【朝日】古事記の膨大な出雲系神話は、服従の歴史か、連携の記憶か 古墳から読み解く大和と出雲の関係 [みの★]
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『古事記』が語る神話は、3割から4割が出雲系とされる。中央政権が編み、自らの正統性を知らしめるはずの伝承なのに、である。そこに隠されたのは大和と出雲の征服と服従の歴史か、それとも連携の記憶か。近年の研究成果から読み解いてみよう。
大和王権の成り立ちを後世に伝えるにはそぐわない一地方の物語が、これほど挿入されたのはなぜか。この問題をめぐっては、覇権を伸ばす中央勢力に出雲が屈し、傘下に入っていく過程を暗に示唆していると理解されることが多い。
奈良時代から平安時代にかけ、出雲大社でオオクニヌシをまつる出雲国造が新任時に朝廷で執り行った、天皇の世をことほぐ神賀詞(かむよごと)の奏上儀礼を、服属の名残と見なす意見も根強い。
ただ、そこにはなにか奥歯に挟まったような違和感、もどかしさがある。実は、『古事記』とほぼ同時期に成立した『日本書紀』は出雲神話にほとんど触れない。だから、ここに出雲侵略への負い目にも似た大和側の感情をかぎ取る研究者もいる。そんな出雲の複雑さは、考古学的にも見て取ることができそうだ。
…続きはソースで(会員記事)。
https://digital.asahi.com/articles/ASP3V563TP3JPTFC02B.html
2021年9月15日 11時30分 >>2
こういう記事は古代史の正統派の学者を取り扱わないから眉唾。
異説に近いものにミスリードで重ね塗りしたような記事になる。 出雲にそろなりの規模の国があったのに魏志倭人伝では何も書かれてない時点で畿内説(笑)はギャグにしか見えんな >>271
>栄えていたのでは?
それは絶対ないと思う >>127
三角縁神獣鏡は現在では国産説がかなり出てきていますよね
初期ロットは大陸系の材料。その後の物は国産材料と既存の青銅器の鋳治し
それゆえ、三角縁神獣鏡は九州ではほとんど出土しないことにより東征側の鏡ではないという考え方です
景初4年とかあり得ない年号の鏡があることも加わって、現在では卑弥呼の鏡は斜縁とか平縁の鏡で、破鏡によりみんなに配られ東征軍が持っていたのではという説がありますね。
三角縁神獣鏡が魏国製品でないという話は、九州説、畿内説にとっても大事件だと思います。 >>132
邪馬台国時代よりも古い、徐福時代にさかのぼる吉野ヶ里遺跡は、大陸式の防御壁を伴っていたと言われてますよね。
九州では鋳型野見出土で一切出土が無かった銅鐸も、あの遺跡から始めて出土した。
古い古い、超小型の昔の銅鐸が。 日本史最大の謎は「道教の伝来」が記載されていないことじゃないかと思う。
神道はどう見ても中国から伝来した道教の影響を色濃く受けているのにそこに言及されない。
大和朝廷とはあるいは大陸から逃れて来た道教勢力が自分たちの国家を打ち立てようとした物語だとも思えるんだよな。
神道が道教であることを固く伏せられている。 >>157
国宝の七支刀ですら、当時の日本と朝鮮半島の力関係を如実に表していますよね
思いっきり献上しとるやんけwww
朝鮮人は漢字が読めないから下賜したのだとかつい最近も論じてたっけかねw >>270
>徐福公園の徐福の墓は初代紀州藩主・徳川頼宣が建設を計画し、それからおよそ100年後の1736年に現在地に建てられたのだそうです。
>墓碑には「秦徐福之墓」と刻まれています。
徐福の墓、新しすぎるわw >>173
当時の重要な品目、水銀朱に関してはそこからの勢力の分析ってあまりされてないから本当に穴になってますよね
安曇氏と水銀の関係に着目とはすばらしいですね。
今の山奥の安曇地、そして上高地
かつては水銀が出たのではないかという分析がされてますね。
大和鉱床の大鉱脈の端っこが愛媛だかなんだかでしたっけ?えひめって水銀用語らしいですね 国学者の賀茂真淵は道教が神道のもとだといったが、眞淵の弟子の宣長は
それに反対して、両者は似て非なるものであるといったものであったねw 神道には教えというものがないとされるが、道教も無為自然、仁義道徳などの
名目を建てる名教とは違う無名の道とされて、両者は確かに似てるわけであるねw >>175
出雲伝承でも正にその通りになっています。
九州物部を山幸彦。
奈良の初代神武朝と第八代クニクル以降の物部の血が入った葛城国を海幸彦にすると分かりやすいそうです。
よくよく考えたら土着の隼人族が物部氏の兄弟なんてあり得ません。
お家騒動を書いたとするのなら、正にそのままが書かれていると思いますね。 >>176
諏訪の黒曜石って、ロシアからも出てませんでしたっけ?
糸魚川のヒスイなんて6世紀以降とされる朝鮮半島の前方後円墳時代以降、たくさん半島で出土しますもんね
朝鮮半島から来ましたどころか、めっちゃ日本から物資が入り込んでるw >>188
そうなのですか?
ちょっと私も調べてみます。興味あります >>189
日向神話の家系が、熊野に侵攻した物部氏と
二回目の侵攻のイニエ王の時代の系譜
イサチ入彦イニエのイサチは、モロに朝貢の魏書に出てしまっているから
彼を崇神天皇にしてヤマトに居た事にしたというのが記紀の偽装とされている
お家が断絶するときに、不自然な血の継承が記載されているところがあるよね
そういうときが目印らしいよ
血縁をつなげるときにどうしてもそうなってしまうみたい。 神域を朱色に塗る文化は古代の日本列島にはないものだからな。
朱色は言うまでもなく道教で神を表す色。
どこかの段階で日本の宗教が道教由来の朱色に文字通り塗り替えられたのだがそこに言及した資料が一切ない。
大和朝廷が道教そのものなのか、道教のバックアップを受けて勢力を伸ばしたのが大和なのか。
仏教伝来後の神道と仏教の曖昧な関わりといい、 dhc会長
https://i.imgur.com/HLrWzNa.jpg
https://i.imgur.com/oPuQYwa.jpg
「ところが最近、遺伝子の研究により、日本人は彼らとは全く関係のない民族だということが分かってきました。
アジアの中でも唯一日本人だけがヨーロッパ人に近い民族だったというのです。
顔は似ていても、どうして中国人や韓国人とはこうも違うのだろうと思っていたことが、ここへきてやっと氷解しました」 >>194
結局のところ、南北朝時代に、ホヒの家は、千家と、本家である北島家に分かれるんだけど
千家ってのが本来は出雲大社の宮司職としては適格を欠く過去がある家でね
ま、千家が明治の際のドサクサで法務大臣まで出して力をつけたのだが
明治の際の神改め、廃仏毀釈を経て、世襲宮司の廃止に動いた際に、何と、千家を仙人の宮司にすることに成功しちゃったんだよww
富岡八幡宮みたいにね、最大の敵が親戚になるんだよね。
昔からそういう歴史ばかりだったから、万世一系が大陸に対して主張する必要があるって思われるのも致し方が無いことではあると思う
その壮大なペテンのおかげで、朝鮮半島とは別格の対等の国交が生まれた。
大陸の使者に対す手ですら、大地に九回もあたまをこすりつけなくともごあいさつ程度余裕でできる国としての立場を確立できたのが記紀(日本書紀) >>199
現在の古墳の起源って、どうも吉備の弥生式墳墓が一番近いらしいですね
四隅突出型古墳も、出雲から吉備に繋がる山中から出現しているという説があります。
前方呼応円墳のもとになるものは吉備から。その際の特徴的な文様の板切れが纏向遺跡からも出土しているそうな >>289
ベトナム わにだまし ワニを騙したうさぎが食べられそうになる話「「うさぎの計略」 『語りおじさんのベトナム民話』より
インドネシア わにだまし ワニを騙した子鹿ぎが食べられそうになる話 「カンチルとワニたち」
インド わにだまし ワニを騙した猿が食べられそうになる話
タイ わにだまし ワニを騙した猿が肝を食べられそうになる話
他の国は全てワニのままなのに、日本だけが不自然にサメに変えられている点 建御名方神は武神として尊敬されてきた割には神話では扱いひどくてなんかなと
諏訪神社行くたびに思う >>299
お前は青森のイエスの墓も本物だと信じているタイプだな >>291
道教とか関係なく、水銀朱だろ
奈良の大仏の金メッキにも水銀は使われたわけで 朝鮮の歴史が中国の支配から始まったことになるため都合が悪く、歴史評論家の朴春日は、朝鮮総連機関紙『朝鮮新報』において「その昔、古朝鮮に魏満(ウィマン)という人物がいて、燕の国が強大になるとそこへ移り、燕が匈奴(きょうど)に圧迫されると、再び古朝鮮へ戻ったりした。
魏満は古朝鮮の準王に取り入って信任を得ると、機会を狙って政変を起こし、準王を追放して王座を奪った。そこで南方へ逃れた準王は、韓という国で王になった」と述べており、衛満はもともとは古朝鮮出身であり、その後燕に移住し、燕で暮らしていたが、再度古朝鮮に戻ってきたと主張している。 >>298
みんな南国ばっかりだな。日本ではうさぎなのが猿ったり子鹿だったりするねw
南国にはワニがいるが、日本にはワニがいないからサメに変えたんだろうw
海幸彦山幸彦の話は他に似た話があるんかな? 日本人集団の微細な遺伝的構造と進化 Public Library of Science PLOS ONE掲載
竹内文彦(京都大学)、勝谷友宏(大阪大学)、木村亮介(琉球大学)、並河徹(島根大学)、磯村実(島根大学)、大久保孝義(東北大学)、
田原康玄(京都大学)、山本健(九州大学)、横田充弘(名古屋大学)、加藤規弘(国立国際医療研究センター)
Midland(岩手県花巻市、東京都、愛知県北名古屋市、兵庫県尼崎市)n=840
Fukuoka(福岡県)n=198
Ehime(愛媛県)n=158
Shimane1(島根県大田市)n=77
Shimane2(島根県出雲市)n=82
Ryukyu(沖縄県)n=184
PCAプロット
https://i.imgur.com/HlqyGCG.png
中国南部------北京-------韓国-------愛媛-----本土---福岡--大田-出雲--------沖縄
ADMIXTURE解析
https://i.imgur.com/voa7cFW.png
遺伝系統ネットワーク
https://i.imgur.com/2DELLg5.png
興味深いことに、f4(GBR、x;出雲、近畿)が示唆するように、出雲の個体群は本州の他の個体群よりも沖縄と九州に対して高い遺伝的親和性を持っています。
この不一致は、距離によって通常予想される分離とは異なるいくつかの遺伝子流動イベントの存在を示唆しています。 そもそも、どちらでも無いw
ウラル語族じゃね?遼河文明も 皆殺しにして、
ハプログループNとハプログループD(倭人)は
極東から追い出したって歴史にしないとダメじゃね? >>304
因幡の白兎伝説は、日本人の先祖がスンダランド大陸にいた時に流行った民話を
日本に移民した後でもそのまま伝えていたから、本来日本に存在しないワニをサメに当てはめて改変したんだろ >>298
古事記には「和邇」と書いてあるのも知らんの?鮫の古名だぞ >>302
そこが長らく謎のままなんだよな。
伊勢神宮の祭事にまで取り入れられているし端午の節句など庶民文化にまで道教が根付いているのに道教が伝来し布教されたという文献資料が見当たらない。
神道が道教そのものにも思えるがそのような学説すらない。
日本史、日本文化の最大の謎が道教との関わり合いにあると思う。 >>308
ま〜どういうルートで伝わったのかは知らんが、各地に似たような神話があるということは
なんらかの共通性があったのであろうw >>301
おお、確かにありましたね、そんなのがw 鎌足は養子ですよ。渡来人じゃないですよ〜
中臣氏と藤原氏はきちんと区別したほうがいいですね。
https://city.kashima.ibaraki.jp/site/karuta/15651.html
藤原氏そのものが平安時代後期にまとめた『大鏡』に、藤原鎌足は鹿島神宮のある常陸の鹿島で生まれたと記しているよ。
太安万侶とも親戚だよ〜
何か、日本では武内宿祢の子孫である蘇我氏ですら朝鮮からの渡来だとかいう人が居て、なにしろ朝鮮病にかかってる人が多い気がする。
神功皇后期の牛頭大権現あたりから、渡来人の混同が起きてるけど、鹿島神社と藤原氏の事を調べれば比較的簡単にこの情報にはたどり着くはずなんだけどなぁ
中津身は血縁じゃなくとも継承できるから、色々混同は起きやすいとは思う。 🇨🇳👱ウァン(Wang)です。
🇯🇵(えーとえーと😢)発音出来ないや…ワニ? 何と言うか、道教が道教ではない別のものとして広まって行ったというか。
こういうやり方ってマニ教なんだよね。
マニ教はマニの教えを布教するために現地の宗教の姿を借りた。
マニ教が伝来して当地の宗教を舞台装置に教えを広めようとしたものの、
日本の文化なんてよく分からないので中国では道教を使ったことを踏襲して、
道教的な教え方にマニの教えを忍ばせて広めていったなど、ややこしい経緯を辿っているように思えるw >>291
水銀の歴史は古いですよ。
縄文時代からある。
阿波より古いのが、ヤマトの宇陀鉱床じゃなかったかと 日本神話に登場する神は下記の通り
大国主命
天照大神
素戔嗚尊
イザナギ
イザナミ
意外にもたった5柱しかいないのである >>310
そんなに謎か?
http://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/amenominakanushinokami/
天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神の三神は、『古事記』序文で「参はしらの神、造化の首と作れり」と括ら
れていることから、「造化三神」と呼ばれる。「造化」の意味は万物を生成する作用のことと解されるが、この語は
道教系の書物に頻出することが指摘されており、この三神の神格や配列には道教思想の影響があると考えられ
ている。『日本書紀』においては、天地開闢の七つの伝の殆どが、最初に生まれた神を国常立尊か可美葦牙彦舅
尊としていて、『古事記』の造化三神は一書四で「又曰く、高天原に生れる神」として補足的に挙げられているに過
ぎない。こうしたことから、造化三神の伝は、記紀ともに他の伝に対してより新しく付加された部分であろうと考えら
れている。 ◯◯神宮という神社は下記の通り
伊勢神宮
明治神宮
平安神宮
鹿島神宮
香取神宮
意外にもたった5つしか無いのである >>283
一説によると、吉野ヶ里が徐福の墓がある場所という噂がありますね。
記紀編纂時にはまだ覚えられていて、物部の歴史を隠した事と何か関係があるのか
物部神社を吉野ヶ里近くにわざわざ建てたのは持統時期らしい 日本では論語が伝わったという記録はあるが、他の諸子百家についてはいつ頃
伝わったという記録は別にないわけで、老子も論語と同時期に伝わったと考えてよいであろうねw >>281
銅鏡伝来が、記紀の掲載ルールに思いっきり抵触するからではないでしょうか?
なにしろ仮に徐福を隠したかったとすれば
ヤマト(出雲の太陽の女神)、宇佐(九州の月の女神)に対して物部氏が作ったのがカガセオ
妙見信仰は道教が源流だったかと
カガセオは男神だったから全然人気がでなかったらしい >>309
和邇一族
神功皇后に仕えた武振熊を祖とし、小野氏とは同じ一族であるとされる
和邇 とは、一族の名前 個人的には日本における道教文化の起源がよく分からないのは
それを伝えたのがマニ教徒たちだったから。という説を一旦考えたいかな。
マニ教って非常にユニークなところがあって前述のようなヤドカリ戦略を取っていた関係で、
一時はキリスト教やイスラム教を凌ぐ勢力を誇っていたにも関わらずその痕跡が明確に残されていない。
キリスト教の国では教会で神父の格好をしてマニ教を教え、イスラム教の国ではモスクでラビの格好をしてマニ教を教え、
ということをやっていたので「実はマニ教の遺跡なんだけど、そうとは分からない」ということになっているから。
日本の神道(道教?)の正体の分からなさはマニ教のそれを彷彿とさせるのよね。 日本にある神社の総本社は、その9割以上が京都にある
北野天満宮→天満宮の総本社
石清水八幡→八幡神社の総本社
伏見稲荷→稲荷神社の総本社
松尾大社→松尾神社の総本社
加茂社→加茂神社の総本社
祇園社→八坂神社の総本社
今宮神社→今宮神社の総本社
意外にも知られていないのである >>309
だから他の国は全てワニはワニのままなのに
日本だけがサメのことをワニと言っているの改変 って言っているんだよ 偉大なる聖徳太子の書いた十七条憲法の第一条、和を持って貴しとなすも出典は論語であり
礼の用は和を貴しと為すから来てるわけだが、偉大なる聖徳太子は論語とはだいぶ違う意味で
和をもちいたわけで、そこに聖徳太子のオリジナリティがあったといえようw 教えてる文化は道教なのに道教とは名乗らない、それはなぜか?
道教っぽい語り口だが正体はマニ教徒だから。
案外しっくり来るw
よく聖徳太子の木像がゾロアスター教の影響を受けているということが言われるのだけど、
「それ、ゾロアスター教じゃなくてマニ教なんじゃね?」と考えれば辻褄が合うし。
日本文化を作ったのはマニ教の人たちで日本では道教っぽい論法を用いていた。
のだとすると道教っぽいけどそうとは説明されない神道文化も説明がつきそうな気がする。 >>317
つ 八百万の神
つ 宇佐神宮、熱田神宮、吉野神宮、霧島神宮、他多数
さっきから外しまくっているぞw 反日アカヒ新聞が、古事記を語るなよ!!!!!!!!!!!!!!!
おまえら朝鮮目線だろw >>298
有り難うございます。
和邇って、奈良にも地名がありますよね。
確か、最初の磐余彦が目指したのはヤマトの和邇だったかと。
前政権の宮があったらしいですね。
私の気が確かならw石上神宮の近くじゃなかったっけ? >>304
鹿の方に食いつきますが、神武系の系譜の安倍氏の作った鹿島ですが
鹿とつながりがあるんでしたっけ?
奈良に鹿を贈ったとか
九州の伊都郡の志賀島神社にも鹿の神事があるんですよね。
いいまじゃ一匹も居ないそうですが 朝日は朝鮮文明でも語ってろよ。穢らわしい(´・ω・ `) ま〜聖徳太子が馬小屋で生まれたという伝説は、景教、キリスト教ネストリウス派の影響が
あるのではないかという話は明治に久米邦武がやってきて、あの時期は日本に外来文化が
文字とともにドッと押し寄せた時期であったということはいえるであろうねw >>296
実際には完成しなかったという説もありますね。 神功皇后も徐福みたいなもんやろな。
西日本にはあちこちに縁の地があるけど後世の捏造だろう。 >>336
平安京にペルシャから来た人がいたという記録があるから
当時の世界も、けっこういろいろな国の人たちが行き来していたんだろうね 大和が平定した地方の神社のしめ縄は太い
これは平定した神様を封印してるから >>333
日本神話で鹿がでてくるのは、ヤマトタケルの神話に白い鹿がでてくるのくらいしか記憶にないねえ。
>>334
記紀では和邇っていうふうに書かれていたが、これはいったいなんの動物かというので、明治に
サメ説がでて、明治の教科書ではワニザメと書かれたわけであるねw そりゃ色々影響あるだろ。
神代の記述も半島の伝説と似ているところもあるし南方と似ている部分もある。 >>339
正倉院にもペルシャから到来したガラスの異物がいまだに残ってるからねえw 出雲はいいんだよ。もう事実上、混血すすんじゃってるし。知りたいのは東側の蝦夷のほう。
平安時代に京都で処刑されたアテルイを大将にしてたほうの民族な。
東日本の土着民の血筋の人間の大半は蝦夷のほうの子孫だろ。
ノーベル賞の差、理系の才能の差、性犯罪と通り魔事件の多さの差。
西の血筋の人間と格差ありすぎる。やっぱ遺伝子?東の血筋だけど知りたいよ 古事記日本書紀の古い部分ほど書かれたのは新しい時代になってから、
あとからでっち上げられたというのはわりと常識。 ブリトン人にとってのウェールズとかスコットランドみたいなもんで
征服の体は取ってるけど、じっさい相応に頭下げて上に頂いてもらってる的な感じじゃないの? この手の妄想本は溢れているけど、結局、想像でしかないから、よほど子供でない限り楽しめない。
資料は限られているからどうとでも言える話。 >>341
子供の頃に、ウサギが渡る間、サメが海に並んで止まっているのは不可能だと思った・・・
サメは止まると死んじゃう魚
>サメは止まると死ぬと言われる理由は、その特性からきているのです。
>エラを自分で動かす事ができないので、泳ぐ事で海水を口から入れ、エラで酸素を補給し、呼吸をするのです >>344
なんだかんだでもうとっくに混ざってて
日本国内での東西差は沖縄と北海道比べても10%もないぞ!
沖縄とか北海道の一部民族除外すると3%もない >>343
それだけ交流がありながら道教とマニ教が登場しないのはなぜだろう?
というところに答えがある気がするな。
マニ教といえば当時世界で最大の勢力を誇っていたし、道教にしても中国の三代宗教だ。
入っていないはずはないのだが。 だから朝鮮から逃げてきた弱い氏族がもっと弱い原住ジャップを支配して作ったのが日本だよ >>248
クナトの神とフナド、フナトは同じ神様です。
諏訪大社も元は、クナトの大神を祀っていました。
今でも諏訪湖のほとりには「石船戸」という地名が残っていますよ。
記紀編纂以降、お地蔵さんや、同祖神に変えられていきました。
夫婦道祖神の北端は新潟県の白山神社あたりですが、新潟県は、粟島神社もあって、そこに大国主、事代主、クナトの神様が祀られた古い祭祀形態を残している神社があります。 >>348
だからワニ説もあるわけか。本居宣長はワニ説だったらしい。
>>350
中国では漢王朝で儒教が国教になったり、隋では仏教が国教になったりしてるが
道教もマニ教も国を支配するための教えになったことはないわけで、やはり儒教と
仏教のほうが影響は強かったということであるねw >>30
出雲氏は現在の出雲大社宮司家の千家であるという視点と
本当の出雲王家の直系である出雲大社上官家筆頭の向家を区別しなければなりません
背乗りの千家は、自分らの家系図に、向井家の人間を入れて乗っ取りしてますから。
神武朝第三代までは、出雲からお嫁さんが入っていますが、徐福の子分の千家とは全く関係ない血筋ですよ。
太田田根子は、現在でも墨坂神社の宮司になってる古い家系で、向井家のヤマトでの分家です。
加茂氏の親戚。
ヤマトに物部氏を引き入れたのは、出雲の分家の加茂氏 原住民を殺しまわった阿修羅は神として崇めさせた方が統治上の都合がいい >>66
百済は滅ぼされ、日本に逃げ込んできてるのに百済が日本を支配したなどww
朝鮮の歴史を日本の歴史を使って説明しなければならないほど、君らは空っぽの様だw
素直に羨ましいとか言ってればいいのにw >>351
ところがジャップがあまりにも使えなすぎるんで朝鮮から知り合い呼んで教育した >>118
筑後一宮、高良大社(久留米市高良山)の祭神である高良玉垂命こうらたまたれのみこととは誰なのか。
古代史界では謎の存在とされる。
九州王朝説の古賀達也氏によると、4〜6世紀の九州王朝の都が筑後地方にあり、この高良玉垂命は天子の称号で歴代倭王であるとしている。
さらに玉垂命の最後の末裔とされる稲員いなかず家の家系図があり、初代玉垂命とは物部保連やすつらであると記されている。
また高良大社の文書、高良記(中世末期成立)には、玉垂命が物部であることは秘すべし、それが洩れたら全山滅亡だと、穏やかではないことが書かれている。
物部氏は神功皇后期以降に政権から圧迫され地方に逃れている。
乗鞍や安曇も物部の乗っ取られたと伝承される地域もある。
外物部氏は北は秋田物部氏まであるが、共通するのは神功皇后やヒボコへの服属
家系図を誤魔化してでも、我々は朝鮮系の子孫ですとまで偽装して生き延びてきた。
出雲を滅ぼした物部氏だが、政権陥落後は出雲と和解。
さきに進出していた出雲系の安倍氏系統を頼って、各地に散らばった
武甲山の社家は物部氏だよ
飛騨王朝伝承のある水無神社は、最初ヤマトに入った物部氏で、尾張氏などに近い
故に、現在の皇室と無関係の尾張氏系の熱田神宮にある草薙の剣が、戦時中に飛騨の水無神社に疎開されている
島崎藤村のお父さんが宮司を務めていたこともある面白神社 >>353
結局、どの程度の影響力を持っていたのか分からないのがマニ教の困ったところ。
キリスト教国ではキリスト教の姿をしているし、イスラム教国ではイスラム教の姿をしているし。
中国でも未だに仏教の寺だと思っていたものが実はマニ教でした、という発見があるからな。 >>357
今も昔も朝鮮人の態度は変わらないんでしょうなw
朝鮮の王族ですら朝鮮人に追い出されて日本に帰化
もう空っぽの残りカスですもんね、朝鮮はw >>323
月読は本来は宇佐や、息長家に伝わる女性神
伊勢神宮の内宮は、出雲の太陽の女神で千木は縦削ぎ
下宮は、物部系の横削ぎになっているのはそのため
トヨが物部イクメの放った刺客により椿大社で暗殺された後に、物部最後の王権の姫によって太陽の女神とともに全国を流浪する
京都の籠神社も元伊勢だったっけ?
あそこには、下宮の元宮だったことを示す意思の棒だかがある筈だよ
尾張氏や海部氏に近い籠神社は、今は隠されているけど元々は出雲の大神を祀ってた神社。 マニ教に関しては世界的にも知られていることが少なくて、
つい10年ほど前に初めてその教義を描いた曼荼羅?が完全な形で発見されたという状況。
ちなみにこの曼荼羅はなんと日本で見つかっている。
歴史上はマニ教との関わりなど一切持たない日本でw
このややこしさがマニ教の困ったところ。 つうか、見るからにキツイ読み方してる文書
沢山あるだろw
政治的理由で事実ねじ曲げてる。 卑弥呼は実際には複数の人間が魏書に書かれていると言われていますね。
結婚してないはずの卑弥呼が、宗女トヨに次代の卑弥呼を大陸の張政のお墨付きで継承
そういう記述になっていますよね
魏書を書いた人はトヨと同年代の人。混同するはずがありません。
帝紀と古事記の様に、メモ書きに様な物から書き起こしているとされています。
ヤマトは古くから大陸に朝貢していたとされています。それがクニオシヒト
金印を貰った安曇近辺の国をヤマトが滅ぼしたから釈明の為に大がかりな朝貢をしますがハンコどころか塩対応で追い返されていますね。
クニオシヒトの代の天皇名は当時の中国皇帝と同じだったはずですよ
諡号の付け方は後年の者ですが、実にトリッキーな示唆を我々に与えてくれていると思います 将門辺りの平安関東でも年貢収めて天皇の孫自覚しても坂東武者で蝦夷の俘囚と同族意識もってたり帰属意識曖昧だよな
奥州藤原氏もそんな感じなイメージ >>344
初代神武朝第八代において最初の物部東征が行われますが、その際の大王(当時は天皇呼称はない)がクニクル
その御子神が大彦
東征は実際には手打ちがなされ、政権に物部からお嫁さんが入ります。
結局、物部嫌いの勢力と、後に武内宿祢に繋がる系統がヤマトでもめ事を起こします。
そこから吉備国の分裂があり、その隙をつかれて二回目の東征、邪馬台国時代の東征で大彦は琵琶湖を経由して北の方に逃れます。
北陸の方は、大彦が。東のほうは大彦の息子が。
そして、物部政権期に、依頼され、豊国の敗残兵狩りを行ったのが出雲の野見の宿祢の系統
実際には大彦系との戦いはせずに豊国だけ追い払ってたようです
それにより関東の国造の系譜は全て大彦系と出雲系になっていますよ。
大彦は最終的には長野県の布施氏と仲良くなったそうです。
将軍塚古墳は大彦の墓とも言われ、阿部氏のゆかりの地には布施の地名が付くようになりました。
よく言われる田布施システム=朝鮮とか根も葉もないうわさがありますが、小布施にある様にそんな事実はありません
安倍氏は北上し、安東氏になります。
水軍を作り、蒙古襲来の際に大きな戦火を上げますが、そこはやはり朝敵。神風が起きたことにされ、その功績は消されます。
後に安東氏の一部は出雲に里帰りし、粟島神社近辺に定住しました。
出雲伝承の著者も取材し、本に掲載されています。 >>344
続きです。
東国に前方後円墳が多く、銅鐸も出土し、銅鏡が少ないのは物部嫌いの大彦の一派の影響かと思われます。 ちなみに記紀に関してはもっとカジュアルに捉えていて、
定説どおり最初に書かれた部分は分かってる範囲について記載した歴史書、
後付けされら部分は「当時の政治戦略」だと思う。
で、なぜ出雲にそこまで言及してるのかというと、おそらく領有権争いだろうね。
この手の歴史書は大抵の場合自分たちが権力者である正統性を「対外的」に主張するために作られる。
てことは、シンプルに考えれば出雲が侵略の危機に瀕していたんだと思うよ。主に大陸からの。
そこで大和朝廷がどういった経緯で出雲を支配しているのかという歴史を書かねばならなくなった。
それが侵略して手に入れたものなら「じゃあ俺たちも侵略して手に入れれば良いんだね?」になるので「国譲り」とした。
誰向けに書いてるかって、今まさに出雲に侵略しようとしている外国に向けて書いてるのは明らかかと。 日本書紀や古事記ってこうなんというか小さく小さく箱庭的に捉えられがちなんだけど、
俺はその成立は世界史と密接に関係してると思うんだよね。
「そもそも誰向けに書いてるのか?」を考えれば国譲り神話なんてもっとシンプルに理解できるもんだと俺は思う。
日本史的にもっと謎なのは繰り返しになるけど日本文化を作ったのがどんな勢力だったのかという部分。
個人的には「マニ教に改宗した道教の人たち」だと推理するけどな。
こう考えないと道教そのものなのに道教だとは名乗らない理屈が通らないから。 >>331
いや、ここにも朝鮮人が湧いて出てきてるでしょ?
朝鮮人のアカヒが粘着するのは筋が通ってる気がする >>371
仏教伝来以前から存在した儀式や祭具が道教を思わせるものがい多いのに、
「なぜ道教の信徒であると名乗らなかった」との問いは非常におもしろい。
しかし隠したとは思わないな。
生活と密着しすぎて宗教とは認識できなかったのでは?
大陸の道教も古すぎて、その発生と教義の発展がはっきりしないし。
仏教が伝来して初めて、「仏教以外の何か」を大陸では道教と呼ぶこととし、日本では神道と呼んだ程度の歴史かと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています