松浦武四郎は、天塩川流域を探査している時に、あるアイヌの村の長老に、「カイとは古いアイヌ語で、〈この土地に生まれた者〉」と教えられます。それで、〈北〉〈カイ〉〈道〉。北加伊道は北蝦夷道というのと同じである。すなわちアイヌの国を意味している。

児島恭子は「元代の骨鬼、明代の苦冗、苦夷、清代の庫野、庫貢、庫葉などは、蝦夷と音が近いkuye、kui、koe、kughi」であるとし
「現代でもアムール川下流やサハリン住民のうちトゥングース・満州系諸族がkui、 ニヴヒがkuyiと呼んでいる民族がアイヌである」点から
「蝦夷(カイ)」は中国においてアイヌの先祖を音訳によって表記し、それが日本にもたらされたものと考える。

平安初期の「弘仁私記」の序にも、蝦夷に「カイ」とルビをふっている。平安末の「伊呂波字類抄」にも、カイの条に「蝦夷」とある。

日本の東北にいる異族のことを、古い時代には「毛人(エミシ)」と書いていた。その後、斉明天皇の時代に支那からの帰化人で遣唐使の通弁として随行した伊吉博徳が、初めてこの種族を「蝦夷(カイ)」と書いた。


喜田貞吉の日本民族概念
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