【鉄道】青函連絡船を歌った石川さゆり「津軽海峡・冬景色」で登場した上野発の夜行列車とは? ★2
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
先日、NHKは「第70回NHK紅白歌合戦」の出場歌手と曲目を発表した。石川さゆりは42回目の出場で、今回は青函連絡船を描いた名曲「津軽海峡・冬景色」を歌うことになった。12/24(火) 6:30
石川は、1977年に紅白歌合戦に初出場し、そのときも「津軽海峡・冬景色」を歌っている。2007年からは「天城越え」と「津軽海峡・冬景色」を交互に歌っているという状態になっており、
近年では石川の熱唱が、一年を締めくくるにあたっての恒例行事のようになっている。
石川の熱唱が胸にこみ上げるものを感じさせ、まざまざと情景を思い起こさせる。たとえ青函連絡船の記憶がない人でさえもだ。
では、この「津軽海峡・冬景色」で歌われる上野発の夜行列車とは、どんなものだったのか。
早朝、青森着の列車は?
上野発青森行の列車にもいろいろある。1977年に発売されたときには、上野を出て青森に向かい、青函連絡船に接続する列車は多くあった。
夜行・昼行含め格式が高かったのは「はつかり」という上野を午後に発車する特急列車で、深夜の青函連絡船に接続、函館からは釧路行の「おおぞら」に接続する。
しかし、これは晴れがましく移動する人のための列車であり、決してわけのある人が乗るものではない。もちろん、夜行列車でもない。
「津軽海峡・冬景色」で歌われている状況というのは、恋に破れたか、離婚をしたかという女性が、夜行でふるさとの北海道に帰る、というものだ。
そして青森駅はまだ薄暗く、夜行列車を降りた人が言葉なく青函連絡船に急いでいる。
そうなると、青森駅早朝着の列車ということになるだろう。
その条件を満たすのは、19時台後半〜20時ころの「ゆうづる1号・2号」の2本だろう。どちらも583系寝台電車を利用した特急である。
なお、当時は東京と北海道の間での夜行需要が多く、平行ダイヤで速達性の高い夜行寝台電車特急が運行されていた。また、現在のように下り列車が奇数、上り列車が偶数ということもなかった。
この2本の列車は、同じ青函連絡船3便に接続する。「ゆうづる1号」が早く着くため、ゆったりと連絡線に乗りこめるのに対し、「ゆうづる2号」は少し急がなくてはならない。
早くから予約する人は連絡船の接続も考えて「ゆうづる1号」を予約するだろう。わけがあり、未練もあり、それを断ち切ろうとして帰る人の場合、直前になって「ゆうづる2号」のきっぷを買うということも考えられる。
こういう場合、583系寝台電車の中段の寝台券しか残っていなかった、ということもありうる。もちろん、青函連絡船も普通の船室である。
そうなるともっと遅い時間の「ゆうづる」や「はくつる」、夜行急行の「八甲田」であってもいいのではないか、という考えもあるのだが、函館についてからの接続というものもある。
函館についてからどこに行ったのか
この歌では、連絡船が函館に着いてから先のことは歌われていない。接続していたのは、釧路行の「おおぞら」。
札幌までの旅なら、もっと遅い時間の夜行列車でもよかったはずだ。
しかし早朝青森着の列車を選んだとなると、札幌より先まで帰る必要があったということになる。
当時の北海道のダイヤは、札幌ではなく函館中心のダイヤであり、青函連絡船から接続して道内各地に移動するということが想定されていた。
現在は札幌〜釧路間を運行している「おおぞら」もこの時代は函館〜釧路間をキハ82系により運行し、食堂車も連結されていた。
また当時の「おおぞら」では石勝線は開通しておらず、滝川から根室本線に入り、富良野を経由して帯広・釧路へと向かっていた。
少なくとも札幌より遠くに帰らなければならない、ということで早朝の青森駅に降り立つという設定になったのだろう。
https://i.pinimg.com/originals/bf/60/9b/bf609b17f6e1ce79ee7790a8c491f2e0.jpg
https://i.ytimg.com/vi/K_vdXpIu3II/hqdefault.jpg
http://cortina.hakuba.ne.jp/~natsume/album/seikan/hyouji.JPG
http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/cea38043cdf4fdefd0994ebc6197c31fe4997b9e.87.2.9.2.jpeg
https://kotobank.jp/image/dictionary/daijisen/media/106393.jpg
http://www.uraken.net/rail/pastr/daikiti/scan391.jpg
https://pbs.twimg.com/media/BkYC3lTCUAABXM2.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=1oeTz_zocC0
津軽海峡冬景色
https://news.yahoo.co.jp/byline/kobayashitakuya/20191224-00156007/
前スレ 2019/12/24(火) 16:53
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1577174004/ 福島から東京に出稼ぎに来たときは上野で降りたな
四男だから仕方なくだったが、高校でてすぐ親元離れて寂しく思ったものだ
上野駅にいくと今でもあの頃を思い出す 電車寝台特急じゃ風情が無いだろ
客車座席急行ならいいが 今なら
成田発のLCC降りたときから〜
になるのか このオバさん人生イージーモードすぎる
大晦日に津軽海峡と天城越えを交互に歌うだけの人生
それでガッポリ収入が入ってくる 今の青森駅の終わった感、手遅れ感は異常
連絡船無くなった後もあの場所に居座ったから自業自得だが 昔の上野駅のトイレの近くにあった焼きそば屋の焼きそばをもう一度食いたい
青森帰る前に必ず食ってた 大都会だか西部警察で
両国発鹿島神宮行き夜行列車に
犯人が乗ってる って
無茶な設定の話があったな 583じゃイメージと合わんなあ
やっぱ客車じゃないと はくつるでもゆうづるでもあけぼのでも八甲田でも津軽でも十和田でもなんでもいいけど、
そんなのを真剣に考えないといけないくらい暇なのかな、この記事書いた人は? https://youtu.be/EaO34I_VJdk
何でこんな変な電車走ってんだ?
思った記憶w
石川繋がり 体のあちこちにある性感帯は神経で繋がっている。
これを医学用語では性感連絡線という。 まさかの2スレ目w
この歌聴いて函館駅で
中島みゆきの「ホームにて」が流れたら慟哭(´;ω;`) 「上野発の夜行列車、1978年10月7日の夜は46本もあった」
このサイトを見つけた時はなぜか感動したわ 上野13番線のトイレで
掘られちゃって
呆然と青森行きに
乗り込む話だろ 八甲田で連絡船乗って札幌でこの通りだなと思ったものだが 実質的に昭和の思い出スレになってるな
平成生まれ置いてけぼり 「津軽海峡冬景色」発売後に石川さゆり青森市民会館でのコンサートに行った。
客は前から10列目位までしか入って無かった。
爆発的にヒットしたのはその何ヶ月後。 >>49
正月にかろうじて見た記憶があるなあ
靴磨きは結構記憶に残ってるや 届かぬならば、伝えてカモメってのもあったな
みれん純情日本海だったか >>56
郷愁があってなんとなく安心する
悪く言えば田舎臭いってことだが 鉄道板で秀逸な替え歌があってワロタ
「秋田発の701系降りたときから〜」ってやつw >>21
山下達郎なんて歌わなくても12月の1ヶ月だけで1年暮らせるんだぞ 連絡船があった頃の日本の方が旅情、味わいがあったなあ
北斗星、カシオペアはトンネル経由だが寝台特急、
急行はまなすもあった
今は新幹線だから
速いけどそれだけという カモメ見て涙するなんてオホークツ沿岸あたりの出身かな 子供の頃、田舎から東京に行った時、靴磨きさんがいて可哀想で泣いた。 バブル期の津軽海峡・冬景色はカシオペアか
寝てる間に通り過ぎる >>68
早いのは便利だからしょうがない
「急行さつま」なんて東京〜鹿児島を24時間かけて運行してたんだし むかし、そういうボードゲームあったな
兄貴と擦り切れるほど遊んだよ ホームにワイヤーが貼ってあり、そこに行き先やら車両番号のボードがプラ下がってる光景を思い出した
みどりの窓口で乗車券買うときは穴空いたボードをパッタンパッタンして棒を刺してたなw ♪北へ帰る人の群れは誰も無口で
あの歌は大嘘だぞ
青函連絡船は駅にいるときからメッチャ賑やかで陽気な雰囲気だった
連絡船には椅子席と座敷席があって
だいたいみんな酒買って座敷席に乗る
グループの客はグループごとに小宴会が始まる
楽しかったな >>73
本当に凍えるのなら皆実へ越冬しにいくでしょ >>75
少なくともスーパー白鳥と比べたら、車内環境諸々快適になってるから戻りたいなどとは思わんな <機|荷/〒|A寝|B寝|B寝|G|食|自|自|自|自|〜
こんな夜行急行で年末里帰りしてえ。酒やら弁当買い込んで。。もちろん自由席でネットしながらw あけぼの じゃないのかよ。1970年からだから時代は合ってるぞ これがもし高級寝台特急の敷島だったりなんかしたら興醒めだな
まあ当時まだそんなもん存在しなかったが だるまストーブで熱燗つけながらイカを炙ったりしてたかな、
これ食べなって漬物とかおにぎりをくれるお母さんとかいたかな、
一人窓から暗い荒れた海を見ていた訳あり風のお姉さんいたかな、 >>54
その当時は、石川さゆりって演歌歌手のイメージじゃなかったのかもな。 ごらんあれが竜飛岬北の外れと
北海道からみれば南国 某お嬢様学校(と呼ばれている)に通っていたけど
修学旅行先の北海道まで、上野発の夜行列車に乗って
青函連絡船で津軽海峡を渡ったよ。
懐かしいなぁ〜 >>61
木古内から先に進めなくなって野宿する設定だったよなw
「風の音がヲタをゆする氏ねとばかりに〜」 >>78
阿久悠先生のファンタジーを楽しめるかどうかだな。
なまじ現地を知っていると楽しめないようだな。 定期あけぼの廃止後の臨時あけぼのに乗った。おっちゃん2人組と仲良くなって酒とか寿司とかいっぱいご馳走になったのは良い思い出 >>98
聖心かフェリス以外はお嬢様学校とは認めない 連絡船から見るイカ釣り漁船の漁火が幻想的で夜通し眺めてたわ 連絡船は無くなったけど、フェリーも良いな
今度は函館から大間に出て、帰りに下風呂温泉で投宿したい
あそこのお湯はすごいから 何年か前に紅白で歌ったとき歌詞が出てたの見るまで30年くらいずっと上野発の蛇行列車と思ってたわ >>103
夜行というか寝台特急列車は定期列車だとサンライズ出雲とサンライズ瀬戸しか存在しない
つまり上野発はありませぬ 修学旅行で青函連絡船に乗って札幌迄行ったな
そのあと青函トンネル開通の日に青函連絡船で往復
結局青函トンネルはいまだにくぐってない 東北のイメージは北海道より暗い
これは上野から青森までの車内が侘しいっていう歌で
青函連絡船を降りたらきっと彼女の悲しみは消えるのよ 昔モトトレインと言う急行で上野から函館まで行ったぞ 歌詞から浮かぶのは八甲田だな
負け犬の女が寝台特急に乗るなんて、とんでもない >>114
俺40歳だけど、昭和60年頃は東急東横線でも非冷房車があった
まだまだそんな時代だぞ 今や東京から北海道って言えば飛行機の方が安いもんな
成田発のLCC降りた時から〜じゃ情緒もあったもんじゃねえ 夜行列車にノスタルジーは感じるが、実際運行させてもマニアしか乗らないんだろうな
寝台ならいいけど、一般席は苦行だからなw >>123
高齢者がPCでネットを使いこなしているというふうに
肯定的に見ましょう >>127
井の頭線も緑ガエルと言われた電車が非冷房車で扇風機がグルグルしてた
床はフローリングw
当時はバスの床もチーク材だったな >>69
>カモメ見て涙するなんてオホークツ沿岸あたりの出身かな
オホーツク沿岸出身だがカモメにゃなんとも思わん
ハクチョウがロシアから鳴きながら飛んでくるととうとう冬だなあと思う
氷が来たら真冬だが冬も折り返しだなと思う
氷が帰ったら春がきたなと思う >>135
日本海を除けば青森着の夜行列車はすべて上野発だし >>134
バスの板張りは覚えてないな
運賃子供15円の記憶はあるが 初めてテレビでみたとき東京のやつらの勝手なイメージ押し売りだと思って
うんざりしたわ >>125
急行八甲田か
学生のころ金無くて実家に帰るのに乗ったことがある
青森まであまりにも時間がかかって1回で懲りたわ ブルトレを夜行列車とは言わないよ
さゆりの歌の当時はね
夜行列車とは座席急行のことだな
八甲田とか >>132
俺の母(81歳)は年賀状印刷をネット注文してたぞ。 >>130
新幹線ですら苦行とか言う人いるくらいだし
夜行列車なんて耐えられんな >>128
茶色で前がでっぱっているやつだよな、年がわかってしまう >>139
板張り、2段ステップが昭和50年代
ゴム張り、一段ステップが昭和60年代 ブルトレでさえ夜行列車とは言わない
ましてや583系電車を夜行列車とは絶対言わない >>130
でも今でも夜行の高速バスはそれなりの需要がある。
だから座席での車中泊そのものが敬遠されているわけでもない。
やはり列車の料金の割高感が問題なのだろうな。 去年の年末、早朝の成田行きの車内で
スーツケース持ったおっさんの携帯が鳴り
よく聞いたら別れ話をして
最後にあばよ!と叫んでいた
帰省とともに破局する人は多い
さすが阿久悠はよく知ってる >>127
地下鉄も非冷房車があった
銀座線が田原町のあたりで一瞬停電した 青函連絡船って列車まで積み込んでたんだな。
正直すごいなと。 特急も寝台車もブルジョワだろ
EF57で牽引する客車急行八甲田しかない 子供の頃新幹線ができる前はこれに乗って母親の実家に行ってた
席が直角だから子供でも辛かったけど
みんな大量のお土産を持って乗っていて
子供ながらに故郷への想いみたいなのを感じたなぁ 青森駅もすっかり寂れてしまったな。特に北海道新幹線開業後は
今じゃほとんど2両編成の電車ばかりで、たまに4両編成の特急や観光列車
ホームの連絡船側が途中から立ち入りできなくなってる そもそも完全な事実に基づき歌が作られていると
考えることに無理がある
歌は想像の世界だろ >>143
北海道周遊券で行くのに特急乗れないから、八甲田で行くしかなかったし、大人気なので早めに上野に行って並ばないと席がなく床に寝るはめになった 日本史の現代史を教える時にはこの歌の歌詞が参考になる
大晦日に歌うから見とけよと。 そもそも早朝ともいっとらんで
夜行急行の遅いやつなんて青森着は昼近いのもあったし あまりにも演歌の話題が出るんで坂本冬美の
また君に恋してる聞いてしまったわ >>163
>そして青森駅はまだ薄暗く、夜行列車を降りた人が言葉なく青函連絡船に急いでいる。
>そうなると、青森駅早朝着の列車ということになるだろう。 >>152
コストの問題
バスは低コストだからな
リクライニングシートの夜行列車が運行したら嬉しいが 昔は上野発青森行きの普通列車もあったよな
11:08 111レ
20:50 113レ
22:45 411レ
青森まで24時間の難行苦行 >>163
津軽やあけぼのは寝台を折りたたんで青森に着くころには全席座席車になっていたしな。 洞爺丸の沈没から、青函連絡船乗船票に名前と住所電話番号を記入することになった >>146
142は最短の会話4往復だよ
A どこ行くの?
B 温泉へ
A 誰と?
B 貴方と
A 私と!?
B ダメ?
A ま、いっか
B それでは
最短の会話は、
A け
B く >>152
停電した時、ドアのあたりに付いてる白熱灯の明かりに切り替わらなかったか?
記憶違いかな 青森駅に早めに着いて、ちょっこし浅虫温泉で、とか裏技なんだよね 鈍行はひどいぞ座席は木だ木w
秋田で(奥羽本線)時間調整ですって30分放置されてると
オレ何してんだったっけという静寂 >>130
いつか乗りたいと思っていたまんま
乗らないまま時代が終わってしまった >>1
そういう雪国の唄を歌っている石川さゆりは、
九州の熊本出身
水前寺清子とか八代亜紀とか森高千里とかと同じ 1977年なら747SRやL-1011が千歳まで(新千歳ではない)飛んでいたが
それでも鉄道利用者のほうが多かったんだろうか >>181
今はまちなか温泉と地下の市場でのっけ盛り >>167
「青森駅は雪の中」であって
青森駅が薄暗いなんて描写は無いでしょ
カモメは明るいうちしか飛ばないから
青函連絡船に乗っているのは昼間の時間帯 >>173
曲を聞いてみよう
聞き終わったら、吉幾三の「酒持ってこい」も聞け >>177
何年か前に乗ったがリクライニングしない4人席だったぞ、、
あれ、リクライニング席もあるの? 吉幾三の「追いかけて雪国」も同じ趣の名曲だけど
吉幾三の風貌による理由で
吉幾三が作った曲に思えないんだよなぁ。 >>155
丸ノ内線の中野坂上方南町の盲腸線も中野坂上新中野の本線から外れる時に
車内照明が落ちて非常灯が点いてたな >>145
昭和13年生まれかいな
早生まれじゃなければ小学1年生の夏休み後からも
戦後で、戦後教育を受けて育ったという意味では戦後世代かもね
もうすぐほとんど戦後世代の時代だな >>190
20時間かけて苫小牧までいくやつか
どうなんだろうね
サンフラワーサンフラワーって歌がしつこかった 列車と連絡船のままだったらグレタさんに叱られる事もない
トンネルも新幹線も飛行機も温暖化を進め、
今札幌で積雪無いだろ? >>186
昔は飛行機の運賃って高かったんじゃないかな? >>198
SLでモクモク煙出してるやつを見たらブチ切れるのかな >>58
靴磨きってわりと最近までいたからな。
平成初期にはまだ一杯いた >>186
俺が小学生の頃だな夏休みしか知らんが
恐ろしいほど青森駅は混んでた様な気がする
窓開けてたら当時北海道に大学生が行くのが
流行ってたらしく列車の窓から4人の学生に
乗り込まれて母親がびっくりしてたのを思い出す >>186
北海道立体ワイド周遊券などという中途半端な商品もあったな。
宮脇俊三以外に使っている人を見たことがない。 >>191
進行方向に旋回できる2人掛けのリクライニングシートだった記憶があるよ
もう10年以上前になるかもしれないけど 「津軽海峡冬景色」と対をなす森進一の「襟裳岬」はもう紅白で聞けないのかな? 普通に急行八甲田だろうと思っていたが。
演歌なら旧客43に自由席のイメージ。
間違っても12系じゃないし,ブルートレインなんてもってのほか。
まあ10系は許す。 >>208
好きな歌だけどもめてまで聴きたくはないな
おふくろさんもいい歌だけど、襟裳岬も年末じゃないし >>206
懐かしいw
おみくじくらうの大きさの券にパンチ穴開けるんだよな >>204
1センチ2センチとかだよね、これからドカっと降るかもだが >>199
そうだった…
運賃一律でせいぜい株主優待とスカイメイトが5割引きだったな >>203
旅行者をカニ族と言っていた時代の話かな >>211
沢田知可子のあ遺体は著作権問題クリアになったのかな? >>196
それとは違うよ
14時間ぐらいかな
東京から1万ぐらいで行ける
出稼ぎの人なら夜行フェリーが現実的 >>155
地下鉄の完全冷房化は平成の10年以降じゃなかったか?
平成の初めころ東西線直通に吉祥寺から乗って、
中野から地下に入る時に冷房を切られた記憶がある 青森とか青函連絡船が暗いものだというデタラメを全国に普及した石川さゆりは万死に値する
この歌が青森や北海道に対してネガティブな印象を与えたことのマイナス面は計り知れない
東京一極集中を促す要因にもなったかもしれない楽曲である 北海道に行くなら新幹線
wifi使い放題、酒やビールも飲めるし駅弁も食える 4時間なんてあっという間 >>212
メジャーリーグのトレードまでアドバイスしてくれる >>1
夜行というか寝台列車残っててほしかった
高速バスとか狭すぎて寝れねぇわ 青函トンネルはうるさすぎてかなわんかった
あれが五十分以上続くんだから >>194
能登と信州は実際に行かないと伝わらないから無理だろ 函館についたら
遥々来たぜ函館ー!
割と明るかったりする >>223
地下鉄ってホームの冷房化が先だったような気がする >>203
あの時代はマナーが中国だった
ガキを割り込ませて席確保させたり、網棚で寝たりやりたい放題 >>229
乗ったことないけど50分間MRIに入ってる感じ? >>208
襟裳岬は
「北の街ではもう、悲しみを暖炉で燃やし始めているらしい」
というから
晩秋か初冬だと思わせるのだが、
最後の最後で
「襟裳の春は〜」ときて
えっ?
春なの?
となる >>213
新宿と言えば地下鉄のホームにタン壺があったの知ってる? かつての特急列車にこの歌のような哀愁は無いな
急行列車を想像して詞を書いたに違いない
そんな列車無いと言われても急行列車なのである >>232
そういえば北島三郎さんの曲で
暗い歌は思いあたらないなぁ。 >>239
お前、語源しらんだろ?
キスリング背負ってたからだぜ >>240
見たことがあります。
新宿駅は平成12年くらいまで何線か忘れたけど人が改札に立ってましたね >>238
きたのぉ〜〜
うみぃはあ〜〜
よこづなぁあ〜〜 >>240
いたるとこにあったろ
タン壺小僧知らないのか >>1 そんな昔の歌の情景を突然語りだすとか一体どうしたんだ??? >>225
東京一極集中を促す要因にもなったかもしれない楽曲
おらこんな村やだ〜おらこんな村やだ〜♪w ♪ヒュールリ〜、ヒュールリ〜ララ〜
ついておいでと鳴いてます〜
名曲だよな >>240
で、マックシェイクのストロー持ったおじさんが >>232
青森を出る人が
♪北へ帰る人の群れは誰も無口で
なのに
函館に着くと
はーるばる来たぜ函館ー♪
よっぽど楽しそうだな函館 東北の方の寝台列車はなんでブルートレインじゃなくてL特急みたいなやつが走るわけ?
こどもころ東海道沿線に住んでたけど、東海道はかぼちゃとブールートレインしか走ってくなてつまらんかった。
しかもブールートレインは真夜中に走るから見に行けないし。 >>236
まあ身動きは取れるからね。でも耳ふさいでもうるさい。精神修養にはいいかも お酒はぬるめの燗がいい、の八代亜紀の舟歌も
津軽海峡冬景色と似た趣があるね
石川さゆりも八代亜紀も熊本県出身なんだな >>243
バーカ
キスリング型ザックを背負っていたから、狭い列車の通路を身体を正面向いて
歩けなかった、それでカニのように横歩き
だからカニ族って呼ばれたんだよ >>249
宅配便の「ペリカン便」を知らない奴だけが若者だから
君はどっちだ? >>254
九州行きなんか早いやつは昼間の3時くらいに出発してたでしょ? >>64
稲垣潤一も12月頃のおかげで暮らしてる感ある 石川さゆりは中学生当時はSL追いかけてたガチの鉄子だからな。 >>259
えっ、ペリカン便知らない奴いるのか・・・!
自分とこの職場ではサンプラザ中野の写真見せて誰だかわからないのが若者という基準がある。 >>260
有名な急行桜島・高千穂は午前10時発車 >>38
それ往復ででしょ
片道あたり23本として
10分おきに出て4時間かかるな >>242
風説の流布、じゃなかった風雪ながれ旅
これも北国が舞台だなw >>260
オレが住んでたところは愛知だから、下りは2-3時ごろ上りは4-6時で見物は困難。
東海道線はかぼちゃの快速と普通しか見れないつまらん路線だった。 >>264
バーカ
説明不足なんだよ、横歩きを書かないとダメダメw >>258
てか、お前慌ててググったろw
キスリング型ザックなんて言わないわ
ウィキのままやないかw >>254
新幹線が開通していたからだよ。
東北も今は、普通電車しか走っていない。 >>265
それブルートレインなの?
ブルートレインと言えばドカベンに出てくるブルートレイン学園で詳細を知った記憶 >>272
図星でやんのw
キスリングはキスリング
型ってなんだよw >>266
臨時含めて19時〜発が片道46本だね
乗り場も5から19まであるし、同時刻発車とかある これ青森だからよかったんだよな
これが関西とか奈良なら多分流行らなかった 北国は深いんだろうな、雪も人の心も
でも温かい、温泉も、じゃっぱ汁も >>276
井森美幸が住んでいる群馬の下仁田にはナンジャイ(南蛇井)という地名がある >>282
寒さと雪と寂しい感じというのが演歌というか日本人の感情に合っているのでしょうねえ >>118
オオセグロカモメ、セグロカモメ、ワシカモメ、シロカモメ、ウミネコ、ユリカモメ、カモメ、ワシカモメ
カナダカモメなんかも混じってるかもね 青森から東京まで丸一日列車でかかった時代
初めて乗った飛行機で、たった90分で着いた時には心の底から感動した少年時代 >>1
前提がおかしい。
「青森駅はまだ薄暗く」はどこからやってくるのか。
以下の2つの条件しか存在しないと思うんだが
上野発の夜行列車であること
少なくとも航路から30キロ離れた龍飛崎が、くもりガラス越しに目視できる時間 >>229
トワイライトに乗ったとき青函トンネル内でガタガタ揺れて壊れるかと思った
車掌に連絡しようかと思ったほどw 夜行バスに乗る人がいるんだから、東京-大阪も夜行列車てビジネスにはならんのかね?
もちろん今のJRの料金体系じゃ勝負にならんが。 急行八甲田なら乗ったことある
ボックス席のせいで通路に新聞紙敷いて寝たよ 昔のテレビ歌謡番組で
漁師の扮装をした大勢の役者達が
を漕ぐ演技をしている大漁旗をはためかせた大道具の船に囲まれた男性歌手が、
「海はヨォ〜〜、男の海はヨォ〜〜」と
良い声で歌う場面を覚えている。
「ヨォ〜〜」の部分が今思うに音楽的に斬新だ。 もういい歳なんだからさ、知識の披露癖は治しなさいよ >>296
悔しかったをだなw
最後っ屁やっていいよ〜
とぞ〜w 鹿児島から島に各駅で停泊するフェリーで那覇まで往復したけど、
なんかワクワクするだけで、やはり北の旅とは違うと思った >>292
みんな平然としているから、これが普通なのかと思い直したわ。 冬休みに親の田舎に信越線で行くのワクワクしたわ
だんだんと雪が現れてきてさ ゆうづる、はくつるは北海道のばあちゃん家に行くときよく乗った
上段はガキの俺でも狭くて感じたし圧迫感がかなりあった
小窓が変な位置に有り景色が見辛く嫌だった >>266
下りだけの本数ですよ。
78年8月の時刻表によると定期だけでも27本あって、臨時や季節運行も含めると40本近くになる。
上野からは、東北、上信越方面と常磐方面の線路が別々にあるから、同時に発車可能。
それに当時は、長距離列車優先だったから、3分おきに連続発車なんてのもあった。 >>299
ただの思い出話だ
知識自慢はスポーツやらミリオタ系の板だw 三段最上は屋根カーブしてたな、覗き窓
帰りは懲りて日本海側二段で大阪まで、楽しかった キスリングといえば福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件 カニ族で揉めてる連中はそろそろ終わりにしないとユース掃除の刑に処すがよろしいか 新幹線も東京じゃなくて上野発のがあって穴場だったが今もあるんけ 当時は北海道旅行あまりメジャーじゃなかったのかな?
そんなん使ってるくらいなら飛行機で行く人もそう多くはなさそうだし ゆうずるは毎夜、帰宅困難地域を駆け抜けていたんだよね
まさかこんな未来があるとは >>300
キスリング型ザックは横幅があるので、列車の狭い通路ではカニ歩きしかなかった
楽しい突っ込みありがとう >>316
また懐かしいものを
協力すると宿によってはキーホルダーくれるんだよな >>316
ユースといえば夕食後みんなでフォークソングを歌わされると聞いたんだけど?(´・ω・`) 紅白出ても毎年毎年同じ歌(つっても2択だが)で嫌じゃないんか >>159
船なくなった時点で移転すれば良かったのに
奥羽本線の支線のあたり持ってきてデルタ線廃止しとけよ 青森って都会やぞ
30万も住んでる豪雪地帯って世界でも稀 おおむかし夏休みに急行津軽2号の自由席で青森に行ったけど、座席に座れず、
朝まで通路に座ったり立ったりしてほとんど眠れず辛かった。
青森でねぶた踊ってきたけど、この列車は連絡船に繋がってるのかな。
冬だったら青森駅は薄暗いかもしれないね。 石川さゆりが紅白初出場で津軽海峡〜を歌ったとき、まだ二十歳前後だったはず
その歳であの歌を歌いこなすのだから歌唱力といい表現力といい当時の演歌歌手は凄い >>241
特急はそれなりの人の乗る列車ってイメージだった時代もあったからな。
やっぱり庶民は急行だろう。
>>254
ブルートレインもあったけど、581/583系電車は寝台列車としても昼行の電車特急としても使えるので車両運用上効率が良かった。
ちなみにあの型の電車の最初は新大阪と博多を結んだ寝台特急月光で月光型とも呼ばれる。
自分的には寝台特急ゆうづるでイメージが浮かぶのは20系客車だな。 吉幾三の津軽平野も名曲だと思うけど、
奥羽線、五能線とか、津軽鉄道のイメージなのかなと思う
こちらも今時期だろうね >>138
金沢発着のしらゆき、新潟発着になる以前の青森発着の急行きたぐに、が存在した。 >>329
CSでやってるドリフの大爆笑にも石川さゆりがでてて、志村けんと銭湯コントやっててウケる。 >>323
そういうとこもある
ちなみに知床五湖でUFO音頭を踊ってる連中がいたらそいつらはユースの奴らだ >>323
流石に今は、そんなユースは無いよ。
桃岩ですら、たまにヘルパーさんが唄うだけだよ。 うわぁ〜懐かしい
修学旅行や大学受験やら上京時やら何回も乗ったなあ。
北海道から東京まで丸一日かかった 青森県民の典型的修学旅行 45歳弘前市
函館 連絡船
東京 寝台
京都 寝台
いまにして思えば貴重な経験だなw キスリングとかカニ歩きとかなんなの
さっぱりイメージわかないんだけど青森行きの列車が狭くてめちゃでかいザックが流行ってたの? >>159
特急は秋田行きつがるが3往復かろうじて残った。
上り白鳥のスジは、弘前行き普通列車と、弘前から秋田行き快速に分割して残った。 というか今でもユースって存在するの?
多摩湖畔のユースは知らないうちにただの駐車場になってた(´・ω・`) 厨房の頃上野発の鈍行夜行列車で仙台に行ったことがある
8時間くらい掛かったと思う、もちろん寝台ではない
座席はほとんどクッションの薄い木製で
ケツが痛くてほとんど拷問だったのを覚えている やこうれっしゃ (こどものとも傑作集) (日本語) 単行本 ? 1983/3/5
西村 繁男 (著), 福音館書店
↑
この本しってる人いる? 道路整備が今ほどじゃなかったら、今でも普通に夜行列車が
バンバン走ってたんだろうな
伊豆も山梨も30年前は国道ですらトンネルは交互通行とかだったし >>323
その昔、礼文島のはキ◯ガイユースと呼ばれていた 北斗星で眠ってて、おきて窓をみたら白樺とポプラがみえた。 この歌の舞台は急行八甲田、青森6時過ぎに着く古い客車急行が歌の舞台だよ。当時からそう言われてる話。ブルトレや電車特急ではない。
連絡船の接続から言ってもこれしかないからな。 >>347
三大キチガイユースは桃岩荘、帯広、えりも岬だったかな。 >>163
ゆうづるはくつるは下りは乗車しておらず記憶にないが、急行津軽や寝台特急鳥海、寝台特急日本海青森止まりは10時11時台の到着だったな。 一方俺は18きっぷに500円くらいの指定券買ってミッドナイトで札幌行った >>351
連絡船の接続がこれしかないってどういうこと? >>328
シーズンの夜行急行は混んだね。
夏休みに急行能登に糸魚川まで乗ったが埼玉県内途中駅からの乗車だったから、親にアドバイスされて床に座るために持ってきた新聞紙を広げるスペースさえなかった。
12月終わり頃上野駅の地平ホームに行くと、八甲田や津軽は早くから入線していて、出稼ぎから一時帰宅するらしいおっさんたちがカップ酒で既に楽しくやっているのが見えた。 >>293
俺は銀河にお世話になった
少々値が張っても大垣夜行とかバスには乗りたくなかったから >>224
急行おいらせ、もあったよ。
常磐線廻りだったと思う。
急行八甲田は東北本線廻り。
急行十和田は常磐線廻り。 そういう特急て交流と直流が変わるところはどうするわけ?
車両交換するの? 歌と違って実際は、凄まじい座席争奪戦だったよな(笑)
深夜便の時間帯は、はつかり11号だと連絡船の座席や桟敷席に座れなかった。
関東の人は、みちのくに乗らないとアウトだった。 連絡船って出港時に鳴らす銅鑼の音が郷愁を誘うんだよね 今でも青函フェリーがあるんだけど、駅から遠いよな。
もっともあれはクルマのための船だから仕方ないけど。 >>363
客車のやつは東北線は黒磯駅で直流電気機関車と交流電気機関車を交換。
常磐線は最初から交直流両用電気機関車だから機関車を交換せずに直通する。
電車特急は交直流両用の電車だからそのまま直通する。 >>363
どちらでも走れる電車で運行していた。
切り替え地点をデッドセクションというけど、そこを通過すると一瞬だけど停電するから車内が真っ暗になる。 >>359
寝台特急は連絡船との接続がいいから皆小走りでさっと乗船してしまうからな。
海鳴り聴いたりする余裕なんてないんだよ。
ちなみに列車ではないが、津軽海峡冬景色の歌詞レリーフが八甲田丸に残されてる。 なんでもかんでも歌詞のとおりになってるわけないやろ
そしたらおよげたいやきくんはどうすんだよ >>370
黒磯て電車の乗り換えと女教師が殺されたところで有名なとこだよね。
某宗教教団のマシンのメンテで行ったな。 架空の話に裏取るとかアホなことすな
あずさ2号だって実在しないんだぜ 石川さゆりは年々ほくろが大きくなってたのが気になった
沢口靖子みたいに取っちゃえばいいのに 津軽海峡冬景色は多分、急行八甲田
能登半島は多分、急行能登 >>376
あずさ2号自体はあるでしょ?(´・ω・`) 俺ら東京さ行ぐだだって
歌詞通りの村なんてないんだから >>376
どこでそんなデマ聞いた?
当時はあったんだよ 歌謡曲で明確に歌の舞台が特急になったのはあずさ2号からだな。演歌なんて基本的に汽車だし。
歌謡曲はちあきなおみの喝采でも、まだ動き始めた汽車に飛び乗れるからなw 青函連絡船が博物館になってたやつ
閉館直前に行った。
超楽しかった。 欧州ではまだ寝台列車がはしてるのに日本でやめてしまうのがなんとも寂しいよな。 >>379
歌が流行った後ちょっとして国鉄のダイヤ改正があって、下りのあずさ2号ってのがなくなっちゃったんだったよね。
それまでは上り下りとも、1号、2号・・・となっていたが、そのときの改正から下りは奇数号、上りは偶数号になり、
8時も何も新宿発の下りあずさ2号というのがなくなってしまった。
>>383
あずさ2号よりはつかり5号が先だったんじゃないかな?
まああずさ2号ほど流行らなかったようだが。 >>372
なるほど。といっても列車によりまちまちだねえ
昭和53年当時の
主な列車の青森駅到着時刻と連絡船の時刻
ゆ1 5:03 特急
ゆ3 5:08 特急
連絡船3便 5:25発
八5 6:17 急行
八55 6:42 急行
ゆ5 7:05 特急
は 7:11 特急
連絡船5便 7:30発
十1 8:14 急行
八59 8:37 急行
ゆ7 8:51 特急
十3 9:07 急行
津1 9:10 急行
ゆ9 9:15 特急
連絡船7便 9:50発
ゆ11 9:50 特急
ゆ13 9:55 特急
連絡船17便 10:15発
あ1 10:16 特急
八61 11:03 急行
十5 11:41 急行
連絡船21便 12:05発
凡例
ゆ 特急ゆうづる は 特急はつくる あ 特急あけぼの
八 急行八甲田 津 急行津軽 十 急行十和田 >>388
今はないみたい。
E7系で運行されている東京10時16分発の「とき315号」ってのがあるから。
上越新幹線は二階建車両のMaxを減らしてE2系やE7系に置き換えてきたから以前はあったかもしれないが。 紅白で津軽海峡冬景色のイントロが流れると「またか」感が漂うのがツラい >>379
確か、次の改正で無くなるので3/13までの運命だったような・・・ >>392
はつかり5号の方が早いな、ケンメリスカイラインのグループか。 >>396
昭和の頃と違って歌番組が無くなったから、新曲歌っても「何これ?」なるだけじゃないのかね?
しかも演歌だとドラマやCMの主題歌になる可能性もないし。
ドリフの番組でもアイドルと演歌歌手が出てきて歌ったから、大人から子供までだいたいその年に流行った曲(アイドルも演歌も)を知っている。 >>33
青函連絡船の通常航路からは見えないのと青森駅の連絡線桟橋はみんな喧しかったのがこの歌のツッコミどころ。 >>398
昭和40年代の集団就職組と思はれる人もおるね この曲の違和感は
この曲を歌い出した石川さゆりはまだ18歳だったということ。
18歳が唱うこの歌詞のアンバランス感が良いのかね
阿久悠の万能感が垣間見えるな >>396
ジャニと秋元グループの連続で「またかよ」と思うよりはるかにマシ >>403
いわゆる普通の18歳だわ女の子のこと知らなすぎるの、あなた。 >>172
「下り」あずさ2号は歌の発表当時に実際あった
この時のあずさ1号は臨時列車 >>398
年寄りもネットを使いこなしてるという
明るい日本の未来じゃないか >>406
実際にあったと言うより、あずさ2号じゃないと語呂が悪いんだろ。
同じ理由で東村山音頭の2丁目もない。 >>348
どうして会津を入れないんですか(´;ω;`) >>406
国鉄が特急急行の番号を下り奇数上り偶数に変えたダイヤ改正のとき、
新宿8時ちょうど発の下りあずさ2号がなくなるとマスコミなどでも騒がれていた。 あずさ1号じゃなくて2号なのは単に語呂が良かったから
「あずさに乗って」と「あずさ2号で」で歌詞が韻を踏んでるし >>409
発車時間まで明記した実在の列車だろ。
ダイヤ改正で3号になった時はニュースにもなった位だ。 >>411
ダイヤ改正の前日に新宿駅に狩人を呼んだけど、事故かなんかで運休になったような・・・ >>35
ふるさと行きの乗車券、もうやらないんですかねえ… 夜行列車とかいいよな。寝台特急も今はサンライズだけだし >>416
下りあずさは最初の処女列車も事故で途中運転打切りなんだよ。 >>421
「アズサゴゴウ」は濁音が並んで汚くなるから歌的にはマズイだろう。 >>423
あずさ2号は新宿発信州方面行きの1番列車だったからから、東京を離れる新たな旅立ちを印象付けるために選ばれたんじゃないかな
同じ信州行きでもあさまだと上野発になるからどうしても東北のイメージが混ざってくるし >>414
実際に8:00発のあずさ2号があったからね、当時は。
確かに1号じゃ様にならないし、時間も8時ちょうどってのが良かったんだろうね。
「ちょうど」という点でも8時頃の時間帯の遅すぎず早すぎずという点でも。
あずさ2号は下り列車で、はつかり5号は上り列車で、上り偶数、下り奇数とした1978年のダイヤ改正でどっちも消えちゃったわけだな。 まあ「8時ちょうどのあずさに乗って」にしておけば良かっただけの話だ。 >>429
なぜ定期じゃないとダメなのか
ってか、しらんけど、臨時マークついてるけど運転本数多いタイプとか?
季節AとかBとかあったよね 日本海がらみだと山陰は鳥取砂丘しかヒットしてない(´・ω・`)鉄道も関係してない
すきな日本海演歌は 石原詢子のひとり日本海 北陸を歌ってて汽車が登場する
悲しみ本線ぐらいヒットしてもいいぐらいの名曲
>>431
あずさ1号の運転本数はとても少なく実質2号が始発だった >>420
上野は20番線まであったね。
常磐線経由の長距離列車などが使ってたのかな。
山手線など高いホームの方からだと随分遠いところのような気がした。
当時は16番線がエース番線みたいな扱いで毎時ちょうど発の特急ひばりなどが使っていた。
東北・上越新幹線が開業してひばりやときがいなくなるとあさまが使ったり。 だいぶ前だが、津軽海峡冬景色の最初のフレーズが縦読みになっているのを見て感動したのを覚えている。 高校の時「りゅうひみさき」と歌った子がいた
あの子は もう 気付いたかしら〜♪ ゆうづる、はつかりは寝台列車。
夜行列車は、八甲田、津軽じゃね?
(´・ω・`) >>21
いや、NHKの強制だよ。新曲は出しているのに。 婆ちゃんがカラオケでよく歌ってたから頭に歌詞入ってるわ
物悲しくなるけどめちゃいい曲だよな やっぱり急行か八甲田か十和田じゃないと絵にならんだろ 昔は上野駅からの夜行電車に乗ってスキー場へ行けたけど今はもう無いの? 寝台とかじゃ絵にならないよな。「夜行列車」じゃないと。木製のカッチカチの薄ーいクッションの座席でさ。 「私一人連絡船に乗り」だから連絡船との接続の悪い夜行列車じゃないかね 何故か、急行「八甲田」のイメージがスゴイ 上野を14時過ぎにでて、青森に0:00くらいに着く。15分くらい後に上野16時過ぎにでた特急「はつかり」が来て、青函連絡船 が2便くらい出ってたはず
急行だと激安になる。
EF58の思ひで しゃああああああ だだん だだん!!!
|。 ̄\ EF58 36/ ̄。| >>445
「北へ帰る人の群れ」っていうのがあるから連れはなく1人で、という意味かと。 >>436
俺は高校下校時に18番線15時37分発の四ツ倉行きに乗るのが好きだった
常磐線の最長距離普通列車な
停車駅が多すぎて終点四ツ倉まで読み上げてるうちに日暮里に着く >>447
そうか?
そいつら青森が最終目的地なんじゃね? >>443
まったくない GALAが良かろう。金さえアレば手ぶらで行けるぜ??貸しウエア・板・ブーツ・ストック完璧
そのかわり オカネは湯水のごとくかかる 「わたし"も"ひとり連絡船にのり」だから、やっぱり他の奴も連絡船に乗ったのか >>233
確かに
冷房付けると外側が暑くなるとか言って
いつから着いたんだろ 国鉄の急行や特急、食パンとかがやっぱ好きなデザインだな >>450
越後湯沢駅から、新幹線の支線が出て、麓駅 そこから巨大ロープウエイに乗ると、GALAスキー場
20年以上前? 自分のときは、麓直通が取れないから、湯沢で降りる、 と、幹事が、怪しいおじさんと話し出して、マイクロバスに乗ったら スキー場についた。 白タクだったのかも。
まあ、3日前くらいに、今度の休みに GALAに行くかー!と企画が立ち上がって、当日6時に「東京駅銀の鈴集合」いがい何も決まってない話。 尻屋崎はともかく、竜飛岬見えないかなあ…
半島の先に出れば視界がある限り見えるんじゃないかと思うが >>455
だから、実際何人来るのかもわからないし、列車の予約なんて無い。 まあこんなこんかな?と10人くらい銀の鈴に集まった。
そこから10人分の指定席を・・というのだから、GALA行きなんか無謀だな。 それでも、ちょっと待ちで、新潟行きの新幹線の指定席をまとめて取れた。 青森駅の近くの石碑?から流れてくる津軽海峡を聞いたときは感動した >>261
マライヤも普段は仕事ねー仕事くれーって顔色悪いけど12月入るとホックホクの顔してるよね ワッパをかけられて北海道まで帰省した奴は手をあげて☝ 俺は「東京の玄関口と言えばどこの駅?」って聞くと
相手が答えた駅で出身地が大体判る説を提唱したい
※関東地方は複雑なので割愛
・上野駅→加賀以北の北陸道/北信/東北/北海道
・新宿駅→甲州/中信
・東京駅→それ以外 >>464
今の子で、19歳でこういう歌歌える子いないよね。みんな幼稚に見せようみたいな感じばかりで ちあきなおみの喝采で、動き始めた汽車にひとり飛び乗ったの意味が全然分からなかった。 ドア開けっぱなしだったからな 最後部なんか後ろのドアも開けっ放し >>469
いや、演歌に限らず子供っぽいのんが増えたなって 夕方札幌出て函館駅のホームで立ち食いイカ天そば食べ
そのまま駅から青函連絡船に乗り込みシャワーを浴びビールとつまみ買って一杯青森に着いてそのまま上野行きの列車に乗り込む >>458
標高の高い竜飛岬灯台の光は見えるが
海抜15mから下は青函連絡船の客室窓からは水平線に隠れて見えない
そもそも歌詞の中でも「霞んでてよくわかんねーし」てな書き方だし はくつるの三段ベッド懐かしい。
大宮から青森まで意味もなく乗ったなあ >>1
連絡船は羊蹄だな しかし今まで夜行の連絡船と勘違いしていた 夜行列車降りて明るい時間に連絡船に乗った歌だったとは コイツを出すなら和田アキ子も出してやれよと率直に思うわ
あの鐘を鳴らすのは貴方聴きたい 東京発の「はやぶさ」で2時間59分 新青森駅は空地の中ぁ〜♪ ( ̄▽ ̄) 悲しみ本線は何線か議論になったことがあった。羽越本線が筆頭で次が北陸本線。山陰本線は何故か違う、て結論になった。 >>466
今の子も、歌わせれば、歌うと思うよ。
石川さゆりも、アイドル歌手としてデビューだし(でも、売れなかった)。 かなしみ本線の悲しみは 哀しみ だって しかも意味が微妙に違う だって 今気づいたわ
この歌詞の中に 風景描写があるし北の街とあるから山陰じゃない
山陰は東西に長いというように北ではない
自分的には羽越本線の笹川流れあたり 名勝地だし 五能線は寒すぎ >>1 >>100
日本人の血税を使って、
しばき隊メンバーなど在日朝鮮人を大量採用し、
朝鮮電通と結託して「韓流スター」の人気偽装をやりまくる超絶反日NHK。
何のメリットもない韓国から離れようとしている日本を邪魔するため、韓国内の政治話をさも重要ニュースであるかのように報じまくる超絶反日NHK。
>NHK(特殊法人日本放送協会)の平均年収が1606万円(40.9歳平均・日本人平均の4倍)だということをみなさんはご存じですか。
【NHKのスクランブル化 を実現させよう】
http://www.ystseo.net/ngnhk/
. >>196
大洗港自体がなかった
晴海ー苫小牧はあった気がする >>199
丁度切り替わる頃
1976だとほぼ汽車。1978だと半々かな >>103
浅草発と池袋発ならあるが、上野はない
>>106
東洋英和がないとはどういう事だ! >>491
あとは仙台〜苫小牧だな
よく土産にサイコロ貰ったもんだわ >>425
離れねえよ
あの歌は婚前旅行の歌なのですぐ帰ってくる
甲斐性なしをポイ捨てして安定収入の男との生活を選ぶって内容だから、確かに急行ではなくて特急である必要がある この二曲はワイのウォークマンで不動のレギュラーどす >>265
教授の家で「お前たち高千穂乗ったことないだろう」といわれてぐうの音も出ませんでした>< >>428
そこは「8時過ぎたらあずさじゃなくて」だろ
>>443
浅草からある
上野からはそう遠くはない 上野も変わったしな
東の豪華寝台が発着するホームって鉄ヲタが近付けないよう隔離されてんだろw >>484
島々でぃするのいくないと言おうとしたら
島々から、俺たちは東京都だと文句言われたでござるの巻 >>461
円広志は「飛んで飛んで」のカラオケのおかげでウハウハらしい 上野関係ないことに気づいたのは
そんなに前じゃない。 上野発の夜行列車降りたときから
このワンフレーズだけで500キロ移動してしまうところが阿久悠の天才たるところ >>485
じゃあ青組なら羽田空港第2ビル駅、赤組なら羽田空港第1ビル駅 函館の女、小樽のひとよ、恋の街札幌、襟裳岬、知床旅情どれも名曲
更に中島みゆきと、松山千春に多数 青森駅と函館駅は何故海のすぐ近くにあるのか
青函連絡船に歩いて乗り込むため EF57牽引の10系寝台
津軽か八甲田以外にあるまいよ あのころは青森からはつかりで盛岡までいって新幹線で上京 >>21
たかじんの相方は著作権で自分が歌わなくても儲かるらしいな。 583系のイメージは無いな、旧客の八甲田、津軽でしょう。せめてグリーン車に乗ってね この人、昔は美人だったんだよね、今はなんじゃー!って感じになってしまったよ 青函連絡船の青森函館間の時間はどれほど掛かったんだ
東京湾フェリー金谷久里浜は20分ほどだけどさ 天童よしみだったらここまでヒットしてないよな、な、 >>512 >>531
上野から乗ったとは言っていないがな
と無粋なことを言ってみる 当時の青森駅は、ホームの一番東京寄りの階段を登ると出口
ホーム先端の階段を登ると青函連絡船だった
青森駅で降りる人と北海道に向かう人がホームで交錯するのが旅情を誘った >>532
こういうやつって、なぜ手元のデバイスで検索しないんだろ? 時たま復刻列車時刻表セットながめて昔を懐かしんでる。
しかしこの中古本の最近の値上がりも大変だな。 >>526
函館から出ると1時間ちょいぐらいで青森の大間な辺り横切ってそっから3時間ぐらい
津軽海峡はアッという間でほぼ陸奥湾を航行して最深部の青森駅まで4時間弱
海峡渡る時はイルカが船の両脇をジャンプしながら一緒に泳いでくれる
多分遊んでるんだろう 青函連絡船復活させれば結構乗る人居るんじゃ無いの?
なかなか今はゆっくりの旅味わえないからなぁ >>535
知っていても、話のネタ振りってこともあるわな。 JR初期定期寝台列車
東京発
さくら、富士、はやぶさ、みずほ、あさかぜ、出雲、瀬戸、銀河
上野発
北斗星、ゆうづる、はくつる、あけぼの、鳥海、出羽、北陸
大阪発
なは、彗星、あかつき、日本海、つるぎ、トワイライト キエフ発の輸送列車 降りた時から
ハリコフ駅は 雪の中
東へ進む 兵の列は 誰も無口で
つつおとだけを聞いている
自分もひとり 連絡線守り
凍えそうなPAK見つめ泣いていました
あゝ スターリングラード 冬景色 10年間北斗星で函館に避暑を兼ねて遊びに行ってたな。
懐かしいな。もう函館は寂れちゃっただろうな。 夜行列車という言葉のイメージからは、寝台特急、寝台電車よりも十和田、八甲田といった
夜行急行の方がぴったりくるな。 >>124
俺も乗った
八甲田+寝台車+バイク用貨物車だね
函館で安全運転宣言やらされた 元道民だけど中学の修学旅行は青函連絡船乗って十和田湖奥入瀬渓流今泉釜石松島だった
釜石の旅館で生まれて初めてゴキブリ見た >>538
青函フェリーか津軽海峡フェリーに乗れよ あけぼのには山形通過、新庄停車の変なのがあった記憶
臨時だったと思うけど 北へ帰る人の群れは誰も無口で
これも検証するべき。 >>493
カシオペア…
一人で乗れるプランもあるし予定臨という括りなら東武夜行と変わらんかと
西武夜行もツアー商品だし >>186
1972年が青函航路のピーク
その後は坂道を転げ落ちるようにシェアを落としていった >>537
末期で3時間50分だったはず。
洞爺丸の頃かその少し前は、約6時間だった。 >>259
ニッツーのペリカンびーん
にっせきとーゆでほっかほかっ、にっせきとーゆ、だもんねっ
高利回りの一年貯蓄、長銀のワリチョー
このへんは
40代だとハッキリ覚えてて
30代だとウッスラ覚えてて
20代だとまったく知らないな >>448
それ、平成初期まであったな
昭和末期に東京行ったときの帰りはその電車だった。
415のボックス席 >>280
長野に新幹線できるまでは毎時00分はひたちとあさまが同時発車してたな >>549
どう考えても八甲田か十和田しか考えられないんだよねぇ。
それに、当時の上野〜札幌移動はどこかで夜行列車か深夜便を入れるのが普通で、八甲田を使ったとなると札幌付近が最終目的地だろうね。
八甲田や十和田、深夜便のいずれも使ったことがあるが、津軽海峡冬景色の頃からはかなり経ってからなんだよな。 20系、14系、24系等ブルトレは何度も乗ったけど
電車寝台の583系一度も乗らずじまいだった
サンライズはなかなか快適
でも瀬戸だと高松に7:30位だから乗り足りなさがある
出雲の方は米子に9:00頃だから結構満足感がある 急行八甲田に良く乗ってたけど
青森は雪が多いイメージ
連絡船で函館につくと雪がない
自分は実家が函館だから
連絡船から函館駅ホームへのダッシュに
参加しなくてよかったので
連絡船到着はのんびり最後に降りてました
大変だねぇって感じ >>557
それでも昭和の頃の飛行機は贅沢品。
貧乏旅行は無条件で国鉄だった(往復利用なら周遊券を使うのが基本)。 >>338
これがあと5コ下だと新幹線や快速海峡(客車)になるんだから80年代は一気に発展したよな
団塊が30代だった頃や はつかり号は北国へってのもあるし
はつかり5号ってのもある 「女心が 波間に揺れた
流れ流され 日本海
酒は涙か 溜息か
ああ 長崎の鐘が鳴る」 >>432
アマゾンの電子書籍で昔の時刻表結構あるよな。
自分が産まれた年のやつとか買ってしまったw >>46
平成の末期までブルートレイン走ってたんだがな… 俺的には十和田か八甲田だな
ああああ懐かしい何もかが >>130
今でも走ってるサンライズ出雲・瀬戸はキップ取るの大変だぜ >>459
関越がスキー帰りで毎週50キロ近くノロノロしてた頃やな。
水上から高坂まで3時間くらいかかった。
で、練馬の出口で1時間 >>551
あの辺語気いないよ。それ、多分コオロギ🦗 中島みゆきのホームにても良いなあ
出演しないから紅白でも聞かないけど、紅白にふさわしい曲だ >>470
若く見せるのが正義だからな今は。
若く見えるねって誉め言葉だし。
当時より日本人の平均年齢が10くらい上がってるからしゃあないのかもな >>455
湯沢はスキー場を回る無料バスがあっただろ
GALAも勿論入っていた
っていうか湯沢で降りてGALA行きに乗り換えればいいじゃん
混んでいたってものの数分で着く >>580
あの曲って東京の人間には絶対書けない曲だな 足元でモーターが唸ってるって、
サンライズは乗ったけど
違和感を感じたなあ >>538
>>553
が書いてる通り2社盛業中
ぜひおいでください >>588
毎年シェア伸ばしてるんでしょ?
新幹線がたいして早くもないのに高いから。 >>555
上野発の夜行列車降りたら連絡船通路はダッシュだよね(>_<) >>1
上野発の夜行列車と歌ってるんだから寝台じゃないだろ
当時は八甲田や十和田などの座席の夜行急行があったはず
推理やり直し 青森駅から一時間くらい歩くとフェリーターミナルだね
3月末かな、雪降る寒い夜中に歩いて行くと車載の客を除くと客は自分だけ
何か独特の雰囲気だった
平泉の金色堂も夕方暗くなる頃に入ったら見学者は自分だけで、
圧倒された記憶がある >>454
スーツって一回見たけど薄っぺらいよなぁ
妄想で昔を語るのがキモくて仕方がない
おまえ生きてないやろその時代w フェリーで良いけど、何故駅とあれだけ離すのかな
連絡船をやらないのならその場所を譲れば良いだろうに
今連絡船の代替が同じ場所にあればモテモテだっただろう そこまで考えて作詞してないだろw
松本清張じゃないんだから >>598
鉄道連絡船は旅客と鉄道貨物を輸送するから駅隣接が合理的。
フェリーは旅客とトラック・トレーラーなど自動車貨物を
輸送するから道路交通の便が良いところにターミナル。 初めて青函連絡船に乗った時
知らないおじちゃん、おばちゃんのグループに
「兄ちゃん帰省か?旅行か?」と声かけられて、
酒やつまみおすそ分けしてもらったな
北へ帰る人無口じゃないじゃんと思った
そして「ごらんアレが竜飛岬」と指さされること期待したがなかった
でも「函館山が見えてきた もうすぐだ」と指さされた >>598
あんなところ、大型トラックやトレーラーは進入できねーじゃん あずさ2号が発表された1977年当時は
実際に新宿8時ちょうど発の下りあずさ2号が実在した
下りの号数に奇数しか使わなくなり、新宿発のあずさ2号が消滅したのは翌年のお話 今思えば船倉にレールを敷いて貨物車を入れるなんてすごいよな
入れ換えとか間近で見てみたかったわ >>6
渡し船はまだあると思うけど、橋があるし歌にはならなかったろうね。むしろ宇高連絡船の方が歌になったと思う。列車が到着すると船にむかって皆一斉に走ってたんだぜ。 客車でないとしっくりこないな。電車寝台はなんか違う 和歌山港駅からの南海フェリー
柳井港駅から防予汽船
徳山駅、境港駅も連絡船の雰囲気があるよね。 宮島航路は現在も残る連絡船だけど、何か違うな
観光地への渡し船みたいなもんだ 石川さゆりは特別に2曲歌って欲しい。津軽海峡冬景色を必ず歌えるように。 この歌を聞いたら寅さんに出てくる和服のおばちゃんが肩にショール羽織って雪景色見てるような昭和の風景思い出してグッと来るよな 夜行列車といったら座席しかない列車だよね普通
十和田か八甲田で、特に常磐線沿線途中下車でもない限り十和田である必要はないし、
歌のイメージに常磐線はないから普通に速達で東北線経由の八甲田がイメージにピッタリだと思う >>5
窓を開ければ海、北の湖、湖、湖‥
とか
涙の中には傘が一杯‥
とかはドラマやバラエティー番組で聞いた。 583系の電車寝台は金星型と言われる通り昭和42年10月にまず寝台特急「金星」として
デビュー。東北へは翌年の昭和43年に導入されている。
電車寝台の下段の広さは特筆すべきものがあった(上、中段は大したことない)。
寝台列車は駆動モーターを持たないで機関車で引っ張るのが当たり前で、分散して車体下
にモーターを持つ寝台列車は世界初であった。
津軽海峡冬景色は、やはり電車寝台のイメージではないな。 >>623
釣りだろうが金星形ではなく月光形だろ、それに581系だし。 デイスカバージャパンといい、この歌といい、いい日旅立ちといい三方得でよくできてるわ >>617
今は外国人観光客のおかげで大盛況。
10分間隔で出てるよ。しかも桟橋が足りないから改装中で臨時便も出る。 >>526
定刻どおり、時刻表どおりならなら3時間50分。 急行の十和田と八甲田の客車列車じゃないとこの歌のイメージじゃないな。
583の寝台特急電車はあわない。
晩年、津軽だったか、奥羽線まわりの座席急行が客車急行から特急電車の車両に変わっている。 8時ちょうどのあずさ も走ってないのに無茶言うよな
あずさ に対向した? かいじ って曲もあるから聞いてみると面白い >>621
八甲田は寝台車を組み込んでた時期もある
仙台から寝台で青森までなんて贅沢なことしたとは思えないけど 紅組
ホームにて 中島みゆき
哀しみ本線日本海 森昌子
だから私は北国へ チェリッシュ
北国行きで 朱里エイコ
津軽海峡冬景色 石川さゆり
舟歌 八代亜紀
大晦日はこんな紅白が嬉しい ┏( .-. ┏ ) ┓
【トランプ大統領の代わりに中国と韓国を利用】@
*日本勢力は
トランプ大統領が弾劾裁判中の為に
朝鮮半島占領を、中国と韓国にさせようとした
都内や米軍基地ならともかく
千葉県に核を落とさせる場合
アメリカの法律では弾劾裁判中なので、決着が付くまで戦争が出来ない
大使館や米軍基地に直接攻撃が無いと、反撃が出来ない仕組みです
--
*安倍首相は、24日の会見にて
私の殺害後に私の構想を全て奪い「未来志向」と云う概念で
日中韓を盛り上げて行きましょうと呼び掛けた様です
構想発案者の私を殺害してです
年末年始のクリスマスの時期に、戦争を起こそうとした気狂いです
--
*本来の目的は
トランプ大統領の目的は、弾丸裁判避け
日本勢力は人類ZERO稼働
続き bg
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1209643741264236549
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 紅組とり 北の宿から 都はるみ 汽車の音が出てくる >>631
紅白で中島みゆきにホームにて歌ってほしいね 青函連絡船に接続って列車のレールが船の中まで繋がってて列車ごと船に入るのかと思ったわ >>274
去年9月に行ったわ。
津軽海峡がスゲー。てんきよかったわ。 よく考えたらたんに北海道に帰省する人の歌だよな(´・ω・`) 都はるみで思い出して 涙の連絡船 はどこかなと思ったら 鹿児島桜島 南が舞台とは珍しい
フーテンの寅さんはよく連絡船でてたけど大体温い地方 中島みゆきの「ホームにて」と松山千春の「大空と大地の下で」は名作
聞くと涙がじわっとするわ 「津軽海峡冬景色」の主人公は北海道に帰って
役場の職員とかと結婚して、息子が18歳になって
千歳空港から東京へ旅立つという
その後のストーリーを考えてみた
4月の吹雪の千歳空港から息子は夢を抱いて東京に旅立っていくのさ ┏( .-. ┏ ) ┓
【トランプ大統領の代わりに中国と韓国を利用】A
*アメリカ政府、安倍首相
フジテレビ、Google、Amazon、Softbank、Apple、任天堂等は
私の殺害後に、北朝鮮の義憤を上手く誘導して
千葉県に核を撃たせる予定の様ですが
千葉県に上記基地外企業が一社もおりません
東京都内とアメリカに置いてあります
--
*但し、記者会見上では
日米と一緒に中国と韓国も、北朝鮮の軍縮に一緒に臨むと
安倍首相が断言しておりましたので
万が一、日本や韓国に核が落とされた場合
日米政府のみならず、数多居る在日米軍は役立たず
中国軍や韓国軍も
北朝鮮のミサイルが防衛が出来ない軍隊との証左になります
続き bj
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1209643741264236549
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>642
鹿児島なのか。
北じゃないとはわかっていたが、鉄道連絡船だと思い込んでいたので宇高連絡船かと思っていた。
>>592
まあ寝台特急も夜行列車のうちではあるけど、わざわざ夜行と言われると、やはり座席車付の客車急行とか思い浮かべるよね。
時代的には10系寝台と43系の組み合わさった編成か。
>>555
見知った仲間内同士だと意外にしゃべりそう。
>>425
上野とか関係なく(あずさ2号の歌詞に新宿とか始発駅名は出て来ない)あずさとあさまでは同じ信州といっても沿線のイメージが違う。
あずさの沿線は八ヶ岳や南アルプス、北アルプスなどで、東京の人間にとって山へ行く路線というと何といっても中央線だし、
蓼科とか上高地の明るいイメージがある。
あさまは信州に入る前にかなりの時間、関東平野を突っ切るからな。 >>592
八甲田のったなあ、座席はずして寝床つくってるおっさんがいた 淡々と情景を描写するだけで
心理描写がほとんど出てこないと言う
演歌の中では型破りな歌らしい 鳥羽水族館で撮影中の鳥羽一郎に出くわしたのは一生の思い出 ┏( .-. ┏ ) ┓
【トランプ大統領の代わりに中国と韓国を利用】終
*北朝鮮のミサイルから日韓の防衛が出来ない
在日・在韓米軍とは完全に不要ですが
【北朝鮮から都内に撃ってないミサイルから
防衛出来たとメディアで公表させて
(捏造の合成写真・映像を、ペンタゴンや巨大IT企業が作る)
朝鮮半島を日米で併合しようと云う案もある】
*北朝鮮🆚米国&中国&日本&韓国
四ヵ国で集中的に取り囲んで虐めてる様な印象を記者会見から受けました
安倍首相の発言と中国国内の公式見解が真逆の可能性があります
後、質問の記者が誘導して居た通りに
【食料や物資の援助】で済ませるべきだと思われます
--
*今回の北朝鮮への異常な警戒とは、人類ZEROに続く軍事行動であり
次にインドに向かうと思われますが
日本が朝鮮半島を統一、実行支配した直後より
中国の喉元に日米が食らい付くスタイルになると思われます
bk
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1209643741264236549
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 何度も出てるが歌は急行八甲田が舞台だよ。
当時から言われてる話で、だから歌詞のレリーフも八甲田丸が選ばれた。
朝6時過ぎ着の八甲田は接続する連絡船までまだ時間がらあるから、
ぼーと待合室でひたすら時間過ごすしかないんだよ。
勿論冬の夜行空けの客なんて皆無口だしw
寝台特急は接続が基本短いし走らないとダメ。 >>639
貨物航送は最後までやってた
客車は洞爺丸台風を機に中止 >>50
ちょい下品系なスナックだと『喘ぎ声』に歌詞変 >>1
上野発の夜行列車・カシオペア紀行を撮影の際は、下記の決まりを遵守願います。 インスタ映えすること請け合いです。
■◇◎◇■◇□◎撮り鉄の決まり■◇◎◇■◇□◎
決まりその1・お天気の良い日に、背後に太陽のある角度で、連写せずに一発撮り、つまりバリバリ順光でサクッと「バリサク」で撮りましょう。
決まりその2・列車の側面を7・前面を3の比率で撮れるよう、つまり「シチサン」で列車が収まるように、立ち位置をしっかり決めましょう。
決まりその3・大好きな列車です。列車が構図いっぱい「カツカツ」になるようにズームしまくりましょう。
決まりその4・主題はあくまでも鉄道車両です。画面の真ん中に、つまり「日の丸」のように堂々と入れましょう。
決まりその5・撮影地での撮影前には、下記の撮り鉄のお題目を復唱し、正統的な鉄道写真が撮れるようにしっかり復習しましょう。
バリサク・シチサン・カツカツ・日の丸
バリサク、シチサン、カツカツ、日の丸
バリサク・シチサン・力ツ力ツ・日の丸
バリサク、シチサン、力ツ力ツ、日の丸
バリサク。シチサン。力ツ力ツ。日の丸。
バリサク,シチサン,力ツ力ツ,日の丸
バリサク.シチサン.力ツ力ツ.日の丸
バリサク*シチサン*力ツ力ツ*日の丸
■◇◎◇■◇□◎三脚の決まり■◇◎◇■◇□◎
決まりその1・三脚を使って撮影する撮り鉄は、手持ち撮影に慣れてない「初心者」ですから、あたたかく見守ってあげましょう。
決まりその2・撮影地ではベストポジションで撮影したいものです。事前に「置きゲバ」して自分の場所を確保しましょう。
決まりその3・置きゲバした三脚が自分のものだとわかるように、“熊出没注意”とか“弱冷房車”といったシールを「ベタベタ」貼って、しっかり目立たせましょう。
決まりその4・置きゲバに使う三脚は、他の撮り鉄に盗まれたり壊されたりしてもいいように、「安物」を使いましょう。
初心者・置きゲバ・ベタベタ・安物
初心者、置きゲバ、ベタベタ、安物
初心者。置きゲバ。ベタベタ。安物
■◇◎◇◇◇□◎火車拍照的規則■◇◎◇■◇□◎
規則第1部分・在美好的一天,讓我們在幕後以一定的角度拍攝一張照片而不進行連續拍攝,也就是説,讓我們快速拍攝直射陽光“上低音薩克斯風”。
規則第2部分・讓我們決定站立位置,以便列車可以在“7:3”處進行,以便列車的一側可以在7處,前部以3比率進行。
規則第3部分・這是我最喜歡的火車。讓我們放大火車,使它“幾乎”充滿了構圖。
規則第4部分・該主題是一輛鐵路車到最後。讓我們把它放在屏幕的中間,就像“日本國旗”。
規則第5部分・在拍攝地點拍攝之前,讓我們回顧下面拍攝的拍攝對象並仔細檢査,以便拍攝合法的鐵路照片。
上低音薩克斯風・7:3・炸肉排炸肉排・日本国旗
上低音薩克斯風・7:3・炸肉排炸肉排・日本国旗
上低音薩克斯風・7:3・炸肉排炸肉排・日本国旗
上低音薩克斯風,7:3,炸肉排炸肉排,日本国旗
■◇◎◇◇◇□◎三脚架的規則■◇◎◇■◇□◎
規則第1部分・用三脚架拍攝拍攝鐵是一個不習慣手持拍攝的“初學者”,所以讓我們熱情地觀看。
規則第2部分・我想在拍攝地點拍攝最佳位置。讓我們提前“提前”確保“你的位置”。
規則第3部分・正如可以看出哥巴三脚架的地方是他們自己的事情,密封件,如“熊出沒注意”或“弱空調車”“黏黏”,讓我們堅定地站在。
規則第4部分・讓我們使用“便宜的東西”,以便用於你的位置的三脚架可以被其他射撃鐵器盗走或摧毀。
初學者,你的位置,粘粘,便宜的東西
初學者,你的位置,粘粘,便宜的東西
初學者。你的位置。粘粘。便宜的東西 >>1
上野発の夜行列車・TRAIN SUITE四季島を撮影の際は、下記の決まりを遵守願います。 インスタ映えすること請け合いです。
■◇◎◇■◇□◎撮り鉄の決まり■◇◎◇■◇□◎
決まりその1・お天気の良い日に、背後に太陽のある角度で、連写せずに一発撮り、つまりバリバリ順光でサクッと「バリサク」で撮りましょう。
決まりその2・列車の側面を7・前面を3の比率で撮れるよう、つまり「シチサン」で列車が収まるように、立ち位置をしっかり決めましょう。
決まりその3・大好きな列車です。列車が構図いっぱい「カツカツ」になるようにズームしまくりましょう。
決まりその4・主題はあくまでも鉄道車両です。画面の真ん中に、つまり「日の丸」のように堂々と入れましょう。
決まりその5・撮影地での撮影前には、下記の撮り鉄のお題目を復唱し、正統的な鉄道写真が撮れるようにしっかり復習しましょう。
バリサク・シチサン・カツカツ・日の丸
バリサク、シチサン、カツカツ、日の丸
バリサク・シチサン・力ツ力ツ・日の丸
バリサク、シチサン、力ツ力ツ、日の丸
バリサク。シチサン。力ツ力ツ。日の丸。
バリサク,シチサン,力ツ力ツ,日の丸
バリサク.シチサン.力ツ力ツ.日の丸
バリサク*シチサン*力ツ力ツ*日の丸
■◇◎◇■◇□◎三脚の決まり■◇◎◇■◇□◎
決まりその1・三脚を使って撮影する撮り鉄は、手持ち撮影に慣れてない「初心者」ですから、あたたかく見守ってあげましょう。
決まりその2・撮影地ではベストポジションで撮影したいものです。事前に「置きゲバ」して自分の場所を確保しましょう。
決まりその3・置きゲバした三脚が自分のものだとわかるように、“熊出没注意”とか“弱冷房車”といったシールを「ベタベタ」貼って、しっかり目立たせましょう。
決まりその4・置きゲバに使う三脚は、他の撮り鉄に盗まれたり壊されたりしてもいいように、「安物」を使いましょう。
初心者・置きゲバ・ベタベタ・安物
初心者、置きゲバ、ベタベタ、安物
初心者。置きゲバ。ベタベタ。安物
■◇◎◇◇◇□◎火車拍照的規則■◇◎◇■◇□◎
規則第1部分・在美好的一天,讓我們在幕後以一定的角度拍攝一張照片而不進行連續拍攝,也就是説,讓我們快速拍攝直射陽光“上低音薩克斯風”。
規則第2部分・讓我們決定站立位置,以便列車可以在“7:3”處進行,以便列車的一側可以在7處,前部以3比率進行。
規則第3部分・這是我最喜歡的火車。讓我們放大火車,使它“幾乎”充滿了構圖。
規則第4部分・該主題是一輛鐵路車到最後。讓我們把它放在屏幕的中間,就像“日本國旗”。
規則第5部分・在拍攝地點拍攝之前,讓我們回顧下面拍攝的拍攝對象並仔細檢査,以便拍攝合法的鐵路照片。
上低音薩克斯風・7:3・炸肉排炸肉排・日本国旗
上低音薩克斯風・7:3・炸肉排炸肉排・日本国旗
上低音薩克斯風・7:3・炸肉排炸肉排・日本国旗
上低音薩克斯風,7:3,炸肉排炸肉排,日本国旗
■◇◎◇◇◇□◎三脚架的規則■◇◎◇■◇□◎
規則第1部分・用三脚架拍攝拍攝鐵是一個不習慣手持拍攝的“初學者”,所以讓我們熱情地觀看。
規則第2部分・我想在拍攝地點拍攝最佳位置。讓我們提前“提前”確保“你的位置”。
規則第3部分・正如可以看出哥巴三脚架的地方是他們自己的事情,密封件,如“熊出沒注意”或“弱空調車”“黏黏”,讓我們堅定地站在。
規則第4部分・讓我們使用“便宜的東西”,以便用於你的位置的三脚架可以被其他射撃鐵器盗走或摧毀。
初學者,你的位置,粘粘,便宜的東西
初學者,你的位置,粘粘,便宜的東西
初學者。你的位置。粘粘。便宜的東西 つべで夜行列車の車窓動画流しながら寝ると何故かすんなり睡眠に入れる いつもはつかりだったけど1回だけいなほで上野から青森行った記憶
夜行列車じゃねえや、あけぼのもう1回乗りたかったな >>508
故郷が東北・北海道ってことじゃなので、故郷で心を癒やすと、、、
ひょっとしたら、社会状況として、東北・北海道出身女性が捨てられるってのが多かったのかもしれん。 青森行きの夜行急行に乗ったことがあるなら年寄り
5ちゃんねるの年齢層は高い >>637
デビューからしばらくは路線が定まらず、演歌風の歌とアイドル風の歌を交互に歌っていた。
この津軽海峡冬景色が大ヒットした事で、路線が否応なく確定した。 >>533
確かに、上野から乗ったと入ってない。だから法律文書としては失格。
しかし、聞いた人の殆どが、勝手に、東京で失恋した女が上野から乗ったと思いこんでしまう。 >>667
つーことは、沼宮内とか野辺地から乗って青森に着いただけなのかも >>666
演歌志望だったのにアイドル系アニソンばかり歌わされた水樹奈々の逆パターンか 上を向いて股を広げ 入れたときから
二人はすでに 夢の中
してるときは人はみんな 誰も無口で
吐息と汗が ほとばしる
行きます あなた 私はもうだめよ
あなたそこよ そこと違う そこよそこなの
ああああ 土手下海峡 濡れ景色 阿久悠の全盛期は10年くらいしかなかったけど
その間はキレキレだった >>671
???:「ねぇ、いいの?ここ?ここがいいの?」
全然無口じゃない >>669
だから、この記事というかこのスレ自体が野暮なことやってるわけよ。
その昔、既に小説家としてデビューしていた三島由紀夫が、大蔵省に入って、
ある文書を書いたら、上司に、君の文章は下手だと言われて書き直されたみたいなのをやってると。 アラ還の回顧、鉄ヲタの推理、歌詞の大喜利が入り乱れるスレだな 日本の音楽産業ってJpopバブルからAKB商法で、量売ってなんぼの世界に体質変化しちまったからなあw
歌ったり曲つくったりする連中よりか、代理店メディアが儲ける為の産業になってる。
だから「生産性の悪い」従来の歌謡曲や演歌は駆逐された、初動で数万枚行かないようなものはカスだと。 >>677
今の日本の音楽って
自動車の製造工場みたいなイメージ
ベルトコンベアーで次々流れてくるのを
各担当者が絶え間なく処理してラインに戻しているよう >>116
某政治化が国鉄に圧力かけて残してる政治寝台か >>670
コラボしてお互いのカバー集を出し合ってほしいな >>678
車の製造はベルトではないと思うぞ?
組み立てラインは確かに
コンベアは使うけどベルトでは無い >>670
ちょっと違う。
石川さゆりの場合は志望方向の逆をやらされたというわけではなく、売り方がどっちつかずだった。
初期の長山洋子も、そのパターン。 昔は上野発青森行き各駅停車があった。
夜10時出発夜9時到着。
終点まで乗る奴いたのか気になる;; イントロはド演歌なのに、曲に入ると
うえの・はつの・やこう・れっしゃ・おりた・ときか・ら
と三連符の乱れ打ちになる異常なメロディ 昭和50年代までは、まだ函館人が
「ふん笑 札幌w」と余裕ぶっこいてたので
サパークラブとかのホステスさんでよければ
仕事はありました。
さらに北上するかは、その土地に伝手があるか次第であり、知ったこっちゃあ、ありません >>687
各駅で夜9時には青森到着?
寝台でも翌日の朝8時くらいなのに、各駅も意外と速いな >>687
>>691
昭和39年10月の時刻表だと、
111レ 上野1108発 東北本線経由 青森0813着
113レ 上野2050発 東北本線経由 青森1706着
411レ 上野2245発 奥羽本線経由 青森2130着
があるね。昭和42年10月なら
125レ 上野1112発 東北本線経由 青森0748着
129レ 上野2048発 東北本線経由 青森1658着
431レ 上野2240発 奥羽本線経由 青森2200着
となっていて、翌年のヨンサントオではどれも廃止されている。 いやあこれ急行津軽だろ
出世列車と呼ばれ今のグランクラスの先輩格といえるA寝台で帰郷するのが誉とされた列車なのに
スマートな軽量客車を横目にくたびれたボックスシートで打ちひしがれるそういう唄だ >>671 ここからその方向に持ってくのか? イヤンバカーンがセントルイスブルースの日本デビューだった話とか。
カーネギーホールどころじゃねーぞ >>690
やっぱり札幌に中心が移っていったのは
空路で新千歳を利用するのが一般化してからってことでしょうか 受話器のマークすら由来を知らぬ世代が増えてきてるからな
偶にこういう話題もいいかもな
回顧厨って馬鹿にされんだけども 個室は邪道、開放Bこそ寝台列車の醍醐味とか言う鉄ヲタは居るね
新幹線や特急を毛嫌いし普通列車しか認めない人種とかも居るし一般人にはわけわからない >>629
対抗してねえよw
ああいうのはアンサーソングっていう
あずさ2号のカバー曲のC/Wとして発表されたな なんでこんなに伸びてるのかと思ったら昭和のおっさん回顧レスだからかw >>701
それも、昭和歌謡とか演歌回顧よりも、昭和鉄道回顧が優勢というw あー、歌詞サイトで読み返したら
「さよならあなた わたしは帰ります」
って言ってるのか。
案外、椴法華村の出身かもよ。 >>704
帰って水無海浜温泉露天風呂に入浴するのかw
真冬は荒波&温度低下で入浴無理なんだっけ? 2曲しかヒット曲がない奴を紅白にいつまでも出すなよ。
どうしても出たかったら、かくれんぼを歌え。 >>706
趣味はともかく実用的な話になるとお勧めできませんね >>696
札幌に人口が移ったのは炭坑の廃山も要因でしょう。昔は夕張とか三笠とか炭坑都市が栄えていて、もっと人口は地方に分散していた。 むかし田舎から出て来たじいちゃんを映画に連れて行ったら「山田甲八」が観たいと言われた。 >>676
全部ひっくるめて、知的障害者の独り言でいいんじゃね? これ何故か都はるみの曲だと思ってた。
天城越えの人だと知って驚いたわ。
なんとなく北の宿からと似てるからなのか
子供だったからしゃーない。 >>694
確かにそうだが
はくつるとか特急の一等寝台で帰郷する方がさらに誉だろ? 熊本人、肥後もっこすの石川さゆりが
北国の津軽海峡冬景色とは
1975年の曲だから通用しました。 >>716
能登半島とか天城越えとかどうするんだよ?w >>715
特急というだけで優等なので対象外加えて座席車はたしか設定されてなかっただろ >>716
石川さゆりは中学生の頃からSL追いかけてた筋金入りの鉄子、旅情に関してはその辺の歌手ではないぞ。
小海線のC56を見に行きたくても、男子ばかりで泊まり旅行を許して貰えなかったのを
今でも後悔してるんだと。 >>694
当時津軽は東北民の為の列車。
モデルは座席のついた夜行、八甲田だと以前から何かのインタビューでも答えてた。 あと、歌詞読んでて、イメージのからくりに気づいたのだが
主人公は連絡船で、デッキには出ていない。
「息でくもる窓のガラス拭いてみたけど」
たぶん、「ごらんあれが竜飛岬」と指差す知らぬ人同士の会話が
デッキ(屋外)でなされたもの、と
いうイメージを誘導しやすいからと
思われる。 >>666
某芸能雑誌@スキャンダル抜き、で
桜田淳子と並べられてデビュー記事書かれてたのを憶えてる。
正直地味に見えて、売れるんかなあ?とおもた。 東京ラブストーリーのラストで
赤名リカが電車の中で泣いてるシーン
右へ走ってた電車が
次のカットでは左に走ってたようなもんか >>41
老け専のメッカかよ。
セクシャルマイノリティに理解のない、こんな田舎出てやる、と。
金がないなか「あんた、行くところがないならここで働いてみない?」とゲイパーのママに誘われ修行。
一時期は店も持てた、繁盛した時期もあった。
素敵な70過ぎの紳士と同居した時期もあった。
しかし景気の後退が、しょせんは素人商売の足元をすくい、
みるみる借金地獄。
逃げるように上野駅にたどり着き
「もう東京に戻ることはないだろう」
ベンチに佇む枯れた紳士のアイコンタクトと入れ歯を外したのを合図に吸い込まれるようにトイレへ。
嗚呼、津軽海峡線冬景色。 >>737
二次試験で、小論文といいつつ英語の長文読解出した大学だな、あれから何年たったかな 上野を22:00に出て、青森に早朝に着く夜行列車を企画してほしい 画が浮かぶストーリー性のある詞を書ける人いなくなった >>742
そうか?
藤岡藤巻とか優秀な詩を書くぞ >>724
真冬の津軽海峡なんてクソ寒いだろうからデッキに出る人はまず居ないわな 勝手な想像だけど八甲田や十和田みたいな座席急行のイメージかな 九州人ですが、
札幌出張の帰りは全線JRにして、
はまなすでまだ薄暗い早朝に降りた青森駅と
海や街並みの情景は今でも忘れない。
一軒だけ開いてた喫茶店のモーニングも。 堀北真希が青森駅に行った番組があるのだが
youTubeは削除されてて無いわ
ニコニコなら
堀北真希 「その先の日本を見に。〜少女と鉄道・一筆書きの夏〜」part4 https://nico.ms/sm4895448 r
>>751
はまなすは夜行列車の旅情が感じられた最後の列車だな
あれが廃止になって夜行列車は事実上全滅した >>724
青函連絡船から竜飛岬見えないはずだけどなあ >>755
だから霞んでる、と歌詞にあるだろ。
でも実際は連絡船乗ると途中で案内が流れてたんだけどね。 津軽海峡西側の竜飛崎よりも、東側の大間崎の方がかなり北なんだけどね
北のはずれ、と言えば大間崎、二番は尻屋崎で、竜飛崎はようやく第三位 >>756
船内で案内あったのは知らなかった。ありがとう。
「見える」と歌ってないのは分かってたけど重箱の隅突きたくなったのはオッサンのたわ言として流してくれ。 ゆうづる懐かしいわ
30年ぐらい前に一度だけ乗った >>715
はくつるが走り出した初期は
20系の座席車あったよ 客車なのか583系なのかどっちのイメージもあるから困る >>751
札幌の大学に進学して、当時実家があった秋田に帰省するのに使ったな、はまなす。
翌年に親が千歳に転勤になって、オープンキャンパス参加と受験を合わせても4回しか乗ってないが。
この前TOMIXのセット見かけてIYHして増結セットとDD51とED79と共に家にあるのは内緒 これは「いなかっぺ大将」の大ちゃんが上京したときに乗った列車。
D51 572号車牽引の何か
https://i.imgur.com/gfeqZ4Y.jpg
それから何か別の列車。何だこれ?仙台あたりで乗り換えた?
で、上野駅に着いた。
https://i.imgur.com/8jraBHY.jpg >>741
583系のはくつるは上野2221→青森711だったからかなりの俊足だよ >>784
パンタ2つ上がってるから黒磯で乗り換えたんだろう 今や鉄道連絡船といえば和歌山ー徳島間の南海フェリーぐらいなもんか?
「紀伊水道・冬景色」って歌を南海電鉄で出さないか? >>764
給水加熱器のないD51はおかしい
ナメクジ系を除く 俺は函館行くのに、上野から北斗星乗ったな。
一度だけ冬に函館行ったが、そんときは
東京駅から青森駅行きの夜行バスに
乗ったわ。青森ついたら滅茶苦茶雪が
積もっていたわ。 >>764
そう!
その頃は都会はオール電化だったけど田舎じゃ普通に蒸気機関車が活躍してたんだぜ!
田舎行かなかったから知らなかった
NHKの番組終了後に流してる蒸気機関車特集みたいので「え?そんなに最近まで走ってたの?」ってのが多かった 若いころ、大阪から北海道旅行したが
北陸線経由の「白鳥」→連絡船→「おおぞら」だった
帰りは青森から常磐線だったか水戸の方を回って東京→大阪だったけど
あの列車は何だったかな? >>688
演歌なのに歌詞が七五調じゃないというのも、
当時としては、異常だったのではないのだろうか?
三木たかし先生頑張ったよ。 >>772
十和田ゆうづるみちのくのどれかでしょう >>757
龍飛は青函トンネルのルートになったからね。
トンネルが開通する前の工事中から名前がけっこう有名になっていた。 阿久悠さん飲酒しないそうだけど
舟歌みたいな酒の歌を書けるのが凄い事だと思う。
恋愛経験無いのにラブソングの名曲を作る様な
創造力や筆力の賜物かも。 >>774
ありがとう
青森を夜7時ごろ出発、翌朝上野着のやつだったわ 今、津軽海峡冬景色を体験したいのなら、東京発の高速バスに乗り
青森フェリーターミナルからの津軽海峡フェリーという手もあるぞ
なかなかの風情があって楽しめる、酒を飲みながらの旅は性感連絡船を
思い出す、暇人はチャレンジしてみろ >>688
イントロから最後までこの曲はずっと3拍子じゃん 新海映画の聖地巡礼で蟹田駅まで行ったわ
まだ桜の花びらの映画までしか作ってない頃たったので降りたの俺一人だった >>782
三連符と三拍子の区別がつかないレベルでレスするってw 青函連絡船廃止の年に高校の修学旅行で乗った
1学年300人以上いたから先発隊と後発隊に分けられた
そして上野?まで青いカーテンの寝台列車 イントロのオーボエの哀愁のある響きは新日本フィルの当時の演奏家が吹いた
山本直純のオーケストラがやって来たで紹介された >>782
4拍子(というか8分の12拍子)だろ。 鳴かず飛ばずのアイドル時代 桜田淳子と同じファッションだったが花の中三トリオに入れなかったのは早生まれだったから 函館から滝川富良野経由で釧路とか尻がもげる夢見そう… >>779
そこは青函フェリーで
あの殺伐とした空気は最果てを感じさせるw
津軽海峡フェリーは明るすぎる ワルツじゃねーよ(笑)
>>782がバカなだけだw >>764
2枚目のやつ、EF58なんかな?昔のアニメだから、かなりデフォルメされてるけど。 上野→青森を定期列車取れなくて、12系ボックス席の「臨時八甲田」乗ったけど、青森着いたころは腰が激痛で
あやうく丸1日パーになるところだった
昔の人はあんなクソせまいボックス席でよくピンピンしてるなあと思った
これ以来、夜行は寝台か、ドリームカーのような深く倒せるリクライニング装備の普通車選ぶようになった
夜行がなくなった今は普通に新幹線or飛行機で格安ビジホ前乗り >>797
わざわざ「苻」なんて漢字を出したの?
「さんれんぷ」で「三連符」が出てくるかと。 青函連絡船の救命胴衣着用の仕方書いてる張り紙が恐怖だった幼少の思い出 車内歩き回れるし、途中の主要駅ではそれなりに長時間停車だろ?急行と言えど。腰がもげるとかないわー。 三連符はSLのドラフト音 蒸気機関車が牽引した列車ということになる >>800
昔は通路に新聞紙引いて寝っ転がってる乗客もいてどうしようもない状況、も普通だったんだよな。
そういえば同じボックスでも583系きたぐにの自由席はそんなに疲れなかったな。さすが特急車。 >>773
たぶん演歌の定石で作曲したら
大川栄作の「さざんかの宿」のように
「うーーえーのお、 はつうーーのお、夜行列車に乗おうってえ」と4分4で4小節になるだろうね。
そのあとあらためて「おりーたあ、ときからあ」と続く。
これを2小節に収めたとこが、実は疾走感のあるneo演歌に仕上がってる。 今は東京駅発の新幹線で凾館日帰りができる
うに丼喰って市営温泉に入って来た >>795
まあ一応そうなんだろうね。デッキ付きでもなく前が少し流線形ぽくてガッチリ四角でもないのってあれくらいしかないだろうから。
黄色い線の前面での塗られ方もEF58の銀色のを思わせる。
後ろの車両と幌でつながってるみたいで、電車の先頭車ような電気機関車になっちゃってるが。 オジサンたちどんどんレスして、やっぱり懐かしさがあるんだね・・・。
最近の若い人の歌は、メロもコードも展開しないジャカジャカ吠えるだけなので、聞き分けしなきゃなんない。
ま、音楽じゃなくてお経みたいなもんだから・・・って言われて納得したけど。 >>800
昔は急行にもビュフェや食堂車あったからね
70年代初頭までは
急行の長距離乗り通しの場合
気分転換にビュフェ行ってたな… ♬サヨナラあなた わたしは帰ります・・・
このフレーズを歌われたとき、おもわず涙腺が緩んだ遥か昔の大晦日。 この中で実際にあるものはどれでしょう?
レディーゴー!
1:上野発の夜行列車
2:赤いスイートピー
3:東京特許許可局
4:ホテルパシフィック 8時ちょうどのあずさ2号
これも歌どおりではないんだろ? もうバカばっかだから
まず初めて収録されたレコードが発売されたのは、昭和51年11月25日の「365日恋模様」な
日本コロムビアAX-7046。B-6に収録されている
なので、歌詞を書いたのは昭和50年11月〜昭和51年3月の間が最も近いことになる
急行「八甲田」(101レ)説が有力なのは、夜行列車=夜行急行列車の印象が強く出せるから(青森0615着)
あと自由席の比率が高かったこともある(上野からの編成で旅客車9両中7両が自由席)
当時の連絡船は出航20分前から乗船開始が多く、この夜行急行列車に接続する定期便は青森1岸発の5便(0730発)なので、海鳴りを聞く時間はある
北へ帰る人の群れが「群れ」になるほど多かったかと言えば、疑問符が「今は」付くものの、当時としてはそこそこだったわけ やっぱ十和田だな。>上野発の夜行列車
八甲田は本数が少ない。
津軽は時間がかかり渡道する人は使わなかった。 夜汽車にのって海辺の街に行く 花嫁 の嫁ぎ先はどこ >>809
sweetなpeeは甘い小便だから、糖尿病だ。
それが赤い色していたら甘い血尿だから、
腎臓や泌尿器経路に深刻な病気を疑うべし。 >>232
切り替えが早いな
もっともいつまでもウジウジしてるのは男のほうだし 583系はくつるだろ。
あれはメチャクチャ格好良かった。 >>821
「北」へ帰る船に乗るために、上野発の列車で新潟へ行った人もいたんだろうね。
当時は上越線でも夜行列車があったな。 >>824
通常は曲が完成した後に歌詞を作るから、作詞されたのは直前だろうな 中国発の専用機降りたときから
日本はカジノで大騒ぎ♪ 古い車両のボックス席だと直角背もたれで
それで夜通し座っていたんだから凄いよな >>823
ム-ンライトマ〜ジック♪ って聖子も歌ってたな (´・ω・`) >>825
だとしても寝かせてた曲ってケースもある >>827
座面はずしてずらす、
強者は縦方向に橋渡しする 上野駅来ても地上まで行かないな
日比谷線銀座線に乗るかそれとも新幹線で新潟に帰るかしかない >>830
ちょっと前に出すだけで、だいぶ楽になったよね。 モスクワ発の大陸横断列車降りた時から〜
ウラジオストク駅は雪の中〜♪ >>833
ウラジオストクはすごく寒いけど降雪は少ないんだよね。 >>537
陸奥湾は津軽半島の平舘灯台と下北半島の焼山碕を結んだ線
以南のことだから、大間を真横に見て横切った時点ではまだ
津軽海峡の海域。
函館〜青森航路で陸奥湾内の距離は約1/3に過ぎない。 津軽海峡の冬景色は尻屋崎が一番壮絶なんだろうと既に肌寒い9月に行って思ったが、
冬は入れないんだよなあそこ >>814
インタビューでも寝台じゃなく座席の夜行だと昔阿久悠も答えてたからな。
当時の八甲田は通常の時期でも渡道客が多いよ、時間もあるから青森の待合室は群れになる。だから繁忙期には臨時が多かったしな。
はくつる、ゆうづるの主力特急なんて仕事の利用者が大半だし接続時間もあまり無かった。 >>817
北山修の話では元々船のイメージだったらしい。ちなみに母親が姫路郊外の実家でこれは山陽線の夜行だそうだ。
まあ後の作者は違うが瀬戸の花嫁もこのイメージかと。 >>811
歌の影響で「スイートピーは赤いもの」と思い込んでた。
google画像検索で、初めてスイートピーを見たわ。 40年前とは言え583系はちょっと近代的過ぎて歌の雰囲気にはあわない
SLまで行かないまでも、そのちょっと前の時代のディーゼルか客車列車のイメージだと思うんだが >>845
上野〜青森の夜行列車で気動車はなかったぞ。 >>838
洞爺丸は定刻午後2時半函館発のところ、たまたま強風による停電で
可動橋(列車を船内に入れる時の潮の満ち欠けに合わせる連絡橋)を
上げられなくなって、船長はこの時点で出航見合わせを決断した。
記録によるとこの停電はわずか30秒程度で普及したのだが、船長が
天候険悪を理由に見合わせを指示した以上、すぐに可動橋が動きました
といっても「それでは出る」とはならなかった。
結局は4時間様子をみて、風が弱まったことから台風が去ったものと判断
して午後6時半出港。午後7時過ぎに函館港灯台をかわしたあたりで激しい
吹き戻しで身動きが出来なくなり午後11時半七重浜に座礁、横転転覆
もし、午後2時半に出航していれば、難儀はしても陸奥湾に逃げ込めたと
見られている。 東京駅に着いたその日は私お下げの少女だったの…(;´・ω・) 胸ポケットに膨らむ夢で 私買ったの 赤いハイヒール 急行「八甲田」 一択!!!
そう言えば。上野を1200ちょっと前?に出る、普通列車 一ノ関行き列車に乗った覚えがあるな 大宮まで EF58に、茶色の客車で、デッキのドアは走行中でも開く!
川口あたりで走行中、デッキのドア開けて やっほー!! した覚えがあるな。
EF58の思ひで しゃあああああああ!! ばばん!だだん!!。 上野駅から、宮城県だか岩手県だか、微妙な一ノ関駅まで、ほぼ各駅停車。23:30くらいに終着だったような気がするな 名前はない。 便所は ぽっとん と言うより、粉砕系!
大便所に座ると、 真下の、線路の砂利がすごいスピードになってるのが見える!
つまり ぶちまけっw!! だから 停車中は ウンコ禁止 !そのまま落っこちて、発車後に ホームからブツが見えるから !!www 石川さゆりの「津軽海峡冬景色」「天城越え」に比べて
森昌子の「越冬つばめ」「悲しみ本線日本海」は、あまり知られてないんだよな。
石川さゆりと森昌子の差かな? 昔のレコードジャケット写真拝見(CDでも可)
石川さゆり萌え♪(;^ω^) >>856
やっぱり、阿久悠&三木たかし が凄いのかと
石川さゆり:
・「津軽海峡冬景色」
作詞: 阿久悠、作曲・編曲: 三木たかし
・「天城越え」
作詞: 吉岡治、作曲: 弦哲也
森昌子:
・「越冬つばめ」
作詞: 石原信一、作曲: 篠原義彦、編曲: 竜崎孝路
・「悲しみ本線日本海」
作詞: 荒木とよひさ、作曲: 浜圭介、編曲: 竜崎孝路 >>856
森昌子はブランクがあるからだろ
ブランク中に逆転した
復帰してからも往年の歌唱力は戻らなかった 竜飛岬に行ったとき、この歌の歌詞かいた石碑があって、
ボタン押すと大音量で歌が流れたけど、あのギミックはまだ生きてるかな
場所柄二番だけだったけど >>864
青森駅の北にある旧青函連絡船の桟橋のところにもある 1972年までは上野発の夜行「鈍行」列車で421列車というのがあったと聞いたことがある。
(福島から奥羽本線経由)
調べてみたら上野発22時39分・青森到着21時55分だから歌には該当しないようだが。 >>868
さすがにそれで青森着いたら歌にできる状態じゃないような。 >>868
昭和39年10月の時刻表だと、
111レ 上野1108発 東北本線経由 青森0813着
113レ 上野2050発 東北本線経由 青森1706着
411レ 上野2245発 奥羽本線経由 青森2130着
がある。昭和42年10月なら
125レ 上野1112発 東北本線経由 青森0748着
129レ 上野2048発 東北本線経由 青森1658着
421レ 上野2240発 奥羽本線経由 青森2200着
となっていて、翌年のヨンサントオではどれも廃止されている。 演歌は残っていくと思う、
けどそれはJPopバブルやアイドルブームの様な、
大量生産大量消費とは無縁の世界で生き残って行くと思う。
多分、テレビでも取り上げる事はめったに無くなるんじゃないかなあ、儲かんないからw >>509
あの人は、森昌子の大ヒット曲も作曲している件について。
篠原義彦でぐぐるんだ。 >>860
ううむ
筒美京平&松本隆と較べるとどれも小粒だなぁ >>847
洞爺丸事故は台風の進路の予想に失敗したのが原因。
当時は気象衛星も気象レーダーもなく、各地の気象台から集められる
風速と気圧などのデータだけでおおよその位置を予想していた。
今なら気象衛星と気象レーダーでどのぐらいの規模でどの地点を
通過するかは数日前でおおよそ前日でほぼ正確に予想できるから
事故そのものが発生しない 寝台車にまた乗ってみたくなった
朝、通常座席に戻って他の人たちと顔を合わせるのが楽しかった >>879
いま、夜行寝台はサンライズしかないんだっけ? 修学旅行で乗ったな
その次の週に洞爺丸事故があった >>881
80歳を過ぎても5chとは、お若いですね! この歌に誘われて上野発の夜行列車に乗ったのは1979年の札幌旅行
そしてこの歌以前に発売されてた吉田拓郎の落陽をたどって苫小牧発仙台行きフェリーで本州に帰った >>814
問題なのは「北へ帰る人の群れは誰も無口で」がデタラメなことだろ
連絡船も桟橋もめっちゃ陽気で賑やかなのに
曲調も暗いし
曲も歌詞もデタラメ
函館も青森も寂れて人口も激減だが
あの歌がイメージを悪くしたのは否めない
石川さゆりも阿久悠も万死に値する >>885
> 函館も青森も寂れて人口も激減だが
これは、青函トンネルと新幹線のせいだろ。 150 名前:名無しさん@1周年 :2018/12/16(日) 19:47:15.46 ID:NiasEZ4Q0
1981年10月ダイヤ改正時点での上野から札幌の最速ルート
上野発15時30分 はつかり11号青森行き
青森着24時13分
青森発 0時35分 青函連絡船1便函館行き
函館着 4時25分
函館発 4時45分 北斗1号札幌行き(東室蘭回り)
札幌着 8時57分
北斗1号の指定券が取れなかった場合は、こちら。
函館発 4時50分 北海1号札幌行き(小樽回り)
札幌着 9時22分
これを幾度となく体験した者からすれば、札幌へ新幹線で日帰り出来る今は感無量だよ(笑) >>1
そこまで深く考えてないだろうし
あと、毎年同じような歌、もう紅白出なくていいよ。
現金子と同じだよ >>887
まあそうだな
それなのに函館も青森も必死に新幹線を誘致したんだよな
函館駅前なんか三つあったデパートが全部無くなった >>890
新幹線が無い地方都市でも(山梨の山交デパートとか)
デパート無くなってるんだが >>892
山梨には山梨の事情があるんだよ
函館は青函航路という北海道の交通流通の拠点の地位を失ったのが大きかった
JRの本線も通らない、今では稚内や根室などと同様の北海道の辺境の一地方都市でしかない 八甲田だろ この議論される数十年前から八甲田だと思い込んでたけど >>893
函館は物凄いホテル建設ラッシュなんだけど
https://www.ehako.org/neta/archives/1875
駅前の和光は寄り合いデパートで百貨店協会には加入せず
棒二森屋と函館西武が百貨店協会に加盟店だったけど
棒二森屋は金森倉庫とグループ会社だけど
さいかや森文化堂はデパートという名前の洋服屋や本屋
ホリタはダイエーに吸収された
北海道は完全な車社会だから駅前のデパートが廃れて
郊外のショッピングモールに流れてしまう >>895
もの凄い人口流出なんだけど
郊外のショッピングモールってどこよ
イトーヨーカドーとドンキのこと?
あんなのがショッピングモールなの 今は湯の川にイオンなんかあるのかよ
温泉地の旅情もへったくれもねーな >>885
俺が冬に行ったときは天気も悪くあの曲の通りだった >>184
こういうのは東北とか東日本が歌になるよな
西日本、九州が舞台ではあまり悲壮感がでない?
四国松山の夜明けのブルースとかあるけど、悲しい歌じゃないよな 八甲田丸の博物館は人がいなくて最高
機関室とか思う存分見られる >>888
ある意味黄金時代。鉄模でこの名役者と名脇役ばっかり集めてるわ。 >>895
ホテルの建設は観光地としての価値ってだけ 湯の川温泉は夜にレストランで若い女が1人で食い放題のカニをむさぼってるよ で、結局、上野発の夜行って何だったのよ。
冬の朝で竜飛岬が見えるんだから青森発の7時ごろ以降の船だろうな。 >>888
上野を夕方出たら、朝9時には札幌で人働き出来るダイヤ。
列車は寝台じゃないけど、青函連絡船で足を伸ばして4時間寝られるから
まあ、上等な行程だったな。
ただ1970年代の後半にはほぼ飛行機になっていったから、最後に乗ったのは
いつだったか。ジャンボやトライスター、DC10あたりの投入で座席数も増えて
空路が乗りやすくなったのも一因かな。 上野発青森行きの夜行列車が多かった時代が懐かしい
青函トンネルが開通して北斗星にその座を譲り
その北斗星も無くなってしまった 特急とか夜行電車特急ってイメージじゃないんだよな
急行八甲田じゃないの? >>903
けしからんは、怪しくあらんやろ?
怪しくないんやったら、ええやんか 日本列島は、あの短い津軽海峡を境に
南は梅雨があり、北にはないという自然の不思議 まあ大阪人にとってはあまり興味の無い話。
しかし、大阪に出稼ぎに来てる四国の人間は帰省するにしても瀬戸内海を渡る程度なので、全く風情も旅情もないなあ。 >>914
ブラキストン線な。厳然と切り離されていた。
ただ、青函トンネルが出来たから野ネズミの類は比較的自由に往来できるようだし
どうやったのか知らんけど羆も秋田、岩手あたりまで「進出」し出している気配もある
あのトンネル、結構功罪があるのかもしれない >>915
延々と列車に乗って辿り着いた先にまだ広大な大地が広がってる、というのは大阪だと九州かな。
ただ海峡が狭過ぎてこれまた風情が微妙な感じに。 羆は出入り口にある好感度熱センサーに引っかかってさすがに通り抜けていない
ただし、船と飛行機に乗った朝鮮半島熊は世界中どこでも暴れまわっている >>915
四国在住だが夜、高松港の灯が見えると帰ってきたって感じしたな。港の後辺りだけネオンが目立ってて。
連絡船降りてホームへ向かうと予讃土讃、少し離れて高徳線の列車のアイドリング響いてて夜昼関係なく帰って来た感じ。
今なら瀬戸大橋から見える讃岐富士見えた時帰って来たこと感じる。 歌詞から
青森駅に到着した時はホーム以外は波の音しか出ない =夜間
連絡船へ乗った後で、鳥の描写がある =そのころ日の出 (12/22冬至の青森市日の出は06:58)
失恋した未練たらたらの女性が特急料金(当時ほぼ全席指定。寝台特急列車は全て指定)を出して故郷へ帰るか?
そんなに踏ん切りが良い女性なら、過去を捨てるために大盤振る舞いで羽田から飛行機で帰るわ
これらのことから、急行八甲田(101レ。上野19:10→青森06:15)→青函連絡船5便(青森07:30→函館11:20) >>901
南国土佐を後にしてって帰りたくて帰れない懐かしさが切ない。
元々高知出身の兵が戦地で歌ってたって聞くとなおさら感じる。
愛媛思情も遠く離れて故郷思ううただね。 >>922
皆さま、長旅大変お疲れさまでした
当列車、あと10分ほどで青森駅に定刻で到着いたします
そろそろ下車のお支度をお願いいたします
青森からの連絡便のご案内です
青森発の青函連絡船5便は7時30分の発船。お時間がございますので
駅待合室でお待ちください
秋田深浦行の急行・・・ >>924
ちょっと違うようだね
https://youtu.be/Ctl06ALc8X0?t=262 急行八甲田、青森駅到着5分前
1977年上野〜青森〜函館・急行八甲田と青函連絡船15時間の旅 >>916
30分に1本貨物列車が走っている青函トンネルをヒグマが抜けられたら学会に衝撃が走るぞ >>925
おお、懐かしい!!
車掌さんのなまりが暖かい
今なら合成音声になっちゃっているのかなぁ 北に向かうと、なぜか人は感傷的になる
日本に北国があって本当に良かった 南へ向かうと、人はバカボンのパパになる
日本は広いのだ
それでいいのだ! >>930
青森が目的地で、あえて津軽を上野から乗り通すかな。 >>926
五稜郭あたりで貨車と貨車の間に潜り込んで無賃乗車とか 青森駅の旧連絡船乗り場への連絡橋を見た時に
その時見えていたものだけじゃなく、この歌の歌詞の情景が浮かんだ >>931
とりあえず札幌を目指すか、函館が目的地だったかにもよるな 南国土佐を後にして、
大黒様は行きました、
これこれ稲葉の白兎、
皮を向かれて可哀想。 キン肉マンのリキシマンも、雪の青森から上京してきた、って唄ってたな 夜行列車と言われて寝台特急を想像するのは平成生まれだろ >>939
昭和だけどそう思いますよ
昭和でも70以上でしょ?ボックスシートの夜行列車とか 降りたときから
ってことは青森駅についた瞬間に雪が降ってきたってことか
それまでは車窓から雪が見えなかったっていうのは少しイメージと合わない >>885
陽気なんて事があんの?
みんな黙ってたぞ >>941
それまでは、夜で、青森駅で夜明けかな? >>942
黙ってねーよ
めっちゃ雰囲気明るいのが連絡船
みんな座敷席に座って小宴会が始まるしな (;´・ω・)石川さゆりは石川県出身では無いんだよ… >945
昔、夏の北海道旅行からの帰りの連絡船は
誰ともなく大勢で合唱したわ
曲はシューベルツの「風」だった 加齢臭どころか,加齢臭すら枯れてしまった年齢層が
このスレは多いなww >>6
釜山に帰るんですね。
15年くらい前ソウル0時頃発釜山5時頃着の列車があった。国際ターミナルが今の沿岸ターミナルの場所にあった頃 石川さゆりは当時SLファンだったエピソードがあったはず
平凡とか明星みたいな雑誌で見た 青森の雪の量ははんぱじゃないから
真冬の青森駅に降り立つとなんじゃこりゃだったな 歌詞見ると、早朝というわけでもないし、大体冬だとまだ空暗いんじゃ。。。>ゆうづる1,2号
座席急行をイメージする場面。津軽じゃ遠回りだから、八甲田か、あと十和田かな 修学旅行はギリギリ青函連絡船だった
連絡船廃止で次の年からは女満別からの飛行機になった 負け組トーホグは暗い演歌ばっか
はーるばる来たぜ函館へー! きたーの酒場どおりにはー
それに引き換え北海道の演歌は明るい >>959
>北海道の演歌は明るい
いまや北海道の大半も負けず劣らず負け組だけどな 北海道は寒さも、暮らしにくさも極まっているからね
歌まで暗くしても仕方ないと
メッチャのりで勝負の世界なんだよ
ある意味破れかぶれかな >>961
現実をそのまま表現するのはドキュメンタリーだしな。 北へ帰る人の群れは誰も無口で
のくだりはおかしいだろ
ガキがギャン泣きしてるだろうし、酔っぱらいがいるだろ
誇張しすぎだわ >>967
座席急行に一晩揺られた後でそれだけの元気は無いだろう、との読みらしい。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。