今後30年以内に70〜80%の高い確率で起こりうる南海トラフ地震について、産業総合研究所と静岡県立磐田南高校のチームは、震源域の東側にあたる静岡県西部で、7世紀末と9世紀末に未知の南海トラフ地震が発生していたことを裏付ける津波の痕跡を発見した。
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■南海地震と東海地震とは

南海トラフで過去に起こった大地震を知るためには、これまで古文書など歴史記録にもとづいて調査が行われてきたが、現存する史料には時代や地域ごとに質や量の面で差があり、解明されていない空白の期間がある。

 また、一言で南海トラフ地震といっても、その震源域や揺れの範囲はさまざまに異なるため、かつては紀伊半島の東と西で、東海地震と南海地震というふうに分けて考えていたが、現在はフィリピン海プレートが日本列島の下に沈み込む南海トラフ全体を1つの領域としてとらえる考え方が主流になっている。

 こうしたなか、産総研の藤原治副研究部門長と磐田南高校の青島晃教諭のチームは、静岡県西部を流れる太田川で、河川の拡幅工事によって出現した長さ1キロ、深さ4メートルに及ぶ地層断面に着目し、津波堆積物の調査を実施。
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■県立高校の先生が野外調査中に発見

太田川低地は、東海地震の震源域の上に位置し、低湿地帯の軟弱地盤であるため、農耕に適さず、古い地層がそのままの姿で残っている。3年間に及ぶ調査の結果、4つの津波堆積物が見つかり、その中には川の砂には含まれていない海の「ザクロ石」が多く含まれていることがわかった。



 さらに津波堆積物は、少なくとも海岸線から2キロ以上、内陸側に分布していることから、高潮を上回る大津波が何度も繰り返し遡上(そじょう)していた可能性も判明。


■南海地震と東海地震が連動

4回の津波で運ばれた堆積物の年代を分析した結果、最も古いのは7世紀末、次いで9世紀末、11〜12世紀、15世紀後半〜17世紀初頭だと推定された。新しい時代のふたつは、歴史記録と照らし合わせて、それぞれ「1096年の永長地震」と「1498年の明応地震」による津波と結びけた。


 しかし、それ以前に東海地震が起きた歴史記録は無いことから、9世紀末の津波については、「887年の南海地震(仁和地震)」と連動して、東海地震も発生していたことと推測。7世紀末の津波については、684年の南海地震と同時かどうかはわからないものの、その近い時期に未知の東海地震が発生していた痕跡であると結論付けられた。

 これまでの研究結果と合わせると、過去1300年間で、南海地震と東海地震が同時発生したことは、887年の仁和地震と「1707年の宝永地震」の2回。その他にも、「1361年7月の正平地震」と「1854年12月の安政南海地震」のように2日から数年程度の間隔で起きているという。

 研究チームは、「南海トラフ巨大地震の発生時期や規模を推定するうえで役立つ発見だ」として、今後はそれぞれの地震の規模や津波の遡上範囲の特定を進めるとともに、遠州灘周辺で起きた地震に伴う海岸の隆起や沈降が起きた範囲の復元を目指すとしている。


 なおこの研究成果は18日、科学誌『クォータナリー・サイエンス・レビュー』に掲載された。
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https://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/3/2/32065.html