【歴史】秀吉か森蘭丸か…明智光秀「信長殺し」8人の“真犯人 ★2
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今日から放送されるNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公は、明智光秀。ドラマのクライマックスとなるのが、あの「本能寺の変」だ。
1582年6月2日、天下統一を目前にしていた織田信長が、家臣の明智光秀の謀反により、本能寺で自害。だが光秀は、「中国大返し」で戻った豊臣秀吉に敗れ、その天下はわずか11日で終わった。「戦国時代、最後にして最大の下剋上」といわれる。
主君・信長にパワハラを受けつづけた結果の謀反――つまり、「光秀の “私怨” が原因」というのが、人々が持つ本能寺の変のイメージだろう。だが近年、これを覆す「新説」が、次々と発表されている。
今回、紹介するのは、黒幕や共謀者と囁かれる8人の “真犯人” 。荒唐無稽な説もあるが、思わず膝を打つ説も。歴史上の大事件にもかかわらず、いまだ「信長殺し」の謎が解明されないのは、なぜか。
「信頼性の高い1次史料が、限られているためです。学者や作家は、自説の補完材料として、2次史料・3次史料を恣意的に利用するため、基本的な事実すら定まらず、論旨が噛み合わないのです」
歴史アナリストで『明智光秀の生涯』(三笠書房)の著者、外川淳氏(56)は、そう語る。
「『黒幕がいる』という説を提起する人は、真実を解明したいわけではなく、歴史エンタテインメントとして支持を得られればいいのでしょう。
歴史学での研究成果を論拠としながら、そこにフィクションを追加することで、真実を解明した “幻想” を与えつづけているだけともいえます。
私自身は、『光秀は、黒幕に操られて謀反へ追い込まれたのではなく、自らの意思で天下簒奪(さんだつ)を決めた』と考えています。『共謀者もいた』と考えますが、山崎合戦で光秀が秀吉に敗北したことで、共謀者自身が証拠を消し去ったはずです」(外川氏、以下同)
大河ドラマでは、光秀の「謎めいた前半生」に光があたる。
「光秀は謀反人とみなされ、秀吉の時代には、血縁者や関係者は、その事実を隠さざるを得なかった。そのため、光秀に関して信頼に足る史料のほとんどが失われ、生年月日や生まれた場所、父の名前さえ不明なのです。
しかし生涯を辿ると、知性と行動力で逆境を克服した優れた武将だったことがわかります。精神状態が不安定で、突発的に謀反したように語られますが、それは類まれなる名将に対する名誉毀損。
天下人となることを夢見て、チャンスを逃さなかった。わずかでも天下を奪い獲った、成功者だったと思います」
以下では、8人の “真犯人” についての新説を、外川氏に解説してもらう。あなたの知らない光秀がくる。
●真犯人(1)豊臣秀吉
“天下統一を目前にしていた信長にとって代わり、自らが覇者となるために、秀吉が光秀を謀反へと導いた” という説。最終的に、本能寺の変で最大の利益を受けたのが秀吉だったことや、「中国大返し」の不自然なまでの動きの早さなどが根拠とされる。
「“黒幕” とまではいえませんが、『光秀との共謀があった』とすることは、否定しきれない有力な仮説。信長に対する不信感、警戒心は、光秀も秀吉も持っていたはずです。共謀の証拠は、勝者・秀吉により抹消されたとも考えられます」(外川氏の見解、以下同)
●真犯人(2)徳川家康
「家康は、『信長が自身(家康)の殺害を光秀に命じた』と察知し、光秀と共謀して返り討ちにした」という説。信長と徳川家康は同盟関係にあった。しかし、家康は嫡男と妻を、信長の命により死に追いやられていた。「本能寺の変」直前、家康が光秀からもてなしを受けていたことも根拠だ。
「光秀と家康の接点は、それほどなかったはずですが、この両者に仕えた武将が存在します。『この武将が、両者の間をつなぐスパイ、あるいは連絡役のような役割を演じ、謀議を交わした……』と想像することも可能でしょう」
●真犯人(3)濃姫
斎藤道三の娘で、のちに信長に嫁いだ濃姫を、『本能寺の変』の中心人物だと疑う説。『光秀と濃姫は、いとこであり、幼馴染み、さらに恋仲でもあった』という見解を前提としている。信長を含めた、この3人の “三角関係” が、変を引き起こしたとする筋立てだ。
「ドラマとしてはおもしろいのですが、光秀の出自自体が謎であり、濃姫と血縁関係の可能性は低い。とはいえ、血縁関係が事実なら、光秀は主君・信長と、濃姫は出世街道を走るエリート・光秀と縁戚になり……。互いに好都合です」
(続きはソースにて) https://smart-flash.jp/sociopolitics/91188/2
※前スレ
【歴史】秀吉か森蘭丸か…明智光秀「信長殺し」8人の“真犯人
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1579406038/ >>1 >>100
日本人の血税を使って、
しばき隊メンバーなど在日朝鮮人を大量採用し
朝鮮電通と結託して「韓流スター」の人気偽装をやりまくる超絶反日NHK。
何のメリットもない韓国から離れようとしている日本を邪魔するため、韓国内の政治話をさも重要ニュースであるかのように報じまくる超絶反日NHK。
>NHK(特殊法人日本放送協会)の平均年収が1606万円(40.9歳平均・日本人平均の4倍)だということをみなさんはご存じですか。
【NHKのスクランブル化を実現させよう】
http://www.ystseo.net/ngnhk/
. >>891
忍び兼裏警察だよな 部落童話は。服部氏や秦氏が多いだろ 世阿弥 観阿弥 団座衛門
源氏が表の警察ならば秦氏は裏の警察。 朝廷と徳川と光秀 これのルートをつなぐのは秦氏系の忍びだな。
この国のタブーというか教科書では教えない歴史だな。興味ある人はしってるだろうけど サルが唆した説が有力
でなければ、あんなに早く討伐に向かえない 朝鮮や明まで出兵する構想があると
知って死ぬまで働かせられると
ドン引きした所で、手薄な状態の信長と
大軍を率いてる状態の光秀
魔が差したんだろ 光秀もいった甲斐征伐恵林寺焼き討ちから
一ヶ月後
移動も考えるとほんとにわずかな期間
武田残党が絡んでるのは間違いない >>903
おなじだ。 新羅から秦氏は渡来し天皇家に仕えた。 >>904
陰謀論の98%は一言で片付く
「偶然だぞ」 >>888
だから、恨みがあるところまでは事実としても、
恨みを晴らすために何か(史実に出て来ない大きなことを)したと言うのは妄想、ってことだよ。 律令では
紀伊とか畿内じゃないからな
いまでは和歌山はちゃっかり近畿のなかに入ってるが
死国の一部 一生に犯せる罪の量ってあると思う
それを超えると目が濁り、未来が見えず、見境がなくなる
全てが怪しくなる前に討たれて良かった >>847
稲葉家譜のあれやってたね
あれは本文の中にも信憑性は無いって書いてある >>904
日程的に十分可能な範囲。
それ以前に、信長が隙だらけの状況が発生することは秀吉には予見できないので
あるかどうかもわからない事態に多大なリソースをかけて備えていたと考えるのは無理がある。 これ徳川と朝廷をつないでたシノビが 服部だからたぶんね。
情報を忍者つないで情報交換する場合ね。信長は伊賀ものころしまくったから、
だいぶん伊賀のシノビは信長に関することを悪く広めた可能性あるのよね。
人間だからね。情報収集してても嫁や子を殺しまくったやつはどんどん悪くいいまくる
情報って何人もの間を話している間にまったく別々のものになってしまうからね。その途中の人間の
思想がかなり入り込む。家康や天皇家の目や耳となるシノビが見たものを大分信長に都合悪くおそらく
つたえまくっただろう 家康にも天皇家にも。とうぜん光秀のところにも。まあね。忍者的に回すとやばいのよ
俺もまあCIAとやりあったことあるけど 死にかけたからな かろうじて勝ったけど いつも無意味な神社厨が盛んにレスを始めると
逆にスレが澱み出しおかしくなるのは秘密な 光秀=天海説を考えた時、家康黒幕説が濃厚なんだけどね。徳川幕府を起こす際に、
宮中や足利幕府を知っている光秀の知識と人脈は大いに役立っただろう。 森三兄弟(蘭丸、力丸、坊丸)、小河、高橋、金森
小姓衆討死 本能寺の変は光秀の衝動的な謀叛だろう
いわゆる「魔が差した」というやつ
織田家中で内ゲバが起きたら面白いなと
光秀を誑かした人はいるかも知れないけど共犯者はいない
だから謀叛には成功したけどその後が続かず権力基盤を固める間もなく敗死することになった 何時になったら、室町幕府が三河政権だと理解するんだ?
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 >>800
逆じゃないか?
光秀は信長に「今日織田信長は死んだ。おまえがわしを討ったことにしろ」と言われたんじゃないか?
信長の行方はインドかスペインかポルトガルかフィリピンか 徳川家康が、尾張の田舎者サイドにつくわけねーだろう
足利尊氏の生誕地と徳川家康の生誕地は、直線距離で約1.5キロしか離れていない
おそらく足利尊氏直義は、足利氏の大門屋敷の南方すぐ近くにあった上杉氏の日名屋敷で生まれた
■上杉氏
太田亮
上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か
足利尊氏、直義が生まれただろう日名屋敷
■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)
鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。 >>218
> 後にガチガチの方位術駆使して
> 江戸造成した天海は天台宗(本山は比叡山)
> ちなみにその天海が中国由来の
> 四柱推命(八字)を改造した天源術を作る
> それが後の幕末で淘宮術になり
> 明治も神道大成教の傘下として脈々と受け継がれている
> そして終戦の2年前に突如社団法人として設立された日本淘道会として現在に至っている
> その団体の元理事長が例の飯塚幸三
> なお、事故が起こってからすぐにホームページごと情報削除された模様
>
これが本当ならもっと拡散しないといけないね
上級国民の闇にかかわる問題 いたこや霊媒師がインチキだってよくわかるよね
東日本当てた人いないし予言や占いは信用できない >>920
光秀=天海はない
天海の没年齢を光秀の年齢に当てはめると120歳ぐらいまで生きたことになる
現代でもそこまで生きる人は稀なのに平均寿命が50歳ぐらいの戦国時代において120歳まで生きることはあり得んと思う >>842
三河を調べんと分からんだろう
源頼朝=徳川家康
寛伝=明智光秀
全部、三河繋がりで意味があるんだよ
頼朝は、三河にあった自身の母方の菩提寺の僧を日光に送り込んだ
■日光山
源頼朝がその三河の母方の従兄弟を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた
源頼朝
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→娘(由良御前)→源頼朝
寛伝(母方従兄弟、三河国滝山寺僧)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝 >>920
光秀の字と天海の字を鑑定したら別人と判定されてたよ >>926
弥助と共にモザンビークか
弥助は本能寺の変で奮闘するも結局捕虜になり、明智光秀は弥助の命は奪わず南蛮寺に送ったんだっけ
その後足取り不明・・・と
可能性としてはあるかもね >>757
信忠が逃げて生き延びてたら
信忠が天下とって黒幕をざまあできたかもしれないのにという意味のつもりだった
意味不ですまなかった >>923
フロイス評
彼は、裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。
魔が差すとは違ったと思うね >>927
でも家康の祖はひにんなんだよ(by 白戸三平)
信長=革命児の評価を広めたのが司馬遼太郎で
名古屋出身の井沢元彦がさらに評価天井まであげて
でも近年は信長下げの論調がでてきてる感じか 麒麟、最初だけ見たけど最近の大河ってあんな(悪い意味で)漫画っぽい演出なの?
正直ひでえなぁって思って、OPで海老蔵の名前見た瞬間にチャンネル変えたが 松平は、源頼朝と足利義兼の先祖が開発した荘園内で発祥した
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市はほ全域とみよし市は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
源頼朝(初代鎌倉将軍)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市)、初代藤姓熱田大宮司)→女→源頼朝(初代鎌倉将軍)
足利義兼(初代源姓足利氏)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市)、初代藤姓熱田大宮司)→女(実父は季範長男)→足利義兼(初代源姓足利氏)
・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?
・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる 家康が一枚噛んでいたなら、家康の世になってよさそうなのに
秀吉に持って行かれ、関ヶ原から大坂夏の陣を経てようやく
天下を掌握した
家康だって未来がどうなるか分からず場当たり的に対応していたら
結果的に一番長生きしただけでは >>937
コジキ坊主の家が、天皇とダチになれるわけないだろ
松平氏3代目、松平信光創建
・信明光寺(1451年創建) 1479年、後土御門天皇勅願所綸旨発給
・妙心寺(1461年創建) 1481年、後土御門天皇勅願所綸旨発給 >>937
家康が幼少の頃、松平の菩提寺で坊さんやっていた、天皇とマブダチの親族
存牛
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/存牛 >>936
それフロイスの光秀評?
フロイスは信長にはさすがに度肝を抜かれたみたいだね
築城視察の最中忍足が女からかってるのに出くわし刀一閃首をはねて
けろっとした顔だったとか >>931
光秀はないだろうけど、息子の光慶ならあり得るだろ >>936
いい加減さ、キリスト教への扱いや態度次第で人物評を変えるフロイスの文言をそのまま受け取るのやめようとか思わんのかね >>941
長生きと言えば今川氏真は江戸幕府の重鎮になって結構長生きとしとるんだよなそういや 黒幕はイエズス会だろ
全世界でやってたんだから間違いないよ
何で日本だけ陰謀はなかった可哀想なキリシタン扱いなんだよ >>942
百姓上がりに関白をくれてやるのが朝廷なんですけど一体何をほざいてんのかこの三河キチガイは 光秀を討伐したのが秀吉で、その後天下人に
どう考えても全ては秀吉の陰謀だな いくら殿だろうが戦国時代だろうが、人から猿猿呼ばれて恨み持たないわけない ,滋賀.すげぇえええええ 完全に大阪超えキタぁあーーーー
【現代的新しい価値・文化の創造】
1.ゆるキャラ(ひこにゃん)
2.イナズマロックフェス (西日本最大)
3.オペラ
4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ、グランピング
5.ラッピング(路面)電車
【著名な観光地】
1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ
2.彦根城、安土城
3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所)
4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数)
5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者
【美味名物・食文化】
1.近江牛、鴨料理
2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司
3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭
4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒
5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン)
大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑)
. 秀吉は戦の勝敗は確定してて、
仕上げを自分でやると叱られるから
信長を呼んだんだろ。
だから素早い撤退もアリでしょ。
甲冑を脱がせで走らせるとかやってるからな。 >>951
秀吉が百姓ってのは主家を滅ぼした徳川家がいろいろ書き換えたデマという話もある。
源氏でなければ将軍になれないとか、足利義昭の養子になれなかったから仕方が無く関白になったとかと同じでな。 >>951
信光は家康の時代と違うぞ
流石に、尾張の田舎猿、猿吉と比較するのはな
■今川記(1553年成立)より
松平信光(第3代目当主)
正室:一色氏の娘
一色満範の娘の仮定する
源義家→義国→義康→足利義兼(初代源姓足利氏)→義氏→泰氏→一色公深(初代一色氏)→範氏(母親は今川国氏(初代今川氏)の娘)→範光→詮範→満範→娘→松平親忠→長親→信忠→清康→広忠→徳川家康
■熊野国造家 和田家系図より
松平親忠(第4代目当主)
正室:鈴木重勝の娘
・加茂(足助)重長→足助重秀(母親は源為朝の娘)→重朝(母親は安達盛長の娘)→重方→親方→貞親→重範→鈴木重員(母親は楠木正成の娘)→重勝→娘→松平長親→信忠→清康→広忠→徳川家康 >>948
資料価値として十分高い
歴史を語るなら、妄想よりも資料を踏まえて語らないとダメだろ >>949
晩年の家康と茶飲み友達になってんのなw 徳川家康に、中世の大スター源為朝の血が入っているのは面白いね
源為朝の子孫で一番有名なのは誰かと聞かれたら、徳川家康と答えるんだぞ >>950
本能寺のすぐ近くにイエズス会の寺だか教会があったらしい >>3
在日丸出しだなお前
信長なんか嫌いになる要素ねーよキムチ
徳川だろ嫌われてる雑魚ゴミは >>950
イエスズ会の陰謀で信長は討たれ、それによって秀吉が後を引き継ぎ後にバテレン追放令で締め出されると >>961
賀茂氏のウンコちびりに入ってるわけ無いだろ 家康だろう
息子処刑させられているし、光秀と組んで信長殺した >>955
信長がそんなんで怒ることはなかろうけど上様に華を持たせようとした
あまり戦果上げすぎると同輩や柴田みたいな古参の筆頭重臣のやっかみも危惧されるのを回避 >>960
家康は、初代今川氏の今川国氏を血を引いている
これは今川家正史のお墨付きだ
松平信光(第3代目当主)
正室:一色氏の娘
一色満範の娘の仮定する
源義家→義国→義康→足利義兼(初代源姓足利氏)→義氏→泰氏→一色公深(初代一色氏)→範氏(母親は今川国氏(初代今川氏)の娘)→範光→詮範→満範→娘→松平親忠→長親→信忠→清康→広忠→徳川家康 信長信忠が死んで最も得をしたやつが犯人でいいよもう
直接見てこない限りわかりっこねえ >>967
秀吉は越後攻めでむかつく柴田を独断で置いてけぼりにして全滅させても謹慎で済まされる別格の存在 >>959
一級の一次資料ではあるけどあまりに偏ってるから鵜呑みにしてる学者なんておらんで
神話を一級資料としてるやつがどこにいる? >>969
黒幕なんていなくて光秀がやったでいいんだよ
当時の資料を見て、それ以外は考えられない訳だし
新資料が発見されるまではそれでいい >>975
参考にはしてるぞ
歴史研究本読んでも、引用に大体出てくる >>3
人生長くなると
思いやりが深くなりますなぁ。
俺も同感。 >>969
昔からいろんな人が英雄譚として話してきたから
オレらとは次元が違う人みたいな扱いだけど所詮同じ人間だからな
結構、誰が得したかってとこから、シンプルに繋がっていく話だと思う 当時の日本の武家社会には、三河が頭であるべきだ、コンセンサスがあって
導かれるように、家康が頭で収まった
これは明智光秀も望んだ結果である
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:本貫地/三河国加茂郡松平 >>970
全滅ってのが意味不明だが、だから敢えて信長を呼んだんだろって話だろ。秀吉単独で毛利を従わせたとこで叱られるなんてありえんのだから
毛利に対してのトドメでもある >>973
秀吉の子供は3人
秀勝→6歳で亡くなる
鶴松→3歳で亡くなる
秀頼→23歳で自害
6歳と3歳の子はアホかどうかなんて判断付かんわ >>977
だから「鵜呑みにはしてない」って言ってるだろ… >>946
それは本能寺の変の前に書かれたもの?
後に書かれたもの?
本能寺の変の後なら、策謀家という評価は本能寺の変の印象の影響を受けているように思う そもそもキリシタンの工作は今も同じだからな
基本は内乱と愚民化工作なんだよ
コイツらのキーワードに土人とかあるけど
これ自体が工作洗脳なんだよ
実は侵略先には、ちゃんとした文明があって決して土人じゃない
内乱破壊工作後に愚民化政策をして、さも最初から土人だったと錯誤させてる
それに乗らなかったのが茶道とか文化促進をしてた信長とか松永、ついでに荒木
直前に、この三者はキリシタンと揉めてるからな
こういうと素っ頓狂に聞こえるだろうけど
日本に居るカトリック信者の曽野綾子がゆとり教育を推進したり
麻生も水道利権を売り飛ばしたりしてるだろ >>973
両刀の大名連中よりノンケの秀吉がヤバかったの? >>983
一つの資料だけを鵜呑みにする研究があるか?
色々調べて総合的に判断する訳で、フロイスを無視するのも偏った研究になるわ >>985
なろう小説でも書いて自分だけで楽しんでくれ 秀吉は女好きならもっと子供作らせてると思うけど
おねが怖かったのかな >>1
別に真犯人説なんかどうでも良いし、興味がない。
重要なのはパワハラ野郎の信長を殺せたということだ。
400年以上経った現代でも、パワハラ野郎を誅殺できたという歴史的事実に痛快さと小気味の良さを感じるし、共感できる。
信長が悔しがりながら死んだ様を想像するだけで、ざまぁ感が半端ない。
パワハラする人間はどの世界、どの時代でも生きていてはならない。
虐げられた者達の無念を背負い、事を成し遂げた明智光秀。安らかに眠れ。 >>989
まあ普通に考えて種無し
何故か晩年にできた子供は… >>939
ほう 海老蔵が出だしたということは大河ドラマも秦氏系にもどったのか。 海老蔵もシノビだからな。 あれは陽忍。 秦の踊る忍 伊賀が強くなったということは
平家がよわまっておるの ふぉっふぉっふぉ >>987
参考程度=鵜呑みにはしないってことを言われてんだと思うぜ
信長公記ですらかなり怪しい部分が多々あるんで鵜呑みにしてるやつなんざおらんわけで。手取川の件なんか完全にスルーされてるからな
フロイスの人物評はあくまで引用程度に留めておくべきでソースはこれ!なんつって断言のために持ち出すようなもんじゃない 腐し工作もコイツらキリシタンだな
炙り出してやる
邪馬台国スレで完全マスターしたからな 一級資料も糞もないだろ
イエズス会が日本侵略するって言ってて信長は使えねぇって言ってるじゃんかよ まあわしら伊賀ものが信長をしとめたのじゃ 村の祠にノブナガの首塚はある。 >>995
光秀は、衝動的とか魔が差すような性格では無いんじゃ無いかって思って引用したんだけどね レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。