【朝日】古事記の膨大な出雲系神話は、服従の歴史か、連携の記憶か 古墳から読み解く大和と出雲の関係 [みの★]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
『古事記』が語る神話は、3割から4割が出雲系とされる。中央政権が編み、自らの正統性を知らしめるはずの伝承なのに、である。そこに隠されたのは大和と出雲の征服と服従の歴史か、それとも連携の記憶か。近年の研究成果から読み解いてみよう。
大和王権の成り立ちを後世に伝えるにはそぐわない一地方の物語が、これほど挿入されたのはなぜか。この問題をめぐっては、覇権を伸ばす中央勢力に出雲が屈し、傘下に入っていく過程を暗に示唆していると理解されることが多い。
奈良時代から平安時代にかけ、出雲大社でオオクニヌシをまつる出雲国造が新任時に朝廷で執り行った、天皇の世をことほぐ神賀詞(かむよごと)の奏上儀礼を、服属の名残と見なす意見も根強い。
ただ、そこにはなにか奥歯に挟まったような違和感、もどかしさがある。実は、『古事記』とほぼ同時期に成立した『日本書紀』は出雲神話にほとんど触れない。だから、ここに出雲侵略への負い目にも似た大和側の感情をかぎ取る研究者もいる。そんな出雲の複雑さは、考古学的にも見て取ることができそうだ。
…続きはソースで(会員記事)。
https://digital.asahi.com/articles/ASP3V563TP3JPTFC02B.html
2021年9月15日 11時30分 >>309
和邇一族
神功皇后に仕えた武振熊を祖とし、小野氏とは同じ一族であるとされる
和邇 とは、一族の名前 個人的には日本における道教文化の起源がよく分からないのは
それを伝えたのがマニ教徒たちだったから。という説を一旦考えたいかな。
マニ教って非常にユニークなところがあって前述のようなヤドカリ戦略を取っていた関係で、
一時はキリスト教やイスラム教を凌ぐ勢力を誇っていたにも関わらずその痕跡が明確に残されていない。
キリスト教の国では教会で神父の格好をしてマニ教を教え、イスラム教の国ではモスクでラビの格好をしてマニ教を教え、
ということをやっていたので「実はマニ教の遺跡なんだけど、そうとは分からない」ということになっているから。
日本の神道(道教?)の正体の分からなさはマニ教のそれを彷彿とさせるのよね。 日本にある神社の総本社は、その9割以上が京都にある
北野天満宮→天満宮の総本社
石清水八幡→八幡神社の総本社
伏見稲荷→稲荷神社の総本社
松尾大社→松尾神社の総本社
加茂社→加茂神社の総本社
祇園社→八坂神社の総本社
今宮神社→今宮神社の総本社
意外にも知られていないのである >>309
だから他の国は全てワニはワニのままなのに
日本だけがサメのことをワニと言っているの改変 って言っているんだよ 偉大なる聖徳太子の書いた十七条憲法の第一条、和を持って貴しとなすも出典は論語であり
礼の用は和を貴しと為すから来てるわけだが、偉大なる聖徳太子は論語とはだいぶ違う意味で
和をもちいたわけで、そこに聖徳太子のオリジナリティがあったといえようw 教えてる文化は道教なのに道教とは名乗らない、それはなぜか?
道教っぽい語り口だが正体はマニ教徒だから。
案外しっくり来るw
よく聖徳太子の木像がゾロアスター教の影響を受けているということが言われるのだけど、
「それ、ゾロアスター教じゃなくてマニ教なんじゃね?」と考えれば辻褄が合うし。
日本文化を作ったのはマニ教の人たちで日本では道教っぽい論法を用いていた。
のだとすると道教っぽいけどそうとは説明されない神道文化も説明がつきそうな気がする。 >>317
つ 八百万の神
つ 宇佐神宮、熱田神宮、吉野神宮、霧島神宮、他多数
さっきから外しまくっているぞw 反日アカヒ新聞が、古事記を語るなよ!!!!!!!!!!!!!!!
おまえら朝鮮目線だろw >>298
有り難うございます。
和邇って、奈良にも地名がありますよね。
確か、最初の磐余彦が目指したのはヤマトの和邇だったかと。
前政権の宮があったらしいですね。
私の気が確かならw石上神宮の近くじゃなかったっけ? >>304
鹿の方に食いつきますが、神武系の系譜の安倍氏の作った鹿島ですが
鹿とつながりがあるんでしたっけ?
奈良に鹿を贈ったとか
九州の伊都郡の志賀島神社にも鹿の神事があるんですよね。
いいまじゃ一匹も居ないそうですが 朝日は朝鮮文明でも語ってろよ。穢らわしい(´・ω・ `) ま〜聖徳太子が馬小屋で生まれたという伝説は、景教、キリスト教ネストリウス派の影響が
あるのではないかという話は明治に久米邦武がやってきて、あの時期は日本に外来文化が
文字とともにドッと押し寄せた時期であったということはいえるであろうねw >>296
実際には完成しなかったという説もありますね。 神功皇后も徐福みたいなもんやろな。
西日本にはあちこちに縁の地があるけど後世の捏造だろう。 >>336
平安京にペルシャから来た人がいたという記録があるから
当時の世界も、けっこういろいろな国の人たちが行き来していたんだろうね 大和が平定した地方の神社のしめ縄は太い
これは平定した神様を封印してるから >>333
日本神話で鹿がでてくるのは、ヤマトタケルの神話に白い鹿がでてくるのくらいしか記憶にないねえ。
>>334
記紀では和邇っていうふうに書かれていたが、これはいったいなんの動物かというので、明治に
サメ説がでて、明治の教科書ではワニザメと書かれたわけであるねw そりゃ色々影響あるだろ。
神代の記述も半島の伝説と似ているところもあるし南方と似ている部分もある。 >>339
正倉院にもペルシャから到来したガラスの異物がいまだに残ってるからねえw 出雲はいいんだよ。もう事実上、混血すすんじゃってるし。知りたいのは東側の蝦夷のほう。
平安時代に京都で処刑されたアテルイを大将にしてたほうの民族な。
東日本の土着民の血筋の人間の大半は蝦夷のほうの子孫だろ。
ノーベル賞の差、理系の才能の差、性犯罪と通り魔事件の多さの差。
西の血筋の人間と格差ありすぎる。やっぱ遺伝子?東の血筋だけど知りたいよ 古事記日本書紀の古い部分ほど書かれたのは新しい時代になってから、
あとからでっち上げられたというのはわりと常識。 ブリトン人にとってのウェールズとかスコットランドみたいなもんで
征服の体は取ってるけど、じっさい相応に頭下げて上に頂いてもらってる的な感じじゃないの? この手の妄想本は溢れているけど、結局、想像でしかないから、よほど子供でない限り楽しめない。
資料は限られているからどうとでも言える話。 >>341
子供の頃に、ウサギが渡る間、サメが海に並んで止まっているのは不可能だと思った・・・
サメは止まると死んじゃう魚
>サメは止まると死ぬと言われる理由は、その特性からきているのです。
>エラを自分で動かす事ができないので、泳ぐ事で海水を口から入れ、エラで酸素を補給し、呼吸をするのです >>344
なんだかんだでもうとっくに混ざってて
日本国内での東西差は沖縄と北海道比べても10%もないぞ!
沖縄とか北海道の一部民族除外すると3%もない >>343
それだけ交流がありながら道教とマニ教が登場しないのはなぜだろう?
というところに答えがある気がするな。
マニ教といえば当時世界で最大の勢力を誇っていたし、道教にしても中国の三代宗教だ。
入っていないはずはないのだが。 だから朝鮮から逃げてきた弱い氏族がもっと弱い原住ジャップを支配して作ったのが日本だよ >>248
クナトの神とフナド、フナトは同じ神様です。
諏訪大社も元は、クナトの大神を祀っていました。
今でも諏訪湖のほとりには「石船戸」という地名が残っていますよ。
記紀編纂以降、お地蔵さんや、同祖神に変えられていきました。
夫婦道祖神の北端は新潟県の白山神社あたりですが、新潟県は、粟島神社もあって、そこに大国主、事代主、クナトの神様が祀られた古い祭祀形態を残している神社があります。 >>348
だからワニ説もあるわけか。本居宣長はワニ説だったらしい。
>>350
中国では漢王朝で儒教が国教になったり、隋では仏教が国教になったりしてるが
道教もマニ教も国を支配するための教えになったことはないわけで、やはり儒教と
仏教のほうが影響は強かったということであるねw >>30
出雲氏は現在の出雲大社宮司家の千家であるという視点と
本当の出雲王家の直系である出雲大社上官家筆頭の向家を区別しなければなりません
背乗りの千家は、自分らの家系図に、向井家の人間を入れて乗っ取りしてますから。
神武朝第三代までは、出雲からお嫁さんが入っていますが、徐福の子分の千家とは全く関係ない血筋ですよ。
太田田根子は、現在でも墨坂神社の宮司になってる古い家系で、向井家のヤマトでの分家です。
加茂氏の親戚。
ヤマトに物部氏を引き入れたのは、出雲の分家の加茂氏 原住民を殺しまわった阿修羅は神として崇めさせた方が統治上の都合がいい >>66
百済は滅ぼされ、日本に逃げ込んできてるのに百済が日本を支配したなどww
朝鮮の歴史を日本の歴史を使って説明しなければならないほど、君らは空っぽの様だw
素直に羨ましいとか言ってればいいのにw >>351
ところがジャップがあまりにも使えなすぎるんで朝鮮から知り合い呼んで教育した >>118
筑後一宮、高良大社(久留米市高良山)の祭神である高良玉垂命こうらたまたれのみこととは誰なのか。
古代史界では謎の存在とされる。
九州王朝説の古賀達也氏によると、4〜6世紀の九州王朝の都が筑後地方にあり、この高良玉垂命は天子の称号で歴代倭王であるとしている。
さらに玉垂命の最後の末裔とされる稲員いなかず家の家系図があり、初代玉垂命とは物部保連やすつらであると記されている。
また高良大社の文書、高良記(中世末期成立)には、玉垂命が物部であることは秘すべし、それが洩れたら全山滅亡だと、穏やかではないことが書かれている。
物部氏は神功皇后期以降に政権から圧迫され地方に逃れている。
乗鞍や安曇も物部の乗っ取られたと伝承される地域もある。
外物部氏は北は秋田物部氏まであるが、共通するのは神功皇后やヒボコへの服属
家系図を誤魔化してでも、我々は朝鮮系の子孫ですとまで偽装して生き延びてきた。
出雲を滅ぼした物部氏だが、政権陥落後は出雲と和解。
さきに進出していた出雲系の安倍氏系統を頼って、各地に散らばった
武甲山の社家は物部氏だよ
飛騨王朝伝承のある水無神社は、最初ヤマトに入った物部氏で、尾張氏などに近い
故に、現在の皇室と無関係の尾張氏系の熱田神宮にある草薙の剣が、戦時中に飛騨の水無神社に疎開されている
島崎藤村のお父さんが宮司を務めていたこともある面白神社 >>353
結局、どの程度の影響力を持っていたのか分からないのがマニ教の困ったところ。
キリスト教国ではキリスト教の姿をしているし、イスラム教国ではイスラム教の姿をしているし。
中国でも未だに仏教の寺だと思っていたものが実はマニ教でした、という発見があるからな。 >>357
今も昔も朝鮮人の態度は変わらないんでしょうなw
朝鮮の王族ですら朝鮮人に追い出されて日本に帰化
もう空っぽの残りカスですもんね、朝鮮はw >>323
月読は本来は宇佐や、息長家に伝わる女性神
伊勢神宮の内宮は、出雲の太陽の女神で千木は縦削ぎ
下宮は、物部系の横削ぎになっているのはそのため
トヨが物部イクメの放った刺客により椿大社で暗殺された後に、物部最後の王権の姫によって太陽の女神とともに全国を流浪する
京都の籠神社も元伊勢だったっけ?
あそこには、下宮の元宮だったことを示す意思の棒だかがある筈だよ
尾張氏や海部氏に近い籠神社は、今は隠されているけど元々は出雲の大神を祀ってた神社。 マニ教に関しては世界的にも知られていることが少なくて、
つい10年ほど前に初めてその教義を描いた曼荼羅?が完全な形で発見されたという状況。
ちなみにこの曼荼羅はなんと日本で見つかっている。
歴史上はマニ教との関わりなど一切持たない日本でw
このややこしさがマニ教の困ったところ。 つうか、見るからにキツイ読み方してる文書
沢山あるだろw
政治的理由で事実ねじ曲げてる。 卑弥呼は実際には複数の人間が魏書に書かれていると言われていますね。
結婚してないはずの卑弥呼が、宗女トヨに次代の卑弥呼を大陸の張政のお墨付きで継承
そういう記述になっていますよね
魏書を書いた人はトヨと同年代の人。混同するはずがありません。
帝紀と古事記の様に、メモ書きに様な物から書き起こしているとされています。
ヤマトは古くから大陸に朝貢していたとされています。それがクニオシヒト
金印を貰った安曇近辺の国をヤマトが滅ぼしたから釈明の為に大がかりな朝貢をしますがハンコどころか塩対応で追い返されていますね。
クニオシヒトの代の天皇名は当時の中国皇帝と同じだったはずですよ
諡号の付け方は後年の者ですが、実にトリッキーな示唆を我々に与えてくれていると思います 将門辺りの平安関東でも年貢収めて天皇の孫自覚しても坂東武者で蝦夷の俘囚と同族意識もってたり帰属意識曖昧だよな
奥州藤原氏もそんな感じなイメージ >>344
初代神武朝第八代において最初の物部東征が行われますが、その際の大王(当時は天皇呼称はない)がクニクル
その御子神が大彦
東征は実際には手打ちがなされ、政権に物部からお嫁さんが入ります。
結局、物部嫌いの勢力と、後に武内宿祢に繋がる系統がヤマトでもめ事を起こします。
そこから吉備国の分裂があり、その隙をつかれて二回目の東征、邪馬台国時代の東征で大彦は琵琶湖を経由して北の方に逃れます。
北陸の方は、大彦が。東のほうは大彦の息子が。
そして、物部政権期に、依頼され、豊国の敗残兵狩りを行ったのが出雲の野見の宿祢の系統
実際には大彦系との戦いはせずに豊国だけ追い払ってたようです
それにより関東の国造の系譜は全て大彦系と出雲系になっていますよ。
大彦は最終的には長野県の布施氏と仲良くなったそうです。
将軍塚古墳は大彦の墓とも言われ、阿部氏のゆかりの地には布施の地名が付くようになりました。
よく言われる田布施システム=朝鮮とか根も葉もないうわさがありますが、小布施にある様にそんな事実はありません
安倍氏は北上し、安東氏になります。
水軍を作り、蒙古襲来の際に大きな戦火を上げますが、そこはやはり朝敵。神風が起きたことにされ、その功績は消されます。
後に安東氏の一部は出雲に里帰りし、粟島神社近辺に定住しました。
出雲伝承の著者も取材し、本に掲載されています。 >>344
続きです。
東国に前方後円墳が多く、銅鐸も出土し、銅鏡が少ないのは物部嫌いの大彦の一派の影響かと思われます。 ちなみに記紀に関してはもっとカジュアルに捉えていて、
定説どおり最初に書かれた部分は分かってる範囲について記載した歴史書、
後付けされら部分は「当時の政治戦略」だと思う。
で、なぜ出雲にそこまで言及してるのかというと、おそらく領有権争いだろうね。
この手の歴史書は大抵の場合自分たちが権力者である正統性を「対外的」に主張するために作られる。
てことは、シンプルに考えれば出雲が侵略の危機に瀕していたんだと思うよ。主に大陸からの。
そこで大和朝廷がどういった経緯で出雲を支配しているのかという歴史を書かねばならなくなった。
それが侵略して手に入れたものなら「じゃあ俺たちも侵略して手に入れれば良いんだね?」になるので「国譲り」とした。
誰向けに書いてるかって、今まさに出雲に侵略しようとしている外国に向けて書いてるのは明らかかと。 日本書紀や古事記ってこうなんというか小さく小さく箱庭的に捉えられがちなんだけど、
俺はその成立は世界史と密接に関係してると思うんだよね。
「そもそも誰向けに書いてるのか?」を考えれば国譲り神話なんてもっとシンプルに理解できるもんだと俺は思う。
日本史的にもっと謎なのは繰り返しになるけど日本文化を作ったのがどんな勢力だったのかという部分。
個人的には「マニ教に改宗した道教の人たち」だと推理するけどな。
こう考えないと道教そのものなのに道教だとは名乗らない理屈が通らないから。 >>331
いや、ここにも朝鮮人が湧いて出てきてるでしょ?
朝鮮人のアカヒが粘着するのは筋が通ってる気がする >>371
仏教伝来以前から存在した儀式や祭具が道教を思わせるものがい多いのに、
「なぜ道教の信徒であると名乗らなかった」との問いは非常におもしろい。
しかし隠したとは思わないな。
生活と密着しすぎて宗教とは認識できなかったのでは?
大陸の道教も古すぎて、その発生と教義の発展がはっきりしないし。
仏教が伝来して初めて、「仏教以外の何か」を大陸では道教と呼ぶこととし、日本では神道と呼んだ程度の歴史かと。 >>373
道教=鏡ですからね。
日本の神道には既に溶け込んでいるというのが正しい認識ではないでしょうか? >>376
中臣氏は大陸系(辰韓は実は秦韓とも言われ大陸系の韓)
ヒボコも辰韓
素戔嗚も大陸系
朝鮮人拠り所の藤原氏は実は鹿島の正当中津身を継承する鎌足の系譜で日本人の系譜w
武内宿祢から続く家系の蘇我氏は仏教国の呉の頃から付き合いがあり、それで仏教の家系
日本にける朝鮮半島の影響は、実は極小値ですよ。
日本と大陸の歴史を論じるとき、毎回毎回朝鮮人が前に出てきてウザいことこの上ない
あれだけ小国が群雄割拠の状態で日本より大国だったなんて話、あり得ませんよ >>378
そういやイチローも在日だという噂が流れましたね
ホント度し難いw
そのうち二刀流のあの選手も在日という噂が流れるでしょう >>324
武振熊って天足彦国押人命の子孫なんだよね。
で天足彦国押人命ってだれやというと、尾張の祖の瀛津世襲の妹世襲足媛孝昭天皇の子であり、
るまり、孝安天皇の「兄」なわけだ。
孝昭が尾張一族に婿入して、長男があとを継ぎ、次男が後の天皇家に繋がるわけだ。
で、尾張一族とはなんぞやというと、丹後の海部、尾張の尾張氏の一族であり、
アマテラスの子、天火明命を始祖とする一族だ。
ニニギノミコトの兄とも伝わる。
この時代はまだ天皇家は絶対的な大王にはなっていない。
分家した孝安の子孫がその後権力を握るように成るが、
この尾張一族とは長らく婚姻関係を結んでいる。
まるで、この一族から嫁をもらうことが必然のように。
別の氏族の母をもつと政権争いが起きる。
垂仁の狭穂姫が指示した日葉酢媛招聘。
尾張(丹波と尾張)と近江(息長)が合体した時、やっと平穏が訪れる。 >>380
尾張氏や海部氏が初代神武朝なんですよ。
スサノヲ→アメノホアカリニギハヤヒの息子、五十猛(天カゴヤマ)が、腹違いの妹と結婚して村雲が生まれた。
その系譜は向家の分家から三代に渡って嫁さんを貰った。
磯城登美家が、向井家の分家。
実は向家は富家(トミケ、トビケ)ともいわれる。
だから海部家は、家系図と、かんちゅう図を分けて保管していた 何でチョンゴキは日本に絡みたがるのかな。
大日本帝国に半島が併合されるまでは全く別の国なんだから
先祖だって無関係でいいじゃない? アメノホアカリニギハヤヒは二度目の来日の際に九州に落ち着く
その際にイチキシマヒメを娶り、物部氏に
その娘穂屋姫とカゴヤマが結婚した。
ヤマトと九州は親戚の家だった。
当然、腹違いの兄妹だから、お互いにそのことを認識してたはずだよ、両家はね
彼らが持ってきたとされる構造船の遺物の出土は九州だけじゃなく、近畿でも出土する。
これが海人文化になった。安曇と海部は親戚だよ。
故に、日本のお舟祭りには、道祖神系と海人系の二つの流れが存在する。 筑紫の国は、昔は築秦国といってね、大陸系をうかがわせる国名だった >>375
そうですね。
大陸でアニミズムが道教に発展し、さらに儒教や仏教や、おそらく景教なども飲み込みながら発展を続け、
日本でも、仏教伝来の時点で、後に神道と呼ぶことになる世界観や習慣には、そうとう道教が溶け込んでいた。
中国でも日本でも、仏教は完成されたテキストとして伝来するんですよね。
そのインパクトで「仏教以外の何か」「仏教伝来以前からあった何か」が顕わになったような過程があるんじゃないですかね。 >>385
渡来物はすでに縄文時代に形成されていた日本独自のアニミズム神体系に乗っかっただけだからだよ >>373
あと感じるのは日本は宗教戦争をした形跡が蘇我VS物部くらいしか見られないこともマニ教の影響を感じさせる部分なんだよね。
マニ教って「お互いの信仰の違いで争うことはやりません(そこはお互い勝手にしましょう)」というスタンスの珍しい宗教だったそうなので、
小さい平野が山で区切られて連なっている日本列島の風土に非常にマッチしたと考えられるのよね。
本体地域ごとの文化の差が激しくて北と南では言葉すら通じないような国がどうして文化的にまとまっていったのか?
この道教的文化を広めて行ったのがマニ教徒だったからなのでは?と考察している。
マニ教の教えに従い行く先々で信仰の違い、文化の違いで揉めることをしなかった。 >>386
日本独自のアニミズム神体系とは、具体的には何です? >>383
自己レス
つまり、記紀の編纂からすると
物部氏の存在、海部氏や尾張氏の存在は絶対的秘密だったわけです。
故に、村雲は剣を神格化した神様的な誤魔化し方をしてて、村雲=神武という物証になるような書物は一切存在していないはずです。
東征を計画し朝貢をしたイニエ王も、イニエ王の息子イクメと、腹違いの妹トヨ姫+トヨ彦の事も同様。トヨ鍬入姫、入彦に変えられています。
全て、日本の複数のとんでもなく古い旧家の伝承の中にしか鍵がないのです。
証拠がないゆえに、こういう話は永遠にファンタジーとなるのです。
しかし、日本の歴史の層の厚みは、朝鮮など日本の足元にも及ばない事だけは確かに言えるでしょう。 >>387
マニ教は道教をも飲み込んでいるというか、似た面が多々ありますね。
しかし、マニ教の成立以前にはマニ教とが日本に来ないわけで、日本において銅鏡が紀元前の地層から出ることが説明できない。 >>388
イザナミ神話に見られる大地母神信仰や
巨岩や山体を神とする自然信仰とか
諏訪の御柱祭に代表される柱祭祀では
縄文土器モチーフにはデフォルメされた蛇があり蛇は信仰対象だったと 国譲り神話は元々出雲の中の話
東部と西部の覇権
それをヤマトが借用
なので国造は西部の出雲大社に
行きたがらなかった
という説がしっくりする >>389
そうニダか
神文在寅天皇は勝ちそうニダか >>389
前方後円墳がある段階で悲しいプロパガンダにしか聞こえませんが?ww
それも、前方後円墳を世界遺産に申請してたんですって?www
すごいですね〜朝鮮人はwwww >>395
>>396
朝鮮半島には倭人が住んでたんだからね、追われて日本列島へ来たのが弥生人だから
倭人→ワイ族とよばれてるのはそれだ >>393
出雲と大和を同時にブチ倒すのが東征の計画だったんですが、
当然、本来の国造候補は、物部十千根(現在の秋上氏)のはずだったんです
何と、千家は家族ごと大和まで押しかけていって、イクメ王に抗議
向家の野見宿祢は自分の家の親戚だと嘘をついて、出雲をまとめるには我々でないと無理だと押し切って、国造職になったそうですw
徐福の子分が徐福の家系に反抗して国造職に就いたというのが実際の処
だから、千家と秋上氏は現在でもあんまり仲が良くない。
それどころか、過去に千家は秋上家の人間を殺害までしています。 >>398
どうやったら六世紀以降の前方後円墳しかない地域がそれより古い古墳がある地域を属国に出来るのかww
大陸の属国が長いと、自分より下の地位の物をでっち上げでもしない限り、惨め過ぎて精神の平衡が保てなくなるのか? >>400
だから、倭人が朝鮮半島に住んでたのは事実で、南部は倭人の支配下だったの >>392
>大地母神信仰
道教の后土(地母神)
>巨岩や山体を神とする自然信仰
奇岩や巨木や山岳そのものを神体とするのも道教の基本
>諏訪の御柱祭に代表される柱祭祀では
巨木の柱をとおして人が天に昇る、あるいは神が地上に降りるとの世界観も、
山海経に現れ、遺跡にも、現代に引き継がれる柱を立てる祭りにも表れます
>縄文土器モチーフにはデフォルメされた蛇があり蛇は信仰対象だったと
ヘビ信仰は道教の核心です
一つひとつ検討していくと、道教と神道には共通点が多すぎる。
人類が共通に持つモチーフの表れかもしれず、道教が文字伝来以前の日本に渡ったのかは、区別がつきませんが、
日本独自ではないですね。 >>402
出雲伝承によれば、最初の東征の際に銅鐸のヤマトに銅鏡が持ち込まれ宗教戦争が起きて、物部が銅鐸を壊して回ったのだそうです
しかたなく手打ちとして三輪山祭祀に銅鏡が採用されるようになったそうです。
国産の銅鏡が作られ始める前は全て輸入でしたので、九州側は大陸に近いから銅鏡祭祀だったようですね。
伝承でも既存宗教と道教の統合が証言されています >>398
濊族は、名前の通りばっちい人という意味になるのだろう
朝鮮半島「北部」の分布で倭人とは全く関係がない
残念でしたね、現代版濊人さんwww >>402
出雲族は、龍蛇とも言われていて、ナーガ信仰は、もともと住んでたインド地方の宗教だったはずですよ。
大陸の道教って基本は星見ではありませんでした? >>406
濊
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%8A
思いっきり地図にも倭と濊が別の配置にww
濊だった絵便器だったり大変ですな、朝鮮半島はw 日本書紀でも、崇神天皇の時代に疫病の原因が、大国主の御霊の怒りとされ、
崇神は、大国主の子孫を探し出して大国主を祀らせている。
それだけではなく、宮中に大国主とともに祀られていた天照大神を外に出す判断までしている。
朝廷による出雲神へのうしろめたさと解釈するのは何か変だ。
単純に出雲神が朝廷や皇室の祖より格上だとの認識ではないかな。
実権は朝廷の人々にあるが、権威はあくまで出雲神にあるという。 朝鮮人自身が作った広開土王の碑に記述が残っているのにな。
倭が海を渡ってやってきて、百済と新羅を破って臣民としたと。
なんで百済が日本を征服したみたいな考えが出てくるのか不思議。 >>2
>朝日の記事ってまんま朝鮮みたい
そりゃあ 朝鮮日報 略してるからだろ しかも先に朝 >>410
百済を臣民にしたとは書いてないはず
新羅の方だな >>407
ヘビや龍を信仰しない民族の方が少ないくらいで。
道教もヘビですよ。世界を描くときの必須モチーフです。
キリスト教の重要モチーフでもありますね。 >>1
> ただ、そこにはなにか奥歯に挟まったような違和感、もどかしさがある。
奥歯に挟まるのか すげーな 自らか
そりゃあ違和感だのもどかしさもあろうな
おれはてっきり 物が挟まるのかと思ってたわ 話がズレるけど、当時の人物って「彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)」
とか「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」とか仰々しい名前ばかりだけど
少なくとも執筆当時は現実世界でもそんな仰々しい名前が結構つけられて
居たのか、それとも、太郎とか一郎とか花子とか今でも通じるような
名前ばかりだったのか知りたい >>413
大変参考になりました。有り難うございます。 今の朝鮮人とか7、8世紀頃中国から南下してきた少数山岳民族じゃん
山から山に移動し続け半島に土着して原住民と混血
さらに満州族や漢族、モンゴル人の支配を受けたハイブリッド
日本の歴史に介入する隙など無い >>415
全然違う名前だったみたいですよ
村雲=神武=磐余彦
沼川耳=綏靖(ここから多氏が発生し太安万侶に)
玉手看=安寧
木花咲耶姫は、現在も九州で地名が残るアタツ姫。でもこれすら本名ではないと思われます。津がつくと地方名になる事が多いんじゃないかと >>415
俺も知りたいところです。
漢字を知らずしては思いつけない名前と、
音としてありな人名だと感じる名前とが混在しているんですよね。
イザナミ、イザナギ
スサノオ
ニニギ
山幸彦=ホオリ
神武天皇=彦ホホデミ命=ホホデミ
崇神天皇=ミマキ入彦命=ミマキ
継体天皇=ヲホド
ここらへんは、音で伝わる人名だと感じるのですが、
木花咲耶や天照大神は、おっしゃる通り仰々しく呼びにくい。
しかも漢字の意味が先にないと思いつけない名であるのが不思議です。 朝日新聞『つまり韓国は兄で中華人民共和国は父だと言うことです。平伏せ愚民ども』 東北が狙われたのは
出雲先住民がいたから
アラハバキはムーの神様でもあったらしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています