取り壊し方針が決まった久昌寺=愛知県江南市田代町郷中で2021年8月27日、川瀬慎一朗撮影
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久昌寺の西にある江南市文化財に指定されている吉乃の墓(右端)など生駒家石造群。墓には「織田信長公室」と書いてある=愛知県江南市田代町郷中で2021年8月27日、川瀬慎一朗撮影
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 戦国武将・織田信長の最愛の女性で、信長との間に後の岐阜城主となる信忠らをもうけたとされる側室、吉乃(きつの)の墓がある久昌寺(きゅうしょうじ)(江南市田代町)が近く取り壊されることが分かった。老朽化に伴い維持管理が難しくなったためで、跡地は市に売却され、公園として整備される見込み。市民や歴史ファンらからは「貴重な歴史遺産を残してほしかった」と惜しむ声が上がるが、630年以上とされる歴史に幕を下ろすことになる。【川瀬慎一朗】

 「江南市史」などによると、吉乃は地元有力者だった生駒氏の娘。寺は1384年創立で生駒家の菩提寺にあたる。吉乃は生駒家の屋敷で暮らしていた時に信長と出会い側室となった。長男信忠、次男信雄、後に徳川家康の長男信康の妻となった徳姫をもうけたとされる。信長は正室、濃姫との間に子どもがおらず、吉乃は織田家の中で存在感があったとみられる。若くして亡くなったとされ、冷酷非情とされる信長がその死に涙を流して惜しんだと伝わる。信長は香華料として660石を寺に与えたという。

 寺の現在の本堂は1925年建築。庫裏は不明だが、江戸期とみられる。寺の西側にある吉乃の墓は、生駒家歴代当主の墓と共に市文化財に指定されており、今回の取り壊しや売買の対象にはならない。しかし、寺がなくなった後にも墓標は立ち続けることになり、どのように保存、継承していくかが課題となる。

 寺を所有する宗教法人役員の19代生駒家当主、生駒英夫さん(48)によると、寺には約60年前から専属住職はおらず、檀家も約10軒という。長年維持管理が課題になっており、約5年前から取り壊しを検討。耐震化や雨漏りの問題があるが、費用面から改修は困難だったという。本堂内にあった吉乃や信長の位牌はすでに別の寺などに移しており、英夫さんは「信長ゆかりで先祖の菩提寺でもある歴史的な寺なので残したい思いはあったが、檀家も少なく財政的にやむを得ない」と話した。

 市によると、寺の境内南側は92年、北側は2012年から市に無料貸与され久昌寺公園として整備。20年8月、所有者側がこの無料貸与している土地を無償で市に譲渡し、本堂と庫裏の取り壊し後の跡地約1600平方メートルの買い取りを要望。市は所有者側と交渉を重ね購入の方針を決めた。

 9月2日開会の9月定例議会に土地鑑定、測量予算約59万円を計上する。22年度中に取り壊し・購入、23年度に公園として整備するという。

 同寺の案内もするボランティア団体「市歴史ガイドの会」の川田圭一会長は「歴史を伝える寺が無くなることは寂しい。皆で維持費を集められれば良かったが」と肩を落とした。その上で、「忘れ去られてしまわないよう、どこかに寺のことを伝える場を作ってほしい」と望んだ。

毎日新聞 2021/8/29
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