2021年2月5日 16時49分
その男の子が、祖母の介護を始めたのは9歳のころからです。祖母が亡くなったあと、母親の介護が続きました。大好きな家族に元気になってほしい、その一心で、つらいと思ったことはないといいます。でも、母親が亡くなり介護が終わった時、男の子は38歳になっていました。
「外の世界とのつながりがほしかった」
大人になった彼が、漏らしたことばです。
(さいたま放送局記者 大西咲)





「ミキサー食」を食べる彼

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カズヤさん(仮名・42歳)は、ワンルームの部屋で、母親の遺骨が入った骨つぼと遺影を前に、食事をとっていました。

食事は、パンや野菜ジュースなどをミキサーにかけ、ペースト状にした「ミキサー食」を6年ほど食べているといいます。
カズヤさん
「こんなものでも、お母さんも『おいしい』って言ってくれたから、うれしかったです」
幼いころから介護をしてきたカズヤさんは、母親のために食事を作り、料理の手間を減らそうと母親と同じものを食べてきました。

寝たきりになった母親が「ミキサー食」を食べるようになると、カズヤさんも同じように食べるようになりました。
こうした生活が長かったからか、今では「普通」の食事が食べられなくなりました。




始まった介護

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カズヤさんは3歳の時、交通事故で父親を失いました。

その時から、母親と祖母とカズヤさんの3人暮らしになりました。
家計も少しの貯金と祖母の年金が頼りとなりました。
まもなくして、もともと心臓の悪かった母親は体調を崩しがちになり、家の外に出ることもほとんどありませんでした。

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また、高齢になった祖母は、カズヤさんが小学3年生になったころから介護が必要になりました。

腰を痛め歩けなくなり、母親に代わってカズヤさんがひとりで、病院に薬をもらいに行くようになりました。

祖母は自分でトイレまで行くことができなかったので、カズヤさんが手をつないで一緒に行きました。立ち上がってトイレに行き、部屋に戻ってくるまで30分ほどかかることもありました。

祖母のトイレの介助が、カズヤさんの日課になりました。




もっと頑張らなきゃ

このころ、母親は体調がいい時には料理を作ってくれました。

でも外出はできなかったため、毎日の買い物や洗濯はカズヤさんの担当でした。

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日用品も合わせて買うため、まだ小さかったカズヤさんにとって、買い物袋はとても重かったといいます。

でもカズヤさんにとっては、こうした日常が「当たり前」でした。

大好きな家族に早く元気になってほしい。
その思いから、トイレの介助や買い物を必死に頑張りました。

ただ、子どもを連れて歩く家族を見かけると「自分もお母さんとおばあちゃんとお出かけしたいな」と思ったそうです。

だから、カズヤさんは「自分がもっと頑張らなきゃ」と思いました。

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小学校の卒業証書を受け取るカズヤさん

カズヤさんの生活は、母親と祖母のことが中心になっていきました。

そのせいか、中学生になると頻繁に体調を崩すようになり、学校を休みがちになりました。




介護中心の生活
     ===== 後略 =====
全文は下記URLで
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