【京都新聞】中宮定子が暮らした登華殿、光源氏が朧月夜と出会う弘徽殿 枕草子や源氏物語の舞台跡発見 [みの★]
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平安文学を代表する「源氏物語」「枕草子」の舞台になった内裏の後宮建物跡が、京都市埋蔵文化財研究所が上京区で行った発掘調査で見つかっていたことが8日、京都新聞社の取材で分かった。建物跡や溝跡は中宮らが暮らした登華殿(とうかでん)と弘徽殿(こきでん)に関わるとみられ、平安時代の内裏殿舎遺構が見つかるのは初めて。
登華殿は平安中期、一条天皇の中宮定子が暮らした。関白の父・藤原道隆らとの語らいが、枕草子にはつづられている。また、弘徽殿は源氏物語において光源氏が朧月夜に出会う場になっている。両殿とも内裏北西部にあった。
…続きはソースで。
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/672462
2021年11月8日 17時00分 >>150
その時その時の人生観だぜ
今なんかも狂ってるだろ?
上から下まで 歴史に書かれる「人物評」って鵜呑みに出来ない
書いた人のバイアスがかなりかかってる事が多いからな
花山天皇は愚かな女狂いみたいに言われるけどその政治が大貴族の抑制と朝廷の統制の強化と言う意欲的な物だったからな
兼家達にとってはものすごく邪魔だった
だから「女狂いのバカ」として追い落とされた形だともいえる
歴史は出来るだけ冷静に見る必要がある >>157
花山法皇射撃事件は伊周・隆家の失態で道長が嵌めたわけじゃないぞ
法皇に危害加えても無罪放免なら一条天皇射殺しても無罪放免になるぞ >>159
花山天皇は17歳で即位して19歳で退位したから特質すべき政治政策はない
不運だったのは即位した時にすでに外祖父の惟尹が死去しており後ろ盾がなかったこと
花山天皇が即位したとき惟尹の弟兼家の外孫・懐仁親王(一条天皇)が立太子
すでに60近かった兼家は生きてるうちに何が何でも孫を即位させねばと
次男の道兼を花山天皇の側近に送り込み言葉巧みに出家に追い込んだ >>160
ならただの自爆か
道長にとって自分の家族が権威独占出来たのでラッキー どっちなんだろね
道長は超ラッキーだったのか
実は裏で工作しまくって権力を勝ち取ったのか >>119
妃殿下が平民産まれであるか
公家産まれであるかで差が大きい
平民妃にも平安時代と同じ様にghqの様な金政治勢力がいるのにあの体たらく
そのうち中国の王朝ルート辿ると思われる
楊貴妃の様な平民に入り込まれた王朝の末路は中国の歴史を調べれば想像がつく
安禄山をイラン人から中国人韓国人に置き換えればわかりやすい
>>155
平家物語よりもアニメドラマ化するべきなのに誰も良さに気づかないのが残念
百合百合なのに >>164
後漢末期霊帝の何皇后は兄貴の何進が肉屋だよw >>68
1000年前と現代の文化を同列に語ってはいけない
未来人にすれば現代日本文化も変態野蛮の極みかも >>163
道長は超ラッキーだな
勿論、栄華の維持には本人の努力才覚もあっただろうけど
ただし、摂関家の栄華は結局ラッキーに恵まれなかった息子の代に終わる ぶっちゃげ道長はノーチャンスだったからな
道隆は既に地位を確保して定子は一条天皇の寵愛厚い立場で、息子の伊周も順調に出世してると
そしてその下にはもう一人の兄の道兼もいる
道長なんて普通に考えたらまぁターンは来ない
これがあっという間にライバルの急死や敵失で別に何にもしてないのに主役に躍り出てるからな
物凄い強運で笑う >>18
政敵の右大臣の娘で且つ兄貴(東宮)の女御になる予定の女だったから、右大臣の一派に恥をかかせるつもりで寝取った(もともと正式な妻にするつもりは無かった)
なら現代的価値でも理解できると思うが。 >>167
頼道だよねw
道長の後継で長期政権を握れたのに
娘たちが皇子を産んでくれなくて藤原家を衰退させちゃったアンラッキーな人 しかも摂関家の女性に皇子が誕生しない状態で仕方なく即位させたのが道長が虐めに虐め倒した三条天皇の皇女の子の後三条天皇だからなw
この後三条天皇の政策で摂関家は一気に弱体化するという
因果応報とはこの事かと思ってしまうな
歴史は面白い どうでもいいけど、眞子さんの件で税金どうたらいうなら
この辺の不動産とかは全部皇室にお返しすんだろうな
皇居はじめ、いろいろの古物だの
資産を盗っといて税金で食わせてるもないもんだからな 後三条天皇以降は皇室が摂関家を叩き潰して権力を急回復させて白河天皇以降の院政の時代になる
しかしその院政の結果、今度は皇室が分裂して武家に隙を突かれて武士の時代になるという
武士の時代の到来は摂関家と皇室の対立の延長線上にある
歴史はいろいろな要素が絡み合って出来事の原因がはるか大昔にあるから興味深いな >>176 道長の後、千年経っても名家としての声望を失ってないぞ。
藤原氏の後に政治の実権を握った平氏、源氏、北条氏、足利氏、織田氏、豊臣氏の後裔に、旧摂家に匹敵する権威が、近現代史にあったかね? しかし宮殿跡も長い間経つと場所さえも不明になるんだな
清少納言や定子や藤原氏の運命を見ても諸行無常を感じる 道長も晩年は病気がちで娘たちにも先立たれるなど不幸が続いたみたいだね
小一条院の妃になった娘の寛子は、夫を奪われた延子とその父顕光の怨霊に呪われたと言われている
寛子が亡くなった時、顕光父娘(すでに死亡)の喜ぶ声がしたとか >>180
当時は公衆衛生も医療も未熟だから、上流貴族たちでもバタバタ亡くなってたし
有力者の妻の立場をめぐる争いはいつものことだよ 顕光は凄いよな
あらゆる立場を超えてみんなにアホだアホだと書かれまくってるからなw
こんだけアホ認定が色んな人からされる人も凄いな
みんな日記書くからフルボッコにされてて笑う >>183
徒歩で?
上流なら馬や輿、牛車、人力車が使えるだろうけど 病気治療は加持祈祷が主流だったからな
上流も風呂に入らないし臭い消しは香を焚いてしのぐ >>182
よせばいいのに道長関連の何かの儀式の進行役を買って出て
カンニングペーパー丸出しの上に間違えまくる有様で
志村のバカ殿様のコントみたいで面白いんだが
顕光と娘のその後が悲惨でちょっと心が痛むんだよな 紫式部は腐女子だった
物心ついた時からナマモノ小説を書いては一人で楽しんでいた
彰子のカテキョになっても活動は続けていた
ところで頭のいい彰子は課題として与えた漢籍を次々に読破してしまう
もう読ませる物がない
そんな時、机の引き出しに隠してあったナマモノ小説を
彰子に見つけられてしまう
「ねえねえ式部、これな〜に〜?」
「(やべえ身バレした)し、小説です・・」
「(パラパラ)わ〜これおもしろそ〜う、だれが書いたの〜?」
「(もはやこれまで)わ、私です・・」
「へ〜すご〜い、こんなのどこで書いてたの〜?」
「(そういやこないだ旅行で行ったな・・)い、石山寺で・・」
「彰子もっと読みたいな〜、続きないの〜?」
長年趣味で書き綴っていた小説だからストーリーはちぐはぐ
登場人物はイカレてるし文体もコロコロ変わる
それでも彰子に言われたからにはもう読ませるしかない
そこでヤバい部分はうまく誤魔化し、なんとか一つの物語にして彰子に読ませる式部
けれども40話も用意したのに、頭の良い彰子はあっという間に読破してしまった
「あ〜おもしろかった、続きないの〜ね〜ないの〜?」
雲隠れと洒落を言っても彰子には通用しない
こうなりゃ続きを書くしかない、というわけで
式部は薫という新たな登場人物をひねり出して
どうにかこうにか宇治十帖を完成させましたとさ 紫式部は どうして 花咲里にしなかったのか。
人の名前としては あんまり適切だとは思えない感じする 橋姫とは、その時代に すでに何かの物語が存在していて、それを紫式部が書き残しただけなのかも知れない。
橋姫とは、橋を渡って京都に侵入してくる不届者を討ち取る殺し屋かも 紫色の装束が許された式部職だから 紫式部なのかな? >>193 源氏物語の登場人物の紫上が由来じゃなかったか? >>22
ジョジョに出てきてた、イタリアで地下鉄が作れない理由そのまんまだなw 京都御所が昔の敷地面積からかなり縮小されてるんだなってところから知らなかった 御所から結構距離有るんだね
天皇は歩いて通ってたの? >>190
そのまますぎてツマンネーじゃんw
あんたセンス無いねえ 雅な公家文化しか誇れるものが無い時代、公家と僧以外住み辛い時代 定子は道隆の方だけど、道長の方の彰子はえらい長生きだよな。頼通・教通も長生きだし。 >>52
清の西太后だと1000年は時代が違うわ。
それ言うなら唐の楊貴妃か則天武后。 >>205
道隆の子孫の短命がね。
定子の後の御匣殿も出産で亡くなるし。
敦康親王も20歳で亡くなっている。 「平家物語」を先行配信で見てるけど平安末期の時代背景がわかって面白い。
京の街も何かあったらすぐに焼かれてたり。奈良の大仏も焼かれてた。
また、当時は僧兵とかも結構な軍隊だったとか。
TVアニメ「平家物語」PV
https://youtu.be/ZW40VnNrowY ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています