もしもツイッターがあったら

 ツイッターについて。私は大学や日本史学といった業界≠フトレンドを知るのに使っている。多くのアカウントが私の知らない知識のみならず、本音をご本人が意識しているかどうかは別として、140字でぶちまけてくれるのでとても面白い。面白すぎて研究が手につかないくらいだ。


降伏やむなし

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酒造業F某(同)
わが国がこれほど弱国とは思わなかった。残念でならない。今日学校から帰った子供たちは皆泣いている。降伏条件には国体の本義に反するようなことはできまい。
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 F某はおそらく庶民層の人なのだろう。「国体の本義」、つまり天皇中心の統治体制が守られないかぎり降伏はできない、というのだが、逆にいえば国体さえ守られれば、降伏してもよい、というのだ。

 「国体護持」を願ったのは、けっして支配層だけではない。多くの人は、それまで当たり前だった秩序や世界観が瓦解するのを何よりも──本土決戦よりも恐れたのである。「国体護持」は、国民に突然の降伏を受け入れさせるうえで、一定の有効性を持つスローガンでもあった。

 その「国体護持」を最も強く希望していたのは、調査のいう「右翼分子」の人々である。

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大東塾ひんがし会員 H・I(同)
畏れ多くも聖旨にもとづく交戦停止とは申しながら、大君はまさしく民草の上のみ思(おぼ)し召されての事である。我々臣下としては、聖慮のほどをお察し申し上げ、我々から強くお応え申さねばならぬ。武装解除をされてからの国家の維持存続は考えられない。あくまで抗戦を持続すべきだ。
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 このつぶやきは興味深い。Hは、降伏を決めた天皇に対して、我々国民はそのお気持ちに「強くお応え」するためにも徹底抗戦すべきだという。つまり和平を願う天皇の気持ちは意図的に無視されているのだ。彼らにとってはみずからのイデオロギーにかなう行動をとる天皇こそが天皇であった。

 では、その徹底抗戦の主役となるべき軍人たちは、何を考えていたのだろうか。
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むしろ左翼のほうが徹底抗戦

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高知連隊区司令部々員某(同)
重大発表があるということは、外部から聞いてはじめて知った。もしこれが事実とすれば、我々としてはいまさら降伏することはできない。最後の一兵になるまで、徹底抗戦あるのみである。司令部員はもちろん、郷土の野戦部隊にある者も皆同じ気持ちだと思う。これからは我々が電車に乗っても後の端にされるだろう。
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 連隊区司令部とは、徴兵事務などを行う陸軍の官衙(かんが、役所)である。その一員である某は、口では徹底抗戦をとなえながらも、これからは国民からの軽蔑の視線にさらされながら生きねばならぬのか、とやるせない本音を吐露している。

 もし本気で徹底抗戦する気があるなら電車云々は関係ないはずで、ここから徹底抗戦はしょせん口だけに過ぎないことがわかる。それは多くの陸海軍人に共通する態度だった。彼ら軍人にとって重要だったのは、軍人としての体面を守れるか、この一点のみだった。

 軍人よりもむしろ(元)左翼のほうが、徹底抗戦の意気に燃えていた。当時の特別高等警察(特高)から危険思想の持ち主として監視されていた徳島県のある人物は、以下のようなつぶやきをもらしている。

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共乙 M・K(8月15日、徳島県の調査)
休戦なんてまったく国民を馬鹿にしている。十や十二の少年でさえ死を覚悟しているほど国民は米英撃滅の闘志に満ちているのだから、私は国民が三分の一以下に減少するまで頑張るであろうと考えていたにもかかわらず、まだまだ戦える余力を残して敗れたとはまったく残念でならぬ。
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 「共乙」は(元)共産主義者として特高の監視下にあった人を指し、「乙」は「甲」よりは監視の重要性が低い。この「国民が三分の一以下に減少するまで頑張る」べきだ、という発言から私が想起するのは、特攻の父とも称された大西瀧治郎海軍中将が敗戦直前に徹底抗戦を主張して吐いた、「二千万の特攻を出せば必ず勝てる」という有名な言葉である。

 大西の発言は、仮に日本人100人と米兵1人の命を交換したとしても、2000万の日本人が命を捨てれば20万の米兵を殺せる、そうすれば米国内の世論が日本に妥協するから勝てるという予測にもとづくと、私はみている。

1/19(日) 10:01配信  全文はソース元で
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200119-00069853-gendaibiz-life&;p=2