【歴史】織田信長の快進撃…実力主義の戦国時代をいかにのし上がったか (幻冬舎) ★2 [首都圏の虎★]
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織田信長と豊臣秀吉が活躍…「安土・桃山時代」とは?
安土・桃山(あづち・ももやま)時代は織田信長(おだのぶなが)や豊臣秀吉(とよとみひでよし)が活躍した時代です。仏教勢力と戦った信長は、キリスト教を保護し、外国風の雄大な文化が栄えました。タバコやカステラが日本に伝わったのもこの頃だと考えられています。
本連載で解説するのは安土・桃山時代ですが、最初は室町(むろまち)時代の出来事から紹介します。
尾張(おわり)の大名(だいみょう)、織田信長が有名になったのは、1560年の桶狭間(おけはざま)の戦いです。天下統一に近いと言われていた今川義元(いまがわよしもと)が攻めてきます。
駿河(するが〔=静岡県〕)を支配していた今川氏の軍、その数2万人以上。数千人しかいない信長の軍は、今川軍が休んでいるすきに一気に攻め、今川義元を倒します。この戦いを聞いた人たちが、信長のもとに集まります。桶狭間の戦いが信長を有名にしたのです。
一代でのし上がったつわものたち、戦国大名
では、この頃に活躍した戦国大名(せんごくだいみょう)をささっと紹介していきましょう。
まず、「下克上(げこくじょう)」と言えば、戦国大名の北条早雲(ほうじょうそううん)や斎藤道三(さいとうどうさん)が有名です。守護大名(しゅごだいみょう)は、もともと守護として任命されていた中で力をつけて守護大名になっていきましたが、戦国大名はゼロからのスタートです。力だけでのし上がっていったのです。パワフルですね。
たとえるなら、守護大名が、大企業の子会社の社長から力をつけて独立して自分の会社にしたのに対して、戦国大名はベンチャー企業をつくって一代で成り上がったという感じです。
次に、中国地方を治めた毛利元就(もうりもとなり)を紹介しましょう。彼は石見銀山(いわみぎんざん)を支配下に持ち、活躍しました。
現在の大分県のあたりを治めていた大友宗麟(おおともそうりん/大友義鎮〔おおともよししげ〕)は、キリシタン大名として有名になります。キリシタン大名とは、キリスト教の信者である大名のこと。ザビエルが鹿児島に上陸したこともあり、九州地方に多くいました。
ライバル同士だったのが、甲斐(かい)の武田信玄(たけだしんげん)と越後(えちご)の上杉謙信(うえすぎけんしん)。武田信玄は「信玄家法(しんげんかほう)」とも呼ばれる分国法(ぶんこくほう)をつくり、騎馬隊(きばたい)を組織しました。領内に金山があって、騎馬隊を組織する経済力があったのでしょう。ライバルであった越後の上杉謙信と激しく争った「川中島(かわなかじま)の戦い」は有名です。結局は決着がつきませんでした。
戦いは主に春から秋にかけて行われました。冬は雪が降るから戦えません。なかなか進めないし、凍え死んでしまう可能性もあるからです。でも、春から秋に毎年戦うわけにはいきません。
なぜなら、農業をしなければならないから。戦いだけしていたら田畑は荒れ果て、生活できなくなってしまいます。当時は「半農半士(はんのうはんし)」と言って農業をしながら、戦いになれば兵隊になるという人たちが多くいたんですね。
全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/d6b3934f40d9f91a485ebd74bbf753ca5970b94f
https://amd.c.yimg.jp/amd/20201009-00029269-gonline-000-1-view.jpg
★1 2020/10/09(金) 15:35:37.84
前スレ
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1602225337/ なぜ茶茶丸が伊豆に留まっていたかの理由がわからなくて
どうやって北条氏を把握出来るんだ? 本家乗っ取り、桶狭間、朝倉への超追撃戦、以外は別にたいしたことやってない >>852
しかも本能寺は種子島氏の菩提寺であり、その関係で火薬を取り扱うブローカーだったんだろ。 >>855
武田の家臣なら穴山梅雪レベル呼ばわりされてる秀吉さんだがどう思う >>869
その後を考えるなら
あの時、あのタイミングでしか無理なんじゃね?
後先考えない暗殺なら、なんとかなるかもしれないけど
一応光秀なりに後の事は考えていたんだろう >>870
茶々さんは
乱暴狼藉多かったから
将軍後継から外されたと思った >>869
明智軍団そのものが自身の親衛隊みたいなもんだと思ってたんだろ
それに裏切られれば「是非も無し」だわ >>863
家格としても幕府の執事である伊勢家なら、今川と釣り合う。北川殿は結局どっちなんだ?
早雲の姉なのか妹なのか >>862
京の警護係が光秀その人なんやで
なぜその辺がこういう話になってるかよくわからないけど
警護係を用心してそのまた警護付ける人はいないでしょ
そこは諦めるしかないところ
光秀は遠くから来て進行方向変えたんじゃなくて
元々一足で京に来れる亀山にいる人だった >>869
一応信忠が三千から五千の兵を率いていたと言われている
しかし本能寺の変をしり兵士は四散して二条城に入ったときは数百人になっていた >>873
武田は家門を大事にしてるから豪農であっても秀吉の出番はないし織田の家臣でなければ竹中半兵衛は手に入らなかった
>>871
京都にいながら秀吉に筑前守、明智に日向守を賜らせる信長の深謀遠慮がわからなければ信長は評価できないわな
燕雀いずくんぞ鴻鵠の志をしらんや >>861
信長自身が織田家の傍流の嫡男だから
一代でなり上がってる
信長のポジションを企業に例えると
社長兼CEOに2人の副社長
その副社長にそれぞれ3人の部長が居て
その部長(信秀)の1人の息子が信長
しかもその部長愛人に子供産ませていて
腹違いのアニキが信長には居た 明智光秀が近畿軍団長になったのは佐久間信盛を信長が追放したから。
佐久間信盛を追い出さなければ本能寺の変は起こらなかった。
信長の自業自得。 >>875
そもそもなんで伊豆に足利がいたのかというところ
そんな辺鄙なところに人生を押し込まれて
乱心してしまったわけだが >>817
>集めたのはなぜかと言われても
>関東王が舞い戻ったらある程度の者は迎えるだろう
つまり 越後を捨ててでも関東に居座らなきゃ 10万集めた名分が立たないんだよ。
だから 毎年追い返され北条の支配がつよまりそれが正当化される。
関東における上杉の立場が完全になくなったわけだ。
関東管領を名乗る大嘘付きの越後の強盗に成り下がったわけだ。 >>878
やっぱり姉か。妹なら少し歳の差あるからな。 中国史知ると日本の戦国時代もスケール小さく見えるな >>885
こないだの免許更新写真も此処も、姿勢が悪い以前にズレてる以前に
これ心臓疾患だな >>885
伊豆公坊って本来は
鎌倉公坊にしようとして
古河公坊に邪魔されたから
伊豆に留まって伊豆公坊になった家 >>882
信長本人の戦績の話をしてるのになにいってんだ文盲が
高野山に追放するぞハゲ >>869
徳川将軍が上洛するときはこの事件を警戒して、数万の武装軍団連れてくるのが当たり前になった。家光はわざわざ三十万連れてくる始末。 >>890
公方な
古河公方はなぜ鎌倉にいないのか
関東公方は一人なのになぜ追加を入れるのか
ということ スペインの思惑は、信長に資金援助して内乱を起こした後
スペイン軍で一気に日本を占領するんや
、
スペインと仲の悪いポルトガルが秀吉に警告してたな >>881
馬廻り衆だな。普段は妙覚寺に泊まるのになぜかこの時は本能寺だったんだと。そこから本能寺の変は近衛あたりが絡んでるんじゃないかなんて憶測出てくる。 >>893
それだけ本能寺の変のインパクトが強かったんだろうな
上洛の時は一部反乱が起きても鎮圧出来る戦力が心の担保になったんだろう >>861
守護の下の下の下くらい
尾張を統一する時点で下克上 >>894
古河の血筋を鎌倉公方から追いやろうとして、政知をその後釜に据えようと画策したのが失敗したのが堀越公方(伊豆公方) >>6
それ言ったら、生まれた年と家が良かったですべて片付言えてしまう
俺らだって、生まれた時代は信長よりはるかにいい時代だ >>855
謙信からしたら、関東との往来の要所である北信濃(野尻湖あたり)さえ確保できたらそれで良かったみたいです。このポイントは信玄が何度も押さえようとしたができなかった。 ちなみに箱根で堀越公方を阻止した勢力というのは非常に興味深い
古河公方は鎌倉に入れないから古河公方なんであって
相模を掌握できない
にも関わらず箱根の土豪は古河公方についていたんだな
箱根の土豪は野盗匪賊のような危険地帯で
当時は言わば無法地帯だったんだな
土地の者に嫌われると生きて通過することは出来ない
完全なアウトロー勢力だったわけだ >>883
しかしその企業とやらが 有限会社社員(家族)10名の企業ではなく、
TOYOTAだからな。
そしてその部長は 本社の部長で なおかつ最大基盤がある土地の子会社の社長を兼任してるんだよ。 >>883
既に信長の親である信秀時代に尾張での地盤は成立していて戦国大名化という意味では信秀の時代になされている
信長の一代で戦国大名化したわけではない >>888
中国は20万人を生き埋めにして殺してるんだもんなあ >>876
身内でも容赦なく切り捨てる割には
外様を信用しすぎじゃね?
いずれ、秀吉も光秀も切り捨てる予定だっただろうしもう少し用心しても良かったと思う
光秀の律儀な性格を舐めすぎていただけだと思うわ(こいつは裏切るような性格ではないと) >>903
古河の成氏の方が正統性あるからなぁ
そこは関東土着みたいなもんだから古河に着いたんだろうと >>883
津島とか抑えて朝廷にも献金して金持ちだって話なのに?信秀 >>895
しかも宣教師はロリコンだから童子童女を片っ端から本国へ輸出してるし >>900
そのきっかけというのを教科書では習わないんだろうな
古河公方は鎌倉で関東管領をぶっ殺して
それで鎌倉から古河に逃亡した
関東公方vs関東管領で巨大ないくさをやっていた >>898
秀吉も数千人は必ず連れていた。
あと家康は秀吉の晩年はいつもびくびくしていたらしい。護衛を連れてきてなかったから秀吉に粛清といわれたらヤバかった。関ヶ原前夜の騒動でやっと三千人くらいきただけ。 >>907
身内のが甘いでしょ
息子の件も
弟も1度は許してる >>906
捕虜取ると面倒だから。
だから手っ取り早く生き埋めにしたんだろ。
白起も項羽も。養う余裕がない。武器もたせたら反抗してくる可能性もあるんだし >>898
インパクトは凄いだろうよw本人も巻き込まれてんだからw >>876
それなら親衛隊長に対する仕打ちが酷すぎるw >>912
そもそもが関東の公方が幕府に反旗翻してたから
政知で抑えようとしたんでなかったかな >>913
秀吉だったら、自分の死後家康はまちがいなく豊臣に牙をむくと思っていたはずなのに最後まで家康になにもしなかったな。
不思議だわ。
家康以外に豊臣家に歯向かいそうな有力大名だれか心当たりあったのかな? >>909
津島商人は織田信賢を支援してた
熱田商人は織田信秀を支援してた
清州織田家と古渡織田家で対立してたんだよ
だから信長が生まれた頃は尾張は半国づつ分割された状態 >>871
ノッブのすごさは家臣以外からも有能な部下を引き立てるところ >>907
まあでも光秀の行動見るとどうみても長年牙を研いで計画していた謀反
ではなくてたまたま謀反できる状況ができあがってしまって
「魔が差した」
という風にしか見えない
人の心というのはホントブラックボックスだな
何であの人が、って人が突然自殺したり
信じられない犯罪を起こしたりするし >>853
ルソンをスペインが統治していてそこを足がかりに大陸を伝って次に朝鮮半島、その次に日本が攻められるという警戒心は信長も秀吉も共通だった。
結局、日本を守る為には地政学的に朝鮮半島から大陸へと攻めるしかないのは400年前も現代も変わらないので信長でも真っ先に攻めるは朝鮮半島。 >>895
大友などと接触した初期はそういう思惑あったかもしれんが後に宣教師自身が日本は城や兵士数や気象条件などから大軍の行軍は難しいので占領は無理だといってる
信長の時代は交易にシフトしてるよ >>879
毛利攻めやってた秀吉のアシストに行かせようとしてたわけで光秀は出払う予定だった
そのあと別の誰かが攻めてきたらノープランだったのかな 連戦連勝破竹の快進撃でのし上がったイメージだが実際は苦戦の連続で薄氷を踏む勝利を重ねて消耗しながら天下取り寸前まで行った >>907
織田一族には激甘だろ信長は。
信長は最終的には織田一門だけで政治やるみたいだったからな。蘭丸とかはその手足になる官僚であり欧州の絶対王政を目論んでいた。
秀吉は信長の息子を養子にしたり、毛利攻めの功績を信長に譲ろうとしたり生き残り必死だった。逆に光秀なんて近畿で一大勢力になって信長からしたらヤバい存在でしかなかっただろ >>919
ここの経緯はすごくドラマチックだ
まず対立時について
古河公方が立ち上がった時は
下野常陸下総上総安房の五カ国が公方側に付いた
一方それ以外は全て管領上杉家側
利根川挟んで真っ二つに対峙した
これが享徳の乱だ
この状態で30年間続いた
その間に応仁の乱も始まって終わって
関東はずっと内戦中だった >>921
どっちにしてもものすごい金持ちだったんじゃないの?
朝廷に献金したり伊勢神宮に献金したりしていた。 >>928
信長勝率78%だから
負け戦も多いよね >>920
むしろ豊臣家臣団の中から主家乗っ取りを恐れたんじゃない?
自分がそうだったから >>882
恨みは買わないことですな
恨んでいたろ
惟任日向だけでなく羽柴筑前も
信長の嫡男の嫡男なんて野垂れ死んだぞ >>920
それだけ家康の演技がうまかった。
そして他に粛清すべき相手が多すぎて家康をつぶす手段をとれなかった。
最後の最後はボケて何もできなかった。 >>882
そのことわざ今の若者には通じんだろうな
ルーキーズ読んでたら覚えてる奴もいるがそれももうおじさんだしな >>931
そこら辺を全て幕府色に変えたかったのよ >>934
息子の正室にはしてるからな
それで妥協してくれるとか思ったのかな? 一向一揆平定に”戦い”ではなく”殺し”をしたのは弱さの表れだなんてぬかす奴もいるが、
相手が”殺し”で来てるんだから”戦い”で応じても意味がない 今川義元はゲームや漫画だといつも麻呂にされてるけど本当にあんな感じだったのかな >>933
何回負けても生き残るのが信長。
一敗しただけで滅亡する勝頼とは比べ物にならんね >>939
いまの若者もふつうに三国志読んでるやつは多いだろ >>920
当の秀吉も織田家乗っ取りやってるから
そこは仕方がないと割りきっていたのでは?
それなら自分が保護した三法師のように秀頼も面倒みてくれるのではと期待したんだろ。
秀次を粛清した時点で秀吉にはそれしか選択肢がない。親友の利家とうまく合議してやってくれるのではと甘い目論見もあった。 >>920
秀頼は秀吉の子供じゃなくて乱交パーティーの結果という説もあるから
豊臣恩顧の大名はモチベーションダダ下がりだったんじゃないの?
家康排除しても騒動起きたと思うよ >>937
秀吉存命中は律儀もの(笑い)だったらしい
死後はいきなりオラオラになっちまったけどw 信雄が秀吉に懐柔されたせいで「豊臣方」とみなされて家康に滅ぼされた 琵琶湖周辺の広大な農地をみたら
なんであそこの信長のバトルが熱かったのか理解出来たわ、俺w
ビワイチした時になるほどねって思ったわ。 >>930
光秀は婿だから身内だろ
年下に長年こき使われてたから積年の恨みがあったんだろうが阿呆なことをした
>>933
ほぼホームから出ない大名と違い遠征しまくり面倒な僧兵民兵ゲリラ相手に戦ったのに
ホームから出たら謙信だって見方によれば北条に負けだろ
不敗神話にしたがる謙信ファンは認めないだろうが 親父の代で津島港(つしまみなと)手に入れたからだろ >>945
燕雀は、秦末の陳勝・呉広の乱での陳勝の言葉 >>882
武田四名臣の1人に数えられる春日虎綱は読み書き出来ない農民出身
かの山本勘助も名家でもない他国者だろう 秀吉って、やたら家康には気を使ってるじゃん
自分の母親を人質に差し出したり、千姫を秀頼の性質にしたり
戦で勝てなかったことはあったけど、謀略使えば滅ぼせたはずなのに本当に不思議
秀吉が生存中に家康を滅ぼした場合、どんな未来が待っているとおもったのだろうか? 日本人の信長美化は異常
そのみかえりに日本人を奴隷として貿易してた鬼畜やぞ
それを危惧した秀吉の親書も存在してるわけで
秀吉天下にはアンチキリストにもなってるあたり
信長と秀吉の師弟愛みたいなのはフィクション >>941
家康=秀康は自分の養子、千姫は息子の嫁、江は淀の妹、ほぼ身内同然だから豊臣家を助けてくれるはず
輝元=秀秋の養子断った、海から来られたら大阪城も危ない、かつては戦った敵
毛利のほいが危なく見えたんじゃない? 燕雀安くんぞって、史記だったか
ごめんなさいorz 日本人が偉人にするほぼすべては国賊
歴史はちゃんと教えろよ >>943
あれが当時の正装。京都の公家や将軍もあんな感じだった。だからといって義元は軟弱でもなんでもない桶狭間でも自分で刀取って乱闘やっており、織田も討ち取るのに手こずっている。
信長が義元の刀をわざわざ取ってそれに「義元討ち取ったよお」と刻印させるくらい >>893
mそんなことがあったのか
家光さんwww 関ヶ原一回勝っただけで天下獲った家康ってめっちゃコスパ良かったんだな >>940
だがまだ経緯がある
ではこの公方はなんで管領を誅殺したのかというと
そもそもこの公方は成人になるまで身分がわからなかった
信州あたりで隠れて生きていた
幕府と関東公方が対立したのはこの公方が幼少の頃で
その時に幕府vs関東公方でいくさになり
管領上杉氏は幕府側に付いた
そして公方を倒して一族皆殺しにしてしまった
その時偶然生きていたのが幼き日の古河公方だったが
そんなことは知らず二十年ほど関東公方は空位になった
そしてある日公方の忘れ形見を発見
再度関東公方に就いてしまったその時から
復讐の予感は誰もがしていたわけだった >>945
三國志読んで、そこから史記を読むのが定番。 >>960
理想の主君や上司に信長あげてるやつは頭がおかしい レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。