【社会】秩父宮、軍紀の乱れ懸念…日中戦争初期の書簡見つかる [朝一から閉店までφ★]
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【独自】秩父宮、軍紀の乱れ懸念…日中戦争初期の書簡見つかる
2020/11/15 05:00
昭和天皇の弟宮で陸軍軍人だった秩父宮雍仁やすひと親王が、日中戦争(1937〜45年)初期に旧日本軍の戦略や軍紀の乱れを懸念した書簡が見つかった。秩父宮が日中戦争に否定的だったことは陸軍関係者の証言などで知られていたが、秩父宮自身がその思いをつづった当時の文章は、研究者の間でも知られていなかった。
書簡は、同じ軍人皇族で当時、中国・華北地方に出征していた閑院宮春仁かんいんのみやはるひと王(1902〜88年)宛て。1937年12月30日(便箋4枚)と38年2月22日(同5枚)の2通あった。元宮内庁書陵部編修課長で、昭和天皇記念館(東京都立川市)の梶田明宏副館長が、神奈川県の小田原市立図書館の所蔵資料から確認した。
関係者に取材した伝記「秩父宮雍仁親王」(72年)によると、秩父宮は日中戦争中、陸軍の中枢で、東京にあった参謀本部に在籍していたが、中国大陸での戦線拡大に批判的で、速やかな収拾を求めていた。
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://www.yomiuri.co.jp/national/20201115-OYT1T50028/ >>中国大陸での戦線拡大に批判的
ここちょっと違う。正確には早期決着を要求してたのであって
拡大ではない。 >>3
お飾り。まぁまぁ戦死と認定されるのは一人だけ。 軍の命令に従わない関東軍は軍紀の乱れとかそういうレベルではないわけでw 陸軍が勝手に動いてネトウヨが支持してどうにもならなかった じゃあなぜ東条などを首相に任命して日米戦争などをやった
皇族も戦争責任の罪は免れない 海軍軍令部総長伏見宮も
艦隊派の台頭の原因で
開戦に向かった原因は作ってる 満州の最後の守りとして瀬島龍三が大本営から送られた時に
皇族の後任だったからその若さで満州任されるっておまえは皇族じゃないのかって
瀬島はソ連軍に疑われたらしいな
瀬島が農家の三男出身だって言っても
まぁ満州はほとんど守れなかったけど
陸軍の満州の部隊がどんどん南方に送られてスカスカになってたからな 軍の命令無視とかいうとアレだから
軍紀の乱れとか言ってしまうあたり
昔から日本人は変わらんなあ >>6
憲法上政府の下にないからなあ
まあなんだかんだ言って最後には従ってたよ
よその軍政に比べりゃかわいいもん 批判や懸念を示しても何も行動に移さないのが昭和天皇も含めた皇族の実態 1937年12月30日(便箋4枚)と38年2月22日
南京占領の時期だな。 この開戦派をそっくりそのまま
人民解放軍に当てはめるとこy
だからある意味蓄財とか腐敗のが
戦争に向かわず正しい工作だw まあ日本軍が参考にしたドイツ軍も
モルトケの頃までは中央の命令なんか聞かなかったけどなw 民間人の家に押し込んで鶏泥棒とかしてたんだって?ジャップ軍?? 昭和天皇も軍が暴走したって言ってるからマジなんだろう 昭和初期の日本は荒れまくってってたんでな
陸軍も統制派の軍務局長永田鉄山が軍刀でぶった切られたり
メチャクチャだったし
(´・ω・`) 昭和天皇は、聞く耳持たなかったのだろう。
やっぱり昭和天皇は、戦争責任は免れないだろう。
>>3
最前線には行かんやろ。 >>24
ついでにそこの姑娘犯してやったとか、いまじゃ醜聞だけど昔の兵隊の感覚じゃ自慢話の類だからな
九州の兵隊とか戦後しばらく経ってもそんな感じだったろ >>27
旧憲法でも天皇は任命はしたけれど
選んだ訳でないし拒否も出来ない
君臨すれども統治せず
それならば今の憲法でも内閣総理大臣は天皇の任命なので
戦争が始まったら天皇の責任問えレペル 有名な話、徴兵制かつ戦争が長引くと、必然的に兵士の質が悪くなる。
少数の職業軍人は指導を諦め「戦ってくれさえすれば良い」って感じで匙を投げるレベル。
これが現実、勿論国内ではそんな事しないが、警察や知り合いの目が届かない外地では日本人だろうとなかろうと規律が弛む。 軍紀が乱れてたからあの悪名高い「戦陣訓」が出来たんだよね >>30
昭和天皇が、開戦にも、戦争遂行にも、終戦にも、大きく関わったのは歴史的事実。 兵站や補給を無視すれば飢えて野党に成り下がるのは当然
まあ、イギリスの当て馬役が勝っては困るからわざとそうしたんだろうけどな 大正のシベリア遠征中も気に入らない将校ボコったり無茶苦茶してたんだろ? この人は実際、中国戦線で指揮を
摂ってるから 意見として
拝聴できる >>10
原因は作っているっつーか元凶そのもの
対米開戦に一番積極的だったのが伏見宮 秩父宮は中枢で軍案練ったり有能だった
皇族はノブレスオブリージュで成年男子はみんな出征してけっこう戦死してる 当時の中国人、日本軍のことを皇軍にかけて
「蝗(钴)軍」とも呼んでたらしいけど
「兵站能力もマトモにないまま、何の戦略意図性もなく(自分らでも分かってない)
ただ惰性でなだれ込んできて国土と民衆を踏みにじっていく勢力」
ってまさしくイナゴって感じだな
日本軍の中国戦線の行動ほど、戦略的な虚無やっているのは世界でも珍しい
良く言っても「蒋介石政権の縦深防御戦略にハマった無能」って感じ 日本は一次大戦の頃は捕虜のドイツ兵をめちゃくちゃ人道的に扱ってたのに
どうして急激に落ちぶれたんだろう 秩父宮は肺病で死ぬんだが死ぬまで陸軍の統帥権突出を止めずに
戦争遂行に協力したとしか言えない。
今さら日本皇室の良心顔されても皇国国民は浮かばれない。 シナと長期にわたって戦争していて泥沼化していたのに
米英と戦争始めちゃうんだから、朝鮮人にすらバカにされる
いまのヘタレジャップスからは考えられないほど
当時の日本は好戦的だったんだな これは ホタルの光じゃない
コロナだ
吉野家で牛丼 コロナだけが 知っている
記憶を無くした
豊島園のメリーゴーランドで 秩父宮をかついでクーデターをおこすと息巻いていた連中はどうするんだよー(´・ω・`) 明治維新に参加できず発言権が無かった連中(旧幕府系の地域・府県)が遅ればせながら政治経済に入り込むプロセスで国政や軍政の方向が脱線したのが大正から昭和の初めの時代。 部下に恋愛感情を持っていたと日記に書いてたな
ゲイであるのに結婚して妃殿下は黙認していたが日記のその部分もあえてさらしたところに静かな怒りと悲しみが感じられる
高円宮殿下がのちに(男系存続のため)皇族に生まれたら血を吐くような思いで結婚を余儀なくされたものもいると発言されていたけど秩父宮を偲んで語ったと思われる >>28
日中戦争 指導者
松井石根 愛知
西尾寿造 鳥取
畑俊六 福島
岡村寧次 東京
香月清司 佐賀 >>3
戦場にはあまり出なかっただろうけど、
男性皇族がみんな軍人になった理由は「軍部のわがままを抑えるため」
しかし実際にはまったく抑制などできずに、
逆に昭和天皇の指示にさからってやりたいほうだいだった宮様もいた模様 >>55
それは高松宮じゃなかったっけ
秩父宮妃は一度妊娠したけど、二・二六事件勃発で夫君とともに
赴任先の青森から急いで上京した無理がたたって流産した >>7
当時の朝日新聞などマスメディアがメディアスクラム組んで戦争を煽ってたからなあ >>4
陸軍
「その、早期決着をさせる為に、戦線を拡大させてるんだけど。南京陥落は必須だ。」
ベトナム戦争時のアメリカの北爆開始とか、インドシナ全域への拡大とかそういうのと同じ事を軍はしていた。 >>53 それって、226の時の話では?そうなら、日中戦争より前だろ。 日本人兵士は死を恐れぬ勇猛さだけど、基本的に戦略を練る
頭が無いんだよな
これは今も全く変わらない >>61 ネトウヨって戦争肯定するのに、なんで当時の朝日新聞を責めるんだ? >>31
格差社会の下で、金で釣って戦場に行かせるのが、現代のアメリカ正規軍な訳だけど、
その正規軍よりも、さらに選抜されたエリート部隊なのが、シールズとか、グリーンベレー等の特殊部隊。
彼らの規律ってどうなんだろうな。 >>1
昭和天皇はなんでもっと早く戦争やめようって言ってくれなかったの?
知らなかったで済む問題なの?
【問】 1930年代日本と支那って戦争していたの?
【答】 当時のユーラシア大陸東南部はおおくの国に分裂し並立していました。
なのでまとな国民は「戦争」ではなく「紛争」と呼びます
−−−−−
★『「日中戦争」しられざる真実』(光人社/黄文雄 2014)
<日本介入前(-1937)>
■1911年辛亥革命で清は滅亡したが、南京の中華民国(孫文)と
北京政府(袁世凱)間で争いが絶えず、1916年には各省の独立が続いた。
全国で省対省、県対県の紛争が絶えず四川省だけでも500回の
軍閥抗争があった。更に階級闘争という縦の戦いもあり混沌としていた。
■国民党内でも蒋介石派と反蒋介石で激烈な紛争があり1930年前後7年で
犠牲者は3000万人に及ぶとされた。
■治水も食料政策も無いので災害も絶えず、1928年の西北大飢饉で餓死者が1000万人に達した。
1927年の華中水害で900万人、1929年では5000万人、1932年の
冷害では6000万人が被災した。被災者は流民となり匪賊になった。
■日本軍の顧問は各軍閥で重用された。有名なものは張作霖の
町野大佐、張学良には松井少将。ドイツもゼークトなどを派遣。
「支那軍は近代戦は不可能だが遅延戦術による抵抗は可能」と分析した。
■日本が1931より支配している満州国では20世紀初頭に1千万人だったところが
流入が激しく1945には4千5百万人に達した。 >>26
石原莞爾の満州事変は大成功だったが、処分やその他を誤った為に陸軍大暴走の支那事変を招き日米開戦に繋がった
俺的には石原莞爾を中心に幹部を重営倉と陸軍刑務所にぶち込んで予備役か軍籍を剥奪して、甘粕正彦みたいにするか・・・後付けで昭和天皇の承諾を得て密命だったとでっち上げるか・・・のどっちかをすべきだったと思う
<日本介入中(1937-1945)>
■日本-中華民国間紛争は武漢三鎮占領で戦闘は終わった。内面積で
本土の50%にあたる151万平方km人口の4-5割主要都市を
ほとんど支配下におき工場労働者の90%生産額の94%に及ぶ。
兵員では圧倒的に少ない日本軍だったが。これ以降、日本軍は持久体制に入った
■日本-中華民国間紛争1937の最初の1年で北京,天津,南京,上海,広東,漢口の6大都市の
全て、大港湾の全て、鉄道網の9割、工場の大部分が日本軍の
手中に落ちた。ソ連や米国の援助が無ければ蒋介石は抵抗できなかった。
■日本軍が最も悩まされたのは支那軍の攻撃ではなく不衛生さによる風土病疫病だった。
ペスト、マラリア、赤痢、コレラ、梅毒、腸チフスなど。
戦傷病死者は戦死者をはるかに上回った。
■日本兵と支那兵の損失交換率は大体1対10。
米国人記者チェンバレン著「戦える日本」でもそう分析されている。
昭和14年陸軍省発表で被害10万人。支那側は100万人だった。
■『支那軍の特性』(参謀本部発行)では、「支那兵は自己中心的で責任感が
薄く、よく危険回避の行動を取り、流言飛語に弱く形成不利となると
潰走する。指揮官が部下を捨てて逃走することも多い」と分析。
■華北や華中も日本支配の後は、華中(北)開発株式会社などを設立し、
その下に華中交通、華中電力、華中綿花、華中鉄道、華中電信電話
など設立し開発を進めた。鉄道などは1千kmも建設した。 >>72 松井の処刑は気の毒だが、トップってそういうものだから… >>32
畑俊六、板垣征四郎、東條英機、山田乙三、今村均、鵜沢尚信、浦辺彰、島崎藤村、土井晩翠
この辺の連中が作ったのが『戦陣訓』
あの中身に関しては当時の官職を考えると、今村均、鵜沢尚信あたりの責任が重いと思われる 昭和天皇は弟たちの中でこの人だけをあまり信用してなかったのでは
早くに亡くなった事もあるけど、オレはこの人は分からない >>68
最近、オーストラリアSASRのアフガンでの殺害戦果競争が明らかになってる
米軍人が一緒にやりたくないってさ
ちなみに陸自はそれ察知してたのか特戦群は第二コマンドーと演習してるな
ドイツのKSKは極右ナチ思想の浸透て問題が出てきた >>66
当時のネトウヨ相当の連中は以下
・マスメディアに煽られるリテラシーの低い情報弱者
・組織的工作員
前者は郵政選挙でマスメディアに煽られて小泉政権を支持するような連中で、
後者は電通や統一教会、創価学会の関係者みたいな連中
戦前のマスメディアや海軍上層部には英米の息のかかった連中が多数居たようだね >>20
安全区委員会から抗議があった。
「姿を見せない神出鬼没の日本兵が強姦・虐殺・略奪を犯している。
(被害者は中国兵の犯行と言ってるけど、オレら親中だし、まあいいか)」
抗議を受けた上海の偉いさん達、前線司令部に叱責。
前線司令部の参謀達は嘲笑して取り合わず。(現場は日本兵がいない場所なのは確認済み)
上海の偉いさん達、「軍紀が乱れている」と怒り。←これと
安全区委員会が犯人を確保……「中国軍便衣兵の犯行でした」テヘッ
前線司令部「知ってたw」
上海の偉いさん達、「オレは悪くない」←これ さすが秩父宮様だ
武藤や田中を処刑しておけば、対米戦争にはならなかった 日本 は
南京 満州 政略
蒋介石は 利用された だけ >>77
というか軍人か神輿に担いでクーデター計画してたからな
それが嫌だから昭和天皇は軍自体を潰そうとして太平洋戦争になった >>85
蒋介石はアメリカの犬
犬をけしかけてボコボコにされたら飼い主自ら出てきただけ >>59
皇族の長老格だった伏見宮博恭王に至っては艦隊派のボスとして戦争を煽ってたよ もう死んだ親父が言ってたが、昭和10年頃からどんどんノリが変わってったそうだ。
俺自身も年寄りだが、昭和のその頃は、学年が2年3年違うだけで、国家による
小学校教育での洗脳とか新聞やラジオによるそれの違いで、今で言えば20年ぐらいの
ノリの違う別の世代みたいだったそうだ。
父と数歳違う母は、もろに軍国教育で小学校でナチスの旗持って振らされてた世代で
親父にいわせりゃとんでもねえ世代。母は終戦直後のあまりの方向転換に政治不信で
その後の左翼の間での内輪もめでもあきれて、右派も左派も信じねえ世代に。
この記事で言えば、まだまだ何でもありで国家の統制もきかねえ野生みてえな
原始の世代が大正まで居て、特に農村部のノリなんて今の留学生作業員への
むちゃくちゃな使い捨てみてえなひでえのが練度もないままに軍に召集されてて
軍もまだ大雑把でいい加減で全体主義や統制を極めてなかったんでねえのかと。 >>44
そのプロパガンダが本当なら、重慶に攻め込んでるだろう
兵站計算から不可にされ続けたことと矛盾する
村々の食糧を焼き払うのは撤退する軍が敵に使われない為にやる
中国軍の文書にも焼土作戦の実施は書かれている 南京事件を当たり前の事実として書く記者の資質からすると読むにすらあたらない。 一夕会の永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中信一
ここらの思想と戦略から
石原莞爾は日本とアメリカの世界最終戦争が起きるからそれに備えて資源確保で
満州事変を起こして処分曖昧
で永田がドイツの敗戦から資源確保は必要と同調
その後226などで陸軍の綱紀粛正どころか権力拡大
そのご永田の後を武藤が引継ぎ華北など確保へ
日中戦争始まり武藤田中が主導権を握り泥沼化 >>44
陸軍には、戦争を以って戦争を遂行させる
という自己目的化の戦略()があって、
只々戦域を拡大させて、占領地に軍票で経済圏を作って
そこで得られた金でまた戦争する、という・・・ 日本 は シナ には
戦意は ありません
対米戦争は 自衛です >>93
いまだに否定してるのなんてカルトウヨ以外にいるんだな 真珠湾攻撃は
1年前から 準備して
米軍は 知っていた >>77
わずか一歳ちがいで体格体力も気質も昭和天皇よりまさり、母后から偏愛された
軍人向きで、文弱とされた兄帝よりも軍人からの評価は高く、ニ・ニ六で皇道派からかつがれた
それやこれやで昭和天皇は早くから秩父宮を警戒しており、赴任先の弘前にわざわざ妃を帯同させたのも、
夫君の「スパイ役」をさせるためでもあった(ふつうは妃は帯同しない)
戦後の闘病から病没まで、昭和天皇は一度も見舞っていない(高松宮の闘病には見舞っている) >>34
いやしくも大元帥陛下だからな
天皇に戦争責任が無いと言うのは、本人は無能無気力の極みで、軍部と取巻きの完全な操り人形だったと言うのと同義で、亡くなった天皇に対して失礼だろう >>34
昭和天皇は和平を望んでいたことは連合国でも認められており、問題視されたのは開戦を阻止しなかったこと。
即ち、むしろ積極的に関与しなかったことが「日和見主義」だと問題視されたわけで、開戦の判断には積極的に関わっていないのは自明。
無論、そうやすやすと天皇が政治判断に関与できる状況ではなかったが。 >>95
諸悪の根源(米国にとっては逆だったかも?)の石原莞爾が処刑されずに
故郷の山形県へ帰って山形県内のとある田舎で晴耕雨読の生活をした後に
弟子たちに見守られながら畳の上で生涯を閉じたのが納得できない
もっとも石原の子孫は有能でマスコミ界を始めとして大活躍しているから
子孫繁栄のためにも処刑されなくて良かったという考え方もあるだろうが 実際には 軍部の 権力は
東條 海軍 陸軍
陸軍なんかには 権力なかった 226事件で誰も、何も軍に言えなくなってしまった。
総理ですら >>「戦争によって戦争を養う」
別に珍しいものではなく、ナポレオンの時代からあるものです。
−−−−−
●石原完爾(1889-1949元大本営作戦部長、陸軍少将)
■大東亜共栄圏での民族的分担
日本人は軍事と大規模な企業
中国人は商業と農業
朝鮮人は水田
蒙古人は牧畜
■「戦争によって戦争を養う」
日本軍による占領の維持費(主要都市、鉄道の守備)は、支那における
「関税・塩税および鉄道収入」によってまかなう。
占領地の徴税、物資、兵器により自活する。
■支那の占領計画
華北、華中は日本軍の直接統治。華南は親日的な支那政府を使う間接統治。 >>76
そんなもんよりハーグ陸戦協定を批准して軍人に教育しとくべきだったな。
「捕虜の労役は禁止」
「交戦地域では武器を隠し持っていない限り、軍服を着ていない民兵も
正規軍人と同じ捕虜待遇を受ける」
この2点を教育しておくだけで、戦後、戦犯として処罰される
人は相当減っただろうに。 軍は天皇も騙して
天皇ですら、軍に何も言えなくなってしなった
逆らったら、殺されるか退位させられる >>34
政治にかかわる決断をあえて避けていたのは事実で、
理由は二・二六で「反乱軍」と断定したことにより皇道派を潰滅させ、統帥派に主導権をにぎらせる結果になり、
日中戦争を泥沼化させたことへの後悔だといわれている
しかし統帥権が政治から独立していたから、純粋に軍事的なことにはかなり積極的に口出ししていたことが、
研究者によって解明されている
(だからといって東京裁判の結果は覆らないけど) 南京政府 なんか シナ人たちに
大歓迎されたんだよ
しかし 南京政府は 市民から
奪略ばかり
張学良 が 悪い >>9
開戦時の首相が皇族だと皇室に責任が及ぶから東条を選んだ
って昭和天皇が独白禄で言ってた 張作霖爆殺事件のときも
河本大佐きちんと処分しないし
昭和天皇はお怒りになられたんだけど
陸軍はちっとも反省しないし 昭和天皇が積極的に関わったのは
・226事件犯の逆賊認定
・終戦 三笠宮も支那派遣軍参謀のとき若杉大尉として、日本軍の軍紀が乱れ、中国共産党軍の
軍紀が優れており、これでは中国が共産化するのは当然という報告をしている。 >>107
ていうか、政府が軍になにも言えなくなったのは、
東條英機が始めた「陸軍大臣を推挙しない」(これをやられると
内閣が自動的に潰れる)という恫喝のせいだろ。
後で東條は自分が総理大臣になったとき、後輩たちに同じことを
やられて詰むわけだが。 >>112
南京の事は赤十字本店に記録あるはずなのにダンマリよね 226事件の安藤大尉と親交があったんだよね
安藤大尉は参加したくはなかったんだろうな >>89
2.26事件のとき、反乱部隊を罰せず認めるゆおうな収拾案をまとめた会合には、荒木や真崎だに混じって皇族軍人が3人も入っていた(朝香宮鳩彦王・梨本宮守正王・東久邇宮稔彦王)。
(東久邇宮稔彦王とか、いろいろ昭和天皇を悩ませていた問題皇族。)
秩父宮も陸軍で2.26首謀した将校と仲良くなり国粋思想に染まりまくり。
その中で、昭和天皇は若いのに筋を通した。やはりすごい君主だったんだよ。 >>115
その前に田中義一の事実上の罷免があるね。 ネトウヨが新聞や軍部を操って戦争へと駆り立てていったからなぁ
天皇でさえネトウヨの狂信的な戦局拡大方針を止められなかったんだよ >>110
奈良武次が侍従武官していた時に
武藤信義の熱河作戦を追認させるために天皇にそう脅したらしいな
上原勇作や武藤信義と奈良武次の関係を考えるとわかりやすい 上原勇作 武藤信義 宇都宮太郎
このへんの九州のアホどもは国民の手で裁かないといけないとおもう
アホ息子がミノファーゲン製薬の創業者しているけど
自分勝手な理屈で必死に父親を擁護していて胸糞悪かった 軍人・秩父宮が日中戦争長期化に批判的だったのは、もともと皇道派に近かったことと関係があるんだろうな。昭和帝ほど非戦的だったわけじゃない。
>>115
あと、厳密にいうと2.26事件の時の逆賊認定は、天皇としてではなく、大元帥としての立場でやったこと。
昭和帝は明治憲法の遵守を常に気にしていたので、そこははっきりさせるため、2.26発生から収拾されるまではずっと軍服を着ていた。 近衛も昭和天皇も中国からの撤兵に必要性を認めてたのに、
内大臣の木戸幸一が上奏を握りつぶし松岡洋右が三国同盟締結。
日本は英米ソを敵に回し全面戦争に突き進んだ。
ニキサンスケに代表される満州閥が太平洋戦争を引き起こしたようなもので、
だから昭和天皇は松岡が合祀されて以降の靖国参拝を拒絶してる。 満州なんてもんさえ建国しなければ
日国合作(日本と中国国民党の協力関係)を築いて
その後、朝鮮戦争もベトナム戦争も無かったかも
しれんのになあ 明治天皇の妹を
清王朝に あげてるんよ
李氏朝鮮にも >>113
それはダウトだよな。
東条は統制派の幹部だが、陸軍幹部の中では天皇への忠誠心がある方だったので、主戦派にも影響力のある東条なら主戦派を抑えることもできるとして敢えて東条の首相任命をしたというのが通説。
事実、東条も最初はある程度天皇の思いも踏まえる如く外交交渉を先行させた。 >>123
太平洋戦争を始めた近衛内閣は共産主義者だらけのパヨク政権だよ。
大政翼賛会も大東亜共栄圏も一種の共産主義だからね。 陸軍はホンマに規律クソだった
なーにが下克上な気風だwww
命令系統を無視して戦争勝てる訳がねーしwwwwww 久迩宮の裕仁が病死したから
連れてきた 成りすまし >>31
目に余るような行為があれば銃殺刑にしてたがな
戦地と言っても前線と後方で違うし
地域によっても現地民の接し方は異なる
そもそも中国軍は日本人を凌辱したうえで虐殺したり
捉えた兵士を斬首や、生きたまま目玉をえぐり取るなど凌遅的な殺害したところもあるのだから
報復されても仕方のない立場だ >>129
むしろ大陸には満州国を作ったところで満足して、満州の開発に専心していればよかったんじゃね?
リットン調査団報告だって、国際連盟を除名されるわけじゃなし、既成事実を作って満州をそれなりに栄えさせれば、列強もそのうちまあ承認するだろ。
(当時は欧州列強だって世界に植民地持ってたから今と価値観が違う。)
石原莞爾の戦略思想はそれだったはず。
ところがキチガイみたいな軍人が日華事変、南京事件、重慶爆撃、ノモンハン、仏印進駐とデタラメ繰り返した。
司馬遼太郎が言う、政治的集団発狂な。 満州をアメリカと一緒に統治してれば
先の大戦は戦勝国になれてた
欲をかいた財閥や軍がめちゃくちゃにした
個人的には負けてアメポチしてるほうが
国民は幸せだと思うがw >>140
列強は満州までは黙認するつもりだったといわれているね >>127
あの松岡ですら熱河作戦の前は国連脱退に反対して譲歩を引き出すべく動き回るようなまともな人間だった
皇道派のアホが引き返せないところに追いやってしまった >>140
満州国を作ってそこに何十万人も植民する計画を立てれば
イスラエルとパレスチナみたいな衝突が起きるのは必然だと思う 太平洋戦争しても
アメリカには 何のメリットも
無かったんだが >>145
アメリカ国内のモンロー主義で多くは欧州大戦不介入
日独伊三国軍事同盟を理由に
日本と開戦にならばドイツに宣戦布告できる
日本が予想以上に善戦したのだけがルーズベルトの計算ミス >>143
ドイツ行ってヒトラーに買収されたんじゃとお上に疑われていたなw >>144
そりゃあ、かりに太平洋戦争が無くても、20世紀後半は植民地終了の時代だから、いつかは満州を日本は手放すことになる。
しかし、満州国には既に大量の日本人が植民していたが、パレスチナのような衝突関係は起きていない。満州は人口密度が低くて広大だから、植民できる土地がいくらでもあった。
パレスチナ/イスラエルはすごく狭い土地で、しかも水があって農耕できる土地は限られているから、土地を取った取られたでああなってんだよ。
満州国面積 155.4万平方キロ
イスラエル面積 2.2万平方キロ >>132
虎穴にはいらずんば、ね
あと事務能力を買ったというか、お上の好きなタイプでもあった >>45
第一次大戦では主役ではなかったし余裕があったからでは
軍規もよく守られていたというし
第二次世界大戦の末期は軍規を守るどころじゃなく軍隊内部はめちゃめちゃだった
戦後の食糧難の時期に食糧で釣って女性を騙し、多数の強姦殺人をやった犯罪者の小平が、
取り調べにて、「日本兵は現地人の食糧を強奪し女を強姦して殺して、現地ではほんとに嫌われていた
オレも現地の女を何人も殺したけど、憲兵だってろくに取締もしなかったし、だからオレは憲兵あがりのオマワリなど怖くない」
という内容の証言をのこしている
凶悪犯罪者の証言とはいえ、まったくのウソではないでしょ(小平は戦時中は徴兵され中国にいた)
兵士個人の責任というより、日本軍全体のグランドデザインに大きなミスがあったとおもわれる
私は兵站の軽視が最大のミスだと思っている >>45
一流国に見せかけるために無理して大金を垂れ流しただけ、それについては >>146
まあ、アメリカ参戦なしでも、ドイツはアメリカのレンドリースの物量とソ連の人海戦術に追い詰められてアウトだったでしょ。
真珠湾の2日前に、レニングラードのドイツ軍は降伏してる。
英軍もノルマンディー上陸作戦しなければ、ソ連が人口をすり減らしながらも、対独勝利して、西ヨーロッパまで来ていたかもしれないが。 >>149
細かい実務が得意だったらしいね。
戦後では橋龍が行政の事務に細かいところうるさくて、官僚が説明に行くと枝葉末節にこだわる癖があったらしく、霞が関の官僚から「橋本課長補佐」と言われてた。
(総理に説明に行くのは各省の局長以上の幹部。) >>147
その松岡の上司にあたる内田康哉は露骨に満鉄利権に懐柔されて変節したからな
焦土外交とか狂ってるよ >>150訂正
小平は徴兵ではなく志願で海軍兵になり、
中国に駐留していた(戦争末期ではなくて初期) >>148
満州の地にはもう既に満州民族が住んでいたんでしょ?
(キン肉マンに出てくるラーメンマンの髪型をしているような人たち)
モメない訳ないじゃない。土地空いているからって外国人に僻地入植を
認めてそこに勝手に国を作らせるの眺めているアホおるんか? 秩父宮はイケメンで明朗闊達な美丈夫だったから母君に溺愛されて昭和天皇はあまり面白くなかったみたいだね >>156
あそこは女真族の土地で漢民族の入植は禁じられていたので住み着いていたのは密入植者ばかり
傀儡国とはいえ清朝残党による満州国建国の言い分にも筋はあった 陸軍法規を丸暗記したり、メモ魔だったりなんでもじぶんでやろうとしたり
たしかにそういう細かいところまで口を突っ込むところは橋龍に似てる
宮沢ほど厭味ではなかったろうけどw >>154
広田がいたり吉田がいたり、戦前の外務省は自由というか支離滅裂というか >>45
第一次大戦のころの日本はまだ、大隈重信内閣、寺内内閣。維新参加者だよ。(大隅は維新で活躍、寺内は元奇兵隊。)
そして山縣有朋とか井上馨など維新の中心メンバーも生きてる。
西洋列強の恐さ、国際社会で認められるための国際法遵守、そういう意識が支配者の認識の根本にあった。
明治維新を担った世代がいなくなって維新思想が消えたら、昭和の狂信的軍国主義が始まった。 >>156
事変前の満州なんてほとんどが荒野だよ。女真族っていったって人口密度非常に小さく、土地所有なんてぎちぎちに決まってない。
他方、シオニズムでユダヤ人入植が行われたパレスチナは、人口密度が遥かに高く、社会がもうがっちりできていた。都市では西洋型の商業・工業がすでに盛ん、農地はパレスチナ人農民が丁寧に耕してる。そこにユダヤ人は最初は土地買収で入植し、イスラエル独立戦争では武力で取り上げてしまった。 >>154
>焦土外交とか狂ってるよ
それはもう外交ではないなw
軍部だって焦土なんて言葉は使わなかったのに。 >>161
維新前後を起点に30年1代としてだいたい3代
国家も企業も滅びる時期ではある >>126
逆に昭和天皇に不満をもつ連中に担がれる状況になりかねなくて
陛下からかなりお叱りを受けたというね >>164
軍部の暴走は論外だが、政治家も官僚も財界もマスコミも同様に戦争を煽ったのは忘れたくないよね
陸軍にだけ責任を押し付けると、また同じ轍を踏む 清朝皇帝は満州族の人で漢族は長年に渡り支配されてきて
ようやく清朝が終ってようやく俺たちの時代だって時に
外国軍を連れてきてまた支配されそうになるのだものね。
日本人的には錦の御旗みたいな感覚なのだろうけど... なぜ日本が満州に固執したのかが謎
第一にはロシアの南下政策を牽制するためだといわれる
世界史的にロシアほど敵だらけで味方のいない国はないし、その理由はありそうだけど >>165
山縣とか井上馨とか寺内とかは、幕末に長州が四か国連合艦隊にコテンパンにやられたのを自分達で経験してるから、西洋を甘く見たら死ぬとわかっていたんだろうw >>161
板東俘虜収容所の所長を務めた松江豊寿って会津藩なんだけどね >>161
その人たちは維新の功労者ってほどでもないでしょ
内戦が一段落して出てきた文官だろう >>171
不平等条約での苦労や国力、制度、技術の違いも身をもって知っているしねえ >>173
本当の維新の功労者は暗殺されたり内乱起こして死んじゃっただけw >>168
海軍にも、石川信吾・軍務局二課長とか、お前が結局対米戦争起こしたとも言えるだろ、というべき軍人いたし。
外務省にも、狂信軍部と仲の良い独伊との三国同盟派がいたし。
そもそも報道界も、学者の世界も、教育界にも、芸術界にも、いたるところにそういう連中がいたわけさ。
世間の流れに同調・迎合する情けない国民性、日本人は克服できるのか。 >>170
国内で米が足りなくなり
移民もハワイ西海岸で受け入れてくれない
農家の移住先が必要だった
かつ石原莞爾の世界大戦に備えて資源確保 >>134 満州事変で勝っちゃったから、そうなってったんだぞ。(´・ω・`) >>175
残ったのは小粒のみだが今の政治家よりはちょっとは気合い入ってたかもな >>176
いま9条、9条!と言っている人は戦前に生きていたら対米開戦!八紘一宇!と叫んでいたと思うw >>145
中国利権を日本に侵されないために、アメリカにも必要な戦争だっただろ。
結果的に、中国が共産化して無意味になったのは、結果論。(´・ω・`) >>173
馬鹿を言ってはいけない。
山縣有朋なんて、明治維新(革命)の中心の中心。廃藩置県や国軍創設(各藩の武装解除)を考え、西郷を味方につけて実施した維新の超大物だぞ。若き日の長州では奇兵隊の隊長。
井上馨は、伊藤博文と一緒にテロ活動やって、英国公使館に爆弾投げに行ったりしてる。井上の刀傷も有名。どこが文官なんだよww
寺内も元奇兵隊員。 >>183
若い頃血気盛んな連中のほうが歳を重ねて自重するようになるのかねえ >>179
不正蓄財したり女好きだったり酒乱だったり、自分の家の犬に「いぬ」と名付けたりする小物ばかり生き残ったが、富国強兵に掛ける情熱だけは本物だと思うぞ >>168
マスコミについては新聞紙法があったのでいたしかたない面がある
新聞雑誌以外の出版物も出版法により検閲を受け、政府や軍を批判する内容があれば投獄され拷問
岩波の当時の社長も酷い拷問をうけ、戦後は大の警察嫌いだった >>186 内務省の検閲を無視して、マスゴミガー言ってるデマウヨが多いな。(´・ω・`) >>183
しかししかし、木戸や江藤や西郷、大久保、大村、岩倉らに比べれば小物だ
岩倉以外はろくな死に方してない >>184
自重とかじゃなくて、物事が良く見通せる人達だったんだろ。幕末の日本で、世界情勢の中の日本の生きる道を考えて、世界史に残る革命を起こした。普通じゃない。
みんな若いときは武闘してたから、明治前半の新政府なんて、カストロやゲバラが作った革命政府みたいなものをイメージするといいんだろう。 生きて虜囚の辱しめを受けずを最初に言ったのは山縣有朋だよ
最後は宮中某重大事件起こして爵位剥奪せまられて権威失墜してるし
陸軍人事に長州をごり押ししてくるし権力欲が強い人だったのはたしか >>188
>>188
岩倉、西郷、大久保は別格中の別格ですw
岩倉は倒幕の第一の功労者ではないかな。
でも維新政府のある時期までの政治を見れば、山縣は、大久保に次ぐ重要な役割を果たしたと思う。特に、国家の形を決める頭脳(武士の廃止、平民の軍隊。廃藩置県)を彼は持っていた。後年の評判は悪いが、ひじょうに面白い人物。
>岩倉以外はろくな死に方してない
岩倉も赤坂かどっかで夜道襲われて、暗闇のなか脇の溝かなんかに隠れて逃げおおせたりしてるから、運。 >>115
昭和天皇は英米線に否定的だったが、立憲君主として振る舞い、開戦を否定しなかった。そして、独裁者として戦争を終わらせた。一貫して戦争指導をする独裁者がいなかったことが、当時の日本の不幸。 >>190
長州閥の専横や宮中某はともかく、軍部大臣現役武官制は将来に禍根を残したと思うね
復活させた馬鹿が誰だったか忘れちゃったけど
しかし長州の人間に金に汚いのが多いのはなんでなのか [ 軍人及軍隊の住民に対する不法行為が住民の怨嗟を買ひ、反抗意識を煽り、共産抗日系分子民衆扇動の口実となり、治安工作に重大なる悪影響を及ぼすこと尠しとせず。
…強烈なる反日意識を激成せしめし原因は、各地に於ける日本軍人の強姦事件が全般に伝播し、実に予想外の深刻なる反日感情を醸成せるに在りと謂ふ。
…山東河南河北南部等に在る紅槍会大刀会及之に類する自衛団体は、古来軍隊(?)の掠奪強姦行為に対する反抗熾烈なるが、特に強姦に対しては各地の住民一斉に立ち死を以て報復せるを常としあり。
…各地に頻発する強姦は単なる刑法上の罪悪に留らず、治安を害し軍全般の作戦行動を阻害し累を国家に及ぼす重大反逆行為と謂ふべく。
…若し之を不問に付する指揮官あらば、是不忠の臣と謂はざるべからず。
…住民地付近の交通を匪賊が破壊せりとの理由に依り、住民の家屋を焼却するが如きは、徒に無辜の住民をして自暴自棄に陥り、匪賊に投ぜしむる結果となるを以て、住民地の焼却は厳に之を禁止するを要す。
…前述の諸項は従来屡々注意せられし所なるが其の徹底、特に実行部隊たる中隊以下に対する徹底十分ならざる憾あり。]
『軍人軍隊の対住民行為に関する注意の件通牒 北支那方面軍参謀長 岡部直三郎』
昭和13年7月10日 日本帝国陸軍第ニ軍司令官東久邇宮稔彦王に対する報告として
http://www.awf.or.jp/pdf/0051_2.pdf
pp.32-36
旧日本帝国陸軍・第六二師団会報『石兵団会報』
「姦奪ハ軍人ノ威信ヲ失墜シ、民心離反若クハ反軍思想誘発ノ有力ナル素因トナルハ、過去ノ苦キ経験ノ示ス所ナリ…
掠奪乃至強姦ノ域ニ達セズト雖モ、之ニ近似セル所為ノミニテ軍ニ対スル反感ヲ醸成スルニ至ルベシ。
且一部地域ニハ貞操観念弛緩シアル所アリ。
之ガ誘惑ニ乗ゼラレ不知不識ノ間、猥褻・姦通・略取・誘拐・住居侵入等ノ犯罪ヲ犯スコトナカラシムルコト。」
「本島ニ於テモ強姦罪多クナリアリ。 厳罰ニ処スルヲ以テ一兵ニ至迄指導教育ノコト。」
(第四九号、一九四四年九月七日) >>192
山縣はブレーンとして生きるんだろうね
大久保みたいに細部は分からないが国の行くべき道筋は見えていて、協力に推進できる大政治家のもとで働くのが一番
それでも「大久保の腰ぎんちゃく」とか言われて国民に嫌われてそうだけどw
大久保暗殺は痛恨のきわみ
伊藤だってしょせん、制度屋だし 共産主義者だらけの欧米メディアが中国内の嘘八百の日本人蛮行報道してたからね。 >>197
国内メディアが百人斬りとか報道してんだから、
欧米メディアを責めてもしゃーねーわ。(´・ω・`) >>196
大久保は完全に明治政府の単独独裁者になったとき殺されたからなあ。日本人の好きな維新のドラマって倒幕までの物語ばかりだが、そこから先の国造りがすごいんだよな。そこで活躍するのが大久保であり山縣であり伊藤であり。
伊藤が所詮制度屋というのは言い過ぎw
伊藤も山縣も松下村塾で松陰の薫陶を受けた若者だった。伊藤はテロ活動してたが、使節団で米欧を学び、憲法を作る。国際派で英語もできたので初代総理に推されたらしい。 >>201
>維新のドラマって倒幕までの物語ばかり
なにを見て、そんなこと言っとるんじゃ? 小川哲雄氏「日中戦争秘話」より
あれは昭和十八年の春頃ではなかったか。総軍の若杉参謀から総軍司令部尉官将校に対し、次のような命令が下された。
「支那事変が今に至るも解決せざる根本原因について思うところを述べよ。但し、三行三十字以内とする。」
文章は長ければ楽だが、短くすればするほど難しい。われわれ若手将校はあれこれと知恵をしぽって解答を書いた。
数日後、総司令部大会堂に尉官将校数百人が参集した。
壇上には黒板を背にして若杉参謀が立たれ、左右には総軍司令官、以下参謀長、将官、佐官がずらりと居並んだ。陪席という恰好である。
若杉参謀の講評がはじまった。
「支那事変未解決の根本理由に関する諸官の解答についてつぶさに目を通した」
参謀はその解答の代表的なものについて一枚一枚手にとって読み上げられた。
日く、蒋介石の徹底した抗日教育。
日く、ソ連の延安を通ずる支援。
日く、英米の物的援助。
日く、ビルマルートの打通。
日く、中国大陸の広大さ。等々。
若杉参謀はその各々について、解説を加え、事変未解決の一つの原因であるかも知れない、とされながら、
「しかし、そのいずれにも本官は満足しない。諸官の解答は事変未解決の原因の一つだとしても、それは単に枝葉末節的、あるいは部分的原因にすぎない。いずれも本官の考える根本的原因には程遠い。諸官の解答は落第である」
若杉参謀は机の上に積み重ねた解答の中から一通の答案を取り出し、
「但し、この解答だけは本官が期待した唯一のものである」
「沢井中尉、前えっ」
沢井中尉(大阪在住)は私と軍事顧問部の同僚であり、大阪外語の出身であった。
沢井中尉は若杉参謀の前に進んだ。
「読み給え」
沢井中尉は自分の書いた答案を両手で眼の前に掲げながら、大きな声で読み上げた。
「支那事変未解決の根本原因は、日本人が真の日本人に徹せざるにあり」
沢井中尉が読み終わると、間髪を入れず、若杉参謀の声が語気鋭く講堂にひびいた。
「その通り。事変未解決の根本原因は日本人が真の日本としての行動をしていないからだ。
略奪暴行を行いながら何の皇軍か。現地の一般民衆を苦しめながら聖戦とは何事か。
大陸における日本軍官民のこのような在り方で、いったい陛下の大御心にそっているとでも思っているのか」
若杉参謀の前にならぶわれわれ尉官はもとより、左右に居ならぶ総司令官以下、将官佐官、ひとしく頭を垂れ、満堂粛として声がなかった。
若杉参謀はさらに語をついで
「わが日本軍に最も必要なことは、武器でもない、弾薬でもない。訓練でもない。これだ」
若杉参謀はくるりと後ろを向き、黒板に大書された。
”反省、自粛”
「自らをかえりみ、自らをつつしみ、自らの一挙一動、果たして大御心にもとることなきかを自らに問うことである」
言々火のごとき若杉参謀の一語一語であった。軍の驕慢、居留民の堕落を衝いて余すところなく、今、この時、真の日本人、全き皇軍に立ちかえることが出来ねば支那事変は永久に解決しないであろう、と斬ぜられた。
満堂、声がなかった。
私は参謀の御言葉の中に日中事変そのものの不道義性へのお怒りを感じた。
全員起立のうち、若杉参謀が退席された。
退席されるや否や、総軍高級副官が冷汗をぬぐいながら、われわれ尉官に対し、「只今のお言葉は、何ともその、恐れ多い次第であるが、その何というか、あまり、いやまあ、なるべくだな、外部には、口外せんようにな」
汗をふきふき、しどろもどろの高級副官であった。
若杉大尉参謀は、支那派遣軍総司令部における三笠宮崇仁親王殿下の御名であった。
(P31〜P34)
*著者紹介より
小川哲雄(おがわ・てつお) 大正三年、大分県中津市上如水生れ。(略)昭和十七年、任南京国民政府軍事顧問・兼経済顧問補佐官。
昭和二十年、終戦直後(八月二十五日)、南京国民政府陳公博主席以下政府要人七名の日本亡命を領導、京都金閣寺に入る。
同年末、陳公博夫人を送って再び中国上海に赴き帰国。 >>203
そりゃ、西郷がらみ以外がドラマとしていまいちだからだろ。
大衆向けのドラマなんて、戦争がないとウケんからな。(´・ω・`) >>181
「9条!・9条!」と叫んでる人たちは「統帥権・統帥権」と叫んでた人たちだよ。
統帥権派は天皇の意見なんか聞いていない。自分たちが勝手に行動。
9条派は日本の安全や平和など考えていない。北の核も容認。 眞子さんのスレ立たないんどけど
批判多過ぎて規制かかったのか 大久保利通の暗殺で、事実上維新の大物はいなくなった。でも、その跡を継いだ「小物たち」が頑張ったから、日清、日露と勝ち続けることができたんだよ。 >>209
大久保はいい頃合いに死んでくれたと思うけどな。
あのままずっと生きてたら、日本の議会政治の導入はずっと遅れてただろう。 >>207
支那事変で軍規が乱れた現実から目を背けて「皇軍は無辜無謬の神の軍隊ニダ!」等とウリナラ・ファンタジーでホルホルしたいだけのネトウヨにとっては、絶対に認めたくない・受け入れられない出来事なのですね。 >>197
今トルコがイスラム原理主義化した最大の原因は アルメニアでの虐殺を
検証もせず欧州が非難したからだろう。アルメニア人は朝鮮人に似ていて
ウソ八百を平気で言う。トルコは非常に悔しい思いをしたと思う。 >>144
>>156
そこは満州民族の土地。
清国が漢民族の入り込みを禁止していたから人口密度は少ない。
そこを清国が消えてしまって王様が廃位された満州族の新たな国を作ったわけだ。
たとえ傀儡といえども、満州族の国が出来た。
キミは勘違いしてるみたいだが、日本が後援者となって満州民族の国を故郷に建てたんだよ。
パレスチナとは全く違うんだよ。
漢民族もどんどん入り込んでくるようになったらしいけどね。
中国残留孤児がたくさんいるのは、そんなことも関係するんだと思うわ。 >>210
僕も全くそう思う。大久保暗殺のタイミングは歴史の神秘みたいなものを感じる。 >>198
英国留学経験者で英国王族と親交があったからヒトラーかぶれというのはないでしょ
若いころ北一輝とひそかに面談したとされ、国家社会主義思想に傾倒していた時期があるらしいけど >>201
明治はじめは建国の功労者がうじゃうじゃいるね
一般的には無名な人でも、いくらでも大河主役クラスの働きや数奇な運命をたどっている
伊藤は優秀ではあるけど、リーダーではないような
リーダーの資質は大久保、西郷、岩倉
木戸はすぐ逃げるし、三條は主体性が乏しい >>210
大久保暗殺で日本は遅れたと思うけどね
総論賛成各論反対の度がまし、富国強兵の統一感が欠けたと思う
大久保は次の10年の次の10年で議会制導入した思うよ
暗殺当日に明かした構想のように >>69
近衛文麿みたいにいざとなりゃ昭和天皇に戦争責任を全被ってもらって明仁皇太子を立てて自分が摂政になろうって考えてた椰子もいたからな、もっともGHQにA級戦犯1号に指名され悲痛のあまりセルフあぽーんしてしまったが… >>219 デマ流してんじゃねーよ。
近衛に天皇退位構想があったことは確かだが、
摂政候補は高松宮じゃ。 >>218
>大久保は次の10年の次の10年で議会制導入した思うよ
(ヾノ・∀・`)ナイナイ
独裁者大久保が消えたから、伊藤みたいに議会政治に妥協を考える藩閥政治家が影響力を持てた。
大久保では、年を取ればとるほど、ますますオレガーオレガーになってたよ。 >>216
岩倉とか大久保とか稀代のリーダーだが、木戸や西郷と違って性格は悪そうだなあw
松陰や高杉や久坂が死ななかったら、山縣・伊藤以上の長州出身リーダーになっていただろうか。
歴史に if は無く、誰にもわからない。 >>204
反省とか猿にすら出来るのに何故かできないジャップ >>221
大阪会議ではさまざまな思惑があったとはいえ、漸次立憲政体樹立に同意しているよ
大久保を単純な独裁者とみるのはどうかな
殖産工業の拡大のために10年は集権的体制が必要だとしてただけ
次のステップがある >>1
226の時に若手将校に同調してその親玉になろうとしたら
昭和帝にブチ切れられた人だっけw >>43
近代の皇族は欧州の貴族に準じて義務を果たしてたんだな。 >>226
皇族が結構戦死してるという言い方は疑問で、太平洋戦争で皇族が戦死は居ないと思うよ。
臣籍降下した元皇族で戦死した人はいるが。 >>223
歴史事実を常に自分に都合良く改竄・捏造しまくって反省の欠片も無いミンジョクには、なりたくないですよね。 ロリ皇軍は慰安所開設しまくっても強姦が減らない稀有な軍隊だからな >>226
戦前は、皇族の男子は、特別の事情が無い限り軍人に任官されることがそもそも法令で決まっていた。 山縣有朋が軍閥を作ったのはたしかだが山縣が存命ならアメリカとやらなかっただろう
そして長州閥ならまたやらなかっただろう すべて統制派の連中が舞い上がった
開戦時のメンツを見てみろ 東条筆頭に長州は少ない 自分らの時代と舞い上がったんだよ >>222
生きていたなら政治的には久坂だろうな 山縣伊藤なんて下っ端だったから
高杉はどうかわからないが伊藤が初代総理大臣になれたのは功山寺決起に参加したからだ
参加しなかった山縣は伊藤に頭が上がらなかった >>187
検閲と言っても伏字だろ。想像力を働かせれば隠している内容は推察できる。
今のマスゴミは報道しない自由だからな。都合の悪いことは一切報道しない。
「最初からなかった事」にするから悪質だよ。
ちなみにこれはGHQ流の検閲方法な。米軍兵士の犯罪やGHQに都合に悪い事実は
隠蔽する。アメリカ大統領のツイッターですら検閲するのがアメリカ流。 >>224
大阪会議の頃の大久保は、まだ独裁者じゃないからなー。
西郷を倒して、木戸も死んでる状況では、
大久保を止められる奴が政府にいねーんだよな…
半独立国家の鹿児島を倒すには、大久保がいないといけなかったが、
鹿児島を武力討伐した段階で、大久保の役割は終わったとオレは思う。(´・ω・`) >>235 現代が、言論自由な環境だと言うつもりはない。
ただ、戦前マスコミの報道について、
内務省の存在を無視して、マスゴミガーとか言うのは、
おかしいだろって思ってるだけだよ。 カルト全体主義自民党は解党した方が良いな
ドイツみたいに、先の敗北戦争の指導者やら政治屋さんやらは国政に就けなくするように法改正すべき
カルト清和会やらカルト日本会議やらも頭、おかしい全体主義だからな >>231
>山縣有朋が軍閥を作ったのはたしかだが山縣が存命ならアメリカとやらなかっただろう
>そして長州閥ならまたやらなかっただろう
終戦直後に徳富蘇峰は「日露戦争時だったら精々下士官クラスの人間が今度の戦争では指揮を執ってたんだから
元から勝てる道理はなかった」って嘆いてたな
蘇峰は日清戦争終戦時の露・仏・独の三国干渉にブチ切れてそれまでのリベラルから国粋主義に転向したが
それでも日露戦争を「もうこれ以上戦争を続けてるのは我が国の国力から不可能」って判断して国内では朝日新聞を初め
国賊扱いされた当時の軍指導部をちゃんと認めてたんだよな 明治の薩長の軍人は謙虚だった 日清日露の後に出てきた薩長以外の軍人が
謙虚さを忘れ舞い上がった結果が敗戦となった カルト薩長土肥が日本を乗っ取り
明治天皇を傀儡として日本を牛耳って150年末記念の大祭をしたかったのが
カルト清和会やらカルト日本会議だからな >>241
薩摩海軍の英雄の東郷さんとか、
晩年に老害ぶりを発揮しましたがな。(´・ω・`) 満州国万歳カルト自民党政権では領土問題解決しないからな?
恨むならば、血を恨め
誰も、信用しない
カルト自民党は解党しろ
何回敗北するんだ? >>3
皇族、元皇族で戦時中に死んだのは3人
演習で事故死したり、輸送中に戦死したり、最前線に行っているわけではない
島ごと玉砕した場合はもう後方とかないし
北白川宮永久王 演習中に不時着してきた飛行機に衝突され殉職
伯爵伏見博英(元皇族伏見宮博英王) セレベス島上空で輸送機に搭乗中、敵機と交戦、撃墜されて戦死
侯爵音羽正彦(元皇族朝香宮正彦王) クェゼリンで玉砕 靖国サティアンをありがたがるバカカルト自民党清和会やら日本会議なんて
日本を乗っ取った参拝だからな
敗北戦争の説明責任をまずは、子孫議員がやれ
あ、
カルト全体主義自民党?侵略戦争の定義は出来たか? >>161
統帥権が独立していたのが典型的だが、明治維新時から明治憲法にも欠陥があった。
維新元勲のトキは「人治」で問題が目立たなかっただけだ。
「神」と崇める一方で、昔から日本人ほど天皇陛下をバカにしてた国民も居なかったのかもしれないな。 秩父宮、「歩三の安藤もいるのか」。
たしか、東北から上京しようとしたが、大宮あたりで止められたのかな。 >>246
あと朝鮮皇族が広島で亡くなってるね
殉職といえば殉職 >>248
さっきも書いたけど軍部大臣現役武官制の創設が内閣の力を著しく落とした
組閣すらできないんだから軍部のいいなりw 陛下を軍馬に乗させたり、軍服を着させたのもカルト薩長土肥の大罪かもな
どれだけ陛下を担ぎ錦の旗を文句に好き勝手やったんだろ >>209
まあ、自民党麻生太郎の先祖とされる大久保利通と岩倉具視がつるんで孝明天皇を毒殺した話からせねばならないな 何回、中国にも敗北するんだ?
カルト全体主義自民党? 日本がアメリカに宣戦布告するまで
日本政府も国民政府も
お互いに宣戦布告してない >>256
それいうとベトナム戦争も湾岸戦争もイラク戦争もそうだよw
理由はそれぞれだけど >>9
君主は統治しても責任は負わなくて良いという屁理屈があるんだ。 徳川封建社会から変わって無い、のかもな
いや、徳川幕府の方がカルト薩長土肥よりも民を愛したかもな 現場の高卒DQNを押さえられない今の俺を見てるようだぜw
国内で困る分にはいいけど、やっぱ高卒とかFランみたいな低位層は海外出しちゃいかんな。
その点エゲレスはうまいことやったわ >>252
飛鳥時代の皇族は軍人だっただろ。
聖徳太子も出征しとるんやで。(´・ω・`) >>259
マジで屁理屈だよな
欽定憲法だから国民が従う必要すらない >>24
それでよしゃいいのに女に飢えてるもんだから
鶏に突っ込んで病気になるのが多数で
お前らアホか いい加減にしろ といっても
何度もあちこちで同じことが続きやがるし
もうどうせ生きては帰れず死ぬんだからいいんだよって
なげやりになってやがるしひどいもんだった >>257
国連加盟国は戦争を禁じられてるので宣戦布告そのものが違法
安保理による武力制裁決議が宣戦布告の代わりとなる >>263
職業選択の自由が良いが
学費にあんなにカネかかるんだったら同じだわな 先の敗北戦争の無能指導者やらの二世三世がカルト自民党だからな >>263
身分社会はどこの国もそうだから。
ただし、士農工商は違うな。士と百姓だ。
江戸時代は独裁国家じゃなかったから民衆にはやさしかったかも。
近所のお殿様の評判を気にしなくちゃいけないし。
改易食らわないようにしなくちゃいけない。 >>161
日清戦争、日露戦争で勝てたのも幕末や西南戦争の切った張ったの修羅場を潜り抜けた層が政府や軍の中核に居たし
「欧米列強に追いつけ追い越せ」って気持ちがあったから何とかなったんだろうね
日露戦争に勝ったのを日本単独で勝ったと錯覚する連中が増えてからおかしくなってきた >>168
海軍なんかは自分たちの予算や利権を確保するために対米戦争の不安を煽ってたのに
開戦か否かって立場になったら「ワンチャンやってみないとわからない」で明確に反対せず
戦後になってからは「海軍は戦争に反対でした!陸軍ガー世論ガーマスゴミガー!」で責任回避したからな カルト敗北戦争指導者やら子孫どもも、しっかり日本国民に詫びを入れたか?
敗北責任、説明責任が有るんだぞ?
で、カルト自民党全体主義?
侵略戦争の定義は定まったか? 侵略戦争の定義すら出せないカルト薩長土肥全体主義バカルト?
自民党?清和会?日本会議?
貴様らが何回でも日本国民を苦しめてるんだからな? >>262
特に国民皆兵の頃の軍隊は「軍隊の気質や気風はその国の縮図」なんて言われてたからね
日本軍の場合は地区の連隊に所属することが普通だったので
「地方の連隊は教養がないアホが多いが突撃する時は張り切って突っ込む」とか
「都市部の連隊はインテリが多いので命令が不服だと上官に意見したり反抗するのが多かった」とか色々話が残ってる
「またも負けたか大阪連隊」とバカにされた関西の連隊はなにわ商人の気風が強く
上層部からの命令をバカ正直に守って突撃するのではなく「適宜攻撃しぼちぼち後退」を繰り返す戦い方をするので
米軍からすると「まっすぐ突っ込んでくる猪突猛進型の部隊より厄介だった」という記録が残ってると聞いた 何でカルト薩長土肥の輩は岩倉具視とつるんで孝明天皇を毒殺したの? 日本を乗っ取ったつもりか?
カルト薩長土肥?
敗北した責任を日本国民に果たせ
何回、日本を滅ぼすんだ?
日本会議?
靖国サティアン? だからなんだよ
結局その乱れを正すことなく
泥沼の戦争に日本を引きずり込んだんだろ
責任とれやボケ >>265
帝国憲法では陸海軍大臣と内閣の上下関係があいまいだからな
首相が陸海軍大臣を国務大臣として任命するのは現憲法と同じだが
形式上は陸海軍大臣は首相でなく天皇が任命する形で別系統 安倍晋三と麻生太郎は
この夏盆に
自死した財務局職員の
墓参りに
首を揃えて行ったのだろうか? >>254
太平洋戦争終結後に内地に戻ってきた復員輸送船が港の入口で鉢合わせした
片方は大陸方面からの輸送船で、甲板に溢れる兵員は丸々と太って健康そうな人間ばかりだが
もう片方は南方帰りの輸送船で、甲板には軍服はボロボロでやせ細った兵隊ばかりが乗っていた
大陸帰りの輸送船で誰かが「おい!向こうの船は乞食運搬船だぞ!」とヤジを飛ばし皆が笑い出したが
南方帰りの船からは「日華事変、満州事変みたいなオママゴトをやってた連中が何言ってる!こっちは太平洋戦争という戦争をしてきたんだぞ!」と返したって
エピソードを体験記で読んだな 満州国岸信介
まぁ、いいや、
自民党のゆるゆる詐欺である憲法改正だが
その前に、ドイツみたいに、先の敗北戦争指導者やらの血縁を公職に就けない様に法改正すべきだな
カルト清和会?カルト日本会議?
宣戦布告して敗北した大罪を償え >>262
嘆きなさんな。責任者が居たとしても実権が無いのは、日本の組織構造の問題点なんだ。
国民全体の行動様式としてそういう風になってしまっている。
「御輿は軽いほどいい」という言葉がそれを端的に物語っている。
要は、責任だけは「御輿」に負わせて自分達で勝手なコトやろうとする連中が必ず出てくる。
「御輿」が自分で動こうとしても、小さな組織ならまだしも、巨大な組織じゃそれは事実上無理だ。
その最たるモノが「天皇親政」だよ。
一部には虫けらサヨクみたいなカスがいるが、日本国民はゲスの集まりではないので、昭和帝に責任を「押しつける」ようなコトはしなかったけどね。
大東亜戦争敗戦の本当の責任は、日本国民全体にある。 太平洋戦争は連合国側の呼称
日本は大東亜戦争と呼称している >>1
何を今更
おかしくなってしまった日本兵もいたがその根底には日本兵を上回る官民挙げての中国人の蛮行が先にあってのことだ >>284
戦争責任は、明確に明治維新にあるでしょう。
権力闘争が拡大して、
外征戦争になり敗戦するまで続いたんだから。
内憂外患を自分たちでやったのが日本支配層。 ちなみに
戦争になると国際法が適用される
事変なら国内法ですむ >>286
21世紀の出来事とは信じられないような尖閣国有化に際しての中国各地での日本企業襲撃をもう忘れている日本人もいるようだが忘れてはならない
21世紀でも中国人の民度などこの程度なのだから戦前など推して知るべしだ 事変はただの事件だからな
内政干渉されることもない たとえば満州事変
1931-09-18 奉天事件 奉天、長春、営口占領
1931-09-19 朝鮮駐屯軍派遣
1931-09-21 吉林入城
1931-10-08 錦州爆撃
1932-01-03 錦州入城
1933-01-01 山海関事件
1933-02-22 熱河作戦
1933-04-10 らん東作戦
1933-05-10 関内作戦
1933-05-31 塘沽停戦協定
1934-03-01 満洲国皇帝即位
この一連の経過を満州事変という >>13
軍と言えど所詮は保身と欲だけの
糞官僚今と変わりませんなぁ >>277
>>277
たぶん毒殺ではないです。色々調べて下さい。
孝明天皇は公武合体論者だから、
徳川を朝敵として討ちたくなどないから、
岩倉などの薩長が挙兵の根拠を作れないため、
孝明天皇が邪魔だったんでしょう。
これはよく言われることですね。
小御所会議は、徳川慶喜優位で動かない。
だから軍事革命で独裁体制を薩長は作った。
慶喜は孝明天皇は死んでいると想像もしない。
だから薩長は騙し討ちで勝ったんですよ。
慶喜は孝明天皇が生きていて、
帝に迷惑をかけられないから、わざと負けた。
しかし都合よく、実は死んでいた。
それが自然死とはどうしても思えない。
それが、日中日米両戦争にまで繋がる。
幕府の怨念は、凄まじいですね。 >>284
日本国民の戦争責任も昭和天皇の戦争責任とおなじく、東京裁判で完全免責された
免責しないと復興が遅れ、賠償もできず、冷戦にそなえて米国の対ソ連および対中国の橋頭堡としての
日本の役割がはたせなくなるから、当時は日米双方にとってやむをえなかった
政治はそれでよいけど、史実の検証はそれとはまた別(東京裁判の結果は覆されないけど) >>292
ちなみに帝国陸軍は太平洋戦争開戦直前の時点で40〜50万の戦死者、戦傷者を大陸派遣で出していた
これにより人手不足が発生し、平時なら適当な役職を拝命した後に予備役編入で軍から去っていたような人間も現場に残らせて出世させたので
牟田口や富永みたいな連中が軍司令官閣下になれたとも言われている >>277
昭和のころは毒殺説(岩倉具視の妹が女官で、兄の指示で毒をもった)が主流だったけど、
いまは伊藤の刺殺説などがあるらしい
アーネスト・サトウの日記に、「日本人のあいだでは、孝明天皇急死は暗殺だといううわさがもっぱら」
という意味の記述があり、当時すでに、方法はともかく、暗殺説がとびかっていた模様 >>295
まあ、明治維新とは二段階革命ですね。
マルクス・レーニン主義を先取りしている。 >>298
畏こくも孝明天皇の御霊は、暗闇の中で、
今でも多数の獣に睨み付けられ、
その魂は安らかになってはいません。
私は、ただただ帝の御霊が安らかに、
浄土へ赴くことが出来ることを、
祈るばかりです。余りにも酷い悲劇で、
死後すら御霊が虐待され続けている。
薩長史観の一番の朝敵は、孝明天皇。 軍紀の乱れ?
朝鮮人が軍に加わってるんだから当然乱れるわな >>298つけたし
昭和四十年代に集英社から出た、和歌森太郎監修の子供向け日本歴史全集本に、
「岩倉具視が妹に命じて毒殺させた」という記述があった記憶
和歌森自身が書いたわけはないが、いちおう監修者として名をだしている以上、
昭和四十年代には岩倉具視による毒殺説が確実とされていたとおもわれる >>66
本当にその通りですな。
良い戦争だとしたら「煽った」とまるで悪いことのように言うのがおかしい。 >>301
ほぼ全ての成年男子が徴兵検査で軍に入ってた時代だから
今だとオレオレ詐欺や覚せい剤の密売で捕まる半グレや
あおり運転のニュースに出てくるようなDQN気質の人間も兵隊として戦地に赴いていた
そういう奴らがお行儀よく軍規を守って現地人を大事にするかって話 不定期に、皇族は戦争反対だった。みたいな報道がなされるよね。
実に不愉快。戦争犯罪者の癖に。 シベリア出兵でもわんさか出てくるが
相手も赤いキチだけど - 三笠宮崇仁親王 http://www.geocities.jp/yu77799/nihonjin.html#mikasa
「私が戦地で強いショックを受けたのは、
ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。
それで根性ができる』という話を聞いた時でした」
「南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。
それには、広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられており、また、そこに毒ガスが放射されたり、
毒ガス弾が発射されたりしていました。ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。
これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう」
しかし、日本軍が昔からこんなだったのではありません。
北京駐屯の岡村寧次大将(陸士十六期・東京出身)などは、その前から軍紀、軍律の乱れを心配され、四悪(強姦、略奪、放火、殺人)厳禁ということを言われていました。私も北京に行って、直接聞いたことがあります。
日清、日露戦争の際には、小隊長まで「国際法」の冊子をポケットに入れていたと聞きました。
戦後ロシア人の捕虜が日本内地に収容されていましたし、第一次大戦の時にはドイツ人の捕虜がたくさん来ていました。
彼らは国際法に基づいて保護されていましたから、皆親日になったのです。
彼らの中には、解放後も日本に残って商売を始めた人達さえいました。
神戸には今でも流行っているパン屋さんやお菓子屋さんがありますね。(注 「ユーハイム」のことだと思われます)
(「THIS IS 読売」1994年8月号 P54〜P56) >>1
(´・ω・`)
ちなみに読売新聞は大手のくせに慰安婦被害捏造ファンタジーに加担していたのをほぼ誤魔化したカス
【反日マスコミ工作読売】読売新聞、英字紙において「性奴隷(sex slave)」など不適切な表現を使っていたとお詫び 「デイリー・ヨミウリ」(以下DY、現ジャパン・ニューズ)1992年2月から2013年1月
https://daily.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1417253831/
tp://www.yomiuri.co.jp/national/20141127-OYT1T50116.html >>1
まーーーーーた証言de真実のゴミ売り新聞
【皇族を反日利用・反日に騙される『アカの殿下事件』】三笠宮殿下 「神武は作り話。紀元節反対。日本軍は南京で虐殺をした。実写映画を見た。そういう話を聞いた。」 ←天皇の先祖である神武天皇陛下への反逆は反日。虐殺を直接見た証拠は?
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1449661879/ >>1
まーーーーーた証言de真実のゴミ売り新聞
【上層部はサヨクだらけ敗戦革命】ド反日サヨク昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」 昭和天皇の最側近木戸幸一や大本営等もソ連系サヨクなので信用ならない
tp://www.youtube.com/watch?v=NQhVOTS0j7A >>293
> 皇族って昔から反日だったんだな
当時はド反日サヨク共産社会主義ソ連ロシア系ブームだからこうなった(´・ω・`)
サヨク敗戦革命で当時の政界は上層部レベルでサヨク共産社会主義ソ連ロシア系だよ(´・ω・`)
負けるための戦争なのだからゾルゲ等ね
【サヨク敗戦革命問題】
昭和天皇最側近木戸幸一「敗戦して大成功」
大本営「ソ連に日本兵をあげます」
近衛「ロシアサポートします」
昭和天皇「原爆は仕方ない」
東条「ゾルゲ敗戦革命の調査を打ち切りソ連サポートも容認します」
他大量
これ事実だし戦後70年の歴史観が覆るよなwww
読売みたいなド反日マスゴミくっそ震えてそう
【反日マスコミ工作読売】読売新聞、英字紙において「性奴隷(sex slave)」など不適切な表現を使っていたとお詫び 「デイリー・ヨミウリ」(以下DY、現ジャパン・ニューズ)1992年2月から2013年1月
tp://www.yomiuri.co.jp/national/20141127-OYT1T50116.html
https://daily.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1417253831/
【皇族を反日利用・反日に騙される『アカの殿下事件』】三笠宮殿下 「神武は作り話。紀元節反対。日本軍は南京で虐殺をした。実写映画を見た。そういう話を聞いた。」 ←天皇の先祖である神武天皇陛下への反逆は反日。虐殺を直接見た証拠は?
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1449661879/
【上層部はサヨクだらけ敗戦革命】ド反日サヨク昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」 昭和天皇の最側近木戸幸一や大本営等もソ連系サヨクなので信用ならない
tp://www.youtube.com/watch?v=NQhVOTS0j7A
【ヴェノナ文書】世界大戦ルーズベルト政権共産ソ連
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1510323527/ >>307
それ笑えるよなあ
三笠宮 「日本軍は南京で虐殺をした。実写映画を見た。そういう話を聞いた。」 ←虐殺を直接見た証拠は?
ろくな映像もないwwwwwww >>297
まあ軍国日本だって平時から巨大な兵力を維持はできないわけで
有事には国家総動員となり、牟田口らが指揮官候補、というか予備だったのは変わらない >>302
監修って単なる名前貸しのときもあるし、というかその方が多い
大室天皇だのという偽史は厳しく糾さないと >>156
ラーメンマンの髪型は清に中国全土が征服されたから
征服された中国人もほとんどみんな清にやらされてたんだよな
それと同時に清の民族も中国にある程度同化したとか >>314>>297
おまんらサヨク敗戦革命しらない?????
ゴミ売り新聞も隠してるしwwwww
【ヴェノナ文書】世界大戦ルーズベルト政権共産ソ連
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1510323527/ >>314>>297
おまんらサヨク敗戦革命しらない?????
ゴミ売り新聞も隠してるしwwwww
【サヨク敗戦革命問題】
昭和天皇最側近木戸幸一「敗戦して大成功」
大本営「ソ連に日本兵をあげます」
近衛「ロシアサポートします」
昭和天皇「原爆は仕方ない」
東条「ゾルゲ敗戦革命の調査を打ち切りソ連サポートも容認します」
他大量
これ事実だし戦後70年の歴史観が覆るよなwww
読売みたいなド反日マスゴミくっそ震えてそう
【ヴェノナ文書】世界大戦ルーズベルト政権共産ソ連
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1510323527/ >>301
なんで日中戦争の段階でそういう認識になるんだかw >>301>>304
証言de真実を鵜呑みにしてはいけないwww
昭和天皇レベルでサヨク工作してんだぞwwwww
【上層部はサヨクだらけ敗戦革命】ド反日サヨク昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」 昭和天皇の最側近木戸幸一や大本営等もソ連系サヨクなので信用ならない
tp://www.youtube.com/watch?v=NQhVOTS0j7A >>320
昭和天皇の「原爆投下はやむをえなかった発言」は、皇后同伴の訪米前の記者会見時でのもの
無論褒められるような発言ではないけど、GHQによって救命された昭和天皇としては、
米国への否定的な発言はとうていできなかったことを考慮する必要がある
数年前の訪欧で英国やオランダにて新聞に「戦犯」「悪魔」と書きたてられたり軍人遺族の反対デモがあったりで、
さんざんな悪評だったため、外務省は訪米を成功させるために腐心していた
昭和天皇は米国や外務省に細心の配慮をしていただろう
広島に触れたが長崎については何もいわなかった点に、昭和天皇の意思が感じられるのではと思う >>1
南京大虐殺ファンタジーの大きな問題点(´・ω・`)
・ そもそも南京にろくな証拠がない、まともな映像証拠すらない
・ 南京のまともな裏付けがないw 反日サヨク軍人系工作は証明済みで日記()等の信憑性ガタ落ち
・ 日本こそが被害者 (時系列を見れば中国こそが悪い 反日の自業自得
・ 「 南京大虐殺ファンタジーの時期 」に中国人と中国人が大規模な殺し合い
→ ユウ江門事件、堅壁清野(焦土作戦はただの戦略だが)、長沙大火、黄河決壊事件等
・ 反日サヨク軍人が反日工作している歴史
・ 逆に日本軍人は大規模にソ連洗脳されてるし、そもそもシベリア洗脳前から日本政府軍は反日ソ連サポーターであり反日サヨクw
・ 南京デマをやった日本軍側もバレた = サヨクには信憑性がないレベルw
・ そもそも対中拡大はサヨクw(ゾルゲ・ヴェノナ文書等) サヨクは日本になすりつけすぎw
・ 南京 = 虐殺テロリスト国民党の本拠地 = 加害者
・ これを殆ど隠すテレビ新聞マスゴ
・ 抗日パルチザンといい中国こそ民・兵士の境目がない
・ 読売新聞も慰安婦捏造ファンタジーに加担したのをごまかし(英字紙「性奴隷(sex slave)工作1992年-2013年)、あげく2020年11月15日に南京事件を両論併記せず断定し、秩父宮ギャグに加担
(所謂「アカの皇族」工作問題で、三笠宮は「日本軍南京ガー!実写映画を見た!そういう話を聞いた」←とろくな証拠映像もないまた聞き)、
昭和天皇最側近木戸幸一「敗戦して大成功」・大本営「ソ連に日本兵をあげます」・近衛「ロシアサポートします」・昭和天皇「原爆は仕方ない」・東条「ゾルゲ敗戦革命の調査を打ち切りソ連サポートも容認します」
他大量と「 サヨク敗戦革命サヨク工作 」だらけ
当時はド反日サヨク共産社会主義ソ連ロシア系ブームだからこうなった(´・ω・`)
【ヴェノナ文書】世界大戦ルーズベルト政権共産ソ連
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1510323527/ >>321
それはお前の妄想でサヨク工作丸出しは事実だから(´・ω・`)
その様子じゃ木戸幸一とかろくに知らないだろ???
南京大虐殺ファンタジーの大きな問題点(´・ω・`)
・ そもそも南京にろくな証拠がない、まともな映像証拠すらない
・ 南京のまともな裏付けがないw 反日サヨク軍人系工作は証明済みで日記()等の信憑性ガタ落ち
・ 日本こそが被害者 (時系列を見れば中国こそが悪い 反日の自業自得
・ 「 南京大虐殺ファンタジーの時期 」に中国人と中国人が大規模な殺し合い
→ ユウ江門事件、堅壁清野(焦土作戦はただの戦略だが)、長沙大火、黄河決壊事件等
・ 反日サヨク軍人が反日工作している歴史
・ 逆に日本軍人は大規模にソ連洗脳されてるし、そもそもシベリア洗脳前から日本政府軍は反日ソ連サポーターであり反日サヨクw
・ 南京デマをやった日本軍側もバレた = サヨクには信憑性がないレベルw
・ そもそも対中拡大はサヨクw(ゾルゲ・ヴェノナ文書等) サヨクは日本になすりつけすぎw
・ 南京 = 虐殺テロリスト国民党の本拠地 = 加害者
・ これを殆ど隠すテレビ新聞マスゴ
・ 抗日パルチザンといい中国こそ民・兵士の境目がない
・ 読売新聞も慰安婦捏造ファンタジーに加担したのをごまかし(英字紙「性奴隷(sex slave)工作1992年-2013年)、あげく2020年11月15日に南京事件を両論併記せず断定し、秩父宮ギャグに加担
(所謂「アカの皇族」工作問題で、三笠宮は「日本軍南京ガー!実写映画を見た!そういう話を聞いた」←とろくな証拠映像もないまた聞き)、
昭和天皇最側近木戸幸一「敗戦して大成功」・大本営「ソ連に日本兵をあげます」・近衛「ロシアサポートします」・昭和天皇「原爆は仕方ない」・東条「ゾルゲ敗戦革命の調査を打ち切りソ連サポートも容認します」
他大量と「 サヨク敗戦革命サヨク工作 」だらけ
当時はド反日サヨク共産社会主義ソ連ロシア系ブームだからこうなった(´・ω・`)
【ヴェノナ文書】世界大戦ルーズベルト政権共産ソ連
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1510323527/ >>321
「戦争責任という文学的なことはわからない」 ■■日本の歴史で初めてとなる日本国破滅の本当の戦犯、元凶、は
永遠の国賊天敵仏敵 人類の敵 「 日蓮主義 」
( 日蓮主義 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%93%AE%E4%B8%BB%E7%BE%A9 )
・・・批判する者は粛清する全体主義( ファシズム )思想
ナチス・旧ソ連・中共・北朝鮮 ・日蓮主義
■日蓮主義者が起こした事件
張作霖爆殺事件、満州事変、515テロ事件、226テロクーデター事件、盧溝橋事件、
日独伊三国同盟締結 ➡➡➡ アメリカとの全面戦争突入不可避
その上さらに、戦後も、 1978年(昭和53年)10月17日に、ナチスドイツと同盟締結した国賊共を、戦死でもないのに 靖国神社に合祀した。
この為、昭和天皇は以後の靖国神社への参拝を止めた。
そもそも靖国神社は明治天皇が創建した神社。
A級戦犯のなかで昭和天皇が嫌っていたと思われるのは広田弘毅(絞首刑)、松岡洋右(病死)、白鳥敏夫(獄死)の3名です。
松岡については日独伊三国同盟を結んだ外務大臣であり、白鳥はそのときの駐イタリア大使で松岡のブレーンにあたる人物です。
当時の宮内庁長官富田朝彦による富田メモは以下のような内容です。
「私は 或る時に、 A級が合祀されその上 松岡、白取までもが
筑波(藤麿 靖国神社宮司)は(合祀しないように)慎重に対処してくれたと聞いたが、
松平(慶民 宮内大臣)の子の今の宮司(松平永芳 靖国神社宮司)がどう考えたのか易々と
松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私は あれ以来参拝していない それが私の心だ。」
※ 1978年(昭和53年)に靖国神社がA級戦犯らを合祀するに際して、昭和天皇の意を汲んだ宮内庁が 「軍人でもなく、死刑にもならなかった人を合祀するのはおかしい」と、同じく文官の白鳥敏夫と並んで、松岡洋右の合祀に強く抗議した。(詳細は富田メモを参照)
・日独伊 三国同盟 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%8B%AC%E4%BC%8A%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%90%8C%E7%9B%9F
・板垣征四郎 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%9E%A3%E5%BE%81%E5%9B%9B%E9%83%8E
・松岡洋右 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B2%A1%E6%B4%8B%E5%8F%B3
・白鳥敏夫 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B3%A5%E6%95%8F%E5%A4%AB
・大島浩 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E6%B5%A9
■日蓮主義
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%93%AE%E4%B8%BB%E7%BE%A9
関連人物 --- 牧口常三郎 国柱会や天晴会などの講演を聴講したが、それにあき足らず、「創価教育学会」を設立した。
・・・国柱会 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%9F%B1%E4%BC%9A
・・・関東軍 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E8%BB%8D
天皇といえども正法(妙法蓮華経)に帰依しない限り「賢王」でありえず、天皇、大臣、国民、そろって南無妙法蓮華経と唱える時こそ、真の広宣流布の時であるという思想である。
字義通りこれは日蓮が記したとされる「三大秘法抄」を忠実に実現させた形であった。
国柱会会員の石原莞爾も天皇より日蓮のほうが圧倒的に偉大だとしている。
■関東軍
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E8%BB%8D
・・・板垣征四郎 ( 陸軍大臣 元関東軍参謀総長 熱烈な日蓮主義者 ) 最高指揮官である大元帥 昭和天皇に反逆し、反対者は暗殺恫喝し、ナチスドイツとの同盟推進 )
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%9E%A3%E5%BE%81%E5%9B%9B%E9%83%8E
・・・石原莞爾 ( 関東軍主任作戦参謀 熱烈な日蓮主義者 )
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%8E%9E%E7%88%BE
独断で張作霖爆殺事件や満州事変を実行したことは、1920年代からの外交安全保障戦略を現地の佐官級参謀陣が自らの判断で武力転換させたことを意味し、その後の日中戦争(支那事変)や太平洋戦争(大東亜戦争)に至る日本の政治外交過程を大きく揺るがす契機となった。
なお、満洲事変は、参謀本部・陸軍省といった当時の陸軍中央の国防政策からも逸脱していた上、明確な軍規違反であり、大元帥たる昭和天皇の許可なしに越境で軍事行動をする事は死刑に処される程の重罪であったが、首謀者達は処罰されるどころか皆が出世した。 ■1978年(昭和53年)に靖国神社がA級戦犯らを合祀するに際して、昭和天皇の意を汲んだ宮内庁が 「軍人でもなく、死刑にもならなかった人を合祀するのはおかしい」と、同じく文官の白鳥敏夫と並んで、松岡洋右の合祀に強く抗議した。(詳細は富田メモを参照)
昭和天皇 ( 昭和天皇独白録 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E7%94%B0%E3%83%A1%E3%83%A2 )
「私は板垣(陸軍大臣 板垣征四郎)に、同盟論は撤回せよと云った処、彼はそれでは辞表を出しますと云ふ、彼がいなくなると益々陸軍の統制がとれなくなるので遂にそのままとなった」
「ドイツやイタリアのごとき国家と、このような緊密な同盟を結ばねばならぬことで、この国の前途はやはり心配である。私の代はよろしいが、私の子孫の代が思いやられる。本当に大丈夫なのか」
「この条約のために、アメリカは日本に対して、すぐにも石油やくず鉄の輸出を停止してくるかもしれない。そうなったら日本はどうなるか。 この後、長年月にわたって、大変な苦境と暗黒のうちに置かれるかもしれない」
・日独伊 三国同盟 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%8B%AC%E4%BC%8A%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%90%8C%E7%9B%9F
・板垣征四郎 熱烈な日蓮主義者、元関東軍参謀総長
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%9E%A3%E5%BE%81%E5%9B%9B%E9%83%8E
・松岡洋右 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B2%A1%E6%B4%8B%E5%8F%B3
・白鳥敏夫 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B3%A5%E6%95%8F%E5%A4%AB
・大島浩 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E6%B5%A9
※ 石原莞爾 熱烈な日蓮主義者、関東軍主任作戦参謀
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%8E%9E%E7%88%BE
当時の宮内庁長官富田朝彦による「富田メモ」の内容。
「 私は 或る時に、 A級が合祀されその上 松岡、白取(白鳥)までもが
筑波(藤麿 靖国神社宮司)は(合祀しないように)慎重に対処してくれたと聞いたが、
松平(慶民 宮内大臣)の子の今の宮司(松平永芳 靖国神社宮司)がどう考えたのか易々と
松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私は あれ以来参拝していない それが私の心だ。」
※ 靖国神社は明治天皇が建立した神社 >>321>>325
昭和天皇は敗戦革命サヨク木戸幸一とズブズブ
インタビューでも行動でもサヨク工作丸出しだからね(´・ω・`)
↓これこそ問題だね サヨクが日本を敗戦させるため誘導したのだし(´・ω・`)
【昭和天皇最側近・近衛東條政権等の重鎮・共産ソ連サポーター反日サヨク木戸インタビュー】
木戸「ちょうど軍部を倒したところで戦争が終了したので自分は大成功だと思っている」「あの軍部をぶっつぶすには、これだけの犠牲は仕方なかったと思うね……。」P375
木戸「開戦直前にもう戦争は避けられないと考えていたんだ。だから東条を近衛のあとに推した」P228
「あれしかなかった」(勝つ見込みのない戦争に突入して大日本帝国を滅亡させ、一から出直す道)P229 決断した男
からの
【昭和天皇反日サヨク敗戦革命問題(最側近もソ連系木戸幸一)】昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」 ほとんどあぼーんになったw
>>321
なにに返しているか読めないんだが、言う通り褒められた発言ではないよな
自身の救命というより日米安保への悪影響を懸念した発言じゃないかな
米国記者に答えたわけだし
質問の事前通告か想定問答はあっただろうに、明らかに慌てたというか動揺していたね、お上は >>325>>326
かーーーなり違う 時系列が抜けてる
40名無し三等兵2018/01/11(木) 03:19:03.81ID:zOlK6RqX
>>1続き
1937年 日中戦争(笑)
【 中国の悪事等(一例。他大量にある) 】
・1931年 万宝山事件暴動テロ
・1930〜年代 東北抗日聯軍問題
・1937年 普天堡日本人虐殺事件(普天堡の戦い)、大山事件、
通州事件 (シナ人側の日本人虐殺)
堅壁清野(焦土作戦)、ユウ江門事件(内ゲバ)
・1938年 長沙大火、黄河決壊事件
・1940〜年 通化事件
・1940〜年 満州等引き上げ時等に中国等による日本人拉致強制連行大虐殺事件
・1949年 ウイグル侵略
・1950年 チベット侵略
・1959年 中印国境侵略紛争(中国
・1969年 中ソ国境侵略紛争(中国
(現代では中国「民兵」=テロリスト問題も)
・1979年 中越戦争
・1989年 天安門事件
・2004年 上海総領事館員愛国者日本人自殺事件(反日スパイ事件)
・2006年 対馬警備所1等海曹反日ハニトラ臭事件(上海総領事館員自殺事件関係?
・2010年 尖閣諸島中国漁船衝突事件
・2012年 中国人による日系企業への大規模な破壊行為・反日暴動・反日テロリスト問題
・2012、2013年 中国が自衛隊護衛艦にレーダー照射 大西瀧治郎は昭和天皇に「もう戦争はやめろ」と言ってほしくて特攻を始めたが「よくやった」と言われて発狂してしまった
昭和天皇は近衛文麿の忠告を無視してギリギリまで荒唐無稽な一撃和平論に固執していた
昭和天皇は新憲法になっても憲法違反のいわゆる沖縄メッセージを発信した
昭和天皇は新憲法になったのに芦田均が上奏しないと不満を口にした >>1
南京とか
中国人同士の殺し合い(国民党vs共産党・挹江門事件等)
を日本に押し付けてるだけだろうがよ!???
読売新聞は捏造するな隠すなよwwwwwwwwwww
日蓮主義の百姓は本当にタチが悪い
日蓮主義の百姓は本当にタチが悪い >>1
まーーーーたゴミ売り新聞工作か
時系列を見れば中国地域こそ悪なのは当然
【 中国の悪事等(一例。他大量にある) 】
・1931年 万宝山事件暴動テロ
・1930〜年代 東北抗日聯軍問題
・1937年 普天堡日本人虐殺事件(普天堡の戦い)、大山事件、
通州事件 (シナ人側の日本人虐殺)
堅壁清野(焦土作戦)、ユウ江門事件(内ゲバ)
・1938年 長沙大火、黄河決壊事件
・1940〜年 通化事件
・1940〜年 満州等引き上げ時等に中国等による日本人拉致強制連行大虐殺事件
・1949年 ウイグル侵略
・1950年 チベット侵略
・1959年 中印国境侵略紛争(中国
・1969年 中ソ国境侵略紛争(中国
(現代では中国「民兵」=テロリスト問題も)
・1979年 中越戦争
・1989年 天安門事件
・2004年 上海総領事館員愛国者日本人自殺事件(反日スパイ事件)
・2006年 対馬警備所1等海曹反日ハニトラ臭事件(上海総領事館員自殺事件関係?
・2010年 尖閣諸島中国漁船衝突事件
・2012年 中国人による日系企業への大規模な破壊行為・反日暴動・反日テロリスト問題
・2012、2013年 中国が自衛隊護衛艦にレーダー照射 >>330
昭和天皇は田中義一不信任を西園寺公望に批判されて口出しを控えるようにしたと述べた
しかしその後も昭和天皇は宇垣一成の首相就任を実質的に阻止したし多田駿の陸相就任は本当に阻止した >>332
最終戦争論はその最終部分での結論まではよくできている >>328
そもそも昭和天皇は敗戦革命サヨク木戸幸一とズブズブ
木戸幸一は最側近だからね
インタビューでも「日本が負けて大成功」みたいに言っちゃってるしwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
サヨクはこれら敗戦革命を隠しまくりwwwwwwwwwww(´・ω・`)
まあ日本共産党はブーメランのヤバさに気付いたのかサヨク敗戦革命系をこっそり批判してるがwww この人を天皇にしようとクーデターが画策されてたんだよね。しかも秩父宮もまんざらではない。
秩父宮派の重鎮から小馬鹿にされてた昭和天皇‥よーやったわ‥ ■岩村義運住職はダマされたのだろうが、破門された清澄寺を戦後すぐに策を弄して盗んで大本山にしたのが日蓮宗
日蓮宗が此のような姑息で卑劣な事をするのは常
織田信長の「安土宗論」や徳川家康の「慶長宗論」などの経緯でも分かる。
■清澄寺
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%BE%84%E5%AF%BA_(%E9%B4%A8%E5%B7%9D%E5%B8%82)
・ 771年(宝亀2年)不思議法師が訪れて虚空蔵菩薩を祀り開山し、山岳信仰の霊場となった。
僧の素性は不明で「不思議法師」と呼ばれた。 山頂近くに古い柏の木があり怪しく千光を発していたことから山号を千光山とし、柏の木の下に水の涸れた池があって、加持すると清泉がたちまちに沸いたことから寺号を清澄寺としたという。
・ 836年(承和3年)円仁(慈覚大師)が訪れて再興し、天台宗となる。
・1096年(嘉保3年)雷による火災で堂宇が焼失し、国守の源親元が再建する。
・1157年(嘉禄元年)北条政子が千日講を催し、宝塔・輪蔵が造立されたほか大蔵経4000巻余が納経された。
・1233年(天福元年)道善を師として、日蓮が入門する。
・1253年(建長5年)日蓮が立教開宗を宣言する。
➡➡➡ 日蓮は清澄寺を破門され、鎌倉へ
・1387年(至徳4年)三宝院の弘賢が清澄寺の別当職に就く。
・1392年(明徳3年)梵鐘を鋳造する。
・1618年(元和4年)智積院の頼勢が徳川秀忠の命により入寺し、真言宗に改宗する。
・1717年(享保2年)八事山興正寺・天瑞和尚が、虚空蔵菩薩を奉納する。
・1920年(大正9年)真言宗清澄寺30世玉瀧義秀住職が法華山門不入を解き、盛大に立教開宗会を催す。
➡➡➡ ・1949年(昭和24年)真言宗清澄寺31世岩村義運住職が末寺45ヶ寺と袂を分かち、真言宗智山派から日蓮宗に改宗する。
岩村義運住職は日蓮宗大本山清澄寺1世貫首となるが、すぐに下山。
以降、貫首は日蓮宗管長が就任し、寺務を司る別当職が置かれている。
※ 安土宗論 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%9C%9F%E5%AE%97%E8%AB%96
※ 慶長宗論 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E9%95%B7%E5%AE%97%E8%AB%96 >>334
独白録は正面からすべて信じてはいけない
あれは自己弁護部分は割愛し、愚痴を楽しむ読み物 >>334
ただのファッションで昭和天皇含めてサヨクだらけだよ上層部は
ソ連やロシア工作をかなり容認してたからねwwwwwwwww
そもそも東条首相になったのもサヨク木戸が推薦したからだしなwwwwwwwwwww >>46
この書簡が見つかった事で、
三笠宮だけでなく秩父宮という、
二人の軍人皇族が中国戦線の日本軍の規律の乱れが酷いと認識していたという事
要するに、南京大虐殺は、普通にあったという事 ■懲りない鬼畜外道 永遠の国賊天敵仏敵 人類の敵
「日蓮主義」 >>341
> 要するに、南京大虐殺は、普通にあったという事
はいデマ
南京大虐殺ファンタジーの大きな問題点(´・ω・`)
・ そもそも南京にろくな証拠がない、まともな映像証拠すらない
・ 南京のまともな裏付けがないw 反日サヨク軍人系工作は証明済みで日記()等の信憑性ガタ落ち
・ 日本こそが被害者 (時系列を見れば中国こそが悪い 反日の自業自得
・ 「 南京大虐殺ファンタジーの時期 」に中国人と中国人が大規模な殺し合い
→ ユウ江門事件、堅壁清野(焦土作戦はただの戦略だが)、長沙大火、黄河決壊事件等
・ 南京とか中国人同士の殺し合い(国民党vs共産党・挹江門事件等)を日本に押し付けてるだけだろうがよ!???読売新聞等は捏造するな隠すなよwww
・ 反日サヨク軍人が反日工作している歴史
・ 逆に日本軍人は大規模にソ連洗脳されてるし、そもそもシベリア洗脳前から日本政府軍は反日ソ連サポーターであり反日サヨクw
・ 南京デマをやった日本軍側もバレた = サヨクには信憑性がないレベルw
・ そもそも対中拡大はサヨクw(ゾルゲ・ヴェノナ文書等) サヨクは日本になすりつけすぎw
・ 南京 = 虐殺テロリスト国民党の本拠地 = 加害者
・ これを殆ど隠すテレビ新聞マスゴ
・ 抗日パルチザンといい中国こそ民・兵士の境目がない
・ 読売新聞も慰安婦捏造ファンタジーに加担したのをごまかし(英字紙「性奴隷(sex slave)工作1992年-2013年)、あげく2020年11月15日に南京事件を両論併記せず断定し、秩父宮ギャグに加担
(所謂「アカの皇族」工作問題で、三笠宮は「日本軍南京ガー!実写映画を見た!そういう話を聞いた」←とろくな証拠映像もないまた聞き)、
昭和天皇最側近木戸幸一「敗戦して大成功」・大本営「ソ連に日本兵をあげます」・近衛「ロシアサポートします」・昭和天皇「原爆は仕方ない」・東条「ゾルゲ敗戦革命の調査を打ち切りソ連サポートも容認します」
他大量と「 サヨク敗戦革命サヨク工作 」だらけ
当時はド反日サヨク共産社会主義ソ連ロシア系ブームだからこうなった(´・ω・`)
【ヴェノナ文書】世界大戦ルーズベルト政権共産ソ連
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1510323527/ >>334
宇垣は信用出来ない奴だけど、多田はなんで嫌われたんだろう?
石原の仲間だからかな? >>324
その発言もいまでは批判されてもしかたないけど、
東京裁判で救命された昭和天皇としてはこう答えるしかなかったんだろう
戦争責任があるのは本人が重々わかっていただろうけど、
公的には「軍部の暴走にひきずられた平和主義の天皇」となったから、それを否定するわけにはいかなかったと ■懲りない鬼畜外道 永遠の国賊天敵仏敵 人類の敵
「日蓮主義」
. >>341
ただの証言でまともな証拠になってなくてワロタwww
じゃあ中国による虐殺テロすべて真実として報道しないおかしいなwwwwwwwww >>341
それは飛躍
そもそも秩父宮が日中戦争に懸念を示していたのは記事にもある通り、すでに知られていた
その裏付けができた以上の意味はない >>13
三笠宮は当時から中国戦線の日本軍のモラルが酷いと主張してたけど、
ここにきて、秩父宮まで、同じ認識だったとなると、
現場を見て聞いて知る皇族二人が、中国戦線の日本軍のモラルを酷評してるわけで、
南京大虐殺も、普通に、あったんだろうな、という感じになるよな >>339
独白録は東京裁判にそなえて天皇の戦争責任を免責する目的で、寺崎はじめ側近が書いた対策本だといわれているね
もちろん米国側の意向もはいっているだろう
皇太子(現、上皇さま)がすでに成年で即位可能か、または未成年でも摂政候補の高松宮が
危険人物と米国からみなされていなければ、昭和天皇の戦争責任を裁判で追及できたと思う 日蓮主義の百姓は本当にタチが悪い
日蓮主義の百姓は本当にタチが悪い
日蓮主義の百姓は本当にタチが悪い >>345
平和主義、というかアメリカと戦争したくなかったのは確かでしょう
開戦をvetoしたらクーデターが起きたうんぬんの独白も、そうだろう
国体を守ること、そして自ら望んで開戦したわけではないこと、この2点がお上の譲れない部分
皇室が続き、自分の汚名が晴らせればいいという判断
それが達成されていたので、発言を濁したんだろう >>347
書簡だから、立派な一次資料だよ
しかも、無名の一兵卒の日記じゃなくて、
皇族の一次資料だよ
現場に行く軍人皇族二人が、中国戦線の日本軍のモラルが糞と書いてるわけで、
それは事実だろ
流石に、現場見てる皇族二人が同時に虚言したとかはねえだろ
そういうモラルなら規模は分からんが、普通に南京虐殺はあっただろ >>355
× 一次資料はまともな証拠
○ 一次資料=まともな証拠とは限らない
本人の偽証も一次だクソバカwwww
あと俺の大量のツッコミを隠すな
南京大虐殺ファンタジーの大きな問題点(´・ω・`)
・ そもそも南京にろくな証拠がない、まともな映像証拠すらない
・ 南京のまともな裏付けがないw 反日サヨク軍人系工作は証明済みで日記()等の信憑性ガタ落ち
・ 日本こそが被害者 (時系列を見れば中国こそが悪い 反日の自業自得
・ 「 南京大虐殺ファンタジーの時期 」に中国人と中国人が大規模な殺し合い
→ ユウ江門事件、堅壁清野(焦土作戦はただの戦略だが)、長沙大火、黄河決壊事件等
・ 南京とか中国人同士の殺し合い(国民党vs共産党・挹江門事件等)を日本に押し付けてるだけだろうがよ!???読売新聞等は捏造するな隠すなよwww
・ 反日サヨク軍人が反日工作している歴史
・ 逆に日本軍人は大規模にソ連洗脳されてるし、そもそもシベリア洗脳前から日本政府軍は反日ソ連サポーターであり反日サヨクw
・ 南京デマをやった日本軍側もバレた = サヨクには信憑性がないレベルw
・ そもそも対中拡大はサヨクw(ゾルゲ・ヴェノナ文書等) サヨクは日本になすりつけすぎw
・ 南京 = 虐殺テロリスト国民党の本拠地 = 加害者
・ これを殆ど隠すテレビ新聞マスゴ
・ 抗日パルチザンといい中国こそ民・兵士の境目がない
・ 読売新聞も慰安婦捏造ファンタジーに加担したのをごまかし(英字紙「性奴隷(sex slave)工作1992年-2013年)、あげく2020年11月15日に南京事件を両論併記せず断定し、秩父宮ギャグに加担
(所謂「アカの皇族」工作問題で、三笠宮は「日本軍南京ガー!実写映画を見た!そういう話を聞いた」←とろくな証拠映像もないまた聞き)、
昭和天皇最側近木戸幸一「敗戦して大成功」・大本営「ソ連に日本兵をあげます」・近衛「ロシアサポートします」・昭和天皇「原爆は仕方ない」・東条「ゾルゲ敗戦革命の調査を打ち切りソ連サポートも容認します」
他大量と「 サヨク敗戦革命サヨク工作 」だらけ
当時はド反日サヨク共産社会主義ソ連ロシア系ブームだからこうなった(´・ω・`)
【ヴェノナ文書】世界大戦ルーズベルト政権共産ソ連
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1510323527/ >>348
いや、この記事の論点は、
「秩父宮の日中戦争に対する賛否見解」ではなくて、
「秩父宮が日中戦線の日本軍のモラルが酷いと認識していた」という部分だよ
主義思想も違う、三笠宮と秩父宮という二人の軍人皇族が、
中国戦線の日本軍のモラル崩壊を懸念していた事実は、重いでしょ
単なる無名兵士の日記じゃないのよ
そりゃ、南京事件も起きるわ >>351
どうかな
ソ連、中国は強硬だから
お上が訴追されたら日本国内も割れるぞ
アカに染まった人と神を殺されたという人で
それは共産圏の思う壷だからアメリカは選択できないと思う
それより独白録は、いいも悪いも臣下、赤子に言いづらく、口癖が「あ、そう」だった人が内面に溜め込んだ愚痴、臣下への辛辣な悪口が伝聞でなく残されているのが貴重w >>358
お前の妄想www
サヨク敗戦革命等を大量スルーしてる時点で
サヨクの特大捏造工作の多さを認めたようなもんじゃね????wwww
>「秩父宮が日中戦線の日本軍のモラルが酷いと認識していた」という部分だよ ←また聞きじゃんwwwwwwwwww
【皇族を反日利用・反日に騙される『アカの殿下事件』】三笠宮殿下 「神武は作り話。紀元節反対。日本軍は南京で虐殺をした。実写映画を見た。そういう話を聞いた。」 ←天皇の先祖である神武天皇陛下への反逆は反日。虐殺を直接見た証拠は?
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1449661879/ >>358
実際に秩父宮殿下が現地でご実見されたことではなく、あくまで風聞だからねえ
そういう真偽不明の風聞が流れ、秩父宮殿下のお耳にまで届いていた以上の意味は見いだせないんでは?
別に日中戦争のときの軍紀が整然としていたと主張するつもりはないのだが >>334
田中義一不信任の際も白川義則については何も言わなかった ■■戦国大名の宗派■■
■上杉謙信 曹洞宗、毘沙門天、真言宗
毘沙門天の熱心な信者で、自らの旗印にも「毘」の文字を使った。
青年期までは曹洞宗の古刹、林泉寺で師の天室光育から禅を学び、上洛時には臨済宗大徳寺の宗九のもとに参禅し「宗心」という法名を受け、晩年には真言宗に傾倒し、高野山金剛峰寺の清胤から伝法潅頂を受け阿闍梨権大僧都の位階を受けている。
■武田信玄 臨済宗、八幡信仰、天台宗
菩提寺:山梨県甲州市の恵林寺(臨済宗)
信玄は生涯神仏をよく保護し、神道の中では源氏一門が崇拝する八幡信仰、今一つは武門の守護神、諏訪信仰であり、有名な孫子の旗「風林火山」とともに、「南無諏訪南宮法性上下大明神」を軍旗とした。
仏教では織田信長の比叡山焼き討ちに対抗した。天台宗の延暦、園城と関係が深く、権僧正に任ぜられ、信玄も比叡山の高僧をかくまっている。
特に重んじたと言われる臨済宗では、妙心寺派の高僧たちを甲斐に招いた。
■北条時宗 臨済宗 菩提寺は鎌倉市円覚寺
18歳で鎌倉幕府の執権となり、日蓮を島流しにし、世界帝国モンゴルと朝鮮の連合軍による2度の元寇を撃退した。
■織田信長 曹洞宗、臨済宗
父信秀が建立した織田家の菩提寺は曹洞宗萬松寺。 信長の教育係でありブレーンである沢彦宗恩は臨済宗の僧侶。
▶安土宗論( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%9C%9F%E5%AE%97%E8%AB%96 ) で日蓮宗の欺瞞を断罪、日蓮宗は詫び証文を提出。
騒動の発端となった大脇伝介と建部紹智は捕縛し、両者斬首。
■豊臣秀吉 ???
生まれ故郷の尾張は、日蓮宗の盛んなところで、秀吉の姉の日秀は信者として知られていますが、彼自身が信者だったということは無いようです。
唯一、手がかりとなるかも知れないのが秀吉と淀君との間に生まれ溺愛した鶴松の菩提寺として建立した祥雲寺を臨済宗としたので臨済宗に何らかの思い入れがあったのかもしれません。
■真田一族 曹洞宗
菩提寺は長野県長野市の長國寺で信州の曹洞宗の中核
■徳川家康 浄土宗、天台宗
菩提寺は愛知県岡崎市にある大樹寺(浄土宗)。 徳川家康は、先祖代々信仰があったということで江戸幕府を開いた後も、浄土宗を手厚く保護。
浄土宗の代表的なお寺のうち、知恩院(京都)は「門跡寺院」、増上寺(東京)は「大本山」の称号を与え、幕府が手厚く保護。
▶慶長宗論( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E9%95%B7%E5%AE%97%E8%AB%96 ) では、日蓮宗の欺瞞を断罪し日経らの袈裟を剥ぎ取った。
日経らは、その後も宗論に勝ったと主張したので捕縛し、京都六条河原にて耳と鼻を削ぐ酷刑に処した。
徳川家康自身は天台宗の僧「天海」を特に側近として重用した。
その天海は風水を重視していたので、徳川家康は例えば
・五色の目の不動尊(目黒、目白、目赤、目青、目黄)を設置。(現代も駅名に残っている)
・関東天台宗総本山の上野寛永寺建立(現在の上野公園にあった浄土宗の増上寺を芝に移設して建立)
・日光東照宮建立(江戸城と上野寛永寺の延長上である鬼門に建立) >>361
当時の中国地域
【 中国の悪事等(一例。他大量にある) 】
・1931年 万宝山事件暴動テロ
・1930〜年代 東北抗日聯軍問題
・1937年 普天堡日本人虐殺事件(普天堡の戦い)、大山事件、
通州事件 (シナ人側の日本人虐殺)
堅壁清野(焦土作戦)、ユウ江門事件(内ゲバ)
・1938年 長沙大火、黄河決壊事件
・1940〜年 通化事件
・1940〜年 満州等引き上げ時等に中国等による日本人拉致強制連行大虐殺事件
・1949年 ウイグル侵略
・1950年 チベット侵略
・1959年 中印国境侵略紛争(中国
・1969年 中ソ国境侵略紛争(中国
(現代では中国「民兵」=テロリスト問題も)
・1979年 中越戦争
・1989年 天安門事件
・2004年 上海総領事館員愛国者日本人自殺事件(反日スパイ事件)
・2006年 対馬警備所1等海曹反日ハニトラ臭事件(上海総領事館員自殺事件関係?
・2010年 尖閣諸島中国漁船衝突事件
・2012年 中国人による日系企業への大規模な破壊行為・反日暴動・反日テロリスト問題
・2012、2013年 中国が自衛隊護衛艦にレーダー照射 南京攻略に向かった陸軍兵士は、予備役とか待機組で、2軍だったはずだから、
風紀、軍紀に期待するだけ無駄だろ。
主力は対ソ連に備えて、動かせなかった >>365
その精鋭部隊のごく一部はのちにシュムシュで大きな手柄を上げた
そこは喜ぼう ■関東軍
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E8%BB%8D
・・・板垣征四郎 ( 関東軍参謀総長 熱烈な日蓮主義者 ) 最高指揮官である大元帥 昭和天皇に反逆し、反対する者は暗殺恫喝し、ナチスドイツとの同盟推進 )
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%9E%A3%E5%BE%81%E5%9B%9B%E9%83%8E
・・・石原莞爾 ( 関東軍主任作戦参謀 熱烈な日蓮主義者 )
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E8%8E%9E%E7%88%BE
独断で張作霖爆殺事件や満州事変を実行したことは、1920年代からの外交安全保障戦略を現地の佐官級参謀陣が自らの判断で武力転換させたことを意味し、その後の日中戦争(支那事変)や太平洋戦争(大東亜戦争)に至る日本の政治外交過程を大きく揺るがす契機となった。
なお、満洲事変は、参謀本部・陸軍省といった当時の陸軍中央の国防政策からも逸脱していた上、明確な軍規違反であり、大元帥たる昭和天皇の許可なしに越境で軍事行動をする事は死刑に処される程の重罪であったが、首謀者達は処罰されるどころか皆が出世した。 >>361
戦争継続中、攻略中に、指揮官たる皇族に「軍の規律がヤバいです」と、
報告するというのは、よほど酷かったんだろうと考えるのが普通では
誤魔化せる程度の僅かな軍紀乱れだったら、
わざわざ皇族に報告しないでしょ
下手したら、秩父宮から天皇に伝わるかもしれないし
つまり、南京事件は面倒だから置いといても、
中国戦線での日本軍の軍紀の乱れは、かなりヤバかったんじゃない? >>344
昭和天皇は宇垣一成がよく「聞いておく」と言うのは相手が同意と捉えるだろうからこのような人は首相にすべきではないと言っているが我々平民には理解できない言語感覚だ
普通「聞いておく」とは婉曲な拒否ではないか >>250
小さい頃看取った婆さんの話を学校で聞いたな。
あの頃は朝鮮人がどんなものかも知らなかったが。 日本兵の蛮行があったのは事実
だがその前に度重なる官民挙げての中国人の日本人への蛮行があったことを外して議論すべきではない
大体21世紀になってすら尖閣問題の際の多くの日本企業襲撃していることを見ただけでも戦前を想像するなら推して知るべしではないか 昭和帝「対熱河作戦ハ万里ノ長城ヲ超テ関内二進入スルコトナキ条件ニテ認可スル旨」
斉藤実「熱河攻略ハ聯盟ノ関係上実行シ難キコトナレハ内閣トシテハ不同意ナリ」
昭和帝「作戦許可ヲ取消シタシ、開院宮二伝ヘヨ」
昭和帝「熱河攻略ハ内閣ニテ能ク承認居ラサリシヤノ旨尚中止シ能ハサルヤ」 >>375
南京大虐殺ファンタジーの大きな問題点(´・ω・`)
・ そもそも南京にろくな証拠がない、まともな映像証拠すらない
・ 南京のまともな裏付けがないw 反日サヨク軍人系工作は証明済みで日記()等の信憑性ガタ落ち
・ 日本こそが被害者 (時系列を見れば中国こそが悪い 反日の自業自得
・ 「 南京大虐殺ファンタジーの時期 」に中国人と中国人が大規模な殺し合い
→ ユウ江門事件、堅壁清野(焦土作戦はただの戦略だが)、長沙大火、黄河決壊事件等
・ 南京とか中国人同士の殺し合い(国民党vs共産党・挹江門事件等)を日本に押し付けてるだけだろうがよ!???読売新聞等は捏造するな隠すなよwww
・ 反日サヨク軍人が反日工作している歴史
・ 逆に日本軍人は大規模にソ連洗脳されてるし、そもそもシベリア洗脳前から日本政府軍は反日ソ連サポーターであり反日サヨクw
・ 南京デマをやった日本軍側もバレた = サヨクには信憑性がないレベルw
・ そもそも対中拡大はサヨクw(ゾルゲ・ヴェノナ文書等) サヨクは日本になすりつけすぎw
・ 南京 = 虐殺テロリスト国民党の本拠地 = 加害者
・ これを殆ど隠すテレビ新聞マスゴ
・ 抗日パルチザンといい中国こそ民・兵士の境目がない
・ 読売新聞も慰安婦捏造ファンタジーに加担したのをごまかし(英字紙「性奴隷(sex slave)工作1992年-2013年)、あげく2020年11月15日に南京事件を両論併記せず断定し、秩父宮ギャグに加担
(所謂「アカの皇族」工作問題で、三笠宮は「日本軍南京ガー!実写映画を見た!そういう話を聞いた」←とろくな証拠映像もないまた聞き)、
昭和天皇最側近木戸幸一「敗戦して大成功」・大本営「ソ連に日本兵をあげます」・近衛「ロシアサポートします」・昭和天皇「原爆は仕方ない」・東条「ゾルゲ敗戦革命の調査を打ち切りソ連サポートも容認します」
他大量と「 サヨク敗戦革命サヨク工作 」だらけ
当時はド反日サヨク共産社会主義ソ連ロシア系ブームだからこうなった(´・ω・`)
【ヴェノナ文書】世界大戦ルーズベルト政権共産ソ連
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1510323527/ >>368
よほどひどかった可能性に1ポイントが加わった程度と思う
具体的にはなにも記されていないし >>344
昭和天皇はこれまた石原莞爾の仲間の板垣征四郎も嫌っていたが彼の陸相就任は阻止しなかった
多田駿の陸相就任は全力で阻止した >>378
マイナス1ポイントでしょ
また「映像無し・映像とらず・また聞き」
だし
アカの皇族問題やサヨク敗戦革命はもっと知られるべき >>370
帝王教育受けてるからね
好き嫌いも表明してはいけない、すべては「あ、そう」
うっかりウナギをうまいといったら行幸先の山の中までウナギが出てきて閉口されたw
永田町、霞ヶ関の「検討します」と同じだけどね、「聞いておく」は >>370
軍隊だと司令官への意見具申など、
副官とか参謀などの上級将校しかできないイメージがあるから、
「聞いておく」という日常会話の参考程度の話ではなく、
軍隊においては「聞いておく」とは将校でも発言権がない人間に、
発言権を認めてしまう隙を作るんじゃないですか。
約束手形を乱発してしまいかねないという。 >>379
あの当時、多田ほどまともな人材居なかったと思うんだけどな。 >>383
日本が叩き潰されなければならないことを、
既に知っていたからなんでしょうね。
話や約束が守られず狂暴な日本軍人は、
英米から決して許されないことを。
和平が進んだら癌細胞の摘出は出来ないから。
防衛大学校が海軍型制服なことや、第二次大戦
最末期に昭和天皇は陸海軍大元帥なのに、
海軍の大元帥服しか着ないとか示唆的ですね。 秩父宮の書簡以前に南京事件が無かったなんて言ってるのは世界でネトウヨしかいないぞ >>384
> ネトウヨ
俺ID:ytwkET8m0がバカサヨを論破しまくってるじゃんwwwwwwwww
ここのアホ共は俺のツッコミから逃げて会話を続けるザコ揃いのようだな?wwwwwwwwwwwwwww >>386
南京虐殺はあった
南京大虐殺はなかった >>386
> 南京
南京事件があった厨はろくな証拠もないクズ揃いじゃんww
中国・売国政界側が言ってるだけwwwwwwwww
権威主義であったとゴリ押ししたいサヨクたちwwwwwwww
キリスト教の神はいると言ってんのも世界的に多いなwwwwwwwwwwwwwwww >>388
どっちもないからアタマおかしいのか?
自民党カルト・民主党カルトの犬かい? 1935-06-10 梅津・何応欽協定
1935-06-27 土肥原・秦徳純協定
1935-12-25 冀東防共自治政府樹立
1937-07-07 盧溝橋事件
1937-07-11 松井・秦徳純停戦協定
1937-07-13 大紅門事件
1937-07-25 廊坊事件
1937-07-26 広安門事件
↑ココまで北支事変 1937-08-09 チャハル作戦
1937-09- 太原作戦
1937-07-28 平津作戦
1937-07-29 通州事件
1937-08-13 第二次上海事変
1937-11-02 トラウトマン工作
1937-12-04 南京攻略戦
1938-01-16 近衛声明
1938-03- 台児荘の戦い
1938-04-07 徐州作戦
1938-06-09 黄河決壊事件
1938-06-11 武漢作戦、広東作戦
1938-12-18 重慶爆撃
1939-05-01 そ号作戦
1939-05-09 南昌作戦
1939-10-03 漢口空襲
1939-11-15 南寧作戦
1939-12-24 翁英作戦
1939-12- 桐工作
1940-01- 八号作戦
1940-01-28 賓陽作戦
1940-03-30 中華民国汪兆銘政権樹立
1940-05-01 宜昌作戦
1940-08-20 第一期・第二期晋中作戦
1940-10-05 江南作戦
1940-11-24 漢水作戦
1940-11-30 中華民国汪兆銘政権と日華基本条約調印
1941-01-20 和号作戦
1941-03-15 錦江作戦
1941-05-06 鄂北作戦
1941-05-07 百号作戦
1941-09-18 加号作戦
↑ココまで支那事変 ↓ココから大東亜戦争
1941-12-24 さ号作戦
日中戦争は存在しない >>390
と、具体性スカスカで勝利宣言のサヨク
アカの皇族問題すら知らないザコサヨクばかりかwww 多分ネトウヨは南京事件が無いなんていってる学者が現在は皆無なんて情報も知らんのだろうなぁ >>396
学者ガーーーーwww
権威主義de真実きたーーーーーwwwサヨク学術会議脳かよwwwww
俺を論破できる学者を連れてこいwwwww
今や専門家だろうが嘘やメチャクチャなネタになんのはコロナでも実感したろうよ?wwww >>396
キリスト教の神はいると言ってんのも世界的に多いなwwwwwwwwwwwwwwww
某イスラムキリスト神学者等もヤハウェ神の実在を信じてるの??????
サヨクの南京ファンタジーみたいにwwwwwwwwwwww
その学者
サヨク敗戦革命問題等から逃げ回る連中だよねwwww
ツイッターでも俺無双wwwwwwww
アマチュアに勝てない学者とはwwwwwwwwwwwww 単純に、北進論者の秩父宮は、自分の意見が先行されないものだから、
お仲間である身内にその鬱憤を書いた手紙を送っていた。
もしくは、後々不都合が生じた場合、「私は反対していた」と言える保険を手紙という形でかけた。
その手紙を発見した現代人が、「否定的だったようだ」と『推測』したという記事でしかない。
旧宮家の復籍提唱のタイミングでもあるし、満州事変から90年の節目の手前でもある。
確かに貴重な資料である事は間違いないが、この資料をもってして『否定論者であった』とは、時系列上、客観的に分析すると断言はできないと思うしだい。
あくまでも、>>1の学者さんの論説として興味深く読ませて頂きました。
以上です。 >>246
> 北白川宮永久王 演習中に不時着してきた飛行機に衝突され殉職
この飛行機の操縦士とその家族。辛い立場だっただろうな。 >>401
凄惨なイジメを受けただろう
一家そろっての自害を強要されたかもしれない (-_-;)y-~
俺もそう思う。
「日中戦争」は戦後左翼による造語。
正しくは、「一連の支那事変」やで。 今も軍規乱れてるだろ
学術会議とか
税金使って任命拒否
関東軍と変わらない 国民による国会で選んだ首相の指揮に従わない
学術会議とか大勲位の娘婿の文部官僚とそれに喝采を贈るマスコミとか 関東軍の暴走支持したのも、官邸に従わないで足を引っ張る官僚とか抵抗勢力に拍手喝采するのもマスコミ 良く天皇の戦争責任と言うがマスコミの作った世論に逆らわず独裁するわけには行かなかったから
戦争を止められなかった
その空気、世論に対しては戦争回避や対米強調だった、昭和天皇は
ろくなことにならないことはわかってたから 「戦陣訓」は軍規の乱れを憂慮して出されたという経緯がある
ネトウヨは知らないだろうけど!w
↓ >>403
ネトウヨファンタジーw
1941年12月9日に中国国民政府は正式に宣戦布告してんだよw >>410
大韓民国臨時政府も、1941年12月9日に宣戦布告をしています。 戦国時代なら、謀反人の旗印になる前に兄に殺されているパターンだね >>415
性格が弱かったが決して無責任ではなかった
福田和也を筆頭に近衛文麿を酷評して相対的に東条英機を持ち上げる人が最近は多いがとんでもない
東条英機は確かに善人ではあったがその善人とは親鸞の言うところの善人であるにすぎない
東条英機の東京裁判での態度は実に立派であったが立派だからといって絶賛するのはおかしい >>218
大久保は伊藤博文が三か月かかってやる仕事を一日で終わらしてたらしいなw
スピードと行動力が半端ない
乱世後の恨まれる改革は全部やり切ったし >>6
軍の命令って関東軍も軍だけど。
日本陸軍には日本本土(大阪)で建軍した日本陸軍と、日露戦争、朝鮮併合後に満州で建軍した関東軍があって(その後、朝鮮軍もつくられる)関東軍は東京の陸軍官僚を馬鹿にしていたきらいがある。その典型が石原莞爾参謀だが、どうも大陸にいると狭い本土の連中が世間知らずの馬鹿に見えたらしい。彼らは気宇壮大な世界観を持っていた。だから、満洲国を建国して日本を盟主とする大東亜新秩序、さらには世界新秩序を50年先の対米戦争(世界最終戦争)を経て建設することを夢見ていた。戦前の日本人は非常に偉大なところがあって現在の日本人のように今だけ金だけ自分だけというチマチマした人間とはスケールが違うんだよ。 >>419
「列強利権の渦巻く大陸で問題起こせば
今はいがみ合っている列強の共通に敵になって袋叩きにされるから
何をやるにも国際的なコンセンサスを得る」
って明治維新からの方針を無視して案の定袋叩きにされたんだから
気宇壮大というより夜郎自大的というべきだろう >>420の言う通り 野郎自大だ
いまだに>>419みたいな妄言を吐くとは信じられない >>378
そもそも、中国戦線の日本軍の軍紀乱れは、何故酷かったか?が気になる
士官に問題ありなのか、兵全体の準備(教育不足)だったのか。。。
個人的には、教育不足の兵は、勝ち戦になると、モラル崩壊し易いのかなあと思うけど >>413
黒幕ではないでしょ
黒幕ではないけど、仮に226事件が成功して、
その混乱の延長として、秩父宮の天皇擁立の動きがあったら、満更でもないよ、程度では >>419
その偉大なる関東軍様はソ連が攻めてきたら居留民を捨ててトンズラこいたよなw
さすがチマチマしてねーわw >>399
でも軍部と相性の良かった(軍人的)な秩父宮が、
自らの皇軍を貶めるような書簡を残すか?というのが疑問 >>1
だから言ってるじゃん!!!
皇族方は戦争に大反対だったんだよ!!!
戦争の罪を皇族に押し付けたのは売国奴自民党の先祖である戦前戦中の官僚どもだよ。 >>419
関東軍と、中国戦線の軍では、どちらの方が軍紀乱れが酷かったのかな? >>408
天皇(地位)という存在の戦争責任については分からんが、
昭和帝は、わりと戦略や戦術に口出してるんで、
そこは批判されて当然(天皇と言う地位の越権行為と解釈できる)
勢いある戦局に関しては、あれこれ指図してるなら、
負け戦が確定した時点でも、同じように支持できるだろ、とは思う
正直、一貫性が無いという批判はされても仕方がない チチブグーってあれだろ、細長い顔してラグビー教えて毎回泣いてた人 >>426
同時の陸軍は、兄宮である昭和天皇は英国紳士
気取りで遊んでばかりだと内心馬鹿にしてい
て、弟宮である秩父宮を将校下士官と苦楽を共
にし、兄宮が上等な輸入生地の高級スーツを着
こなしているなら、弟宮は軍事訓練に勤しみ、くたびれた軍服を着て恥じることのない質素な
人柄で軍人の鑑だとされましたね。模範だと。
秩父宮は人望があったからこそ、嫌われること
を厭わず綱紀粛正が出来たんでしょう。
この御兄弟には、不幸にも水面下での凄まじい
対決があったようですね。兄弟同士は嫌ってな
くても、周囲が権力闘争して対立を作ってしま
ったんではないでしょうか。 秩父宮も皇嗣の時期があった
もちろん立皇嗣の礼なんぞしてない >>422
日本軍の軍紀が乱れていたというのは、戦後に共産党がばら撒いたデマだけどね。復員してきた中帰連がまず帰国許可条件として義務付けられていたのがそれだそうだ。
教師になって生徒に授業そっちのけで武勇伝のように支那戦線で支那兵をやっつけたり軍紀に反することを行った話を講談まがいにやると、教室で大いにうけるわけだ。元ネタがあるから日本中の中学などで同じ話を聞かされた世代がいっぱいいる。
日本軍の軍紀がいかに厳しく欧米の軍隊に比べて模範的な軍隊だったかは南京戦に従軍したフランス人の記者が書いた記事があるそうだ。 >>438
> >>422
> 日本軍の軍紀が乱れていたというのは、戦後に共産党がばら撒いたデマだけどね。
>復員してきた中帰連がまず帰国許可条件として義務付けられていたのがそれだそうだ。
> 教師になって生徒に授業そっちのけで武勇伝のように支那戦線で支那兵をやっつけたり軍紀に反
>することを行った話を講談まがいにやると、教室で大いにうけるわけだ。元ネタがあるから日本中の
>中学などで同じ話を聞かされた世代がいっぱいいる。
> 日本軍の軍紀がいかに厳しく欧米の軍隊に比べて模範的な軍隊だったかは南京戦に
>従軍したフランス人の記者が書いた記事があるそうだ。
ですよねぇ( ^ω^) >>436
昭和天皇が即位してから今の上皇が生まれるまでの8年間だけでしょ
親王が生まれなかっただけで皇后はまだまだ若いし内親王は2年おきくらいに生まれている
立皇嗣の礼なんか遡上にも上らない話
もし上皇が生まれなかったら今頃皇統断絶していたというのはさすがに当時では考えられない未来だろうけども >>440
何言ってんだ?
立皇嗣の礼なんて意味がないって書いてるだけだぞ? >>433
こら! 百姓 ! 息をするように嘘を吐くな!
幹部連中が真っ先に南に逃げたのだろうが 日本はわざわざ外国に侵入して、外征戦争をしていると列強から攻撃され、
自ら悪役になってしまった。蒋介石政権が、腐
敗しまくっていたのだから、中国国内の反権力
勢力を支援して、中国国内を混乱させればよか
った。
尤も70年前のような日本右翼の大陸浪人がいな
かったから、直接攻撃のような正面突破しか出
来なかったんでしょう。70年後の日本将校は、
無能ばかりになってしまいました。維新の志士
達の学問は、今のエリートより遥かに上ですか
らね。直接漢籍や蘭学を学んだ明治までが、日
本の教育の最高到達点。今の日本は受験競争し
ても、国力はガタ落ちでボロ負け。学校教育中
心の学制施行こそ、日本を崩壊させた。これは
明治維新の改革ではありましたが。 >>313
似非ウヨは文盲だから、満州と南京の区別も出来ない訳かw アドルフ・ヒトラーと会ったとか秩父宮って何気にすげえな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています