大船〜湘南江の島間(6.6km)を結ぶ湘南モノレールが、2021年7月2日に全線開通50周年を迎える。筆者は現在、湘南モノレールの公式サイトにて、全線開通50周年記念連載「湘南モノレール全線開通までの全記録」を連載中である。

ところで、かつて大船駅を起点とするもうひとつのモノレールがあったことをご存じだろうか。大船駅からドリームランド駅(横浜市戸塚区俣野町)まで結んだドリームランドモノレール(ドリーム交通が運営)である。

同路線は1966(昭和41)年5月2日に開業したが、わずか1年半後の1967(昭和42)年9月24日に運行休止した非常に短命な路線だった。間もなく開業から55年が経過するドリームランドモノレールはどのような路線だったのか。わずかに残る資料を頼りに、その歴史をたどり、廃線跡を探索してみることにする。

■ドリームランドモノレールが建設された理由

そもそもこの地になぜ、モノレールが敷設されたのだろうか。その理由として、「日本最大の遊園地」と称された横浜ドリームランド(敷地面積約132万平方メートル)が1964(昭和39)年8月にオープンしたものの、最寄りの大船駅から5km以上も離れており、アクセスの悪さがネックになっていたことが挙げられる。

バス・タクシーだけでは輸送力が限られるし、途中で国道1号をクロスしなければならなず、渋滞も予想された。したがって路上交通と分離した別な交通手段が必要だったわけだが、丘陵地帯が広がる大船(鎌倉市)北部や横浜市戸塚区の西部は山坂が多く、通常の鉄道を敷設することが不可能に近かった。そこで、簡易な構造物のみで建設でき、輸送力も比較的大きく、さらにゴムタイヤで登坂力にも優れたモノレールが採用されることになったのである。

当時は我が国でモノレールが脚光を浴び始めていた時期でもある。日本の大手メーカーが海外のモノレール先進企業と提携し、さまざまなモノレール技術を輸入していた。

具体的には、日立製作所が西ドイツ(当時)のアルヴェーグ式モノレール(後に東京モノレール羽田線などで採用)、日本エアウェイ(三菱重工が中心となって設立)がフランスのサフェージュ式モノレール(後に湘南モノレール、千葉都市モノレールなどで採用)の技術を輸入するなどし、研究が進められていた。

ドリームランドモノレール計画の入札には複数の企業が手を挙げたが、採用されたのは東芝式だった。この東芝式は、アルヴェーグ式をベースとしつつ、車体と台車を完全に分離したボギー連接台車構造とするなど、独自の改良を加えたものだった。

東芝式が採用されたのは、先行開園した奈良ドリームランドのモノレールで成功していたことが決め手となったのだろう。奈良ドリームランドのモノレールは1961(昭和36)年7月1日に開業。地方鉄道法(現・鉄道事業法)によらない遊戯物扱いではあったものの、円周軌道上(0.84km周回)を最大安全速度40kmで走行するという実用レベルに達したものだった。

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ドリームランドモノレールは「ドリーム号」「エンパイア号」の2編成が運行されていた(提供 : 横浜市史資料室)

ドリームランドモノレール建設の過程

1964(昭和39)年8月にドリームランド線の敷設免許が下り、以後、東芝が車両と電気設備の製造(車両のボディ部分は東急車輌が製造)、三井建設が軌道の設計・建設を担当し、総工費約25億円をかけて建設が進められた。大船駅からドリームランド駅までの路線総延長は5.3km。両端の駅のほぼ中間地点に、交換所(すれ違い場所)である小雀信号所と変電施設を設けた。

このモノレールの建設過程に関しては、神奈川新聞が何度か記事にしている。まず、1966(昭和41)年1月26日付の記事で、モノレール計画の全容をわかりやすく書いているので、少し長いが全文を引用する。

4/11(日) 14:03
https://news.yahoo.co.jp/articles/de6e5b9e869c16920330ada267d66aa556b4046f

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