【歴史】農民も昔から名字を持っていた? 名字の8割は「地名」に由来…名字は「地名」「地形」「方位」「職業」「下に藤」でわかる ★4 [樽悶★]
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「山」「川」「田」「橋」など漢字の意味、そして読み方が重要 江戸時代以前の典型的な里山と村の暮らしを絵地図にした。山、川、池、森林、島、崎などの自然物のほか、井戸、田、橋など人の手で作られた構造物もさまざまな名字になっている((c) KK Bestsellers)
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20201028-00699240-besttimes-000-1-view.jpg
約10万種類以上あるといわれている日本人の名字。
そのほとんどが日本各地の地名、または地形に由来するという。
先祖がどんな場所に暮らしていたのか、名字から探ってみよう。
■農民も昔から名字を持っていた
日本人が誰でも持っている名字は、いつ頃からあるのだろうか。
そもそもは古代の大和王権の有力氏族が互いを区別するため、名前をつけた。「中臣氏(なかとみうじ)」「物部氏(もののべうじ)」など職業にちなんだものもあるが、「吉備氏(きびうじ)」「 尾張氏(おわりうじ)」など、国名をつけたものもある。
名前で、氏族の出身地域がわかるのだ。
平安時代中期以降、貴族は邸宅や別荘のあった場所の地名を名字にすることが多かった。日本各地で勢力を伸ばした有力武士は、惣領(そうりょう)のみが先祖伝来の姓を名乗り、それ以外の子は本家の近くに居を構えて、その地名を名字とした。
貴族、武士の間で広まった名字を一般庶民が使うようになった時期ははっきりしない。
ただ、文献資料から読み解くと、少なくとも室町時代以前から存在していたと考えられる。
その総数は正式な調査がなく、現代では約10万から20万あるといわれている。
「名字の基本的な役割は、家と家を区別すること。そのために住んでいる場所を手がかりにすることが多いですね」
姓氏研究家で、名字に関する著書も多い森岡浩さんは言う。
「法事で親戚が集まると自然に、『大阪の叔母さん』などと呼びます。それと同じように地名で呼ぶようになったのが名字の始まり。昔は引っ越しがなかったので、それが固定して一族の名字になった。自然発生的に誕生したのです」
■地形や方角も名字になる
日本は人口密度が高く、同じ地名の土地にたくさんの家がある。
地名由来の名字だけでは家々の区別が付かない場合、地形や風景などで区別をした。
「山」「川」「谷」などの自然の地形、人の手が入った「田」「畑」「塚」「堀」なども名字に多く活用されている。
また方位方角も大切な要素だ。基本は東西南北で、本家から分家した一族が、本家から見てどの方角に住んだかで決まる。「上」「下」「中」「前」などの方位を示す言葉も重要だ。
数は多くないが、職業由来の名字もある。機織(はたおり)をする「服部(はっとり)」、弓を作る「 弓削(ゆげ)」、荘園を管理する「庄司(しょじ)」、「越後屋(えちごや)」などの屋号を名乗る商家などだ。
これらは自然発生的な名前だが、平安時代の大貴族・藤原氏に由来する「下に藤」がつく名前は人為的だ。藤という漢字を使って藤原氏であることを示しながら、自分の家を区別するため「地名+藤」という名字を考案した。たとえば加賀の藤原氏は「加藤」、近江の藤原氏は「近藤」という名字になる。
【名字の由来は大きく5タイプ】
❶ 地名
❷ 地形、風景
❸ 方位、方角
❹ 職業
❺ 下に藤
自分の名字の由来を知りたいときは、@地名、A地形・風景、B方位・方角、C職業、D下に藤を手がかりに探求しよう。多くの名字は@〜Bで判断がつく。AとBが組み合わされ「川上」「山下」などの名字になることも多い。方位には北を子、東を卯など干支をあてる呼び名もあり、「巽」「辰巳」(南東のこと)などの名字も方位姓だ。
10/28(水) 12:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20201028-00699240-besttimes-life
★1:2020/10/31(土) 21:08:50.59
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1604198514/ 家柄の最低限の判断は江戸時代後期以降の家系図があるかどうかだね 金とか林とか星とか井とかの文字が入ってなければ、まあいいわ 農民にも苗字くらい有ったがな
公の場で名乗れないだけで 松竹梅平金黒白赤緑青東西南北圷井原木本川伊
実用知識な 苗字由来サイトとかいうそれっぽいだけで適当に書いただけの由来が一年消えなかったサイト >>5
つーか武士でも苗字なんか名乗らないだろ。
名乗ると価値が下がる、じゃなくて力がなくなるじゃなくてなんだっけ?
とにかく苗字や名前は名乗らないし呼ばない。
役名で呼んだりだろ。 由緒書きがあった家はあっただろ。
でも、江戸時代も300年以上続けば由緒書き口伝がある農家は少なかっただろ。
【問】日教組に依ると、農民には苗字が無かったらしいけど本当?
【答】そんなはずがありません。農民に苗字がなかったら、藩は年貢の管理ができません。
例えば「権之助」という名前だけでは、大勢いるので管理できない。
寺子屋でも複数いれば相手を区別するための「家の名前」(=苗字)が必要です。
大体墓を見ればみんな家の名前(=苗字)が、あります。
名前だけの墓、例えば「権之助の墓」なんて見たことありません。
【問】なぜこんな珍説を日教組は広めたの?「農民の苗字は明治から」なんて珍説もあるけど。
【答】日教組の幹部は大体朝鮮人です。
「農民の苗字は朝鮮人の通名と同じ」にしたかったのでしょう。 >>3
江戸時代こそが家系図の捏造が最も盛んだった時期なのだが・・・特に関東地方では家系図捏造が流行しまくった >>13
偽の古文書に関しちゃ有名になった椿井文書なんかも含めて、由来から来る正統性が重視された時代に増えるのは仕方なかんべ。
当時の名だたる旗本や大名家ですら、由来が怪しいのが山ほど居るんだし。 >>10
ウンノ、ウミノ、カイノ、アマノ。
他か? >>8
普段から名乗ってるのが名字だろ。
名字(苗字)や門とかって地域(藩)によって
ゆるいとこと厳しいとこがあったんで
一概に言えないらしい。 >>21
包茎のオチンポに沢山溜まったチンカスを食べるが大好き童貞ニートです!イカ臭い包茎オチンポに沢山溜まった自分のチンカスを食べるのが唯一の趣味です!とてもイカ臭いですが、病みつきになります!是非皆さんの包茎オチンポに沢山溜まったチンカスと僕のチンカスを交換しませんか?宜しくお願いします!
http://imepic.jp/20201101/744420 父方は多分江戸時代から商人で屋号があって
屋号とは別に下に藤の名字で
母方本家は御殿医で名字と帯刀してたらしいけど
その名字がいつからなのかはわからないなー
本家は家系図有るけど男性不妊の家系で養子取りまくり どんなに由緒正しい名字でもおまえ等みたいになるわけだし >>20
そりゃデマだもの。
田舎じゃ同じ名字だらけなんてのは至って普通だから、大抵は屋号で管理してたんだよ。
今でも現役で使われてる例はたくさんある。 職業や地名プラス名前だよ。
小字の下の地名こそが苗字の由来の一つ。
そこに親類が住んでいて地名が付いたから。
前に田んぼがあれば、前田とか。 江戸時代に墓を建てる習慣のなかった地域もあるので一概には言えないが、当地(城下町ではない)の古い墓石には名字が彫ってある。 農家でも、代々が親が亡くなったら親の名前を襲名しているのが普通の話だよ。 平凡でありふれた名字の人って何か没個性的で可哀想なんだよな
田中、鈴木、山田エトセトラ >>36
でも鈴木さんは蔓延るだけあって
みんな臆せず要領がいいし
田中さんは穏やかな切れ者
山田さんはクリエイターでレベル高いイメージだよ >>35
世界中で普通に行われてる事なんだけどな。
マクドナルドは「ドナルドの息子」って意味だから、要はそこの一族の初代がドナルドだったって意味だし。 >>37
屋号と襲名とは、同じではないんじゃないかね >>36
珍しい名字でニュースになる様な事になったら大変そうだから、ありふれた名字がいいと思う 商家だと出身地を屋号にするのが多かったと思うけど、名字ってのはまた別にあったからね。 名前に変換できない漢字が入ってると国勢調査のオンライン回答できないの? >>42
屋号ってのはいわゆる「家」の名前なんだよ。
だから名字とは別にあるし、その家の由来になった人物なり職業なりの名前が付いてる事が多い。 >>39
具志堅用高は允氏 具志堅家の十三世
因みに具志堅は具志堅家の初代が拝領した地名だ >>50
農家の過去帳だと、先祖代々ズーッと同じ名前が続いてるんだよw。
何時の誰だかわかりゃしないwww。 >>31
ファイナルアンサーしたんだから、答え教えてよ。
六文銭の家紋なら名門海野氏だが、ちがうか?真田もこの一門。 名字と屋号の関係の具体例を挙げてくれませんか?
本名は山田太郎だけど、名字は公的に名乗れないので
草刈り名人の太郎と名乗ったりするってこと?(商人だと店の名前だったり)
それとも山田が多すぎて識別できないので
田中太郎って名乗るってこと?(藤原が近衛だったり) 俺蘇我なんだが数少ねえよな。親戚以外会った事ねえよ。 日本は英語を公用語にしよう!
で、お前らの意見をtwitterでも何でも世界に書いて聞けよ。オマエらそんなに自信があるならやれ。
オマエらが世界から叩かれた瞬間回りの日本人も手のひらを返すと思うけどな。
別に英語じゃなくて中国語でもロシア語でもフランス語でも何語でもよいんだぞ。世界に通じる言語を使え。
日本は俺の敵。 今すぐ日本死ね。今すぐドイツ死ね。
オマエラ英語でツイッターにでもその意見を書いてこいよ。日本の公用語を英語にしろ。
そもそも、お前らの意見なんぞ、英語どころか、日本で日本語で話しても相手にされないなwww
英語を日本の公用語にすれば、君達の意見が世界でどう思われているかすぐにはっきりするだろ。
日本の公用語を英語にすれば、君の意見が世界で主流か、テレビが言うようなそんなブームが本当に世界にあるのか、はっきりするだろ。 沖縄だと屋号と氏は今でも現役
氏は元王族士族で屋号は庶民、沖縄だとこれが男系の血統名
同じ男系の氏・屋号でも色んな名字がいて名字は先祖が拝領した土地だったり元々住んでいた地名だ
大和人は婿養子可だったり双系継承のイエ文化だからよくわからんけど
血筋を表す本家のイエの名字とその同じ名字の中でも区別するための地名由来の名字がごっちゃになってる印象があるね 藤って藤原氏から来てるとかいうけど数多すぎるし結構適当な気がするんだよな
富士山からとか藤の花とか不二で縁起がいいとかどっからでも理由つけて取れそうだし >>55
初代が山田太郎だったら、代が変わっても山田太郎なんだよ。
分家の初代が山田次郎だったら、分家の代が変わっても山田次郎。
この太郎とか次郎が屋号になる。 >>47
そうか? 屋号+名前って商人が多いじゃん。苗字は別にあったのか? >>4
入ってるが
我が家は家系図あるから純日本人みたい
別に差別主義者ではない
祖先に渡来人いたら面白かったのに それなりの家以外はもってねえよ
なんとか村の何兵衛とかで済ませてた 藤原の子孫は相当な人数がいる気がする
末端の末端も含めていけば 自分の血の何割かは海から来た外国人だったら
ルーツ探す旅とかしたかった >>62
自分の故郷は重伝建の地区があるので江戸時代からの古い商家が沢山残ってるけど、どこも屋号と名字は別。 >>62
百姓だから商家はワカランw。
次男坊が暖簾分けすれば同じ苗字だけど、番頭が暖簾分けすれば屋号は同じでも名字は違うんじゃネ? >>41
オレの母親の実家も屋号があるけど、襲名なんかしないよ。同じ苗字が多いから、適当に
屋号を作って間違えない様にしてるだけだよ。別に商売をしてる訳でもない。 >>63
室町辺りからの家系図残っていてもそれ以前に来た渡来人の可能性はある
関東などは朝廷が渡来人を隔離した土地なのでそこ彼処に
そうした由来を持つ地名や苗字が散見されている >>68
チンギスハーンに辿り着く可能性が高いらしいよ >>69
商家で分かりやすいのは、三井家の越後屋(後の三越)とか。 屋号は家の名(地番みたいなもの)だから苗字とは違う。 うちただの兼業農家なのに屋根屋って呼ばれてるわ
越後屋とかかっこいい屋号が欲しかった >>66
藤○、○藤
を名字にしてる人は子孫じゃなくて藤原ゆかりの荘園とかに住んでた人なんで無いかい? >>4
うちの親父がやらかした話を思い出す
祖母の実家をだどると金が入る姓があったので
朝鮮人か?と母に言いやがった…一生恨まれてたな
戸籍見たらすぐわかることなのに、軽々しくいうアスぺ父だった >>70
オレの高校時代の日本史の教師は、『武士や貴族以外は、苗字がなかった。商売をしてる人は
「○○屋××」、一般の人は「〇〇の××:(〇〇は出身地)って名乗る事はあった。社会的に
功績があったら、苗字帯刀を許される事もあった』って、言ってたけどね。 >>82
それは洗脳されたパヨク教師w。
農家も遡っていけば荘園主だから名字はある。 >>81
金は縁起のいい文字だから、朝鮮人と関係のない人も多いよ。オレの母親の学生時代の
友達に『金森(かなもり)』って人がいたみたいだけど、福井県大野市の殿様の血筋
だったらしい。そいつの親父は、5ちゃんに毒されてるのか? >>80
どうなんだろうね、そういうのもロマンがあっていいな
藤原氏の荘園て相当に広大なイメージw >>79
越後屋って、代官とつるんで悪事を働くイメージになるなww たしかに昔の日本史では、>>82が書いてるように教えられてた。
最近の教科書を読むと、自分らの時代と違う史実になってるので、子供と話が合わないことがある。 >>84
その親父は自分の親orz
縁起の良さとかもあるんだ?教えてくれてありがとう >>90
お前の親父だったのかww 勘違いしてごめんなさい。ただ、『金』って書いて『かね』って
読んだらあちらの人、『かな』って読んだら日本人、って話もあるけど、一概には言えない
らしい。 >>91
読みはカネだったorz
珍しくもないし書いてもいいんだけど、ちょとググったら
もろに祖母の故郷の地名が出たからやめとくw >>88
それは地主で殆どは小作人で何かで儲ければ地主になり自分の土地を持って耕すか、
沢山あれば小作人に使わせて搾取する。 >>94
貧乏した分家が小作人になるんだよw。
小作人という固定された身分があったワケじゃないwww。 よくわからんけど、いわゆる屋号ってやつとは違うの? 昔は農地を長兄が相続したからね。
次兄以下は大変だったろうな。 都会に奉公か養子に出される予定だったけど
上の男兄弟が全員戦死して連れ戻された
うちの爺さんみたいのはラッキーだったのかどうか… >>94
パヨク脳じゃ理解できないかもしれんが、一応言っとく。
小作人と言うのは奴隷じゃない。小作権という権利を持ってるんだ。
地主も好き勝手に小作人を変えるコトはできない。 >>96
だいたい江戸期くらいの農村の話じゃないか?
私称として名字を名乗るっての地域があったみたいだし
江戸時代あたりから名字を苗字と字を当てるようになったてな
話だから、厳しいところもあったのかもしれないが
緩いところもあったんじゃまいか?
都市部とかよく知らんが町人も帯刀してたりするし。 >>56
そりゃ蘇我蝦夷、蘇我入鹿が逆賊扱いで堂々と名乗りたくない忌み名だから
石川や宗岡などに改姓した人がほとんどだろう カネのつく字ついでに思い出を書いとくと
じいちゃんが生まれた時、ひいじいさんが出生届をミスって
名前に「金」を入れられた。何の由来もない我が家の逸話 江戸時代は肉を食べなかったとか、事実に反することが通説のように信じられてることが多いよね。
身分制度も藩によってローカル色があったから、名字の扱いも多少は地域差があったのかもしれん。 商家以外の屋号は、村で人口が増え同名(名字)が多くなって区別する為に、家の名前を付けたと考えれば良い。
公家の藤原氏の近衛家や九条家も、増えすぎた藤原氏を見分ける為の屋号だしな。 >>99
ウヨク脳は、自分の脳内の妄想が事実になるんだったっけww 藤原氏の子孫に藤原さんがいないと言われてるように、氏と姓、名字、字名の違いを小学校で教えて欲しい 大部分の人が大したことない由緒もないのが正解なのだろう
見かける人は庶民ばかりだし >>105
違うよ。
権利の無い土地を耕作したりできんよ。
現代でも小作権は登記できるよ。 外国の名字もいい加減だしな。大工の又兵衛とか、そんな感じだぞw >>108
こういう話は一族の古老だとか歴史家のじいさんあたりに習うもので
学校じゃ無理w >>106
実家はそんな感じだ
なので本家だけ屋号の命名規則が違う
うちは戦国時代後に帰農した一族だが武士時代の苗字を
そのまま使ってた記録があるので公式的に使えなかった
だけなのかもな >>107
パヨクは捏造史を信じて疑わないおかしな人www。 マイケルスミスとか、金細工師の八兵衛みないな名前だからw >>108
一応、子孫もいるだろ
公家じゃなくなった傍流の子孫ってだけ
佐藤とかと同じ マイケルジャクソンなんて太郎のこどもの三郎みたいな名前だしw 農民の名字なんて、土地と結び付いて登記される労働力の識別記号みたいなものだろ。 外国の姓なんて職業姓か誰々の子、みたいこが多いからな。 加賀の藤原氏は齋藤と言うんだよ
他にも加賀に加藤という豪族や武士団がいた話はないし >>108
氏姓制度って小学生で習わないか?
氏は属
姓は称号(時代によって多少異なる)
名字は屋号や家の名
藤原が氏
姓が朝臣
名字が近衛 少なくとも室町時代以前か
だろうな
兵農分離以前は農事が兵の母体だしな 松竹梅平金黒白赤緑青東西南北星生圷井原木本川伊
実用知識な 武士の家系とか祖父母が4人いるからその一人でもそうならそう言えるからな
7%×4で28%は武士の家系と言えてしまう 現代においては多くの人が武士の家系と名乗れるのではないかね
そもそも本当に武士の家系なのかね >>124
それを理解するのは大人になっても難しい。
足利氏一つとったって、藤姓と源姓の流れがあるし。 >>127
家系と言ったら自分の苗字についてじゃないの?
養子とか特殊な人もいるだろうけど つうか、ちょっと遡れば戸籍にはっきりと平民とか身分がかいてあったんでしょ。
パチモノとか脳内だらけであぶねぇよw 氏の場合は〜の〜ってつくんだよな
まぁこれも歴史学者が決めたことだろうけど
初めて知ったときは感動したわ
学校の先生に何で〜の〜がつく人とつかない人がいるんですか?って聞いたら答えられず
そう教科書に書いてあるだろって言ってたな >>110
小作権というのが明治時代からあり、小作人を保護する強力な権利だった。
もっとも、強力な権利であったため、地主と小作人との力関係からほとんど使われることなく、
土地の賃貸借契約という形を取ることが大部分だった。 >>128
何が難しいのか理解不能。
源氏の足利と藤原氏の足利は、単純に先祖の氏属が違うだけじゃん。
そしてたまたま赴任先が同じ地域で足利を名乗った。 >>113
自分の母方の先祖も同じだわ
徳川時代が完成する過程で改易された西日本の大名の家臣の家で
戦国時代の山城の麓に改易時に帰農した家と先祖代々の墓地があるわ
だから母方の旧姓は当然だけど安土桃山時代の武士だった時と一緒 >>81
青森のほうに金さん居るけどね、普通に日本人
チョンは姓の種類がなさ過ぎて気持ち悪い うち結構変わった苗字なんだが万が一犯罪犯した時とかにネットで検索されてすぐ特定される
鈴木とか山本とかが今の時代最強なんだよ
だが鈴木とか平凡な苗字が埋もれて最強なのにこいつらに限ってキラキラネームで目立とうとするのなw 苗字が変わってる家は子供にキラキラネームをつけない
キラキラネーム付けてる所はたいてい平凡な苗字の人 >>139
そらどっかの支族が名字として坂上を自称した場合じゃないか?
後漢霊帝後大納言田村麻呂裔の坂氏は、坂上朝臣で旧一関藩主田村家とかだろ。
戦国時代なら姓変えたりしたかもしれんが、筋目のはっきりしたところは
そういうことせんのじゃないか? 名字といえば昔、松平さんにいかに由緒ある家系か自慢された記憶しかない >>143
そう、渡来系の坂上。
ところが、本当におるというややこしさ。 山上、山中、山下とかこういうパターンめっちゃ多いけど適当よねw どこどこに住んでるなになにの息子のとか言わないと身分証明ができなかったの不便よな >>144
タクシーの運転手さんを駕籠かき呼ばわりした人だっけ? >>145
まあ名字が氏姓の氏(うじ)とかぶると、ちとややこしいかもね。
坂上朝臣の氏姓はあるけど平氏の傍系とか名字で坂上を自称すれば
平氏の坂上家(≒坂上氏)とかになるから、124氏みたいにきちんと
把握してないと混乱するわな。 日本に20軒ほどの苗字だが。色々と制約があり自由度は低い人生になるよ
嫁側の苗字を名乗りたいから結婚したら絶対に苗字変える 失礼だと思うが、レベル低すぎの記事だな。
農民が苗字を持っていた? バカ丸出しだ。記事をフォローする気にもならん。
ウチもそうだが、先祖は土豪。国人と言ってもいい。そういう人間にとって、
苗字は当たり前。徳川政権での公式上が禁止されただけだ。
農民=公家、武士、工業職人、商人以外だからな。小作農も自作農も大地主も皆農民だ。 >>148
田舎だとそれが身内の証明にもなるから
今でも無下にできないのよな >>139
ま、NHKをはじめとしてテレビが適当表記だからな。
代表格が豊臣秀吉。
当然、豊臣は氏で他の武将の徳川家康や織田信長と表記を同じくすると、羽柴秀吉が正しい表記になるが、秀吉だけ豊臣(氏)秀吉と表記されるから勘違いされる。 >>152
2〜3週回遅れのレスだよ
今きたらわからないだろうけど >>155
氏姓制は時代で変わっているから。
源なんて本来は姓だが途中から氏と同等になり朝臣まで付けられているわな。 >>156
豊臣の羽柴秀吉
と本来は呼ばなきゃいけないわけなのか >>12
>【問】日教組に依ると、農民には苗字が無かったらしいけど本当?
壬申戸籍の原本には、小作等の名字が無いモノも記載されている。 要は農民は農民の世界でピラミッドがあって
漁師は漁師の世界でピラミッドがあった 古代に万民に氏をつけたけど
皇族と奴婢は除外だったからな
さらに戸籍がない人も当然いたし >>163
最近の研究では、農民の世界のピラミッド以上に、
漁師の世界の身分差が甚だしかったことがわかりつつあるらしい。 武士の家柄なら先の大戦で先祖は戦ったのか?
だいたい軍人はフィリピンあたりで戦死してるぞ >>163
地主の農民はどうやってその土地が手に入ったのかって話だからね
つまり武家とか公家とか自前で土地持ってなきゃできない仕事だから >>104
その通説の出所のほとんどは明治維新だろ薩長が維新の大義が無かったから
無理やり創造された話が増えたの >>160
当時のフルネームはクッソ面倒くさくて関白になった頃だと
羽柴関白従一位豊臣朝臣秀吉
家名、役職、位階、氏族、諱で正式なフルネームになる、ただこれも位階次第(三位以上かそれ未満か)で呼び方の順番が変わったりでめちゃくちゃ面倒くさい ◯◯のところの太郎さんみたいに呼ばれてた人がそのまま苗字を◯◯にしたってケースが多いんじゃないの?
日狂組や狂惨党の息のかかった糞社会科教師のせいで、国民の誰もが、
江戸時代の農民は 「 生かさぬよう殺さぬよう 」 生存のギリギリまで年貢をしぼり取られ、貧困のどん底いた、
って洗脳されただろ?
あんなの大嘘で、この種の貧農史観は、実証的な根拠なんざ何もない。
江戸時代の農民は想像以上に自由で、豊かな生活を営んでいた。
「 全余剰生産物w 」 とやらを収奪することなんざ、できねーから。
有史以来、最も徴税システムが発達した現代でも、
「 10 ・ 5 ・ 3 ( ドーゴーサン ) 」 なんて呼ばれてる。
把握できる所得は、給与所得者でほぼ10割、自営業者5割に対し、
農民はせいぜい3割が限界。
ましてや近代以前の江戸時代なら尚更で、
年貢の前提データの検地は、実質1600年代で終了したままだった。
ところが農業の生産技術は以降も進歩し続け、農作物は量的にも質的にも向上した。
「 百姓とゴマの油は、搾れば搾るほど出でくる 」 なんて諺があったのが、
それを裏付けている。
鎖国当時、日本で作った米は国内で消費するしかなく、全人口の7割以上が農民。
「 農民は自分で作った米を年貢で取られて、自分たちはほとんど食べれなかった 」 って ( 苦笑 ) 。
全人口の7割にあたる農民が食べなかったのなら、
一体全体、誰がそんなに大量の米を食べたんだ??
徳川将軍の食事ですら意外に質素だったのにw
ったく、マルクス革命のためには、被搾取層の存在と階層闘争が必要不可欠だからって、
日本そのものを陥れるようなねつ造ばっかしてんじゃねーよバカサヨチョン! ( 怒り )
00 >>174
中途半端だな
鎌倉前まで辿れなきゃな
名字の成り立ちを知ってるかの方が重要 >>174
まあ血族は気にしなくていいと思うんだよね自分はあくまで家と血は
別物と思うよ >>173
鬼滅に出て来る苗字は、全部実在するらしいよ。 >>68
三宅さんや糸井さんは新羅系だよ。
丹羽さんの本に詳しく書いてある 90%以上農民で家紋があったのは武家だけなのに
なんで今こんなに家紋がある家が多いんだ?
苗字と同じく勝手に使ってんだろ?
なんか意味あんの? >>184
庶民の背伸び。
うちの遠縁(東京)は由緒書きとかないのに大久保姓だからと大久保彦左衛門の家紋を紋付きに入れたw 家紋や名字は許認可とかなくて名門でも自称するだけ
ウヂ、カバネ、官職、位階とは違う >>176 日教組のデタラメ
日教組の歴史の改悪には本当に呆れます。
しかし中にはまともな学者もいるのが心強いところです
−−−−−−−
●東京大学2001年度入試問題
次の文章は、1770年代に生まれたある村の知識人が1840年代に
村の変化を書き留めた記録から抜粋し現代語訳したものである。
これを読んで下記の設問に答えなさい。
昔,この村には無筆(読み書きのできない)の者が多かった。今では,そのようなことを言っても,
誰も本当のことだとは思わないほどである。もっとも,老人にはまだ無筆の人もいるが。以前,たいへん
博学な寺の住職が隠居した後に,儒教の書物などを教授することはあったが,そのころは村の人々に
余裕がなかったためか,学ぶことは流行しなかった。しかし,そのうちに素読(儒教書などを声を出して
読むこと)が流行し,奉公人までが学ぶようになった。さらに現在では,学問,俳諧,和歌,狂歌,
生け花,茶の湯,書画などを心がける人が多い。この村では,まことに天地黒白ほどの変化が生まれたが,
この村だけではなく世間一般に同じ状況である。
設問
上の文章のような変化が生まれた背景を,化政文化の特徴にもふれながら5行以内で説明しなさい。 ●>>188の模範解答例
「19世紀前半には村々で商品生産が拡大し、地域市場が拡大した。
それに伴い、百姓の経済的余裕が生じ、寺子屋が普及して識字率が
上昇する一方、在郷商人が成長し、行商人や出稼ぎ者などの
往来も頻繁になり、江戸など都市と村々との交流が活発化した。
その結果、江戸の文化学問を受け入れながら、地域独自の文化が育まれた」 >>1
百姓ルーツの人たちが、百姓にも苗字があったとか嘘や捏造をまたしているのか!
江戸時代に苗字を持っていたのは、公家やなどの貴族と武士階級だけ。
後は農村の庄屋だけが帯刀と苗字を持つことが許されている。
人口比
公家・神官・僧侶 約1.5%
武士 約7%
町人 約5%
百姓 約85%
エタヒニン 約1.5%
庄屋などの豪農を例外として殆どの百姓に苗字など無かった。 俺の家も代々江戸の職人の家柄だったけど、名字は江戸時代から持っていたよ。
明治維新までは公式に名乗れなかった、というだけの話。 まあ一、二代で滅んじゃう様な家なら名字いらないって事。
逆に何代も続いて資産が継承される場合に名字が必要なんだろう。
武士とか関係せずに。 女は結婚したら夫の名字になるんだから
いらないんだよなあ 重要なのは👨🌾農民の家でも
🇯🇵室町戦国あたりでは🏯いい家が大半という事
民度の良さに繋がってる >>12
藩(武士)が年貢の管理なんてしねえよ
村単位で納めるんだから >>132
おお、なるほど
例外は、豊臣くらいかな >>184
明治になって名字を登録する時に家紋も決めるようにお達しがあった
自分で決めた人もいるだろうけど大体は近所の坊さん(当時の知識人は坊主)に相談して決めたところが多いそうな
そんな訳で隠れキリシタンの子孫でもなきゃ全世帯が明治の頃に家紋を決めてる >>4
その字になにか由来でもあるのか?
井って町人を示す文字だったはずだが
日狂組や狂惨党の息のかかった糞社会科教師のせいで、国民の誰もが、
江戸時代の農民は 「 生かさぬよう殺さぬよう 」 生存のギリギリまで年貢をしぼり取られ、貧困のどん底いた、
って洗脳されただろ?
あんなの大嘘で、この種の貧農史観は、実証的な根拠なんざ何もない。
江戸時代の農民は想像以上に自由で、豊かな生活を営んでいた。
「 全余剰生産物w 」 とやらを収奪することなんざ、できねーから。
有史以来、最も徴税システムが発達した現代でも、
「 10 ・ 5 ・ 3 ( ドーゴーサン ) 」 なんて呼ばれてる。
把握できる所得は、給与所得者でほぼ10割、自営業者5割に対し、
農民はせいぜい3割が限界。
ましてや近代以前の江戸時代なら尚更で、
年貢の前提データの検地は、実質1600年代で終了したままだった。
ところが農業の生産技術は以降も進歩し続け、農作物は量的にも質的にも向上した。
「 百姓とゴマの油は、搾れば搾るほど出でくる 」 なんて諺があったのが、
それを裏付けている。
鎖国当時、日本で作った米は国内で消費するしかなく、全人口の7割以上が農民。
「 農民は自分で作った米を年貢で取られて、自分たちはほとんど食べれなかった 」 って ( 苦笑 ) 。
全人口の7割にあたる農民が食べなかったのなら、
一体全体、誰がそんなに大量の米を食べたんだ??
徳川将軍の食事ですら意外に質素だったのにw
ったく、マルクス革命のためには、被搾取層の存在と階層闘争が必要不可欠だからって、
日本そのものを陥れるようなねつ造ばっかしてんじゃねーよバカサヨチョン! ( 怒り )
01 家康が元の田んぼへ落武者を返したのが大きかったのでは?
憎しみ合う国になってたかもよ? いわく付きの苗字はシンプルに津、谷、里、野、青などだよ
これらは人が住むような土地ではないからだな、非人の子孫だと考えられる
林、森、山、沢、崎、とかは人気のない地域に住んでいたと考えられる
村は今で言うところの集落だろう、これらの文字は常民と言った所
保は管理職、何を管理していたかはもう一つの文字を見れば分かる
神なら文書、久なら墓守だろう
高、上、台などの字は災害の被害が少ない比較的良い土地柄なので
良い身分だったりする
藤はそのまんま藤原由来、しかし数が多すぎて怪しげなのも多いので注意 佐藤姓で実際に藤原氏と関係あるのは10%ぐらいじゃないか?ほとんどは、なんの関係もない小作農だろうな >>203
やたらに家紋にこだわるんだわウチの母ちゃん
ってことは明治以降100年そこらでも
家紋のない家または家紋がわからない家は怪しいってことか かわた(皮田、皮多、革多、川田、革田、河田など様々に書く)とは日本の近世における賎民(被差別民)「穢多(えた)」の別称である。 >>191
姓だよ「かばね」と読む方のね。
日本史で習う「八色の姓(やくさのかばね)」てやつね。
真人(まひと)
朝臣(あそみ・あそん)
宿禰(すくね)
忌寸(いみき)
道師(みちのし)
臣(おみ)
連(むらじ)
稲置(いなぎ) 川田って名前は山田のように平凡に見えて、実は訳アリなんだな >>190
奴婢以外には苗字があった時代があったからな 田は平地を示していて基本的には士族であることが多い
平地は良い土地なのでみんな欲しがるからである 田がつくとなんか田舎っぽい、ダサいってよく名字関連のスレで言われるけど
日本人らしさがあってすごく良いと思うんだけどなあ 田はでこぼこした土地ではないから優良物件なんだぞ
災害にも強い
日狂組や狂惨党の息のかかった糞社会科教師のせいで、国民の誰もが、
江戸時代の農民は 「 生かさぬよう殺さぬよう 」 生存のギリギリまで年貢をしぼり取られ、貧困のどん底いた、
って洗脳されただろ?
あんなの大嘘で、この種の貧農史観は、実証的な根拠なんざ何もない。
江戸時代の農民は想像以上に自由で、豊かな生活を営んでいた。
「 全余剰生産物w 」 とやらを収奪することなんざ、できねーから。
有史以来、最も徴税システムが発達した現代でも、
「 10 ・ 5 ・ 3 ( ドーゴーサン ) 」 なんて呼ばれてる。
把握できる所得は、給与所得者でほぼ10割、自営業者5割に対し、
農民はせいぜい3割が限界。
ましてや近代以前の江戸時代なら尚更で、
年貢の前提データの検地は、実質1600年代で終了したままだった。
ところが農業の生産技術は以降も進歩し続け、農作物は量的にも質的にも向上した。
「 百姓とゴマの油は、搾れば搾るほど出でくる 」 なんて諺があったのが、
それを裏付けている。
鎖国当時、日本で作った米は国内で消費するしかなく、全人口の7割以上が農民。
「 農民は自分で作った米を年貢で取られて、自分たちはほとんど食べれなかった 」 って ( 苦笑 ) 。
全人口の7割にあたる農民が食べなかったのなら、
一体全体、誰がそんなに大量の米を食べたんだ??
徳川将軍の食事ですら意外に質素だったのにw
ったく、マルクス革命のためには、被搾取層の存在と階層闘争が必要不可欠だからって、
日本そのものを陥れるようなねつ造ばっかしてんじゃねーよバカサヨチョン! ( 怒り )
02 >>201
豊臣さんも正式には「豊臣の秀吉」だよ。
豊臣は新しく作ったから名乗る人がまだ少なく区別することがあまりなかっただけ。 風の谷のナウシカが風谷ナウシカになるようなものか? 田の付く苗字は英語圏でいえば-tonに相当する。
どちらも〜のある土地という意味だから。 江戸時代だと呼び分けは屋号じゃねーの
ダイモンの家、キタの家、ミナミの家、サカシタの家、ゲタヤ、フシヤ、サカヤ、etc
いまだに使われてるぜ >>226
農村で同じ名字が集住してるような地域は、そうやって呼び分けるね。 >>226
新一万円札の顔になり、来年の大河の主人公ともなる渋沢栄一の生まれた血洗島村では、
渋沢を名乗る家が10何軒もあったので、栄一の家は「中の家」と呼ばれるように、屋号で呼ばれる。 自然を表す漢字を使ってるのはほぼ農民出身
人工物を表す漢字を使ってるのは公家や武士
これ豆ね 高麗氏系図からみた姓名
6月に見学した高麗神社で家系図のレプリカを見せていただいた。高麗家の家宝である「高麗氏系図」は朝鮮の「族譜(ぞくぽ)」で千数百年つづいてきたものである。鎌倉中期1259年正元11月8日出火のため、その他高麗からの家宝とともに焼失。そこで高麗一門からでた各氏族が自家の系図を持ち寄って再編集されたものである。この系図から別派した苗字は高麗、高麗井、(駒井)、井上、新井、神田、丘登(岡登、岡上)、本所、和田、吉川、大野、加藤、福泉、小谷野、阿部、金子、中山、武藤、芝木の各氏などに、わかれている。
https://rekisisuki.exblog.jp/15718088/ 『新羅王族系姓氏』
三宅・浮田(宇喜多)・児島・松崎・和田
『新羅系姓氏』
海南・金城・国見・竹見・豊南・眞城・広田・吉井・清水・宇野・大内・大宮・江木・柿並・
黒川・末武・右田・矢田・山口・井上・小野・小俣・大伴・三田・道田・吉川・荒木・新井・
三輪・息長・白木・平野・竹原・加羅・服部・畠山・白石・白井・宇佐・志賀・那須・春澄・
山田・新木・伏丸・山田・大市・癖田・栄井・糸井・海原・豊原・多々羅・金・陶・泉・秦・
星・中島。 『高句麗王族系姓氏』
安達・堅部・白河・高倉・難波・高井・高麗・駒井・阿部・芝木・賀茂・長瀬・渡部。
『高句麗系姓氏』
出水・大井・柿井・上部・下部・清岡・清原・後部・滋井・高田・田川・高峰・高安・玉川・
玉井・田村・豊岡・鳥井・新城・日直・松川・朝日・三笠・御坂・御井・村上・八坂・吉岡・
神田・本所・野田・金子・司馬・武藤・田井・阿部・福泉・加藤・藤城・日置・大拍・武生・
嶋岐・後笠・高史・豊津・嶋根・須須岐・小谷野・島。 >>73
ん?大阪のことか?
摂津国の各郡の郡領をつとめる有力氏族=大阪の支配者=朝鮮人
摂津の地域では、難波の地にあたる東生(成)、西成の両郡に吉志系の氏族と三宅忌寸とが居住していたことが知られる。
東生郡では難波忌寸・日下部忌寸、西成郡では吉士・三宅忌寸が、それぞれの郡の郡領をつとめる有力氏族であったのであろう。
吉士は朝鮮語の首長を意味する語に由来し、新羅では官位十七等の十四位の称にも用いられており、これを氏姓とする氏族の実体は渡来系氏族であると思われる。
『日本書紀』によると、難波忌寸がもとは草香部吉士であることが知られる。
(『大阪府史』)
▽関晃・東北大学名誉教授
帰化人たちは、そのほとんど全部が奈良盆地、大阪平野、京都盆地と、その周辺地域である播磨平野、紀ノ川流域、近江盆地あたりに根をおろしたといってよい。
▽松村博文・札幌医科大学教授
畿内人と朝鮮半島の人々は北方アジア的な寒冷地適応型の体の特徴を持っている。沖縄とアイヌの人は似ている。それから東北人はアイヌに近い特徴を示す。
▽熊谷公男・東北学院大学教授
河内国が列島随一の渡来人の集住地域であったことはよく知られている。 『百済王族系姓氏』
広野・中村・藤井・御船・大崗・錦織・菅野・眞野・三善・飯尾・大川・大逢・太田・布施・
町野・水浪・矢野・春野・広井・河内・村主・砂田・高野・鬼室・室徒・桑田・桑原・河村・
阿久津。
『百済系姓氏』
石川・香山・清田・清道・国中・坂田・坂原・杉谷・高代・豊田・豊浦・長沼・長野・中山・
福地・松井・水尾・三野・小川・小高・下井・不破・古市・御地・御春・岡原・岡登・岡上・
佐太・土師・菅原・田辺・川原・大原・長田・渡来・渡合・光田・上村・桜井・飛鳥・大友・
大野・春日・集斯・穴門・小間・木間・辛島・大丘・広幡・取石・信太・中野・賀良・古志・
市住・市古・和朝・長背・黄文・良峯・広津・麻田・御池・内原・宮原・吉野・高槻・石野・
若江・栗栖・波田・岡屋・依羅・山河・船子・錦部・大石・池上・中津・久米・宇努・国本・
福常・福当・多利・桜野・葦屋・神前・内蔵・台忌・広階・大県・朝妻・台直・温義・犬上・
近義・東・津・辻・船・漢・勝・原・林・橘。平田・池辺・吉井・谷。
{参考文献}「日本新撰姓氏録」815年刊。「皇幹臣枝」斎藤正雄著、朝鮮総督府刊。
吉士からの岸、貴志は朝鮮系
摂津の地域では、難波の地にあたる東生(成)、西成の両郡に吉志系の氏族と三宅忌寸とが居住していたことが知られる。
東生郡では難波忌寸・日下部忌寸、西成郡では吉士・三宅忌寸が、それぞれの郡の郡領をつとめる有力氏族であったのであろう。
吉士は朝鮮語の首長を意味する語に由来し、新羅では官位十七等の十四位の称にも用いられており、これを氏姓とする氏族の実体は渡来系氏族であると思われる。
『日本書紀』によると、難波忌寸がもとは草香部吉士であることが知られる。
(『大阪府史』) >>229
武士は任地の名前の場合あるから
自然物の場合あるよ うちの実家ど田舎で近所みんな同じ苗字だから地名の字名+自分の下の名前とかそこに住んでる人の世帯主の下の名前+自分の下の名前で呼びあってた
マサルさんちの花子とかw >>234
埼玉の苗字のほぼ渡来人由来とする書籍も出されているからね
昔から結びつきは非常に強いと考えるのが普通
古くからいる人たちは文化も顔つきも特徴があるかもしれない いわゆる在日には正直反感があるが、さすがに渡来人由来にはなんとも思わないよ >>241
遠方に住む親戚でも自己紹介の時、頭に地元人の名前を付けておくと一気に打ち解けられるよな
誰々さんのはとこの子か、よく来たねって感じで
血縁的にはかなり遠いのにw >>242
書籍名と内容出してみ
出せないのはただのハッタリ
『人国記』
信太明神に野狐多し。この野狐、人を能く誑かす事を得たり。されば此の国は、唯野狐に衣服をしたるに似たり、頼もしからず。別して和泉の府日根悪し。
『甲陽軍鑑』
上方武士は、歩の頸を一つ取りは、侍の頸を十も取りたるやうに、針ほどの事を棒程に過言を申と、山本勘助が話を聞き候如くあるべきなり。
佐賀藩士山本常朝の口述記『葉隠』
武士道と云は、死ぬ事と見付たり。二つ二つの場にて、早く死方に片付ばかり也。別に子細なし。胸すわつて進む也。図に当らず、犬死などいふ事は、上方風の打上たる武道なるべし。
清河八郎『西遊草』(岩波文庫)
上方は柔弱にして人をあざむく。
・池田次郎『日本人のきた道』(朝日選書)
畿内古代人は韓国朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属し、縄文人から最も離れている。
『アジアからみた古代日本』(角川書店)
朝鮮系の土器の列島内における分布は、畿内の河内、大和にとりわけ多い。
・熊谷公男『列島の古代史1』(岩波書店)
河内国が列島随一の渡来人の集住地域であったことはよく知られている。
・中橋孝博『日本人の起源』(講談社)
関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多い。
・関晃『古代の帰化人』(吉川弘文館)
帰化人たちは、そのほとんど全部が奈良盆地、大阪平野、京都盆地と、その周辺地域である播磨平野、紀ノ川流域、近江盆地あたりに根をおろしたといってよい。
・『国民百科事典』平凡社
近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有することは注目に値する。 >>238
エンターテインメントってのは田舎出身の人を
公に活躍させられるように演出することで場を提供した
資本主義の一形態で、経済発展する中で育まれた手法だよ >>82
単に江戸時代後半に苗字を名乗ることを武士のステイタスにしたから庶民は名乗っちゃいけなかっただけ
苗字そのものは全ての人が持っていた >>243
渡来人は今と民族も違うし、仮にも文化を作った側でもあるしなぁ
一番怒ってるのは今と一緒くたにされてる彼らの子孫では? >>212
河田長親とか川田景秀など由緒ある系列もいる >>146
強制されたという話だったのならウソ、そのまま朝鮮名を名乗っていた人はいくらでもいる
因みにそれについての逸話
「2003年5月31日、麻生太郎・自民党政調会長(当時)が東大における講演会で「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と発言した。
韓国紙がこの発言を大きく取り上げて批判的に報道し[10]、韓国政府は謝罪を求める談話を発表。盧武鉉大統領の訪日を
直前に控えていたこともあり、麻生は発言を謝罪した。この件について自民党総務会で野中広務が麻生を批判したが、
その場にいた奥野誠亮が「野中君、君は若いから知らないかもしれないが、麻生君が言うことは100%正解だよ。朝鮮名の
ままだと商売がやりにくかった。そういう訴えが多かったので、創氏改名に踏み切った。判子をついたのは内務官僚、この私なんだ」」 >>245
>>242ではないんだが、埼玉苗字辞典って有名な著書がある
著者が長い年月かけて旧家など実地調査して調べ上げたそうだから
今も苗字に関する貴重な資料として扱われているようだ
音に関する観点から渡来人との関係性を説いてるよ >>252
創氏改名に詳しいの?
前から知ってる人がいたら訊きたかったんだけど、あれって本貫ごとに改名したのかね?
例えば、〇〇金氏は金本、とか。 >>143
東漢氏族坂上氏の漢室ルーツは100%ハッタリだからな
河内の西漢氏の始祖は日韓のハーフ
父は安羅国の首長一族で、母が日本人
ソースは『吉志と西漢氏』という本で読んだことかある
類似氏族の大和の東漢氏も似たようなもんだったのだろう なんで苗字の話になると埼玉ばかり出てくるの?
渡来人って西から引っ越してきたなら元の土地でも
影響力あったと思うんだけど 埼玉は流入人口が多いから、土着民の子孫なんて少数派じゃない? むかし中学一年の時初めて出来たクラスの友達が長谷川君というお父さんが歴史の先生かなんかしてる家庭の子で
うちの父方の名字は戦国時代のむかし地主の時に豊臣家康に協力したお礼にもらった苗字だっていったら急に発狂しだしたの覚えてる あれなんだったんだろう >>260
商業地区や新興住宅地に住んでないから目立たないだけで
新しい街に見えるところも郊外の旧家の大地主の土地だったりする 佐藤 下野国佐野
伊藤 伊勢
加藤 加賀
斎藤 斎宮頭
後藤 後藤太
近藤 近江
遠藤 遠江守
安藤 安部氏
工藤 木工助
内藤 内舎人
須藤 那須氏
武藤 武者所
江藤 江嶋荘
進藤 修理少進
首藤 主馬首
衛藤 衛門府
新藤 新たに判官となった
兵藤 兵藤山 >>259
アヤなのに「漢」って漢字を強引に当てはめただけだからね
そっちの方が格好いいから 月見里と書いて「やまなし」とか、小鳥遊と書いて「たかなし」とか、なんか小洒落た読ませ方する名字の奴に出会うと小突きたくなるw >>252
本当はこういうのって法曹界の仕事なのに
あいつら全然やってないよな
だから仕方なく政治史とか技術史の方面のおまけとして
人権の歴史を扱っている まーた、通化市かー
呪われてるなw
何千年も呪われた町 一通り目を通したけど、このスレに田中と佐藤と伊藤と鈴木と高橋がいるな
日狂組や狂惨党の息のかかった糞社会科教師のせいで、国民の誰もが、
江戸時代の農民は 「 生かさぬよう殺さぬよう 」 生存のギリギリまで年貢をしぼり取られ、貧困のどん底いた、
って洗脳されただろ?
あんなの大嘘で、この種の貧農史観は、実証的な根拠なんざ何もない。
江戸時代の農民は想像以上に自由で、豊かな生活を営んでいた。
「 全余剰生産物w 」 とやらを収奪することなんざ、できねーから。
有史以来、最も徴税システムが発達した現代でも、
「 10 ・ 5 ・ 3 ( ドーゴーサン ) 」 なんて呼ばれてる。
把握できる所得は、給与所得者でほぼ10割、自営業者5割に対し、
農民はせいぜい3割が限界。
ましてや近代以前の江戸時代なら尚更で、
年貢の前提データの検地は、実質1600年代で終了したままだった。
ところが農業の生産技術は以降も進歩し続け、農作物は量的にも質的にも向上した。
「 百姓とゴマの油は、搾れば搾るほど出でくる 」 なんて諺があったのが、
それを裏付けている。
鎖国当時、日本で作った米は国内で消費するしかなく、全人口の7割以上が農民。
「 農民は自分で作った米を年貢で取られて、自分たちはほとんど食べれなかった 」 って ( 苦笑 ) 。
全人口の7割にあたる農民が食べなかったのなら、
一体全体、誰がそんなに大量の米を食べたんだ??
徳川将軍の食事ですら意外に質素だったのにw
ったく、マルクス革命のためには、被搾取層の存在と階層闘争が必要不可欠だからって、
日本そのものを陥れるようなねつ造ばっかしてんじゃねーよバカサヨチョン! ( 怒り )
03 >>257
それ
関東への渡来人の流入なんて数千人なんだけどな
西には何万人単位で流入してるのに >>4
天皇は韓国人そのものだからそれはいいのか? >>12
そもそも江戸時代まで農民が石造りの彫刻された墓なんて許されたわけねーだろ
そもそも日本の法律上は武士だって墓作ったらいけなかったんだから >>262
以前見て貰った泌尿器科の先生が「目」先生だった。
何故、眼科に進まなかったのだろう。 >>280
先日もスレ立ってたが、埼玉は関東で唯一遺伝的特徴が関西に似ていると出てるんだよ
それだけの影響を及ぼす数の流入者がいたのは確実
苗字が祖国由来のものばかりになるのも、おかしなことではないね 農民も苗字を持ってたしいい加減じゃなくルーツや由緒もあったのは先祖ちゃんとしてたら当たり前だろ
単に徳川幕府になったから宗門人別帳にかけなかっただけ。豊臣時代の移封で帰農した武士でも場合によっては書けてない >>287
西日本でも千年以上続いてる土地だと普通にそういうのあるな。渡来人由来の地名。たまにコリア集落とか考察されるけど、完全に間違いなやつ。 歴史的に戦国以前の渡来人と今のあちらの国は別民族になるんだっけか
何故か同民族として祭りやらやってるけど あれ、まだこのスレあったの
まあ皆さん苗字の話題は好きなんだなあ。
もちろん誰であれ苗字は持っているもんだからね。
それは興味を持ってしかるべきではあるな。
(逆に苗字を有さない賢きあたりの上御一人が
スレッドに降臨召されていたら畏れ多いことであるw)
>>229
さ、さすがにそれはwww
>>240 くんがいっているように武士だってね
在所の地名から名乗りを上げたりするから結局は地名に回帰するんだよw
例えば氏族由来の県名と言われる千葉県なんてね、
それこそ平安以来の名門武士団の千葉氏からとったように言われるわけだが
この千葉氏だって元々は千葉庄って従来からある
(千の葉という自然由来の)地名にいたから千葉氏なわけでね。
ってかそれ以前に貴族名家の藤原氏だって
「藤」の「原」なんだから自然由来だよなw 公家や武家しか持ってないのはウヂ、カバネ、官職、位階で
名字はどの階級も自称や他称で勝手に名乗るだけだろ
有力な公家武家だって名字は届出などをしてるわけではない >>286
縄文←九州>中国>四国(弥生・渡来系)近畿<中部<関東<東北→縄文
日本人1万1千人のDNA構造比較
縄文人の遺伝的寄与
https://pbs.twimg.com/media/Ek173DvUYAAtXyS.jpg
大学ジャーナル 2020年10月21日
https://univ-journal.jp/58751/ 一般人でも有名人でも、戦国武将と名字が同じというだけで、戦国武将の子孫を自称する人っているよね。
あれ、ネタならいいけど、マジなら恥ずかしい。 >>274
所々がおかしいね。それならなぜ大正昭和で海外の土地を求めて農業をしに行った人がいるのか?それも大量に。
そしてそれは大方失敗に終わる。成功者はひと握りの人達だけだ。
一部の地域では卓越した農業家は居ただろうが大半は肥沃で無い土地と収穫率の悪い米の品種しかない。近代になってようやく品種改良が進んで芳醇な現状になっただけだと思うが?
江戸時代に評判のみかんだって木はレモンのようなトゲがあってフサの中は種ばかりのみかんなんだぜ? 江戸時代は寒冷期で、後世に伝えられてるような大飢饉以外の年でも、作物生産は軒並み低調だったらしい。
日狂組や狂惨党の息のかかった糞社会科教師のせいで、国民の誰もが、
江戸時代の農民は 「 生かさぬよう殺さぬよう 」 生存のギリギリまで年貢をしぼり取られ、貧困のどん底いた、
って洗脳されただろ?
あんなの大嘘で、この種の貧農史観は、実証的な根拠なんざ何もない。
江戸時代の農民は想像以上に自由で、豊かな生活を営んでいた。
「 全余剰生産物w 」 とやらを収奪することなんざ、できねーから。
有史以来、最も徴税システムが発達した現代でも、
「 10 ・ 5 ・ 3 ( ドーゴーサン ) 」 なんて呼ばれてる。
把握できる所得は、給与所得者でほぼ10割、自営業者5割に対し、
農民はせいぜい3割が限界。
ましてや近代以前の江戸時代なら尚更で、
年貢の前提データの検地は、実質1600年代で終了したままだった。
ところが農業の生産技術は以降も進歩し続け、農作物は量的にも質的にも向上した。
「 百姓とゴマの油は、搾れば搾るほど出でくる 」 なんて諺があったのが、
それを裏付けている。
鎖国当時、日本で作った米は国内で消費するしかなく、全人口の7割以上が農民。
「 農民は自分で作った米を年貢で取られて、自分たちはほとんど食べれなかった 」 って ( 苦笑 ) 。
全人口の7割にあたる農民が食べなかったのなら、
一体全体、誰がそんなに大量の米を食べたんだ??
徳川将軍の食事ですら意外に質素だったのにw
ったく、マルクス革命のためには、被搾取層の存在と階層闘争が必要不可欠だからって、
日本そのものを陥れるようなねつ造ばっかしてんじゃねーよバカサヨチョン! ( 怒り )
04 >>298
そこまで米の収穫率が悪いんだったら最初から作らないんじゃねw?
売るなら商品作物 食べるなら悪天候に強い雑穀
日本の面積当たりの人口が昔から異様に多いのは米のお陰 >>254
特別詳しいわけではないが、その程度なら
調べればすぐわかると思うよ。
朝鮮の伝統的な族譜とかに干渉するもんじゃなくて
公的な手続きにおいてそれまでの朝鮮式の姓と名の間に
「氏」てのを作っただけ。
そんで特に手続きしなければ姓がそのまま氏になったらしい。
「氏」は、明治の日本の「名字」と同じように好きにしていいから
創氏で名前の表記方法が変わるから改名だと思う。
文(姓)在寅(名)なら、姓=文、氏=文、名=在寅、で
届出をすれば、氏名表記でこれまでと特になにも変らない。
日本人と同じような名前にしたければ
李(姓)明博(名)なら、姓=李、氏=月山、名=明博、で
届れば、氏名表記で月山明博になって内地と変わらない
ってことになる。ただそれだけの制度。 てか秀吉だって小作人の子なのに木下って名字持ってただろ?
なにを今さら 名字じゃなくて屋号なら集落の中で区別するために昔からあっても
不思議じゃないけどなんかスッキリしない >>304
武士が畑を耕さないといつから錯覚していた?
「専業武士」なんて刀狩の前はほんの一部だけ
刀狩だって豊臣と徳川の直轄地だけ
安倍前総理の御先祖なんて藩士やりながら小作人の兼業武士だぞw 屋号と名字は同一ではないけれど完全に分離してるものでもない
明治時代の法令で定めたために分かれたけど >>280
神奈川県の二宮から秦野あたりだけで数千人単位の
渡来人がいたはずだけど?
そのあたりから今の16号線沿いに埼玉北部まで
渡来人のコミュニティがあったと言われる地域は
結構ある。 江戸期の墓石に名字は彫ってあるけど、屋号を彫ってあるのは見たことないな。 橋の袂に住んでいて橋本とか全国であるよね
実家本家を見てみたら大体納得する >>302
>そこまで米の収穫率が悪いんだったら最初から作らないんじゃねw?
特別に許されている地域以外は年貢は米で納付が
ルールだったから、そういうわけにもいかんでしょ。 >>298
産業構造が違ったから。
当時は一次産業従事者の比率が高く
加工の2次産業、サービスの3次産業の比率が低く
内需も弱く、労働人口が過剰だった。
そのため、海外への出稼ぎ、開拓移民などがあった。
その辺は中高で学ぶはずだと思うが…。 >>311
そもそもその「米の収穫量」に年貢が掛かるんだろ?
農民が食ったりしないんなら田んぼなんてドンドン手抜きされて
自分が食う分+換金作物ばかり作るわw
単位面積で養える人数は米が最強
だから米を作れる場所は米を作って米を食って米で税を納める
米を作れない場所ならそれに代わるものを作ってそれを納める
現地の農民が「この場所は米作れません」って言ったら
現地で農業していないお武家様には真偽を確認できないわけだしw >>314
小作人なんか奴隷のように働かされて米作ってもろくに米食わせてもらえなかったらしい 藩からの借入依頼→応じて大金貸付
→褒美に名字帯刀許可→明治維新で藩が踏み倒し
地元じゃこれで結構損害被った旧家だらけだなw どこそこの何兵衛と名乗ってたのが、そのまま苗字になったってだけのことでしょ >>63
日本で人間が発生した証拠は無いからな。
元をたどれば、大陸からだろ。 >>315
それだと米以外の穀物が大量に作られていないと
小作人が食うものが無くなるぞw
>>318
アフリカのホモサピエンスにヨーロッパのネアンデルタール
そしてデニソワが混血した人類の最新モデルが黄色人種だしなw >>319
小作は芋1つしか食べさせてもらえなかったとか
江戸時代は1日2食です >>312
葛西屋ってことは商家?
ちなみに宗派は? >>320
芋一個で人類は生きていけるんですかねw?
巨大芋ならともかくw 生きていけないよ
だから小作人は過労死してる
近代の奴隷制度 江戸期の農民の食事なんてホントのところは分からんと思うよ。
当然、隠れて食ってることもあるだろうし。 >>323
そしたら家続かなくね?
安倍前総理の御先祖は小作人との兼業武士だよ? >>301
明治初期のデータを使って江戸時代を推測してみる。
明治6年(1873年)の地租改正まで、明治政府は基本的に江戸時代の税制を踏襲した。
地租改正前の明治5年(1873年)の総石高は『日本地誌提要』によると3221万7589石で、税収は1279万2564石。
このうち年貢である正租は1192万5174石、雑税は86万7390石。
『租税取調帳』によると明治2年の府県の年貢は全体の93%が米で納められている。
この数字を用いると、明治五年の税における米の収集量は約1109万石となり、およそ1100万石程度の米が税として取られたと考えられる。
次に、米の収穫高を推測する。
明治7年以降『府県物産表』『全国農産表』などが作成され、それによると
2575万2378石 明治7年
2474万3791石 明治9年
2659万9181石 明治10年
2528万2540石 明治11年
3167万8289石 明治12年
2876万7729石 明治13年
2991万2029石 明治14年
3045万2220石 明治15年
平均収穫高は約2875万石。
米の収穫高は増減がありながら概ね年とともに増えていく傾向が見てとれるので、明治5年は平均より少し少ない約2800万石程度と仮定する。明治7〜11年を見るともっと少なそうだが。
明治5年の壬申戸籍によると、全国の人口は約3480万人、このうち農は約8割で、農民の人口は約2784万人。
さて、江戸時代、明治時代には1人あたりの米の必要量は、年間1人平均1石2斗(成人男子は1石8斗2勺5合)とされた。
明治5年の米の収穫高を約2800万石とし、その内約1100万石の米が税金として取られたとして、農民2784万人の元に残る米は約1700万石。
全部食用に消費したとして、農民1人当たりの米消費量は平均約0.61石であり、1人1石2斗にたいする割合つまり農民の米食率は約50.8%となる。
農民以外の約696万人はどうだったか。
明治7年の『府県物産表』によると酒・味噌・醤油・酢などに約332万石が加工用として使われた。
明治5年は330万石程度が加工用として使われたとすると、1100万石―330万石=770万石が食用。
一人当たりの米の消費量は平均約1.1石となり、米食率は一人約91%。
以上のとおり、明治5年の推定米食率は農民が約50.8%、農民以外が約91%となった。
『天保郷帳』によると天保5年(1834年)の総石高は3043万5206石であり、明治5年(1873年)の総石高が3221万7589石だから、39年で6%弱の増加だ。
明治5年と江戸時代後期の人口・経済の動態はそんなに違わないだろう。
江戸時代後半の米食率も明治5年とそれほど違わないと思われる。
やはり江戸時代の農民は米を腹いっぱい食べることができたわけではなさそうだ。 >明治5年の推定米食率は農民が約50.8%
想像していた以上に米が食えてたのか。
イメージ的に雑穀が過半だと思ってたわ。 >>325
派遣の子が派遣で家続くとおもってるの?
小作人は奴隷のまま終わりだよ
他の兄弟とかが丁稚奉公とか嫁いだり子供が他に行ったりして家は続くんだよ そもそもどの時代の農民さしてるんだ?
戦国時代に武士と農民の差なんてないし(だから農業が暇な時にしか戦争が起きない)
傭兵はいたけどな
そして戦国時代の武士にちゃんと名字があることはみんな知ってるだろ >>327
こんな話もあります。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/1371427.html
私は農村の貧富に立地の条件を強調しましたが東北地方の例だけでは不足ですので和歌山県紀ノ川上流の学文路村の庄屋大畑才蔵という人の「地方の聞き書き」を引用します。
この中の10人家族で2町5反を耕筰している例では米45石の収穫に年貢26石を納めて百姓取り分
米 18.96石
麦 40石
蕎麦4石
食事内容は一人当たりキビ粉0.14Lを雑炊にして朝食、夕食も同様。
昼食は一人当たり白麦2.5合となっている。
米を食べるのは正月盆5節句神事で年中26日だけと記されています。
米は肥料代などに当てるため換金するのである。
これが元禄期の紀州山間部の農村の一実態です。 日本の場合、👨🌾農民のくっだらない話まで
記録に残ってるから
作り話通用しないぞw >>331
それは貧しい農村の事例なのかな?
例えば上信地方は養蚕が盛んだったから、年貢を納めても実入りは多かったと思うんだけど。 >>308
神奈川から北進したんだろうね
日本式の神社まで作ってるわけだから昔から
文化的融和度は相当高かったんじゃないかな
この辺って面白いんだが変にタブー視されて勿体無い >>296
僭称する人や分家の分家はしらないだけで、ちゃんと氏族を把握してる家は多いからな。
仮に苗字と家紋がちぐはぐになってもそういうとこはルーツちゃんとわかる。本家自称してて分家の家紋とかの家も結構自慢話で見たよ 室町時代に名字を持っていた農民を純然たる農民といえるかどうか
名主・小代官と呼ばれるのは農村にいても下層の武士といえなくもない >>329
島津家だと朝鮮とか関ケ原まで行く時と農繁期に出兵する連中が専業武士(3000人ぐらい)
農閑期だと3万人ぐらい出すw
島津家が少数の時に恐ろしいまでの戦果を挙げるのは「ガチ勢」だけで出陣している場合からw >>333
地方によって様々だったんでしょうね
コメどころで米を沢山食べられる農村もいれば、食べられない農村もあった
換金作物によって豊かな農村もあれば、ろくな換金作物もできず貧しい農村もあった
ただ、全国の農民がみな米を食べることができたかというと、>>326のように推測できます
江戸時代の農民は米を普通に食べてたという>>301のような話はたぶん井沢元彦が広めたのだと思いますが、
データを基に考察するかぎり正しいかどうか疑問です >>338
武士に雇われてた足軽も武士なのか?農民なのか?ってお題と似てるw >>338
刀狩を行ったのは豊臣と徳川の直轄地だけだから
そこ以外の農民は普通に半農半武士
新選組も維新志士もそんな半分農民で半分武士な人達 その土地に影響のあるような大人物だと農民だろうと商人だろうと名字持ち
藩に影響のある人だったり、のちの大企業の祖だったり
一揆で処罰された記録にだけ出てくるような農民は名字無し
大人物でもないし一揆の中心にもなってない雑魚農民はもっとたくさんいる
だいたいそのくらいの感じ >>341
応仁の乱のときの足軽はガチでその辺で募って従わせたならず者
江戸時代に入ると彦根藩井伊家とかでは足軽=正規の武士で
屋敷を与えられた
http://hikone-bunkaisan.net/ashigaru/ >>343
その処罰農民って実態だと
流れ者に土地を分けてやってリーダーに担ぎ上げられた生贄要員の事がw
農民ってエグイわ〜w
農民「流れ者の生贄要員と引き換えに代官切腹させる覚悟はあるかオラー!」
生贄件種要員と思われる元行商人などの入り婿殿… >>345
幕臣はともかく、地方の足軽は自作農のイメージがある。
あと、ちょっと意味合いが違うけど郷士とか。 >>334
つい先日、東京大学大学院の研究者が、日本人の都道府県別の遺伝子分析を発表した。
神奈川県民と類縁関係にあるのは、静岡県民、佐賀県民、鳥取県民だった。
このグループの中で、遺伝的に最も上流(祖先に近い)にあるのは鳥取県民。
誤解を恐れずに超大雑把に言えば、神奈川県民の祖先が、鳥取県民みたいな感じ。
神奈川県民がどっちの方から来たか、鳥取、佐賀、静岡で、何となく分かるよね。 関東にいっぱいいた渡来人が埼玉に集められたからな。 自分の先祖は奴隷階級じゃないと思いたくないのは人間の真理だろうけど
壬申戸籍を見てみたいて思うのか?
知らなくてもいい事てのはあるぞ まあ昔は東北、関東は大きな部落みたいなものだったからな
悲しいけど
日狂組や狂惨党の息のかかった糞社会科教師のせいで、国民の誰もが、
江戸時代の農民は 「 生かさぬよう殺さぬよう 」 生存のギリギリまで年貢をしぼり取られ、貧困のどん底いた、
って洗脳されただろ?
あんなの大嘘で、この種の貧農史観は、実証的な根拠なんざ何もない。
江戸時代の農民は想像以上に自由で、豊かな生活を営んでいた。
「 全余剰生産物w 」 とやらを収奪することなんざ、できねーから。
有史以来、最も徴税システムが発達した現代でも、
「 10 ・ 5 ・ 3 ( ドーゴーサン ) 」 なんて呼ばれてる。
把握できる所得は、給与所得者でほぼ10割、自営業者5割に対し、
農民はせいぜい3割が限界。
ましてや近代以前の江戸時代なら尚更で、
年貢の前提データの検地は、実質1600年代で終了したままだった。
ところが農業の生産技術は以降も進歩し続け、農作物は量的にも質的にも向上した。
「 百姓とゴマの油は、搾れば搾るほど出でくる 」 なんて諺があったのが、
それを裏付けている。
鎖国当時、日本で作った米は国内で消費するしかなく、全人口の7割以上が農民。
「 農民は自分で作った米を年貢で取られて、自分たちはほとんど食べれなかった 」 って ( 苦笑 ) 。
全人口の7割にあたる農民が食べなかったのなら、
一体全体、誰がそんなに大量の米を食べたんだ??
徳川将軍の食事ですら意外に質素だったのにw
ったく、マルクス革命のためには、被搾取層の存在と階層闘争が必要不可欠だからって、
日本そのものを陥れるようなねつ造ばっかしてんじゃねーよバカサヨチョン! ( 怒り )
05 革島(かわしま)
清和天皇
↓
貞純親王
↓
源経基
↓
源満仲
↓
源頼信
↓
源頼義
↓
源義光
↓
源義業
↓
佐竹昌義
↓
革島義季(昌義の五男、革島氏初代) 天武天皇―舎人親王(崇道尽敬皇帝)―船親王(母:当麻氏、二品・信部卿。)―栄井王―豊前王(従四位上・伊予守)―弘宗王(母:佐伯君足の娘、従四位下・越前守)
―【中原】(母:高向利男の娘)長谷―長城―是俊―俊興―俊行―成経―俊元―成俊―成行―仲行―秀仲
―【甲良】仲平―【長江】成家―【松原】(左近)宗家―(略)―(播磨藩士→100年前の日本一の大富豪)―(略)―父
家紋:繋ぎ九つ目
桓武天皇―葛原親王―高見王―【平】高望―良将―将門―将国=【波平】正国―行安(龍王化現・鬼神大王・大和守)―(1000年続く日本最長の刀鍛冶家系)―母
家紋:丸に四つ目菱 >>353
いや関東は幕令で宗教から非人利権を引きはがせたので大きくならずに数が増えなかった
また江戸では積極的に職業斡旋も行って雇った人が身元保証をすれば非人から復帰できた
そのため東北、関東、東海道合わせても1万人程度しかいなかったと記録が残っている
しかし近畿では公家もかかわっていたため非人利権を分離できず
大きな寺や神社が非人を奴隷として使って高利貸しや酒造、麹などのを利権を幕末まで貪っていた
奈良の金貸し寺1つだけで5000人の非人がいたし、京都の鬼門を守る寺では2000人の非人が酒造に携わっていた
大阪では毎年千人単位で鉱山送りですりつぶしても数が減らんとぼやきがのこってる
歴史的事実として近畿に部落集落が圧倒的に多かったのは事実よw >>76
「みんな」はない。日本人には、俺みたいに帰化人の子孫もいる。 >>357
反共闘士根吐紆余さんは基本的に知識の更新が出来ない人達なので。 佐藤、鈴木、高橋
↑
ありふれてるがダサくない
ありふれててダサい
↓
田中 因みに藤が付く名字は藤原氏の末裔
しかし藤原氏は多かったので
赴任先で国名を冠して名乗った
佐藤→佐渡へ赴任した藤原氏の末裔
伊藤→伊勢へ赴任した藤原氏の末裔
加藤→加賀へ赴任した藤原氏の末裔
安藤→安芸へ赴任した藤原氏の末裔
近藤→近江へ赴任した藤原氏の末裔
遠藤→遠江へ赴任した藤原氏の末裔
武藤→武蔵へ赴任した藤原氏の末裔
後藤→越後へ赴任した藤原氏の末裔
これテストに出るから丸暗記な >>362
帰化人も日本人と混血するんだから結局皇統の枝葉に落ち着くだろ
だから日本人は帰化人も含めて皇統の枝葉で合ってる http://www.historist.jp/word_j_shi/entry/033644/
除地(じょち)
「よけち」とも。江戸時代,領主から貢租・課役を免除され
た寺社の境内・田畑・屋敷地。朱印地につぐもので,無年貢
証文が発給されているか検地帳外書に除地と記されているも
の。高の有無にかかわらない。高がある場合は除地高とい
い,検地帳に記載したうえで年貢・諸役は高内引(たかうちび
き)として免除された。無年貢証文が発給されていない土地
を,新規の検地で貢租を免除しようとするときは,除地でな
く見捨地とされた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016
年, 山川出版社) 大した家柄でもないのに、名字を名乗って何がうれしい?
俺は名字なんて名乗りたくない。 >>368
日本人は全員天皇の血を引いてるのか。アホの言う事は理解できんわ。 >>369
意味不明
天皇陛下は日本人統合の象徴だから
帰化人も日本人であり、結局日本人と混血を重ねていくのだから
天皇陛下は帰化人も含む全ての日本人統合の象徴になってる 俺の親、田舎の村出身だけどその村は昔ほとんど全員同じ苗字だった。村の地形から来る苗字。 昔の墓とか農民の家だろうが名字書いてるだろ
公に名乗れなかっただけで名字は受け継がれてる
姓や名字が無いのは賎民と天皇くらいだ >>377
お前の家の墓は、江戸時代からの名前が刻んであるのか? 菩提寺でオレの家の古い過去帳を
見せてもらった事があるけど、名前しか書いてないぞ。ひどい場合は、男・女だけだ。苗字が
あっても庄屋ぐらいだろ。 >>5
名字って言うと意味あいが違ってくるからアレだけど
屋号とか識別用の呼び名が無いと
権兵衛がどの権兵衛かがわからないから
必然的に絶対にあるんだよな >>374
お前は神話と現実をこっちゃにしてるだろ。 >>1
この人が言ってる「名字って」氏のことなのか姓のことなのか屋号のことなのか? >>378
墓どころか室町時代の地誌にも苗字載ってる
家系図で女は「女」とされ、名前が伝わらないことも多いけど、「○○家 女」みたく嫁いでくる前の苗字書かれてる
安土桃山あたりの地誌を読めば苗字出てくるかもだぞ
まあその頃の先祖がどこに住んでたか突き止めることが先だけど >>378
江戸時代に身分が低い人は苗字を表向き名乗れなくなったからな
それより前の記録がないなら残念だな
その男、女ってのは引っ越してきたか、焼けたかどっちかだな >>351
神奈川も東京もそれなりにいるよ
大磯の高麗神社、藤沢は元高座郡(高麗郡って意味)
ここから北に埼玉までベルト状に分布してた
練馬区の一部とかも高麗郡(武蔵のな)の一部だし、狛江は高麗江
日狂組や狂惨党の息のかかった糞社会科教師のせいで、国民の誰もが、
江戸時代の農民は 「 生かさぬよう殺さぬよう 」 生存のギリギリまで年貢をしぼり取られ、貧困のどん底いた、
って洗脳されただろ?
あんなの大嘘で、この種の貧農史観は、実証的な根拠なんざ何もない。
江戸時代の農民は想像以上に自由で、豊かな生活を営んでいた。
「 全余剰生産物w 」 とやらを収奪することなんざ、できねーから。
有史以来、最も徴税システムが発達した現代でも、
「 10 ・ 5 ・ 3 ( ドーゴーサン ) 」 なんて呼ばれてる。
把握できる所得は、給与所得者でほぼ10割、自営業者5割に対し、
農民はせいぜい3割が限界。
ましてや近代以前の江戸時代なら尚更で、
年貢の前提データの検地は、実質1600年代で終了したままだった。
ところが農業の生産技術は以降も進歩し続け、農作物は量的にも質的にも向上した。
「 百姓とゴマの油は、搾れば搾るほど出でくる 」 なんて諺があったのが、
それを裏付けている。
鎖国当時、日本で作った米は国内で消費するしかなく、全人口の7割以上が農民。
「 農民は自分で作った米を年貢で取られて、自分たちはほとんど食べれなかった 」 って ( 苦笑 ) 。
全人口の7割にあたる農民が食べなかったのなら、
一体全体、誰がそんなに大量の米を食べたんだ??
徳川将軍の食事ですら意外に質素だったのにw
ったく、マルクス革命のためには、被搾取層の存在と階層闘争が必要不可欠だからって、
日本そのものを陥れるようなねつ造ばっかしてんじゃねーよバカサヨチョン! ( 怒り )
06 ゲノムで見ると太平洋ベルトの関東から北九州がひとつのグループで、
中心の近畿朝鮮人が右に離れ、出雲と枕崎(薩摩)が左に離れる。
https://i.imgur.com/59ihpui.png >>1
ここで執拗に百姓にも「苗字」があったと主張している人たちってどんな人たちなのかな?
現代の農家の人?
小作農の百姓にも苗字はあったんだ。
俺たちの先祖は偉かったんだぞ!
みたいな感じかな?
でも残念ながら農村では庄屋だけにしか苗字帯刀を認められていない。
話しは変わるけど「切捨御免」って凄いよな!
切捨御免(きりすてごめん、斬捨御免)とは苗字帯刀とともに、江戸時代の武士に認められた、殺人の特権である。
別名を無礼討(ち)(ぶれいうち)とも。
武士は無礼な態度をとった町人や百姓を殺しても罪にならなかった。
こんな扱いされてる町人や百姓が苗字なんか持てるはずないだろうw 金とか林とか星とか井とかの文字が入ってなければ、まあいいわ 化外の朝鮮より瀛州、扶桑の日本の方が高貴。渡来人は日本人になりたくて旧姓を捨て日本の氏姓になった。チョンコ残念w それって名字ってんじゃなくて
〇〇村の何兵衛ってだけだろ >>390
実際には江戸時代でそんな扱いはされてなかったんだけどな
その切り捨てごめんが通ったケースって、確か殆どないんだぞ >>388
それはそれでまた嘘
江戸時代は貨幣経済がどんどん発展して行って、その為に米だけ作ってる農家は暮らしが苦しくなっていった
武士も同じで、米で税金取り立ててるわけだから、暮らしがどんどん苦しくなっていく
農家として生活が裕福だったのは、味噌や醤油を作って売ったり、金貸をしたり
農業以外でお金儲けをしていたところ
別に左翼やマルクス主義を批判するのはいいし、やりたければどんどんやっていいけど
それだったらせめて事実関係だけはきちんと押さえてやって欲しい
ある程度知識があってみてると、ただのネガキャンの類にしか見えないから
それじゃ批判する意味が何もないでしょう? >>282
士族でもなんでもない田舎出身だけど、江戸時代からの墓あって苗字も書いてあるな 名字があろうとなかろうと
同じ場所でずっと生活してればどこどこの誰々って感じで呼ばれるだろうな 名字を同じくする親戚間で、住んでる地名で指称する、みたいなことは
現代でもままあること 江戸期は農民が公で名字を名乗ることは出来なかったから、普段は字+名前とか、特徴+名前とか、通名で他人と区別していた。
農村は同じ名字の人が集住してる傾向があるので、戦後もこういう慣習は活きてたね。 >>256
しねチョンコ。この時代に漢の皇室を自称する三国の劉備も、匈奴の劉淵も、南朝の劉裕も、日本の坂上苅田麿も、漢の家柄文化に染まった漢人。チョンコではありません。 大村益次郎の大村も地名だしジョン万次郎の苗字の中浜も地名だな
日狂組や狂惨党の息のかかった糞社会科教師のせいで、国民の誰もが、
江戸時代の農民は 「 生かさぬよう殺さぬよう 」 生存のギリギリまで年貢をしぼり取られ、貧困のどん底いた、
って洗脳されただろ?
あんなの大嘘で、この種の貧農史観は、実証的な根拠なんざ何もない。
江戸時代の農民は想像以上に自由で、豊かな生活を営んでいた。
「 全余剰生産物w 」 とやらを収奪することなんざ、できねーから。
有史以来、最も徴税システムが発達した現代でも、
「 10 ・ 5 ・ 3 ( ドーゴーサン ) 」 なんて呼ばれてる。
把握できる所得は、給与所得者でほぼ10割、自営業者5割に対し、
農民はせいぜい3割が限界。
ましてや近代以前の江戸時代なら尚更で、
年貢の前提データの検地は、実質1600年代で終了したままだった。
ところが農業の生産技術は以降も進歩し続け、農作物は量的にも質的にも向上した。
「 百姓とゴマの油は、搾れば搾るほど出でくる 」 なんて諺があったのが、
それを裏付けている。
鎖国当時、日本で作った米は国内で消費するしかなく、全人口の7割以上が農民。
「 農民は自分で作った米を年貢で取られて、自分たちはほとんど食べれなかった 」 って ( 苦笑 ) 。
全人口の7割にあたる農民が食べなかったのなら、
一体全体、誰がそんなに大量の米を食べたんだ??
徳川将軍の食事ですら意外に質素だったのにw
ったく、マルクス革命のためには、被搾取層の存在と階層闘争が必要不可欠だからって、
日本そのものを陥れるようなねつ造ばっかしてんじゃねーよバカサヨチョン! ( 怒り )
07 >>176
>日狂組や狂惨党
日教組や日本共産党は、どう言ってたの? 古代は万民が氏で管理されてた
平安末期に家の概念が強くなって苗字が生まれた
鎌倉時代に氏が籍として管理されなくなって苗字が普段使われるようになった
江戸時代に一定以下の人は苗字を公的に使えなくなった
明治時代に一緒方に姓として管理となった 本当の藤原氏の末裔は江戸時代まで藤原を名乗らなかったのはなぜ?
超嫌われ者で藤原と名乗ると命の危険があったとか? >>406
藤原だけの話じゃない
平氏や源氏も平・源を同じような時期に名乗らなくなる
血族はみんな同じのを名乗る「氏」から
役職や領地で名乗るように流行が変化していった。鎌倉時代ぐらいに >>406
室町以前は信頼度は「?」だよw
家光が政治的理由で、国を挙げて作った寛永諸家系図伝(1641年-1643年)以降は信頼度高い。
国全体の家系図だから。
おじいちゃん世代の1500年ぐらいまでね。 >>409
寛永・寛政は「家譜を飾るチャンス」だったんじゃないかね >>373
そう、日本に帰化すれば日本人。
そして、日本人として生まれても、外国に帰化すれば外国人。
日本人を定義するものは、血ではなく国籍。 >>406
藤原氏は全ての摂家を独占しているから嫌われ者のわけがない
単に氏族名だけだと人数が多すぎて区別がつきにくいから苗字で家格を表して区別したのだろう >>409
それって当時の上級国民だけでしょ?
旗本以下の武士は御家人株とか足軽株を売るマーケットがあったらしいし、農民も武士の家督を買ってたんだから、下々の血統なんて分かったもんじゃない。 >>414
ごく一部を除き、
日本で重視されるのは血統ではなく系譜だから 断絶回避の養子縁組も日常茶飯事だしな
血統を重視してるのは天皇家だけじゃね? >>416
将軍家も御三家からじゃないと養子取れないとか制約あるから拘ってる
まあそれくらいのトップ層だけの例外的な慣習だわな >>417
「血統を重視する皇統のありかたは或る意味で中国的、というか中国の模倣」
「徳川家は日本の第二王朝(新井白石のいう「武朝」)だから血統重視に傾く」
みたいなことを言う人もおる >>256
朝鮮半島が中国式姓名にかわっていったのは統一新羅以降
だと思うが、三韓時代から、中原からの移民・流民による
建国として大陸王朝の史書に伝わってる。
南方三韓の中原移民からかもしれんがその辺は何とも言えんね。
百歳王族とかでもなければ、朝鮮半島からめる意味ないだろ。
そも朝鮮半島が大陸(中国)式姓名のシステムつかって
大陸の一部つか裔みたいな証左を大切にしてるんだし。 明治以降も没落家華族が家督を乗っ取られたり、どこの馬の骨とも分からないような成金と姻戚関係を結んだり、愉快な話は山とあるw >>392
秋田など東北地方日本海側の金田「かねた」
茨城から栃木にかけて北関東地方の金田「こんだ」
と読み、いずれもズーズー弁の日本人。 >>390
バーカ
名字帯刀の名字ってのはその土地の支配者階級の名字ってだけだ
あと切り捨てごめんもお前が考えてるようなもんじゃねえぞ
やったら当時でいう裁判をして本当に無礼があったことを証明しなけりゃならない下手すりゃ切腹もの >>395
そりゃそうだろ
まず評定で本当に無礼があったことを証明できなきゃ切腹
仮に本当に無礼があっても切り捨てごめんの作法を守らなきゃ切腹
その作法は必ず一撃で殺すこと、あと逃げられても切腹
ほぼただの名誉規定だよ 譜代下人は、譜代奉公人とも呼ばれ、近世農村部において主家に人身的な隷属にあり、譜代として永代・世襲的に労役を提供する形によって奉公した下人・奉公人を指す。
下人夫婦の子または私生児であったものは釜子(竈子)、釜譜代(竈譜代)、あるいは庭子とも呼ばれた。
また、従属の度合いも異なり、『地方凡例録』には夫婦を構成して生活している者や主家から土地を預けられて事実上の小作人であった者から、主家の屋敷内に住まわされてその命令下で田畑を耕す者など様々な形態があった事が知られている。
その由来については中世以来の伝統的な下人の後継や戦国時代から江戸時代初期にかけての混乱期に人身売買によって獲得された零細民であったと考えられている。
戦国時代には乱妨取の習慣による人身売買が行われていたが、江戸幕府はこれを禁じた。
だが、当時の農村社会の経営は不安定であり、農業経営の出来なくなった小農民と労働力不足に悩まされる本百姓層の利害の一致によりこうした人身売買による隷属化が農村部において横行した。
やがて人身売買に対する規制が強化されると、一種の脱法行為として人身質入による質券奉公人が出現する。
これは質券に書かれた本金(借入額)を奉公人の価格・利息の支払を債務期間中の労働に相当させ、借方である奉公人が本金を返済しない限りは身柄は終身にわたって貸方である主家に拘束されるという仕組であり、質に名を借りた事実上の人身売買による譜代下人であった。
江戸時代中期以後の農業経営の安定化に伴い、先進農業地域では譜代下人や質権奉公人は、年季奉公人に転化する事例も見られたが、途上地域では幕末までこうした譜代下人が存在した。
また、幕府や諸藩は表向きはこうした人身売買を禁じていたが、農業経営の安定による年貢徴収の安定化を優先させる配慮から、こうした譜代下人の存在を黙認していた。
明治に入ると、旧来の慣習である譜代下人(家抱)は、身分の解禁および呼称の禁止が1872年の法令で発せられ、終焉を迎えた。 >>378
お寺の過去帳は、公的資料である宗門人別帳に準じるのかな。
うちの寺も名前だけだわ。
だけど、墓石には苗字が書いてあるよ。
古いやつは読めないけどな。 江戸時代の武士は刀を抜いただけでも始末書ものだったそうだから、現代でいえば警察官と拳銃の関係みたいなものかな。 >>428
今風にいえば、過去帳は寺の顧客名簿、人別帳は戸籍のような性格だね。 >>396
米しか作っていない農家なんて存在しないよw
なんでこう、「農民=米しか作っていない」ってやつがいるんだろうな。
「百姓」ってのは、町に住む以外のすべての人だ。
もちろん農民が一番多い。
だけど「専業農家」なんていないんだよ。
まあ、「専業農家」でもいいけど、コメしか作っていない人なんていない。
着るものの材料の「綿」や「絹」の素材の蚕を飼う人、油の原料の菜種等の生産者がいるんだよ。
綿を加工して糸にするするひともいる。
もちろん、それを織るひともいる。
しょうゆの原料の大豆も作る人がいる。
醤油や酒の生産者もいる。
「燃料」の生産者も必要。
家を建てる木材の生産者も必要。
それらの運搬をする人もいる。
江戸に「大工」がいれば家が建つ訳じゃない。
野菜だって作る人がいる。
米と野菜だけで生きていけるわけではない。
どこからも輸入していないからな。
山村で薪や炭を作り、それらを街へ運んでくる人がいないと
ご飯を食べられない。
菜種を作る人がいて、それを油に加工する人がいて、
それらの運搬流通に関わる人がいなけりゃ、
夜は真っ暗だ。
「綿」の生産者がいなけりゃ、裸で暮らしたのか?
綿や菜種を作る人も百姓だぞ。
ついでに言えば、村で機織りして綿布を作ってる人も百姓だ。 >>414
キミは「農民」を誤解している。
戦国時代までは身分の区分けなんて厳格じゃない。
武士の家来になったのは百姓の次男三男。
彼らが江戸時代の「武士」(ほんとはちょっと違うが)
同心は足軽で、非常に低い身分。
戦国期の地方の豪農は自力で武装して村を守った。
彼らは「百姓」になった。
戦国に敗れて滅んだ守護大名の領地の小領主や元国人はたくさんいる。
勝ち残った家康と秀吉の配下と、毛利や島津等のいくつかの
大名の家臣だけが江戸時代に「武士」になったんだよ。 >>427
阿梅姫、作り話じゃないの?
って俺は思うがw >>432
江戸時代の話だよ。
寛永諸家系図伝の話が出たから、それに対するレス。 うちの家は貧乏小作農だけど曾曾祖父さんが地元豪農の出で分家だから一応代々苗字持ちって事になるぞ
近所も血縁だらけで◯◯村の◯◯って苗字はあの家の親族ってバレバレ
子供の頃は藤姓とかの苗字の奴が「俺の先祖は武士」って自慢してたのが羨ましかった
うち誤魔化しようがなく農民だから 貴様らには新斗という名字をあげよう。好きに名乗るがよい 霊園に行くとどの墓も一基しかない狭い墓なのに皆大層な家紋付けてるよな
うちなんて分家だから苗字は受け継いだけど家紋は使わせて貰えなくて捨紋の桐だわ
農民でもうるさいのに武家の家が本流以外に家紋使わせる? >>443
本家以外には家紋は認めんとかあまり言ってないから
どこの墓にも家紋ついてんじゃないの 家紋って本家とか分家とか関係ないんじゃない?
江戸期以前からの庶流はちょっと変形した家紋だったりするけど。
農民は分からんな。
ただ、菩提寺は家紋も記録してたはず。 >>429
それなのに宮本武蔵は一乗寺下り松で吉岡一門数百人と斬り合いをしているのな
幕府からお咎めは無かったのかな
いくら講談とは言え不自然 >>435
平井一つとっても
源氏、藤原氏、紀氏、平氏、朝鮮系と色々あるから >>443 家紋なんて戦争行った時の敵味方識別信号だから
使わせない方が異常。 本家からみたら敵なんだろな。 >>449
本家と寺がグルで昔からのブルジョア気分でほんとウザいんだよ
戒名も本家が一番上だから分家のものは議員や校長経験者でも居士大姉以上はつけられませーんとか未だに身分制度があってほんまクソ >>453
本家からみたら分家の人間は小作の使用人扱いだからね
本家長男以外はみんな使用人 >>454
じゃあ、本家にとっては檀那寺だったんじゃない?
分家でもお布施してたら待遇も違うでしょ。 >>457
いくら金出すって言っても渋るんだよ
うちの爺さんの時も普通の何倍以上の金でなんとか居士貰えたからな
曾曾夫妻、曾夫妻が信士信女だったからまずそれを居士大姉に変えないとダメって言われてこっちも意地になって幾ら払ったか
田舎の寺とか昔からの土地の地位とか身分にスゲー固執しててほんまクソ坊主だよ 太田亮 著『姓氏家系辞書』によると、
自分の本来の苗字が分からなくなってしまった人は、適当な苗字を名乗ったらしい。
日狂組や狂惨党の息のかかった糞社会科教師のせいで、国民の誰もが、
江戸時代の農民は 「 生かさぬよう殺さぬよう 」 生存のギリギリまで年貢をしぼり取られ、貧困のどん底いた、
って洗脳されただろ?
あんなの大嘘で、この種の貧農史観は、実証的な根拠なんざ何もない。
江戸時代の農民は想像以上に自由で、豊かな生活を営んでいた。
「 全余剰生産物w 」 とやらを収奪することなんざ、できねーから。
有史以来、最も徴税システムが発達した現代でも、
「 10 ・ 5 ・ 3 ( ドーゴーサン ) 」 なんて呼ばれてる。
把握できる所得は、給与所得者でほぼ10割、自営業者5割に対し、
農民はせいぜい3割が限界。
ましてや近代以前の江戸時代なら尚更で、
年貢の前提データの検地は、実質1600年代で終了したままだった。
ところが農業の生産技術は以降も進歩し続け、農作物は量的にも質的にも向上した。
「 百姓とゴマの油は、搾れば搾るほど出でくる 」 なんて諺があったのが、
それを裏付けている。
鎖国当時、日本で作った米は国内で消費するしかなく、全人口の7割以上が農民。
「 農民は自分で作った米を年貢で取られて、自分たちはほとんど食べれなかった 」 って ( 苦笑 ) 。
全人口の7割にあたる農民が食べなかったのなら、
一体全体、誰がそんなに大量の米を食べたんだ??
徳川将軍の食事ですら意外に質素だったのにw
ったく、マルクス革命のためには、被搾取層の存在と階層闘争が必要不可欠だからって、
日本そのものを陥れるようなねつ造ばっかしてんじゃねーよバカサヨチョン! ( 怒り )
08 >>451
史実では普通に試合して引き分けただけだし
武蔵の就職先は九州の細川元首相の御先祖の所だし幕府はほぼ無関係じゃね?
時期も多分関ヶ原より前だろうし >>460
士農工商も本来はただの羅列なのに
反乱起きないように農民の身分は上であるように偽装してたなんて教わったよ俺も >>463
そんな「偽装」で騙されるなんて馬鹿じゃね?とは思ったわ >>460
40年前
小学生だった時の担任が日教組教員で
黒板に得意げに
「生かさず殺さず」
とか書いてたのを思い出すわ
もちろん明治〜戦時中の日本のことは口を極めて悪く悪く教える
そして医者の息子という優等生がこれに追随
それ以外の意見なんか決して認めない
異様な雰囲気のクラスだったわ >>460
明治初期の資料を使って江戸時代を推測してみる。
明治6年(1873年)の地租改正まで、明治政府は基本的に江戸時代の税制を踏襲した。
地租改正前の明治5年(1873年)の総石高は『日本地誌提要』によると3221万7589石で、税収は1279万2564石。
このうち年貢である正租は1192万5174石、雑税は86万7390石。
『租税取調帳』によると明治2年の府県の年貢は全体の93%が米で納められている。
この数字を用いると、明治五年の税における米の収集量は約1109万石となり、およそ1100万石程度の米が税として取られたことになる。
次に、明治5年の米の収穫高を推測する。
明治7年以降『府県物産表』『全国農産表』などが作成され、それによると
2575万2378石 明治7年
2474万3791石 明治9年
2659万9181石 明治10年
2528万2540石 明治11年
3167万8289石 明治12年
2876万7729石 明治13年
2991万2029石 明治14年
3045万2220石 明治15年
平均収穫高は約2875万石。
明治5年は約2800万石程度と仮定する。
明治5年の壬申戸籍によると、全国の人口は約3480万人、このうち農は約8割で、農民の人口は約2784万人。
さて、江戸時代、明治時代には1人あたりの米の必要量は、年間1人平均1石2斗(成人男子は1石8斗2勺5合)とされた。
明治5年の米の収穫高を約2800万石とし、その内約1100万石の米が税金として取られたとして、農民2784万人の元に残る米は約1700万石。
全部食用に消費したとして、農民1人当たりの米消費量は平均約0.61石であり、1人1石2斗にたいする割合つまり農民の米食率は約50.8%となる。
農民以外の約696万人はどうだったか。
明治7年の『府県物産表』によると酒・味噌・醤油・酢などに約332万石が加工用として使われた。
明治5年は330万石程度が加工用として使われたとすると、1100万石―330万石=770万石が食用。
一人当たりの米の消費量は平均約1.1石となり、米食率は一人約91%。
以上のとおり、明治5年の推定米食率は農民が約50.8%、農民以外が約91%となった。
『天保郷帳』によると天保5年(1834年)の総石高は3043万5206石であり、明治5年(1873年)の総石高が3221万7589石だから、39年で6%弱の増加だ。
明治5年と江戸時代後期の人口・経済動態はそんなに違わないだろう。
江戸時代後半の米食率も明治5年とそれほど違わないと思われる。
やはり江戸時代の農民は米を腹いっぱい食べることができたわけではなさそうだ。 https://oshiete.goo.ne.jp/qa/1371427.html
>私は農村の貧富に立地の条件を強調しましたが東北地方の例だけでは不足ですので和歌山県紀ノ川上流の学文路村の庄屋大畑才蔵という人の「地方の聞き書き」を引用します。
この中の10人家族で2町5反を耕筰している例では米45石の収穫に年貢26石を納めて百姓取り分
米 18.96石
麦 40石
蕎麦4石
食事内容は一人当たりキビ粉0.14Lを雑炊にして朝食、夕食も同様。
昼食は一人当たり白麦2.5合となっている。
米を食べるのは正月盆5節句神事で年中26日だけと記されています。
米は肥料代などに当てるため換金するのである。
これが元禄期の紀州山間部の農村の一実態です。 >>427
中世日本人の大多数を占めた譜代下人を主人である豪農の手元から開放させたのが近世初頭の検地
再び小作人という名の根無し草に身を落としたのが近代 >>468
武士が帰農したケースなんて幾らでもあるから珍しくもなんともない 天領、幕府直轄領の税は安かったが領民が名字を許される理由はない
旗本領は3〜4割が領主、領民が6〜7割を取ったが
名主、庄屋で名字を許される例は時代が下ると多くなる
経済的に困窮していた旗本が援助の見返りとして許可したのが名字、プラス帯刀 >>472
地元の名主の日誌を読むと、小字ごとに旗本の名前が記録されてるので、その子孫に会ってみたい。
もっとも、うちは分譲地を購入したので、当時の農民の子孫ではないのだが。 >>462
俺の先祖は半農半漁民だよ。
たぶん、名字は先祖の故郷に因んで付けたんだと思う。 >>474
呼び慣れた通名を名字として届け出たのかもね。 ウチのところは名字がなくて屋号で呼び合った。
明治になって名字を付けろと言われて、
それぞれ違う名字を付ければいいものを
みんな同じ名字にしたもんだから、
結局現代でも屋号で呼び合ってるw
日狂組や狂惨党の息のかかった糞社会科教師のせいで、国民の誰もが、
江戸時代の農民は 「 生かさぬよう殺さぬよう 」 生存のギリギリまで年貢をしぼり取られ、貧困のどん底いた、
って洗脳されただろ?
あんなの大嘘で、この種の貧農史観は、実証的な根拠なんざ何もない。
江戸時代の農民は想像以上に自由で、豊かな生活を営んでいた。
「 全余剰生産物w 」 とやらを収奪することなんざ、できねーから。
有史以来、最も徴税システムが発達した現代でも、
「 10 ・ 5 ・ 3 ( ドーゴーサン ) 」 なんて呼ばれてる。
把握できる所得は、給与所得者でほぼ10割、自営業者5割に対し、
農民はせいぜい3割が限界。
ましてや近代以前の江戸時代なら尚更で、
年貢の前提データの検地は、実質1600年代で終了したままだった。
ところが農業の生産技術は以降も進歩し続け、農作物は量的にも質的にも向上した。
「 百姓とゴマの油は、搾れば搾るほど出でくる 」 なんて諺があったのが、
それを裏付けている。
鎖国当時、日本で作った米は国内で消費するしかなく、全人口の7割以上が農民。
「 農民は自分で作った米を年貢で取られて、自分たちはほとんど食べれなかった 」 って ( 苦笑 ) 。
全人口の7割にあたる農民が食べなかったのなら、
一体全体、誰がそんなに大量の米を食べたんだ??
徳川将軍の食事ですら意外に質素だったのにw
ったく、マルクス革命のためには、被搾取層の存在と階層闘争が必要不可欠だからって、
日本そのものを陥れるようなねつ造ばっかしてんじゃねーよバカサヨチョン! ( 怒り )
09 日本の権門勢家社会は家系図を沢山作ってた漢人の社会がもたらしたもの。チョンコの文化ではありません。 江戸時代に一部の人以外苗字を禁止されたが
禁止されたのは1801年
それまではあったんだぞ >>481
江戸時代も明治維新も全部駄目というスーパー日本叩き主義だぞ 古い戸籍を請求すると、文化生まれの人載ってたりするよね
多分、戸籍が編纂された明治初期にご存命だったお婆ちゃん
それより前は、まだ見たことない、民間の家系図やお寺さん頼りになるんだろうね >>464
だから実際は偽装でもなんでもなく
そもそも身分制度ではなかったっていうオチ >>484
現在請求できるのは明治19年式戸籍だから、
壬申戸籍からの改製後まで生きていた人なら載っているし、
「前戸主」として痕跡を残している人もいるわな。
文化→文政の改元が1818年、明治19年が1886年だから、
文化生まれで載っている人はそれなりの数がいるだろう。 >>485
反乱起こせば強いことを示す順序なのだから偽装ではないのでは?
商が下なのは人身売買やらせないために監視の対象だったからだろうな >>488
ニュー速+でも前にニュースになってたけど
士農工商は身分制度じゃなくてただの文字の羅列でしかないよ。
だから今では学校でも習わないと 農民も庄屋、土地持ち百姓、小作、季節労働者と他にもあるよね。 >>489
もちろんそれ捏造だよ
学校で習わないのも歴史修正主義だろうね
身分ではないけど実質的な効果はあったんだよ
あと貴族、大名、士族、平民などは身分だったね
明治初期の頃の戸籍には書かれていたんだよ
消させたのは近代化する中で差別が発生してしまい
雇用する上で妨げになっていたので記させないように
司法省から通達が出されたいたんだ
何度も戸籍制度は取り扱いを弄っている
1923年に全国水平社大会で抹消できるように通達を出させる
1938年も族称欄を消させることで身分を記させなくする
1970年代には高度経済発展の都合もあって壬申戸籍を封印する
ことになる
この辺の記録を教育機関は完全に隠蔽しようとしているね
無理やり解釈するならば混血を進めようとしている政策だよね
でもたぶんそんな高級は理由ではなく、狂信的なリベラリスト達が
やりすぎて、節操なく血統を否定しているだけだろうね
何も考えてなさそうだし
喜ぶといいよ、僕たちは歴史修正主義が今目の前で行われている
のを体験しているんだ >>492
> 身分ではないけど実質的な効果はあったんだよ
どんな効果があったのかね
なお、「貴族」「大名」は戸籍上の身分表記ではないな >>493
差別されちゃうんだよ、出稼ぎに来ても雇ってもらえないの
身分だよ、族称だもの、明治の頃は華族になっていた
貴族院もあったんだぞ
士族の場合は逆に身分が平民の落とされたから
不平士族たちが西郷隆盛を支持したんだ
これ江戸時代に士農工商が無かったことにして、
現場の教員はどうやって説明しているんだろうね
西南戦争とか教えるのに苦労していそうだ 《関東の農村は剣豪の宝庫》
馬庭念流 群馬南部の百姓流派
法神流 群馬北部の百姓流派
神道一心流 群馬北部の百姓流派
神道無念流 埼玉東部の百姓流派
柳剛流 埼玉南東部の百姓流派
甲源一刀流 埼玉北西部の百姓流派
天然理心流 東京西部の百姓流派
多摩の百姓出身近藤勇「兵は東国に限り候」
【幕末の武芸】
江戸(東京都区部)出身の幕末剣豪 → 男谷信友、勝子吉、寺田五右衛門、白井亨、高柳又四郎、千葉栄次郎、伊庭八郎、榊原鍵吉、山岡鉄舟…その他多数
埼玉郡(埼玉県東部)出身の幕末剣豪 → 秋山要助、岡田十松、戸賀崎熊太郎、中村万五郎
肥前国(長崎県)出身の幕末剣豪 → 中村一心斎、高尾鉄叟、渡辺昇
五畿内(大阪府+京都府+奈良県+神戸市)出身の幕末剣豪 → なし
幕末の大阪府は久喜市以下…
日狂組や狂惨党の息のかかった糞社会科教師のせいで、国民の誰もが、
江戸時代の農民は 「 生かさぬよう殺さぬよう 」 生存のギリギリまで年貢をしぼり取られ、貧困のどん底いた、
って洗脳されただろ?
あんなの大嘘で、この種の貧農史観は、実証的な根拠なんざ何もない。
江戸時代の農民は想像以上に自由で、豊かな生活を営んでいた。
「 全余剰生産物w 」 とやらを収奪することなんざ、できねーから。
有史以来、最も徴税システムが発達した現代でも、
「 10 ・ 5 ・ 3 ( ドーゴーサン ) 」 なんて呼ばれてる。
把握できる所得は、給与所得者でほぼ10割、自営業者5割に対し、
農民はせいぜい3割が限界。
ましてや近代以前の江戸時代なら尚更で、
年貢の前提データの検地は、実質1600年代で終了したままだった。
ところが農業の生産技術は以降も進歩し続け、農作物は量的にも質的にも向上した。
「 百姓とゴマの油は、搾れば搾るほど出でくる 」 なんて諺があったのが、
それを裏付けている。
鎖国当時、日本で作った米は国内で消費するしかなく、全人口の7割以上が農民。
「 農民は自分で作った米を年貢で取られて、自分たちはほとんど食べれなかった 」 って ( 苦笑 ) 。
全人口の7割にあたる農民が食べなかったのなら、
一体全体、誰がそんなに大量の米を食べたんだ??
徳川将軍の食事ですら意外に質素だったのにw
ったく、マルクス革命のためには、被搾取層の存在と階層闘争が必要不可欠だからって、
日本そのものを陥れるようなねつ造ばっかしてんじゃねーよバカサヨチョン! ( 怒り )
10 日本の身分はけっこう流動してて固定じゃないからな。戦で負けりゃあ国人やその家臣は帰農するし
姓を継続する習慣があっても不思議じゃないけどな。周囲の農民もそれ真似たりして
江戸期に入って幕府に怒られるから、大っぴらにしなかったえだけじゃないのw 身分制度がなかったとまでは言えないけど
士農工商ってのはただの言葉で間違いないよ
これに身分制度を表す意味はない 実家は地方の下級武士だけど、昔から近所の農家のほうが裕福なのよね、
家の造りが全然違う。
維新の結果、俸禄が無くなり、ただでさえ半農で家計の足しにしていたのがさらに貧しくなった。
近所の子供に読み書きを教えたり。 >>481
幕藩体制の頃が幸せだったということになると維新の意義が薄れてしまうので、公教育などで明治政府が意図的に歴史を歪曲したのは否めないだろうね。 >>489
士農工商は明治になってから使われ始めた言葉。
しかも、中国語からの借用らしい。
江戸時代の身分は武士か武士以外という区分で、武士以外は城下などに住んでれば町人、それ以外を百姓と分けてた藩が多い。 >>497
俺んちがそれだなw
親分が戦で負けて農民と地域のまとめ役になった
今の苗字もその頃から使ってるやつ うちは長野県岡谷の今井村出身だから、今井。
ばあちゃんは、ご先祖は今井の四郎兼平だって言ってたわ。なかなか誇らしかったが、郷土史を取り寄せたらなんも関係なかったわ。
(´・ω・`) 同級生が畑中耕作君の実家が魚屋と知った時は何か釈然としなかった >>458
えっ、ご先祖様の戒名を、遡って変えることなんて、
できるの? >>3
都市部じゃ売り買いされていたから役に立たない >>1
> ■農民も昔から名字を持っていた
>
子供のいない親族が無くなって、はら原本というのを取り寄せたら苗字はあったよ。
親が死ぬと子供が同じ名前になる。歌舞伎や相撲みたいに襲名してた。
百姓だけど苗字は江戸時代からあった。間違いない。教えられたことが嘘っぱち。 >>506
遡って変えるのは聞いたことねえな
金さえ出せば一代だけでなく、子孫が続く限り、永世大居士にもできるが、逆は知らんな >>492
士はもちろん特権身分だったが、農工商にかんしては身分じゃないだろうってことだろう。
身分といえば、むしろ百姓町人で、百姓の大部分が農民だっただろうが、工商やら医師もいる。 百姓といっても大庄屋は元は大名より由緒正しい城持ち武士だから普通の百姓とは没交渉だよ
婚姻も遠くの同階層からで似た者同士のやり取りとなる
武士もそう
大名同士は他大名と婚姻、養子縁組を繰り返し、親戚同士
しかし、家臣、つまり同藩との交わり無し
家臣は家臣で似た階級もの同士他藩とやり取りしてた >>509
戒名自体は変更はできないけど、位号は変更できるんだとさ
日狂組や狂惨党の息のかかった糞社会科教師のせいで、国民の誰もが、
江戸時代の農民は 「 生かさぬよう殺さぬよう 」 生存のギリギリまで年貢をしぼり取られ、貧困のどん底いた、
って洗脳されただろ?
あんなの大嘘で、この種の貧農史観は、実証的な根拠なんざ何もない。
江戸時代の農民は想像以上に自由で、豊かな生活を営んでいた。
「 全余剰生産物w 」 とやらを収奪することなんざ、できねーから。
有史以来、最も徴税システムが発達した現代でも、
「 10 ・ 5 ・ 3 ( ドーゴーサン ) 」 なんて呼ばれてる。
把握できる所得は、給与所得者でほぼ10割、自営業者5割に対し、
農民はせいぜい3割が限界。
ましてや近代以前の江戸時代なら尚更で、
年貢の前提データの検地は、実質1600年代で終了したままだった。
ところが農業の生産技術は以降も進歩し続け、農作物は量的にも質的にも向上した。
「 百姓とゴマの油は、搾れば搾るほど出でくる 」 なんて諺があったのが、
それを裏付けている。
鎖国当時、日本で作った米は国内で消費するしかなく、全人口の7割以上が農民。
「 農民は自分で作った米を年貢で取られて、自分たちはほとんど食べれなかった 」 って ( 苦笑 ) 。
全人口の7割にあたる農民が食べなかったのなら、
一体全体、誰がそんなに大量の米を食べたんだ??
徳川将軍の食事ですら意外に質素だったのにw
ったく、マルクス革命のためには、被搾取層の存在と階層闘争が必要不可欠だからって、
日本そのものを陥れるようなねつ造ばっかしてんじゃねーよバカサヨチョン! ( 怒り )
11 >>475
俺の先祖が日本に帰化したのは古代だから、
その時代に通名が認められていたのかどうか知らないけど、
俺の先祖が戦国時代まで住んでいた場所には多い名字だよ。
確か、そこ出身の戦国武将も同じ名字だった。 >>520
通名(とおりな)ってのは在日外国人の別名みたいな意味合いじゃなくて、農家だったら地名+名前とか、商家だったら越後屋みたいな屋号のこと。 >>498
そんなわけ無い、意味も無く書くわけがないじゃん
百歩譲って言葉だけならわざわざ消さないっての
それとも今まで士農工商は無かったと吹聴し続けて
立つ瀬がない人かな?
穢多内ですら
長吏・座頭・舞々・陰陽師・壁塗・土鍋・鋳物師・辻目暗・非人・
猿引・鉢叩・弦指・石切・土器師・放下・笠縫・渡守・山守・青屋・
坪立・筆結・墨師・関守・鐘打・獅子舞・蓑作・傀儡師・傾城屋
と細かく序列が決まっていた。これらは身分ではなく職能だったけどね
身分とも違うが、治安の為に移動にも制限がかかって
いたから関所があったし、今より扱いは厳しいよ
宗門人別帳から抹消された状態が非人になるってわけ
例えば身売りすると宗門人別帳から消されて畜生になる
身売りに関しては公は関与したくなかったと思われる
他にも、捨て子を丁稚奉公にしたり、妾制度も明治15年まであった
調べればぞろぞろ出てくる、それらを増やすどころか
無くしたんだからね。細かく教えるのは性教育と同様問題がある
だろうけど、関心のある子は士農工商をきっかけに身分制に
ついて調べられるようにして置くくらいはすれば良いのにね。
いくらなんでも教科書から消されたから無かったなんて言っちゃう
のは間抜けだし、それを大人が言ったらいかんでしょ。 士農工商ってのは身分ではなくて職能だよね。
しかも、明治時代になって初めて使い始められたワード。
歴史を総括するにあたって、わざわざ中国の古典から引用したそうだ。 >>512
どうしてそんなに農民は米を食べてたことにしたいの? >>522
刑罰の一つに非人落ちというのがあって、若い女性だと遊郭などに売られたそうだ。 >>510
しかし原則的に世襲だったとも言われているけど
どうなんだろうな、当時転職が有り得たのだろうか
あったとしてどのくらいの頻度で >>137
青森・秋田の金さんは読み方がコン・カネだったりするよね >>523
明治になって始めて使われた言葉だから
江戸の頃には実態がないなんて主張は素っ頓狂だろ
誤解されているようだが、当時はまだ現在のような近代的な
戸籍制度が存在しないから統一的な扱いがなされていない、
と言うのを身分制が無かったと言っちゃうのはかなりの曲解である
外国人を身分に含めるのならよそ者ですら手形が必要な時代だ >>529
身分制は否定していない。
ただ、それは士農工商ではなく、武士か武士以外(町人か百姓)という区分。 >>529
ちょっとよくわからんのだが、あなたの主張は、江戸時代に
「士」>「農」>「工」>「商」の別が身分としてあった、ということなのかね? ただ、金を出せば武士の身分(御家人株、足軽株)も買えたので、身分制度も我々が想像しているよりは緩かったのかもしれないね。 >>531
それもあるし、職業差別もあったかも知れない
江戸時代は幕府が転覆されるのを恐れて、
発明は非推奨だったからね、細々とやってはいたみたいだけど >>63
別にお前に恨みはないが、嘘捏造をなんとも思わないヤツらなんだから家系図くらいで安心はできない >>533
幕府とか藩とかが、中国古代の周代の士農工商という身分制度を採用したわけでもないが、
漢文を学ぶと、論語とか春秋左氏伝とか読むわけだから、
中国周代(しかも、その身分秩序が崩れ外れた時代)の頭になっていくわけだなあ。
英文読むとアメリカナイズされるような感じで。
そういう武士だと、商人は卑しいって差別意識はあっただろうな。
日狂組や狂惨党の息のかかった糞社会科教師のせいで、国民の誰もが、
江戸時代の農民は 「 生かさぬよう殺さぬよう 」 生存のギリギリまで年貢をしぼり取られ、貧困のどん底いた、
って洗脳されただろ?
あんなの大嘘で、この種の貧農史観は、実証的な根拠なんざ何もない。
江戸時代の農民は想像以上に自由で、豊かな生活を営んでいた。
「 全余剰生産物w 」 とやらを収奪することなんざ、できねーから。
有史以来、最も徴税システムが発達した現代でも、
「 10 ・ 5 ・ 3 ( ドーゴーサン ) 」 なんて呼ばれてる。
把握できる所得は、給与所得者でほぼ10割、自営業者5割に対し、
農民はせいぜい3割が限界。
ましてや近代以前の江戸時代なら尚更で、
年貢の前提データの検地は、実質1600年代で終了したままだった。
ところが農業の生産技術は以降も進歩し続け、農作物は量的にも質的にも向上した。
「 百姓とゴマの油は、搾れば搾るほど出でくる 」 なんて諺があったのが、
それを裏付けている。
鎖国当時、日本で作った米は国内で消費するしかなく、全人口の7割以上が農民。
「 農民は自分で作った米を年貢で取られて、自分たちはほとんど食べれなかった 」 って ( 苦笑 ) 。
全人口の7割にあたる農民が食べなかったのなら、
一体全体、誰がそんなに大量の米を食べたんだ??
徳川将軍の食事ですら意外に質素だったのにw
ったく、マルクス革命のためには、被搾取層の存在と階層闘争が必要不可欠だからって、
日本そのものを陥れるようなねつ造ばっかしてんじゃねーよバカサヨチョン! ( 怒り )
12 うちの村で江戸時代は小作人使ってたけど苗字はなかったよ。寺の記録に残ってる。 百姓は屋号を使ってた
同じ集落でもそれで区別
公に名乗れずとも苗字を持っていると自負してたのは帰農するまで武士やってた連中
そうでないのは公私ともになかった
百姓にもそれぞれあって、中で格付けがあったわけよ 細かい農民の記録まで残ってるよ。
天領の様子が残ってない 上杉 下杉 平野 中野 川辺 海辺 野田 梅田 武田 桜田
どれも目印になる地形・環境・方角。大きな木・川・海関連だべ 士農工商の士農の部分は武士と武士出身の土地持ち農民の事だからな
新田開発も武士階級の特権だったから土地持ち農民は苗字持ちが多かった >>492
>1970年代には高度経済発展の都合もあって壬申戸籍を封印する
壬申戸籍は部落出身者を見つける手段に使われたせいで閲覧不可になったんだろ
日狂組や狂惨党の息のかかった糞社会科教師のせいで、国民の誰もが、
江戸時代の農民は 「 生かさぬよう殺さぬよう 」 生存のギリギリまで年貢をしぼり取られ、貧困のどん底いた、
って洗脳されただろ?
あんなの大嘘で、この種の貧農史観は、実証的な根拠なんざ何もない。
江戸時代の農民は想像以上に自由で、豊かな生活を営んでいた。
「 全余剰生産物w 」 とやらを収奪することなんざ、できねーから。
有史以来、最も徴税システムが発達した現代でも、
「 10 ・ 5 ・ 3 ( ドーゴーサン ) 」 なんて呼ばれてる。
把握できる所得は、給与所得者でほぼ10割、自営業者5割に対し、
農民はせいぜい3割が限界。
ましてや近代以前の江戸時代なら尚更で、
年貢の前提データの検地は、実質1600年代で終了したままだった。
ところが農業の生産技術は以降も進歩し続け、農作物は量的にも質的にも向上した。
「 百姓とゴマの油は、搾れば搾るほど出でくる 」 なんて諺があったのが、
それを裏付けている。
鎖国当時、日本で作った米は国内で消費するしかなく、全人口の7割以上が農民。
「 農民は自分で作った米を年貢で取られて、自分たちはほとんど食べれなかった 」 って ( 苦笑 ) 。
全人口の7割にあたる農民が食べなかったのなら、
一体全体、誰がそんなに大量の米を食べたんだ??
徳川将軍の食事ですら意外に質素だったのにw
ったく、マルクス革命のためには、被搾取層の存在と階層闘争が必要不可欠だからって、
日本そのものを陥れるようなねつ造ばっかしてんじゃねーよバカサヨチョン! ( 怒り )
13 維新後は東南アジアから、時代が下ると台湾や朝鮮半島から大量の米を輸入してたくらいだから、米の自給率は低かったのだろう。 ジャップの家系図とか仮冒と背乗りで出来たインチキだらけだし
あれだけいる芸能人で
まともな武士の家系なのが松田聖子くらいなんでお察し
(´・ω・`) 俺の実家のある所は江戸時代は天領だったから、俺の先祖は名字を名乗っていなかったのかも。
ま、名乗る程の者ではございませんから、別にいいけど。 庶民に苗字ができたのは明治から、っていう学校教育はなんだったのか?
間違いなく学校でそう習ったぞ 平安、南北朝時代 勝手に名乗りをあげてたそうで
系図はムチャクチャww あれ?そういえば近所の墓
文化〇年とかいうのも名字があったな
この辺に武士など住んでるわけないのに 地方の郷士は武士身分のまま農業を生計を立てていたり、逆に士別株を買って武士身分になった農民もいたくらいだから、江戸時代は我々がイメージするほどには兵農分離が進んでいなかったようだ。 群馬は養蚕(女の仕事)が盛んだったので、男が働かず、無宿の渡世人になる者が多かった。
国定忠治や大前田英五郎のような侠客が有名だが、国定も大前田も地名だ。
はやり通名として地名はポピュラーだったのだろう。 >>536
白米が一般家庭に普及したのは徴兵で一般人が白米の味を知ってから >>555
庄屋なんかの豪農とか豪商は名字帯刀を許されてるケースは珍しくない
これで金を巻き上げられるからお上が強制的に許可してやるなんてケースがそこそこあったそうな わりと知られていないけど、農民は帯刀を許されてた。
もっとも、武士の二本差しに対して、農民は一本(脇差)のみだけど。
ヤ〇ザがドスを使うのは、農民出身の渡世人が脇差を所持していたのがルーツ。 >>558
国定忠治は、長岡という名字を持っていたりする。 >>563
渡世人は、普通の大刀を長脇差とごまかして差していたりしてたな。 >>563
百姓町人でも旅に出るときは護身用に脇差を差せた
やくざ者は大刀をたばさんで、いやなにこれは長めの脇差だと言い訳した
長ドスってやつだな >>558
上州は旗本の領地ばかりで大名が居なかった
侍がほとんど居ないということは警察がないみたいなもので、ヤクザの天下だった 国定忠治が千葉道場に勝負挑みに行って、弟子に諭されて帰った逸話って史実なのかなw >>34
高橋は複雑すぎる。
北九州の大友配下の立花氏に連なる高橋氏
愛知の水軍衆くずれの海賊の高橋氏
島根の山名配下の国人の高橋氏 >>178
家にキムチが混じってる事実に気づいてしまったようだw 土方歳三が農民出身なのは有名な話だけど、土方って苗字あるだろ
しかも彼の生まれた多摩らへんなんて土方姓だらけ
つまり農民も苗字は持ってたわけだ
それに江戸時代以前、戦国時代なんて農民出身の武将でさえ苗字持ってるやつだらけだし、当時は苗字なんぞ難儀な手続きなしで自称できた
んでそいつらが戦国が終わり帰農すればその家計はその苗字を受け継いでいく
てか石川五右衛門なんていう賎民レベルの野党でさえ苗字があったわけだし 江戸時代には百姓町人は苗字を名乗るなというお触れが出たけど、それ以前に名乗っていた苗字は持ってただろ
公式に使っちゃいかんというだけで、親戚づきあいするのに我らは〇〇一族だという認識は持ってた
明治になってその苗字を復活しただけという人が多かった
苗字を元々持ってないような人や、忘れてしまった人は新たにつくったけど >>570
関東は江戸城下から近いので全般に旗本の領地は多かった
上州が舞台になっている映画用心棒でも、巡回警察というべき関東取締出役が回って来たときだけはヤクザもあわてて抗争をストップしてた >>568
忠治が脳溢血でヨイヨイになって捕まってしまい、死罪が決まると、大親分らしく立派な死にざまを見せることが目的となった
藤丸駕籠で刑場へ運ばれるときには、情婦(いろ)に差し入れさせた銭を撒きながら進んだ
ハリツケとなって槍で突かれるたびにまだまだ死なぬぞと見えを切った
見物の侍ふたりの日記にそれぞれ十数回突かれてもまだ顔をあげていたと書かれており、その記述は一回分しか誤差がなかったから信用がおける >>575
関東は天領とか他藩の所領地も多かったし、日光御神領のような特殊な地域もあったからね。
ちなみに、大前田が縄張りにしてた前橋藩は20万石くらいあったから、まあまあの規模かと。 余談だが、国定の方に行くとベトナム人がとても多い!
県道沿いの農地はベトナム人ばっかり!!! >>579
安田って在日の人が好んで使ってたイメージ。 >>547
朝鮮に輸出できるほどの米があったのか
いつも、今も、米足りんのに >>578
大名領以外のところでヤクザが悪事を働いても管轄外ということで大名は手出ししなかったから、ヤクザはやりやすかった
かかあ天下と空っ風とヤクザは上州名物
木枯し紋次郎も上州三日月村出身ってぇ設定だろ >>583
国定忠治が群馬の桐生という街で強盗を重ねたんだが、あのあたりは出羽松山藩の所領地で、陣屋には武士が何人もいなかったそうだから、そういうところを狙ったのは否めないだろうね >>581
信長の野望にも出てくる有名な苗字なのに
選ばれてしまってかわいそうだ
正字チェックもできる字ないし ヤクザって要するに非人のことでしょ
江戸のように極一部の地域では非人には非人頭がいて
管理されていた >>586
もしかしたら解釈が間違ってるかもしれないけど、無宿になれば人別帳からは除外されるので、役人に捕まって非人手下という刑罰が下されればそうなるんじゃないかと思う。 うちは方位とか地名に一切由来しない市内に一族以外存在しない苗字
県内というか東北だと極少数派
過去帳によると江戸最初期に定住
家紋のついた小物と大小と口伝で我が家の苗字を伝えてたけど明治になって普通に名乗ったらしい
どこかの家中の鉄砲玉が一揆工作員の草として送り込まれてそのまま定着しちゃったんじゃないかとか爺さんたちは言ってた >>548
ジャップ連呼さえすれば勝ち誇れる在日バカチョン、劣等感と嫉妬、敗北感と絶望で発狂涙目
日狂組や狂惨党の息のかかった糞社会科教師のせいで、国民の誰もが、
江戸時代の農民は 「 生かさぬよう殺さぬよう 」 生存のギリギリまで年貢をしぼり取られ、貧困のどん底いた、
って洗脳されただろ?
あんなの大嘘で、この種の貧農史観は、実証的な根拠なんざ何もない。
江戸時代の農民は想像以上に自由で、豊かな生活を営んでいた。
「 全余剰生産物w 」 とやらを収奪することなんざ、できねーから。
有史以来、最も徴税システムが発達した現代でも、
「 10 ・ 5 ・ 3 ( ドーゴーサン ) 」 なんて呼ばれてる。
把握できる所得は、給与所得者でほぼ10割、自営業者5割に対し、
農民はせいぜい3割が限界。
ましてや近代以前の江戸時代なら尚更で、
年貢の前提データの検地は、実質1600年代で終了したままだった。
ところが農業の生産技術は以降も進歩し続け、農作物は量的にも質的にも向上した。
「 百姓とゴマの油は、搾れば搾るほど出でくる 」 なんて諺があったのが、
それを裏付けている。
鎖国当時、日本で作った米は国内で消費するしかなく、全人口の7割以上が農民。
「 農民は自分で作った米を年貢で取られて、自分たちはほとんど食べれなかった 」 って ( 苦笑 ) 。
全人口の7割にあたる農民が食べなかったのなら、
一体全体、誰がそんなに大量の米を食べたんだ??
徳川将軍の食事ですら意外に質素だったのにw
ったく、マルクス革命のためには、被搾取層の存在と階層闘争が必要不可欠だからって、
日本そのものを陥れるようなねつ造ばっかしてんじゃねーよバカサヨチョン! ( 怒り )
14 >>586
全然違うよ。
昔のヤクザは基本的に博打を打つことを生業とする者
現代的に説明すると公的な警察権力の及ばない場所がある。
むしろ、公の警察権の及ばない土地だらけなんだよ、
そういう所は民間人の助けを借りて治安を維持するわけ。
アメリカなんかだと民間人に保安官となってもらう。
日本だと同心が民間人の手下に十手を持たせて捜査権を与える。
そういう形で役人から警察権力を委託された民間人がヤクザになるんだ。
二足の草鞋(わらじ)とはヤクザの親分が目明しを兼業するという意味。
銭形平次も親分って呼ばれているのはそういうこと。
アメリカ映画「OK牧場の決闘」で有名な保安官のワイアット・アープもギャング組織の親分で敵対するギャングとの抗争が後世美化されただけw
博徒が捕吏を兼ねるなんて笑えるだろw まあ関東って特殊な環境だよな。江戸市中は幕府のお膝元だから厳しかったんだろうけど、
その周辺となると緩いんだよなあ。天領と私領が細かく入り組んでるんで、広範囲な警察行動がしにくいからな
ヤクザがその隙間に育つんだよな。村で自治組織作ったり、関東巡回警察みたいので対処してみたいだが、
ならず者が闊歩する西部劇みたいな世界やなw >>586が尋ねてるのは生業じゃなくて身分のことでは? 関東では農村の警備に非〇が雇われてた
城下町の木戸番もそうだよね
維新後、警察組織を整備する時、東京では非〇を警察官に充当しようとしたが、士族の反発があって断念した経緯がある >>412
日本に住んでる日本国籍者であれば日本人と混血していくし
日本国籍者で外国在住なら外国人と混血して外国籍に続いていくから
結局同じことやで >>381
現実の話をしてるんやで
少なくとも1000年遡れば全員どこかで天皇にあたるからな 関川って奴がいてさ、自分の先祖は武士だったって言い張る訳よ
んで俺は○藤だから藤原氏の家来だとか由来があるとかって話したらその関川が
「でも○藤にも農民はいるよ」とか言いやがんの
苗字でマウント取りたがる奴いるんだなって少し笑った 初代非人頭の車善七の出身地は、かつて伊勢神宮の神戸だった所。
神戸の民に名字は無かったと思うけど、いつどうやって名字を得たのか知りたいな。 苗字のスレ
…ってかまだあったの?w チミらも好きだなあw
で、何故かスレでは関東の渡世人の話題になってるけど
まあね、関八州は江戸の防備に大藩は措かないわけですよ。小藩はあるけどね
さらにそれ以外のその代わり幕領や旗本八万騎の知行地だの相給村だの
誰の支配かわかるようでわからないそういうやかましいところがあったわけだな。
管轄権って非常に重要な問題がようわからんのだから。
テラ銭、なんて言葉があるけど寺領なんかも別途あるしな。
ま、そういうわけで一刻過ぎれば五里先(八丁浜太郎はそうみたいよw)の
旅烏な渡世人にとっては実に過ごしやすい結構なところではあるんでしょうなあ。
なんせ「ガラをかわす」が有効なんだからwww
西部劇に出てくる州境越えのギャング団のアウトローみたいだwww
そういうわけでこれの対抗に関八州なら管轄権を有する八州廻り
関東取締出役なんてのができるわけだwww
で、何の話だっけ? このすれwww ああ、そうそう苗字の話ね。
渡世人が名乗っているっていうならそりゃ稼業名じゃないの?
あるいはそれこそ単純に出身地の地名とかね。
ほら、百姓と違って旅烏なんていうだけあって、地付き根付きじゃないからね。
そこは百姓同士の同名ネタからの屋号とは違うよね。
あとはまあ襲名とか? そんなんじゃないの。
だからまあそういう渡世人がとっ捕まって
幕府なりなんなりから処断されるときは
公式書類には無宿の何兵衛で終わりじゃないかな。
大抵は親元からも勘当義絶されているわけでね。
(そういうわけで公式な通行手形は入手できないんだが…そこは蛇の道はエビw
確か国定忠治の最期の罪状が関所破りじゃなかったかな。
忠治については岩波新書の『国定忠治』が面白いからオヌヌメ)
日狂組や狂惨党の息のかかった糞社会科教師のせいで、国民の誰もが、
江戸時代の農民は 「 生かさぬよう殺さぬよう 」 生存のギリギリまで年貢をしぼり取られ、貧困のどん底いた、
って洗脳されただろ?
あんなの大嘘で、この種の貧農史観は、実証的な根拠なんざ何もない。
江戸時代の農民は想像以上に自由で、豊かな生活を営んでいた。
「 全余剰生産物w 」 とやらを収奪することなんざ、できねーから。
有史以来、最も徴税システムが発達した現代でも、
「 10 ・ 5 ・ 3 ( ドーゴーサン ) 」 なんて呼ばれてる。
把握できる所得は、給与所得者でほぼ10割、自営業者5割に対し、
農民はせいぜい3割が限界。
ましてや近代以前の江戸時代なら尚更で、
年貢の前提データの検地は、実質1600年代で終了したままだった。
ところが農業の生産技術は以降も進歩し続け、農作物は量的にも質的にも向上した。
「 百姓とゴマの油は、搾れば搾るほど出でくる 」 なんて諺があったのが、
それを裏付けている。
鎖国当時、日本で作った米は国内で消費するしかなく、全人口の7割以上が農民。
「 農民は自分で作った米を年貢で取られて、自分たちはほとんど食べれなかった 」 って ( 苦笑 ) 。
全人口の7割にあたる農民が食べなかったのなら、
一体全体、誰がそんなに大量の米を食べたんだ??
徳川将軍の食事ですら意外に質素だったのにw
ったく、マルクス革命のためには、被搾取層の存在と階層闘争が必要不可欠だからって、
日本そのものを陥れるようなねつ造ばっかしてんじゃねーよバカサヨチョン! ( 怒り )
16 >>527
あっちの人も同じ読み方する例があるから必ずしもそうではないかな。 ヤクザの力を借りて捜査に協力してもらったなんて
警察が言えないように、当時も非人たちの力を借りていたとは
言いにくい事情があったんでしょう
これは遊郭も似たような扱いされている
この頃から名誉を気にする民族性だったんだろう
しかし一方で行政や司法の文書の隠蔽や改竄が常態化して
いたとも言えるわけで、近代化が遅れた(遅れたどころか
ぶっちゃけ日本の司法は歴史上近代化したことがない)
温床にもなった NHK「日本人のおなまえっ!」っで全国区になった森岡先生 >>594
>>>586が尋ねてるのは生業じゃなくて身分のことでは?
> ヤクザって要するに非人のことでしょ
>江戸のように極一部の地域では非人には非人頭がいて管理されていた
江戸時代の封建制度とともに成立した身分制度の士農工商に属さない人間を非人とするならそうだ。
しかし江戸の非人は、確立された職務組織でもあった。
江戸幕府に課役として下記のような公務を実行した。
江戸の町の警備と清掃、刑罰の執行実務、河川敷の整備、勧進(興行)権の独占、乞食の営業管理などを行なっている。
一方でヤクザのルーツは「無宿」の博徒と呼ばれる人たち。
博徒は賭場を開催することを生業としたが、表向きは真面目な商店の経営者を装っていた。
幕府・大名による城郭・城下建設,河川改修などを目的の公共工事には、働く人夫の為の高額の賃金が発生した。
そのような場所では博徒が賭場を開催して胴元となり人夫の稼ぎをイカサマ賭博で巻き上げ公共工事発注元の幕府や大名に上納していた。
現代のパチンコと政府の癒着と似ている。 >>608
一般論では「無宿」が非〇の要件。
だから、侠客=非〇と理解する人がいる。 昔のヤクザ映画は極道の妻とか、男はつらいよみたいに
風貌からしてヤクザなんだけど、最近のはアニメメイクされていて
ワンピース、まどかマギカ、鬼滅の刃みたいになっていて
表面的には宝探し、契約すれば願いが叶う、鬼退治になっている
やっている事はどれもシマ争い
事情に詳しくない人からするとどれもヤクザなんだけど、事情通からすると
ヤクザとはなんだ!と怒られてしまい、鬼退治をなさってくださっているんだぞ
と涙を流ながら訴える、でも戸籍上は鬼だから存在しない扱い 余談だけど、幕末になると江戸城下の3〜4割は日傭(日雇)だったそうだ。
日傭は基本的に「無宿」。
少なくとも中期までは人足寄場などを作って対応していたが、末期の頃にはもう身分制なんて崩壊していたのだろう。
地方では有能な下級武士や農民が藩の役職につくようになったしね。 明治初期の頃はまだ残っていたよ
初期の頃は新平民と言う記載のされ方もあった
労働環境や商慣行を近代化する上で、並列して身分制や
戸籍制度も近代化していかなくてはならなかったから
次第に薄れていった
薄れたと言っても今でも残っていて、風俗は表面的に
ない事になっているし、風営事業がアリバイ作りの協力もしてくれる
妾はないけど非嫡出子にも相続権を認める判決も出ていたり、
幕府がないんだから穢多は現在被差別されていないのに
未だに根に持っているのか、部落解放同盟だとか言って
奇妙な扱いになっている 苗字のスレだったのが昨日は渡世人の話で、今日は無宿のスレっすかw
なんていうかフリーダムなスレだな。
で、無宿。まあ人別帳から除かれた戸籍フリーランスw を
指す言葉で、江戸時代なんかそれだけで非合法なんだけど
確かね、江戸の享保年間だか天保年間だかに
幕府がね、江戸市中の無宿にアンケートとってんだよね
「チミは如何にして無宿人になりし乎?」ってねw
で、資料見ないでうろ覚えで書いてるけど
結構な数出ているのが「商家の奉公構されて」ってあるんだよ。
つまりね田舎から就活で江戸に出てきてw
商店に就職して景気悪くなってリストラされたら?
まあ帰農が原則なんだけどそれができなきゃ無宿だよねw
なかなか厳しいんだ。江戸のリーマン生活もwww
(逆に言えば無職でも親元住まいのこどおじは(勘当されない限りw)
これは無宿じゃないんだね。厄介者ではあるだろうがw) あたちは商人出身なんだけど、屋号を苗字の代わりにしていたよぉ♫ >>615
奉公先がダメになったところで帰農できない。
なぜなら、農家は長兄が相続するから。
逆に言えば、農地がないから奉公に出ざるをえないと言うべきか。
ただ、奉公先の商家で結果を出せば、番頭からの跡継ぎコースが見えてくる。
商家を継いだら御家人株で買えばいい。
これで身分ロンダリング達成。
農家の次男三男が士分格に成り上がり。 自分の名字は親戚以外見たことない
全国に50件もないみたい >>617
商家ってのは個人経営ばかりではないからね。 >>381
神話の時代じゃなくて、せいぜい古墳時代から数えても
1600年はあるわけだ。
当時の人口がせいぜい数百万人。
子孫を残せない系譜もあるから、今現在生き残っているひとは
大抵というか、ほぼ全員がどっかで天皇家とつながってるよ。
Y-DNAという意味じゃない。
子どもが多かった景行天皇の子孫は各地に散らばってる。
それ以外でも子沢山は多い。
源氏が数が多いが、10世孫の娘の嫁ぎ先の三女の嫁入り先とか
誰も知らんからなw
有力者は子どもをたくさん作る。
その子孫も庶民に比べて子孫を残す確率は高い。 >>612
元々地方は兵農分離が出来なかった説
兵農分離できたのは豊かな豊臣や徳川の直轄地だけ
>>619
秀吉さん「タップリ献金して財力と権力で近衛家の養子になって関白まで上り詰めたったw」 >>622
それはありうるね。
今のモンゴル人の殆どの人のDNAにジンギス・カンからのものを持っているらしい。
競走馬でいえば、殆どの馬がサンデーサイレンス直系みたいな感じかw >>615
商家に奉公ってうまい言い方しているけど、ようするに身売りだよな
士農工商で商が一番下の理由もこれなんだよね、没落しやすい位置にいたから 何度でもいうが士農工商じたいに意味はない
が、別に身分制度がなかったなんていってないだろ
一番身分制度が細かかったのは実は武士
これは龍馬がいくみればわかるだろ 最も高貴な名字は小石。小石とは宝石を意味する。
先祖が農民でも、きっと戦が嫌になって逃げて来た偉い人の子孫だ。 ないもんか、当時の風潮を言い表してはいたんだよ
制度としては無かったけど、何となくそういう扱いだったというね
例えば、農家から士族になるように、田舎から都に来た人が
事業で成功して乞食から商人になったケースがある
歌舞伎とか、姓だと中村というのが有名だわね
村なのになんで商人なんだろう?と言うのはそう言うこと
これは今でも続いていてお笑い芸人でも村が入っている人が
多いのはそういうこと、志村とか岡村とかいるでしょ
2chの管理人は西村だったみたいに うちの親戚は結構多いんだが
同じ姓なので、地名で呼び合ってるな。 >>623
南大門(ナンデムン)の戦い
日韓が併合する前には
国を守れなかったことを無念に思い
朴昇煥(パクスンファン)が自決しているんだぞ
ロシアと相討ちした圧倒的な日本の武力を前にして
多くの韓国軍は降参して解散したけれども
一部は無駄な抵抗をしていたんだ
規模が3000人しかおらず小さかったので
戦争としては扱われませんでした
朴昇煥(パクスンファン)の自決をきっかけに
南大門(ナンデムン)の戦いがはじまる
戦いと言っても一方的なものでもはや鎮圧だった 江戸時代の身分制度は、武士・町人・百姓。
士農工商というのは職能のこと。
つまり、農村に住んでる商人は百姓だし、農家の子息でも城下町に奉公に出てれば町人。
要するに、江戸時代の身分というのは人別帳に依る。 あの国は🇷🇺ロシアに吸収された方が
一番幸せだったのかも。
ロシアへ逃げた人は文化的な生活出来ていたらしいよ。
清朝統治は問題外だよ?!
それ、歴史間違えて教えられてる。
甲午改革で宦官終わったんだから。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%8D%88%E6%94%B9%E9%9D%A9
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