日本で唯一海外向けに短波ラジオ放送を送り出しているKDDI八俣(やまた)送信所(茨城県古河市東山田)が、昭和16年の業務開始から今年で80周年を迎えた。戦中、戦後の激動期から平成、令和に至るまで、さまざまな役割を担う短波放送を世界へ向けて発信してきた八俣送信所の足取りをたどった。

 八俣送信所は、約100万平方メートルと東京ディズニーリゾート(千葉県浦安市)に匹敵する広大な敷地面積を持つ。茨城県の旧八俣村が建設地に選ばれたのは関東平野のほぼ真ん中に位置して周囲の見通しが良く、台風や降雪、洪水といった自然災害も受けにくいなど、送信所に適した条件がそろっていたためだった。

 海外向けの放送は当初各地の在留邦人に祖国の情報を伝えるほか、日本の文化を諸外国に広めるといった目的があったが、八俣送信所のスタートは日米開戦間近の昭和16年1月。放送内容も次第に戦時色を帯びたものになっていく。

 戦時中、対米軍向けに日本から短波で送信された宣伝工作番組が「ゼロ・アワー」だ。流暢(りゅうちょう)な英語で語りかける日系人女性らのパーソナリティーは米兵らに東京ローズ≠フ愛称で親しまれ、絶大な人気を誇った。

 ゼロ・アワーが八俣送信所から送り出されたのかどうかについて、「戦時中の資料は全て焼却・廃棄されたため、証拠はないが、可能性はある」(KDDI関係者)という。

…続きはソースで。
https://www.sankei.com/article/20210606-HQVOVXGRZNKOPH55P7IX7AWXX4/
2021年6月6日 13時00分