【朝日】古事記の膨大な出雲系神話は、服従の歴史か、連携の記憶か 古墳から読み解く大和と出雲の関係 [みの★]
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『古事記』が語る神話は、3割から4割が出雲系とされる。中央政権が編み、自らの正統性を知らしめるはずの伝承なのに、である。そこに隠されたのは大和と出雲の征服と服従の歴史か、それとも連携の記憶か。近年の研究成果から読み解いてみよう。
大和王権の成り立ちを後世に伝えるにはそぐわない一地方の物語が、これほど挿入されたのはなぜか。この問題をめぐっては、覇権を伸ばす中央勢力に出雲が屈し、傘下に入っていく過程を暗に示唆していると理解されることが多い。
奈良時代から平安時代にかけ、出雲大社でオオクニヌシをまつる出雲国造が新任時に朝廷で執り行った、天皇の世をことほぐ神賀詞(かむよごと)の奏上儀礼を、服属の名残と見なす意見も根強い。
ただ、そこにはなにか奥歯に挟まったような違和感、もどかしさがある。実は、『古事記』とほぼ同時期に成立した『日本書紀』は出雲神話にほとんど触れない。だから、ここに出雲侵略への負い目にも似た大和側の感情をかぎ取る研究者もいる。そんな出雲の複雑さは、考古学的にも見て取ることができそうだ。
…続きはソースで(会員記事)。
https://digital.asahi.com/articles/ASP3V563TP3JPTFC02B.html
2021年9月15日 11時30分 日本書紀でも、崇神天皇の時代に疫病の原因が、大国主の御霊の怒りとされ、
崇神は、大国主の子孫を探し出して大国主を祀らせている。
それだけではなく、宮中に大国主とともに祀られていた天照大神を外に出す判断までしている。
朝廷による出雲神へのうしろめたさと解釈するのは何か変だ。
単純に出雲神が朝廷や皇室の祖より格上だとの認識ではないかな。
実権は朝廷の人々にあるが、権威はあくまで出雲神にあるという。 朝鮮人自身が作った広開土王の碑に記述が残っているのにな。
倭が海を渡ってやってきて、百済と新羅を破って臣民としたと。
なんで百済が日本を征服したみたいな考えが出てくるのか不思議。 >>2
>朝日の記事ってまんま朝鮮みたい
そりゃあ 朝鮮日報 略してるからだろ しかも先に朝 >>410
百済を臣民にしたとは書いてないはず
新羅の方だな >>407
ヘビや龍を信仰しない民族の方が少ないくらいで。
道教もヘビですよ。世界を描くときの必須モチーフです。
キリスト教の重要モチーフでもありますね。 >>1
> ただ、そこにはなにか奥歯に挟まったような違和感、もどかしさがある。
奥歯に挟まるのか すげーな 自らか
そりゃあ違和感だのもどかしさもあろうな
おれはてっきり 物が挟まるのかと思ってたわ 話がズレるけど、当時の人物って「彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)」
とか「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」とか仰々しい名前ばかりだけど
少なくとも執筆当時は現実世界でもそんな仰々しい名前が結構つけられて
居たのか、それとも、太郎とか一郎とか花子とか今でも通じるような
名前ばかりだったのか知りたい >>413
大変参考になりました。有り難うございます。 今の朝鮮人とか7、8世紀頃中国から南下してきた少数山岳民族じゃん
山から山に移動し続け半島に土着して原住民と混血
さらに満州族や漢族、モンゴル人の支配を受けたハイブリッド
日本の歴史に介入する隙など無い >>415
全然違う名前だったみたいですよ
村雲=神武=磐余彦
沼川耳=綏靖(ここから多氏が発生し太安万侶に)
玉手看=安寧
木花咲耶姫は、現在も九州で地名が残るアタツ姫。でもこれすら本名ではないと思われます。津がつくと地方名になる事が多いんじゃないかと >>415
俺も知りたいところです。
漢字を知らずしては思いつけない名前と、
音としてありな人名だと感じる名前とが混在しているんですよね。
イザナミ、イザナギ
スサノオ
ニニギ
山幸彦=ホオリ
神武天皇=彦ホホデミ命=ホホデミ
崇神天皇=ミマキ入彦命=ミマキ
継体天皇=ヲホド
ここらへんは、音で伝わる人名だと感じるのですが、
木花咲耶や天照大神は、おっしゃる通り仰々しく呼びにくい。
しかも漢字の意味が先にないと思いつけない名であるのが不思議です。 朝日新聞『つまり韓国は兄で中華人民共和国は父だと言うことです。平伏せ愚民ども』 東北が狙われたのは
出雲先住民がいたから
アラハバキはムーの神様でもあったらしい これだけ朝鮮が嫌われる理由は
ヤタガラスが裏切者だから 長州と天皇家はずっと日本人を殺し続けてきたからね
し戦争や原爆 311やコロナにもたぶん関わってるよね >>419
イザナギ、イザナミに関しては、神魂神社が最初に祭ったとされています。
物部王朝が3代の短命で終わったため、出雲の物部氏は後ろ盾を失い、気まずくなってきていました。
更に子分の千家が物部家を圧迫するようになってきており、東出雲王宮のあった建物を向家に返還することを申し出たそうです
向家はその申し出を断り、物部家と和解し、手を取り合って生きる道を選んだそうです。
その際に、物部家のフツを、ちょっと離れた場所に移し、本来の幸の神を戻しました。
クナトの大神と幸姫をイザナギ、イザナミに変えたそうです。
フツの神様は、現在では剣神社と名前が付いていて、和解を示すかのように、千木の半分が物部の横削ぎ。半分が出雲の縦削ぎになっています。
この神社は現存しています。私も参拝してきました。
神さびた、というにふさわしい小さな神社です。
向家側は、美穂神社の本殿の片方を横削ぎ、もう片方を縦削ぎにして和解の印としたそうです。
向家は奥出雲の熊野大社の社家になりました。
そこから近くの天宮山に歴代の当主を埋め、崇めてきたとされます。
出雲においてはスサノオは全く関係のない神様だったので、素戔嗚が居る神社は千家の息がかかった神社になるので直ぐにわかります
今では熊野大社まで千家に乗っ取られており、秋上氏の上位にあたる神事を牛耳られています。
千家は絶対に熊野大社の宮司職を手放すことはないでしょう。
宮司職の引継ぎに必要な神社ですからね。
そのうち、神魂神社も手中に入れたいと考えているはずです。 >>1
前提が間違っているから、古事記や日本書紀の具体的記述がおかしく感じる。
>中央政権が編み、自らの正統性を知らしめるはずの伝承なのに、
読めば、古事記も日本書紀も、編纂者には皇室の正統性を知らしめる気がないことがわかる。
すると、出雲の記述もおかしくは感じない。
出雲は力で大和に征服されたが、権威は大和より格上とされたことがつづられているだけとわかる。 >>423
実は八咫烏は加茂氏です。
朝鮮人ではありません。
何しろ昔は相続とか親族同士の家督争いが凄かったので、ヤマトに大王が不在になる時期が多かったのです。
実質、初代神武朝の副王だった加茂氏が、もうダメじゃと、熊野に入り込んできた物部氏を引き入れてヤマトに安定をもたらしたと言われています。
その際に、三輪山祭祀に物部の道教を融合させたそうです。 出雲ってのは地名じゃなくて雲がいずる場所ってこと。
目に見えない霊界(天)から目に見える物質界(地)になる境に雲が湧く。 八咫烏(加茂タテツノミ)の次の代の分家が太田氏で、三輪山祭祀の家系でした。
ちょうど、神武朝8代の時の人物です。
その時の卑弥呼が魏書に書かれました。太田氏のお姉さんが卑弥呼(ちょっと御歳の方だったらしい)
結婚してないと書かれている方の卑弥呼さんです
メモ書きから書き起こされた魏書の昔の部分は、まとめられた時期が違ってるので、距離の書き方が異なるのはそのためと言われていますね。 >>426
太安万侶からすれば出雲は先祖ですからね。
出雲王の17代の名前をすべてを登場させるくらいですから >>428
きっとそのおじいちゃんは頭皮がアマテラスだったのでしょう。 スサノオは朝鮮半島から来ましたからね
ユダヤの先祖のルーツでもあるみたいなので
スサノオの朝鮮半島の宗教だから
本来そっちにいるべき人達なのにわざわざ出雲までやってきて道教を押し付けてきたわけですよね >>419
継体天皇
蘇我氏に婿養子入りする前の向家の彼は、確かフト彦という名前だったと
御間城入彦五十瓊殖尊ミマキイリヒコイニエは物部のイニエ王
ホホデミは、イチキシマヒメと饒速日のお子さん >>429
なるほど。
おもしろいですね。
出雲は地名ではなく、概念的な場であると。
記紀をそのまま素直に読んで、前王朝の名かと思いました。
記紀編纂期には定着していた儒教の教えでは、滅ぼした前王朝は現王朝がしっかりと祀らなければならない。
だから出雲を下に置かないのだろうと。 >>433
高天原追放されて地上に降りて来たんだけど。 >>433
素戔嗚は、朝鮮半島には立ち寄りましたが、朝鮮半島から来たわけではありません
こんなとこ嫌だと出雲に来て、清々しく歌を歌ったはずですよ >>408
ウィキペディア出してきてる時点で馬鹿ですね >>435
八雲の八が地上を現していると分かれば、
色んなことが分かるんだけどね。 >>437
立ち寄ったも何も、「最初に降り立った地点」が朝鮮という時点で
これは生まれた場所が朝鮮である事を暗示しているものとみていい。
つまり朝鮮由来の金属技術者集団という事だ。 イナバのの白うさぎ 実はアジアの広い範囲に昔話として出てくる
マレーシア・インドネシアでは鹿とワニ インド・タイでは 猿とワニ
サメが出てくるのは不自然だな。まあ、中国地方ではサメの肉をワニ肉と言ったりするが >>446
ありがとうございます。
納得しました。
書かれたのは江戸時代の解釈でしたか。 >>429
地理に目を向けると島根県は海沿いまで山が迫ってその内側に盆地がある
だから日本海の風が山を昇って雲になるせいで盆地はいつも曇り空なんだよ
まさに雲が出ずる所なんだね >>449
その神話を基に地名にしたのかもしれないね。 >>438
WIKIだけが情報源だと思ってる間抜けですねw
そもそも日本は日ユ同祖論を他国から言われるとか数段違ってる国じゃんw
そういやイスラエルが朝鮮と先祖が同じだなんて聞いたことも無いわw >>444
もういちど記紀を読み直したら?www
>>438
>>438
朝鮮人は意見と事実の区別がつかないって最近証明されましたよね
まんまその通りだわw
データで証明されるなんてどんだけ異常なのかw
頑張って人間になってくださいね?w歴史のない国の方。
「韓国人は事実と意見を区別できない」低すぎる"読解レベル"が慰安婦・竹島問題をこじれさせる
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/0c51907722a432a430d55987367d909ba038316e
ttps://president.jp/articles/-/49687(PISAによる国際比較) 製鉄技術があったタタール人が大陸→半島→日本でタタラ場をつくった説
これは出雲かヤマトかどっち側でしょうね
人種的な区別じゃなくチーム?みたいなもんだと解釈してますが >>450
天照大神が岩戸に隠れたとき舞台に上がって裸で踊って見せた女神様だな
ニニギノミコトが「彼女は物おじしない性格」と太鼓判を押してるね 千家が忌部氏に無理やり記紀に入れたスサノオが朝鮮半島出身者だったなんてwww
大変だよな、出雲大社もww
素戔嗚は徐福と同じく二度、日本に渡ってきている
朝鮮半島にも徐福伝説があるが、あくまで中継地としての伝承に過ぎない
風向きによっては立ち寄るくらいの事はするだろw >>454
神=火水ってこと。
陽と陰=気と身=霊と物質ってこと。
神話ってのはそういう話。 なにが言いたいかというと、半島からの侵略で日本が成り立っているということ。それを
日本書紀などで綺麗事にした。認識を客観的にもてということ。 >>455
魏書に書かれちゃったからね、ウズメさんは
トヨがウズメだよ。
故郷の宇佐から来た名前。
彼女が椿大社で暗殺されたから猿田彦の奥さんにされた
遺体は仮埋葬された後奈良に送られ、埋葬されたと大神神社に伝わってる
そこからは三角縁神獣鏡が出てなくて、特徴的な鏡の出土になってたはずよ >>458
お可哀そうに。歴史的遺物からも考古学上からもそんな説は存在しないw
大陸から渡ってきた千家が朝鮮の神を奉じるわけが無いだろwww
たかが大陸の属国だぜ?論理的にあり得んわw >>454
鉄を作る場所をタタラバって言ってみたり
神武の嫁さんの姫さんの名前、タタライスズヒメ(タタラもイスズも製鉄用語)
という事なので、出雲じゃないですかね >>446
とすると地名の出雲は物質的反映を目指した象徴の地でしょうかね?
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに >>449
製鉄に必要な木がどんどん生えてくるから
出芽の国ってのが語源呂いう説がある
朝鮮半島と違ってはげ山にはならない地域
ちなみに、五十猛の系譜と関連のある紀伊山地から、木曽に山の管理の技術が移転されたと伝承がある
木曽は昔、木蘇と言って、ここも木がバンバン再生する場所だった >>463
八重垣とは出雲の重要な法律で、一夫多妻をしないなどの誓いが書かれている
素戔嗚が歌ったという事になっているが元々出雲が作った法律
そこでだ、朝鮮認定された素戔嗚だが、後からやってきたヒボコが八重垣の法律を守ることを拒否してる時点でもうスサノオは朝鮮半島の出ではないだろw >>437
素戔嗚は大陸系の氏族(元は縄文から大陸に渡来)で、ウガリッド神話のバアル神を信仰していた氏族が日本に渡来したということでしょうか?
バアルは雲に乗る者、という意味もあったようで >>465
法律の意味だったんですね
八重垣作る その八重垣を というのは法律をガンガン作りましょうという意味ですか?
そう考えると、天孫族というか高天原系の思想とはやはり一線を画すような >>466
徐福が記紀にかけるわけが無いので、忌部氏と話し合って決めた徐福の投影がスサノオです。
元々出雲にはスサノオを祀る神社はありませんでした。記紀が成立した8世紀以降ですよ。広まったのは。 そもそも、ジャポニカ米の起源とほぼ同時期の8,000年前から岡山で栽培の遺跡が発掘されて居る。
半島経由では無くて、沖縄ルートで行き来して、半島先端は穢れた植民地だった。
半島は、野蛮な物が蔓延る海以上き危険な場所。
>>1
自分の利権を守りたい保守が奉る本で
日本の乞食が奉(たてまつ)る古事記なんじゃね >>467
富士林雅樹著「出雲王国とヤマト政権」によると、この和歌は出雲族が作ったものであり、妻籠=婦女暴行を禁止する法律を制定し、これが出雲八重書きの中でも特に良い法律であると喜んだ歌であるということです。つまり一夫多婦を禁じた一夫一婦の掟だと。ただし有力豪族は他国と同盟を結ぶために一夫多婦は許されたそうです。
あと、昔の日本は母系社会。女性の長を刀自とか、トベとか言いました。
名草のトベもそういう意味です
そこに大陸系の男系集団がやってきたので色々大変だったようです >>468
とすると徐福のルーツに迫りたいですね
新始皇帝とも同族とも言われ、新始皇帝が即位した後に、徐福の地元の山東省?あたりに長期滞在して石碑も多数残したという事は、徐福と新始皇帝が道祖だった可能性もあるでしょうか?
新始皇帝はいわゆるアジア系では無かったという可能性もあるので、徐福自身もまた、そうだった可能性も >>471
なるほどです
そうするとトベを倒した神武天皇は大陸系との習合ということでしょうか?
母系の縄文文化をサッパリと脱ぎ捨てて、男系による社会統治の国造りに統一した暁に、歴史もそのように改めたのが日本書紀と古事記というような?
もともと万世一系というのは血の問題じゃないという話もありますよね、世界で一番古い日本語の原理を受け継いで、皇の精神を受け継ぐ人であれば、誰でも大和の民でありスメラミコトの資格があるんだ、というような >>472
徐福は徐市ともいって山東省あたりの人だったという事ですね。
徐福時代の日本の墳墓の被葬者はそっち方面を向いて埋められているそうです。
彼らは石の笛、トウケンを持ち込んだようですね。
秦に滅ぼされるまでは斉という国だったかと。
産業としては製鉄、織物なので、平坦な土地が無く、稲作には向いてなかったようです。
現在では徐福時代よりうんと遡って水稲遺跡が出ていますから昔言われてた徐福時代=水稲説は既に無くなっています >>162
出雲の記録は豊富なのに、邪馬台国の記録がスルーってのが不自然だよね
何らかの言及有って良さそうなんだが・・・というか、アマテラスが卑弥呼なのかな >>2
てにをはがなってないから多分そうなんだろう 八色の姓(やくさのかばね)は、天武天皇が684年(天武13)に新たに制定した「真人(まひと)、朝臣(あそみ・あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)」の八つの姓の制度のこと。
この一番位の高い真人について、始皇帝も真人と呼ばれていたそうですよね
さらに、大和はヤマトで八真人(ヤマト)の人々という語源になるとも >>473
神武朝は、先にも述べました通りスサノオの系統と、出雲の分家の婚姻関係による一族です。
故に、記紀でも重要視されるわけです。
同じく腹違いの親戚の物部氏は、出雲の分家、宗像氏からお嫁さんを貰ったので、物部氏にも実際には出雲の血が入っています。
第六代オミツヌの子供が分家して、宗像家になったそうです。アタカタスが、宗像家の大神になっています。
昔は女系も男系もなく、血が濃ければ権威になったのです。
男子男系は明治時代に重要視されるようになった価値観ですよ 出雲神族と出雲臣の混同。在る在るですね。
実は、向家が、千家が出雲臣を名乗ることをうっかり許してしまったのだそうです
そしたら千家は勝手に向家の人間を家系図に入れ込んで背乗りを始めたから混同されるのは仕方がないことだと言えます 素戔嗚が朝鮮人ではない事のひとつに、青銅器があります
青銅器の合金の技術は当時は日本にはなく、逆に、朝鮮半島はうんと早かったのです。
銅は日本の出雲でも産出しました。現在でも遺構が残っています。
ごまかしがきかないのは錫と、鉛。錫は大陸からしか入手できず、鉛は朝鮮半島産だったので簡単に誤魔化せません。
朝鮮半島に類似した鉛は対馬からしか産出できないほど、組成に特徴があります。
国産の青銅は、徐福時代で、明らかに朝鮮半島とは違った時期に日本に伝播しています。
吉野ヶ里遺跡からは輸入した錫のインゴットが出土しています >>479
としますと、スメラミコトのスメラは、素戔嗚のルーツがシュメールが語源であればしっくりきますがどうなのでしょうか?
男子男系はかなり最近だったんですね
そういえば継体天皇は息長氏の血から来ているんでしたっけ?
息長氏とはどういう氏族なんでしょうね >>481
百済系とか新羅系とか言われるのは、天皇の血筋ではなくて帰化人の役人同士のイザコザでそういう風に分類されているだけです
仮に嫁さんを朝鮮や大陸の帰化人にもらったら朝鮮系のお宅って言われるかというとそうじゃないですよね。 >>475
豊後・肥前の土蜘蛛と共に神功皇后に征伐されて歴史から葬られたらしい
九州の女性酋長
五馬媛(五馬・豊後国風土記)
八十女(杵島・肥前国風土記)
宇津羅姫
八女津姫(福岡県・景行紀)
田油津媛(山門郡・神功紀 ←卑弥呼の100年後の女王
比佐津媛(日田郡・豊後国風土記)
大山田女
狭山田女
海松橿媛(松浦・肥前国風土記)
速来津姫(大分県・景行紀)
浮穴沫媛(彼杵・肥前国風土記)
諸縣君の泉媛(宮崎県・景行紀)
神夏磯媛(田川市 山口県・景行紀)
宇奈岐日女
與止日女(佐賀県)
阿蘇都媛(阿蘇・景行紀) 出雲も天照の子孫だったよね?
神武の血筋とは違うけど 【古代】古墳時代の出雲人は縄文人寄り
DNA解析で判明 弥生人との混血 進んでいない可能性
◆弥生人との混血 進んでいない可能性◆
古墳時代の出雲人は、同時代に関東で見つかった人骨や現代の日本人よりも、縄文人に近い遺伝子を持っている――。出雲市で発見された古代人骨のDNA解析から分かった。古代出雲では、大陸から来た弥生人との混血が進んでいない可能性がある。
出雲市の出雲弥生の森博物館で昨年12月、同市の猪目洞窟遺跡で1948年に発見された古墳時代(3〜7世紀)のものとみられる人骨のDNA解析結果の報告会があった。
調査したのは遺伝子研究の専門家である国立科学博物館人類研究部(茨城県つくば市)の神沢秀明研究員。神沢研究員によると、猪目洞窟遺跡から出た人骨7体の歯や側頭骨から骨粉を採取し、石灰やたんぱく質を溶かすなどしてDNAを抽出した。
そのうち6体から、母系統から受け継がれるミトコンドリア内のDNA情報を解析。6体のうち3体が日本列島に元々住む縄文系、3体が大陸から渡ってきた渡来系だと判明したという。
さらに6体のうち残存状態が良かった縄文系と渡来系の各1体について、父母両系統からの情報を受け継ぐ、細胞核内のDNA情報を調べた。
朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/CMTW2001153300001.html 古代史ネタは好きだけど毎回長文コピペの糞の役にも立たないレスが多くてうんざり 349名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:26:35.85 ID:J2Yk4v8A0
>>338
古代史の最後のパズルは出雲朝廷の存在とその出自
出雲朝廷の存在がハッキリし、彼らが朝鮮人であることがわかるとすべてがつながる
もはや朝鮮半島にむかって毎日礼拝をしなければならないだけの事実がでてきたということだ
389名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:38:23.61 ID:7Q4r/hXI0
>>349
出雲の大名持神の祭祀はその開始にも
南海のセグロ海蛇という豊穣神待ちなんだけど、
それがどういうふうに朝鮮半島の勢力と絡んでるの?
いっしょに国を開発した大物主神も三輪山に祀られる
蛇神で金印の蜷局を巻いた鈕だしね
408名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:43:56.58 ID:c/CUrXOr0
>>389
朝鮮半島はまるで関係がないね
セグロ海蛇は、出雲人が神迎えの出雲大社の神在祭、別名御忌祭の神事の主役
南太平洋、南シナ海、琉球列島などに棲息する海ヘビで朝鮮半島になんていない
769名無しさん@1周年2019/08/30(金) 18:46:23.91ID:bFBO74PF0
>>612
日本の神道祭祀関係でいうと
古代から宮殿内には半島蕃族の好物の肉類は
持ち込み禁止
御贄については縄文人や弥生倭人の時代そのままに
魚介、稲、縄文雑穀、日本酒だけで、 比較的半島から
近隣距離の出雲を例にとると、日御崎の海人が捕る
アワビや盾縫の紫菜という海藻が特別な名産品として
宮中では有難られた
そのケルプは大型の海藻だが 出雲神道の祭祀で重要なのは
背黒海蛇 と 海藻
海藻を盛って出雲神に献上する ざっくり纏めると...
縄文時代に大陸に渡った人たちが、西暦200年までに日本に里帰りして、色々あって日本国として再始動した象徴が記紀神話でしょうか?
大陸に渡った人たちは、ウバイド、シュメール、ヒッタイト、殷、商などの大陸の文明とも溶けあっており、彼らを繋ぐものなマニ教であったと?
マニ教のマニは神道の太占(布斗麻爾)のマニであり、縄文から伝わる日本語の原理をもとにした教義であり、キリスト教ではマナ、仏教では摩尼として伝わったと
そのマニ教は日本語の原理であるため、最終的に日本に里帰りして大陸と袂をわけた歴史的段階で、マニ教は目的達成したので消えたと
良い線いっていますか? >>1
朝鮮半島の南端部まで活動圏していた縄文人は南端部に
しか行ってません
縄文遺物は僅かに南端部でしか出ない
丸木舟が出ない
木だから腐りやすい
だが1000艘行ってれば日本のように数艘から10艘は残ってるはず
出土するが出ない
つまり縄文人は朝鮮半島を回避するようにほとんど行っていないということ
黒曜石も出ないし海産物も日本列島とくらべて豊かではない
土地としてあまり魅力がなかったから
だからスサノオのような全身毛だらけの縄文人が朝鮮半島に寄ったが
こんな土地嫌だと言って出雲に帰ったという神話が残った 事実は慶尚南道の南半分、 全羅南道あたりは倭人地域
慶尚北道あたりも一部のみ倭人進出あり
全羅南道は任那、慶尚南道は金海伽耶(金官加羅)
といった時代によっては自由な入植者で飽き足らずか
現地の半島原民に依頼されてかはわからないが糸魚川
の翡翠を最頂点にする階層社会がある縄文系倭人支配層
のいる国であった
この地を防衛するために倭国は再三出兵し更には弱い
百済の保護者のような振る舞いをするように巻き込
まれた
西日本新聞はにはこうした歴史を振って湧いたかの
ように書くな
元々考古学の重鎮の井上氏が南端を倭国として地図
化していたが知らないはずはなかろうしこの20年間
では韓国の自治体も倭系遺物として紹介している 【日本人の歴史】
・3万年くらい前から日本列島へのスンダランド等からの複数ルートの流入で
Y染色体D1a2系、 D1b系の日本固有種の原日本人が発生
・6000年程前縄文海進の頃に半島南端部に移住する原日本人が少数発生
縄文土器が複数出土
・3千年ほど前から大陸に特徴的な桃源郷思想や扶桑国志向の影響もあり多数の長江系稲作文明の
担い手であるY染色体O1bの弥生人とそれと若干混成された黄河系のY染色体O2が日本列島に入りY染色体D1bの
原日本人とである縄文人と混血し倭人が発生
朝鮮半島は丸木舟の出土がなく日本列島に顕著な海洋民族は南端部以外にはいなかったと考えられている
・14世紀頃から北海道で原日本人である縄文系と倭人とバイカル湖アムール川系の一部が混ざって
アイヌが発生
その時代までには列島内で原日本人の血を引く縄文人や倭人とアイヌや琉球や熊襲や隼人など海洋系稲作民族
としての日本民族の原型が倭人として完成
【韓国人の歴史】
1万年程前まで人が住んでいたが以後ほぼ無人になったが
大陸用北部の扶余系が次第に朝鮮半島全体に広がる
以後北方ツングース系のエベンキのY染色体C2が流入
黄河からY染色体O2が流入
長江からY染色体O1bも流入したが水稲に適した地域がなく日本列島へ移動
よって北方ツングース系のエベンキと扶余系とそれを支配したモンゴル人の混血が韓国人になる
⁂6000年程前から南端部の洛東江下流域や半世紀前の歴史学者などが多島海と呼んだ
一部の釜山沖の島に原日本人である縄文人や弥生倭人が渡海し入植する(釜山周辺で縄文土器や弥生土器が出土)
この集団が伽耶地域の中心勢力の一部をなすが白村江戦までにはに日本に帰還 これって何千年もの時間差を想像できないやつが
騒いでるだけだよね >>483
昔日本で大注目された記紀シュメール論ですよね。
禁書の「復元された古事記」のあと、ブームになり
昭和の終わりには吉田大洋さんが、謎の出雲帝国でその持論を展開してて面白い書籍になっていましたね。
その際に初めて先代の向家の当主が書籍に登場しています。
息長氏は、神功皇后の実家で、ヒボコの遠い子孫です。
九州系の月の女神を奉じる一族で宇佐族とも血縁だったと思われます。
継体天皇は、神功皇后の後の平群王朝(武内宿祢系の子孫)が評判が悪くて倭国が乱れ、困った豪族たちが血筋の濃さを遡って本家の石河氏の分家、北陸蘇我家に大王やってくださいとお願いしに行ったことで天皇の仕事を引き受けました。
しかし、大乱が収まるまで13年も大和入りできなかったはずです。
その際の説得にあたったのが、前々政権の物部氏。物部氏の名前が記紀に出ているはずですよ。
北陸蘇我家は当時の刀自が女性だったので、婿養子に出雲の向家から養子が入っていました。
日本の皇族は出雲にさかのぼると申しましたのはこれによるものです。
しかし大王就任の際に、平群王朝の奥さんを貰わねばならず、後に深刻な問題を引き起こしました。
歴史上、出雲の王族が表に出てきたのは ナムジが剣の切っ先の上に座ったタケミカヅチを見て
こいつやべえって思ったんだよな 780名無しさん@1周年2019/08/30(金) 16:50:41.25 ID:5oOXWqgk0
>>1
ケルプハイウェイを通って丸木舟で縄文人がオレゴン付近まで行ってた話か?
東北に似た有舌先頭器は何年も前に照合されてたはずだが
929名無しさん@1周年2019/08/30(金) 17:00:30.35ID:0V+sFL3x0
縄文人が海藻つたってアメリカにきたとか前から言われてたよね
270名無しさん@1周年2019/08/30(金) 17:58:29.08ID:PzhspnQS0
>>1
〜地球創世記 ミステリアス・アメリカ〜 生物大絶滅と縄文人の謎
https://www.bs-tbs.co.jp/mysterious-america/
解明
フォートロック洞窟からは世界最古とされる1万年以上前のサンダルが出土している。樹皮を編んでつくられたこのサンダルは、日本のわらじと酷似している。
オレゴン大学に保存されている数々の出土品。その中には日本の縄文時代の遺跡から出土している遺物とほとんど同じ形状のものがあった。これらは縄文人が持ち込んだものだ、という説を唱える教授に出会った。一体どうやってアメリカに渡ったのだろうか?
本州〜北海道〜ロシア〜アラスカ〜オレゴン、と海岸沿いの海を渡ってきた、というのが教授の説。縄文人は丸木舟を作るなど海洋技術が盛んだったこともこの説を裏付けている。
オレゴンの海岸沿いには海藻類の生い茂る遠浅がどこまでも広がっていた。海を旅する人たちの貴重な栄養源になりそうだ。これなら海を渡って日本からアメリカへ、というのも不可能ではないかもしれない。でも、危険を冒してまでそんなことをするだろうか?
縄文時代は安定した平和な時代だった。その一方で、人類には「挑戦する遺伝子」が備わっている。定住せず、新世界に飛び出していった縄文人もきっといたことだろう。
https://tv.yahoo.co.jp/program/62103886/ 何千年かけて変化した物事をある日突然変化したって設定にするから
わけわからんくなる 雲が出ると天照の威光が霞んじゃうからね
出雲大社は大国主命の怨念を幽閉する施設 >>494
女系が認められたら本当に朝鮮人が天皇陛下と強弁できることになってしまいますからね。w
背乗り文化の国の特徴が、夫婦別姓
あれは本当に恐ろしいことだと思いますね。あんなものを日本に導入したら後々どのような事になるか。
家同士の抗争が子供の苗字を決める事にまで関係してくるのです。
男尊女卑の国でなければ何の統制もできなくなりますよね ナムジがタケミカヅチに出雲を譲る条件として
デカイ社を建ててくれって言ったら
タケミカヅチは矢鱈階段の長い超高層神社建てた
伝説だとおもったら、出雲大社の発掘したら
ホントに巨大な柱跡が出たんで
もしかしてマジ?ってなったんだよな >>498
知識量がすごいですね
神功皇后とは象徴であって実在ではなく、その実態は宇佐の系列の卑弥呼である、という話もありますが、どう思われますか? 現代の関係分野の発展によって文献史学の専門書に大己貴命を祖神と
する龍蛇神を奉ずる海人族と記される出雲氏(いずもうじ、姓は臣)であるが、
国譲りに応じた大国主神を祀るため、
天日隅宮(あめのひすみのみや=出雲大社)の祭祀を担った天之菩卑能命(あめのほひのみこと)を始祖、
その子神・建比良鳥命(たけひらとりのみこと)を第2代とする。
初めて出雲国造に任じられたのは『先代旧事本紀』(国造本紀)によれば第12代宇賀都久怒からであるが、
千家家の伝承をまとめた『出雲国造伝統略』によれば第17代出雲宮向からであるという。
後裔に土師氏が出ており、
武蔵国造、阿波国造、伊甚国造、新治国造、上海上国造、下海上国造、千葉国造、山氏と同族
意宇郡司職を支族に譲った後の出雲氏本家は、意宇郡から出雲郡杵築郷(現在の出雲大社周辺)に拠点を移し、
国造本拠に鎮座した元々の国造奉斎社である意宇の熊野大社と併せて行っていた出雲大社における祭祀に専念
するようになったと考えられている。
その後、現在に至るまで、出雲大社の祭祀長を示す称号として出雲氏の子孫が出雲国造を世襲している。
また、国造の代替わりの儀式である「火継式」に際しては、熊野大社と神魂神社にて儀式が行われ、現在でも
熊野大社との関係を維持している。 >>490
母方がヒボコの血を引いていたというだけで朝鮮人認定www
気持ち悪すぎる
君が代の歌は、三冠征伐の安曇氏を顕彰する為に作られた文書の一部。
これが波が当たる岩が無くなるまで後世に伝えよとした。
君が代大嫌いな朝鮮人が、稚拙な朝鮮人認定をするのを見ると薄笑いが浮かんできますww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています