【朝日】古事記の膨大な出雲系神話は、服従の歴史か、連携の記憶か 古墳から読み解く大和と出雲の関係 [みの★]
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『古事記』が語る神話は、3割から4割が出雲系とされる。中央政権が編み、自らの正統性を知らしめるはずの伝承なのに、である。そこに隠されたのは大和と出雲の征服と服従の歴史か、それとも連携の記憶か。近年の研究成果から読み解いてみよう。
大和王権の成り立ちを後世に伝えるにはそぐわない一地方の物語が、これほど挿入されたのはなぜか。この問題をめぐっては、覇権を伸ばす中央勢力に出雲が屈し、傘下に入っていく過程を暗に示唆していると理解されることが多い。
奈良時代から平安時代にかけ、出雲大社でオオクニヌシをまつる出雲国造が新任時に朝廷で執り行った、天皇の世をことほぐ神賀詞(かむよごと)の奏上儀礼を、服属の名残と見なす意見も根強い。
ただ、そこにはなにか奥歯に挟まったような違和感、もどかしさがある。実は、『古事記』とほぼ同時期に成立した『日本書紀』は出雲神話にほとんど触れない。だから、ここに出雲侵略への負い目にも似た大和側の感情をかぎ取る研究者もいる。そんな出雲の複雑さは、考古学的にも見て取ることができそうだ。
…続きはソースで(会員記事)。
https://digital.asahi.com/articles/ASP3V563TP3JPTFC02B.html
2021年9月15日 11時30分 筑紫の国は、昔は築秦国といってね、大陸系をうかがわせる国名だった >>375
そうですね。
大陸でアニミズムが道教に発展し、さらに儒教や仏教や、おそらく景教なども飲み込みながら発展を続け、
日本でも、仏教伝来の時点で、後に神道と呼ぶことになる世界観や習慣には、そうとう道教が溶け込んでいた。
中国でも日本でも、仏教は完成されたテキストとして伝来するんですよね。
そのインパクトで「仏教以外の何か」「仏教伝来以前からあった何か」が顕わになったような過程があるんじゃないですかね。 >>385
渡来物はすでに縄文時代に形成されていた日本独自のアニミズム神体系に乗っかっただけだからだよ >>373
あと感じるのは日本は宗教戦争をした形跡が蘇我VS物部くらいしか見られないこともマニ教の影響を感じさせる部分なんだよね。
マニ教って「お互いの信仰の違いで争うことはやりません(そこはお互い勝手にしましょう)」というスタンスの珍しい宗教だったそうなので、
小さい平野が山で区切られて連なっている日本列島の風土に非常にマッチしたと考えられるのよね。
本体地域ごとの文化の差が激しくて北と南では言葉すら通じないような国がどうして文化的にまとまっていったのか?
この道教的文化を広めて行ったのがマニ教徒だったからなのでは?と考察している。
マニ教の教えに従い行く先々で信仰の違い、文化の違いで揉めることをしなかった。 >>386
日本独自のアニミズム神体系とは、具体的には何です? >>383
自己レス
つまり、記紀の編纂からすると
物部氏の存在、海部氏や尾張氏の存在は絶対的秘密だったわけです。
故に、村雲は剣を神格化した神様的な誤魔化し方をしてて、村雲=神武という物証になるような書物は一切存在していないはずです。
東征を計画し朝貢をしたイニエ王も、イニエ王の息子イクメと、腹違いの妹トヨ姫+トヨ彦の事も同様。トヨ鍬入姫、入彦に変えられています。
全て、日本の複数のとんでもなく古い旧家の伝承の中にしか鍵がないのです。
証拠がないゆえに、こういう話は永遠にファンタジーとなるのです。
しかし、日本の歴史の層の厚みは、朝鮮など日本の足元にも及ばない事だけは確かに言えるでしょう。 >>387
マニ教は道教をも飲み込んでいるというか、似た面が多々ありますね。
しかし、マニ教の成立以前にはマニ教とが日本に来ないわけで、日本において銅鏡が紀元前の地層から出ることが説明できない。 >>388
イザナミ神話に見られる大地母神信仰や
巨岩や山体を神とする自然信仰とか
諏訪の御柱祭に代表される柱祭祀では
縄文土器モチーフにはデフォルメされた蛇があり蛇は信仰対象だったと 国譲り神話は元々出雲の中の話
東部と西部の覇権
それをヤマトが借用
なので国造は西部の出雲大社に
行きたがらなかった
という説がしっくりする >>389
そうニダか
神文在寅天皇は勝ちそうニダか >>389
前方後円墳がある段階で悲しいプロパガンダにしか聞こえませんが?ww
それも、前方後円墳を世界遺産に申請してたんですって?www
すごいですね〜朝鮮人はwwww >>395
>>396
朝鮮半島には倭人が住んでたんだからね、追われて日本列島へ来たのが弥生人だから
倭人→ワイ族とよばれてるのはそれだ >>393
出雲と大和を同時にブチ倒すのが東征の計画だったんですが、
当然、本来の国造候補は、物部十千根(現在の秋上氏)のはずだったんです
何と、千家は家族ごと大和まで押しかけていって、イクメ王に抗議
向家の野見宿祢は自分の家の親戚だと嘘をついて、出雲をまとめるには我々でないと無理だと押し切って、国造職になったそうですw
徐福の子分が徐福の家系に反抗して国造職に就いたというのが実際の処
だから、千家と秋上氏は現在でもあんまり仲が良くない。
それどころか、過去に千家は秋上家の人間を殺害までしています。 >>398
どうやったら六世紀以降の前方後円墳しかない地域がそれより古い古墳がある地域を属国に出来るのかww
大陸の属国が長いと、自分より下の地位の物をでっち上げでもしない限り、惨め過ぎて精神の平衡が保てなくなるのか? >>400
だから、倭人が朝鮮半島に住んでたのは事実で、南部は倭人の支配下だったの >>392
>大地母神信仰
道教の后土(地母神)
>巨岩や山体を神とする自然信仰
奇岩や巨木や山岳そのものを神体とするのも道教の基本
>諏訪の御柱祭に代表される柱祭祀では
巨木の柱をとおして人が天に昇る、あるいは神が地上に降りるとの世界観も、
山海経に現れ、遺跡にも、現代に引き継がれる柱を立てる祭りにも表れます
>縄文土器モチーフにはデフォルメされた蛇があり蛇は信仰対象だったと
ヘビ信仰は道教の核心です
一つひとつ検討していくと、道教と神道には共通点が多すぎる。
人類が共通に持つモチーフの表れかもしれず、道教が文字伝来以前の日本に渡ったのかは、区別がつきませんが、
日本独自ではないですね。 >>402
出雲伝承によれば、最初の東征の際に銅鐸のヤマトに銅鏡が持ち込まれ宗教戦争が起きて、物部が銅鐸を壊して回ったのだそうです
しかたなく手打ちとして三輪山祭祀に銅鏡が採用されるようになったそうです。
国産の銅鏡が作られ始める前は全て輸入でしたので、九州側は大陸に近いから銅鏡祭祀だったようですね。
伝承でも既存宗教と道教の統合が証言されています >>398
濊族は、名前の通りばっちい人という意味になるのだろう
朝鮮半島「北部」の分布で倭人とは全く関係がない
残念でしたね、現代版濊人さんwww >>402
出雲族は、龍蛇とも言われていて、ナーガ信仰は、もともと住んでたインド地方の宗教だったはずですよ。
大陸の道教って基本は星見ではありませんでした? >>406
濊
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%8A
思いっきり地図にも倭と濊が別の配置にww
濊だった絵便器だったり大変ですな、朝鮮半島はw 日本書紀でも、崇神天皇の時代に疫病の原因が、大国主の御霊の怒りとされ、
崇神は、大国主の子孫を探し出して大国主を祀らせている。
それだけではなく、宮中に大国主とともに祀られていた天照大神を外に出す判断までしている。
朝廷による出雲神へのうしろめたさと解釈するのは何か変だ。
単純に出雲神が朝廷や皇室の祖より格上だとの認識ではないかな。
実権は朝廷の人々にあるが、権威はあくまで出雲神にあるという。 朝鮮人自身が作った広開土王の碑に記述が残っているのにな。
倭が海を渡ってやってきて、百済と新羅を破って臣民としたと。
なんで百済が日本を征服したみたいな考えが出てくるのか不思議。 >>2
>朝日の記事ってまんま朝鮮みたい
そりゃあ 朝鮮日報 略してるからだろ しかも先に朝 >>410
百済を臣民にしたとは書いてないはず
新羅の方だな >>407
ヘビや龍を信仰しない民族の方が少ないくらいで。
道教もヘビですよ。世界を描くときの必須モチーフです。
キリスト教の重要モチーフでもありますね。 >>1
> ただ、そこにはなにか奥歯に挟まったような違和感、もどかしさがある。
奥歯に挟まるのか すげーな 自らか
そりゃあ違和感だのもどかしさもあろうな
おれはてっきり 物が挟まるのかと思ってたわ 話がズレるけど、当時の人物って「彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)」
とか「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」とか仰々しい名前ばかりだけど
少なくとも執筆当時は現実世界でもそんな仰々しい名前が結構つけられて
居たのか、それとも、太郎とか一郎とか花子とか今でも通じるような
名前ばかりだったのか知りたい >>413
大変参考になりました。有り難うございます。 今の朝鮮人とか7、8世紀頃中国から南下してきた少数山岳民族じゃん
山から山に移動し続け半島に土着して原住民と混血
さらに満州族や漢族、モンゴル人の支配を受けたハイブリッド
日本の歴史に介入する隙など無い >>415
全然違う名前だったみたいですよ
村雲=神武=磐余彦
沼川耳=綏靖(ここから多氏が発生し太安万侶に)
玉手看=安寧
木花咲耶姫は、現在も九州で地名が残るアタツ姫。でもこれすら本名ではないと思われます。津がつくと地方名になる事が多いんじゃないかと >>415
俺も知りたいところです。
漢字を知らずしては思いつけない名前と、
音としてありな人名だと感じる名前とが混在しているんですよね。
イザナミ、イザナギ
スサノオ
ニニギ
山幸彦=ホオリ
神武天皇=彦ホホデミ命=ホホデミ
崇神天皇=ミマキ入彦命=ミマキ
継体天皇=ヲホド
ここらへんは、音で伝わる人名だと感じるのですが、
木花咲耶や天照大神は、おっしゃる通り仰々しく呼びにくい。
しかも漢字の意味が先にないと思いつけない名であるのが不思議です。 朝日新聞『つまり韓国は兄で中華人民共和国は父だと言うことです。平伏せ愚民ども』 東北が狙われたのは
出雲先住民がいたから
アラハバキはムーの神様でもあったらしい これだけ朝鮮が嫌われる理由は
ヤタガラスが裏切者だから 長州と天皇家はずっと日本人を殺し続けてきたからね
し戦争や原爆 311やコロナにもたぶん関わってるよね >>419
イザナギ、イザナミに関しては、神魂神社が最初に祭ったとされています。
物部王朝が3代の短命で終わったため、出雲の物部氏は後ろ盾を失い、気まずくなってきていました。
更に子分の千家が物部家を圧迫するようになってきており、東出雲王宮のあった建物を向家に返還することを申し出たそうです
向家はその申し出を断り、物部家と和解し、手を取り合って生きる道を選んだそうです。
その際に、物部家のフツを、ちょっと離れた場所に移し、本来の幸の神を戻しました。
クナトの大神と幸姫をイザナギ、イザナミに変えたそうです。
フツの神様は、現在では剣神社と名前が付いていて、和解を示すかのように、千木の半分が物部の横削ぎ。半分が出雲の縦削ぎになっています。
この神社は現存しています。私も参拝してきました。
神さびた、というにふさわしい小さな神社です。
向家側は、美穂神社の本殿の片方を横削ぎ、もう片方を縦削ぎにして和解の印としたそうです。
向家は奥出雲の熊野大社の社家になりました。
そこから近くの天宮山に歴代の当主を埋め、崇めてきたとされます。
出雲においてはスサノオは全く関係のない神様だったので、素戔嗚が居る神社は千家の息がかかった神社になるので直ぐにわかります
今では熊野大社まで千家に乗っ取られており、秋上氏の上位にあたる神事を牛耳られています。
千家は絶対に熊野大社の宮司職を手放すことはないでしょう。
宮司職の引継ぎに必要な神社ですからね。
そのうち、神魂神社も手中に入れたいと考えているはずです。 >>1
前提が間違っているから、古事記や日本書紀の具体的記述がおかしく感じる。
>中央政権が編み、自らの正統性を知らしめるはずの伝承なのに、
読めば、古事記も日本書紀も、編纂者には皇室の正統性を知らしめる気がないことがわかる。
すると、出雲の記述もおかしくは感じない。
出雲は力で大和に征服されたが、権威は大和より格上とされたことがつづられているだけとわかる。 >>423
実は八咫烏は加茂氏です。
朝鮮人ではありません。
何しろ昔は相続とか親族同士の家督争いが凄かったので、ヤマトに大王が不在になる時期が多かったのです。
実質、初代神武朝の副王だった加茂氏が、もうダメじゃと、熊野に入り込んできた物部氏を引き入れてヤマトに安定をもたらしたと言われています。
その際に、三輪山祭祀に物部の道教を融合させたそうです。 出雲ってのは地名じゃなくて雲がいずる場所ってこと。
目に見えない霊界(天)から目に見える物質界(地)になる境に雲が湧く。 八咫烏(加茂タテツノミ)の次の代の分家が太田氏で、三輪山祭祀の家系でした。
ちょうど、神武朝8代の時の人物です。
その時の卑弥呼が魏書に書かれました。太田氏のお姉さんが卑弥呼(ちょっと御歳の方だったらしい)
結婚してないと書かれている方の卑弥呼さんです
メモ書きから書き起こされた魏書の昔の部分は、まとめられた時期が違ってるので、距離の書き方が異なるのはそのためと言われていますね。 >>426
太安万侶からすれば出雲は先祖ですからね。
出雲王の17代の名前をすべてを登場させるくらいですから >>428
きっとそのおじいちゃんは頭皮がアマテラスだったのでしょう。 スサノオは朝鮮半島から来ましたからね
ユダヤの先祖のルーツでもあるみたいなので
スサノオの朝鮮半島の宗教だから
本来そっちにいるべき人達なのにわざわざ出雲までやってきて道教を押し付けてきたわけですよね >>419
継体天皇
蘇我氏に婿養子入りする前の向家の彼は、確かフト彦という名前だったと
御間城入彦五十瓊殖尊ミマキイリヒコイニエは物部のイニエ王
ホホデミは、イチキシマヒメと饒速日のお子さん >>429
なるほど。
おもしろいですね。
出雲は地名ではなく、概念的な場であると。
記紀をそのまま素直に読んで、前王朝の名かと思いました。
記紀編纂期には定着していた儒教の教えでは、滅ぼした前王朝は現王朝がしっかりと祀らなければならない。
だから出雲を下に置かないのだろうと。 >>433
高天原追放されて地上に降りて来たんだけど。 >>433
素戔嗚は、朝鮮半島には立ち寄りましたが、朝鮮半島から来たわけではありません
こんなとこ嫌だと出雲に来て、清々しく歌を歌ったはずですよ >>408
ウィキペディア出してきてる時点で馬鹿ですね >>435
八雲の八が地上を現していると分かれば、
色んなことが分かるんだけどね。 >>437
立ち寄ったも何も、「最初に降り立った地点」が朝鮮という時点で
これは生まれた場所が朝鮮である事を暗示しているものとみていい。
つまり朝鮮由来の金属技術者集団という事だ。 イナバのの白うさぎ 実はアジアの広い範囲に昔話として出てくる
マレーシア・インドネシアでは鹿とワニ インド・タイでは 猿とワニ
サメが出てくるのは不自然だな。まあ、中国地方ではサメの肉をワニ肉と言ったりするが >>446
ありがとうございます。
納得しました。
書かれたのは江戸時代の解釈でしたか。 >>429
地理に目を向けると島根県は海沿いまで山が迫ってその内側に盆地がある
だから日本海の風が山を昇って雲になるせいで盆地はいつも曇り空なんだよ
まさに雲が出ずる所なんだね >>449
その神話を基に地名にしたのかもしれないね。 >>438
WIKIだけが情報源だと思ってる間抜けですねw
そもそも日本は日ユ同祖論を他国から言われるとか数段違ってる国じゃんw
そういやイスラエルが朝鮮と先祖が同じだなんて聞いたことも無いわw >>444
もういちど記紀を読み直したら?www
>>438
>>438
朝鮮人は意見と事実の区別がつかないって最近証明されましたよね
まんまその通りだわw
データで証明されるなんてどんだけ異常なのかw
頑張って人間になってくださいね?w歴史のない国の方。
「韓国人は事実と意見を区別できない」低すぎる"読解レベル"が慰安婦・竹島問題をこじれさせる
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/0c51907722a432a430d55987367d909ba038316e
ttps://president.jp/articles/-/49687(PISAによる国際比較) 製鉄技術があったタタール人が大陸→半島→日本でタタラ場をつくった説
これは出雲かヤマトかどっち側でしょうね
人種的な区別じゃなくチーム?みたいなもんだと解釈してますが >>450
天照大神が岩戸に隠れたとき舞台に上がって裸で踊って見せた女神様だな
ニニギノミコトが「彼女は物おじしない性格」と太鼓判を押してるね 千家が忌部氏に無理やり記紀に入れたスサノオが朝鮮半島出身者だったなんてwww
大変だよな、出雲大社もww
素戔嗚は徐福と同じく二度、日本に渡ってきている
朝鮮半島にも徐福伝説があるが、あくまで中継地としての伝承に過ぎない
風向きによっては立ち寄るくらいの事はするだろw >>454
神=火水ってこと。
陽と陰=気と身=霊と物質ってこと。
神話ってのはそういう話。 なにが言いたいかというと、半島からの侵略で日本が成り立っているということ。それを
日本書紀などで綺麗事にした。認識を客観的にもてということ。 >>455
魏書に書かれちゃったからね、ウズメさんは
トヨがウズメだよ。
故郷の宇佐から来た名前。
彼女が椿大社で暗殺されたから猿田彦の奥さんにされた
遺体は仮埋葬された後奈良に送られ、埋葬されたと大神神社に伝わってる
そこからは三角縁神獣鏡が出てなくて、特徴的な鏡の出土になってたはずよ >>458
お可哀そうに。歴史的遺物からも考古学上からもそんな説は存在しないw
大陸から渡ってきた千家が朝鮮の神を奉じるわけが無いだろwww
たかが大陸の属国だぜ?論理的にあり得んわw >>454
鉄を作る場所をタタラバって言ってみたり
神武の嫁さんの姫さんの名前、タタライスズヒメ(タタラもイスズも製鉄用語)
という事なので、出雲じゃないですかね >>446
とすると地名の出雲は物質的反映を目指した象徴の地でしょうかね?
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに >>449
製鉄に必要な木がどんどん生えてくるから
出芽の国ってのが語源呂いう説がある
朝鮮半島と違ってはげ山にはならない地域
ちなみに、五十猛の系譜と関連のある紀伊山地から、木曽に山の管理の技術が移転されたと伝承がある
木曽は昔、木蘇と言って、ここも木がバンバン再生する場所だった >>463
八重垣とは出雲の重要な法律で、一夫多妻をしないなどの誓いが書かれている
素戔嗚が歌ったという事になっているが元々出雲が作った法律
そこでだ、朝鮮認定された素戔嗚だが、後からやってきたヒボコが八重垣の法律を守ることを拒否してる時点でもうスサノオは朝鮮半島の出ではないだろw >>437
素戔嗚は大陸系の氏族(元は縄文から大陸に渡来)で、ウガリッド神話のバアル神を信仰していた氏族が日本に渡来したということでしょうか?
バアルは雲に乗る者、という意味もあったようで >>465
法律の意味だったんですね
八重垣作る その八重垣を というのは法律をガンガン作りましょうという意味ですか?
そう考えると、天孫族というか高天原系の思想とはやはり一線を画すような >>466
徐福が記紀にかけるわけが無いので、忌部氏と話し合って決めた徐福の投影がスサノオです。
元々出雲にはスサノオを祀る神社はありませんでした。記紀が成立した8世紀以降ですよ。広まったのは。 そもそも、ジャポニカ米の起源とほぼ同時期の8,000年前から岡山で栽培の遺跡が発掘されて居る。
半島経由では無くて、沖縄ルートで行き来して、半島先端は穢れた植民地だった。
半島は、野蛮な物が蔓延る海以上き危険な場所。
>>1
自分の利権を守りたい保守が奉る本で
日本の乞食が奉(たてまつ)る古事記なんじゃね >>467
富士林雅樹著「出雲王国とヤマト政権」によると、この和歌は出雲族が作ったものであり、妻籠=婦女暴行を禁止する法律を制定し、これが出雲八重書きの中でも特に良い法律であると喜んだ歌であるということです。つまり一夫多婦を禁じた一夫一婦の掟だと。ただし有力豪族は他国と同盟を結ぶために一夫多婦は許されたそうです。
あと、昔の日本は母系社会。女性の長を刀自とか、トベとか言いました。
名草のトベもそういう意味です
そこに大陸系の男系集団がやってきたので色々大変だったようです >>468
とすると徐福のルーツに迫りたいですね
新始皇帝とも同族とも言われ、新始皇帝が即位した後に、徐福の地元の山東省?あたりに長期滞在して石碑も多数残したという事は、徐福と新始皇帝が道祖だった可能性もあるでしょうか?
新始皇帝はいわゆるアジア系では無かったという可能性もあるので、徐福自身もまた、そうだった可能性も >>471
なるほどです
そうするとトベを倒した神武天皇は大陸系との習合ということでしょうか?
母系の縄文文化をサッパリと脱ぎ捨てて、男系による社会統治の国造りに統一した暁に、歴史もそのように改めたのが日本書紀と古事記というような?
もともと万世一系というのは血の問題じゃないという話もありますよね、世界で一番古い日本語の原理を受け継いで、皇の精神を受け継ぐ人であれば、誰でも大和の民でありスメラミコトの資格があるんだ、というような >>472
徐福は徐市ともいって山東省あたりの人だったという事ですね。
徐福時代の日本の墳墓の被葬者はそっち方面を向いて埋められているそうです。
彼らは石の笛、トウケンを持ち込んだようですね。
秦に滅ぼされるまでは斉という国だったかと。
産業としては製鉄、織物なので、平坦な土地が無く、稲作には向いてなかったようです。
現在では徐福時代よりうんと遡って水稲遺跡が出ていますから昔言われてた徐福時代=水稲説は既に無くなっています >>162
出雲の記録は豊富なのに、邪馬台国の記録がスルーってのが不自然だよね
何らかの言及有って良さそうなんだが・・・というか、アマテラスが卑弥呼なのかな >>2
てにをはがなってないから多分そうなんだろう 八色の姓(やくさのかばね)は、天武天皇が684年(天武13)に新たに制定した「真人(まひと)、朝臣(あそみ・あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)」の八つの姓の制度のこと。
この一番位の高い真人について、始皇帝も真人と呼ばれていたそうですよね
さらに、大和はヤマトで八真人(ヤマト)の人々という語源になるとも >>473
神武朝は、先にも述べました通りスサノオの系統と、出雲の分家の婚姻関係による一族です。
故に、記紀でも重要視されるわけです。
同じく腹違いの親戚の物部氏は、出雲の分家、宗像氏からお嫁さんを貰ったので、物部氏にも実際には出雲の血が入っています。
第六代オミツヌの子供が分家して、宗像家になったそうです。アタカタスが、宗像家の大神になっています。
昔は女系も男系もなく、血が濃ければ権威になったのです。
男子男系は明治時代に重要視されるようになった価値観ですよ 出雲神族と出雲臣の混同。在る在るですね。
実は、向家が、千家が出雲臣を名乗ることをうっかり許してしまったのだそうです
そしたら千家は勝手に向家の人間を家系図に入れ込んで背乗りを始めたから混同されるのは仕方がないことだと言えます 素戔嗚が朝鮮人ではない事のひとつに、青銅器があります
青銅器の合金の技術は当時は日本にはなく、逆に、朝鮮半島はうんと早かったのです。
銅は日本の出雲でも産出しました。現在でも遺構が残っています。
ごまかしがきかないのは錫と、鉛。錫は大陸からしか入手できず、鉛は朝鮮半島産だったので簡単に誤魔化せません。
朝鮮半島に類似した鉛は対馬からしか産出できないほど、組成に特徴があります。
国産の青銅は、徐福時代で、明らかに朝鮮半島とは違った時期に日本に伝播しています。
吉野ヶ里遺跡からは輸入した錫のインゴットが出土しています >>479
としますと、スメラミコトのスメラは、素戔嗚のルーツがシュメールが語源であればしっくりきますがどうなのでしょうか?
男子男系はかなり最近だったんですね
そういえば継体天皇は息長氏の血から来ているんでしたっけ?
息長氏とはどういう氏族なんでしょうね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています