【歴史】織田信長の快進撃…実力主義の戦国時代をいかにのし上がったか (幻冬舎) [首都圏の虎★]
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織田信長と豊臣秀吉が活躍…「安土・桃山時代」とは?
安土・桃山(あづち・ももやま)時代は織田信長(おだのぶなが)や豊臣秀吉(とよとみひでよし)が活躍した時代です。仏教勢力と戦った信長は、キリスト教を保護し、外国風の雄大な文化が栄えました。タバコやカステラが日本に伝わったのもこの頃だと考えられています。
本連載で解説するのは安土・桃山時代ですが、最初は室町(むろまち)時代の出来事から紹介します。
尾張(おわり)の大名(だいみょう)、織田信長が有名になったのは、1560年の桶狭間(おけはざま)の戦いです。天下統一に近いと言われていた今川義元(いまがわよしもと)が攻めてきます。
駿河(するが〔=静岡県〕)を支配していた今川氏の軍、その数2万人以上。数千人しかいない信長の軍は、今川軍が休んでいるすきに一気に攻め、今川義元を倒します。この戦いを聞いた人たちが、信長のもとに集まります。桶狭間の戦いが信長を有名にしたのです。
一代でのし上がったつわものたち、戦国大名
では、この頃に活躍した戦国大名(せんごくだいみょう)をささっと紹介していきましょう。
まず、「下克上(げこくじょう)」と言えば、戦国大名の北条早雲(ほうじょうそううん)や斎藤道三(さいとうどうさん)が有名です。守護大名(しゅごだいみょう)は、もともと守護として任命されていた中で力をつけて守護大名になっていきましたが、戦国大名はゼロからのスタートです。力だけでのし上がっていったのです。パワフルですね。
たとえるなら、守護大名が、大企業の子会社の社長から力をつけて独立して自分の会社にしたのに対して、戦国大名はベンチャー企業をつくって一代で成り上がったという感じです。
次に、中国地方を治めた毛利元就(もうりもとなり)を紹介しましょう。彼は石見銀山(いわみぎんざん)を支配下に持ち、活躍しました。
現在の大分県のあたりを治めていた大友宗麟(おおともそうりん/大友義鎮〔おおともよししげ〕)は、キリシタン大名として有名になります。キリシタン大名とは、キリスト教の信者である大名のこと。ザビエルが鹿児島に上陸したこともあり、九州地方に多くいました。
ライバル同士だったのが、甲斐(かい)の武田信玄(たけだしんげん)と越後(えちご)の上杉謙信(うえすぎけんしん)。武田信玄は「信玄家法(しんげんかほう)」とも呼ばれる分国法(ぶんこくほう)をつくり、騎馬隊(きばたい)を組織しました。領内に金山があって、騎馬隊を組織する経済力があったのでしょう。ライバルであった越後の上杉謙信と激しく争った「川中島(かわなかじま)の戦い」は有名です。結局は決着がつきませんでした。
戦いは主に春から秋にかけて行われました。冬は雪が降るから戦えません。なかなか進めないし、凍え死んでしまう可能性もあるからです。でも、春から秋に毎年戦うわけにはいきません。
なぜなら、農業をしなければならないから。戦いだけしていたら田畑は荒れ果て、生活できなくなってしまいます。当時は「半農半士(はんのうはんし)」と言って農業をしながら、戦いになれば兵隊になるという人たちが多くいたんですね。
全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/d6b3934f40d9f91a485ebd74bbf753ca5970b94f
https://amd.c.yimg.jp/amd/20201009-00029269-gonline-000-1-view.jpg 地元の人口が多かった順に強く見えただけ
今川義元の駿河は尾張の1/3の人口だった キリシタン大名って自分の領民の女を諸外国に奴隷として売ってたんでしょ? とりあえず、「港を押さえよ」ってことは信長から学んだ 信長が大阪(石山本願寺)を壊滅させた
家康が大阪(大阪城)を壊滅させた
二度も中部の人間に壊滅させられた大阪って。。。 守護より下は全部ベンチャーみたいに書いてあるが
守護代からの上杉とか
守護代のさらに傍系の織田とか
国人領主からの毛利とか
色々ある しょせん部下に裏切らえて頓死するだけの人。
子孫も権力者には、ほど遠く、やっと行きてこられたってのが実情。 >>2
あほが。
桶狭間時の今川は駿河遠江国+三河の三国を支配する三好に次ぐ大大名だったんじゃ。 何故、安土・大坂時代ではなく安土・桃山時代なのか? 既存の常識や慣習にとらわれない優れた政治力あってこその急速な経済発展と軍事力の拡大ができたんだろう。
まぁ、運だけじゃ無理よね 信長のじいちゃんが津島の港の取引で税金もらう権利を得たことで
信長は金銭的に裕福でしかも経済感覚にも優れた子に育った よく織田信長がすごくて、ファンタジーでも織田信長って職業で無双してるノベルあるけど
ただ単に恐怖で支配したオッサンだからね
そらちょっとしたことで殺すやつと敵対したくないし下の者も死に物狂いで頑張るだろ 似たような勢力がバラバラに割拠してる場合
基本的に同盟が無ければ敵対してることになるから
身近にな敵から同盟勢力で囲んで倒すことになるが
相手は敵の敵は味方戦略を行使してくるので
もっとも効果的なのは、全方位で私はあなたの味方外交になる 実力主義なら後継者もそれで選ぶべきなのに、息子に世襲なんて古いことをやってた
部下は実力主義でも、自分は別と思っていたのだろう
だが部下の方は口では「私のような馬の骨が出世できたのは信長様のおかげ」と言ってても内心は、自分の実力
No.2まで登りつめた者が次に狙うのはトップの座
実際、信長はひとりから殺され、もうひとりから政権を奪われた
譜代の家臣を大事にする昔ながらの家なら、当主が死んでも残ったもので
織田家を守ろうとなったろうが、信長が自分でそのシステムを破壊した >>11
大坂城は主には秀吉がまだ織田家の家臣の体を取ってる時代に本拠地にしていたところで
織田家と上下逆転して関白になってからは今日の聚楽第に移り、関白を秀次に譲って太閤になってからは桃山に移ったから 信長は真似もうまかった
今川義元の長槍 斉藤道三の鉄砲 六角氏の楽市楽座 >>8
3国対半国と書くと絶望的だけど
静岡県対名古屋市って書くと善戦しそうじゃん
名古屋が守りだし
当時もその程度の差なんだろうな 経済力で戦争に負けないシステムを確立した織田信長
引き分けでも百姓主体の相手の経済基盤の農業生産力を削れる
一方、信長方は他国から金でいくらでも兵隊を集められる
じわじわ真綿で首を締めるように追い詰めことが出来た >>22
織田家の家督はかなり早い段階で長男の信忠に引き継がれている 中国地方も国数はいっぱいあるけど、石高でみるとたいした事ないんだよな >>20
長所は取り入れるのは強くなることに置いて必須だからねえ
それの究極系が家康様だし ほとんどみんな一代じゃないだろ
武田なんか鎌倉以来の名家だ 当時日本一弱いといわれた尾張兵を率いて戦った
しかも何度も打撃を受けて兵力を消耗しているが
すぐに兵力を回復できるのが、人口大国尾張 信長は当時最強武器鉄砲を装備してたからな
その一撃は地をえぐり、あらゆる生物を屠った
また織田十傑が手足となり全方位戦線を支えたわけだ 日本は西洋どころか中国の建築技術すらろくに伝わってないが
やはり文化レベルが低かったからか >>24
家督を別のやつに接がせるとか阿保だろ
つーか家督なんて程度の低いものどうでもいい ほとんどの戦国大名は天下に興味が無かったんでしょ?
それに京都に比較的近い大名じゃなきゃ天下取ることはかなり難しいらしいよ 中国や朝鮮の雑器、はてはフィリピンで使われていた便器までありがたがっていた国だしな 相場が安い地域で買った米や特産品を高い地域で売って儲けた金で鉄砲を買い揃えるんだよ、序盤は内政重視でその間に敵に攻められたらリセット もし信玄、謙信、家康、秀吉が信長の立場で尾張に生まれてたら、尾張一国を統一するのも厳しかったんじゃないか >>1
なんだこの小学生向けの教科書みたいな薄っぺらい内容は
>もともと守護として任命されていた中で力をつけて守護大名になっていきましたが、戦国大名はゼロからのスタートです。力だけでのし上がっていったのです。パワフルですね。
守護職や守護代から戦国大名化したのもいるし適当な事書くな
なにがパワフルですね。だよw >>37
日本列島のしょぼい都を支配したら天下なのか
まあ当時の日本人の世界観ではそうなんだろうが 本当に実力があったのは家康。
それは歴史が証明している。 >>14
それを空前のスケールでやり遂げるからすごいんじゃん
その辺のラーメン屋の粗暴な大将なら、3店舗も出さんうちに本能寺だよ >>16
実力主義っていっても信長も城主になるような戦国大名の生まれでしょ
血筋をすごく大事にしてるよ
そこらのただの乱暴者とは違う 西洋の建築技術とか日本より劣ってるんだから学ぶ所なんて無いぞ? >>35
秀吉だの家康だのになると関白とか征夷大将軍とか継承すべき地位があるけど
信長の時代はそこまで進んでない
信長自体の官位をなんか上げようってやってる時に本能寺で殺されたんだから
信長までは家督が全てだよ 信長も織田家というそれなりの家柄の出身。
マムシの道三も親子二代で成し遂げた下克上。
本当に一代でのし上がったのは、秀吉くらいじゃない? 信長はえらい
だいたい書ける
尾張城主の何男坊かに生まれる
うつけ者
父の葬儀に葬式の粉みたいなヤツを投げつける
あれよあれよと尾張城主
草履をあたためられる
今川義元倒す
斎藤道三に苦戦する
南蛮物を好む
楽市楽座
比叡山焼く
森蘭丸抱く
武田を鉄砲隊で撃破
明智光秀 柴田勝家 丹羽長秀 羽柴秀吉などワシが育てた武将多数
本能寺の変 >>45
空前のスケールといっても生涯の大半は狭い関西すら満足に支配できなかったが >>3
そう、実はかなりの悪党揃い
日本人奴隷はキリシタン大名による仕業 >>26
布教に熱心なパードレはそうでない者と違って教条的にならず日本の文化に融合するような柔軟な浸透を図った
教会が和風なのもその一端 >>28
信長の場合は後を継いだとき家臣が拒否して離れたので自分で家臣を募集している >>28
名家かな?(笑)
そもそも都から常陸(茨城県)に都落ちしてきた源氏の支流で、
しかも常陸で反乱起こして捉えられ、辛くも死一等を免れて、
流されて来た土地が甲斐だからな。
当時甲斐には武田のような貴種がいなかったので、
地元の土豪を糾合して戦国大名にはなったけどね(笑) >>14
信長は末端の兵士には優しかったよ
中間管理職以上にはパワハラ上司だったけど (-_-;)y-~
信長、秀吉って、後世から色々勝手に飾れるから楽しいよなぁw
江戸時代には、信長・秀吉はご禁制やっただけに。 >>41
怒らないで、ソースは中学受験生向けですよ >>43
家康も血筋が欲しくて
先祖の出自をごまかしたとかなんとか
日本の歴史においては血や家ってそれほど大事なんだよ
現代も日本人としてなんでもかんでも誰でも繁殖したら偉い!とかって
ふんぞり返れるのはちょっとね、、 >>55
中国地方か
世界史レベルから見たら大して変わらない話だな あの時代は船の性能があがり大航海時代で国外から人・情報が流れてくるようになった時代
織田信長は、外国からもたらされた新戦術を日本で試して成功したのでは? >>43
家康がいなかったら日本は今頃キリスト教国家に成り下がっていたな
ブラジルレベルの国だっただろう >>17
だから織田信長は兵農分離をやって馬周り衆とか毎日武芸させてただろ >>47
日本の建築技術はせいぜい木小屋レベルなんだが 信長は親父が経済基盤作ってたからいうほど1代ではないんじゃない >>26
そういわれれば、なんで石造建築物が少ないんだろうな? >>21
名古屋の南の方を支配する武将も今川側だったから
信長の方が圧倒的に勢力負けだわ
信長はまずこの武将が織田方に寝返ったと
今川に嘘情報を流し切腹に追い込ませたとこから始めてる >>50
斎藤道三とは戦って無いだろ
娘の帰蝶をもらって同盟
信長が戦ったのは斎藤義龍、斎藤竜興で道三の息子、孫 大河ドラマの秀吉をパンドラで見てるけど
お市役が木の精霊みたいにゴツゴツしたおっさんみたいな顔で嫌や
渡信長かっこいい
季長良い奴すぎて泣ける
かんぴょうの息が臭い >>69
日本は地震が多いから石造建築は危険なのよ
家が石で屋根が落ちて来たら助からない >>14
>ただ単に恐怖で支配した
今時貴重なまったくの誤認
信長は人使いが極めて粗い反面気に入った人材には非常に甘く反抗しても一度ならず許してしまう
それが仇になって信長恐れるに足らずと離反が相次ぐことに繋がった
苛烈な処断は可愛さ余って憎さ百倍というだけ おっかああああああああああああ!
\(^o^)/
竹中直人の土に汚れた秀吉はおもしろかったな 信長は明を倒すつもりだったんだよね。
その意志を継いだのが秀吉
秀吉があと10年長生きしてたら明が滅亡して朝鮮という国も出来なかった。 日本では大量入手が難しい硝石を手に入れるために
信長は南蛮と仲良くなって取引した
そして3千丁の鉄砲を使って長篠の戦で武田にボロ勝ち
よろいかぶとの戦いではあまり死者がでなくて
相手を滅亡まで追い込むのが難しかったけど
鉄砲がゲームチェンジャーになって武田を滅亡させたといえる
これは鉄砲を大量に使えば強い武将がたくさんいる大名であっても
滅亡させることができると示した大革命なんだけど
多くに人はあまりわかってなさそう しょせんは島国。井の中の蛙の武将
ヌルハチとか、スレイマン1世、カール5世など大帝国の君主からすれば、
ゴミみたいなイキリ軍人にすぎない >>56
日本史はよう知らんけど
源平藤橘に本姓をちゃんと辿れるなら
それで名家ってわけにはいかんの? 織田信長とかイエズス会の子分だろ、イエズス会の資金援助なしで、あんな田舎侍が活躍できるわけないじゃん >>87
そいつらじゃ信長秀吉家康に比べたらゴミだぞ >>43
家臣団を大名にして直轄領を減らしバラバラになった豊臣
盟友扱いで戦で削られることなく最後まで温存され土地がまとまってる徳川 >>1
あと桶狭間の戦いの戦力差はそんなにないけどな
織田信長の石高が18万石だったけど熱田とか商業施設が多くて税収は実質50万石
今川家は石高が60万石
兵力差は織田信長が1万人vs今川義元14000人
桶狭間を奇襲した部隊が信長が3000人で今川義元本陣は5000人 >>84
秀吉の朝鮮出兵で
援軍だした明も疲弊して
そののちの明の滅亡に繋がったのは事実
(´・ω・`) >>71
統治人口はほとんど変わらんよ
面積から見た錯覚だな >>85
織田軍の基本戦術は大軍で包囲して兵糧攻めだから
あんまりそういう強さは関係ないと思う >>89
弱いから相手より多い人数とか鉄砲集められるまで、極力戦せずに外交で媚び売っても繋ぐ
ココが凄いよw 勿論桶狭間とか、小勢力の時は仕方ないわけだけど >>49
だね。
だけど、家柄が良ければ良いほど自由度は低くなるみたいだよ。
例えば、同じ時代の畠山氏なんて複数の分家が数か国の守護大名をやっていたけど、実権を握れていなかった。
いつも家老の遊佐氏や国人衆に握られてしまっていて、邪魔になったら暗殺されていた。
織田信長は適度な身分で適度な自由度があったんだろうね。
まあ、信長も最後は下剋上で散ったわけだが。
豊臣秀吉の出世は世界的に見ても稀にみる奇蹟だよ。 そんな信長も今や女人化したり、ロボに乗ったり
異世界に行ったり、犬になったりなんでもありのフリー素材 信長秀吉に関しては信長協奏曲って漫画が面白かったな なんだろう、今の県境とか律令国単位で綺麗に勢力図塗り潰すから分かりにくいんだよね。 本能寺の変って結局作り話なんだろ?
なら信長の最期は普通に病死? 世の中金ってのを実践したのが信長だろ
米貰って喜んでるようじゃダメと この時代、欧州なんて鉄と船舶の生産で
全土が禿山だらけだったはず
なので鉄砲がそんなに生産されなかったし
最終的に日本の粗鋼の質の方が高くなったのは
この国土の山だらけの地形と雨が降る気候と
割と鍛冶屋技術が発達してたからだっけ 信長は桶狭間の時に雹が降るような豪雨でこっそり本陣に近くことが出来た
よく言えば天も味方したけど運が良かった どこまでが本当かな
よりシンプルに再現して見せたら偉いと思うよ >>88
嫡流にごく近い系統を除いて戦国大名の系図はまったく信用できない
系図の売買と捏造接続は一部公家の収入源でもあったくらいだ
織田も徳川も古いがゆえに比較的安価で入手できる藤原に始まってそれぞれ平氏と源氏にクラスアップしたw >>97
だよな
名古屋は平野で農地面積広い
三河・遠江、駿河とか70%は山
実は尾張は密集して人が住んでたんだよな >>56
古代の国造である武田臣(皇別)の後裔が河内源氏義光流の棟梁と婚姻したという説も伝わっている。 ワンピースキャラクターの元ネタになった実在の海賊5選!
https://youtu.be/yakxir7rffQ >>76
やはり地震のせいか…
台風なんかには圧倒的アドバンテージあったと思うんだけどな
>>82
うん、石垣すごいとおもうけど、なんで上まで行かなかったのかなあと言う単純な疑問だw >>108
天下取った奴はだいたい運も強いよ。他にも金ケ崎退き口とか、信玄謙信死ぬタイミングとか
家康だって人質時代は勿論、天正大地震がなければ、普通に秀吉に力で攻められて滅亡しとるしなw 信長は結構、無茶な戦いが多い
ほとんど負けてもおかしくないものもある
強運な武将だろう >>14
謀反した弟とか兄も一度は許してるし
散々逆らった足利義昭も殺さずに追放で済ませたし
謀反した荒木村重も2回も説得しようとしてるし
甘々な人ですよ >>43
家康は天下平定後も、銀や銅、日本人傭兵などと引き換えに
大砲の製造方法や朱印船の建造に航海法など、あらゆる事を
オランダから学んでるんだよな
日本の植民地化を防いだのは実は家康 (-_-;)y-~
古代でも、大陸王朝は木を伐りすぎて、今みたいな状態やもんな。 >>93
一代で出世した秀吉には代々豊臣家臣団みたいな一族が居なかったのがな
あの人は本当に自分の才能だけで天下人になった凄い人
しかもめっちゃ愛国者で日本人を奴隷貿易してたキリシタンを禁止した >>100
秀吉って漢の劉邦に色々被るよね
元は一省の警察官だっけ
良いとこの嫁を貰う(リョチ・おね)
兄弟多数
部下に恵まれる
張良=竹中
陳平=黒田
天下統一 >>1
信長はお父ちゃんとお爺ちゃんがしっかりしてたから基礎があったわけで 上洛してよく体制維持できたよな
木曽義仲パターンの可能性もあった >>16
武田は譜代家臣に裏切られ滅亡してるぞ
国人や豪族をまとめるのが難しかったんだよ当時は
武田も毛利も上杉(長尾)も合議制みたいなもので、あくまでフィフティーな中で名目上のトップがいるだけ
だから信長のやり方は、当時としては画期的なトップダウン制
だから命令があれば、そのまま従うから軍事行動が素早いし領国拡大が一気に加速できた
そのぶん、出来高払いのように力を持たせるデメリットもある
これが合議制だと、やれ参加しないだの、領地をよこせだの手間が掛かるが、重臣に力を持たせすぎないメリットもある
それでもまとめあげてた謙信や信玄や元就は凄いんだよ
信長が革新的でさらに上をいっていただけ
だから身内しか信用できる訳ないし、その身内にする裏切られるのが戦国時代だ >>64
島津氏や本願寺、鈴木氏は織田信長に勝てなかったには何でだろ >>118
そうなんだよな
織田信長って実は甘いんだよな
松永久秀も2回裏切ってるのに許そうとしてる
甘いから謀反されまくるんだよな >>120
ノブはむっちゃ信用してたからw 忍びの一人や二人を亀山城に張り付けとけば助かったけどな
京まで軍勢が移動するにはけっこう時間かかるから >>85
織田側の柵と簡単な堀による野戦築城に無策で突っ込み損害を出しただけだよ >>98
三千丁の鉄砲を有効に使えた長篠の戦いは武田軍があまり鉄砲を知らなかったから勝てただけだよね。
実際に、長篠の戦いの何年も前に四千丁の鉄砲を準備して負けたケースがあるからね。
1562年の教興寺の戦いでは、鉄砲を熟知していた松永久秀が、雨が降るのを待って戦いに挑んで見事に雑賀衆や根来衆の四千丁の鉄砲を封じ込めて勝利したからね。
あと、上杉謙信も手取川の戦いでは雨天を狙って柴田勝家率いる織田軍に襲い掛かった。 >>120
あの計画自体は秀吉か家康の案だろ
もちろん多方面への仕込みもやってる
光秀は実行犯のパシリ >>8
尾張が面積とは裏腹に農業生産力や海運・商業でかなりの経済力(今川の50%以上)
あったことはすでにコンセンサス得られてるぞ。 信長、本麒麟!!
明智かはたまた、豊富か家康か、ストロングゼロヤバすぎ!!! 全部名前知られてるわけじゃないよ?
当たり前だけど。
山城にも武田一族いたらしいが。
若狭の武田一族じゃなくて。
どうも、🍰ショートケーキのイチゴは渡来人だった!
イチゴは世界へ広がる!偉い!
って話持っていく人の多い事。 >>126
木曾義仲を反面教師にしたからな
だから京入したときは厳しく律した >>124
劉邦は戦闘クソ下手くそ
秀吉は戦争強いぞ(兵糧攻め)とか頭使った戦い方やけど >>1
元祖パワハラ男なんか持ち上げるなよ(´・ω・`) 「信長も若い頃はバカやってた」
こんな事を言うアホが多くて困る
本当に大うつけだったら斉藤道三にブッ殺されてたっての >>124
そういう条件がそろえば底辺からの天下取りも実現できる可能性があるってことかなw
共通点があるのは面白いね。 >>133
マジで朝廷から勅書あったんじゃね?って思うわ
明智光秀があれだけ引き立てられて裏切る理由が分からん
それを言ったら荒木村重も河内もらったのに謀反だもんな
よう分からん >>139
劉邦は異次元人徳のみだったしライバルの項羽がヤバすぎたからね
でも色々似てる >>136
土佐の山奥に勝頼が逃げたなんて伝説残ってるけど
勝頼じゃなくて山城にいた武田一族じゃないの?
親族がいる北条領へ逃げるだろ。逃げるなら。 >>57
そういう人、結構いるよね
中間の人間にとってはたまったものではないけど、ある程度わきまえてはいる >>141
でもお守り役の平手政秀が信長が後継いだあとに自決してるから
やっぱりバカやってたんじゃないのかね
(´・ω・`) >>88
まあ何千年も生きた人はいないから、歴史については、
すべて一つの説ということになる訳だけど、
甲斐の源氏については常陸で反乱起こした罪人の血筋だからな。
そもそも「武田」という名前も、常陸(茨城県)の地名から取ったもので、
甲斐とは縁もゆかりもない名前だ。
一般に源平藤橘と言うけれど、日本人の7〜8割には藤原氏の血が流れていると
言われており、源平藤橘の子孫が名家というなら、
日本人の全員が名家だろうよ(笑) >>129
あれ?
なんか織田信長のイメージが変わってきたぞwww
そうやって列挙されたら確かにかなり甘い上司だよねw 信長、松屋か! 明智のたこ焼き!
CoCo壱は、豊臣!?はたまた、家康!吉野家!!
牛丼!カリーー!記念館でも出来る勢か!? >>55
秀吉が前線にいて三成が兵站を担ってたらどうなっただろうな >>127
穴山と小山田?甲斐国って武田氏と有力国人の穴山氏と小山田氏の連合政権で武田がヤバくなったから
両家は自立を志向しただけの気がするが。 染谷将太,市川海老蔵,吉田鋼太郎,江口洋介,豊川悦司,吉川晃司,佐久間二郎,舘ひろし,反町隆史,渡哲也,緒形直人,藤岡弘,石橋凌,役所広司,藤岡弘,高橋幸治, 高橋英樹 >>51
それいったら秀吉も生涯の大半誰かの部下だし、家康も晩年ちょい前まで一豪族でしょw
現代とは違って、暴君の暴君ぶりすら下々にとってはカリスマになる(成功している分には)
って時代
例えば天上人、みたいな言葉が譬喩ではなくて肌感覚として扱われたような時代だったのでは?
我々には想像も難しいが >>143
朝廷は信長側だぞ
金出してるのは信長
暦は統一政権だと問題
代替わりについても人件費の問題(単純に上皇は人件費倍) >>143
単なる野望説の方がしっくりくる
朝廷がそんな陰謀を画策して実現できるような状態なら
他の部分で存在感出してないとおかしい
秀吉に「この区画にまとまって住め」と命令されて大人しく従うような人たちだよ >>145
人徳って劉邦は今で言う893の親分やぞ
人を引き付けるけど民から慕われてたってのはどこまで本当か分からん
若い時は無銭飲食の常習犯だからな
店もそれでも劉邦が酒飲んでたら仲間が集まって店が繁盛するから黙認してただけでw 坊主を皆殺しにしたのが効果あった
そして最新技術をもったポルトガルと組んだのもでかい
馬と弓、やり、刀とか自慢していた連中に
鉄砲隊だから、兜とかに当たったら、肉になってしまった
破壊力が違い過ぎたし
桶狭間は貴族ぶっていた武士に、事実上のゲリラ戦を行った
約束もない、決め事もない、ルール無用の時代の始まり
米軍と自衛隊くらい違う、戦時には何やってもいい、それが信長 >>158
藤岡弘がいいな
この中なら
ただ実際は緒方直人が近いんだろうな >>14
信長は変なイメージ作られちゃってるけど、超慎重派だぞ
乾坤一擲の勝負にでたのは桶狭間くらいであとは盤石でないと戦争しなかった
だから戦争しなくてすむ調略家の秀吉を気に入って重用したんだ >>148
給料多く払ってんだからやれよってだけじゃね?
キミラがいつも言ってる事だ >>120
あの当時、光秀が謀反を起こすなんて想像してた
人間もいなかったんではないかな?
四国問題で揉めてたと言っても、それぐらいで
殺しにくるとか戦国時代でもなかなか無いだろう 信長は能力はあったが運の部分が多かった
総合力の高い家康でさえ2回くらい運に助けられたんだからいかに戦国時代が厳しかったかだな (-_-;)y-~
予科練ジジイ、鬼ころしをよく飲んでた。 >>43天皇が天下太平のグランドデザインに承服したのは家康だけだったな、明に攻めこむ信長秀吉には征夷大将軍の血筋改竄に協力しなかった。 >>113
違うな。武田氏の「武田」は常陸(茨城県)の地名由来だ。 >>160
そこら辺は歴史のロマンだよ
織田信長が朝廷からもらった右大臣の職を辞職してるし
どこまで朝廷と関係が良かったのか?って今では分からんからな
本能寺の変の時の織田信長は無官でしょ? >>162
それを否定し出すと終わらないから止めようw
個々の解釈をぶつけ合っても埒があかないからね
劉邦には少なくとも人が集まった
項羽には集まらなかった
それでいいのは? >>3
だったら日本人奴隷をルーツに持つ子孫をただの一人も発見できないのは何故? >>161
単なる野望なら信長が見過ごすわけないし
秀吉や家康がそれに気付かないわけない >>128
島津は信長と戦ってないだろ
九州を征服するギリギリで立花か誰かが秀吉に助け求めて大軍をよこしてもらってっ感じ
歴史家の磯田は九州は兵が強くて優勝候補がぞろぞろいて生半可じゃ生き残れないからあの時代の九州には生まれたくないって英雄たちの選択の立花の回で言ってたな >>132
以後雨降らないときに戦えばいいだろうに? >>169
逆じゃね?
今の常識からみれば光秀の謀反は「なぜ?」ってなるけどさ。
将軍でさえ暗殺されるような時代だったんだよ?
成り上がり者の織田信長なんて格好の下剋上の対象でしょ。
そういう時代だったんだと思う。
やっぱり信長は甘かったんだよ。 >>175
どれでもいいから官位についてとやってるでしょ
その答えを言う前に光秀謀反 昭和中期からバブルの頃まで死ぬほどみたタイプのタイトル >>175
大臣の役は基本は公家の持ち回りだから
いつまでも大臣やれるわけねえだろ >>37
歴史学者の呉座勇一も
ほとんどの戦国大名にとっては領国経営が第一で天下統一なんて考えもしなかった
信長が異常なだけ と言ってるな >>153
信長は才能があれば裏切り者でも元敵でも使うからな
信頼とかそう言うのでは無くて才能があるか無いかで判断してる思う
無能なら譜代の家臣でも追放するし >>48
信長が上洛してから朝廷は「次の天下人は信長だ」と次々に信長に官位を与え
信長を懐柔しようとしていた
ところが、本能寺の四年前に右大臣の位を辞した後
朝廷からの任官を全て断り続けている
それが朝廷の不安を煽ったという説がある >>26
飛鳥時代は石の時代がちょっと合ったらしいんだけど続かなかった
木の方が豊富で楽だったのかもね
ギリシャとかローマって木少ないし向こうじゃ石の方が取れやすかったのかも >>178
信長に変わって天下を取るなんて公言してるわけが無いし
それを見抜けるのが当たり前とかエスパー基準で有り得ない >>129
信長は短気だったが、合理的な思考の持ち主
だから比叡山焼き討ちでも、最初に警告をしているし女子供はすべて殺していない文献もある
義弟の浅井長政にも、小谷落城前に大和一国を与えるから降伏せよと警告
松永久秀も何度も許されているし、荒木村重の謀反にも「欲しいものや不満があるなら延べよ」と説得もしている
実は利用価値がある人間には甘いんだよな信長
秀吉の方がよっぽど冷酷だ
自身の気持ちひとつで切腹を命じている記録が多い
三木城や鳥取城の飢え殺しや水攻めなど、自軍の兵をひとりでも死なせないためなんていうのは大河ドラマの脚色でしかない
現在の人道的な戦争犯罪が適用されるなら真っ先に裁判に掛けられるだろう まあ架空の人物でしょ
確かにこんなのがいたら面白そうではある >>182
信長と信忠がわずかな共回りで京都滞在してて
軒並み軍団長は遠方
信考+丹羽くらいしかいないしね
天の時を得たと思うのかも? >>129
いや、信長は、冷酷残忍、油断させて、
攻め戦で、本能寺で、影武者を使い余生を金張りの寺院などで、過ごしたのかもよ 信長は戦を土地の切り取り合いの陣地獲得ゲームから大将同士の命の取り合いの椅子取りゲームに変えた
その結果として信長の登場以降、戦国時代は収斂に向けてサクサクと進むことになった >>115
信じないようにw
例えば日本は南方の影響を受けた高床式建築が古代の一時期盛んに作られたが
それが巨木信仰と融合して想像を絶する高層建築(例:三内丸山)を経て究極の杵築大社(出雲大社)に結実した
度々倒壊するような不安定なものであったが規模が縮小したといわれる鎌倉期でも出土した心御柱は
直径1.4mの巨木を3本束ねたものでそれをほぼ同規模の柱束8組が取り囲んでいた
その気になればこんな無茶な建築もできるというわけだ 鉄砲三弾撃ちが画期的で天才だと昔は言ってたけど
中学生でも思いつきそうな作戦だと思わないか? 信長が天下取って朝鮮半島・中国大陸に侵攻しても秀吉と同じ末路を辿ったろうね >>176
確かにね
劉邦には人を引き付ける魅力があった
それは事実やね >>173
秀吉は征夷大将軍なんかよりはるかに格上の関白になってるけどな
信長も勧修寺晴豊って織田家との折衝役だった公家が太政大臣関白征夷大将軍の
いずれかにするかって話を織田家の村井貞勝と話してて「将軍がいいだろう」って日記に書いてる 家康は暗殺されるところを明智と共謀して返り討ったのが本能寺の変ちゃうの >>189
唯才か、きっと曹操信者だったに違いないwww >>176
項羽にも
龍且や鍾離眜や范増とかの優れた将軍はいた
ただそれを使いこなせなかったのです
(´・ω・`) 家康は織田家が軟禁していたし
ある日、信長が殺しに行ったときに
10歳の家康が、子供を殺して恥ずかしくないのかとか
あらゆる言い訳をして殺すのをやめなさいと言い続け
信長も、この子供は変わってるから今日はやめとこうになった
生きようとする気持ちが一番重要 信長が、ほんの一握りの側近だけと、異国の地で暮らした可能性もありえる >>186
まあでも三好氏も徳島に拠点があるのに畿内に出張って京を制圧したわけだし
上杉謙信も観光みたいなもんだったけど上洛はしたし
ちょいちょいそういう動きする大名もいるのは間違いない
少数派ではあるが存在はする >>193
いや信長だって伊勢長島とか非人道なこといっぱいしてるだろ 普通に秀吉や田中角栄のほうがすごくね?
信長は守護代の子で、天下統一道半ばだったけど
秀吉は農民、角栄は小卒で天下を取った >>200
三段打ちってまともな歴史書にはまったく書いてない
小瀬甫庵って江戸時代初期の信長記に書いてあるけど
実際に戦場で槍働きした大久保彦左衛門に嘘ばっか書いてあるとか言われるものだし >>210
僧侶が降伏すると言って騙まし討ちやってる時点で
そんな僧侶皆殺しでOKだわ >>195
道を歩いていたら100万円が落ちてましたレベルのチャンスだよねw >>210
何故だ?彼ら本人が望む通りに極楽浄土へ送ってやってるだけじゃないか
感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはない 信長の比叡山焼き討ちがやたらと叩かれるけど
秀吉も寺社に圧力を与えてかなりの領地を奪ってる
朝廷や寺社が力を失って武士の世になったって象徴が太閤検地 織田信長は桶狭間で討死していたら「うつけ者」のままだった
豊臣秀吉は転職を繰り返して、織田信長が中途採用して幹部にしなかったら足軽のままだった
徳川家康は武田信玄にボッコボコにされるまでは喧嘩っぱやくて、異常に用心深くなってから思慮が伸びた
三者とも実力主義というよりは強運に恵まれて相互に引き寄せられた成功者 >>195
それに加えて「軍を動かせ」と信長自体が命令してて挙兵することは全く不自然じゃないし
領国から指示された西国に向かうのに信長がいる京を通っても全く不自然じゃないという
信長がわざとやってんじゃないかっていうくらい条件がそろってる
(信長が揃えた) 信長なんてちょうど闘いになりそうなタイミングで運良く政敵が突然死しまくっただけのラッキーマンよ
政策もほとんど六角定頼のパクりだし、何なら定頼は神社仏閣次々焼きまくりの挙げ句に京まで焼いてるロック振りだし >>210
どこからともなく沸いてくるテロリストだからねぇ
断固とした処分を下さないと尾張にまで影響が出てた 本願寺はいわゆる便衣兵なんでああするしかなかったてのが本音だろうな >>214
ん?騙し討ちをやったのは織田軍のほうでは? 信長って無茶しないで固く戦をするからな
家臣の扱いに難ありくらいで、それで滅んだが >>212
秀吉は信長の勢力拡大と、人材登用のおかげで世に出た人だと思う。尾張半国を若くして継いでそこから
あそこまで勢力拡大するのはめっちゃ大変。ある程度大きくなると倍々ゲームみたいになるけどw
一族の内輪争いから、今川義元が攻めてくるとか、けっこういつやられてもおかしくない状況を乗り越えた 信長って死んだ時もう家督を息子に譲ってだんだよな… >>210
伊勢長島は織田信長の実の弟を殺してるからな
お前親族が殺されて黙ってられるか? (-_-;)y-~
両津勘吉流してるけど、おもしろいな。
ええ大人やったし、テレビ見る暇もなかったけど、
これ見て育ったのって、氷河の下のほうとかゆとりになるんやろか? >>221
伊勢長島って地図でみるとモロ信長の本拠地に隣接してるんだよねwww
そりゃ放置できねえわって感じw >>14
それだと日本軍やらソ連軍は無敵だったってことになるな 秀吉は、朝鮮出兵は失敗だったが
当時の日本の強さを知ることが出来た
小さな島国の弱国家の争いでなく世界トップレベルの軍事力のある国の争いだった >>200 >>213
新兵器はそんなもんだよ
活用法が分からない
火縄銃は雨どころか露にも弱いし、命中精度も低いし、歩兵や騎兵に突撃されれば全滅する
鉄砲はその轟音で敵を驚かせるものだと認識していた
そんな銃も改良されて、先端に銃剣をつけたら騎馬の突撃も防げる
とんでもない槍銃兵になったが、それすら後世まで誰も気付かなかった >>216
>>221
秀吉が現代だったら戦争犯罪で裁かれるって話から始まったのに
レスも読まずにからんでくるなよアホ共 >>199
うーんそうするとなんで石じゃなくて木なんだろうね
そもそも結果ありき、で理由なんて必要ないのかもしれんが
結局、材料として木が豊富だったって事になるのかな? >>224
信長は桶狭間以外イチかバチかの戦はせず常に相手より兵を集めてから戦ったところが偉大
と評してた人が居た、誰だったか忘れたが。 >>210
信長は政教分離を徹底していたからな
坊主は念仏唱えて平和を願っているのなら何も問わない
だが、武器を持ち、酒食に溺れ、統治者に反抗する坊主は、最早坊主ではないと容赦なく殺しただけ
本願寺や比叡山以外に政治に介入してきて殺戮をした記録はないだろ? 純粋に一代で成り上がったのって秀吉だけじゃねぇの?
斎藤道三=パパの段階で土岐氏の家老。元は北面の武士からの流れ
北条早雲=名門伊勢氏。御連枝今川と縁戚。北条氏の流れも汲む
織田信長=パパの段階で尾張の経済(=川の上流含む)を掌握。桶狭間前の段階でも毛利よりも多額の献金を朝廷にしてる
家康は豪族レベルだからこれらよりも大分しただけども 実力主義なんて言って筆頭家老だった林秀貞を追放したらすぐ殺された >>242
レスの始まりは秀吉が現在なら非人道的で裁判にかけられるって話な
こういう馬鹿が歴史を語る滑稽さw >>229
それな
本能寺の変で一緒に家督を継いだ織田信忠も二条城で討ち死にしてる
織田有楽斎は逃げて助かってるし信忠も安土城まで逃げてたらワンチャンあった >>229
なので嫡男の信忠が京都にいなくて生き残ってたらそのまま織田政権は続いてましたね 江戸幕府体制が長く続いたのはそもそも
信長が比叡山焼き討ちとか本願寺とかと戦って勝って
さらに秀吉が寺社を弱体化させて
武士が多くの石高を得ることができるようになったから >>220
大友宗麟も神社仏閣次々焼きまくってしまった
部下に自分の信じている神様を破壊させて進撃させていく
それさえしなければ勝てたのに >>241
事実を言ってるだけやろ
織田信長の弟と庶子だけど兄貴の織田信広と実の兄弟2名を
伊勢長島一揆勢に殺されてる
親族をぶっ殺したテロリストが何故信長に降伏を許されると勘違いしてんだw 信長が生きてたら外国に乗っ取られてキリスト教国になってただろう。 明智はよくやった。
(-_-;)y-~
忍者を上手く使えなかったというか、
秀吉そのものが忍者っぽいけど表に出てしまった人やしなぁ… みんなローカルルールに則って戦ってるのに信長だけ金的目潰し何でもあり >>240
敵わない頃は信玄にも贈り物をして機嫌取りをする程度には現実的な人間だったからな
それなのに家臣に対しては過酷で裏切りも結構受けているという現実には対処できなかった
そこが信長の限界だったな >戦国大名はゼロからのスタートです。力だけでのし上がっていったのです。
まー、歴史マニアに蜂の巣にされそうな記事ですが、細々とツッコミを入れるのも面倒なので、一点だけ入れとくと・・・
甲斐武田氏,大友氏,島津氏なども戦国大名として書かれていますが、この辺は守護大名が戦国大名化したものですな。
もともとかなりの会社の社長だった家柄です。
織田氏なども守護職の家臣の家臣の家柄ではありますが、0からのスタートと言う訳ではありませんな。
毛利氏なども安芸の豪族ですから、そこそこの家柄です。 毛利を倒せば天下が見えてくるって状況で
松永、荒木、別所、明智と4連発謀反起こされるんだから
家臣団から嫌われてたんでないか。
こいつには天下獲らせちゃダメだみたいな >>246
馬鹿はお前
お前が伊勢長島の話をふっかけてきたからレスしただけ
論破されたからって悔しいのはわかるけどさ >>252
仏教勢力に対抗するためにキリスト教を保護したが、
天下統一後はキリスト教国家も皆殺しにする気で海外へ襲い掛かったと思う 信長って49才で死んだんだよな
あと3年でおれも同い年
10代の頃は49年も生きりゃ満足だろって思ってたけど
今となっては49才で死にたくはないな >>251
まずレスの始まりは信長と比べて秀吉は非人道的すぎるに対する反論な
それに兄弟殺されたからって2万人を皆殺しにした人物が日本史上どこにいる答えてみろよ >>244
あくまで逸話ですが秀吉自身は低い身分から天下取った自身と罪人の身からのし上がって天下をひっくり返した源頼朝を
それができたのはあなたと私くらいですねと言ってますね 大河では朝倉義景が信長を 成り上がり とバカにしてたな
朝倉氏は名門なのね >>258
ついでにいえば豊臣秀吉にも裏切られて
息子を殺されて天下を奪われた >>5
そして今度は東京生まれの橋下維新が壊滅に追い込むと 尾張統一と美濃攻略だけでキャリアの半分つかってる。いかに最初の、いっぽがむずかしいか。 >>76
日本の木造の家は地震に強くないよ
安政大地震で江戸は壊滅
それに地震より怖いのが木造の場合火事
地震と火事がセットの場合も多いし
木造のアドバンテージが大きいとも思えないんだよなあ >>265
大した名門でも何でもないけど
織田よりは名門だな (-_-;)y-~
40代になってからできることってあるなぁw
俺も生きようと思うようになったw
そう思ったから、競馬してる。 >>259
>>武器を持ち、酒食に溺れ、統治者に反抗する坊主は、最早坊主ではないと容赦なく殺しただけ
現代においてこんな理由で一般人を殺したら戦争でも犯罪になるぞ
ハイ論破 >>212
基礎工事、土台作りが一番大変なんだよ。守護代言うても吹けば飛ぶよな尾張半国を継いだ若造だし
織田信長一代の領土膨張率は凄いからな。毛利元就レベルだが、畿内と言う中枢含んでるし
天下統一のゴールテープは切れなかったが、秀吉はそれを高層ビルにしてっただけよ。勿論秀吉も凄いけど >>262
251じゃないけど、懲りて降伏後に農民や僧侶に戻ったと思いきや
足利や本願寺の一声でまた立てこもるのを繰り返しているから皆殺しにするしかない
武力にて徹底抗戦を主張する僧侶とかいたり異常に感じる あまりにも合理主義者であるが故に
他人の不合理な感情は発想が理解出来なかったのがな
あと信じちゃうととことん信じ切ってしまうある意味甘い人ではある
光秀のことも自分の直属親衛隊ぐらいに信じてたんだろう
それに裏切られれば「是非も無し」となる >>262
お前馬鹿かな?
まず2万人殺せるだけの力が無いと無理やろ
あと実の兄弟を殺されてリベンジしないってその方がおかしいわ
お前は自分の家族が殺されたとして犯人を捕まえて合法的にリベンジできる状況で許せるのか?
自分の家族がテロリストに殺されてリベンジするのは当然だボケ 信長包囲網の時に比叡山に浅井朝倉が逃げて信長は手をだせなくて
天皇に間に入ってもらって信長が浅井朝倉の前で土下座して和睦になった
比叡山をなんとかしないと信長に勝てる見込みがないので
信長は比叡山に明け渡しを要求して1年弱待って
さらに逃げるように警告もして比叡山焼き討ちをした
京都の近くに敵の安全地帯があるようなもので
比叡山焼き討ちをしてないと負けてたのは信長だったと思われ >>275
それが現代において戦争犯罪にならないと思ってるならそれでいいんじゃない?
アホは話しかけてくるなよ >>263
項羽は人徳というより人を見る目がねえよな
嫁に関しちゃ項羽の圧勝だな
劉邦→呂后(歴史に名を残す悪女)
項羽→虞妃(虞美人草)
秀吉→ねね(良妻)
(´・ω・`) >>280
便衣兵をつかって戦うのは戦争犯罪だよ
本願寺側がまずアウト >>1
一代でのし上がった信長(義父の道三も)などの特徴は
大将みずから先陣を切って攻め込んだりしてる点だわな。
つまり、大将が見本を見せるようにしてリスクを負い
家臣を引っ張って行った。
今川氏が負けたのは、ちょうどその逆の組織体制に
なっていたから。 たぶん、裏で織田に寝返っていて
情報を漏らした下っ端の兵もいたと思う。 そのわけは
大将が楽して下っ端が多く死ぬ状況に不満を持っていた。 別に最初から狙って実力主義を採用したわけじゃなくて織田家にロクなのがいないからやるしかなかったいわば怪我の功名 なんで他の領主が一生懸命に発展させた土地を戦争で奪い取る金正恩みたいなカスが英雄視されてるの? なんか、兄弟にも裏切られるし浅井にも裏切られるし
最期間近の4連発裏切りとかどれだけ信頼されてないんだよってね。
しかも甘い条件提示して謀反を許そうとしても
浅井、荒木、松永とかお前の下に戻りたくなんかない!って無視されるし嫌われすぎでは >>206
項羽を恐れて英布は裏切り
韓信も劉邦に寝返った
この二人が劉邦に付いたのは劉邦の統一に大きな役割を担う
寛容な劉邦には敵側にいた人間もよく集まった >>277
現代でも合法じゃないよ
秀吉が悪くて信長は良いの理由にもならないよ >>280
現代とは違う
落城後や降伏後の皆殺しはあった
豊臣秀頼もそれでやられた
伊達政宗も落城後に皆殺しをやったが仙台で英雄として祭られている
はいお前バカ >>14
それ完全にイメージで言ってるだろw
信長はめっちゃ筆マメで、文献資料が多く残っている
多方向と連携取り合って、同盟結んで、調整して、お礼言って…と、いう風にすげぇ気を使ってたぞ
上杉・武田にもめっちゃ文送ってたし、秀吉の奥さんから直訴されて「お前、浮気ほどほどにしとけよ?」とたしなめた事もある 一代でのし上がったベンチャー大名なんてそうそういないわな
信長と家康は世襲だし秀吉とて織田家を乗っ取っただけで自ら起業はしてない >>276
織田信長は信じてるとかじゃないと感じるけどな
本当に才能があるか無いかだけが判断基準で
裏切り者だろうが敵だった人間でも起用してたんだと思う
それこそ曹操が悪人だろうが盗人だろうが才能があれば使うってやり方に近い
って言うか曹操を手本にしてるよな
孫子みたいな戦い方するし曹操が注釈した孫子を絶対に読んでたと思うわ >>223
両方やってる
どっちが先かまでは忘れた >>260
NHKで長篠の戦で信長軍の鉄砲玉を調べて成分を調べたらタイの鉛が使われていて、それは宣教師カブラルが
信長に渡していたものとわかった。 すなわち布教の後押しとの引き換え。 >>289
法治国家で遺族が最高刑を求めますって裁判所で言ってるのは
合法的なリベンジを望んでるって話やろ >>285
他の領主も、また他の豪族や地侍なんかから土地を武力で奪って大きくなってきたわけで
そういう時代としか >>282
そのへんのアウト・セーフなんてのは
現代指標で言っても意味無いとは思うねんな、そもそも
戦国時代にゃ戦国時代なりのルールがあって
それに合致してりゃ別にええねんて、合致してなくてもええのかも >>284
ロクなのがいなくても入れ替えずにそのロクでもないのとグダグダしてたのが
室町時代っていう時代でしてね・・・
信長出るまでの時代のグダグダっぷりって凄いよ? 狂信徒は根切りするしか無いよ、イスラムのアクバル兄さんを見たら分かるじゃん >>286
戦国時代に親子兄弟の反目は当たり前でしょ。
武田信玄なんか親父を追放して長男幽閉してるし。 >>291
話のはじまりは秀吉は現代では戦争犯罪で裁かれる云々だよ
前提を勝手にぬかして馬鹿なのアホなの? 信長はキリスト教に肩入れしてたのが気になる
当時のキリスト教徒は今のイスラム過激派なんて比べ物にならないレベルの残虐キチガイだったろ >>286
始皇帝もチンギスハンも統一過程で部下の裏切りにあっている
過酷な拡大は、どうしても裏切りは出る >>294
斎藤道三がそれだわ。 元油売りの商人。
息子に殺されたが、娘を信長に嫁がせて
天下取りを陰で演出しつつ死んだ生涯に
なってる。 >>307
そういう意味だと、現代に豊臣秀吉さんは生きてないので
犯罪で裁かれるもクソも無い、でFAじゃない? >>300
軍事裁判で何で遺族がでてくるんだよ
もうアホは話しかけるなよw 大義無し
実力無し
理念無し
言動不一致意味不明
朝令暮改が日常の馬の骨が貴族気取ってりてっき賄賂しまくる
腰抜けの口先だけの意味不明な寸借詐欺師が政治などと偽装して増長し
巨大なキングぼんびー疫病神になってる東朝鮮土人国 >>285
完全に土着の民なんて存在しない
いわゆる先住民だってその中で勢力争いして奪い合ってその形勢に落ち着いてるわけだから >>2
あほが
桶狭間当時の信長の勢力範囲は尾張の3分の1くらい 大高城より先の知多半島は今川より 刈谷の水野氏など織田家寄騎豪族も日和見 小牧岩津の織田家は信長から離反 加えて美濃の斎藤勢が美濃尾張国境に着陣
絶望しかないだから乾坤一擲の勝負に出た 信長なんて今で言うと北朝鮮の金正恩みたいもんだろ
恐怖政治で統治してただけ >>294
信長は世襲じゃないぞ
自分で家督をもぎ取ってる
最初は織田信広の方が織田家の家督に近かったしさ
今川家の捕虜になって徳川家康と人質交換で戻ったけど >>310
道三のオヤジがすでに出世してたんじゃね?説が最近は主流 (-_-;)y-~
殿様になったことないからわからんのやが、
武田家滅亡なんか見てると、逃げる先を作って逃げて逃げてしてるけど、
ああいうのって殿様の発想じゃない感じがするねんなぁ。漠然としてるけど。
義経もそうやろ、逃げて逃げてしてるけど、
初期設定でちゃんと考えてない感じありありやもんなw 総合力では家康の方が圧倒的に上なんだか全く人気ないよな >>265
守護代だから家柄としては目くそ鼻くそ
というか、斯波氏の家臣内では織田よりも下
ただし、信長は織田本家じゃない
また朝倉は応仁の乱前後には有力な勢力で守護同等の勢力を持ってた
当時は朝倉家の寝返りで戦いの趨勢が動く程度には影響力があった
最終的には正式に守護大名にもなってるから、信長を守護代の分家に過ぎないと見做せば成り上がり >>312
軍事裁判なんか現代の日本にないやろ
日本に軍隊が無い事も知らんバカかよ
自衛隊は軍隊じゃ無いぞw >>295
急拡大した勢力は、人材を出自や身分や年齢などで差別せず、重要な職に抜擢する人物
劉邦、チンギスハン、曹操、織田信長、始皇帝らが当たる 今も織田であるから地元の人な感じするけど
あれ宗氏系はころころ名前かえてわけわからんやん >>319
道三二代説ってのも
そういう風に読める資料が出てきたってだけで
まだ学界の主流になるほどじゃないんじゃなかったっけか?
今は二代説が主流になったんかな (-_-;)y-~
逃げてなんとかなりそうってのが、下の者発想のような気がするねんなぁ。
逃げずに進み続けるのが、総大将みたいな。 何だかんだでネタが尽きない人…意外と新しいものに抵抗がなかったりもする >>322
家康の大河ドラマ見たけどほんっとつまらなかった 尾張という経済的にも立地的にも絶妙な国に生まれたことと今川義元が絶妙なアシストしてくれたおかげ >>322
明治維新のアレコレで
旧体制の祖だから >>8
その三カ国でも70万石強。しかも西三河の情勢は不安定。
対して尾張は一国で60万石弱。
他国を攻める場合は戦闘可能な兵は2〜4割。
まだ信長が尾張を統一していないと言っても圧倒的な勢力にはなっていたので、それほど不利な戦いでもないと言われている。 >>134
当時の駿河は尾張以上に繁栄 楽市楽座的なこともやってた 秀吉も士官先探しにまず駿河ヘ行った 当時の尾張は清須が中心で名古屋辺りはただの田舎 >>325
>>193が出した前提な
レスも廻れないなら話しかけてくるなよw >>167
俺の知り合いで戦史とかを研究してる奴がいるんだが、信長を「すげぇ詰まらない戦いしかしない」って文句言ってた
勝って当たり前の状況作って動くし、負けるかも?って状況になると即逃げる
教科書にある長篠の戦いとか、 織田3万(徳川含めれば3万3千) VS 武田1万8千
しかもあっちは遠征の疲労も有る上に補給線伸び切ってるし、こちらは数で圧倒しているうえに味方領内に防御陣地構築して待ち受けている状態
「こんなん、誰がどうやっても勝つに決まってんだろ 詰まらん!」とボヤいてたが、多分信長本人に聞いたら「誰がどうやっても勝てるように準備したんだよ!」って言い返すだろうなw 当時の人からしたら非常識な破壊的な得体の知れない怖い人
だったんだろうけど
この人が地ならししたから旧態依然たる体制や社会が変革されて
秀吉や家康が後やりやすくなったというのはあるな >>329
個人的には勝頼が逃げを選択して死んだから
信忠は逃げを選択しなかった気もするな
死ねる時に死なないと勝頼みたいに成ると
ましてや光秀以外にも協力者が居る可能性考えたら
実際は無かったけど >>334
明治維新抜きにしても、経歴にヒーロー性に乏しいってのはあると思う>家康
なんだかんだで最終的な勝ち組ってのも
なんかあんまり人気が出ない理由かと、義経殺した頼朝と同じ >>324
朝倉家、織田家は斯波家家臣時代に婚姻関係があったからな
織田家は越前の神主の家系
朝倉家は但馬の浪人が斯波家に仕官した口
織田家は応仁の乱で朝倉家は西軍から越前守護をもらう代わりに斯波家を裏切って東軍に寝返った
織田家も尾張で下剋上してるけどそれは清州の彦五郎一族だから信長とは関係無いし
織田家としては自分の地元である越前をよそ者である朝倉家に乗っ取られて許せんわな 信長と戦った本願寺が、令和の時代にもイキってるのが凄い 織田がつき、羽柴がこねし天下餅
座りしままに食うは徳川 >>338
それを受け継いで更に発展させたのが秀吉やね
下準備の鬼 まず拠点かま京や堺にちきったことと謙信や信春がいいタイミング死んでくれた 信長はいろんな人を登用したが
家康はガッチリ譜代で固めてたからな
(´・ω・`) >>338
そりゃゲームやギャンブルやってるんじゃ無いんだから
確実に勝つ準備してから戦いたいだろう
謙信みたいにその場の采配で戦を勝ってしまう戦術の天才じゃないだろうし (-_-;)y-~
俺の言ってる意味わかる?
逃げの哲学w
逃げの小五郎と言われた桂小五郎が、
毛利家家臣にいたからこそ、毛利家が残ったと思うねんなぁ。
あそこ、みんな、特攻精神やし、殿様もろとも滅亡しててもおかしくなかったでw
それで、逃げのプロ小五郎がなんとか殿様を逃がして明治を乗り切った。 >>285
一説には1550年辺りを境に全国でゼニ不足や西日本では石見銀山の銀を通貨として扱うようになって
既存の領国経営がガタガタになってたと言われてる
そこに規制緩和自由経済領地拡大成長路線のノブナガミクスが支持されたのが英雄視される理由じゃないかと >>339
信長は革新的じゃなく、保守的だったというのが最近の研究
天下布武も天下に武をひくじゃなく、足利幕府の再興を目論んでるのではとも言われてる >>335
尾張6十万石なんて江戸時代の話 この頃は清須以外は田舎 経済力でも東海道広く抑えて関所取っ払った今川の経済繁栄は全国トップクラス >>344
今川織田武田北条豊臣このあたりに囲まれて長生きして座ったままでいられるのもすごい >>345
織田信長の戦い方って孫子そのままだもんな
あきらかに曹操に影響されてそうだしさ
秀吉はどこで戦わず勝つって兵糧攻めとか身に付けたんだろうね >>316
信長は経済を握ってたかた開戦前の国力はそこまで差がないぞ
ただし、守りに回ったら日和見してた勢力が今川側になるのは目に見えてたから打って出るしかなかった
また今川は遠征軍なんで動員兵力は限られてる
だから、圧倒的な兵力差があったとはとてもじゃないけど思えないけどな >>51
でもこの時代に信長以上の領地持ってる大名居ないよね?
西は毛利、島津で東は北条、上杉は謙信死ぬからそれ程の脅威でもない
後10年掛らずに織田家の天下統一は間違いない情況でしょ
信長は信長本人が突然変異みたいな扱いされるけど父親の影響を凄く受けてるからな
それと混乱する時代にはその状況を解消する為の礎になる人物って居るよね >>338
孫子とヤン・ウェンリーが信長の戦いを見たら絶賛するだろう。 >>347
長い事、三河、遠江しかなかったのに
配下に上げる土地なんてないでしょ >>352
秀吉の太閤検地って証拠があるんですけど・・・・
尾張はめっちゃ裕福な土地やぞ >>345
下準備することが意味をなしてきたのが戦国の世の中なのかも
それ以前は義経みたいな行き当たりばったりな奴が
ちょっと奇抜なアイデア出して勝つ、みたいなパターンが多かったような感じある
なんていうか、その場の勢いで勝敗決まっちゃう、みたいな (-_-;)y-~
関ケ原島津の退き口特攻退却って、
やっぱ、島津義弘の周辺に逃げプロがおったんやと思うで。 >>338
そいつモグリだろ
刀根坂おもろいじゃん
城無理攻めして被害出して包囲に切り替えってのも多い >>340
まあ信忠はあの時信長の安否がわからんから逃げるに逃げられんよね 信長が自分と合流しようとむかってるかもしらんし >>355
織田家仕官前に色んな仕事やってたから
そういう経験の中から身につけたんじゃ無いかね
彼は土建屋でありビジネスマンでもある >>265
そりゃ応仁の乱の頃以降だけど、一応正式な室町幕府の守護大名だからな。
信長は守護代から成りあがった戦国大名というだけの地位。 桶狭間の戦いと美濃攻めは見事でしょ
親父の後をついで内紛を収めながら尾張を地道に固めつつ、桶狭間で今川を倒し徳川と同盟、先代が死んで混乱中の美濃をあの手この手で攻略して、最後は稲葉山城を奪取
上洛以降のバタバタも物語的に面白いが、尾張美濃全土を親父が死んで10年ちょいで支配に置いたのは凄い
有能としか言いようが無い >>308
朝倉も浅井も尾張も一向宗門徒にさんざん悩まされてきたってのはあんじゃない? >>344
実際は、
足利が落とし、織田が破壊し、明智が投げし、柴田が掴もうとし、豊臣が奪いし天下餅
光成が確保を夢見たが、血反吐をはきながら食えたは徳川 >>265
朝倉家はもともと越前国守護の斯波氏の守護代で甲斐、織田に次ぐ守護代第三席
朝倉孝景が応仁の乱で西軍から東軍に寝返ることで東軍を率いる細川勝元に恩を売り越前守護に取り立てられた
なので朝倉家は織田家と同格またはやや格下の家柄から戦国大名にのし上がった >>308
あの当時仏教もキチガイだっただけでしょ >>118
自分にとって利用価値のある者には甘い。
利用価値のない者は過失が無くても容赦なく追放している。 >>341
頼朝は、身内の義経や義仲を互いに争わせて自らは手を汚さず
天下を取った卑怯者だからな
結果、源氏将軍を守る身内が居なくて北条氏に難なく天下を奪われた (-_-;)y-~
源頼朝も義経も、どっちも人生は逃げから始まってるのに、
頼朝の方が絶賛逃げプロやなぁ。
侵攻才能は義経にあったんやろうけど。 >>1
古臭い戦国史観だな
幻冬舎ってアホしか居ないの? 清須、岩倉、津島、熱田を抑えている時点で小さくないけどな >>265
越前は斯波氏が守護で甲斐氏と織田氏と朝倉氏が越前の内政担当で後に甲斐氏が越前、
織田氏が尾張の守護代になったんだけど朝倉氏が応仁の乱に乗じて斯波氏と甲斐氏を追い出して
越前守護にしてもらったんだ。だから成り上がりは朝倉さんのほう >>357
信長が圧倒的なんよ
当時人口が多いのが圧倒的に近畿 次に東海地方 信長の支配地域で日本の人口の8割抑えてる 信長の花押は麒麟の「麟」で1565年9月ごろから死ぬまで使ってた
大河おもしろいよ >>353
徳川は武田というか信玄にボッコボコだよ
勝頼の代になってあれだけ奪い奪われをやってれば用兵も上手くなるさ >>378
領地に恵まれてるよね
これが飛騨辺りに生まれたら
信長だろうが、家康、信玄であろうがどうしようもないわ 家康が人気無いのは司馬遼太郎の影響もあると思うぞ
司馬は「覇王の家」で家康を主人公にして書いてるけど
他の作品の行間から家康に興味が無いのがありありと読み取れる >>37
結局そういうことなんだな
デカい戦いも琵琶湖の周辺ばっかだもんな >>344
家康結構信長の天下取りに貢献してるよね 能力的なモノは当然高かったと思うが、それ以上に運がやたら強かった印象
今川との桶狭間は日本軍が何百回も模擬戦やったけど一度も勝てたこと無かったとか
(あれは、奇襲を掛けたら偶然義元本陣ど真ん中に出たと言われている)
信玄も信長より強かったが癌で急死したし、謙信も織田より強かったがやはり急死した
見れば見るほど運がやたら強いんだよなあ信長は (-_-;)y-~
大事な逃げのお話なんで、煙に巻いておく。
226事件の青年将校なんかは、明らかに逃げが下手。 日光東照宮が悪趣味すぎて
少なくとも家康の美的感覚が信用できないのは確か >>387
最近は奇襲じゃなく、普通に攻めたら今川軍がズルズルっと敗退して
進んだら本陣だったって説もある >>384
山岡荘八では家康ブームを起こすほどじゃなかったんだろうか…
でも連載当時は人気だったんよね?
以外と、山岡荘八の徳川家康全巻持ってるって人多いし
それなりに作品としては人気あったんだろうけども (-_-;)y-~
平家も逃げ方が、義経と似てるもんなぁ。
行き当たりばったり、平清盛が逃げ初期設定をミスったか、
清盛に逃げの才能が欠けていたか… 天下布武を目的としていたのが信長しかいなかったからな
他の大名は自国とその周辺だけで満足してた >>335
今川は2万5千、迎え撃つ信長は3000程度しか用意できなかったんだから
今川が圧倒的だったんじゃないの >>391
すごかったよ、会社員の必読書って感じで
今でもあの小説信じてる人多いんじゃね? >>379
まあでも織田も斯波殺したし そもそも信長の血筋は織田の本家じゃないから >>118 >>374
足利殺しは将軍殺しで汚名になるからしたくなかったはず
荒木の反乱は秀吉軍が孤立するからなんとしても防ぎたかったと思う 信長は銭で雇う常駐の軍隊を組織して閑農期しか戦争ができない他国を打ち破った
徴兵制というただで無尽蔵の軍隊を発明してヨーロッパを席巻したナポレオンと似た発想やな 大河では平和な世になると麒麟がくるといわれてて
光秀が平和な世にしようとしてる感じだけど
史実では信長が秩序ある世を作ろうという志があったように見える 信長が家督継いだときってそんなに勢力強かった?
そら家康や秀吉よりは恵まれてるが、普通にやってたら斎藤とか今川には勝てないでしょ >>391
山岡の家康は長いだけだろ
おれも読んだけど、途中からダレてきて
最後はここまで読んだんだから読破しないとって感じで惰性で読み切ったよ >>352
横だけど、
東海道はまだ経済要地じゃないぞ
主要街道ではあるけども陸運で未開な関東と尾張・畿内を結んでもあんまり金を生まない
むしろ金山の方が重要なレベル
それに今川義元は家中の地盤が弱いからね
実際、没後に今川家が崩壊するくらい統率がとれてなかったんだから >>389
それは家康がかわいそう 本人は質素でいい言ってるのに孫が神君とかいって派手にしちゃったのよ >>336
清須、津島、熱田とそれぞれ栄えてたよ
だから親父の信秀なんかも御所の修繕費に4000貫をポンと出してるし 図を見たけど、なんで毛利が周防なんだよ
本拠地は安芸だろ >>384
司馬遼太郎は等身大以上の業績で
龍馬、土方を信長クラスの英雄に仕立てた天才だよな
幕末と言えばこの二人を連想するくらい過大評価してる >>401
有利か不利かと言えば不利だけど
絶望的かと言えばそうでもない位の国力では? >>393
満足もなにも自国内の内政するので精一杯だし部下や家臣や一門でさえ対外戦争に反対するのが普通だから >>350
岩見銀山の銀で明から銭を輸入してたんだよ
今の感覚だと損な取引に思えるけど >>356
だが、今川は北条武田と話つけて上洛しようってんで2万を動員したんだろ
一方織田方は犬山城とかの支城に100単位の兵力回すのが精々で、手勢も2千とかじゃなかったか
普通に行軍してるところだから伸び切っていて手薄な本陣を直撃できたのが大きいんではないかい? なんか偉そうに戦国大名とか仰ってますけど、所詮は低偏差値でしょ。
院卒の俺が戦国時代に行けたら、意のままに兵を操って天下統一出来るんだろうな。 >>402
自分も後から読んだ人間だから
あの巻数に辟易したし、そもそも家康好きじゃないから「ふーん」って感じだった
んでも、あんだけ長く続いたってことは
連載当時としてはそれなりに人気あったんじゃないかなぁ
>>395も人気凄かった、って言ってるし 戦時中の山岡、戦後の司馬
大衆受けした国民的時代小説作家だよな >>10
秀吉が甘かった
配下におさめた後、無理難題押し付けて兵力を削いで取り潰せばよかった
実際、家康は西国の外様大名にそれをやった 家康ってのはほんと地味だからなぁ。江戸幕府自体も地味だし。
しかしそのおかげで250年以上の平和が保たれたとも言えるし、
今につながる日本の伝統文化を作ったとも言えるし、近代化への
地ならしをしたとも言えるし、まぁ、これはこれで良かったのだろう。
信長→秀吉の路線を継承していたら、アジア最大の海洋貿易国家に
なっていたとも思えるが、その場合は今の日本人は無かっただろうなぁ。 >>350
西日本の混乱は隆元暗殺のせいという噂も・・・w
隆元は相当経済感覚優れてたらしいね
元就の代わりに大友ともやりあってたし、かなり過小評価されてたと思う
最近はだいぶ再評価が進んでるようだが >>391
いいぞ山岡家康長くて読み終えた後の寂寥感と重い荷をおろしたような感慨
ゲームオブスローンズと互角 >>394
今川軍はせいぜい1万5千〜2万程度で信長も総勢で1万前後は率いてる
それほど大差のあった戦いじゃない >>393
今川さんやろうとしたけど邪魔するから、、 >>420
信長が生きてたらキリスト教をどうしてたんだろうなあ >>419
秀吉って実は家康好きじゃねってくらい
徳川幕府成立に貢献してるよな
その次が石田三成か
豊臣幕府で徳川幕府を成立させようとしてる感じ >>418
芸名火野正平の名付け親が山岡だったっけ? >>420
実際あの頃の大陸って明の末期でガタガタだったし
綿密にやってりゃ覇権取れた可能性も十分あるわな >>420
リアルタイムで体験したわけでもないのに
江戸時代の時代劇見ればノスタルジックに浸れるもんな
それを日本人に植え付けた家康の功績は大きい >>177
一人も発見できてないんじゃなく単にお前が知らないんでは?
スペインにハポン姓の人がいるだろ
そもそも海外で日本人が奴隷にされてるところを目撃したのは1人や2人ではない >>405
信秀はね 信長義元の首とっても熱田神宮にショボい塀がせいぜい >>413
低偏差値というより池沼みたいな雑兵に、あっという間に首を獲られて終わりかも (-_-;)y-~
あ、わかった・・・
神君家康の人生を幼少期から辿るのが将軍様のお仕事ってわけか・・・
黒鉄ヒロシの新選組って漫画やったかなぁ、
慶喜の前に歴代将軍と家康が現れて、店じまいって話があったような気がする。 >>338
長篠城を救援にきたはずなのに、だいぶ遠い設楽原に陣城を築いて大量の鉄砲で防御戦闘の準備だもんな
武田軍が鳶の巣山から動かなかったら戦い自体起こらなかったかもしれない
どうして武田が有利な場所からわざわざ設楽原に出て行ったのか謎に思える >>420
まぁ信長とずっと同盟結んでたってだけで価値はあると思うけど、
全盛期信玄にけちょんぱにされたのが響いてるのかな
(まぁあれは謙信以外誰も勝てなかったと思うけど)
ただ、当主の寿命が長いというのはそれだけで武器なんだよな
戦国大名家が崩れるときは当主が死んだときだから
信玄しかり、信長しかり、上杉の御館の乱しかり
崩れなかったのは毛利家ぐらいだ 人は記憶型と思考型に大別できる
間違いがあるな〜
桶狭間は信長が今川を誘き寄せた戦い
兵農分離だが、人口増加による余剰人員が発生して戦国時代に突入した面もある
よって戦後時代は兵農分離の時代なんだ
武田信玄は信玄堤で有名だが河川工事をずいぶんやってる
戦をやってないときの足軽は土木作業員なんだな >>425
たぶん禁止しただろうと思うなぁ。信長がキリスト教の布教に寛大
だったのは彼らの科学的文化的な知識を得るためだったと思うが、
それを得るだけ得た後は捨てちゃうか対立するかどちらかになりそう。 >>1
小説の創作話を史実として記事にするって馬鹿が書いた記事かよ >>387
信長が運で勝ったのは桶狭間だけで、その他は実力だろう
信玄なんかじゃ岐阜城までも到達できそうにない 司馬遼は読んでると三傑の中では家康が嫌いなのが明らかにわかる
一番好きなのは秀吉やな。大河ドラマでも司馬遼原作の頃は
緒形拳がやっててかっこ良かったな >>426
そう家康に天下任せる気持ちはあったと思う 武家としては最高の内大臣の位与えて秀頼おたのうもうします言うてたんよ 天下が実力主義なんて秀吉がわからんはずない >>338
だろうな
信長は桶狭間以来、絶対に兵力が多く勝つときでないと決戦はしていないし
兵が少ない方が大軍に勝つには、敵大将の首を取る以外方法がない
籠城しても後詰めがなければ結局討たれる
ある意味、今川義元から学んだ部分は多かったのかもしれないな
義元から奪った名刀も合戦では必ず持っていたそうだし 歴史にイフは無いが、桶狭間で織田が負けてたら、織田が踏み止まったとしても義元が逃げ延びてたら
今の日本の歴史と全然違うことになってるんだろうな >>1
これをヌー即+でご紹介するメリットてなに? 京都周辺の物流金融を握ってた坊主をなで斬りして奪い取った。
敗走して浪人になって空腹に耐えかねた元僧兵は傭兵として臨時再雇用、超合理的。 道三も早雲も社内政治で創業家を追い出した感じでは。ベンチャーは雑賀衆とか村上水軍の方がイメージ合うと思う。 >>423
信長に1万なんか絶対にないだろ
佐久間盛信に500を与え信長自身が率いたのは2000ほどという説もある
異説はあるが今川は約2万5千という説が多いよ 長篠の戦いは武田側に地の利はないから負けるべくして負けたと思う。 >>426
豊臣が滅んだのは朝鮮出兵の大失敗が原因
もし成功してたら海外領地も獲得して家康の付け入るすきは無かった (-_-;)y-~
幕末までの徳川経済政策って、
頭おかしいんじゃねえか?ってぐらい野放しやもんやなぁw
外国と貿易、開国要素で、独占しようとして失敗するけど。
それまでのノー天気なほどの野放しで、大坂に米先物相場が誕生するという、
世界の歴史がまた1ページ・・・ 愛知県内も綺麗に直線で区切られて
昔から凄いな
本当なの? >>412
動員兵力は基本的にフィクション
資料がないから
明治以降に陸軍が石高から兵力計算ってのをやったけども、これは幕府の石高と兵力を結びつけた統制制度の数字が基で強引な数字
もし石高=兵数なら堺とかの商人都市は兵隊を用意できない
江戸時代に米本位制に戻しただけで、本当は金の方が自由に使えて強いのは当時から
そんで経済力考えればそんなに負けてない(というか、今川の方が経済は下)
ってか、防衛側が二千しか動員できないほどに貧しい地域だったら、二万の兵隊を養えない
当時は現地で調達するのが原則なんだから
(だから東濃は陸の壁になって、天下人になった信長以外は進軍ルートに使えなかった) >>84
秀吉が長生きしても老害期間が伸びるだけ
寿命伸ばすなら秀長の方が良いわ >>19
桃山なんて地名は江戸時代に入ってからできた。伏見時代と言うべき。
桃山時代と言うのとは、徳川幕府の時代を東京時代と言うようなもんだ。 >>124
大阪の陣で
黒田が指揮して
徳川ぶったおすとかしないと
家康に唯々諾々と従ったからな
陳平はリョチ一族倒したから >>410
銀を売って明銭や銭貨を輸入してた
それほど国内ではゼニが不足し物流や流通経済が停滞する
それを活性化させる政策を推し進めたのが楽市楽座や関銭廃止等の自由化信長政策
もちろんそれに反対する畿内勢力とは戦争にるのを覚悟の上で 同人数で殴り合いやったら、信玄軍や謙信軍がそりゃ強いんだろうけど、信長の強さってそこじゃないもんな
もっと戦略的な話だし、統治も上手いし、兵站伸びても大丈夫だし
別次元にいるよ、他の戦国武将とはさ。マジで未来からタイムスリップしたんじゃねえかねw >>442
司馬さんは、徳川の250年で日本人が矮小化した、と批判的だからな >>453
失敗しそうな感じがプンプンしてるよね
2回やって2回ともダメ
唐入り出来てない 今川とはずっと敵対していて小競り合いをやってきた仲だろ
2万も大軍率いてやってこれたのは後背地の安全を確保したからだろうし、
織田にしてみれば本気の今川と戦うのは初めて
それを討ち取って徳川を味方につけたから、今度は織田が北畠への懐柔も成功して、美濃攻めができたわけでさ >>462
良いか悪いかは別として影響与えたのは間違いないね >>438 の続き
信長は今川方の城に付け城を築いてるんだ
これで今川義元は否が応でも救援に赴かなければならなくなった
これが桶狭間の戦いなんだな >>460
世界が銀本位制だった時代 石見銀山の刀みたいなアンチモニーの標本なんて値段つけられないくらいコレクター垂涎のマト もっと儲けられたはず >>387
俺は『甲陽軍鑑』の
「その日の(事前にあった別の)戦いに勝ったと思った今川軍が略奪に散る中、織田軍が味方のように入り交じり、義元の首を取った」だと思う。
信長公記はカッコつけて書いたと推理。 >>456
じゃあなんで
今川は
相手の戦力が整ってるところに
攻めに行ったんだ? >>8
今川氏は三河の出だから三河は押さえておきたいよね。 >>393
三好長慶
将軍に成り代わり日本全体を政治的に支配しようとした
というか、戦国時代を終わらせて一つに安定させようとしただけだから信長とはやり方が違うけど >>456
信長公記があるだろ
第一級の資料だ
好くなくとも信長の兵力についてはほぼ正確だろ >>472 の続き
信長の桶狭間の兵力は2千とかいわれてるが、それは最後の突撃部隊の兵力でしかない
動員した数は1万を超えてると思われる
下手すると2万近かったかも知れん >>456
そうか?
2千しかというが、そりゃあ織田もかき集めればもっと動員できるだろうけど、
当面2万の軍がやってくるとあっては、尾張国内全土を掌握してなきゃ対抗するのは難しいだろう
となると、各地の小領主は様子見を決め込み、お館様んところへ駆けつけたのが精々2千ってわけで、尾張一国が国としてまとまってるって前提がおかしいんじゃね? >>441
信長は外交上手だったイメージある
上杉北条をきっちり押さえてたからなあ
でも秋山の虎ちゃんには東美濃までいかれてるのよねえ あけちぃ〜〜。
三浦春馬にも将来大河で信長やってほしかったんだけどなぁ。。 >>421
博多や大内辺りの貿易問題があったのは確実かと
通貨や経済に留まらず納税方法や割合がゼニか銀か米か物納かなんかでも領国内でも相当揉めるんだろうし >>456
>防衛側が二千しか動員できないほどに貧しい地域だったら、二万の兵隊を養えない
>当時は現地で調達するのが原則なんだから
だったら攻める方はいつも自らと同等または自分より上の勢力のところしか攻めることができないじゃないか
そんな馬鹿な理屈があるものかよ >>480
だからなんで
そんな戦力が整う相手に
攻めに行ってんだ? >>423
うそこけ 何情報だよそれ信長公記にも三河物語にも桶狭間当時の織田の劣勢ははっきり書いてあんぞ 大体1万も動員できるなら丸根砦鷲津砦2百人ちょっとの人数しか置かないわけ? >>435
織田・徳川の兵の数が自軍(武田軍)より少ないと思っていたからじゃね?
信長が見通しの悪い丘陵地帯の設楽が原を選んだのは、兵を隠し易い場所だったから。 >>474
『甲陽軍鑑』は講談本みたいなもの
「信長公記」は回想録だから、信頼性はこっちのほうが高い
それによると、田楽狭間の戦いは「遭遇戦」のように書かれてる >>480
だから太田牛一が信長公記に書いてるって
大高城の付け城に300ほど、佐久間盛信に500を与えて善正寺砦を守らせ、信長自身は2000を率いたと 今川「2正面の相手を外交で抑えて、ようやく二万集めれましたわ」
織田「ワシは二万とか余裕で集めるで」
今川「よっしゃオレ勝てるやんけ」
こうなるわけないやん
お前ら、アホなんか? >>464
経済力弱すぎ
米あんまりとれないし、金山くらいしかない
それでも信濃川の出口である新潟を抑えられれば天下狙えたかもね
謙信に防がれた時点で手詰まりだったんよ
東濃は貧しいから大軍を連れていけないし、南の今川は北条と同盟してて困難
西(上野)は謙信が邪魔してきても進めるだろうけど、おいしくない
そもそも天下取りの野心があったか疑問
っていうか、徳川に召し抱えられた武田の遺臣のお陰で過大評価されてる部分もあると思う >>480 の続き
愛知県は人口密度が高い
信長の領地の端っこから桶狭間まで10数キロ
夜通し駆ければ全軍を戦場に集結できる
夜の間に出発して兵がどんどん集まってくる記述が信長公記にもあるだろ
信長は一夜にして全軍を戦場付近に集結させたんだ 桶狭間の今川と長篠の武田
自ら攻め込むも返り討ちにあい壊滅するほどの致命傷をくらう >>482
おつやの方って、NHK大河では映像化されていないんだよなぁ。
麒麟で期待してたけど、コロナで尺削られて無理か・・・。
フィクションで信忠とともに岩村城囲んで、織田家の残忍性をまた気が付くというシナリオで・・・。 >>496
だから
そんな戦力ある国に攻めるわけないやん >>435
ちょうど勝頼は桶狭間の信長の立場だったんじゃないかなと
つまり形勢逆転するには多少無理してでも信長の首を獲るしかないと (-_-;)y-~
大井7Rパドック、森騎手がおいでおいでしてたから乗った。
当たるかな〜 >>489
あの頃身分が違い過ぎたもんな
片や駿河国主、片や斯波家の一家老格
まだ尾張統一前だし、動員できる兵力に差があって当たり前ではある
であるがゆえに桶狭間は大事件だったわけだが >>482
武田24将でも四名臣に隠れて影が薄いが、実は伊那や東美濃の抑えや、織田家との同盟の取次もしていて優秀な武将なんだよな
最後は悲惨だったけど… 戦国一は家康だろ。修羅場潜りまくって最終的にはかっさらったんだから。俺なら途中で選択肢間違えて死んでるわ >>492
出自は三河よ 義元は三河守 三河には足利御家人多いのよ >>499
ちゃんと書いてあるだろ
付け城で義元を否が応にも出てこさせたんだと IF 本能寺の変が無くて
信長健在なまま天下統一してたなら、
秀吉自身が総司令官だったであろう 大陸進出の”唐入り”
普通に北京まで落としてただろうなあw >>94
オスマン帝国は
大砲鎖でつないで騎兵の突進阻止とかやってたからな
16世紀の前半あたりなら
ダントツの軍事力はオスマン >>492
足利の庶子の吉良家の出で三河今川荘を貰った息子が
その土地の名をとって今川四郎を名乗ったのが始まり >>503
秋山は対徳川、対織田でも武田の抗争発端だし
存在しないと、武田家は後世まで残ったかもよ? >>487
だから貨幣経済が発達するまで小競り合いがメインだったんだよ
貨幣経済の発達に伴って食料の調達(周りから持ってくるのを含め)が容易になった
大きな勢力が弱い勢力に大軍を動員できるようになったのはそれから
それまでは婚姻で勢力統合が基本だぞ >>505
足利家の元が三河出身だしな
太平記でも三河は足利の第二の本拠地的なイメージで描かれてる >>507
兵站維持に苦労して厭戦気分で撤退するのは同じちゃうか? >>495
越後が無理だし、だからこそ義元亡き駿河を欲しかったんだろうな
当時は舟運が中心だから港を抑えるのは必須だったともいえる
経済効果が半端ない 織田は尾張という京都に絶妙に近い土地だった。
武田も上杉も毛利も島津も京都から遠すぎた。 >>517
スペインが負けてないから
ワンちゃんネコちゃん こ・い・つ・らw
麒麟が来るだの信長協奏曲だの大河ドラマだの出所が分からん漫画だの小説で身につけたニワカ知識のお披露目会ですか?
みっともない。 腹心の部下に裏切られて死ぬ奴がロクな奴であるはずがないだろ こいつを英雄に仕立てたのも作家たちの都合でしかない >>518
越後チート過ぎたしな
謙信信玄がもう少しやり方上手かったらねえ
あの二人は川中島で無駄に月日と兵を浪費しすぎた感ある
でもどっちかというと上杉の完勝なのよな
上杉勢は信繁クラスの将は全く失ってない まとめ 信長の勢力範囲 清須勝幡那古野津島熱田
鳴海の山口氏離反 刈谷の水野氏日和見 大高城より知多半島は今川支配下
岩倉織田家離反 犬山織田家離反
動員数おそらく2千ほど なお清須城内にも今川に通じるものあり >>492
今川氏は現在の愛知県西尾市の出だよ。
でも、今川氏の影響が強かったのは東三河までだね。 >>496
だから信長公記では、信長の軍勢は善正寺砦に集結、
善正寺砦に500を置いて信長は2000で出撃したんだっての >>518
経済に目が行きすぎて外交に目配せできなかったのは信濃の豪族との戦いが長かったからだろうな
北条と一緒に今川援助して立て直した方が歴史的には成功だったのかも 秀吉の地方指揮官から王様になるまでの異常な勢いが断トツ一番 どっちかというと信長の相続まがいのごたごたとか
息子が帰ってきて数日で死んだ家康の父親とか
そーいったあからさまなゴタゴタに興味わくな、、、 実際その時代に生きてみたかったわ。関ヶ原なんか農民がおにぎり持ってピクニック観戦してたんだろ?具は昆布がいいわ (-_-;)y-~
団塊アホ世代学生運動という世相を考えると、
司馬遼太郎はよく勉強して楽しい妄想を広めてくれたと思うよ。
うちの予科練ジジイでも、昭和50〜60年代とか、
自分が参戦した戦争のことすらよくわからん状態やったしな。
真珠湾もミッドウェイも原爆も、映画で知ったという感じが濃厚やった。 >>519
武田毛利はともかく
上杉って京都の隣では? >>528
もともとは今川氏は岡崎市今川町が本貫地 西尾は西条吉良氏 義元が調子こかなかったら1560で終わってた
家康も独立しないまま戦国時代が続いて19世紀に欧米の植民地化 >>533
まともな歯の治療受けれないだけで嫌やわ >>539
甘いもの殆どなかったから虫歯の心配少ないで >>533
全国決勝大会まで行ったからだと思うよ。そこまでが大変よ。強豪の草刈り場になってみ。
畑は荒れるし、乱捕りされるし、女房娘は足軽にレイプされる。下手したら奴隷として他県に売られるw 後世の売文や劇作家たちに都合のいい動かしやすいキャラとして信長は人気だっただけの話である >>1
寡兵で大軍を破った戦いだと日本ならやっぱ桶狭間の戦いだな
駿河・遠江・三河を支配し、海道一の弓取りとまで言われた今川義元の軍2万5千を
小国尾張の一領主に過ぎない織田信長が3千で撃破し、義元の首級をあげた
兵力差8倍以上
まさに戦国最大の番狂わせ >>519
近すぎでもあかんのかな
三好は長慶親子が死んでからのグダグダぶりがひどい >>542
なんや構って欲しいんか
武力90とか言って欲しいんか?
んー? 尾張が豊かだったから
元々4つの大名家が統治していた。およそ30万石×4。統一して120万石
岡崎も80万石近くあったが、遠江駿河の今川領は合わせて150~180万石程度だった。
加えて12年かけて手に入れた岐阜は80万石。この二国だけで200万石だった。
かたや信玄は小県で10万石、所領5つ合わせても50~60万石だった。
謙信も石高だけなら雑魚だった。麻の専売で貯めた金を関東遠征で浪費した。
堺の商権を手に入れて、比叡山を焼いて北近江~北之庄までの商権を抑えた信長の財力に誰もかなわなかった >>514
攻める土地が豊かでもそこの領主が大勢力とは限らないだろ
桶狭間のときは信長は織田家無いの争いを制したばかりなうえ斯波義銀を追放して尾張は混乱していたんだから
桶狭間では宿老柴田勝家でさえ信長軍に加わってないくらいだから
多くの家臣が加わってないのだろう
信長の総兵力が1万とか2万とか何の根拠もない妄想だわ >>536
じゃあ、岡崎市も今川氏発祥地の石碑を立てた方がいいね。 >>525
イフだが、同盟結んでて謙信は北陸・信玄は東海ってなってればスムーズにいった感はあるかもね
ただ武田は重要な合戦で重臣を失いすぎてるのが痛いよなぁ 劉邦「農家出身です」
朱元璋「農家出身です」
豊臣秀吉「農家出身です」
毛沢東「農家出身です」
ポル・ポト「農家出身です」
菅義偉「農家出身です」 竹中半兵衛がいなかったら、尾張一国でおわっていたよw 信長は愛知の武将じゃなくて岐阜の武将だからな
出身地ってだけで起源を主張しないように >>553
朱元璋は家族餓死だし
托鉢してるし
次元が違うだろう
秀吉が明るく見えるレベル >>535
上杉は義の人と言われるぐらいだし、天下を取る野望なんて全く無かったから。
大体、戦国時代での勝率No.1は上杉謙信。 >>533
関ヶ原の時期は戦といえるようなのが起こらなくなって20年近く経ってしかも刀狩りもはさんでるから、落ち武者狩りもできたかどうか怪しい。
いきなり地元が戦場になって大迷惑した、ってのが実情だろ。 織田さんという人は居ても、
豊臣さん、徳川さんという名字の人に会った事がない。 >>543
そうね実力に加えて家格が高い今川了俊はじめ室町幕府においては今川の軍は官軍なのよ 幕府が行えなかった正親町天皇の即位の義を義元の音頭で全国大名に呼びかけ行った織田さえ倒せば斎藤六角朝倉あたり引き連れて京都おさえたはず >>526
信長の勢力は全くそのとおり
1万とか2万なんて動員力が有るわけがない また5chの風物詩
知ったかおじさんが跋扈してんのか 秀吉は菅首相と同じで割と豊かな農家、なんなら半分武士説とか聞いたことある >>544
三好長慶は当時の概念では天下人
当時は畿内を指して天下だから
長慶は跡取り死んでからやる気0やったし
もっとも、元小勢力の悲哀というべきで、有力家臣・一門に力を大きく任せる必要があったから、崩壊リスクが元々高かった
それは信長も一緒で最終的には有力家臣の一人だった秀吉が天下とったしね >>540
なった後が地獄でしょ
大きいペンチみたいなヤットコってやつで引き抜くとか
口臭いのだらけとか耐えれないわw >>555
正直、岐阜で信長
お前らそれで良いんかとしか思わん >>540
虫歯になったら抜くしかなかっただろうな
嫌だな
親知らずなんかどうしてたんだろう 武田信玄は、甲斐国守護の武田家の嫡流。
そもそも、武田家は甲斐源氏の中心で、名門中の名門 >>557
と言われてるけど北陸の七尾攻めでは結構えげつないことやってるし、
単に統治が下手だったという説が
裏切られまくってんのよね関東でも攻めてならしてもすぐ成田だの北条(きたじょう)だのに裏切られるし
北条に抵抗してた太田さんや長野さんなんかはスルーしちゃうし、あーこりゃこりゃよ >>3
戦国大名は乱取りで他国の領民をさらって売り飛ばすのが金儲けしてたんだぞ
上杉謙信もな 口中臭うござった
この話を知ってるおじさんはすごい (-_-;)y-~
筆おろし詐欺被害者に○川さんおったで。 >>546
加えて鉄砲がでかいね雑賀国友の鉄砲製造抑えてなおかつ火薬の輸入束ねてる種子島氏味方につけたほかの大名は鉄砲使いたくても大量に買えない
ちなみに種子島氏は京都本能寺檀家筆頭 今川統治下が一番日本に最適だったものを信長はぶち壊したな 信長の野望で丹後若狭とかあの辺に武田っていたな
麿みたいな顔グラで
武田信玄の武田と関係あるのかな >>546
逆説的だけと自国内が豊かだと対外戦争にはなりにくい
国内の家臣や一門が疲弊するような戦争には反対するから 今川が桶狭間でヘマをしなければ、そのまま尾張は今川のものに。
信長と家康は今川家臣として、せっせと働く日々を送ったんだろうなあ。
信長の事だから、今川に下らずに切腹した可能性もあるけど。 >>557
上杉の関東出兵はヒャッハーだぞ
関東領民からは嫌われるだけの存在 >>3
売ってたのは島津
秀吉が島津に対して書状も出してる >>559
豊臣さんならまえ逮捕されてた。日本人じゃないけど >>531
地方指揮官なるの四十代からよ結構苦労人よ >>490
それは武田側が斥候もできない無能だと言っているようなもので、さすがに失礼だよ。
設楽原、地元の人が「徳川側に頼まれて田んぼに水を張っといた」なんて与太話をしてくれたよ。 >>539
砂糖なんか手に入らないから虫歯なんかないよ
歯木で適当に磨いとけば十分 >>543
それは同意する
西国の桶狭間と言われる有田中井手の戦いはたしかに難易度高かったけど
規模感で言うとさほどでもない、どっちかというと厳島の戦いのほうが西国の桶狭間の名にふさわしい
元就はかなり悪いことやってるのに、嫌悪感抱かれないのは流石と言える
吉川興経を謀殺する手順なんかは芸術的とすら思える >>540
江戸時代になってからは民もコメが主食になって、虫歯と肥満が多発したそうだ >>557
過酷な徴税の上にそびえる戦績だぞ
それといわゆる「天下」は目指していなかったかもしれないが関東管領の名の下に関東を荒らしまわったのは事実
室町幕府が最初から東西に分裂状態だったのとパラレルに天下も2分していたとも言いうるぞ 今川の温厚なる統治は破壊され、革命児だか何だか知らんが混沌と恐怖を民に押し付ける信長がとってかわった >>559
確かに会ったことは無い
まあ豊臣は苗字じゃないし、徳川さんはなんか前の選挙に出て落ちてたな >>546
慶長3年の検地で尾張は57万石だぞ
美濃が54万石 >>579
北条とかいう税率二公八民で天下万民垂涎の仁君に襲い掛かって
領民奴隷にして持ち帰る義将いいよね >>556
秀吉なんて食えなくて家出して食うや食わずの流れもんよ 指六本で顔ハゲネズミよ 子種死んでるし よく天下とれたな >>543
ラッキーボーイだよな。
今川の先鋒と思ったら独立行動中の本隊。
丘の下の部隊と戦っていたら後詰めの本隊が丘から降りてきた。
強雨の中の乱戦でまさかの大将首。
土豪の情報提供である程度まで動きがわかっていたとはいえ、雨がなければ、本隊が丘の上にとどまっていたら、土豪が内通しなかったらとかちょっとの違いで討ち死に必至。 >>551
信玄は信濃川流域の経済を握りたいから衝突は必須
逆に謙信じゃなければ長尾(上杉)の勢力は信濃川上流を目指したかもしれない
どっちにしても利益が競合するんで戦わざる得ない相手 >>594
秀吉は豪農か元々織田家の武将だったって話みたいだよ。最近の研究
貧乏ではない模様 >>595
講談じゃあるまいしw
今川本陣に襲い掛かったときは雨が上がっていたというのが現代の定説 >>564
無教養や礼儀知らずにはまったく容赦ない公家の日記に
意外と秀吉秀長兄弟の悪口が書かれてないのが根拠らしいね
農家にしてもそれなりの教育をさせられるほどの豪農だったんではないかという (-_-;)y-~
工兵第四連隊演習場高校に、島津くんはおった。
戦場のメリークリスマスを認めてくれたw 音楽だけw >>557
関東管領になんかにならないで最初から西に向かえば
能登加賀越前ととって京も目指せたかも 浅い知識で記事書いてるなぁ
ラクな仕事で羨ましいかぎり >>593
座から青苧利権むしり取って三条西家の困窮に拍車をかけた義の将素敵よね >>543
寡兵で大軍を破った戦いなら、厳島の戦いもあるけど、
厳島は相手を謀略にかけて、準備万端整えて、勝つべくして勝った戦いに対して、
桶狭間は、運の要素が高いよな。
まあ、天下人には運もいるんだろうな。 >>431
日本の外交官がハポン姓の人たちと連絡取り合って、
交流会やったらしいね。 >>597
野菜というか精米の食いすぎとされているはず
明治で徴兵が始まったときも副食そっちのけで白飯ばかりたらふく食う貧乏人が多くて脚気に悩まされたそうだ
やむなく麦飯に変更 >>576
若狭武田、信玄の甲斐武田とは同族。他にも安芸武田、上総武田など同族がたくさんいる。 >>585
楊枝は有ったかもしれないけど、奥歯の歯間のお掃除なんて
ちゃんと出来なかったろうし、みんな口臭でしょ >>576
若狭武田ね
京都に近いし、あっちの方が武田本家なんじゃ?
って人もいる >>599
このドラマチック逆転劇が信長の勲章になったの 信長はその後も
常に義元の刀義元左文字と義元討ち取った毛利新助を傍らにおいていた >>431
日本人と中国人の見分けもつかない欧米人の言い伝え?
日本人だったという記録は残ってるのかい? >>559
徳川さんは御三家直系しか名乗れなかったからな。
だいたいは松平さん、新興で田安さん、清水さん、一橋さん。 >>610
戦国時代の名残やろな
あのころって玄米一日に五合くらい食ったらしいし >>51
東北から見るとほんと狭い地域での
争いだよな
尾張なんかいわき市よりも狭い
んじゃね >>607
今川従属→死後独立
織田配下→死後甲斐信濃侵攻
豊臣配下→死後主家滅ぼす
そして、幕府開いた天下人が居る
何故か義理固いとも言われてる
配下もね。配下は過去に天下人の祖父を殺害したり
独立して間もなくで大変な時に裏切ってるけど
何故か義理固いらしい >>598
それが草履取りかよ
ていうか秀吉最初は今川家臣に使えてるよねそれ首になって雇われ人足してて織田家に近い川並衆に拾われた >>617
館林徳川綱吉、甲府徳川綱豊(後の家宣)、駿河徳川忠長。 最近見たNHKスペシャルで、秀吉は明侵攻の戦費を賄うためにフィリピンを占領するつもりで、それを察知した
イエズス会の宣教師がスペイン総督に警戒するよう書簡を送ってた話が面白かったな
史上初の世界大戦勃発寸前までいったが、秀吉とフェリペ2世がほぼ同時に死んだので避けられた、て結論だった (-_-;)y-~
あーなんやったかな、なんやったかな、なんかあったな、忘れた ちょくちょく負けても勢力崩壊しない粘り強さはなんなんだろうな
敵は何回か負けたら滅ぼされてるのに >>607
先生!今山の戦いの方が戦力差酷いと思います! 最近、信長は運が良かっただけとか分かったようなこと言うやつ多いけど、
信長の何がすごいって自分自身がえげつないくらいの働き者だったことだよ
昨日岐阜にいたかと思ったら今日は京都にいて政務の指示出して、午後には大阪行って商人たちと会合しがてら敵情視察して、
次の日には越前行って戦争して、その足で岐阜に帰って部下と面談してっていう
これくらい行動力ないと、四方八方敵だらけなのに対処できなかっただろうし、凡人並の判断力じゃあいくら働いてもすぐどこかをきっかけに一斉につぶされてたか、政務も滞ってただろ
あと信長は若い頃派手な格好して遊び回ってたみたいに思ってるやつ多いけど、一次資料によると格好こそ派手だっただけで、水泳に弓に槍に鉄砲にと自己鍛錬に明け暮れたかなりストイックな生活してたらしいぞ
それが抜群のバイタリティに繋がったんだろう >>565
織田家は信忠が信長と一緒に討たれてなかったらワンチャンあったね
変のときはまだ信雄、信孝への権力委譲ができてなかった
その点御三家を作った徳川はよく考えられてるなと思う 明智光秀みたいな政治家になりたいと言ってた総理候補がいましたねぇ >>621
義理なんて立てるべき相手にだけ立てればいいんだよ。 >>598
最新の研究でもそこまで確定してない
なにせ卑賤の出自だったって話は同時代資料に散々あるし
出身地の村まで分かってるんだから 寡兵で大軍を破った戦いなら、木崎原の戦いでしょ。
300と3000だけど >>621
やさしいかどうかよりやさしそうに見えることが大事
そうゆうこと 劉邦「農家出身です」
チンギス・ハーン「牧畜出身です」
朱元璋「農家出身です」
豊臣秀吉「農家出身です」
毛沢東「農家出身です」
ポル・ポト「農家出身です」
菅義偉「農家出身です」 >>541
バギーや拳法家がいないだけで、リアル北斗の拳だな。 >>624
別に戦国時代に奴隷売買は悪徳なんて認識ないよ
負けたのが悪い >>621
孕石「あまりの義理固さに僕だけ切腹させられました。」 >>599
そうなんか?
10年くらい前に見たNHKの内容が話の元だからな。
晴れてもぬかるみの乱戦には変わりはないかな?
晴れても、あそこの丘陵地帯だと大高の砦から本隊の窮地が見えても、援軍は間に合わなかったろうな。 >>601
悪口書いたらクビ飛ぶんだし書けないんじゃね?
特に秀吉の処断は信長より厳しいレベルだったし、尾藤知宣や神子田正治の最期を調べてみるといいよ
あの信長公記にも、信長の落ち度や秀吉の失策的な部分は描かれていないし、光秀の功績も意図的に削られていると言われている
主君の悪口堂々と書いたのは三河物語ぐらいだよw >>630
そう世界中のありがとうを集めるために24時間365日働いたんですっ! >>630
本領の尾張や美濃に居づらいってのが大きいんじゃないかと >>637
信忠に切腹勧めたくせに自分はやっぱ死にたくねえで絶好の傀儡になる三法師君という
特大の地雷抱えてしかも逃げ切った織田家最大の戦犯有楽斎
こいつが余計なことしなけりゃ信勝か信孝しかいなかった >>611
安国寺恵瓊はただの坊主じゃなく安芸武田の出で実は名族なんだよね >>623
織田→今川→織田って話もある
それ故、同僚から嫌われたとも >>431
スペインのハポン姓は支倉常長の遣欧使節の子孫だという話しを聞いたことが有る >>634
松永久秀「せやな」
斎藤道三「いい事を言う」
宇喜多直家「左様左様、まさに真理」 戦国の歴史は「信長の忍び」で学んだ
ギャグ漫画だから信長は甘い物好きとか極端な設定になってるけど、そこを抜かすと全部史実通り進んでて面白い (-_-;)y-~
逃げ設定。
苦労人でないと気付かないやろな。
てことで、平清盛って案外苦労人でもないんやろなw
貴族社会では命を狙われていたやろうけど、
相手がフレーゲル程度やから修練にならんかった可能性がある。
https://www.pixiv.net/artworks/2108732 >>646
大久保忠教「いやー、そんなに褒められると照れますな」 秀吉や光秀を抜擢、重用し、佐久間のように織田家に
代々仕える宿老クラスでさえ働きが悪ければ追放する
能力主義に徹したところが素晴らしい >>543
最近の研究では実際は1万6000人で、前線が広すぎた為に、織田軍とまともに戦えたのは5000人前後だと
言われてる >>641
ちゃうちゃう。
本来死ぬ命を助けてやる慈悲深い行為と
それていた。
義将の上杉がやたら乱取りやったのも
そのため。 >>650
であるがゆえに毛利家一門からはあまり信頼されてなかったとか
秀吉に近づき過ぎたのも原因かもしれないが >>626
当時の日本の船でフィリピンに大軍を送れるものかね
食糧だって現地じゃ調達できなさそうだし >>579
草刈場になった北関東民ですけど、謙信さん強いですけど味方したらちゃんと統治して守って欲しいすw
すぐ越後帰るし冬になったら雪で出て来れないし。
北条さんに完全統治してもらうのが1番安定感あるけど、小田原は遠いし謙信出て来ると逃げるしw >>71
慶長検地で見ても圧倒的と言うほどの差はない
戦略によってひっくり返せる程度の差 「最近の研究」ってこういうスレでまるで印籠のように引き合いに出されるけど
「誰がそう主張したか」ってすごく重要で
史学的な手続きを踏まない自称「歴史家」が新書で出したようなのを定説と鵜呑みするのはダメだ
気をつけて欲しい >>617
秀忠いがいはみんな親戚の松平さんに養子にいったから >>14
信長のなにがすごいって、しくみをがらっとかえたこと
・金儲け命!銭の登りたてた戦国武将なんてほかにいないし
・初期の三男四男集めた親衛隊の発想もすごいし
・身分完全無視の人材登用もすごいし
・城作りも城下町づくりも、他とめっちゃちがう(主君と部下の区別を形でしめす)
・半農半民やめさせて、常設軍おいたのもすごい
・金金金集めて、鉄砲大量に揃えたのもすごい >>87
そんな島国からは早く出ていくことをオススメします 単に国内だけへの覇者への戦いではなく、スペインやその他キリスト教国の侵略に利用されず立ち向かったから今の日本がある >>661
安芸武田と毛利が敵同士だったからじゃないかな。 半蔵の門を読んでから戦国時代にハマって随分と本を読んだけど、最初に読んだ劇画の
顔が残ってしまうのな >>656
それ読んだけど例によって蒙古以外はぜんぜん科学的じゃないから信じないように
大返しはクーデターを事前に知っていなければ兵站構築が間に合わないとかむちゃくちゃ書いてる
秀吉は高松城水攻めという持久戦に堪えうる兵站線をすでに保持していたという事実を無視してるわけよ (-_-;)y-~
秀吉中国大返しは見事な逃げやわな。
北摂を本拠地にして、各地に賛同者を募って、京都討ち入り。
見逃してくれた毛利さんには恩返し。
おもしろい人やな。 >>669
真田幸隆「銭の登りなど想像もできません」 >>660
アクロバティック擁護すぎんだろ
生活保護どころかただでさえ食うや食わずで餓死が普通にある時代に
乱捕りで物資根こそぎにして命は助けてあげるよってそいつらその後どうやって生きていくんだよ
サイコパスかな >>658
最後は疑心暗鬼になった家臣に謀叛されてるけどな。
明智がやらなければ、羽柴がやったかも。 >>621
まあ苦労はしてるからね
はじめから今川から独立したかったんだろうし
ずっと武田の侵攻を防いできたんだから武田の領土をもらう資格はあった
そもそも豊臣が織田から政権奪ったんだから同じことやったまで
後世は三河の忠義の家臣団というイメージだけど意外と反逆する配下だから
家康はなだめるのに腐心していたということ >>646
そうだよね秀吉は公家酒にはきつい
関白だけで無く大納言中納言はじめ公家の官位横撮りして公家はいっさい文句すら言えない >>673
やっと安定を期待したのに、すぐ本能寺、神流川でボロ負けじゃないすかw
まあ北条勢力が強くなってだいぶ安定しましたけど、味方したら結局、小田原征伐でチャラw >>653
小早川秀秋や真田昌幸も仲間に入れてやってくれ >>664
NHKの番組で使われてた、スペイン軍の巨大な帆船の大艦隊の
イメージ図は圧巻だった
あんなのに日本のしょぼい軍船が勝てる訳が無い >>664
沖縄→台湾→フィリピンやろ
ついでに当時のスペインは英西戦争真っ只中でそこまでフィリピンに軍を派遣できない
下手すりゃ日本が2万人動員できればルソン島は確実日本の手に落ちただろう >>667
はーい
でも教科書とか学者さんの本とかつまらんし
5ちゃんくらいは許して >>678
信長が来る前に独断で毛利と和睦結んでるしね >>677
あの世界一糞面倒くさい三河武士をまとめられるんだから本物
家康だけはもし言葉通じない異国に飛ばされても
リーダーになってたと思う。 >>669
ノブちゃん割とパクリの天才なんやで
楽市楽座は信長が創始した・・・と言われているが実は六角家が始めていたりとか、
天守閣は信長の安土城が最初だった・・・と言われているが実は松永久秀の多聞山城が最初で
それが気に食わなかったのかのちにこの多聞山城を信長が破却させてたりとかww
まぁでも新しい考えを二番煎じでも取り入れるところは凄いと思うよ >>679
真田は、自分と敵の三途の川の渡し賃(合計6文)ですがな^ー^
織田の銭や銭やー銭命とは別ですがな^ー^ >>686
南米大陸支配したからな
当時のスペインとイギリスの強さは異常 >>641
謙信の場合が捕虜を現地で売る市を立てたって記録が残っているけど
同時代の武田家なんかの捕虜を売る値段と比べると破格に安いので儲けるためにやったのか?って疑問を唱えてる人間がいるんだよ
武田家みたいに北信濃の捕虜を甲斐まで連れてきて奴隷として働かせたというような記録もないし >>3
おまエラの祖国の方がもっと大規模でやってる >>658
能力主義じゃなくて調子乗って部下の扱いが雑になっただけだよ
佐久間親子なんか無能かもしれんが長年の家臣なんだし
適当な役職与えとけばよかった
天下様になれそうになったらそれすら我慢できなくなったんだろ
結局それが光秀の裏切りを呼んだんだぞ >>621
ガースーは自分を秀吉に例えたそうだけど多分に家康的な部分があると思うな
8年近く官房長官を卒なく務めた律儀者という印象がプラスに働いてる >>691
大丈夫、信玄も風林火山の旗を北畠顕家公からパクって元祖面してるから >>694
勝ち方が一方的なら
ゲットできる奴隷も大量になり
価格は暴落する >>675
それはもっとずっと後だし船を建造したのも操船したのもスペイン人だし >>693
南米支配出来た理由が欧州の疫病でインディオ大打撃やからな
今で言ったらコロナのおかげで中国がアメリカに勝ったようなもんやぞ >>685
小早川秀秋さんはよく裏切りリストに入れられるけど、
本来は五大老小早川隆景の後釜で三成より格上だから、
裏切った家来扱いされるのは可哀想なんだけどねw
少なくとも同格以上だし家康とも格の上では同格だから、
家康も言うこと聞かせようと焦れていたという >>693
また、NHKの受け売りで恐縮なんだけど、スペインの宣教師も 日本を武力制圧するのは不可能 との
書簡を本国に送ってたみたいよ キリスト教化して服従させる作戦だったようだ まだ初期の頃に武田信玄に信玄自身も感嘆する贈り物届けて「先陣を承りたい」とかペコペコして上手い事やってたから
猪突猛進の武将だけじゃない >>658
いややりすぎだろ
佐久間信盛なんて織田家ナンバー2よ
左遷や減棒じゃなくすべて取り上げ着の身着のままで追放?
林通勝なんて織田家の大番頭よ
これも追放?美濃三人衆筆頭の安藤守就も喧嘩したから追放?
結局畿内見る人がいなくなって明智光秀重用したのが運のツキ >>598
俺が見たのは、秀吉の実父が織田家の足軽頭で、小豆坂の戦いで戦死したことで没落、母が再婚して家出。
松下家の下男をやったりして流浪したあと、いつの間にか父と同じ織田家の足軽頭にっていうのもあったな。
母方の親類の加藤清正は津島の鍛冶屋の倅だし、身分的には武士の最下層近辺だったんだろうね。 (-_-;)y-~
あー思い出した!鈴木雅之な!
池波正太郎真田太平記の名胡桃城事件の書き方は良かった。
小中学生の時に読んだと思うねんけど、作り話やねんけど、上手いなぁと思った。
真田安房守昌幸が忍者の通報で名胡桃城が北条に襲撃されることを知るけど、
天下人秀吉の意図をくんで、名胡桃城鈴木さんを見捨てるんよ。
その忍者、北条方、真田方、秀吉方のやり取りの話も面白くてなぁ。 >>677
上杉謙信、武田信玄とか神がかったベテラン武将だからな…。
東海の弓取りとは言われてたが、まだ家臣完全掌握に至らない若手武将では仕方ないな。
しかも、遠州はまだ出先で土豪衆も信用仕切れないアウェイ状態。 >>687
それそれその発想でやった太平洋戦争どうなった? >>666
だから信長は尾張を完全に掌握できてなかったんだって
石高だけ比較しても意味ない
信長公記は第一級の資料で信長の戦力についての記述は信頼できる
戦力は圧倒的差だよ >>658
佐久間信盛は優秀だった。
佐久間がいるおかげで丹羽、羽柴、柴田、滝川、明智といった癖のある家臣が
お互いに争わずにまとまっていた。
信長佐久間信盛を追放したせいで織田軍団は内部から崩壊した。 >>710
三河武士は家康以外誰も掌握どころか一時的な制御すら無理。
清康の最後を思えば尚更。 新聞が読まれなくなったので本が売れない
だからネットで必死で宣伝する 桶狭間みたいに実数で負けてる軍隊が勝つには奇襲しかないからな
戦前の日本軍が奇襲が好きだったのは信長の影響が大きい
といっても奇襲はやっぱり奇襲であって秀吉なんかは自軍の数を多くして戦うってのを
やっぱり基本戦術にしてたな >>676
信長が軍勢率いて来るのを迎えるために山陽道に兵糧を用意していたというね
それが大返しに役に立ったとか 今川と戦った当時の織田家を小さく描いたらドラマチック 映画もドラマも
実際は50万石クラスの大名 >>439
やっぱそうだよなあ
なんとなく最終的には対立するんだろうなという気はするわ >>8
尼子「うち三か国+α」
毛利「うち四か国+α」
大友「うち五か国くらい」 >>714
佐久間に任せて10年経っても石山本願寺まだやる気満々だったんですが、、、 浅井朝倉と戦って窮地に陥ってたときに上杉謙信に太刀か何かを送り届けて間に入ってもらって一旦休戦したりとか上手いんだよな >>699
パクリだろうが、時代の流れを作ったのには変わりはないよな。
センスは凄いと思うよ。 >>715
丹羽長秀にコレズミ
明智光秀にコレトウという苗字与えて最初は二人に朝廷対応させてたけど田舎もんの丹羽はなじまずお役御免四国征討にまわされました 織田家の長男に生まれた時点で実力主義でのし上がったとかねーから、生まれた身分とバックがすべてだろう >>201
それは分からないよ
織田信長なら徳川家康も動員できたから、
豊臣秀吉よりも強力な軍で攻め込めたよ >>693
北米だってフロリダ、テキサスそしてカリフォルニアからコロンビアまで太平洋岸を支配したよ (-_-;)y-~
大井9R見学。森泰斗やろうけど、リスクの割りにオッズが・・・ >>731
弾正中家自体が微妙だったからそこは認めてあげてもいいのでは?
守護でも守護代ですらもないところからスタートしてるんだから下駄は低いよ。 >>725
本願寺なんて織田にとって脅威でもなんでもない。
本願寺を倒せない状態でも長篠や伊勢長島や手取川に織田は大軍を派遣できてる。
本願寺なんて無理に力攻めする必要はまったくなかった。
信長の佐久間への問責状はただの言いがかり。 >>658
それが、本能寺の引き金の一つとも言われてる。 >>707
まぁ信盛追放が間接的に光秀の謀反を助長したんだよね
信盛が率いていたのは畿内軍で、いわば信長の近衛兵
それを能力には劣るが最古参で裏切りようもない譜代の信盛から
優秀とはいえ外様の光秀に変えたことが、本能寺の変の呼び水ともなった
逆に家康は多少能力が劣っても忠実な鳥居元忠に伏見城を守らせたりと
譜代の扱いに慎重であったことが、結果的に天下を取れた原因になったとも言える >>733
いや信長ならもっと悲惨だったと思う
秀吉と同じやり方ならね
信長はもっと地道に突破口見つけてから動くタイプ 本能寺で信長は自殺だった
桶狭間で義元は自殺だった
最新の学説w >>720
信長も奇襲というか強襲は桶狭間だけで、後は手堅くやってる。
奇襲は裏をかかれると被害甚大。
やり続けるのは単にアホだな。
日本軍の場合は基本貧乏だから、マトモにやったら負けるというのがあったからかな? >>731
尾張を統一したのは信長だし兄弟や親戚を敵にしても勝ってる
今川家とも桶狭間よりもっと前に小競り合いして負けてるけど負けを糧にしてるのは凄い >>65
信長がいなかったらインカのように攻め入られてたんじゃね?
めっさ強く策謀家であることをバテレンに示したから
「あ、この国はヤバイ」というのが知れわたった
ちょうど戦国時代でよかったな >>737
織田家にとってはそうでも
親族の身内に甘い信長からしたら弟を戦死させた許せない存在が
10年経っても降伏せず余裕そうだったら、そりゃ担当者変えるわって話。 >>743
朝倉中入りなんかはかなり博打だとは思ったけどな
浅井に討ち取られてもおかしくなかったレベルだし
信長は意外とギャンブル好きなんだな、それが勝率の悪さに繋がっているとも思える >>119
家康は学問好きだったからな
図書館も作ってたからな
やっぱり学術会議か まあその地域だけ支配しようとした奴と全国統一しようとした奴の差だな。 >>745
そうね 桶狭間のようにまずは大将飛び出して熱田で集合 そこから電撃戦
これ2回やってんのよ桶狭間が最初じゃなく >>714
佐久間盛信は筆頭家老なんだよな
信長が家督を継いだ時からずっと信長について重要な戦いに参戦している
それを追放して野垂れ死にさせるんだから、
他の家臣に狡兎死して走狗煮らる 、明日は我が身かと疑心暗鬼するものが出ても不思議じゃない
信長はそのへん見えてなかったんだろうねえ
それほど光秀を信頼していたということか 現役時に国内では兵站がしっかりしていた秀吉ですら朝鮮じゃボロボロだったからな
信長も海外は厳しかったんじゃねえの
鉄甲船で海戦は有利に進めただろうけど >>748
でもね優秀なヤツだけじゃ組織は回らないのよ 気を抜いた感じのベテランがまとめてくれないと >>750
金ヶ崎の退き口や姉川の戦い以降、戦略的に勝てる状態になってから戦うようになったから、さすがに命がけはいけないと思ったんじゃない? >>714
まぁ優秀と言えるほどの戦功はたしかに少ないんだけど、
攻勢での戦功が無いと言うだけで長篠の勝利は信盛にも功績あったと思うけどね
記述が少ないから詳細は不明だけど、南の山県勢を押さえてたのが家康なら
北の馬場内藤勢を押さえていたのは信盛で、ここが一番の激戦区だったと言われている
信盛が崩れなかったからこそ長篠の勝利があったとも言えるんだよなあ >>751
信長秀吉との決定的違いがそれだよね
読み書きできない二人に対して勉強家の家康 乱世のあとには家康が必要だったのよ >>658
佐久間が無能だったと当然のように語られてるけど、あれほとんど言い掛かりだからね
19カ条の折檻状なんて、佐久間に対して明確な落ち度を示せないから数で無理やり押し切ったという証拠だし
そもそも前任者の原田直政が無様に戦死したことで崩壊した前線を立て直して、本願寺を石山から退去させることが出来たのはあの時点で佐久間だけ
本願寺が退去して畿内が収まったとたん、手のひら返しの恐怖政治で側近政治に引き戻そうとしたのが真相 何故上杉謙信が義の人や聖人扱いなのだ、あいつ遠征したら現地人攫って帰ってるじゃないか。 >>750
浅井長政にお市をやって浅いとの関係は万全だと思ってたんだろ
博打のつもりはなかったのでは >>754
でも光秀は本願寺戦などで佐久間の部下
直属の上司がそうなったら、、 >>755
まあ朝鮮は過疎地域で現地調達が困難なうえ寒かったからな
気候的には北海道へ遠征するようなもんだし 鎖国してなきゃもっと早く近代化してただろうから家康も善し悪しだと思うけどな >>14
本当はいい人なんだぞ。
大抵のやつは一回裏切っても許す。
一向一揆を弾圧したのは、言っても聞かない奴らだったから。
比叡山も同じく何度言っても聞かない奴らだったから、焼いた。 >>750
浅井とは婚籍関係にあり、絶対敵対しないという読み間違いだから、ギャンブルでは無く、手堅い作戦だったんだろうな。
信長の面白さは、本隊ほったらかして、供回り衆だけで逃げ出す身の軽さ。
そんな大将なかなかいないな。 >>721
最近の説だと呼んだのは中国古典戦記マニアの信長に高松城水攻めを披露したかったという話もあるね (-_-;)y-~
ウェルカムトゥーディスクレイジータイム!このイカレタ時代に陽子さん!
んー・・・弟をかわいがっていたというか・・・
こいつに暗闘を教えて戦いに参加させていいものかどうか見てた。
特別にかわいがったという覚えはないけど、むこうは、
俺をガチャガチャうるさく言わない、いい先輩と思っていたかもしれんな。
違うんやでw お前を俺の暗闘の駒にしようかどうしようか悩んでたんや。 >>691
敵であろうと、良いところは学ぶ取り入れるっていう発想は現代でも重要だよな
秀吉も小田原攻めで総構え見て京で取り入れてるし >>763
俺は本能寺の変には信盛配下だった織田近畿軍も一枚噛んでたと思うのよね
直前まで敵が誰か知らされてなかったとは言うけど、信盛配下だったので
それをクビにされた信長に恨みを抱いていた連中が全く居なかったとは思えない 林通勝(秀貞)と佐久間信盛親子を追放しなかったら、明智光秀の本能寺の変は起きなかっただろうね。
追放も、明智光秀の讒言と言う説もあるくらいだから。
追放しなかったらのイフを考えると、面白いな。 戦国武将を見てびっくりするのはその強行スケジュール
あいつらは戦ったり移動してないと死んでしまうのか?
それで行くたびに農村が収奪され荒らされる
今のアフガンみたいなもんだな >>755
鉄甲船は秀吉も使っただろう
後に徳川家光の時代に大安宅造ってるけど銅張だった
鉄ではないけど金属張にしている
秀吉が造らせた大安宅船も鉄張だっただろう >>766
何度か許すから実は甘いよね
それでも裏切るから潰すってのが定番だし (-_-;)y-~
ほんま、世紀末昭和末期思い出したくないわ。
よく、あんなんで生きてたなぁw >>774
あると思います
膠着していたとはいえ過酷な本願寺戦をともに何年もしのいだなか佐久間に救われた将兵もいただろうしね >>764
対馬が朝鮮を従えてるって話だったから道案内してもらうつもりだったらしい
朝鮮側はそんなん知らんから応戦 親父も優秀だったからな
むしろ内紛を早々に治めた手腕がすごい >>755
やっぱ明が出て来たらダメ。 国力が違う
ヌルハチが清国打ち建てたのも明国内の内乱のおかげぽ >>769
石山合戦でも先頭に立って鉄砲で狙撃されたりとかな
ノブ君はかなり勇敢でもあったから、信盛みたいな後ろ向きなタイプが嫌いだったのかもね >>721
信長来襲を予測して軍道を整備していた方が大きいかも >>52
>>3
太古の昔から日本の奴隷献上は当たり前の文化だった
生口とも言う (-_-;)y-~
肥前佐賀での俺の立場わかった?わからなくてもいいけど。
育てつつ残すって難しいなんやで。
試合みたいにナンバーワン決定戦でいいなら、楽やろ。
あれが政治やねん。最強カードを教えるのは難しいんや。
あの後は本人の努力やろ。
使える最強カード持ってるから、先輩もどうってことなかったやろ。 >>598
秀吉の親父は今川那古野家の家臣だったのかも
那古野城はもともと今川の分家の城
それを秀吉が幼い頃に信秀が奪ったんだよね
秀吉が今川家に仕えたのはそのつてじゃないか >>713
織田家の尾張支配の不安定さに乗じて領地を切り取りに来たのが今川義元の出陣理由…って理解でいいんだろうか? 信長は人の心が分からず破滅
秀吉は統一しただけで統治放置で破滅
家康は長生きできて丸儲け >>750
浅井が裏切るとは思ってもみなかったのもあるし、一応信長は若狭武田攻めという名目で、一切朝倉を攻めることは浅井に漏らしていない
信長も用心はしていた >>760
本願寺は信長自身でさえ軍事的には屈服させられなかったわけで
佐久間盛信へは言いがかりだよな
そもそも本願寺の包囲戦は信長の方針だったんだし
あれだけ長期の包囲戦で佐久間の軍の統率に乱れがあったということもないし 信長軍は常設軍だから強かったのさ。
百姓が強いわけねえだろww
んで給料ちゃんともらってるから焼き働きも少ない。
だから戦地の農民にも好かれたのだ。 >>706
上杉にも洛中洛外図送って「あなたが上洛するまで預かってるだけですから」と媚び売ってるからな
信長の平身低頭外交はほんと凄みがある >>1
騎馬隊とか子供に嘘教えてんの?この国の教育は
ファンタジーは要らないんだよ いうほど大したことしてないんだよな
環境に恵まれていただけ 竹中半兵衛が生存していての「明・李氏朝鮮」攻めは、信頼出来ない小西行長をアタマにもって来なかっただろうし、石田三成よりも極めが細かい配慮をするだろうから、季節とか兵站とかを考えるだろうから、違っただろうな。 >>766
伊勢長嶋なんか何度も許してるな
それを何度も謀反されて最後はブチキレた >>796
おだてるの上手いよなw
本心はともかく、武田だけでなくしっかりとその背後を脅かすであろう
上杉や北条にも誼を通じてるあたりは流石と言える >>1
関東生まれ関東育ちで戦国時代の知識も興味もない奴が作った記事かな?
西日本の地図がヒド過ぎるwwwwww
歴史に興味があれば幼稚園児でももう少しマシな地図を書くぞ?
毛利が周防1国ってwwwwwwwwwwwwww
大友も島津も勢力範囲が超過小評価されててクソワロタwwwwwwwww >>800
信玄があとちょっと生きてたら信長死んでたからな 結局キリシタンは貼り付けになって死刑。
現在の日本でも在日キリシタンは極悪なこと
やってるから近いうち死刑 >>807
浜松の次は岐阜攻め予定だったらしいからな
実際既に危篤で臥せってる状態でも山県の先鋒隊に蹴散らされて
岐阜放棄を真剣に考えてたとか (-_-;)y-~
見えてたよ、俺は充分に、変な教員1名が変な扇動してるからややこしいねん。
ほんま、リアルアカギくんになるとこやったわw >>785
ライフリングされていない火縄銃で狙撃とか
杉谷善住坊とか雑賀孫一は余程自分の愛銃のクセに精通してたのだろうな 明だって、その後、10万人くらいのヌルハチとかホンタイジにあっけなく、破れているから、やりようではわからなかっただろうな。
でも、勝ってからのシナリオがなかったから、無理か。 >>785
あれは信長らしくなかったな
大軍を用意して慎重に勝てる状況を作ってゆくのが信長のやり方なのに
あればっかりは信長の意図が分らん あの頃の坊主は米以外の収益全部にぎってやがったからな。
あいつらにいうこと聞かせないと政権とってもだめなんだよな。
信長がやってくれたおかげで、家康も苦労なしで日本経営できた。 >>755
朝鮮は雑魚で2日間で征服したたんなる通り道 >>803
それだから人の心の機微が分からないということでもないしな
なんで家臣に対してはあんな扱いをしたのやら >>791
すでに知多半島は今川が併呑していたからね
大高城がその拠点
これを信長が取り返そうとしたので義元が守りに来た 信長は戦に弱いから部下に丸投げする画期的な方法を思いついた
それがいまでもトヨタの下請けいじめとして残ってる あの頃からの「李氏朝鮮」は、国内の統治が酷かったから。 >>801
伊勢長島は許してない。
1回目と2回目は敗北しただけ。
例えば伊勢の北畠家は息子の信雄を養子にやったのに、
最後は騙し討ちで全員殺害して北畠家を滅ぼし伊勢国を奪い取った。
織田信長はかなりの悪人だぞw >>5
1.大阪じゃなく大坂な
2.本願寺は大阪由来じゃないし
豊臣氏なんぞどこの馬の骨w >>815
創価学会が宗教やりながら政治に参加してるようなもんだな 織田信長は天皇家の命令で暗殺。
十七条の憲法違反の信長 でも、言えることは、歴史って、ギリギリで創られている。 (-_-;)y-~
宗教とか左翼思想って、勝手に自分らで完成されてるから、教えるのが難しいねん。 >>791
それで正解だと思う
けど、甲相駿三国同盟したら今川は西に向かうしか選択枝がないww (-_-;)y-~
ウリナラファンタジー従軍慰安婦でも、妄想の中で完結してるやろ。
嘘言うてる奴が生きてるから、潰せるわけで。 >>1
お城を目安にしてるから、どうぞ、ご自由にしてください。 >>831
大砲はスペイン発祥
日本にも輸入されて大阪城をぶっ壊した 1代でのし上がるならやはり秀吉みたく一番下からスタートして欲しい (-_-;)y-~
すげー、今日の大井、森泰斗確変連荘 >>806
太田牛一は信長の近習衆で祐筆
信長公記は日記のようにずっと記録していたものを江戸時代初期にまとめたと考えられる
同時代に書かれた一級資料だよ これ、ちょっと学問的に遅れているぞ。
キリシタンの世界ネットワークを織田信長ののしあがりにリンクさせて説明するのが今のトレンドだ。
鉄砲玉の鉛。輸入品だったってな。堺だよ。 >>836
>>841
でも、そんな人はコンプレックスから疑心暗鬼になって粛清しまくるw
w >>842
毛利氏が周防国1国の戦国大名のような
意味不明な地図が掲載されている時点で
古臭いも糞も無いと思うのだが……? >>384
かつての部下筋にあたる秀吉にお願いするために大坂城に赴いて
すげー待たされて、それでも苛立たずに
欄間の彫刻を見て彫刻を掘る真似しながら「この仕事は実に良い♪」とか言ってた
織田有楽とか、確かに端役の人たちの描写の方が活き活きしてるw 今年の大河ドラマみて分かったよ
信長の下で大出世したのって秀吉くらいだと思ってたら、
光秀もなんか浪人みたいなのから成り上がってたんだな
信長のところって、やっぱ実力主義で出世させてたんだな 信長が戦国時代きっての甘ちゃんだぞ。秀吉も手紙で「わしは信長のように甘くないぞ」と脅してる。 >>807
信玄の上洛戦、後の徳川家康を完膚なまでに叩き潰した後、病気で止まってしまったが、もし、そのまま、京都を目指していたらどうなったのだろう?
信長ガクブルなのは当然だが、あっさり軍門に下ったか、一時的に逃げ出したか、それとも二回目の桶狭間を企てたか…
東三河の丘陵地帯が曲者だから、そこでワンチャンス狙うが神がかった信玄に察知されて終わるというのが順当なところかな? >>822
あれは北畠具教が悪い
背面服従だったのがバレてた >>843
当時の日本は灰吹法とかが導入されて
空前の銀産出バブルだったからね
その銀で海外からいっぱい物を買いまくっていたww >>851
周防だぞ?毛利が周防1国wwww
毛利氏の本国の安芸国が無い時点で
歴史的に完全に誤った地図でしかない (-_-;)y-~
自分に無いものがわかってないと、人を動かすことはできんで。
己を知るいうことやな。 信長より秀吉のほうが仕事が早い
秀吉が居なければ信長の天下は3年で終わってたな 世界は大航海時代
ヨーロッパが当時最強イスラム文化を超えようとしてた時代
日本は煮詰まった旧幕府体制と仏教既得権益が飽和してた古い時代から生まれ変わろうとしてた時代
まだ旧型の日本が時代を先取りしていたヨーロッパの技術を取り入れた時代
こういった事を踏まえてもまだ日本最強とか言ってるなら田舎者過ぎる (-_-;)y-~
大井競馬60円儲かった、おおきに。
どMリーグひなたん応援しよう。 今更信長なの?そろそろ一周回って運がよかっただけのラッキー珍馬説が
有力になってもいいくらいじゃないの(´・ω・`) >>813
明を滅ぼしたのは農民反乱だよ。
焦って逆転勝利を狙った明の遺臣が女真族を引き入れて
勝ったはいいが国を乗っ取られた。 >>821
あの半島がまともに統治されてたのは歴史的に見て併合から終戦までの一時期だけだから、、、 >>849
信玄は三河辺りで停まってそれ以上出てこられない
ということを見越してたんじゃないの?
ゲームじゃないから、現実では2万の兵をいつまでも拘束なんてできない >>847
秀吉ほどじゃないけど桶狭間の戦いで今川義元に一番槍をつけた服部小平太も
なにげに秀吉政権下で3万5000石の大名になるまでに出世してるよ 織田信長が最終的にキリスト教に改宗しなかったのは結局尾張あたりは九州や近畿に比べて貧しかったからみたいだよ。明らかに日本の神道や仏教よりキリスト教の方が優れていたわけだけど、それを理解できるだけの豊かさが近畿より東では乏しかったみたい。
布教自体が手を抜いたわけではないんだろうけど、やっぱり日本の文化的素地として東と西の差はあったみたいだ。 信長は部下の失敗許しまくり。あげくには裏切って敵対したやつすら許しちゃう。 >>862
明は名前と反対で暗黒社会だったし暗君多過ぎた。
役人の給与は歴代王朝より低くて賄賂が横行してるし
疫病や災害で死者が沢山出ても誰も責任取らないし
それは戦でも同じ。
で、税率も高いとなればそりゃ農民反乱も起きるよ。 最近の研究だと信長は大して独裁的でもないし革新的でもなかったということになってるな 滋賀.すげぇえええええ 完全に大阪超えキタぁあーーーー
【現代的新しい価値・文化の創造】
1.ゆるキャラ(ひこにゃん)
2.イナズマロックフェス (西日本最大)
3.オペラ
4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ、グランピング
5.ラッピング(路面)電車
【著名な観光地】
1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ
2.彦根城、安土城
3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所)
4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数)
5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者
【美味名物・食文化】
1.近江牛、鴨料理
2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司
3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭
4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒
5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン)
大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑)
. >>870
信長がキリスト教に改宗したら
ワシはイエスの弟じゃ
とか言いかねないなww >>840
あれ読んでると結構面白い
信長が嘘吐き坊主を問い詰める小話とか好き
曲事曲事言ってるからなw
あと太田牛一が弓で功を挙げてノブに褒めてもらったよとかいうところとか
人間臭くて非常に微笑ましいw 当時の仏教は宗教というより政治に組み込まれた権威だったから
キリスト教は哲学で仏教とは別物 祖父が、財政の基盤を整えた。
その後を継いだ父が、その財力を活かして武備を整えた。
そうした、代々の遺産が有っての、信長の登場となる。
本来なら、そうした一族が築いた財産を継承して信忠が君臨するはずだった。 >>840
違うよ秀吉が書かせたんよ
次に牛1は秀吉のリクエストで太閤記かくんよ 織田信長に敗れた斎藤龍興とか追放された佐久間信盛や孫の織田秀信なんかはキリシタンだった。九州や近畿よりそういうのが遅れてくるのはやっぱり文化的な差だと思うね。結局江戸に中心が移って鎖国しながらオランダと交易したのも、日本の文化的な事情という面が強いんだろう。 >>870
免罪符売ってた腐敗宗教がそんなに優れてるとは信長も思わないだろ。 >>840
ところが太田牛一直筆の書がないとかで、
美濃とるまでの前半部分、いわゆる首巻は価値が揺らいでる
桶狭間の分析も丸々考え直さないといかんっていうw >>877
プロテスタントはね
カソリックほ思い切り政治的 >>873
とにかく自分に楯突くヤツらを成敗してたら・・・
信長に言わせれば「あくまで自衛」で戦っていだけ
そういう意味では足利義昭の檄文は偉大さww >>877
当時のキリスト教は侵略者の先兵だろ。
軍隊呼び込んで「異教徒を教化する」ための足掛かりをつけに来たんだろうに。
実際、日本以外のアジアの国はそれでやられてる。 >>875
ていうか神を名乗ろうとしてたんでしょ
なんかでかい石置いてこれを俺だと思って崇めろ的なことやってたとか >>849
物資補給線を作ってなかったぞ。
三河尾張で、メシを食べずに戦争をしろと?
近江で浅井軍と合流するまでに餓死するって。徳川も織田も、補給線潰しのゲリラ戦を仕掛けて来る。 尾張の一部しか持っていなかったが、熱田という金が集まる港を押さえていたのがでかかった。 濃尾平野を押さえた。
武田の場合は広いだけで山だらけ 防衛ラインの維持だけで大変だったはず
信長はやはり大明国遠征するつもりだったんだろうか? 全員の名前分かってるわけじゃないから。
名前の知られていない人沢山いる。
京都武田家みたいな >>873
そうではなかったそうではなかったと言いたい馬鹿が多いのよ真に受けないほうがいい >>867
そうかもな。
兵士は半農なんで春には帰らないと米作りに支障が出る。
京都まで軍を出しても、領地が増える訳でもなく、家臣団の不満が出る。
甲斐連合軍の取りまとめ役の信玄は、家臣団の調整が必要で信玄や信長みたいな無茶が出来ないから、三河どまりなのかな? >>882
桶狭間の戦いの今川軍は4万5千とか、有り得ない数字書いてるしなw だからあの室町あたりはまだ梨園とまざってなくて、神祇院からタイからの出家で配置
してたんじゃないの?地獄の黙示録そんな映画だもんな、カーツの理想郷として
それをカーツでカツオでキリコでダブルアクセントになってるし >>787
嘘を書かない方がいい。生口は魏志倭人伝にしかない。
日本に奴隷輸出する習慣があったら、遺伝学的な日本人の子孫がもっと中国大陸に多いはずだよ。 >>537
太原雪斎さえ生きていれば今川義元のパーフェクトゲーム
桶狭間の前に死んでしまったからなぁ
軍師・相談者・親代わり・跡目争いで支持・信頼できる者・周辺国がビビる者だった
織田信長でいえば、羽柴秀吉・徳川家康・柴田勝家・前田利家・丹羽長秀らをいっぺんに失ったようなもの 信長の家系はそもそも神社の神官の家系で、桶狭間の戦いの熱田神宮の加護も偶然じゃない。鞍馬寺で修行して鵯越をした義経と同じような感じだ。仏僧にナーガの名前で名付けられて蛇の信仰があった。
最終的にキリスト教を拒絶したので、仏教も伊勢方面も天皇も圧迫してたので加護者がいなくなって自滅した。 信玄いなくなったら武田崩壊したし
信玄が長生きして天下とったとしても
2代目で終わるだろうな >>849
家康全然めげてない 主力も温存 武田の後ろで陽動作戦続けてる
朝倉が動かないから織田がくると挟撃される 邪馬台国の卑弥呼関係で明恵夫人がでてくるわけだろ
田湯田谷の民が沐浴で住みつくという血地がのちに西の境としてアポカリプスと呼ばれ
忌されるようなったんじゃねえの。冷戦の舞台もベトナムだもんな 本能寺の変の筋書きあたりは、大徳寺と行き来してた大友宗麟が考えてたみたいだよ。 信長秀吉家康の三人がやったことを一人でやった朱元璋って怪物やな >>900
関所の撤廃は革新的。
自己神格化による安土城下の宗教都市化計画も革新的。 >>889
三河まで出て来たのは、駿河を取るための牽制という意味合いかな。
それにしても高遠、青崩峠のクソ辺境なところを通ってよく来るな。
今でも人よりサルの方が多いところだぞ。 >>1のほとんどが名門じゃん秀吉と道三ぐらいか
しかも道三も二代かけてのし上がったしな >>893
東海に拠点を確保して物流確保するのと経済的な権益確保したかったのかもな
北はどうにもならず、西は岐阜や美濃に出るだけでも難渋する
ただそうなると家康を敗走させた後にその拠点を奪わずより勢力の大きい信長の拠点尾張に向かった説明がつかん
清洲城を確保して信長と家康を分断してしまえばそこから三河に取って返してこれを奪うこともできたかも知れんけどそれまでの信玄の手堅さを考えたら取れる時には確実に取るタイプなんでおかしい 最終的に満蒙経済圏へなんとなく意気投合したナチスと日本が潰したのは間違いないからな
ソビエトも戦勝国には入ったけどすぐ崩壊したもんな >>817
信長も人間だしな。
佐久間信盛も癇癪にやられた。
ま、概ね寛大だったって事だよね。 >>900
旧仏教勢力の武力制圧
全国統一を見越した軍団制の創出
なんかは、革新的だったと思うよ
三好政権や斉藤政権の引き継ぎ事項も多いけどね (-_-;)y-~
太田と書いて「うた」と読む、薩摩。
野村証券萬斎先輩、別れたのか、結婚したのか、離婚したのか、何にも知らん。
生死不明。 >>394
尾張の半分を支配しててそんなわけないでしょ >>900
信長の大軍を移動できる街道の整備が
「これでは簡単に攻め込まれますけど」と指摘されたのをなんかで聞いた
確かに田舎はよそ者を嫌い、道が狭く、くねくねクネクネしている だから朝鮮もそんなんで戦後朝鮮籍だけ中国人みたいなんもいるから紛らわしいねん
地続きでいろいろあるって、金日成南の出身やで、北京の臨時政府に李承晩じゃん
じゃどっち抑えるねん北いくだろ? フロイスは信長と親交が深いように言われるけど、基本は豊後の臼杵を拠点として、堺、京都を動いてた。オルガンティーノが安土で信長に張り付いてたんだけど、キリスト教的に信長は人望もなく、信仰心もなくダメダメだった。大友宗麟は改宗してその後の戦いで敗北して家中もボロボロだったが、支配地域を皆キリスト教化しようと本気で考えていたので、キリスト教的に望みのない信長一家の裏切り唆しとか朝飯前だったんだろう。 ノッブは日本で初めて黒人に人権を与えた為政者であるぞ >>905
宗教都市ってのは本願寺が先だし、関所の撤廃はどこの大名もやってたよ 桶狭間のときの信長は
知多半島のあたりはおおむね今川に取られてるし
尾張一国支配してたとはいいがたい 信長が京都に近い尾張藩主じゃなく、
例えば薩摩や仙台藩主だったら、
天下統一なんて無理だったろう。 >>920
自分自身をご神体にしたのは革新的だった。これが成功すれば天皇や朝廷の権威は必要なくなる。 戦術だけで言えば他の大名の方が優れていた
信長の戦略が他の大名より抜きん出た
特に経済力重視で国力を高めるという方針が他の大名にはあまり無かった発想
金さえあれば常に兵站の補充が可能
金があれば戦地で略奪、乱取りをしなくても軍の秩序を維持できかつ余計な費用を投じずに占領した地を即座に運用可能
潤沢な財力で朝廷を手厚く保護することによって常に政治的、大義名分的に優位に立てる ドリフターズのノブが案外実像に近いんじゃねって思う。 >>17
それは徳川が流布したんだよ 武田の甲陽軍鑑と組んでな
実際は信長がいなければ家康などせいぜいよくて地方大名だ
お前らは馬鹿だからいい 裏を考えない 徳川史観で塗り固められている
馬鹿すぎて、なぜそういう言説を流布したの?とか聞かないでくれよ 理由はどうあれ自殺者
カリスマ扱いすんな、自殺を肯定することになる >>66
尾張は将校じゃなく兵が弱い
経済が安定してた証でもある >>17
「またも負けたかなんちゃら連隊」みたいに、理に聡い都市部の兵隊は士気が低く戦に弱いっつうのはあるんだろうけど、
今も昔も兵士なんてよくやるなって思うよ。
特攻どころかノルマンディ上陸作戦で弾丸の雨の中を突っ込んでった奴らとかクレイジーにしかみえない。
命あってのモノダネよ。 結局織田信長はその名前と誕生日でキリスト教に選ばれ、秀吉は子種が無いことで選ばれ、家康も結局その名前で選ばれたみたいよ。家康の場合は選んだ名前をあてがわれたが正しいのかな。 >>908
確かにおかしい。
武田信玄の合戦理由は単純明快で領土拡張。
家臣団が信玄担ぎ上げての侵略戦争という意味合いが強いかも。
駿河を手中に入れて、遠州も手中にというのは分かるが、そこ飛ばして三河に行く理由かわ分からん。 (-_-;)y-~
ほんまや、なんで信長の野望のイメージで語ろうとするねんw
まんが日本史もあるやないか! >>870
信長は宣教師たちの真意、キリスト教布教を足掛かりとした日本侵略計画を見抜いていたみたいだよ
それでも追放しなかったのは、豊富な武器の供給を約束していたため
天下統一が成ったあかつきは追放する予定だったみたいだよ
じっさいかれの後継者たちはバテレンの追放を進めていった
当時の支配層のコンセンサスだったのかもしれない
バチカンの資料にそういうのがあるらしいよ >>922
そもそも信長の様な人が出ても田舎の論理で潰される >>925
いや戦国大名で強い所は何処も貿易重視してた。唯一港がないのに強かったのが武田。
だから武田はどうしても港が欲しくて今川領に侵攻し、長男を切腹させてしまう。
貧乏武田の税制とか略奪は苛烈で、領民に恨みを買ってたのでどう転んでも滅亡したけどね。 >>924
財政難で儀式すら出来ないほどにボロボロだった天皇の権威を復権させたのが信長なんですが 西国の島津義弘や毛利元就がキリスト教を忌避していたのだから、東国の大名もいずれ同じようにキリスト教を忌避するようになる運命。
禁教は秀吉や家康の個人的な判断ではない。 (-_-;)y-~
ああーわからん・・・
可愛い小学校のある川内駅でスパゲティ食ったな。 >>708
ならなぜ父親の姓を名乗らないんだろう 嫁の実家の木下にしたのはなぜ >>943
天下人にはなれなかったのに妙に持ち上げられるのはコレのせいなも有るのかな 実戦をオリンピックの競技のように理解しようとするのがまずだめなのだ
威力偵察という言葉もある
部隊を繰り出して、相手の出方を見たり、先遣隊みたいに小競り合いしたりする
で、相手の反撃が予想以上だったら引き上げる
騎馬民族的な発想の軍事行動だ
これが日本では敗戦扱いとなる 要は、お笑いのレベルなのだ 日本史なんて史実に誰も興味がない
都合のいい歴史を作ろうとするのが日本人 >>919
信長に献上されて従者となった黒人。
本能寺の変の後、どうなったのだろう?
本能寺の変では、素手で奮戦したが、あえなく捉えられたが、訳も分からず暴れてただけとされて放免されたらしい。
自由に生きたのか?半分見世物でどこかの金持ちの従者となったのか?
小説にすると、かなり面白くかも。 >>943
それは方便
将軍家にもしてるけど義昭ついホッしたじゃん そんな信長さんも森一族には激甘対応。
森可成、信長の若いころから仕える。美濃戦線で活躍。
志賀の陣で、本願寺と交戦中の信長の背後をつかれないよう南近江宇佐山城付近で
浅井・朝倉軍相手に信長の弟信治とともに戦い奮闘の末討死。宇佐山城は可成討死後
も大将ないまま奮戦して城を死守。
森長可、とある問題起こしたが親父のおかげで信長に許された。森坊丸、森蘭丸
は親父の戦死、信長の小姓となる。誰よりも森家には甘い信長さん(と言っても
可成一族は反抗はしない結構働くし多分好きだったはず。) やはり当時の中心地の畿内を抑えたのが大きい
前任者の三好長慶が既に開国していて地方との格差があったしな
信長より20年早かった男 最初の"天下人" 三好長慶
https://www.nhk.or.jp/osaka-blog/historia/369803.html >>1
【合戦解説】桶狭間の戦い 織田軍vs今川軍 信長の一か八かの奇襲戦が成功!天下に信長の名を知らしめた戦い Battle of Okehazama
https://www.youtube.com/watch?v=vpDG82kc30k
【合戦解説】美濃平定戦 織田軍vs斎藤軍 織田家悲願となる美濃平定戦 信長の奇抜な登用と戦略が斎藤家を翻弄させた戦い Battle of Mino
https://www.youtube.com/watch?v=b5SsQzkUgR8 そもそも最初に足利から権力を簒奪したのは三好だろ
戦国最初の天下統一といっていい 本願寺自体はやる気は無かった
各地の一揆勢が勝手に暴れ出して動かざるを得ない状況に追い込まれた
婦人部に怒られて仕方なく動くなつおみたいなもん >>932
大阪の第八連隊?
弱いというより、無駄なバンザイ攻撃避けたというイメージがあるな。
突撃しても弾に当たるだけや、アホくさ! >>943
復権させてから気が変わることだってありうる。 (-_-;)y-~
楽天じゃないやろw
天橋立やろ。
立命福知山高速道路工事部隊で見に行ったけど、真っ暗で何も見えなかったw 織田幕府ではなく織田王朝って流れ、あったかも。
小室圭さんの子孫が天皇になれば小室朝だよ。 >>394
信長が桶狭間当時兵力を動員出来なかった原因は親族とかと内輪揉めしてた影響
尾張の国衆がまとまってれば今川と遜色ない兵力は動員出来たと思われる >>401
家督継いだ時は弟の勢力も大きかったし
はっきり言ってかなり不利 >>964
>尾張の国衆がまとまってれば
信長による尾張統一前だろうに メィウエザー=上杉謙信
パッキャオ=武田信玄
その他大勢の世界チャンプ=信長
ぐらいの力量だな >>966
まあ、だから意味のないたらればだけどな (-_-;)y-~
わかった、切り替え機やな、買うわ。
右A席PC三号機と合体!やな。 >>464
いろいろな要因があると思うが、孫子の影響も大きのではないか
孫子は「不敗」を説く兵法書であって「勝利」を求める内容ではないからな
やはり大きく飛躍する際には博奕的な要素も出てくる 孫子から程遠い内容だ
真逆といっていい
孫子は「不敗」を説くがゆえに、時期を逸する、遅きに失するところもなきにしもあらずといった按配だ >>907
斎藤道三もパッパかじいじが北面武士っての聞いたことあるで >>968
父親は槍の名手で兄貴はアレだぞ
ガチムチに決まっとる >>464
信玄があと1年長生きしていれば普通に取れてたな >>971
無敗の上杉謙信に絡まれたのも痛いだろうな >>974
豪族連合で本拠地さえ変えられない甲斐武田には絶対無理 (-_-;)y-~
マウスは間違わんねんけど、キーボードよく間違うねん。
間違えて四号機のキーボード押して、スリープの四号機から二式大艇艇内サウンド。
右に移動して、右のキーボード叩いたらええんやけど、
左俺席の大きいディスプレイで三号機見てるから、
ついつい手元の四号機キーボードを押してしまうんよw >>977
上杉に絡まられたんじゃなくって、絡みに行ったんだろ
信濃川の富を求めれば北上することになるし、その出口は長尾(上杉)の本拠地なんだから >>973
ガチムチ…
ハードだな。
前田利家ともおホモだちとのことらしいが、
何となく信長がネコのような気がする。
戦国武将は不思議だな。せっせと掘って男相手に恋文送るかと思えば、子孫繁栄で沢山女を抱えて量産体制。
ホントはどっちが好きなんだろ? (-_-;)y-~
返金分以上はお買い物しようと思ってたから、丁度ええわ。
義理立てができた。 >>980
いいや、絡まれた方。
上杉謙信は村上義清の援軍。 信長のいた尾張は面積こそ小さいが50万石もある豊かな国だったわけ
隣の美濃や伊勢の国もそれぞれ50万石あり、3カ国領有すれば150万石
京への途中にある近江に至っては1国で80万石弱ある
当時の日本において最大の穀倉地帯だったわけ。4つ支配しただけで230万石よ?
信長は大名として恵まれた条件だったといえる
信玄や謙信がいくら戦強くて相手に勝ったとしても甲斐なんか20万石
信濃40、越後40で合わせて100万石。得られる成果が全然違うわけよ
高給取りの正社員と薄給の非正規社員。同じ労働しても得られる対価が違う
そらモチベーションに違いは出るわな
当時、戦国大名で本気で天下統一狙ってたのは織田信長だけ言われるのは
そんなスタート時点からの環境の差も原因していると自分は思うけどね
資産が労働を凌駕するのは実力主義と思われがちな戦国時代においても同じだったいうことだわな >>984
そりゃ勢力圏争いなんだから、どっちも勢力圏内の豪族率いる
直接的には村上への援軍でも実質武田勢力vs上杉勢力だろ
信濃川に沿ってガンガン北上してればぶつかるわ 戦国の覇者=信長っておかしいな。
一般的には家康だろう >>896
奴隷は奴隷だから
キリスト大名が海外に売った奴隷の子孫がいないのと同じ >>985
宋とモンゴル帝国みたいな関係
宋は金はあるけど糞弱い。モンゴルは貧乏国家だけど戦はクソ強い
宋が織田家で、モンゴルが上杉謙信だわな >>985
金持ちなのは確かだな。
四国遠征の時、受けて立つ長宗我部は織田軍を見て戦意喪失、降参。
織田軍を評して まるで天兵が降り立ったようだ と。
四国の兵は痩せ馬に木の鎧、兵に至っては鎌に鉢巻きでバラバラ。織田軍は足軽まで統一された、胴丸に陣傘、槍鉄砲。
そりゃ勝負にならんわな。 >>887
日本での立ち位置ね
やがてそうとわかって秀吉家康は弾圧し
政宗が利用しようとするがシカトされるw 今でいうサイコパスが権力を持ったらこうなるという典型 >>989
謙信は領土拡張のセンスはなかった
局所戦には強かったが
貪欲に領土を広げたモンゴル帝国とは真逆 ローマと辺境
中国とモンゴル辺境
みたいな感じで中央は豊かだけど
軍事力は辺境へ行けば行くほど弱くなる
織田家は中国、ローマン
辺境だから上杉謙信と武田信玄は強かった >>987
京を取れば天下人だから合ってるのでは? 戦国の覇者は家康なのにその幕府が260年も続いたせいで人々から好かれる存在じゃなかったのか
日本人は判官贔屓だから滅びたものにロマンを感じるという このスレッドは1000を超えました。
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