【茨城】 引退YS11を次の舞台へ 平均70歳の元整備士ら集結 [朝一から閉店までφ★]
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吉井亨
2020年10月14日 9時07分
戦後初の国産民間旅客機として産業史に残る「YS11」の量産初号機を組み立て直す作業が茨城県筑西市で進められている。作業にあたるのは、平均年齢70歳の現役を退いた30人の元整備士たち。来春の公開に向け、リタイアした機体を再び輝かせようと汗を流している。
YS11
純国産のプロペラ機。第2次大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に航空機の製造を7年間禁止された日本が遅れを取り戻そうと国を挙げて取り組んだ。戦中に戦闘機を手がけた著名な設計者らが関わり、試作機2機を含め182機が製造され、旅客機として高度成長期を支えた。
量産初号機は1965年に旧運輸省に納入され、各地の管制施設の点検などにあたる飛行検査機として、98年まで活躍。日本機械学会の「機械遺産」、日本航空協会の「重要航空遺産」に認定されている。
筑西市のテーマパーク「ザ・ヒロサワ・シティ」に新設された建屋に9月中旬、元整備士たち16人が集まった。この日の作業は水平尾翼の取り付け。重機を使い、ワイヤで長さ12メートル、重さ360キロの尾翼をつり上げる。76歳の元整備士、井坂富夫さんも腰に安全帯を付け、高さ4メートルの尾翼に乗り移った。
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://www.asahi.com/articles/ASNBG2S2GNB6UJHB00H.html 乗ったことあるけど揺れが凄くてずっと怖かった記憶あるわ >>1
北○鮮に飛んでった淀号は、今はどうなっているのかな? まだ入間基地でYS11Sが現役で飛んでる
河野バカ太郎元防衛大臣が専用機欲しいって言って改装中 飛行機なのにトイレは汲み取り式だったので夜に用をたしにいくときは怖かった記憶が >>4
俺も屋久島行くときに乗った気がするけど、
離陸してかなり時間経ったなぁと思って外見たら、
まだ全然高度稼げてなくて驚いた。 >>10
知らんほうが幸せかもしれないよ
輸送機 設計 の頭文字の略でしかないからw >>12
設計してた外国人は役立たずだったので首切りされた。
現在は誰も仕事してない雰囲気 >>1
それよりも、A380やB747の実機そのものを日本の博物館に展示しろよw
日本より面積の小さい欧州諸国でさえB747まるごと展示してる国が有るのに・・・ 動画やべえな
最初の入社3年くらいのを思い出しながらやってるとか
長いこと農園や木工やってたとかそんな奴らが集結・・
大丈夫かよ空中分解するんじゃねーだろな あと一切トルク管理してないのも気になった
当時の機体だと全部手ルクなのかもしれんが 父がパイロットもう退職したけど
YS乗ってたこともある
性能面では同世代の飛行機とは
くらべられないほど酷い機体だったんだと、
ありゃ失敗作だよって口癖のように言ってた アメリカにつぶされた国産機だな。
関連工場は、ボーイングの下請けにされた。
三菱はコンピュータもつぶされてるから、よほどの脅威だったんだろう。 エンジンはロールスロイスだから純国産ではないよな? F-3やMRJのスレみてると日本の航空技術って日本人にすごく過大評価されてるような気がする 日本が作った飛行機は全て外国の飛行機を模造、もしくは参考にして作っていて
YS−11はイギリスのアブロ 748が原型モデルだ。
ただひとつの例外は一式陸攻で、これは参考にしたモデルが見当たらない 白浜空港に着陸する時、風に煽られて墜落するかと思った >>20
飛ばすんじゃなくて国立科学博物館に展示するための作業だから 岐阜の各務原でも乗ったりいろいろさわったり出来ますよ 70超えた年寄りに飛行機なんて触らせるなよ。
どうせ落ちたら、制御のせいにするんだからさ その昔、長崎空港から福江まで乗ったなあ。佐賀空港に地上展示機があるけど今見ると小さくて可愛いね。 >>42
堀越さんは名前を貸しただけで実務には全くノータッチだったらしいね。 >>20
大丈夫じゃね?
俺も整備士免許取って実務は半年しかなくて、それから20年経つけどまだキャブ車ならオーバーホールできる。 >>23
飛ばすための整備じゃ無いんだからトルク管理とか不要だろ 50年後〜
H3ロケットっていう国産のロケットが昔はあったんだよ >>31
アブロ748の開発開始前にYS-11のモックアップ出来てるんだが日本の技術者はタイムスリップでもしたのか? >>43
晩年はガッツリ開発にかかりきりだったって
書いてあるけど… >>50
僕は聞いてないな。 その情報の出どこ教えてくれよ。詳しく調べてみたい >>49
そのモックアップは予算獲得のためのデッチ上げ機で現実の機体とはかけはなれたもの
だったことは知っているだろう? なにせ座席は横5列というシロモノだ。
ちなみにアブロ748は1958年に設計開始して1960年6月24日に初飛行した
YS−11の初飛行は1962年の8月30日で2年以上後だ 大昔に地方の空港で乗ったことあるけど
搭乗時に操縦席が丸見えでカーテンで仕切ってるだけだった
飛行時はさすがにドアを閉めてたが >>26
でも、そのじゃじゃ馬を乗りこなしたのが自慢なんでしょ? >>52
三菱T-2はホーカーシドレージャギュア
三菱F-2はジェネラルダイナミックF-16
のパクリじゃんねえ!
日本はパクリしか出来ないんだな。 プロペラのエンジン音がジェットと違ってのほほんとしたトロそうな音だったなあ ANAが出したブルーオンブルー、YS-11を見てたら飛行中すごくパイロットが揺れてる…って思ったら
ただの貧乏ゆすりだったな(いくらプロペラ機でもこんなに振動しないよと親父が言ってた) >>59
そうだね。
ちなみに
T−3ジェット練習機はビーチクラフトT−34メンターの焼き直し
T−4 〃 はダッソー/ドルニエ のアルファジェットの丸パクリ
だったりする 誰でも知ってる話だけど、
YS-11のモックアップ製作チームと実際の実物を開発したチームは全くの別チームで
なんの関係もなかった。
モックアップチームはDC-3のデザインを失敬してきて少しばかり大型化。エンジンは
ターボプロップにした。 モックアップが完成した時点で「後は頼んだぞ」と逃走 9月の4連休に名古屋から新潟のANAに乗ったらまさかのプロペラ機だった。
稚内とかでは乗ったけど、まさか本州の真ん中でねえ(笑) >>9
10年位前までアフリカの空港に放置されてたけど
流石に解体されちゃったのか・・・・ 三宅島へ行くとき乗ったけど、遅いし低いとこ飛ぶしでなんかむしろ安全な気がしたなあ YS11を基本設計そのままで現代の技術で新造すりゃけっこういい機体になりそうなんだけどどうなん?
教えて航空マニアの偉い人 >YS11
>純国産のプロペラ機。第2次大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に航空機の製造を7年間禁止された日本が
>遅れを取り戻そうと国を挙げて取り組んだ。戦中に戦闘機を手がけた著名な設計者らが関わり、
>試作機2機を含め182機が製造され、旅客機として高度成長期を支えた。
何なんだろうな。こういうYS11神話
GHQとか関係なく、もともと日本の航空機開発は遅れていたし
高度成長期に開発してみたけど、結局ものにならなかったってだけだろ
YS11が現役で飛んでいる時は、国産のオンボロ飛行機ってイメージだったはずだぞw >>52
ゼロ戦も何とかのパクリなんだろ
なんだか知らないけど 1976年に初めて乗った飛行機が全日空のトライスターとYS-11だったな。 この飛行機は国産で一応飛べるという代物だったんだろうな
競合他社の方が、総合的には良かったんだろう ばんだい号で大騒ぎだったな子供のころ
その後ベレンコが来てそりゃもう大騒ぎさ >>77
違った、ダートはRRのエンジン名だ
ペラはダウティ・ロートル。 >>72
機体構造はセバスキーP−35を参考にした。 デザインはイギリスのグロスター F.5/34
のを失敬した。 操縦桿重いんだろうな
フライバイワイヤの前の時代の設計だし >>10
因みに「じゅういち」ではなく「いち・いち」だからな。 高知放送で高知公演のためにYS-11で高知空港に到着した
ベイシティローラーズの映像が流れてた。
今じゃあり得ない、タラップ下にタクシー横付けで会場に直行。
翌年、ビル・エヴァンスも高知に来たけどやっぱYSで来たんだろうな。 >>79
飛燕はマッキ202に似てる
アメリカ軍は飛燕をトニーと読んだけど
トニーはアンソニーの愛称でアンソニーはイタリアによくある名前アントニオの英語読み
アメリカ軍もマッキに似ていると思ってトニーと呼んだのかしら >>51
設計実務チームと御大チームと堀越のトライアングル確執って妬み嫉みも混じって有名だけど
お前ほんとに航空史に興味あるのか?
知ったか散りばめただけのトンデモ鵜呑みにしてるだけじゃないのか? >>52
モックアップと量産機の機体サイズが違うと言うならYS-11とアブロ748なんてまるでサイズが違うんだが >>87
この場合モックアップのサイズなどはあまり重要ではない。重要なのは機体デザインが
DC−3とほぼ同じであって、のちのYS-11完成機とはだいぶ異なっているということ。
設計図など影も形もない時点でモックアップだけ適当にやっつけてしまったのだ。
アブロ748から失敬してきたのは全体のフォルムだ。サイズは多少拡大されてるが
たいした問題ではない ヒロサワ、飛行機の他にブルートレイン、クラシックカー、バイク
何でもあるが節操がないともいう ANAとJALの共同チーム?ANAL(´・ω・`) >>88
YS-11のモックアップの一体どのあたりがDC-3なんだよ?紡錘形してるDC-3とは全く形状が違うんだが
てかお前YS-11のモックアップ本当に見たことあんのか?見た上でDC-3そっくりとか言ってるならやばいぞ 飛んでた当時は、短距離や離島路線とかなかなか活躍してたが
乗り心地はそれほど悪くはなかったぞ
低高度をゆっくり飛んでたから、窓から景色を見るには良かったな 乗り心地や速度などの性能面では、今のQ400の足元にも及ばないのは確かだ
一応ターボプロップで、エンジン余力もあったが
まあ世代が違うからな
地方は、YS11からジェット化で滑走路を1800m以上に伸ばして、B737-200やDC-9になって喜んでたが >>94
長距離は時間がかかるぶん
おやつ提供とかの回数が多かった
あのサービスはよかったなあ
まあ三沢に降りるリスクあったけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています