「危険な場所での取材は安全に十分配慮する」

 記者になってから約10年、何度も言われた言葉です。

 30年前の雲仙普賢岳の災害では、取材者が危険な現場に近づきました。そして、多くの地元の人が巻き込まれました。取材者が近づかなければここまでの被害はなかったのです。

 ただ、今も災害現場で取材をする私は疑問に思いました。

「…命を落としかねない危険な場所だと分かって、近づいたのか?」

 当時のことを詳しく知りたい。取材を始めました。

 見えてきたのは、いまも突きつけられている課題でした。

 (社会部災害担当 清木まりあ)

■30年前の雲仙普賢岳火砕流災害

 1991年6月3日、雲仙普賢岳で発生した火砕流によって43人が犠牲になりました。

 報道関係者16人、消防団員12人、一般人6人、タクシー運転手4人、火山研究者3人、警察官2人です(内閣府防災まとめ)。

 消防団員や警察官は取材者に警戒を呼びかける中で、タクシーの運転手は取材者に同行する中で、巻き込まれました。

 多くの人が亡くなったのは山頂から4キロほどのところにある、通称「定点」。

 山全体が見渡せるこのポイントで臨場感のある噴火の映像を撮影しようと、取材者が立ち入っていました。

 当時この場所には「避難勧告」が出ていました。

ー「彼らは、危険性を認識していなかったのか?」

 まず、当時の火山活動を調べることにしました。

…続きはソースで。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210610/k10013076831000.html
2021年6月10日 17時29分