【歴史】農民も昔から名字を持っていた? 名字の8割は「地名」に由来…名字は「地名」「地形」「方位」「職業」「下に藤」でわかる ★3 [樽悶★]
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「山」「川」「田」「橋」など漢字の意味、そして読み方が重要 江戸時代以前の典型的な里山と村の暮らしを絵地図にした。山、川、池、森林、島、崎などの自然物のほか、井戸、田、橋など人の手で作られた構造物もさまざまな名字になっている((c) KK Bestsellers)
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20201028-00699240-besttimes-000-1-view.jpg
約10万種類以上あるといわれている日本人の名字。
そのほとんどが日本各地の地名、または地形に由来するという。
先祖がどんな場所に暮らしていたのか、名字から探ってみよう。
■農民も昔から名字を持っていた
日本人が誰でも持っている名字は、いつ頃からあるのだろうか。
そもそもは古代の大和王権の有力氏族が互いを区別するため、名前をつけた。「中臣氏(なかとみうじ)」「物部氏(もののべうじ)」など職業にちなんだものもあるが、「吉備氏(きびうじ)」「 尾張氏(おわりうじ)」など、国名をつけたものもある。
名前で、氏族の出身地域がわかるのだ。
平安時代中期以降、貴族は邸宅や別荘のあった場所の地名を名字にすることが多かった。日本各地で勢力を伸ばした有力武士は、惣領(そうりょう)のみが先祖伝来の姓を名乗り、それ以外の子は本家の近くに居を構えて、その地名を名字とした。
貴族、武士の間で広まった名字を一般庶民が使うようになった時期ははっきりしない。
ただ、文献資料から読み解くと、少なくとも室町時代以前から存在していたと考えられる。
その総数は正式な調査がなく、現代では約10万から20万あるといわれている。
「名字の基本的な役割は、家と家を区別すること。そのために住んでいる場所を手がかりにすることが多いですね」
姓氏研究家で、名字に関する著書も多い森岡浩さんは言う。
「法事で親戚が集まると自然に、『大阪の叔母さん』などと呼びます。それと同じように地名で呼ぶようになったのが名字の始まり。昔は引っ越しがなかったので、それが固定して一族の名字になった。自然発生的に誕生したのです」
■地形や方角も名字になる
日本は人口密度が高く、同じ地名の土地にたくさんの家がある。
地名由来の名字だけでは家々の区別が付かない場合、地形や風景などで区別をした。
「山」「川」「谷」などの自然の地形、人の手が入った「田」「畑」「塚」「堀」なども名字に多く活用されている。
また方位方角も大切な要素だ。基本は東西南北で、本家から分家した一族が、本家から見てどの方角に住んだかで決まる。「上」「下」「中」「前」などの方位を示す言葉も重要だ。
数は多くないが、職業由来の名字もある。機織(はたおり)をする「服部(はっとり)」、弓を作る「 弓削(ゆげ)」、荘園を管理する「庄司(しょじ)」、「越後屋(えちごや)」などの屋号を名乗る商家などだ。
これらは自然発生的な名前だが、平安時代の大貴族・藤原氏に由来する「下に藤」がつく名前は人為的だ。藤という漢字を使って藤原氏であることを示しながら、自分の家を区別するため「地名+藤」という名字を考案した。たとえば加賀の藤原氏は「加藤」、近江の藤原氏は「近藤」という名字になる。
【名字の由来は大きく5タイプ】
❶ 地名
❷ 地形、風景
❸ 方位、方角
❹ 職業
❺ 下に藤
自分の名字の由来を知りたいときは、@地名、A地形・風景、B方位・方角、C職業、D下に藤を手がかりに探求しよう。多くの名字は@〜Bで判断がつく。AとBが組み合わされ「川上」「山下」などの名字になることも多い。方位には北を子、東を卯など干支をあてる呼び名もあり、「巽」「辰巳」(南東のこと)などの名字も方位姓だ。
10/28(水) 12:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20201028-00699240-besttimes-life
★1:2020/10/31(土) 21:08:50.59
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1604156276/ 勝手に名乗ってる奴もおるだろ
まあルーツなんて探ったところで大抵は下々だから辞めとけや
それなりだからといって今に繋がってなけりゃ情けないだけだし俺みたいに 多くは明治時代に制定された「平民苗字必称義務令」で、急いで苗字を名乗った
平民も多いと思うよ。 なにを今更
正式に名乗れないってだけで
農民も名字は持っていたのは常識だろ 日本人が誰でも持っている名字は、いつ頃からあるのだろうか。
天孫族と合流が西暦元年ころ
苗字や高床式住居など情報が伝えられた 御厨とか伊達とか不知火とか
当て字みたいなのなんなのあれ? 前田さん、中田さんはよくあるけど後田さんってあまり聞かないよね 松竹梅平金黒白赤緑青東西南北圷井原木本伊
こっちのが大事 >>6
鈴木姓は12世紀頃。
他も似たようなもんだろ。 >>3
我こそは「物部家」なるぞー!と語った自称天皇けだろ
2019年5月まで軽井沢町へ静養する為、明仁や宮内庁らが「物部家の神社を毎年 素通りした」恐怖の実績がある 室町以前の用例がなんぼも現存してるのに
いまだに名字が武家の独占だの明治の必称令をうけて住職が急造したとか
俗信にどっぷり浸かってるやつって意外に多いんだな 氏、姓、名字、苗字、名前、屋号、字(あざな)
全部違うものだったんだね。由来や成り立ちを知るとおもろい。 うちの近くに小畑 中畑 大畑っているな
やはり大畑さんが金持ちなのかな 最近よく目にするのは
屋号があった → 農民も名字を隠し持っていたへの変換と連呼 >>20
確かに
農家してる家が多いけど古くからの地主が多いわ
z以外の金子、木村、新井ってそんな感じ 岩手だが岩手には珍しく古い苗字で金(コン)さんって
いるな、他地域に行くと朝鮮系と思われるみたい
金鉱山に由来する平安時代からの名前なんだけどね >>16
名字はてきとうだけど、苗字は武家と貴族独占だた、という説明があるけど?
今はもう苗字、というものは無くなってるそうだから、
混同しやすいとかなんとか。 氏名、姓名、名字
この違いを明確にしてから話をすすめろよ 姓と名字の区別がいまいちわからん
姓ってのは源平藤橘みたいなお偉いさんだけのものけ? >>16
戦争中は英語の使用が厳しく制限されていた
↓
エンジンの音〜♪
轟々と〜♪ >>22
複数の裏付けないのは却下
>>24
先祖代々の寺墓持ってるからね 藤原一族の五摂家ってぜんぜん藤原を名乗ってないよな >>28
今は違いはないけど、姓は昔の役職名だって。
ちなみに源平藤橘は姓ではなく氏。 家系図だけで超有名人とつながってるものも信頼性低い
複数の裏付けが必要 >>4
それって根無し草のチャクチャクの江戸っ子みたいな都市住民だろ?
そういう名無しの江戸っ子の子孫ほど先祖が歴史上の人物になってる捏造家系図を自慢してるバカだらけ >>1
まあ、歴史学者の多くも勘違いしてるが、
普通は、「名字」を持たない人間の方がエライのだよな。(典型は天皇だが)
名字は、「統治されてる者」の証明だからな。統治管理上、名字が必要となる。名前だけでは本人を把握しにくいからな。
地ザムライや、農民の多くは、領主に直接統治されてる状態でなければ、やはり名字はなかった。
宮本村の武蔵などもそうだ。
農民でも、庄屋など年貢を直接管理する者には、やはり名字があった。
したがって、当時、名字が無いことによるコンプレックスは微塵もなかったのである。 俺の田舎は佐藤姓ばっかだからみんな屋号か下の名で呼んでるな 俺だけ鈴木姓なんで鈴木さん所だ >>28
古代律令では姓を下賜できるのは朝廷の専権だったけど
戦国大名あたりから相手構わず好き勝手に姓をばらまいたり、分け与えたりしてる 林って苗字の人は
台湾人みたい名前になりがちだよね
林智広とか 創価学会の嫌がらせに関し、12年前、現役会員が手口を暴露した事をご存知だろうか?
> 627 名前: クロトワ(新潟県) 投稿日: 2008/06/23(月) 16:30:00.90 ID:ql5UinYO0
> >> 608
> 集団ストーカーなど存在しない。
> 地区幹はその地域の個人一人一人の電話番号、住所、
> 詳しい地図、身辺情報などを網羅したデータベースを作って持っているいるだけだ。
> 気に入らなかったら3人ぐらいの学会員にストーカー、引越し(最悪自殺)に追い込むための
> ネガティブキャンペーンをその人間の住んでる地域で行うだけ。
> それが集団ストーカーに見えちゃうなら仕方ないな。
投稿者の素性は、親と姉が学会員の学会3世
創価大に進学した成績優秀の姉は統合失調症発症、信心で治ると信じ疑わない両親が適切な治療を受けさせず症状が悪化
自身も重度の糖尿病を患い、中越大震災で家が壊れ、母も入院、父の会社も不況で倒産寸前
他にも様々な苦労や不幸が起きたが、脱会したくても脱会できない立場で、学会に深い恨みを持つようになり、この暴露に至った
ネットでは、創価学会が集団ストーカーを行い
電磁波攻撃や思考盗聴や音声送信、テクノロジー犯罪を行うとの投稿もあるが
投稿者の正体は、その多くが、被害者を偽装した学会員だ
創価学会は確かに、集団ストーカーという組織犯罪を行う
しかし、電磁波攻撃、思考盗聴、音声送信、テクノロジー犯罪等は一切行っていない
実際に行っている犯罪に、これらを抱き合わせ、更に異常な言動を合わせる事で
創価学会が集団ストーカー行為を行うと主張する者は学会の主張通り『統合失調症』との印象を持たせる目的で
そのようなネット工作をしている
本当に異常極まりないカルト、それが創価学会の実態だ
以下、創価学会が行う集団ストーカーと呼ぶ組織犯罪の手口と目的
(ベースは裁判所提出の、某企業が某宗教団体に依頼し従業員に行った集団ストーカー関連の公開文章)
・不都合な人や始末したい人がいる際には、集団ストーカーと呼ばれる手口で
・その人の周辺に複数の人間が常に付き纏わせ精神的苦痛を与え続ける
・その事により、その人が堪らなくなり、怒鳴ったり暴力を振るったりし易いようにする
・もしくは、精神的苦痛で自殺し易い況にする行為を続ける
・精神的に参り病院を受診時、被害を聞いた医師が統失と誤診するよう仕向け、被害者の発言の信憑性を低下させる
・騙された医師が治療と称し措置入院等を行った場合、報道、捜査機関、裁判所等が欺かれ対応出来なくなる
・社会的に抹殺し、絶望させ、自殺や泣き寝入りに追い込む
※集ストは信濃町総本部の幹部が地方幹部に指示を出す事で始まる
また15年程前2chに集団ストーカー業者が現れ独白した際に語った手口の一つが下記
『対象者周囲に人を仕込み、日中、例えば、メロンというキーワードを喋らせて、対象者に繰り返し聞かせる
翌朝、対象者宅の玄関前に、メロンを置いておく。すると朝刊を取りに玄関に出た対象者はメロンを見て驚く
このように対象者を精神的に追い詰める行為を無数にやり、気が狂うように仕向ける。対象者は会社役員で自殺した』
※対象者への精神的虐待をガスライティングと言い、これはその一種と思われる(学会の集ストでも当然行われる)
創価学会が行う嫌がらせは下記の通り
・スマホとLINEを使用し、組織的に連携した尾行や監視、付き纏い行為
・対象者の居住地域、対象者の職場で、悪評を拡散し、人間関係を破壊して孤立させると同時に、引っ越しや退職に追い込もうとする
・就労妨害、昇進昇任妨害、営業妨害、対象者が経営する店や会社を倒産させる為の工作
・精神的苦痛を与え続け、対象者の自殺を誘発する行為
・(現在は取締強化でなりを潜めたが)煽り運転、交通事故誘発狙いの危険運転を対象者の運転車両に行う
・ネットストーカー行為全般
・その他、警察が取り締まり難いタイプの卑劣で陰湿、悪質な嫌がらせ行為全般
●関連スレ
創価学会の嫌がらせ行為の黒幕は、信濃町総本部の学会幹部です
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/ms/1603716395/1-14
各地方で起きている村八分に関して
https://archive.vn/LmfeA(削除されたスレのウェブ魚拓)
※創価学会の非合法化、解散、会員らの社会からの隔離措置が必要ですa48 >>39
>林智広とか
ん?おいらもこの人知ってるかもしれんな。どんぐり目で眉が濃くないか? >>8
もとからあった日本語に、漢字を当てていったからな。
当て字みたいどころか、ズバリ当て字だよ。 >>16
農民の中にも階層があるから。
持ってない人も当然いた。 血縁者しか同じ名字の人居ないし
そんなんだったらルーツも分からん >>42
小学校の時の同級生の名前なんで
ググったら結構いるね 西村…多い
北村…いる
東村…知ってる
南村…ほぼ知らない
なぜ均等にいないのか? わたしんとこのまわりは平家の落武者とふかしてまっす そもそも、百姓=農民は誤訳。
中国も韓国も、百姓=国民全般・・・百ある姓名の人々の意 文字が無かったときにも、セカンド・ネームがあったに違いない。
集落の人数が少ない縄文時代はともかく、人が集まった弥生時代は、
ファース・ネームだけでは不便だろう。 また、このスレ立った?
何度も言っとるけど、
昔は戸籍制度があった訳でもなし、「あーたの姓は?」と尋ねられたら適当に答えておけばよかっただけ。
よって、「農民も昔から名字を持っていた」と言えばそれそのとおりだが、
本姓(陛下により下賜された姓)のような姓は持っていなかったと言う事。 屋号や村の名前だろ
名字は士族階級以外禁止されてたじゃないか >>48
あー、それは西郷隆盛の「西郷」の説明で何かあったなぁ。
正確には覚えてないんだが、村は西側にある場合が多い? >>48
過去のプロ野球選手にいないのは「東村」かな 東日本の高校って○○東が優秀なとこ多くて
西日本は○○西が優秀な傾向にあるよね
なぜだか知らないけど >>1
当たり前だろ
平安時代とかからこの日本で名字ないのは天皇家だけだ 明治以前の人は本名を口外しなかったらしいから、この手の研究はなかなか進まないと思う。 >>48
前スレの説明で気に入ったのは、南は農業立地が良いので本家が持ち、
分家が東西北に行ったというもの。 >>28
もともと姓氏というのが、本場中国でも混乱していた時代に輸入されたからな。
しかも、それを本来、中国とは違う概念であるウジに当てはめるんだから、更に混乱する。
それでも、一応、姓(日本語では氏ウジ、姓は真人とか朝臣とかのカバネを指す)というのが、
源平藤橘に代表されるような、朝廷における公式ネーム。えらいさんもいるが、もちろん最下層もいる。
名字(苗字)というのはもともと田んぼの持ち主の名前で私称だが、ウジだけだと区別がつかなくなるので、
家名として使われるようになり、武家社会では、こちらが公式になる。
明治になって、現在につながる戸籍が作られると、そこに登録されるのが(朝廷の)公式になるので、
法律用語としては、名字であろうが何であろうが、戸籍に登録されるものが氏(ウジ)となる。 宮本村の武蔵だから、宮本武蔵。
自著である五輪書では、藤原玄信だな。 自分のルーツの村は名字が3つしかない
よそ者はわかりやすい 在日と穢多非人にしかない名字
なんでこいつが威張ってるの >>10
後田さんは、長崎県諫早市飯盛町後田発祥で諫早とか長崎市に多いらしい。
ここ以外の後田さんもいる。宮崎県都城市やら。 同じ読みでも違う名字があるのはどうしてなんだろうね。
安倍・安部・阿部・阿倍・阿辺・安辺・安陪と。
ヤフオクで安部恭弘のベスト盤CDが欲しくて入札しても高額で入札されて買い逃してたら
安倍で出品してる人がいて、300円で落札できて笑った。 >>32
多過ぎて区別がつかんからだろ。
下の名前も、伝統に基づいてたり、同じ名前がごろごろ。
伊勢氏とかもあちこち九郎さんがいる。 古来から栄えていた関西圏に住む人は都周辺で暮らしていた身分の高い人種になるが
関西から離れれば離れるほど下等な人種
名字のような不確実な物を参考にするより住んでる地域によって考察したほうが
古来のルーツや人としての品位は正確に判断できる 寺の過去帳を見ればすぐわかること
苗字帯刀は武士だけに許された特権だが
これは公称
農民の名字は芸名みたいなもん >>61
テキトーなことを書くな
色々だよ
法則性はない 農民でも地域をまとめてるような裕福な農家だけじゃないの?
小作農は名字無しで。 小作は米以外も作っているやつら
水呑みや更に下人がある 工・商人より偉いことになってるんだから
それで満足しろ
うちは商だったからサイテーだ >>71
そりゃ、古舘さんの番組でなにか言っていたな。
基本的に古い姓ほど色々な書き方があるな。
斎藤・斉藤・齋藤とか、渡辺・渡部・渡邉とか。
同じ姓でも違いを出すために色々な書き方が作られていったんじゃなかったっけ? >>68
そうか君はゼット君というのか
どういう字を書くのかね? >>30
臨時ニュースを申し上げます 臨時ニュースを申し上げます
大本営陸海軍部12月8日午前6時発表 帝国陸海軍は本8日未明西太平洋においてアメリカイギリス軍と戦争状態に入れり 俺の姓はそれほど珍しくはないけど、この手の話題には大抵出てこない
遡ると江戸初期に上杉から分かれた姓だとか何とか ひょっとしたら、日本人が匿名や仮名で掲示板やSNSを利用したがるのは昔の名残なのかも? >>82
小野とか大野も古いがあんまりバリエーションがないな
尾野くらいか ウチの田舎は明治時代に苗字を付けることになって村の住職に相談したら「齋藤、小室、高橋」の中から好きなの選びなさいと言われたので、昭和後期までその3つ苗字しか殆ど居なかったらしい。
おかげで呼ばれる時は苗字じゃなくて屋号だったなあと親父は言ってた。 おまえら姓と氏を分別してないだろ
俺の所は母方が藤家で父方が平家だぞ
百姓あるが氏なんてそうはない わたなべ
さいとう
沢山あって面倒くさいから1種類に統一してくれ >>77
まあ東日本西日本ってのは適当だけど
総数では圧倒的に東の方が上の場合多くない?
北と南はわずかに北優勢かなってイメージだけど
東と西だと東の方が明らかに上 とにかく日本民族というのは有史以来1946までは、顔と名前をもたない
実質的にだけど、十把一絡げの物言えぬ土人田吾作だったんだよ。
ちなみに、大日本帝国憲法が発布されると新聞で見た日本国民は
「どうやら絹布(けんぷ。絹でおられた布)で織られた法被(はっぴ)が配布されるらしい。
これを着て盆踊りのような祭りでもするのだろう。めでてーめでてーめでーてーな」
で浮かれたとうのだから。 👩武田のお姫様とかも助けてるぞ?
ファンがいたw
ここら辺が大陸の国と違う所🇯🇵🗻 逆に「角田」は「かくた」「かくだ」「つのだ」「つのた」「すみだ」「すみた」の6種ある
同じ字で読みがこれより多いのあるかな? 200年前くらいに集落で神社建てたときに、石碑も建ててるけど、みんな名字があるな。屋号は屋号で、またあったみたいだけど。
昔は生活範囲狭いから、地名も細かいのが結構あるんだよな、小字にもなってないようなのがさ。うちはもはや誰も知らないようなその地名で呼ばれたりもしてたな、同じ名字が近所にいるからだろうけど。 明治になって初めて庶民も苗字を持ったとか言ってたバカ学者いたなあ >>94
東が男子校で西が女子高だった、2番てあたりの新学校で
トータルで要領いい奴が集まってた >>1
苗字を持ってたけど名乗らなかったのも多いらしい ルーツを知ることはいい事だな、日本人の自信のなさやメンタルの弱さの一因は学校で近代史を学ばせない事だろ 藤姓の没落ひどくね?特に斉藤さん
秀吉が寺社の土地を奪ったせいだけど 濁点のつく・つかないはどうなんだろ。
西・・・濁らない、東・・・濁る、と言われるけど、境目はどこなんだろう。 >>71
古い時代は道路の整備等が遅れていて狭い地域でしか情報が共有されてなかった
山下が山信田とか当て字もバラバラだし、情報の流れが狭く遅い時代は統一感なんて意識してなかったんだろう >>98
本家はなんでもいいんじゃね?
本家の村の東西北ってな感じで。 >>101
伝統ある学校ってそういうパターン多いよね
西とか東とか方角は別にして
市内のナンバーワンが旧尋常中学でナンバーツーが旧女子学校みたいの つーか、士農工商なんか無い!
御目見かどうか?
拝謁出来ない武士は農民より身分低い。 名字と名前の画数が多すぎるとせっかちになる。たとえば
籠鷲篤麿さんとかと
一木次夫さんを比べたら、
テストのときに最初に答案用紙にだけ名前を書かせる大テストは問題ねえが
授業の時間内にやる小テストとか一枚物のペラ紙試験だと
「まだ伏せてて」「裏返してはじめ!」でひっくり返してから
氏名の記入も含めての不利な勝負に。
一木次夫さんが国語の最初の全体の問題配置を見て、どれから手をつけるべきか
難易を見極めたときに、籠鷲篤麿さんは三文字目を書いてる途中で焦るわ飽きるわで
もう精神状態むちゃくちゃ。で、ひらがなで名前をかくべきか、有名人のサインの
ようなものにして事前にそれを先生に届け出て承認をもらうかなどの無駄な悩みまで抱え込む。 奈良原だけど、未だに薩摩藩家臣団の集まりはあるよ。
皆んないい仕事してるよねー流石に >>95
実質的になんて言い出したら世界中のあらゆる国がそうだろ。ただ日本のことだけしか考えてないからそう思ってしまったというだけ。 お前らがモノを言う練習をし始めて、おそらくまだ20年くらい。
俺は私はこう思う、というしっかりと自己責任でモノを言う練習をし始めたのがさ。
2ちゃんねる時代も「ねらーなる人格」を自分に降ろして?憑依させて?
ここにカキコする者だらけだったじゃん。それが自覚なく自己責任逃れしてる姿。
(そういうこと?)
戦後50年くらいは、戦前の日本人の田吾作を引き摺って、みんなといっしょに
大衆に埋もれてやってたわけだ。戦前と同じように「ふつう」「ふつう日本人はこんな時には」
を集めて、まだ田吾作やってたの。 今できるかどうか知らないけど、昔は名字の読みを変更できたらしいよ。
それも、「響きが良くない」とかそんな理由で。 日本が併合する前の朝鮮は奴隷階級が多く、彼らは名字を持っていなかった。
その彼らに名字を与えたのが日本。
彼らは競って両班(貴族階級)の名字を付けた。
なので名字の種類が少ない。
元々持っていなかったのに何故奪われたってことになるのだろう。 木・・・いない
小木・・いる
中木・・いない
大木・・いる
林・・・いる
小林・・いる
中林・・いる
大林・・いる
森・・・いる
小森・・いる
中森・・いる
大森・・いる
森林学的になんか考察できそう。 >>81
士農工商なんて身分階級はなかった
それは誰でも名字を持っていたてーのと同じくらい常識だぞ >>16
そもそも武士っていう身分がちゃんと確立したのが江戸以降だろ
それ以前は武士と農民の明確な区別なんて無い
江戸時代は正式に姓を名乗るのを許されるのは武士以外では一部だけ
それを明治になって全員姓を名乗れ、届け出ろと言い出したんだから
もともとの姓を引っ張り出してきた人もいた一方
その時点ででっち上げた人がたくさんいたのも事実 神(じん)さんはやっぱ仰々しい由来があんのかな。
よく「さすがにそれは改名しろ」とされなかったもんだ。 小島(嶋)
中島
大島
児嶋
豊島
副島…
島のポテンシャル 小学生の時チンポってあだ名の神保がいたの思い出してしまったじゃねえか >>92
平氏の子孫は沢山居るが、平家の子孫はまず居ない
お前の家の家系は捏造したもんだろうな 俺んちの犬は名前を呼んだときだけ振り返るが、自分の名前を知ってるのかな? 名字を持っていた農民もいたと思う。
俺が住んでいる市の市長は戦国時代末期に帰農した武士の子孫なんだけど、
武士時代の名字を使い続けているよ。 >>36
宮本村の武蔵は宮本武蔵を連想するから例として不適切
宮本武蔵は、新免武蔵守や藤原玄信とも名乗った通り本姓も名字もある うちは明治ごろから名乗ってるらしい。水呑み百姓
だったから >>101
公立で男子高、女子高って分けている時点でアホ
栃木、茨城・・
北関東の未開県だけ
戦後なん十年経ってると思ってる >>111
農民と言ってもピンキリだから一緒くたにするなよ
上の階層はたくさんの小作人や水吞を使って大規模農業やってて
武家と通婚する格式の高い農家もあったけどさ。
基本的に武家>農家。上の階層の農家は幕府成立するまでは半農半武だったりして
親族は武家とかそういうのもいた。 >>90
へー3つにしなさいミタイナ御触れがあったのかもな >>136
農民も名字をもっていたけど、江戸時代に入って武士以外は公に名乗れないことになったので、明治になって自分の名字が分からない人が続出したらしい。 >>82
基本的に誤字だよ
まぁその誤字や旧字の人には
それまで姓を持ってなかった朝鮮人はいないって
面白い特徴がある 試しに自分の苗字調べて見たら地名にあったw
だが山形県か死ぬまで行くことなさそうwww レオナルド・ダ・ヴィンチだってヴィンチ村のレオナルドだもんね >>110
たしかに二番手は女子の学校だった
男子一番手女子の一番手の名残かもしれない
そして一番には西がつき二番には東がついているw 氏とカバネとセイと名字(苗字)は別なんだよな
大化の改新の時にヤマト王権の万民全てに氏がついた
なかったのは天皇と皇族と奴婢だけ 商人は家系図を自宅に保管する習慣があったからまだしも、農民は菩提寺の記録のみだったから、火事で喪失しちゃったのが多いんだよね。 >>145
南から発展していったんだろうね
アメリカの州も東から発展していったからノース、サウス、ウェストが付く州はあるけどイーストが付く州はないんだよね 百姓は名字を持っていても名乗れなかったとか江戸幕府の統治は過酷だな 名前を奪ってお前は単なる奴隷であると自覚させるためか >>151
そうやって驕っていると下に見てた者にやられて必衰するのが日本の歴史 先祖調べ面白いわな
子供のとき曽祖父からうちは戊辰戦争後に仕えてた藩がつぶれて失業して
北海道に屯田兵で入植したって聞いて、その頃の爺さんの名前と入植地を聴いてたから
大人になって屯田兵の名簿しらべたらしっかり6代前の爺さんの名前あって
苦労したんだろうなと思った >>1
戦国時代が終わって帰農した人々の子孫は苗字を持っている うちの名字は元々大分の地名
今は関東住みだけど初対面の人にはだいたい「珍しい名前ですね」と言われるし
出身はどこかよく訊かれるよ 俺らが学校で習ってた歴史って、現代では否定されてるのもあるから、子供と話が合わないことがある。
例えば、江戸時代に「士農工商」って身分制度は無かったらしい。
最近の歴史の教科書には載ってないというw 例えば、千葉だと、ナンバー校の一高が一番、二高は女子校の一番、三高はその次。
ナンバー校が廃止になって、一高が千葉校、二高が千葉女子校、そして三高が千葉東
となった。このとき、どの位置にあるかで東西南北が決まるだろう。 >>158
農民も本家筋は蔵があって残ってるものだね >>145
駒場で同じクラスに南が2人、西が1人いたわ >>1にあるような自然発生的なものは、どっちかと言えば「家名」(いわゆる屋号のこと)の方が近い気がするな。 >>156
高麗はこまのほかに、たかくらへの変化もあるね
高倉や高座は高麗から来てる 母方は元は士族の家系でかっこいい名字だったのに
商人の家系の父ちゃんと結婚して
クラスに必ず同じ名字の人がいるようなありふれた名字になってしまった
母方の名字カッコよくて、そっちの従兄弟らが羨ましい 俺の出身地に関する限り、今も200年以上前からの名字を使ってるな。どこそこの誰々さん家かとかわかって面白いよ。
土着民がほとんどなんだから、名字はやっぱりあったんじゃないかな。村ごとの構成とか、今と何も変わらない。住んでるのが隣の集落でも、やっぱり元の組なんだよ。どこの誰かを特定するんだし、子孫もいるんだから、あるのが普通だわな。 >>137
同意。渡辺に統一させるべき
こいつらの先祖がこだわったのかしらんが他者に強制させるなと
めんどいんだよ 韓国にはキムという名前が多くて、
これを漢字で書くと金。だから金がつく名前が
在日に多い。それから木村もキムに近いので、在日に好まれる >>169
あったよ。明確に分けられてはいなかったってだけ 天領はわりと緩かったんで公文書以外は使ってたぞ
庚申塔とかよく見てみろ 歴史上の人物と同じ名字の人と出会うと、一瞬「おっ!」って思うけど、家紋を尋ねると全く関係ない家系ってことが多いw
こういうのって明治期に新しくつけた名字なんだろうね。 >>185
木村は紀氏から来てるのもあるからごっちゃになって大変だな 珍しい名字だと出身聞かれるの良くあるけど、
最近は面接とかで聞くと学校から差別だと抗議がくるらしい うちの苗字は、江戸時代に藩主を「川のそばにある村に案内した」という理由で藩主直々に賜ったらしい。 >>188
家紋も本紋や代紋、替え紋、分家ごとに意匠の違いをもたせて差別化してるからね
よく調べてみないとわからないよ
希少姓なら同じ系統かもしれない >>186
現代の教科書だと、武士 or 武士以外 >>65
そう。日本における姓と氏はなかなかややこしい。
例えば「源」で考えてみても、これ自体は「氏」であり、だから「源氏」なんて呼び方をする。
実際、源氏の「姓(カバネ)」は「朝臣」であり、正式な名乗りだと「源朝臣○○」のようになる。
だけど、臣籍降下によって「源」を名乗るようになることは「賜姓」と呼んだりする。
この場合は「源姓」と呼ぶわけだ。
つまり、「姓(せい)」と「姓(かばね)」も実は区別されるものであり、非常にややこしい。
室町8代将軍足利義政が将軍宣下を受けた時の正式名は、「左馬頭源朝臣義成」(当時は名前が違っていた)であり、源氏としての正式名称となっている。
では、足利義政は足利氏ではなくて源氏なのか?と言えば、イエスでもありノーでもあるという、実に不思議なことになったりするわけだ。 姓のことを指摘してる人がいるけど、農民に関係あるの? >>195
答えられますが。
オレって実はフィクションなのか。 ます村役人を務めるような家は必ず苗字を持ってる
東京や埼玉だと農民階級でも新編武蔵風土記稿の旧家者にあげられてる家は
三河の地侍ルーツの旗本より名門だったりする場合もある >>195
家紋は答えられるだろ
冠婚葬で使うしな 逆に自分の名字が全国の市町村名になってないって苗字の人いるのかな?
自分で作った苗字以外で >>198
派生した話題だな。
農民に「姓(カバネ)」があるか?と言えばそりゃさすがに考えられんが、「姓(セイ)」ならどうか?というのは興味あるテーマだ。
「百姓」とは、単純に読めば百の「姓(セイ)」となる。
この呼び方はどこからきたのか?とか、興味深いと思わんかね? 名字をどうしていいか分からず寺に相談しに行った人には寺が付いたらしい >>196
ややこしい話は別にして、
現在の「源さん」や「藤原さん」に当たるものが、
いつからあるのか、誰にでもあったのかが問題 >>204
実際、漏れなく全員が持っていた訳ではないだろうからな。
「農民なら1人として名字を持っていなかった!」
or
「農民も1人残らず全員名字を持っていた!」
は、どちらも極論でしかない。
一口に「農民」と言っても、そんじょそこらの武士よりよっぽど家格の高い豪農もいれば、明日のメシにも困る水飲み百姓もいたわけで。 >>207
その氏は律令制の時に万民に付けられたんだよ >>207
ホントややこしい話を延々とやるよな
こう言うのを衒学趣味って言うウンだろうな
こういう面倒な奴とは酒を飲みたくない >>205
そう。「名字」ではなく「苗字」。
室町期から「苗字」という呼び方をしていたかは詳しく知らないのだが、意味的には間違ってない。
「名字」と「苗字」は同じではない。
血族関係に主眼を置いたのが「苗字」であり、「名字」とは明確に区別される。 カバネとセイなんて実務をやっていた人間が余りよく考えないでその時に適当にやっていたというだけなんだから厳密に考えても無駄じゃね? >>211
そんなツレないこと言わんと、蘊蓄を語り合おうぜw >>209
昔は奴婢以外の農民はみんな持ってたよ
戸籍が作られた時に付けたからね 案外忘れられてるのは、鎌倉時代に農民の名字が禁止されて、室町期に復活したこと。
この時代は地元の武家から名字を貰う農民が多かったようだ。 >>217
鎌倉時代に禁止されたとは初めて聞いたな >>169
えたひにんが無くなったのと同じ理由
ポリコレブーム >>216
そういう名字の由来は分からないけど、被差別階級の人に差別戒名をつけたお寺さんの話はよく耳にした。 >>209
区別する為だから「あれ」以外は全員あった
そーじゃないと税金取れないだろ
どこそこの誰は年貢納めたアイツは納めてないと言う
区別が必要だ、くらいわかるだろ >>210
「その氏」は「源」や「藤原」を指しているのですか?
『現在の「田中さん」や「井上さん」に当たるもの』と言い換えても同じ答えになりますか?
あくまでも、現在の使い方に相当するものの話です。
律令制の時からずっと「井上さん」とか使ってたわけではないと思うのですが。 >>215
そうであれば、明治8年布告の「平民苗字必称義務令」みたいなものは出てないだろうよ。 >>216
当て字もよくない?
そのまんまより当て字が多いような >>223
年貢納めさせるのに必要だった
○○村の誰かが年貢未納です!じゃ取り立てできねーだろ >>188
家紋なんていつでも変えれるし作れるしな
昔と違って承認される必要もないし
天皇家だって家紋変えてんだし 公式文書に記載、名乗れなかっただけで、あっただろう。 >>225
花魁他の遊女とか無宿人の類いは家を捨ててるので
苗字捨ててたんだぞ >>225
地方の百姓は名字があったけど、
江戸の大工や職人は名字が無かったからねえ 吉備真備ってキビノ・マキビって書くとトミノキャラっぽくて好き >>225
持ってたけど江戸時代は名乗らないようにされていたので明治になって名乗らせたってことなんでしょ 貴族と武家でもなきゃどこどこの誰さんで分かりゃいいんだべ >>181
申請する時に、ワタナベの漢字をうろ覚えで誤字ったのがそのまま現代まで続いてる説 >>169
現実に地方には明確にはなかったようだね
平民とその下の区分はあったようだが >>227
年貢の取立てシステムは地域によっても違いはあるが、基本的には村落単位で収集し、それを更に上の管理単位である「郡」などのレベルで集約し、といった感じで集めていた。
なので、郡代からしてみれば、「○○村」の年貢が定められた量に達してるかは見ても、村の誰それが未納とかまで管理してたわけではない。
それは村の中で解決されるべき問題であり、郡代レベルの関知するところではない。 >>225
マイナンバー制度みたいなものよ
要はひとつにまとめたかった 江戸時代は菩提寺で人別帳を管理してたわけだけど、そこには農民の名字も記録されていた。
当たり前だけど、名字が無ければ家系を判別できないからね。
ただ、江戸時代は火事になると全焼コースがデフォだったので、それで記録を喪失したお寺さんが多い。 >>239
年貢集めるのに必要なんだぞ
○○村の太郎が未納です!じゃ報告されてもどの太郎か
わからない >>137
しかも難しい方は書けないんだよなw
齋藤さんみたいのとかPCで拡大して見ながら書面に書くw
うちの名字も簡単だけど確か学校で習わないんだかなんだか微妙 >>9
川は皮から変更したかも
○川や川○姓は穢多の末裔じゃね? >>1
今の朝鮮人は、現代の遺伝子調査では、標榜しているような5000年の歴史文化は持たず、主に高麗時代に
支那東北部からの襲来軍と一緒について来た、エベンキの穢(ワイ)族や女真族。
つまり百済、新羅、高句麗の三国時代まで住んでいた本来の”正統な朝鮮民族”は、ジェノサイド(村民皆殺し)され、
(10世紀に日本にも甚大な被害を及ぼした、有史以来最大級の白頭山の超巨大噴火で滅亡した説もあり)
「高句麗」の名前を真似て「高麗」を名乗ったエベンキの穢(ワイ)族や女真族が、それまでの”正統な朝鮮民族”に成り替わった。
その証拠に、朝鮮半島古来の「仏教」は「儒教」に変わり、それまでの「話し言葉」も消えてしまった。
また、木を曲げて細工する技術までも消えたため水車も作れず、同じ大きさの車輪を二つ以上同時に作れなかった。
衣料の染色技術も、古来からの製鉄技術もなくなり、朝鮮服(チョゴリ)は白色ばかりで、鉄製の縫い針一つさえ作れなくなった。
1392年、女真族の李成桂が反乱を起こし、「高麗」を滅ぼして「李氏朝鮮国」を建国し、土地は李氏一族が独占、私有化した。
一般民衆には、簡単には土地が与えられず、掘立小屋を密集させ、地べたで寝る乞食のような暮らしを強いられた。
両班(役人)などの有力者は、労力を出し惜しみ、白丁(賤民)や奴婢を、牛馬並みの「奴隷」として「板の首かせ」をはめて酷使し、
自分たちは喫煙時さえ、長キセルを奴隷に持たせて吸った、また、医者まで労働者として軽蔑された。
(ちなみに、同じ民族に対して一文も払わずに、純粋に「奴隷」として使った民族は、後にも先にも全世界で「朝鮮民族」以外には存在しない。)
そのため「朝鮮国」では、体力を使うスポーツのみならず、人間活動の原点である「文化」も発生しなかった。
その上、李氏一族は自分たちの支配にとって不都合なものを見つけると全てを破壊し、文書類は全て燃やし、文化という文化を徹底的に破壊し尽くした。
また、毎年三千人もの若い女性たちが宗主国の「支那(明・清など)」に献上させられ、朝鮮国内には若い女性が極端に少なく、
朝鮮の国民は、自分たちの性欲を満たそうとした結果「試し腹」の風習ができ、父親は「自分の娘」を犯し、生まれてきた私生児は奴隷、物品扱いにされた。
その「試し腹」の風習は、李氏一族の崩壊まで500年間も続き、朝鮮国民は家族間の「近親相姦」に狂ってきた。
そのため、朝鮮国民は”劣性遺伝”により遺伝子が異常で、「火病(ファビョン)」など”朝鮮人固有の障害”を持ち、また障害者の出産数が異常に多く、
民衆は全土で「病身舞」なるものを踊り、障害者を愚弄して楽しみとした。
【参考資料】
https://youtu.be/j6wO2GjIh1s
https://youtu.be/XlSOAYZEtR8
>>231
独身でどこの馬の骨か分からないような人だったらそれでも通るけど、普通は周囲からオカシイと思われるでしょ。 >>243
それ単に庄屋さんが代行して集めてるだけで
未納の取り立てはやらんよ >>246
そこまで細かく把握しようとしていたというのは、いつの話かね >>210
>>>207
>その氏は律令制の時に万民に付けられたんだよ
これだけ言えば良かったろうに >>252
最終的に村とか隣組の連帯責任になるからね(涙) 一流大行くと、名家の人がいっぱいいるぞ
そういう人と仲良くなれるからいろいろいい経験ができるぞ
ってガキの頃叔父が自分に教えてくれた
でも親が学歴不要論とかを読んで、学歴不要に陶酔しちゃったから
教育してもらえなかった 持ってた人もいたかもしれないけど
大多数は持ってないから
ある地域全部同じとか適当につけた珍名とか他と同じでいいやと
佐藤鈴木だらけとかになったんだろ 11世紀までは戸籍があったんだよ。戸籍には氏が載ってる
その後、武士の時代になって維持できなくなって
その後明治で復活だよ >>250
現在は思われないよ
JALのマーク見て
あの家紋はおかしいと思わないぐらい今は他人にはどうでもいい価値 >>256
いるなあ、たしかに
サンプル数少ないが面白い名前が… >>236
「農民」と「百姓」は厳密にいうと違うもの、という点がまず明確にせねばならない。
このスレのスレタイは「農民」としているね。
農民という括りならば、水呑百姓だって「農民」だ。
昭和初期の「小作人」みたいなもんだな。あれよりもっと酷いが。
水呑百姓は田畑を持たず、年貢納付義務を負っていない貧農層であり、いわゆる「百姓」の家で小作人みたいなことをしたり、賤業に就いたりしていた人々だ。
場合によっては寺請の対象にすらならなかったこともあるという。
名字を持ってたのは、そういうのとは違う所謂「本百姓」であって、年貢納付義務を負っていた層だ。
その辺の区別を明確にしないと「農民」の実態はボヤけてしまうだろう。 公家皇族、昔から続く武家とかじゃないと苗字はもってないと思うわ
農民に山田の太郎とかいう呼称はあったにしても
ない人は明治に一斉につけたんだろう
自由に決めることができない層が一定数いたのかもだが
なにもググってないのでふわふわしてますがw >>257
ある地区
隣近所皆同姓で、聞いたら、親戚は親戚なんだがえらい遠いと言ってた
どう土地を分けたんだと… >>259
JAL?
家紋をなんだと思ってるんだよw 家の先祖は田舎の下級武士だったので江戸時代も苗字あったけど、明治になって一族郎党で違う苗字に変えてる。
古いお墓を見たら、途中で苗字が変わっている、子供の時は、なんでよその家のお墓がうちの墓地に有るんだろう?
って不思議に思ってた。 >>227
個人が税を払うようになったのは明治時代の地租改正から
それ以前は年貢は村に課せられたんだよ 江戸時代は藩政でローカル色が強かったから、庄屋の役割なんて地方ごとに違ってたんじゃない? 家紋にしても墓の家紋らしきものと実際着物に入ってる家紋が違ったりするから
やんごとなき家柄でないとなかなか統一性はないんじゃないかな
農民とかはあと付けでしょ >>263
> 公家皇族、昔から続く武家とかじゃないと苗字はもってないと思うわ
「苗字」に関する理解はそれで正しいと思う。
このスレで話題になってる「名字」については、それに「相当するもの」は江戸期以前から「百姓」は持っていた、という話だね。
明確に「名字」という認識ではなく、「家名(いえな)」と呼んだりしてたようだが、まあ実質は同じものだ。 >>268
城下町ではそうかもしれないけど、旗本領でもそうだったの? >>271
それNHKでやってるだろw
うちは確認できる範囲で江戸から本百姓だが
地形に基づく名字なんかは近所一体ないな
やんごとなき名字ようなものが多いけど
ただの百姓の出 要職は神祇院流れが多いとか
後満蒙繋がりとか、だから何回キャンディーズのアフリカルートってある >>221
農村の実態はもっと複雑なんだよ。
農村に暮らす「アレ」じゃない人間が全員年貢納付義務を負っていたわけではない。
他でも書いたが「水呑百姓」みたいな貧農層もそれなりの数いたわけだ。
基本的に年貢というのは「検地」を受けて台帳に登録された田畑を所有する「百姓」が納付義務を負うのであって、田畑を持たない水呑百姓はそもそも年貢納付の義務を負っていない、近代で言うところの「小作人」だ。
いわゆる「名字」相当のものを持っていたのは、この「百姓」層であって、それが村の全員というわけじゃない。 >>273
「日本人のお名前」か?w
毎回見てるわけじゃないが、確かにこの手のネタは出てきそうだな。 >>266
家紋なんて自作自演の自己表現のマークでしかない
もちろん歴史があるから探求娯楽はあるけど。 >>230
佐野足利太田あたりのはガチで本当だよ。
疑うのは、自由だけど、疑い深いのは天皇家まで疑うからな。
そこまで疑い深いのも損だよ。
普通に関東の中央部で名家とされてるのは藤原や源氏は多いよ。 >>278
そんな毎回百姓ネタオンリーってこたないだろ? >>200
冗談は顔だけにしろ
三河は、名門氏族の地
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:本貫地/三河国加茂郡松平 >>279
昔の地侍や国人領主が没落したり戦に負けたりして帰農し、庄屋層になっていった、みたいな話は聞いたことあるなぁ。 ああワイそれで田でも左にあるか右にあるかで占えるとかあったけど >>277
なんだよ、その世界観。
冠婚葬祭とかどうするんだよ。
見てる人は見てるぞ。 関東平野
西の方からすると田舎なんだろうけど、室町に群馬での争いかなんかで負けて南下してきた一族が都内の真ん中以外西と東に分かれてずっと住んでる一族がいる
姓から土地名にもなってる
それなりに細々住んでたんでそ >>285
享徳の乱あたりで古河公方に従ってその辺に土着した連中かもしれんね。 関東、そんなもんは知れている
有史以来、武蔵国にあった御所号は全3ヶ所
■平安時代
・吉見御所(埼玉県吉見町)
源範頼(三河守)の息子、源範円(正法寺(三河国宝飯郡、三河県豊川市)僧侶)が移り住む
範円の息子(為頼)から吉見氏と名乗る
現在も、吉見姓は三河県蒲郡市(源範頼の本拠)が日本一多い
■室町時代
・世田谷御所(東京都世田谷区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖する奥州吉良氏、三河国生まれ吉良治家(初代奥州管領、吉良貞家の息)が移り住む
■戦国時代
・蒔田御所(横浜市南区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖とする奥州吉良氏、吉良頼康が移り住む
家康入城前の江戸城主は富永直勝
三河国設楽郡富永保を本貫とする三河富永氏
家紋は木瓜に足利二つ引両(太平記、多々良浜の戦いの功労により、家紋に足利二つ引両を与えられる)
先祖は源頼義の家来、鶴岡八幡宮社職家の三河伴氏の平松氏、源義家の郎党No.2 三河伴氏の伴助兼 結局電気もガスもない時代にどこまで庶民をコントロール出来るのかなってことだよな
ナチスドイツとか大日本帝国並みの統治なんて無理なんだから
国って物自体が大したもんじゃ無かった
そいつらが出す御触れの地場とかたかが知れてるわな 地域の古い石碑や郷土資料館にルーツに関する資料あったら安心していいのか?
渡来人渡来人言われる地域だから自分の出自を疑わしく思ってしまう 源 源氏由来
出木杉 杉の木が由来
骨川 死体処理が由来
剛田 農家が由来
野比 フィリピンが由来 >>284
その見てる人が先入観だけで判断してるって話。
中には探偵入れる奴もまだいるのかも知れないが、
家紋とかではわからないよ。
そういう先入観がこいつは在日だと間違った差別して
本当に悪い在日が上手く溶け込んで世にはびこったりする 百目鬼って姓の奴クラスにいたけど
かくれんぼの時最初の鬼やらされてたわ >>146
名字を名乗りたい人なんているのかな?
少なくとも俺は名乗りたくない。 >>290
下に行くにつれてどんどんやる気が無くなってるなw >>291
うーん、言わんとしてることが分からない。
家紋がないのは在日と勘違いされるからイヤだってこと?
親戚に訊くとか、古い墓石を確認するとか、ちゃんとしておいた方がいいぞ。 太郎、一平、三郎
そういう誰かわからない奴の子供がお前だよ >>290
野比は先祖が横須賀の方の出じゃないの?w >>296
家系図と同じ
いい所出自だと主張しても信憑性がない。
ずっと表舞台で活躍してたとかじゃない限り
ほとんどが確定しようがない。 先祖スレはやたら平家の落ち武者の子孫が続出する
その後800年以上百姓なのを無視する連中 そういえば、俺の地元にある某神社の氏子には、
開拓者の子孫とされる名字の人しかなれないんだけど、
彼等は武士ではないけど、ずっと名字を持っていたみたいだよ。 >>299
やめろ。その名を出すな。トラウマが...!! 家紋、古い墓石、寺の過去帳、家系図、歴史書に記載まであっても在と言われるときは言われるからなあ
西日本の人と結婚しようとした知人が断られてたのはかわいそうだった
あちらはかなりそういう意識が残っているんだな 名字か苗字か、氏か姓か・・、それはともかく、ある社会が個人を特定するには、
ファースト・ネームとセカンド・ネームは必要だ。昔からあったに決まってる。
ただ、どのような集団が、どのように運用するかは様々だろう。 >>302
落ちたらそこ整備しないと住めないし
耕さないと食べられないし
当たり前じゃね? >>301
家系図みたいな主観的な資料ではなくて客観的な資料と
地理だと思うわ。
家系図よりももっと信ぴょう性が高いの。 >>302
実際多いもんな。
俺の実家は中国地方なんだが、家伝によると先祖は尼子の落武者だったそうな。
本当かどうかは知らんが、家の蔵には古い鎧櫃があるのは確かだ。 御手洗なんて名字、なんかわるいことして差別的に付与された名前だろう。 >>246
年貢は「村が共同で納める」もんなんだよ。
個人が納税するわけではない。 >>301
でも、家紋を見たらだいたい分かるじゃん。
名前と出身地を聞けば。
偽装したってすぐバレる。
親戚とかに顔向けできんでしょ?
何やってるんだ?って話だよ。 >>289
渡来人は別にいいんじゃん
昭和からの渡来人より節目正しいよ >>306
うちの田舎じゃ地名(大字小字)+下の名前がデフォだったね
子供や孫は何処其処の誰々の孫ですで通じる
苗字なくてもなんとかなりそうだ >>302
うちの周りは、むかしむかし統治していたのであろう
偉人の苗字をもらい受けた奴が多いわ
もちろん明治になw >>305
西は部落差別も激しかったらしいからね。 > 日本人が誰でも持っている名字は、いつ頃からあるのだろうか。
お前ら北朝鮮人だろw
日本国では江戸時代の農民は名字帯刀を許された庄屋階級以上しか持てなかった
明治時代になって一般農民は近くの檀家の仏教寺院や神社や都会では知識階級の武士や
商人などに名字をつけてもらう人が多かった
その後明治維新後にいろいろな職業や外国中国大陸や満州やアメリカ移民
南米移民などに行ったりハワイ移民に行ったり東南アジアに行ったりいろんなケースで名字を変えるひともいた一般日本人は昭和時代はお前ら朝鮮韓国人みたいに簡単に名前は変えられなくなった >>312
敢えてマジレスすると、御手洗ってのは「おちょうず」とも読み、神社なんかの入り口によくある柄杓が置いてある手洗い場のことを指す。 中学の時に先生が
「服部という名前は服を作っていた人」
と言っていた。それで
「じゃあ河部は河を作っていたの?」
と聞いたら黙っちゃった。
名前の解析はテキトー。 >>311
落ち武者とか帰農のパターンは多いけど、
尼子だと八つ墓村っぽいw 明治の壬申戸籍が閲覧禁止になった時点で由緒の根拠は途絶えたんだよ
成り代わり自由
というか国がそういう無意味な優越心を封じるためにやったんだよ 我が家の先祖はお寺の過去帳だと江戸時代の初代までしか遡れない、それ以前は、近くだけど違うお寺の檀家なのだが、さすがにその家とも親戚付き合いはもうないし・・・。
例え過去帳見せてもらえても、江戸時代より遡るのは難しいかなあ。 >>324
治水に関わってれば「河を作っていた人」かもしれない >>316, >>326
残念ながら、近所に鍾乳洞は無かったw >>257
そんなのは珍しいと思うよ。
>>264
うちがそうだわ!近所はみんな同じ名字で、
遠いのは200年前くらいの親戚だわw
A家の次男が分家してBを建て、Bの次男がさらに分家してCを建て、
Cの娘に婿を取ってDとEの分家をさせて、3代あとにA家の次男が・・・・
みたいな感じになってるw 戸籍なんてつい最近まで適当だったんだから。
名前だけ書かれた米の帳簿で身分証明出来たんだからね
なりすまし余裕 >>324
ググってみたら、河部ってのは「御名代部(みなしろべ)」らしいな。
田中之中姫(応神帝皇孫)の為に設置されたのだそうな。
思った以上に由緒正しい名前だった。 >>324
「河部」は「こうべ」と読むの?
だったら、「神戸(かんべ)」だと思う。
俺の故郷でも「神戸(かんべ)」出身者が「光部」や「河辺」と名乗っているよ。 >>324
川を作ったわけじゃないが
河川管理してた人だな その地に尽力した知人のお宅、じいちゃん
すんごいお金持ちなんだが
その名字で検索すると「韓国」で検索されてて気の毒だな
寺と密着してるのに
西の人達が疑ってんのかな >>302
うちの先祖は九州田舎大名の家臣だったが、平氏だと言ってたな
多分うそだと思う 親戚で寺の過去帳や郷土資料調べたら
とある城で家老してたと分かったんだが
城主滅亡で帰農という悲しい結果に…
近所の別の家も古いんだがそちらはうちが帰農後
新たな城主の家来になってた
通りで仲良くないわけだな >>338
金がつく苗字でも大陸でも半島でもない
由緒正しい日本人は
ハードラックだなwww >>8
今でいうところのキラキラネームってやつじゃねーの >>343
金はつかないし、あまり韓国うんちゃらで聞いたはないがここらではスタンダードな姓なん
聞いたことないと疑われるんかな?
西の名ではないぽい >>338
西は本当に多いから疑うのも仕方がないんだと思うわ
関東に多い一部の姓は特に疑われやすい >>318
仲間内の付き合いならそれで間に合うだろうが、公的なことになると通用しない。
納税のこと、犯罪のこと、あれこれ。 土百、、いや生粋のお百姓さん以外にも落ち武者とかもあるんじゃないの >>339
平家の落ち武者と平氏は別なので、あながち嘘とは言えない。平家が滅亡しても、平氏の一族はそれぞれ存続しているから。
鎌倉幕府を支えた北条氏だって平氏だし。 >>8
伊達は「いだち」と言う地名から
なまったもの。 >>345
地元の人がわかってれば
生活には支障がでないだろ
ちな
金が付く苗字でも
由緒ただしい日本人は存在する
らしい >>321
持てなかったのじゃない。
公には名乗ってはいけないだけだよ。
藩に出す書類とかな。
それ以外の場面では普通に使われている。
一番よく残っているのは、神社やお寺の新築や修理の際の奉加帳みたいなやつだ。
それを知らないって、ほんとに日本人ですか? 「今(こん)」さんとか、「長(ちょう)」さんとかの一文字姓の人も、別に大陸由来って訳ではないからね。 >>356
でも疑いの目で見られるよね
インターネッツ恐ろしい子 >>339
荘園制由来の名前なら最終的にルーツは源氏か平氏に行き着く
西なら平氏、東なら源氏
あとは藤原、橘とかがお約束ルーツ主張
戦国武将はもちろん祖先は源氏だぜブームw >>360
うちは由緒正しい荘園でよかったわ
明治からだけどw >>357
でも、名字ならあるんだろ?
厳密な意味での「苗字」なら、俺も持ってない(たぶん)。 満州系の名字ってのも独特だよな。
烏雅とか富察とか愛新覚羅とか。 曾祖母ちゃんの実家農家だけど刀があって昔から苗字もあった
農民でも戦に参加したら苗字もらえたとかそういう感じだったんだろうか >>350
仙台の「金為時」は新羅から帰化した人の子孫らしいよ。
日狂組や狂惨党の息のかかった糞社会科教師のせいで、国民の誰もが、
江戸時代の農民は 「 生かさぬよう殺さぬよう 」 生存のギリギリまで年貢をしぼり取られ、貧困のどん底いた、
って洗脳されただろ?
あんなの大嘘で、この種の貧農史観は、実証的な根拠なんざ何もない。
江戸時代の農民は想像以上に自由で、豊かな生活を営んでいた。
「 全余剰生産物w 」 とやらを収奪することなんざ、できねーから。
有史以来、最も徴税システムが発達した現代でも、
「 10 ・ 5 ・ 3 ( ドーゴーサン ) 」 なんて呼ばれてる。
把握できる所得は、給与所得者でほぼ10割、自営業者5割に対し、
農民はせいぜい3割が限界。
ましてや近代以前の江戸時代なら尚更で、
年貢の前提データの検地は、実質1600年代で終了したままだった。
ところが農業の生産技術は以降も進歩し続け、農作物は量的にも質的にも向上した。
「 百姓とゴマの油は、搾れば搾るほど出でくる 」 なんて諺があったのが、
それを裏付けている。
鎖国当時、日本で作った米は国内で消費するしかなく、全人口の7割以上が農民。
「 農民は自分で作った米を年貢で取られて、自分たちはほとんど食べれなかった 」 って ( 苦笑 ) 。
全人口の7割にあたる農民が食べなかったのなら、
一体全体、誰がそんなに大量の米を食べたんだ??
徳川将軍の食事ですら意外に質素だったのにw
ったく、マルクス革命のためには、被搾取層の存在と階層闘争が必要不可欠だからって、
日本そのものを陥れるようなねつ造ばっかしてんじゃねーよバカサヨチョン! ( 怒り )
朝鮮の金は当て字らしいけど
中国とか満州の金は金の像に由来するみたいなので
奥州で多いってことは案外意味も同じなのかもよ >>311
落ち武者はそこそこいるだろうな。
普通は地元へもどって帰農するが、次男三男が
仕官してた場合は地元に戻らずよそでとか。
摂津に帰農した百姓の記録が残ってるやつがある。
関ヶ原で敗れて帰農したとか。
それまでの褒美を元手に土地を買って綿を作り始めたとか。
綿を作るだけじゃなくて、繰り綿に加工して江戸に出荷していたとか。
人を10人あまり雇っていたとか。
江戸時代の基準だと「百姓」になる。
戦国期の大量の「軍勢」を考えると、成人男子の結構な割合になる。
まあ、それよりも由緒ある人も多いだろうが。
山形の大江さんはもっとはるか昔の由緒ある人の子孫が多いと言われる。
戦国には出てきてないが、その地で増やしたんだろうな。
全国にそういうのがあると思われる。
井伊谷には当時の人らの子孫もいるだろ。百姓として。
光秀に制覇された土地の土豪や、各地の
小さな国人の末裔や、まあ、やまほどいるのが普通だわ。
目立たないけど、古代の豪族の末裔もいる。 俺んちは水呑百姓だったから名字があったのかどうかは知らないな
まあでも幕末維新のドサクサに大地主になってくれたから御先祖様々だわ 渡来系として陛下を日王とディスするクソチョンを駆逐したい。 私の祖先は地方の港町で駕籠を担いでいた。
天保あたりの人別帳には屋号で載っているが、
それとは別の「名字」も持っていたらしく
本家筋はその「名字」を戸籍名として今に至る。
うちは幕末に分家して全く別の名字を使っている。
どうやら壬申戸籍編製の際にテキトーに名乗ったらしい。 >>1
どこの誰かって区別は便宜上ないと不便だから名字に相当するものがあって当然だわな
鵜を飼ってる太郎さんが
鵜飼いの太郎さんになって
鵜飼太郎となる
のは容易に想像出来る >>346
茨城県出身で人で茨城県ではわりと多い名前らしいのに西の人が疑ってた
西の人ってホントそういう話好きだよね 地名を名前の上につけてただけで、苗字とは違うんじゃないか? 清水の次郎長みたいな感じ。
『〇〇の××』って〇〇は、出身地とかだよ。仕事の業種もあるみたいだけど。 >>372
元々天皇は『大王(オオキミ)』だったんだから、日王で構わないじゃん。 木村とか田村って名字だけ見るとダサいよな
木と村と田んぼと村だし
田舎も田舎なんだろうな >>375
その「区別のための便宜上の呼称」が
世代交代にもかかわらず継承されることは、当然ではないわな。
世代をこえて固定されれば「家の名」になるわけだ。 >>11
ショウジさんとトウカイリンさん二通りいるよね >>339
種子島や宗は平氏末裔を名乗ってるけど、平氏に仕えた郎党の末裔って説もあるしな >>381
『トウカイリン』って言う読み方もあるんだ。 天コロなんか、一般庶民と結婚したり、武士に島流しにされたり、べつに、崇められ続けた訳じゃないぞ。一機関だから 血縁関係なしに、その土地の名前を使ってただけだろうに。
谷崎村の二郎兵衛という意味で、「谷崎二郎兵衛」と名乗るとか。 このスレ見て思い出した!
知念村出身の知念くん元気かな? 名字っつーか住居や職業で呼び分けてただけだろ
そういうのだったら珍しくないし、名字ではないだろ >>339
オレの家も平氏の末裔って事になってるけど、元々は瀬戸内海の島出身らしいから、多分
違うだろ。負けて瀬戸内海の島に逃げ込んでも、残党狩りあって全滅してるわな。日本の
あちこちに『平家の落人の村』ってのがあるけど、とんでもない山奥ばかり。 >>380
本家で職業や住居が変わらんなら呼び方変わらん可能性もあるけど分家なら引き継ぐ意味はないね >>379
紀州発祥。
紀村が木村に。
紀村の方がいいな。
木村拓哉重成 >>387
そうなんだ。どうも、ありがとう。オレは関西だけど、『ショウジ』って読み方が普通だからな。 うちは>>1にある
@地名
A地形、風景
B方位、方角
C職業
D下に藤
どれでもないな
どういういわれがあるのか想像できないわ 田とか沢がつく名前が典型だよな
沢の中くらいに住んでたら中沢とか、沢の近くなら小沢とか近沢、今沢
田なら田中とか今田とか小田とか >>214
お前の蘊蓄語りは、初見の人にもわかる内容に整理されて無いから無駄 庶民が苗字を名乗るを禁止されたのは江戸時代に入ってからだからな
それまでは名乗ってたし
江戸時代に入っても多くの場合は使わないだけで隠して持ってはいた
苗字の代わりに屋号を使う場合もあり実質的には苗字のような役割を果たしていた
まあ、姓とか氏とかとは別ものだが >>397
オレの名前は四国(愛媛県が多い)にそこそこある名字で、どれも当てはまらないな。
苗字ランキングで調べたら全国で330人ぐらいしかいない。 >>399
「語り合おう」と言ってるのであって、広く万人向けに講義しようなどとは言っとらんぞw 安藤 安芸の藤原?
伊藤 伊豆の藤原?
遠藤
加藤 加賀の藤原
皆藤
工藤
後藤
近藤 近江の藤原
佐藤 佐渡の藤原?
斎藤
首藤
進藤
須藤
内藤
武藤 武蔵の藤原?
あとは? >>407
「新免」は、五輪書を書いた際の名乗りであって、言ってみればペンネームみたいなもんかと。 東北は半士半農で親戚同士で農民だったり武士だったりだけど
氏(うじ)姓(かばね)とかどうなってたんだろうな
わりと適当だったと思うぞ >>414
戦国期にもなってくると、武家でもかなりその辺は適当というかご都合主義的に扱ってたようだね。
信長なんかがいい例で、織田家は元々藤原氏を名乗ってたのに、ある時突然「今日からオレは平氏ね」とやってしまったりしてる。 英語圏での-sonという苗字は〜の末裔(例えばジョンソンならジョンの末裔)という意味だけど、
日本では〇藤(〇△の藤原氏の末裔という意味)が英語圏の-sonと同じような発想の苗字だろう。 >>391
平氏は檀ノ浦の後にも別に殲滅されてないし >>408
>伊藤 伊豆の藤原?
○藤系の由来は様々なので、伊豆藤原氏もいたのかもしれないが、一般的には伊勢藤原氏じゃないかな。
藤原北家秀郷流、という話をどこかで読んだ記憶がある。 よい機会だから言っておくが「池沼」さんは全国に330おられる。
知障の代わりに使うなよな。 だいたいさ、一生のうちに氏名をよく変えた時代もあるし
江戸時代の絵師とか作家とかペンネームで歴史に名を残しているわけで
本名なんてほとんどの人がしらない
他の国に較べれば苗字の重要性は低いのが日本特徴だよな >>419
残党狩りとかなかったのか? でも平家は山奥に逃げ込んだじゃん。四国だったら『祖谷(いや)』が
有名だけど、物凄い山奥だぞ。 >>419
だよな
だいたい鎌倉幕府の執権として権力を掌握してたのが平氏だし >>425
元々壇ノ浦にいた軍勢が平家の全戦力ってわけではなく、他にも戦線はあったし、壇ノ浦以前の合戦の敗残兵なんかも多い。
全ての平家の落人が壇ノ浦合戦由来ってわけじゃないから、そりゃ落武者全部を完全に滅ぼすのは難しいわな。
それに、末端の雑兵や下級指揮官なんかをそこまで追い回す理由も無かったのだろう。
「平家の落人」というのは、別に全員が「平」を名乗る貴人ってわけじゃないからな。 平氏は断絶していない、断絶したのは平家=「平清盛の一家(近い筋)」 >>424
徴兵するのに必要だからくまなく名字を必要とし、今は税金を取るのに必要だろ。
もぐりの通名者は不届き者。 佐藤、伊藤、加藤なんて多すぎて、大抵は藤原氏と全く関係ない農民の出 農業に固執する農民たちが
仕事に見合わない報酬しか出せないに癖に
奴隷を求めた結果が
最近のベトナム人逃走、犯罪集団化問題
生活が成り立たないなら転職しろ! >>417
マクドナルドなどのマクなんとかや
ミルコビッチなどのなんとかビッチなど
世の中いろんな末裔やら係累やらを表す名字がありますな 武士って江戸時代の7%で、佐藤だけで今の日本の300万以上いるからな。察しろ >>434
フィッツジェラルドの「フィッツ」も、オニールの「オ」もそうね >>426
平氏と一口に言っても、ルーツは何種類かあるからな。
源氏にしても、河内源氏だの嵯峨源氏だの清和源氏だのとあるように、平氏もまた桓武平氏や仁明平氏、文徳平氏など、賜姓時の天皇の諡号を冠した流派がいくつもある。
桓武平氏が主流だが、いわゆる源平合戦時に源頼朝に従った臣下の中にも平氏出身者は大勢いた。
要は、隆盛を極めた桓武平氏の一派、伊勢平氏(清盛が出た家)VS源氏(と、その他の平氏たち)みたいな構図。 頼朝が安房(千葉県)に逃れた際、漁民に姓を与えた伝説がある。
それを今名乗っている人がいるから由緒書きとか代々の口伝で遺している家はあるんだろ。
普通の大多数の農民は名字を持たなかったが、郷士、庄屋クラスなどは持っていた。また、由緒書きを持つ農家などもあったんだろ。 >>378
日本国王は支那と朝貢貿易した源氏。天皇は朝鮮、耽羅、渤海を従えた世界皇帝。全然格がちがう。 >>130
神と書いて「みわ」と読むならとんでもない由緒ありだよ >>428
平清盛は伊勢平氏だが、厳密に言えば伊勢平氏自体も断絶したとは言い難い。
室町幕府の政所執事を務めた伊勢家は、伊勢平氏季衛流の末裔とされている。
その伊勢家庶流からは北条早雲が出ているので、後北条氏にも繋がっているとも言えなくもない。 うちの地域は
「めんどくさいんで全員同じ苗字で!」と決めたから
うちの地域は同じ苗字のやつばっかり
部落地域なのかな?調べてもそんな情報はない
ただただめんどくさかったとしかわからない 渡邉の「なべ」はな
「邉」「邊」・・・
たくさんあるが
各地域の役所が適当に書いて登録したから沢山あるんだぞ
なんだよそれ 前田さんはいるけど後田さんいないな
上田さん
田口さんとか
仕事変わると覚えられない… 橋下はルーツが橋の下
全国津々浦々朝鮮人が住んでいた場所 >>434
ズラタン・イブラヒモビッチはスウェーデン国籍なのにイブラヒムの子という名字なだけで国から疎まれてる 名字は無くとも屋号で家を区別してたかね、じゃないと税を収集する時とかに不便だから
それを名字に繰り上げたってだけで 元々名前は自分を表すもの
名字は自分の所属を表すもの >>121
中木さん、ランキングで5415位で約1900人居るってさ。 >>442
伊勢平氏という広い範囲ではなく、
清盛の直系(子や孫)や兄弟達(経盛や教盛)の係累が
政治的、公的に終わったということ。 定期的に夫婦別姓の議論が盛り上がるけど、中華圏みたいにタ゛フ゛ル姓も検討したらいいのに。
昔、阪神にいた郭李みたいなイメージ。 >>456
そのあたりの仕組みをよく知らんのだけど
郭李さんと林鄭さんの間にできた子は郭李林鄭さんになるのかしら 名字は所属を表すもの
@中央の政府期間で使われた役職から来たもの
A各地域の代表が使ったもの
B各職業の使ったもの
D地域内で自分の住む場所を使ったもの
Eその他、今で言うDQNネームののりで付けた名字 >>455
ああ、別にそこを否定したわけではないんだ。
書き方的に平家の定義の書き方が、カッコ書きがあるとは言え伊勢平氏全体と捉えられるんじゃないかと懸念しただけだ。 坂元・坂本は坂のどの辺のことなんだろうか
坂上・坂下は分かるが 被差別部落に固有の名字なんてないからな。
よく、〇〇って名前は部落に多いとか言われるけど、そこに多ければその周辺の一般地区にも多いのが普通だし。 >>461
普通に考えれば坂の入り口というか、根元のことじゃない? 農民は名字を名乗らなかったと言うなら、漁民はどうなんだろう?
俺の祖母の実家は網元だったらしいけど、
大昔、天皇陛下に頂いたという名字をそのまま使っていたよ。 >>461
坂元は坂の始まり坂本は坂の下の始まり
元は始まり 本は根っこ >>458
希望すればそうなるのかも。
余談だけど、日本でも結婚相手が外国人の場合はダブル姓に変更できるらしい。
(今、知った) 上田さんの田んぼより上流にある下田さんの田んぼの謎 北九州には人類が誕生してから
朝鮮人が
入って来てそう >>466
屋号由来で「鍛治谷」さんとかかな。
「かじや」「かじたに」と読むことが多い。
字を変えて「梶谷」とかになるケースもあるようだ。 おれぐらいになると小路系だけどね
具体的には書かないが小路系ってのは
なになに小路
みたいな由緒正しき名字ね
まあヒントを言えば
さわやかな朝に鳥のさえずりで目覚めるみたいな小路ね
わかっちゃうかなあハハハ 以前勤めてた会社では、武藤さんとその部下に佐藤さんってのがあった。
他の部署には加藤さんもいた。
尾藤さんがいたらよかったのに。 京都御所の建設に従事した宮大工が由来の名字で「牛腸」というのがあるな
この文字を見てあっち系だのあからさまだの言って笑ってた恥ずかしい板があったな >>20
村山党の金子十郎家忠
保元の乱で九州の猛将高間兄弟を討ち取った武勇無双の士 本当に立派な名字だったら○○さんと呼んだら違和感があるようになってる
○○様呼びでしっくりくるようになっている 歴史上の人物にさん付けしてるような違和感 >>473
なんだろ。分からんな。
桜小路とか鳥居小路とかだろうか? >>1
日本でU番目に多いらしい鈴木氏の発祥は何なの? >>476
同級生にいた。
宮大工系とは知らなかった。
千葉県の南方にいた。 >>437
世田谷代官屋敷の大場家がそうだな
先祖が源家の吉良に仕えてて桓武平氏 ハリカルナッソスのディオニュシオスみたいな呼び方やな 昔勤めてた会社に北条ってのがいたけど、もしかして良家のお嬢様だったのかな? >>479
そんな説は初めて聞いたな。
良かったら文献とか教えちゃくれまいか? >>1
「名字」というより「屋号」「家号」だろ
そんなの大昔からあるわ
どこの誰か特定する識別名は必要だからな (-_-;)y-~
天皇賞秋ワイド獲れた北ノ間です。おおきに。 >>485
>>487
宮大工や庭師、巫女みたいに、神仏に係わる職業はあちら系が多い。
穢れの思想からでしょ。 >>486
条里制の名残だから、どちらかというと地名だな。
東条、南条、西条もいるからな。 いまでさえ田舎なんて同じ名字が多くて結局屋号だもんな 藤原秀郷は将門を討ち
藤原景清は頼朝を討つ
藤原は平家側?源氏側? 芸能人で、名字が無く名前だけの奴がいるけど、
所属を(正体を)示さないという効果があるのか。 >>498
それを差別と理解する方が差別なのでは?
差別心があるからそう思うのでしょ? >>481
よく聞くのが、熊野速玉大社の禰宜だった穂積氏から出たという説だな。 日本をにほんと呼ぶ人は先祖が天皇から源氏と平家に別れた血族。
日本の旗が赤と白の原因は白が源氏、赤が平家を表している。
源平以外の血筋は日本のことをにっぽんと呼ぶ。 スポーツ選手って珍名さん多いイメージ
下水流 丸 五郎丸 源五郎丸 定詰 呉 指宿 浮気
とりあえずパッと思いつくだけでこんな感じ。コンプレックスバネに頑張るから成功するのかな? 差別的な苗字の例
馬鹿 これはましかさんと呼ぶらしい
牛糞 これはうしくそと読むらしい
ここまで来れば、いじめに近いな >>509
理解しようとしなくてもいいよ。
君は君の思うように生きなさいw ソースも出さずに思い込みで書いてるのかw
すげーなwww 北野だの、北川だの
南だの石橋だの
よく考えるとすげー適当だよなw >>512
動物がつくのは確かにキツいな
苗字についてる動物と似てたら、間違いなくからかわれるだろうし >>513-514
戦後、日教組の影響力を思い知ったよ、今・・・ 徳川は古くは得川と書いてる文献もあるので
由来を推量するなら漢字の意味より読みからした方がいい (-_-;)y-~
日本人って、漢字使ってる割りにええ加減やんなぁw
訓み中心ってはっきりしてるよなぁ。 >>520
ローカルじゃねーよw
近いところだと昭和天皇や良子皇后の棺を担いだの知らないの?
宮大工がBとか言う割には知識無いんだな、おまえww >>514
歩き巫女とか信濃巫女みたいなのとごっちゃになってるんだろう。
あるいは渡りの者あたりから連想したのかもな。
いずれにしても、文献も即座に示せないようでは話にも何にもなりゃしないわな。 天皇陛下直系血筋の名前は武田、竹田、寺田、大和、竹内、武内 >>521
得川は元々新田家(源氏)の家
それを家康がごにょごにょするのに利用しただけ
で、利用したのがバレるとまずいので「徳川(同じ読み)」にした 昔、男子バレーボールに猫田という超絶名セッターがいたんやで〜
広島出身だろ >>524
ローカルの意味w
>>526
本当に知らんのか・・・ 田中とか田畑とか山本とか山下とかは解りやすいけど
佐藤、鈴木はよくわからんあ >>366
訂正。
×仙台
○気仙
どうやら、この「金為時」という人は安倍貞任の時代の人らしい。 >>526
穢れで宮大工や巫女まで含んでるのが、またすげーよなw
自分で言っといて「穢れ」の思想がどんなもんか知らないんだろうw >>517
熊田、熊谷、熊沢、熊野さんは普通に多いけどな >>15
現在の天皇の祖先は出雲族の朝鮮人 系譜は神功 応神 継体以降朝鮮人 >>533
ID変えてきたのか?w
最初に言ったろ?
> そんな説は初めて聞いたな。
> 良かったら文献とか教えちゃくれまいか?
となw >>91 謎だよな。藤森、藤井、藤岡…逆神の藤巻さんは先祖たどると高橋姓なんだよな〜。本家の藤関係ない血筋。 苗字って面白いよな
俺の名字も全国どこ行っても珍しいって言われる
ということは、だ、子孫繁栄できてない滅びゆく氏ってことだな 基本的に定着住民でないものは差別の対象になってたかから
宮大工はお寺とか神社作る人なわけで
一か所にいるというより各地を渡り歩いてただろうから可能性はある
そもそも土木技術者は差別されていたりした(今の建設業者とは当然無関係)
というからな
でも聞いたことはないな >>536
常識だろw
>>539
変わったようだ。 >>523
そりゃあ、訓読みが日本語だものw
音読みがあんまり便利だからたくさんの造語を作ったけどな。
あれを発明した人はすごいわ。 殆どの姓は明治に入ってからのでっち上げだよ
先ずはその事実を認識するのが大事
自分の姓が由緒正しいなんて妄想から自由になれ >>543
だから、文献さえ示してくれりゃ、
「へー。そうなんだ」
で終わる話なんだよw >>538
逆。
古代の朝鮮半島南部は倭人が支配していた。 >>541
うちも全国区で珍しい名字だw
滅び行く運命なんだろうが、女系を辿ると名前は消えても血は残る (-_-;)y-~
平安末期からの鎌倉武士たちが、今の日本語漢語音読みを作ったんよ。
戦争する連中やからなぁ、
パッと言えてすぐに意味が通じる言葉を開発したんよ。 >>499
栃木下野国の在地豪族出身の秀郷流は平安中期の一時期は源平より格上
都の坊ちゃん育ちの経基なんてボウフラみたいもん >>546
だったら、反証の文献を示してくれたまえ。 >>546
てか、どんな文献を提示したところで、「それは、その著者の説」とか言うだろ?
それが面倒。
だったら、先に反証を貰いたいよ。 >>551
言い出したのはお前で、質問してるのは俺だよ。
何故、俺がそんなことしてやらにゃならんのかね?w
俺は別に構わんよ?文献が示されないなら、
> なんだ。そんな程度の当て推量か。
と理解して終了ってだけだから。 (-_-;)y-~
源平なんて言い方は武士とか下賤の言い方やと思うで。
貴族は、きちんと源氏、平氏って言うやろな。
ちゃんと言わないと殺されるかもしれんから。
皇族や貴族は、先輩のことをパイセンなんて絶対に言えんやろ。 >>543
ゴニョゴニョ言ってないでさっさとソース出せばいいのに >>553
そこまでの興味を持つかどうかはその文献次第だわな。 >>557
質問を受ける義理はない。
なんでつっかかってきた人間の土俵に乗らなあかんのだ? >>563
ならこの話はここで終了ってことだな。
先ほど述べた通り、俺は一向に構わんよw 藤原五摂家が藤原姓を捨てたのは、藤原姓を名乗るインチキが増えたからだろ。 >>133
>平家の子孫はまず居ない
能登の時国家は平大納言の末裔として有名だが知らないの >>567
ラグビーの大畑、野球の中畑よりは
かなり持ってるだろうなあ 周り近所みんな同じ苗字でめっちゃ田舎だけど平安時代末期からここに住んでるそう >>121
木林さんは何で森にしなかったんだろう? >>521
「徳川」はアレだけど、松平氏も在原業平の子孫を自称する出自の怪しい一族なんだよね。
まあ、戦国時代は出自より実力だからね。 菩提寺にある江戸時代以前の先祖の墓が自分と同じ姓だという奴だけか語る資格がある 私兵>>324
名前こそハタオリベだけど矢だよ
なんか>>1をベースに語られてるけど 河原乞食の末裔だって姓を持っていたという奴がいたが、それは「屋号」だからな。 ようは談合とストーカーがセットだからそれだけの話だけどな
それでも群衆を維持できるのならどうぞご自由にて感じだろう、しかもメモリコストも下がっていくんだし (-_-;)y-~
北ノ間は俺が調べた限りでは、
東ノ間 無い
西ノ間 無い
南ノ間 無い
なので、北天、紫微垣(しびえん)という意味なんやろうと推定。 筒香って日本に30人ぐらいしかいない超レア名字なんだってね Bは士族の下だが町人の下ではない
公務員は公僕だというが
公に市民は入らないw うちはかなり限定ローカルながら
南北朝時代の書物に名前が出てるし、同じ名前の神社まである
なのに分家の上に亡き父が次男だったため貧乏な家w (-_-;)y-~
古代の日本人が、天空を「〜の間」と言うてたようには思えないので、
北ノ間姓は、
古墳の星座壁画担当職人か、石積み職人なんやないかと思っている。
泉州堺と摂津南部に多い姓。 >>580
言葉の意味的には大差ないと思うけど、一般的に「平家」と言うと「平家物語」が連想され、平清盛とその血族、みたいな印象で語られる気はするね。
そういう捉え方を前提にするならば、平氏と平家は包含関係にはあっても別の概念と認識すべきかな。 >>538
かなりタブーだが
出雲はCで皇族はDらしいぞ
サンプルは自称する子孫からだが 坂を上った先の佐藤さん、駐在所の隣の佐藤さん、おじいさんが校長先生だった佐藤さん
近代の屋号ってこんな感じだろ?w 今でも、なくなっていく苗字とかあるんかね。一方で、新たに創氏するのは可能なの? 南九州の祖母の実家の姓は全国で30人とかだわ
今はそこに1軒だけであとは数えたら関東方面に出ていった人達
増えるかどうかは男兄弟多いかだろうな 時々、地名に由来する名字をバカにする人がいるけど、
戦国大名の今川義元の「今川」だって地名に由来する名字らしいよ。 名字があったと言うよりどこどこの誰って呼び方が名字になっただけ
屋号もあるし >>538
馬鹿チョンの妄想wお前らそもそも論だが漢字が読み書き出来ないから妄想で語る。 >>591
Bでどこの誰の下に属して何をしていたかだな >>589
名乗る人が死に絶えればなくなる
帰化の際に増えることはある
「武蔵丸」とか、新しい名字だろう
最近ではカタカナのままでもいけるんじゃないかね >>267
武士でも、本来の名字が名乗れなかったとかもあるしな。
前の領主関係の名字とか、新しい領主のもとでは名乗れなかったりとかで、
明治になってようやく、公然とな乗れるようになったとかあるな。 (-_-;)y-~
日本史って長大やから、滅亡した家名も多いしなぁ。
復活させる人もいるにはいるんやろうけど。 >>471
2020年10月14日付けで『Journal of Human Genetics』に掲載された報告では、朝鮮半島に地理的に近い九州北部より、四国・近畿地方に渡来人の遺伝子が強く見られたと述べられています。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/10/20201014101751.png >>586
平家打倒の談合してたら瓶子が倒れて喜んだとかいう話しがあるじゃん
平家物語だっけ
てことは平氏と平家は同じじゃないの 佐藤はなんとなく分かるけど鈴木って苗字が多いのが謎 9世紀に人々が名字を勝手に名乗るので混乱してそれを問題視したから新撰姓氏録というのを作ったぐらい
名字の由来なんて辿った先はなにもないよ >>587
天皇や天皇の子孫はD2、出雲もD2、縄文人はD2
Cは純日本人ではない。 (-_-;)y-~
俺は、血統姓の田上を辿ったら、火明命まで行ってしもたけどなw
繋がってるのかどうか証明しようがないけどw
まぢでびびったわw 藤原氏に藤と入る姓は一つもないというのが常識だった気がするけど
藤はどういう由来なんだ 動物
さすがに狐、狸はないんだな
牛、熊、鹿、馬、猿、鳥、魚 >>農民も昔から苗字
当たり前です。農民に苗字がなかったら、藩はどうやって年貢の管理をするんだ?
大体墓を見ればみんな家の名前(=苗字)が、あるだろが。
50年代〜80年代は、このような珍説が流行っていた。日教組と学術会議は
一日も早く解体するべきだ。 名字由来ネットで調べても
いみねーんだよな
大多数は勝手に使ってるから >>605
関西は都であり部落は一部地域だけ。コリアンタウンがそれ。
関東は天皇陛下が関東全域を穢多非人部落地域とした。 >>602
「平氏」という大きな氏族の中の、伊勢平氏というグループがあり、その中の平清盛を中心とした家系を特に「平家」と呼ぶ、みたいな関係性かな。
というのが、>>586で言うところの「包含関係」。
「平氏」は「平家」を包含する。
「平家」は「平氏」の中の一部を指す。
そんな感じ。
なのでまぁ、大雑把に「同じ」と言っても必ずしも間違いではないが、厳密には区別すべきじゃね?ってことだね。 天皇陛下から見た関東
後醍醐天皇の正中の乱の際に弁明した言葉がある。
「関東は戎夷(えびす)なり。天下管領しるべからず。卒人の民皆重恩を荷う。聖主の謀反と称すべからず。
但し、陰謀の輩あらば、法にまかせて尋ね沙汰すべき事の由これを載せらる、多く本文を引かる、その文体宋朝の文章のごとし(花園天皇記)」
この時代の公家の国家観は「天下」があって、その「天下」の中に「日本国」(畿内)と「外国」(周辺地域)が併存するというものであった。
彼らは観念の上で2つの国家という意識を持っていたである。そしてさらに天皇や公家の居住地である京都や畿内が清浄で周辺地域は野蛮で文化程度も低いという観念が横行していた。
この野蛮で文化程度の低い地域の代表が東国であると意識されていた。だから後醍醐は率直に「関東は戎夷なり」と言ったのである。
景行天皇は次のように述べられている(日本書紀)。
「東の国(関東)の人々は性質が凶暴で人を凌辱しても恥じることない。
国を治める人がいないので、領地争いばかりしている。
道を通る人に悪いことをしたり、苦しめたりしている。
蝦夷は男と女が雑居して暮し、親子の礼儀を知らない。
獣の皮を着て動物の血を好み、兄弟は仲が悪くて争ってばかりいる。
人から恩を受けてもすぐに忘れるが、人に恨みを持つと必ず仕返しをする。
仲間を集めては、大和朝廷の国境に侵入して農家の仕事を邪魔し、人を襲っては物を奪ったりして人々を苦しめている。」 >>613
江戸時代の検地帳は
八兵衛 一畝
一太郎 三歩
権之助 二反
こんな感じですよ >>607
「シンポジウム 倭人の真実−青谷上寺地遺跡−」の報告
https://9ch.net/zksKQ
国立科学博物館の篠田謙一副館長による講演「DNAが語る青谷の弥生人」の概要を以下に紹介します。
最近盛んにおこなわれるようになった古代人骨のDNA分析ですが、その分析対象には、
母系を示すミトコンドリア、父系を示すY染色体、全遺伝子の交配度合いを示す核ゲノムの三種類があります。
分析の難しさもこの順に高くなります。
(2)Y染色体
父系を表すY染色体のハプロタイプについては、現在4体の分析が終わっているとのこと。
そのハプロタイプは、Oが一体、C1a1が2体、Dが1体。このうちC1a1とDタイプは縄文系かつ日本列島に固有なタイプ。
Oタイプはその大半が大陸の漢民族に含まれており渡来系とのことです。
つまり、少なくとも4体中3体が縄文系ということになり、ミトコンドリアの分析結果とは相反する結果となりました。
まだ分析数が少ないので断定的なことは言えませんが、弥生末期になっても縄文的要素が多く残っていた可能性が高くなってきました。 >>620
実際会ったことはないが「狸小路」さんもおられるらしいぞ。 >>572
戦国時代から江戸時代まで家系図偽造が大流行りでそういう職業まであったそうな
特に沢田源内という人が偽系図や偽書を書きまくったのが有名
室町後期から江戸時代は更に捏造軍記が流行りまくったせいで
この辺りから正確な歴史や系図を知るのが困難になってしまっている >>3
家は辿っていくと天皇家と繋がったぞ
みんな繋がるんかと思ったわ >>618
日本書紀はエミシと敵対してたヤマトが東国のエミシを獰猛な人外と誇張して書いてるだけ >>625
それは敵対勢力を全て蛮族扱いしただけの話だろ
エタヒニンとはまた違う >>623
≪ 天皇は縄文人と同じY染色体がD2であったと確定している≫
世界でも珍しい皆保険制度の日本では健康診断で全国民のDNA調査をした結果は男の9割(99.9%)以上がY染色体がD2であった。
男はYX。女はXXのためY染色体をそもそも持っていないため日本国民の半数(女)がY染色体D2をもっていない
男は早死にして女は長生きのため女が6割、男が4割となり日本人の4割がY染色体がD2という結論である。
つまり、日本人の男のほぼ100%が2万年以上前から日本の先住民の縄文人が先祖でありD2である結論である。
ちなみに朝鮮人韓国人や偽漢民族にはD2は無い。
N253487/ Sumeramikoto (Emperor of Japan) D-CTS8093
http://www.familytreedna.com/public/japan/default.aspx?section=ycolorized
http://wiki3.jp/famousdna/page/23
伏見宮家
伏見宮家のY染色体遺伝子は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST055457)である(注1)(注2)。
これは、伏見宮家の男系子孫1名から得られた解析の結果に基づく。
東山天皇
人皇第113代・東山天皇(Emperor Higashiyama, 1675-1710)のY染色体遺伝子は、
ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST055457)である(注1)(注2)(注3)。
これは、東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔粘膜の解析による(注7)(注8)。
南朝・後村上天皇
南朝・後村上天皇(Emperor Gomurakami, 1328-1368)の男系子孫のY染色体を調査した結果、
ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)であることが判明した(注1)(注2)。
近衞文麿
内閣総理大臣を務めた、近衞文麿(Fumimaro Konoe, 1891-1945)のY染色体は、
ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)である(注1)。
2019年6月19日改訂のISOGGより D1a2 (旧D1b1'2)に変更。
「縄文系」のD1a2 (旧D1b1)、(チベット系D1a1)
オクスフォード大学の遺伝学研究チームのクリス・テイラースミス(Chris Tyler-Smith)及び、
カラー・レッド(Color Red)は、 日本人男性のY染色体の一塩基多型(SNPs)および
縦列反復数(STRs)を解析した結果、 天皇家のハプロタイプは(D-CTS8093)に属する
系統であると結論づけました。 (-_-;)y-~
エタヒニンで上下を見るのではなく、
秩序の中にあるかどうかのほうが重要やと思うけどな。
非正規だって秩序の中にいるわけであって、
差別したい奴は差別するであろうけど、それは秩序の中で行われる、
逆に言うと秩序を壊されたくないから差別的になるような。
在日なんか、めっちゃ日本人を差別的に扱うやろ。 そりゃそうよ 今はもう超一等地の東京青山だって昔は屠殺と皮革業の皆さんが仕事してたし
その名残でまだお肉屋さん事務所あるし。 >>630
天皇陛下が関東全域をエタヒニン部落としたのは事実であり史実。 >>632
在所で区別。
それが名字と同じ役割と言えばそうだけど、当人たちに「俺の名字は何々だ!」みたいな具体的な意識があったかと言えば疑わしいんじゃないかな。 >>4
普通これだよな
それまで庶民は名字持てないんだから >>636
そこから置物にされてんだから大昔の天皇の戯言に価値はない (-_-;)y-~
日本人を差別的に扱うために、
日本は差別社会と言い張る在日社会の方が危ういと思うけどな。 >>639
むしろ「天皇に濡れ衣を着せる」所業だろう >>632
村単位だから、そんなに被らないのよ
どうしても識別するために、権之助の下に「〇」とか「、」を付けている例もある。 >>637
自己レスだけど、在所による区別が名字と違うところは、「家」を表す概念ではないということ。
そりゃ、同じ家に暮らしてりゃ在所は同じだけど、同じ家族で同名ってこたまずないからね。
あくまでも、村落内の同名者の区別のためであって、やはり名字かといえば「違うんじゃない?」となるなあ。 >>632
同じ村に同じ名前がそんなにいたらそいつらの生活が困ることくらい考えたらわかるだろ
今の市町村と違って昔の村は生活共同体
呼び分ける名前を付けるのは本人たちにとって必要 (-_-;)y-~
天皇さんから、あーしてこーして言われたら、
俺は身分が低いので言うて逃げるわw >>641
5ちゃんを見てたら、『日本は差別社会なんだ』って考える様になるよ。韓国人や在日の人を
差別しまくってるヤツがいるじゃん。 >>647
じいさんと孫が同じ権兵衛みたいなのは結構あるけど
検地帳は家長(お父さん)単位だし、
村の人はさすがにじいさんと孫は識別できるからあまり問題ではなかったのかも。 >>425
平家と平氏は必ずしもイコールでは無いの。
平家は平氏の一族だが、平氏がみんな平家では無い。
平家は滅んだけど、平氏は各地にいて、それぞれ暮らしてた。 >>631
三文字ってパッと出てこないだけでそこそこいるような
そんなに全国端々にはいない感じかね
ポイントで集まってる気が
>>626もそうだな >>512
さすがに改姓できるだろう
色摩=色魔 だとかあとなんだっけ ちかん だっけかな? >>623
普通に考えたら渡来系は少数で土地の基盤が無いから、その土地に根付いて数も多い縄文系と争ったら渡来系は負けてしまう。
どんなに優れた武器を持っていても当時の文化レベルでは戦争になったら勝てない。数の力は圧倒的だから。
古今東西、戦争に負けた部族の男は殺されて女は犯され勝った方の子供を産まされた。
縄文系が父系で母系(ミトコンドリア)が渡来系というのはそう言うことだろう。
狩猟採集民族は農耕民族より背が高く力が強い傾向が全世界的にあるとの研究もある。初期の農耕民族は栄養不足だったようだ。 >>610
藤原鎌足の子孫が藤原氏だが、藤原五摂家は偽の藤原氏(特に武士)が増えたんで藤原姓を捨てたんだろ >>649
差別じゃなく区別。
犯罪レイプが多い在日朝鮮人韓国人を区別して
エタヒニン扱いするのは当然のこと。 >>493
『名前が左右対称だったら、あっち系』っていうくらい、何の根拠もない話だな。巫女さんだって
広い意味での神職なんだから、あちらの人間だったら、ネトウヨ的には拙いんじゃないのか? >>637
年貢だけじゃない。寺子屋で「権之助」が複数いたら、当人達を含め
区別する必要から「家」の名前が必要だったはず。 学校で習った日本史は「ヨーロッパ的な階級思想」をベースに作られてるからね
最近の研究では日本の階級は原始共産的でゆるやか(あるいはいいかげん)なものだったことがわかっている >>652
小笠原とか小早川とか長谷川とか小久保とか
野球選手の有名どころを思い浮かべるだけでも結構出てくる >>613
藩とのやりとりでは村役人でも名字はない
墓石の名字入りはわりとあるから別の話
>>618
武芸が苦手で馬にも乗れず印地打ちしか芸のない弱兵の上方さんドンマイ >>6
3〜4世紀の時点でかなりの数が存在したと思われ。500年頃に埋葬された稲荷山古墳出土鉄剣の銘文には、
オオヒコ(大彦)、タカリスクネ、テヨカリワケのあとにタカハシワケ(高橋)、タサキワケ(田崎)、ハテヒ(服部)、
カサハヨ(笠原)、ヲワケと続く。地方領主の祖先として3〜4世紀に現存の苗字が確認できる。
もともと「江戸末期まで日本人には苗字がなかった」というのは戦後の反日歴史学者が言い出したデタラメ。
江戸時代はほぼ100%が苗字を持っていた。明治に苗字を届出をさせた際には、本家以外が新しい苗字に
変えたのが多い。 >>649
(-_-;)y-~
5ちゃんを見てたら、『日本は差別社会なんだ』って考える様になるよ。
と、
韓国人や在日の人を差別しまくってるヤツがいるじゃん。
ってのが、どう一致してるねん?それを証明するデータは?
そんなこと書くから、嫌われるんよ。 >>537
犬も多い(そら縄文からいるしね、、、犬飼さんとか)けど熊が多いみたいね >>658
天皇周りの職は差別云々ではなく特殊な扱いだろ スレタイから離れてやたら職業の貴賎を語りたい奴がいるな
専スレ行ってやってくれよ 歴史改変ワロッシュ
小作農が苗字なんか持てた訳ねぇだろ 上級は ○○階級
下級男は 地名○○
下級女は お○○(ひらがな2文字) >>661
ヨーロッパの「階級」だって、時代をさかのぼれば似たようなものよ >>657
はいはい。だったらオレがお前の事を、『差別主義者の低脳クソウヨ』って言うのも
区別だよね。まあ、これは実際に区別なんだけどね。言われなき事で差別してる訳じゃ
ないからね。 (-_-;)y-~
職業の貴賤を語る奴って、だいたい低学歴やろ…
学歴社会を否定する高学歴者を見てみたいわw >>660
それは改名が難しくなった明治以降の思い込みが強過ぎるんでないか
近隣の村から子供が集まる寺子屋で権兵衛がたまたまたくさん来たら、その時点で名を変えれば良いだけ
届け出た戸籍も何も無いんだから
明治より前の人間は名前簡単に変えるよ あのね
名字の意味考えろよ
二つ名とは違うんだよ
特に江戸時代は身分制度、家制度と密接に絡んでるから
ちなみに皇室も名字はないぞ
なぜか考えてみろ >>677
寺子屋で同じ名前がいたから改名?
まるで朝鮮人の通名だな(笑 >>672
時代をさかのぼらないかっちりした時代の「ヨーロッパの階級制度」をベースにしてるということ
自分の頭で理解する前に反論しない方がいいと思うよ? >>677
共時的な区別の必要と、通時的に同定される「家の名」の必要とは別の話
ということですな うちは平安時代からある名字だから読みも古い
日本書紀に出てくるような読み方の名字は皆古いんじゃないかな >>162
やべ
うちの家系と同じだわw
元会津藩士だったらしいけど、後に北海道に行って屯田兵やって坊さんになった >>493
じゃあ、神社はあちら系の人に建ててもらって、あちら系の巫女さんを雇ってるんだね。
ウヨの言う事とは、とても思えないな。まあ、最初は向こうの技術が入ってるんだろうけどね。 >>679
天皇の馬鹿は褒美に名字与えてやってるって意識だからな
下らねえ >>679
名字の代わりになんとかの宮というだろ?
あれが名字だよ。
天皇は名前すら直接いうのは畏れ多いから、事実上名前もないのと同じことだろ? うちの一族は江戸初頭にお国替えの煽りで帰農したから名字の分布がうちの地元と国替え先に二分して集中してるよ 旧漢字とか廃止してほしい時あるな
藤とかでも 何個あるだと 探さないと行けない時があって面倒だった >>681
世界的にはそっちの方が普通
欧米でも届け出名はあるけど、本来のは長ったらし過ぎて使って無くて
ビジネスネームやらなんやら適当に自分で決めてやる
日本でも真田の次男坊が特に理由もなく突然信繁なんて名乗り出したのが有名だけど名前変える戦国武将はいる
出生時に届け出た名前をそのまま変えずに使う習慣のある明治以降の日本がレアケース
このスレのお陰で一つ分かったことがある。
なぜ日教組などは50年代から80年代にかけて
「日本の農民には苗字がなかった」などという
完全に間違った説を広めたか。
「農民の苗字は朝鮮人の通名と同じ」にしたかったのだろう。 (-_-;)y-~
ああ・・・疲れた・・・
競馬プレッシャーでおちんちんが・・・ >>689
あれは即位する前の宮家の所属を表すものだから
即位と同時に消えてるんだよな? 天皇は名字もないし車の免許も持ってない
働いた経験もなし >>693
田舎に行くと平安時代からさかのぼれる農家の家系とかざらにあるぞ。
江戸時代の庄屋とか、農民でも家名がとどろくのも多い。
戦国時代の名の知れた武士に農民出身のも多い。
要するに昔から苗字は存在していた。
寺小屋に同じな前が居たから、一家で苗字を変えるとか、デタラメも度が過ぎる。 >>693
特に武士は何回も名前を変えたし、同時期に3つぐらいの呼び名を持つのが普通。
本名みたいなものはめったに他人に教えない。 >>2
藤原家に使えた連中から藤原家に支配されてた土地の百姓まで藤原系統の名前名乗っとるからな >>696
宮も消えるけど、昔なら名前を呼ぶこともなくなる。 >>701
どういう名字で登録するかは本人の自由だったからね。 >>697
車の免許は持ってるよ
インテグラで皇居内をドリフとしてた >>698
苗字を持ってる庄屋様ならそりゃその苗字を大事にするだろうよ
苗字を大事にしている人たちが一部いるからって、全員そうじゃないからな
後俺が言ってる「名前を変える」は苗字じゃなく個人名の方を変えるっていう話だ >>519
八瀬童子のような長い歴史ではないが、浅草弾左衛門は
有名だと思う。 浅草の靴屋などその歴史の流れだろう >>615
じゃあ腐るほどある関西の部落は都でなくなった明治以降の急増したのかw >>688
なんで皇室に名字がないか考えろと言ったんだよ
ヤーウェも名前はないだろ
名前は呼ばれるためにある
あまり有り難いものではないんだよ >>697
試験監督のアルパイトをしたことはあるんじゃなかったか 自分は日本におそよ40人くらいと言われる珍名だけど、その由来を解明してほしい >>633
500年以上前にいた東山天皇の子孫=つまり戦前に華族ですらなくて
天皇の子孫だっていうのも自称にすぎない、ずっと一般人だった血筋の遺伝子を調べた
うさんくさい研究信じるのかよww。これだからD2は頭悪いんだよ
そもそも天皇がD2なら、坂上田村麻呂なんて必要ないんだよw
D2であることは名誉でもなんでもない。
今の東西の差をみても弥生より縄文のほうが明らかに頭悪くて粗野で野蛮だから。
同じ教科書使って東の血筋はノーベル賞がほとんど取れないって偶然なはずないだろ。
俺ら東日本人≒D2は初代将軍坂上に討伐された土人アテルイの子孫だ
関西に住む天皇が平安時代に平定するまで東日本には文字さえなかった >>698
そもそも天皇陛下自体が農家だからなw
いまだに天皇陛下は農業をやってる農家w
ちなみに前方後円墳は農地水田つくる際の余った土砂で作られている。 俺の苗字珍名だからすぐにググったら出てくるしなあ
普通の名前が良かったなあ
朝鮮人は「朝鮮の風習がが世界」だと思っている。例→>>693 >>718
「解明してほしい」と言われたら、問いたくなるんじゃないかね
私は我慢したが >>719
物知らずはほんの少し朝鮮と共通点があるだけでヒステリーを起こすのか >>687
ところが宮大工の様式や技術や道具は半島からは発見されていない。それどころか木工の技術が半島からは低レベルのものしか発見されていない。
よく言われる水車も作れなかったし桶も無かった。カンナや墨壷もない。
あと染色の技術や色の名前も伝わっていない。技術や儀礼の知識を持った集団のレベルが日本より低い。 水飲み百条の小作はわからないが、土地持ちの農民は確実に持っていた 地域で特徴
北海道 加我(かが)・厚谷・蠣崎・鉢呂
青森県 葛西・対馬・今・福士・神・古川(こがわ)・一戸・長内(おさない)・蝦名・小田桐・棟方
岩手県 及川・八重樫・照井・小田島・瀬川・新沼・昆・久慈・五日市・昆野
宮城県 早坂・庄子・丹野・赤間・門間・若生(わこう)・三塚・中鉢・只野・安住(あずみ)
秋田県 加賀谷・船木・虻川・北林・真坂・猿田・夏井・日景・石郷岡・長岐・小松田・八柳・草g
山形県 梅津・大沼・東海林(とうかいりん)・森谷(もりや)・板垣・安孫子・寒河江
福島県 星・安斎・国分(こくぶん)・柳沼・三瓶・猪狩・二瓶・八巻・荒・上遠野(かどおの) 茨城県 倉持・小松崎・寺門・井坂・軍司・飯泉・市毛・鬼沢・小野瀬・会沢・助川・藤枝・鴨志田
栃木県 阿久津・増淵・室井・高久・磯・宇賀神・早乙女・直井・毛塚・八木沢・五月女
群馬県 角田(つのだ)・木暮・須永・生方(うぶかた)・羽鳥・田部井・都丸・小板橋・阿久沢
埼玉県 田島・浅見・須賀・大熊・小谷野・越阪部(おさかべ)
千葉県 加瀬・鶴岡・椎名・石毛・越川・向後・香取・鵜沢・川名・深山(みやま)・清宮(せいみや)
東京都 原島・宇田川・乙幡・小美濃
神奈川県 石渡・二見・新倉・土志田・府川・露木
新潟県 五十嵐・熊倉・風間・南雲・新保・小野塚・若月・駒形
富山県 石黒・水島・金森・谷井・尾山・東海・永森・飛騨
石川県 谷内(やち)・中出・干場・北出・高(たか)・道下・表・紺谷・辻口 >>666
熊谷みたいに、川がだこし曲がりくねった谷(曲谷)が熊谷になり、その地出身で名乗った例があるからな。
動物と関係なく名字になった例はある。 父方は武士だと聞いて、どの程度か聞いたら「前九年後三年か頼朝が攻めて来たときか、負けて落ち延びて山奥でひっそり生きてきた一族・・・」それって武士?
母方も武士、しかもひーひーひーじいさんの弟は国会議員、と聞いてじゃあひーひーひーじいさんは?と聞いたら「ぐれて家を飛び出した・・・」
期待はしないことだね >>710
そもそも東京の京は口に横棒が入ってるから都ではなし
京でもないし都でもないし首都でもない。
関西の部落は=コリアンタウンのこと。
神戸に南京町があるがチャイナタウンのことは部落扱いしていない。
1910年に韓国が日本に土下座してこのままだとロシア帝国に
奴隷にされて朝鮮人韓国人が全員シベリア鉄道の建設に死ぬまで奴隷だから
日本に助けてくださいと頼んだから、
日韓併合をした。ちなみにハワイも日本に併合を頼んだ。
日韓併合後、関西の大阪の大阪市に大量に密入国韓国人が来てコリアンタウンを作ったのが第一波。
第二波は1945年の第二次世界大戦終戦時に、朝鮮人韓国人らが戦勝国と嘘をついて
武装解除された日本で土地の強奪やレイプや殺人強盗をやりまくった。
第三波は、朝鮮戦争時に難民として大量に朝鮮人韓国人が日本に密入国してきた。
第四波は、高度経済成長期に密入国してきた朝鮮人韓国人。 >>735
鬼退治したから節分やらなくていい一族か… >>708
上皇になられてから取得したわけじゃないんだから、「天皇は車の免許を持ってない」に対する反証としては十分でしょ。 40名しかいないなら、在日が勝手につけたもしくは明治になって農家が勝手に珍しい名前付けだだけだろ。そんだけ少なければ、比較的新しい苗字なので、由緒正しい家系ではないと思われる >>736
その熱心な差別への情熱を仕事に向ければ良かったのにねw >>64
なる。
上野、佐野、中野、宇野はいるが、下野は見たことない 馬鹿 ましかさんが一番かわいそう。子供の頃のあだ名はばかだろうな >>711
真子さまとか佳子さまとかめっちゃ名前で呼ばれてるけどな >>64
同じ地域で南だけそんなに農業立地が良いものかねえ
大差ないだろ >>240
しんにょうの点二個とか明らかに墨落としただろってゆー うちは先祖がすごい
100年前の家系図に寄ると源頼朝にはじまり武田信玄、宮本武蔵、近藤勇、竹中平蔵がいる >>743
下谷は地名にあるけど、苗字はどうなんだろう? >>745
宮様は、名字じゃなくて「宮号」と呼ぶ。
「秋篠宮」とか「常陸宮」とかそういうの。
で、臣籍降下すると、一般的には宮号をそのまま名字にする。
「竹田宮」が臣籍降下すると「竹田さん」になるってわけだ。
厳密な意味で宮号すらないのは天皇陛下だけ。
そういや、上皇様は宮号持つことになるのだろうか? >>754
首藤って由緒ある名だぞ。
本人がその末裔かどうかは別問題だが。 都市部以外は侍と何らかの兼務だしよ。人がいないからね。
みんな親戚状態、本家か分家、つまり苗字持ち
身分がはっきりしてたら結婚も出来んよ… >>755
秋篠宮家だろ?
秋篠宮真子さんとかで学籍登録してあるんじゃないの? 5ちゃんには江戸時代には10%もいなかったはずの武士の子孫が集っている >>757
戦国末期までは侍と百姓の垣根はさほど厳しく分かれてはいなかったというからな。
地侍の次男以下なんて、平時は百姓と変わらん生活で、そのまま運良く一家を構えたものは仕官もできず、いつしか完全に百姓化する者も多かったとか。
そういうのが、かつての苗字をそのまま名乗り続けたケースもあるようだな。 壬申戸籍で士族とかは5%前後しかいなかったのに
結婚の話とかになるとなぜか武士の末裔を名乗るのが多い 日本人が偽名使ったら犯罪だけど
朝鮮人が偽名使ったら通名でお咎めなしってどうよ >>743
>>751
下野も下谷も同級生にいたな。
関西 >>752
上皇は宮号は持たない
「上皇」というだけで先代の天皇、と限定されるから >>761
専業の兵隊なんて殆ど居なかったもんな
そこらの百姓の方が武芸に長けてたし
喧嘩も強いから上から見下ろすなんて無理 非公式なだけで苗字くらい持ってただろうw
名前だけじゃ個人を識別するのに不便
だいたい武士や公家の苗字だって非公式だったろ?
全員、藤原じゃわけがわからない 沼が入ってんだけどやっぱり沼の近くに住んでたのかな >>768
今の時代、いるわけないだろww
大体、先代が亡くなってから即位するもんだからな
今の上皇は我が儘で降りただけ >>767
苗字じゃなくても、学校ではそう呼ばれてたような・・・? >>768
昔だったら「本院」「新院」のように呼び分けたところ
今ならどうするかねぇ >>768
確かに。
大昔には、上皇が当時に5人いた時代なんてのもあったらしいし、どうやって呼んでたんだろうな。 >>762
俺の先祖の戸籍にはちゃんと士族が分かるように
戸籍に記入されてるからなw
最近の学校では士農工商エタヒニンがなかったとか嘘を教えてるよな。 >>774
今はそうだな。
故に、今は「上皇様」で支障無いのはOKだ。
そこに争いはない。
昔はどう呼び分けてたんだろうな、というのが次なる話題だなw >>779
戸籍というのは遡っても明治から。
華族、貴族、士族、平民、新平民じゃないの? 眞子、佳子さまは
正式には秋篠宮眞子内親王
むろん名字は無いが、それだと学校などで不都合が起きるため
秋篠宮眞子、と名乗っているだけ
ちなみに愛子さまは愛子内親王
愛子さまは宮号は持たない(天皇の娘)のため
どこでも愛子内親王で通っている
身分がばれると困る時は偽名で女官の名前を使うこともあるらしいw >>762
関ヶ原の軍勢と地元に残した留守番部隊を全部足したら何人になるかね?
で、当時の人口から女と子供老人を引いた人口は? 自分の家は、たまたま戦国末期から江戸時代まで負け組だからな
名字を名乗れなかっただけ。その前は勝ち組だから名乗れた。そんだけの事。
簡単な話しだよ。
やれ、うちは百姓だ。うちは武士だ。
そんな事は関係無い。 >>780
なるほど。
「○○の御所」とかそんな感じってわけか。
それはあるかもね。 >>772 確かにw
>>779 実際に戦前の戸籍見た人によると
今言われてるとは大分違ってたらしいな >>782
戸籍は奈良時代の701年大宝律令の時点で存在するぞww
ちなみに大学は都の関西に701年に設置。
関西の大学の歴史は1319年の歴史。 >>778
昔は住んでる御所の名前を付けて分けていた
例 桜御殿だと桜上皇など >>778
家がある場所(地名)で区別すりゃいいじゃん >>782
「新平民」は戸籍の用語としては用いられていないと思う
「貴族」もない >>767
でも日本の伝統では名前で呼ぶのは失礼なんだろ
特に女性を名前で呼ぶのは大変失礼
もう伝統なんか無いってことだな >>790
「宮号」とも違うし、そういう呼び名を一般化するとなんて言うんだろうな?
「雅号」ともまた違うわけで。 >>788
壬申戸籍は昭和40年代頃に「無かったもの」とされている
(実際は法務省だかが厳重に管理している)
今、使われている戸籍は明治19年式
壬申戸籍だと身分から所持してる家畜の数まで
書かれていたらしいw 秀吉が羽柴姓名乗り始めたのっていつからなんだろうな。 >>789
戸籍には違いないけどねw
江戸期だと過去帳だね。 >>779
そんなこと教えてないよ
農工商は身分ではないということ >>797
その前に「木下」を名乗っていたのも、ねねの実家の姓で
実際は名字すら無いBだったとか云々 >>792
そうなの?
昔の小説だと、新平民という戸籍を見てびっくり、とかあったような? アニマルズ(馬、牛、犬、亀、鳥など)
ダイレクションズ(東西南北)
カラーズ(白、黒、赤、青、緑、黄など)
ナンバーズ(一〜十、百、千、万、億)
シーズンズ(春夏秋冬)
こうやってグループ分けしたら種族感あって面白い >>753
川、橋、石、水関係の字とか
読みでも掛→崖の事を表してたりする >>802
正規の用語ではないはずなんだが、
壬申戸籍の編製実務は末端までピシっと標準化されてはいないので、
「戸籍に全く出てこない」と断言するのは憚られる。
また、別の記載からそのあたりの来歴がわかってしまう例はある。 >>786
朱雀院とかそんな感じ
昔の上皇は出家してるから〜院 >>804
田、岡、山、川、野、原、海、なんかは差し詰「ネイチャーズ」ってとこか。
面白いな。 >>805
橋本龍太郎とか石破茂とか?
違うんじゃないかな? >>805
高橋とか石井とか水野とかゴマンといるが、B地区ってそんなにいたのか。 >>806
純日本人なら今の40代のおじいちゃん世代が明治や生まれで
そのおじいちゃんの親が江戸時代だから壬申戸籍は
身近に知ってるはずだぞ。 >>746
なんだよそのえろい表現…
大胸筋矯正サポーター必要だろ… >>796
ただし、灘本昌久は「現在、広く信じられている俗説に、壬申戸籍は、政府が差別を目的として作ったもので、解放令を無に帰すため、
部落民にはほとんどすべてに『穢多』『新平民』という記載があり、現在でも壬申戸籍を見れば、
たちどころに部落民か否かが判明するかのごとき誤解がある。
(略)しかし、実際に壬申戸籍を見ればわかるが、確かに役場の戸籍係が様式に違反して、古い戸籍を引き写し『新平民』『穢多』などと記してある場合があるにはあるが、
それは、例外的であって、99%は『平民』と記載されている」[3]と指摘している >>812
上に挙げた例はBのざっくりした見分け方だよ
聞いた事もないような珍名で、由来調べたらモロBってのがある 女は氏なくして、出世出来たからな。
五代将軍綱吉の母は、八百屋の娘。
四代将軍の母は古着屋の娘。
良いいちもつをお入れなされば、一気に出世出来た。
男は生まれで決まり厳しいね 〇藤は将門の乱関係者の藤原忠文(式家)、藤原為憲(南家)、俵藤太(北家)などが由来。名字自体は名門。 >>808
なるほど。
だが、全ての上皇が出家してるわけではないはずでは?
出家した上皇は太上法皇となるが、歴代で35人しかおらず、上皇そのものは59人(今の上皇様は除いて)。
つまり、出家しなかった上皇もおられたはず。
まぁ、そういう場合は「○○御所」で、法皇は「○○院」て使い分けだったんだろうな、きっと。
↑朝鮮人が「通名」と「日本人の苗字」」一緒にしようと必死でかきこします↓ 田舎は周りに同じ名字多くてだいたい地区名プラス屋号呼びだったな かっこいいからという理由で名乗る奴もいるはずなのにあんまり聞かないよな >>801
秀吉や蜂須賀小六が無一文裸一貫から成り上がったなんて講談の世界としてはいいネタだろうがそんなことはありえない
全く氏素性が定かでない者がにわかに徒党を集めたり織田家に就職できるわけがない 自分の家系は、名字と家紋、菩提寺と地域の伝承で大体わかる。総合的に見ないとね。 >>735
平安時代 武蔵国(埼玉県鴻巣市)の住人箕田綱、摂津国渡辺へ移住し渡辺姓を名乗る
▽摂津渡辺村と被差別部落
戦国時代 渡辺の里に居住。石山本願寺の寺内町に隣接した皮革職人の町
天正年間 石山合戦と大坂城の建設により渡辺町へ移動(1573-92)
天和年間 西成郡下難波村へ移住(1615-24)
元禄11年 刑場のある野江村へ移動を命ぜられるが、湿地帯のため居住に適せず、替え地を嘆願(1698年)
元禄14年 西成郡木津村へ移動(1701年)
宝永3年 移動完了(1706年)
同和地区(1987年3月31日現在)
▽1地区あたりの平均世帯数
関東37.1 中部47.2 近畿178.8 中国39.8 四国58.9 九州60.7
▽世帯数
関東23,344 中部26,034 近畿143,364 中国42,325 四国40,021 九州53,221
出典:部落問題 資料と解説(解放出版社) つまり、「藤」の字がつく名字を持つ家は高貴な血筋ってことだな 「お前の先祖って藤原氏なんだ凄いねー」って言われて満足? >>828
インチキな先祖が多数。
本家本元はインチキな藤原がふえから藤原姓を捨てたんだよ。 公に名のれなかっただけでみんな持ってたって中学校で習うんだけど
さては小卒か? >>777
宮号(みやごう)とは、宮家の当主たる皇族男子に与えられる「○○宮」という形式の称号。
日本の皇族男子が宮家を新設し、独立して生計を立てる際に天皇より与えられる、宮家の当主たる皇族男子に世襲される称号である。
つまり秋篠宮は皇族男子のみの称号 >>736
京都なんて過去の遺物
単なる観光地だよw
もう都ではない
都の脱け殻、そこに残ったのは京都人と呼ばれる底意地の悪い人もどきのみw >>759
皇籍離脱したら宮じゃなくなるし(例:竹田)
やっぱり名字とは別のものでしょ >>839
そうそう
だから例の竹田何某は天皇の血を引いていようが平民
だって竹田だから 伊藤、よう!加藤!!
(セブン&アイグループ傘下) >>833
ニセ者の藤原だらけの兵庫県民
(被差別部落が)一番多いのは兵庫県で、3百万県民のうち部落民が20万近くで、県民15人に1人という割合になる。
大阪市を例に取ると、14地区、約1万4千世帯、6万人に近い人口で、とくに西成、浪速両区にまたがる、
いわゆる西成部落は、世帯数約1万余、人口4万余で日本最大の密集地帯を形成している。
堺市に6千人の部落の人がいる。京都市では19部落、2万4千人である。
(1965年・原田伴彦) >>829
名字じゃないのはその通り(「宮号」という)だが、「住んでるところ」というのはちょっと違うぞ。
「秋篠宮」を例にとると、「秋篠」とは奈良市の「秋篠」という地名に由来してる。
だが、別に秋篠宮家が奈良市に住んでるかと言えばそんなことはないわけで。 >>828
何代も重ねると血筋は遠くなるけどね
10代も昔の祖先の爺さんの弟の家と自分の家なんてもはや他人
そんなに本家と関係が薄くても血筋を誇れるのかと >>837
朝鮮人韓国人は木下藤吉郎が大好きだから
明治時代の日韓併合の後、朴を苗字にした。 >>846
うん、すまんその通りだ。
とりあえず俺が言いたいのはこの日本で名字ないのは平安時代まで遡っても天皇家だけだってことね
これがあまり知られていないのは反発する人もいるからなんだろうね >>850
強いて言えば「僧」は名字を持たないんじゃないか?
「出家」したのに家に由来する名字を名乗るのもおかしな話だからな。 >>848
そのくせ、文禄の役の事を今でも粘着するんだ。 うちはじーさんばーさんが台湾に駆落ちして農場経営してたが
戦後戻ってきてからは本家?とも一切交流なく○藤の傍流みたいになったな
割と珍しい名字ではある 平民に名字がなかったのは江戸時代末期90年間くらい。
公式に使ってなかっただけで非公式には使っていた。
90年間に仕事を変えたとか分家になったとかは明治になって新たな名前を付けた。ただし由緒ある名字にはさせてはもらえなかった。 >>815
なるほど
ボディーズ(手、足、頭、首、腰など)ね 古代日本で 氏としての集団形成が出来上がる。
5−6世紀に 臣おみ、連むらじ、伴造とものみやつこ、国造くにのみやつこという区分を作る。
平安時代まで進むと、源みなもと、平たいら、藤原ふじわら、橘たちばなの四氏が権力を握る
それら4氏は朝臣だったので 姓としての意味がなくなる。
平(氏)の朝臣(姓) 織田(苗字)信長。
源(氏)の朝臣(姓) 徳川(苗字)家康。
豊臣(天皇作ってもらった新しい氏)の朝臣(姓) 羽柴(苗字)秀吉
苗字は好きに名乗れる。先祖代々の苗字も簡単に捨てれる。
氏は力があってその氏に認められれば好きに名乗れる。(戸籍捏造や養子縁組など。金と武力と友好でどうとでも)
姓は氏を名乗る実力があれば勝手についてくる。
藤原氏は 一条二条三条苦情近衛鷹司・・・と苗字を名乗る。
公式には藤原の朝臣一条〜といくわけだ。織田も徳川も苗字を名乗る。
羽柴は 羽柴の苗字を捨てていないが 天皇よりいただいた豊臣という「氏」を使う。 ひょっとしたら、名字の読みだけじゃなくて漢字も変更できたのかも? >>858
苗字はほんっと好き放題。
ワタナベなんてどれだけの漢字の違いあるんだかw
ロシアみたいな
じいちゃんの名前ーとおちゃんの名前ー自分の名前とか
しかもそれが聖人・偉人の名前がかぶるとか嫌すぎw >>857
もうすぐ絶えるか、すでに絶えてるんだよな >>550
秀郷と源氏の娘の子が秀郷流になっていくんだよ。
逆に新田源氏の始祖も母親は秀郷流の娘。
栃木群馬あたりでは秀郷流と源氏は親戚関係だよ。
平氏が多いのは茨城千葉。 官職とか受領にプラス氏で苗字作っちゃうのって多分藤原だけだと思うんだけど
なんでこいつらだけこんなに自己主張激しいの? 農民が持っていたのは名字じゃなくて、識別名なんだよ
田吾作?どこの田吾作だ?ってなったときに、
西の家の田吾作です、→西 田吾作
って感じのアレ 武士や庄屋格などでない限りおおやけに名乗る権利が無かったってだけで
農民同士ではちゃんと名字を使ってたよ
江戸時代の農民の日記が発見されて詳しく書かれている
あの資料はすごくいいと思うんだけど個人所有だしもったいない >>865
大村益次郎は百姓だったときは村田蔵六じゃん
村田は名字だろ >>868
ちゃうねん、武士の名字は家名なんですよ
同じ家で受け継がれる名前であり、養子を取れば養子に受け継がれる >>869
いわゆる「庄屋」、つまり農民たちのリーダーは、
農民でありながら名字帯刀が許されていた 村田蔵六の家は庄屋じゃなく流れの坊さんからの村医者だよ
農民は表立って名乗れないけどたいてい名字は有った
藩に献金すれば名字を堂々と名乗る権利を獲得できる
もうちょっと積むと門構えとかもっと積んで帯刀とかお金さえあれば色々 >>869
村の医師の出だよ。
江戸時代、医師は特別に名字帯刀が許されていたから名字があって当たり前。 越後屋という苗字があるんだな
その家に生まれた子供が学校でどういう目にあってるかが容易に目に浮かぶな 氏、姓、苗字、名字、字名…
もともと別物だったのが時代を経るにつれ混同され
現在は名字に一本化されてるからややこしい。 >>875
毎日「そちも悪よのぉ〜」と言われるw。 >>876
字名は別物
おまえだったら「ハゲチャビン」 >>874
>医師は特別に名字帯刀が許されていたから名字があって当たり前
ホントに?
江戸時代の医者は資格も無く、本人が名乗ればそれで医者だぞ
医者を名乗っただけで名字帯刀が許されるの? 名字帯刀できる医者はきちんと長州藩が作った医学所で学んだ医者だよ
御茶屋医とか勘場医とか名字を名乗ってた
親から子に薬の作り方を教えたレベルの村医者はただの農民
長州ではこれを薮医者と呼ぶ 村田家は郷士のように士分医師の家だよ。
勝手に名乗るのは浪人みたいな輩だろ。 >>267
多分氏族で一番出世した人が殿様の苗字をもらって
その一族は明治までは殿様の苗字を名乗ってた
明治になって殿様の苗字を返して
元の苗字に戻したらしい
そこの一族は今は私と同じ苗字を名乗ってる 一回でもいいから日本国民が選んだ!憧れる苗字総選挙とかやって放送してほしい >>878
そりゃ「渾名」だな。
そして、人名に使う「あざな」だったら「字」1文字で表す。
字名だと、地名の方になってしまうぞ。 うちも代々土着の百姓だったが江戸時代の墓石に苗字がある
どうも調べたところずっと昔は武士だったらしい
江戸時代になる前に敗退した側の中には土着して農民になったのもいたんだろう >>880
それが名字帯刀を許される何の理由に?
もう一度言うが、江戸時代の医者は本人が名乗ればそれで医者だぞ?
医者だと名乗れば名字帯刀が許されるのか?
ホントに? >>886
???
もともと武士と言うのは武装農民の中から出てきたわけで、農民の方がベース
名字帯刀は江戸時代の家綱が定めたルール 中学の頃、大村君が音読みでダイソンって呼ばれてて、それが元で梅村君はバイソン、若村君はジャクソン、下村君はアンダーソンと、みんなかっこいいあだ名がついたのに、津村君だけあだ名がバスロマンだったのは、今思うと本当にイジメだし、何ならバスロマンはツムラじゃなくてアース製薬。 >>882
村田の家は流れ者を祖先にもつ鋳銭司村の村医者だよ
郷士なんかじゃないし、まして士分なんかじゃない
身分はただの百姓だよ >>17
【名字の由来解説】
@現東京都、埼玉県広域、神奈川県北部である武蔵国入間郡金子村が起源(ルーツ)である、平氏村山党。
Aほか清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)。
B中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)。
C古代氏族であり、美努(みの)王の妻県犬養(あがたのいぬかい)三千代が橘宿禰(すくね)の氏姓を与えられることに始まる橘氏。
D現島根県である石見の物部姓などにもみられる。
語源は、古代の鍛冶に関係があり、鍛部(かぬちべ)の族と考えられる。「カネコ」の語も砂鉄かフイゴ(タタラ)にゆかりの語。家紋は鉄線、抱き柏、竹に雀など。
https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=金子 >>889
登録って?
江戸時代の医者に登録なんかないぞ 「名を惜しめ」とか「人は一代、名は末代」とか言うけど、
一般人が名前を大事に思い始めたの、近代ではないか?
まずは「家」意識が高まり、次に「個人」意識が高まって、
単に個体を同定する以上の意味を持ってきた。 >>891
藩により違いはあった。薩摩は許してたんだろ。父親も村田せいなんだよ。 >>887
そりゃ、名乗れはしようが「認められる」かと言えば話は別だわな。
「それがし、本日只今より医者になり申した故、藩医に取り立てて頂きたく」
とか申し出て、「左様か」となるとは思えんだろ? >>896
なに言ってるのか分からない
村田蔵六は藩医じゃないただの村医者で、身分は百姓だった
医者を名乗るのに藩の認可なんか必要なかった >>893
登録制があったかは知らんけど、単純に名乗っただけで医者と認められるようなもんでなかったのは間違いなかろうよ。
少なくとも、医者としての修行は必須だ。
名乗っただけで医者として通用するなら、医学館に代表される機関は存在意義がないわな。
名乗っただけで医者になれる、ってのは、所謂「町医者」の末端のことじゃないのかね? >>893
人別帳登録だよ。
名字帯刀を目当てに勝手に名乗っても技術がなければ人がこないから、やる人間が少なかった。 >>895
ちなみに父親は同じ村医者である藤村家に婿養子にいったので村田ではなく藤村
こっちも百姓身分で藤村を名乗ってるね >>898
「江戸時代の医者」なんて大雑把に一括りにするからだよw
医者と言っても上は幕府御典医から、下は市井の怪しげな町医者まで様々なんだから。 >>886
もっと昔の後北条氏の関係の農家もいゆよ >>864
自己主張したいからじゃなくて紛らわしいから >>900
人別帳は登録というより寺のする記載だと思うが、
人別帳に記載されるのに医者の技術なんか関係ないし
名字帯刀を許されることとも関係ないし
なに言ってるのかさっぱり分からない 医者は勝手に名乗れる。
帯刀するのは許可がいる。
2つを一緒に考えるからいかん。 >>833
普通は齋藤とか佐藤とか近藤とか地名か職業に藤をつけるしな >>905
ごめん
そうだった
藤村から村田へ婿養子だったね >>902
皆、「農民」と言ったら現代の農家みたいな均質で一様な農作業従事者しか想像しないんだろうけど、一口に「農民」つっても上は名字帯刀を許され、その辺の貧乏御家人なんぞよりよっぽど裕福で立場も強い庄屋や町名主といった層から、下は明日の食料すら事欠く水呑百姓まで様々なんだよ。
そんな庄屋様と、最下層の水呑百姓が、全く同じ条件で生きてたと思うか?ってのが基本的な話だな。
語るなら、その「農民」が「どういう層の農民であるか」のコンセンサスを取ってから語らないと発散するだけだぞ。 後藤って日本人なの?
過去にいた後藤はみなあっちだったけど
前に藤がつくのも >>105
そんなことないと思う基本的に齋藤さんて自分が知る限りは
金持ち土地持ちが多かったな 地元には結構いるけど漢字一文字だから名前だけ見たら県外だと中国人に間違えられそう
大抵インド人っぽい顔か毛深いかのどっちかなんだけどな >909
ちゃうねん
奥州藤原氏とか藤原純友の家系は、今でも藤原姓なんだよ
藤原鎌足の藤原氏じゃない、別の藤原の名家だ >>903
そんな話はしていない
村田蔵六はというか、村田家は身分は百姓であるが、
代々村田を名乗ってると言うことを言っている
百姓にも名字はあった
そういう話しをしている
全員じゃなくてもね
君みたいに明らかにぜんぜん関係ない話を持ち出すのはなにが目的なの? >>912
安土桃山期の武将で、黒田家に仕えた後藤又兵衛とか有名じゃね?
あるいは幕末の土佐藩に現れた後藤象二郎とか。 >>911
それな豪農と小作人は分けて考えないとな例えば菅さんの実家は
秋田の豪農らしいがこれは上級国民だよ普通に >>916
>>887でハッキリそう書いてるぞ?w
まぁ、無かったことにしたいってんならそれでもいいよ。 >>915
まさか、ぶっちゃけ藤原名乗る奴って99%偽物だろう
在日かもしくは貴族にあやかったやつ >>907
医師で人別帳に登録しても全く医師の仕事してなかったら調べが入るだろ。除籍されたら非人に移される。
医師は名字帯刀が許された特別な扱い。
なので、犯罪で捕まった場合は庶民とは別扱いの法律が適用された。 >>920
後輩に藤原君がいて、
そいつは「いや、うち純友の子孫っす」って普通に言ってたw 例えば笈川という名字があるがこれは及川とは全然違うらしい
由来は戸塚に柏尾川があるんだけど家康がそれを超えるために
地元の地主の農民が肩車みたいして渡ってそれで名字を名乗ることを許されたので
竹冠がくっついてる >>922
うーん嘘くさいなだいたい藤原って本姓であって普通は名字としては
名乗らないと思うがなぁ そもそもどの時代を指してるんだ?
戦国時代なんて武士も農民も大差ないぞ
たがら刀狩りしたわけだし >>903
江戸時代は誰でも名乗れば医者になれた
これは間違いないよ?
御典医にはなれないって関係ないじゃん
名乗れば御典医でも藩医でもどんな医者にもなれたなんて言ってないじゃん
君は意味不明すぎる >>925
そもそも武士って農民のリーダーだろそれが土地や水利を争って
武装化したのが武士 >>924
いや普通に藤原さん、今でもいるよ
だがそいつら、鎌足からの四兄弟の、いわゆる藤原氏の子孫じゃない >>928
まじか、普通にみんな無知なやつが見栄で名乗っただけだと思ってたわ >>927
いわゆる地侍ってやつね、
それが力を得て、権力を得ていったのが戦国時代だ >>926
だから、一部の胡乱げな町医者とかの例をあたかも全ての医者がそうであったかのように言うなって言ってんだよ。
その村田だか藤村だかの個別の話をしてんじゃねーよ。 >>921
>医師で人別帳に登録しても全く医師の仕事してなかったら調べが入るだろ
入んねーよw
村医者は人別帳に記載されるのは「百姓」だ
空想でモノを言うのは止めようよ >>926
ところで>>919には一言も無いのかい?w >>911
庄屋の小作は庄屋の農作業を手伝うが、隣村の農家の小作とか、城下の貸金業者の小作とかもいた。
ひとつの集落の構成員は全員血縁が普通。 >>931
それらがやがて崩壊した荘園制度に成り代わって領土を獲得したわけだな 武士と農民は曖昧な存在なんだよな逆に武士やめて農民に戻るやつもいるし >>782
今につながる戸籍は明治からだけど、その明治の戸籍には、
江戸時代生まれの人がたくさん載ってるんだよ。
>>792
明治政府としては、当初は、非常に平等主義で、華族も士族とかすら、やむなく残したって感じ。
ただ、実際の役場単位では、そこまで行き届かず新平民とか書いてあったりする。 >>935
その辺は集落の規模にもよるんじゃないかな?
まぁ、一般的にそういう傾向はあったのだろうけど。 >>936
Exactly (そのとおりでございます)
そうして室町の荘園体制は自壊していったんです >>932
御典医や藩医は幕府や藩に認められなきゃなれないが、
そんなの当たり前じゃん
御典医や藩医だけが医者じゃないんだから、
江戸時代は医者は誰でも医者と称すればなれた
完全に正しいよ 持ってたかも知れないが、公には名乗れなかった
大庄屋等々特別な身分なら別だけど、ただの庄屋程度なら公文書には苗字なしで下の名前だけ記されてる >>939
素性のわからん流れ者を集落に住まわせたりしないだろ。 >>934
???
何言ってるのかぜんぜん分からない >>941
つまり、お前の言う「江戸時代の医者」とは、所謂「町医者」のみを差していた、と主張を変えるわけか?w
まぁ、それなら認めてやってもいいぞw 愛新覚羅って名字の女医さんがいるよね?
やっぱりラストエンペラーの末裔? >>871
今でいう相撲部屋の年寄株みたいなものかね >>946
ラストエンペラーの弟の子孫じゃないかな? >>944
その特徴的な反応、お前もしかして>>509と同じ奴か?w うちは先祖が地頭でその地名が苗字だな
大昔に合併して村の名前自体がなくなったが、保育園も小学校も苗字と同じ名前
本姓はもちろん違うが >>53
日本には戸籍制度は1500年以上前からあるぞ
701年大宝律令で戸籍をきちんと整理して租庸調の制度を1319年前には
運用してた。 >>947
江戸時代には御家人株とかあって、金を出して買えば武士になれた >>945
オレ「国家試験に受かって医師免許をとったら医者になれる」
お前「国家試験に受かって医師免許をとっても誰でも東大病院の医師にはなれないから、誰でも医者になれるわけではない」
君が言ってるのはこういうことだぞ >>948
そういう名字っていいよな
うらやましい >>953
反応の仕方が全く同じだw
同一人物だったのかよ。相手にして損したw 農民の場合は、どこ何処村のゴンベエさんみたいに名前が他の奴と被る場合、区別する為に適当にくっつけたんだな、名字という認識かどうかは怪しい >>952
江戸時代の武士は意外とみんな貧乏だったようだから豪商豪農に
積極的に売ったようだね >>158
そもそも菩提寺の過去帳に住民をきっちり記録し戸籍の役割を持つようになったの江戸時代以降の話やし >>959
よくある無個性な返しだねw
前回と同じ言葉を贈ろう。
> 理解しようとしなくてもいいよ。
> 君は君の思うように生きなさいw ガキの頃、近所に金田って名字の家があって、金持ちだったけど一家揃って近所付き合いを避けてたな
妙によそよそしいというか、迷惑だから関わるなってオーラを出してた
当時は不思議だったけど今はなるほどと思う >>961
現代は東大病院の医師になれなくても国家試験に受かれば医師だろ
江戸時代は御典医や藩医になれなくても医者だと名乗れば医者だったんだよ
どうして分からないんだろ >>960
違うぞ。701年大宝律令で戸籍で租庸調制度を運用した。
だから純日本人は1319年前の戸籍に名前が乗ってる。
ちなみに俺は先祖が天皇であるからきちんと戸籍がある。 >>859
うん、本家と分家で家紋を微妙に変える事もあるからね。 >>951
1500年前には、どういう仕組みがあったのかね >>953
そもそも、御殿医や藩医に誰でもなれるわけじゃないってのはお前自身認めてんじゃんw
町医者になら(その末端とは言え)名乗ればなれるってのはオレも否定しちゃいないぞ?
で、江戸時代の「医者」と括るからには、上は幕府御殿医から下は末端の町医者までいるんだから、その括りにおいては「名乗れば誰でもなれる」わけじゃないって言ってるだけのこと。
だから、お前が>>941で御殿医だの藩医だのを抜いてきたのに対しては、別に反対してなかったろ?w >>958
坂本龍馬の実家も商家才谷屋が郷士株を買って坂本姓の名字名乗るのを許可されたてパターンやな >>968
現代は東大病院の医師になれなくても国家試験に受かれば医師だろ
江戸時代は御典医や藩医になれなくても医者だと名乗れば医者だったんだよ
どうして分からないんだろ 大名が商人や農民に苗字を与えた話はごまんとある
何をいまさら? >>969
明治維新の後はまるで武士が支配階級で農民はみんな水飲み百姓みたいに
思われてるが実際のところは豊かさは農民や商人のが上だったようだね >>964
その戸籍寺が管理した訳やないやろ よう読めや >>970
よくある返し、その2。
コピペを始める、かw
つくづく個性ってもんがないねw >>946
お、おうw
日本人はユーラシア大陸に6000年前に殷(商)を建国して以来、
いつくもの王朝を建国してきたから、江戸時代に明が滅んだ際に、日本に王族が逃げてきと子孫が日本で医者やってる。 >>933
?
そんなことはない。
村田蔵六の父は村田孝益を名乗る村医だった。
あんた、大村益次郎を貶めたい会津人だろw >>972
維新の元勲は下級武士上がりが多いけど
幼少時は貧乏話ばっかりだもんな。
坂本龍馬は兄が商家だったからいい暮らししていたみたいだけど。 >>974
これ以上言うことないからね
簡潔にして明瞭
どうして分からないの?
現代は東大病院の医師になれなくても国家試験に受かれば医師だろ
江戸時代は御典医や藩医になれなくても医者だと名乗れば医者だったんだよ
反論できないんでしょ?
そりゃそうだわな
悔しくて地団駄を踏んでる君の姿が見える
まあこれに中身のない悪口を返してくるわけだが
君は相手にする価値が無い >>978
>>949の時点でまともに相手にする気は失せてるもんでなw >>967
懲役がすでに日本には2000年前にはあったから戸籍は
あった。懲役があり日本軍が朝鮮半島に遠征して
新羅や百済や任那を建国して半島を日本人が統治した。
17条の憲法という憲法もあったし、当然戸籍は1500年あった。 >>981
御典医や藩医じゃなければ医者じゃないわけ?
そんなことないよね
江戸時代は名乗ればだれでも医者になれた
そうだろ?
どこが間違ってる?
お前バカすぎw >>982
これ以上言うこと無いんじゃなかったのか?w
まぁ、否定したいならそれでいいよw
ごく普通の反応だからな。
むしろ「そうだが?」とか返された方がこっちも困ってたとこだw >>973
聖徳太子が17条の憲法で決めたように
寺で戸籍を管理したよ。 >>7
阿部は元々貴族の姓だな
地名姓じゃない
由緒ある姓 >>980
知ってるよ。満州国を作ったのが日本人のアイシンカグラというコードネームだから。 >>985
ふーん
同一人物だと思ってるわけ
勝手に妄想してればいいよw
>>986
お前がなんの反論もできないのがよく分かったよ
可哀そうw うちの先祖も農民だけど苗字は持ってた。
苗字がないのに誰がどこの誰か識別して管理するなんて、無理でない? >>986
完璧に論破されちゃったから
次のスレにはこの件では君は出てこないだろう
悔しくてこのスレで最後に一発レスするのかな? 藤系は所謂チー牛顔が多い、逆に云うとアンチ藤派のチー牛キャンペーンとも云える >>993
やっぱり
最後の一発レスしてきたな
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