0001シャチ ★
2019/11/10(日) 22:34:56.21ID:X9tkWQ1T9ロシアの首都モスクワ西部にある勝利博物館(Victory Museum)では、AK47の特別展が開催されており、若い士官候補生ら来場者が銃を組み立てたり、自撮りをしたりしていた。同博物館のアレクサンドル・エルマコフ(Alexander Yermakov)副館長は、カラシニコフの物語が「次世代のカラシニコフ」を刺激することを期待していると話す。
2013年に94歳で亡くなったカラシニコフ氏は、ロシアの国民的英雄であり、軍の栄光の歴史の象徴だと考えられている。旧ソビエト連邦時代にはあらゆる主要な賞を受賞し、2009年にはロシア政府から市民に授与される最高の栄誉称号である「ロシア連邦英雄(Hero of Russia)」を授与された。
■全世界で1億丁以上
カラシニコフ氏は1919年11月10日、シベリア(Shiberia)の村に生まれた。父親がクラーク(富農)と認定され、追放されるなど悲劇的な幼少時代を送った。1941年にナチス・ドイツ(Nazi)との戦いで負傷し、療養した。この時にAK47の設計アイデアを思い付いた。1945年にコンペティションに試作品を出品、その後、ソ連軍で使用する武器として推薦された。操作が簡単なことと低価格、耐久性、信頼性が評価され、AK47は急速に重用されるようになった。
AK47という名称は「カラシニコフの自動小銃」の頭文字「AK」と、完成した年である1947年の「47」を組み合わせている。これまでに全世界で1億丁以上が販売され、イラクやソマリアなど約50か国の軍隊で採用されている。
■晩年の苦悩
カラシニコフ氏は、AK47を設計したのは「祖国の国境防衛」のためだと話していた。だが、ジャーナリスト、C・J・チバーズ(C.J. Chivers)の著書「The Gun」によると、ソ連がAK47を初めて国際的に使用したのは1953年の東ベルリン暴動の鎮圧のためだった。また、1956年のハンガリー動乱の鎮圧にも使われたという。(以下ソースで)
11/10(日) 11:03配信AFP=時事
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191110-00000008-jij_afp-int
画像 自動小銃AK47の初期型を持つミハイル・カラシニコフ氏(2007年7月6日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News
https://amd.c.yimg.jp/im_siggry4HM.Ww.BN_K4j_XiQJSg---x702-y900-q90-exp3h-pril/amd/20191110-00000008-jij_afp-000-7-view.jpg