェットだけじゃなく、、、後は分かるね?
悪いな、色々あってこっちからは言い出せないんだわかってくれ
その気があったら会いに来てくれよ 友人がトヨタの完全子会社で働いているが、日産やホンダの部品も作るし、従業員向けの販売会もトヨタ以外のメーカーが来たりするといってた。 >>302
技術的な提携を結んだので今は日産よりもトヨタ寄り
日産が三菱と合弁会社を設立して軽自動車を自前で開発する様になってから、関係性が薄れてきている トヨタの何がすごいってさ
玄人的に言うと納入メーカーがもう超一流なんだよ
電装系は日本電装
ミッションやその他はアイシン
こいつらの耐久試験は他社のそれとは全く違う
トヨタが壊れにくいんじゃなくて
デンソーとアイシンが壊れにくいと言っても過言ではない
因みにダイハツも
その二社の供給なので階級力は軽でずば抜けちゃってる >>297
下面抵抗が減るので、浮力は効率的に得られて
エンジンは遠くに置けるので、キャビンの快適性は増す。
但し、強度計算と保障には、すごくコストが掛かる。 >>23
昔の資料あるにしても中島飛行機もう無理だろ >>316
戦後も軽飛行機売ってなかったっけ?
しかし自動車ではライバル社とはいえ、飛行機はホンダしか売ってないんだからトヨタがホンダから買ったってなんの疑問もないけどな もともと、トヨタとは無関係な朝日航洋が買っただけだし
無駄な邪推でしかないわな。
恐いのは、事故を起こしそうな事ぐらい。 これ原因不明の墜落事故でも起きたらややこしい事になりそう >>319
朝日航洋は沿革はともかく、現にトヨタ自動車の子会社である、という事実はあるんじゃないの? >>321
嫌がらせみたいな名前をつけたことは、ネタになるだろうけど
それで、また事故ったら自爆にしかならんわな。 >>317
FA-200「エアロスバル」だな・・
あまり売れなかったケド・・ >>1
SUBARUの社員いっぱい連れて早速分解するんか >>208
密かに消されたんだよ
トヨタの中身は、そう言う悪人だらけの会社 >>285
技術なんか何にもないし
やる気もない
全てがパクリ技術
技術をパクる専門ハッキング部署も秘密に有るくらい
中華と変わらないレベル
金だけには汚い五月蝿い
災害が起きても1円足りとも寄付すらしないクソ会社 >>329
やる気ない というのは本当だと思う
日本のメーカー全体に言える事なんだけど基調デザインがダサ過ぎるw ホンダ(小型)ジェットの技術革命は、エンジンを期待から分離独立させたこと。
(大型ジェット同様)主翼(ただし上面)に移したことで、機体内部をキャビンと荷室に最大限に有効活用、機体に伝わる騒音と振動を激減できたらしい。 プライベートジェットとしては最高らしいね
今までのはかなり五月蠅かったみたいね トヨタはオリンピックで披露する予定の
空飛ぶ車はもうできているのか?
めちゃ安い予算だったから、不安なんだけど まあいいことだよね
変な競争意識でアメリカの飛行機買うよりよほど日本に貢献する行動 また航空機産業にチャレンジするための布石かもしれないが、あの人の事だから単に乗ってみたかったからで買ったような気もするw トヨタは北米との往復はガルフストリームが4機あるからな。
アメリカに常駐させて、使うときは日本に呼び寄せてるよ。
短距離のホンダジェットは国内用だろ小牧に置くつもり。 トヨタは自動車の会社なのだから、飛行機なんか使うな。どこにいくのも自動車で池w >>158の事件って、違法行為で人が死んでるわりに当時はあまり報道されなかったよな。
トヨタは真面目だとか言う奴はこういう事例を知らないのだろうなとは思う。
国家試験漏洩のカンニング整備士事件も風化してきてるよね。 終戦間際にやっと軍部から許されたトヨタの航空機製造、
東海飛行機が後のアイシン精機な。
トヨタの悲願航空機製造と、乗用車製造は、
軍用トラック製造に専念しろって政府から制限されていた、
カローラはじめトヨタのエンジニアは航空機の設計者が多数在籍。 すでにTOYOTAレーシングではホンダジェットで移動してるぞw 本田 宗一郎 は
遠州灘海岸目前の🏌⛳
🚁降臨だったなあ >>303
仕切りドアがありますが何か?
たかがトイレと言うが富裕層はトイレが近い、だから客室で気にせずアルコールも飲めるのは大きい
http://iup.2ch-library.com/i/i2022781-1572403768.jpg 着陸直後に
ドリフトターンが
できます!
86なんで。 >>303
短距離国内・アジア専用だよ、
北米行きはガルフストリームが4機ほどあるはず、社長副社長専用機。 トヨタってだけで何でも批判するみたいな自称クルマ好きのニワカってまだいたんだw >>349
そうだな
トヨタで無条件に否定して良いのはモータースポーツだけだ >>98
日本でビジネスジェット保有
してるのは23人程度 >>98
なに?そのホンダヲタ全開のレスは、千葉ちゃん?
本田宗一郎jも松下幸之助も豊田喜一郎を尊敬してたけど。 なんかトヨタの幹部がビジネスジェット必要な場面が思いつかない。飛んでくるのは下請なんじゃね? >>ホンダ米子会社の小型ビジネスジェット機「ホンダジェットエリート」を導入することが29日、分かった
へえ、鳥取にそんな小型飛行機作ってる工場があったんだ >>329
車好きの間では
盗用多と呼ばれている。
F1という世界的な舞台でも
フェラーリの情報を盗んだクズ。 >>1
複数の候補から選んだってことは
たまたまJA86GRみたいなそれらしいレジがあったってこと? >>67
エンジン大好き実物大好きの人だから、よくやったで誉めるのと、
なんで俺に見せるどころか一言も言わなかったんだ、
が同居する感じだろうな。 >>311
なのに自前で軽トラ造れないってどうなのよ? >>303
ただ難癖付けたいだけじゃんw
ググればすぐにわかるウソつくんじゃねえよ >>357
>たまたまJA86GRみたいなそれらしいレジがあった
マニアの間では既に番号が有名になっていたみたい。 トヨタはスバルと提携強化で、航空産業・防衛産業への参画に本腰とみえる。
ホンダジェット購入もその一つだろう。
装甲車など自衛隊車両への意気込みから、事業多角化を命題としてる本音が。 この記事を深読みすると、トヨタですら「もうクルマだけじゃ食っていけない」と危機感を強めてる時代背景が見えてくる。 章男らしいな。わざわざ自動車作ってるライバル社から買うの。 >>349
年配の人じゃないかな。
一度イメージが刷り込まれるとそのまま。 今年の鈴鹿F1グランプリでホンダジェットが上空をこれでもかって飛びまくってたぞ
近づくたんびに大歓声とどよめきがおこってた
欲しくなるなw 本田宗一郎って、ピストンリングをトヨタに納入してた下請けじゃなかったっけ? まだ足りない。
トヨタなら、KHIやIHIも傘下に収めるくらい大花火を打ち上げてくれ。
財閥貴族どもをトヨタ商法で喝入れたら、日本の製造業にも次世代の光明が見えてくる。 >>369
トヨタなら ボンバルディアくらい買えそうだが EVよりも家庭用ジェットの方が普及しそうな気がする >>3
動画で「俺が買った」みたいにドヤってたな
凄いけど >>370
むしろロッキードを、げふんげふん。
トヨタ主導の業界再編で、日本の第二次産業全般が
トヨタvs三菱の二強体制になるのも案外ドラマチックかと。 >>368
うん
それが今やアメリカでトヨタと競る(トヨタ220万台 ホンダ170万台)レベルで成長してて凄い >>370
ボンバルディアの小型航空機部門ならすでに三菱重工が買収済み >>379
ビジネスジェットはセスナ社のがあるけど、ホンダのは
軽自動車感覚で使えるビジネスジェットって感じだよね。 >>217
まぁ、プロ拒否でアマチュアダントツ一位の本田技研やな。 >>250
豊田家も遠州人やからな。
息子のためにモリゾーに土下座したらしい鈴木のじぃさんとこも遠州人やけどな。
乗っ取られた山羽家も遠州人やけど。 >>284
でも創業家の本家当主やからな。
レイプした分家を義絶したりする力はあるし
常識もあるかと。 >>291
鈴木はじぃさんがモリゾーに土下座して息子の将来を頼んだからハイブリッドはトヨタから供給やで。 >>268
このクラスのジェットならリアエンジン機でもトイレはあるが?
>>314
エンジンが視界に入るので窓からの景色は悪い
エンジン自体は近いので騒音に関してはなんともいえない
胴体についてないから多少静かになるかもしれないが前に来た分だけ煩くなるので
トータルでは大して変わらない スペックではなく感性に訴える飛行機
―ホンダジェットの販売が好調です。10月からは中国での受注も本格的にスタートするそうですが、
ホンダジェットが顧客に支持された理由はどこにあると思いますか?
藤野 ホンダジェットはVLJクラス(Very Light Jet/最も小型のビジネスジェット)で最も速く、
高い高度を飛べて、燃費も一番良い…と、数字上のハッキリとしたメリットがあるわけですが、
実際に試乗した方々から評価をいただき、最も大きな「違い」を感じていただけるのはそうした部分だけではなく、
むしろ「感性」に訴える部分ですね。
―それは自動車でいう「乗り味」みたいなものですか?
藤野 そうですね。その違いはエンジンをかけた瞬間から感じてもらえるはずです。エンジンの始動は驚くほどスムーズで、
いつ始動したのかわからないほどです。
一方、離陸時には背中がシートに押しつけられるような感覚で、ホンダジェットならではの圧倒的な加速感を味わっていただけますし、
一般的な民間の旅客機より高い、高度4万3千フィート(約1万3千m)で巡航しているときの機内はシーンとして驚くほど静かです。
―うーん、高いスペックだけじゃなくて感性に訴えるって「高級スポーツサルーン」の売り文句みたいですね。
藤野 ホンダジェットを一度体験された方に「もう一度乗りたい」と感じていただきたい。せっかくホンダが飛行機を造るなら、
そういうものにしたかったんですよ。
■クラス初のトイレを実現できたわけ
―ところで、このクラスのビジネスジェットで唯一、プライバシーが確保された「トイレ」を装備しているのが
ホンダジェットだと聞いたのですが、本当ですか? 1機数億円もする(ホンダジェットは約5億4千万円)プライベートジェットに、
これまで「ちゃんとしたトイレがついていなかった」なんて、信じられないのですが(汗)。
藤野 はい、本当です。同じビジネスジェットでも、1機60億円ぐらいする大型機にはトイレやシャワーまで
装備しているものもあります。しかし、ホンダジェットのように最も小型なクラスでは、機体をコンパクトにしながら、
いかに性能を出すかというところに重点が置かれるので、どうしても必要最小限の機能に絞らざるをえない。
ただ、今言われたように、せっかく高価なビジネスジェットを購入し、プライベートな移動の手段を手に入れたのに、
機内で「トイレ」のプライバシーすら守れないなんてバランスが悪いですよね。
そこで開発当初からこの飛行機を「きちんとしたトイレ」がついているものにしたかった。
そのために必要な機内スペースや、求められる軽量化はわれわれの技術でひねり出したということです。 >>390
ボブ・ピアソン「それはエアカナダが36年前に通った道だ」 プライベートジェットは男のロマン
1:15〜 床からポールダンス用の棒がにゅーっと生えてくるのが笑える あれかな?韓国のクルマメーカーが90年代後半によくやってた日本のの車買って分解してパクってた手法で小型飛行機を作るんかな? 三菱なら絶対にやらないんだよな、これがトヨタのすごいところ ホリエモンも所有しているんだっけ。
この前、北海道へ成田から搭乗していたな。 >>395
某三菱重工系企業の入り口にいつ見てもデボネアが大量に停まっていた異様な光景を思い出した >>395
>これがトヨタのすごいところ
豊田も自社のビジネスジェット製造すると「絶対に買わないよ」 >>388
まともなトイレってのが何か知らんが7人乗りクラスならトイレはある
トイレつけるとその分キャビンスペースが減るからどっちをとるかはオーナー次第
>>389
トイレ付きがある事を証明してくれてありがとう
このクラスでトイレつきは別に珍しくない
トイレの有無は機体のサイズではなく飛行可能距離(飛行時間)の方で決まるもの >>399
まともなトイレが何かも知らんならレスするなこのアホウ >>399
サイテーションM2はホンダジェットと同じ機体サイズで2mもキャビンが短いじゃん
トイレのドアさえ無いしw
ええとこ無しのセスナよりホンダが売れる訳やな トヨタには飛行機つくる技術もコネもないんだからライバルですらない
ライバル会社の製品買って器でけーアピールするならレジェンドで通勤ぐらいしてみろ ホンダのOEMでレジェンドをカローラアクシオとして月1万台売ったら褒めてやる >>400
嫌味も分からんとか相変わらずゆとりはヤバ過ぎだな
>>401
キャビンと言ってもほとんどがバゲッジスペースだからな
翼上エンジンの欠陥が明確に分かる窓の位置と数見てみろよ(笑) >>404
頭弱いと煽りの切れも悪いんだなこの間抜け >>404
キャビンとバゲッジスペースは別室だバカw >>404
頭悪いと嫌味も通じないとか無能ゆとり全盛の嫌な時代になったもんだな(笑)
>>406
何処で区切るかの問題でしかないと言うかキャビンの意味分かってないだろお前?
いくらスペースがでかくても座席数や窓の数見れば分かると思うけど馬鹿には難しい話しかね(笑)
何でもかんでも広けりゃいいってものではなく大事なのはバランス
ホンダジェットなんてこのクラスのビジネスジェット機としては平凡な数しか売ってない
メーカーの美辞麗句の宣伝やカタログスペック鵜呑みにしてマンセーしたい気分は
分からんでもないがもう少しよく考えろよ >>407
広けりゃいい訳じゃないと言ってる時点で負けは負けw
新参のホンダが老舗のセスナを押さえて2年連続でクラス最高の販売をしてるのは事実、火病るなよw ユー達はどうして外国機ばっかり有りがたがるんだ、
日本にもこんなに素晴らしい飛行機があるじゃないか >>410
車も、自分が買いもしない高級外車ばかりリスペクトするんだし、ネラーの価値観なんて
何時ものことだよな。 >>331
ヤマハには直噴ターボエンジンの技術がなさそう >>2
仮にトヨタが航空機作る気だとしてパクるって
スバル
三菱
ボーイング
に出資してるトヨタがホンダから何をパクるんだよw
ライバルだからって仲が悪いわけじゃあるまいし、こんなの付き合いに決まってるだろw 機種にクラウンのコマネチグリルを移植して、
アキオ社長が機体の屋根に登って、
↓コレやればヨロシイ。
https://i.imgur.com/bZwkxtw.jpg 別にトヨタはジェット機作ってないんだからライバルとか関係無いだろ 東広島工場で作ったマイクロンのチップを日本製と言っても仕方ないよなぁ >>412
8AR-FTS直噴ターボは開発から生産までヤマハ製 豊田章男の指示で、
ホンダジェット墜落させて評判ガタ落ちにさせる未来が見える ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています