【利尻島】「めっちゃ楽しい」「昔に戻ったみたい」コロナ禍に誕生した離島の駄菓子屋さん [七波羅探題★]
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UHB2021年7月4日11:00
https://www.uhb.jp/news/single.html?id=21432
北海道北部の「利尻島」に、50年ぶりに駄菓子屋が誕生しました。なぜこの時代に駄菓子屋が?コロナ禍で忘れていたものがそこにありました。10円ほどで買えるスナック菓子に、ドキドキワクワクのくじ付きの駄菓子、さらに昭和の雑貨やレコードまで。子どもにとっては珍しく、大人にとっては懐かしいー。 ここは北海道、北部の利尻島の駄菓子屋さん。島に駄菓子屋が開店するのは…。
「50年数年ぶりですね」
コロナ禍で薄くなった人と人のつながり。わずか5畳の小さな駄菓子屋さんが、島民の心をつないでいます。人口約4300人、利尻島です。5月、令和の時代に逆行するかのような店が開店しました。住宅街の路地を抜けた海沿いに建つ「駄菓子屋まるちゃん」です。品ぞろえは100種類以上。店内は懐かしい雑貨やレコードで装飾しまさに昭和そのものです。
「ここに置いていい?」
「チョコレート、そこに置きたいと思っていた」
店主は伊藤春恵さん(57)。そして開店を提案したのは夫の嘉睦さん(63)。2人とも生まれも育ちも利尻島です。営業は金・土・日の3日間。どんな人がやってくるのでしょうか。
「くじ引かせてもらってもいいですか」
駄菓子屋まるちゃん 伊藤 春恵さん:「いいよ。お金あとでまとめて払ってもいいよ」午後3時30分にやってきたのは近所の小学生3人組。
小学生:「島に小さい菓子がなかったから、めちゃめちゃおもしろいです」
Q.今までどこでお菓子買ってた?
小学生:「コンビニとか」
駄菓子屋まるちゃん 伊藤 嘉睦さん:「10円か20円握りしめていけば買い物できる。そこでまた仲間と話し合える」
街が賑わい、子どもが多かった50年以上前の利尻島。伊藤さんも小銭を握りしめ駄菓子屋に通っていた1人でした。遊びを通じて友情を深めました。現代の子どもたちにも同じ体験をしてほしいと願い開いた店です。午後4時30分、店の周りは子どもたちで溢れていました。
小学生:「毎日絶対2回は来てます」
Q.人が集まってくるのは?
隣に住む漁師:「いいと思う。俺はにぎやかなところ好きだから」
店内は5畳ほど。感染対策のため、入店制限をしています。子どもたちもコロナ禍の生活にストレスを感じているようです。
Q.学校どう?
小学生:「楽しいよ」
Q.マスク嫌じゃない?
小学生:「嫌だよ。できることなら外したい」
利尻島ではこの半年間、コロナウイルスの感染者は1人しか確認されていません。しかし、徹底した感染対策は都市部と同じ。先生も子どもたちも息苦しい生活を強いられています。マスクは欠かせず、先生も生徒も息苦しい生活を強いられている
「小学校で教員をしています」
子どもたちが通う小学校の先生です。
「小学校の先生」も子どもとつながる場所へ…
沓形小学校 教師 吹田 哲朗さん:「新しく商品が入荷していておいしいとか、学校で情報交換しながら共通の話題として楽しんでいます」コロナ禍の学校生活でも楽しい話題を。 駄菓子屋さんが先生と子どもをつなぐ存在になっているんですね。利尻島の夏。百名山でもある「利尻山」の絶景やエゾカンゾウなどの植物を見るため多くの観光客が訪れる季節です。しかし、コロナ禍で2020年の観光客は前の年から7割も減少しました。土曜日は開店から多くの島民が来ていました。とそこへ、自転車で現れた1人の女性。服装は観光客のようですが…。
「これからゲストハウスでお世話になるのでいろいろ(島の)下見に来ていて、街の人にあっちだよと聞いて来た」
7月中旬から利尻島のゲストハウスで働くため研修に来ていた千葉県出身の蔦 しおりさん(26)。島民や観光客と交流することを楽しみにしていましたが、コロナ禍でどう接したらいいのか悩んでいました。
蔦 しおりさん:「人と同じものを触ることを気にする人もいると思うので、みんなで楽しく話せる方がいいんですけど」
こちらは蔦さんが働く予定のゲストハウス。アットホームな雰囲気が売りの宿です。しかし、2020年の利用者は例年の半分以下でした。
(以下リンク先で) 1度も行ったことないなあ利尻か。
稚内なら一回だけ、船で利尻とか思いつきもしなかった。 うちの実家が駄菓子屋だけど、
10円の商品を売った利益って2円とか3円とかなんよ。
万引きとかやられるとマジでやっていけないんで、ほんとやめような。 >Q.今までどこでお菓子買ってた?
>小学生:「コンビニとか」
むしろコンビニあるの?セイコマとか個人系? 串についたかすていらとか変なヨーグルトみたいなものですら旨かった。 趣味でやってるんだろうが、月〜木は何をしてる夫婦なんだろう ベタベタのコーラ味の変なグミみたいのとかね
当時も別においしいと思ってたわけじゃないけど、子供が自分の小遣いで買いものできるのが楽しかったんだろうな >>5
駄菓子屋はどう考えてもボランティアみたいな店だよね
今近所にある駄菓子屋も万引きに対しての張り紙がベタベタ貼ってあって悲しくなるんだ 取っ捕まえて盗んだ菓子は美味いか?って聞いてやりたい
容赦なく警察に突き出してやればいいのに >>18
イライラしてんなぁ
映像みてみろよホッコリするぞ 瓶チェリオ王冠くじの国旗バージョン良く飲んだわ
剥がしても剥がしてもカンボジアばかりで気が滅入ったなw >>22
いいねえ選ぶのが楽しいんだよねいくつ買えるかとか悩んだりして
お湯もらってその場で小さいカップ麺食べたり やめろやめろ
またクレーマーの対象にされて終わるって。日本人相手の商売なんか今時するなって、ら 駄菓子屋のくじは最初は当りが入ってない
7割くらい売れたらこそっと当りを入れる
香具師と同じ 金の使い方と100万円10万円ネタは駄菓子屋で学んだ ちょっと前に近所に駄菓子屋できたが、すぐに店のオモテに「万引きするな」の貼り紙が貼られて、次第に「買わない奴は入ってくるな!」とか「クソガキは帰れ」とか明らかにヤバいモードに入って、潰れたな 子どもに裏切られて精神壊れちゃったんかな 万引き防止にレンタルDVDのパッケージ提出方式とか無理なの? メンコは無いのか
駄菓子屋は菓子やクジだけではなく、子供のあそびも作っていた
今思えば、駄菓子屋は子供の文化を形成する一役を担っていた結構な重要施設だったなぁ どうしても「しおり」さんが「おしり」さんに見えてしまう >>34
店主かわいそう
治安の悪い地域のガキは本当クズだからな ガキの頃はあちこちに駄菓子屋があったな
駄菓子屋+ゲーム期の筐体が何台も置いてある店が
鉄板が置いてあって100円でお好み焼きを食わせる店もあった 何、ガチャで当たったらジンギスカン1キロとか鮭一尾貰えたりするのか? 駄菓子を万引きするのは違うな
あたりが出たときの喜びが無価値になってしまう
あたりをいかに引くかという店主との駆け引きも無くなる
醍醐味をなくすことほど愚かな事はない 文字よりリンク先の動画でみた方がいい
凄いほのぼの感動した 年がバレそうだけど、リンク先の白黒写真に有る様な1970年の頃。
漁業は一攫千金が狙える商売だった。北海道なら、スケソウダラの漁が盛んで
当たるとすぐに家一軒や二軒、20代で持つ事はザラだった。
当時公務員になるなんて考えてる奴はハッキリ言って変わり者扱いで、
男らしくないなんて考えられていた。コンブ漁、ホッケ漁も盛んだったし
命がけで北方領土近くで、カズノコが取れるニシン漁当てると御殿が建った。 >>1のソース元に載ってる1970年代の利尻写真が衝撃
こんなに往来が激しかったのに、みんな都会に出ちゃったのかな >>49
中西礼のお兄さんは漁で当てようとして親の資産食いつぶしたんだっけ 動画すごく良かった。
子供には必要な場所なんだと思う、いつの時代も。 >>17
それだな
万引きが万引きがと客全員に言ってくるのはうっとおしいわ
さっさと捕まえて警察に突き出せと思う
コスモス
お前のことだぞw 10円ガムの当たり出たらラッキー!
アイスの当たりでもう一本とか引いた日には超ラッキー!
ついでにビックリマン3つ買って皆で見せ合い、ヘッド引いたやつは神 利尻島ってあの程度の大きさの島なのに利尻町と利尻富士町つう二つの自治体があんだよ
平成の大合併でも合併しようなんていう話は全く出なかった
ブランド化した昆布なんかの高級海産物やらと観光で食ってけるからそんな必要性感じてなかったんだろうがコロナ禍でどうなってんだろうか >>41
蔦しおりさん
「雰囲気が駄菓子屋さんみたい」ワロタ
だから駄菓子屋さんだって >>56
コスモス「万引されてこうなったのはお前らのせい。カメラ10台追加! 駄菓子屋もないし、子供向けテレビもほとんどないし、最近の子供はかわいそうだな 近くの駄菓子屋は全部潰れた、、思いでがーーーーーーーー >>1
映ってる大人も子供も
ノーマスク、鼻出しマスク、あごマスク、ウレタンマスク率が高くて…なんなのここ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています