【岐阜新聞】【山城を攻めろ】明智城(可児市) [みの★]
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岐阜県可児市瀬田の丘陵にある明智城跡。「美濃国諸旧記」によると、明智城は美濃国明智荘(あけちのしょう)にあったとされ、康永元(1342)年に美濃源氏の流れをくむ土岐頼兼が築城し、明智姓を名乗った。室町末期には明智光秀の叔父の光安が治めた。斎藤義龍が父の道三を討った1556年の長良川の戦いに関連し、義龍軍の攻撃を受けて落城。光秀は美濃を逃れて越前に身を寄せた。明智城が瀬田にあったかは確定していないが、光秀が青年期までを過ごしたと伝わる地として近年、戦国ファンの注目を集めている。
標高約170メートルで散策路の勾配が緩やかなため、山城の初心者でも"攻略"は難しくない。山の北に位置する大手門をくぐると石畳の「桔梗(ききょう)坂」が続く。ゆっくり登っても10分ほどで頂上に到着する。落城の際に命を落とした者たちを葬ったという墳墓「七ツ塚」、奥に進むと本丸跡の碑。そして昨年に建立された光秀のブロンズ像がたたずむ。
…続きはソースで。
https://www.gifu-np.co.jp/news/20210110/20210110-35630.html
2021年1月10日 7時58分 >>1
ちなみに、岐阜県内で光秀の出生地であると主張している場所は二か所ある。
一つは、ここで紹介されている可児市瀬田。
もう一つは、恵那市明智町(明知鉄道の終着駅)。
光秀の出生地には県外説もあるが、もし県内なら、
可児市の方が恐らく正しいだろう。
恵那市明智の方は、戦国時代は明知遠山氏の領地だったはずだから。 岐阜県可児市瀬田にお住まいのみなさんは、この機会に穂積陳重せんせいの法窓夜話・続法窓夜話をよみましょう 山崎の合戦で死んだのは影武者荒木山城守行信
光秀は荒深小五郎と名を変え現在の岐阜県山県市に潜んだ
荒木の「荒」と、荒木山城守の忠誠に深く感じての「深」で
荒深小五郎と名乗った事実は地元では誰でも知っている
つまり、山県市の荒深姓は明智光秀の直系子孫なのである
住民は皆誇りを持って胸を張って生きているのだ! 山県市中洞地区を流れる武儀川には、光秀の母が懐妊中に
「たとえ三日でも天下を取る男子を」と祈ったとされる行徳岩がある
この事実を知った時、僕たちは本当に光秀の子孫なのだと鳥肌が立った! 瀬田の明智城址と森可成の金山城は目と鼻の先だから歴史好きなら一度は来てみやー
他にも山城跡がわんさかあるから飽きんよ もう少しヒマができたら、一度行きたい。
一人旅で申し訳ないが。(´・ω・`) 遠山家の苗木城跡もおすすめですー天空の城でうりだしちう >>19
苗木城行ったわ
眼下に木曽川が流れてて
高所恐怖症にはつらかった >>20
マイナーで人少なくて山城の雰囲気堪能できていいですよね 苗木城は天守台跡に無駄に作られた展望台が全てを壊している。 山城の雰囲気を味わうのなら、苗木城よりは岩村城のほうがおすすめだが
岩村城も、自動車で本丸まで行けるようにと、道路をつくったり、駐車場をつくったりと
城郭破壊が酷いからなあ。 >>18
明智鉄道じゃなくて、明知鉄道な。
あと、そっちは恵那市の明智(明知)で、
ここで紹介されてる可児市の明智城跡とは別のところ。
>>6を参照。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています