読むに堪えない罵詈雑言がはびこるインターネットの世界。意見や表現をめぐり「炎上」という言葉が目立つようになって久しい。自由にものを言えるはずのネット上では、SNSなどを通した過激な意見同士の殴り合いが日常茶飯事で、人々の分断は深まるばかり。安倍政権の対韓輸出管理や、日本赤十字社がポスターで採用した女性のアニメキャラクターの是非をめぐるネット論争は、最近の顕著な例だろう。しかし、驚くべきことに、ネットの世界ではむしろ穏健な人が増えている。10万人の調査で分かったのは、意外な結果だった。どういうことなのか。『ネットは社会を分断しない』(角川新書)の著者の一人、慶応大経済学部の田中辰雄教授(計量経済学)に、解説してもらった。

■「ネトウヨ」「パヨク」過激な意見の応酬
 ネット草創期の人々は、ネットは人々の相互理解を促進し、社会を良くするだろうと期待していた。しかし、現実に私たちが手にしたのは罵倒と中傷の飛び交う荒れ果てた世界である。ネットで目にするのは、政治的に極端な意見の人たちが「ネトウヨ」(ネット右翼)や「パヨク」(左翼のネットスラング)とお互いにレッテルを貼り、攻撃を繰り返す風景ばかりで、相互理解が深まるようには見えない。ネットのなかで社会は二つの勢力に分断されてしまったかのようである。
 そもそも、ネットでは自分の好きな情報だけを見ることができるので、意見が偏りやすいと言われる。新聞やテレビでは情報はセットで提供され、ある話題について賛成意見にも反対意見にも触れることができる。しかし、ネットでは自分と同じ意見の人をフォローし、同じ意見の人とSNSで友人となり、気にいったブログだけ読むことで、自分と同じ意見にだけに接するようにすることができる。人が自分と似た意見の相手を選ぶことを「選択的接触」と呼ぶが、ネットではこの選択的接触がこれまでよりはるかに簡単にできるのである。自分と異なる意見に触れることなく、同じ意見にばかり接していると視野が狭くなり、意見は極端化しやすい。
 したがって、人がネットで情報収集や意見形成をはじめると、視野の狭い極端な意見が増え、社会は分断されていくことになるとされる。分断された個人は意見が異なり過ぎ、過激になっているために相互理解が困難であり、罵倒と中傷の応酬を引き起こす。これは民主主義にとって望ましいことではない。この分断の懸念は最近、陰に陽に指摘されるようになってきた。ネットは社会を分断し、民主主義を危うくするのではないか、と。
 しかしながら、事実を詳細に分析すると、そうとも言えないということが分かってきた。ネットは社会を分断しないというのである。


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2019/11/20 07:00 (JST)
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