スライドで説明する滝沢課長(右端)=新潟市秋葉区で2021年2月21日、露木陽介撮影
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 新潟市秋葉区の県埋蔵文化財センターで21日、県内で発掘された古墳時代の遺跡などをもとに、新潟での古墳時代の生活を紹介する講演会があった。

 講演会には30人が参加。同センター普及・資料課の滝沢規朗課長が講師を務め、北方と近畿の文化の境界に当たる新潟の特異な状況を説明した。

 越後平野では、海から山脈までの距離が遠く、山からの水はけが悪く農業生産力が乏しいことから、古墳そのものの大きさは全国と比べて小さなものが多い。古墳時代前期に造られ始めた前方後円墳の日本海側最北が新潟市西蒲区(菖蒲塚古墳)にみられるなど、文化の中心であった近畿の影響が及ぶ北限であったことが分かるという。

 一方、土器に縄文時代のような縄目の模様をつける東北地方の特徴を持つ土器(続縄文土器)が菖蒲塚古墳のすぐ近くで見つかるなど、北方との交流があった同時代の南限だったことも分かり、「新潟は邪馬台国から大和朝廷成立時の西と東北地方の動向が把握できる重要地点である」と結論付けた。

 講演会に参加した新発田市の片桐一雄さん(73)は「越後の歴史の基礎を知ることができてよかった。県内では続々と古墳が見つかっているので新発見が楽しみだ」と話した。【露木陽介】

毎日新聞 2021/2/22
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