https://news.yahoo.co.jp/articles/720ab72f7975f2ce84297b7d21a62b3a22d1b7aa?page=4


(略)


新聞の「戦争責任」は大きい

 また現代社会ならば、国の施策を自由に批判できる。マスメディアを使うこともできるし、SNSで発信することもできる。それが世論のうねりとなって、政治を動かすことにもなる。

 しかし、大日本帝国の時代は違った。言論の自由は無かった。思想の自由も無かった。

 「国体の変革」をもくろんだり、「私有財産制度の否認」する言動をしたら、治安維持法で死刑になる可能性があった。「戦争反対」の声を上げることは命と引き換えでなければ不可能であり、命を落としたところで戦争が終わる保証もなかった。

 また情報は操作されていて、架空の戦果を大本営は発表し、新聞はそれを垂れ流した。中国大陸における日本軍の謀略、侵略も正しく伝えられなかった。

 こうしたことを考え合わせると成人男性の戦争責任は、全くないとは言えないものの非常に低いと考える。つまり当時の国民に、現代の国民と同じような「責任」を求めるのは筋違いなのだ。

 「戦争責任」を問えば、新聞のそれは非常に大きい。敗戦まで毎日新聞などの新聞は戦争を食い止めるどころか政府の片棒を担いだからだ。であればこそ二度と為政者、政府による戦争を許してはならない。それが新聞ジャーナリズムの大きな役割である。