【考古学】古代の「海人」に思い馳せ 兵庫・洲本で展示「古代淡路島の海人と交流−青銅・鉄・朱・塩−」
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https://www.sankei.com/west/news/191108/wst1911080011-n1.html
古代の淡路島で製鉄や製塩技術の発達に貢献した海の民「海(あ)人(ま)」に焦点を当てた淡路島日本遺産展
「古代淡路島の海人と交流−青銅・鉄・朱・塩−」が9日から洲本市山手の市立淡路文化史料館で開かれるのを前に、7日、関係者向けの内覧会が開かれた。
古代の淡路島で海人が果たした役割を出土品から考察しようと、島内3市と淡路県民局などでつくる「淡路島日本遺産委員会」と県立考古博物館(播磨町)が企画・主催した。
近年、島内で行われた発掘調査で明らかになった出土品のうち、国指定重要文化財1点、県指定重要文化材30点を含む計176点を
「青銅」「鉄」「朱」「塩」の4つのテーマ別に展示する。
青銅では、国指定の「慶野銅鐸」(弥生時代)や有力者の存在を裏付ける「後漢鏡」(弥生時代、舟木遺跡)。
鉄では、朝鮮半島から技術を導入したとみられる板状鉄斧や工具(同、五斗長垣内遺跡)のほか、管玉や毛抜き形鉄製品(5世紀、木戸原遺跡)など、
素材の切断や曲折など技術の進化がわかるものもある。
このほか、徳島県を産地とする赤色顔料の朱やベンガラの精製道具(弥生時代、二ツ石戎ノ前遺跡)、塩のコーナーでは海水を煮詰める製塩土器を
弥生時代から奈良時代まで年代順に並べ、家庭用から大量生産、朝廷への献上に至るまでの技術の進歩が分かる構成になっている。
淡路市教委の伊藤宏幸部長は「島の歴史の背景に必ず登場する『海人』の営みやストーリーの面白さを、展示品を通じて再認識してほしい」と話す。
来年3月1日まで。午前9時〜午後5時。月曜休館。入館料は一般500円。
サテライト展示として、淡路市の五斗長垣内遺跡・活用拠点施設で「舟木遺跡から甦る古代淡路島の海人」を同時開催する。
期間中には記念講演会(12月)やシンポジウム(来年2月)もある。問い合わせは淡路文化史料館
※連絡先はソースで
https://www.sankei.com/images/news/191108/wst1911080011-p1.jpg 淡路島には北部九州から海人族が進出してたからね
弥生時代の瀬戸内海は北部九州勢力の天下だった
邪馬台国の頃には大阪湾岸まで北部九州勢の手に落ちている
弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
> エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
> ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
>
> 弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
> 愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
> 「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
> 今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。 海の民にとって重要なポイントだと思う
黎明期の漂着民すら連想される
がんばって >>5
もうそこまで九州勢が来てたのに畿内が邪馬台国はあり得ないよね
やはり九州にあったんだな 戦国三傑はどこ生まれでどこで権威を持ったか考えたらそんな単純な考えて出来んけど 淡路は大陸ー北部九州ー畿内に至る交通の要衝だからな
この時代は潮の関係で宇佐も経由していたらしい >>10
古津路の銅剣も松帆の銅鐸も出雲と同種類があるからなあ 淡路島は橋…高速道路を通らないと行けないからなあ 行きにくいわ 『古事記』と『日本書紀』をみたら
対馬から九州の海人族が移動して来てんだよな 海底人8823は海どころか箱根湖付近で撮影した特撮ばっかり
だったわけだが.....憎まず 殺さず 許しませう(番組が違うぞ) 日本で成長した中では、最初に生まれた子供(島)だね。
古事記では次に四国-隠岐-筑紫・・・本州になるけど、
日本書紀だと次に本州-四国-筑紫・・・が多い。
で、最初の子で上手く育たなかった子にヒルコで、次に淡島(アワシマ)があるらしい。
このアワが阿波だとして、古事記では阿波の国を食物神としてるようだ。
ま、出て来ては泡のように腹に消えて無くなるから、そんなもんかもしれん w
記事では阿波の特産は赤色顔料の朱やベンガラとなるのか。
泡=食料で淡路(淡道之穂之狭別島)で、穂が付いてるし食料の道と見ても良いが、まあライフラインと見るべきかもね。 >>5,9
瀬戸内海沿岸にも北部九州の海人が祀る綿津見神社があちこちにあるしな
古代の海辺は北部九州の海人に占拠されていたのだろう 大海人ってアイツこんな名だけどド金槌だったんだったかな >>9
畿内からは瀬戸内海を通らないと魏に行けないからな
瀬戸内海の制海権が九州にあった=畿内説終了
だわな でもすべての文明は海の向こうの半島からもたらされたんだけどね 今の朝鮮人じゃないし当時は日本の統治だったんだがな三韓征伐とか知らないのか 神戸市の垂水区に五色塚古墳があるけど
4世紀末-5世紀初頭に淡路島の北の先っぽと対岸の本土側一帯を
同じ豪族が治めてたぽいんだよな
明石海峡を通行する船を監視してた海洋族がいたんだろう >>1
> 海の民「海(あ)人(ま)」
「海部」も「あま」と読むみたいだ。 松帆銅鐸(紀元前3〜前2世紀)
五斗長垣内遺跡(1世紀半ば〜2世紀後半)
舟木遺跡(2世紀半ば〜3世紀初め)
西暦57年 漢委奴国王の印をもらったころには
九州北部の勢力が余裕で淡路に進出してただろうね
大阪に池上・曽根遺跡もあるし1世紀には
九州北部の勢力が畿内のかなりの範囲を治めてて
2世紀終わりまで東海の勢力と小競り合い
倭國亂相攻伐歴年(魏志倭人伝)
倭国乱れあいあらそうこと歴年
そして九州北部にいた王族卑弥呼を纏向に呼び寄せて
突貫で都市を作る >>36
吉備真備とかその辺りの元有力豪族なんだよな
吉備だけに >>21
バーカはお前、海人がただしいウミンチュとは沖縄方言 >>39
愛知県あま市の「あま(海部)」は海人族ではない「海部氏」に由来するらしい。 淡路島は日本列島で1番最初に出来た島だと神話にある
何か意味がありそうだ >>36
垂水区には海神社もあるよな
祭神の綿津見三神は安曇族の祖神で、総本社は福岡県志賀島にある志賀海神社 >>39
>他にも「海士」とか「白水郎」なんかもアマと読む
海士はまだなんとか分かるが、白水郎が何でアマなんだろう? >>39
>この図の「貝の消費地 北部九州の弥生のクニグニ」ってあたりが邪馬台国ね
ほほう >>34
両方とも関係ありません
ワタツミ海人族で北九州中心に中国華南の商人と交易していた人々
稲作導入の人々 >>42
沖縄のイモガイやそれをかたどった釧がたくさん関西で出ています
淡路島には沖縄語の地名もありますよ >>50
ワタツミのワタは、古朝鮮語で海を表す「パタ」じゃなかったっけか。
秦(ハタ)氏もたぶんそっち系の名乗り。
ついでに言うと、やまとことばで海を表す「アマ」に関しては、
沖縄方言で母を表す「アマ」、青森や秋田の方言で母を表す「アバ」あたりと
同根だという説がある。
三好達治の詩にもあるよね。
海よ、僕らの使う文字では、お前の中に母がいる。
ユーラシア大陸の東と西で同じ発想してるのね。
そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある ↑
なんか行を間違えた。三好達治先生ごめんなさい。
海よ、僕らの使う文字では、お前の中に母がいる。
そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある >>52
古代朝鮮語という従来の括りよりも古代の列島海人語という方が適正
現代でも秦氏の多い旧新羅の江原地域から済州までは蒙古が入り込むまでは海人族である倭人の韓地入植地域
秦氏のハタは機織りのハタ
養蚕に長けていた特徴がある 海を越えていく海人は航海能力にすぐれた渡しの神でもあったのでワタシのミ(神) 半島がシベリアと日本の交わる文化圏だわな
縄文時代から日本海側と半島及び沿海州の日本海交易圏もあった >>39
やっぱり邪馬台国は九州北部
はっきりわかんだね >>45
豊玉彦命の子・振魂命の子孫に尾張氏がいることをもって尾張氏を海人族とするのは、
千秋氏の先祖に源氏と藤原氏と尾張氏がいることをもって三氏を同祖とするのに似ていると思う。 >>59
ぜんぜん違うだろ
綿津見豊玉彦こそ海人の祖神なんだからそれに連なる氏族を海人族とするのは妥当 >>59
尾張氏の祖の1人の建稲種は尾張海人集団の長なのだが
景行時代の東方遠征の内容も知らないとか呆れる >>52
でも鵜飼という風習は中国から朝鮮を経ることなく直接日本に来てるそうだ
ワダツミー隼人が中国から九州へ直接流れついて国を築いたが、朝廷からの侵略で日本各地へ流れていったという
日本各地に鵜飼があった理由もこれ >>61
日本史板で検証されているが、ホアカリの孫の天村雲命は安曇磯良の別名 >>62
建稲種命は尾張氏のヒーローだよ、情けない死に方だったけど。(´・ω・`) 淡路島にある断層の博物館は行った方がいいよ
阪神淡路大震災の時のやつそのまま保存してる >>64
「天村雲命」って伊勢神宮の度会氏の祖なのか。
つまり、熱田神宮の尾張氏と伊勢神宮の度会氏は同祖ということになるのか。 >>64
安曇磯良をリアル年代で考えるならば神功皇后時代
時代が全然合わない
それなら文献史学者のいう神武天皇=天村雲説の方が信憑性が高い 海人→対馬海峡あたりが勢力範囲→半島南部と混血→日本列島の海人の勢力範囲に伝播
これが弥生人の混血のメカニズムだろ ホテルニューアワジのユダヤ民族っぽい
遺物とか、伊奘諾神社など淡路島は古代史
の謎が多いな。
秦氏は、淡路からほど近い赤穂など
播磨地域にも地盤を構えてたし、
調査進めばもっといろいろ出てきそう。
昔から文明の海の通り道だったんだろう。 海面は上がってないこと証明されてるんだよね
つまり元から海の中 日本史によらないけどこういう◯◯族とか△△族ってのは人種が違うのでしょうか >>70
それは記紀の嘘に騙されてる
神功皇后は神武より前の人物
安曇の祖とされる安曇磯良(あずみのいそら)には磯武良(いそたけら)という別名があり、素戔嗚命の長男・五十猛(いそたける)と同一人物
そしてその五十猛は神功の三韓征伐で水先案内をしている
天照大神の甥にあたる五十猛が神功の手伝いをしているのだから、神功が天照大神の五世孫である神武より後の人物であるわけがない
http://sohsha.jp/under02.php
> 御祭神 射楯大神 いたてのおおかみ
> 五十猛命(いたけるのみこと)と称し、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御子神であられ、檜や楠等の木々を植樹して、日本の国土を緑豊かな国にされた
> 植樹の神様と崇められています。
> また、神功皇后(じんぐうこうごう)の新羅遠征の折に、御船の先導をしたという播磨国風土記の故事から、勝利や幸福へ導く道開きの神様としても崇敬されています
事績に神功皇后の新羅遠征で水先案内をしたとあるが、太平記や磯良神社の社伝によれば、神功の水先案内を務めたのは安曇磯良とされる
天村雲命の別名に天五多底(あめのいたて)があり、上記の射楯大神(いたてのおおかみ)と同一神
安曇磯武良=五十猛=天村雲命 >>75追記
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
> 民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある
> (磯と渚はどちらも海岸である)。また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。
> 『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神
> 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』(愚童訓より)
http://www.genbu.net/saijin/isora.htm
> 袋中上人の『琉球神道記』には「鹿島の明神は。もとはタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。 常州鹿島の海底に居す。
> 一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯のごとし。故に磯良と名付く。 神功皇后、三韓を征し給うときに、九尾六瞬の亀にのりて、九州にきたる。
> 勅によりて、梶取となる。また筑前の鹿の島の明神。和州の春日明神。この鹿島。おなじく磯良の変化なり」とある。
上記のとおり鹿島神宮の武甕槌も磯良とされる上に、やはり神功の梶取(舵取り)を務めたとされている
実際、武甕槌の神使は鹿であり、安曇の祀る志賀海神社には大量の鹿の角が奉納されている
その武甕槌の葦原中津国平定は神武東征よりも前の時代の出来事とされているし、神武が東征中に熊野で苦戦しているときに
天照大神から手助けを命じられてフツノミタマの剣を神武に与えたのも武甕槌とされている
射楯兵主神社の射楯大神=五十猛といい、神武東征以前の神が神功の水先案内を務めたという伝承が多いのは
本当は神功は神武よりも前の人物だということだろう
記紀で神武より後の人物ということにされたのは、神武即位を紀元前660年という考古学的にあり得ないほど昔に設定したがゆえのことか
8世紀の記紀編纂者が外征の大勝利という功績を大和朝廷のものにしたかったという事情によるものだろう もう一個補足
記紀のカラクリについて
> 487 :日本@名無史さん :2019/10/21(月) 21:32:39.81
> >>483,485関連
>
> まさにそこが今回最大の収穫かもしれない
> つまり記紀神話の年代のでっち上げの手法が判明したということだ
>
> 五十猛は素戔嗚命の息子なので神代の人間、というか神だが、五十迹手を褒めたのは仲哀だし、磯良は神功の水先案内を務めているから人代の話である
> つまり実在の人物として人代に記録されている人間が別名を使って素知らぬ顔で神代にも書かれていることになる
> 従来考えられていたように神代が九州で人代が畿内というような分かれ方ではなく、人代の出来事を神話仕立てにして遠い過去の出来事として
> 投影したのが神代であり、人代と同一人物が重複して登場しているのだ
>
> これはつまり、他の神々にも人代におけるモデル人物が存在する可能性を示している
> 例えば天照大神のモデル人物は神功皇后かもしれない、とかな
> スサノオの子であるイソタケルが安曇磯武良なら、天照大神はその伯母にあたるから一世代上だが概ね同時代の人物とみると
> むしろそう考えたほうが自然なくらいだろう
>
> 単に伊都国が安曇の国であることを実証するのが目的だったのだが、思いがけず記紀の嘘を暴いてしまったのかもしれない
>
> もっと深い問題もある
> 天村雲命が五十猛=安曇磯武良=五十迹手と同一人物だということが分かったわけだが、この天村雲命は
> 「然が宋の太宗に献上した王年代記にも登場する
> 曰く
> 「初めの主は天(御)中主と(号)す。 次は天村雲尊と曰い、其の後は皆な『尊』を以って(号)と爲す。」
> とうとう倭王になってしまった
> しかもなんと天之御中主に次ぐ二代目の倭王にされてしまっている
>
> 王年代記は記紀よりも後に作られており、神武の即位が周の時代と書かれていることからも明らかに年代が捏造されている
> そして二代目倭王が天村雲命=五十猛=安曇磯武良になっているのを見ても、単に年代を何百年かスライドさせたのではなく
> 倭王の即位順までメチャクチャに改竄されているし、倭王じゃない人まで倭王にされている有様
>
> 要するに、大和朝廷が作成した史書は、個々のエピソードについては脚色、改変はあれど元になった事実があるのだろうが
> その年代観も天皇の順番さえもまるで信頼が置けないということである >>79
長文コピペの値打ちすらない駄文というか気の毒な病人の盲文
>天村雲命が五十猛=安曇磯武良=五十迹手と同一人物だということが
>分かったわけだ
>スサノオの子であるイソタケルが
>安曇磯武良なら
スサノオは出雲か紀国
五十猛命は「いたけるのみこと」で紀国を木だらけにした人
実年代は無理やりいえば弥生前期から中期だろう
スサノオの描き方は縄文海進もすっかりおわり、寒冷化が
進行中の縄文終期だろ
ここまでホームラン級の出鱈目バカって日本人か?
ホルホルのような脳ミソに願望妄想回路しか無い頭の病気だよな 中世の物語をもとにして夢想三昧も暇つぶしにはいいかもw
「石清水八幡宮御縁起」. 上巻・下巻の2巻から
なり、下巻奥書に室町幕府第6代将軍足利義教
公奉納の絵巻を橘継雄という人物が享保13
(1728)年に謹写したもの >>79
反論できませんってことだね
OK
>>80
君は記紀に書かれている内容を盲信しているだけ
射楯兵主神社の社伝に五十猛は神功の舵取りを務めたとある以上、安曇磯良と同神と見るのは当然のこと
>スサノオは出雲か紀国
知識が無いとこういう嘘にすぐ騙される
完本とされる出雲国風土記にヤマタノオロチ伝説も国譲り伝承も記されていない事実を知らないからそんな盲信ができるのだろう
それを知っていれば嘘をついているのは記紀の方だとすぐに分かる
> 489 :日本@名無史さん :2019/10/21(月) 21:38:00.00
> >>480の山鹿・菊池関連
>
> 山鹿・菊池は怪しいねえ
> なんとスサノオのヤマタノオロチ退治の逸話がこのあたりにもあるらしい
> 実はヤマタノオロチ退治の逸話って地元のはずの出雲国風土記にはなぜか載ってないんだよね
> 本当はこの地域の話だったんじゃないか?
>
> https://ameblo.jp/kenbuncho2017/entry-12513375590.html
> >熊本県山鹿市菊池市一帯は「肥川 ひのかわ」と呼ばれる菊池川が流れ、八岐大蛇(やまたのおろち)神話の櫛稲田姫(くしなだひめ)生誕の
> >伝説の地・熊本県山鹿市に旧稲田村があります。櫛稲田姫の本来の名称は「稲田媛」。
>
> >福岡県高良大社の「高良玉垂宮神秘書」第1条に「ヤマタノオロチと天叢雲の剣」について古典的記載があります。 >>83
>完本とされる出雲国風土記にヤマタノオロチ伝説も国譲り伝承も記されていない事実を知らないからそんな盲信ができるのだろう
えっマジ?
あんな日本神話のハイライトみたいなシーンが2つとも地元の風土記に載ってないってどういうこと? 出雲とヤマタノオロチ伝説は疑いもしてなかったわ
風土記に載ってないってなにかあるんだろうな 博多湾を根城に活躍した安曇族と住吉族、宗像地方を根城に活躍した宗像族
この海人族が作った神社は日本各地に存在しているが淡路島の海人族が日本全国で
活躍したとは聞いた事が無い、単に淡路島だけのしょぼい海人族なんだろうな
そうでなければ対岸の神戸市に安曇族の海神社が出来る訳が無い うみんちゅだろw
ちなみに ちゅ は、 ひと「人」 ひちゅ ちゅ と語形変化したものやで。 たしかに瀬戸内海の島の出身者は、
地黒で独特な風貌の人が多いね。 >>78
この場合仲哀と神功は人代だけど九州の逸話だと思えばよろしい。 >>81
ふつうは地元の自治体職員の地元活性化狙ってる県史編纂室でも正史から大きく外れる中世の創作話一つだけで起源主張はしないよな
そういう創作話よりもこの15年ほどの考古学の成果に応じて全国の阿曇研究会は中央高地への進出に興味を持って研究してるだろ >>81,94
だいぶ貴重な史料のようだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E6%84%9A%E7%AB%A5%E8%A8%93
>八幡愚童訓(はちまんぐどうくん)は、鎌倉時代中期・後期に成立したとされている八幡神の霊験・神徳を説いた寺社縁起である[1][2][3]。
>略
>元寇(文永の役、弘安の役)についての記録としても有名で、特に対馬・壱岐入寇について記された史料は他にないとされる[3]。 藤原不比等一派が記紀の神話を作る時に、近くにある島を中心として色々
創作しただけなんじゃね? 伊勢神宮とかもひょっとしたら記紀の時に作ら
れた可能性もあったりして。 >>87
速吸門にある五色塚にしても西求女塚にしても歴史上先行安曇族である振魂系図の海人族のものと言われている
五色塚は明石国造で西求女塚の國香姫は可能性が高い
大阪湾型銅戈も彼らだろう >>78
神武即位の年代が嘘なのはほぼ衆目の一致するところだが、単純に時代をずらしただけでなく順番の入れ替えや重複もあるのか
そうなってくると>>75にも成立の余地が出てくるな >>87
そうじゃなくて、北部九州から瀬戸内海を東進してきた阿曇族が淡路島を統治していたんだよ
だから>>5に書かれているように北部九州の技術で作った鉄器がある >>84
>>83の後半に書かれてるだろ、本来は九州の話なんだよ
出雲は大国主の隠居先であって元々の領地ではなかったんだろう
普通、君主を引退させた場合、縁故のある地元勢力と結託して反乱を起こさないように別の土地にやるもんだわな 史学上安曇と同族海人される海部氏はというのは「海の事柄を専らにする人」
海人族の民として応神帝の御世に海人族の統率を担うことで知られますが
そのAD300年代後半の時代よりもずっと前の神武東征時に水先案内した
豊玉系譜の中での弥生第1波がいます
金属製錬に関わったとされる伊福部氏などと近縁分布を示し淡路島を
青銅の島と呼ばれる理由となった人たちでゴサカイト遺跡や船木遺跡も
残しますが、興味深いのはその銅鐸銅剣出土の地点の周辺に倭モモソ姫
の伝承とそれに該当する古事記の記述があることです
それ以後は愛知県の渥美半島などへも東進しますが系図や史学的には
八木という地名や姻族の掃守や加守という地名を残しつつ大阪平野
大和盆地からも移動。『新撰姓氏録』では尾張に定住し、愛知県には
海部郡という地名があり「伊福」という町名もあることから青銅の神々
というわれる由縁は持ち続けたのでしょう
後世では唐突に流行した八幡信仰の影響により誉田別命の応神天皇を
合祀したり主宰神と入れ替わったりと八幡関係は5世紀以降の定着してい
いきます
それの磯良の信仰が重なり民話がつくられていきます >>78 >>83
後世の民話は中世の時代から荒唐無稽なものが増え始めますね 安曇族と住吉族は仲の良い海人族で安曇族の綿津見神社の近くには必ずと言って
良いほど住吉神社がある。どちらも博多湾を根城に活躍した海人族。 >>99
バカは自演の内容まで圧倒的な同質バカで大変だな 安曇・阿曇族とか住吉族とか、何の根拠もない妄想ばかりだな(苦笑)
自論に都合のいい証拠や根拠だけをピックアップする
学問ごっこがしたいど素人にありがちなオナニー説だなw 海人アマと言えばアメ雨を連想する
アメと言えば狐の嫁入り
天と狐の嫁って何か関係があったのか?なぜ嫁なのか?
稲荷の謎 弥生といえば鉄の時代
鉄といえば倭国
倭国と言えば九州
<魏志韓伝より>
「國出鐵韓?倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡」
(韓国は鉄が出るので、韓国、?国、倭国がこれを採っている。
諸の市で買い物をするときは中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
また、楽浪と帯方の二郡にも鉄を供給している。)
■重要事項
・3世紀頃は鉄は市で通貨として使えるほど貴重だった。
・九州では武器や農具に鉄を使えるほど潤っていた。
・しかしこの時代の畿内からは鉄が出土していない。
↓鉄の出土状況
https://i.imgur.com/eRF3Zza.png
■推測されること
・畿内政権は鉄を取りに行っていない
・畿内政権は九州に鉄を分けてもらえなかった
■結論
・3世紀の北部九州と畿内の関係は希薄だった
・一大率は畿内政権とは無関係
・倭国として認識された範囲に畿内は入ってなかった
■裏付け
・纏向遺跡では鉄器は出土せず、釘一本すら見つかっていない
・纏向遺跡では九州産や半島産の土器は出土していない
・もと歴博の館長もやった佐原真いわく、
「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」
(畿内説の有名な迷言) >>107
お前がシロートどころかただのチョンにありがちな嘘松病なだけw 紀元前鉄工房が盛んだったのは丹後半島
1世紀以降は淡路島や大阪、伊吹山辺りに鉄工房が出現
日本海側で勢力交代があり追い出された人々が淡路島周辺に逃げてきたのかもな
丹後半島の歴史は興味深い
紀元前後に中心勢力が変わったんじゃないか?
弥生時代中期までは鉄工房が盛んであった
弥生時代後期になると中心集落の位置が変わり、【朝鮮半島に類似した墓】、【朝鮮半島製と思われる鉄刀】が出土するようになる
丹後半島と入れ替わるように淡路島や池上曽根遺跡、少し遅れて伊吹山など畿内周辺で鉄工房が営まれるようになる
紀元前後丹後半島で鉄工房を営んでいた勢力が畿内に逃れてきたと思われる
ヤマタノオロチ一族だろう
その後畿内の勢力の協力を得て淡路島や伊吹山に拠点を構えたんじゃないか?
日本書紀の記述にも合致する
大八段一書三
そこで素戔嗚尊は蛇【韓】鋤之剣(おろちのからさびのつるぎ)を以ちて、頭を斬り、腹を斬る。
その尾を斬った時に剣の刃が少し欠た。
故に尾を裂きて看るとそこにはにひとふりの剣があった。
名を草薙剣と言う。
この剣は昔、素戔嗚尊の許(もと)に在ったもので、今は尾張國に在る。
その素戔嗚尊が八岐大蛇を断ちし剣は、今に吉備(きび)の神部(かむべ)が許に在る。
出雲の簸(ひ)の川上の山、これなり、とある。 >>114
【朝鮮半島に類似した墓】
どの墓がどういう理由で類似してるのかの説明は?
【朝鮮半島製と思われる鉄刀】
→ 【多婆那の縄文系倭人の海人の戦利品か当時の物々交換か市糴の交易品】 442名無しさん@1周年2019/11/11(月) 00:08:44.47ID:0S+UDbW40
>>437
780名無しさん@1周年 2019/08/30(金) 16:50:41.25 ID:5oOXWqgk0
>>1
ケルプハイウェイを通って丸木舟で縄文人がオレゴン付近まで行ってた話か?
東北に似た有舌先頭器は何年も前に照合されてたはずだが
929名無しさん@1周年2019/08/30(金) 17:00:30.35ID:0V+sFL3x0
縄文人が海藻つたってアメリカにきたとか前から言われてたよね
270名無しさん@1周年2019/08/30(金) 17:58:29.08ID:PzhspnQS0
>>1
〜地球創世記 ミステリアス・アメリカ〜 生物大絶滅と縄文人の謎
https://www.bs-tbs.co.jp/mysterious-america/
解明
フォートロック洞窟からは世界最古とされる1万年以上前のサンダルが出土している。樹皮を編んでつくられたこのサンダルは、日本のわらじと酷似している。
オレゴン大学に保存されている数々の出土品。その中には日本の縄文時代の遺跡から出土している遺物とほとんど同じ形状のものがあった。これらは縄文人が持ち込んだものだ、という説を唱える教授に出会った。一体どうやってアメリカに渡ったのだろうか?
本州〜北海道〜ロシア〜アラスカ〜オレゴン、と海岸沿いの海を渡ってきた、というのが教授の説。縄文人は丸木舟を作るなど海洋技術が盛んだったこともこの説を裏付けている。
オレゴンの海岸沿いには海藻類の生い茂る遠浅がどこまでも広がっていた。海を旅する人たちの貴重な栄養源になりそうだ。これなら海を渡って日本からアメリカへ、というのも不可能ではないかもしれない。でも、危険を冒してまでそんなことをするだろうか?
縄文時代は安定した平和な時代だった。その一方で、人類には「挑戦する遺伝子」が備わっている。定住せず、新世界に飛び出していった縄文人もきっといたことだろう。
https://tv.yahoo.co.jp/program/62103886/ 443名無しさん@1周年2019/11/11(月) 00:09:09.44ID:0S+UDbW40
349名無しさん@1周年2019/04/27(土) 11:26:35.85ID:J2Yk4v8A0
>>338
古代史の最後のパズルは出雲朝廷の存在とその出自
出雲朝廷の存在がハッキリし、彼らが朝鮮人であることがわかるとすべてがつながる
もはや朝鮮半島にむかって毎日礼拝をしなければならないだけの事実がでてきたということだ
389名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:38:23.61ID:7Q4r/hXI0
>>349
出雲の大名持神の祭祀はその開始にも
南海のセグロ海蛇という豊穣神待ちなんだけど、
それがどういうふうに朝鮮半島の勢力と絡んでるの?
いっしょに国を開発した大物主神も三輪山に祀られる
蛇神で金印の蜷局を巻いた鈕だしね
408名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:43:56.58 ID:c/CUrXOr0
>>389
朝鮮半島はまるで関係がないね
セグロ海蛇は、出雲人が神迎えの出雲大社の神在祭、別名御忌祭の神事の主役
南太平洋、南シナ海、琉球列島などに棲息する海ヘビで朝鮮半島になんていない
444名無しさん@1周年2019/11/11(月) 00:09:30.02ID:0S+UDbW40
769名無しさん@1周年2019/08/30(金) 18:46:23.91ID:bFBO74PF0
>>612
日本の神道祭祀関係でいうと
古代から宮殿内には半島蕃族の好物の肉類は
持ち込み禁止
御贄については縄文人や弥生倭人の時代そのままに
魚介、稲、縄文雑穀、日本酒だけで、 比較的半島から
近隣距離の出雲を例にとると、日御崎の海人が捕る
アワビや盾縫の紫菜という海藻が特別な名産品として
宮中では有難られた
そのケルプは大型の海藻だが 出雲神道の祭祀で重要なのは
背黒海蛇と 海藻
海藻を盛って出雲神に献上する 445名無しさん@1周年2019/11/11(月) 00:10:12.11ID:0S+UDbW40
217名無しさん@1周年 2019/06/07(金) 20:34:12.16ID:paZLZmIV0
朝鮮人と日本民族の違いが判断できるのは
海藻を食べると日本民族は胃で消化できるが朝鮮人達は在日朝鮮人帰化人でさえ消化できない
それだけ縄文人時代の2万年前から日本民族は海産物を食べる習慣があったからで
海苔を食べる習慣や泳ぐ習慣の無かったシベリアエベンキ朝鮮人達が
海女が起源とか日本の海苔巻きが朝鮮起源のキムパブとかわけわからんことを起源にして
朝鮮人のデマの判断はすぐにわかる
220名無しさん@1周年2019/06/07(金) 20:38:01.25ID:paZLZmIV0
海藻を食べる習慣があった日本民族だけ
海藻を消化できるが
他の民族は全く消化出来ない 302名無しさん@1周年2019/06/07(金) 22:11:21.59ID:Lf23WkKu0
>>217
>>270
縄文人は、潜水漁法を日常的にやっていて海藻の採取などで長期間海水に潜る特徴が顕著で外耳の周りに独特の突起がある 446名無しさん@1周年2019/11/11(月) 00:10:32.11ID:0S+UDbW40
314名無しさん@1周年2019/06/07(金) 22:20:59.45ID:BvUsWrN0
>>302
「燻製」「塩漬け」「煮干し」のような現代と同様の食料の貯蔵や保存の技術を持っていて
それはフィリピンから鹿児島から関東あたりまでその作業跡が出てる
ピットでは地下水使って虫抜きもするし栗の品種改良までやってるしな
その後と重なるように丸木舟や丸木舟専用の石斧が東京都まで出土するんだからな
縄文人の活動圏は広域すぎるよ
318名無しさん@1周年2019/06/07(金) 22:25:45.48ID:jftzTyjq0
>>302
> 縄文人は、潜水漁法を日常的にやっていて海藻の採取などで長期間海水に潜る特徴が顕著で外耳の周りに独特の突起がある
そんな適度な事書いても
喜んで本気にするのはネトウヨだけだよ。
またネトウヨが縄文人の特徴はって
本気にして他の掲示板にコピペするから
止めときなよ。
341名無しさん@1周年2019/06/07(金) 22:52:02.28ID:A9wu72l0
>>318
「外耳道骨腫」も知らない在日韓国朝鮮人wwww
日本の夜間小学校から入り直せよwww 海人があるなら、山人・平野人があるはず。
海人だけ優遇されてるのが気にくわない。 >>122
優遇ではなく弾圧されたから渥美や熱海安曇などへ逃げたんだろ これとか邪馬台国とかお勉強し過ぎちゃった人が必ず湧くよね 瀬戸内海連合の東端は淡路島っぽいんだよね。
記紀神話の国作りが淡路島から始まってるのはそれを仄めかしてて、
万葉古歌もその頃に詠まれた可能性が高い。
奈良は白村江の敗戦で、決戦の地をもっと東に移してからじゃないかな >>114
恒例の貼り付けたような無知無恥全開の在日韓国朝鮮人の盲望
>紀元前後に中心勢力が変わったんじゃないか?
爆笑wwwww >>128
スンダランド由来の海人はたくさん来てるだろうな
でも朝鮮半島には海人は縄文人や列島弥生倭人が季節別荘のように使ってた半島南部の洛東江下流域以外にはいないから朝鮮半島からじゃないね >>130
日本列島は人類誕生の地ではないから、みんな渡来人だよ。 >>103
神武東征は3世紀末から4世紀初頭のお話 >>127
初代の淡路国造の血脈みれば上の方で出てくる豊玉系そのもの
まあそれが孝霊天皇の血筋の倭迹迹日百襲姫命を含む海人族で吉備海部と同族関係だから特殊器台や大型円筒埴輪のことを早くから説明していたどれだけ現代考古学は優秀なんだよと思ってしまうわけだがね
日本の海神わたつみは総て国津神だからそれも「古事記」や「日本書紀」の記す中身通りでおもしろい >>104
反論出来ないからって印象操作で逃げるのは良くない >>133
倭国造の倭氏の一族も尾張氏と同祖だから豊玉彦の系譜なんだよね
畿内大和の長官である倭国造が九州の海人出身というのが面白い
やはり九州邪馬台国が東遷して大和朝廷になったんだろうね >>132
20年前くらいまではそういうこと言う人がいたらしい
神武東征は遅くともAD2世前半に始まり半世紀続いた異常気象の手前か最中だろうと気象学や年輪年代からもいわれている >>134
傍からどう見たって無知丸出しはお前じゃんw
もしかして半島人のお方? >>104
同意という必要もないだろうな
室町時代の与太話なんて荒唐無稽すぎて子供に読み聞かせの絵本にはいいけど歴史知識がないあまりに真剣に話できるところが想像を絶してるからな >>77
鹿島神宮には神功皇后が奉納したという常陸帯という宝物があるとされる
三韓征伐の際のタケミカヅチの加護に感謝するものだというからその説は割と信憑性が高い >>136
畿内厨はこうやって息を吐くようにウソをつくんだよなぁ
実際は鉄器の移動から見て神武東征はBC300年頃
830 :日本@名無史さん :2019/09/14(土) 13:46:47.04
>>829
三世紀までは奈良盆地内には鉄器がほとんど存在しない一方で、北部九州には鉄器が豊富
この頃の本州の鉄鍛冶工房は北部九州の海人族の進出地のみ
http://inoues.net/club6/tetu2.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
そして四世紀になると奈良盆地内にも鉄器が増えてくる
このことは三世紀までは北部九州の勢力と畿内勢力が別勢力であったことを意味している
そして地理的条件により、畿内の勢力が北部九州を経由せずに魏とやりとりすることは不可能
ゆえに三世紀の魏志倭人伝に書かれた邪馬台国は九州以外にあり得ない
神武東征が卑弥呼より前ならば、畿内は当初から北部九州から鉄材も鉄鍛冶職人も入手可能なはずで
四世紀まで鉄器が普及しなかった理由を説明できない
証明終わり >>136
奈良女子大だったか奈良教育大だったか中塚先生という人が大阪の弥生博物館で講演してたよ
そのメガディザスターと呼ばれる期間が倭人伝の記述の大乱の時期かもだというような含みだったかな
古くは神武東征のモデルは奴国東遷や46cmの内行花紋鏡の件などいろいろ考え方はあるけれども
主流派の学者の大部分はAD前後〜AD150年想定がほとんどだね >>98
そういえば神戸の東灘区に国香通りとか国香という交差点があったわ >>143
畿内論者が我田引水してるだけじゃん
考古学的には>>141の通りだろう
畿内が4世紀まで鉄貧乏だったのは有名な話だし >>104
射楯兵主神社の社伝がいつ中世になったんだ?
延喜式にも載っている神社なのに
それに射楯の神こと五十猛が神功の舵取りを務めたという話は播磨国風土記にもある
一連のレスは荒唐無稽なのではなく、単に君に知識が足りなかっただけだ
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/171.html
> 神社の祭神については「播磨国風土記」の飾磨郡・因達(いだて)の里の条には
> 「土は中の中なり。右、因達と称(い)ふは、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと) 、韓国(からくに)を平(ことむ)けむと欲(おもほ)して、渡りましし時、
> 御船前(みふなさき)に御(ま)しし伊太代(いだて)の神、此処(ここ)に在(いま)す。故( かれ)、神のみ名(な)に因りて、里(さと)の名と為す」と記載がある。
> この因達の里の伊太代の神は岩波書店「播磨国風土記」の脚注によれば、「航海神。住吉大社神代記に船玉神と見える・・・」とある。
> これによると、因達(いだて)の里(さと) の名は伊太代(いだて)の神の名をつけたという。
> 射楯の神は神功皇后と係わりが深く記載されているので、海人族の神でもあったのであろう。 紀伊にも神功と五十猛の密接な関係を物語る神社があるようだ
神社の住所が海部郡というのも海人族との深い関係を示していると言っていいだろう
http://kamnavi.jp/it/itakeru.htm
> 大川八幡神社 海部郡加太荘大川浦に福神社が鎮座、「神功皇后、伊太天の神像あり」と記され、注に伊太天は伊達、即ち五十猛也とありました。
> (続風土記)現在、大川地区にはこの神社しかない。 古代の毛抜きって何に使ってたのさ?
髭やギャランドゥーでも整えてたのかな? 南あわじ市には「阿万」と書いて「あま」と読む地名があるね。 >>141
http://inoues.net/club6/tetu2.jpg
この鉄鍛冶工房の偏り具合を見ると八岐大蛇伝説が実は九州の話というのにも説得力はあるな
天叢雲剣は鉄剣だろうし 銅鐸圏を出雲と言ってたんだと思うよ
つまり九州をのぞく西日本東海だよ。
島根県はその元となる発生地だったってだけで
だから風土記には出雲の話で島根県に伝わる一部の話しかしるされないだけで 高槻、三島地域に安満遺跡があったな
三島地域で最初に稲作が始まった遺跡、弥生時代前期〜
安満はアマ 多婆那国とは、倭国から北東一千里とされている。
倭国は北部九州の事で多婆那国とは現在の丹波地方の事。 >>146
[射楯の神こと五十猛が神功の舵取りを務めた]?
播磨国風土記のどこにそんな話があるの?w 釜山の市場ではワカメがたくさん売っているから韓国人もワカメを食べている
海藻類を食べるのは日本人だけとは大嘘だぞ 飾磨郡因達里の箇所で有名な一節
神功皇后が
「韓国を平けむと欲りして渡りましし時、御舟前の伊太氏の神ここにましき。故、神の名に因りて里の名とす」
この日本の風習の内容も解釈できないとか日本人なのかな?
日本の船には漁船にまで舟玉神というのをまつるわけ
その船玉神に韓国伊太氏という新羅に面する出雲に顕著な神を祀ってる
その神は韓国に対峙して出雲を始め日本国の護りとしての神で有名だけど
もちろん素戔嗚尊の息子神
ちょうど韓半島に向かって綿津見神を対馬から北九州にずらっと朝廷が
並べてるのと同じこと
三韓征伐の時に神功皇后がその息子神を船玉として船の守りに用いたわけだけど
その神が生身の人間に変身して舵取り?
頭おかしいのかな 🌟新羅本紀🌟
弥生後期 〜 古墳時代
高句麗が調子乗り出すまで 百済を瀕死にまで虐め抜いた残虐新羅が
当時の日本国にボッコボコにされている様子、朝鮮半島側の記録
戦後長い間、韓国忖度が続いてだれもが議論しなかっただけで
当時の百済人に呪われるほど憎まれた新羅が倭国人からボッコボコ状態
14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
57年 4代王「脱解尼師今(一云吐解)立。時年六十二。姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生。
其國在倭國東北一千里」脱解は多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあり。(注:中国の1里は約400mであるので、一千里は400kmとなる。)
59年 夏の五月に倭国と友好関係を結んで修交し、使者を派遣し合った。
73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。
123年 春三月に倭国と講和した。
158年 倭人が交際のために訪れた。
173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」)
193年 倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。
208年 夏4月、倭人が国境を侵す。奈解王は将軍昔利音に反撃させた。
232年 夏四月に倭人が金城を包囲。
233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、昔于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。
289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
295年
春 王が臣下に向かって
『倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。
私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見
はいかがか?」ときいた。
これに対して、舒弗邯、弘権が
「われわれは海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。
王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。
これに対して、舒弗邯、弘権が、
▶「われわれは海戦に〔不慣れ〕でございます。
冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを
恐れます」
※当時から海に不慣れな新羅人が明確。
この後も新羅、百済の両国とも人質を日本に差し出し朝貢する日本の被支配国である。 【研究】縄文人、内陸より沿岸部で腕太く 手こぎ舟で鍛えられ
「縄文時代でも帆を使った舟がなかったことを示す成果」
縄文人は、内陸よりも沿岸部に住んでいた人の方が腕が太かったとの研究結果を、
国立科学博物館などが発表した。外洋に出て漁や海上交易をしていたと考えられている
愛知県・渥美半島に住んでいた集団の男性が特に太く、舟をこぐことで鍛えられて太く
なった可能性があるという。
ヒトの足や腕の骨は筋肉を使った活動に応じて太く成長する。縄文人の手足は現代人
よりも太い傾向があるが、年代や地域によってばらつきがあることが指摘されていた。
同館は全国の遺跡から出土した縄文時代の上腕骨797人分を分析。その結果、
内陸よりも、海で漁を行っていた沿岸部の集団の骨の方が太い傾向があった。一方、
海岸に近くても、主に川で漁をしていたと考えられる集団は比較的細かった。
沿岸部の中でも、渥美半島にある縄文時代晩期の保美(ほび)貝塚(愛知県田原市)
の男性は特に太く、出土した22人分すべてが全国平均を上回った。全国で出土した中
で最も太い骨もあり、上腕の細い部分でも外周が8.1センチと、江戸時代の平均的な
男性より約2センチ長かった。外洋で漁をしていた他地域よりも太く、漁だけでなく、
海上交易で舟をこぐ機会が多く、腕が鍛えられたと考えられるという。女性は周辺地域
と大きな差はなかった。
同館は、3万年前に日本人の祖先が大陸から渡ってきた航海を再現するプロジェクトを
進めている。プロジェクトの海部陽介代表は「縄文時代でも帆を使った舟がなかったこと
を示す成果で、3万年前も手こぎ舟を使った可能性が高い」としている。【大場あい】
毎日新聞 2018年8月27日 20時18分
https://mainichi.jp/articles/20180828/k00/00m/040/074000c >>160
>「われわれは海戦に不慣れでございます。」
海戦に不慣れてw
大昔から新羅人とか朝鮮半島民族は非海洋民族だったんだな 『韓国海軍に所属する軍人の約2万6000人が
このほど、水泳テストを行ったところ、63.5 %が
「まったく泳げない」もしくは「5分しか泳げない」
ということが分かった。4日、環球時報が伝えた。』 韓国でも韓国海苔があるが海苔は加熱したら朝鮮人でも消化できるようになるそうだ
だから生海苔を食べる事が出来れば日本人と言えるんだが生海苔はどこで売っているんだろうか >>155
それは(多婆那国=丹波)は海流を全く無視したトンデモ説。よく見るけど。
当時半島で「倭国」と言うのは、弁韓も大体入ってて日本で言う任那のこと。
新羅本記で「倭国」と言ってるのは、半島側の倭国の場合が多いよ >>163
百済や新羅は舟の扱いや海での航行能力が基本的に欠如
新羅の場合は唐の水軍の船を使わせてもらうようになって
からは少しは海運力はついたがそもそもはからっきしダメ
これは今の韓国海軍にまで続いてる半島の民族的伝統
この場合は海軍においては致命的マイナスの伝統
いまだに真球がつくれずよって潜水艦が性能悪くて
実戦では音もダダ洩れでとても使い物にならない
対照的に世界一といわれる日本海海軍の掃海技術を頼りに
大勢の旧日本海軍の兵士が朝鮮戦争で秘密裏に召集され機雷除去で命を失った
韓国の教科書に一行もないし日本が設立したソウル大学でも梨花女子大でも習わない
どうしたものか 狐の嫁入り謎やな。なぜ嫁なのか?
鬼火の伝承と日が照っているのに降る雨
火に日に照にフルにアメ、🤔
福島県の狐の嫁入りはすり鉢を被ってすりこぎを持っているとか
岐阜県では怪火だけでなく竹が燃えて割れる音がする伝承が残っている
徳島県では同じ怪火を狐の葬式と呼ぶらしい >>161
驚異的骨太人は発掘場所が長崎の島だったけどな。
愛知県にもあったのか。
縄文時代の海人は沖縄の貝を北の果ての礼文島で加工したりしてて
日本列島なんか縦横無尽。
アメリカ大陸にも海沿いに行ってて縄文土器などを残してる。
また古代文明や江南人も縄文人が祖先ではないかと最近は言う人が居るぐらい。
けど縄文期終わりの寒冷化で自由な暮らしでは絶滅しかかった結果、
定住農耕生活を嫌々選ばざるを得なくなって自由を失った。
みんな寒さが悪い >>165
半島側の倭国なら陸から攻めればいいじゃん
なんで海戦に不慣れだと言ってるんだ? >>159
朝鮮人は相手するだけムダ
客観という概念がない民族だから 平成天皇もそうだよな祈祷師なのに天変地異二回やらかしてるから左翼化した困った天皇だった今上天皇はマトモだと信じたいけど世界平和とか言ってたし崇拝がなくなるわ 宮の本遺跡で出土したイモガイ製の腕輪。女性が身につけていた(佐世保市教委提供)
https://www.nishinippon.co.jp/import/nagasaki/20181215/201812150002_001.jpg
宮の本遺跡
https://www.nishinippon.co.jp/import/nagasaki/20181215/201812150002_002.jpg
筋骨隆々の弥生人の集団が西北九州にいた−。佐世保市・高島の「宮の本遺跡」
でこの夏、
上腕骨が一般的な弥生人よりも一回り太い、約2千年前の人骨が出土した。人類学者によると、西北九州の離島で見つかった
弥生人骨には、こうした特徴があるという。「弥生文化=農耕社会」と思われがちだが、高島の弥生人は異なる暮らしをして
いたようだ。
高島は九十九島の一つで、本土の相浦港から海上タクシーに20分ほど揺られて渡る。その先には世界文化遺産の黒島天主堂
で有名な黒島が浮かぶ。
遺跡の発掘調査は昭和50年代に行われ、弥生時代の墓地で人骨約40体が出土した。
市教育委員会は2016年から範囲
を広げて調査を再開。今年8月、箱式石棺墓2基から男女各1体の人骨を取り出した。 骨を分析した国立科学博物館の海部陽介・人類史研究グループ長は「この男性は同じ時代に
福岡平野で出土した人骨に比べ、
上腕骨が太い」と話す。大腿(だいたい)骨の股関節から推定して身長158・2センチ、体重77・2キロ。
がっしりした体格で縄文人の系譜という。宇久島や平戸島で出土した弥生人骨も同様の傾向があり、海部さんは
詳しく調べている。
□ □
スポーツ選手の骨が太いように、高島の弥生人も何らかの“運動”をしていたのか。日本人の起源を探っている
海部さんは、弥生時代に始まったとされる「貝の交易」に着目する。
その手掛かりが、宮の本遺跡で1978年に出土したイモガイ製の腕輪。女性の人骨が身につけていたもので、
イモガイは沖縄近海でしか採れない。弥生時代、北部九州の有力者は南海産の貝を珍重したため、
高島は交易の中継地だった可能性がある。高島の弥生人が船で貝を運んでいた、と海部さんは考えているのだ。
西北九州の弥生人が南海へ渡った足跡は見つかっている。西北九州特有の墓制が沖縄で確認され、縄文時代
晩期の佐賀・腰岳産の黒曜石が沖縄で大量出土したとの報告もある。熊本大の木下尚子教授(考古学)は「西北
九州沿岸の全ての弥生人が交易したとは言えないが、福岡平野の農耕社会を支えるダイナミックな海人の世界が
あった」と推測。その行動様式は縄文時代から続いている、とも指摘する。
酸性土壌の九州本土では人骨が残りにくいが、宮の本遺跡は海岸だった砂浜の地層にあるため、保存状態がよい。
100体以上の人骨が残されているという。ただ、不思議なことに、これまでの発掘調査で集落跡は発見されていない。
目と鼻の先に本土が見えるのに、なぜ、彼らは高島を選んだのか。佐世保市教委の松尾秀昭学芸員は「考古学では分か
らない点を人類学で分析し、弥生時代の葬送儀礼や当時の生活の様相を明らかにしたい」と語る。多様な弥生社会が、
長崎の離島から浮かび上がることを期待したい。
西日本新聞 2018年12月15日00時09分
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/nagasaki/article/473181/ >>174
>福岡平野の農耕社会を支えるダイナミックな
>海人の世界が あった」と推測。その行動様式
>は縄文時代から続いている、とも指摘する。
縄文海洋人は凄すぎるねえ
沖縄まで行ってイモガイとか仕入れてとか元気すぎよ 自演をやりたければIDの表示されない板でやればいいのに。(´・ω・`) 弥生人到来の時代にはもう三韓討伐で半島支配してて朝貢さしてたのに朝鮮人の妄想が草だな もともと海水の雫が固まってうんうんのイザナギ・イザナミ神話からして海洋民族の神話だな スサノオは海神なのに、海人族はスサノオを祀らないの?(´・ω・`) >>178
こわくて海を渡れない民族がなぜ渡来できんだよ
渡来してきたんじゃなくて連れ去れたが正解だろ 倭寇に技術者や女連れ去られ放題だったんだろ
だから邪馬台国は庶民もみな多妻が実現できたわけで >>180
スサノオを祀ってる神社の多さをしらないとかか
それでよく質問のかたちをとろうとするわ >>183
海人族≠漁民ではないと思う。
俺の父方の先祖は古代朝鮮からの帰化人だけど漁民でスサノオを祀っていたよ。 スサノオは朝鮮半島から渡って来た神で海神だから朝鮮系帰化人を先祖に持つ漁民が祀るのに相応しい神だと思う。 スサノオは自身が風(暴風)の神で、製鉄先進地の朝鮮半島から
息子である木の神 五十猛を伴ってやってきたから、
てっきり鍛冶神だと思っていたが、海神という面もあるのか。
たしかに「朝鮮にゃ金銀はあるが浮宝(船)がねえ」とか言ってるな。
>>92
すばらしい! 古事記で風の神はシナツヒコとある
伊勢の風宮に祀られているのは級長津彦命、級長戸辺命
龍田大社はシナツヒコとシナツヒメ スサノオが朝鮮からきたらみんな朝鮮になるんだがw捏造して可能性作るのは大昔からそうなんだな
聖徳太子はトルコ人説てきなもんだ基地外 681名無しさん@1周年 2019/04/28(日) 06:51:05.40ID:3oBm95kG0
>>676
『スサノオは髭を抜いて放つとその髭が杉の木になり
胸毛を抜いて放つと檜に、尻毛は槙に、眉毛は樟となった。
これらの樹木を見て、杉と樟は、船を造るのに良し、檜は宮殿
の材料に』
スサノヲは、縄文系日本人として描かれているが、神話上は
朝鮮半島 に渡ったがそこがスサノオの好みに合わず、列島
に帰って来たと記される。
日本の緑の豊かさと朝鮮半島に森林の欠乏が描かれており、
青谷上寺地のDNA解析結果は、そういう際の半島女性の出雲
への持ち帰りの状況をあらわしているのであろう。 682名無しさん@1周年2019/04/28(日) 06:52:44.88ID:8xrkHv2m0
そういや、ヒノキは、日本と台湾にしか分布しない
683名無しさん@1周年2019/04/28(日) 06:55:01.22ID:8xrkHv2m0
スギも、日本固有種
ウンコ半島には、朝鮮総督府が勝手に植えたニダ
696名無しさん@1周年2019/04/28(日) 07:24:07.56ID:V73LBiEW0>>698
在日韓国朝鮮人の頭の中は
デタラメでも大嘘でも妄想でも何でもいいから
自分たちに都合のいいことを広めてしまえば
勝ちだと思ってるキチガイだから
だからいつまで経ってもノーベル賞が取れないんだけどね
698名無しさん@1周年 2019/04/28(日) 07:26:12.84ID:Tkow/OiG0
>>696
そんな奴の笑顔にコロッと騙されて無料で液晶技術を伝授したバカもいた 肉食雑穀で青銅祭祀文化色が薄い
泳ぐの苦手
韓国人はどうやら縄文系でも弥生系でもないようだ 南西諸島や台湾からチョウの
「アサギマダラ」が上天草市大矢野町
維和 1000kmを超す長旅の飛来
まるで縄文時代や弥生時代の日本列島の海人みたい 146名無しさん@1周年2019/11/11(月) 21:53:27.92ID:HkrLNJEj0>>156
>>104
射楯兵主神社の社伝がいつ中世になったんだ?
延喜式にも載っている神社なのに
それに射楯の神こと五十猛が
神功の舵取りを務めたという話は 播磨国風土記にもある
一連のレスは荒唐無稽なのではなく、単に君に知識が足りなかっただけだ
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/171.html
> 神社の祭神については「播磨国風土記」の飾磨郡・因達(いだて)の里の条には
> 「土は中の中なり。右、因達と称(い)ふは、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと) 、韓国(からくに)を平(ことむ)けむと欲(おもほ)して、渡りましし時、
> 御船前(みふなさき)に御(ま)しし伊太代(いだて)の神、此処(ここ)に在(いま)す。故( かれ)、神のみ名(な)に因りて、里(さと)の名と為す」と記載がある。
> この因達の里の伊太代の神は岩波書店「播磨国風土記」の脚注によれば、「航海神。住吉大社神代記に船玉神と見える・・・」とある。
> これによると、因達(いだて)の里(さと) の名は伊太代(いだて)の神の名をつけたという。
> 射楯の神は神功皇后と係わりが深く記載されているので、海人族の神でもあったのであろう。 156名無しさん@1周年2019/11/12(火) 00:10:24.39ID:+qunvZrN0
>>146
[射楯の神こと五十猛が神功の舵取りを務めた]?
播磨国風土記のどこにそんな話があるの?w
159名無しさん@1周年2019/11/12(火) 00:25:44.44ID:+qunvZrN0>>170
飾磨郡因達里の箇所で有名な一節
神功皇后が
「韓国を平けむと欲りして渡りましし時、御舟前の伊太氏の神ここにましき。故、神の名に因りて里の名とす」
この日本の風習の内容も解釈できないとか日本人なのかな?
日本の船には漁船にまで舟玉神というのをまつるわけ
その船玉神に韓国伊太氏という新羅に面する出雲に顕著な神を祀ってる
その神は韓国に対峙して出雲を始め日本国の護りとしての神で有名だけど
もちろん素戔嗚尊の息子神
ちょうど韓半島に向かって綿津見神を対馬から北九州にずらっと朝廷が
並べてるのと同じこと
三韓征伐の時に神功皇后がその息子神を船玉として船の守りに用いたわけだけど
その神が生身の人間に変身して舵取り?
頭おかしいのかな 沖縄では縄文時代以来、貝交易が連綿と続いていてこれが沖縄の古代史の大きな特徴となっている。
九州から出雲や西日本や愛知まで出土する男性の腕輪は大型のゴホウラ貝。
この大きな巻貝は琉球列島のサンゴ礁域に生息している。
弥生時代の貝交易は,北部九州の弥生人が、ゴホウラやイモガイを用いて腕輪を作ろうとしたことに端を発している。
貝交易の対象はゴホウラやイモガイ、ヤコウガイなどサンゴ礁の海に生息する特徴的な大型巻貝で、
サンゴ礁が現在のように島のまわりに完成するのは,弥生時代の頃である。
西北九州型(縄文系弥生人)は、中頭型で顔が低い。
眉の上が隆起する。鼻根部が陥凹し、鼻が高くホリが深い。
身長は男性平均で約158センチ、女性は148センチ程度と低身長。
こちらは福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県の海浜部の土壙(どこう)墓や石棺墓、支石墓から出土する。
糸島新町(福岡)、大友(佐賀)、松原(佐賀)、宮の本(長崎)、沖の原(長崎)、出津(長崎)、深堀(長崎)
浜郷(長崎)、大久保(長崎)、根獅子(長崎)、御領(熊本)、阿高(熊本)、畑中(熊本) >>1
慶野銅鐸などがたくさん出土する松帆から東へ続く倭文という地名が神秘だよね >>195
>日本の船には漁船にまで舟玉神というのをまつるわけ
それは神功皇后が五十猛を舵取りとして勝利した出来事にあやかってるわけ
元々は人間なわけ
>その神が生身の人間に変身して舵取り? 頭おかしいのかな
八幡愚童訓や袋中上人が頭おかしいと?
頭おかしいのは故事にあやかるということを知らない君だよ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
> 『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神
> 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』(愚童訓より)
http://www.genbu.net/saijin/isora.htm
> 袋中上人の『琉球神道記』には「鹿島の明神は。もとはタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。 常州鹿島の海底に居す。
> 一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯のごとし。故に磯良と名付く。 神功皇后、三韓を征し給うときに、九尾六瞬の亀にのりて、九州にきたる。
> 勅によりて、梶取となる。また筑前の鹿の島の明神。和州の春日明神。この鹿島。おなじく磯良の変化なり」とある。 >>194-146
抱腹絶倒したw
戦艦ヤマトに乗せて奉った船玉神は確か倭国造の祖神だったが146の頭の病気のような脳みそではウズ彦が急に操舵室にSF映画のように出現して戦艦ヤマトを操舵してたんだw
もう腹筋崩壊ww
>>198
抱腹絶倒の脳みそはコイツかよw
バカの極みで笑わせてくれてありがとうよww そんな神功皇后の時代に初めて現れた支族が縄文時代からいる海洋民族なわけないじゃん
日本人は縄文時代から八丈島にも沖縄、北海道まで航海してるんだよ。 筑後国一宮・高良大社に伝わる高良玉垂神秘書にも安曇磯良とタケミカヅチやアメノコヤネが同一神であることが記されている
https://pds.exblog.jp/pds/1/201801/09/61/c0222861_21143849.jpg
また、宮城県の磯良神社には坂上田村麻呂が常陸国鹿島郡より磯良明神を勧請したのが創建とされている
西暦804年の時点ですでに安曇磯良=タケミカヅチだということは知られていたようだ
http://www.komainu.org/miyagi/kamigun/isora/isora.html
> 由緒:延暦23年(804)征夷大将軍坂上田村麻呂が東夷征伐のおり、常陸国鹿島郡から磯良明神を勧請しました。
> その先導を務めた川童東右ェ門は一関に永住し、その子孫達により祀られてきました。
> 阿度目神や河童大明神とも言い、通称「おかっぱ様」という名で親しまれています。
これだけ複数の史料が同じことを述べている以上、それは事実と見なければならない
安曇磯良とタケミカヅチは同一人物であり、神武東征よりも前の人物である >>199
反論できないから分かりやすい自演で笑ってごまかすしかないのか
情けない奴だな 【考古学】沖縄に東北地方の縄文土器 2千年以上前、広域交流か
沖縄に東北地方の縄文土器
2千年以上前、広域交流か
沖縄県北谷町の平安山原B遺跡で出土した「亀ケ岡式土器」とみられる土器片
http://nordot-res.cloudinary.com/ch/images/196581584464004598/origin_1.jpg
縄文時代晩期(3千〜二千数百年前)の東北地方を代表する「亀ケ岡式土器」とみられる土器片が、沖縄県北谷町の米軍返還地にある平安山原B遺跡で出土したと24日、同町教育委員会が明らかにした。
沖縄での発見は初めてで、西日本でも出土は限られている。製作地や沖縄に運ばれた背景を巡り、大きな議論を呼びそうだ。町教委は「当時の幅広い交流がうかがえる重要な発見」としている。
亀ケ岡式土器は、沖縄から約2千キロ離れた亀ケ岡石器時代遺跡(青森県つがる市)で出土したことに由来し、工芸品のような精緻な模様や作りが特徴。同じ頃の東北では精巧な漆器や遮光器土偶なども作られた。 >>200
>>75,77,79のとおり、神功は神武より昔の人物だよ ●時代考証がムチャクチャな韓流ドラマ!!
そんな韓流時代劇で歴史の勉強する在日韓国人の皆さん!!
韓国KBS放送
2010年の大河ドラマ『百済の王クンチュワゴン』
4世紀になぜかフィリピンや台湾に国家があり、百済王に朝貢。
倭のヤマタイ国から王女「チング」姫が来るが、
原始人に毛の生えた程度の身なりのため使臣扱いされず門前払い。
しかし百済王の配慮で謁見が叶い、ヤマタイ国の使臣たちは感激
して土下座で臣下にしてくれと懇願。
百済の臣下たちは倭人は海賊ばかりで信用できないと反対するが、
百済王は広い心でヤマタイ国を百済の臣下となることを許す。
4世紀の倭人たちがなぜか稲や鉄器を見て驚き、チング姫は百済で
勉強したいと土下座して懇願。
ヤマタイ王が病没すると、百済の第二王子がチング姫と結婚し、新しい
ヤマタイ王となる。
百済王から、ヤマタイ国に「大和」の国号が与えられ、倭の統一を命じ
られる。大和王となった第二王子は、百済の臣下として倭の統一に
乗り出す。
・・・トホホ、何なの?
この在日韓国朝鮮人の歴史教科書の妄想感・・・・・・・。 >>204
日本中航海してたのは紀元前何千年も前の縄文人なんだよ
そんな弥生なんか新しい。 >>207
血族意識が出来たのが弥生ってことだろう >神功は神武より昔の人物だよ
146、201、202由来の捏造がつぎつぎ暴かれていく >>208
神功は神武より昔の人物とか、もう病院逝け >>210
いくら自演を繰り返しても、君の負けは覆らない >>211
タケミカヅチ=安曇磯良に舵取りを命じた神功が神武より後なわけがない
タケミカヅチの葦原中津国平定は神武東征よりずっと前
病院は君が行くところ >>197
麻布の装束と「わら靴」のスタイルに関係してる日本の古い織だろう
南方系ぽい >>197
ちなみに「南方系貫頭衣」も「着物」も「フンドシ」も「サラシ」
にも共通しているのは
「反物(幅が同じの長い布)でできている」ということ
鉢巻きや女性の頭巾も同じ せいぜい神功皇后の時に居た人をモデルにしてタケミカヅチという神を創作したくらいの事だろ >>204 ID:m5f5qfIG0
さすが息をするように何とらやの現実逃避の誣告ミンジョクは違いますw
◆360以上年前から嘘つき民族
「この国民の誠実、不誠実および勇気について。彼らは盗みをしたり、嘘をついたり、
だましたりする強い傾向があります。彼等をあまり信用してはなりません。」
# 『朝鮮幽囚記』 ヘンドリック・ハメル 1630年-1692年
◆115年前も嘘つき民族
「嘘っぽい理論で結論を下す論法ときたらまったく驚くべきほどです。
自分が正しい場合がほとんどないにもかかわらず、悪びれる様子がほとんどない。」
# 『悲劇の朝鮮』 アーソン・グレブスト アマテラスだって神功皇后あたりをモデルに創作したのかもしれんし 負けを認めたくない狂人がいくら自演を繰り返そうが、五十猛が安曇磯良と同一人物である事実は変わらない
五十猛(イソタケル)=射楯(イタテ)の神にしたって、
安曇磯武良(イソタケラ)=五十迹手(イトテ)
とそっくりそのまま同じ
五十迹手は「伊蘇志」(イソシ)と讃えられたとされるが、五十猛は有功(イサオシ)の神と呼ばれる
どこからどう見たって同一人物そのもの >>220
だから五十猛とか創作だろどう考えても
そんな昔の神は >>218
中身のない中傷に逃げた時点でこいつの負けだな だいたい神武あたりですら実在したかどうか結構怪しいのに >>222
今ひとつ君が何を主張したいのかが分からない
神というのはもちろん創作で実在の人間だろうが、モデルとなった人物がいただろうという話をしているのだが >>226
だからその神は古いのではなくて、神功皇后の頃の実在した人物をモデルに創作しただけじゃないかといってるんだよ スサノオが風の神だったなんて・・・。(;´・ω・)
ひょっとしたら、雨乞いの時に火防の神である秋葉さんに祈るのと同じように、
海が時化ては漁に出れないから風の神に祈ったのかもしれない。 >>228
神功皇后の事績は他国の文献からもほぼ史実と思われるからだよ。
その時代の人物が古い神様と同一視されているのなら、よくわかっている新しい方の人物をモデルにして古い神を創作したと考えるのが自然だろ。 >>ID:m5f5qfIG0 >>214
誰の目にもお前の自演が負けてんじゃん >>230
> 神功皇后の事績は他国の文献からもほぼ史実と思われるからだよ。
具体的にどれのことを言っているんだ? 他国の文献以外にも七支刀や広開土王碑などの物理的遺物もあるのでほぼ史実であろう。 >>220
負けを認めたくない狂人はどう見てもお前だよ
何世紀も前の幽霊が舟を運転してんだもんなあw 葛城襲津彦が朝鮮に外交したとか、七支刀をもらったとかそういう記述だよ
それらは300年代のこととほぼ分かってるんだよ。 >>233
> 他国の文献以外にも七支刀や広開土王碑などの物理的遺物もあるのでほぼ史実であろう。
だからどの文献のこと?
七支刀にも広開土王碑にも神功なんて出てこないけど >>237
事績だよ。神功皇后はでてこないけど、神功皇后紀に書いてある事績は外国の文献にも出てくるんだよ。三国史記とか >>240
尚古王が神功皇后になにか献上したとか
葛城襲津彦が使いに来たとか
七支刀を献上したとか
王子を人質に出したとか つーか
そんな事も知らないで神功皇后は神武以前だとか言ってるのかよ >>235
何世紀も前じゃないんだが
こちらはソースを複数提示しているのに対して結局君は何一つ根拠を示せないね
最も下らない敗者だよ君は 稲荷山古墳とかの鉄剣もあるので
ほぼ神功皇后から雄略天皇あたりつまり300年代400年代は史実とみていいよ。 >>241
具体的にどれとどれか聞いてるんだけど
>>242
認識に齟齬があれば議論しても無意味だから聞いてるんだよ >>245
具体的に書いてるじゃねーかよ
これ以上どう具体的にしろっていうんだよ >>244
鉄剣一本でほぼ史実とか乱暴にも程がある
遣隋使のころの記述でさえ、推古天皇の時代なのに随使が会ったのが男だったり矛盾点があるのに >>247
熊本でも同じような時期の古墳から雄略天皇の鉄剣は出てる。 >>248
日本書紀には年代は書いてない。というより日本書紀の年代は偽っている。
三国史記の事績と照合すると120年ずらすとピッタリ一致する。
つまり神功皇后は300年代のこととなる。 >>230
神功皇后の事績は他国の文献からもほぼ史実だと言いながら
神功皇后が神武よりも前に存在した人だと?
おまけに三韓征伐の300年代後半のモデルのイソラまでが神武の存在とな
完全なキチガイが妄想アピッてもなんの効果もないわな >>249
江田船山古墳の鉄剣は銘文が欠けているはずだが雄略のものであるという証拠は? >>247
細かい矛盾はあるが事績としては両者一致している。
失礼な外交文書を持ってきたとかも一致している。 >>250
だから三国史記のどの事績か聞いてるんだけど >>253
かけている前後の文字が稲荷山と同じだからじゃない? 八十島祭
海神に関する祭な気がするんだよね。
国生み神生み神話とも関係がありそう
天皇の国土支配権の裏付けを企図する祭祀とある。
祭場とされた難波津では生島神・足島神を祀る生國魂神社の鎮座が知られ、八十島祭との関連性が指摘される。
また『延喜式』によれば、八十島祭では難波の地主神たる住吉神四座(住吉大社)・大依羅神四座(大依羅神社)・海神二座(不詳)・垂水神二座(垂水神社)・住道神二座(中臣須牟地神社)にも幣帛が供えられる規定であった。
後鳥羽院の八十島祭にしたがった津守経国の歌。
天の下のどけかるべし。難波潟、田蓑たみのの島に御祓しつれば 津守経国
八十島は、田蓑島のほかに中之島、福島、曽根洲、柴島くにじまなどの地名に残る。
淀川河口の中洲、自ずと固まってできた島、自凝島オノコロ島じゃないか?
おしてるや難波の崎よ出で立ちて 我が国見れば 淡島 自凝島 檳榔の島も見ゆ 放つ島見ゆ仁徳天皇 >>254
女帝のはずが男に会ったのは細かくない
はっきり言えばそのときは推古天皇ではなかったと見るのが妥当
そちらも認識している通り日本書紀は年代を偽っているが、狙って嘘を書いているのが明らかな書の偽りが年代だけと信じる理由はない >>255
さち彦が使いに来た
肖古王がなにか献上した
七支刀を送った。
シマオウという王子がいた
などだよ。 >>256
五文字中二文字じゃな
何より、仮にワカタケルだとしても神功からワカタケルまでの間の記述が事実だと信じる根拠はない >>259
その時の倭国のトップが神功だったなんて書いてないだろ
>>258の通り、事績はあってもトップが違うなんてパターンは十分にある 「韓国を平けむと欲りして渡りましし時、御舟前の伊太氏の神ここにましき。
故、神の名に因りて里の名とす」
伊太氏という神は実在は弥生中期から後期ぽい神なのに上の文章の意味が「神功(4世紀の終わり)の舵取りを務めた実在の人物」とか?
若年アルツハイマーてこういうことを言うのだろう >>262
>>220で教えてあげたのにもう忘れた君がアルツハイマーだろう
若年ではないかもしれないが >>261
なんのメリットがあって事績は本当のことを書いて王のなまえを偽る必要がある? 瀬戸内海は天日槍の渡来ルートでもある
淡路は多賀大社の由来でもあるし色々と面白いな >>264
神功が神武より昔の人物であることを隠すことができる
君みたいに事績部分の一致だけみて神功は4世紀末に違いないと思わせられるだろう >>265
アメノヒボコは淡路でも断られて伊和大神というオオナムチと学者に分析される神と戦して結局は丹後に押し込められた >>265
アメノヒボコの瀬戸内ルートなどは聞いたことがない
事績はまったく残していないからだが >>267
>神功が神武より昔の人物であることを隠すことができる
すさまじいバカが降臨というやつかな >>267
日本書紀は実際より歴史を古く見せかけようと努力して年代を偽ってるのに、なんでわざわざ歴史が古い人を新しい人だと偽らないといけないんだよ。 >>264
そもそも女の指導者は珍しいからそうだとしたら百済側も特記しただろう
魏使倭人伝で女王卑弥呼が特筆されたように
そうなっていない理由を考えるべき >>270
残念だがソースがいくつも上に出ている
馬鹿は自演がバレてないと思ってる君だけ 製塩土器って使い捨てなのかな?
俺の故郷でも大量に出土するよ。 >>271
それはイダテ兵主神社の由来を見て言ってるのか?
播磨での主要な記述は伊和大神との戦だな
袈裟襷の銅鐸が出てる所の近くだから伊和大神をオオナムチと分析する学者が多い 和歌の父母
安積山【アサカヤマ】 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を わが思はなくに
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花
安積と書いてアズミではなくアサカと読む、興味深い
何故なのか?
【堺】に浅香山アサカヤマあり、【福島】にも安積アサカの地名が古くからある
この辺の謎が解けたらいいんだけどね
倭国大乱、葦原中国征伐を経て【父】と【母】の2つの勢力はバラバラになったのか?
サルタヒコを祀る伊勢の阿射加神社と何か関係あるのだろうか?
月待之祓の一節を連想してしまう
掛巻も畏き月弓尊は上絃の大虚を主給ふ
月夜見尊は圓滿の中天を照給ふ
月読尊は下絃の虚空を知食す
父母が出会い圓滿の中天を照らしだがまた別々になったのだろうか?
サルタヒコ、出雲の姫神である幸神と、クナトの神の子。 播磨地方は明石国造などの勢力圏だったとも言われていて垂水の海神社の海人族の拠点でもあったいわてるからアメノヒボコの査問から戦になったともいわれていがな 海人の最大勢力である安曇の居住地を見ると奈良盆地だけぽっかり空白になっている
http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
海から乗り込んできた北部九州の勢力が最後まで手こずったのが山に囲まれた奈良盆地だったということだろう
奈良盆地より先に海から行ける東海を勢力下に置いて、奈良盆地を孤立させた上で土着勢力を降伏させたと見るべきだろうな
土器の状況から見て奈良盆地の勢力と東海勢力は交流が深かったようだから、東海が神武率いる九州海人側についたのは痛かったろう
なにせ東海の尾張氏は北部九州の海人・安曇氏と同じく大綿津見(豊玉彦)を祖神とする氏族なので、東海に対しては武力制圧したわけではなく
元々親戚筋なのであっさり九州側につけることができただろう、あるいは最初から仲間だった可能性さえある
http://img-cdn.jg.jugem.jp/472/1262880/20190718_2587894.png
ちなみに系図の通り安曇は東征した神武天皇ともごく近い親戚筋であるし、後に大和の地を治めた倭国造の祖・珍彦も同祖氏族
ヤマト政権が在地の勢力なら大和の為政者をよそ者の九州人にするはずもなく、最終的には奈良盆地も九州海人の支配下に入ったのは疑念の余地がない >>257
その仁徳天皇の和歌に檳榔の島が歌われているが、ビロウは福岡が北限で瀬戸内海には生えていない
淤能碁呂島は福岡の小呂島
http://zenyamaren.org/yamaren20-027.html
この口語訳は「古事記(講談社学術文庫)」によると以下のとおりになります。
『(おしてるや)難波の崎から、出で立って、わが領有する国をながめると、淡島や島、また檳榔の島も見える。佐気都島も見える。』
注釈には「おしてるや」は難波の枕詞、「淡島はイザナミ・イザナギの二神が国産みの最初に産んだとされる産み損じの島」であり、
オノゴロ島は「神話上の島」、檳榔の島は「空想上の島」であるらしい、さけつ島も「実在の島ではあるまい」としています。
檳榔とはビロウの古名であり、ビロウは熱帯性のヤシ科の植物なので、南九州や四国太平洋岸には自生していても、
淡路島周辺の瀬戸内海には見ることができない植物です。これがネックとなり淡路島周辺のどこを見た風景なのかわからなくなってしまい、
結果「オノゴロ島」も「淡島」も「さけつ島」も全て「実在ではない島」となってしまっています。
ところが、この詩がそもそも淡路島から見て詠われたものではないと仮定して、淤能碁呂嶋候補と言われている島の中から、
自生ビロウが存在する島に絞って考えてみると、以外にこの詩のなぞが解けてくるのです。
淤能碁呂島候補でビロウが自生している島とは、唯一『小呂島』しかありません。 >>280
安曇の同族の振魂系がすでに進出していて葛城西麓の加守や八木や三品流では桜井茶臼山まで進出していたらしい
考古学では唐古鍵と周辺の海人族ならではの線刻画が結構な量出ているのが面白いのだがな >>184
訂正。
×海人族≠漁民ではない
○海人族=漁民ではない
記号を間違えると意味が逆になってしまうんだね。 古代朝鮮からの帰化人ってただの朝鮮人だろ古代朝鮮とか盛るな >>281
福岡の「小呂島」は知らなかったので検索してみた。
壱岐の東にある小島だな。
ビロウの北限や島の位置は面白いんだが、名前が
淤能碁呂志摩(おのごろしま)から変わる理由が欲しい感じ 淡路島は生産拠点として各地域に道具を輸出してた感じだな
石の産地の四国も近いし、瀬戸内海を通じて近畿地方から山陽に広く物を送るのに都合がいい
水路が移動手段だった古代に発展した理由が分かるな 製塩、鍛冶、石器作成、青銅器作成などの拠点として長く活用されているな
集落よりもそういう生産基地として機能してる
機能は地理を見れば不思議も何もないが、どう言った勢力が取り仕切っていたのか気になるな >>9
どうなんだろうな
俺は卑弥呼の居た女王国≠邪馬台国だと思っている
魏志倭人伝には女王国の記述は詳細にあるが邪馬台国という名前は一度しか出てこない
邪馬台国には大した意味が無いんだよ
あれは後から伝聞で付け足した情報に過ぎない 草薙剣が新羅から渡って来たって話があるんだけど、信じる? 淡路で銅鐸が作られなくなった時期が大和で銅鐸が作られなくなった時期と一致するな
いち早く銅鐸から撤退してる地域との連動が考えられる >>293
いや、『熱田宮朱鳥官符』に書いてあるんだよ。 検索したが大嘘だったんだがそんな捏造話すぐバレるのになんでするのかな··· >>101
宗像教授によるとヤマタノオロチ神話はヒッタイト由来でインドを経由して伝わったのではないかという話だったが >>285
同じ福岡の能古島(ノコのしま)と小呂島(オロのしま)を合わせてオノコロ島だという説を聞いたことがある >>298
オノコロ島
御ノコロ島
ノコロ島
ノコノ島
能古島
古語のロは現代後のノだな。 俺の地元の海人族ゆかりの集落には新羅からの移民伝説があるんだ。
その集落には肌の浅黒い人と肌の白い人がいるんだけど、たぶん肌の浅黒い人が海人族の子孫だと思う。 神話の天界から地界への移動は(国生み神話)この辺りから始まるから古代の重要地で
あることは間違いない >>300
何処の地元?
伝説なら紹介しろよ
さもないとえてしてそういう述べ方の奴は嘘や願望を書くだけの奴とか
無知全能病の願望誘導の輩がいるからな >>293
日本の場合は先ず記紀に当たってその次は先代旧事本記や新撰姓氏録とかなど
それぞれの神社の持ってる由来器みたいなものは特別に扱う
ああ、そうなんだとね
そういうのが上にもあるね
何百ある一例だけど例えそのやり方だと日本中は徐福だらけで富士山王朝にもいたことになって
飛騨高山には神武天皇商人もダメ出しもできる王がいて日高見王国には蝦夷王朝がある
出雲も風土記を斜め読みすればその大和王朝と違う独立した存在したとなってしまう
比較的正直に伝承していそうな宇佐のものを使えば三輪氏は在来古族ではなく」なってしまうし
旧事本紀をその通り読めば八木氏など位起の筋は皇室に最も近い筋となり日向時代の妃を
みるとその海人筋の者が神武天皇と置き換わってしまいさらには蛭子神の貴種の舞い戻りの
話が復活してヒルメとヒルコの鈿女と猿田彦の姫彦の作業仮説などが過大に生まれてしまい
さらには天村雲の実在性の考え方によって外宮が内宮よりも上位という考え方も発生してしまう
ただ今例えばで言った後半部は文献史学で使われる一級資料でその中でもこれだけ生まれから >>294
当時武器に関してはほとんど朝鮮製だよ。
日本は祭祀用ばかりだ。銅鐸とか祭祀用の鉾とか >>300
その千年超えてどんな血が入っているのかわからんレベルなのに知ったふうに判断するのやめとけ 海人族がなんで朝鮮人だと思うんだ
朝鮮人は古墳時代に恐くて海を渡れなかったのに だいたい朝鮮人が海人族なら対馬壱岐は朝鮮領になってないとおかしいだろ 海人族は明らかに縄文時代から日本にいるよ。
縄文土器やら黒曜石やら八丈島や北海道、沖縄で発掘されるんだよ 倭人の倭は中国では刺青の意味
中国南方の刺青をしている海洋民族も倭人と書かれている
サメ除けに顔に蛇の刺青を入れていた
蛇を祀る三輪氏も海人族で九州から東征して居を構えた場所を三輪山とした
新羅から戻って来たスサノオは蛇から政権を奪取している >>302
>>302
渥美の伝説 鶴鵡石の由来 東三河を歩こう
ttp://www.net-plaza.org/KANKO/tahara/sizen/oumuseki/densetsu.html
どうぞ。
「鶴鵡石」になっているけど、正しくは「鸚鵡石」。
ここに出てくる「異国」というのは新羅のことだよ。 >>302
アンカーを2つ付けちゃった。ごめん。(´・ω・`) >>305
純血にこだわるなら近親婚するしかないね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています