【歴史】織田信長の快進撃…実力主義の戦国時代をいかにのし上がったか (幻冬舎) ★2 [首都圏の虎★]
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織田信長と豊臣秀吉が活躍…「安土・桃山時代」とは?
安土・桃山(あづち・ももやま)時代は織田信長(おだのぶなが)や豊臣秀吉(とよとみひでよし)が活躍した時代です。仏教勢力と戦った信長は、キリスト教を保護し、外国風の雄大な文化が栄えました。タバコやカステラが日本に伝わったのもこの頃だと考えられています。
本連載で解説するのは安土・桃山時代ですが、最初は室町(むろまち)時代の出来事から紹介します。
尾張(おわり)の大名(だいみょう)、織田信長が有名になったのは、1560年の桶狭間(おけはざま)の戦いです。天下統一に近いと言われていた今川義元(いまがわよしもと)が攻めてきます。
駿河(するが〔=静岡県〕)を支配していた今川氏の軍、その数2万人以上。数千人しかいない信長の軍は、今川軍が休んでいるすきに一気に攻め、今川義元を倒します。この戦いを聞いた人たちが、信長のもとに集まります。桶狭間の戦いが信長を有名にしたのです。
一代でのし上がったつわものたち、戦国大名
では、この頃に活躍した戦国大名(せんごくだいみょう)をささっと紹介していきましょう。
まず、「下克上(げこくじょう)」と言えば、戦国大名の北条早雲(ほうじょうそううん)や斎藤道三(さいとうどうさん)が有名です。守護大名(しゅごだいみょう)は、もともと守護として任命されていた中で力をつけて守護大名になっていきましたが、戦国大名はゼロからのスタートです。力だけでのし上がっていったのです。パワフルですね。
たとえるなら、守護大名が、大企業の子会社の社長から力をつけて独立して自分の会社にしたのに対して、戦国大名はベンチャー企業をつくって一代で成り上がったという感じです。
次に、中国地方を治めた毛利元就(もうりもとなり)を紹介しましょう。彼は石見銀山(いわみぎんざん)を支配下に持ち、活躍しました。
現在の大分県のあたりを治めていた大友宗麟(おおともそうりん/大友義鎮〔おおともよししげ〕)は、キリシタン大名として有名になります。キリシタン大名とは、キリスト教の信者である大名のこと。ザビエルが鹿児島に上陸したこともあり、九州地方に多くいました。
ライバル同士だったのが、甲斐(かい)の武田信玄(たけだしんげん)と越後(えちご)の上杉謙信(うえすぎけんしん)。武田信玄は「信玄家法(しんげんかほう)」とも呼ばれる分国法(ぶんこくほう)をつくり、騎馬隊(きばたい)を組織しました。領内に金山があって、騎馬隊を組織する経済力があったのでしょう。ライバルであった越後の上杉謙信と激しく争った「川中島(かわなかじま)の戦い」は有名です。結局は決着がつきませんでした。
戦いは主に春から秋にかけて行われました。冬は雪が降るから戦えません。なかなか進めないし、凍え死んでしまう可能性もあるからです。でも、春から秋に毎年戦うわけにはいきません。
なぜなら、農業をしなければならないから。戦いだけしていたら田畑は荒れ果て、生活できなくなってしまいます。当時は「半農半士(はんのうはんし)」と言って農業をしながら、戦いになれば兵隊になるという人たちが多くいたんですね。
全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/d6b3934f40d9f91a485ebd74bbf753ca5970b94f
https://amd.c.yimg.jp/amd/20201009-00029269-gonline-000-1-view.jpg
★1 2020/10/09(金) 15:35:37.84
前スレ
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1602225337/ 上杉謙信、武田信玄よりも長生きしたので運が良かった
逆だったら、秀吉も家康もなかったな ,滋賀,すげぇえええええ 完全に大阪超えキタぁあーーーー
【現代的新しい価値・文化の創造】
1.ゆるキャラ(ひこにゃん)
2.イナズマロックフェス (西日本最大)
3.オペラ
4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ、グランピング
5.ラッピング(路面)電車
【著名な観光地】
1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ
2.彦根城、安土城
3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所)
4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数)
5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者
【美味名物・食文化】
1.近江牛、鴨料理
2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司
3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭
4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒
5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン)
大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑)
. >>4
尾張統一と美濃攻めで人生の大半を使ってるのな この本、低レベルな上に適当なこと書いてそう
添付の地図みただけでも明らか
なんで今の都道県でキッチリ勢力分布できるんだよ
ゲーム脳でも極まってるんか? こういう歴史もんて諸説が色々あって面倒くさい
正解のものだけ知りたいわ 尾張は石高も高くてしかも水野氏も織田方だったから今川とそこまで兵数大差無かったかもってのが今主流になりつつあるね
桶狭間の戦いは今川も大軍じゃなかった
奇襲じゃなかった 秀吉がいなければ信長は桶狭間の一発屋で終わってたはず
真に偉大なのは貧民から天下人になった秀吉 信長に壊滅させられて
家康に壊滅させられた街
それが大阪 調略優れてるせいか、戦で負けても、いつの間にか勝ってる(味方多い)感じ 戦国の大大名は大きな収入減を確保できた者ばっかりなんだろ
金持ちが勝つという古くからの陳腐な事実 桶狭間の時は今川の本陣がクッソ少ない兵力だと見透かして2000人で攻撃しかけたのがデカかった
孫子の言う敵は分断して各個撃破せよとクラウゼヴィッツの敵の主要部を叩けの二つを実践するとかやりますねぇ〜 さすが侵略戦争を正当化するジャップ
他の領主が一生懸命に発展させた土地を侵略で奪うカスを英雄視 今川義元も駿府、遠江、三河半分は統治下にあったが遠江は多数の豪族を従属させていたに過ぎないし今川だけの所領考えたら2万も兵数動かせないからな ゼロスタートとか現実乖離しすぎだろ
もっと真面目にやれ >>1
何故、
秀吉はバテレン追放令を出したのか?
その原因は、バテレン追放令にも書いてあるように、
布教の陰で神社、仏閣が破壊されただけでなく、
日本人が 「 奴隷 」 として海外で売買されていたから!
その史実を知らせず、
一方的に
「日本が酷いキリシタン弾圧をした」と
世界遺産として語り継ごうとするのが極左が主導する世界遺産登録! ( 怒り )
この前 ドラマで織田信成が織田信長のモノマネをやってたけどすげえ似ていてワラタ 信玄が上洛途上で死んでなかったらどうなってたか^^;
寿命とはいえ、信長って強運だよね >>1
【合戦解説】桶狭間の戦い 織田軍vs今川軍 信長の一か八かの奇襲戦が成功!天下に信長の名を知らしめた戦い Battle of Okehazama
https://www.youtube.com/watch?v=vpDG82kc30k
【合戦解説】美濃平定戦 織田軍vs斎藤軍 織田家悲願となる美濃平定戦 信長の奇抜な登用と戦略が斎藤家を翻弄させた戦い Battle of Mino
https://www.youtube.com/watch?v=b5SsQzkUgR8 下剋上とか極左主義のポリコレ
階級闘争とか言い出しかねないから、織田信長は極悪人として教えろ 織田方は水野軍加えて8000ほど
今川方は従属の三河、遠江勢が6000で
駿府からの今川軍は5000ほど
これが桶狭間の戦いの実数らしいよ 信長は意外だが手堅いやり方ばかりだぞ?
桶狭間を除けばあとは、これでもかと大軍を用意してその大人数で年中押しまくる。そいつら弱くてもお構い無し補充して押しまくる。
これに当時の大名は敵うわけなく 血縁に囚われず、実力あるなら登用し、出世もさせた。
そのために秀吉に子孫は差し置かれて天下取られたが。
農繁期に戦できない普通の大名と違って常時使える傭兵雇った。
忠誠心もない、戦の技術練度も低い、そんな雇い兵に鉄砲持たせた。 >>27
それらは分散して配置されるから、本陣はせいぜい2000くらいで織田と良い勝負になる。
そこに大雨で視界不良のところを急襲されて
しまえば負けるわ >>28
姉川も長篠も兵力で勝った上で戦端開いてるからな
しかも敵に攻めさせて体力切れを狙って追い打ちでボコボコにすると言う用意周到さ 桶狭間で勝ったはいいが
その後、美濃平定に10年近く浪費してるからな
けっきょく地力をつけないことには話にならなかった 新幹線からも見えるが、桶狭間は実際には山やで?山の見晴らしのいいとこに本陣構えていた。 >たとえるなら、守護大名が、大企業の子会社の社長から力をつけて独立して自分の会社にしたのに対して、戦国大名はベンチャー企業をつくって一代で成り上がったという感じです
どこの馬鹿だ
ペンを折れ >>31
わざわざ家康から援軍もらったり、他の方面軍を総動員するのが信長。謀反した松永の鎮圧もわさわざ数万の大軍動員して鎮圧 >>30
急襲ではないのではと言われてる
お互い進んでいた時に義元本隊が織田軍にぶつかり数が多かった織田軍が義元本隊を殲滅した
織田も義元本隊だと解らずに戦ったらしき信長の
記述残ってるし >>37
たまたま大雨降って視界不良になったから、
急襲になった模様。本来なら山を登ってくる織田軍分かるのに分からんかったとか。 映画「信長協奏曲」までみたオレに死角ないわ。
休みの日を作って、帰蝶ちゃんとデートしたんだわ。
(´・ω・`) 半島からの渡来人の功績を黙殺するウンコジャップwww
世界が卯宇宙に恥じて三三七拍子してる 近畿抑えたらトップになれるんやろ?
中国でも首都奪取したら国家掌握みたいな感じだし辺境、地方は鼻からどうでもええのんか 人気はやっぱり山と海☆☆☆秋の国内人気旅行先TOP3、3位静岡市、2位茂原市、1位は?
https://dime.jp/genre/995122/ ベンチャー企業?
親兄弟ですら殺しあうヤクザの抗争だと思うが どこまーでもー美しいーシズオーカー♪
県民の心さえも美しい「ふじのくに静岡県」
【静岡県への移住相談件数、過去最高】
アフターコロナで、名実ともに清潔感溢れる静岡県の人気急上昇♪
東京から近過ぎず遠過ぎない絶妙な距離感。かつて徳川宗家にも愛され、まかり間違えば江戸になっていたかもしれない拠点性、温暖で穏やかな気候、肥沃で災害にも強い土地、振り返ればそびえ立つ富士山という抜群のロケーションで治安も良好。
日本3大美港、清水港を有し
富士山至近、中部横断道開通でスキーリゾートも身近になり、外国人受けもいい。
静岡県の医薬品・医療機器生産額は全国の都道府県でトップ。富士山や南アルプスを源流とする純度の高い水と首都圏や他地域へのアクセスの良さが強み。県は東部地域を「ファルマバレー」と名付け医療関連産業の誘致や振興に力を入れている。
また駿河湾の恵まれた海洋資源を背景に微生物や魚類など未知の部分が多い海洋生物が持っている働きを、産業や環境など人々の暮らしに役立てる技術、マリンバイオテクノロジーを「水産」、「食品」、「創薬」、「環境・エネルギー」など様々な産業に応用していくためのプロジェクト「マリンオープンイノベーション(MaOI)プロジェクト」も始まっている。
圧倒的な清潔感と良好な治安、暮らしやすさから、今後もコロナ禍によるテレワークの普及を追い風に移住が増えそう。
静岡市内の不動産会社にも東京、名古屋辺りから物件の照会増加中。
静岡県がこのほど発表した2019年度の県外からの移住者数で、富士市が102人(前年度比7人増)と自治体別移住者数で2年連続のトップになった。
県外から県内への移住者は19年度は1283人(同8人減)で、3年連続千人以上を維持した。世帯主の年代は20〜40代の子育て世代が8割超を占めた。移住相談件数は1万85件(同104件増)と過去最多だった。
富士を除く上位の自治体は、沼津市が94人(同8人増)、藤枝市が86人(同11人増)、三島市が79人(同12人減)、湖西市が77人(同42人増)。いずれも住宅助成を実施している自治体だった。
富士市は最大200万円の住宅助成制度に加え、18年度に市が創設した「移住定住促進室」の相談者からの移住が24人(同19人増)と急増したことが要因とみる。新型コロナウイルス感染拡大を受け、今後はオンライン移住相談を進める方針。 富士山バックに映えすぎ♪
トヨタ、静岡・裾野に「つながる」スマートシティ“Woven City(ウーブン・シティ)”建設へ
https://autoc-one.jp/news/5005928/ 武功夜話をベースにしてなければ信じて良し
嘘つき武功夜話にどんな政治力が働いたのか知らんけど
津本陽とか恥ずかしい >>27
織田方は大高城他の付け城に数百人
善正寺砦にあつまったのが3000人ほど
信長は佐久間盛信に500あまりを預けて善正寺砦に置き、
自身は約2000ほどを率いて今川軍を襲撃した 桶狭間みたいな大逆転劇だと思ってた源平の富士川の戦いが実は平家4千源氏4万のワンサイドゲームだと知って驚いた >>47
水野軍が3000兵織田方について援軍送ってる >>28
信長の強みはその状況にもっていく手腕
戦は結果に過ぎない 三好長慶と兄弟が後10年生きてたらどうなってたか怪しい 信長はある程度領地広げてからは、普通の戦国大名と戦略やシステムが違うもんなあ
普通の大名はsもそもめったに本拠地動かさないし、織田家みたいなハッキリした軍団制度も取ってないし
信玄辺りが信長の狙いに気づいた頃には、もう家中の構造的に追いつけなくなってるw 今川やっちまえとか宗教がなんやねんとか
規格外ではあるな 残虐だとか言われてるが
比叡山焼き討ちや長島一向一揆撫で斬りや
伊賀侵攻も全部理に叶ってるからな
長島一向一揆殲滅が無ければ石山本願寺は降伏してないしな 信長「へへへ……信玄さん仲良くしましょうや」
信玄「信長の書状や贈り物は手が込んでるな俺をそんなに恐れてるのかw」
信長「へへへ……謙信さんお手柔らかに」
謙信「信長め俺をそんなに恐れてるのかwまともに相手する価値ないな」
あのさあ…… 荒木村重の家来含め一族処刑も重臣が裏切らないように見せしめだしな 歴史詳しい人が多いな
歴史は全然ダメだわ
詳しくても物語やSFみたいな感覚で居る人も多いと思うが、うちらは、信長の時代なら比較的最近で身近で現実な感じはある
でも詳しくはない >>56
勝頼は信長のやり方に学んだけど時既に遅し
信長は諜略の速度も鬼っ早で新府城が出来上がった時には手遅れにも程があった。一門衆だけでも最悪なのに北条まで手回ってたもんね
謙信が絶対に関東の秩序を守るマンじゃなければねぇ 今川義元の首獲った奴の名前は?って聞いたら歴史好きなら答えられる? 長曽我部なんかもそうだったけど、なんかわからん勢い。みたいなもんで国衆土豪が与力しまくると転げる雪ダルマみたいにでっかくなる
反対、それらに背かれると凋落もはやい >>1
北条早雲はイイトコのおぼっちゃまだけど?
しっかり勉強しろや 地図からして滅茶苦茶なんだけど
ここ、校正さんいないの? 尾張抑えると場所的にえらい有利だよな
京に近い肥沃な土地
だからこそ抑えるのが難しいのかも知れんが
山梨から京なんて徒歩と馬じゃ果てしなく遠く感じる >>67
いいとことか関係ない。早雲の所領は岡山の外れの郡半分であり奉公衆ってだけなんで下剋上=国盗りとして何も間違ってない >>51
戦国時代の軍役は資料によっていろいろだが、平均して1万石に約300人と考えられている
当時の尾張の石高は約42万石と推定されるが、
信長は織田家の争いに勝利したばかりのうえ、守護の斯波義銀を追放し尾張は混乱の最中にあった
さらに大高、鳴海、沓掛城が今川側にあって尾張の南東部は今川の勢力下にあった
今川の侵攻にさいして岩倉と犬山の織田家は信長に軍を出してない
服部友貞は今川方に寝返った
信長が掌握できていたのは尾張のうち清須、勝幡、那古野、津島、熱田
これだと尾張の1/3程度
すると信長の兵力は約4200人
今川は約70万石なので軍勢は約21000人
圧倒的な差だよ
ちなみに水野信元に3000も兵力があるなどあり得ない そんなに快進撃しながら配下に裏切られまくるのは何故なんですかね 信長は戦国時代の主役と言ってもいいぐらいの人物だからスレでも人気あるな
秀吉、家康は信長無しでは成り立たない存在だしな >>70
歴史になんて詳しくない読者向けに現代地図に当てはめてんだから文句つけるとこじゃないんだけど >>33
ていうかたった10年で美濃平定もたいがい凄い
普通の大名なら斎藤には勝てないと思う >>70
つか世代が違うから、一つの地図にまとめるの無理じゃねw 歴史の話だから一緒にしちゃダメだと思う
獲得領土の広さもバラバラw 元記事読む気にならんけど、ここ数十年で色々定説書き換わってるの全然把握してなさそう。
30年くらい前の中学生くらいの知識。 >>1
なんか面積だけで判断してない?
濃尾平野って日本第二位の広さで、関東が家康の治水まで湿地帯だったことを考えると戦国までは日本一豊かな土地だったわけだけど
人口で考えたら尾張の国は大国だぞ?
別にスタートラインが他に負けてた訳じゃない
だいたい信玄の山梨長野なんて山ばっかりで人住んでないだろうが >>76
毛利氏が周防国1国って時点で
文句付けられて当然の地図だろ?w >>28
そりゃあ、戦場の乱数値を考えりゃあ、そうなるわな
実際、姉川でも浅井の援軍が後から別方向から来て本陣を肉薄されている
あんたが言うほど楽な戦はない 名将さんよ >>4
2の2乗は4、3乗は8だろ?
8年で2倍なら32年で16倍にできる
尾張の国の16倍ならほぼ天下とれたレベルだぞ
序盤で同レベルの国を落とすのに8年はそこまで掛かりすぎでもない >>62
荒木一族処刑は見せしめじゃなくて単なる信長の癇癪だよ。
荒木の残党が高野山に逃げ込んだことに癇癪起こして無意味な高野攻めを行って自滅してる。
信長は癇癪を起こして理性的な判断ができなくなる悪癖があった。
それで最後は明智光秀に焼き殺された。 >>80
濃尾平野も江戸時代に治水がおこなわれて河川の洪水がおさまったんだけどね
木曽川などは江戸時代に何度も治水事業がおこなわれ、薩摩藩が命じられた宝暦治水は有名だけど知らない?
薩摩藩はすさまじい犠牲をだしてやりとげた
それでもその後も度々洪水がおこって明治時代にオランダ人技師を招いてヨーロッパの技術を取り入れ治水工事をおこない一応の完成をみた >>79
最近1192作ろう鎌倉幕府が違ってたわテヘペロされて衝撃受けたw >>82
毛利は中国10カ国
せめて毛利を書くなら本拠の安芸だよな
周防ってなんだよ 毛利は家康にコラッ!ってされた後でも周防・長門だったような。 >>91
こないだ観光に木曽三川にいってきたけどそうらしいな
黒部の太陽じゃないけど
そんな感じのことを薩摩がやってたなんて凄いな >>89
何一つ癇癪な理由になってなくて草
残党が逃げ込めば=高野山が匿えば当然今後の憂いを除かざるを得なくなるんで当然の処置
長島や延暦寺の時と全く一緒 >>71
今川義元が尾張を制圧しつつ上洛すると天下は今川の流れになってたかもな >>34
新幹線からは見えないだろw
名鉄で一瞬で通るところだよ。
中京競馬場駅付近 尾張は石高高かったからな
山ばかりで農作物の育たない美濃や近江などと比べて裕福 >>72
縁戚の今川が後援したから生まれが無関係というほどでもないだろ 東洋史最大の巨人は朱元璋だな
信長など足元にも及ばない 関東の物流荷揚げが津しかないから戦略的要地で何もしなくても金には困らんのか。
和歌山が平地だったら やはり尾張一国で200万石
以上の価値があるのがでかいね
後世から見ればラクゲーだよな
圧倒的な人工と経済力
信玄も謙信も
尾張一国にフルボッコにされるわ だから義龍の若死に尽きるって散々言ったろ
つまり運 >>104
それに加えて熱田、津島という貿易港も
信長の父親である織田信秀が抑えてたから超リッチだったし
信長は超ボンボンの子供 >>97
金を使わせて疲弊させるための幕府の命令さ >>34
新幹線から見えるのは関ヶ原
JR普通で行ける 三好長慶か義興どちらかがあと四、五年生きてたら全然違う歴史になってたと思う >>104
石高以上に経済がヤバイ
木曽三川と伊勢湾の権益握れるから実質は遥かに上 >>108
どう考えてもジンギスカンだろ
世界史レベルで見てもトップクラス >>108
そいつルースキーを殲滅してくれればよかったのにな。 >>113
そうだろうが
クソ真面目に仕事したなーって >>4
難攻不落の稲葉山城だからな
通常の山城の攻城戦でも攻め手が3倍以上の兵力が必要と言われる >>110
経済力ベースで捉えたら石高それだけ分あるのか
そこに幸先よく今川くだしたわけだからあの時点で勝負あったんだな 馬桶狭間の戦いで崖を降りた時に転んで死んでたら終わってた その後美濃を押さえたのが大きいよな
駿河を取ってもあまり国力なさそうだし >>72
早雲時代の領地は伊豆と三浦半島だけだかだら、国盗りっていうほど成り上がりでもないけどな >>82
今川全盛の頃ならそんなもんじゃないの?厳島前後だろ? >>110
尾張だけで駿遠参と同等の動員ができたらしいね >>122
後の岐阜城だそうだな
なのに関ヶ原前哨戦であっさり陥落
西軍の戦略もここを先に確保することを前提にしてないのは間抜けだな
ここに防衛戦を築けばぜんぜん違う展開になるのに >>110
尾張が200万石?w
慶長3年の検地で57万石
信長のころは約42万石と推定されている
ちなみに石高は土地の生産力を米に換算したものであって米の取れ高ではない 稲葉山城だって竹中半兵衛のクーデターでとられてるからな
城よりも人材をいかに活かすかだわ >>126
北条早雲はそもそも北条と名乗ってない
北条家って戦国大名化したのは息子の代からやろ
戦国時代ってどう考えても応仁の乱の時に朝倉家が守護代から越前の守護と引き換えに
西軍から東軍に寝返った辺りやろ
あれで実力があれば守護の斯波家を押しのけて守護になれるって足利義政が認めたのが間違い
北条早雲はむしろ足利将軍家の指示で動いてた >>123
石高は米の取れ高じゃない
土地の生産力を米の価値に換算したもの
つまり経済力 >>108
同時代のティムールもいる
魔王信長イメージを最大スケールにした人 今の価値観では語れない
戦国を治めるには、まず絶対条件は狂人だお(´・ω・`)
前例がないんだもん
今の世界なら措置入院や不審者で逮捕 >>123
200万石は言い過ぎ
尾張は米で18万石前後で
熱田、津島の商業地域からの税収で+40万石前後やから全部で58万石前後 >>115
信長は天下人らしく、天下をとるべき采配がなされてるからな
三好だけじゃなく、六角も本来の国力はもっと上だったのに内紛込みで実質吸収
上杉、武田も敵対を始めると死亡
斎藤道三も「謀反が起きてくれた」から濃尾平野が手に入った
信行の排除もお陰で権力の集中ができたわけだし >>134
それはどこの大名も同じ
サボってろくに仕事しないのもいただろうし
薩摩っ子の意地みたいなものもあったのかも >>111
戦国大名は親の死による代替わりで急速に瓦解することが多いね
信長は若くして家督を継いで、内紛を抑えて外敵からの侵入も防いだ
上洛後よりも桶狭間や尾張美濃の平定の方が凄い >>136
織田信長のどこが狂人だよ
こんなに孫子の言う通り準備万端、調略しまくって整ってからしか侵略してねーよ >>137
200はあっさり信じすぎたな
もともと弱小というから
20〜30万石なイメージだったが
以外と大きいね 戦国時代の大名は名前に「信」が付く人が何故か多い。
この謎はまだ未解明。
織田信長
佐久間信盛
龍造寺隆信
武田晴信(信玄)
上杉謙信
松平信康
真田信繁(幸村) そうなると石田三成の19万5しょぼいなw
太閤さんもなんで腹心にもっとやっとかんかったのか >>141
親父の葬儀で暴れたお
織田家終わりを思慮させる作戦だけどね(´・ω・`)
これは凡人には無理、やはり狂人 >>110
尾張一国よりも上杉の方が国力は上だと思うぞ
尾張は畿内に近いってアドバンテージがあるけども
上杉が天下を求めてなかったってのが大きい >>144
三成は近江を拝領した事で、石高以外にそれこそ無尽蔵な通行税を得る事ができた。
街道は勿論の事、琵琶湖を行き来する船からも徴収した。 >>145
信長公記も首巻のエピソードは結構怪しいんじゃなかったっけ >>101
>>80
湿地は治水さえ行えば肥沃な土地や ヨーロッパの侵略を防いだ功績はもっと評価されるべき >>143
松平信康
これは信長の信を偏諱で与えられただけだろ
謙信は法名で長尾景虎上杉輝虎だし >>144
官僚だから大兵力持たせても仕方ないし
近国でそれなりにしたんだろうね 信長が死んで一番ホッとしたのは柴田だろうな
林、佐久間の追放を見て反逆の前科のある柴田は生きた心地がしなかったろう
同じ末路を辿りたくなければ役に立つ男であることを示し続けなければならないわけで心身ともにくたくただったに違いない 信長の勝因は農民を戦に駆出すやり方を変えて専業の兵士を作ったことじゃないのか 信長の生誕から桶狭間までを調べてたら
登場人物に織田信〜が多過ぎて誰が誰だか分からなくなる >>148
遊び回ってたんだから、むしろ緩い方(´・ω・`)
信長はそもそも天下や家系なんか考えてない 信長は地政学もないからな(´・ω・`)
逆にそれが良かった
やがて急速に芽生えて一気に絞めていくんだお
あれ、わし囲まれるやんって感じよ >>159
一族の弾正忠家だけじゃなく主家の守護代清州織田もあるし
もう一つの岩倉織田もあるしな >>168
信長の野望全国版だと周防長門だった記憶 >>163
あぁすまん
地位についてからわな
そもそもは天下なんか興味ないって話でした(´・ω・`) >>129
天正大地震で美濃近江を中心にあの辺り一帯壊滅したからな
特に琵琶湖周辺の城は液状化が酷かったらしい
家康が躍進する切っ掛けとなる >>158
農繁期に動員できる、従来の兵隊の持ち主である国人領主に配慮しなくていいってだけ
それに防衛戦の場合はそれらも動員できるし、そっちの方が自分の土地を守る分士気も高い
だから、それ自体は田楽狭間の勝利の主因ではない >>158
ロベスピエールが言う様に右手に剣がなければ始まらない
今も昔も 柴田と言えば清洲会議が謎だわ
三法師なんか秀吉の傀儡なのになんで認めた 信長
秀吉
家康
いずれも前半生は魅力的なんだけど
後半から残忍鬼畜サイコパスになるから嫌い >>175
秀吉が光秀を討ったからそんな雰囲気だったんだろ >>175
市が嫁にくるのでついokだしてしまった 信長は運が良かったんだよ
今川側の軍師が死んだから桶狭間で勝てたし、斎藤義龍が死んだあとの息子がバカ殿だったから
美濃を取れたんだし
あと良いタイミングで武田信玄が死んだり三好が将軍を殺してしまったり
秀吉や光秀らの家臣に恵まれた
信長のやった事って実際は頭良い光秀が考えたことかもしれんし 天下とる気がないから考えてないんよ
しかし考えないかん
それが鉄砲隊になる(´・ω・`)
戦国で最初から天下を考えてるならこんな発想はないお >>175
戦は鬼柴田かも知れんが、政治的にはなあ。秀吉がそこまでの悪人と思ってないんじゃねw
勿論だんだん気付くんだろうけど、秀吉に比べて清洲会議全然準備してねえだろ >>175
空気でしょ
日本人は空気に弱い
今川だって「外征で負けただけ」で生産力ノーダメなのに崩壊したんだから >>176
信長→死後、秀吉によって悪人に仕立てられた悲劇の天下人
秀吉→死後、家康によって悪人に仕立てられた悲劇の天下人
家康→根っからの悪人 当時の価値観は決まってた、いや今より複雑かも(´・ω・`)
軍事研究を怠らなかった信長が広く人材を集めたんだよ >>179
最期、一番信頼してた家臣に謀反起こされてますが? >>180
信長は美濃を取ったあたりから天下布武って言ってなかったか
結局そりゃ実力主義時代だから武力を背景にするのは当たり前だが 信長に限らず天下人は運がいいね
頼朝ももし藤原秀衡が生きていたらそう簡単に奥州を平定できなかったかも >>1
なんでこの地図、相模の大名名だけ北条早雲なのか、時代が違うだろ >>141
誰よりも正しい判断が出来たキチガイが一番しっくりくる >>184
家康→幕府崩壊後、明治政府によって地味な存在に仕立てられた悲劇の天下人 信長を一番苦しめたのは本願寺顕如だと思うが武田や上杉に比べて過小評価 >>187
でもなんか信長Wikiみたらw天下布武の武は軍事力の意味じゃない説を載せてるな >>189
多分、地図のベースが信長の野望全国版だから >>187
そうか、俺の浅学を詫びる
(´・ω・`)ペコリ >>189
しかも早雲は伊豆を根拠地に小田原までだし でも、結局頭悪かったから部下に殺されるんだよ
実は無能だった説 バチカンだかに、宣教師が描いた信長の写実的な顔の絵が残ってるんだよな。
TVで一回見たことあるが、有名な日本の信長像は、眉間に皺が寄ってて、イラついた感じなのに対して、
こっちのは結構『ボ〜ッ』としてる感じだったのが印象的だった。 >>175
信長と入れ替わって天下取ったるわ、って準備してる奴と、普通に合議制で織田を盛り立てて行こうと
思ってる奴の違いでしょ。勝てっこねえよw 途中から秀吉の野望知ってびっくりだろ
後者の考えだと自分の第一希望が通らなくても、織田が維持できる可能性あるか、ってなる >>146
戦国時代の越後は大したことないよ
ほとんど沼地だから
(´・ω・`) 天下統一とか織田信長が言ってたくらいのもんで
他はそこまでこだわりなかったみたいだしな 信長ってフェラをさせるのが好きだったららしいね
分かるわ〜 信長が坊主と神父を殺しまくってくれたおかげで、
日本人はインチキ宗教の
文系脳から脱却することができました。 >>203
信濃川と阿賀野川の富が集まり日本海沿岸有数の貿易拠点を持ってるのに大したことないってw >>193
過小評価と言うか浄土真宗の流れの一つとして今もあるだけに
創作モノであまり宗教の狂信的な強さをアピールしにくいんじゃないか
雑賀孫市ぐらいで間接的に表現が限界 >>187
やっぱ武器の発明が時代を変える
まぁ〜武器と言うよりは道具と言った方が正解か
石器時代の昔から >>207
しかし、秋だね
いろんな学問がほんわか近づいてくる
風邪引くなお!(´・ω・`)ありがとう 天下統一っていうけど
そもそも信長が将軍を追い出すまで足利家が天下を治めてたんと違うん?
将軍の下で大人しく仕えてりゃ謀反起こされることなく長生きできたんじゃね
足利将軍家から見れば信長が謀反人 >>187
天下布武ってのは畿内に秩序を取り戻しましょうみたいな意味で
武力で天下統一してやるぞって意味ではなかったりする
天下布武の武は武家もしくは足利家って意味 >>179
何をするにも「運命・才能・努力」の
3つが必要なわけで。 >>205
あの時代の「天下」は畿内を指すからね。
そんな時代に全国制覇を成し遂げようとした織田信長はマジで天才だよ。 >>13
秀吉は単なるラッキーモンキー
大阪の本願寺跡地に城を築くのも大がかりな検地も奴隷売買の禁止も
全て信長の構想
織田カンパニーの会長と社長が死んで
平の役員だったモンキーが専務や常務を追い出して社長になり羽柴カンパニーと社名を変えただけ 家来に「自分の息子に切腹しろ」とかいう経団連なみのサイコパスが
やっぱりすごいね。感心する。 >>226
新自由主義に近いかも。
人殺して金になる。サイコパスがもっとも活躍できる。 各地の大小名へ宛てた「あなたのお力添えがないと私困ってしまいますう〜」みたいな手紙にもデデ〜ンと
天下布武の印が押されていたんだよね >>220
信長が生きてたら大陸に攻め込んでたよ。
ローマに木瓜紋の旗が旗めいてたろ。 >>220
伊達も最上も北条も島津も信長には平伏してたからな
信長が死ななければ全国統一はモンキーよりも早かった >>227
ルソンとかイスパニアとかって金持ってそうやん
攻めたろ
って朝鮮行かずにフィリピン行ってたかもな >>214
将軍の義輝が三好三人衆に殺されてその次も三人衆の傀儡 >>214
信長は最後まで足利義昭と和解しようとしている
義明が我欲に走って武家政治をないがしろにしてたんで叱ったらキレて戦を仕掛けてきた ガンガン人殺せば殺すほど儲かる世の中なので
そろそろ日本もそうなるね。メキシコが先にそうなってるけれども。 >>227
長生きしてたら
オランダのほうに
傾きそうだけどな
カルバン派で信仰より貿易重視だし >>224
信康の事なら信長の命令とかじゃなく岡崎派と浜松派の徳川家家中の御家騒動の結果
家康に自害を命じられたって説が最近は有力だけど >>214
足利政権なんて応仁の乱以降崩壊していて
将軍が都にすら帰れない状態が続いたかと思えば
細川や三好の傀儡化して実質的にはとっくに終わってた >>130
尾張って貿易で財力は日本一じゃなかったっけ? >>235
開戦で負けるよ。
スコットランド王、ブルボン、ハプスブルク、バーサ家
が出て来るのにどうすろうのかw 俺的オカルトでいうと信長は蛇という説を補強したい
蛇の本体は三河で三も川も蛇の暗喩
尾張は尾を割る、つまり八岐大蛇の尾
織田は尾蛇、信長の長はナーガで蛇を意味するが信だけ説明できんwww
ま、つまりは天津神の一族に対する国津神の一族の挑戦が千年の時を経て行われたわけだw >>184
もし家康が天下取り損ねてたら歴史上一番の愚か者だったなぁ
唯、苦労する為だけに産まれて来た…(笑^□^) >>241
ブルボンやイングランドと戦えるとは思えん。
重火器はあっても海戦が・・・ >>242
神君家康公がそんなことを御命じになられるはずがないだろ!
信長の圧力でお家を守るために苦渋の決断をしたんだよ! >>176
つーか最初からサイコパスなんじゃねーかな。
「殺す(奴隷使う)のが楽しい」「人殺して出世するの楽しいわ」
この感覚。ブラック企業経営者や経団連の役員的感覚。 >>245
イケメンで有職故実に熟達し教養に溢れ、後の天守閣の原型も早期に作るなど才能もありながら、
やってることはエグくて、次々と立身出世するピカレスクロマンになるだろうね。
同じく教養の塊で戦や政治の才も抜群だった主人の三好長慶とセットでやれば面白い大河になるだろう。 >>251
家のためひいては家臣一同を息子の命より優先するんだからむしろ神君的な選択だろう >>251
信康とそっくりだったという忠輝も忌み嫌ってたみたいだけどね まあ、濃尾平野って交易の要で、コメの生産力もけっこうありで、
尾張一国を完全に平定時点で、相当な有力大名よ。
血みどろのような尾張平定を早くにやり遂げたところが信長のアドバンテージだな。
そのことを他ならぬ戦国前期を代表する名将・朝倉宗滴が激賞してる。
長生きして信長の行く末を見てみたいとまで言ってる。 フランス人の知り合いに「夢幻の如く」を見せたら笑ってたよw >>246
フィリピンまでどうやってくるし
ましてヨーロッパは仲が悪いのにスペインの権益守るために軍隊送る奴なんておらんわ
当のスペインすら満足に送れないだろうに >>259
あれは基本的にガキ大将漫画の延長だからw >>193
苦しめてたのは本願寺ではなく一揆側に寝返った身内
本願寺自体はやる気がなかったし争う気すら無かった >>175
何を言ってるんだ?
信長は本能寺の時点では当主じゃないぞ
当主である信忠の子が跡を津具のは当たり前だろ
その幼君の後見に誰がなるから議論になると思うが 織田信長の血は天皇家にも入っているからな
天下人だよ
中国なら覇王 苛烈なイメージとは裏腹に他所の良い所はすぐに真似して地道に足元固めていった堅実派
ただ部下に厳しいようで甘い所もあったから最後まで裏切られ続きの人生 まず、「下克上(げこくじょう)」と言えば、戦国大名の北条早雲(ほうじょうそううん)や斎藤道三(さいとうどうさん)が有名です。守護大名(しゅごだいみょう)は、もともと守護として任命されていた中で力をつけて守護大名になっていきましたが、戦国大名はゼロからのスタートです。力だけでのし上がっていったのです。パワフルですね。 >>259
フェリペ2世が海戦で死ぬんだっけ
フランスはユグノー戦争のころか >>4
信長は最初から天才だったわけじゃない
その8年間でもがき苦しみながらひとつひとう成長していったんだよ
たらふく失敗してるが、その失敗をきちんと生かしたんだよ >>222
有力武将まで成り上がる、他有力ライバルを蹴落とす
2回ラッキーやってるからすごくないか
てかよく暗殺されなかったよな >>266
秀吉の親戚の血も入ってるよ!
最近だけど >>257
勉強になるなぁ。とにかく殺せ殺せ殺せ、ぶっ殺せの時代だもんな。
人間の多くが戦国時代にあこがれるのは
人間に潜む、残虐的な琴線に触れるからか。 >>271
といか結果論ってだけじゃね。誰かは残るので
秀吉も、謀反や戦でいつ暗殺されてもおかしくなかった。 >>193
本願寺よりも伊勢長島の連中だよ。
万歳突撃や、司令官のみを狙った狙撃作戦で、
信長の親族衆の中でも使える連中がかなり削られた。
これで畿内を安心して任せられる親族衆が薄くなり、本能寺の変までつながる。 >>257
家康の子供らって揃いも揃って
三河武士らしく武勇には優れてたっぽいけど
正直キチガイばっかりな印象強いw
信康も結城秀康も忠輝も
武勇イマイチでも唯一頭の切れる秀忠二代目に選んだ家康の慧眼は素晴らしい 「武田信玄は……騎馬隊(きばたい)を組織しました」
実際、当時の馬は在来の馬で、時代劇のようなサラブレッドではないから、実際には馬で突撃することはなかったのでは?
大体、馬が矢や鉄砲で打たれたり槍で疲れたら、乗っている人はふりおとされるしな >>274
今でもベンチャーや経団連の役員とか、家が代々金持ちが多いよね。
余裕があるから、遊学したり金で人物を動かして器がでかくなる。 >>277
三方ヶ原での突撃見ると、家康にもそういう血がやっぱりあったと思うね。
でも、家康はそういうを自分を飼い慣らす自制心があったのがポイントだろうな。
勇猛なだけでは天下は取れない。だが、勇猛でないと人はついてこない。
家康はどちらもあったんだろう。 >>278
それ当時の馬はポニーサイズ→シェトランドポニーサイズだったと勘違いした奴が広めた俗説よ
当時の馬は世界中ポニーサイズでそれでも十分騎馬突撃やってたし
実際騎馬戦術に関する書物も日本に残ってる 尾張統一と美濃征服で15年ぐらいかかってるからな
信長もスタートは中々苦労してる 俺も毎年ね、今年こそは関ケ原で西軍が勝つと信じて期待してるんだけどね。
真田丸の時はかなりイケると思ったんだよ。ほぼ勝っただろあれ。うーん。
今年は石田もいまいちでダメかな。あんまり強そうな面子はどこ見てもいないよね。コロナの影響もあるしね。来年は勝てるかなあ(´・ω・`) >>278
人もちっちゃいぞw
サラブレッドが180pで、戦国時代の軍馬が150pくらいでしょ?
人の小ささとあんまり変わらんよね? 信長が三傑で一番部下に優しいのが正史だったりするw 武田の騎馬隊とかよくいうけど、実際には小さい馬だから突撃は無理だろうなあ
実際戦うのは槍をもった歩兵とか鉄砲隊だしな
だいたいは槍をもった歩兵が突撃して、敵の陣を崩壊させるような戦い方だろうな
鉄砲隊も距離を保ってれば有効だが、槍隊が接近してきたら浮足立って逃げるしかなかったと思う >>244
商業で財力があっただけじゃない。
今現在の地図見てもわかる通り
濃尾平野って(耕地面積が)めっちゃ広い。
今川が3か国の太守とか言ってるけど それと同等以上の耕地面積を尾張半国で得られる。
支配するのに要する労力は桁違いに少なくて済む。
守る面積少なく、収穫する農産物が桁違いに多く、商業で得られる稼ぎが多
く、人材が多い。
他の大名と比較すると チート過ぎる。 >>220
たしか明治天皇が日本を一つにしようとした信長がいたから今の日本があると名誉回復して褒章を与えたから本来の業績が評価された
朝倉攻めの朝倉勢が逃げるから追撃しろと言ったのに柴田も明智も羽柴も気づかず信長だけ追撃した話がある
所詮他の奴はボンクラ、信長がいなければ天下は獲れなかった >>278
甲冑着て武器一式って意外とつかれんのよ、その後合戦なんかヘトヘトダヨ
急いで機動迂回して敵の弱いところ突くには馬による移動が欲しい 騎馬隊といっても、実際の戦いの現場では隊長みたいなのが馬に乗ってたのであって、実際の戦いでは馬からおりて馬は後ろに下げて傷つかんようにしとったろ
だって、馬に乗って戦ってたら下から長い槍でつかれたり鉄砲でうたれたりするしな 実際は親の代から継承した事柄もおおく信長一代でというより二代続けての事業といっていい
あと他の大名というより、世界中の君主がやりたがらない兵権を部下に預けるという事をしまくったのが大きい
そのおかげで他に類を見ないくらいに各方面での同時侵攻が可能となった
まあそのおかげで何度も危ない目にも合って最後は死んじゃうんだけど >>289
朝倉軍2万の軍勢を、自軍が来る前に親衛隊数十人だけで追撃に入った信長。
とにかくスピードが常識外れだ。上杉謙信も早かったが、信長は異常なスピード。 >>278
当時の在来馬はポニーみたいな大きさの馬だけど
サラブレッドより骨格が太くて強くてしぶといからむしろ戦では圧倒的に在来馬の方が強いよ
乗っての突撃も無くは無かった模様 昔の日本の馬はろくに走れないみたいな説あるけど、後三年合戦絵巻なんかでは物凄く躍動感あふれる疾走シーンが描かれてるよね つまんなーいずらよ
あーつまんなーい
あーつまんなーい
あーつまんなーい
あーつまんなーい
あー眠れなーい
つまんないからー
つまり
ぽまいらのせいズラよ 戦史ってのは後世が呼んで面白いけれど
現場で、家族から末端からまで殺し合いやってた事実考えると
推奨したい時代ではないし、感心できる人物って一人もいないな。
どいつもこいつもサイコパス。 >>278
古いトンデモ説
当時の馬は背が低いけど鎧武者乗せて時速40キロぐらいで走る
てか記録に騎馬突撃してたって残ってるし絵巻物にも騎乗して戦ってる武者描写されてるし 伊勢宗瑞は名門っていっても伊勢伊勢守の分家だし
領地は備中高越山400貫
申次衆から守護家の内紛を治めて、さらに伊豆、相模を領国化しとるから
まぁ下克上というか大出世だわな
ただ今川から独立するのは北条を名乗った次代から 立身出世話もいいが、やってることはサイコパス同士の殺し合いなので
どういう彼らがどういう残虐な殺したか、現代の殺人犯の裁判記録みたいに
克明に描いてくれないとな。 >>300
中央官僚が地方に天下って、
その地方を領国化って感じだな。 やる気満々な兵士だけが戦場にいるわけじゃない
後方で徴用された百姓主体、武器なんかほとんどない輜重兵を騎馬で大きく迂回して奇襲
火の手上げれば、後ろの道が落ちたってことで大パニックよな
戦わずして勝つ 頭も良かったろうが 武運が強かった気がする 歴史のめぐり合わせだろう 実際、未だに日本の中枢は藤原氏(物部氏)が支配してるから信長が未だに担がれるわけだ ところで信長がやった、残虐な殺し方ってどういうの?
秀吉はわかるけど。バテレンの処刑法とか。 まあ騎馬隊はあったにしても、騎馬単独では戦い得なかったろうなあ
足軽とか中間が歩兵としてともなっていないと、下から槍で突かれたりするしなあ
騎馬は主に指揮のためだろうな >>282
尾張と美濃を統一した時点で日本有数の大大名なんだけどな 戦国武将と企業経営をいっしょくたにするアホ記事は絶えないな。 >>304
ルール無しのトーナメント戦みたいなもんだから、逆説的に誰かはベスト3に残るわけで
誰かが「運がよかった」って言われてるだけだな。 >>235
戦国末期の大名の資金源はフィリピンとの交易だったからな
フィリピンと交易するのは当時の日本経済にとってプラスだった
朝鮮半島なんか行かずにフィリピン攻略をしてればなあ・・・
その後の欧州各国の王位継承戦争に日本も絡むことが出来ただろうに >>214
8代将軍 足利義政から足利幕府は崩壊してる。
そもそも 足利幕府は御家人に恩賞を与える力のなくなった鎌倉幕府をぶったおしたあとに
力のある家がトップに立つってことで成立した幕府なんだから
管領に任せ傀儡にすらなれなくなった時点でおしまい。 信長も義経も、その時代のルールというか常識を破ったから勝てたんだよ >>309
俺は似てると思うよ。「下請けの社員なんか、死んでも代わりを確保せよ」
「敵を潰しまくる」「奴隷がとにかくほしい」なんてスピリッツは新自由主義
に近い。人権無視で「やったもん勝ち」とにかくやったもん勝ち。 >>259
アレは信長スゲー!信長天才!信長革命児!の信長ブームの産物だよね >>307
家長が馬に乗り徒歩武者と従者数人で1ユニットというのとごっちゃになってると思う >>29
非正規大量に雇って勝ちまくったわけね。どこのスーパー・コンビニだよw 織田信長は軍事的な才能ないのを自覚していたのが凄いね
何でも使ってアソコまでにしたとか
まあ、親から相続した経済力があったからだな >>315
最近増えてる、ぼったくりバーなんかも、ルール破るから儲かるんだよな。
ちょっと前の合法ドラッグ(グレーゾン)なんかもそうだけど
ルール無視した方が勝ちだからな。
ボディを透明にすれば殺人にならない みたいな。 >>310
慶長年間に検地をした時、尾張の国は57万石。
これだけで江戸時代なら有力大名クラス。
国自体は広くないのに田んぼが多いから、コメの生産量が多く
コメが余っていて良港も領地内にあるから米を全国に売ることが出来た
つまり金があって足軽を常時雇うことが出来た。
これで夏の農繁期でも出兵できたのが大きなアドバンテージ。
尾張と美濃を統一した時点で織田信長の人生は決まったようなものなんだよ >>306
残虐性なら信長より圧倒的に秀吉だよ
甥の一族女子供全員斬首とかさヤバイ
信長は反乱起こした弟の子供や嫁を罪に問うどころか養育したり養ってるし一向一揆に弟が殺された時は泣いたりしてるからな
兄が朝倉浅井に殺された時もな >>324
ありがとさん。サイコパス度は秀吉がナンバーワンか。 信長はポルトガルの支援を得たからな。
鉄砲隊持ちは信長だけじゃなかったがポルトガルが持ち込む鉛の弾は優秀で他を駆逐した。
キリスト教布教が目的だったポルトガルは比叡山の焼き討ちを初めとする仏教攻撃にもキリシタン勢力を動員させた。
信長の協力により既にキリシタンはかなりの勢力になっていたらしい。
以上nhkで見ました。 >>325
秀吉自身が書状で、俺は信長公みたいに甘くないぞと言ってるからねw ここにいる人たち、信長の野望とか絶対好きそうw
自分もそうだけどw のちの豊臣秀吉の織田信長の見立てが面白いね
切れやすいような印象で語れることが多いけど凄く慎重な人だったと、
蒲生氏郷とかは戦に強いけど前線に立つから直ぐやられるだろうとか >>270
家督を相続してから織田家の争いに勝つのに7年
美濃攻略に8年
このとき33歳
苦労してるんだよな >>301
今も昔も1人殺したらただの殺人犯だが
1万人殺したら英雄なんですよ
>>313
小柄でがっしりしてる在来馬は山岳地に特に強い、木曽馬とか有名
サラブレッドだったら一瞬で足折って終わる 戦国時代に無敗の上杉謙信や
上杉謙信に一方的にボコられながら耐えきった武田信玄が
さきにくたばってくれたから助かったな信長は
同じ寿命だったらこうはならなかった >>329
ちなみに豊臣秀吉の血液型は血判状からO型と判明してる
O型は他人の分析は冷静でシビア >>326
>キリスト教布教
布教と同時に現地人の虐殺、植民地や領土拡大のことだよね。
日本人が鉄砲のコピー商品で、軍事大国になったから宣教師(スパイ)が
本国に報告して、侵略をやめさせたってのが通説になってきたね。 >>311
日本の安宅船や関船でスペイン艦隊に勝てる訳が無い
朝鮮水軍にさえ惨敗してるのに >>325
信長は佐久間信盛とかを追放してるけど殺したりはしていない
秀吉は初期に支えた家老的な神子田とか尾藤とか
殺してるしな しかし、戦国武将に憧れて、現代企業経営を語る連中ってヤバいよな。
うちの親せきにも経団連企業の幹部が何人かいたが
「リストラ600人だ、カカカカカ」「ライバルの下請けがとうとう首くくったw」って
高笑いするような連中だった。 信長は過大評価されすぎ
力つけたのも、スペイン、ポルトガル勢のスパイである宣教師が虎視眈々と日本征服たくらんで、
最先端の武器を信長に渡して、利用しようとしていた時流に乗っただけとも言える。
時の運と巡り合わせだよ >>311
後々を考えるとインドネシアとフィリピンはとっておきたかったよね?
なんでマカオとか手放した・・・ 今の日本の姿があるのは間接的に信長のおかげと言っても良いわな
秀吉も信長に仕えてなかったら、楽市楽座とか様々な手法や天下布武の考えとか
そういったものに出逢えてなくて天下は取れなかっただろうし、これは家康も同じ
だから秀吉の大阪城も無かっただろうし、そうなると大阪はまた別の形だったし、
秀吉が家康を封じ込めるために江戸に左遷させて、家康が江戸も作ることも無く、
今の東京は平野が広いとはいえ、田んぼも自然も沢山残る地方都市レベルで、
首都が置かれることもなく多摩県江東市ぐらいの程度だった可能性が極めて高い
どのみち誰かが天下を取っただろうけど、首都も別の場所に置かれて
今の日本の姿とは全く別の形になってただろうな 信長は残虐と言う切り口で調べていくと
まずおねに書いていた秀吉との夫婦仲仲裁の手紙でおや?となるw >>338
ヨーロッパから武器買い付けてたのは信長に限った話じゃないので >>278
日本の馬は突撃よりも騎射メインだね
突撃はどんなのをイメージしてるかにもよるけど、ヨーロッパ騎兵みたいな突撃は不可能だろう
ヨーロッパの騎馬突撃は鎧含めれば1t近い塊が時速40kmでぶつかって来るような奴だから
日本の馬は軽すぎる >>341
俺は比叡山焼き討ちや一向一揆の解決が大きいと見ている
当時の人からするととんでもないことだと言う事だろうけど
政教分離出来たこと、それを徳川家康が最大限利用したね >>223
まぁあんまりゆかりのない秀吉が天下を取ったことでも証明されてるだろう
家康は秀吉の官位が低いってことであんまり従わなかったけど
秀吉は実力主義だからそんなに官位も気にしてなかったのかもしれない
しかし関白になって家康を従わせたけど >>295
日本の在来馬は欧米の基準でポニーに分類されるけど
観光牧場のポ二ーを想像したら全然違う
木曽馬をみたら相当大きいぞ
サラブレッドよりは小さいけど、実際に見るとかなり大きい
乗ると目線が高くてけっこうビビる
脚は太いし、鍛えられてただろうし、戦力としてそうとうなもんだっただろ
ポニーを想像したら間違い >>1は戦国時代を賛美称揚しているようだが
今の日本は確かに戦国時代になりつつある。(俺は賛美しないが)
企業経営者は、奴隷制度やライバル企業の殲滅、売国をなんとも思わない連中だし
末端は「働いたら負け」で恐喝・強盗・夜盗が儲かるから横行してるしな。 戦国や江戸のほうが地方は元気だたよな
勢いなくなりすぎ >>346
ユニクロなんか、そうでないの?
あれ山口の一ヤ◎ザでしょ? 日本一の国営企業になったけど。 >>344
日本古来の馬は確かに足が短いが足が太くて
どっしりしている
この前も日本古来の馬を飼育している厩舎を
テレビでやっていたが余裕で人乗せて走ってたが
戦国時代は武者が槍や薙刀持って馬に乗り集団で突撃する戦法が普通にあったとか言ってたな >>344
ヨーロッパのプレートアーマーは重そうに見えるけど、
実際には20〜30kgで日本の当世具足と大差ない
馬に着せる鎧と馬の重量を含めても1トンにはならないと思う >>350
今の日本は戦国時代に入っていく感じじゃないのかな。
企業は企業でつぶし合いや吸収合併やってるし、資産なき末端は
ルール無視の違法脱泡行為したほうが儲かるようになってきたし。
コンビニや運送でコツコツ働く奴は奴隷だけど、ボッタクリバーや違法
風俗の方が年収2憶、3億で、そこから投資で50億100億になりあがっていけるし。 >>344
補足
そもそも騎馬突撃は陣形を組んでる相手に対してそれを打ち崩すのが仕事
日本は鎌倉以来、基本的に散兵戦術で陣形を組まないから避けて囲まれる
っていうか、突撃対象がない 最近戦国時代をリアルに捉えなおす本がたくさん出てるよね
例えば長篠の合戦の実情とか書いてある本
ああいうのをたくさん読んでみたくなった
武田の騎馬隊が本当に存在したのか、とかね >>357
集団夜盗・強盗なんかも増えてるし、個人で武装しないといけない
ぶっそうな世の中になってきたな。 >>311
当時の日本の船は航洋能力が著しく欠けていた
フィリピンに大軍を送るのは無理じゃないの >>342
残虐と言えば残虐。
自分の留守中、遊びに行った女中衆に激怒。
女中の命乞いに行った坊主を最初に血祭り、女中はすべて打ち首という激しさだからな… >>356
牛の角に松明つけて突撃させたの何だっけ? >>338
ポルトガルが日本征服したかったら内戦続けさせて国力低下した方がいいだろ
統一に手を貸した挙句バテレン追放から鎖国って利用されただけで用済み扱いで笑える >>353
うん、だから「突撃」の定義次第
いわゆる「騎馬突撃」ってのがガラスを破る様に陣形を壊すもの
だけど「馬に乗って相手に接近して白兵戦を行う」が突撃なら当然ながらある
実際、馬上用の白兵戦武器は多数あるんだし、ないと思う方がおかしいわ >>360
だよね。そのコンプレクスが、維新後〜日露戦争勝利につながるわけで。 和船は平底だから主に沿岸の航行にしか向いていない
東南アジアとか外洋に出ようと思ったら底の深いガレオン船みたいなのでないと、転覆してしまうだろう
当時ルソンとかに渡ってたから、そういう外洋船を入手すれば渡ることはできたかもしれないが、補給は滞っただろう >>363
統一させておいて国力低下させてから、統一者一族を殲滅するのが
ヨーロッパのやり方でしょ?
日本は器用で鉄砲のコピー商品で軍事大国化してしまっただけで。 >>332
無敗っていうけど・・・無能の間違いじゃね?
小田原まで行って関東荒らしておしまいとか川中島も結局勝ててない。
そして 一向宗をどうにかできなきゃ 信長に挑むことすらできないよ。
信玄も自分の寿命を悟ったからこそ博打の遠征しただけで
健康ならやっぱり勝負に出れてないよ。それだけの兵糧集められん。 >>354
大型種使ってたから馬だけで1t近くいく
ダービーよりもばんえい競馬想像した方がわかりやすい >>361
ありがとう。戦国時代を賛美する奴がたまにいるけれど、
殺しの残虐オリンピックみたいな側面ももっとクローズアップされないとな。
ヒーローたちの残虐史みたいなの。 織田幕府の方がスッキリした気がする
豊臣幕府は実力主義過ぎて疲れそうだし
徳川幕府は逆に権威に偏ってる >>370
あの家もエグイよな。離島を徹底的に奴隷植民地にしてるし。 武装した武者が乗る騎馬隊が40キロぐらいで集団で突撃して来たら考えたらだけでも怖いよな
平地とかではかなり威力あったと思うぞ
武田に関しては実は鉄砲とか槍とか石つぶて部隊もかなり活用していて特に鉄砲は武田軍がかなり
使っていた痕跡かなりあるからな 戦国時代、途中まで信長にスペイン、ポルトガルが取り入って思惑通りに進んでたけど
まさか鉄砲をすぐに自国生産し出すとは思わなかっただろうなwあれできてなかったらやばかった
信長も秀吉も、家康もだけど、宣教師の裏の顔をちゃんと知っていて逆に利用したんだから大したもん >>368
そんなのどこの国でやったの?
具体的に
大航海時代のヨーロッパの植民地は石器時代と変わらない南北アメリカとフィリピンやインドネシアといったアジアでも部族国家レベルしかないところだぞ
鉄砲はアジア各地で作られていたしアジアは人口が多いし
経済力もヨーロッパよりはるかに大きい
帆船でこれる程度の軍勢じゃちゃんと国家が成立しているところなんか征服できないよ >>28
それはおまえがドラマでつまみぐいの戦いしか見てないから
美濃攻略は何度も攻撃かけては敗退
あるときは勝って首実検してるところを逆襲されて慌てて逃げ出すという
逆桶狭間みたいなこともやってる
結局、義龍が死ぬまで落とせず7年もかかった
なったばかりの浅井の同盟を信じて裏切られる大ポカ
これで死んでてもおかしくない
長島攻めでも重臣クラスを何人も失ってる
だいたい当主が2度も銃撃されるなんて前代未聞
どれだけ不用意に動き回ってるかわかる >>362
義経さんやね
あれは陣地だけど、あれを馬でやるのがヨーロッパ風の騎馬突撃
普通は陣地があると突撃は柵で防がれるんやけど、なんか上手くいったっぽいな
馬は柵とか怖がるから訓練が必要だし、乗り手の死傷率も上がるし、日本の馬は軽いしで、ようできんわな >>376
ところが当時アジアじゃインド、東南アジア、中国で鉄砲を作っていた
特に東南アジア製は質が良かった
日本がすぐにコピーし生産できたのは不思議じゃない >>12
桶狭間は電撃奇襲しているから
信長軍は大軍じゃないよ
徴兵農民兵の進軍速度捨てて
高速移動したのが勝因 >>380
牛の角に松明つけて突撃させたってのは木曽義仲だよ
中国のエピソードのパクリで後世に創られたお話らしいけど NHKでは関ヶ原の勝敗を決したのは、家康が入手したオランダ製の
高性能な鉄砲500丁だと言ってたな
日本の鉄砲も本場欧州製には劣ってたんだろ >>368
そうヨーロッパのやり方は日本には通用しないんだよだから植民地にならなくて済んだ
天下統一した秀吉はすでにスペインをロックオンしていた
スペイン領フィリピンに従属勧告して明にスペインが攻めこむ情報を得て朝鮮出兵 >>382
ところが大雨で視界が悪くて双方敵の動き掴めないまま織田軍が前進しまくってたら義元本隊と
ぶち当たり最初は義元本隊と解らずに交戦したら
あらびっくり義元の旗印があるやんけらしい
義元本隊自体は馬廻りしか居なかった疑惑w >>371
大型ったって今のサラブレッドで500kg、当時のアラブ馬で400kg、今のばんえい競馬の道産子で350〜400kgほどだろ
1トンなんてありえん >>360
燃えない船が欲しいって鉄甲船造らせた信長だしなぁ
南蛮商人は来れるのになんで行けないんやって造らせた可能性はあると思う
江戸時代には伊達政宗ですら造れたんだし
っていうか、戦国時代の一部の船は竜骨使ってたんじゃないかって眉唾は読んだ覚えある
ただ、風と潮の関係でマニラから日本へはこれるけど、逆は辛いんだよな >>340
それじゃ愛知の圧勝だろw
愛知西部 対 愛知東部+静岡
の戦いだわ >>388
砦攻略中なのに大軍散開してんのかよ
どういう妄想ですか 400年前の日本なんて、ほとんどド田舎だろうさ
信長の野望をやったら、近畿地方周辺に位置している方がイージーモード >>375
しかし 実際のとこ40q/hで突撃とか無理だぞ
落ちたら死亡だよ。リスクが高すぎる。
それも競馬場のような整備された広いところでもない。
突撃でぶつかり合って死ぬのは 騎馬武者で
突撃されたほうは それから逃げるだけで騎馬武者くびとれるよ。 >>389
伝説の馬だと2-3mで2tのリアル黒龍号
今でもペルシュオンとかなら1tやろ
逆に鎧とあわせて鈍重だからモンゴルの騎馬に手玉にとられたわけだが、
これが体格の割りの軽くて速い、言ってるようなサラブレッドなら追い付けちゃうわ 桶狭間は今川義元を討ち取ったのは偶然説は結構あって、今川義元が出てきているとは把握していなかったのじゃないかと言われたりしている
あと、今川軍の全体の数は多くても、前線の砦攻略に人員をさいていたために
桶狭間にいた今川軍は軍勢は圧倒的に多かったわけじゃないとも
だから、普通に各個撃破だったと、今川義元が後詰めに出てきていたとまでは把握していなくて
叩けそうだったから叩いただけとか >>385
朝鮮で日本軍と闘った明軍の武将が、
倭銃は明の銃より優れ、南蛮銃は倭銃より優れていると評している
そうかもね
製造法や鉄の質からいってもそれは考えられる >>392
砦攻略は遠江、三河勢に任せていた
義元の隊はは桶狭間より進軍していて
義元の本体自体は大雨で小休止していたのが通説だなそこに何故か織田がぶち当たった 実力主義っつーかねぇ
スペインの後ろ盾を背景に、鉛玉を送れ >>384
鵯越と混同したわ
中国は陣形型の軍隊だから発想的にはあったんだろうな
中国は散兵だと兵隊が逃げるからできないけど、日本は逃げないから陣形組む必要がないんだよなぁ
(場所をとる陣取りは重要だけど) >>372
ちなみに細川元総理大臣のご先祖様は、食事中を取っている時に庭木から誤って落ちた職人に激怒。刀を、持って「うるせえ!」と一刀の元に切り捨てる残虐さ。 兵農分離って信長秀吉とその傘下だけ?
家康の兵って最後まで農民主力? >>399
金と人の使い道こそ実力と理解してたってだけの話やで
てか後ろ楯てw >>366
海賊イギリスの援護が有ったからこそ勝てた、おんぶにだっこ だって当時の世界ではスペインは別に頂点じゃないからな
あれだけ世界の海を席巻してても
地元ではオスマン帝国がスペイン含めた全欧州連合軍相手に
蹴散らしていた
ドラゴンボール並に上には上がいる >>389
あと、ばんえいは「どさんこ」は使わんよ
農耕用に輸入された重い、それこそ1t級の馬種 >>73
> ちなみに水野信元に3000も兵力があるなどあり得ない
領民全員集めても3000人いたかどうかだろうな。 >>392
織田の砦を攻略してたのは今川の別働隊の岡部勢
桶狭間の戦いには参加してないよ >>385
最近だと岐阜城が落城した時点で勝負はほぼついてて
関ヶ原についた時点で西軍は瓦解寸前だったという研究もある >>401
お庭番が木から落ちちゃ河童の川流れでしょうw >>80
信長の親父さんの信秀がガンパってくれて、
そこからスタートできたからな。 >>390
遣欧使節団の乗った南蛮船はスペイン人の設計と指導で造ったもので
スペイン人が操船したんだよな
信長の鉄甲船たって要するに大安宅だからな
はたして日本人がフィリピンに大軍を送れるほどの航洋船の大船団を作れただろうか >>395
なにそれ
ヒグマでも400sあったらデカイのに
そんな化け物みたいな馬がいるのか >>384
北条早雲伝説の小田原城掠め取りにもあるな。 戦国時代って全然興味なかったけど
この間のNスペは面白かった >>398
そのうに
偶然二条城と織田家当主を長男に譲ったご隠居が同じ晩に焼け死んだとか良いそう >>411
信秀の立場で、俺が死ぬほど頑張って子孫にその後を託す、と考えられるのが大物
信長の立場で、親ガー信秀じゃないんで信長になれないー、と言い張るのがバカ NHKで本能寺の変の新解釈やってたな
バテレン勢力の大暗躍
日本は中世から外患にほんろーされてた >>413
ググれば出てくるだろ
めんどいからようやらんけど、はっきりとした記録が残ってるのでも2m以上、体重1.5tくらいあったはずだぞ The History of Spain : Every Year
https://youtu.be/ID6GIsJf1tY >>409
瓦解もクソも、最近の研究ではどうも毛利一族が丸ごと日和見だったということになってきてるね。
吉川だけが裏切り者のように責任を負わされたのは毛利本家を守るためであって、そもそも毛利輝元が大阪城に要る時点でヤル気の無さがわかる。
さらに、南宮山に陣取った毛利秀元も最初から動かないことになっていたようだと。
徳川家康もそれを知っていたかのように堂々と毛利勢の目の前を横切って桃配山に陣を張ったわけで。 因みに桶狭間の戦いも水野信元の領地なんだよな
織田信長と今川義元だけの戦いじゃなくて今川侵攻で水野の領地で交戦してる
あと大高城に取り残された家康を信長の攻撃から守り岡崎に逃したのも水野信元
まあ後で切腹させられるけど >>414
牛は大切な労働力なのにそんなことされちゃ百姓はたまらんな
一帯の農村は飢え死するんじゃね >>320
派遣だから戦死しても戦に敗北しても
金さえ払えば補充が効くんだよ
今の日本企業の原点だ 織田信忠は本来堺で家康といるはずだったのを信長が京都に来ているの知って
急遽挨拶に行ったのだよな
堺にいたら、明智光秀は本能寺の変に決行したのだろうか? 織田は信秀の時代から朝廷に何回も金献上してたりブルジョワ感はあるよな
今川って静岡だろ今と違って関東もド田舎
土地は腐ってるだろうけど金持ち感はない
足利の分家というなら斯波や土岐、吉良なんかもそうだが
雑魚イメージ >>386
イスパニアが明を征服するのにどれだけ兵が必要だと思ってるのよ
あとフィリピンまで輸送するまでどれだけ時間がかかると思ってるのよ
明を征服する為に日本の軍を利用します
つきましては本国からも兵を送ってくださいて手紙送ったけど
現実的じゃないからスルーされたのが現実だよ >>13
信長秀吉家康がいたからあんだけ勢力拡大できたんでしょ
秀吉だって一発屋で終わってたよw まあ当時はみんな明狙ってたから
ひとつのブームみたいなもんで
秀吉の朝鮮出兵もみんな明狩りブームだった
その中で乱戦を制したのがヌルハチなだけ 今川の家法や寄親寄子みたいな制度は徳川政権に踏襲されていて
封建制を築くのに寄与しているだよね
だた、織田が天下とって、もっとシーパワー的な開かれた国家になっていたら日本はどうだったか?とか思ったりもする >>426
実際ブルジョワだよ
津島神社が、沿岸貿易でしこたま稼いで織田家を支援してた
神主を信長が夏に団扇仰いであげてたくらい
港湾を抑えれば金が入ってくると言うのを感覚的にわかっていたから、上洛したらいきなり堺を抑えることが出来た 信長の経済感覚は有名で、大金ぶち込んで安土城を建設したら、
それを見に来たやじうまたちから見物料を徴収したという
楽市楽座にも見られるように、軍事よりも経済が重要なのでは、と気づいていた、稀有な人物 >>430
ヌルハチは長城を越えられずに死んだんだけど >>375
そもそも、騎馬隊が存在したのかも諸説ある
馬の上は不安定で前方にしか攻撃できず、
急に後方を向くことが出来ない
方向転換も騎馬隊より歩兵の方が優れている
前からだけの突撃しか強いものはない >>426
今川家は今川了俊という伝説級の人物がいたからね。
室町幕府体制では武家の中でもかなりのネームバリューだと思うよ。 >>18
日本へ寄生するゴキブリ
半島へは兵役拒否で逃げ回る卑怯者
正真正銘の屑 >>431
徳川も家康存命中は十分に貿易振興だよ。
浦賀に貿易港を開こうとしたり、朱印船貿易も積極的。
家康は南蛮の文物も好んで使った新しもの好きでもあった。
二代、三代目からだね。織田の場合でも同じようになったかもね。 >>423
下級がどんだけ困って死のうがたいしったたこっちゃない。上級が儲かればいいだけ。
ってのが戦国時代・太平洋戦争・日本流新自由主義のやり方 >>437
そもそも甲斐は山がちな地形だしな
その威容から武名だけは響き渡っていたが、実際には単なるシンボルだったのかもしれんね 人は記憶型と思考型に大別できる
馬だけで編成された騎馬隊は基本的になかったと思われる
弓持ち、槍持ち等の言葉からも判るとおり騎馬に足軽が付随してるんだ
更に最小ユニットが地侍による編成なんだ
侍が足軽を何人か引き連れてくる
このユニットは大名といえども切り離すのが難しい >>384
フィクションだろうな。
動物は火を恐れるから、角に松明なんてつけられたら前に進めんよ。
中国のは、しっぽに火をつけてたってことだから、あり得んことはないだろうが。 >>437
確かに乱戦で馬なんて目立つものに乗ってたら格好の攻撃対象だわな
一方で、だからこそ乗って鼓舞する価値があったのかも?と思う
ただ、戦いでの武将の死傷者考えると乗って戦ってないか感じはするわな
指揮官が前線行かないってのは中国や朝鮮じゃないからないだろうし >>442
まあ騎馬隊に力いれてたの武田じゃなくて後北条氏らしいからな >>443 の続き
なれど騎馬だけの騎馬突撃はあったと思う
突撃距離 200mとしよう
騎馬 30km/h
足軽 15km/h
騎馬が敵陣に突入したとき、足軽は後方100mの位置にいる
よって騎馬だけの突撃が発生するんだな >>445
そもそもオール騎馬隊なんてあったら餌代も運搬も大変w
ただ騎馬を筆頭とした乗り込み戦術はあった。戦車と歩兵みたいなもんやね
それも鉄砲がメイン兵器になってかり効果薄れたけど、それでも長篠で馬防柵を何段か突破したり橋頭堡確保してんだから大したもん 騎馬隊は存在したけど騎兵隊はなかったでしょ。
騎馬武者にお付きの護衛が数人いて1騎馬 信長は軍事的にも優秀な将軍だよ。桶狭間は今川軍主力に砦を攻めさせて、主力と分離された義元を攻撃した。他にも朝倉軍の撤退を予見・察知して、自らこれを追撃し崩壊させたりしているが、柴田、丹羽、滝川、秀吉などは撤退などありえないと判断していたので信長についてこれなかった。 上杉謙信は補給が限界あったから上洛できず。
手取川で織田軍倒したが、福井近くまで進出して撤退。 合戦の度にお馬さんの補充も必要になるし
馬に乗って戦闘する訓練も必要になるからね >>452
結局、どんな優秀な武将が居ても無意味で、最後に勝つのは経済と兵站なんだよね
呂布も王允がバックアップしているうちは無敵だった 長篠の戦いでの火縄銃が画期的と言うけど、火縄銃の使い方は雑賀衆とかからのパクリだよね
まあ楽市楽座もパクりだし・・・
一向一揆で散々やられたこと(信長の親族が何人も死んでいる)を、長篠に再現しようとしたのは流石だけど
武田勝頼が若くて負け知らずみたいに戦に強かったから填められると思ったのかもね >>447 の続き
そもそも西国の武将は馬から降りて戦う
尾張の兵も馬上では戦わない
馬上で戦うのは坂東武者、関東の侍ね >>453
そうだよ
偏差値35の人に偏差値50程度の内容を求めたらかわいそうだろ? 1453年に関東で享徳の乱という大乱が起きた
あの太田道灌の現れた戦争で30年続いた
その頃コンスタンチノープルではオスマン軍がビザンチンに向けて
最後の攻撃を行っていた
そこで登場したのが巨大大砲ウルバンだ
日本との時間軸はまだそれほど違った >>452
手取川の後にすぐ冬だったからな
北国の敵は雪。そして上杉に関しては一揆と関東菅領という役職と謙信の性格 >>18
戦国時代なんていう半ば伝承の向こうの
価値観も何もかも異なる世界での武将を英雄視云々に何の問題があるよ
そもそも現代と地続きの近代のテロリストを英雄視する
おまエラが言えた台詞かよ、身の程知らずのダブスタキムチが >>463
そもそも人権なんて概念が無い時代、昔から日本は奴隷を輸出してたからね
それを拒否ったのが豊臣秀吉
キリスト教を隠れ蓑に日本人を奴隷としてどんどん海外に売りさばいてる、という事実を知って全おこ、
キリシタンの弾圧に入った 尾張は生産力高すぎるし商業も盛んだったからな
場所が有利すぎる >>72
バックについてた今川の家格も知らないアホか?
お前の歴史は数十年前で止まってるようだなw >>448
騎馬隊は拠点破壊などの動かない対象への攻撃や
兵力で勝っている時の突撃には効果あったと思う
だがやはり馬に乗っていては戦い辛いし
急に方向転換できないので横からの弓や投石に弱かっただろうから騎馬隊メインの戦いは出来なかったと思う
強いが使いどころを選んでたんじゃないかな >>467
バック言うなら今川じゃなく菅領細川(と傀儡室町殿)だぜ旦那 >>456 尾張の田舎者は全てパクり。
誰か後ろに居たんだろな。 長篠の戦いで特筆すべきなのは鉄砲の三段撃ちなどではなく、野戦築城。おそらくスペインの宣教師からヨーロッパの戦い方を聞いていたものと思われる。この戦いから、戦争の勝敗が土木工事の優劣(つまりカネ)で決まるようになった。これに一番影響されたのが秀吉。 >>457 の続き
北条早雲は今川の家臣
なれど自力で伊豆を平定した
程なく独立したというわけさ 今川軍ってのは将軍直属軍にほぼ近い
将軍継承権を持つ今川は関東の抑えのために駿河にいた
関東からみた幕府軍というと基本的に今川軍を指していた >>432
堺は三好氏の勢力下にあった貿易港で三好氏が擁立する足利義維が堺公方として居たところだから
信長が制圧するのは当たり前 武田信玄、上杉謙信…特に信玄にはビビりまくってた、
謙信じゃないけど上杉には柴田勝家だが、
「織田軍、恐るるに足らず」と言われる始末
結論を言うと、運がよかったからでしょう、
徳川家康も、ずっとそれを言っていたし自覚もあった >>467
今川の家格なんざなーーーーんの役にも立たん。さらに家格が高い吉良ですらなーーーーーんの役にも立たんのに
家格あんのに遠江の守護取られてぐぬぬ…になった家がどこか知ってて言ってるのか?
バックと言うなら>>469の言うとおり斯波なんてどうでもいいよと言ってくれた幕府 >>475
機会を狙っていたのが信長のすごさだと思う
いろいろ才能ないけど意思を持っていたとか 鉄砲の三段撃ちが文献に最初に登場するのは、江戸時代に書かれた太閤記
つまり小説
信長の史料でもっとも信用できるとされる信長公記にはそんなことは一言も書いてない >>475
武田はどう見ても戦国最強であり、それはさすがに相手が悪すぎる >>475
謙信のそのセリフは手取川に信長本軍が来てると思ってたから出た言葉だけどね >>468
並んで長槍を上下に振る足軽なら農閑期のアルバイトでいくらでも補充できる
だけど騎馬武者となると技量、度胸、士気諸々の問題で基本的に武士の子弟になるわけだ
日本の場合は武士の子弟は指揮官と行政官を兼務してる将来の幹部候補
そんな人らだけで編成した高コスト部隊編成するか?
フランスなんかも100年戦争で騎馬突撃で王子や有力諸侯死にまくって見直したのに
っていうか、日本の場合は一族で独自に部隊編成してるんだから集められないだろ
北面武士とか子弟集めた母衣衆とか実戦で消耗覚悟で前線に送る部隊違うし(人質と権威) >>468
三番に西上野小幡一党、赤武者にて入替り懸り来る。
関東衆馬上の巧者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を打つて懸り来る。
(信長公記 長篠の戦) >>477
だね。勝頼にもちょっと痛い目に合わされたのもあってしっかり機会を探ってた
謙信様も勝頼を見くびるなよとアドバイスされてるし
戦は大したことないけど勝ち方を知ってる >>477,479
信長の凄さは経済力(と強運)
特に経済力、九鬼水軍だっけ、あと村上水軍(ほぼ海賊)
秀吉、信長は水軍を使った補給や流通学に長けていた、
479の言われる通りやな。川中島の両雄は相手が悪過ぎ
策略を張り巡らせて、戦わないのが正解やね そもそも、お父さんの織田信秀が超やり手だよね
形式上は、守護・守護代の下にありながら、尾張をほぼ牛耳って、
最盛期には、西三河で今川義元相手に優位に立ち、
加納口の戦いでは敗れはしたものの、稲葉山城を包囲するまでに斉藤道三を追いつめ、
大垣城を占領し続けた
晩年は苦しくなったけど、最盛期の石高だけでも全国有数の大名で、
尾張の商業拠点をがっしり押さえて経済力を確保している
商業都市の津島を支配したのは、お爺ちゃんの織田信定の時からだから、
織田信長の経済権益重視の政策は、
織田家の家業を代々受け継いだものと言える >>471
長篠は丸太担いで行軍したんだっけ。
ドラマではその様な描写があったが、それぐらい長い柵と空堀、土塁で要塞化した織田徳川陣営。
本来なら睨み合いのまま終わりそうな戦だが武田勢は背後を突かれ開戦に引き込んだ。
あと天候の妙や内通の情報戦など合戦を研究するには長篠は現代人にとっても良い題材。 >>479
武田信玄の小田原攻めを見れば、
信玄の遠征能力では岐阜城を落とすなんて無理だろう 信秀なんて守護代の家来ですらないだろ?
その家来の傍系の親戚くらいの奴
現在ヤクザで言えば六次団体くらいのグループ
それが身内を制して地元を制して山口組の大物幹部を倒した
それは大変ですよ 信長のじいちゃんの信定が津島を手に入れて
港湾から金と人を獲得できるようにしたのが
信秀の活躍につながるから
そこそこ代々優秀なんだよな 越後攻めの時、秀吉は柴田勝家と揉めて別れた、と聞いた
最新の資料研究じゃ変わってるかもだが
ノッブは桶狭間が言われるが、
基本的に経済力で大軍動員して小を倒す、
そんなのしか出来んし、それでも結構負けてる
信長本人が来てたとしても、織田軍は果たして強いかな? >>490
守護代(若頭)の下なんだから舎弟頭くらいだぞw
さすがに6次団体はないというかそこまで行ったらただの準構成員w 当時の織田家で言うなら山口とかあの辺
4次団体が平手で5次団体が柴田 >>492
織田は武力としてはそんなに強くないよ
要所要所で上手に勝ってるだけ
武田家とか、家康配下の三河武士隊とか、あの辺が強い >>493
信長はさらに長男ですらないからな
尾張のトップに立ったことが一番の偉業 >>23
どうもならんよ。
甲斐源氏の名門である武田家の当主様が、甲府から本拠地を移動できるわけがない。
もし、ホンキで移動なんかさせたら父親がそうなったように、部下に追放されるのがオチだ。
部下に気を使って、部下のために戦っちゃいけない相手とも戦って無駄に敵を増やして。
あんなやり方で天下統一なんかできるわけがない。 >>492
信長が手取川に来てたらおそらくは手取川を渡ることはなかったろう。七尾城が落ちてるかどうかが不明でも
そしてやはり上杉には侮られる
が、強いからね。「強さ」の基準を戦のみで語るのは当時ならまだしも現代に持ち込むのはちょっとな もともと三河武士は命知らずではあったが、強さとしては上の下くらいだった
三方ヶ原で武田に惨敗したくらいのレベル
が、武田家が勝頼の代で潰れたら、武田家の遺臣を大量に雇いこんだ
その結果、命知らずで武力が高い、チート部隊が出来上がった
こういうことを考えると、戦国最強は武田で決まり >>488
背後を衝かれたというより別動隊出たから兵力分散したとみて攻撃掛けたんじゃないの
背後たって山登って行ったんだから戦わない気なら普通に逃げればいいだけの話 >>495
長男であろうがなかろうが正室が生んだ嫡男が家督を継ぐのは普通だぜ 中央の歴史好きがよく間違ってるのが
謙信は中央を目指してなかったというところ
謙信は関東王になりかった
謙信は冬になると略奪目的で関東に来てただけで義の人でもなんでもないという説があるけど
別の義の人なわけじゃなくてただ関東の覇権を目指してた
中央行きはおまけでしかない >>500
そんな決まりでは継いでないな
公家じゃないんだから
実力主義で長兄や末弟の勢力もゴロゴロあった >戦いは主に春から秋にかけて行われました。冬は雪が降るから戦えません。
だから、この記事、ツッコミどころ満載なんですが、全部に突っ込んでいると切りがないので1点だけツッコまさせてもらいます。
でぇ、冬には戦えない地域もありますが、戦える地域もありますな。
南国などは冬の方が戦いやすいんじゃないですかな?
それから、まるで隔年で戦っているような書き方ですが、そんな事はありません。
田植えは1年でも止めたら大変な事になりますので、毎年やってます。
戦は農繁期を避けてやってる訳ですな。 大河ドラマの江に出てたトヨエツの信長はカッコよかった >>23
信玄の上洛を大幅に遅らせたのは上杉謙信だよ
謙信は北条にとってもさぞ迷惑だったろう
が、武田の勢力が拡大し過ぎるのを防いだ一面もあるので、北条は助かった面もある 中国だと三国志や他にも面白い時代があるが
日本の面白いのがこの戦国時代くらしいかないのが残念 源氏とか藤原氏辺りも面白いのだが・・・
徳川が長いし 鎖国解いたから外国風味になってしまった まぁそれで今があるが 武田は田舎武将というだけあって、
すぐに地元に引っ込むからな
だから領地を奪っても奪われ返されるし
関東王なんて現実的無理
その点織田家は、敵の最前線に城を構えて引っ越すという
当時としては画期的な手法を使った
それが秀吉とかに引き継がれ天下統一に繋がった >>501
関東菅領の職務を忠実に果たしてただけで「覇権」を目的にしてたわけじゃないからね
北条の野心さえ潰せればいいわけで、だからこそ北条から養子は取るし和議結ぶしであって
覇権という言葉の使い方を間違えただけかも知れんけどそれこそそこ勘違いしちゃいかんよ 越後上杉氏なんて謙信の代じゃなくても
室町年間ほぼ数年おきに関東に行ってる
越後を空けて関東に行くのは越後上杉の年中行事
謙信しか知らないとそれがわからない >>506
オジサン目線ならそうだが、女子目線なら平安時代最強だからな
あと室町〜南北朝もなにげに面白いから
圧倒的に面白くないのが、観応の擾乱〜応仁の乱
状況が入り乱れて何が何だかよくわからないうえに、何の決着もつかない >>500
投稿500が正しいな。
信長なんかも本当の長男ではなかったが、母親の家柄が良かったので長子となったのではなかったかな? 日本史の深いところは史料がなさすぎて創作もできんから面白がりようもないからな >>501
謙信はさっさと仏門に戻りたかった・・・説 >>508
全然知らないね
義の人とか関係ない
上杉氏というのは元々東日本全部の棟梁なんだよ
東国史を知らないとそれがわからない
失った失地を回復したかっただけ
義もなにも下剋上して主君の上杉氏を倒したのは家宰の長尾氏
元の主君の本家が頭を下げてまで来越したことには
義を感じたかもしれんけど
そもそも犯人が自分側なのに >>497
家康が関ケ原でやった謀略戦、
秀吉が家康に対して仕掛けた大儀を失くさせる和睦など
戦に勝っても外交で負けては、血の犠牲も無駄になってしまう、
線引きが難しいが戦の強さのみで判定してるでしょう>誰が一番強いのか
基本戦闘能力は上杉謙信と上杉軍が一番、でもこの人は謀略とかない
関東を〆ても、それだけで終わるので北条討伐を繰り返す、 長篠の戦いは鉄砲の戦いでもあったが、ポルトガルからタイ産の鉛を入手できた信長に対し、
武田は鉛が手に入らないので銅で弾丸を制作 鉛と比べると銅製弾丸はつまりやすく暴発が
続出した とNHKの大戦国で言ってたな やはり、交易にはやくから注目してた織田氏はすごい 謙信は北条を討伐する気もなかったかも
北条が領土拡大を止めたら >>502
基本、決まりは嫡男。それは源平の頃から何も変わらん
戦国になって嫡男じゃないやつが当主狙ってもいいじゃんって価値観が出てきただけなだけであって
というか信長が跡を継ぐなんて最初から決定事項で信広が跡を継ぐなんて一切無かった話なのに何で偉業とか言い出した???
てか書き込みみたら全部何か勘違いし過ぎてて草 >>369
上杉謙信の戦争目的は敵を殲滅することでなく
相手に自分を見ただけで小便をちびらせるようなトラウマを植えつけることだからな
上杉謙信の猛攻を耐えきった武田信玄はそれだけですごい
ジャイアンに殴らまくりながらへばりついて引き分けの持っていったのび太ぐらいの根性
織田信長は土下座してでも絶対に避けていたから、そういった上ではかなり上手
秀吉も結局ビビッて逃げてたし 織田信長の生き方真似たところで部下に粛清されるだけ >>498
歴史的に、三河に勝った事無いだろう
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 >>498
最強は伊達政宗と思う
後20年、生まれるのが早かったら、と誰しも言う
あまりにもありふれた賛辞だ
加えて政宗は家臣にも恵まれていた
伊達成実は島左近、真田幸村に並ぶ猛将
小十郎は秀吉、家康にすら一目置かれていた
強い大名には優れた家臣がいる 無論主君の越後上杉氏を倒したのは
父の長尾為景だから
謙信自身はもしかして主家に悪いと思ってたのかもしれんけど
とにかく主家のそのまた主家の家督を継いだのだから
有象無象に食い荒らされた旧領と権力を取り戻そうと思うのは普通だろう
京に行くよりもまずそれが先 伊達と鬼島津は、本当に意見が分かれる
信長、秀吉をビビらせた信玄、謙信クラスなのか、
あるいは信長、秀吉クラスなのか、
もしくは、秀吉が打倒した毛利クラスなのか
両方とも強いのは間違いないのだろうが… >>503
稲作を教えて貰った北朝鮮が伝統を守っている
品種も北海道辺りからかっぱらたのだろう >>514
とりあえず関東菅領とは何なのかというところから勉強した方が宜しいと思いますよ
関東の棟梁は鎌倉公方。関東菅領に拘るということは室町将軍の家臣であるということなんで
義とか関係ありませんがな >>511
家柄じゃなく正室の長男
年上の妾の長男より年下の正室の長男が嫡男になるのは当たり前どころの話ではない。常識であり基本 >>369
関東で十万の軍集めてるんだぞ
小田原行っただけじゃなくて鎌倉で管領の就任
上総常陸あたりでは毎年のように
土豪を征伐してる
その時に土地を奪わなかったから義の人にされてるのだろう
奪う必要無いんだよ
元々関東の長官だから 俺は基本弱い者の味方で、
敗れた方に立って、じゃあどうやれば勝てたか?について考えるんだが、
前TVでやってたが、長篠の場合、すでに武田軍があの戦場に行った時点で
負け確定、みたいな感じだったな。
後ろは長篠城で、そこにも徳川軍だかがいるので、ある種もう織田徳川連合軍に包囲される形になってんの。
なので、前にいる敵主力と戦わざるを得ない展開。
結局、深入りしちゃった感。
なので、単純なんだが、勝頼は、敵主力は勿論、長篠城自体も西に見る位置まで一旦兵を東に引き上げるべきだったんじゃなかったか?と。
あと、敵が鉄砲一杯持ってることぐらい事前に分かっただろうから、
どうせ戦するなら、雨の日にやれよ、と。 >>511
>>528
そんな決まりはない
決まり通りにやってたら信長はそもそも世に出てない
信秀は織田の分家だから長男と次男どころの差じゃない マジレスすると信長の兄は今川に掴まって捕虜になったりしてやらかしたから
相続は無理 >>530
思い出したが、そのTV番組では、雨の日を選べないぐらい、
結局武田軍は、敵主力にも背後にも凄い近い距離の所まで、
深く入り込んじゃったみたいなんだよな(引く選択の余地なしな状況)。
なので、やっぱりあの設楽が原だかに行った時点で負け確定な感じ。 >>530
長篠の場合、信玄のだったら雨が降るまでまって
雨が降ったら突撃して壊滅させてたろうな
信長も家康のぎりたてで兵を出してるぐらい本気でなく
守りに徹していたから
そこが凡将と天才信玄の差だわな
つくづく信玄よりも長く生きれた信長は運がいい >>530
正解、地政学で読める
大陸へ深入りして失敗した国家はイギリス(100年戦争)、
旧日本軍(お馴染み満州〜大陸)がある、アメリカのアフガンもそれ。
諏訪・勝頼の境遇は同情を禁じ得ないし、
戦を勝つことでしか、己の存在証明を出来なかったのもあるが、
それを考慮しても、陣地などの地政学に長けてないといけなかった
とはいえ、甲斐の国はどう考えても無理ですわ、
四方八方に敵が居て満州とほぼ同じ状態
本能寺の変は、勝頼が死んでから二か月後だったか、随分と濃い時代 >>530
それもそうだが、武田の家臣が半分も集まらない時点で負けじゃね >>535
長篠の戦いの合戦図に六芒星を掲げたチームが居て、彼らは陰陽師、現代の気象予報士だ
そもそも織田軍は気象の変化を握ってたんだよね 織田信長っていうけど、平信長が正式だからな。
平氏 いま別の話題で出てる謙信も10歳上の正室の兄がいるが
側室の弟である自身が継いでるな 中学高校の卒業文集で尊敬する人を信長って書くやつってなんなの?ちょづいてんの? >>530
勝頼がなぜあそこでの決戦にこだわったのかは謎ではあるね。楽に撤退も可能だったのに。てかどう考えても撤退すべきだったのに。信長の兵力もきっちり把握してたっぽいし
まとまらん家臣を纏めるのに勝って力を誇示したかったとか天狗になってたとか信長(佐久間)に騙された長坂の進言に乗ったとか色々な説あるけどどうにもしっくり来ないね 江戸時代〜戦前までの戦国武将人気では
信長は、相撲でいうと小結に届くかどうかってところ
トップ争いは上杉謙信と武田信玄だね
信長人気は戦後急に出てきた 明智光秀が何故信長が討ったのか
秀吉はなぜ鳥取で兵を温存しながら
城を攻めていたのか
家康暗殺計画を企てた信長の暴走を
止める案が形成されていったのか
まっどれも臆測に過ぎんが
いろいろミステリーですな >>536
それがね、無理みたいなんだよ。
>>535で言った通り、すぐ後ろに長篠城がある。
あの時は、長篠城の中が徳川軍だった(包囲してるのが武田の別動隊)のか、
包囲してるのが徳川軍だったのか(城の中に居るのが武田軍)忘れたが、
どっちにしても背後の至近距離にも敵がいるわけ。
なので、織田徳川連合の主力と戦って形勢不利な場合は、すぐ後ろの徳川勢も突っかかって来そうな感じ。
しかも、武田軍がそこまで深入りするについては、確か織田方の段取り(謀略)があって、
まんまとそこまで行っちゃったんだよな確か。 >>518
鎌倉時代は子供全てに財産を分与して、それが
武士の困窮に繋がって幕府崩壊の遠因になったん
だっけ?
それで室町時代は優秀な子供に全て財産を継がす
方法にしたが、それで兄弟が争うようになったのが
戦国時代の原因で、それの反省で江戸時代はどんなに
無能でも長子が継ぐように変わったんだったかな 足利将軍は、毛利に匿われていて周防に幕府を維持していた >>530
長篠の戦いで勝頼が低評価されがちだが、それは可哀想と思ってた俺の感想
あの頃は信長の敵があらかた片付けられてて後方の憂いがあまりなかった
その時の信長に勝てる相手は少なかったろう
で、俺は籠城が良かったのでは、と思う
信長は性格上、籠城戦は得意ではなかったように思う
秀吉のように目立った籠城戦はなかったし、家康の才能である待つのも苦手だったのではなかろうか
信長の得意な戦場で戦ってしまった 電気、ガス、水道がない時代だからね
頭が悪い奴は生きていけないよ
何もないから頭だけは異常にいい >>539
霧が晴れたら目の前に上杉謙信がいて
二手に分かれていた武田信玄がフルボッコを彷彿させるな 武田は親族衆が勝手に帰ったり
徳川の別動隊5000を防いでた部隊も普通に帰れたり
殿の馬場も自分から戻って自害したり
普通に帰れてた感じはするけどもな なんかゲームの影響か武田や上杉を過大評価してる人居るけど
織田が濃尾平野と堺の商人を手に入れた時点でほぼ終わってるんだよね
この時点で国力がずば抜けている
武田は局所の戦闘や一戦場で勝つことはあっても織田には絶対敵わない >>547
まぁ〜戦に勝っても植民地を手に入れられなければ戦費を賄えないのは今も昔も同じ 内藤隊が家康の目の前まで反撃して攻め込んでたようだから
もういくらか数が多かったら家康は戦死してた可能性がある >>554
宋とモンゴルみたいなもんで
宋も文化も金も科学技術もなんでもあった
ないのは武力のみ
宋は野田信長で、上杉謙信はモンゴル軍みたいなもん
辺境ほど強い 勝頼も信長と和睦したかったらしいが信玄が
信長を裏切った事を信長が恨んでいて叶わ
なかったらしい
地政的に仕方ないが信玄の同盟国の裏切りが
結局、武田滅亡に繋がったと思うと外交の
信頼とは戦国時代でも大事だわな >>549
籠城が出来ればやってたろう
諏訪勝頼は武田家臣から信頼されておらず、
戦をして勝ち続けることでしか誇示できない、
そんな背景を信長、家康は把握してたろう 今川義元へのあんなゲリラ戦術は最初で最後の1回
以降敵に倍する兵力と火力が備わるまで兵を動かしていない >>541
謙信の兄貴の子供は早逝してるよ。そして兄貴である春景は立派に嫡男で当然為景の家督を継いでる
春日山長尾に残った兄弟のうち次男が殺されてるんで内輪揉めで擁立されたのが謙信だったってだけの話
みんな言ってるけど嫡男が家督を継ぐのは基本中の基本よ 太平記からそのまま室町時代を見ると
鎌倉で上杉氏というのがどういう立場だったのかがわかる
高氏と直義が去って代わりに尊氏派の上杉氏と基氏が来た
関東公方は王位であり実質のトップは関東管領の上杉氏
関東の大部分と越後奥州など北方の大部分を版図にする
越後上杉は本家山内上杉の分家で政争の度に関東に入城
上杉の家宰職は代々長尾氏
これも分家の長尾氏が越後で家宰に就任
こんな存在が上杉氏 斎藤義龍が病死しなければ織田家もどうなってたか分からない
桶狭間は何度やっても勝てると思う >>560
織田信長は自分が先頭に立たないと部下が本気で戦ってくれないからな
だから数で行くしかない
武田信玄は自分が後ろにいても部下が死ぬ気で戦ってくれる
上杉謙信に一方的にボコられて一説には40%もの死傷者が出ていても耐えきったからな
当時は数パーセントも死者が出ると軍は崩壊する 家臣団が担ぐのに相応しい実力がないとクビを据え変えられるのが戦国時代
野心家の家臣がいる場合は才能ありそうだと家臣にやられるとか
怖いよね戦国
あと国人は家臣と言うよりも独立した半グレ集団
江戸時代の講談とかにある朱子学的な家臣団は創作
甲陽軍鑑もかなり入っている >>499
信長がだったら(前例があるから)反転して逃げたと思うが、勝頼に直接インタビューしないと分からないわ。
まあ推測だが名門武田家が逃げたとあらば恥だという気持ちの部分が戦況を上回ったとしか言いようがない。 >>565
甲陽軍鑑は武田遺臣の意見がメインだからな
甲州兵と越後兵が最強みたいな論とかそのまんま >>558
まあそれもあるけど
武田自体が元々豪族の寄せ集めっていう事情が最も大きいんじゃないかな
三国志で言うと呉みたいなもん
これもゲームやドラマの影響か武田勢は一枚岩で人材の宝庫みたいなイメージで語られる事が多いけど
なんのことは無い、ちょっとでも油断すりゃすぐ言うこと聞かなくなって分裂する寄り合い所帯を無理やりまとめていただけのこと
武田家の嫡男でもない諏訪の小倅に忠誠を誓う道理なんてないってのが勝頼に対する諸将の本音でしょう
それをまとめるには外征で力を見せつけてエネルギーを外に向けるしかなかった >>564
信長は先頭に立ちすぎ。特に弱小時代。自ら敵将討ち取ってるし
40過ぎてた朝倉攻めですら自ら出陣して砦落とした
ようやく懲りるのが本願寺攻めで鉄砲の球食らってからw
信長結構頑張ってるよw >>561
攻め落とされる立派な嫡男なんてないでしょw
信長が親や上司の決めた地位であそこまで上ったと思ってんのか?
完全にレベルのおかしい素人がいる
なんにも知らんのだな 庶子の扱いが低いのは事実だからなあ
正室が庶子を認めないと一門じゃなく家臣だし そもそも信秀自体が織田の本家でもなんでもないじゃん
本家じゃないってのはどういう意味かわかってる?
長男筋じゃないという意味だよ 「尾張兵士は最弱」とか言われてたもんなあw
経済力で兵を雇う手法は信長が初めてか
他の大名と同じ真似しても勝てないしな 信長は決して弱いほうじゃないけど
武田信玄と上杉謙信が異次元すぎだ
ボクシングでいうと
メイウェザーが上杉謙信
パッキャオが武田信玄
信長は三浦隆司ぐらいだな
決して弱いわけじゃないんだよ >>572
だからまず身内の主人を倒すんだよ
下剋上の意味わかってるん?
長男次男庶子嫡男親と子も対象なんだよ
一番多い下剋上は兄弟間 >>571
立派とか突然何を意味不明な要素持ち出してきたん?
嫡男が家督を継ぐのは当たり前って話しかしてないんだけど
↓に関しては最早キチガイ沙汰の妄言w
家督云々の話ですらなくなってる
>信長が親や上司の決めた地位であそこまで上ったと思ってんのか? 信長相手に野戦をするな
秀吉相手に籠城戦をするな
家康相手に持久戦をするな
戦国三訓也 >>578
前レスのこれの引用じゃん
> そして兄貴である春景は立派に嫡男で当然
読まずに答える奴に話す意味無いな
なんか幼稚
俺に話しかけないでいいから >>570
確かにw
尾張美濃を手中に治めた大名自身が京で三好の残党が変を起こせば岐阜から数騎の家来だけを従えて何度も行ったり来たりし、自ら早馬まで務めるんだからなw >>573
身分的にはそうなんだけど、熱田・津島というドル箱商業地を押さえてたのが大きかったという
資料がたくさん残っている
父信定の時代からかなり安定して銭を集めていたとか
まぁ動員できる兵力という意味では家来が多くなかったので少なかったようだが >>573
こいつまさか尾張の守護代が一つしかないと思ってたり守護ってもんの存在すら知らなさそう
織田弾正家の家督=尾張守護の家督とマジで思ってそう >>583
そうじゃないと部下が本気で戦ってくれないからね 川中島の戦いは異次元だもんな
ほぼ無敗の上杉軍
トップ自ら、トップの首を取りに行くバーサーカー・謙信
あれは創作でなく真実だったらしい、
そして、その上杉軍の猛攻を凌いだ武田軍もお見事
盆地であり海もなく、貧しかった甲斐の国を統一させた信玄を失うわけに行かず、
武田の家臣は、何人倒れようとも信玄だけは打ち取らせまいと粘った 末子相続とかこの頃いくらでもあるし
まず一般的な風習についてわかってない
戦国武将とかの問題でなく >>582
立派にって言葉を使ったら引用と言われたでござるw
春景は無能だけど嫡男なので普通に家督を継いだ
これで理解出来るかい?ぼくちゃん 織田の本家守護代が主家である斯波を滅ぼそうとしたから、それを信長が利用して
討伐したのだよ
長い間は斯波氏の家臣として振る舞っていたね >>1
金のチカラだな
大名のチカラは何万石とか米俵の数で表されるが
信長のチカラは米俵の数ではない、経済力だ >>587
信玄はパワハラ的なオッサンだからね
自分で動ける感じじゃないよね
謙信は信玄が本当に嫌いだったし
いろんな逸話聞いても信玄はマジでいいところがない
本当にワルだったんだなという感じ 斎藤義龍がもっと長生きしてたらノブナガは美濃攻略も出来ないで終わったんじゃないかな 尾張より経済的に豊かなエリアもっとあっただろ?
例えば? >>588
日本の武家に末子相続なんて習慣があった試しはないよ。どこの中央アジアの話してんだ >>556
何処の地域でも北方が鬼門
だから北から攻め入る非道さよとうたえばだいたいあたる >>580 如何にも自分がその時代に生きて見て体験したように語るよね
人が調べたものを読んだだけなのに
本来なら、何々らしいとか伝聞調で書くべきなのに >>589
引用以外に読みようがないだろ
「今日は立派な晴れだろ」
「立派に晴れても別に嬉しくないな」
これを見て会話のつながりがわからないとかヤバい
日本人じゃないんじゃ
日本語でもう一度書くけど
話しかけないで
Don't say to me please. >>557 越後軍が暴れまくるなら、北陸道や関東には政治も文化も育たないだろな
ちょっと離れた京都や大阪は絶妙な位置にあるな >>585
尾張守護は斯波氏だったからね
発端は一族最上位の信友が信長殺害計画が漏れたのを激怒して
主君斯波義統を殺害して下剋上したことと言われてるが、
尾張の主導権争いは相当ドロドロだったようで、
全てに信長が関与していたかはともかく、信友・信光・信行は殺害、
信安は追放の憂き目にあっている
今川義元が尾張侵攻を考えたのも上洛のためではなく、
この尾張騒動に乗じて全土を制圧するためとも言われてるしね >>592
ヒトは良い事だけしても生きてはいけないし、
悪い事だけしても生きてはいけないから、
謙信は高潔過ぎ、
関東に助けに行ってボコったら越後へ帰る、その繰り返し。
北条が自分らと同じと思っちゃいかんってw
あれが信玄なら屈服させた後、
ほとぼり冷めたら挙兵するなんて出来ないように、
何かしら保険、謀略を残してから撤退すると思う、
ヒトの正義も汚さも、それと把握したのが信玄
ヒトの性善説や、自分基準で考えたのが謙信 >>586
そもそも信長は部下の忠誠心をそこまで頼ってなかったからシステマティックに戦える鉄砲とか経済力に偏って行ったんだと思うわ。 外国人も日本の戦国時代興味あるんかな
こんなところで外国人と話すとは >>82
安芸、吉田
しかも関東では北条早雲となってるじゃん
これ滅茶苦茶じゃね >>601
上杉氏って関東ではすごいネームバリューなんだよ
武田なんてかすりもしない家格なわけ
だからあまり変な振る舞いしないようにしたんだと思う
いまで言えば三菱とかロックフェラーみたいなもんだから 刀同士で戦うなら実力だろうが
実力も何も、刀より鉄砲に切り替わる時代
鉄砲を買うには金がいる >>598
立派の部分はもうどうでもいいんだよw
お前は立派にキチガイ。→これが通じないからそんなキチガイ理論が出てくるんだろうし
何はともあれまずは嫡男が家督を継ぐ。その基本があっての例外もあるって話をよく例外が普通と解釈して生きて来られたなw
とりあえずNGですわ。なんぼ説明しても理解出来ないだろうし
ばいばい >>600
実際尾張全土を支配できたのは桶狭間の15年だっけ?
殆ど尾張の戦線を抱えてるんだよな >>605
関東では依然北条氏のネームバリューが凄かったようだぞ
後北条氏も元々は畿内武士で伊勢氏を名乗っていたが、
北条の影響力のデカさにあやかろうと北条を自称したとかなんとか ID:Kn93T4eQ0
荒らしだよ
イタチの最後っ屁みたいなことやってる
ローカルルール違反で報告しとこう 城とかポンポン作るし簡単に合戦はするし
当時はめちゃくちゃ安くできたんだろうな
基本、タダ働き的な 侍女殺しで有名な残忍な暴君
今日の金正恩と何ら変わりがない >>609
無論北条氏はそういう作戦あるだろうね
上杉氏は尊氏母方の京の公家だからある意味よそ者だし
ただ関東奥州では京都扶持衆といって
京だけは直接繋がる武将がいて
そういう人は北条のまがい物ぶりを嫌がっただろう >>602
途中まで馬回りしか信用してない部分はちょいちょい見受けられるね
方面軍構想あたりでようやく完璧に部下を信用したというか
尾張じゃ同族が敵だったし統一してからも誰も参戦してくれないとかあったし、勢力下に置いた他国の兵は信用出来なかったろうしそうなるのもわからんでもないけど >>587
テレビで見たけど軍司が討ち取られた戦い?
孔明死す 謙信って漫画の主人公を具現化させたような
武将だったね
惜しむらくは信長より20才わかかったら
天下取ってたかも >>594
織田が台頭する前は
大内氏 大陸との貿易を一手に担う中国、北九州の覇者
尼子氏 銀山の経済力をバックに、経済を牛耳る大内氏とつぶし合う
六角氏 近江伊賀伊勢などに勢力をもった大大名、細川政権とつぶし合う
三好氏 細川を下克上で乗っ取り近畿をほぼ手に入れた天下人
そして将軍様はいつでも京から逃げ出すw
甲州の武田?なにそれ? >>605
どちらもネームバリューあるよ>信玄&謙信
信玄が死んだと分かって、
一番喜んだのが信長(史実あり)なので、
彼の強さを一番わかってたんじゃないのかな >>613
そうそう、そのへんも面白いのよな
上杉氏は太平記なんかでは京都武士として登場していて
足利初期は元々畿内に居たのよね
それが足利公方なんかとともに関東へ来たんだけど、
在地勢力からはこっちもそこまで信頼されてなかったようで
戦をするたび浮足立つのも譜代が少なく配下はほとんど現地の外様という
武田滅亡の原因に近いところが合ったと思う 近畿押さえた後はただの作業ゲームになって一気に飽きる >>593
だろうね。美濃三人衆も諜略に乗らんかっただろうし竹中半兵衛も隠居しなかっただろう
信玄が死ぬ前からずっと幸運がついて回ってるのよな。そもそも立地もいいしね >>618
家がだよ
上杉氏は関東管領家だから東日本のどの武将より上
その上は足利家しかない
上杉憲実とか知ってるでしょ
金沢文庫作った人
あの上杉の直系だから >>587
上杉謙信は自分でも毘沙門天の化身だと思い込んで
鉄砲の弾も絶対に当たらないと確信していたからな
実際にどんなに突っ込んでいっても本当に当たらなかった >>615
恐らくは。テレビを見てないが、4回目の川中島のキツツキ戦法
山の上を陣取った上杉軍が、挟撃(挟み撃ち)計画した
武田軍の動きを察知、いち早く下山して本隊はもぬけの殻で武田別動隊大慌て、
その隙に謙信は武田本隊を攻撃しまくって、信玄をあと一歩まで追い詰めた戦 >>591
石高は土地の生産力を米に換算したもの
米のとれ高ではないよ
というのも当時米は通貨だったんだよ
銭は大陸から輸入されたさまざまな銭が流通し、私鋳銭も流通し、
各地方で好まれる銭が違い、銭と銭の交換比率も違っていた
そこで全国共通の通貨として米が採用された
主に近江商人由来の秀吉の経済官僚による政策
つまり石高は経済力
ちなみに秀吉以前は土地の生産高は貫高で表すことが多かった 例えば太田道灌も上杉氏の家宰職だった
謙信の父と同じ立場だな
道灌の主家は扇谷上杉氏といって本家ではない傍系
これも越後上杉氏と同じ
本家の山内上杉氏というのは圧倒的な名誉があった >>587
越後兵の強さはいろいろ言われてるけど、農耕で培った強靭な足腰があったとか
長槍が幅を効かせ始めてた時代に短槍で突貫するショートランス勢が猛威を奮ってたとか
いろいろ言われてるが、俺が一番不思議なのはその強かった越後勢が御館の乱で
あっさり瓦解してしまったことかな
そういう意味じゃ上杉謙信という存在こそ大きかったんだなあと
まぁ上杉家も野心家多かったからな、どいつもこいつも裏切ってばかりだし
言うこと効かないから謙信もブチギレて高野山に隠遁するとかいい出す始末だしなw >>616
謙信は天下を取る欲望があったかな
まぁ謙信は頼られると力になって助けるってのはあったけど
晩年は織田勢にも攻勢をかけるけどね
北条氏も関東でやってればいいくらいの感じだっただろうな
信長・秀吉が天下統一急いだのは外国に対抗するためだったかも? さらにいえば関東管領上杉氏が山内上杉だけど
主君の関東公方は幕府とめっちゃ仲悪かった
そして幕府側についていたのが管領家上杉氏で
ついに関東公方vs関東管領で公方を倒している
だから上杉氏は関東王なんだよ >>628
生まれ変わっても多分ないだろうね
上洛して将軍を擁立すれば大満足かな
将軍がしっかりしてれば関東平定にのみ注力してたろう >>629
関東公方が幕府に従わないから幕府から別の関東公方が派遣されて
上杉管領家も二つに割れて
関東は公方が二人、管領も二人とかのカオスになっていくね >>627
全くだなw
謙信の前は戦に本人が出向かず代えさせられたらしい
勝頼だけじゃなく、後継者問題は本当に難しい、
応仁の乱もそうだっけ(跡取り問題)
豊臣秀吉の秀頼寵愛で、他の一族郎党を皆殺し(晒し首だっけ?)
織田軍も信長以降の後継者が目立てず
現在でもノビテル、一茂、カツノリ、ウィッシュ・・・・ 戦国武将とかって変なイメージつけられすぎだよな
ただの大名と名のつく各地方の地主や世襲の役人のおっさんで
別に前線で刀振り回して戦ってるわけでもないのに
農家出身つっても大地主の豪農とかだし 太平記を観応の擾乱からそのまま続けると
関東公方と関東管領の争乱に繋がっていく
鎌倉末期からの物語がずっと続いている
その最期が戦国時代の上杉氏になる
鎌倉以来の関東の争乱は最期米沢に身を落ち着けるところで終了する
北条早雲も大田道灌も途中でみんな通過する
関東では中央の戦国史とはまた別の世界観がある 謙信は基本越後が良ければほかはどうでもいいだからな
本当に関東が大事なら信長みたいに本拠地を移せばいいけど出来ないしする必要もない >>633
上杉謙信だけは別だな。前線で戦っても絶対に飛び道具には当たらない軍神だったからな
どんな無謀なことやっても本当に当たらないから面白い。
毘沙門天の化身と自ら思い込むぐらい当たらない >>632
しかし謙信が説得されて戻った後に記している、
越後はとにかく退屈で優秀な者が全く居ないが、懇願されたから仕方なく戻ってやる
みたいな書き方は、謙信の人となりが判るとともに、義の人と言われ続けている
謙信像が崩壊するのを目の当たりにする瞬間でもあるw まあ極端なこと言えば本家を越後に持って来たいと思っていたかもな
越後で東国政権立てるような >>636
偉くなればなるほど名誉欲で
そういう嘘八百の武勇伝を書かせるんだよ
それを後世のアホが真に受けるだけ
江戸時代まではわりそういうのを皮肉る風潮が残っていたが
時がたつとほんと研究者レベルで酔っちゃうから
まあこういうのは偉くなって残したもん勝ちだな
北の将軍様も後世ではすさまじい英雄と語られることだろう >>632
応仁の乱は色々考証し直しされてるね
継子説の首謀者である日野富子はそもそも足利義視を担いでた大内(しかも同じ東軍である細川の大敵)を支援してたんで自分の子供に将軍職を継がせることには拘ってなかった
または単純に細川と山名の単純な政争でとり、それぞれ義視、義尚を担ぐかが継子争いが原因にされたとか
個人的には後者かな。そもそもこいつらがあちこちのお家騒動に首突っ込んで始まった戦なんで ゲームに例えて戦闘平均80の8000人と戦闘平均40の20000人だと思えば
戦闘平均80の方が勝ちそうでしょ? 長尾氏って横浜栄の地名長尾のことだから
コテコテの相模武将で主領は上野国
越後とは隣だしまあ越後中心にやっていこうと思ってたとしてもおかしくない
むしろ無理して鎌倉に来ても荒廃してるだけだし 本能寺無かったらどんな日本作り上げてたんだろう
征夷大将軍に興味示さなかったから織田幕府開く気は無さそうだし 応仁の乱は当時の人間ですら何がなんだかわからんと書き記してるくらいなんでわかりやすく日野富子のせいにしとくかとされた部分があるのは否めんね >>639
上杉謙信が逝っちゃっていた人なのは、どうやら確かだよ
一人で最前線にやってきて酒飲んでいたり
それで弾が当たらないだろうとか・・・
家臣じゃなくて敵方がヤベえ奴と書き残しているから >>637
あれか、「不良が良い事するとイメージ上がる」理論か。
基本は良い人と思われてる人が、
たまに愚痴こぼしたり悪態付くとイメージが下がる
信玄は普段から同盟破棄したり、
約束破る人なので、まあそれはそれとて…
どちらも人間よの >>636
まぁ戦に限って言えば能力的なモノは異常では合ったと思う
当時の戦は大将は一番後ろに構えるのが常識で、大半の大名はそうしていたが
謙信の場合は自ら前線に突っ込んで戦いながら戦況を見て指示を出すという
ちょっと普通の人間には考えられない戦術を取っていて、これがまたハマりまくっていたという
そんなブッ飛んだ能力の持ち主だったからこそ、他者が凡人に見えたのも致し方ないことなのかもしれないw 楽市楽座は考え付いたことがすごいのではなく実行したのがすごいと思うけどな
寺という既得権益者の利権に関わる事なんだから
今の日本でいえば医学部獣医学部の新設基準を大幅に緩和してさらに電波オークションの導入と放送法におけるNHKとの契約義務の条項を撤廃して
教科書の近隣諸国条項を撤廃するってのをまとめてやるくらいのインパクト ヘタレ弱小尾張人を率いて接触が少なそうな鉄砲や超長槍とか色々考えたのが偉いわ
名古屋人はヘタレの子孫だからな ああ違うわ
鎌倉に行くといついも信玄が春日城を狙うからだ
安心して関東でゆっくり出来なかった
越後に縛られる理由は信玄
それで何度も戦って骨の髄まで憎んでた
そうだった >>647
パフォーマンス説は根強いね
最悪本当に出家してやれと思ってた部分もあると思う
信長並みに謀反起こされ過ぎ >>638
今でこそ米どころの印象あるが
越後は当時未開で豪族の独立心も強過ぎて
絶対関東の方がいいだろ >>627
農耕で培った強靭な足腰なんて当時はどこでもそうだろ
越後兵の強さは謙信の野戦指揮官としての卓越した能力によるだろ
野戦指揮官としては戦国最強かもね
二度も上洛して関東管領に就任する政治手腕
青苧や塩などの専売や港湾をおさえ日本海航路の掌握など経済重視の領国経営の手腕
かなりの優れたやつと思えるのだが、関東出兵にばかりこだわって結果的には戦略はダメって感じ >>654
だーね、あの二人は意外と気があったのかもしれない
結構最後の方まで同盟関係維持できてたのもそういう部分があったのかもな 太原雪斎のじいさん亡き後、天下に一番近いとかちゃんちゃらおかしいよね・・・ >>654
ちなみに主要な大名で言うと
最前線派:謙信・信長・元就・氏康
後方派:秀吉(大名時代)・家康・信玄
て感じで、やっぱ天才型と秀才型で綺麗に分かれるのかなって思った >>659
景勝の時代なんて酷かったからな
ずーーーっと北越後の反乱が抑えられない 織田信長って今の時代にいたら、ノブナガガー、全てノブナガのせい
とかめっちゃ言われそうなタイプだね 北条は名門北条の名を勝手に借りて
関東公方を脅して勝手に関東管領を名乗る
それに対して追われた主家をかくまって家督を正当に認められた謙信
本物が偽物ぶっつぶしてやる、と思っていたら
いつも周りで邪魔する信玄
武田さんはなんでこうも性格が悪いのか >>660
景勝時代は敵だらけというのもあったよね
同盟結んだ武田があっという間に追い詰められたから、
あとに残ったのは織田・北条・蘆名・関東国人衆・上越反乱軍という
四面楚歌も真っ青な状態になってしまった
実際信長の横死がもう少し遅ければ柴田滝川勢にやられて滅んでいたという >>663
そりゃ諏訪家滅ぼして姫を妾にするような外道だからな
謙信が最も嫌う人物だわ >>618
ノブナガは武田に土下座外交して侵略してこないようにしてたからな >>664
織田勢に春日山まで後少しのとこまで迫られてたからな
でも豊臣秀頼に臣従したのも北越後の反乱が抑えられないからだし、それで謙信より多い120万石まで行ったんだからどうなるから分からんもんだな >>656
信長「神仏なと信じぬ。アホか(でも神頼みはしちゃおっかなぁ)」
謙信「ワシは毘沙門天の化身(でも効率重視なのもわかるわ。パフォーマンスにしちゃえ)」
直接対峙しちゃうとあちこちズレるんだろうね >>668
いや信長はめちゃ信仰心厚い
熱田神宮だけど 謙信の行動原理は越後第一
関東の次は越後、信濃の次は越後、北陸の次は越後
越後の安全が保障されれば北条とも手を結ぶ >>655
【合戦解説】川中島の戦い(三次・四次) 武田軍vs上杉軍 北信濃の勢力争いで最大の激戦となった武田信玄と上杉謙信の因縁の決戦! Battle of Kawanakajima
https://www.youtube.com/watch?v=RJg2wfgH5Tc
今までと違う【新・川中島の戦い】戦国大死闘をアニメ解説【世界史の戦術戦略】
https://www.youtube.com/watch?v=WnMmYekB_fw
太平洋側の小田原城を見たけど、
日本海側の豪族が太平洋側の巨大な小田原城までたどり着くってすごいと思う。
すぐ川中島の戦いだ。よく気力が持つ。 >>671
配下はたまったもんじゃない
しかも論功行賞ないし ノブナガは本願寺にも長年苦戦してたし戦はうまくないよね
秀吉は城攻めの名人で多くの伝説を残してるけど 滝川一益も関東管領の任命を受けていたと言われるね
公方が弱体してたから乱発されたのだろうけど
その名の元に関東武将が6万人近くも集結
武田の旧領を巡って中山道に敵を求めて彷徨い続けた恐ろしい天正壬午の乱 >>7
紅葉パラダイスと琵琶湖タワーが無くなったのが悔やまれる 成り上がる為にはキリスト教に魂を売るゴミだならな。
信長本人はキリスト教を利用しようって魂胆だったかもしれないが、実際はキリスト教に媚びを売りまくっててダサ過ぎるんだよね。 >>673
秀吉の城攻めって信長の財力と理解があったからこそだからね。元々は信長の長島攻めから着想を得てるし
本願寺に関しては秀吉が囲んでても落とせなかったと思うよ。信長が直で囲んでたわけじゃなくポンコツ佐久間だしね >>673
本願寺が強いのととにかく裏切られまくるからだなw
信長は野戦は強いよ 謙信自身は越後の中では中央の育ちじゃないんだよな
栃尾という長岡の近くの土地でさらに北には揚北衆という
越後では剽悍で知られた者達のいる環境で育った
揚北衆はもはや外国人かタリバンみたいな連中。極めて凶暴 >>678
衣食足りて礼節を知るというが、両方とも足りてなかったからやむを得ない部分も
センゴク作者の宮下英樹なんかは面白い説を立てていて、地球規模の寒冷期による
食料不足が戦国時代を招いた的なことを書いていた
実際あの時代の戦は食糧の奪い合いが目的の一つだったし 信長も世襲でしょ
気性の荒い農民ならとっくに斬り殺されてたよ ソビエトロシア革命の時代に設定を「日本の戦国時代」にて黒魔術呪術と悪魔と契約したカールマルクス主義者なんかが黒の王になてたらしく、特にカトリックのイエズス会は「天使と悪魔」の悪魔付き側のコントロールでアジア植民地支配すぉやってましたね >>678
数年で肺をやって死ぬ事が確定してる鉱山奴隷を出稼ぎ感覚でさらってくる凶悪なヤクザはいない 信長の凄さはあんだけ負け戦があるのにほぼ天下統一したところ >>681
食糧の奪い合いはあまり起こらない
なぜなら食糧生産量はかなり増えてるから。
年貢の拒否と借金の帳消しみたいな
上から下まで私利私欲のために戦っているのだ >>689
退きの戦い方で学んでるからこそ、ある程度登り詰めれたのでは >>129
関が原のとき岐阜城守っていたのが
木造とかの雑魚武将だからなw
攻め手がその頃の武闘派イケイケ大名だしよ >>122
まあ砦から数えて細かく言えば6回は落城してるけどね
あまりにてっぺん過ぎて水不足だし >>575
大前提として古い時代の兵の強弱は逃げない兵=強兵ってのがあるそうな
戦場から逃げちゃうと村に居場所がなくなっちゃう訳だけど(一緒に従軍してる村民が村に広める)、豊かな国なら畑耕さなくても他に仕事がある→ヤバそうになったら躊躇なく逃げる=弱兵
貧しい国だと村に居場所がなくなると他に仕事がない→飢えて死ぬから逃げる訳にはいかない=強兵
こういう絡繰があるそうで経済的にだったり食い物的に豊かな濃尾や畿内の兵はあまり強くないってことになるそうな 信長は一見平定したように見えた尾張や美濃の辺りでも潜在的な敵勢力が大量にいたからね
実際、同盟者の家康は本能寺の変のとき僅かな家臣と堺から京に移動してたわけだけど、自領(三河国)への帰還ルートは伊賀越え+伊勢湾の海路で、美濃国は全く通っていない(尾張国は諸説あるが、知多半島の横断はしている。但し知多半島は母親於大の方の実家)
本能寺の変の2年後には小牧長久手の戦い(家康+信雄VS秀吉)なんてのも尾張や美濃を中心に行われているし、1600年の関ヶ原の戦いなんてのも美濃国内で起こってる
信長の時代の尾張・美濃なんて、面従腹背のようなのばかりで、カオスな状態だったのではないかと思います >>12
互いに陣を敷いてからの戦いじゃないんだから、奇襲は奇襲だろ > 戦国大名はゼロからのスタートです。
えっ?ゼロからのスタートなんて稀な例で、その稀が主流ではないんだけど >>16
金を作り出す能力が戦国武将の戦闘力の源
信長が織田信秀の子供の時代
熱田商人が古渡織田家を支え
津島商人が清州織田家を支えて
同族同士親戚同士親子同士兄弟同士争っていたのが尾張織田家 尾張で血みどろの身内ゲバゴタゴタが長引いたことや、
暗君扱いされてる斎藤龍興に
6年くらい足止めされてたこと、
今川、上杉、武田、浅井、朝倉、毛利、長宗我部など
広範囲を敵だらけな状況で苦労してたことなど
そのへんをしっかり見るべきだね。
義昭奉じて上洛1568
室町幕府滅亡1573
美濃攻略より短いw 斎藤龍興が病死しなければ
武田信玄が病死しなければ
上杉謙信が脳溢血でボックリ逝かなければ >>649
楽市楽座は他の大名もやっている
それに逆に座を保護することもあった
それは後の秀吉家康にも引き継がれ、
例えば「銀座」は銀貨を製造する「座」の権利をほごしたもの 織田信長は人の知恵をパクって上手くやるのが上手いよね
資本力が大きい会社みたいだな
後発で良さそうなら資本力で市場を占めてしまうみたいな 武田信玄が死んじゃったから天下獲れたんだよ
生きてたら信長包囲網は完成していた
信玄が強いとかじゃなく
あれを撃ち破るのは不可能だったね >681 >678
応仁の大乱の原因が、太平洋上での破局噴火から、
プチ氷河期での、グローバルテラ飢饉発生。
重税加速、インフレ化 スタグフレーション慢性的構造大不況に。
日本でも、打ちこわし、借金帳消し、徳政要求の土一揆など、
大暴動がパンデミック。
日本国内でも、
幕府軍動員で、武士などの、治安維持武力行使が頻発、
あげく、細川 山名ギガ大名同士のテラ内戦、応仁の大乱がぼっ発、>1戦国時代へ。 >>653
謙信の時は毎年のように
越山(関東略奪遠征)してたもんね。
今もこの言葉は通用するというw
まあ、雪国は冷害で実質石高はかなり少なく、
最上家が治めてた山形のように
懲罰転封地があちこちあったのも
雪国の厳しさを物語ってる。 信長こそ鳴くまで待とうホトトギスだと思うね
家康なんて天下欲しくてアホみたいに頂上決戦挑んでくるもの >>708
でも信玄か長生きしてても朝倉家康が無能だからどうなってたか >>706
良好な関係だから○○で良いだろう見たいなの → 同盟者の面子丸つぶれ(毛利や浅井に対して)
武田上杉みたいな強者に徹頭徹尾媚びへつらう → なめられて謀反される
不寛容なイメージ作りしていたの → 故意じゃないとはいえ謀反と受け取られちゃうから裏切っちゃえみたいなの(荒木村重)
使えない家臣なら追い出しちゃえみたいなの → ああもう「だめぽ」だから、遣っちまえ(明智光秀?) 桶狭間の頃には尾張統一してたし
石高で見たら織田と今川は5分なんだが >>649
考えたのも実行したのも
六角定頼が先だけどな 戦前までは信長はまったく人気がなかった
弱かったからだろ >>714
そもそも桶狭間奇襲論って、信長公記とかいうラノベしか言ってなくね?
世間的にはそのイメージだろうけど。 >>716
尾張統一かな?
桶狭間から5年後に達成だったから、してないね。 >>587
武田家の団結力は凄いな。
古参の家臣は長篠でも「お館様、某ももうひと働きしてから殿の元へ参ります」と討ち死するんだから。 桶狭間の戦いは、陣を張っての戦じゃないから奇襲なのは確かだろう
三河衆を砦攻略に送り出していて
桶狭間での兵力差はそこまでじゃないから十分に勝機があったから、極少数で大軍に勝ったと言うイメージとは違うらしいけど
各個撃破をやろうとしたわけだな
今川義元が討てるところまでは計算してなかっただろうけど(最近は今川義元が出てきていたのを知っていたのかの論争もある) >>693
木造は雑魚ちゃうよ
どっちかというと攻め手に元々岐阜城主だった池田がいたことがね
そりゃ攻め方も心得てるよな >>673
信長は戦争に関しては天才だよ
浅井朝倉を滅ぼした後ぐらいからは軍団を複数作って自身が指揮をすることがなくなっていったけど >>587
あれは両軍の主力が霧の中で行軍中に不意に出会った不規遭遇戦で、唐突に戦闘が開始されたため作戦も何もなくただ正面の敵を殴り合うしかなく、収拾がつかないまま損害だけが異常に積み上がった(両軍とも7〜8割とも)。
当然野戦では両将とも指揮能力を疑われる愚策。 >>721
田楽狭間の織田軍は、やる気のないのや体力のないのはふるい落とされた最精鋭の集まり
一方の今川軍は精鋭と言えるのは義元のまわりにひとにぎり
つまり、特殊部隊の集団が少数の護衛隊を蹴散らし、いたぞー玉取れと襲いかかったようなもの
局地的には圧倒的な戦力差があった、義元の戦死は不思議でもなんでもない >>121
毛利元就が正親町天皇の即位式を行うために、朝廷に寄付した金額が2000貫
この時、毛利元就は安芸、備後、石見、周防、長門の5ヶ国を支配する西国最大クラスの大名
特に石見銀山が巨額の資金源になった
対して尾張の守護代の分家である織田信秀は、
朝廷の内裏修理費に4000貫、伊勢神宮遷宮費用に700貫をポンと寄付している
経済力だけなら、西国一の大大名をしのぐ、
全国トップクラスのリッチな大名家の跡取りに生まれたのが織田信長
絶頂期の織田信秀は、稲葉山城に斉藤道三を攻めた時に2万人の大軍を動員したみたいだしね
ボロ負けしたけど >>726
信長は勝機を見る天才的な戦感があったみたいで度々部下を顧みずに真っ先に切り込んでいってるからね
親衛隊が慌てて信長の後を追っていって合流してわずかな兵でということが何度かあった >>724
天才ってナポレオンとかみたいなタイプかと勢力均衡図った怪物タレイラン敵に回しちゃう愚行
スペインとかゲリラ戦まで突入しちゃうやりすぎがたたったけど >>714
完全には統一できていないし、一部を今川軍占領されていたりしたから、
50万石の8割、40万石ぐらい?
まあ40万石プラス巨大な経済力だけど
今川義元は、駿河、遠江、三河の3ヶ国に、尾張の一部も足したとして、
ざっくり70万石ぐらいかな?
でも、遠征側だと動員兵力で不利になるね >>4
斉藤義龍が長生きしてたらどうなってたか解らんよな
ポンコツ龍興に変わったから美濃を切り崩せた
武田信玄といいやっぱ運も必要 今川がバカ殿みたいな扱いになってるけど、実際には結構有能だったらしいな はじめっから一国の太守だったら意外と国人と対立しまくったかも
一致団結されて逆に狩られちゃったかもな >>727
通商で儲けること
これが大事
堺や博多を抑えたものが強い。
だが、徳川時代にそれが否定されて以降
未だに日本人は
商売で利を挙げることを良しとしない。
利益なくして先はないのに。
コロナで苦しむバス会社に対しても
「減便すんな!氏ね!」
だもの。
こいつら大赤字でも運行しろってか?
儲け出してなんぼなんだよ。
儲けのない事業なんぞ
人員の無駄使い。 >>730
武力による簒奪で新興勢力だから尾張国内でも豪族たちは面従腹背だったんじゃないかね
半分以上はすぐ裏切るんじゃね
額面通り40万石の動員とはいかんでしょ >>720
武田家は国人が家臣化したのが多い連合組織だから団結力なんてない
甲州征伐であっという間に崩壊したのは勝頼のせいじゃないぞ 信長の父ちゃんが熱田と津の港の海運を押さえて織田家の中で抜きん出た存在になったんだよな
信長もその父を見て農業重視の普通の武士とはちょっと違う価値観を持ってたんだな
上洛してからもすぐ義昭の知行や副将軍就任を断って堺、大津を押さえてる。朝倉を執拗に滅ぼそうとしたのも日本海の流通が狙いだったみたいだし 戦国ゲームやり込んでる奴ならすぐわかるだろ
ラッキーな位置に産まれたんだよ奴は >>735
今川に内通してるのも多かったからギリギリまで戦の方針を口に出さずに信頼できる少数精鋭で義元とやり合ったという話もあるね やあ、おはよう、信長
(-_-;)y-~
京都競馬、予定通り開催。
開幕週いきなり道悪かぁ・・・ >>732
義元は政治家としては実に有能
江戸時代の制度の多くは今川家の家法を参考にして出来ている
家康も幼い頃は今川で育ったからね
後北条氏も今川氏の支援で関東に進出したし徳川の関東統治はそれに乗っかって遣っているし (-_-;)y-~
内通者のタチの悪いとこは、内通する仲間を増やすことやねん。
中学の俺の経験では。 義元はよくわからん。無能ではないと思うけど母ちゃんと先生が凄いんじゃないのあれ >>738
甲斐に生まれた信玄には絶望感しかねえよな
寒村が広がり訳分からない風土病が流行りオヤジは頭おかしいし
家臣団は独立心強く言うこと聞かないし
金が出るのが唯一の救い >>741
今川義元ってよりは
大原雪斉と今川氏親が優秀
>>730
一応、金はあるから
それなりに軍は揃えられたと思うが
どうかな? >>743
父ちゃんが凄い
家臣に伊勢時盛とか福島正成とか居たし >>743
雪斎有能すぎる
アイツいなければ義元は大名なれなかったし
武田北条と三国同盟とかどんな手使ったら結べるのか
信長の親父も蹴散らしてるしな >>162
お市もらったのって信長死んで天王山終わった後に開かれた清須会議の後じゃなかったっけ
映画でやってたから覚えてる でも浅井長政はお市を嫁にしたけどあんな末路だったからな そんなノブを殺したみっちゃんを殺した秀吉が1番凄い
下について一生懸命働きノブの死後その全てを手に入れのし上がり一気に天下人となり関白にまでなりやすやとっしーまで配下にしてるし
ノブの一族なんて最後は秀吉の配下の1人でしかないしな >>737
運輸業と情報産業だね今でいう
西に塩が無いと聞けば塩を運び
東に米が無いと聞けば米を運ぶ
情報ってモノの価値を1番理解していた戦国武将だよね
事実桶狭間で義元を討った時
首を取った者より義元の居場所を教えた者に1番褒賞を与えてるし >>747
義元が信長に負けなければ歴史は大きくかわってたな
それとも後継者に家康が指名される可能性もあったのかな 信忠という家督も譲ってた優秀な後継者も同時に失って、残った子孫がそれぞれ分相応に収まったから家が残ったとも言える
秀吉に張り合った信孝は殺されてるし、家康と張り合った秀吉の直系は絶えちゃったしね >>753
いやーヒデちゃんが1番のワルと見てるよ俺は >>752
始めに裏切ったの信長だけどなw
朝倉不戦の約定破ったから 信長は食べていたものから、かなり高血圧だったと思われる
おそらく明智光秀に殺されなくても数年以内に死んでいたはず >>757
そんなワルの秀吉の影響をうけて
家康もダークサイドに堕ちた 福島正成が花倉の乱で義元側についてそのまま家臣やってれば雪斎氏んでも息子の(北条)綱成が多分家臣になっているから桶狭間はノブ瞬殺じゃね?という信長の野望脳 >>758
でも嫁もらってるんやで?
遠国にも轟く器量良しのお市を
前妻の子供や長男までヤっておいて
もらった後妻だぜ?
そう簡単に裏切ってもらっちゃ困るよホントに 守護大名=日本の都道府県知事
戦国大名=アメリカの州知事
戦国大名化する前は
武田氏=県知事
毛利氏=町長
織田氏本家=副知事
信長の家=トヨタとTDLと空港がある村の村長 >>759
金箔の髑髏杯で酒飲んだりしてるからねぇ
生活習慣病にはなっていたかも >>717
天皇を武力で脅して香木切り取ったりしたから、人気無いのは当然
逆に天皇の忠臣は凄い評価されてたんだよ >>755
義元が信長に負けなかったifを実現するには雪斎和尚が必要だった >>747
北条早雲は元々今川の客分だったのを関東進出に今川が協力したと言われている
背景には室町幕府と堀越公方の対立があって将軍の意向でやっていたとか
北条氏が将軍家無視して北条を名乗って好き勝手やっていたみたいなイメージがあったけど違うというのが最近の研究
甲斐の武田氏も干されていたのを古河公方討伐のために使われたとか今川とは親戚関係を結んでいたし
その下地を利用して利害関係を調整しての同盟とか >>758
長政の爺ちゃんが朝倉軍に北近江から追い出されたとかいう史料が出て来て、浅井って朝倉に恩があったどころか恨みがあったんじゃね?みたいな話もあるらしい 今川は義元までは良いけど息子が蹴鞠が上手いだけどアホだからな >>766
明治政府に勤皇家認定されてなかったっけ信長って >>768
客分じゃなくて
筆頭家老じゃなかったっけかな?
一門扱いの >>770
面白いなあの人
駿河追い出されてから京都で蹴鞠の会開いて信長も呼ばれてたりとか
最終的に江戸幕府に高家として雇用されるけど天下人家康にもタメ口聞いてて家康もそれを許容してたとか >>771
織田家って平家の流れと聞いた
松平家は源氏の流れと聞いた
信長が天下統一して朝廷に官位を求めても
征夷大将軍の位はもらえなかっただろうと聞いた >>774
松平家は藤原じゃ?
幕府開くのに清和源氏とか言い出しただけのはず。 高家今川家は氏真の実績なんだから悪くはない
下手に1万石もらって遠国貧乏よりマシなんじゃね >>765
フロイスによると信長は酒はあまり飲んでなかった
金箔髑髏も信長公記だと杯にはしてない
酒をガブガブ飲んでたのは謙信 第二次信長包囲網のときに信玄攻めてきたけど
周り敵ばっかりで当時の信長は多くの援軍を出せなお状況で
信玄の体調悪化で武田が引き返さなかったら信長やばかった >>734
中国や韓国をバカにしてるくせに儒教倫理そのままに商業を蔑視してるのだから、反知性主義丸出しのバカウヨこそ売国奴そのもの。 >>773
実は家康的には今川家にいたのは居心地良かったんじゃね?なんて言われてまして。
隠居所を岡崎や清洲ではなく駿府にしてるのを
見ても お前らも俺が俺が私が私がと人を押しのけてのし上がりたいの?
そしてそれを織田信長から学びたい?
倫理的にも知識でも現代のお前らの方がよっぽど上なのに
人間の屑の織田信長から何かを学んで?
そんなノウハウを己に詰め込んだ者が
周りの日本人を不幸にしなけりゃいいけどさ。
それでも織田信長にうっとりしておきたいの?おきたい。あ、そう。 秀頼も織田や今川に倣って頭下げてりゃ助かったよな
なまじ大阪城さえなけりゃ 朱子学が商業軽視なんだよな
家康が朱子学を導入したから戦乱の気風はおさまって平和な時代が到来したけど、江戸時代の経済政策はどれも緊縮財政と農業重視のものばかりでそれじゃ失敗するよなって
田沼意次は例外だったけど異端過ぎて寄って集って潰されちゃったし >>758
不戦なんてデマどこで擦り込まれたんだ?
破ったのは攻撃時には事前通告をするという付則だ
だけど浅井は朝倉に密告する=裏切る気満々だったわけで >>778
いやいや高家だと経済的にキツイ。石高の割りに官位が糞高いから維持費が沢山必要になる。
吉良上野介みたいに、作法指導してお金もらわんと生活できないから浅野と金銭トラブル起こすわけ >>769
ソーテキ爺が美濃遠征に行く時、わざと小谷城に長期滞在して浅井を牽制したりしてる。 >>786
尾張の徳川宗春の金融緩和政策も潰されたしな >>784
時代を動かしたり、海外から評価されたりしたから憧れるのかなぁ
でも軍隊動かしたり、誰かを服従させたりは全く興味ないわ >>786
それでも上方の商人中心に貨幣経済が発達。西日本の大名はそれら上方商人相手にするための人材育成をやった。その人材が幕末に倒幕派の中心になった。 >>768
早雲はいろんな人と接点あったと言われてるからね
道灌は駿河のお家騒動で早雲と交渉してるし
謙信の父為景の乱にも協力してる
山内上杉と扇谷上杉の内紛に乗じて進出したけど
上杉勢の寡占状態を破ろうとしたニューフェイス達は
各地で協力意志を持っていた >>794
そりゃ伊勢氏だから親類辿れば将軍と直接繋がるよ (-_-;)y-~
平城って国境が離れてないと弱いねんなぁ。
だから、清州から離れた国境地帯に砦を作ることになる。
今川も同じく、駿府から離れた所に要塞作ったり、国境大名を手なずけたりいじめたり。
平城に本拠地置ける経済力とインフラを持ってるから、戦国大名なんやろな。 信長や秀吉では10倍の兵力があっても上杉謙信には勝てないだろうな 太田道灌も出自不明の上杉家家宰だ
戦乱になると累代家老以外の外部からの家老が出てくる
早雲も似たようなものだろう
代々の今川一門ではないけどどこかから来た抜擢者
元々家老職は特定の家が何種類かでまわしているものだから
それ以外が入ると出自不明
中途採用のようなもの
北条氏も古河公方もみんな末裔は小藩で残ってるよ 武家政権
平清盛 三重県松阪市 平安時代
源頼朝 愛知県名古屋市 鎌倉時代
足利一族 愛知県岡崎市 室町時代 ※仁木 細川 一色 吉良 今川など一族すべて
織田信長 愛知県愛西市 安土時代
豊臣秀吉 愛知県名古屋市 桃山時代
徳川家康 愛知県岡崎市 江戸時代
歴史のおもしろさだな >>780
それ言ったら三方ヶ原での家康も紙一重だったと思うよ。
あそこで死んでたら日本どうなっていたか。 >>330
大河の明智光秀では
あっという間に美濃攻略したみたいな演出だけど、
実質はそうじゃないんだな
つか当時のあの地政学的不利をよく覆したものだよ
そりゃー時間が掛かるよ
でもやはり天賦の才と強運の持ち主だったんだな 結局、今川家に嫁いだ北条早雲の妹がいた説はガセ?あの時代は一族で世代違いを兄姉弟妹と呼び合う時代だったからな。
諸葛瑾と諸葛亮の兄弟も実の兄弟ではなく、
単に一族の世代が違うだけだった可能性高い。
理由は親父の諱と同じものが瑾に使われているから >>299
記録と絵巻物すべてがデマであるという可能性もあるだろ! 金儲けが上手かったのと職業軍人だろ、金儲け上手いって事は柔軟な思考の持ち主だし、職業軍人制は戦争の時期を自分で選べるからな そもそもまず享徳の乱がわからないと
早雲進出の経緯は把握出来ないけど
関東の大乱享徳の乱がわかる人は?
関東武将は応仁の乱には参加してないのは
同時期に大乱やってたから
教科書は地方史はあまりやらないんだよな >>529
関東行って 強盗して帰っただけの無能な悪人だろwwww
関東管領名乗っておいて 上杉の所領である上野・武蔵を掌握できていない。
関東で10万の兵を集めたのは何のためか? どんな名目なのか?
関東管領、関東の大名上杉が 関東のトップである関東公方より上の立場の北条を名乗る賊・伊勢を討伐することだろう?
けっか落とせず逃げ帰り、北条の関東支配が進み、
上野・武蔵の上杉の支配力が完全になくなるわけだ。
越後で貧しくなり 部下の突き上げがひどくなると 関東管領の名前で
関東に押し入って強盗して帰ってくわけ。
ホンっと酷い悪党だよ。
義の人ってのは 「俺の所領認めてくれよ!」って泣き付かれて
その豪族の所領認めてやろう!って北信濃に侵略し続けたからで
泣き付いた豪族のメンツが立ち、侵略することにより 兵糧強奪でき越後の豪族の満足がえられたから
それらすべての大悪人たちが正当化するためのいいわけなんだよ。 >>1
領域が違うのに今の都道府県の地図に色塗って意味不明w 信長は禅宗や日蓮宗と仲良かった。当時の商工業者に多かったのはそれらの信者であり、連中をコントロールするなら坊主使うのが最適だった。信長の経済政策は宗教政策とリンクしてる。
また信長と敵対した本願寺や延暦寺は禅宗や日蓮宗とは仲が悪く内ゲバしていた。 >>529
土着して領地にしたわけじゃないからな。
謙信が信長みたいに川越あたりに定住していれば北条は滅亡していた可能性高い スペイン頼りの豊臣秀頼が大阪城に撃ち込まれた英国製大砲の威力で戦意喪失したみたいに織田信長に有力な外国人軍事顧問がいたんじゃない? 宣教師の船できた黒人奴隷を家来に使い、民衆から珍しがられたんだね >>811
まず上野と武蔵というのがな
では他の諸国は元々どこの所領なんだ?
鎌倉のある相模が違うわけはないし
初期の相模守護三浦氏を扇谷上杉が倒して以降は
そもそも関八州は全部上杉
集めたのはなぜかと言われても
関東王が舞い戻ったらある程度の者は迎えるだろう
その辺が決定的に食い違うよな
歴史知らないと おっと常陸は除く
あそこだけは鎌倉側にほとんど付かない >>799
???
早雲は備前伊勢氏の出
妹やら姉やらが氏親の母親なんだが?? >>822
家康が得川にひっかけて
源氏だと称した 北条上杉武田は3すくみで動けないから西側ガンガン攻めれた
産まれた位置が良かった
愛知県人が優秀なわけではない 石高が低いのを金山を発掘してカバーした武田信玄は凄かった
その金山が枯渇したとたん弱体化してしまった >>804
狙撃は無理があるのでは?
有効射程距離100m足らず、火縄の火が消えたら射撃不能になるし、火縄の点火も時間がかかる。そもそも命中精度がよろしくない。
威嚇だけならともかく、本気で暗殺考えるなら弓の方がマシな気がする。 >>811
上杉強盗説は実際の戦いがあった年と説が書かれた文献の年月日が食い違っているからいまは否定されてるよ >>821
お前は多分早雲流浪者説は間違いだということだけを言いたくて自慢したい奴なんだろう
どうすればいいんだ?えーっ知らなかったすっごーい、と言えばいいのか
誰でも知ってるから恥ずかしいぞ
そんなことを言ってるのではなくて
もう一度説明するが
家老職というのは決まった家の者が持ち回りでやる
それ以外の家が入ることは通常ない
国民国家じゃないんだから個人の氏族名なんかどうでもいい
早雲の父が今川家の家来でないのなら
現在でいう中途採用者と同じで出自不明
履歴書なんて不明だから説明書いてるだけで相手から見たら不明だろ 1571年の比叡山の焼き討ちが一番恐ろしそう
児童の首すらクリティカルヒットさせていたそうな >>459
ウルバン砲はあんまり効果なかったけどな
木に油しみこませてそのうえを船滑らせて
艦隊ごと山越えの執念こそメフメト2世と
オスマンのすごさだけど
コンスタンティノープル攻囲戦 今川義元が尾張に攻めてきたとき篭城してたら信長死んでたと思う
京都に近い比叡山を焼き討ちせず放置してたら信長死んでたと思う
武田が攻めてきたときに信玄の体調悪化なければ信長死んでたと思う
第三次長島侵攻で一揆軍が本隊の方に攻めてたら信長逃げてたと思う 模型も作れる秘湯、油山温泉♪
その昔、今川氏親の正室寿桂尼が遊山保養した歴史ある古湯。静岡の奥座敷と呼ぶにふさわしい閑静な環境で、遠い昔に思いを馳せながら悠久の時を感じてみたいものだ。
https://youtu.be/zKlwtzCfJfY >>828
いや、備前伊勢氏の出で
義視評定衆だった人を素浪人のように扱うのはどうなん?ってことなんだが?? >>718
信長公記は日記だよ、ラノベは小瀬甫庵の信長記な
奇襲や三段打ちはラノベの創作 >>833
素浪人ってどこに書いた?
何度も同じ事を言うな
早雲流浪者説は間違いだということだけを言いたくて自慢したいんだろ?
そんなことお前以外誰でも知ってるから
めんどくさいので相手しないだけ 封建制の仕組みを理解してない者がいる
代々の家臣でなければその者がどのような個人のデータベースを持っていようと
出自不明なんだよ
親とその親とそのまた親を知らない者など
根無し草と変わらない
後年調査した結果なんて誰が当時インターネットで見るんだよ
信頼出来る事実は親とその親とそのまた親が代々仕えていることだけ >>837
知ってるんなら
細川政元からの今川への下向依頼で今川に下向したことくらいも知っとこうなw 本能寺が無かったら天下統一は確実だったかな?
朝鮮出兵もやってただろうか? 第三次長島侵攻で一揆軍が別働隊の方を攻めるんだよな
別働隊には信長のために命がけで戦ってくれる信用できる親族たちがいて
実際にものすごいがんばって多くが討ち死にするけど勝つ
腹違いの兄 弟 叔父 叔父の子供 いとこ いとこ 遠い親戚の織田さん2人
身内がたくさん死んでこのあと信長は
柴田、丹羽、滝川、羽柴、明智の軍団を作ることになるけど
この第三次長島侵攻の多くの身内の死がなければ
軍団のメンバーは変わっていて明智が軍団をもてなくて
本能寺の変がなかったかもしれない >>738
今も昔も尾張名古屋は発展を約束されたような場所に位置してるな…
むしろ日本を発展させてきたと言うべきか というか事実素浪人だと思うけど
そうでなければなぜ父の家を継いでないんだ?
長男でないなら兄の配下になるはずだ
そうでない時点で事実浪人だろう
まさに浪人の定義そのものなのに
そもそも浪人って浮浪者のことじゃないぞ
ちゃんと武士としての身分が確立してる者 正直、尾張より三河の方が出自が怪しい武将が多いと思う。 >>840
唐入りからのシルクロードを通って
欧州討ち入りを敢行していたかも >>840
統一まではいけたろうな
ただ後の江戸幕府と比べると普代の力が高すぎなので信長の死後にやはり内輪揉めしたかもしれない >>846
シルクロード通ってとか、無理に決まってんだろ >>843
兄貴が居たから
新九郎自体は義視評定衆に
義視が権力失墜して細川政元から今川のお家騒動に介入依頼される
妹?姉と仲良かったのでその姉からも懇願されて小鹿倒すのに下向する
無事、氏親が今川家督継いで
その後見人が早雲
こんな流れだよ >>848
意外と石高低いみたいだよ
与力が居るから >>813
だから日蓮宗の本能寺は、天文法華の争いで派手にやらかして、寺なのに石垣と堀で武装したミニ城郭みたいになった。
ミニ城郭だったお陰で、織田信長が京都に行くと、本能寺を常宿にした。 信長が外征するとすれば南方のフィリピンじゃないか
明や朝鮮には興味なさそうな感じ >>846
オスマントルコ倒して
ウィーン包囲だな 謙信なんて戦で強くても戦略がないから川中島も支配できない天下人の器じゃない
信長の家臣も信長の方針と織田家の看板があるから実力以上に活躍できた
秀吉が上杉にいても活躍できなかっただろう 信長は、スペイン宣教師の操り人形だったという話がNHKBSでやってたな 嫁が居ない
なんか日立製作所の芥川賞直木賞盗ってない小説家の
大集合スレでっか >>829
それだけ狂信者って怖いものだと信長も思ったんだろう
今でも教祖がテロ犯罪で死刑になったにも関わらずオウム真理教は信者を増やしているらしいし >>763
織田家の権力簒奪や秀次事件や利休切腹考えてたらな
思えば中国大返しには関ヶ原や北条攻めには大坂の陣など
家康は秀吉のやったことをそのまま意趣返ししてる >>1
ゼロからのスタートじゃないだろ
信長の織田家は尾張の守護・斯波氏の守護代
その守護代の親族として台頭したのが信長の父親である信秀
信秀の時代に尾張での地盤を固めている一代での成り上がりなんかじゃねーよ >>840
光秀がやらなくても誰かが謀反して倒れていたと思う
信長は家臣を道具扱いし過ぎてるわりに謀反に無警戒すぎた 北川殿は今川義忠の正室と考えていいみたいだから
正室の兄弟なら素性が知れないとは言えないだろう
今川も伊勢氏も東軍で早雲の父親の盛定は伊勢本家当主の貞親の側近に近い立場だし >>861
じいちゃんの代から熱田辺り所領だったしな 今川義元再評価とかいうけどさ見くびって突撃したら返り討ちにあってむしろ結果としては信長の天下取りにアシストしたという印象しかない。
がっちり駿遠三を守っていれば信長は多分天下取れなかったんじゃないの? >>856
操っていたならもっと上手く立ち回れたんじゃない? >>862
身辺警護100人て
そこらのチンピラがのりこんで来るだけとか思ってたのかな
まさか1万人以上で攻めてくるなんて思ってないよな なぜ茶茶丸が伊豆に留まっていたかの理由がわからなくて
どうやって北条氏を把握出来るんだ? 本家乗っ取り、桶狭間、朝倉への超追撃戦、以外は別にたいしたことやってない >>852
しかも本能寺は種子島氏の菩提寺であり、その関係で火薬を取り扱うブローカーだったんだろ。 >>855
武田の家臣なら穴山梅雪レベル呼ばわりされてる秀吉さんだがどう思う >>869
その後を考えるなら
あの時、あのタイミングでしか無理なんじゃね?
後先考えない暗殺なら、なんとかなるかもしれないけど
一応光秀なりに後の事は考えていたんだろう >>870
茶々さんは
乱暴狼藉多かったから
将軍後継から外されたと思った >>869
明智軍団そのものが自身の親衛隊みたいなもんだと思ってたんだろ
それに裏切られれば「是非も無し」だわ >>863
家格としても幕府の執事である伊勢家なら、今川と釣り合う。北川殿は結局どっちなんだ?
早雲の姉なのか妹なのか >>862
京の警護係が光秀その人なんやで
なぜその辺がこういう話になってるかよくわからないけど
警護係を用心してそのまた警護付ける人はいないでしょ
そこは諦めるしかないところ
光秀は遠くから来て進行方向変えたんじゃなくて
元々一足で京に来れる亀山にいる人だった >>869
一応信忠が三千から五千の兵を率いていたと言われている
しかし本能寺の変をしり兵士は四散して二条城に入ったときは数百人になっていた >>873
武田は家門を大事にしてるから豪農であっても秀吉の出番はないし織田の家臣でなければ竹中半兵衛は手に入らなかった
>>871
京都にいながら秀吉に筑前守、明智に日向守を賜らせる信長の深謀遠慮がわからなければ信長は評価できないわな
燕雀いずくんぞ鴻鵠の志をしらんや >>861
信長自身が織田家の傍流の嫡男だから
一代でなり上がってる
信長のポジションを企業に例えると
社長兼CEOに2人の副社長
その副社長にそれぞれ3人の部長が居て
その部長(信秀)の1人の息子が信長
しかもその部長愛人に子供産ませていて
腹違いのアニキが信長には居た 明智光秀が近畿軍団長になったのは佐久間信盛を信長が追放したから。
佐久間信盛を追い出さなければ本能寺の変は起こらなかった。
信長の自業自得。 >>875
そもそもなんで伊豆に足利がいたのかというところ
そんな辺鄙なところに人生を押し込まれて
乱心してしまったわけだが >>817
>集めたのはなぜかと言われても
>関東王が舞い戻ったらある程度の者は迎えるだろう
つまり 越後を捨ててでも関東に居座らなきゃ 10万集めた名分が立たないんだよ。
だから 毎年追い返され北条の支配がつよまりそれが正当化される。
関東における上杉の立場が完全になくなったわけだ。
関東管領を名乗る大嘘付きの越後の強盗に成り下がったわけだ。 >>878
やっぱり姉か。妹なら少し歳の差あるからな。 中国史知ると日本の戦国時代もスケール小さく見えるな >>885
こないだの免許更新写真も此処も、姿勢が悪い以前にズレてる以前に
これ心臓疾患だな >>885
伊豆公坊って本来は
鎌倉公坊にしようとして
古河公坊に邪魔されたから
伊豆に留まって伊豆公坊になった家 >>882
信長本人の戦績の話をしてるのになにいってんだ文盲が
高野山に追放するぞハゲ >>869
徳川将軍が上洛するときはこの事件を警戒して、数万の武装軍団連れてくるのが当たり前になった。家光はわざわざ三十万連れてくる始末。 >>890
公方な
古河公方はなぜ鎌倉にいないのか
関東公方は一人なのになぜ追加を入れるのか
ということ スペインの思惑は、信長に資金援助して内乱を起こした後
スペイン軍で一気に日本を占領するんや
、
スペインと仲の悪いポルトガルが秀吉に警告してたな >>881
馬廻り衆だな。普段は妙覚寺に泊まるのになぜかこの時は本能寺だったんだと。そこから本能寺の変は近衛あたりが絡んでるんじゃないかなんて憶測出てくる。 >>893
それだけ本能寺の変のインパクトが強かったんだろうな
上洛の時は一部反乱が起きても鎮圧出来る戦力が心の担保になったんだろう >>861
守護の下の下の下くらい
尾張を統一する時点で下克上 >>894
古河の血筋を鎌倉公方から追いやろうとして、政知をその後釜に据えようと画策したのが失敗したのが堀越公方(伊豆公方) >>6
それ言ったら、生まれた年と家が良かったですべて片付言えてしまう
俺らだって、生まれた時代は信長よりはるかにいい時代だ >>855
謙信からしたら、関東との往来の要所である北信濃(野尻湖あたり)さえ確保できたらそれで良かったみたいです。このポイントは信玄が何度も押さえようとしたができなかった。 ちなみに箱根で堀越公方を阻止した勢力というのは非常に興味深い
古河公方は鎌倉に入れないから古河公方なんであって
相模を掌握できない
にも関わらず箱根の土豪は古河公方についていたんだな
箱根の土豪は野盗匪賊のような危険地帯で
当時は言わば無法地帯だったんだな
土地の者に嫌われると生きて通過することは出来ない
完全なアウトロー勢力だったわけだ >>883
しかしその企業とやらが 有限会社社員(家族)10名の企業ではなく、
TOYOTAだからな。
そしてその部長は 本社の部長で なおかつ最大基盤がある土地の子会社の社長を兼任してるんだよ。 >>883
既に信長の親である信秀時代に尾張での地盤は成立していて戦国大名化という意味では信秀の時代になされている
信長の一代で戦国大名化したわけではない >>888
中国は20万人を生き埋めにして殺してるんだもんなあ >>876
身内でも容赦なく切り捨てる割には
外様を信用しすぎじゃね?
いずれ、秀吉も光秀も切り捨てる予定だっただろうしもう少し用心しても良かったと思う
光秀の律儀な性格を舐めすぎていただけだと思うわ(こいつは裏切るような性格ではないと) >>903
古河の成氏の方が正統性あるからなぁ
そこは関東土着みたいなもんだから古河に着いたんだろうと >>883
津島とか抑えて朝廷にも献金して金持ちだって話なのに?信秀 >>895
しかも宣教師はロリコンだから童子童女を片っ端から本国へ輸出してるし >>900
そのきっかけというのを教科書では習わないんだろうな
古河公方は鎌倉で関東管領をぶっ殺して
それで鎌倉から古河に逃亡した
関東公方vs関東管領で巨大ないくさをやっていた >>898
秀吉も数千人は必ず連れていた。
あと家康は秀吉の晩年はいつもびくびくしていたらしい。護衛を連れてきてなかったから秀吉に粛清といわれたらヤバかった。関ヶ原前夜の騒動でやっと三千人くらいきただけ。 >>907
身内のが甘いでしょ
息子の件も
弟も1度は許してる >>906
捕虜取ると面倒だから。
だから手っ取り早く生き埋めにしたんだろ。
白起も項羽も。養う余裕がない。武器もたせたら反抗してくる可能性もあるんだし >>898
インパクトは凄いだろうよw本人も巻き込まれてんだからw >>876
それなら親衛隊長に対する仕打ちが酷すぎるw >>912
そもそもが関東の公方が幕府に反旗翻してたから
政知で抑えようとしたんでなかったかな >>913
秀吉だったら、自分の死後家康はまちがいなく豊臣に牙をむくと思っていたはずなのに最後まで家康になにもしなかったな。
不思議だわ。
家康以外に豊臣家に歯向かいそうな有力大名だれか心当たりあったのかな? >>909
津島商人は織田信賢を支援してた
熱田商人は織田信秀を支援してた
清州織田家と古渡織田家で対立してたんだよ
だから信長が生まれた頃は尾張は半国づつ分割された状態 >>871
ノッブのすごさは家臣以外からも有能な部下を引き立てるところ >>907
まあでも光秀の行動見るとどうみても長年牙を研いで計画していた謀反
ではなくてたまたま謀反できる状況ができあがってしまって
「魔が差した」
という風にしか見えない
人の心というのはホントブラックボックスだな
何であの人が、って人が突然自殺したり
信じられない犯罪を起こしたりするし >>853
ルソンをスペインが統治していてそこを足がかりに大陸を伝って次に朝鮮半島、その次に日本が攻められるという警戒心は信長も秀吉も共通だった。
結局、日本を守る為には地政学的に朝鮮半島から大陸へと攻めるしかないのは400年前も現代も変わらないので信長でも真っ先に攻めるは朝鮮半島。 >>895
大友などと接触した初期はそういう思惑あったかもしれんが後に宣教師自身が日本は城や兵士数や気象条件などから大軍の行軍は難しいので占領は無理だといってる
信長の時代は交易にシフトしてるよ >>879
毛利攻めやってた秀吉のアシストに行かせようとしてたわけで光秀は出払う予定だった
そのあと別の誰かが攻めてきたらノープランだったのかな 連戦連勝破竹の快進撃でのし上がったイメージだが実際は苦戦の連続で薄氷を踏む勝利を重ねて消耗しながら天下取り寸前まで行った >>907
織田一族には激甘だろ信長は。
信長は最終的には織田一門だけで政治やるみたいだったからな。蘭丸とかはその手足になる官僚であり欧州の絶対王政を目論んでいた。
秀吉は信長の息子を養子にしたり、毛利攻めの功績を信長に譲ろうとしたり生き残り必死だった。逆に光秀なんて近畿で一大勢力になって信長からしたらヤバい存在でしかなかっただろ >>919
ここの経緯はすごくドラマチックだ
まず対立時について
古河公方が立ち上がった時は
下野常陸下総上総安房の五カ国が公方側に付いた
一方それ以外は全て管領上杉家側
利根川挟んで真っ二つに対峙した
これが享徳の乱だ
この状態で30年間続いた
その間に応仁の乱も始まって終わって
関東はずっと内戦中だった >>921
どっちにしてもものすごい金持ちだったんじゃないの?
朝廷に献金したり伊勢神宮に献金したりしていた。 >>928
信長勝率78%だから
負け戦も多いよね >>920
むしろ豊臣家臣団の中から主家乗っ取りを恐れたんじゃない?
自分がそうだったから >>882
恨みは買わないことですな
恨んでいたろ
惟任日向だけでなく羽柴筑前も
信長の嫡男の嫡男なんて野垂れ死んだぞ >>920
それだけ家康の演技がうまかった。
そして他に粛清すべき相手が多すぎて家康をつぶす手段をとれなかった。
最後の最後はボケて何もできなかった。 >>882
そのことわざ今の若者には通じんだろうな
ルーキーズ読んでたら覚えてる奴もいるがそれももうおじさんだしな >>931
そこら辺を全て幕府色に変えたかったのよ >>934
息子の正室にはしてるからな
それで妥協してくれるとか思ったのかな? 一向一揆平定に”戦い”ではなく”殺し”をしたのは弱さの表れだなんてぬかす奴もいるが、
相手が”殺し”で来てるんだから”戦い”で応じても意味がない 今川義元はゲームや漫画だといつも麻呂にされてるけど本当にあんな感じだったのかな >>933
何回負けても生き残るのが信長。
一敗しただけで滅亡する勝頼とは比べ物にならんね >>939
いまの若者もふつうに三国志読んでるやつは多いだろ >>920
当の秀吉も織田家乗っ取りやってるから
そこは仕方がないと割りきっていたのでは?
それなら自分が保護した三法師のように秀頼も面倒みてくれるのではと期待したんだろ。
秀次を粛清した時点で秀吉にはそれしか選択肢がない。親友の利家とうまく合議してやってくれるのではと甘い目論見もあった。 >>920
秀頼は秀吉の子供じゃなくて乱交パーティーの結果という説もあるから
豊臣恩顧の大名はモチベーションダダ下がりだったんじゃないの?
家康排除しても騒動起きたと思うよ >>937
秀吉存命中は律儀もの(笑い)だったらしい
死後はいきなりオラオラになっちまったけどw 信雄が秀吉に懐柔されたせいで「豊臣方」とみなされて家康に滅ぼされた 琵琶湖周辺の広大な農地をみたら
なんであそこの信長のバトルが熱かったのか理解出来たわ、俺w
ビワイチした時になるほどねって思ったわ。 >>930
光秀は婿だから身内だろ
年下に長年こき使われてたから積年の恨みがあったんだろうが阿呆なことをした
>>933
ほぼホームから出ない大名と違い遠征しまくり面倒な僧兵民兵ゲリラ相手に戦ったのに
ホームから出たら謙信だって見方によれば北条に負けだろ
不敗神話にしたがる謙信ファンは認めないだろうが 親父の代で津島港(つしまみなと)手に入れたからだろ >>945
燕雀は、秦末の陳勝・呉広の乱での陳勝の言葉 >>882
武田四名臣の1人に数えられる春日虎綱は読み書き出来ない農民出身
かの山本勘助も名家でもない他国者だろう 秀吉って、やたら家康には気を使ってるじゃん
自分の母親を人質に差し出したり、千姫を秀頼の性質にしたり
戦で勝てなかったことはあったけど、謀略使えば滅ぼせたはずなのに本当に不思議
秀吉が生存中に家康を滅ぼした場合、どんな未来が待っているとおもったのだろうか? 日本人の信長美化は異常
そのみかえりに日本人を奴隷として貿易してた鬼畜やぞ
それを危惧した秀吉の親書も存在してるわけで
秀吉天下にはアンチキリストにもなってるあたり
信長と秀吉の師弟愛みたいなのはフィクション >>941
家康=秀康は自分の養子、千姫は息子の嫁、江は淀の妹、ほぼ身内同然だから豊臣家を助けてくれるはず
輝元=秀秋の養子断った、海から来られたら大阪城も危ない、かつては戦った敵
毛利のほいが危なく見えたんじゃない? 燕雀安くんぞって、史記だったか
ごめんなさいorz 日本人が偉人にするほぼすべては国賊
歴史はちゃんと教えろよ >>943
あれが当時の正装。京都の公家や将軍もあんな感じだった。だからといって義元は軟弱でもなんでもない桶狭間でも自分で刀取って乱闘やっており、織田も討ち取るのに手こずっている。
信長が義元の刀をわざわざ取ってそれに「義元討ち取ったよお」と刻印させるくらい >>893
mそんなことがあったのか
家光さんwww 関ヶ原一回勝っただけで天下獲った家康ってめっちゃコスパ良かったんだな >>940
だがまだ経緯がある
ではこの公方はなんで管領を誅殺したのかというと
そもそもこの公方は成人になるまで身分がわからなかった
信州あたりで隠れて生きていた
幕府と関東公方が対立したのはこの公方が幼少の頃で
その時に幕府vs関東公方でいくさになり
管領上杉氏は幕府側に付いた
そして公方を倒して一族皆殺しにしてしまった
その時偶然生きていたのが幼き日の古河公方だったが
そんなことは知らず二十年ほど関東公方は空位になった
そしてある日公方の忘れ形見を発見
再度関東公方に就いてしまったその時から
復讐の予感は誰もがしていたわけだった >>945
三國志読んで、そこから史記を読むのが定番。 >>960
理想の主君や上司に信長あげてるやつは頭がおかしい 信長がベンチャー企業作って一代で成り上がったって・・
未だにこんなアホな事書いてる本出してるんやな >>>966
子ども時代はずっと今川の人質
独立後も織田の舎弟で時には武田とも戦かった
その後も秀吉との政争
よく長生きしたと思うわ >>944
その辺は太閤様の信長と蒲生氏郷と戦ったらどっちに付く話で出てたな
氏郷は自分で先陣切って戦うから死ぬ可能性高いけど
信長公なら逃げて生存優先だからその場は負けても逃げ切って
あとで軍勢集めて反撃すると >>966
今川、織田、豊臣と常に当時最大勢力に付き従い
当主が死ぬと速攻裏切る
けれども律義者
世の中は結果が全てと教えられるな >>966
秀吉が作ってくれた基盤をまるごと貰っただけ
長生きだけが取り柄の男だからな〜 >>969
歴史上の権力者で
上司になってほしいの光武帝ぐらい
ダジャレは我慢するし >>959
所謂、金ヶ崎の退き口で、家康に助けてもらわなかったら、秀吉は戦死していたと思っているので、その恩に報いた説はおかしいと言うことね? >>964
まあそうなんだけどあんな扱いされてるの義元だけじゃん
あれじゃまるで一人だけ貴族かぶれしてた変人みたいやん >>967
関東は複雑怪奇だよね
両上杉、公方、佐竹等の有力処
多くて >>952
濃尾も近江も広大な農地の広がる大国
そこをいち早く入手した信長の勝ち
信玄がいくら強かろうが山猿に過ぎない >>965
デモンストレーション好きだったからな家光は。それで朝廷や西の大名威圧するつもりもあった。
乳母の春日局は権力とっても贅沢一切やらないドケチだったのと対照的 >>978
あれもよくわからんよな
秀吉が殿に名乗り出る ← わかる
家康が助ける ← わからん >>977
外国ださなくても日本には足利尊氏という理想の上司がいるだろ >>978
活躍したのは池田とからしいよ
その後滅んだから注目されないけど >>966
その前に秀吉との対決で小牧・長久手の戦いで戦術的な勝利を得ていたのが大きい
ここでは戦略的には秀吉が信雄を調略して秀吉が実利を得たが
小牧・長久手で家康が負けていたら、そのまま滅ぼされていただろうしな 織田信秀が津島熱田を抑えて信長は尾張統一はまだだったけど
四十万石くらいあったという話じゃん。
対する今川は駿遠三合わせて八十万石くらい
それなのに敵地に乗り込んで討ち死に。
本当に有能なのか?義元 >>959
自分のブサイクな妹(旭)も無理やり前夫と離縁させて家康に押し付けたからなぁ 「実力」と「暴力」を混同させる小泉洗脳か
暴力的な弱肉強食は最終的に独占になり、市場競争が停止し、発展しなくなる
市場競争を維持するには、財閥の解体、独禁法、労働法などのリベラルな政策が必要
まして過労殺人など言語道断 >>982
歴史好きなんか知らないが、本当かどうかもわからん文献や資料から個人の性格や行いまで決めつけて盛り上がれるなんて凄いな >>986
地震が無くても滅んだろうけどね
家康の運の良さは異常 >>988
ぶさいく言うなしw
ちょっと熟女の、でええやろ >>987
有能ゆえに慢心してしまう 事もあったかも? 知れないw 金ヶ崎の退き口が秀吉のすべてだと言う説もあるから。
秀吉と半兵衛の凝縮エッセンスが詰まっていると。 >>980
いつか大河ドラマにして欲しいと思ってる
この30年戦争の最期には太田道灌も出てくるから
少しはストーリーも作れるだろう >>957
王侯将相いずんぞ種あらんや
てのも陳勝の言葉だな
王や侯爵や将軍や宰相と言ったところで我らと同じ生まれて死ぬ人間ではないか
成り代わってくれる 信長って天才肌みたいに持ち上げられるけど実際は努力の人
ドラマとかの中みたいに若い頃も遊び呆けてなんかいないし >>994
ぶっちゃけ、信長も秀吉が生きて帰ってくるとは思ってなかっただろうな
あれは、さすがの信長でもかなり褒めたと思うわ このスレッドは1000を超えました。
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