【学校】入学率1%未満?戦前の旧制中学・旧制高校 卒業すれば旧帝大入り、選ばれたスーパーエリート ★3 [樽悶★]
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中学から高校生のころ、作家の北杜夫さんの作品を好んで読んでいた。「楡家の人びと」「幽霊」など純文学の叙情的な文章が、多感な心に染みこんだ。学校の勉強に割くべき時間を北さんの本につぎ込んだ中高時代であった。他の場所でも書いたことがあるが、北さんの名著「どくとるマンボウ青春記」のことを書く。これは1968年に出版された名作で、ぜひ今の若い人にも読んでほしいと切に思う。なぜかというとここに「学校の神髄」が詰まっていると思うからなのだ。
青春記は、北さんの10代半ばから大学卒業までを描いたユーモラスな自伝だ。中でも旧制松本高校時代の学校生活が秀逸である。世に旧制高校の素晴らしさ、面白さを広めたのは、この青春記といえるだろう。
旧制高校とは、今の高校とは全く違う存在だ。まず、小学校(6年)の上に、旧制中学校というのが5年制であり、その上に3年制の旧制高校があった。49年の学制改革で、現在の制度になり、旧制は廃止されたが、明治時代から終戦後まで、日本の教育の軸になっていた学校といえる。
旧制中学もそうだが、高校も厳しい受験競争があった。同世代の1%未満(0・2%というデータもある)しか入れない学校で、入って卒業すれば、選ばない限り旧帝国大学(東京大とか京都大などですね)に、試験はあるがまあ入学できることになっていた。なので、旧制高校は今の大学受験などの比ではなく、まさに激烈な競争を乗り越えて選ばれたスーパーエリートの集団であった。
1学年200人ほどの男子校。現東京大の一高、京都大の三高といったナンバースクールや松本や新潟といった地名のついたネームスクールが各地に作られていた。受験時から文系と理系を分けた。授業では語学の重視など、特徴的なことはたくさんあるが、それより何より、先生と生徒の触れ合いが濃密であったことが最大の持ち味といえる。
青春記でも「旧制高校の先生のよい点は、生徒と一緒になって人生を語り、親身になって相談に乗ってくれることであろう」と、北さんは書く。本では、面白くも羨ましい、その先生(旧制高では教授という呼称であった)と生徒のやり取りが描かれている。引用すると膨大な量になるのであえて引かないが、例えば北さんらが学生寮の部屋で、いろりを囲んで教授2人と酒を飲み、何かの話題で意見が交錯、北さんは教授の頭をポカリと殴った、という事件が書かれている。その後、うち一人の教授(有名なドイツ文学の専門家・翻訳家)と仲良くなり、北さんの人生に大きな影響を与えることになるのだ。あるいは、定期試験の話。物理の問題が分からず、答案用紙に長い詩を書いて、合格点(60点)に1点足りない59点をもらうといった、当時のおおらかな様子が描かれる。
もちろんそんなふざけた場面ばかりではないだろうし、落第もあって、2年連続で落第すると放校といって退学処分になってしまう厳しい学校でもあった。
旧制高校がエリート集団だったからできたのかもしれない。学力も高く、ぎちぎちと受験に向けた勉強をしなくてもよかったから、教師と生徒の人間的な関係や学校運営のおおらかさが認められたのやもしれぬ。
今、物理の試験の答案に詩を書いて点をもらったら、大騒ぎになってしまうだろう。教師は懲戒処分かもしれない。酒を飲んで教師を殴れば、立派な傷害事件になって、裁判沙汰になる。
学校の役割を考える。高校までは受験突破を目指し、しっかり勉強すること。良し。大学に入れば、ちょっと息抜きしてから就職試験突破に向けて、勉強すべし。これもまあ良し。しかし、いったいどこで「人間を作る教育」を施すのか? 教養を持った人をどう育てるのか? 人間の幅を広げるのは学校ではないのか? もちろん学校だけではないが、学校が外れることはありえないと思うのだ。
青春記を読めば、本来の学校の大事な役割が見えてくる。「今の時代では不可能だ」と諦めるのではなく、良い点を取り込む学制を、新たに編み出すべきではなかろうか。私はそう思うのだ。
毎日新聞 2020年10月7日 11時57分
https://mainichi.jp/articles/20201007/k00/00m/070/082000c?inb=ra
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2020/02/18/20200218k0000m040103000p/9.jpg
★1:2020/10/10(土) 21:19:09.82
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1602375791/ 楡家の人びとはすごいよなぁ
トーマス・マンの作品が下敷きらしいというのを後で聞いたけど
こんなん書ける人がいるのかぁって思った記憶 昔は1%しか大学に行けなかった。
今は50%
かん 中3まで授業は聞いていたけど塾行かないで部活ばっかりやって中3部活全国大会終了後の9月から受験勉強して
地域一番偏差値71の高校いった俺なら楽勝 戦前の学歴を語るときは、不用意に現代の価値観で論じてはいけない。
あと、証拠がない議論もよくない。
たとえば、陸士海兵は一高より難しかったとか、
東北大学法文卒が、明治大学の学士より尊重されていたとか、
これらは根拠がなく、実は間違い。 学歴社会は変貌する。
東大ブランドは最後のあがきをしているが、もう衰退する。
これからは欧米の一流大学卒しか通用しない。 今でもそういう先生いるけどな
俺もドイツ語の答案にカレーのレシピを書いたら30点もらえた
もちろん赤点である 既に欧米の研究結果では、「人間の教育レベルは中学生までには決まる。それ以降は落ちこぼれにいくら教育をしても無駄(人並みがせいぜい)」と出てる。
だから日本でも小学生ぐらいまでに全国一斉の学力テストとかで評価をつけて、
上の方はエリート候補生のコースへ送って立派な政治家や大企業の幹部に、
下の方は専門学校で職能コース受けさせて立派な技術者や熟練労働者に育て上げるのがいいと思う。
こうすれば機会の平等は保たれるし、結果(=みんなが自分の適性に応じて能力を発揮できる)の平等も保たれる 戦前の経理部幹部候補生に採用された人の学歴を見ると
東大経済学部卒にならんで、拓殖大学商学部卒が普通に採用されている。
みんな学士としてエリート扱いだったことがわかる。 教養の講義で時間いっぱいまで人体デッサンを描いたら50点ももらえて舞い上がったな
結局、60点に満たなければ不可なんだが >>1
現代なら、リベラル・アーツ・カレッジに4年間通って
院で専門知識を身に着けるだな・・・ 俺の家の隣の親父さんが旧制高校、京大の理系だった。それで地元の国立大学の教師だった。
子供の頃、そんなとんでもないエリートだとは思ってもみなかった。
でもその隣も東大卒の役人だった。
どういうわけか、大学教授と新聞記者が一杯居た。嫌な所に住んだもんだ。 今の教育者でこんなエリート集団を教えることのできる人材はいない
本物の先生と呼べる存在は今の世の中にはいないのだ 日本の1人当たりGDP 世界ランキング
1960 31位
1985 2位
2019 29位
成長期に研究できた人は幸せだった 旧制進学ルート
尋常小学校(6年)→高等小学校(2年)
尋常小学校(6年)→高等女学校(4〜5年)→女子高等師範学校、女子専門学校
尋常小学校(6年)→実業学校(5年)→専門学校、大学予科
尋常小学校(6年)→中学校(2年)→師範学校
尋常小学校(6年)→中学校(5年)→高等学校(3年)→帝国大学
尋常小学校(6年)→中学校(5年)→大学予科(2〜3年)→大学
尋常小学校(6年)→中学校(5年)→大学専門部(3年)
尋常小学校(6年)→中学校(5年)→高等師範学校
尋常小学校(6年)→中学校(5年)→専門学校 最終学歴は尋常小学校卒ってのが当たり前だった時代だろ >>9
軍学校をやたら持ち上げる人が多いのは謎だな 今と違って、そもそも大学を目指す人がほとんどいない
中世社会だから、絶対値としての優秀さの比較にはならんわ 早いうちに適性を見極めて職業訓練をするか、高度な教育を受けてアカデミックな仕事をするか決めたほうがいい気もする 大学の歴史は大衆化の歴史で、これが逆向きになることはない。
つまり大学はもう有用な学歴とはならない。
エリートを作る新しい機関もできないだろう。 旧制官立高等教育機関
旧帝大…東京大学、京都大学、東北大学、九州大学、北海道大学、大阪大学、名古屋大学
旧六医大…千葉大学、金沢大学、新潟大学、岡山大学、長崎大学、熊本大学
旧医大…群馬大学、弘前大学、信州大学、徳島大学、鳥取大学
旧文理大…筑波大学、広島大学
ナンバースクール…東京大学、東北大学、京都大学、金沢大学、熊本大学、岡山大学、鹿児島大学、名古屋大学
旧商大…一橋大学、神戸大学
旧工大…東京工業大学、大阪大学
旧高商…一橋大学、神戸大学、山口大学、長崎大学、小樽商科大学、名古屋大学、福島大学、大分大学、滋賀大学、和歌山大学、横浜国立大学、香川大学、富山大学
旧高工…東京工業大学、大阪大学、京都工芸繊維大学、名古屋大学、熊本大学、東北大学、山形大学、秋田大学、群馬大学、横浜国立大学、広島大学、金沢大学、九州工業大学、
千葉大学、神戸大学、静岡大学、徳島大学、新潟大学、福井大学、山梨大学、室蘭工業大学、岩手大学、茨城大学、山口大学、愛媛大学、九州大学、信州大学
旧高師…筑波大学、広島大学、金沢大学、名古屋大学 >>27
旧制中学が学区トップ校 女学校が二番手校 のところが多いんじゃないかな 進学組でも旧制中学は金に余裕のある家
とりあえず高等小学校がデフォルト >>3
紛れもない「戦後文学」の誕生を示す傑作だね >>1
ニュースの速報板で話題にしなければならないほど
速報性のあるニュースとはとても思えない。
こんなニュースを速報しなければならないほど今の日本は平和なのか。 >>26
理系は院卒のほうが上だろう。学卒じゃ研究職に付けない
文系は微妙だが、官僚・大企業なんかだと欧米トプスクールでMBA取らせる人材もでるだろうな。 >>30
俺の母校(高校)は学区トップ校だったが、旧制中学と旧制高女を合併してできたところ。
確かに当てはまる。 >>23
田舎の貧乏人にとっての出世コースは
学教教員か軍士官くらいだもん
ちょっとしたホラくらい許してやれw >>30
俺の母校も(高校)は学区トップ校だったが、旧制中学と旧制高女を合併してできたところ。
確かに当てはまる。 結局勉強しか出来ない世間知らずが国を滅ぼすわけね。 学歴偏重社会を煽ってきたのは、こういう記事書いたり、合格者数ランキングの記事を書いて小銭稼ぎをする毎日新聞や朝日新聞やろ。
学歴社会の弊害を批判したりしつつ、一方で、その学歴社会の上流に憧れを表すような記事書いたりと、鬱屈してるわ。 北杜夫作品は、重厚長大な長編や、チープな「ユウモア小説」なんかより、
エッセイが圧倒的に面白い 旧帝、って言い方は2chで知った
東大や京大の人間は旧帝と言わなかった
「七帝戦」というスポーツ交流戦はあったが 旧制松山の寮生は、みんなお腹すかせてキャベツを食べてただろ。映画ダウンタウンヒーローズぐらい見ておかないと。 >>41
娘のなんちゃらというエッセイストが
北杜夫が死んだとき医者に「作家の北杜夫」と言っても知らなかったと言ってた 昔「どくとるマンボウ青春記」読んだときは
素直にバンカラ面白いと思ってたものだが
その後「私の履歴書」読んだら超おぼっちゃんでなんか幻滅した 昔遠藤周作と北杜夫の対談集が本になって
その表紙裏に両方の住所が出てたことがあった
今では考えられない
当時もファンレターが殺到して大迷惑したらしいが >>1
これは嘘、なぜなら当時は貧富の差や身分制度もあり、
軍学校(無償)や商業学校、師範学校(無償)にも優秀な人材が進学した、
医専も大学医学部とは別で旧制中学・実業学校卒で受験したから
頭の良い人間がすべて旧制高校への進学を志向したわけではないから
実際の難易度はそれほど高いものではなかった
だいたい旧制中学進学者のほとんどが旧制高校を志望していたわけでもない >>39
社会で一番必要ない人材は「ひよわなエリート」
アカデミックな世界でも教授やってるような人は
多分会社に入ってても役員になってただろうなという人が多い >>14
ただのデキの悪いボンボンだな
海軍経理学校の短期現役制度で重要なのは、
むしろ大卒と同様に高等商業学校卒にも入学資格があり、実際に入学していたこと いまの時代で天才かなと思う人は、ダライラマ、ポストマロン、玉川、松陰寺、北野大かなー 高齢ジジイの話を聞いてみればいい
手に職をつける専門学校と大学の区別がついていない >>53
(ヾノ・∀・`)ナイナイ
藤木英雄や山口厚は言うにおよばず、
新左翼の学生に吊るし上げられた丸山真男
研究室をメチャメチャにされた川島武宜のどこがひよわじゃないんだよwwwww >>53
メクラ印おしたり文書を口頭校正して事務局に書き物押し付けてる奴が多いからそれは無い
企業重役はゼネラリストであってスペシャリストではない >>56
海軍にとって違いはなかったようだよ(・∀・)ニヤニヤ
短期現役士官
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%AD%E6%9C%9F%E7%8F%BE%E5%BD%B9%E5%A3%AB%E5%AE%98
軍医科の場合には大学医学部・旧制医学専門学校、
主計科士官であれば大学法学部・経済学部・商学部などと
高等商業学校の卒業者、
あるいは高等試験合格者を資格者とする。 >>57
学生運動の時はそれが普通だよ
藤木さんは体が悪かった
山口さんは結構頑張ってたと思うが 家庭環境で2割くらいに絞られてその中で上位2割くらいというレベルじゃないのか >>57
メンタル的にひ弱だとダメ、ということ
体の病気は仕方がない
三ケ月さんなんて社長みたいな顔してたじゃんw >>60
普通だったとして、その後、
川島も丸山もメンヘラになっちまったわけだろうが
その点を言ってるんだよ >>63
そんな古い時代のことは知らんなあ
今は金を引っ張ってこれない、マネジメントができない奴は
教授になんてなれない 俺のばっちゃはリアルはいからさんだった
村で2,3人しかいけない学校に通ってた
ハーフアップに袴でチャリ乗ってる写真カッコ良かった
のち校長先生夫人になった
孫まで優秀DNAは伝わらなかったけどw >>66
北杜夫の母親(斎藤茂吉の妻)の奔放さは結構有名 高卒が>>10のような上から目線で書き込むスレです。 板違いにもほどがある。そもそも旧制高校は部外者との会話を慎むもの。海軍学校なんかもとから関係ない。 東大入学難易度が一番高いのって団塊ジュニア世代あたりやろ
ナベツネだって団塊ジュニア生まれなら駅弁に入るくらいの頭しかないんちゃうか >>66
大正時代だと高女に行くこと自体は相当なステータスだっただろうな。
そもそもあの時代、女子の小学校(!)への就学率でさえ、男子と比べて有意に低かったし。 >>46
ダウンタウン・ヒーローズは面白かったな
脱走してきた娼婦を寮のみんなでかくまったり
学祭の演劇内容でモメたり >>55
あと千原兄弟だと兄の方、
ダウンタウンだと浜田の方、かな
日本はいまは秀才の方がテレビに受けてる感じ。 >>12
とある大学の定期試験で何を書いていいかわからなかった学生がカレーの作り方を書いたら合格点がもらえた。
それを聞いた学生が翌年なにも勉強せずに試験に臨んでハヤシライスの作り方を書いたが不可だった。
納得がいかなかった学生は教授のところに行ってなぜ自分の答案がだめだったのか聞いてみた。
「だって不味かったから…」 >>71
自分は団塊ジュニア世代で 高校の時の隣の席の子が現役で東大行って 高校の時の彼女が京大いったけど
今の中3の息子の方が難しい勉強してる気がする。
今の子の方が頭いいんじゃない。 尋常小学校ってさ
其の響きが尋常じゃねえよって感じだよな >>76
それはカレーの作り方を別の人が書いたら
ジャガイモがなかったという話がオリジナルのはずだが
それと知ってる人いたら教えてくれ
青春記の中にある「問題を見てピクリン酸、脇の下にはアセチレン
・・・どうかスコンククレゾール」」の全文知ってる人いないか?
もっと長いんだよこれ
検索しても出てこない
昔Z会の会報で見たことあるのだが・・・ 昔は飛び級とか普通にあって
頭のいい奴はさっさと卒業して進級してたんだよな 自分は中学は
部活は軟式テニス部に入ったけど
3か月で辞めた
勉強にも専念できず
ぼんやりと過ごしてたら
高校受験は失敗
大学は無試験の所に入学したけど
就職は無い
なんとか工場の準社員に
2回目の試験で合格
あまり頭は良くないな自分は >>65
お、山口が三ヶ月がと言ってたくせに、
都合が悪くなると、知らないだ?そんなもん通るかよwwwww
捏造プロパガンダを垂れ流す共産工作員は消えろや >>13
それだけで、何か説明できると思った
おまえの知能だけ!が心配なんだが 田舎では複式授業ってのがあって
一年生から四年生まで同じ教室で授業を受けた
1時間のうちそれぞれの学年が15分づつ教わるらしいが
上の学年の授業を聞いて育つから進級した時になんとなく覚えてるらしい 一高でも成績が一定の基準を満たさないと、東京帝大には進めなかったし、別科(聴講権だけの研究生)
に回されることもあった
漱石の「三四郎」に登場する、学内でやたらに大きな顔をして、本科生の主人公をふりまわす
無責任な行動が多い与次郎がそれ。 >>53
ひ弱なエリートなんて、意外と少ないから。
勉強も仕事も、体力が必要。
医学部とか、体育会系のサークルが盛んとかよく言うでしょ。
体力が無いと、なにもできないよ。 >>87
俺はそんなこと一言も書いてないし、
山口は当時学生もしくはまだ東大に入ってもいないだろう >>93
そんなことをしたら、警察に逮捕されるだけ。 >>75
劇団ひとりとオードリー若林と千鳥は時代を象徴する天才だと思うわ
霜降り粗品は天下とれる >>1
>毎日新聞
おめーらが否定してる「詰め込み教育」、「エリート主義」の塊だが? いいのか?
金がなければ入れないし。 住友商事 歴代社長 早大0人 慶大1人 神戸1人
丸紅 歴代社長 早大0人 慶大2人 神戸2人
伊藤忠 歴代社長 早大0人 慶大0人 神戸1人
三菱商事 歴代社長 早大1人 慶大1人 神戸0人
三井物産 歴代社長 早大0人 慶大0人 神戸0人
http://hoshinokanata.net/sumitomocorp_ceo_gakureki/
5大商社歴代社長数
早大1名
慶大4名
神戸4名
慶應と神戸が互角ぐらいか 海軍やら陸軍の学校行った人が大学受けてたらもうちょい増えそうやな 旧制中学や旧制高校と違って、旧帝大っていうのは今ある特定の大学を指す言葉だから
「旧制高校を卒業したら旧帝大入り」ってのは何か間違ってる文章に感じる 小中学レベルの勉強が出来るだけでエリートも糞もない
単なる早熟なだけで大人になったら追い抜かれる 今でもセンター試験の利用者数56万人に対して東大の合格者数は3000人なんだから0.5%
旧帝大合わせても3%くらいやろ
昔は子沢山だったから今の方が旧帝大に行く奴がエリート 母方の祖父(戦前生まれ)が早稲田大学卒で、その兄弟が東大、京大、九州大と聞いていた
4兄弟はドン百姓の貧乏な家に生まれたが秀才ぞろいだったので
無理して大学に進んだと聞いていたが本当に貧乏な人が進学できたのかな >>3
藍子が可哀想過ぎる
桃子より好きだったのに、あの仕打ちには泣いた みんなが大学行きたがるようになってから不幸が始まった >>107
今の東大理系の数学や物理の方が難しいわ
まあ数学は今の東大入試でも通用する問題だが、3題とも易しい部類の問題
で、物理はスッカスカやん
旧制高校で何もやってへんやろというレベル ドイツ語が出来ないといけないところだけは今と違うな
今でもパン教でやるけど >>109
でも格差が広がったせいで戦争が始まったし、
戦後格差が縮んで大学紛争が起きたのもむべなるかな うちのじいちゃんのじいちゃんは東京帝大卒だが
陸軍学校にはいけなかったらしいわ 旧制高校は裕福な上級国民しか進学できなかったから言うほどスーパーエリートでもなかった
進学はできなかったが高小でぶっちぎりの成績だった田中角栄みたいな天才が正真正銘のエリートだろう >>94
最近は共産系の学者でも、殴られたらすぐに警察呼ぶのかよ。
大学の自治はどうした?
東大安田講堂の事件以降、安易に警察を校内に入れるのが悪しき先例になったな。
かつてのドイツの大学では、中世〜第一次大戦前迄、大学の自治権は徹底していたぞ。
大学が自治の秩序に反した学生を裁くための裁判権を持ってたし、
ハイデルベルク大学なんかには、地下に「学生牢」まで備えていたからね。 中卒が金の卵と言われた頃が経済成長率はすごく高かったらしいな。
確かにこれなら親の教育費もかからないし、本人の結婚も早いから少子化にもならないだろうな。 そんなエリートを戦場に送り出した時点で負け確定だよね。 >>105
しかし、1に言われてるように、
受験競争が激化した事で、(ごく一部の天才ではない普通のエリートは)、
勉強しに大学に入るための勉強、勉強の為の勉強をしないといけなくなっている。
塾や予備校での勉強は、ただのテクニックになりやすい。
受験勉強って、体育会的なスパルタ養成塾みたいなとこで、かなりの時間を浪費させられる。
しかも、テクニックでどうにか乗り切れてしまうものだったりするから、
旧制時代のように、自由な環境でのびのびと何でも挑戦したり、広い視野に見識を広めたりするのはし辛くなっている。
経済的に余裕のない家庭の人ほどそうなりやすい。 6歳までに大学入れるだけの知識と教養を身につけさせた親が偉い
一般の小学校に通ったら苦痛になるのはわかりきっているのだからこうした学校は必要 >>121
まあその通りなんだけど、他方で、
文民のエリートがしっかりと、士官学校卒の制服組エリートをシビリアン・コントロールできなかったからこそ、
そういう結果になったのだともいえる。
まるで紅衛兵みたいな青年将校やその他の制服組に、脅されまくって縮み上がって、象牙の塔に引きこもる学者ばかりになってしまった。 昔はエリートだったってのも現代のマーチには勝てないからな
そもそも大衆は中学校で終わりで全体のレベルが低すぎるんだよ
実際に年寄りは馬鹿ばかりで彼らの若かりし頃のエピソードは引くw ドクトルマンボウ読んで憧れて信州大学受けに松本まで行ったわ(´・_・`) そもそも受験戦争に参戦できる人間が一握りだったからね。
学歴は学力より家庭の経済力で決まる。
大都市部では高等小学校卒(今でいう中卒)、農村部・中小都市では尋常小学校卒(今でいう小卒)が学力に関係なく、普通の日本人の平均的な学歴だった。
師範学校は授業料も寮費も無料、なので比較的経済力の低い層でも進学できたが、多くの家庭は「12歳、14歳になった子供を働かせず遊ばせておく余裕がない」という状況。 日本の衰退の一番の要因は
エリートの抽出に失敗している点 >>106
大学進学が戦後(特に昭和35年以降)ならあり得る。
戦前ならあり得ない。
あるいは
>ドン百姓の貧乏な家
というのが、「大富豪に比べれば貧乏な地主の家」ぐらいのニュアンスか。 >>128
そもそも、高度に労働集約的な農村社会が日本社会の原点だから、リーダーは育ちにくい。 >> 9
不用意に現在の価値観で論じているのはお前じゃないかw 実は間違いと言ってることの方が真実。あまり馬鹿なこと書くな。 戦前の、旧制中学→旧制高校→旧帝大は、
現代でいう、名門男子中→名門男子高→旧帝大。
でも
陸軍幼年学校→陸軍士官学校→陸軍大学校
旧制中学→海軍兵学校→海軍大学校
の方がエリート。総理大臣10人以上。 1%?それなりに尊重されるべきだが例えば政治家、行政官ならば国民の方向向いているかどうかで玉にもなれば泥以下にもなるな。
ああそれとこっちの方が倍率は酷いな。自治体によっては氷河期世代の定義も間違っているところもあるし
【岡山】競争率240倍…「就職氷河期世代」対象の岡山市の職員採用試験に1460人超申し込み ★
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1595724972/-100
滋賀県の就職氷河期採用試験 186倍 [首都圏の虎★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1598265739/-100 高校の図書室で背表紙にガムテープ貼って最新写真術と書いた本を見てたんだが
何かおかしいと思って奥付を見たら明治三十年代
コダック1号機の CM とか載ってた
医学書も転がっててふたなり少女の無修正写真とか見て興奮してた 上級の世襲みたいなもんだろ
昔なら安倍ちゃんも東大行けてたよ >>117
高文に合格すれば、小卒でも、大卒並みとして扱われたけどな(行政科、司法科を問わない)
海軍の短現(>>59)でもそうなっている
遠山無限
http://www.tvc-cat.com/Enzan-Home/index.html
著者紹介
http://www.tvc-cat.com/Enzan-Home/chosha-shokai.html
著者は新潟県生まれ、最終学歴は農林学校卒
教員検定試験に合格して旧制中学の歴史科教諭を経た後、
33歳?で高等文官任用試験行政科に合格した旧内務省キャリア
最終ポストは愛知県総務部長(57歳?で定年退職)、その後、愛知県副知事(政治任用)
高文の国史の試験官に辻善之助が現れたり、
内務省で町村金五(のち警視総監、北海道知事、町村信孝の父親)
にかわいがられたり、なかなか面白い >>133
旧帝大(定員の半分以上が東京帝大)卒と陸士海兵のどちらがエリートかは時期による。
陸士海兵の方がエリート視されるようになったのは日中戦争開戦後だと聞く。
ちなみに陸大海大は陸海軍の「内部幹部養成機関」であって、いわゆる「学歴」とは違う。
今の自衛隊における「指揮幕僚課程」と同じ。
どちらもここを修了するとキャリア官僚と同等の扱い、というところも同じ。 >>23
やたら持ち上げてるんではなくてレベルが段違いに高かったんだよ。陸士なんて外国語は5カ国語必修だしな。英、独、仏、露、支 これだけ頭に叩き込まれるし、数学のレベルも今の理系以上。漢文必須。その上に軍事知識、軍人としての人格形成など。指揮官として部下を率いる能力の習得。日本軍というのはものすごく優秀な軍隊だったことがわかるだろ。 当時は義務教育は小学校までだが、高等小学校に進学する割合は高かったらしいが、高等小学校って今で言う何? >>140
>当時は義務教育は小学校までだが、高等小学校に進学する割合は高かったらしいが、高等小学校って今で言う何?
中学校。ただし修学年限は2年。ちなみに義務教育ではなかった。
(明治後半までは尋常小学校4年+高等小学校4年だった) >>137
結論としては、戦前の新潟県の社会科教諭が独学で、
33歳?で高文行政科に一発合格、それも20番台の上位で合格できる、
わざわざ内務省本省からスカウトされるんだから、
当時の帝大卒って本当に大したことないんだって┐(゚〜゚)┌ >>139
五カ国語から一つ選択になってたぞ
数学のレベルは昔より今の方が高いよ
間違った情報で勘違いしてそう 戦前は国民の過半数が農民で、彼らには進学の必要性がありませんでした。 >>145
明治時代の旧制一高入試の数学のレベルは今の中学受験の中下位校のレベル。
彼らの知的水準が低いということではなく、
数学の教育技術がこの150年間で向上したということ。 >>146
うちの祖母(大正生まれ)が地主の娘で、
女学校(女子版旧制中学校。今でいう中・高校)
田舎の農村では富裕な地主の子女だけが通っていた。
晩年話していて、未だに婆ちゃんが「女学校出」を鼻にかけていたことに驚いた。
当時の農村社会では相当なステータスだった模様。 スーパーエリートが国を滅ぼしかけたからな
やはり儒教の中庸の精神からいって真ん中あたりの日大が
世の中を動かすのが一番よいだろう >>149
今もまた滅ぼしかけてる真っ最中だよ
戦後はもう、身分制度は無くなり、貧富の差も縮まった、
情報化社会だから、ハッタリが効かない
子会社・孫会社を作りまくったり、
派遣やバイト、外注に丸投げするようになったのも
その傾向に拍車をかけた
役所や財閥企業の内情がどんどん外部に流出したということ
それこそ今は東大法学部在学中に国Tと司法試験にダブル合格とか、
筑駒や灘卒で国Tに上位で合格とか、
そういうところにしかカリスマ性はないんだけど
佐伯耕三(灘→東大法)と豊田真由子(桜蔭→東大法)で
早くもガラガラと崩れつつあるw おいおい、国を滅ぼしかけている自民党の総理大臣はエリートとは程遠い連中だろ
特に麻生と安倍は酷い。金で大卒の学歴を買っただけで脳味噌は中卒レベル 最近、後藤田正晴が旧制水戸高出身って知ったんだけど徳島から水戸に進学って今でいう大学って感覚だったのかな >>151
彼らは過渡期の人間、世代だから
(菅総理も「世襲は麻生、安倍まで」と言ったそうな)
小泉進次郎や鳩山二郎が総理大臣になれるとはとても思えないし、
(すでに育休とかセクシーとかレジ袋でやらかしてるわな)
彼らの子供が国会議員になれるとも思えない >>153
国会はアホ世襲だらけだから避ける方が難しい >>154
小選挙区、しかもこれから「一票の格差」も是正されていくと
世代もどんどん移って行って(大学進学率50%の世代が社会の多数派になる)
ボンクラ世襲や族議員は当選は難しくなるんだよ、特に東日本では難しい
そんなことより過疎県の限界集落の消滅の方が先かもしれんが┐(゚〜゚)┌ >>152
そうでしょうね
丹下健三は旧制中学は愛媛松山で旧制高校は広島です >>67
斎藤輝子さんだね、晩年はけっこうマスコミにもとりあげられて有名だった
飛行機と船が好きで、とうぜん海外旅行大好き、しじゅう世界をとびまわっていた
茂太さんの飛行機好きも母親の影響だったかもしれない
たしか茂吉は婿養子で、夫人の実家の斎藤家が資産家なので、茂吉をかなり支援したんじゃなかったかな
昔はそういうケースが多かったな、湯川秀樹も湯川家の婿養子で、「妻の家が研究の資金を惜しみなく出してくれたので今日があります」
みたいなことをノーベル賞受賞のときにマスコミに言った >>51
昔は本の奥付に著者の住所が出ているなんかは当たり前だったね
大昔、遠藤周作を駅で見かけたことがあった
狐狸庵先生のイメージとはまったくちがう、長身でどっちかというと痩せがたの
気難しい紳士という印象だった
まあカトリック作家としていろいろなものが内面にあったんだろう
息子さんがフジテレビの重役だっけ 旧帝大卒業=試験でいい点とれる人、でしかないからなあ。
もちろん真に有能は人は、社会に出てからもめっちゃ有能だけど、ごく一部でしかない。
むしろ卒業後に挫折して、メンタル崩壊する旧帝大卒の、なんと多いことか・・・。
学校では教えてくれないから、若い人は卒業後のことまで考えて、入学する大学を選ぶんだよ 時代による
仙台二高から東北大か早慶なら今や東京行くほうが多い >>133
その辺が壊滅的に死んだからオカマみたいのが政治してたんだな >>117
角栄さんは、20歳くらいで一級建築士の資格を得ている。
お孫さんは、公認会計士です。 >>133
今も、防衛大学は難しいね。
学費を払うのではなく、給料を貰える学校。 >>113
格差ができるから戦争が始まるのはデマ。無知にもほどがある。 ヨーロッパ(特にドイツ)の学校制度のパクリだったろう。
文科理科を分け始めたのは日本のオリジナルだったが。。。 >>3
楡家は傑作だよね
もう一度読み返したくなって来た 『楡家の人びと』の青山脳病院はどんな建物だったろ、と思って画像検索したら、
ものすごく豪壮な西洋建築でびっくりした
だれが設計したのか知らないが、とても精神病院とは信じられず、欧州の城館のよう
もっともあの建物はわりに早く火事で焼失したので、小説に出てくるのは再建されたほうだろう
小説の冒頭に賄いのじいさんが患者と医師や従業員と家族用の飯を大釜で炊くシーンがあるが、
茂太さんが「じっさいわが家の食事は全部患者さんと同じものだった」と書いている >>165建築士も昔の方が取りやすかったらしいよ
いまは資格の学校行かないとムリ >>3
小学生の頃にNHKで「楡家の人々」放送してた
前後関係不明だが火事のシーンをぼんやり覚えてる
絶対面白そうなのになんでリメイクしないんだろう 信州大学や金沢大学は旧制高校時代の校舎を博物館にしてて当時の様子が分かるね
学生のノートがビッチリしててやけに几帳面 いまだって、
上位1%の高校では、学力も高いエリートがあつまっているからね。
受験勉強なんかしなくても授業だけ受けて普通に旧帝にうかるような生徒たちだし。
そういうところでは、>>1とほぼ同じような人間教育が行われていると思うよ。 >>133
日露戦争生まれの死んだ祖父に言わせるとそれは間違いで行く層が違うって話だったけど
極端に言うと日体大と東大みたいな感じで比べるモノではない でもお金がない人は軍系って話だった
戦時は軍が実権握ってるんだから短命でもあの辺りから総理大臣が出るのは当たり前じゃね >>119
でもね、その子供が公立中学校の奴等だよ
虫けらや犯罪者予備軍ばかり
人をエアガンで撃ったりロクなことをしない >>159
そういえば、本の奥付に著者の住所が載らなくなった。
20年くらい前は普通に載っていたよね。なかには電話番号も載っていたこともあった。 軍の学校のほうが市民系学校より格上、というのは学力よりもむしろ、
軍を直接統括するのが天皇陛下で、男性皇族が全員軍人だったからでは
昔の高等女学校同窓会で最も羨ましがられたのは、海軍軍人と結婚した女性だった
軍人は戦死する確率も高いけど、遺族年金だか遺族恩給みたいなのも一般人よりずっと高く、
夫の戦死後も再婚しない女性が多かった理由のひとつがそれだった ストーカー事件では不正と捏造が横行している
・警察幹部が、子や親戚の言い分を真に受け、並びに、何者かからの依頼によって
警察が相手にしなかった被害届を、地位を利用して不正に受理させている
・冤罪の場合、警察幹部は不正に被害届を受理させている為
表面化すれば幹部は懲戒免職となり、警察の信用も大きく毀損される
その為、冤罪被害者をストーカーにでっち上げる行為が行われている
(それが原因で執行猶予付きの有罪判決を受けたと被害を訴える被害者もいる)
・警察が被害届を受理すると、何故か、創価学会が現れて
ストーカー認定者に関し、「この人物はストーカーなので監視して下さい」等と触れ回り
尾行や監視、その他、嫌がらせ行為の実行を要請して回る
・のみならず、創価学会はストーカー認定者に関するデマを拡散させ
事件に関しても話に尾鰭をつけたり、捏造した事実関係を真実として拡散させ
その地域から追い出そうとするような行為が行われている
・創価学会がそのような行為を行う場合は、被害届を出したのが、学会員か、学会員の親戚等で
酷いケースになると、特定個人を地域社会から【創価学会にとっての邪魔者】との理由で
排除する目的で、警察に働きかけて、ストーカーの被害届を不正に受理させた冤罪も含まれ
警察側も被害届受理の不正の事実がある為、デマ拡散や嫌がらせを、黙認している
=つまり創価学会は、仏敵や敵対者に対する嫌がらせに、ストーカー規制法と警察を悪用している
・このような行為が横行するのは、警察と創価学会が癒着している為である
警察上層部は学会系企業に天下り、幹部以外の警察官も学会系企業に再就職して恩恵を受け
多くの都道府県議会の警察委員会では公明党が委員や委員長、副委員長を務め
学会員警察官も全警察官の10%〜20%もいる為、警察は学会の間接支配下にいる
その為、警察内部では、学会と警察との関係の口外はタブー視されており
中でもストーカー問題を担当する生活安全警察は、学会員警察官の多い部門と言われる
→生活安全警察は、俗にいう【創価警察】である、という事だ
・ストーカー規制法は、ストーカー認定者の共犯を逮捕出来る法律となっている為
マスコミがストーカー冤罪事件について報道すると、記者らが共犯者として逮捕されるリスクがあり
その為、マスコミは、ストーカー冤罪や不正に関して調査報道ができない状況となっている
→これが、上述のような異常な現象が横行しているにもかかわらず、一切報道がない原因である
.
この話をお読みになられて驚かれた方も多いと思いますが、現実に行われている事です
創価学会が特定個人を名指しして、ストーカーだから監視して欲しいといった依頼をしているのを
見聞きして不審に思っていた方もいらっしゃると思いますが、その全容がこれなんです
.
このような不正や捏造、そして人権侵害は、断じて許されてはなりません
きちんと表面化させて、事実を白日の元に晒し、関与した者達を、刑事処分に付す必要があります
.
生活安全警察、創価学会、そして防犯協会を、一体、信用しないでください
.
※当レスは他スレからの転載物です。この内容がより多くの人に広まる事を希望しますdr >>177
神童て若い男女からしか出ないんじゃないかなー
DNAの旬つうか
スポーツ >>152
旧制高校は全寮制だったから、遠隔地からでも入学してきていたみたいだよ。 >>165
>角栄さんは、20歳くらいで一級建築士の資格を得ている。
角栄さんが代議士として尽力して建築士制度を作った。
制度創成期として、似たような業務を行っていた人間に申請だけで建築士の資格を出した。
角栄さんもその一人で、いくら何でも代議士当選前ということはない。 なお陸軍幼年学校の競争率は平均して1000倍だったそうな、合格者千人にひとり
すごいね〜〜いまそんな競争率の学校ってあるかな
学力体力健康適性とそろっていれば、裕福でなくても合格できたせいもあるだろう >>184訂正
まちがい、100倍
以前1000倍とどこかで見たので書いたけど、
いくらなんでもと思って検索したら記憶ちがいまたは記事のまちがい >>165
嘘
田中角栄は自分で建築士制度を作って、自ら一級建築士第一号になっている >>186
>自ら一級建築士第一号になっている
これは建築士法成立に尽力したことに対する都市伝説、つまり誤りである。
実際の一号は不明だが、XX先生と呼ばれる人から順に審査して資格授与していった。 >>185
百倍はcaがそんな倍率だね
スチュワーデスの頃はもっとかな >>159
龍之介さん、今や社長さん。
フジテレビが有名人子息サロンと言われれば、そうなんだが・・・ >>140
高等小学校って言うのは、今の中学1年、2年生の2年課程
その上に高等小学校専攻科が1年あって、今の中学3年生
高等小学校専攻科卒業すると、旧制中学編入学の道があったり、師範学校の道が開かれていた。
高等小学校のカリキュラムは基本的に今の中学の課程に近く、それに付随して職業訓練の科目や高等小学校によっては英語の授業もあったりする。
また、旧制中学落ちた連中が高等小学校に入学して浪人して再度旧制中学受験するのもいた。
尋常小学校卒業して高等小学校に進むにしても、高等小学校によっては、定員オーバーにならないように簡単な入学試験があったりする。
横須賀や呉みたいに、海軍関係や海軍工廠が多く職人子弟が多い地域の高等小学校とかは、入学試験があった。
例、横須賀市立船越高等小学校とか
都市部の高等小学校は旧制中学や旧制高等女学校の敗者復活戦みたいな要素もあった。 >>166
防衛医大はともかく、防大はそれほど難関でもないぞ
学力水準は高くない >>30
うちの校区もそうだな
ただ二番手の方が歌手などの有名人がたくさん出てるんだが >>193
続き
戦前の横須賀や近隣の鎌倉、逗子は比較的旧制中学や旧制高等女学校や実科学校が多く
海軍関係の学校も多い関係上
横須賀では最低でも高等小学校位は出ていないと、海軍関係の就職先(海軍工廠)に行けない空気があった。
尋常小学校卒は、戦前でも相手にされなかった。
因みに昭和10年代の横須賀の旧制中学進学率は高く、公立私立の旧制中学進学(旧制夜間中学も含めると)は30%、旧制高等女学校進学率は50%近く、高等小学校進学率は80%以上だったそうな。
他の都道府県と比べるとずば抜けて高かった。
横須賀の戦前の旧制夜間中学校
県立横須賀中学校の夜間部(名前は別名だが存在していた、現在の県立横須賀高校定時制)
市立横須賀中学校の夜間部(現在の市立横須賀総合)
鎌倉中学校の夜間部(現在の鎌倉学園)
逗子開成中学校の夜間部(現在の逗子開成)
三浦中学校の夜間部(現在の三浦学苑)
旧制中学夜間部に入学したのは、高等小学校卒業の生徒で、旧制中学夜間部卒業後は旧制私大予科進学か海軍関係に就職していた。 大学卒業から企業というパターンを常識のように考えてしまい、
本来は一流企業のサラリーマンより職人が自分の適性活かせるんじゃない?という人までサラリーマンへ進み、さらにはその常識のコースに外れたが故に職人の道を選ばざるを得なかったというようなネガティブな刷り込みを人々に与え、日本全体のマンパワーを低下させる。 >>127
森鴎外(12歳で東大入学)とか、
昔は天才を伸ばせる下地があった。
大学進学率がはるかに低い海外の途上国でも、エリート層は日本人よりずっと優秀とだったりするし、
数合わせの為に大学進学してる日本人と比較してもあまり意味は無い。
アメリカだって大学進学率は、日本よりもずっと低いからな。
それと、昔と今とでは最先端分野では大学自体の知見が違うから、一概に比較できない。
基礎数学とかのレベルはともかく、明治時代の医学部と現代の医学部じゃ、
医者に求められるものが、遥かに多くなってるからな。
今は、昔みたいに陸軍病院勤務しながら小説書いたりするのはなかなか難しいだろう。
北杜夫(精神科の医者)、なだいなだ(精神科の医者)、聖路加病院の日野原重明院長とかも、みんな医者兼作家だったよね。 >>82
飛び級は卒業じゃなくて修了
例えば中学4年修了で高校に進学であって、中学4年卒業で進学ではない
卒業するには5年間通わないといけない >>129
戦前は今と違って、小学校で大きくコネがきいた社会。
しかし、それにはマイナス面だけではなく、良い面もあった。
貧乏な家庭の出身だけど成績優秀で、明らかに秀才だと思われた場合、担任の先生のコネや小学校校長の口利きで、
スポンサーとなってくれる人が見つかれば、進学させてもらえるようなケースもあった。
野口英世とかの例もあるでしょ? >>196
>>1が言いたいのは旧制高校みたいな教養(リベラルアーツ)教育をもっと取り入れては、という提案だと思う
リベラルというのは「おおらかな」の意味ではなく、自由民(奴隷ではない)のための教養教育、
ということらしいけど
文科省は経済や産業界の要望に応じて大学の教養課程を縮小し、専門課程の勉強に昔より早く入れる方針
昔の文科省大臣にはわりに文化や教養に詳しい人材がいたけど、いまはただの政治家が適性関係なく順番にふりあてられるポスト
日本のリベラルアーツ大学は東大教養学部とICUくらいかな >>199
いま昔ながらのトップ校は倍率低いね
もう東大やら目指さないのか
高学歴夫婦は子供ができなかったか >>198
土浦海軍航空隊
https://youtu.be/-wDU2PhO-vE
しかしこれは、自衛隊体育学校みたいな、スパルタ体育教育をしているが、
帝大みたいに幅広い一般教養を身につけるのは難しいだろう。上官の命令は絶対だしな。
陸軍幼年学校
https://youtu.be/zMRDy402Ekc
こちらは、まだマシとはいえ、当時の生徒が、学科の古文や漢文を毛嫌いしてるのがよく分かる。
陸軍中野学校
ここだけは、脳筋な軍関係の組織の中でも、基礎的な学業の素養と言う面では、比較的マシな場所ではあった。
長髪もOKだし、天皇機関説とか、日本の皇室を他の国の王室と比較して論じるとかも、一定許されていた。
スパイの養成学校なので、中国人、ロシア人、アメリカ人、東南アジア人等に、
目立たないよう完全に溶け込めないといけないので、語学力や文化の習得も必須。
謀略活動をしたり軍の占領行政を担う秘密組織だからね。
「天皇の軍隊」として、原理主義化・硬直化していた日本軍の組織を、軍なりの必要性に迫られて、造られた改変組織だったのだろう。
長髪OK。他の学校と違って、 https://youtu.be/NchGKpqHRz4
海軍の学校が航空操縦したんだよ
当時は空軍がないでしょ
飛行距離が短いから船から飛ぶ >>204
コネというより優秀な人材はとにかく引っ張り上げろという国の方針だから、校長や地元の有力者は将来伸びそうな子供がいて、貧しい家の子なら金銭的にも応援したんだよ。富国強兵策というのは何も軍隊を強くするということだけではなかった。 >>7
今は高卒はひっそりと暮らさないといけないんだぞ >>206
確かに入試の倍率は二番手の方がだいぶ高いな >>208
陸軍航空隊と海軍航空隊があった。これは日本だけではなくアメリカもそうだったが、空軍を独立させた。 元女学校の高校は女子比率が高いのと、伝統校なので指定校推薦に恵まれていることも多いな >>133
それは軍部が台頭したからという結果論だろ。
それなら下のルートのほうが圧倒的に絞首刑になっていると言える。 >>211
そんなことないだろ。
子ナシはひっそりと暮らさなきゃならんけど。
モテない奴は学歴つけてもモテない おまえら学校の話好きだなぁ
卒業して何十年だってんだよ
まだ学校の話してるのかよ
進歩しねえなぁ 旧制度の普通科の話だけじゃ飽き足らず
負けた軍隊の学校の話まで持ち出してて
ワロタwwwwwwwwwwwwwww 本当だ、戦後の学制改革も行われてもう70年も経つ、あの頃の憧れの
女学生も梅干婆あになっていたり、仏様になっている。現在の6・3・3・4
制の教育制度もどのように変わるかもわからない。テレワーク・リモート
授業の新等で学校自体も不要になるだろう。みんなの自宅が学校だ。 >>218
負けたかどうか本人達はまだ知らないだろ 神宮外苑で行われた学徒達の壮行会や「ああ紅の血は燃ゆる〜花は蕾の
若桜、五尺の命引提げて、国の大事に殉ずるは我ら学徒の面目ぞ、ああ
紅の血は燃ゆる。」 「勝利の日まで〜 丘にはためくあの日の丸を仰ぎ眺め
る我等の瞳、いつかあふるる感謝の涙」 等を大音量で流しながら走行する
右翼のおっさん達も途絶える時代。というのに・・・・ しかし解せないのは、昭和20年8月15日の正午にラジオの前に集まれと
言われて流された言葉「朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み非常の
措置を以って時局を収集せんと欲し、茲に忠良なる汝臣民に告ぐ、朕は
帝国政府をして米英支ソ4国に対しその共同宣言を受諾する旨通告せ
しめたり〜」の意味を心から理解した人々が殆ど国民学校や高等小学校
卒業程度で理解していたのかどうかということだ。 >>221
負けるってことはそれだけ情報や知識を蔑ろにしてるってことだよ
そんなに優秀な士官学校やら兵学校出て英語もろくに話せねえで。
日本の中で軍のエリート気取りして勝てない戦をしたのさ
バカだねえ。 しかし、朝登校すると二宮尊徳像の前でお辞儀をし、それから全員で口を揃えて
「朕オモフニ我が高祖高宗国を肇ムル事、高遠に徳ヲ建ツル事深高ナリ、我が臣民
ヨク忠にヨク考二」と暗唱させられていた身としては、理解出来ていたのかも知れな
い。 エリートの集まりと 自画自賛してる毎日新聞さん
販売部数はずっと超低空飛行 尋常6年であれだけの教養があったのにな、近代はヌルいな。 庶民の子供が大学行きたいなんて言ったら、親にさっさと働いて金稼げって怒られた時代。 >>224 >>221 負けるってことはそれだけ情報や知識を蔑ろにしてるってことだよ
末端兵が如何に教育をされていても2・26事件のように内乱や、20年8月14〜
15日の昼前にかけての陸軍大臣・海軍大臣の意見の対立が続いていた事が
日常の軍の体制を良く表している。 >>223
ラジオを自前で買える階層ならその程度の教養はあるし、
寄り合いとかで集落みんなでラジオ聴いてた場合でも、
長老クラスが無学な民衆に噛み砕いて解説しただろうから
あまり問題なかったと思う。 >>227
せっかく毎日が旧制高校を持ち上げてくれてるのにネトウヨは冷淡よのう >>209
うちの親戚のじいさんは小学校の教師をしてたが、
できの良い子を進学させて援助してたそうな。
どんな援助かわからんが。 >>184
幼年学校より士官学校や陸大受かる方が重要だろ >>30
うちの高校は、旧制中学と女学校が一緒になって出来た。
だから、親族の大半が同窓生w >>231
昔は「娘身売りの節はご相談ください」等の看板が建てられ、更に30年程
前からは、娘を短大・大学へ進学させんが為に母親が「パート勤務」という
名の身売りをするようになり、現在は学生ローンという偽名の高利の奨学
金制度にまで変わってきている。何だかナア・・・・ >>231
ちゃうちゃう。
そこに至る道が長すぎて、考えもしないのが普通だよ。
小学校 ここで半分就職
旧制中学 せいぜい1割 ほかは師範や女学校、実業学校
旧制高校 0.5%?
150万の12歳人口で、1万人もいない。 昔は専検というのがあってこれに合格すると小卒でも旧制高校や陸軍士官学校を受験できた
そのかわり針の穴を通すほど難しいとされた
これで旧制高校に進学した1人が作家の中野孝次
海軍兵学校は長い間学歴不問で受験出来てこれで合格したのが終戦工作で活躍した木惣吉海軍少将
僅かな隙間でもあれば優秀な人は這い上がってくる 急に話を変えてスマソが、数年前にDVD「新雪」を買って見た。
主役 小学校教師 水島道太郎 月丘夢路 の恋物語だ。
但し、映画のクレジット場面(監督、配役の紹介場面)には 訓導=水島
道太郎と出てくる。 戦前の小学教師は「訓導」と称されていた。 早慶の方が、一橋、東工大、旧帝大
よりも賢いとあちこちで聴くけど
とてもそう思えない
推薦AOで半数だろ? 日本軍人が「俺は受験で何百倍の競争率を勝ち抜いた優秀なエリートだぞぉ」とか言ってるから
日本が負けるんだよwwwww >>246
受験戦争には勝ったけど本当の戦争には負けましたってことですね。
ほんとバカ丸出しです。 >>241
優秀な人は這い上がる事もあっただろうが、志半ばにして亡くなった人は、圧倒的に多かっただろう。
いくら優秀だからって、戦争で弾に当たらない訳じゃない。
サバイバル能力や世渡りの上手さがある人は、弾に当たる可能性を、精々僅かに下げる事ができる程度だろう。
加えて優秀な人にも、運動神経とか世渡りとか、そういうのはあまり上手くない人もいたりする。
そういう人にとっちゃ、軍隊は墓場同然になるし。 >>145
「陸軍士官学校」という昭和12年(1937年)の実写映画の再編集もの(日活映画)の動画があるのを見たのだが、5カ国語の外国人教師の授業風景があったので全部やるのかと思った。そうだろうな、1カ国語の選択だったのか。
しかしこの映画はこのスレに来ている人は是非見た方がいい。戦前の日本人を再評価できるから。戦争に負けたことはちっとも恥ずべきことではない。大事なのはその後の日本だ。いつまで敗戦国やるつもりだ、と言いたい。
>>1は良スレだと思う。共感すること大だ。 >>249
馬鹿が
海外領土をすべて失い、日本本土を焦土にし、
日本国民を塗炭の苦しみに突き落としたのだから
旧軍、革新官僚、戦争指導者、
スパイの共産党員どもを徹底的に検証、解体、粛清するのは当たり前だ
それが不十分だったから今の日本の体たらくがあるのだ
安倍のようなクズがまた国民を騙して何年も総理をやるようなハメになる >>180
ストーカー規制法は恋愛感情にもとづくストーカーだけを規制している。
集団ストーカーは規制していない。だからマスコミが報道しても逮捕されたりしない。
そして、集団ストーカーは警察が主導している。警察も創価も朝鮮人に牛耳られ、
マスゴミも朝鮮人に牛耳られている。 >>251
ほう、いい事をお教え頂いた。おれはお廻りがスピード違反取締り
レーダーによる(ネズミ捕り)をしている傍でみていたら、「何か用か?」
というので、「何をしてるか見ているだけだ。見たらあかんのか?」と
言ってやったら「あっちへ行け」というので怒鳴ってやった。そうかこれから
どしどし話しかけてやろう。 電車・バス内では「運転中は乗務員に話しかけ
ないで下さい」の札があるが、「職務中の警察官にはくっついて話しかける
な」とは表示がないからな。 こんなものを復活させたら、「私学でやれ!税金使うな!」と底辺が激怒するだろうな 昭和4年の高校入試問題
左ノ文章ニ送假名ヲ附ケ且ツ之ヲ解釋セヨ
一、人主之患。不在乎不言用賢。而在乎誠不用賢。夫言用賢者口也。却賢者行也。口行相反。
而欲賢者之至。不肖者之退也。不亦難乎。
いまの大学入試より難しいな >>1
熊本第五高等学校なんて今の熊大だぞ?
エリートなものか >>255
今を基準に過去を測るなと言っとろーが。
熊大の前身は5高か、それじゃ優秀だ、と考えるのだ。 凡才の池田隼人は一高を2度落ちて五校に入学。
東大大学入試も落ちて京大に進学。
大蔵省での出世レースも落ちこぼれて終戦を迎えた。
出世していないのが幸いして公職追放を免れて、戦後は一気に出世した人。
三等重役ならぬ、三等官僚である。 明治維新をやった薩長土肥といった「藩閥」が訳の分からない基準で選んだ官僚・軍人の方が
優秀だった。明治末から出てきた「学校エリート」が日本を破壊した。 丸山真男回顧談(上下巻)は旧制府立一中、旧制一高での学生生活が回想されていて面白かった。
ちなみに当時人気があったのは府立一中でなくて中高一貫七年制だった旧制東京高等学校だったそうだ。
府立一中の首席はなぜか三高に行く奴が多かったとか。
一高は自治権が高くて退寮=退学だったから寮生が問題を起こすと物凄く難しい判断を迫られた等々。 >>174
四校記念館いいよね
森繁の社長シリーズで四校出身の設定の話があるんだよね。映画でも記念館が出てくる >>254
これは「荀子」の引用だが、やはり昔はレベルが違うわ。GHQ命令で学校教育制度を大々的に変えさせられただけでなく入試や試験問題の出題方式まで変えさせられた。思考力を試したり小論文方式ではなく全て答えを選ばせる○✖︎式の解答方式にせよというのである。当時の教育者は、これでは日本人は馬鹿になると言って物凄く嘆いたんだよね。だけど日本人が馬鹿になるように教育するのが目的だったから押し切られたということである。 >>166
防衛大難しくないよw
在学者の出身高校のレベルはみんこうの高校偏差値60をちょっと超える程度
マーチにも負けるw
軍学校の過大評価と防衛大学の過大評価はよく似ている。
事実で反駁される点も似ているw >>184
1000倍もあるわけないよ。
何で軍学校を持ち上げる人間って、そういうふうにシレっと嘘をつくんだろう。 >>262
ごめん文字ちがい。書いてて違和感あったのよ
四高ね >>265
某漫画家の作品だと、暴走族が防大入っちゃうもんね。で、幹部自衛官 助成金の無駄遣い
無駄な高校、大学廃止していい
馬鹿学校出ても低所得だしな >>261
七年制の尋常科に合格すると、高校受験をしなくていいしね
東京高校は自由な校風でバンカラで野暮ったい一高とは対照的だったようだ >>246
そもそも何百倍の競争率ってのが嘘
こういうかたちで軍学校は過大評価は独り歩きする。 >>254
率直に言う。今より難しいのは漢文だけ。 陸士、海兵から出世すれば陸軍大臣、海軍大臣にまでなれました。 >>50
旧制高校生の実家はほとんどが当時の上級国民だよ。 元海軍参謀吉田俊雄氏の著書「海軍学卒士官の戦争」に紹介されていた
「短現士官」たちの出身校
東京商大 11名
東京帝大 07名
慶應大学 04名
京都大学 04名
以下各1名
大阪商大 明治大 日大 東北大 神戸大 >>278
広田弘毅のような例外は少ないし、
大日本帝国の破滅に広田弘毅の果たした影響は非常に大きいので
果たして「石屋の息子」が旧制高校→帝大に入った、
それもよりによってキャリア外交官になったことは果たしてよかったのかどうか
軍人にならないとしても、
医者とか判検事とか内務官僚(警察)とか学者とかあったわけだから 旧制高校が舞台だと「我が一高時代の犯罪」が面白かったな。
月並みだけど京極堂シリーズ。
三高だったら「やぶれかぶれ青春記」 >>281
いい学校といっても戦前には今の日本より多様な選択肢があって、それぞれ社会的評価も得ていた。このスレのテーマもそこにあるのだが、やっぱり現在フィルターを通すとそういうことが見えなくなるのだなと思った。それとなんといっても日本の人口は7000万人ぐらいで農村も過疎ではない時代、自分のためではなく国のために教育や学校があったから、かえって計画的にうまく制度が考えられていたのかなと思う次第。古き良き時代の日本に敬礼、だ。 >>284
古きよき時代は江戸時代であって、戦前ではない
なぜなら明治維新・自由民権運動・憲法制定を行った、
日清日露戦争を勝ち抜いたのは江戸時代の教育を受けた人々だから
明治以降の教育を受けた連中が、無残に大日本帝国を滅ぼしたのだ >>284
>いい学校といっても戦前には今の日本より多様な選択肢があって、それぞれ社会的評価も得ていた。
現実その中でもより有利な進学をしたのはいい家(往々にして金持ち)の子。
親の情報力・コネ(その根源が経済力)が露骨に表れた典型的階級社会だよ。 戦前生まれの連中曰く五中といったら文京区立第五中ではなく小石川なんだよな >>287
学校なんてものは将来国自体が変化したり行政区分が変わったり経営が悪化したりで
いずれ消えるものだということを言いたいんだね。 どう考えても、戦前の方が
簡単に入れた、競争の数が非常に少ない
既得権が固まっていた
だから無能が出世できた、今の方がまとも
やはり米軍が最高 >>289
そうは言うものの、大学入試がもっとも激戦だった世代である
佐伯耕三や豊田真由子があれではなぁ┐(゚〜゚)┌ 世間で称されるいい学校と自分は何をしたかったのか、出来たのかという
意味でのいい学校があると思う、近時と言っても前からだが博士の大量
生産でポスドクになってしまい、経済的に貧困層に落ちてしまっては何も
ならない。従って大学へ行くのは極端な富裕層の師弟がもっとも適して
いるのは戦前からも同じだ。 有名校を出ても結局友人が出来ていない
人を近所で何人も知っているし、オレはたまたま受かった私学だったが、
趣味の鉄チャンクラブや結果的に交通経済学学ゼミがあったお蔭で今
でも交友が続いている。 本来は高校時代に良く大学内容を検討して
師事したい教授が居る学校を目指せば良いのだが、近所手前の世間体
、就職の良否も考慮するとなかなかそうも行かないのでは、16・17歳の
高校生の年の未熟な頭のなかでは・・・・・何を以っての良い学校か・・・ 学問とは教養を身につけるためにある、と戦前の人は思っていた節がある。一方で実学も重視した。どちらも国にとって大切なことであると。しかし何より大切なのは国民の倫理道徳であるとも。そこで教育勅語を小学生の初等から一生の宝として覚えさせた。無理矢理にそうしたというより自然に空気のように吸い込ませたというべきか。我ガ臣民ヨク忠ニヨク孝ニ、とこれだけで日本国民たるべき者の精神の醸成ができたのである。戦後日本人がカービン銃で脅かされながら脳に叩き込まれたプラグマティズムや唯物史観となんと縁の遠い美しい世界であったことか。
戦争に負けたことは何ら恥ずべきことではない。堂々と負けたのである。胸を張って負けたのである。 >>30
ウチの地元だと旧制女学校は3番手だな
一中と二中が上位にいる わしの出身高校は旧制中学だ〜
田舎では普通にあるよね。 いの一番に復活させるべきは、教育勅語だろうな
英語なんて文法だけでいい。将来、論文書ければOK 英語話せるバカなんて、
世界中に有り余ってるから価値なんてない 折角のみんなの話を曲げるような事を言ってはいけないが、TUBEに
女学生 高峰秀子 教師 葦原邦子 が出てくるS14年の「花つみ
日記」が面白い。 大阪船場の置屋の娘、高峰が玉造のウ井ルミナ
女学校(現大阪女学院)へ通っている。幼くとてもかわいい。戦前の
大阪の街が面白い。 >>294
大体地域一番の公立高校が旧制中学だわな。俺の親戚の爺さんは旧制中学から海軍兵学校、終戦で旧帝大に入り直したと話してた。 四国生まれだった俺には何がショックだったつって、戦前まで四国には
大学が皆無だったことだ。
旧制帝大は、植民地の台湾や朝鮮や旅順などにもあったし、官立大学つう
今の国立大学は、広島やら金沢なのにあったのに、四国には皆無。
つか、大学令つう大正時代の私大をも含めて大学認定する布告の中にも
四国のものは皆無。
(文部科学省のサイトより)大正九年二月慶応義塾大学・早稲田大学の昇格を
皮切りに、同年四月明治・法政・中央・日本・国学院・同志社の各大学がそれぞれ
昇格、以後東京慈恵会医科・龍谷・大谷・専修・立教・立命館・関西・東洋協会
(のちの拓殖)・立正・駒沢・東京農業・日本医科・高野山・大正と大正年間だけ
でも総計二二大学が昇格を認可された。
四国ぜんっぜんねえ!かすってもいねえ!!
四国にあったのは、全国ドコにでもあった旧制師範(今の駅弁教育学部)
旧制医専(今の駅弁医学部)旧制工専(今の駅弁工学部)のみ、んなもん
全国どこにでもあったわ!
立正大とか大正大レベル高野山レベルさえ四国は認められなかったのだッ!!
昔は上智とか青学とか関学や関学が認可されてねえ時代だからまああれだが
かといってそれらが四国に来たかつうと、上智大学の創立は四国の…
とかだったらぜってえに黒歴史で上智のほうから拒否さ!そうさ四国なのさ
昔も四国!今も四国!うあああああああ >>293
田舎で旧制中学が2校ある地域は珍しいね 旧制中学(現:新制高校普通科)→旧制高商(現:新制経済大学経済学部)
ですが、エリートを自負しております >>291
彦根高商卒業生は、京都帝国大学に入学資格はなかった。
そのことの意味をよく理解しろよ。 >>305
間違えました
新制高校普通科(旧制中学)→新制経済大学経済学部(旧制高商)
ですが、当時であればエリートを自負しております ┏( .-. ┏ ) ┓
【日米/丸パクリ/準自動走行システム】
*私の考案である
【準自動走行システム】だが
日米両サイドで、使おうとしていた
その為か、私に対しての
レーザー、空中ワイヤレスでの
斬撃が激しくなったとも云える
--
*Google & Apple が始めた
ウェイモは、記事内では
まだ、完全に無人では無いと書いてある
・AIに道順を記憶させるシステム
だが、私のライン引き考案を丸パクリして
人工衛星で
ライン引きをすると云う試みもあるらしい
--
*国内では、日本政府の菅総理が
東北自動車道での
私の考案の丸パクリに、GOを出したとか…
(※ もう一つの
282【全ての道はローマに通ず系
アトラクション】も、もじってるとか)
;-1
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1315825097945407489
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 今も旧帝大は2%くらいだろ。
よほど親の経済力と頭が良くないと入れない。 俺の地域は一番の進学校は私立だ。
田舎は今でも公立がトップなのか? 戦前の京大って、高校の中下位層が多く進学したんだよね。
これって何を意味するかというと、戦前の京大生のかなりの割合が、今でいうマーチレベルだったということ。
エリートと言われるけど、事実上の裏口もあるし、しょせんは限られた世界の競争だから、そんな大したことないんだよ。
甲南高校あたりで遊び惚けたぼんぼんが、そのまま無試験で京大に進学できたわけだから。
事実京大より慶應のほうが高文の合格率が高いなんて言うデータを提示した人もいた。
京大の自由というのは、バカ学生を相手にしない自由でもあった。 国民生活が比較的豊かになった1930年代末頃においても、旧制中学進学率は全体の8%程度
であり、大半の国民は高等小学校・青年学校で終了し旧制中学を含む旧制中等学校へは進学
出来なかった。大日本帝国においては旧制中学時点で既に一握りの恵まれた存在であり、旧
制高校は純然たるエリート、旧制大学に至っては雲上の存在である。 師範学校、高等師範学校は授業料がなかったので比較的貧しい家庭の子弟でも高等教育を
受けることができた >>297
良い映画でした。ありがとう。
昔のお上品な大阪の女学校のドラマぐらいに思って観ていたらどんと昭和14年頃の現実が現れてちょっとショック。NHKの朝ドラと本物の時代の空気感は違うなと、80年後の視線で見せてもらった。これを作った人々はどなたもご存命ではないだろうし、あの大阪も6年後に焼失したのだなと思うと悲しい。 >>312
その例で分かるように、戦前の学校制度は本当に良くできているなと感心することがある。人材の登用の仕方が実にお見事。どんな環境下にある人でも能力のある人はそれを生かす道が合理的に用意され、それぞれに所を得さすべく考えられている。今の学校制度は国民に勝手にやったらと投げ出しているようで国家的意図が存在しないように思われる。 成蹊成城武蔵、関西で言ったら甲南など旧制高校が母体な私立大学がパっとせんのは何でなん? >>316
旧制中学入試最難関は府立高校尋常科(→都立大附→桜修館中等教育学校)
https://inumimi.papy.co.jp/inmm/sc/kiji/1-1082761-84/
https://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/dai4/siryou7/iken1.html
白金小学校のクラス1番が府立高校尋常科受験、
クラス2、3、4番が府立一中(日比谷)受験
府立高校尋常科は戦時中の勤労動員も免除(府立一中はあった)、
軍事教練はあったものの、配属将校による鉄拳制裁もなかった 313様 早速ご覧頂いたのですね、貴重なお時間をどうも有難うございました。
同じく、吉屋信子作品で「母の曲」 原節子さんの女学生主演があります。
戦前のトップスター 入江たか子氏も主演です。 花つみ日記と違い大阪の
庶民的風景とはうって変わった東京の上流家庭のお嬢さんの葛藤を中心
に描かれた作品です。 当時旧制高校、帝大へ進学していたのは庶民とは
かけはなれたあんな家庭の男子だったのかなと推察していました。
動画検索 吉屋信子 Mother's melody (1937) - YouTube 映画「雪崩」
上記と同じく 上流階級を舞台にした作品です。学生は出てきませんが
ハイカラなお嬢さんが出てきます。S20年の空襲・敗戦が日本の雰囲気を
がらりと変えてしまいましたね。
動画検索 成瀬巳喜男 (1937) - YouTube
『雪崩』(なだれ)は1937年(昭和12年)に公開された日本映画。成瀬巳喜男監督作品。
製作会社 ピー・シー・エル映画製作所
配給 東宝映画配給
公開 1937年7月1日 上映時間 59分 各位殿、上記の2件について スレチになってしまいすみません。
当時の上流階級家庭の雰囲気を知りたかったもので・・・・・ >>312
貧しいっていうか植民地民でもOK
なので30手前で入学ってのもちらほらいるんだよな 恥ずかしながらオレはあまり勉学の出来がよくなかったので、
関西の私立高等学校が前身の大学へ進学した。大正時代に当時
の文部大臣平尾八三郎が伊藤忠兵衛と共に設立したところだ。
学史によると高等学校時代は卒後、官立大学への進学が多く
また戦後の新課程に切り替わってからは、普通学部の他に医学進
学課程が数年間開設されていたが、次第に関西4私立大学の下に
なるようになった。ただ就職状況・社会的評価は大分後年までは良く
伊藤忠、丸紅、など商社系はトップを占めていた。官庁・大手メーカー
は駄目だった。出身高校の教師は関西大学の商学部・社会学部へ
進学するよりは4年後の就職は圧倒的に有利だと言っていた。 >>311
都市と農村の格差も大きいぞ。
昭和10年頃には、東京23区には、既にかなりの数の公立中学が沢山あって、
進学率も相当の高さになっていた。
東京府立第一中学(現日比谷高校)ができたのが、1878年。
2番目にできた、府立第二中学が、1901年の現在の立川高校だ。
19世紀の多摩地域は先進地域だった。
だが、ここから30校位の府立中学が次々と開校をしていくのだが、それはみな都内ばかりだった。
多摩地区は、教育が大きく遅れた状態、俗に言う「三多摩格差」ってやつだ。
そして、20世紀の半ばから終わり頃にかけても、この格差はずっと残ったままだった。 経済力は進学の最低条件であって
当時から熾烈な受験競争あって
社会問題になってたと聞くぞ
受験戦争は戦後に限ったことじゃない いまどき旧制高校持ち上げるとは
エリート主義で戦前日本の暗部の一つだろ >>68
欧米というか、今や北京大や清華大に世界大学ランキングで負けてるからな
昔なら有り得ない話だったのに >>327
フランスなんか今でも凄まじい官僚エリート主義だけど。
あと、エリートかどうかは相対的なもので、戦前は大学生は超エリートだけど、
今は大学生であるだけでは何でもなくて、大学の中身が問われる。 329・330さん
それは過言ではない。俺がその新制大学出身だからよく分かる。
俺が入学時には1〜4年まで合せて在校生6000人だった。
入学した当時驚いた。
今は学生ローンで進学、猫も杓子も大学、大学だ中高生に劣る者が
多々散見される。 神宮外苑で壮行会に行進している学生達の締ま
った顔ぶれとは偉い違う。あの頃本当に惜しい人たちを亡くした。 俺の私的な新制大学受験(45年前)の話で申し訳ない・・・
関西の有名4大をはじめ幾つか10学部を受験して3学部合格した。
痛感したことは、問題難易度が60分で「己の氏名・住所・電話・父母の
名前」を50回記入せよとの自分にとってアホらしい位にならないと合格
できないナ・・ということだった。
「親戚・親友5人のの住所・氏名」を50回書け程度になると、正確に記し
たつもりでもどこか間違い、減点されている。
以前のスレに出てくる難問の数々もこの程度に思えないと合格できな
かったんだろうなあ・・と思う。 >>325
>19世紀の多摩地域は先進地域だった。
大昔から武蔵野国の国府は今の府中でしょう。
明治維新後はいったん神奈川県側に入れられ、
東京府?側に移管されたのは1893年でしょう。
府立2中設立はそのあとですね。。。 >>330
>フランスなんか今でも凄まじい官僚エリート主義だけど。
そのエリート養成機関にパリ大学が含まれていないのが傑作だね。
もう一つ、普仏戦争以後対ドイツ戦争では単独敗戦国。 2年前にベストセラーになったマンガ「君たちはどう生きるか」読むと当時の旧制中学の空気が分かるね
原作者みたいに中学行くのが当たり前の生徒もあれば家の手伝いしながらなんとか通う生徒もいて 高校って呼ばれてるだけで
大学の教養課程なだけだろ 大阪の話で悪いが阪大の教養課程である大阪高等学校は本来の阪大
とはかけ離れた阿倍野区北畠にあった。大正時代に建てられた立派な
5階建ての校舎。今でいう府道13号線の沿い、播磨町交差点北300
メートル、当時としては交通が不便で阪堺電車北畠から西500メートル、
阪和電鉄(S4開業)南田辺駅から西700メートルの地点だった。
何故大学本学とは遠隔地に造られたのは私にはナゾだ・・・
おかげで南田辺駅西側にはS50年代になっても専門書を置く古書店
が幾つか残ってその名残を留めていた。 阪大の教養課程になったのは戦後の学制改革の結果で、設立時は阪大とは無関係でしょ
旧制姫路高校が戦後に神戸大に包括されたのと同じ >>338さんへ 337カキコだが、そういわれればそうだなあ。納得しました。 >>323
今はぼんぼんも同志社か関学へ行くね
成蹊・成城から慶応へ流れているのと同じ流れ >>340
アメリカも農業国だがね。
天地すべてを利用するのが農業国で、
手先の技能を利用するのが工業国だな。 そんなに戦前がよかったなら
戦争に勝ったでしょうがwww (1) お前ら日本にいるジャップの主張によると、2000年代、2010年代に比べ、アフリカ系米国人の立場は悪化しているわけだ。最近は特にトランプのせいで悪化しているわけだ。
(2) ところで、お前ら日本にいるジャップは、2000年代から2010年代中まで、ガングロとかヤマンバギャルとかブラザーフッドとか、アフリカ系米国人のファッションとかやっていたわけだけど、今は完全にやめているよね。
(3) つまり、アフリカ系米国人の立場が改善しないどころか悪化しているのに、お前ら日本にいるジャップはアフリカ系米国人の方々を一方的に悪用して捨てたわけだよね。
お前ら日本にいるジャップこそがレイシストのナチのクズのカスのゴミ。
「俺がお前ら日本人と同じ民族だ」と、俺はアフリカ系米国人の99%に思われたくない。俺はアフリカ系米国人の99%の一人になりたい。
いますぐ、白人至上主義者が全員死にますように。
いますぐ、「名誉白人を名乗っている奴ら」が全員死にますように。 学生の酒の席でのアカデミック議論なんて、現代でもやってんじゃないか?居酒屋でw >>342
アメリカは圧倒的な世界覇権国のオールラウンダーだから同列には扱えない >>344
帝大卒の文民エリートが、士官学校卒の制服組をシビリアンコントロールしないといけなかったのだが、
軍人の力が強くなり過ぎた。
が、それには文民エリートの側にも原因があって、平民宰相と言われた原敬だって、他国と比較できない規模でのシベリア出兵とかしてるし、
軍人を出兵させて多額の予算つけた挙句に下士官を戦死させたりすると、軍人会の力が強まってくる。
満州事変や515事件に至るずっと前の段階で、自分は戦場に行かない文民エリートが好戦的過ぎて、
軍人を蔑視して下に見つつ、外地で軍人の力をつけさせてしまった。
その前は、民間右翼による政治家の暗殺など、文民エリートに対して好戦を嗾ける圧力も強かったけどね。
象牙の塔にいる文民エリートの軍人蔑視の風潮が、次第に政党政治の枠外で軍人を増長させて、
最終的にフランケンシュタインにされたんだな。
その上で、軍人が主導権を握って、無謀な対米戦争を始めた。
皮肉な事に、軍の下士官を支える層だった貧農の人達は、
ある意味故意に無謀な対米戦争を仕掛けて、
アメリカに国体をぶっ潰される事で、
他力本願的に農地解放を実現させた。 アメリカと戦争するなんて誰も望んでなかったし
軍部もアメリカと戦争して勝てるなんて考えてなかった。
そして日本の南仏印進駐に対してアメリカが
石油禁輸と中国撤兵を主張してくるとも誰も想定してなかった。
それで開戦をも辞さない決意でアメリカと交渉をするということになったけど
アメリカが譲歩しないので当初の決意通り開戦を辞さず開戦となった。
結果はボロ負け。 駅弁医学部にだけは絶対行きたくない
マーチに行きたい 英霊の方々にはハンサム、イケメンがいたけど
お前らには滅多にいないよな 現在の大学の教養課程を担っていたのが旧制高校。しかし特定の大学の下請けをやってたわけではない。それはそれで自己完結的な教育方針と理想を掲げた人間育成機関だった。戦後の学校教育制度の改変は一方的に占領軍命令で行われた。日本は黙ってそれに従ったのだが頑として拒絶したのがドイツだ。これについては諸々研究されているので書かない。
戦後改革としては憲法、教育改革、財閥解体、農地解放、税制改革などあるが、そのどれもそれまでのやり方が悪かったから変えたわけではなく、あくまで占領軍側の都合、利益に沿うように日本を改編することが目的だった。結果的には長い目で見ると日本を苦しめるだけの無残なものとなった。今日の日本が直面する諸問題のすべての遠因となっている。 児玉誉士夫・笹川良一などをはじめとする戦争屋が裏で暗躍して儲けた。
神風特攻隊は片道分しか飛行燃料を入れてもらえない程枯渇していたの
に、大臣・閣僚のお偉方は自動車で各地を移動していた。ABCD包囲陣に
より物資の供給が絶たれたのに、裏ではこっそりとガソリンが供給されて
いたのも否めない。軍部と戦争屋が手を組んで儲けていたのだ。
20年8月15日の玉音放送開始直前まで陸軍大臣・海軍大臣が降伏に
ついて対立し、しかも15日の玉音放送後も出撃をしていた部隊があった。
命令系統が行き渡ってなかった。
俺の父親も四国の南、須崎で体当たり魚雷艇「震洋」隊員であったが、
終戦を知ったのは4日後であった。本部隊とは離れて離島にいたので
16日の原因不明の魚雷艇大爆破事件(160人程犠牲者が出た)が
奇跡的に助かった。 続き、離島にいたのでラジオが有ったか無かったかは知らないが
15日正午の「朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み非情の措置
を以って時局を収拾せんと欲し、茲に忠良なる汝臣民に告ぐ」は
知らなかったのか」、本体から何の連絡も無いのと、空が異様に静か
になったので、験しに使いを出して須崎へ行ってみたら戦争が終わっ
ていたと言っていた。 戦前、優秀な人は陸軍士官学校や海軍兵学校を目指した。
それが当時一番の出世コースだったから。 旧帝国陸海軍は天皇直属。
違憲説があるような今の自衛隊とは比べもんにならん。 戦後も、本当にエリートになった人達は、大らかに育てられた。
今の教育も、見習う点が多いと思う。 旧帝国陸海軍は天皇直属。 そういう意識が根底にあったから、大阪
天六交差点での警官隊との衝突「ゴー ストップ事件」と相成った。
天皇直属の軍隊に警察が赤信号を守れと命令するのはなにごとか!!
と。 >>358
お召し列車の運行時とか、どうなってたんだろうか?
予め、全部の列車を止めておかないと大事故になるぞ? 俺は私学の文系学部を卒業したが、本当に大学生活(勉学)は短かった。
本当なら大学学問を究めようとしたら8年は必要と思う。それとも一般教養
期間2年を廃して専門課程の6年制にすれば良いのではと思う。何か中途
半端だった。何か自動車教習所の長期版のような気がした。因みに俺の
専門は交通経済学だった。鉄チャンの俺にはぴったりのゼミだったが・・・ >>359
それは後の国鉄の遵法闘争時の様に一斉に運行を止めないでお召し
列車付近の運行を一時制限しただけだったのでは・・・・・ >>358
警官隊と衝突したとは随分大袈裟な。交通整理の巡査が陸軍の車だったかオートバイだったかが信号無視したので注意したという発端があって、内務大臣と陸軍大臣の面子争いになり、最終的には昭和天皇がご心配されたことから、大阪警察と陸軍第四師団が互いに謝罪するということで和解した、めでたしめでたしという事件だが、統帥権問題がからんだというところがみそ。統帥権なんて法律用語は軍人も一般人も知らなかったが、鳩山一郎が国会で、海軍軍縮会議に全権代表として出席した外務大臣が条約に調印した事を統帥権の干犯にあたると非難したことがきっかけで軍人が乱用するようになったと言われている。戦後左翼がこういうことで戦前は軍国主義とかなんとかいってるようだが。なおこの事件は大阪が日本陸軍建軍の聖地だということ、その頃の大阪は日本最大の都市だったことを知ってるかどうかで理解の仕方が違ってくる。 レベル11
東京大(理V)、京都大(医)
レベル10
東京大、京都大、国公立大医学部
慶應義塾大(医)
レベル9
一橋大、東京工業大
レベル8
北海道大、東北大、名古屋大、大阪大、神戸大、九州大
早稲田大(政経・法・文・各理工など)、 慶應義塾大(経済・法・理工など)、私大医学部
レベル7
筑波大、東京外国語大、お茶の水女子大
早稲田大(人間科学・社会科学・国際教養など)、 慶應義塾大(SFCなど)、上智大
レベル6
千葉大、首都大学東京、横浜国立大、電気通信大、東京農工大、新潟大、金沢大、広島大、岡山大、熊本大、長崎大、名古屋工業大、
名古屋市立大、京都工繊大、奈良女子大、大阪市立大、大阪府立大、神戸市外国語大 など
東京理科大、中央大(法)、関西学院大、同志社大
レベル5
小樽商科大、弘前大、群馬大、埼玉大、東京学芸大、信州大、静岡大、三重大、
滋賀大、兵庫県立大、和歌山大、香川大、山口大、鹿児島大 など
明治大、青山学院大、立教大、法政大、中央大、立命館大、
関西大、学習院大、津田塾大、南山大、私立大薬学部 など
レベル4
その他国公立大
日本大、東洋大、駒沢大、専修大、京都産業大、 近畿大、甲南大、龍谷大、成蹊大、成城大、明治学院大、
國学院大、武蔵大、東京農業大、東京電機大、芝浦工業大、神奈川大、愛知大、名城大、福岡大、
西南学院大、東京女子大、日本女子大、学習院女子大、同志社女子大、京都女子大 など
レベル3
亜細亜大、東海大、拓殖大、国士舘大、大東文化大、桃山学院大、神戸学院大 など
http://www.toshin.com/curriculum/images/kouza_en.pdf >>362
旧制中学というのは現在の中学と高校を合わせた中高一貫校のような学校。男女共学ではないので旧制高等女学校というのがあって、学力は女性の方が高く、帝大出の男性と釣り合うような教養のある女性になる教育をした。 >>352
>頑として拒絶したのがドイツだ。
似たような教育制度をとっている共同占領国(イギリス、フランス)にとって、
アメリカ式の学校制度は受け入れがたかっただろうな。 ゴーストップ 俺の記憶とは違うので調べた、他からの引用でスマソ。
案外古い事件だった。1933(昭和8)年6月17日、大阪市北区の天神橋筋6丁
目交差点で、陸軍歩兵第8連隊に所属する兵士が信号無視をした。この日
は非番で、急いで市電に乗りたかったらしい。
それを見とがめた巡査が、派出所まで連行しようとしたのだが、はからずも公
衆の面前で取り押さえられる形となった兵士が、「軍人を身柄拘束できるのは
憲兵だけ。巡査の命令になど従わぬ」などと抗弁したことから、ついには派出
所前で殴り合いのケンカになってしまった。
見かねた通行人の通報で、憲兵が駆けつけて兵士の身柄を引き取り、ひとま
ず騒ぎはおさまったかに思えたのだが、現場の責任者である連隊長と警察署
長が、いずれも不在であったことから、話がややこしくなった。それぞれ上級官
庁(陸軍省と、戦前は警察の監督官庁であった内務省)に報告が上がってしま
ったのである。
まずは陸軍側が、制服の兵士を拘束しようとしたのは不穏当である、などと警
察に抗議し、これを受けた警察も、「軍人が陛下の軍人だと言うなら、警察官も
陛下の警察官である」として、謝罪など論外だと応じた(22日)。
その後、大阪府知事と陸軍幹部の会談も物別れに終わるなど(24日)、対立は
エスカレートし、警察署長が過労で倒れたかと思えば、ついには目撃者の一人
が自殺するという事態まで起きた。警察と憲兵隊から交互に呼び出され、双方
から、こちらに有利な証言をするようプレッシャーをかけられたせいであると、
衆目が一致している。
結局、半年近くも泥仕合が続いたのだが、昭和天皇が心配されているとの情
報を得た陸軍側が、急に矛を収める形で和解に至った。11月20日、当事者の
兵士と巡査がともに検察に出頭して(兵士が巡査を告訴していた)、 >>370 をカキコしたが、俺は軍隊兵士の行進中をを赤信号になり警官が
停止するよう求めたが、これに応じず・・・云々だったので調べた。 旧制教育のスレが本来より脱線気味でもあまり苦情が出ていないのは
他のスレと違い、珍しく非常に良いことだ。色々と意見交換が出来る。
イヤじゃありませんか軍隊はカネの茶碗に竹の箸、仏様でもあるまいに
一膳飯とは情けなや。
腰の軍刀にすがり付き、連れて行きやんせどこまでも、連れて行くのは
安かれど、女は乗せない戦闘機
女乗せない戦闘機、男姿に身をやつし付いて行きますどこまでも。
7つボタンを脱ぎ捨てて、粋なマフラーに特攻服、飛行機枕に見る夢は
かわいいスーちゃんの泣きボクロ
悪乗りしてしまった。非情にスマソ・・・・ >>369
そのフランスが今日本の小中高校と似たような初等中等教育制度を持っているのは
皮肉だな。
少し違うのは幼児学校の制度。
日本の幼稚園と違い、これも学校教育の位置付けになっている。 >>373
>そのフランスが今日本の小中高校と似たような初等中等教育制度
アメリカの制度であって、日本オリジナルじゃない。 帝国大・高等学校とは少し外れるが・・・
353の後半・354を記した、父親の特攻魚雷艇「震洋」に付いて記した者だが、
終戦後の1945年8月16日、高知県で第128震洋隊に出撃命令が下され、準備中
に爆発事故が起こり111名が死亡した。戦後、その現場には震洋隊殉国慰霊塔
が建設された。終戦の玉音放送後に出撃命令が出されたが、これは司令部の
少佐が配下の部隊に独断で命令したため、第132震洋隊長渡邊國雄中尉は「そ
れは少佐殿個人の考えですか。それとも司令の命令ですか。司令の命令ならと
もかく何の連絡も受けていませんので今日のところはお引き取り下さい」と言い
出撃せず、隊員らにも「無駄死にするな。その力を新日本再建のために最大限
努力するのが唯一の道ではないか」と諭した。同様の事は第一三四震洋隊長
半谷達哉中尉も行った。〔彼らが暴走しなかったのは慶応大学卒の一般大学出
身で軍隊以外の社会を知っていたから〕と言われ、隊員のその後の面倒も見て
いる。〕 やはり昔の高学歴は偉大、大事だナア・・・ 戦前の高校進学率は非常に低いが、言い換えれば中学卒業で十分就職できた
年齢的には今の高卒より少し若いだけで、農村部都市部で仕事があった
池波正太郎は高等小学校卒業して証券会社の小遣いをしていて
株券を顧客に届けるとチップが貰え、月収は大学出の社員と大差無かった >>377
戦前の映画、昭和10〜5年頃、特に大手会社のオフィス場面を見ていると、
今でいうOL達に代わって15・16歳位の少年が事務連絡係りとして働いてい
る場面が出てくる。 社員各自の机上にダイヤルの付いた卓上電話機(今の
家庭用電話の子機位の大きさ)が並んでいて豪華だ。
俺が就職した昭和55年頃は証券会社から自転車の前かごに大量の株券ら
しき物が入った鞄をいれて走っている風景をよく見かけた。証券会社相互間
の受け渡しに走っていたと思った。 市川雷蔵主演の映画「陸軍中野学校」では加東大介が部屋に市川を呼び出し、
俺は草薙中佐だ。「今から10の質問をするからまとめて答えよ!」と言って色々
な問いかけをして居るのが印象的だった。5問位なら覚えられるが、10問となる
と中々ネエ・・・
また後の場面では「貴様達は家族宛に死亡通知を出すから」と言っていたのが
印象的だった。 国民の9割が最終学歴小学校卒の時代。
中学卒はエリート。 戦前はヨーロッパの学校制度のパクリ。
戦後はアメリカの学校制度の押し付け。
日本人のオリジナリティーは、文理の分離程度かな? 士官学校や師範学校みたく
学費免除で上級学校行く道あったから
貧困層にも進学の道はあったよな 陸士や海兵は旧制中学を経由する必要があったから、貧民の子弟には厳しい
旧制中学に進学できない秀才は師範学校 結局は発展途上国の教育モデルだわな
ある意味一番安上がりな人材育成方法だし >>13
>上の方はエリート候補生のコースへ送って立派な政治家や大企業の幹部に、
>下の方は専門学校で職能コース受けさせて立派な技術者や熟練労働者に育て上げるのがいいと思う。
欧州は実際それやってガタガタになったじゃん
結局政治のセンスは教育では身につかないんだよ
だから日本みたいに万遍なく教育を施してセンスのある奴が政治家を目指すのが一番いいんだよ 塾で「先生は東大じゃないからバカだ」と言う小学生的発想だな。 はよう厳格な身分制をしくべき。そうすりゃ、各々の階級での幸せを追及するだろう。その方が幸せだと思う。 そいつらが日本を戦争に引っ張り込んだんやw
アメリカにも喧嘩売って
アメリカが戦争の片手間に制作した若草物語(1944年)
https://www.youtube.com/watch?v=hwP6kNIDg30
こいつらの最後の仕事がバブル崩壊やぞw 勝海舟
『氷川精話』
「さよう、少し眼につきましたのはアメリカでは、
政府でも民間でも、およそ人の上に立つものは、
皆その地位相応に利口でございます。
この点ばかりは、全くわが国と反対のように思いまする』といったら、
ご老中が目を丸くして、『この無礼もの。控えおろう』としかったっけ。」 戦前は農民が80%以上で、小学校出たらすぐ農作業やらせて
都市部の商人ですら小学校出たら奉公に出す時代だろ?
旧制中学や高校に出せるのは、軍人や官僚か、地元の名士くらいだろ >>394
まあそうだな。戦争に負けてなきゃお前は近衛連隊だったろうねと言ってたからな。
あいにく近衛通の大学に行ってドクター取ったわけだが。 >>77
今の中学の学習要項が偏ってるだけ
昔はいろんな分野を学習して試験範囲広かったけど
今は範囲狭いかわりに重箱つつきみたいな問題ばかり >>174
当時はコピー機なんて無いからな
書き損じたら終わりの時代 >>202
昔の医者は暇人が多かったから作家が出来ただけ 戦前の映画S18年「無法松の一生」 阪東妻三郎・園井恵子・沢村アキヲ
(長門裕之の幼名)では小倉を舞台にした者で陸軍大尉の未亡人と息子
(長門)と阪妻の交流を描いた作品だが、息子は成長して小倉中学〜五高
(熊本)へ進学する。やはり将校の息子の進路だったなァ・・・・
園井恵子は2年後広島で原爆に合い、2日後に西宮の友人宅で病死した。
映画のセリフ中に園井が息子(沢村)に言う。「私はお父様から貴方を預か
っている責任ある立場なのですよ」と、がとても印象的だった。 旧制中学を舞台にした映画で「けんかえれじい」と言う作品もあったな >>401
あー、あれ見て
やっぱり大昔の旧制中学にもヤンキーさながらのバカはいたんだなと思った 戦前が素晴らしいならお前ら徴兵制度になったら確かに受けろよ >>403
> 戦前が素晴らしいならお前ら徴兵制度になったら確かに受けろよ
そもそも予備自衛官補に応募すらしていないのに… >>403
戦前基準なら受けてもネット民は甲種にはならんから大丈夫だw >>377
旧制中学の時点で、今の中1〜高2だからね。
これは、最終学歴が中卒というよりは、むしろ中高一貫校卒業に近い。
現、高校二年生が最高学年ね。 戦前は専門学校卒でもエリート
旧制専門学校=新制短大 60年代は旧制中学だった名門校高出てくると超大手企業に就職できた >>402
いないだろ
大正ロマンは紳士ブームつうか 熊本大卒の元首相が2人って記事を見て笑ったことがある
五高と熊本大は別物だわ >>411
別物じゃないよ。わからなきゃいいけど。 >>411
そうだな
その理屈だと鹿児島大卒のノーベル賞受賞者が出ちゃうし >>410
先ほど挙げた映画「無法松の一生」中で 小倉中学5年になった(沢村アキヲ=長門
裕之)は大正3年、青島陥落を祝う提灯行列の日の夜に他校の生徒との決闘に誘わ
れた。そこで前述のとおり母親に「私は亡きお父様から貴方をお預かりしている責任
がありますから決闘などに参加してはいけません」のシーンが出てくる。それでも参
加した。そこに無法松(阪妻)が加勢していた。のでヤンキーでなくともそんなことは
あったと思う・・・・ それとも、歌「無法松の一生」中に、小倉生まれで玄海育ち、口も荒いが
気も荒い〜があるが、北九州地方独特の気性だったのかも知れないが。
俺がS52年に門司・小倉・戸畑辺りを旅行した時でさえも現地の誰からも
何も言っては来なかったが、大阪住みの俺にとっては何かしら異様な雰
囲気を肌に感じた。 時代を遡るのもいいが
この時代他国の大学との比較のほうが懸命だろう
ずるずる評価が下がっていくときには郷愁が
必要なんだろう 昭和高度成長期を懐かしむように 俺が大学へ入った50年頃、第2の世界共通語エスペラント語を普及
させようとする動きが盛り上がったが、その後どうなってしまったのか。
それが現在世界中に普及していたら各国の研究論文の比較も容易に
なり交流も盛んになっていたと思う。単に各国の母国語や英語での
研究成果、論文ではニュアンスの違いもあり、レベルの比較が困難で
あると思う。 (エスペラント語を用いる人は世界で150万人に留まって
いるらしい) 鉄チャンの俺は受かって入った大学に「交通経済学」のゼミがあった。
クラブも鉄道研究部だった。担当教授の著書の最後部を見ると長崎県
島原出身、京都帝国大学を卒業後運輸省に入り、公益法人運輸研究
所勤務を経て、大学教授着任とあった。学生だった俺は当時は実感し
なかったが、この5CHスレを見て、ずいぶん立派な先生と接することが
出来て居たんだな!と痛感している。講義・ゼミだけでなく、外国書購読
担当や鉄道研究部クラブの顧問もされていた。
学習内容も従来の中学・高校に比べて積極的になれて一番楽しかった。
S52年当時すでに55歳であった。ただ昔の55歳は今でいう70歳手前
位の風貌であったが、とても温厚でボンボンというよりも良家の育ちとい
うのが肌で感じ取れた。やはり昔の帝国大学進学者だ。 >>407
わざと間違ったこと書いて
人に訂正させようとしてんな
甘えんな! 戦前の甲子園は、旧制中学の大会なので、出場できる選手が今よりもかなり若い。 「ストーム」と言う行事をする連中が紳士かねえ・・・ オードリー・タン「日本人は未来に住んでいるようだった」。台湾の天才大臣が語った来日時の記憶 【インタビュー全文:その@】
http://socie.arktis-ag.net/202010/news/GpOQBVY4di.html >>422
これは、男子校の男子寮の中で行われる「校内ストーム」とはやや異なるけど、
小平市内に隣接する、一橋大と津田塾大の寮の間では、つい最近まで、もしかしたら今でも?
「男子学生らが、塀乗り越えて、女子寮に侵入する」
半ば恒例行事と化したストームを、双方の寮委員会の公認の下でやっているよ。
男子校内のストームにしたって、
現代の体育会系学生のやってるような、飲酒強要やら、自分はノーリスクで、下級生に全裸を強要したりするような、
知性の欠片もない、ホモフォビア丸出しの、「陰湿ないじめ飲み会」よりは、ずっとマシ。
こういう物事は、紳士であるかはともかく、「やられる側も楽しめる関係性」があるかどうかが、何より問われるからな。
しかも夜通し、哲学について人生について、議論している。
体育会系学生について言うなら、戦前の箱根駅伝を走ってる連中の方が、
戦後の学生よりよっぽど教養あるよ。
当時の体育会系学生は、学生の本分である勉強をちゃんとしていた。
ただ、こういう「古き良き学生生活」は、戦後もしばらくはそれなりに見られる光景ではあった。
しかし、1970年頃に吹き荒れた「全共闘運動」が崩壊して、教育が荒廃しきった後、
「スチューデントアパシー」が蔓延した高校・大学では、一部の例外的な伝統校を除いては、殆ど絶滅に近い状態になってしまった。
浅沼稲次郎(戦前の早大相撲部、雄弁会で「反軍演説」、後に政治家。)
篠田正浩(戦後すぐ箱根駅伝出場 、映画監督。)
宇都宮健児(極貧家庭の野球大好き少年が東大法学部に、後に弁護士。)
連夜の、他学生との知的な議論の中で揉まれると、かような体育会系の学生も、幅広い思考を持った人物に成長できる。 俺の高校は旧制中学のときの卒業生が
大和の最後の艦長、釣りバカ日誌のスーさん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています