【社会】 「遠山の金さん」と「鬼平」は同じ屋敷の住人 江戸町奉行所と屋敷跡を訪ねる [朝一から閉店までφ★]
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歴史 雑学2021/9/20 18:00
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時代劇で出てくる「お白洲」をはじめとする奉行所。江戸では警察・裁判を担当する「町奉行所」が南北に設置されていました。南北といっても双方の奉行所はそれほど離れておらず、山手線で1駅分の距離しかない上、どちらも駅前にあります。かつての町奉行所跡と、ある町奉行の屋敷跡を訪ねてきました。
江戸の町奉行は徳川幕府において、寺や神社を管轄する寺社奉行、財政を担当する勘定奉行と並び「三奉行」と呼ばれました。南北1名ずつ、計2名が旗本から選ばれて任命されましたが、時代によって増減されたこともあったようです。時代劇では死罪や遠島(島流し)を「お白洲」で申しつける場面が描かれますが、実際は町奉行の裁量で言い渡せるのは中程度の所払いまでで、死罪や遠島に関しては上役である老中、最終的には将軍の決裁が必要でした。
時代劇によっては南北の奉行所がライバル関係にあり、奉行や所属する与力が張り合う……などという描かれ方をしていますが、実際は「月番」という制度で交代しながら、江戸の町全体を管轄していました。同様に、大阪にも東西に大坂町奉行所があり、月番制で町の治安を守っています。
1604年、町奉行所は南北2つに分かれ、月番制が始まりました。奉行所はたびたび移転しており、現在「北町奉行所跡」「南町奉行所跡」とされている場所は、幕末の頃に存在した場所となっています。両奉行所跡は、1918年4月に東京市(当時)の旧跡に指定されました。
北町奉行所跡は現在の東京駅日本橋口周辺。奉行所跡を示す碑は東京駅再開発にともない、正確な奉行所跡から離れたグラントウキョウノースタワー前に移設されています。
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南町奉行所は当初、江戸城の常盤橋御門内に設置されていました。常盤橋御門跡は枡形の石垣が一部残され、公園になっており、2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一の銅像があります。これは常盤橋御門の石垣を転用して明治時代に架設された石橋、常磐橋(石橋なので「盤」ではなく「磐」の字をあてたとされる)が関東大震災で損傷した際、私財を投じて修復に尽力したことから、ゆかりの場所として作られたものです。
===== 後略 =====
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※記事内容は公開時点の情報です。後に変更になる場合があります 杉さまといえば、スゲーおかしなキャラの時代劇があったなと思い出した。
ググったら
>「えへぇ、えへぇ、えぇへへへぇぇ・・・・」とニタニタ笑いながら剣を振るう
www
萬田久子に寄り添ってもえへぇ、えへぇとニタニタww
あの役、よく承けたなw >>535
そういやそんなのあったな
結構好きだったけど 辻堂魁原作の「そろばん侍 風の市兵衛」は向井理でドラマ化。悪くはないが、小説の描写の方が圧倒的にいい。
葉室麟「螢草 菜々の剣」もかな。 葉室麟の「螢草」はコミカルにしようという努力がすべりまくってたのがな…… ずいぶん古いドラマでたぶん記憶している人はいないかも。
千葉周作をモデルにした「千葉周作 剣道まっしぐら」という青春時代劇があった。
北辰一刀流にないはずの「一本足剣法」がキメ技w 王さんの絶頂期だったからなw
千葉周作は実在したのにやりたい放題だと思ったわw >>1
「知ってるか?枝野とスガって住んでるところ同じなんだぜwww」
「お、おう。(そら議員宿舎だしな) >>541
斎藤一は牙突なんて使ってないし、
対空用の牙突の三式なんてあるわけないし、
あと王立国教騎士団もない >>533
大岡忠相が2000石くらいの旗本から町奉行を経て1万石の大名まで出世したから憬れたくもなる。 大岡忠相は、大名格の寺社奉行に抜擢されたはいいが、
旗本格のままだったんで、江戸城に詰所がないまま数年間放置された。
ようやく気づいた吉宗により寺社奉行専用詰所が設置されたが、正式に大名になったのは12年後
上様もいい加減 この前再放送見てたら杉様の金さんと恋仲になったはずの朝丘雪路もお白洲で遠山が墨見せるまで金さんと気付かなかった >>460
上の写真左端の真ん中辺に人影が写っとるな >>539
まぁ、プロットや表現力の素晴らしい小説のドラマ化で原作を凌ぐのは無いね。
フォレットのThe Pillars of the Earthだって、原作読んだ後のドラマは...だし。 >>460の1枚目は小塚っ原か?
うしろの橋は千住大橋? >>543
子連れ狼は完全なフィクションだが、水鴎流は実在し、居合抜きだと知り愕然とした。
波切の太刀も斬馬刀も脚色だからなw
居合は抜いた後は弱いんだよなw 樋口一葉の両親は山梨群から駆け落ちで江戸に出て来て、苦節10年 お金をためて同心株を買い南町奉行所の同心になった
だが、すぐに明治維新で奉行所の仕事が警視庁に
そのまま一葉の父は警視庁に勤めている
だから樋口一葉の子供の頃は警視庁の官舎
武士になるために大金を積んだわけだが、仕事としては同じかもしれないけど、明治維新で単なる警察官w 西郷輝彦とあおい輝彦が似ていたんで、思い出の時代劇やドラマでよく間違う。 江戸所払いって、どこ行くの?って思ってたら北関東でヒャッハー
してたって・・・
大名さえ追い出すくらいのDQNぷりなのが凄いな。
渡世人モノの時代劇は大体、そういう話なんだよな? >>448
桟敷で食べてるのは浮世絵にもあるが、
店内でイスと机で食べるのが創作。
イスと机は西部劇参考にしたと、東映の
スタッフ著作本に書いてある。
京都・今宮神社の門前のあぶりもち。
店頭の桟敷と奥は座敷という江戸時代使用
ガラスは見て見ぬふり。 >>491
銭形平次「・・・・・」
当初は武家屋敷に八と一緒に二人で捕り物に
行ってた平次だが、後期は上司として同心が
出るようになってた。 >>556
新宿でも今の群馬みたいな田舎だったらしいからな >>503
EDの薄墨で描いた絵がなんか好きだったなぁ
西郷輝彦の歌も覚えてる >>562
新宿は四谷大木戸の外側だから、所謂江戸ではなく田舎の扱い。 >>551
確か鎌倉事件の下手人とされた間宮一(18歳)の首だと記憶している >>533
目付にならないと町奉行にはなれないよ。
後になった人は3人くらいいたけど、長谷川平蔵の時代では無理。 >>556 くんの話題だけど、追放刑ってのは
とりあえず所轄からいなくなればOKってそういうものだから
初手から根無し草のデラシネである無宿渡世人には
どれだけのサンクションがあったかわからない。
で、北関東に逃げたのは、あれなんだよね
うろ覚えだけど追放刑って軽重あるけど
江戸で宣告されたなら天領とか街道もだめなんだよねえ。
となると旗本領とか相給地とか支配(=司法管轄権)の入り組んだ
混沌の地こそがそういうパージされた無宿の約束の地になるわけだよ。
江戸幕府は政策的に江戸近圏は大名を置かず小邦分立させたわけでね
例えば北関東とかね、そういうところになるわけだね。
まあこのスレで前にも書いたけどそういう事情があるわけで
アウトローが跋扈するようになると下に政策あれば上に対策あり、じゃないけど
そういうヤカラを追捕する管轄権不問の関東取締出役がのちに創設されるわけだがw >>26
江戸末期まで上方が生産の中心
江戸時代通じ酒なんかは船で関東に運ばれてきた >>569
生産じゃなくて流通の中心だな
上方で実際に作ってたものなんて小数
なんで流通の中心だったかというと江戸の徳川様の政策のおかげ でも、付け届けや「旦那、よしなに」の袖の下で潤っていたからな。
警視庁になり、システムが代わりそういう実入りはなくなったかもな。 実入りはよかったが武家社会では 不浄役人 と差別されて、奉行所ナンバー2の与力ですら
江戸城への登城も許されなかった そういう株しか売られないだろよw
御家株まで。
旗本は無理だぜ。 同人は着流し姿が粋だと言われてたが、単に袴を身に着けるのが許されてなかっただけだしな 時代劇のよくある間違い
・江戸の町々には木戸があって夜には閉める
・岡っ引きが非常時に拭く呼び子笛は中に玉が入ってて「ピリピリピリ」と響く(現代のお巡りさんのと同じ響き)
時代劇だと座頭が拭くのと同じタイプで「ピーーー」という響き(これだと座頭の笛と間違えやすいので使用されなかった)
・御用提灯は時代劇だと見栄えよくするため正面に「御用」の文字があるけど、実際のは横にある
前にあるとその分暗くなってしまうから
・自身番は柱に鉄輪が打ち付けてあって、容疑者を縛った捕縄の端を結わえつけて取り調べを行った
など
杉良太郎主演「新五捕物帖」の1回の放送分だけ、その辺が正確に描かれてた ここの人たち詳しそうだからちょっと聞きたいんだけど、町火消と臥煙が火事そっちのけで大喧嘩したのいつ頃だったっけ?
なんかで読んだ記憶があるんだけど思い出せないんだ 七人の侍って、戦国より、江戸時代の北関東舞台の方が
リアルでは? 北関東の治安が悪かったのは確かだが、さすがに野武士はないだろう
関東取締出役設置(1805年)後、治安はよくなったようだが、かなり横柄で弊害もあった
八州廻り桑山十兵衛?捕物控ぶらり旅(北大路欣也)
あばれ八州御用旅(西郷輝彦) 近年鬼平の子孫が断絶して、福岡で鬼平の十手が売られたと言われてるけど、本当なら今は何処にあるんだ? 坂岡真の「鬼役」や門田泰明の「浮世絵宗次日月抄」などの時代劇が見たい。 >>581
八州廻りって身分的には幕臣だけど足軽身分だしね。
しかも御家人から任命されたわけじゃなく
天領の役所に勤める手代などの使用人から任命されたし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています