最近、エジプト人とイギリス人の男性同僚2人と東京に出張した。

1週間、ほぼ毎日地下鉄や電車を使い、混んだ車両に乗ることもあったが、2人とも席が空けばまずは私に座らせようとしてくれ、座っている自分の前に女性(年齢はさまざま)やお年寄り(男女問わず)、荷物を持った人などが立ったら、もれなく「Would you like to sit?」と言って、積極的に席を譲っていた。

そのたびに譲られた側の日本人は最初驚き、まずは遠慮する。それでも同僚たちが構わず立ち上がると、最後は嬉しそうに感謝する。「外人さんは偉いねえ」などと言って彼らをほれぼれと見つめ、降り際に深々と頭を下げるおばあちゃんもいたし、ベビーカーを押して肩身狭そうに乗ってきた若い女性も笑顔で喜んでくれていた。
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椅子取りゲームのように我先に席に座る人たち

今回の2人に限らず、これまで出張で日本に連れて行った多くの(この10年以上で通算150人以上。主に欧米人だがそれ以外も)男性同僚たちの大多数が同じような状況で反射的に立ち上がり、自分より体力のなさそうな人たちに席を譲るのを見てきた。彼らを見ていると、こういう行為が本能的に身についていて反射的に自然にできているんだなと感じる。おそらくこれは、幼い頃からのしつけと、長年の習慣の賜物だろう。

一方で日本に帰るたびに気になるのが、電車が到着するや我先にと椅子取りゲームのように小走りに席を取り、座った途端に目をつむる(またはスマホの画面に釘付けになり、周りで何が起きているかを全く見ていない)人がとても多いと感じる。優先席に若者が平気で座っていたりもする。

そういう光景を見ると、何かとても殺伐とした気持ちになる。日本は通勤が長く残業も多いから、睡眠不足で肉体的に疲れている人が多いのかもしれない。でも本当にそれだけが理由なのだろうか。第一、もしそんなに四六時中誰もが疲れているとしたら、そのこと自体が問題なのではないか。

最近しばしばソーシャル・メディアなどでも話題になるが、混んだ電車にベビーカーを押した女性が乗ろうとすると、助けるどころか舌打ちしたり、あからさまに迷惑そうな顔をしたり、「ベビーカー畳めよ」という反応をする人が珍しくない。見ていると、体の不自由な人、妊婦、老人など、肉体的に弱い人々に対しても冷淡な場合が多いと思う。冷たいというか、存在自体を静かに無視しているように見える。


意外にも日常的に席を譲られるニューヨーク

私はニューヨークに住んで20年以上になる。基本この街でも人々は忙しいので、みんな自分のことで精一杯だし、他人のことにあまり関心はない。

ニューヨークでは東京よりもはるかにインフラがくたびれており、エスカレーターもエレベーターもない地下鉄の駅がいまだに多い。そういう駅で、ベビーカーを押した女性や体の不自由な人がいると、見ず知らずの人同士が「ヘイ、手伝おうか?」「ほら、あんたもちょっと手貸して」という感じで自然発生的にチームになって、助けてあげている光景にしばしば遭遇する(手伝ったあとは何事もなかったかのようにアッサリ別れていく)。

このような、アメリカに住む人たちの、ボランティア精神旺盛で、半ば強引で、もしかしたら日本では「おせっかい」と言われそうな行動や、同僚たちの日本の電車における積極的な親切さを見るにつけ、この違いは一体どこからくるのかと常々疑問に思っていた。

こうした想いを1月にこうツイートした。

「今日ニューヨークの混んだ地下鉄で席を譲ってくれようとした若者がいて、その時思った。東京に2週間ちょっといた間、毎日電車に乗ったけど、一度も席を譲ってくれようとする男性(私にであれ、近くに立ってる人であれ)に会わなかったな。」

実際ニューヨークで席を譲られることは比較的よくあることで、このツイートの2日後にも地下鉄で、2人の乗客に対して「Do you wanna sit?」と席を譲ろうとしている女の子がいた。
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「倒れたけど、誰も助けてくれなかった」

だが驚いたのはこのツイートに対する反響だった。2日で1000以上のLikeと多くの個別メッセージが届いた。多くの女性が「わかる!」という(いくつか「妊婦時代は譲ってもらっていました」というポジティブなコメントもあった)一方で、「女だからって譲られるのを当然と思うのは変だ」


全文はソース元で
1/4(土) 12:10配信
ビジネスインサイダージャパン
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200104-00000002-binsiderl-soci

★1 2020/01/04(土) 16:13:43.14
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