先日、NHKは「第70回NHK紅白歌合戦」の出場歌手と曲目を発表した。石川さゆりは42回目の出場で、今回は青函連絡船を描いた名曲「津軽海峡・冬景色」を歌うことになった。12/24(火) 6:30



石川は、1977年に紅白歌合戦に初出場し、そのときも「津軽海峡・冬景色」を歌っている。2007年からは「天城越え」と「津軽海峡・冬景色」を交互に歌っているという状態になっており、
近年では石川の熱唱が、一年を締めくくるにあたっての恒例行事のようになっている。

石川の熱唱が胸にこみ上げるものを感じさせ、まざまざと情景を思い起こさせる。たとえ青函連絡船の記憶がない人でさえもだ。

では、この「津軽海峡・冬景色」で歌われる上野発の夜行列車とは、どんなものだったのか。

早朝、青森着の列車は?

上野発青森行の列車にもいろいろある。1977年に発売されたときには、上野を出て青森に向かい、青函連絡船に接続する列車は多くあった。

夜行・昼行含め格式が高かったのは「はつかり」という上野を午後に発車する特急列車で、深夜の青函連絡船に接続、函館からは釧路行の「おおぞら」に接続する。

しかし、これは晴れがましく移動する人のための列車であり、決してわけのある人が乗るものではない。もちろん、夜行列車でもない。

「津軽海峡・冬景色」で歌われている状況というのは、恋に破れたか、離婚をしたかという女性が、夜行でふるさとの北海道に帰る、というものだ。

そして青森駅はまだ薄暗く、夜行列車を降りた人が言葉なく青函連絡船に急いでいる。
そうなると、青森駅早朝着の列車ということになるだろう。

その条件を満たすのは、19時台後半〜20時ころの「ゆうづる1号・2号」の2本だろう。どちらも583系寝台電車を利用した特急である。
なお、当時は東京と北海道の間での夜行需要が多く、平行ダイヤで速達性の高い夜行寝台電車特急が運行されていた。また、現在のように下り列車が奇数、上り列車が偶数ということもなかった。

この2本の列車は、同じ青函連絡船3便に接続する。「ゆうづる1号」が早く着くため、ゆったりと連絡線に乗りこめるのに対し、「ゆうづる2号」は少し急がなくてはならない。
早くから予約する人は連絡船の接続も考えて「ゆうづる1号」を予約するだろう。わけがあり、未練もあり、それを断ち切ろうとして帰る人の場合、直前になって「ゆうづる2号」のきっぷを買うということも考えられる。
こういう場合、583系寝台電車の中段の寝台券しか残っていなかった、ということもありうる。もちろん、青函連絡船も普通の船室である。

そうなるともっと遅い時間の「ゆうづる」や「はくつる」、夜行急行の「八甲田」であってもいいのではないか、という考えもあるのだが、函館についてからの接続というものもある。

函館についてからどこに行ったのか

この歌では、連絡船が函館に着いてから先のことは歌われていない。接続していたのは、釧路行の「おおぞら」。
札幌までの旅なら、もっと遅い時間の夜行列車でもよかったはずだ。
しかし早朝青森着の列車を選んだとなると、札幌より先まで帰る必要があったということになる。

当時の北海道のダイヤは、札幌ではなく函館中心のダイヤであり、青函連絡船から接続して道内各地に移動するということが想定されていた。
現在は札幌〜釧路間を運行している「おおぞら」もこの時代は函館〜釧路間をキハ82系により運行し、食堂車も連結されていた。
また当時の「おおぞら」では石勝線は開通しておらず、滝川から根室本線に入り、富良野を経由して帯広・釧路へと向かっていた。
少なくとも札幌より遠くに帰らなければならない、ということで早朝の青森駅に降り立つという設定になったのだろう。


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津軽海峡冬景色

https://news.yahoo.co.jp/byline/kobayashitakuya/20191224-00156007/