【社会】 私たちは命を食べている…岡山県の「700万頭の鼻ぐり塚」が静かに訴える肉牛の供養 [朝一から閉店までφ★]
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2022/01/27 11:00
私たちは命を食べている…岡山県の「700万頭の鼻ぐり塚」が静かに訴える肉牛の供養
牛たちの声なき声が聞こえてくる
PRESIDENT Online
鵜飼 秀徳
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
近年、フードロス問題への関心が国内外で高まっている。捨てられるものの中には、牛や豚、鶏などの動物の肉も含まれる。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さんは「日本には古くから家畜を供養する風習が数多く残っている。岡山県には、人間のために尽くす牛の恩に報いる目的で700万個以上の牛の鼻輪を積み上げた『鼻ぐり塚』がある。現地を訪れ塚の前に立つと、牛たちの声なき声が聞こえてくるようだった」という――。
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福田海の境内にある鼻ぐり塚 撮影=鵜飼秀徳
岡山になぜ? 牛が生きた証を残す遺品=鼻輪を無数に積み上げた塚
その高さは3、4メートルほどになるだろうか。
境内を歩いていくと、ひときわ大きな塚が見えてきた。てっぺんに五輪塔が立てられている。見れば「輪投げ」の輪のような物が無数に積み上げられてできている。
案内板には「鼻ぐり塚」とある。近くに、牛と豚のブロンズ像が祀られている。
「鼻ぐり」とは、家畜である牛の鼻輪のこと。家畜用の牛には肉用牛や乳牛がある。かつては田畑の労役などで飼育されていた。牛には、縄を結ぶために鼻に穴を穿(うが)たれ、鼻輪をはめられる。いずれ肉用牛は出荷され、食肉処理され、肉や皮となってわれわれの生活の糧となる。乳牛も、乳が出なくなった後は食用牛として利用される。唯一、その牛が生きた証を残す遺品。それが鼻輪なのだ。
わが国には、奇妙な弔い・供養の風習が数多く残っている。
ひとつのアイテムが供養の対象となり、連綿と集められ続けた結果、巨大な造形物となって人々を驚かせるケースもある。そこには、「弔わずにはいられない」理由が隠されているはずだ。珍奇な習俗はなぜ、どのように始まったのだろうか。
鼻輪の数は700万個以上、年間数万個のペースで積まれ続けている
オミクロン株が今ほど感染拡大していなかった昨年12月、のどかな田園地帯が広がる岡山市吉備津を訪れた。一帯には桃太郎の伝説のふるさと吉備津神社や吉備津彦神社、あるいは近くには教派神道のひとつ黒住教本部などの宗教施設が点在する。いわば、信仰に根ざした地域である。吉備津神社と吉備津彦神社を結ぶ街道沿いに、明治期に創設された福田海(ふくでんかい)と呼ばれる修験道系新宗教の本部がある。
福田海を開いた教祖・中山通幽は大正末期、人間のために尽くしてきた牛の大恩に報いる目的で鼻輪を集めて供養することを発願した。通幽は鼻ぐり塚だけではなく、「無縁の対象」を集めて供養する事業を、全国行脚しながら実施してきた人物で知られる。
鼻ぐり塚を発願する前の明治期には、京都・化野界隈に散在していた8000体もの石仏・石塔を集めて化野念仏寺に祀っている。現在、化野念仏寺の無縁地蔵群は、地域のシンボルにもなっており、いかにも京都・嵯峨野らしい景観をつくっている。8月のお盆の時期の夜には、石仏に蝋燭を灯して供養する千灯供養が有名で、大勢の観光客で賑わう。
冒頭で触れた福田海の鼻ぐり塚は横穴式円墳を利用して造形されている。墳丘上に、全国から集めた鼻輪を集積。石室内には、真鍮製の鼻輪を溶かしてつくった阿弥陀仏の名号を刻印した金属板を奉納して、動物の守り本尊である馬頭観音を祀って、供養塚とした。
かれこれ100年近くが経過しているが、現在でも年間数万個のペースで鼻輪が積まれ続けている。総量は700万個を超えるという。塚の前に立つと、牛たちの声なき声が聞こえてくるようである。
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鼻輪の集積が現代アートのようだ 撮影=鵜飼秀徳
青や赤や黄やピンク……、カラフルな鼻輪の集積が現代アートのような造形をつくりだしている。毎月第三日曜日には供養を実施し、春と秋には護摩をたいて大々的に畜魂祭を執り行っている。福田海では牛とともに豚も供養の対象にしている。
https://president.jp/articles/-/54094
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https://president.jp/articles/-/54094?page=2 そもそも何で動物は他の生命を食べないと行きていけないシステムなのか
考えたやつってとんでもないクソ野郎だろ 酪農家が金儲けのために作った免罪符みたいなもんだろ 何もかも命なんですよ
命を分解して自分の命にしているのが
生物の営み。
牛さんは人間に近い生物というだけの違い。 これを作るのに何匹のアリさんや他の小さな生き物が死んだんだろう 大阪人やけど犬のほうが精力つくで!
年に一回は仲間と食いに行くわ! ウルトラマンAの牛の超獣の話の舞台確かここだったよな これパクって鉄屑屋に持ってく奴が現れないのが大都会岡山。 人間も死ねば微細な香りを食べていくようになります
お仏壇で毎日香木やお線香を欠かさずにね 野菜も穀物も命じゃないの?
命じゃないものだったら何が食べれる?
それを踏まえて先ず実践してほしい。 >>6
生命の本質が物質交換だからな
全ての始まりは物質交換なんだよ 牛馬は食われるために
生きて殺される
不幸南無南無 >>25
シカやイノシシも食うために殺した事があるぜ
魚なんかは数えきれん程だ なまえはハナコです穏やかな性格でした。美味しく食べてね。 >>29
謝肉祭は断食前に騒げって祭りだから
家畜に感謝とかはしないぞ どうやって殺してどうやって解体するのか、それを知っておくことは重要だと思うけどな
トラウマになる人もいてるだろうけど、今の世の中は食べ物への有難みを感じてる人が少なく思うから
大食い番組とか無駄に食材を浪費するだけなのがどれだけ生物にとって失礼な事か理解して欲しいわ >>3
かに族並びに魚介類に対し
て深甚感謝の念とそのみ霊
の冥福を祈り併せて幾久しく
愈愈其の同族の発展増殖を祈
念するものである
だそうだ まあ生命を食っている感覚は大切だわな
それを引け目にとることもないし 感情をなぶることも必要ないが やっぱり何かの死の上に生命が成り立っている 感謝とか上から目線すぎて吐き気がするわ
何も考えずに食え 犬猫はかわいい牛鳥豚で腹いっぱい
人間の勝手な考え 中国でも北京五輪開催の為に犬700万匹が殺された模様 四つというだけで特別扱いしてもらえると思ったら大間違いやぞ そのわりにはヤレ外食だと言って食品廃棄に貢献してるくせに 外食産業を増やしてんのは誰
昔みたいに「もう売り切れです」って店だけ活かしとけ 私「カツ丼ね」
店主「すいませんもう売り切れなんです」
私「じゃあ親子丼で」
店主「はいすいません」
こういう昔ながらの店だけ残しとけば食品廃棄が減るんだよ あ ほ で しょ
別にこうやって食べ物としてだけじゃなくて
人間(あるいは他の生き物も)生きてるだけで
いろんな生命を殺している
例えばちょっと外歩いただけでも
気づいてないだけで絶対何匹か虫を踏み潰してるから
生きること=他の生命を殺すこと
と言っても過言ではない
そんなこといちいち気にするなら
まずお前が死ね まあ人間だって熊やサメに食われたりするんだから別に良くね? >>24
段ボールや下水油、プラスチック米も食べるから無駄がないな >>15
んだ
吉備津彦神社訪れた時についでに寄ったが普通の寺の一角にあるのなぁ >>6
みんなが葉緑体持ってたら地球が酸素だらけになって今度は二酸化炭素がたらなくなる >>35
野性動物なら何度もやったよ
かなり危険&重労働なのでお勧めはしない 動物からしたら感謝しなくていいから殺さないでくれって言いたいだろうな。
だが野に放しても99%は病気になったり他の動物に食われるだけだ。
それに元より、動物の肉が目当てで人間が動物達を産まれさせたのだ。
自然下では生まれ育つはずが無かった不自然な個体が家畜なのだ。
せめてもの情けは怪我病気無く成長させ、苦しみ無く殺す事だろう。 >>50
生物の定義に当てはまらないからな
ただし、その定義が古いものだからウイルスを生物と見るかどうかは意見が別れるところだね >>56
私「この煮込み雑炊を」
店主「すいません、それ来月からなんですよ」
私「じゃあ、煮込み雑煮を」
店主「それも来月からなんですよ」
私「食らえ、アームロック」 その昔は車を引いたり田んぼを耕したり荷物を運んだりしてたのにな
牛って焼肉やすき焼きか牛丼くらいでしか食べんな 当たり前の事に感謝を求める厚かましさ
たかが牛飼いごときが図々しいなって
思っちゃう俺は少し性格が悪いかもしれない かわいそうだよ
怖がって悲鳴をあげて苦しんで死ぬのに感謝だなんてできないよ
ヴィーガンでも同じ食感や味が食べられるんだよ >>68
そうやって発生したのが酸素を消費して成長する生物だろ 一神教みたいに命の区別つけろよ。
何でもかんでもひとくくりにすんな、 牛や豚はもう異変を感じるくらいの知能があるらしいな。
必死に逃げようとする。
でも逃げられた牛豚なんてゼロレベルだな なんJ【悲 報】「幻の首都”岡京”、廃都のお知らせ!理由は岡山と倉敷が合併しない為www」 >>73
ステーキやハンバーグは?
牛旨煮も中々いけるぞ 海外で、食肉の慰霊碑とか作ってる国ってありますの?
クジラの件で日本を野蛮国扱いする国はどうなんよ?
とちょっと思った 仏教徒じゃなくとも供養ではないが日本人の心の中にはある もう今じゃ牧場の脇でバーベキュー経営だからなあ・・日本人の質が落ちたわ 別に肉を食わんでも生きられる
美味いから食ってるだけ
良い子ぶるなよな これが今ほど資本主義に飲まれてない頃の光景だったら手を合わせられるんだが、廃棄の殆どは無機質極まる運用された外食だからな すごい再生能力を持った牛を作って、死なないくらいに食べ続ければいいのにな >>1
吉備津彦神社と吉備津神社を参るときはついでにいって欲しい 肉牛を育てるのは効率が悪い
肉は鶏肉だけにするべき 何を当たり前のことを深刻そうに曰わってんだ、、
生き物は人間に限らず皆そーだろーが、、、 なんか東京も昔ながらの総菜屋が消えていくな チラシ寿司なんか買うのも一苦労、スーパーにはあるんだろうけど 牛とか豚とか鶏とか人間に食われるためだけに繁殖させられてかわいそうやな
これも牛・豚・鶏の生存戦略か? そんなわけないよな >>101
個体ごとの自由意志なんて関係ないよ。
進化論的には。 >>88
関西食肉利権の悪行が全国チェーンの話に摩り替るようなインチキを維新系阪在準キー局や自称公共広告関西広告機構がしまくるからな。
お受験産廃の脳みそを生ごみに出せと。 >>8
>ありがたく命をいただきます
薄寒い大嫌いな言葉
しかしこんなところあるんだな、知らなかった >>1
育成肉は穀物を10倍消費する効率が悪い食糧 肉を食う限り人類は食糧難から逃れられない >>82
>頂きますと言う気持ちが大切なんじゃないかな
自分で屠殺して解体して食ってみなよ
そっちの方が大切
スーパーの切り身に感謝してるなんて嘘吐くな >>101
もし突然人類が居なくなったら、
その後の世界の覇権は個体数がものを言う。
牛が人類の次に繁栄するという説もある 糧となる命に感謝して“いただきます”
調理供応してくれた方に感謝して“ごちそうさまでした” >>74
ひどいこと言いますね。成り立ちからいって自然界のものは家族です。
牛も屠殺されるときは、涙を流して怖がるんですよ。
感謝するしかないじゃありませんか。 >>84
普通にあります。つうか謝肉祭ってあるだろ。
自分以外は認めないのが人間。自分たち以外は野蛮ってみなすもの。
だから基準がないもの。お互いに野蛮って言い合うんだよ。 世の中全て一つで繋がってる
美人のあの子とも繋がりたい >>87
直接に食べなくても動物性タンパクはいたるところに
入っています。良い子ぶるではなく宿命みたいな抗えないもの
に対する畏敬の念は持つのが当たり前。生きること自体が当たり前
じゃない。俺は俺。で一人で生きられるものではない。 >>88
外食は少ない。殆どはスーパーなどの期限切れ。
つまり人間の勝手。売れない、買わない、多めに作る。 >>95
ペットブリーダーのエサは処分されたペット。 こうやって命に優劣をつけない気持ちが大事だと思う
アングロサクソン共にはわからんだろうが >>121
へえ?
ブリーダーは犬猫食ってんのかw 家畜の屠殺場面はテレビで流してはいけないルール
ネットで見ると可哀想で泣けてくるな >>4
死にたいなんて言うなよ
諦めないで生きろろよ
そんな歌が正しいなんて馬鹿げてるよな >>9
牛を食わないと生きていけない。
人間に生まれたら仕方のないこと。
拝んで食え。 アブラハムの宗教(ユダヤ.キリスト.イスラム)では、糧は神に感謝する
モザイク宗教の我が国では、糧は“その糧となった生き物(草木含む)”に感謝する 獲物に感謝して神に祈るとかやってるからな
それに似た感じなのかもな >>125
コムギの種(卵)、カカオの種、サトウキビの樹液(血液)、全て“生き物の命”を奪って出来てます >>122
川で子供と神戸牛が同時に溺れてたとする。
命の優劣をつけない気持ちが大切で
生きてるお前さんはどっちを先に助けるんだ?
うめくように「こ、子供です」と答えるのだろ?
ったく。 豚の知能が高いってのは豚肉好きには気にかかるところではあるな でもな、昔の映像を見てご覧。
自動車がない時代のフィルムとか。
街中馬だらけ。
農村もだ。
あの馬が今はいない。競馬場か、カナダあたりの食肉用牧場にしか。
牛もだな。
食べるだけの対象であれ、繁殖は強制されてはいる。
屍肉をいただくのが、本当は葛藤がない。鼻がきくだけでよかったものを、生物はなぜか目を持ち、動いているものにぱくつく。 キリスト様が人間と動物との
絶妙の距離感を教えられてる。
マタイによる福音書10・29ー31
二羽の雀は一アサリオン(数百円)で売られているではないか。
しかし、その一羽さえ、あなた方の父の許しがなければ、
地に落ちることはない。
あなた方は、髪の毛までもみな、数えられている。
だから、恐れることはない。
あなた方は、多くの雀よりも遥かに優れたものである。
人間と動物との距離感ではなく、
「誰を恐るべきか」について教えられてる箇所では
あるのだが・・。
動物よりは日本民族の方が遥かに優れてますから?
今後は、これをベースに動物に愛情を注ぐ?
ヒトとウシ、ヒトとイヌ、ではなく
人間と牛、人間と犬な。
顔真っ赤にして怒るなよ?たごぱっつぁんよー。 最近は牛肉は全く食べてないわ。豚、鶏肉、魚を食べてるわ >>146
人類の一部であるトンスルランダー達はそれを実現しているようだが。 養殖技術となると、人気を反映し、馬より牛と選択される。
鹿をわざわざ養殖はしない。
ダチョウもまさかと思ったら、食べられ始めてしまう。
食べられるのは構わない。分解プロセスなんだから。
死体は食べてやることだ。
だが、生きているものを丸呑みし、齧り取る。
次に、死体を食べずに、食べさせもせずに焼却し始める。
ついには、食べるために栽培、養殖を始めてしまう。
個体数が増えると、こうなる。こうなると、個体数が増える。
譲られるのを待たず、奪い、奪うだけでなく予測して増やして貯める。そして譲ることなく焼き捨てる。
勝利の方程式の完成だ。 >>144
その「知能が高い」という基準も曖昧で所詮は人間のエゴに過ぎない。
人間は全てエゴのカタマリであり、エゴ自体を否定しようとするのは偽善者のオタクに過ぎない。
自己のエゴを自覚し制御する事こそが必要で、「生命に感謝しつつ食糧として頂く」という日本の考え方は、その実践のひとつだと思う。 手を合わせようと思ったが謎の団体が運営する有料施設だったからやめた 糞みたいな世界
特に宇宙の法則が糞、人類にとってわかりづらい法則だし
殺して栄養奪うシステムになってるのがどうしょうもない >>133
>糧は“その糧となった生き物(草木含む)”に感謝する
これ、最悪なんだよね
自ら殺した者に「感謝」するなんて、最低最悪の侮辱でしかない
お前を殺して喰らった楽になったぜ、ありがとよ、というわけだ
殺した者は、殺された者に「感謝」することだけは絶対にしてはいけないと思うよ
「神」に感謝する身勝手な自己満足の方だまだマシだな >>156
日本で言うそれは自分の存在を否定する事になると思うけど 天武天皇による肉食禁止令は、牛・馬・犬・猿・鶏を限定列挙していて
ずいぶん範囲が狭い。牛丼はダメだが豚丼はOKだと。じつにおもろい >>6
> 考えたやつってとんでもないクソ野郎だろ
うん。
でも創った奴は好きなだけ造れるからな。なんとも思わんだろ。 当たり前に有るのを知らなかった人が幼稚な感動で書いた駄文。 >>157
横からだが偽善をキチンと偽善だと自覚する態度は素晴らしいのではないかな? >>161
なるほど
しかし謝りを感じると書いて「感謝」だし偽善とは言い難いような 豚牛鶏みんな賢いからな。
人が食べるように改良しまくってるけど、生きてるのにな 生命誕生からずっと続いているんだぞ
いつもありがとう美味しいよモグモグ >>156
神が人に糧を与えるから神に感謝→神は差別主義者
命は命を喰って命を繋ぐ。その真理を理解しているからこそ、奪った命に感謝するわけだ というか食べる目的が無いならそもそも繁殖していないし餌も与えない >>165
食われる方は感謝されても嬉しくないだろ
熊に感謝されれば食われても納得するか? 動物に感謝なんてしなくていい
ホモ・サピエンスでない生物は基本競争相手
家畜は利用価値があるから増やしてやってるだけ
むしろ野生動物より子孫継続を保証されてるんだから向こうが人間に感謝しろ 感謝よりも無駄にしないことの方が遥かに大事
食品ロス大量に出しときながら食われるために殺されてありがとーは舐めくさってるようにしか見えない
言うのは食う前のいただきますと食後のごちそうさまだけでいいんだわ >>167
全く同意するね。殺される側からしたら感謝なんて何の納得理由にもならない。
せめて苦しみ無く一瞬で殺してくれとしか思わん。
死んだらその死骸はもう好きにしろよって感じ >>167
>>171
感謝←謝意を感じる。意味解んないなら何も喰うな >>172
貴方の考える謝意って何なのよ。
解釈を人任せにするな >>163
牛舎を見学にいって牛と目があったことがあるが
やさしげな目だね牛は >>168
お前みたいなゴミは人間じゃねえゴキブリに謝罪しろ 人にとって害虫とされる生物はそれだけで殺されて勿論供養もされない まあ、肉になった動物に感謝って言っててもここに居るほとんどの人は生き物実際に殺して食べたことは無かったりするけどねw
あって魚ぐらいじゃないのかな?
とりあえず鶏ぐらいは一度シメてみた方がいいよ、魚では感じられない心の抵抗っての感じるから 牛は人間に食べられるために存在してるから
供養なんで無駄だってアメリカ人いうとったな >>178
キンチョーだったかが殺虫剤で殺した虫の慰霊やってた気がする 古式捕鯨は、母子鯨が来た場合には、先ず子鯨を捕獲すれば母鯨は子鯨を思う気持ちから逃げようとはしないという習性を利用しての捕獲方法が基本でした。
そのため、確実に母子鯨を捕獲することができたのです。
http://www.cypress.ne.jp/taiji/ezu2.html >>171
屠殺は一瞬で気絶させて意識のない状態で行われてるよ。牛も豚も。
鯨は数分から数十分暴れもがきながら死んでいく。苦しめて殺してるので牛や豚とはまるで違う扱い。 >>178
死にたくなければ人間や人家に近づかなければいい。
実際大半の虫はそうしてるのに、害虫は進んで寄ってきて留まろうとするんだもの。
作物に付く害虫?そっちは農家との生存競争だから負けた方は死あるのみ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています