【歴史】「江戸の施策」が現代の感染症との闘いに教訓 [右大臣・大ちゃん之弼★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
都内では新型コロナウイルスとの闘いが続いているが、今よりも天然痘やコレラなどの感染症が相次いだ江戸時代には、幕府はどのような対策をしていたのだろうか。このテーマに歴史家の安藤優一郎さん(56)が取り組み、「江戸幕府の感染症対策 なぜ『都市崩壊』を免れたのか」(集英社)を出版した。安藤さんは「特効薬がなかったのは江戸時代も同じ。コロナ禍に苦しむ現代への教訓を見いだせるのではないか」と問いかけている。(飯嶋彩希)
無料の救済施設
文京区白山の小石川植物園(東京大大学院理学系研究科付属施設)に、貧民救済のため設けられた小石川養生所の井戸の跡が残っている。8代将軍徳川吉宗の時代、感染症対策や根本的な医療福祉体制が敷かれた初期の象徴となる施設だ。
江戸時代は戦乱こそなかったものの、天然痘などの疫病が繰り返し流行し、被害は大きかった。安藤さんによると、江戸の人口密度は当時の世界最大規模で、感染症は広まりやすかったと考えられる。
吉宗は享保改革で医療政策に力を注いだ。小石川養生所が開設されたのは享保7(1722)年で、無料で診察が受けられる公的医療施設の走りとなった。きっかけは、人々の声を聞く目安箱に「貧しい者は病気にかかるとどうなるのか」という投書があり、吉宗が関心を寄せたことだった。
「吉宗は『病気から人々の生命を守ることは将軍(幕府)の責務』という強い意識があったと思う」と安藤さんは指摘する。
養生所は当初、人体実験場とも噂され、利用者は少なかったという。しかし、すぐに入所希望者は定員を超え、体制の拡充を重ねて幕末まで存続した。
「庶民にとって薬は高価で、まだ病は祈祷(きとう)に頼る風潮があった。そんな中で吉宗は朝鮮ニンジンの国産化を推し進めた。最初は理解されず強引に思われたかもしれないが、近代的な薬の供給体制を築いた」
吉宗の没後約30年で起きた天明の大飢饉(ききん)(1782〜88年)。米価が高騰し、東日本を中心に餓死者が続出した。江戸でも生活困窮者が米問屋を打ちこわすなどの「都市崩壊」に陥り、政変に発展した。ここで行われた寛政改革は、凶作に備えて穀物を貯蔵する「備荒貯穀(びこうちょこく)」が課題となった。
改革を主導した老中・松平定信は、地主から徴収した町の運営費を節約した7割を積み立てる「七分積金」を非常時の備えとした。「現代でいう共済組合や持続化給付金に近い。当時の世界各国を見ても、新しいシステムを生み出している」と安藤さん。ただ、あまりに画期的な試みだったからか、庶民からは「今何も起きていないのに、何のために徴収するのか」という強い反発があった。
「『備える』という発想自体がなかった当時、庶民は幕府の命令に従うしかないが、裏では疑問や不満が上がっていたと思う」
それでも、飢えや病に苦しむ人々に配分された積金は、疫病流行時に大いに役立った。その後の天保の大飢饉(ききん)=1833〜37年=でも全国的に米騒動による都市崩壊が起きたが、江戸では米や金銭が配られ、最悪の事態を免れたという。
景気対策にも
「救済事業は同時に景気対策でもあった。これは、コロナ禍で経済的な打撃を受けているのとは真逆の構図」と安藤さん。「幕府は医療体制の限界を、経済政策も兼ねて社会福祉政策で補おうとした」といい、救済事業こそが江戸の危機管理術だったと指摘する。
「吉宗も定信も、反発の声を無視する形で政策を強行した。今でこそ強いリーダーシップだったといえるが、当時はそうは思われていなかっただろう」
安藤さんは最後にこう語る。「歴史を学ぶのは、教訓を得て今に生かすため。コロナ禍にあるわれわれも、後世に教訓を残さなければならない」
産経ニュース 2021/5/27 15:59
https://www.sankei.com/article/20210527-5V5XQB7E5ZPJ7AE3AT6ODR36QQ/
https://www.sankei.com/article/20210527-5V5XQB7E5ZPJ7AE3AT6ODR36QQ/photo/J4PIRXAPTNMQPBVBOTMD5E7AVM/ >>1
老人を守るために若者を犠牲にするようなみっともないことをしなかったのが江戸時代 >>1
今の政府にこれだけ国民を大事にするという意思を持ったやついないだろ >「『備える』という発想自体がなかった当時、
今もないぞ 汚職馬鹿しかいない自民党よりも江戸幕府のほうが100倍も有能だろ 微妙にミスリードされててお前らも気付いていないようだが要するに「首都にいるのが一番安全」て事だよ 良い面をだけ取り上げればそうかも知れないが、
裏では御用商人が莫大な利益を得ていたとかね。 救済事業が経済対策も兼ねてたのか。
それさえ出し渋る日本政府は江戸幕府以下だな。 >>1
梅毒も赤痢もコレラも全部中国(属国朝鮮)から
あらゆる厄災はいつも日本海を越えてやって来る 当時の方が進んでいたんだな。
200年後に、暴れん坊総理大臣菅義偉なんて絶対作られないだろう。 江戸時代良いよな
人口3000万位で300年続いた 外国との交流があった戦国時代、幕末ならともかく、鎖国の日本で、そんなに感染症が流行していたのか?
まあ、寄生虫なんかは、うじゃうじゃだっただろうけど。 吉宗は凄い影響力あったよな。奴の後の将軍殆ど紀州系w >>6
西洋かぶれになってから
銭ゲバがめつくポッケ無い無いの世の中になってしまった
オマケに無責任逃げて終わり >>20
長崎から入って来たコレラが大阪で大流行した事もある 江戸幕府の遺産の「七分積金」で、失業者や孤児や老人や障害者を収容する「養護院」を運営。
元幕臣の東京市長から、渋沢栄一が「養護院」の運営を引き継ぐ。
明治になって東京市民の税金で運営することになり、議会で「貧乏は自己責任。惰民に税金を
かける必要はない。追い出せ。」と養護院廃止になる。
渋沢は「東京の六分の一が貧困層。行き倒れが増え治安は悪化。「養護院」も運営できないようでは
近代国家とはいえない。」と、鹿鳴館でバザーしたり寄付を集めて自分で「養護院」を経営。
病院や孤児のための学問所や職業訓練所も備えた、東洋一の社会福祉施設にした。 >小石川養生所の井戸
赤ひげの「ちょーぼー、ちょーぼー」だな。 当時は梅毒が凄くてな
ほらちゅうど北斎が蛸描いてた辺りさ〜 >>21
華岡青洲とか和歌山県知事とか、医療系は紀州が強いのかな? この1、2年で近代日本、戦後日本が隠してきた江戸的な本質が顕れつつある 吉宗も家康の質素倹約を手本としてたからな
しかしそれは使う時には使うからなんだよな >>10
吉宗、松平定信の時点だとまだまだその地点にはいなかった
100年位はまだストーリーは続く 江戸しぐさも要するになにかの暗号じゃないかってわけだろ? >>16
良くないよ。
豊臣政権時代の対外戦争の印象が、海外の国々に対して強く残ったお蔭で、
江戸時代を通して一貫して軍事的に衰退し続けても、日本が存続できただけ。
豊臣政権時代の「日本は軍事的に強い」という対外イメージの貯金を、
200年くらいかけて徳川が食い潰して以降は、外圧で苦しみまくった。 農家の口減らしや
武家の次男以下とか
要らない人間を江戸に棄民すると
何年かごとに流行病や大火事があって
うまい具合に人口を間引いてくれる
江戸はそんな機能を担っていたという説がある >>3-4
母国史も知らないなら無理すんなよと思うけども >>14
当時クチンやジャカルタにまで商船が行き来してたんだけども… >>20
あーあ
ここにも鎖国バカがいる
アホなの?
完全に外国と交流を遮断なんてできると思ってんの? 作家の故山口瞳さんは、折り畳みの傘を持たなかった。突然の雨で周りの人が濡(ぬ
)れているとき、鞄(かばん)から折り畳み傘を出して、思わず得意顔になる。「その
ときの品のない自慢げな顔がみっともない」というのだ。息子の正介さんが、山口さんの
コラム集の解説に書いていた。
▼愛用の折り畳み傘を取り出すたびに、この文章を思い出して、後ろめたい気持ちに
なっていた。ただ最近、使わないときはしまっておける「効用」の大きさに気づいた。
電車のなかで、腕や鞄に傘をぶら下げ、スマートフォンに夢中になっている人をよく
見かける。傘の先の滴が他人にかかっても気づかない。
▼まして、地下街の通路で傘を横向きに持って闊歩(かっぽ)するなど、論外である。
折り畳み傘なら、少なくともこんな迷惑をかけることがない。傘をめぐるトラブルが、
目立つ時期である。先月末も東京都新宿区で、帰宅途中の会社員男性が男に刃物で刺され、
重傷を負う事件があった。傘がぶつかり、口論になった末の凶行である。
▼ギスギスした世相ゆえか、江戸商人のマナーとされる「江戸しぐさ」が注目されて
いる。傘をさした者同士がすれ違うとき、お互いがわずかに傾ける。いわゆる「傘かしげ
」は、その一つだった。などと講釈をたれようとしたら、「待った」がかかった。
▼歴史研究家の原田実さんによると、「江戸しぐさ」の数々は、江戸時代の風俗から
かけ離れている。洋傘と違ってスプリングが入っていない和傘の場合、狭い路地ですれ違
うとき、傘をすぼめる方が実用的だった(『江戸しぐさの正体』星海社新書)。
▼たとえ「架空の伝統」であっても、「傘かしげ」は見た目も美しい。改めて平成の
マナーとして、定着してほしいものだ。
http://www.sankei.com/column/news/160630/clm1606300003-n2.html >>50
従軍慰安婦問題、南京大虐殺が捏造であったとしても日本軍の蛮行が免罪されるわけではないことを産経新聞は自覚すべきだよなー 徳川幕府は独裁だったかもしれないが、中国共産党と全然違って庶民に目を向けてたんだな
こういうことを日本史で教えろよ >>25
ただの女好きじゃなかったんだ
エーチャンカッコいい 奈良時代は、天然痘が日本に入って来て、平城京にも蔓延して、朝廷は大混乱。
聖武天皇が疫病からの救済を願って、奈良の大仏を造らせた。 >>20
鎖国は嘘
実際は交易しまくり
島津は琉球占領支配して中国からダダ漏れしてた >>55
そうなんだよ
去年のうちからアベ大仏を作り始めておけば
現代技術なら今頃は落成して日本だけは終息してたのに >>61
銅の精錬してたのは朝鮮帰化人金勝族だっけ今でも寺あんね。
韓国人のおかげで大仏も作れて国家鎮護、やっぱり韓国人は偉大ニダ このコロナ禍は日本史の教科書に載るんだろうな
歴史に残るような事象の真っ只中にいるとかなんかすげえ >>55
国主導の感染症対策って意味ではワクチン接種みたいなもんだな >>55
公共事業として景気対策になる分、アベノマスクよりマシだな >>64
ただの風邪で大騒ぎして先進国から脱落すると言う日本史上最も間抜けな出来事
未来の日本人から徹底的に叩かれる時代 今よりも天然痘やコレラなどの感染症が相次いだ江戸時代には
九州地方の間違い クソコレアからウイルスやばい菌持ちが大量に >庶民からは「今何も起きていないのに、何のために徴収するのか」
>という強い反発があった。
何も起きていないのに、何のために自衛隊を増強するのか
と主張する日本リベラル勢力と同じだね 我が国の感染症学発祥の地 小島養生所
→長崎大医学部 江戸時代の良さを再現するためにも、関ヶ原で薩長族を一匹残らず始末すべきだろうね〜 >>67
お前個人がミジメで間抜けな人生歩んでるのは自業自得やでw >>55
歴史泥棒がモンゴル当たりから持ち帰ったってオチか さっさと遷都しろ
トンキンの無能土人に任せてもリソースをドブに捨てるだけだ 積み立てた金を中抜きしてオトモダチに配ります!
経済対策です! 赤ひげの話でしょこれ
記事は読んでないけど、たぶん 昔疫病が流行った時、南方ナントカとかいう町医者が
よく効く薬をくれたおかげで、うちの先祖は助かったらしい たの風邪といまだに言ってる人を見ると、脳に異常があるんだと思う > 天然痘などの疫病が繰り返し流行
どういう形で収束したのだろ 備えると言う発想?縄文時代のドングリピットや弥生時代の高床式倉庫は無視か?
天平時代の天然痘対策は減税、食料配布、食事の注意、薬草の支給など。政府が読経をしたのも怪しい呪術を禁止して公認のお祓いを行い民心を落ち着かせるため。農民が土地を捨て逃げ出すと飢饉が起こり被害が酷くなる。
天平時代には食器が小型化する。これは個人間の距離を保とうとしたからとされる。古代人も疫病対策では全力を尽くした。 >>61
早くアベ大仏作らないと
オコトワリ、合掌の五輪になるぞ タイムスリップした脳外科医がコレラや天然痘は退治したって漫画で読んだで 小石川植物園のスレ
どういうわけか知らんけど、ここ2ちょんねるのニュース速報+板の
スレ民が100人いたら150人は自称東京おハイソ街区住まいという設定なんでw
皆さん、この都心の中のオアシスのような植物園、一度は赴いたことがあるかしれませんが
いやあ、いいですねえ、東大の小石川植物園。桜の時期とか行ったことある?
マニアックなところでは「イチョウ精子発見記念碑」とか見た?w
あとはねえ、博物館マニアは評価高くて有名なんだけど
東大博物館の小石川分館がね、いい感じでしたね。
建物が重文だっけ? ちょっとよく覚えてないけど。
で、これ、何のスレだっけ? ああ、徳川吉宗スレね。
あだ名を書け、とかいわれたらなんて答えます?。
暴れん坊将軍じゃないよ? 米将軍ですな。
米将軍といってもアメリカの将軍じゃないぞwww
まあ享保の改革、吉宗公ね。徳川幕府中興の祖としてかつては称えられ、
今はなかなかその緊縮的な政策については毀誉褒貶ありますが
少なくとも全員一致で評価できるのは、今の東京北区王子の飛鳥山、
これをですね、整備して江戸っ子の憩いの桜の名所にしたことですね。
さらにはその飛鳥山に2ちょんねらのみんな大好きアスカルゴを設置したことw
これは永遠不朽に語り継がれるべき名政策ですな。すばらしい! 今は老後や子孫のためにオリンピック役員とか利権を抱え込むクズばかり >>1
安藤優一郎って会津観光史学の星亮一となんか怪しい共著を出してた歴史家か ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています