<記者が今、思うこと>

開幕まで2週間の土壇場で東京オリンピック(五輪)の無観客開催が決まった。競技と協議、観戦と感染…。
PC出稿でこんな変換が続いた大会は当然過去になく、ここまで直前になれば、さすがに競技と観戦に集中できるものと思っていた。
史上初の延期決定から1年4カ月。プロ野球やJリーグ、専門家の知見を元に有観客を模索してきた組織委の準備は何だったんだ。そう思うしかない政治判断の結末だった。

13年9月7日、五輪の東京招致決定。33歳の誕生日だった。
勝手に縁を感じつつ、まず思ったのは「取材したい」ではなく「うちの子は○歳か。連れて行ってあげたい」だった。
チケット抽選は全滅だったが、妻子がエスコートキッズに当選した。五輪を生で見られる。喜び合った。
かつて担当した森保一監督のサッカーU−24日本代表の試合だったこともうれしかった。

ただ、命や健康に勝るものかと言われれば…。無観客を受け、同事業も中止。
運が良かっただけの一家族ですら「せっかく選ばれたのに…」と涙目の子には胸を締めつけられた。
チケット保有者も聖火リレー走者もボランティアも同じ気持ちだろう。フェンシング女子エペ佐藤希望は、
愛息2人を前回リオ五輪に連れて行けず「五輪を見せたい」と現役復帰。35歳で東京切符をつかみながら、またも生応援がかなわなかった。

開催前の時点では失ったものばかり目立つ。運動会や修学旅行や夏フェスを断念した不満が五輪へ向き、人心が離れた。
特別な身体能力で非日常をもたらす選手が特別扱いと批判され「アスリートファースト」と言えなくなった。
福島は無観客となり、有観客を貫く宮城には抗議が殺到。「復興五輪」が形骸化した。
共生にかじを切った英国は、実証実験でサッカー欧州選手権決勝(ロンドン)に6万人を集めたが「ウィズコロナ」が聞かれなくなった日本では無観客になった。

14日で先行開幕まで1週間。全く祝祭感が高まってこない。日本人が好きだった五輪は、日本人が誇る我慢が試される大会になった。
こうなったら「いざ始まれば日本人は盛り上がる」という定説がどうなるのか、
逆風で迎える大会が変わるのか、史上初の無観客開催は成功するのか確認し、後世に書き残したい。

曲がり角の五輪。本連載が始まった1月に外国人観客の受け入れ断念を提案するとともに
「Jリーグやプロ野球が有観客で、五輪だけ無観客は違和感がある」と書いたが、現実となった。
期間中は選手の躍動で沸くだろうが、閉幕後、愛される五輪は帰ってくるのか。スポーツの力が試される。【五輪担当 木下淳】

https://news.yahoo.co.jp/articles/e5cba89a768a1bc05c4c1a9ab075956e8e027a28