【歴史】織田信長の快進撃…実力主義の戦国時代をいかにのし上がったか (幻冬舎) ★3 [どこさ★]
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織田信長と豊臣秀吉が活躍…「安土・桃山時代」とは?
安土・桃山(あづち・ももやま)時代は織田信長(おだのぶなが)や豊臣秀吉(とよとみひでよし)が活躍した時代です。仏教勢力と戦った信長は、キリスト教を保護し、外国風の雄大な文化が栄えました。タバコやカステラが日本に伝わったのもこの頃だと考えられています。
本連載で解説するのは安土・桃山時代ですが、最初は室町(むろまち)時代の出来事から紹介します。
尾張(おわり)の大名(だいみょう)、織田信長が有名になったのは、1560年の桶狭間(おけはざま)の戦いです。天下統一に近いと言われていた今川義元(いまがわよしもと)が攻めてきます。
駿河(するが〔=静岡県〕)を支配していた今川氏の軍、その数2万人以上。数千人しかいない信長の軍は、今川軍が休んでいるすきに一気に攻め、今川義元を倒します。この戦いを聞いた人たちが、信長のもとに集まります。桶狭間の戦いが信長を有名にしたのです。
一代でのし上がったつわものたち、戦国大名
では、この頃に活躍した戦国大名(せんごくだいみょう)をささっと紹介していきましょう。
まず、「下克上(げこくじょう)」と言えば、戦国大名の北条早雲(ほうじょうそううん)や斎藤道三(さいとうどうさん)が有名です。守護大名(しゅごだいみょう)は、もともと守護として任命されていた中で力をつけて守護大名になっていきましたが、戦国大名はゼロからのスタートです。力だけでのし上がっていったのです。パワフルですね。
たとえるなら、守護大名が、大企業の子会社の社長から力をつけて独立して自分の会社にしたのに対して、戦国大名はベンチャー企業をつくって一代で成り上がったという感じです。
次に、中国地方を治めた毛利元就(もうりもとなり)を紹介しましょう。彼は石見銀山(いわみぎんざん)を支配下に持ち、活躍しました。
現在の大分県のあたりを治めていた大友宗麟(おおともそうりん/大友義鎮〔おおともよししげ〕)は、キリシタン大名として有名になります。キリシタン大名とは、キリスト教の信者である大名のこと。ザビエルが鹿児島に上陸したこともあり、九州地方に多くいました。
ライバル同士だったのが、甲斐(かい)の武田信玄(たけだしんげん)と越後(えちご)の上杉謙信(うえすぎけんしん)。武田信玄は「信玄家法(しんげんかほう)」とも呼ばれる分国法(ぶんこくほう)をつくり、騎馬隊(きばたい)を組織しました。領内に金山があって、騎馬隊を組織する経済力があったのでしょう。ライバルであった越後の上杉謙信と激しく争った「川中島(かわなかじま)の戦い」は有名です。結局は決着がつきませんでした。
戦いは主に春から秋にかけて行われました。冬は雪が降るから戦えません。なかなか進めないし、凍え死んでしまう可能性もあるからです。でも、春から秋に毎年戦うわけにはいきません。
なぜなら、農業をしなければならないから。戦いだけしていたら田畑は荒れ果て、生活できなくなってしまいます。当時は「半農半士(はんのうはんし)」と言って農業をしながら、戦いになれば兵隊になるという人たちが多くいたんですね。
全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/d6b3934f40d9f91a485ebd74bbf753ca5970b94f
https://amd.c.yimg.jp/amd/20201009-00029269-gonline-000-1-view.jpg
★1 2020/10/09(金) 15:35:37.84
前スレ [首都圏の虎★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1602246269/ >>3
家名は保ってたみたいだから良かったんじゃないか? 秀吉の弟の秀長はもっと評価されていい。
逆に伊達政宗、長曾我部元親らは過大評価すぎる。 世継ぎとして生まれついた時点で元々相当に恵まれてる人だよな 織田信長の何が凄いかってね
本来なら無価値な茶器を買い集めて値を釣り上げる。それを家臣に褒美として与えてることで人をコントロールできたことかな。
鎌倉幕府は家臣に褒美を与えられなかったことから反乱が起きたことをよく解ってたんだよ 火病起こしてるチョッパリは大好物のチョッパリ伝統食のウンコの塊を食って落ち着け!, 尾張美濃だけで百万石で既にトップレベルだからな
そこまでのほうが大変で大国化したら後は消化試合って点では
信長の野望とかに近い >>8
でもお前みたいな無能じゃ世継ぎでも大成出来ないぞ? 金大好きな幻冬舎ならいかにも信長を取り上げそうだな
そして宣伝費0の5ちゃんでいかにも宣伝しそうだ >>8
恵まれてないだろ
兄弟で家督争ってるのに
恵まれてるのは今川義元みたいなやつ 織田の桶狭間攻撃部隊数と今川の動員力を比較してて不公平w >>9
ちなみに鎌倉幕府の滅亡の原因は、実のところよく分かってない。
昔は元寇が原因だと言われてたが、滅亡したのは元寇から50年後
代替わりしてるからそうとは言えない。
もっというと、元寇に参加した御家人は西日本で、鎌倉幕府滅亡に
加担した御家人は東日本が中心
最近では、貨幣経済への移行に幕府が耐え切れなかった
という説が主流 >>9
命賭けで戦って褒美が茶器とか無いわ
と思ってる家臣もいただろな 信長は
足利の家来の家来の分家の分家の小倅
桶狭間で勝ってから
尾張の統一まで結構な年月を要してた気がする
ましてや美濃の攻略なんて >>8
世継ぎって言うけどさ、たかだか尾張半国の成金だよ。守護代家当主でさえないんだからw
凡人なら親父が死んで18歳で家督継いだ時点で潰されてるよ。親戚から弟まで敵なんだから
その後どれだけ領土広げたと思ってんの。誰にでも出来る芸当じゃねえから >>15
今川義元も家督争いで勝利して勝ち取った地位じゃなかったっけ? >>15
今川義元って駿河遠江三河が領土だったが、尾張ほどには
耕作に適した平地がなくて(特に駿河)、石高はそんなに高くない
駿河に金山があったからそこの収入で傭兵を多く雇えていただけ 天下は朝倉殿持ち給え。我は二度と望みなし
っていうあの部分は信長像に合わないのかあまり語られないから知らん人間ほんと多いよな
当然俺が知ってるぐらいだから別にそんなマイナーな情報じゃないけどそれでもだわ
ずっと無双してないと駄目なんだろうな
なろうがあんな展開になりがちなのは需要の問題という話になる 信長の功績
・楽市楽座
・関所廃止
・おばけ槍の導入
・三弾撃ち(諸説あり)
・鉄船の開発
・和洋折衷の鎧
他にあるかね >>9
せこいだけじゃね?
お前ら、真似すんなよ
そのせこさ >>20
しかも換金したくても売るに売れないシロモノだしねwww
マジで織田軍団の武将たちはどうやって戦費を調達していたのか知りたいくらいだw >>20
家臣は茶器欲しいのに城もらってガッカリしてる
つまり茶器さえあれば城が買える 信長より、最近松永久秀に興味持ってきたな。
代々の領地も門閥もなく、才覚だけで成り上がってきた食えないおっさん。
死に方も城ごと爆死って派手だし。 >>31
弟の七光でないのか?最初は
無論本人の才覚もあったが >>27
ポルトガル人宣教師に布教の許可。
当時の日本語(中世日本語)の発音がほぼ完全にわかってるのは宣教師のおかげ
織田信長のおかげでポルトガル人が活動しやすくなったし
そのおかげで日本語辞典を作るぐらいにポルトガル人が増えた
それと当時の日本人は夫婦間であっても借金をする時は借用書を書いてた。
これ、宣教師が残さなかったら思いっきり忘れ去られた事実 >>29
秀吉なんかは上手い。堺の豪商とかに、自分の領地で商売やる権利を売る。
それでも足りないと、これから領地にする予定の敵地の権利を担保に借金する >>31
松永久秀は面白いよね。
六角義賢と畠山高政に挟み撃ちにされても大勝利した実質的立役者。
畠山軍の四千丁の鉄砲隊を無効化した戦術。
信長の家臣時代より三好長慶の家臣だった頃は特に面白い。 司馬さんの街道をゆくの1巻に、浅井朝倉連合軍に敗れた信長を松永久秀が道案内して京都に逃がす
話が出てたな >>34
いいね!そういう蘊蓄が知りたかった
知識のプレゼント有難うございます
さすが信さん >>23
まあ半農民からのし上がった秀吉以下なのは確定だね 信長というと、どうしても「らむーん」のハナマルキ君とかぶっちゃう >>37
松永弾正と言えば平蜘蛛の茶釜
今あれば国宝だったな >>34
山ノ内の妻が馬かってくれたのも実家の金だもんね
信長の家臣が馬買う金ないって諸国に広まったら困るから非常にありがたかった >>12
なにこのコンプレックスの塊みたいなチョンwwwww >>35
やっぱそういうパトロンがいないと無理だよねw 権謀術策の代名詞みたいな松永久秀だけど
文化の素養もあったとかね。
かなり複雑な経歴と性格だったのは間違いないね。 >>39
お前、北朝鮮の国民みたいな顔してそうだな
きもいぞw >>41
信長がいなきゃあそこまで行けないのが何で分らんのか。頭悪いなw >>31
美男子で、教養もあり有職故実、礼儀作法にも精通しておきながら、
策謀に長けた下剋上の典型。
信長が最後まで生かそうとした男。
傾奇者の典型でもあったのかもね。 400年前、当時の日本はド田舎ばっかり
道路は当然舗装されておらず、獣道ばかりなんやし
地方は未開のジャングルやもん >>15
尾張という肥沃な土地を領地に持つ大名の嫡男というだけでかなり恵まれてるわアホ >>49
信長がいなきゃ他の大名のとこで頭角現してるわボケ
天下人秀吉の方が遥かに格上なのがわからないとか知能低すぎる ,滋賀すげぇえええええ 完全に大阪超えキタぁあーーーー
【現代的新しい価値・文化の創造】
1.ゆるキャラ(ひこにゃん)
2.イナズマロックフェス (西日本最大)
3.オペラ
4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ、グランピング
5.ラッピング(路面)電車
【著名な観光地】
1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ
2.彦根城、安土城
3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所)
4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数)
5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者
【美味名物・食文化】
1.近江牛、鴨料理
2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司
3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭
4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒
5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン)
大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑)
. テヨンの国に日本のような城はあるのか、教えてマニアのっ人、 >>49
秀吉と光秀がいなきゃなにもできない無能が信長なんだよなあ
武田上杉には手も足も出ないし >>47
主君だった三好長慶もそうだが、三好の主要な武将は、
文化教養に長けてるのが多いね。 >>55
だったら松下家や今川家でさっさと頭角現せやw
引き上げてくれるボスがいなきゃどうにもならんのよ >>51
オフ車で走り回りたいな〜
信長さんの前でイキりたいわ
絶対ちこうよれとか言われるだろうけど >>天下統一に近いと言われていた今川義元
これは初耳w
当時天下統一なんて言葉はなかったんじゃないか? >>39
石川五右衛門の話もそんなに残ってなくて、実際は
石川五右衛門という犯罪者を河原で処刑した
ぐらいにしか伝わってない
その処刑方法はどうやら釜茹でのようだと
これも宣教師が残した記録と他の大名が残した記録を
総合してようやくわかった話
そんなかんじだから、ルイスフロイスの日本史は
戦国時代を知るうえで第一級の歴史資料になってる >>35
そもそも嫁が最大のパトロンだしなぁ・・・ やはり、将軍を擁立出来たのが、大きい。
腐っても、将軍。 >>57
韓国にテヨツパリの国の糞食い風習のようなのは無いぞ 信長にとっては、伊勢長島がほんとに鬼門だったなあ。
あれで、武将として使えた親族が軒並み死んで、畿内で藩屏になる親族が薄くなった。
おまけに数少ない譜代の佐久間を追放したことで、光秀が畿内の管領的な立場になり、
そこを本能寺で突かれた。
脇が甘かったよ。秀吉は自分から秀次を潰して、秀次に連なる豊臣の藩屏を全部殺したが。
家康はその辺をよく学んだね。 >>64
足利が没落したら今川が天下を治める約束なのは日本中が知ってた おまえら、想像力がないな
当時の東北や九州なんか今よりもド田舎なんやぞ
全部、グンマーみたいなもんや 信長がいなかったら秀吉も家康も天下人無理だったろう
家康なんか今川の一家臣として生涯閉じてた >>74
そういえば親戚だったっけ
たぶん親王派の彼が将軍になってたら徳川とはかなり違っただろうな 寡兵の時は強く大軍を率いると負けるところが曹操に似てる 秀吉はポルトガル人に木材を売り叩いてたろうな
全国の山奥の沢を開削させ水路にして木を切り出したせいで
洪水が増えたじゃねえか
大陸のような活字印刷技術もなかったから記録もしないでか 浅井は勿体ないことしたな
六角なんかに義理立てしなければ信長から徳川よりもいい扱いされたんじゃねえの あのまま信長が存命してたら天皇家が滅びてたかもしれないんだよね
それを止める為の明智の謀反だったというのが近年の定説 信長が織田家に生まれたのが運がいいなら、信長みたいな大将に巡り合って見出された秀吉も、めっちゃ運がいいやんけ。
何で秀吉だけが、全部実力たがら凄いみたいになんのw >>73
見事な死にっぷりだが?
晒し首にならなかったのだからね
さすが信さん 信長の正室の濃姫、斎藤道三の娘なんだけど
実は消息がよく分かってない。
斎藤道三の娘の濃姫が織田信長の正室になった。
という記録はあるんだが、それ以降の記録が全くない
だからその後離縁したのか死んだのかすら分かってない
時代劇なんかで、本能寺の変で信長と一緒に死ぬ話が
あったりするがあれは完全な創作。
本当かどうかよくわからないが戦時中の名古屋空襲で
どうも濃姫の資料も一緒に燃えたらしい >>89
チョンのおまえよりマシ^^
信長を褒めると都合わるいの? >>84
いやあ散々お世話になったから実際は無理でしょ
彼は将軍に対しても忍耐尽くしたし割りと上を立ててる
リアリストだし利用すると思う
次代とかなら分からんが >>74
今川義元の尾張侵攻は実は動機がよく分かってない
天下統一のためにしてはその為のプランが残されてない
実際のところは、尾張の一部を奪うだけの話だったようだ お前ら戦国時代の生き残りかよってくらい当時の事情に明るいな >>90
チョン>>>>>チョッパリ
だぞ?
お前馬鹿だから知らなかったのか? >>72
そういや江戸時代の大名の少なくない数が徳川家と血縁関係になったからな
大名どころか天皇家すら徳川家と血縁関係になったし >>9
利休の献策であって信長が思いついたもんじゃないけどな 信長が強かったのは工兵力のおかげだよな
墨俣一夜城とか、長篠の戦いは有名だろうが、土木技術高すぎ、野戦築城巧妙すぎ
その工兵部隊の長みたいな秀吉が天下取ったのもわかる ぶっちゃけ秀吉が居なかったら浅井朝倉の時点で死んでたよな信長なんて >>97
捨てがまりは見事すぎるつーか
ちょっとひくわ >>93
ほとんど美化したゲームの影響が大きいな
なんだかんだ言っても人殺しのヤクザの集団やし 尾張(名古屋周辺)と義元の三河遠州駿河(岡崎 浜松 静岡)
どう考えても尾張の圧倒じゃないか
しかも美濃切り取ったら美濃平野平定で関東平野除けば最大領土ゲット
京都への侵攻に何の障害もないという
地政学的に尾張って天下取るのに最強のラッキーじゃないか >>9
別に信長が始めた事やないぞ。
室町幕府足利将軍の唐物狂いは有名、目利きの役職まで作って品評しとる 信長を褒めるとイライラが絡んできて草
根切にあって死ねばいいのに
知識で絡んでこい 上杉謙信が死んでくれて助かったな
生きていたら終わってた 今の内閣を見ていたら、信長も大した事がないよ
他がヘタレなだけだろ >>95
秀吉は実力があるから見出されたのも分からない知恵遅れw 一言で言うと、港があって金・情報があったって事だよな
米と土地だけの古い価値観で動けなかった奴らとはそこが違う 畿内か畿内に近くないと話にならないから
そういう意味ではノブは恵まれてたよな。
九州や東北スタートなら地方覇権が精一杯。
戦国乱世収束期に
関東で地力つけて横から浚えた
家康は例外中の例外。 >>109
信長は改革者、革命者としては優秀だけどね
最強の戦国武将は無敗の上杉謙信だろうな >>119
新潟なんか今でも田んぼばっかりですけど
当時はどんなもんかな?
無敗と言ってもな〜 >>118
戦国大名が50歳前後で死んでいる中90歳だもんな
寿命が一番大事っていうのがわかる 生き残りは半分以上は運でしょ、家康だって敗走中殺されててもおかしくない 凄いのは爺ちゃんと父ちゃん
信長に引き継ぎが上手くいったのみ >>122
米パワーすごかったんだよ
戦国時代は知らんが江戸期や明治とか人口かなり多かった >>122
新潟が米どころになったのは明治以降
謙信の時代はあまり米はとれなかった 家康は薬作ってたし
あの時代に健康志向で長生きした
まさにあっぱれ! ■利権集団、日本学術会議を潰した男
現代の織田信長 >>122
ゴメン
米どころになったのは江戸時代以降 の誤りでした
謝罪します 自身の能力としては上にも書かれていたが改革者。
改革やるにしても
かくたる基盤がなけりゃすぐに終わる時代 やっぱね、海外との交易だよ
ちょうど海外ではスペインからオランダに世界の中心が変わる状況になっていて
いろいろな技術が交錯した時代だったんだよ
それにうまく乗れたというのも大きいんじゃないかな >>124
上杉謙信は実質無敗で
毘沙門天の化身・軍神と言われているぐらい
どんなに狙って打っても飛び道具に当たらなかった
運なのか神がかっているのか 長生き?は色々あるからな
その点でみるなら真田か島津か 朝倉と浅井のAAコンビに挟撃されても
命からがら逃げ切ったからな。
運がない人間ならそこでおしまいDeath
ノブはあれで総運の3割近くは消費しただろう。 実際に信長自身は戦場に出てたの?
偉くなれば遠くから指示するだけ? 尾張は豊かな国で織田と今川は言われているほどには実力差がなかった説
実際信長の親父は今川と何度も戦っていたんだろ >>122
ガトリング砲を日本で最初に導入した
新潟をディスるとか・・・おまえ勇気あるなw >>122
江戸時代までは 田んぼ≒国力 なんだが
どれだけの勢力の大名かを表す何万石って米の取れ高って知ってる?(笑) >>122
新潟当時から米取れてたら揚北衆が上越の連中に従うわけない 松本龍とかいう頭のおかしいゴキブリ部落民ヤクザが大臣やってた民主党政権は実力主義だったな。 >>131
それも考慮に入れると家康の戦下手ポイントは減るな。 戦国武将ってイメージより商人ってイメージの方が強い >>142
金はあったよ。信長の爺ちゃんと親父が経済観念あって、港抑えたりして銭貯めてたからな。
金持ちってのは、それはやっぱ凄い力だよね >>141
織田家まとめるのにかなり時間かかってるからな
その頃はよく自分ででて数で劣る戦いをしてた 家康は家臣から
ウンコ漏らしてるって面前で笑われるくらい
アットホームな家風を築いた
極めて先鋭的な武人だからな。 武田勝頼が織田に負けたのは周囲に雑魚敵がいなくて勢力を拡大できなかったから。
織田が天下を取れたのは近畿が室町幕府にあぐらをかいた雑魚敵ばかりだったから。室町幕府重臣達がまともだったら織田の統一は難しかった。 >>136
宗教戦争で独立したとはいえ世界の港、銀山はスペイン支配の中プロテスタントと組んで石見の銀山で世界の3分の1供給する家康さんの先見の明はすごいわ。 不細工が糞くだらない歴史を嬉々として語るスレですか? >>159
武田は信玄が悪い
周囲に喧嘩を売りつつ簡単に取れる三河すら取らないで反撃の余地を与えた >>15
知多半島の常滑焼を抑えてたから経済的にはかなり恵まれてるな >>141
上杉謙信と同じく前線に出ていた武将だぞ
信長が前に出ないと兵士はやる気がなくみんな逃げ出すからな
逆は武田信玄
今川義元が打ち取られてからは武田信玄のようなタイプになった
上杉謙信だけは絶対に戦闘ではしなないから前線に出ていたけど 金華山(稲葉山)に登って
岐阜城の天守から広大な濃尾平野を見下ろすと・・・
天下布武! って気分になれるよ!
マジオススメ >>153
その礎を築いたのが爺ちゃん
それを上手く下げないで信長に継したのが
父ちゃん←ここが最重要 >>167
爺ちゃん時代ってそんな権力あったんか?織田って確か守護代だったよな。信秀時代には下克上時代になって好きにできてたんだと思うけど。 銭パワーの尊さと恐ろしさを知る徳川は
参勤交代制度で各大名が
蓄財しにくい環境を整備。
薩長が外国勢力から投資され
倒幕に至るところまでは仕方ない。 >>1
やっぱり今までの常識を覆した事が勝因に繋がったんだろうな(´・ω・`) ノブは金はあったんだよ。だけど兵がすぐ逃げ出すから糞弱い
10倍の兵力があっても上杉謙信には勝てなかったろうね >>170
それと同時に後継を江戸に住まわせて、江戸を故郷にさせたってのもすごい。藩主と代々の土地とを精神面で切り離しに成功してる。 >>166
天気いいと名古屋港の船が見えるんだよな 信長の野望とかいうゲームは一生やらないと決めてる。
出身地である沖縄と北海道が出てこないから不愉快。
三国志は好き >>1
なんで武田信玄だけ甲斐と言いながら二県にまたがってるねん!? >>109 >>1
光秀は信長にたまたま気に入られただけ
実際に信長を大きくしたのは
木綿藤吉 米五郎左 懸かれ柴田に 退き佐久間の4人+ちょっと早めに死んだ攻め三左
(森蘭丸の父)
信長がまだ700人の家来しかいなかった時の早期の重臣は佐久間と森三佐と丹羽の3人だけだった
それから柴田が加わり秀吉が加わる
光秀はその子孫があまりにも美化しすぎで他を貶し過ぎ
司馬遼太郎付近からその美化は始まっている
そして攻めの三左や米五郎左の存在はなかった事になり
森と柴田が助けた前田利家の存在が光り輝くことになる
佐久間は光秀の妄言だと思うが追い出される
信長が最後に蘭丸や長可を重用したのは父の三左の活躍があったから
ついでに森三左衛門は元美濃の武将
しかし家来が極端に少なかった信長は早期に森三左衛門に頼ります
これが当たり少数の信長は次から次へと兵数を増やしていきます
初めの信長軍は少数精鋭で700人しか兵がいませんでした
信長も森三左衛門もほぼ前線で一兵卒と共に戦っていました
まあ信長前期を語るうえで森三左衛門は非常に重要な人物になります 天皇の勅令で助命された細川とか面白いな
今でも吉田神社はあるしその子孫が総理大臣になるし >>169
クククッ そこが肝www
銭を使ってコツコツと平定な >>178
ムズイけどeu4がおすすめ。琉球王国で世界統一も可能 >>163
武田は元々家臣のまとまりがなかったからそれをまとめた信玄は有能だったと思うぞ
勝頼の失敗は御館の乱かな両天秤したのはダメだったな 知らない史実と出会ったなら己の無知を認め
教えてくれた人に感謝すりゃいいものを・・・
いいスレだった
特に信さんとポルトガル人の功績を教えてくれた34に感謝
ねまーす! 戦国武将とヤクザの違いがよく分からないんだが
武器を大量に持ってるのが戦国武将で
縄張り争いが絶えないのがヤクザでOK? 現実の歴史上の織田信長は日本以外の海外に行ってないからな、基本井の中の蛇とか悪魔なんだよ >>116
随分バタ臭い絵やな
南蛮人の絵師に描かせたんだろ?
それ 武田信玄って名将扱いされているけどあちこちで裏切り行為をやっているんだよな
それで武田家の信用が無くなったのが滅亡の遠因だろう ライバルがいたのが盛り上がり要素だったんだろうな
信長も対決を避けてたし 戦国武将は賊やヤクザと変わらないよう。
だからこそ官位があるわけでね。
官位による威光で正当性を確保してたんだね。 この時代にさ
鉄砲を製造からメンテ、弾薬の製造まできっちりと運用できてたのって織田と島津くらいしかいなかったんじゃね?
鉄砲は買うことはできても弾薬の確保に苦労したとか >>107
じゃあ何で一度も天下を取れなかったんだい?
何故、名古屋人は田舎臭く、頭が悪い猿なのか?
「先祖代々骨の髄まで百姓、万年パシリの田吾作だからでつ(笑)」
尾張の歴史
◆平安時代◆
・藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)が尾張目代(遙任国司の代わりに地方官吏を監督)としてにらみを利かせる。
・熱田大宮司職を藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)に乗っ取られる。
・以後、荒廃していた熱田神宮は、藤姓熱田大宮司一族の血縁である源氏(鎌倉将軍家、足利将軍家)と結びつき発展する。
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子→源頼朝
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤季李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義兼
◆鎌倉時代◆
・三河国高橋庄の地頭職が支配する。尾張守護職を兼務。
・鎌倉幕府の尾張国の守護所が不明なのは、守護が尾張に住んでいなかった為。
◆室町時代◆
・斯波氏(本貫地:三河国碧海郡矢作、尾張守、尾張守護)、今川氏(本貫地:三河国碧海郡今川、尾張守護)、一色氏(本貫地:三河国碧海郡一色、尾張分郡守護、地頭職)が支配する。
◆江戸時代◆
・尾張の支配層は追放され、尾張徳川家が支配する。
・附家老は成瀬家(三河国加茂郡)、その他平岩家(三河国額田郡)、渡辺家(三河国額田郡)、中根家(三河国額田郡)、鈴木家(三河国加茂郡)。
◆現代◆
・トヨタグループのパシリとなる。 >>187
いえいえ…尾張に限ってはヤクザじゃ足りない。
www
それだけ共闘関係が強かった
名将居なかったからな 本能寺で倒れたけど・・・
本来そのあと、信長がするはずだった仕事は全部、秀吉がやったんだろうなあ
歴史の不思議か必然か? 暴れん坊将軍を見て戦国時代の馬はサラブレッドのイメージが強いけど、当時の資料を見たら限りなく現代のロバに近く、ガチで走ったら人間のほうが速かったから戦でも急ぎの時は馬を捨てて走っていたと聞いて一期に冷めました。 >>27
国内平定に乗り出したとこじゃない?
自国で手一杯か、そんな面倒臭いことしたくないとこばっかりだったでしょ
今川もやろうとしたけども >>27
実力結果重視
情報戦、情報通
ああ見えて尊皇派
子飼いの全てが大出世
カツアゲが上手い
楽市楽座は信長以外もやってた。 >>180
初めの信長は尾張のうつけと呼ばれて本当にバカにされていた
そのために兵も集まらなかった
そんな中で森親子が信長側についた
もし森三左衛門がいなければ柴田勝家に信長は殺されていただろう
弟との骨肉の争いはマジでやばい戦いだった
このことを信長はずーっと忘れなかった
だから最後で林という筆頭家老を追い出した
光秀に至っては途中から入ってきて美味しいところだけ取ったので最後はつらく当たっていた
森蘭丸を贔屓にしたのは森三左衛門に何度も命を助けられて桶狭間の戦いなどでも勝つ事ができたから 火薬原料のだ硝石が
当時はまだ国産化出来てなくて、輸入品だったからね
海外貿易のツテが無い勢力には鉄砲だけあっても宝の持ち腐れ >>163
三河の今川には臣従するが、武田ごときに臣従するかよ
しかも三河は、足利将軍家の本拠地にしてら日本一の軍事大国だぞ
室町幕府 三河国の日本支配構造
【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250〜300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数
・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏
三河国の奉公衆一覧(全52家)
【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和 >>203
戦国時代でも日本人は160cmとかのチビやし >>74
それは今川氏親が今川記で勝手に言ってるだけ
御一家(江戸幕府でいう御三家)は吉良、渋川、石橋の三つ、吉良の更に分家の今川なんて候補の端にも上がらんよ あれだけ強かったモンゴルの馬も小さい
山なら特に馬は小さいほうが強い
でかいと威張れるから人気はあった いつも木曽川を高速で渡るとき
寂しいオーラを感じるんだけど
あの近辺で戦あったかな? >>153
経済力だけでは、天下を取れないのは三河が証明しているだろ
いつも勝つのは三河の王
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 甲州征伐の時の信長書状のこの部分は鬼武蔵に対する愛情が感じられる
(天正10年)1582年3月1日付織田信長黒印状 河尻与兵衛秀隆宛
(徳川黎明会所蔵文書)
一、森勝三(長可)・梶原平八郎(景久)如言上、自此方も申聞候、猶以同篇之由曲事候、先度も如申聞、わかきものにて規模たてを仕、訴訟之種ニもと存事にて可有之候、
是も我々いまた無進發故候、城介堅申付候ハぬ事沙汰之限候、如此之段も信長發足候者、不可及異儀候、
右如申其内只今陣取、能々取堅、あとあと仕置以下相急候て、可相待候、 信長が本能寺の変で死なずに存命なら、九州攻めは秀吉だったんだろうか?
それとも信忠に丹羽長秀だったんだろうか? >>210
長身の信長でさえ160センチなんで平均は今のjkくらいでしょう >>99
配下の意見を取り入れて実行するかどうか、また、有効に用いれられるか、それが頭領の器量だろ。利休なんて利権にまみれて秀吉に斬られてる。 >>207
その人活躍は大きいし
うつけと言われていたししかも事実だが
先を見る力に惚れたのかもな
実力あれば登用じゃんじゃんしたし >>1
誰も見たことのない、ただの伝聞
信じたい奴が信じるだけの歴史に意味なんてないよ 木曽馬は割と大きいよw
良くイメージされる様ないわゆるポニーサイズじゃない
小型のサラブレッドくらいある >>217
本能寺は早まったと思うでw 九州シリーズになれば、また光秀に出世競争敗者復活戦があったかも知れん (-_-;)y-~
頭痛が痛い。先週の寝不足酷かったからなぁ。
うっとおしいわぁ、近所の老害ども。はよ、死ね。 >>224
無理無理
欧米がワンピースやってた頃に日本は内戦やってたんだぞ 信長健在のままなら、九州はもう大した戦も無く終わりそう
島津は早めに時勢を悟って帰順
手こずりそうな北条攻めでワンチャン あるか? あのまま信長が天下取ってたら日本の仏教は無くなってフィリピンみたいになってた説 >>203
戦時の実用に臆病なサラブレッドなんか全く使えないぞ、馬上射撃どころかラッパ吹いただけでパニック。
アラブ系、モンゴル系、ロバあたりが実践的、一部の騎兵は使っていたようだがね。
ゲームのチート技、上杉の突撃とか糞チートの三段撃ちの後に突撃とかねーぞw 大東亜戦争はそこに行きつかないのが1番よい
海軍力が逆転してから始まった戦争だからな
勝てる時に潰せないのが日本の弱さ
勝てると見るや一気にたたきつぶせるのが米国の強さ >>228
いや、北条は信長とは武田を潰した同盟仲間やで。猿だから抵抗しただけだわw (-_-;)y-~
藤森Sやなぁ、六世田上王、仁明天皇陵。
老害どもはこれみたい。
車のドアバン!立命館→「命」、ひと叩き。勝手にすればって感じやわ。
六世田上王、俺には関係ないし。 このスレの大東亜戦争というのは秀吉の朝鮮出兵のことだよね >>191
諏訪の出自である四男勝頼を偏愛し過ぎ家督を継がせたための家臣離反が原因だろう
本人の能力は高かっただろうが求心力がないところに援軍が出せず見殺しも重なり一気に瓦解していった
義信が存命でそのまま家督を継げていたならまた違った展開もあったかもしれない >>235
秀吉は満州国建国に近いこと考えてたかもね (-_-;)y-~
ほら、来たw
俺の影武者が血を流すw >>203
>ガチで走ったら人間のほうが速かったから
平気で嘘つくな、ゴミ
よく当時の日本の馬は小さかったとしたり顔で言う馬鹿が多いが、そりゃ現在のサラブレッドに比べれば小さいだろうけど、
でも現在残ってる木曽馬とかの日本馬と実際に対峙してみろ
普通の成人男子なら小さくて使えないなんて絶対言えない使役するのに充分な大きさの体躯があるわ 解説が大雑把過ぎるw
元就・信長・家康・秀吉・謙信・氏康
地域〜天下の覇者になった彼らの共通項は『既得権威がやや低かったこと』
足利に近すぎると元の身分を尊重せざるを得ず、能力に応じた抜擢がしづらい
大内・尼子・三好・武田・今川等、一時覇権を取りかけながらも沈んだ大名家は
その権威重視から能力重視の流れに乗り切れなかった大名たち >>232
同盟仲間() 甘いお方だ! (白い巨塔風に >>8
信長の家督相続時の掌握兵力800人ほどw
尾張国内の敵勢力、少なくとも信長より優勢な兵力を持つものが3群
尾張国外を見れば、東に当時天下に最も近いと言われた今川家が数万の
動員兵力で尾張を侵食しつつあり。
北にはマムシと恐れられた斎藤道三が2万弱で虎視眈々と尾張を狙い、さらに
婚姻で一応同盟していた斎藤道三が息子に討たれて完全な敵に。
これだけのムリゲーを攻略できるならしてみw
例えば「稲生の戦い」
これは信長方兵700、敵方旧父親の重臣(戦慣れしている)1700
の戦だ、普通これだけで首を取られる。
これは武田信玄が家督相続直後に兵700で、
馬場、内藤率いる1700の兵と戦をするようなものだ。 >>241
足利に近すぎるとか
家康は近すぎるどころの騒ぎじゃないだろうが
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 >>17
というか間違いでしょこれ
周防は大内の拠点で現在の山口県
毛利が周防を本拠地とするのは関ヶ原に破れた後の話
地図に指してる箇所はどう見ても安芸でしょう >>203
世界最大の版図を築いた騎馬民族、モンゴルの馬と同系統
だぞw
モンゴルの馬は使えなかったのか?www 三国志の曹操にも言えるが
平時のマネジメントにそつがない
兵力、兵站、装備、訓練、そしてなにより金
能力ある部下を集めそれを統率できる頭脳、カリスマ性
その能力を使い電撃的速さで戦するから強い
難を言えば調子に乗るとこあるから足元すくわれる 当時は半分農民みたいな兵隊だったのを正規兵みたいなの初めて?導入したみたいだね
ほかの家では稲刈りの時に攻めるとか無理だったとか
長い槍が有利だとみるや導入したり >>74
御連枝だしね
フィクションだと公家かぶれの馬鹿扱いされるけど、足利一門で最大の勢力になってたのが今川義元
それも順風満帆ってわけじゃなく、相続の時点で波高しをまとめ上げたんだから十二分に評価されるべき人物
信長が攻撃を仕掛けずに上洛を認めてたら足利幕府の歴史が変わってたレベルの存在だわな >>169
信長の織田家は織田弾正忠家って言って、尾張下四郡の守護代織田大和守家って言う家の分家兼、家臣の家
これが資本力をつけて徐々に織田グループの主導権を得た的な感じの理解で良いんじゃないかな
おまけになるけど織田の本家は尾張上四郡の守護代の織田伊勢守家って家であっちもこっちも織田さんで当時の尾張の情勢(尾張に限らないけど)はとてもややこしい >>248
高転びに転ぶと毎年言ってた坊主は5年以上もずっと外して恥ずかしかっただろうな >>243
ノッブは戦関連が本当にヤバイ
統治政策より戦術レベルの軍才が一番凄いと思う
本能寺まで何回起死回生の逆転直率でやってんの 足利幕府再興が1番流血が少ないシナリオだったかも知れないね!わからんけど
おもしろい 82うまれ で 美智子 って なまえ 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、古くさいの ? >>241
三好長慶は成り上がりだぞ
それこそ氏素性のわからない松永久秀を重臣にできるくらい
そんで天下人にもなってる >>250
義元の場合、本当に上洛目的だったのか疑わしい点はあるけどね
当時尾張は守護の斯波義統が殺されて家老格の織田一族によるお家騒動の真っ只中だったから
それに乗じて尾張全土を支配下に置こうとしたという可能性のほうが高いと思う >>100
それは本当
というか惚れない男は居ないって位美人だった >>52
その尾張野中は敵だらけだったって知ってる? >>241
時代の流れでしょ
最大版図を築いた当主が死ねばその後はボロボロなのは織田家だって豊臣家だって同じこと
それに織田にしろ豊臣にしろ権威は最大限に利用した
当時はそれほどまでに大義名分を必要とした 百姓から成りあがった秀吉の方が成り上がり度は高い
でもどっちも誰も人殺しまくりだから武将を尊敬したくない >>55
秀吉って今川家で目が出なくて信長のもとに
流れ着いたって知ってる? 熊本県民にとって西郷さんは神様のような存在だけど
愛知県民にとっての織田信長もそうなの? >>84
あのさあw
没落してた天皇家を復活させたのが信長だよw >>23
大勢力への抵抗と独立志向は日本の遺伝子だからな。
古代から中国が作ろうとしてきた国際秩序に抵抗して
時には戦争までやって、自国内で好き勝手やってる。
欧米が巨大な軍事力と経済でやってきても屈服するどころか
自分らが同等に軍国化して対抗して世界の白人優位の秩序を破壊するまでいった。
経済ですら欧米の大企業を凌駕して壊滅させる非白人のパイオニアとなった。 >>257
国力的に無理だと思う
籠城されたら今川の経済力じゃ落としきれない
今川は家中が脆弱だし三河衆だって完全に従ってるわけじゃない
長期の攻城戦に耐えきれる状態じゃないんだよ
軍事行動が目的なら鳴海城周辺を抑えることが主眼だと思う
それにしてはちょいと数が多すぎるから2万5千とも言われる兵隊の数が間違えてると思う 光秀ね……
まあ、光秀と共に安土の本丸が焼失したことは周知のことだが実はそこに貯えられてた莫大な金も同時に消えてるのよ
どうやら光秀が持ち出したようなのよね
光秀埋蔵金言うてね
今も何処かに埋まってるんだとか >>237
長男謀反、次男盲目、三男死去だから四男勝頼って普通の選択だと思うぞ。 戦国の兵士は半農半士だけじゃ足りないから子沢山な農民は最低限の子供(労働力)だけ確保して、あとの子らは傭兵として送り出してたらしいな
そして子供は戦場から略奪品を持って帰ってくる >>264
いや西郷さんはは鹿児島県だろ...
まぁ元を辿れば西郷さんは菊池氏の家系だけど
熊本で一番人気は加藤清正だな 信長公記でも「〇〇は働き悪くて追放されてたから、名誉挽回のために
頑張って戦った」みたいな記述がちょくちょく出てくるから
能力志向というか実力主義なところはあったんだろうな >>262
戦国時代は殺人が犯罪ではなかった時代なんだよ >>272
西南戦争で加藤清正が作った熊本城を落とせずに負けたって話だけど、近代武器を使用してて嘘くさい話だよな。おそらく西郷どんは勝海舟と同じくわざと負けたんだと思ってる。 何でそんな強い男の子孫があんな泣き虫のフィギュアスケートやねん >>270
今川との同盟を破棄しなければ良かっただけじゃね?
結果論だが、北信に手を出さずに中山道から上洛を目指した方が良かっただろうな
上杉相手に時間を無駄にしすぎた >>161
先祖がアホだから石見の銀も佐渡の金も掘り尽くしてしまいました
日本人、目先のことしか考えないのは江戸の頃から変わってない >>276
んなこたあない
1人殺したら犯罪者
100人殺したら英雄よ
今の時代と大差ない >>191
俺も武田は外交的な失敗が大きいと思う
幻冬舎の本によれば経済力が高いらしけど、貧乏国だったはずだから外に経済圏求めたのは仕方がないのかもしれんけども、
もうちょっと外交意識して北条と一緒に今川を立て直すとか長尾や上杉の不仲に手を突っ込むとか色々手はあったはずなんだけどな
名門甲斐源氏の血を利用すれば色々出来たはずなんだし
豪族だらけの信州で外交よりも武力が物をいった成功体験が根底にあったんだろうな 高橋是清のときに国内の金を放出する代わりに円安に誘導したんだっけ
なんかしらんがすごいね <愛知県代表>
柴田勝家 本多忠勝
織田信長
丹羽長秀 蜂須賀正勝
豊臣秀吉
池田輝政 榊原康政
前田利家 加藤清正
徳川家康
ベンチ 服部半蔵、前田慶次、山内一豊、浅野長政、福島正則、堀尾吉晴、池田恒興
大久保忠世、増田長盛、村井貞勝、前野長康、中村一氏、森蘭丸
監督:源頼朝 >>258
現代でも見た目だけで一目惚れしない男は多数いるんだから
戦国時代でもお市に惚れない男はいただろう <愛知県代表>
1左 豊臣秀吉
2中 前田利家
3二 柴田勝家
4三 織田信長
5一 本多忠勝
6右 加藤清正
7遊 蜂須賀正勝
8捕 徳川家康
9投 服部半蔵
ベンチ 丹羽長秀、榊原康政、前田慶次、山内一豊、浅野長政、福島正則、堀尾吉晴、森蘭丸
池田輝政、池田恒興、大久保忠世、増田長盛、村井貞勝、前野長康、中村一氏
監督 源頼朝 >>258
そんな美人なのか
信長は美男美女多いな >>268
あのさあw
今川家は駿河、遠江、三河を領有し、すでに尾張の一部も侵食していた。
北条、武田との同盟工作で、大掛かりな戦は10年ほどもしてない。
三河で織田と小競り合いをしていただけだ。
西に向かう準備を10年近く書けてしていたんだ。
軍資金も兵糧ほかの準備も万端。
対して信長は、直前まで終わり統一戦争を続けていた。
まさに尾張をかろうじてまとめ上げたばかり。
当然、平定出来たっていきなり備蓄が出来るわけじゃない。
というか、内戦で戦費も兵糧ほかの物資も枯渇してるだろ。
第一、併合したばかりの元敵がまともに戦力になると思うか?
だから戦力差が10倍なんだよ。
籠城したって備蓄の無い織田に対して、準備万端の今川に勝てるわけがない。
あと、戦力差は今川軍の行動を見れば一目瞭然。
差がないなら、軍団は一軍となって進むのが当たり前。 武家政権
平清盛 三重県松阪市 平安時代
源頼朝 愛知県名古屋市 鎌倉時代
足利一族 愛知県岡崎市 室町時代 ※仁木 細川 一色 吉良 今川など一族すべて
織田信長 愛知県愛西市 安土時代
豊臣秀吉 愛知県名古屋市 桃山時代
徳川家康 愛知県岡崎市 江戸時代 >>279
上杉相手に時間をかけたってのはその通りだな。
よくわからんのだけど、海に接してないって相当なハンデに思ったんじゃないか?上杉に塩を贈られるくらいだし。
最初は越後を狙ったけど泥沼化したから駿河を狙ったって感じかなと。 <愛知県代表(現代)>
司忍 六代目山口組組長 初代弘道会会長
名古屋市中村区宿跡町1-55(表面上の本家)
名古屋市昭和区妙見町10(本宅)
名古屋市西区城西5丁目6-13(愛人宅)
高山清司 六代目山口組若頭 二代目弘道会会長 三代目弘道会総裁
三重県桑名市長島町福吉691-170(本宅)
神戸市中央区熊内町9-2-29(神戸滞在先)
竹内照明 六代目山口組若頭補佐 三代目弘道会会長
名古屋市緑区乗鞍2-1304(表面上の本家)
名古屋市天白区焼山2-801-2(愛人宅・事実上の本宅)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
六代目山口組総本部 神戸市灘区篠原本町4-3-1
六代目山口組本家 名古屋市中村区宿跡町1-55
三代目弘道会本部 名古屋市中村区宿跡町1-117
三代目弘道会本家 名古屋市緑区乗鞍2-1304
三代目弘道会神戸事務所 神戸市中央区熊内町9-2-29
ヤクザのトップも名古屋 >>258
結婚した訳でも無い相手を好きだったって話がいまも残ってることがすごいわ
その子供を嫁にしとるがw 国は皇帝のもの、公地公民で官僚が国を支える中国式の
中央集権は、結局日本の実情に合わず、律令体制は形骸化した。
荘園とかボコボコ発生して私領のために命かける武士が発生してきたりと
日本的なものの根源は「私」だよな。
守護大名も言ってみれば派遣された官僚や、県知事クラスが独立して
政府の言うこと聞かなくなったり
地場勢力に乗っ取られるようなもんだからな。
各地方の勢力が強大化していくのが地方分権型が日本史だった。 しかし、ソース元の主な戦国大名で江戸時代まである程度の領地を持って存続した大名家は毛利と島津だけか...
しかも実質的に江戸幕府を倒したのも両藩
色々と感慨深いところがあるな >>258
現代でも美人女優を例に挙げるまでもなく「惚れない男はいない」なんて美人さんはいないと思うのに、
8頭身美人とか絶対いない戦国時代にそんな美人は絶対いない >>279
本当に安い結果論。長尾景虎の才能とか当時全然不明だし、小豪族乱立で侵しやすく豊かな信濃から行くのは常道。
そもそも武田晴信時代に上洛して何すんだよ。ただ甲斐を豊かにしたいだけなのにw >>293
上杉謙信と武田信玄には土下座の勢いでこびてたよな >>295
わけのわからないことを言い出したな
ボケたのか wikipediaに秀吉が竹田城あたりを10日間で18城を落城させたってこと書いてあるけどあれ本当なのかな
だとしたらマジ凄いわ >>279
東濃は非常に貧しい
土質が朝鮮半島と同じ花崗岩といえば理解しやすいと思う
現地での食料調達が基本だった当時だと大軍の補給を賄えない
天下人になった信長なら進行ルートに利用できるけど貧乏な武田が使えるルートじゃない
だから上洛時を狙った時も一度東海道に出たってこと <第4次川中島の戦い>
武田軍
旗本本隊(8000人)
総大将:武田信玄
武田信繁、武田義信、武田信廉、武田義勝(望月信頼)、穴山信君、飯富昌景、内藤昌豊
諸角虎定、跡部勝資、今福虎孝、浅利信種、山本菅助(勘助)、室賀信俊
妻女山別働隊(12000人)
春日虎綱(高坂昌信)、馬場信房、飯富虎昌、小山田信茂、甘利昌忠、真田幸隆
相木昌朝、芦田信守、小山田虎満(昌辰)、小幡憲重
上杉軍(13000人)
総大将:上杉政虎
柿崎景家、斎藤朝信、本庄実乃、色部勝長、五十公野治長、山吉豊守、安田長秀、長尾政景
加地春綱、中条藤資、村上義清、高梨政頼、北条高広、宇佐美定満、荒川長実、志田義時
小荷駄護衛:直江実綱
殿(しんがり):甘粕景持
死傷者…武田軍4000人(副将信繁などが討死) 上杉軍3000人
65%の寡兵(少ない兵力)で戦って、最後は挟み撃ちになったにも拘らず、
武田軍により多くの死傷者を出させた謙信軍の強さがわかる
しかも相手は全盛期の武田信玄とその全軍だ
両軍合わせて死傷者7000人という戦国史上最大の犠牲者を出した
・・・霧が出て敵味方がわからなくなったという説もある・・・ケンカなら越後兵最強 今川に桶狭間で勝つ奇跡
神仏を気にせず一向一揆を殺せる非情さ
楽市楽座など関を廃する民衆の為の経済政策
百姓を使わず、銭で兵を雇うので収穫に左右されない兵力
同時期の他の武将と比べると、ビジョンがしっかりしてる。 >>282
立地がかなりハードモードだからなあ
外交の失敗というけれど、四方を敵に囲まれてた状態で打開するのは並大抵じゃないよ
それでも織田徳川を一度は追い詰めたところは凄い
惜しむらくは信玄の寿命が盤石になるまでもたなかったことか 武田領を上杉謙信に取られなく助かったな
本当にギリギリで耐えてたもんな
上杉と武田領が合体してたら終わってた >>290
当時の物流を考えると海運がないのは厳しいだろうな。
ただでさえ鉄砲含めた技術革新が起きてた時期だし。 >>301
城って書いてるけど、その数ならお屋敷の周りをちょっと掘った程度のものだと思うぞ。
秀吉がうまかったのは鳥取城や清水が切腹した水攻めをした城とか。 >>304
日本史上唯一の革命家と評される人物だからな >>289
頼朝がパゴヤなわけ無いだろ
頼朝も三河
源頼朝は嫡男の正室に、曽祖父が開発した三河国の荘園の荘官をしていた足助重長の娘を選んだ
源頼朝の曽祖父は三河県豊田市民→三河県岡崎市民
源頼朝の祖父は三河県岡崎市民
源頼朝の嫡男の正室(辻殿)は三河県豊田市民
その嫡男の息子が鎌倉鶴岡八幡宮でやらかした公暁
・吾妻鏡では辻殿を妻、若狭局を愛妾としている
・源頼家(2代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁
・辻殿
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母親は源為朝の娘)→公暁 >>298
というより、北条や今川と戦う戦力も国力もない武田は信濃しか進出する国が無かっただけ。
そもそも越後との戦いも国力から言ったら武田は劣勢、五分に戦えたのなら信玄はかなり優秀なほう。 謙信最強の理由
一つ目は「兵質」
雪国で足腰体力もまれてずっと内乱内戦状態だった越後兵は強かった
二つ目は「装備」
上杉軍、武田軍、織田軍、北条軍の装備比較すると、
馬は北条が多い、鉄砲は織田が多い、手槍は謙信が他の2倍多い(一対一で殴り殺す)
3つ目に「軍神」
謙信の神がかった采配・用兵
感状だけで「謙信様のために死んでやろう!」っていう越後の家臣団や国民はクレイジー
家臣に知行与えなかったのに動員できたのは謙信くらいのもので
紙切れ一枚で死んでくれる
途中で引き上げたのは謙信が生理だったから、それで生理の日は毎月毘沙門堂に籠ってた
死因は婦人病の大虫
北条は謙信が戻るまで篭城・撤退するのが基本方針だった >>24
家督相続で家二分して兄弟で殺しあいしてたよね >>300
事実だよ。
守護大名っつーか地方勢力が独立性をつけていったから
戦国時代があるわけだよ。
さらに信長や家康といった覇者も
分家のそのまた分家や傍流レベルからバンバン成り上がってる 信長を”革命者”のイメージで決定付けたのは
国盗り物語(司馬遼太郎)の影響が強い って聞いたけど・・・
それ以前の信長は只の”破壊者””非常な乱暴者”イメージだったのかねえ? 武田信玄
「謙信は義者であり、頼られれば己の骨を散りばめても約束を違えぬ武将だ。
自分の死後は一筋に謙信を頼れ」
武田信玄の五女・菊姫は上杉景勝の正室になった >>315
明治期には天皇を助けた英雄みたいに教科書に出てたみたい 1572年10月、武田軍上洛開始。
1572年12月、三方が原の戦いで、武田軍が徳川軍に勝利。
1573年2月、足利義昭は信長に対し挙兵。
1573年4月、3年間死を公にするな、との遺言を残し武田信玄死亡。
あと10年なんだよ。10年だけ届かなかった >>286
村井貞勝をベンチにしてる次点で既に負けだよ。 こないだ明智光秀の子孫がテレビに主演してて
織田の子孫の前で申し訳なさそうにしてた >>302
武田信玄が徳川攻略に使ったのは飯田からの南下だよw
ほとんど道なき道の山中を突破して奇襲した。
家康は、東に備えて高天神城、掛川城等に集中していた。
中山道よりもありえない侵攻ルートだよw
だけど結果的にそれは勝頼の代で武田家を滅ぼすことになった。
兵站、補給線的に無理がありすぎたんだよ。 謙信の何がすごいか・・・全方位でケンカ売って勝ち続けたこと
戦国最大の激戦区だった関東甲信越で、長距離遠征を繰り返したにも関らず、
無事に越後とその周辺国を守り切った
相手は武田、北条、一向一揆、織田など戦国トップクラス
それでも晩年には100万石以上まで領土増やしてる >>318
なるほど〜! 時代時代に合わせて評価の仕方が有る ってことかあ >>315
江戸から戦前までは、信長人気は相撲でいうと小結にも届かないところ
まったく人気がない
戦後に見直されてきて
弱いけど意外とボンボン意外と改革してねって見直されるようになってきた 価値観の転換をはかったのが信長で秀吉はそれを踏襲しただけとも言える 謙信、内政家としても越後を大いに富ませることに成功した
青その独占!!日本海側の航路!!!関所や街道の整備!!関税など
商業だけで毎年10万石以上の安定した収入があった・・・これが軍資金
越後国内の関所で青苧の輸出関税として馬1頭が背負う量当たり20文、
青苧を運ぶ青苧船の入港税だけで年間4万貫(18億円)
信長の野望みたいな戦闘バカではない >>312
謙信は結構部下に反乱されてるけどな〜w
それ苦に引きこもったりしているw >>317
その言を信じて養子の景勝と結んてしまったのが失敗の元とも言える
まぁ信玄が死亡した時点で武田が生き残る道は無かったんだろうけど >>225
お前が嫌われて無視されるのは意味のない内容もさることながら (-。-)y-~ ← こんな感じの意味不明な気持ち悪い顔文字も一役買ってるな
つまり死ねよ 熱心な謙信ファンに言うのは申し訳ないけど、謙信って童貞だぜ? 謙信ってもともと僧侶(尼君かもしれんが…)
漢詩、和歌(古今伝授)、源氏物語、伊勢物語、書道(青蓮院流)、琵琶など
当時一流の知識を持った教養人だったんだよ
専門的な勉強してなかった信長・秀吉・家康・信玄・氏康・元就より頭よかった
都での連歌
むかしより さだめし四方に 立ちかえり 治めさかふる けさの初雪(景虎)
祈り恋
つらかりし 人こそあらめ 祈るとて 神にもつくす わかこころかな(弾正少弼) 快進撃とはいっても天下統一してないし、最後はあのザマだしなぁ 上杉謙信が軍神すぎる。自分は最前線で指揮を執り
情勢を分析し、すぐに対策を立て、どんどん変えていく
武田はこれで瀕死の重傷をつけてトラウマになったw 謙信、高野山金剛峯寺法印で無量光院住職の清胤を師とし、
護摩漢準頂(伝法潅頂)を受け法印大阿闍梨(法印大和尚位)
高野山の奥の院で一番立派な戦国武将の墓は上杉謙信の廟だよ 義将とか巷の評判で分かりにくいけど
謙信は言ってみりゃ官軍みたいな意識だったんじゃね。
政府軍、公務員っつーか。だから私戦の多かった戦国時代じゃ変な感じがあると。
初めて天皇に謁見した時は感動して泣きだして、義輝にも気に入られて
関東管領も喜んでたし。 >>302
当時の甲州の交通インフラは最悪の部類だからな中山道なんて整備してもあんな物だし
遠州にでると言ってもあの山間部じゃどうにもならん、武蔵への道路は甲州街道最難関だしな。 >>336
武田破ったのが大きかったな
武田領のほとんどが手に入ったじれで誰も逆らられないようになった
武田勝頼の無能さよ >>325
まぁ戦いだけはチートだったよね
小田原で北条を囲んでからそれを見越して川中島へ進出した信玄を
取って返して迎え撃ち、ヘロヘロなはずなのに妻女山から降りていって
信玄軍に突撃、信繁ら名だたる武将まで討ち取った
こんな大名は他におらんわな >>305
信玄が継いだ時点だと厳しいよな
信濃の統治は終わってない
これ終わらせても
北は当時最大級の国力を持ってる長尾
西は陸の壁で進めない
南は今川・北条連合
西は進めるけど旨みが少ない(精々が中津川朔って今の高崎辺りまでを取り込むしかメリットがない)
謙信が軍神扱いされるけど、国力考えると信濃から謙信の勢力追い出して徳川打ち破った信玄の方が軍神なのかもしれんな 足利義満=太政大臣→日本国王→鹿苑院太上法皇
織田信長=太政大臣(→日本国王)の予定だった
武家将軍は織田信忠、公家関白は近衛前久
天下人の織田信長は足利義満以来の開国者だったといっていい >>331
いや、あそこで景勝なんかと和を結ばなければ、武田家が滅ぶことはなかったよ。マジで。
その判断が痛恨のミスやね。 謙信の何がすごいかっていうと「常に敵地で戦ってること」
自軍にとって圧倒的不利な戦場で勝利する かっこよすぎ
しかも越後から他国への長距離遠征だぞ? ありえねー >>311
まず、信濃を取るのは簡単だった。
毎度毎度兵を連れて行きすぎなんだよ。
そのせいで長期戦が出来ない。
長野平野と越後の間は、11月に雪が降りだし、溶けるのはゴールデンウイーク
残ろ4月末だ。
つまり、12月〜3月までは上杉謙信は出てこれないんだよ。
兵を4000も持たせて、長野で越冬させれば、余裕で平定できる。 >>248
信長には初めはカリスマ性なんてなかった
父の一番優秀な家臣筆頭の林と一番強い家臣の柴田勝家を弟に取られている
だから信長は美濃森親子に頼るしかなかった
尾張とか美濃とか言ってはいられない状況
だから本当は稲生の戦いで殺したかった柴田と林をそのまま受け入れている
柴田受け入れには少々時間がかかるけど
その代わりに森三左衛門や佐久間などを重用した
また美濃の森を重用することで美濃の人材受け入れが加速した 謙信は例えば関東で味方する武将なんかにとっては、心細い事この上ない。戦は強いけど直轄地として
ガッツリ統治する気がないからw 越冬した事もあるけどだいたい越後に帰ったら、冬は助けに来れないし
帰順するなら北条辺りが一番心強いが、小田原から離れた北関東辺りだと、武田上杉の三つ巴なので非常に迷うところw <各武将の戦の生涯データ>
上杉謙信 70戦45勝1敗19分
武田信玄 49戦33勝11敗3分
織田信長 23戦11勝9敗0分
1敗は臼井城の戦いだけど、
上杉軍を率いてたのは謙信の家臣・長尾顕長・・・謙信不在
つまり「生涯無敗」と言っていい 半分近い戦力で最強武田軍を一方的にボコって
副将クラスの将軍とか殺しまくったからな >>324
奇襲が成功すれば通れるルートだべ
後方から食い物送る訳じゃないから入り込めばなんとかなるルート
中山道進むと岐阜城が立ち塞がるから嫌でも長期戦になる
そうなるとどうやっても補給が続かない >>351
でも引き分け多くない?白落とせなかったら引き分けにしてるの多すぎる
北条戦とか劣勢だった時結構あるし >>68
バーカ
秀吉や家康を抑圧できた人間など
当時でもほとんどおらんかったわ >>295
国が派遣した官僚や県知事を例えるなら守護じゃなくて国司じゃない?
守護は元々は鎌倉幕府の御家人で北条一門
室町時代に足利一門に代わったけれど
国の派遣した官僚や、県知事とは性質の違う最初から軍事勢力だよ 信長の凄いところは、出自関係なく、そいつの長所を的確に見抜き、その長所をめちゃくちゃ鍛えさせたというマネジメント力だろ。
出自のわからん秀吉とか山賊上がりの蜂須賀とか、足軽の三男坊の利家とかを重用できたのも、古参の家臣団が離反してたからだろうけど、見込んだ若衆がものすごく頑張ったから体制が出来上がっていった。
それを見てた秀吉も、賤ケ岳の7本槍の若衆をしっかり育て、柴田にも勝っちまった。運も強いけど、真剣さが全く違うのが織田家の面々だな >>350
まぁ春に暴れて夏に引き上げ、秋の刈入れが終わり冬になったら
一斉に反旗を翻すのが関東の日常だったからなw
上杉の失敗は関東に自分らの息のかかった人間を置かなかったことだろうね
まぁ長尾家自体が内輪もめ大好きだから信用できる連中皆無だったというのもあるだろうが >>270
長男謀反というが実際に謀反した訳では無い
これも四男勝頼に家督を継がせたいがための晴信の策謀という説もある >>326
江戸期は忠臣楠正成は無かった事になってる >>171
平民秀吉採用、
光秀への封土名田中断、
家臣リストラ
今川発案の楽市楽座の採用
政教分離 延暦寺焼き討ち
アンティーク茶碗の投資・証券化
間違い無く世界レベルの政治家だった 岩村あたりは充分に補給もできたと思うけどな。
かなり肥沃な土地だし。 >>354
常勝無敗だった上杉謙信の戦争目的な
相手への自分への恐怖としてのトラウマを受け付けることだからな >>357
実力主義、成果主義が行きすぎて本能寺の変が起きるわけだが。
行きすぎた成果主義で疲弊してる日本企業に似てるな >>7
政宗のスペイン同盟は
過小評価
>>8
信秀は分家だったろ
本家筋を暗殺して
ムリクリ本家になったんだろ、信長 >>9
アンティーク投資
知事職の債権化
文化人の地位向上
特に権限の債権化は
今にも通じる妙案 >>347
いささか想い入れが強すぎない?
謙信は関東方面への進出には完全に失敗。
北信濃を巡る戦いも、村上義清の旧領を取り戻せなかったのだから失敗。
晩年に行った能登・越中への進出には成功。
とまぁ、その程度じゃね? >>367
まぁ信盛の追放はやりすぎだったよね
たしかに能力はやや劣っていたかもしれないけど、
書類上の事績を見る限りそこまで落ち度があったとは思えない
実際石山なんて信盛じゃなくても落とせなかったろうし >>357
蜂須賀小六 大好きなんですけど・・・ 山賊上がり扱いはちょっとw
大河の主役でも1年楽しめそうな逸材だと思うんだけどなあ
蜂須賀小六正勝 プロレスラー枠にしておくのは勿体ない! >>354
しかも上杉は兵力いつも少数
上杉謙信は兵力が武田よりも半分だったけど武田軍崩壊寸前まで追い込んだ
武田信玄が上杉謙信は恐ろしいと一生のトラウマを植えつけられた瞬間 >>325
>>343
正確には、勝ち続けれたというより
勝敗を見分ける能力に長けていて、負けそうな戦いは極力避けたってことだと思う
実際に、勝ち切れず、目的を達成出来ていない場合が多いからね
無駄な勝利を積み重ねてる
信長は負けまくってるけど、何度も繰り返して目的達成にこぎつけている >>367
長所は見抜けたが、人情は見抜けなかったのだろう。
特に明智に対しては、朝倉攻めの時に殿させたり、めっちゃパワハラちっくに
使い捨てしちまったから、足利義昭追放でプッツン来ちゃったんだろうよ 謙信はそもそも他の戦国武将と生き方が違うからなあ。常識での成功、失敗であって、本人は全然
悔いないと思うわ。勿論失敗とも思ってないねw 謙信上げが多いけど
結局天下統一には程遠かったし、子孫(上杉家)も江戸時代のまともな大名としては残ってないからな 上杉氏は欧州でいうハプスブルグの家臣クーデンホーフ家みたいなもんだからな
戦国時代で凋落してたけど
それを随一の戦国大名が継いだとなれば
十分威光がある >>374
謙信は戦争の天才
それに加えて自分自身を軍神毘沙門天の下天分身と100%信じていた
鬼のような強さ 謙信は相手の作戦を読んで霧が出るかわかるやつを側近にして
天候まで味方にして信玄の目の前に迫っているという恐ろしい男やで
霧が晴れたら用意周到に準備していた上杉謙信がいるんだもんあ
そりゃビビw >>367
違う
織田信長は人を殺しすぎたのが原因 >>380
領土欲があるわけでもなく、天下統一の野心があるわけでもない
まぁ奇特よね、センゴク作者の宮下英樹なんかは『戦国一の奇っ怪な御仁』などと評していた
戦い以外興味無かったんじゃないかっていうフシまである 上杉は勝てども勝てども領土が拡大できなかったのがな
まあ、あれではなあ、跡を継いだ景勝も相当苦労したやろな。 >>320
無理だね、勝頼は決して無能ではなかった。
武田家が滅びたのは単純に国力の差。
信玄が死ななければとよく言われるが、あの時点で
存命でも、信長を討つには敵領を100kmほど前進
しなきゃならん。
徳川は大打撃を受けたが健在で、無視して前進するなら
補給線を断たれる。
攻略するなら攻城戦で織田と一戦交える前に消耗する。
そもそも信長は武田の戦を知っていたんだよ。
孫氏の兵法にかぶれて、兵力の全力投入をする。
つまり、国力に対して過剰に兵を出す。
結果長期戦に不向きなんだよ。
だから信長は城から出なかった。
放っておけば、いずれ武田は撤退する。
兵力さえ温存しておけば、武田撤退後いくらでも奪還できる。
だから当時、野田城って兵500しかいない城をちまちま
攻めて、家康に信長への援軍要請をさせて、信長が出てくるのを
待っていたんだよ。
当然信長は乗るわけは無いし、粘った末武田が撤退したら
戦費、兵糧を蓄えるために、史実通り再戦には時間がかかる。
その間に、他の敵は石山本願寺を除いて掃討される。
信玄が健在かどうかは大した差ではない。
あえて言うなら、停戦交渉が出来たかもしれないことくらいだ。 謙信は律儀すぎたのだろう。
里見と結んで、北条戦してみたり、武田とやりあったりしないで、朝倉か安東・最上
制圧してりゃ、いい線いってたと思うのに だから天下統一がゴールなんて思ってたのは、信長と秀吉家康、晩年の信玄くらいなんだって。
みんな信長の野望やり過ぎなんだってw 武田信玄を死ぬ寸前まで追い込んだのは上杉謙信だけだからね
あと30分あれば武田軍は壊滅、信玄は戦士してたろうなあ >>384
10年も川中島やってるとこみると馬鹿だったんでは? さかい を ちょっかつち にしたら 金がっぽがっぽで
てっぽうたい を増やせるから楽勝 >>363
実際茶器はヤクザのダルマと一緒で買わなかったらどうなるか知ってる?だしな
茶器と一国が等価とか誰も思ってはないだろうなwww >>373
蜂須賀が山賊ってのは
江戸時代有名な名門藩主だったことに対する
オチだった
戦国モノは江戸時代に書かれたから
蜂須賀の姫様とか超お嬢だった >>9
今の世の中でもビックリマンシールやライダーカード、キン消しや
スーパーカー消しゴムなどを無限に持ってれば、出世は余裕だろ。
何言ってるのかわからんが。 >>371
謙信は無駄な外征しすぎだよなぁ
それを支えた新潟の富を信濃川方面に向けて一層補強したらって歴史全然違った気がする
青苧みたいな既得権益として成立してるものは理解出来ても物流・交易ってのは理解出来なかったんだろうな
そこら辺が初めから金に支えられてきた信長と違うんやろう 信長は戦争は凡才もしくは愚才
でも諜報戦に長け、恐怖で雑魚の心理を支配する天才
総合的な権謀術数と政治力が上杉や武田の比ではなかっただけ >>325
>>343
しかも女だったしな、謙信
なぜか、信玄との結婚には至らなかったが
>>349
その後の秀吉勝家紛争、
お市の心中
ここらへんは
童貞処女には理解不能の軋轢だったな >>385
そこまで迫って勝てないとか…
家臣はがっかりだよ 織田信長の軍では10倍以上ないと上杉謙信だけには勝てないと自覚してる
秀吉もこの化け物だけには勝てねえんわ。俺は生きていたいんだぞ
といってノブの命令の巣向いて逃げてる 武田は徳川に三方ヶ原で圧勝したから江戸時代に過大評価されたんだろ
その武田と互角に張り合ってた上杉も同じように過大評価されてるだけ
結局武田は滅亡、上杉は没落だからな >>369
ノブと家康が読んでたのは韓非子じゃね。
秀吉の処世術は似てるようで似てないけど >>393
秀吉はそういう評価したよね
川中島に旅行したとき土地の者から話を聞いてあきれたという >>385
勝家の戸次川大敗も川を渡って退却したかったんだけど、
大雨で増水して渡れず追いついた謙信にボロカスにやられたらしいな
天候まで味方に付けるレベルの化物は信長と謙信と元就だけ 麒麟の承認欲求の塊で他人の感情が理解できなくて天下取りなんて途中まで全然考えていなかった信長像はけっこうおもしろい 謙信が天下取れなかったのは雪国が本拠地のせい
冬には引っ込んでしまうせいで、織田軍も命拾いしてる >>393
信濃川上流を抑えていくのは正解
抑えれば抑えるほど、川の出口(今の新潟)を根拠地にしてる上杉の富が増すから
問題はそっちに力を入れずに関東に出兵したりして最終的には押し出されたこと >>356
発生からして代官みたいな役割だから
最初は官僚、臣僚なんだよ。
それが地場勢力と合わさって強大化していって
南北朝の頃じゃ税や領土に関する権限も手に入れて独立勢力と化していった。
この辺の歴史があるから戦国時代も成立して江戸時代の藩もあるわけで。
大陸や半島と違って地方分権型が日本的なあり方と言えるだろ。 >>389
信玄の全方位に喧嘩を売ったツケを払わされただけだな
信玄の晩年、武田は普通に上杉北条徳川から滅ぼされかけたけど
信長に泣きついて、更に信虎が超高齢な体を押して嘆願行脚したことに絆されて朝廷経由で助けちゃったんだよね
で、危機を脱した瞬間、信長を第六天魔王と罵倒して、進軍を始めちゃって、
三方ヶ原の戦いで徳川家が大打撃を受けたっていう洒落にならん話
そりゃ滅びるわ >>386
あと、パワハラな
ナンパ足軽処刑や光秀鉄扇なんか
明らかに虐待だった
>>395
証券化と民度文化向上を
茶器で成し遂げたんだよ
それまでの
日本人なんか
詫びさびもろくに理解できない
猿ばっかりだったし >>402
秀吉は手取川を渡るのに反対して陣を引き上げただけだ。 >>402
京都の軍事的空白を危険視しての無断撤退だよ
命令無視してでも戦略性を選んだ、秀吉の器量・天下人への資質を表した一例 いつの時代も時の政権にとって都合悪い文書は改竄されたりシュレかけられたりするから古い歴史ほど書き換えられまくりでどこまで信じていいのやら
信長が実在したのかすら疑わしい >>403
互角っていうかジャイアンに一方手に殴られながらも
ジャイアンにしがみついていたらドラえもんが後方からやってきて
あわててジャイアンが逃げたっていうの真相だからな
殴られてもジャイアンにしがみついていたから引き分けだぞという情けない理屈 戦国のおはなしは秀吉と家康の描いたお伽話っスよ。信じちゃダメよ。
信長なんて人物は架空だし明智なんてのも架空。謙信はニューハーフ。 >>389
その頃はまだ浅井朝倉は健在で一揆勢も元気があったからとても史実通りになったとは思えない
武田勢力健在なら各個撃破も出来なかった 江戸時代にほぼ力を失った上杉、武田より
領地を安堵され最終的に討幕を実行した毛利、島津の方が評価されるべき
明治維新は中心となったのは下級武士だったが、日本史上というより世界史上にも稀に見る大成功した大改革 >>413
あのへんの裁きが実際どうだったのか気になるところよね
信長公記では主君の秀吉に拘ることなんで、経緯がバッサリと削られている
まぁ実際は能力の高い秀吉を切ることは出来なかったというところなんだろうけど、
なんらかの罰は下ったはずなんだけどな >>385
謙信は女
でないと、
さまざまな行動が理解できない >>390
上杉を継いだから関東に縛られたのだよ
長尾のままなら放置しておいてもよかった
けどそしたら北条が関東制覇して本国越後が危険になる
北信濃は村上を助けるとか関係なく、武田にとられるわけにはいかなかったんだよ
北信濃から春日山はすぐ目の前だぞ >>341
それはかあちゃんの妄想だからやめてやれw
保存会から駄目だしくらってるだろw >>423
信玄は春日山を狙っただけだな
北信なんてどうでもいい 武田信玄が天下を取るのは、実は簡単だった。
今川との同盟を堅持すればよかっただけ。
桶狭間で義元が倒れた後、友雷合戦を今川家に持ち掛け、押し掛け援軍をし
今川家に兵糧を用意させつつw 三河を制圧してしまえばよかったw
当時の織田家に万単位の武田軍に対抗する兵力は無い、独立したばかりの徳川の
平定も簡単。
つまりだ、史実の信長より良い条件で、三河・尾張を手に入れることが出来る。
今川家の跡取りがあれなら、戦場で主導権を取って今川軍をうやむやのうちに
吸収することだって出来ただろう。
今川との同盟を解消しなければ、嫡男を死なせないで済んだだろうしね。
最大のネックは、尾張へ本拠を移せたかどうかだ。
これが出来ないなら、結局そこまでで終わる。 >>413
命を守るためにわざと勝家と喧嘩して逃げ帰ってんだよね
でも実際は上杉とやったら120%殺されると思っていた このスレは勝手に歴史上の武将のことをソースの出典も付けず語られてるので
ウソと個人的見解が混ざった話をされても困るんだよな >>422
最強じゃないけど単純に地理的に圧倒的に有利だっただけ
あと、尾張はそれ以前から豊かな国だったことも+してる >>401
戦国最弱と言われた小田も結局討てなかったしなw >>423
その割には高坂(春日虎綱)とはよろしくやってた記録が残ってんのよなあ
まぁ謙信はたしかに戦には強かったけど、外交や領土進出が下手くそだったんで
そのせいか家臣に何度も裏切られてるという >>396
川並衆の頭してたんなら、やっぱり当時の土建ヤクザだろうよ。
>>423
足利上杉家を継いで関東管領になった。これは仕方ないことだろ。
助けろと来たのをかくまったのが運の尽き >>403
武田に関しては徳川に遺臣が大量に召し抱えられた影響が大きいと思うよ
ただ、戦争は鬼だったんだと思う
国力的に甲斐と信濃衆を子分にしてるだけで周辺に比べればかなり落ちるんだから
武田滅亡後信濃衆だった真田家の活躍だけでもあたおかなんだし >>419
毛利というより、毛利領内の過激派の暴走を止められなく
結果、幕府を攻撃して、薩摩に返り討ちされ
薩摩の尖兵にされて、結果討幕の勲功者扱いされただけやで
毛利は求めて討幕したわけじゃない
神輿に磔られたまま突撃された感じだぜ お前ら本当歴史好きだよなw
普段はどこの板に潜ってるんよ?w
俺もだけどw >>415
宣教師による肖像画さえあったのに
信長不在説はさすがに無いわ
不在が事実なら
とっくに徳川家が
その旨明文化しただろ
家康にとって
信長なんか目の上のタンコブでしかなかったし 信長は10倍の戦力があっても上杉謙信は勝てないんだよな >>257
今義元が上洛目的だったなんて言ってる研究者全くいないもんな
主な目的はあくまで尾三国境の紛争解決のための出馬で戦況によってはあわよくば尾張を支配下にって考えもあったかもしれんて程度
義元が上洛目的なら周辺各国への調略が当然必要だがその形跡も見られないってのも上洛否定要素になってるな >>436
だから地の利が圧倒的に大きいって話
島津なんかは鬼強かったけど逆にあまりに京から遠隔すぎて天下取るのは無理ゲーだっただけ
やっぱこの時代は地理的な条件がかなり大きい おぬしら、秀吉家康だったら、と想像してみりゃわかるべー
都合の悪いのは削除で都合のイイのは追加だべさー >>2
上から目線で見る事で自己肯定感をなんとか保つ貴方
周りからは逆に微笑ましく下に見られてますよ 1度も負けたことがない上杉謙信が90歳まで生きてたら歴史が変わってただろうん 越後はそもそも下越の土豪が全くいうことを聞かない凶暴な国
下越はいまより山形に広がってて
越後の中心である上越とは相当遠い
謙信は栃尾で育って下越武将を味方に付けていたから
越後を取れた
彼らは凶暴だが強い主君には付く命知らず
だから謙信は常に戦場の首領だった
だから嫌気が指して出家したりしてる >>437
毛利家の正月の挨拶知らんのか?
まぁ作り話かも知れんが、毛利家の中には少なくとも幕末以前から討幕の機運はあったんじゃね? >>410
平安後期の国守護人は国司の代官っぽいけど
鎌倉期の守護の全身である惣追捕使は、平家追討のための軍事組織だよ
両者が同一かそうじゃないかで見解が別れるみたいだけど >>402
違うな。
謙信は戦の天才だが、それは野戦での部隊運用がうまいって事。
部隊運用できない攻城戦では謙信の能力が生かせない。
だから、縦深陣で籠城して対抗するのが正解。 >>447
新潟民は性根が悪いw これはやはり歴史的なことなのだろうな >>1
コメント内信長が死んだのは全然『天下統一目前』じゃないだろ
莫迦なの??ゴミメディア共容 >>450
へえ そうなんや
毛利なんかは相模武士なんだけど
関係あるのかな
厚木の毛利という土地の土豪 >>448
毛利当主が、毛利家中の討幕派と親幕派の2つの勢力の間で輝元くんばりの
アウアウっぷりを晒したのを知らんのか
最終的に討幕派が勝利して、突撃かまされたんだぞ >>452
新潟の中で端と端がめちゃめちゃ仲悪い
他国並み >>457
山形寄りか、福井寄りかだもんな。
まったく違う人種www 越後は1つの国割にしたのが間違っていたと思うの
だれだよ、1国にしたの >>456
そりゃ当時はどこの国も倒幕派、佐幕派別れてアウアウしてただろ
倒幕にまっしぐらってのは倒幕が現実的になるまではない >>119
無敗じゃねーよ馬鹿ボケカス
小学生かお前wwww 討幕がなく今でも江戸時代が続いていたら日本は中国になってただろうからな >>419
物を知らない田舎者だな
山口県の萩は三河の萩に由来する
三河の萩の南朝の末裔が、大江氏に連れられ長州に移り住み、三河の萩を忘れない為に萩と名づけた
明治維新の実態は、江戸の三河武士から、長州の三河武士への国譲り
徳川と毛利は裏で繋がっていた
源頼朝の側近が大江広元だったように、徳川の側近の酒井は大江広元の五男の家系、萩氏庶流ではないか
家康が生まれた岡崎の平安時代の領主、高階惟長の嫁は大江広元の娘だった
実は明治政府というは三河国宝飯郡萩に隠れ住んだ南朝落人の政権で、同じく南朝系を称した徳川政権から禅譲されただけ
譲られただけだからこそ江戸城は無血開城され、今までどおり東京が首都になった
事実上、徳川幕府は崩壊していなく、現在も続いている
三河国宝飯郡萩と大江広元(毛利氏の祖)
大江忠成(海東忠成)
・鎌倉幕府評定衆
・大江広元の五男
・三河の藤姓熱田大宮司家に養子入り
・熱田大宮司
藤原実範(三河守)→季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→範忠→忠季→忠兼→海東忠成(養子入り)→萩忠茂(三河国宝飯郡萩、萩大宮司)) >>27
人材の登用がうまかったな
ある武将を除けば >>442
大きな意味では上洛戦だよ、三国同盟で後方の安全を確保しての
西進だから。
そして、当時の織田家を潰すだけにしては規模が大きすぎる。
尾張を瞬殺して見せつけ、それを持って途上の大名を恫喝した
可能性はあるね。
どっちにしろ領土を西に伸ばす気は満々だった。 >>457
中世の中心の上越と、今の県庁のある新潟は仲悪そう 上越に対し新潟は下越だしな >>458
新潟って何故か中国人っぽい体形や顔してるの多いよな さらに疑問なのが、里見と北条との関係な。
北条って里見に助けられた源頼朝からの歴史だろう?
なのに、なんで仲たがいしちゃってんだろ?
今の神奈川と千葉って本来一緒だろ? >>411
元亀3年10月5日付の信玄宛の信長書状見ると分かるけどその頃信長は謙信と信玄の和睦の調停を行ってた
この書状で信長はこの調停を是非成功させたいので協力してくれと信玄に言ってるが
信玄はこの書状の日付の2日前10月3日に甲府を出発し徳川領に侵攻してる
信長は面子を潰されたことで本気で怒ったようでこの直後から武田を根切するって大々的に公言するようになった 当時の尾張が地理的に非常に有利
金も米も兵も大量にあったんだから勢力拡大して当然だろ >>465
そもそも明治維新がなければ、日本の発展はなかっただろうから
日本の技術援助で発展した中国もないだろうと...
まぁ、日本含めアジアは欧米の植民地だろうな >>467
草履取りの猿か
あいつ妹ばかり狙ってどうしようもなかったな アメリカからの使者来航を予期して数十年前から念入りに
予行演習とマニュアルを作りこんだのに、指示に従わずに浦賀に乗り付けられるわ
交渉の段取りは無視されて要求突き付けられてで、泣いてグダグダな豆腐メンタルな幕府に
過激派は激おこだったわけよ 信長はわりと最近まで注目されてなかったってのが逆にすごい >>471
後北条氏はなんも関係ないじゃん
房総は古河公方の他に小弓公方という足利も上総にいて
関東公方勢力だったんだよ 過大評価って言ってるアホいるけど
俺らよりももっと歴史に詳しくて興味もあって勉強してたやつらの評価が後世に伝わっているわけだからな >>447
だって越後はむちゃくちゃ縦長やし
当時なら冬になったら軍隊の移動なんてほとんど移動不可能やろ
船も下越から上越には行きにくいんやし(逆は簡単)
そんで当主の謙信は意味わからん関東出兵したがるしでそりゃ離れたがるよ
謙信も思い切って切り離して自治させた方が良かったんだと思う
別に経済力が高いわけじゃないし、戦力としても農閑期、移動時間考えるとほとんど役に立たないんだから >>476
「外人嫌いなんじゃー、弱腰幕府は倒さなならん」って言って倒した幕府の次にできた明治政府は積極的に欧米の技術や知識を受け入れていったのも皮肉なもんだよな >>478
北条早雲なんて京都からの流れ者で得体のしれない馬の骨だしねw >>477
100年後には100年ほど前は三好長慶は大して注目されてなかったらしい…みたいになってるかもだし歴史ってそんなもんだよ 大体江戸時代の歴オタだよね
彼らは鎌倉とか平安時代とかもほとんど制覇してくれた
いまの歴史情報なんてほとんど江戸時代に完成したもの >>483
100年後には今のYouTuberが歴史の教科書に載ってるかもなw 畿内の改革を断行したのは六角定頼くんだったからな
そのあと、規格統一やら行政改革を推進したのは秀吉くんの家中だし
のっぶー、よく考えると、本願寺と足利を排除した以外は大きな改革やったように見えないな
楽市だって定頼くんがやってるし、一番やっかいだった法華宗対策も定頼くんがやってたし
楽座はのっぶーやってたか疑問符だし 津本陽の「下天は夢か」って信長小説が
無茶苦茶面白い
俺の中の信長像はこれで確定している 北条早雲、斎藤道三の親父、松永久秀は身一つで国を盗んだ梟雄 >>473
あのねえ、信長は家督相続時、その尾張の1/10も掌握してなかったよ。
尾張の中には敵がいっぱいだったって事。 >>481
大体の西洋学問はもう江戸時代にあったんだよ >>475
その挙句、
勝家お市の無理心中か
>>477
信長不人気説だと、
建勲神社のあの規模が説明できない >>482
伊勢って幕府の重臣一族だぜ
今でいう代々司法長官やってる家系 >>482
最近の説だと名門伊勢氏の一門で今川の縁戚やで
北条の流れを汲む横井氏が母親や >>490
まぁそういう極端な解釈は置いといてだな... >>482
得体は知れてる、幕臣の伊勢家の分家で今川氏親の奥さんの兄貴
その縁で氏親の家督継承の時の揉め事の際に幕府から派遣されて今川家内に影響力を得てのちに世話になる事になる >>478
ああ、なるほどね。
北条早雲にしてみりゃ、単なる切り取り易そうな土地だったわけか。
しかし、意外と里見が強かったと 信長の版図拡大を正確に尾張の地図に作成してほしいな
郷村単位で出来るでしょう >>495
いや伊勢氏ってことは知ってるよw
その上での馬の骨だよやっぱ >>470
中国アプリのヒロインが
なぜか新潟出身のおれの彼女に
そっくりなんだが >>489
織田家の家督相続で金が有り余る状態になったのに尾張を掌握できないほうがおかしい >>500
伊勢を馬の骨扱いするとなると
足利本家と天皇家と公家以外、全員馬の骨扱いになるじゃろ >>496
早雲の時代はまだ伊豆と相模半国やで
もっとも里見とは既に敵対関係だし、相手は海に強いから相手への援軍や嫌がらせは当然あっただろうけど >>497
一番最初の信長の野望は、尾張国内版だったらしい。
有名になったのが、そのあと出来た全国版。 https://www.culturebeanz.com/entry/2019/07/27/235637/
最大版図からいっても信長と三好じゃ比較にならない
三好は近畿だけでも近江の一部と伊勢にまったく手を付けてない
信長は大手寸前で毛利と北条を消せば確実に統一可能だった
まあ超過大評価の伊達はいうまでもなく信玄や謙信より評価されてもいい
毛利は幕末で子孫の維新の功績もあるから無理だろうけど 早雲はチンピラ丸出しのクーデターで国(伊豆)を分捕ったってことを忘れるなよw 尾張と三河は、織田さん多すぎ、松平さん多すぎ問題を抱えていたからな
日本地図の平野部を見比べれば、尾張三河でかすぎって分かる >>502
それなら信秀がとっくに尾張制覇してただろうに
家督相続で弟やら一族やらが離反して
大変な目に遭ったのになんで楽勝みたいに
言われねばならんのか分からん >>506
ちゃうで
中部・近畿が範囲や
そんな尾張の詳細な〜なんて無理を求めちゃいけないよ >>506
?
初発の中日版から
ぶっちぎりでシミュレーションの
代表作だったよ、信長の野望
そういう話は
年上に質問しなさい >>426
震源は上洛目的の西上だったから、これを邪魔した徳川を蹴散らしたまでの
戦だった。病気で死ななければ(銃撃という説もある)2万5千の軍勢引き連れて
西上して、足利義昭にあって、征夷大将軍にしたんだろうな。 ぶっちぎりのシミュレーションは、ファミコンウォーズ
異論は認めない >>496
あと当時は真里谷武田氏というのが千葉で関東覇権を狙っていた
その小弓公方というのは真理谷武田が担いだ神輿
この武田は甲斐の分家で武田氏はどこでも権謀術数がひどい >>450
そっちを取り上げるならなおさらだな。
その手の軍官僚とか役人が権限が強くなって
地場勢力も絡んで独立化していって戦国大名にまでつながるわけ >>511
信秀の代から熱田神宮にものすごい寄進をしてて
お蔭で信長は領内外の野武士や山賊や草が最初から味方だった
蜂須我党も秀吉以前から信長と面識があった まだ続いてんのかこのクソスレ
見たこともないのに教科書に適当な嘘八百載せやがって
歴史ってのは百人いたら百人異なることを言う学問にすらならない極めてくだらないものなんだよ
いい加減こんなくっだらないことに税金使うのやめろやカス
まだ信長は可愛い女の子や言うてるほうが健全 毛利元就が興味あったのは瀬戸内海利権と石見銀山
武田信玄が興味あったのは海
上杉謙信が興味あったのは戦
織田信長が興味あったのはヨーロッパ
信長は勝つべくしか勝った
もちろん実際この4者が戦することになれば信長が負けると思うけど >>502
ほんと知らないんだな。
信長の掌握兵力は800人程度。
おもな敵は、
・信長の主家、清州織田家
・清州織田家と尾張を2分した守護代の、岩倉織田家
・弟信行(信勝)を担ぎ上げた父の重臣軍団
いずれも2000前後の兵力を擁する。
つまり、尾張を平定するのも難しい状況だったのよ。 >>516
なるほどなるほど
公家が、地方の豪族の分家にコロコロされて、争っていたのが里見か。
こりゃ、大河にはできそうにない国代表っぽいなw 信長に関しては信長公記の首巻(信長生誕〜上洛まで)の信憑性についてどれほどのものなのか知りたいわ
・1巻〜15巻は1冊1年ペースの編年体なのに、首巻は信長生誕の1534年〜1567年の出来事を1冊でまとめてある。その上編年体でもない
・首巻だけ太田牛一自筆のものが現存していない
牛一が書き上げた後に首巻を追加したが原本が紛失して、その写しを第三者が書き残したって可能性もなくはないけど、現状首巻の信憑性は低いと言わざるを得ないしなあ
上洛までの信長の一次史料って信長発給文書含めてほとんどないから
上洛までの信長事跡を知るには信長公記によるところが大きいけど首巻に関するなんか新たな発見ないかな >>524
武田信玄が興味あったのは食料
上杉謙信が興味あったのは平穏 >>522
それ画像弄ってあるぞ
三宝寺所有の信長像は上品な男前やで >>515
ファミコンよりも
信長の野望初版のほうが
はるかに早かったんやで
ファミコンウォーズなんか
光栄三国志よりも後発だったし >>474
中国は文人優位で戦争弱くて
少数に負ける歴史だし、文化力はあるけど
軍事力はしょぼいからな。
大体日中の争いは日本が攻め込んでるのが多いし、
幕末の脅威はあくまで欧米やロシアがメイン >>511
信秀には尾張すら統一できるだけの能力が無かっただけだろ
ただお金貯める能力だけはあったからそれを信長が有効活用できたんだな >>526
武田は北条も真っ青の謀略家だったから
北条さんもよく接待した >>520
面識があったのと配下だったのでは雲泥の差と思うが
実際に家臣団分裂したし信秀死んでから13年も尾張統一に
時間かかってる
尾張の大名だから最初から有利、なんて状況ではなかった >>399
現代まで説明できないセオリー無視の勝ち方がいくつもあるのに凡才なわけねーだろ 今やってる、戦国炒飯TV も面白いね
前の戦国鍋TVはもっと面白かったけどw >>539
斎藤道三の後ろ盾があったろ
美濃が背後で味方というのが大きいよ >>500
母親は幕府中枢の政所執事の伊勢貞親の妹で父親は妻を通して貞親の身内で最側近の一人だった備中伊勢氏の盛定という超エリートの出身だった伊勢盛時(北条早雲)は馬の骨とは >>523
バーカ
考古学が出現して
歴史は物証ありきの
科学に格上げされたんだよ
そんな基本も知らない無能は
万葉集読んでシコッテろwww 毛利元就が興味あったのは
博多、瀬戸内海の通行利権、石見銀山
畿内のことよりも博多でドンパチでしてたかった模様
あと元就は息子死んでから
無能の小早川隆景とか輝元ぐらいしか残らなかったのが可哀想だね >>531
信長発給文書と信長公記の事跡の比較したことあるけど全て日付も一致してて完璧に符合するとは言わないけど首巻以外はかなり正確だぞ 三好が超絶過小評価なのは大阪京都の圧倒的秀吉人気もある
特にド派手、成り上がり、庶民派の秀吉は大阪人好みで
巨城建てて息子が大坂に居座ったから大阪代表の武将=秀吉という認識になって
三好は完全に忘れ去られた >>535
能力というより、成り上がり中だからなぁ
斯波の陪臣で尾張統一はないわ >524
家康が興味があったのは「おなご」が抜けてる 信秀は尾張統一してないよ
単なる非常識な反体制の人
一歩間違えたらしばかれて犯罪者で終わり >>518
官僚かどうかってとこだな
個人的には幕府の私兵だと思ってる
そりゃ官職は付いてるだろうが 信長とかまじで運がよかっただけだからな
周りがどんどん死んでたまたま雑魚相手に戦できて
しかも雑魚武将相手にも苦戦しすぎたけど
経済力ある地域確保できたから勝てた
元就とか大内尼子をガチで滅ぼしてるからね >>545
大内氏の後継狙ってたから当然だわな
大内氏の力の源泉は海外交易なんだから博多を勢力圏に納めない限りは片手落ち
一方で尼子の方が宿敵って複雑な形だったかなぁ
銀山譲ってでも博多の権益を手中に収めた方が利が大きかったのかもしれないけども、さてはて 伊勢盛時は姉が今川義忠の正室で関東下向後は自立するまで今川氏の武将として活動していたし、伊豆討ち入りに関しても明応の政変と連動して細川政元や足利義澄の意向の基で動いたことは確実 >>514
無理だって。
信長は堅城で有名な岐阜城に3万程度の兵で籠城。
これを抜くには兵が少なすぎる。
しかも、徳川を放置すれば補給線無しで100km敵地を前進
徳川を倒すなら、浜松城を攻城しなければならない。
決戦前に兵と兵糧を減らすことになる。
元々補給線が完全ではない武田は、徳川がいなかったとしても
長期戦が不可能。
つまり、短期で岐阜城を攻略せねばならず、それには少なくとも
3倍の兵が必要。
もし侵攻していたら、攻めきれず兵糧が尽きて撤退中のところを
後ろから襲われて潰走する羽目になったでしょう。
小田原攻めの時も、1週間ほどしか粘れず、しかも撤退時に挟み撃ち
されかかってる。
武田は国力に対して兵を出し過ぎてるから短期決戦型、長期戦は不向き
なのよ。
しかも、補給線は山間部を100km単位で、実質維持不可能。
兵糧の確保は乱取りで、敵の物頼みだったでしょう。 >>548
信秀に似た状況から一国を掌握した戦国武将なんていくらでもいるんだよなぁ
これだから無知は困る
お金持ちの信長お坊ちゃんがマネーパワーで尾張統一
あとは経済力を背景に勢力拡大しただけ >>542
それは尾張だから有利だったってこの話の起点とは関係ないな
国内の反勢力に対抗するために隣国と和睦した信秀がGJだった
ってだけのこと 俺の中で本当の意味で下剋上を成し遂げたのは毛利元就だけだわ
あとは仕えてるふりして不意打ちとか
守護代が守護大名とすれ変わったり
戦して勝って下剋上って元就ぐらいじゃねーかな
しかも毛利元就は国人領主出身だから凄いよね 大奥つくったの家康が初めてだろ
いいおんなよりどりみどりだったな >>556
太夫身請けした大名もおったし
それはさすがにダウト
却下な >>556
メインの論点は最初から同意してるので議論の余地がない >>564
島津とかは、戦して勝って下剋上してるぞ >>567
近代の政治家はなー
選挙で一発逆転があるからちょっと違うかも >>561
それが一番正解に近いと思うよ
財力は最初からかあった >>568
毎日、深キョンとか尾野真千子とかを見飽きてもさ、
ガンバレ〇ーヤのよ〇子の中に出すって、物凄い修行が要りそうだけど・・・。 https://youtu.be/P5QM5tpzT1I
中華人民共和国と中華民国と台湾国と香港って
別物なんだよなw >>572
すまん
島津は鎌倉からの名門で当然もともと守護大名だと思ってたわ >>579
父親の信秀の代からね
初期の信長は、そのばら撒きのお蔭で野武士の有効活用がデカいんだよ
桶狭間もそのおかげの情報戦と足止め工作で勝ったようなもんだよ >>564
どう考えても
蜂須賀正勝や服部半蔵のほうが
下剋上
>>567
演説と大半独身なんか
努力の最たるものだったわな >>569
だから、両班は日本の事大嫌いだった。
朝鮮は頭使う人が偉い人だから。 >>553
当時いちばん経済力あったのって
わりと毛利だと思うんだが
なんで秀吉なんかに負けてしまったんだろう
戦が下手すぎなんだよね小早川隆景とか >>564
なんかボンヤリしてよくわからんけど、龍造寺や長宗我部はあかんの? >>559
信玄は大阪にいた本願寺の顕如や同族ともいえる、三好勢2万に信長の背後
を突かせれば、孤城しても時間の問題だったろうな。 >>585
経済力は堺を手中に収めてる織田軍がダントツ >>535
信秀と信長が逆でも、信長の時代で終わり統一できたかはわからん
逆に信秀が、信長と同じところからスタートしてスムーズに領地広げた可能性もある >>571
なら反論の仕方がおかしい。
幕府の私兵だろうが否定になってない >>585
当時がいつを指してるのかわからんけども、毛利は基本的に貧乏
博多と銀山を抑えてる大内氏を継いだのに博多を掌握できなかったから支出が大きい
中国攻めの段階だと機内を抑えた織田の経済力が圧倒だよ 元々津島の用心棒を買って出て、乗っ取った信秀くん
斯波くんから遠江を乗っ取った今川くんの那古野城を奪い取った信秀くん >>538
尾張守護、斯波氏の尾張を2分して統治する
守護代、清州織田家(もう一つは岩倉織田家)の
家老ってのが信長の家系。
たまたま父が戦に強く、織田連合のなかで力をつけつつ
あっただけ。
早くに亡くなったから、当然旧勢力は復権を狙い、
家臣は、扱いやすい弟を担いで反乱を起こし、
信長はおちおち寝ていられない状態。
逆に言えば、敵ばっかりだから統一できたともいえる。 >>575
信長帰蝶なんて
今でも通用する美男美女やし
それに身請けが
政略結婚なわけないわ
>>578
青年期まで
自害してもおかしくなかったわな >>584
その辺中国の影響を受けた国の中では日本は特異で
軍人の社会的地位が高かったヨーロッパと似てる。 そもそも武田は長篠の野戦で鉄砲揃えた信長本隊とやって壊滅状態で負けてるからな
信玄でも結果は同じ(むしろ勝頼の方が強いぐらいだし) >>535
お金があったら、兵700で弟の兵1700なんて不利な戦はしないわなw >>573
選挙に勝つために
女性支持を集める
独身貫いたんだよ、ヒトラー
これが努力以外の何なのか 武田上げ 徳川の誇張
毛利上げ 長州派閥の誇張
謙信上げ 新潟山形民の誇張(新潟は人口多かった あと角栄の忖度) >>581
本流の島津くんちを乗っ取った、庶流島津くんが
有名な島津くんよ
まあ、本流島津くんが庶流島津くんに、
本流の家を継がせるのやっぱやーめたーで大げんかした流れなんだけどね
越後の上杉くんちも同じような流れになりそうだったけど
舟遊びに誘い出してエレガントに処刑したから戦はなかったのよね つうか、日本の戦国時代になんで明治以降の世界史ぶち込んでくるの?
KYって言葉知ってる?? 信長って生涯裏切られまくりだったけど
その原因って
最初に同盟した家康の異常な忍耐にあるとおもうわ >>602
謀反されたのに戦わないバカがいるかタコw >>608
単純に裏切られても許しまくったせいで舐められまくっただけよ あー幻冬舎か
どうせスダレハゲか安倍を織田信長に見立ててでもいるんだろ
会社ごと潰れよ >>594
あんな、安芸みたいな貧乏国の有力国人の毛利でさえ2000~3000人動員できるわけ
それを大国尾張で800人しか動員できない有力者なんてあるわけないって常識にわからんか? >>544
バカはお前
バカのお前が物証なんて言ってるものは何の証拠にもならねえんだバカ
何が万葉集(笑)だドアホ
明治時代にあたりにお前みたいな薄汚いおっさんが適当に書いたものに決まってんだろ
ほんと騙されやすいバカだなお前www 歴史
伝統
文化
芸術
スポーツ
何ひとつ価値生産できない寄生虫税金泥棒の5大常套文句だからな >>612
安芸は一向門徒の巣窟だからな
三河と同じでいっぱい兵のなりてがいたのよ
ちな松平さんは、元は一向衆寺社の用心棒からの成り上がり
松平さんの初代は本当にどこの出身か謎に包まれている
諸説のひとつが、伊勢家の家人で、三河の1地域の代官として派遣されたとかいう説もある >>613
書き方かっこいいんだよな
一時期司馬史観なんてのもあったくらいだし
小説としては大好きだけど適当に書いてる部分多い
だけど面白いし、説得力があるから困る >>612
ばかか?
尾張を統一できていなかったんだよ。
尾張統一までに何回戦をしてると思ってるんだ? >>614
>何が万葉集(笑)だドアホ
明治時代にあたりにお前みたいな薄汚いおっさんが適当に書いた
それだと江戸時代の国学者が万葉集研究した史実と
完全に矛盾してしまう
却下 >>31
結局、本能寺の最後も茶器を抱えて炎上だろ?
信貴山城の松永久秀と同じだよな
主君殺したり、東大寺焼いたり信長が真似してんじゃないかと思うぐらいのことを先にやってるんだよね >>486
早い時期に畿内で改革を断行したって点では六角定頼で間違いないけど楽市の創始者だったって点については疑問を呈してる研究者もいるな
定頼楽市の出典である今堀日吉神社文書は大正時代に発見された文書だが、その中には天皇院宣の偽書が含まれていて信憑性に問題がある
また安土楽市令は信長の天下布武の朱印状、美濃加納楽市令は信長の花押
これに対して今堀日吉神社文書の方は、六角氏当主の花押はなく家臣の連署状って点でも怪しいらしい ところで、戦国時代って、足軽は戦場で何を食べてたの?
戦いの前に大麻草とか吸ってたりしてないの? 司馬遼太郎はすごい
史実の人物だと思って満足してあとがきを読んだら 「この小説のように架空の人物を書く場合、わたしが気を付けているのは〜」とか書いてあって
ウソだろと思って何度か読み直してしまったわ >>620
800人しか動員できないけど有力で貿易利権を手にしてる
金を持ってるけどやっぱり800人しか動員できない
そんな800人の首領に今川が2万以上兵隊を差し向けた
それが納得できるならそれでいいんじゃない?
お前の中では >>616
ドーム満員にできないオマエが
いくら嵐や星野源けなしても
みっともない嫉妬にすぎないわ
てか、歴史が無価値なら
権力者が今も歴史を捏造する現実と
完全に矛盾してしまう
その最たるものが日本書紀だよ
史実は天皇家は朝鮮出身なのに
日本書紀を信じるバカ者が
勝手に縄文人扱いしてきた状態 調べた
斯波氏が守護
守護代が二家交代制清洲織田氏と岩倉織田氏 どっちが本家かな岩倉が上らしい
まあ関東管領家でいう白井長尾氏みたいなもんか
清洲織田氏の部下に三奉行
このうちのひとりが信秀家
つまり
斯波氏 君主
岩倉織田 上四郡
清洲織田 下四郡
奉行A
奉行B
信秀
清洲織田の主家が四郡のうち二郡くらい持つとして
残り二郡のうちの三分の一が信秀家
単純計算するなら尾張の12分の1
尾張の面積1,686km2の12分の1は130km2
百キロ平米くらいの市なら横須賀市くらいだな
小っちぇえなおい
10キロ四方 >>612
家督相続した時点で掌握していたのは城1個
親父の兵は大半が弟を担ぎ上げて敵対した。
それに主家筋の清州織田家、もう一つの守護代
岩倉織田家が主な敵。 >>621
>江戸時代の国学者が万葉集研究した史実
それが嘘だろ
歴史なんてものは100%嘘の塊
この程度のことすら知らないから歴史(笑)だのほざいてる税金泥棒は
四六時中バカだハゲだガイジだって痛いとこ突かれてアウアウ悔しがってばかりなんだろ 明治以前の庶民の戦国観ってたぶん講談とか小説の類が元だよね
昭和は小説とドラマが多いのかな
でも平成以降って完全にゲームと漫画とかのサブカル文化で構築されてるよね >>630
なるほど、なるほど
それで800人集められる城一つのお殿様が唸るほど金持ってて、
今川を挑発するかのように出城を造りまくったと・・・
アホかw
って俺なんかは思うけど、お前さんは納得できるんだなぁ >>626
今川が攻めて来たのは、最後の敵岩倉織田家を滅ぼした翌年だ。
少しは調べろよ。 >>486
>>623
てか、近江商人が事実上のシンクタンクだったんだろ
欧米を参照せずに
独自でビジネスモデル開発した企画力は
さすがだわ >>222
木曽馬は<中>馬だね
<上>が騎乗用の高価な馬で、やはり騎兵戦に強い関東と長野山梨は良質な馬産地だった。
平安時代の国別・馬の価格(束)
http://www.city.takizawa.iwate.jp/contents/sonshi/img/part7/834.jpg
産地 上 中 下
陸奥 600 500 300 青森、岩手ほか
常陸上野 500 400 350 茨城、群馬(栃木)
信濃出羽 500 400 300 長野、秋田、山形
甲斐相模 400 350 300 山梨、神奈川ほか
薩摩日向 400 300 200 鹿児島、宮崎
三河遠江 350 300 250 愛知、静岡ほか
石見紀伊 300 200 150 島根、和歌山ほか
畿内 250 200 150 京都、大阪、奈良ほか >>632
徳川時代のフィルターが無ければ、実際の戦国時代なんてどうだったかわからないよねw >>627
史実ってのは捏造の塊のことを言うんだバカ
しかも短文の中で自家撞着起こしてるし
これが歴史だのほざいてるバカの知能の限界w
みっともないのはお前のガイジ顔だろ >>633
時系列わからないの?
城一個から始めて、尾張を統一したんだよ。
今川が攻めて来たのはその直後。
というか、尾張内戦に付け込んで、だいぶ尾張は
浸食されていたがな。 信長なんか影武者のおかげだろ
戦は秀吉
政治は光秀
この二人が影で操っていただけ
本人は大うつけ者 足利義昭に対する17条の意見書読むと
信長が常識人で草 尾張は50万石くらいあったといわれるけど(嘘くさい)
一応信じてその12分の1が信長農民だとして4万石
兵役は万石250人だから1000人
兵士1000人の戦力がギリですね 髪の毛も髪はちょんまげのことやないの
韓国だとモリカラクじゃん 戦国時代は家康の掌の上で転がされていたようなもんだしな
信長秀吉は雑魚 たしかに
信長は可愛い女の子
っていうほうがもっともらしいわ >>631
お前が何を叫ぼうと
物部氏が氏寺を持っていた
つまり縄文人とは程遠い朝鮮部族だった
史実は変わらんよ
とっくに発掘済み
ネトサポも歴史議論に惨敗してきたし
とうとう
歴史そのものの全否定に踏み切ったか
呆れるばかりだわ そろそろ信長サイコパス像打ち破って欲しい
意外と普通の人だったみたいな説見たい 徳川家のルーツ(松平家初代がグンマーから流れてきたのはおいておいて)の割には三河に親藩の大藩はなかったね。なんでやろ? >>641
足利はキッチーの家系だからな
三好くんち、本当に可哀想
とっとと見限っとけばよかったのに
のっぶーは3年で見限った有能 歴史が100%嘘の塊とは思えないが
勝者の勝手な歴史に作り替えられていることは事実だよな
それが生き残った者の特権だし
明智がもし天下とってたら、日本軍がアメリカに勝っていたら
本能寺のも真珠湾もいまごろ大絶賛だっただろう 武田家の金山の取り分は1%しかなくて
99%は金山の元締めにもっていかれてたって
その時歴史が動いたで見たっす 桶狭間って子供の頃は桶の狭間みたいな狭い谷で奇襲したのかと思ってたけど、実は山だったんだな。 ヤマダ電機がアホみたいに店だしてビックカメラを追い落とそうとしてるなか、
わずか数店舗だけで自社ビル持って着実に黒字経営してたヨドバシカメラが生き残るみたいな話だろ。 >>648
証拠出せバカ
呆れるのは捏造真に受けてるお前のポンコツ頭だっつの >>638
グダグダほざくわりには
歴史学の物証を論破する
物証を
オマエのほうが
全く提示できていないのな
物証なき
オマエの惨敗な
オマエのような敗者は潔く自害せよ >>634
まぁ、お前さんの中でそれが正しいのならそれでいいんじゃん
今川の戦力が遠征で10倍なら軽く国力20倍から30倍
そんな相手に狂犬の様に噛みつく織田信長
そして真珠湾攻撃で激怒したアメリカと違い崩壊する今川家
いいんじゃない?
かっこいいと思うよ 織田信定が偉いのは津島を得て農業関係ない人を動員できるようにしたし
松平清康も賀茂神社の境内の権利をもってて三河清康とか乱暴なやくざ名前で仕切ってたし
小さいながらも武家とは別系統の収入源をみつけてるんよな 「いやあ、俺は武将に例えると秀吉タイプだからな、がっはっは」 >>636
日本産の馬は近代の政策でほぼ絶滅してる。
残ってる木曽馬は、かろうじて残った農耕用の馬を
繁殖させたもの。 >>658
惨敗してんのはオマエだろ
挙句の果てに悪魔の証明しろとか言い出す始末
ブザマなお前が嘘まき散らして社会に迷惑かけてきたことを薄汚い腹かっさばいて謝罪しろ 今川は尾張守護の斯波氏がへいこら揉み手する相手だからな
将軍継承権保持者
御所に座ると将軍と談笑してる今川と脇で土下座してる斯波
その斯波の子分の子分の三番手くらいが信長
菅首相とお前らくらいなもんやで 最善を尽くしながらも絶対絶命の大ピンチを何度も助かる運だな >>659
ほんとわかってないな。
かみつくって鳴海城の周りに砦を築いたことか?w
侵略されてるんだから防衛せざる負えないだろ。
そして、敵を排除できないから砦を作って監視していた。
侵略してくる敵を放置しろってか? >>656
発掘調査あったじゃん、
物部の氏寺
悔しかったら、
現場が物部氏でなかったことを
オマエが物証を発掘して
証明すればいいだけ
さっさと発掘したら??
>>652
捏造されたものは
虚偽、偽史な
史実でない歴史は
本当の意味での歴史とは言えません
古代、歴史書を鏡と称したのは
真実を照らすって意味な
おまえさんは
歴史と偽史を
すっかり混同しておる
>>656
発掘行けよ、ヒキニート 何時も思うがお前等本当に見てきたかのように語るなw
俺は霊能力者の友達と本能寺と大阪城に行ったことがある。
本能寺に行ったとき友達が首を押さえて苦しみだしてあそこに織田信長が居る…まさに森蘭丸に介錯されてる…と語り出して恐かったな。
明智軍が本能寺を取り囲んでるとも。大きな黒人が戦ってるのが見えるとも。
大阪城の時は、天守閣に秀吉とねねの姿が当時のままで見えると言ってた。400年の時を超えた…と涙を流しててなんか俺も感動してしまった。
かと思ったら家康が攻めてきてるのが見える!お城が囲まれ激しい戦闘が見える!あれは!あれは秀頼だ!秀頼が危ない!と叫びだした。
霊能力者てのも色々見えて大変らしいが一緒にいるとまさに時空間を超えたようでワクワクしたり感動する。 >>667
あんたの言ってることを否定してないのに何が不満なんだ?
あなた様の言うとおりでございます!
間違った考えを改めて全てお言葉に従います!
とでも言って欲しいのか? 銃の名手の杉谷善住坊が信長暗殺を決行したにも関わらず狙撃に失敗したんだから、信長は元々持ってる人なんだろ。 みんなの戦国観の前提になってるメディアもユーザーが望むものを提供する傾向が強くなってて
カッコいい人物をよりカッコよく描いたりするのはまあ講談の時代からだろうけど
現代の倫理観を脱さずに戦国時代を描くという作品ばっかりになってるよなーと思う
でも改めて考えたら別にみんな実像や実態を求めてるわけじゃなくてうまく咀嚼して娯楽化して欲しいだけだよね >>652
キリストも釈迦もフィクションだからな
いいのよフィクションで >>640
それを言うなら
半兵衛官兵衛影ボス
石田三成政治
だろ
>>664
歴史学に反証するための
物証無き貴様は潔く自害しろ
今すぐにだ >>652
当事者じゃなくなった公家やら寺社やらがそれぞれ記録残してんだから、
あまりにもアレなのは無理なんじゃね?
秀吉も天下取って貴種流離譚でっち上げようとしても無理だったし >>652
スティーブ・ジョブズだって前は奇人扱いだったのがいつの間にか革命児扱いだもんな
歴史は一面じゃないからいいのよ >>670
>そんな相手に狂犬の様に噛みつく織田信長
ではこれは何なんだ? >>668
お前みたいな捏造したいだけのガイジがそう言ってるだけだろ
そんなものは何の証拠にもならない
歴史ガクシャ(笑)が頼りにしている物証(笑)なんてせいぜい状況証拠にしかならないものを
裁判で主張しようものなら即座に却下されて無罪だわw
歴史(笑)なんてその程度の犬のウンコでも固めただけの馬鹿の産物
いい加減、バカを自覚しろ何ひとつ価値生産できないウンコ製造機の寄生虫 親戚をどんどんころしていく信長
イトコA「お、きっちゃん久しぶりだね」
信長「成敗!」
イトコA「ぎやああーー」
こんなこと繰り返して尾張統一
苗字が一緒なだけでしょ、ということなかれ
当時の殺し合いは普通に兄弟とかたくさんいる こいつが虐殺しまくったせいで愛知は呪われてキチガイ県に
罪深い >>673
死ねよ、詐欺師
虚構と史実を混同する輩は
潔く自害せよ
今すぐにだ >>674
物証物証言いながら何ひとつ出せない税金泥棒のお前が死ねよ >>679
知ってるか?
弟の反乱に、一度は許し、2度目の反乱を企てた
から謀殺した。
だけどその子供は、本能寺の変があるまで信長に
重用されてるぞ。 >>678
で、
オマエさんからの物証は??
無いよな
ほら、自害せんかい、われ 世間では魔王やら虐殺人やら言われた信長が
弱い茶人と交流する
先見性が信長よ
秀吉は利休切腹さした >>683
全然優しくない
生涯親の仇に上司ヅラされる人生
地獄やな >>684
出してないのはオマエだろ
悪魔の証明の意味すら理解できないとか救いようのないバカだなオマエ
とっとと、自害せんかい、クソガイジ >>671
火縄銃というのは、集団に目掛けて打って、誰かに当たって死なせる道具であるから、
一人を狙い打ちする道具じゃないんよ
だから杉谷の狙撃が日本初と言われるんよ >>682
俺は考古学の物証をそのまま支持しとるよ
悔しかったら、
考古学の物証を否定論破するための
物証をオマエさんが
掲示したらどうかね?
ヒキニートのオマエには
無理だな
さ、自害しろよ、詐欺野郎 (-_-;)y-~
お顔ブックに秀吉のこと書いておいたぞ。北ノ間隆
今日の競馬、酔拳にする、疲れた・・・馬券買えんかったら買えんでええわ。
来週も競馬はあるさー 考えてみると本能寺はみんなの意志だったんやな
オリエント急行の殺人みたいな
実はいっぱい集まってたんじゃね
え、お前も? みたいな >>687
何言っちゃってるのw
おまえは自分を2回も殺そうとした奴の
子供を自分の部下にできるのか?w >>668
糞ゴミエベンキの白丁エッタが日本の歴史を語るなボケ
日本から出ていけキチガイ >>690
そのままとやらを出せやバカ
悪魔の証明の意味すら理解できないとか救いようのないバカだなオマエ
とっとと、自害せんかい、自称ヒキニートのクソガイジ >>688
俺は考古学物証賛同派
オマエは考古学物証否定派
否定派なら
否定派の物証を提出せんかい、われ
できないなら、今すぐに自害せよ >>696
考古学に物証なんてものはひとつも存在しない
その程度のことすら理解できないからお前は四六時中バカだって言われてんだろ
悪魔の証明の意味すら理解できないとか救いようのないバカだなオマエ
とっとと、自害せんかい、自称ヒキニートのクソガイジ >>693
監視のために決まってるだろ
ほっといたら危険だからな
実際関東公方は両親殺した管領の上杉氏を
屋敷に呼び出して誅殺した (-_-;)y-~
信長、秀吉が夢あっていいなぁ。
当時生きてた人の感情を無視してるけど。 >>699
ていうか普通ならそういうのはやっちゃうわけよ
それを生かしておいたわけでさ
柴田も背いたけど許してるし、特段信長が狂犬だったわけじゃないだろう 山内容堂は竜馬がゆくでむちゃくちゃ悪役だったからな
印象悪い
そこへいくと購入士分株とはいえ明智家坂本氏の系譜の竜馬 >>695
で?
考古学否定派の物証は〜??
出せないなら、
今すぐに自害せよ
>>694
神武=朝鮮王チュモンのパクリ
住吉大社の大阪住吉区の古名、依羅邑
=起源はいうまでもなく朝鮮王 依羅
日本書紀 少彦名登場の章
カガミノフネ羅摩船
=インド神話ラーマの漢語訳 羅摩
=日本書紀は海外神話盗作したホラ話物語
もう、ここまで、物証として
証明されているんだ
皇国史観という名の詐欺師のオマエは
潔く敗者 詐欺師として自害せよ
生存自体が論外だ 応仁の乱以前とかに織田家が越前、浅倉家が尾張の守護代に任じられてたらその後どうなってたんだろ?とは思う
雪斎vs宗滴はあったのかな?とか >>698
>考古学に物証なんてものはひとつも存在しない
はい、キチ外発見
さ、自害してもらおうか >>704
おまえらなんかしらんが日本の歴史を乗っ取ろうとしてるようだが、
当の半島の高句麗やら新羅やらが倭に散々やられてますって歴史残してるだろw
神武の時代に半島は漢の郡が置かれてただけで、王なんざいねえw この喧嘩してる奴らのレスたどってみたら
始まりは信長はかわいい女の子という説だった
何かに熱くなれる奴ってすごい 信長は5〜6回の暗殺未遂をくぐり抜けたが本能寺が運のつきだった >>704
考古学に物証なんてものはひとつも存在しないってまだ覚えられのかバカ
その程度のことすら理解できないからお前は四六時中バカだって言われてんだろ
悪魔の証明の意味すら理解できないとか救いようのないバカだなオマエ
とっとと、自害せんかい、自称ヒキニートのクソガイジ 魔王を自称するぐらいだから魔王が味方してるぐらい運がいいんだと自覚してただろうな
戦に勝ったから強いんだぞってのもあるだろうけど 歴史信じてるバカが言ってることって
宗教勧誘してるバカが言ってることとそっくりでウケルわ ダイの大冒険で言ってたあれ
勝者とは強い奴の事でなく、最後まで生き残った者だ→徳川家康
信玄、謙信、信長、秀吉…秀吉は天下取ってるからまあ…
悪役に正論を言わせるのは、カイジでなくダイが先 信長は本能寺までに何度も暗殺未遂されてるが秀吉や家康は暗殺未遂をされてない
これは人徳だと思う >>715
キャプテン翼が先だろ
強い者が勝つんじゃない、勝った者が強い >>77
色んな勢力が蠢いてた畿内の勢力を信長がかなり綺麗に掃除してくれたから
秀吉がスムーズに天下取れたのはあるかもね >>677
そりゃ、お前さんの主張だろ
なんで俺に聞くんだよ
十倍の戦力、数十倍の大国にを挑むのを狂犬な行為と言ってるんだけど・・・
自分自身が言ってることすら理解出来てないのか?
まぁ、あんたが自分の中で理解出来てるならそれでいいよ
こっちは知りたくもない まぁ諸説いろいろあるけど織田信長が凄いことには変わりないじゃん
織田信長がいなきゃ豊臣政権も徳川幕府も存在しなかったんだしそう考えたら
やっぱ偉大だよ
そして織田信長の最も偉大な功績は仏教勢力の武力を根絶やしにしたこと 比叡山を燃やした人たち
足利義教→大名に暗殺される
細川政元→家臣に暗殺される
織田信長→家臣の謀反で自害
教訓→比叡山を燃やすのはやめましょう 割りと運が良かったからだろ
滅亡しそうな時に大体相手側に何か起こる
考え方が合理的だったのも強みだな >>722
つーか、天台宗は現代では死に宗教だから形骸化してしまい存在感ないからどうでもいい
天台宗の信者がこれから増えることは絶対ない 逃げもせず二条城で討ち死にした信忠
秀吉と対立して殺された信孝
無能で転封を断って改易された信雄
結局勝者は後継者を上手く育てた家康 一番軍事の才と先見性があったのは信長
一番商才と民政に才能があったのが秀吉
一番統治能力に才能があったのが家康 今の時代になぞらえてベンチャー企業を煽ってんだろうけど、
比較にもならんかもな。
ベンチャーがトヨタや電通を倒せるか?
信長はそれをやった。
つまりは本能寺や島原を現代でもやらないと無理。
つまりは青葉アタックを平気で出来る人間でないと現代での信長は誕生せんわな(´・ω・`)
せめて上級の飯塚を成敗できなきゃ無理。 信長はかわいい女の子じゃないとすべてが矛盾するわな
お前らはクサそうなおっさんに仕えるわけ?
常識的に考えてありえんだろ はやく米中大戦になって欲しいな
この腐った世界をもう1度火の海に
そうやって時代は繰り返す 信長の息子もことごとくぶっころして
叔母に惚れててイトコに手を出す秀吉
織田家の人はこの父の部下をどう思っていたんだろう
ろくでなしすぎて引くわ >>727
戦後平和日本はそういうのを駆逐する世界だぜ?w >>731
信雄は普通に生き残って江戸時代には大名になってるし、現代まで血筋が残っているが。
他にも生き残った信長の子供は大勢居る。 >>734
なにその名も無い子供たち
いろいろ非常識 一番腹が座ってたのは信長
一番我慢強かったのが秀吉
一番長生きしたのが家康
だなあ >>733
そんなん羞恥心のない犬コロだけやんけ
お前の周りにはお前みたいな犬コロしかいないのかよ
ぅおー恥ずかしっ!
こんな犬コロがいるから相続税100%の公平な社会にならないんだろうな >>736
小牧長久手の原因になった次男の信雄を知らんとか、単にお前が無知なだけだわ。
そもそも、秀吉が死に追いやった信長の子供って神戸信孝だけだろ。 >>731
ことごとくって秀吉が殺した信長の子供はナリセン信孝だけ
その信孝も建前は信雄が殺した事になってる 信長を称える歴史家が多いが
部下のメンツが揃っていて
鉄砲を手に入れたことで戦況が
有利になり好条件だった
朝廷、足利、家康、キリスト教
からも隙あらば
いずれ秀吉から狙れて短命だったろな >>743
NHKスペシャルでやってたやつな
あれはすごく面白かった あと、東北も伊達政宗が出るまで群雄割拠のグチャグチャ >>745
金持ちのボンボンだからな
革新的な発想は素晴らしいがら、育ちの良さなのかどこか抜けててポカも多い >>717
それはちょっとニュアンスが違うような…
キャプ翼に悪役と言うか敵に言わせてるのかなそれ、
シュナイダーとかカルツ
話を変えるが歴史強者に質問。
浅井・朝倉連合って強かったの?全く聞かない、
こんなのに手こずってる徳川・織田連合軍は( ´,_ゝ`)プッて感じ
裏切られる方にも問題なるんだよ信長君、
信玄見てわからなかったのかな 強い物にはこびへつらい、利用できる者は利用し続け、言い制作なら真似をする
出来星大名だから見栄や外聞を気にすることなく柔軟に行動できたのが強みだな >>752
それ、元ネタはクライフが居たトータルフットボールのオランダに勝ったのに、退屈だと低評価だったドイツ代表のベッケンバウアーの言葉だよ。 >>747
出所不明の秀吉があんだけ出世できるんだから実力主義だろ 信長の最大の功績は寺社勢力との対立だ
平城京からの遷都は奈良にある法隆寺や東大寺などの影響力から脱することが目的だった
その後、室町時代に足利、細川、三好が寺社勢力と対立したが
本格的に対立したのは信長
比叡山を焼き一向宗に勝利し大阪から追い出した
長曽我部の問題がなければ高野山も征伐予定だった え、一代でのし上がった大名を戦国大名と呼んで
もとからの守護大名は戦国大名とは呼ばないの? 信長に比べると秀吉は器用貧乏だな
空気読みすぎて自滅 確かに信長の悪行の中で仏教勢力の弾圧は、宗教勢力の政治介入を排除出来て
徳川幕府での政教分離につながった
後世の日本にとって大変な恩恵を与えているな
強訴などと言う馬鹿げたことで政治が動くとかなくなった >>240
というか鎌倉時代から騎馬武者の屏風とかあるのに
当時の日本馬はロバぐらいの大きさでまともに乗れなかったとかいうアホな説を真に受けるアホが多すぎるよな 信長が好きだった武将:森一族
森可成
・若い頃から信長を支える。桶狭間、美濃平定戦などで活躍。
信長包囲網時、1570年信長が本願寺勢と戦っているとき浅井朝倉勢が南近江宇佐山付近
を大軍で侵攻、信長の背後を取らせように志賀の陣で信長の弟信治と
宇佐山城付近で迎え撃ち奮戦したが多勢に無勢で戦死。以後森一族の贔屓がはじまる
(というより信長が可成の恩義に報いた)
>>735
最後の方だが、木村重成は容姿が良くて長身で、女からメチャクチャもててた。
多分普段からメチャメチャいい匂いがしてたと思う。(勿論中身も男前)
戦死した時すら、徳川家康が『討死するのわかってて香焚いて戦いにっきたな』って
感嘆したくらい。 信玄と謙信はライバルって言ったって結局信濃制圧したのは信玄だし >>766
謙信は信玄に負けたことがない
勝率も1位 本能寺の変が計画的な犯行ではなくて出たとこ勝負の決行だった
動機があり、やり遂げる能力があり機会があったからやった
だから黒幕説とかを議論しているのがおかしくて
誰かと打ち合わせして遣ったものじゃないのは明白
動機?それは永遠に分からないでしょう 。
>>732
まあ、ある意味法によって下剋上を禁じたのが今だからね。
今で言うなら、そうか、電通、NHKを焼き討ちして皆殺しにできるくらいの世でないと
信長はもう生まれないさね(´・ω・`)
で青葉アタックでガタガタ言う国民性は信長の否定でもある。
まあ、当時も信長は世間から否定されまくったわけだけど。 >>768
動機や大義はあったかも知れないが、秀吉家康時代に握りつぶされてるわな 徳川は韓国人なんだってね
そもそも源平は日王家がルーツだから渡来系韓人だよ >>767
勝った事もあまり無かったけどな。
信濃と上野の二正面作戦やって武田と後北条を同時に敵に回してたから、どうにもならんかったのだが。
謙信が最大の版図を成したのは、そのどちらとも戦わずに北陸へ進出した時だし。 >>767
何をもって勝率としているのかはしらんけど、信濃を制圧したのは武田だしな。
それを阻止できなかったのになぜ謙信が負けていないと思っているのだろうか? >>769
売国アカモン焼き討ちだと思うがね
それやったら非難するのは、東大関係者じゃなくて、
そいつらに増税されて、苦しんでいる日本国民が、
何故か、東大の味方をして奴隷根性発揮するんだろうけどw 制度改革をしまくったからな
既得権益を排除したから恨まれてるな 武士と言っても盗賊だからな
領地の奪い合いした後で朱有軒を朝廷から買ってた
皆盗賊から身を守るために商人層は法華宗を中心にしてまとまり
農民層は一向宗を中心にしてまとまった お前全然だめじゃん、7か国の与力集めて5年間かけて結局お前、なんも出来なかったじゃん
秀吉や光秀あんなに手柄建ててるのにここずっと手柄立ててないよな?
できないのはしょうがないよ、でも出来ないなら俺に相談するなりなんなり出来るだろ?それなのに何もしないで包囲してただけじゃん
しかも与力を酷使して自分の直臣なんか全く増えてないだろ?
あ、そうだ、水野信元の領地お前にやったらそこの連中みんな追放したろ?あいつらすげー強くて見込みあったんだぞ
岡山某って水野の組頭なんか妹が遊女にまでなって露頭に迷ってたのを勝三(鬼武蔵)に召し抱えられたらもう兜首3つで俺は感状書いたくらいだ
あ、感状といえばお前、俺からこの17年間で一度も感状貰ってないだろ?真面目にやってたんか?本当に
光秀や秀吉見ろよ、俺は感状何枚書いたかわからんくらい書いてるぞ、お前どうなってるんだよ?
お前は確かにもう隠居考える時期かもしれんけどお前よりも年取ってる権六なんかすげー頑張ってるぞ
そういえばお前の跡取りの信栄な、本当に評判悪いぞ、あいつに跡継がすのか?俺の直臣でもある与力に横柄な態度とるとかおかしいだろ
権六なんか跡取りの話もせずに権六頑張ってるぞ。いや、たまには負けるけどな。加賀でそういえば最近も負けたな、権六
でも権六は頑張ってるぞ、勝ち負けじゃないんだよ、勝ち負けじゃ、やる気なんだよやる気、お前はやる気が感じられないし
とにかく今のままじゃ話にならん
信盛よ、こうなったら大手柄立てるか、切腹して詫びるか、改易されてどっかに逃げるか、3つに1つだぞ、よく考えろや
http://buzz-plus.com/article/2017/08/13/uehara-takako-becky-furin/ 嫡流以外は名字を変えさせる家が多いのに、織田一族はどうして誰でも彼でも織田を名乗っても良かったのか? なにはともあれ、明日死ぬかもしれんと生きてる
奴等は進化するよねってお話だよな
平和ボケしてる日本がここまで落ちぶれたんも分かるわ >>779
信長は無頓着だよね
子供の幼名もいい加減・・・
権威は利用しまくったけど、権威みたいなのは嫌いなのかもな
歌舞伎者なのでしょう
>>781
他家を乗っ取るためにね
毛利氏や武田氏でも良くやっている戦国でのやり口 >>778
秀吉の嫁のご機嫌取りの手紙出したりしてるし
結構人間関係に気を回してる人間臭い人物だよなw 現代社会で情報戦いうたら狭い意味でしかないけど
当時は情報戦に加えて、人たらしの能力の差が出たと思います
そのなかで重要なのは、不安をあおる、疑心暗鬼を引き起こす、といった戦略だったと思います ■利権集団、日本学術会議
織田信長なら間違いなく焼き討ちするんじゃないかな 実績出してる秀吉でも危機を感じたのか信長の息子を養子に迎えたな >>1
でも成功者の成功談より一般人の失敗談のが役に立つぞ。成功者は見えない当たり前の失敗を経験し潰している。 おまいらはその手前でつまずくからそっちの方気をつけた方がよっぽど現実的だぞ。 >>778
それとお前むかし弟の方についたよな、忘れてねえからな
が抜けてる >>782
魔物よけの風習って説はある
人間らしいちゃんとした名前付けないのは
元服すればどうせいらないわけで >>779
息子は次男から五男までは変わってる
6男以降は知らね
弟も信包は変わってる 日本と戦った明は疲弊して、清が統一した。
日本と戦った中華民国は疲弊して、中国共産党が統一した。 現代での通称名と当時実際に使ってた名は往々にして違うわな >>27
街道の整備
3年掛けて領地内の街道を全て整備して流通、軍の移動を容易にした 仏教の蛇信仰は間違ってるからな、秀吉もイエズス会には融和的だったんだけども、例の件あってキリシタン弾圧した
聖書は正しいのだけど、宗教が良くないのだよね
現代のカトリック教会もあんなだし 失敗も多いが立地のおかげでノーカンにできるのが強い >>795
北条早雲とか、本人その名前使ったことないらしいね。 ほぼ統一して余裕出来てきて
宣教師たちのやってること目のあたりにしたら弾圧してたんちゃう?
宣教師もプライド高いだろうしな >>796
織田信長の家は分家の分家なんやろ
普通は分家した時点で「織田」を捨てて「清洲」とか「那古野」とか名字を変えるんやろ >>1
当時の外国勢力と繋がって奴隷戦略を使ったんだろ
今の経産省と同じだよ
日本で奴隷戦略を使った人なんてほとんどいないから
織田信長はかなり珍しいケース
世界規模で奴隷戦略を使った日本人は歴史上皆無だろう
勢力におされて巻き添えで奴隷戦術を採用した人なら結構いる
だけど巻き添えだから渋々使っていた なんで今更くっそ古い信長像をそのまま連ねちゃうの
今日びの関連書籍にあたればぜんぜん違う常識に書き換わってるのに >>778
何かこう説教しながら以前の他の失敗もほじくり返して
ねちねち責めてるクソ上司感 >>803
信長がキリスト教優遇なのは彼らが鉄砲を持ってきてくれるからだよ
仏教勢力に対して優位性を保つため >>9
無価値な詫び寂びに価値を与えて茶道を完成させたのが
千利休だもんな、そして千利休もキリシタン
焦った豊臣秀吉は大急ぎで巻き返しをはかる 信長の細川幽斎に宛てた手紙なんかは現代語にすれば、ヤマユリ園の襲撃犯の手紙と変わらんところがある。貴族界隈では鼻から使い捨ての人材であった。 当時、取引で使われた高額な商品は銃とヒトだもんね
人身売買やってた
戦争には仕方なく参加する日本人はいるのだが
人身売買を巧妙に使って時代を乗り切る日本人は
歴史上ほとんどいない
奴隷体制と引き換えに爆発的な経済力と軍事力を獲得し、
その経済力と軍事力を使い領土を拡張させて、
領土を拡張させることで拡張させた領土の人々を奴隷化させ
再び新たな経済力と軍事力の資金にする
もちろん奴隷戦略は人倫に悖るので採用した者は
必ず行き詰まり、歴史上何度も非業な最期を迎えてきた >>813
足利一族も新田一族も毛利一族も大内一族も伊達一族も嫡流以外は名字を変えとるやんけ
毛利なんて古い時代に枝分かれしたよその系統の毛利家の名字を他のに変えさせとる 信長がいなかったら豊臣も徳川も天下統一は出来なかったからな
信長が封建制度や宗教勢力をぶち壊したのがデカい 中卒の作文かよw
武田とか大友みたいに守護大名から戦国大名になった奴もいるのに >>7
大友がキリスト教を保護まではいいけど、領民を海外に売っていたの聞いて寒気したわ >>818
当時は丁稚奉公って言って普通に人身売買横行してたから国内が海外に変わっただけだろ >>767
戦闘だけなら島津氏が不敗で勝率も1位だろ
釣り野伏せ最強 >>816
信長の大飛躍は、秀吉が傘下に入って活躍し始める時期にピッタリ重なるんだよなあ
それまではずっと美濃に手も足も出ず10年経ってる
信長の偉業の半分近くは秀吉の手柄 >>9
楽市楽座も凄いよな今で言う新自由主義的な感じか >>821
巻けまくっているやろ
飯野城も伊東に落とされて島津義弘は薩摩へ逃げているし >>804
織田家の場合は本家も分家も力が拮抗していたからな 3まで行くこのスレは何だろう?
特に何かあった訳でもない 信長は不逞な詐欺坊主を捕らえて成敗したり
障害持ちのを乞食を気にかけて助けたり
意外に人情味があるんだよな 明智がやらなくても信長、家康、誰かがやってただろう。 あのまま行ったらキリスト教に乗っ取られていた。
だから、信長も家康もキリスト強を禁教とした。 宗教の衣で隠しているが実体は侵略者だからな。 >>818
まだ最近のネトウヨ史観に毒された高卒がいるのか…
実態は >>820 >>829
それなら奉公明けで海外から帰ってきた人はいるのか? 尾張統一して美濃平定したら終わりの信長と違い、
武田勝頼の方が面白いかも
あの四方八方が敵だらけで、どうやって勝ちに行くのか、
でも、勝頼の最大判図は長篠の戦で大敗した後なんだ、
意外に勝頼の外交力が高かった
誤算は謙信の逝去で信長包囲網に穴が開いたこと、
北条も家康も、長篠の後ですら武田家とまともにぶつかろうとしていない、 信忠が生き残って岐阜まで帰れていれば秀吉の時代は来なかっただろうに
有楽のボケのせいで… >>828
間違えた信長じゃなくて秀吉だった訂正するわ。 今の価値観で思い返すと
こんな内戦で同じ民族同士で万単位の人間同士で殺し合って
誠に狂ってる >>831
勝頼はもっと評価されていいよな
信長も勝頼を「古今並ぶべきものない英雄」と言ってるし家康も息子信康の初陣のとき「武田勝頼に勝るとも劣らない武者ぶり」と勝頼を高評価していた >>835
むしろ信玄が一族の統制に失敗して豪族の連合体である中世的武士団から脱却できなかった
武田滅亡の最大の要因は一族や辺境の大領主の離反だから >>835
サンキュ、信玄じゃなくても武田強いよなあ
家康が敗残兵である武田家臣を多く引き入れたのも分かる、
三方ヶ原の戦で学んだか、「戦ったものしかわからない武田の怖さ」
信長は武田と言うより、勝頼を警戒してたから和睦に応じなかったか、
その前の信長からの和睦は、信長包囲網(武田、謙信、本願寺、毛利など)が
厳しかったからしょうがなく…だと思うが 司馬遼太郎が書いてたけど、戦争とか軍事の天才は非常に出現確率が低い才能らしく
源義経や信長、ナポレオン、パットン将軍など政治家としては脆い所があり失脚すると >>831
勝頼は高天神の対応が大失策
何がなんでも救援にいくべきだった
天正9年1月25日の水野忠重(勝成の父)宛の信長書状には
・敵が降伏をしてきても決して受け入れるな
・高天神城の降伏を受け入れたままの状態にして突如進撃する。そうすれば他の支城は勝頼頼むに足らずと勝頼への求心力が低下し謀反する者も出てくる
とあり信長が勝頼配下の士気低下を画策していて鼻から勝頼が後詰めできないと読んでいたことが分かる >>2
ていうか一番妥当な評価がされている武将だろ? >>839
なんか分かる気がする
天才を多くの凡人は理解できない事もあるだろうけど
未知の危険 を安く見積もる事も多いからだろうかw? 昔から血統主義は安定志向だが実力主義は内乱の元だからな
かのギボンさんも、ローマ帝国衰亡史の軍人皇帝の時代とかで
絶対王政最高と叫んでいる 人は記憶型と思考型に大別できる
信長は城を使った戦をする
桶狭間では付け城で義元をおびき出した
岐阜取りは墨俣城と小牧山城の築城
朝倉攻めはでは小谷城を柵で囲んでる
設楽が原では柵を構築 >>840
武田勝頼は、信長との和睦交渉を優先して、
信長の同盟者である家康相手に援軍を差し向けなかった、
当の信長は勝頼と和睦するつもりなんて全くなく
高天神城が家康の手で落ちるのを待っていたそうだ
親父、信玄が落とせなかった(無駄な労力避けただけかもしれんが)高天神城
そこを落とした武田勝頼。その城陥落が武田家の運命を決めるとは皮肉よの
どうすりゃ良かったか。結果論で言うと、
北条の方へ攻めて相模の海を取るのがベストだった、
20年以上も信濃攻めに拘った信玄がアレだったのか パットンが戦争の天才とか無いわw
普通にアイゼンハワーとかのほうが上ですよ >>839
ぷwww司馬遼太郎っていう歴史系SF小説を鵜呑みにしちゃってるとかwwwお前、頭弱いだろwww >>835
武者としては優秀だけど武田の惣領としての教育を受けてなかったせいもあって主君としては駄目だった >>287
あの頃の美人て、言うところのおたふくの面だがw まあ日本がカトリックにならないと信長の屏風も奇跡的にバチカンで発見はされないだろう。当たり前の奇跡。 >>1
戦国大名の殆どは既にその地域に先祖代々地盤があった
信長にしても守護代の親族で親の信秀時代には既に戦国大名化して独自に外交や戦争をしている
北条早雲にしても室町幕府の有力な氏族の伊勢氏の出自で
早雲の父の代から既に足利将軍家で影響力があったしな
一代で成り上がったというのは実質、秀吉とかそこら 司令官や調整役じゃなく現場の軍人て意味ね
あと信長と秀吉の功績は宗教に対するタブー打破だろう
信長は反抗する寺への焼き討ちをタタリとか気にせず行ったし
秀吉もキリスト教の侵食を食い止めた
迷信や宗教色を日本からなんとか拭い去り近代化への足掛かりを作ったとも言えよう >>1
【合戦解説】桶狭間の戦い 織田軍vs今川軍 信長の一か八かの奇襲戦が成功!天下に信長の名を知らしめた戦い Battle of Okehazama
https://www.youtube.com/watch?v=vpDG82kc30k
【合戦解説】美濃平定戦 織田軍vs斎藤軍 織田家悲願となる美濃平定戦 信長の奇抜な登用と戦略が斎藤家を翻弄させた戦い Battle of Mino
https://www.youtube.com/watch?v=b5SsQzkUgR8 金で兵を雇用するっていう考えはどこからもたらされたのか
とてつもない天才ブレーンがいたのか、鉄砲と共に欧州から伝来したのか >>812
細川家に伝来する信長文書は59通あるけどそんな内容の書状あったか?
大体は読んだことあるが記憶にない
その書状の発給された日付教えてくれ >>1
【合戦解説】川中島の戦い(三次・四次) 武田軍vs上杉軍 北信濃の勢力争いで最大の激戦となった武田信玄と上杉謙信の因縁の決戦! Battle of Kawanakajima
https://www.youtube.com/watch?v=RJg2wfgH5Tc
今までと違う【新・川中島の戦い】戦国大死闘をアニメ解説【世界史の戦術戦略】
https://www.youtube.com/watch?v=WnMmYekB_fw >>856
以前から為政者による寺の焼き討ちはあったよ 武田信玄 信長と戦わずして勝利
上杉謙信 信長包囲網の時に逝去
運が良すぎるというか何というかw
「運も実力のうち」なのは百も承知だが
信長は商人性の武士、秀吉はスパイに長けた武士 >>858
応仁の乱の頃に細川勝元が骨皮道賢という足軽大将率いる部隊を持っていた >>843
前提条件だと思う
戦争屋は相手に対する
勝利・講和という結論に対して最適解を考えるものの
政治屋は中には自国が勝たなくていい
自分にさえ利益があれば国の人間らは殺されてもという人間すらいて
中にも敵がいるしな >>839
義経は微妙すぎるな
北畠顕家とか立見尚文とか
名将ならこのへんかな >>861
ああ、そう
少しはあっただろう
程度や民衆に与えるイメージの差かな >>27
思考が柔軟だからサリッサを導入した感がある >>871
はいそうですかと今側に服する大名が居るとおもうか?
足利ですらこの状況で >>809
いやそこは単純に信長が新しい物好きなだけだっただけ
鉄砲に限らない >>849
司馬遼太郎は戦車兵として従軍してる。
そこいらの実体験の話も面白いからお前が活字よめるならお勧めするよ 信長は運がよかったんだよ
立地がよかったし
隣国に列強な大名が居なかったし
家康がケツを守って最後まで裏切らなかったから京都まで楽にいけた 同盟破棄して攻め滅ぼして
当主殺害し、その娘をレイプして孕ますような人物では
との道天下統一なんて無理だよ
信玄が成れるのはエロゲの主人公だけ 幼少時代に、信長と家康に何かがあったのだろうね。
ビートルズのジョンとポールみたいな何かが。 信長の実力起用の象徴とされる秀吉も、木下家は織田流の遠江国人という説があって
つまりいわゆる武士からの立身で縁故昇進だと
さらに信長の四男・秀勝を養嗣子に迎えているので、信長としては
秀吉の出世は我が子への加封であって血族主義の成分が強いの
同時代の記録に現れたときにはすでに大幹部だし
一族を重んじた新信長像に照らせば、特別なスタート地点を想定するほうが自然なんだよね もっとも>>839の話はアレだがね、平時に軍事の天才がいても活躍の場がないしな
>>875
いまだに今川義元ザコ扱いは小学生にバカにされるぞ 最近は信長マンセーの学者が多くなったせいかニュース板までこんなスレが 3英傑の地元がほぼ同じってのは、
やっぱ全員が立地に恵まれてたんやろなあ、と…それだけではないが、
あの3人が生まれたとこが東北や九州、四国だったとしたら 信玄が病死しなかったら家康と同じく蹴散らされてただろう >>880
当時150万石持ってて
兵力5万を動員できる大名は
今川義元だけだったよね
なんで今川は桶狭間の戦いの後に
すぐに義元の弔い合戦しなかったの?
再度尾張に攻め込まなったの?
ビビリの氏真には付いて行っても
メリットはないと思い
で家康は信長に付いたとか >>884
それそれな
三方ヶ原の戦いね
包囲網の時ね
それも運がいい >>880
徳川家康が尊敬していた人物だからな
今川義元は >>887
尊敬してたのに、死後速攻今川を裏切るのか
尊敬とはなんだろ? 信長さんは割り切り方が凄いわ
比叡山焼き討ち、一向一揆皆殺し、伊賀甲賀殲滅
邪魔者を片付けてくれてたので、あとの秀吉や家康は楽でした 信長は運がよかったんだよ
立地がよかったし 尾張だけで65万石あり 美濃手に入れて100万石に届いたし
京都までは
列強な大名が居なかったし このへんが運
家康がケツを守って最後まで裏切らなかったから京都まで楽にいけた
信玄も運よく病死したし
今川と武田と上杉と北条は列強な大名が隣国に居て
簡単に領土なんて拡張できなかった 今川義元ですら
三国同盟結んでから桶狭間の戦いを開始したし
留守中にすぐに攻め込まれる >>885
氏真が動かないから家康が勝手に弔い合戦始めてしまったぐらいだから、多くの人が氏真に失望してしまった >>883
四国ならまだ可能
阿波に地盤があった三好長慶は阿波の出自だからな
その阿波から近畿・京に進出しているわけで >>888
当時今川義元はもっとも
天下に近くて
3国持ってて150万石所有してて兵隊の数も5万
持ってた 当時兵隊5万持ってたのは
義元だけ 最強の軍師も居たし >>888
家康は岡崎に帰って自害しようとしたんだぞ
菩提寺の住職に諭されて生きることにした >>891
信長と同盟組んだのに
今川からの姫は軟禁した後に惨殺してるのに >>878
光秀は言うに及ばず
他にも軍団長の1人 滝川一益も出自が怪しい1人だしw
バックボーン無しで、大出世してたのは、秀吉だけじゃないよ >>894
家康って自分に都合の悪い事は他人のせいにするよね
長男の殺害、正妻の殺害共に 尾張だけで65万石あって
運良く美濃が お家騒動で道三が馬鹿息子に殺されて
2代目の馬鹿ぼんが運営してて没落してたからね
これも運 道三が運営してて竹中半兵衛が睨みを
聞かせてたら 信長もやばかった >>824
司馬遼太郎「島津の兵は鎌倉期の兵なみの最強の強さを幕末まで維持していた」
歴史家磯田「九州は兵が強くて優勝候補だらけのトーナメントやってるみたいな場所だから当時に一番生まれたくなかった場所、島津の進攻を受けて生き残れるのは生半可じゃ無理」 >>887
大御所になった後に岡崎じゃなくて駿府に移ったあたり三河じゃなくて遠州が故郷という感覚だったのかもな >>894
その辺は後付けの徳川が作った歴史臭いでしょ?
桶狭間だけじゃなく
本能寺の後も、切腹するとか言い出してる話になってるし。
家康関連の話の多くは作り話・創作が多いと思われる 毛利も速めに領土拡大してたら
天下統一できたのに
長曾我部や島津や伊達は領土拡大するのが
遅すぎた これは運が悪かった 本家が主君斯波義統を殺害
→本家を討伐する大義名分を得る
美濃の義父斎藤道三が息子に討たれる
→斎藤氏を討伐する大義名分を得る
殺された将軍の弟に上洛を頼まれる
→上洛に逆らうものは討伐できる大義名分を得る
なんか神が天下への道を引いたみたい 桶狭間で義元が勝ってたら
そのまま義元が天下統一してただろう >>886
見捨てられた形で浜松城に孤立した家康が武田に寝返る可能性もあった >>893
んで、あっさりやられて蹴鞠デブと後世に名を残すようにw
公家出身だかで、統治も治世も悪くなかったらしいが…
マンガの振りみたい、キン肉マンの100万パワーとか >>806
それな
先ず徳川が糞放りながら滅んでたから信長信玄の決着がどうころんでも歴史は大きく変わっていたよね >>887
太原雪斎に相当教育されたらしね
あの大軍師
あいつが死んだのも痛手だった >>899
そんな強い九州兵がどうして天下取らなかったの? '滋賀すげぇえええええ 完全に大阪超えキタぁあーーーー
【現代的新しい価値・文化の創造】
1.ゆるキャラ(ひこにゃん)
2.イナズマロックフェス (西日本最大)
3.オペラ
4.ビワイチ(自転車 琵琶湖一周)、ウォータースポーツ、グランピング
5.ラッピング(路面)電車
【著名な観光地】
1.比叡山延暦寺、三井寺、石山寺、坂本・日吉大社、近江神宮、おごと温泉、びわ湖バレイ
2.彦根城、安土城
3.長浜黒壁、竹生島、多賀大社、メタセコイヤ並木、湖東三山・鶏足寺・永源寺(紅葉名所)
4.八幡堀、近江商人屋敷、水郷、ヴォーリズ建築(旧豊郷小 他多数)
5.信楽焼、琵琶湖博物館、佐川美術館、MIHOミュージアム、甲賀流忍者
【美味名物・食文化】
1.近江牛、鴨料理
2.鮎、ビワマス、ホンモロコ佃煮、ふな寿司
3.焼き鯖そうめん、近江ちゃんぽん、比叡そば、伊吹そば、来来亭
4.近江米、近江野菜、朝宮茶、近江の地酒
5.叶匠壽庵(和菓子)、クラブハリエ(バームクーヘン)
大阪 → たこ焼き(笑)串カツ(笑)ハルカス(笑)偽大阪城(笑)道頓堀(笑)橋下劇場(笑)
. >>901
家康が菩提寺の住職に説得されたとき教わった言葉が
「厭離穢土欣求浄土」であり、家康はそれを旗印にして生涯戦った >>878
秀吉が遠江木下氏の出自ってのは藤吉郎の藤が通字だからって主張しかなくて他にそれを立証できる史料もないからかなり微妙な説だよ >>909
島津が九州統一したときには
日本本土のほとんどは秀吉が
統一してたの
島津軍5万VS秀吉の配下の連合軍25万じゃ
戦いにならんよ 家康のやった事
今川従属→死後、独立し今川を攻める
織田配下→死後、織田領の甲斐信濃侵攻
豊臣配下→死後、主家である豊臣を滅ぼす。主君の子である秀頼は殺害
自分の実子である長男を切腹させ、理由は信長のせいとか言いふらす
今川からの正妻を長期軟禁した後に惨殺、これも信長のせいと言いふらす
豊臣秀頼には孫娘が嫁いでるが躊躇なく戦を仕掛ける
幼い秀頼の子供も惨殺、娘も尼寺で監視
意外とろくでもない。律儀とは何ってレベル >>911
それは、三河一向一揆のせいだよw
離反されないように、スローガンを掲げたの
家臣や一般兵・領民からの求心力を得るためにやっただけのこと
お話を真に受けすぎw >>906
今川って公卿出身じゃなくて源氏
武家の中でも足利将軍家に近い血筋だから
それほど無理しなくても将軍になれる可能性も高い家柄 信長が成功できたのは
才能と運がよかったから
最後は運尽きて光秀に殺された
秀吉と家康が運がよかったのは
信長の配下になれたから >>909
京都から遠かったから
あと九州を統一する直前に秀吉が先に他の場所征服して大軍を九州に送ったから >>903
大義名分最強ということだな
武田信玄みたいに大義名分無視して取りやすいところから領土を取りまくっていると、そのうち敵だらけになって停滞する >>913
遠征軍になるから絶対とも言えない
どうしても食料等の問題が発生する 信長包囲網の時で
信長は10万の兵を動員できてたらしいね
もう楽勝じゃん >>913
そうだとしても九州兵が降参した後の
秀吉連合軍の主力にならないとおかしくない?
朝鮮でも関ケ原でも島津以外の
九州兵はあんまり活躍してなくない? >>918
京都に近い方が有利ならどうして京都から
天下統一する大名が出なかったの? >>922
秀吉の停戦命令無視した時
島津九州を統一して5万の兵動員して
秀吉の連合軍を迎え撃ったけど
秀吉に負けて 九州の1国だけ安堵で
関ケ原の戦いの時は3000人の兵
しか動員できなかった 笑
大名は負けたらオワコンだよ >>916
将軍だったか、「義」の字をもらってるからね
今川義元、朝倉義景
武田晴信や謙信でさえ「信」だったのにな >>913
しかも豊臣軍が到着する前に
統一して間もない九州勢に対して
寝返り工作を黒田官兵衛がやりつくして
島津側になっているのは島津家と
北九州にいたわずかな勢力だけだったもんな
黒田官兵衛が巧みすぎて、ガチの戦闘以前に
勝負が決まっていた >>924
武田の勝利というよりは上杉の敗北といった方が正しい
武田は侵略してきた上杉の攻勢を凌ぎきった >>922
朝鮮出兵では九州勢は島津含めて文禄・慶長共に主力だよ
伊達政宗が母義姫に宛てた書状でも九州・四国勢は主力なので当分帰国できないが私は東北の武将なので早々に帰国できることになった
これに関しては東北の大名で本当に良かったと言ってるしね 信長が生きてたら大陸に進出してたかな。皇帝になる? >>922
島津と争っていて
九州に豊臣が攻めてくるキッカケになっていた
大友は朝鮮征伐で失態をして、改易になっているよ
逆に島津は大活躍したので、戦後に加増になっている
あともともと九州勢じゃなかったけど
九州征伐以降に九州に入った加藤清正を忘れているだろ? 川中島で謙信に負けて軍の再編成に時間を要したのが上京が遅れた原因みたいだよね 義元は政治とか雑魚とは言わないがあの兵力差で討ち取られてるので戦は雑魚だろ
信玄とか謙信や正宗も必要以上に持ち上げすぎなんだわ
強さ
尾張兵 全勝して天下取ったから 長槍や鉄砲を使いこなし籠城、城攻め、野戦万能
三河武士 尾張に従軍して最終的に勝ったから
関東武士 鎌倉の印象があるし北条とかそこそこ強い
上杉軍 野戦では強かった
毛利軍 勝ち残ったから
九州兵 尾張に一蹴 朝鮮や関ケ原では強かった
武田軍 騎馬に拘り過ぎた 尾張に壊滅
一領具足 弱かった
畿内兵 最弱 >>929
なにげに九州勢は大変だよね。蒙古もやっつけたし。強いよなあ >>935
ああ、そうだねえ。水軍では遙かに劣るよなあ。 >>926
謙信は法号
足利義輝から貰ったのは、「輝」の字だ 司馬遼太郎「島津の兵は鎌倉期の兵なみの最強の強さを幕末まで維持していた」
そして、徴兵でかき集めたどん百姓兵に負けた西郷は
「このへんでよかと」と腹かっさばいた 島津かわいそうだね
九州統一したとき5万の兵隊動員したけど
でももう秀吉が本土の3分の2は統一してたからね
これは運が悪かった
九州統一するのが遅すぎた シーマンズ は兵としては地上最強!
でも秀吉軍の圧倒的物量戦争の前に屈した
量は質を凌駕できる 島津 秀吉に負けて
頭坊主にして土下座したらしいね >>122
新潟が人口100万人で近世まで豊かな土地だったなんて知らなかったろ
俺も知らなんだ >>922
九州統一したてホヤホヤで島津から秀吉に寝返るのもたくさん出るかもしれんから
立花は秀吉に援軍を要請してるし 女物の着物を着て
馬ばかり乗りまわして
父親の葬式で位牌に焼香投げつけた
まあそんな破天荒だからそれまでの形式を打ち破ったんだろう
てか、継承できなかった >>944
今でも豊かですぞ
高橋留美子の豊かな乳を見てもそれは明らか 島津が圧倒的な物量を持ちながら、
ほぼ負け戦に等しい損害を出した岩屋城攻めは島津信者の黒歴史かな >>18
徳政令みたいなアホな政策してる時点で滅びない方がおかしいけどな >>941
根白坂に布陣する宮部勢四千に奇襲をかけた島津家久隊一万三千は先鋒の北郷隊を一瞬で壊滅状態にされてしまい収拾できない混乱に陥った
宮部勢に加えて藤堂たち一万の援軍が駆けつけて来たのをみて敗走してしまった 信長がすごいのは、楽市楽座
関税をなくし物流を活発にさせることで、敵国の情報がたくさん入ってくるようにした
忍者も重宝してさ
今信長がいたら、IT産業を誘致し、ハッカーを雇って情報収集してると思うw 大陸進出構想は信長時代に既にあった、
秀吉はそれを聞いてて踏襲したに過ぎない、
もっとも、秀吉の朝鮮出兵は明を取るためで
スペインの植民地支配に対抗するためだがね、
日本が植民地にならなかったのは、武力があったから
武力がだめなら、宣教師使って内部侵略やろうとしてた>スペイン宣教師
スペインはフィリピン・ルソンから明を狙っていた、もちろん日本も
「フィリピンに攻め込むぞ?」と宣戦布告もしている、
大東亜戦争の戦国版やね
地政学的に日本は朝鮮半島を抑えられると弱い(これは今も同じ)
スペインに明を取られたら、自動的に半島も取られる、
そうはさせじと、明を取りに行こうとするのは当然のこと
だから、秀吉は朝鮮半島を取るための戦争じゃなく、
日本を植民地にさせないための戦争だった、
伴天連追放令も、奴等が十字架使って植民地にする計画が明らかになったから >>947
ものすごく変わった人だよねえ。まあ、ちゃんとしてるところはちゃんとしてるみたいだけど、似たような人が歴史上一人も居ないんでは?特殊人物だよなあ >>943
翻刻文だけど義久が剃髪して許しを乞うところを秀吉が配下の一柳直末に知らせた文書
是非読んでみてくれ
(天正15年)1587年5月25日付豊臣秀吉朱印状 一柳直末宛
去月十六日之書状、今月廿五日於薩州鶴田到来披見候、
嶋津事可為御誅罸處、頭を剃、捨一命走入候条、被成御赦免、義久一類并家老者共迄悉人質被召置、九州之事、無残所一篇ニ被仰付候、
然者至博多可被移御座候、彼地自大唐・南蛮舩着候間、普請之儀丈夫ニ被仰付、頓可被納御馬候、
其刻嶋津可被召連候、次材木之事入精之由尤候、弥不可由断候、猶木下半介可申候也、
五月廿五日(秀吉朱印)
一柳伊豆守とのへ 新潟は縄文以来ず〜っと
『鮭パワー』で多くに人々を養ってきたんだよ
これ ホント! 姉川の戦いでの家康の三河武士たちが、織田の尾張兵は弱兵だと感想を漏らしたということで
尾張兵は弱い、けれど織田の経済力と革新的な戦術で勝ち進んだように感じるけれど
桶狭間合戦については現代では今川義元は桶狭間山と呼ばれる小高い丘の上に陣をとっていて
織田軍は山を駆け上って今川軍を攻めていたと言われている
それで勝つのだから、弱兵はないと思うんだよ
かなり強い兵だったと思う >>939
西南戦争は薩摩と薩摩の戦いみたいなもんだからな
抜刀隊もほぼ薩摩だし、兵力に差がありすぎる 尾張は一度も負けたことない
戦術的撤退はあるが長篠みたいに大損害は出してないし領土取られたこともない
ぶっちゃけ野戦だけ強くても意味がないし >>958
自己レス
つまり
どこどこが強い、どこどこの兵は弱いってのは
しょせんは戦の結末から出た感想にすぎず
それも戦の条件によって結果はガラリと違ってくる
あまり当てにならない評価だと思うんだよね >>940
九州統一はしてないだろ
大友家(の名将)が頑張ってた。 要はどうやって国人たちを従わせたかという感じかな
人々が早々に納得しないとスピード感が出せないだろうから 我こそはの戦国時代にAK47一丁あれば天下取れたって事 >>958
徳川のお陰で姉川の合戦を勝った話 自体が作り話 だと思わなきゃw
長い徳川時代で多くは幕府の都合の良いようにに書き換えられてる 「尾張兵は最弱」
これは常識。一番把握してたのが信長で、
彼が一々最前線に出ないと付いてこなかったw
他大名は半農半兵だったが、信長は経済力で完全な兵にしたと聞く、
あと他国の農民が畑作りや、冬で引っ込むところを狙って襲撃したとか >>963
統一寸前だろう
もう大友宗麟もやばくなって
秀吉に泣きついた >>27
兵農分離
確か天守閣も信長以降のような
逆に失策の方も知りたいわ
まず挙がるのは宗教弾圧なんだろうが、果たしてこれは失策と言えるのか… 曹操軍40万が攻めてきたら、日本軍なんて5000人で大群とか言っている時点で終わっている >958
桶狭間の時は精鋭部隊率いて特攻したんでしょ。
1番危なかった戦いが桶狭間だったとか。
信長公も、勢力強くなって兵が増えたら寄せ集めが増えたのは事実だろうね。
手取川の戦いでもvs上杉でボロ負けしてるし >>954
オランダが台湾取ったけど
すぐに一軍閥の鄭成功にやられたみたいに
スペインが地上戦で戦える兵力なんて
どうやっても可能性0だと思うが >>971
支那の話ははなし1/10以下だわw 信頼に値しない >>971
元寇のとき日本軍は博多湾沿岸だけで七万、長門に二万、瀬戸内海から京都の防衛に十六万を配備 >>926
武田晴信の信は武田家で代々使われている
12代将軍の足利義晴から晴を貰って晴信
その息子には義の字をもらって義信
上杉謙信こと長尾景虎は、13代の義輝から輝をもらって輝虎と変えた >>959
薩軍は1万五千の大軍だったのに、
僅か数千の百姓兵が籠もる熊本城の城内にすら侵入出来ませんでしたね >>971
実際に終わってたのは中国(当時は明)だけどなw
攻めてきた日本軍に為すすべなし >>973
まあ朝鮮出兵やっている間に、
無敵艦隊がアルマダで、イギリスに負けたから
だから日本も半島出兵を途中で中止した、 >>972
手取川の戦いでは秀吉がもしかしたら
上杉軍が七尾城をすでに落としている可能性があって
上杉軍の進軍速度ならば、すぐそこまで来ている可能性があると
秀吉が織田軍が手取川を渡河して戦うのは危険だと柴田勝家に
警告を発しているが、柴田勝家に秀吉の進言が
却下されて、秀吉は勝手に戦線離脱している
仮に総指揮官の柴田勝家が秀吉の進言を取り入れて
手取り川を渡河していなければ、渡河した翌早朝に上杉軍の総攻撃に
遭わずに、少なくともあれほどの惨敗はあり得なかった
ということを考えると織田軍が弱兵というよりも
その時の総指揮官の作戦次第の結果 >>841
昔から評価されてるからマンガやゲームになった 九州とか東北のカッペって謎に強兵だって主張したがるよね >>974
官渡の戦い 袁紹十二万、曹操二万
赤壁の戦い 曹操二十万+荊州兵、周瑜三万、劉備関羽二万
夷陵の戦い 劉備六万、陸遜五万
五丈原の戦い 諸葛亮七万 貧乏だと失う物は少ないってのはあるんじゃないだろうか
ブレーキのかかり具合が違う 信長が過大評価って言ってる奴は、誰がもっと評価されるべきだって言いたいんだ
戦国時代を終わらせた(正確にはその一歩手前だけど)のが信長だぞ?
信長以上の武将は日本にはいないだろ >>971
朝鮮半島守りに来るだけで戦後明は崩壊した
内陸国でそれより古い時代の技術水準で海越えて遠征なんて無理じゃね >>985
信長がいなかったら、あのままずうっと小競り合い繰り返してたのかなあ、日本 >>972
手取川の戦いに関してはボロ負けって言うほど大規模な戦ではなかった見る研究者の方が今は多いけどね
謙信の感状の写しが数通残ってるくらいで織田方には手取川に関する史料が皆無で
負けたにしろ全くないのは不自然ってことであっても小規模な戦だったと唱える研究者がほとんどだな >>985
秀吉でしょ
実際に、世界史へ主導的に影響を与えたのは、日本史上では秀吉 くらいのもの >>2
信玄や謙信のほうが過大評価されすぎやけどね
結局、何一つ日本に影響を与えずに死んだ田舎者
俺でもなれたわ 信長より上は秀吉じゃねーの?
んで、さらに評価されるのが徳川家康
キリスト教を追放した、この二人は偉い、
信長は誰かも言った通りスペイン宣教師に取り込まれただろね >>987
いずれ誰かが統一してたろうけど、秀吉家康では無いと思う
有能だけど、結局信長の地盤ありきだよ >>985
安倍政権と同じ
上杉謙信や武田信玄も、民主党や共産党と同レベルが歴史の真実さ >>985
信長以上の武将は秀吉
戦場に出た数の多さであの勝率の高い戦績だからな
信長は武将としてはやらかしが多い >>990
一番の過大評価は伊達政宗
伊達政宗はダテだった >>992
伊達「任せろ!」
島津「いやいや私が」 >>977
相手の大将も樺山って言う薩摩の兵だよ
熊本城 >>986
明の崩壊は万歴帝の度を超した莫大な浪費の結果
秀吉との戦費なんて微々たるもんですw >>995
一次史料読むと分かるけど伊達政宗は外交や立ち回りに関してはトップクラスに有能
ただ戦に関しては過大評価なところがある
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