幾度、支援の手を求めてもつながれなかった。自ら命を絶とうとして救急車で運ばれてやっと、ひきこもりを脱する一歩が踏み出せた。「同じように困っている人を助けるために、外へ出てみませんか」。ユウタさん(42)=仮名=は、かつての自分のようにひきこもる人に呼び掛ける。おなかには、刃物を突き立て死のうとした傷痕が残る。「一度失いかけた命。誰かのために使いたい」。そう思うまで道のりは遠かった。

 29歳から6年半、沖縄本島の実家にひきこもった。「時間」の感覚は消えた。

 同居の両親と弟が仕事に出掛けるのを見計らって自室からテレビのあるリビングに移り、朝のワイドショーを見る日々。眠気が訪れ昼寝した後、夕方には家族の帰りを避けるように自室へ戻る。夜中は動画投稿サイトを眺め過ごした。

 食事は家族の残り物。「たばこや酒は数日に1度、両親の買い置きからくすねた。両親は気付かないふりをしてくれたが惨めだった」。公営団地の3LDKに大人4人の生活。どんなに避けようとしても、母と顔を合わせると「なぜ働かないの」と詰め寄られた。

 家の外に出られないストレスが絶頂に達し、時に暴力を振るって激しく後悔した。「特に母には恨みに近い感情を抱いた。殺してやろうかと思ったぐらい」

 自室に夜中一人きりだと考えが際限なく膨らんだ。

 インターネットのコメント欄で、沖縄の人を蔑(さげす)むような書き込みを見つけると端から「論破」した。「話す人がいないから」。ストレス発散だったと思う。「沖縄の男性は働かない」の一言には産業構造などの根拠を挙げ、相手が反論しなくなるまでコメントを書き込んだ。

 ワイドショーで政治に詳しくなり「国会中継の討議に参加した気分で受け答えして時間をつぶした」。

 父は建設業、母は配達員で、家計に余裕はない。申し訳なさは募った。

 「なまけ者」「社会のごみ」−。ネットでひきこもりの人に向けられた書き込みを目にするたび「恥ずかしい存在」と烙印(らくいん)を押されたようだった。

 8・5畳の自室で1日の大半を過ごすうちに体力は衰え、大好きなオートバイの部品も持てなくなった。一方、体重は10キロ以上増えて95キロに。両親はひきこもり中、離婚した。

 高校卒業後、工場や飲食店で約10年働き友達も人並みにいた。自称「どこにでもいる普通のウチナーンチュ」。まさか自分がひきこもりになるなんて思いもしなかった。(「家族のカタチ」取材班・篠原知恵)

1/19(日) 6:10配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200119-00512821-okinawat-oki