0001記憶たどり。 ★
2021/06/09(水) 13:24:41.95ID:zPcB1E1p9安全なはずの学校で突然、8人の幼い命が理不尽に絶たれた日から、20年の歳月が流れた。
大阪教育大付属池田小(大阪府池田市)の児童殺傷事件で我が子を奪われた親たちは、今も変わることのない思いを語った。
2年生だった長女麻希さん(当時7歳)を失った酒井肇さん(59)と智恵さん(60)は、学校の安全を問い続けてきた。
「どうすれば麻希は助かっていただろうか。私たち大人はどうすべきだったのか」。その問いに向き合いながら生きてきたという。
「59メートル」は酒井さん夫婦に特別な意味を持つ。教室で犯人に刺された麻希さんが、校舎の玄関付近で力尽きるまで歩いた距離だからだ。
廊下には、よろけてぶつかったような血痕も残っていた。最期まで「生きたい」と、懸命に前に進んだ娘の姿が胸にあった。
事件後、夫婦は学校や行政、警察関係者の研修などの場で体験を語り始めた。学校が犯人の侵入を容易に許してしまったこと、
教員が通報に手間取り、教室には子どもたちだけが残されたこと……。講演は2人合わせると100回を超えた。
今も当時の記憶がよみがえり、心的負担は大きいが、「娘の苦しさとは比べようもない」と肇さんは言う。
2016年に文部科学省が「学校事故対応に関する指針」を策定した際、遺族の立場で智恵さんが有識者会議に参加。
事件が起こった学校に検証や報告書の公表を求めることなどが盛り込まれた。
しかし、各学校が危機管理マニュアルを整備していても「形だけのものになっていないか」「本当に子どもを守れるか」と肇さんは懸念する。
そして「全ての大人が自分の事と思ってほしい」と願う。
智恵さんも「麻希の存在を感じながら、ともに経験しながら生きていく。20年たっても変わることはない」と語った。