イスラエル(ユダヤ)はカナンの原住民、アモン人のハニトラにやられてから、今の悪魔崇拝に近い偶像崇拝に悩まされてきた歴史がある
アメリカ人もハニトラでやられた事を考えると、下半身か弱点なのは人類共通なのかもね

■モレク
ヘブル語の「王」([ヘ]メレク)に,「恥ずべきもの」([ヘ]ボーシェス)の母音をつけて発音させたもの.偶像の総称で,「恥ずべき王」という意味かと思われる.特に,アモン人の神(T列11:7)を指す.ミルコムとも(T列11:33),モロクとも呼ばれた(使7:43).

モレクの神殿は,エルサレムの南西にあるベン・ヒノムの谷(エレ32:35)の,トフェテ(エレ7:31)に築かれていた.それはソロモンによって建てられたもので,異教徒の妻たちのために建てられたのかもしれない(T列11:8).具体的には,オリーブ山の南端と考えられ,それは「破壊の山」とも呼ばれた(T列11:7,U列23:13).

そこに雄牛の頭を持った青銅の像が,手を突き出して立っており,モレクの信者たちは,その手の上に子どもをのせ,下から火をたいていけにえとした(レビ18:21).モレクの祭司たちは,太鼓をたたき続けて,子どもの叫び声を消し,両親の悲しみを和らげたと言う.
レビ記は,はっきりとモレク礼拝を禁じ,小児のいけにえを禁じているが(レビ20:2‐5),偶像礼拝と共に受け継がれ,ユダの王ヨシヤの宗教改革で排除されるまで続けられた.

イスラエルはその歴史の中で,この小児人身犠牲という,きわめて異教的で,罪悪的,非人道的儀式を何回も取り入れた.聖書の中ではユダの王アハズによって行われ(U列16:3),その後,マナセ王も父ヒゼキヤ王が取り壊した高き所を築き直し,ベン・ヒノムの谷で,この悪習慣を繰り返した(U列21:6)ことが記されている.

彼らは,神が「わたしの子どもたち」と言われる幼児たちを,偶像モレクにいけにえとしてささげて「食べさせた」のである(エゼ16:20‐21).

北王国イスラエルの滅亡後サマリヤに移住させられたセファルワイム人の神々として,アデラメレクとアナメレクの名があげられている(U列17:31)が,アナメレクの「アナ」は「アヌ」に通じ,バビロンの空の神と考えられ,アデラメレクの「アデラ」も「主人」の意味を持つと思われ,どちらも子どもを火で焼いて,人身犠牲をするところから,「メレク」は「モレク」の変形とされ,何らかの関係があるものと考えられている.