【鉄道】所要時間は24時間越えも 昭和時代「長距離列車」にはどんなものがあったのか? [七波羅探題★]
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Yahoo!オリジナル/小林拓矢
https://news.yahoo.co.jp/byline/kobayashitakuya/20220627-00302379
1964(昭和39)年10月号の時刻表は、東海道新幹線が開業した際の時刻表である。これには、同新幹線とその接続列車が掲載されている。
東京を新幹線で朝出ても、その日のうちに特急や急行を乗り継いでたどりつけるのは熊本や大分までとなっており、西鹿児島(現在の鹿児島中央)や長崎、佐世保までその日のうちに到達することは不可能だった。
必然的に長距離列車は夜行が中心となっていく。その中でも長時間走行でいまとなっては考えられないものは、東京から鹿児島本線経由で鹿児島(当時は鹿児島も優等列車の発着駅だった)に向かう急行「霧島」や、日豊本線経由で西鹿児島へ向かう急行「高千穂」である。どちらも所要時間が24時間を越えるのだ。「霧島」は東京発11時00分、鹿児島着は13時35分、所要時間26時間35分となっている。「高千穂」は東京14時35分発、西鹿児島19時53分着、所要時間29時間18分となっている。どちらも客車列車であり、2等座席車・1等座席車・2等寝台車・食堂車が連結され、「高千穂」は区間によっては1等寝台車も連結している。2等座席車は自由席だった。
「霧島」「高千穂」に使用されていた客車は旧型客車で、4人向かい合わせの固定クロスシートである。新幹線と新大阪発の夜行急行を組み合わせれば午前中に東京に出て翌朝西鹿児島に着くことは可能だったものの、安さを求めてこうした急行列車を使用する人は多かった。
また西鹿児島には寝台特急「はやぶさ」が運行されていた。東京19時00分発、西鹿児島17時30分と、所要時間は22時間30分で、寝台車と1等座席車、食堂車が連結されていた。当然ながらこういった列車は高嶺の花だった。
「高千穂」「霧島」では、長時間座席に座り続け、大きな駅での長い停車時間を利用して駅弁を買ったり、顔を洗ったりしてなんとかしのいでいた。急行列車とはいえ、食堂車はちょっと値段が高い。
混雑している時期には、クロスシートでじっと座りながら、東京と鹿児島・西鹿児島を行き来していたのが当時の多くの鉄道利用者だった。
いまとなっては、新幹線「のぞみ」と「みずほ」「さくら」を乗り継げば、その日のうちにかんたんに到着できる。しかも快適なリクライニングシートだ。むかしは過酷だった、ということを感じてしまう。
大阪から青森まで、ぶっ通しで走る特急が1961(昭和36)年10月から運行された。特急「白鳥」である。1964年10月号の時刻表では、朝8時15分大阪発、深夜23時47分青森着というダイヤだった。15時間37分かかった。当然ながら当時は新津から新潟に寄ることはなく、一路青森をめざした。停車時間も比較的短めだった。なお、食堂車は連結されていた。
この列車が過酷だったのは、朝から晩まで乗り通すだけではなく、その後青函連絡船を介して北海道へ連絡することだった。0時15分青森発、4時35分青森着の1便に乗り、特急「おおぞら」で9時25分に札幌に着く。なおこの列車を使うと釧路には15時25分にたどりつく。
「白鳥」は長時間の運転もさることながら、その後の青函連絡船では睡眠時間も少なくゆったりとしていられないという状況となり、なかなか大変だったと考えられる。
1972(昭和47)年の運行区間全区間電化で「白鳥」は電車化、大阪発車時刻は10時18分にまで繰り下がっている。1978(昭和53)年10月の時刻表では青森着は23時50分。ただ、青函連絡船への連絡と特急「おおぞら」への接続は変わらなかった。青函連絡船廃止後は急行「はまなす」への連絡となる。
北海道には長距離の気動車特急が多い。札幌から釧路・網走・稚内と各方面に運行されている。その中で、稚内までの列車は本数が少ないこともあってか、最果てまで行くという印象を与えてくれる。
かつての北海道の鉄道輸送は、札幌が中心ではなかった。函館が中心となり、青函連絡船を受けて各方面に向かう列車が運行されていた。釧路・網走へは特急が運行されていたが、函館発稚内行きの特急はついにできなかった。札幌発稚内行の特急でさえ、2000(平成12)年3月ダイヤ改正でようやく登場したほどだった。
1964年10月には、「宗谷」がこれまでの多層建て列車から単独運転の急行となり、運行区間も函館から倶知安経由、札幌、稚内という列車になった。10時57分に函館を出て、16時05分に札幌着、22時43分に稚内に着く。11時間46分の長旅である。
気動車急行なので、食堂車はついていない。しかもこの列車は、主要駅での停車時間も5分以内と短い。駅弁を買うのがやっとである。
1981(昭和56)年10月に札幌~稚内と区間短縮されるまでこのスタイルの運行が続いた。
※一部略 隣り合わせた19歳女子をトイレに連れて行って強姦したいです ワイド・ミニ周遊券復活すればいいのにと思ったけど旧幹線まで第3セクター化で鉄道ネットワークがズタズタなってて草 >>7
韓国までトンネル掘る計画があるからそれまで待つニダ てつおには夢のような旅だけど
一般人は地獄のような旅だったw
でも一般人でも寝台列車はロマンがあるな
サンライズを最近知ってコロナ規制もなくなったし乗ってみたい 北斗星とトワイライトエクスプレスは乗ったことあるけど、あれは観光列車だな 新幹線東京博多間が直通開業した時で6時間40分が今や5時間を切った 警戒色を配色に上手くデザインしてたから国鉄型車輌は風景の中で映えたがJRなってからの塗色はコンセプトは映えてても実際の風景の中では薄汚れた印象にしか残らないのがほとんど。 東京~札幌の寝台列車は復活しないもんかね……
と思ってたら新函館~長万部は旅客輸送廃止が濃厚なのよね 滝川ー釧路で七時間かかる最長距離・時間の普通列車は水害による新得ー東鹿越の断線で葬鉄に見送られることなく消えた 寝台は快適で楽しかったけど座席の自由席はマジでスラムだった 急行八甲田に1回乗った。
その後、青函連絡船に乗ったら寝てしまって、ほとんど海峡を見なかった。 寝台個室はマジで楽しかったからな
もっと格安で寝台走らせてくれればいいのに 分煙されてなかった頃の新幹線はマジで苦痛だったわ
天井が煙で薄白いとか当たり前だったし 特急さくらなんてのが鹿児島から東京まで行ってたなあ、乗客は目が充血して疲れきった表情だったのが忘れられない。 松本清張の張込みという映画では実際の列車内でロケをやって
当時の長距離列車の様子がよく描かれてるよ ホームタウンまで切符をちょうだい!駅に別れが待ってるはずなの 40年ほど前は大阪発門司港行きの山陰周り各駅停車があったな。 以下、ここに突っ込むの禁止
>>1
>0時15分青森発、4時35分青森着の1便に乗り、 小学生の時大阪からおばあちゃんが住む九州へ
わざわざ山陰の方から大回り一人旅
車内が木製、窓を開けて夜風が気持ちよかった
博多までの夜行急行さんべ、座席だったけど若いし逆に楽しかった
相席のお兄さんが漫画の雑誌くれたり
おばあちゃんの家を拠点に九州の周遊券でぐるぐる回ってたな
知らないおっちゃんがお菓子くれたり、今じゃ考えられないなぁ
周遊券と宿泊はおばあちゃんの家
小学生ってのもあってめっちゃ安く回れたな 昭和は電車の床に空き缶が転がってたり、新聞や雑誌があっちこっちに置いてあったりしたな
ビール飲んで煙草吸ってたり、赤ちゃんにおっぱいあげてる人、弁当やお菓子とか食べてる人もよくいた 寝台特急富士
東京~西鹿児島(日豊本線経由)
これが最後の24時間超えだった気が 今の新幹線のグリーン席でも2時間あたりから辛くなるのによくそんなんでやってたなと思う
寝台車は興味あるがね
長時間かかるなら時間より快適さが欲しいね
個室のバスとかも興味あるわ >>53
飛行機もエコノミー乗れなく乗らなくなった 桜島・高千穂とか、同じ列車と途中で3回すれ違うんだっけ確か >>7
満洲行きが上野から出てたよ
残念途中は船上だが 最後は20代だったな
結婚したての嫁に目的地も何も言わず行くぞと連れだし
18きっぷを使って1日で近畿一周やったな
新大阪から新宮までまだ夜行があった時代
新宮ー名古屋ー米原ー敦賀ー東舞鶴ー福知山ー大阪
嫁はほとんど寝てたけど
伊勢神宮にもよったし駅弁とジュースを与えてれば大人しかったw 寝台は人生で2回乗ったかな 夜行は海外を含めて何回か 高校生の時に冬に旅行をしたのだけど正月帰省の時期で帰りの指定が取れなかったので、ずっと立っていたな 北斗星とトワイライトエクスプレスは乗った
カシオペアはイマイチ乗る気にならない シチリア一人旅でパスポート紛失した時にローマまで急遽寝台乗ったのいい思い出 東京ー西鹿児島は急行桜島もあったよな
乗りたいとは思ってたけど乗る機会はなかった >>61
ヨーロッパって寝台車があったの?俺もイタリアで乗ったけどコンパートメントの座席で人がいないので事実上寝台車になって寝ていたけど、それとは別だよね? >>65
あなた、ケツが割れてない病にかかってますよ!! 修学旅行がSLだったな。
停車駅待ち時間がハンパなかった。 特に黒磯。
どこの停車駅もボットン便所で懐かしい。 上野東京ラインで沼津〜黒磯ってあったが比べ物にならないな >>26
平成初期まで走ってた中央東線夜行普通列車セミクロスシート115系だった
夏場とか登山客で劇混みだったが閑散期はロングシートで横になってC寝台出来た
国鉄時代松本経由長野迄運行されてたが1985年3月上諏訪分断され最末期はダイヤ上甲府分断だったが1時間半程停車してそのまま松本行きになってた
あと東海道線でも平成8年3月まで東京~大垣間通称大垣夜行165系急行型電車で走ってた 当時は国鉄だから駅員も横柄というか、帰省の時期にのんびりと行って、指定席くださいと言ったら「アホか」と言われたな、まあ高校生というのもあっただろうが 薩摩藩の参勤交代が40日かかったとからしいから、それが24時間とか、いまじゃ18時間とか、とんでもねえな 北見から函館まで特急おおとりで9時間
函館から青森まで連絡船で4時間
青森から大阪まで白鳥で15時間
と言うのを昔やって飛行機のありがたさをしみじみ思うようになった 2月に新幹線使わないで
生まれて初めて大阪市行ったわ
新宿から愛知県の新城まで高速バス
そっから飯田線で豊橋
豊橋から東海道本線で大阪まで
徒歩脱がすと10時間弱くらいかかった
帰りは新幹線で2時間チョイか >>7
宗谷海峡トンネルができればサハリン経由で行けるようになる >>64
52cm幅寝台3段真ん中の指定でベッドセットされた後通路の簡易座席にすら座れなかったときの絶望感が懐かしい サンライズ瀬戸で高松まで行った事あるけど
騒音でほぼ寝られなかった
ムーンライトながらってまだ運行してるのかな? >>50
https://youtu.be/34vwg15erxM
東京18:20宮崎14:30言ってるな
宮崎から鹿児島まで何時間か分からんが4時間もかからんだろ
1989年平成元年だが昭和より高速化されてたか 急行の垂直の背もたれ
あれを見ただけで急行に乗る気がせず
高校生の時でさえさっさとグリーン車に乗り換えた
車掌が疑惑の目で検札に来た思い出
今ならあんな態度ですれば怒鳴り付ける JR相模線の茅ヶ崎⇔橋本は今でも片道3日かかるけどな 上野から青森まで急行津軽の二等車の固いボックスシートに座りとおしたことがあったが
ゴロ寝して過ごした青函連絡船おりて函館から各停に乗り換えてもケツがしびれていて
もう治らないのかと思った
実際は長万部あたりまで屈伸運動やラジオ体操、マッサージし通してやっとなおった 天王寺から名古屋ゆきの普通列車「はやたま」
小学生の時に乗って、多気駅停車中にうんこしていたら、反対側のホームから
同じ年齢ぐらいと思われる男の子の声で「うんこが落ちた! うわぁーーーーばばしとるぅ、
きったねぇぇぇぇぇ」と響いていた。便器の穴から砂利が丸見えだった。 >>50
24時間26分その後速くなって24時間3分だったっけ >>5
長距離列車といったらまず富士、東京→西鹿児島間を24時間26分だったかな。 >>82
当時は飛行機に正規運賃しかない時代
LCCだの早割りだのは存在しない
国鉄の方がずっと安かったから庶民は国鉄を利用するのが当然だった >>89
もう少しあとだと思うけど
俺の初北海道は海路
東京釧路で10800円
覚えてるもんだなぁ 名古屋でブラック勤務してた時
名古屋駅の東海道線で
夜の11時台だったと思うけど
ブルートレインが停まって
行き先どこか知らんけど
これ乗って遠くに逃げたいっていつも眺めてた >>88
日本一の走行距離、って雑誌なんかで盛んに取り上げられてたね
でも実は日豊本線経由はマイナールートで、鹿児島本線経由のはやぶさのほうがメインルートだったと知ったのは大人になってから >>92
1968年当時、829レは京都発下関行きだった。 別に時間はあるからブルートレインでのんびり旅がしたい。 飛行機だと遠くへ旅してる気がしない だから新幹線が必要
一度乗ってみたいなんてのじゃ需要は増えない >>75
北海道内の移動時間に驚いたわ
どんだけ広いんか 白鳥か・・・大阪~新潟で一度乗ったことあるわ。
新潟~青森が乗れなかった事は今でも悲しい。
鉄道ピクトリアルって雑誌の白鳥の記事を読みながら思いに耽った懐かしい思い出。 >>72
中央線の421Mだっけ? 八ヶ岳に登る人向けの時刻設定だったね >>63
普通にベッドありの寝台だよ
相部屋だったけど それだけ長時間乗るなら、鉄道よりフェリーの方がずっと楽だな
寝ながら行けるし、途中で気分転換も出来る さくら、はやぶさ、みずほ、あさかぜ1.2、富士、出雲、瀬戸、銀河、大垣行き…
うちの近所でこれだけ毎日上下走ってたのがすごい。 30年前に体験した大垣夜行でもう充分です
誘ってくれた北野くん本当にありがとう。イヤミではなく心底感謝してます 昔の方がいろんな特急急行があってこれから青森まで行くんだなと思いながら見てるのは楽しいよ
でも実際それで行きたいかと言えば行きたくない 武漢肺炎前は座席の下に足が伸ばせられるクロスシート車でも充分寝られたよ
ただ、全席指定にしたこととJR東日本がドケチになったことで終了したけど
岡山から下関まで各停に乗ったことがあったけど、座席がよかったからそれほど苦痛ではなかったね
むしろ大船から大宮まで快速に乗ったけど、座席が硬すぎて大崎でグリーン車に移ったわ >>1
> 0時15分青森発、4時35分青森着の1便に乗り、
なに遊覧船に乗ってんだよwww >>99
最悪や
座席狭いしオッサン同士くっつきっぱなしか 夜行高速バスがあれだけ出ていたことを考慮すれば、武漢肺炎が終結したら品川−浜松間は定期夜行を走らせてよい需要があるけどね 東京~大阪の長距離快速、16両編成、普通運賃だけで乗車可能。
やりましょう
車両は165系みたいなやつで >>112
どこの駅に停めるんだよ16両って新幹線ホームにでも乗り入れ? >>113
東京貨物ターミナル~大坂貨物ターミナル >>113 ?はみ出た車両のドアを開けなければいいんだよ。
素人だね~w笑 国府津駅と小田原駅と熱海駅の配線を少し変更
グリーン車2両付きのE233系10両編成(週末はもう1往復追加。最大5往復(浜松3往復・静岡2往復)まで運転)
グリーン席は車内販売でネットダフ不可
普通車はほぼロングシートだから、空いていたらC寝台化可能・混雑していたらエアクッション必要
下りは国府津(時期によっては小田原も)、上りは熱海(時期によっては沼津も)でバカ停 >>3
急行「大社」とか「いなわしろ」とか懐かしいな。 むかしの歌を聴くと、当時の夜汽車って、いまの飛行機レベルの感覚だよね >>115
新規列車についてはドアカットが認められない
変更前までドアカットしている場合に限り、既得権として認められている
16両編成は変更前までに消滅していた(15両が最長)から、認められない >>72
上越線の長岡夜行も115系7両編成のセミクロスシート。
あと、大垣夜行の救済臨時も113系のセミクロスシートだったね。
新宮夜行が電車化された時165系だったのは救われた。 富士の24時間26分をなぜか覚えてる
子供の頃の憧れ スマホもないから、流れゆく景色を眺めるか、本や週刊誌や新聞や旅のガイドブックを読むか、
お友達や隣り合わせた人とお話をするか、トランプをするか、将棋をするか、しりとりをするか、
ラジオを聞くか、車内販売でコーヒーやお酒や軽食や弁当を買って飲み食いするか、タバコを一服するか、
トイレに行くか、食堂車に行くか、車内をパトロールするか、座席を向かい合わせにして酒盛りするか、
寝るかっところか。結構やることあるじゃん! >>3
狭そうやなw
4階建てなんて車内はホフク前進かw 山陰線に京都から下関あたりまで直通する客車列車があったよな 下り白鳥は、タイムテーブルからいくと、夏は日没前の笹川流れは見られたんだな
青森まで乗り倒して青函連絡する人は、そこから、日が暮れてからが長かったかもな
3人以上おったら酒盛り開始かな 正確には荷物者郵便車に客車つないでるだけ
長時間停車は荷扱いの都合
直通は分断すると荷物や郵便は歩いて乗換えしないからw 小型旅客機が発達しなかったのなんでだろうな
山川が多くて南北に長いのだから電車より飛行機だろ ムーンライトながらはもう二度と復活しそうに無いな。
惰性で続けてたが年々運行日減ってた所にコロナがトドメ刺した
ぶっちゃけ毎回10時完売な転売ヤーの標的だったし
止めるには丁度いい機会だったんだろう 速いは飛行機にまかせて、
列車は、夜行列車の充実を。。。 >>63
クシェットとかいうのが日本の開放寝台と同じだった
基本は開放でなく個室
ベルリン動物園駅からコペンハーゲンまで東独入って行った時に使ったわ >>126
車
食堂車待合室に置いてあるディスカバリージャパンのスタンプ押しにいくん サンライズやってるんだから九州や北海道行きの夜行もやればいいのにな >>137
北海道行きは四季島でやってるだろ。
1回数十万、ドレスコードありでドケチ鉄ヲタなんか相手にしてないが >>1
なにかいろいろと懐かしいな
寝台車に乗って食堂車で飯食って、青森から大阪まで親父と行った記憶があるわ >>137
サンライズは車齢がまだ24年程度だから残してるだけ
30~35年程度で引退と予想
どこのJRも他社線跨ぎは運賃分けなきゃいけないから嫌がる サンライズは武漢肺炎下でもそれほど乗車率は下がっておらず、リニア名古屋開業までは一応存続する
ただ、40年超えは難しいかな だから新幹線が必要なのよ
頻繁にこんなもん乗ってられるか ドササクサク紛れに樺太奪回して宗谷新幹線で大泊までな。 新幹線はもうある
あとは建設中の4区間(リニア含む)とそのリニア延伸1区間を除けば完全不要
必要と言うヤツは売国奴
すくなくともこだま料金はひかり料金よりも下げような。途中2駅以上で途中1駅乗車分程度の料金になる程度までは 長距離列車で寝てると目が覚めないまま鬼に食われそうでイヤだな 24時間以上かかるってことは、予備編成なしの運用でも、2編成じゃ編成が足りないな
3編成あったら、予備編成なしだったら、ダイヤ組めるかな?
いや、予備編成なしでも、4編成必要かな
75.3以前は、そんなにあの旧型客車があったんか >>145
昼寝させるほど暇な車両を保有する余裕がなくなったため寝台を潰した側面もあるから、
少なくとも貨物に全面委託するなら、カートレイン事業も譲渡して昼間もその客車を有効利用してもらえる環境を作らないと難しいと思うよ はやぶさの名前が東北に取られたのは惜しいよな
東京~鹿児島中央までの直通新幹線はまだ無理だろうけど
その新幹線のためにその名前をあけていてほしかった 九州発着の寝台特急を全廃したのは分割民営化の最大の失敗 >>7
隠れてればインドネシア辺りには行けるんじゃなかったか 鉄オタの語りって長い上になんの役にも立たないからウザいわな 青森まで寝台列車で行くときに
上野周辺で漫画の単行本を1冊買って貰うのが好きだったわ
ちなみに72年生まれ 途中乗車だったんだけど、神戸から西鹿児島まで乗った記憶がある
霧島だったのかなぁ?
快適だったけど、帰りは西鹿児島から神戸まで鈍行を乗り継ぎ地獄な記憶。 >>94
鉄オタなら常識だが、一般の人はあまり知らないこと。
それは、昔は非常に長距離・長時間の普通列車がたくさんあったが、今では皆無になったこと。
路線を細かく区切ってその区間内でしか普通列車は運転しないからな。
たとえば東海道線は東京発の普通列車はごくわずか例外を除いて熱海までしか行かない。
その先は別の普通列車に乗り換える必要がある。 >>100
俺は「きたぐに」がまだ大坂-青森間だった当時に全線乗ったことがある。
もちろん座席だ。大坂を22時頃に出発して翌日夕方遅くに青森着。 >>72
今の世代には「C寝台」なんて意味不明だろうな。 座席に座れただけで御の字という時代もあったからなぁ… 長崎発大阪行きの夜行急行の自由席を家族の分をダッシュで取りに行った
1976年の夏休み。駅弁、お茶、冷凍みかん、ゆでたまご、(遠い目…) 自家用車を積んでいける夜行列車カートレインとかあったらしいな >>166
あったけどドーバーのル・シャトルみたいな自走式じゃなくフォークリフトで車持ち上げて積み込む方式だから
手間掛かってしょうがない割に儲からないから直ぐ辞めた >>168
当時は小1だったので列車名は覚えて無いなぁ。
夕方発で翌朝に大阪着だったのは覚えてる。 >>163
盆と正月に帰るための夜行列車を始発駅から朝から並ぶことが当たり前の時代だったし。
上野駅には列車毎に列を作るスペースが用意されていたし。新宿駅も。 >>173
北海道
だから北海道の駅にはホームに待合室やベンチがほぼ無い >>167
自動車を積む貨車は専用でなく、廃車した他用途の貨車だったから、大きくなった自動車が入らなくなってしまい、
しかも自走式へ更新したことでさらにサイズが小さくしかも積める台数が1/3ほど減ったことで、採算が取れない事態へ陥り、廃止へ 白鳥だけ書いて日本海は無視なの?
北海道もおおぞらだけじゃなくてもう1個の特急おおとり(?)かなんかと接続してたはずだけど >>181
乗られればそれでもいいよ
24系とサンライズとカシオペアは乗ったから
他の車両も乗ってみたかった >>182
もうないからな
とりあえず門司港へ行けば座席状態の車両には乗れると思うよ 昔を思い出してみると
今の電車マニアって趣味の対象としても実につまんないものにしがみついてるよなあ >>180
年末、新潟から自由席で大阪へ
朝目覚めたら福井駅に止まってた
大雪倒木で北陸トンネル手前で不通
B寝台下段に案内されて寝ながら待つようにと。。。
結局翌日昼前まで寝てすごしたわw
3食弁当お茶とおやつも出してもらえた
大雪の中、駅近銭湯も行ったわ
結局、大阪着いたのは到着予定翌日の午後遅く
40時間近く住んでたwけど快適だったわw >>182
中段or上段のノゾキ窓から見る夜景は至高だったよ。
今の眠れない時でも、カーテン開けられない、スマホ見られない夜行バスに
比べれば天国だよな。 >>185
あれって宇宙に行ってもどこも日本の町なんだよねw >>180
パン下の小さな窓からスパークした青白い光をアテに飲むのが楽しみやったw >>1
所要時間は24時間越えの「長距離列車」を撮影の際は、下記の撮り鉄のお題目を遵守し撮影願います。
バリサク・シチサン・カツカツ・日の丸 バリサク、シチサン、カツカツ、日の丸
バリサク・シチサン・力ツ力ツ・日の丸 バリサク、シチサン、力ツ力ツ、日の丸
バリサク。シチサン。力ツ力ツ。日の丸 バリサク,シチサン,力ツ力ツ,日の丸
バリサク.シチサン.力ツ力ツ.日の丸 バリサク*シチサン*力ツ力ツ*日の丸 東京駅発東京駅着の日本一周列車を3ヶ月に一回ぐらいの間隔で出せば、そこそこの値段でも需要ありそうだけどなぁ 稚内~旭川 旭川~岩見沢 岩見沢~(追分線経由)~函館 函館~小樽 小樽~深川 深川~留萌 留萌~幌延 幌延~稚内
全線普通列車で行く肛門・腰椎強化訓練にようこそ、というのがあったな >>134
むかしマルセイユからバルセロナまで乗ったクシェットはほんと簡易な寝台で、
3段目を利用したら落下防止の柵やベルトが何もなくて怖かった。 新幹線ができる前は
高千穂は最大4編成で1運用されていた
東京1435→西鹿児島1950+1日
西鹿児島1200→東京1650+1日
うち、東京−西鹿児島間を行き来するのは、15両中たった8両(荷物車1両含む)
あと7両は、門司折り返し1両(上りは飯塚発)・大分折り返し4両・宮崎折り返し2両 >>1
観光列車としてはあり。
現代でも人気でるかも知れない。
あくまでも観光で 食堂車どころか車内販売すら無くなってしまったからなあ >>26
床に新聞紙を広げて横になるのが当たり前
の世界 急行きたぐに
は金沢近郊では便利な夜行だった。
片町で遊び呆けて終電逃しても3時台にきたぐにに乗れば帰宅できたからな。 >>188
あれ実話を元にしてるから実際にそうらしいよ 昔、貨物列車じゃなくて荷物列車の後ろに客車が1両か2両連結されて札幌から函館に行く列車があった気がする 昔の時刻表には荷物列車の時刻も掲載されていて、超長距離の荷物列車の一部区間
のみ旅客も乗れる区間があったと思う >>21
臨時の急行銀河は14系座席車だったな…。 寝台車のB個室は割と快適だったが末期に投入だったからな。 パチスロひとり旅
上野ー札幌北斗星2往復は楽しかった >>153
この時代の日豊本線はまだ電化されてなくて、
大分より先はDF50とかいうディーゼル機関車が引っ張ってた頃だな 新幹線熱望してる四国の皆さんは、こういう負の側面もよく考えてくれ >>206
山線経由の41レ・46レ
たぶん46レ側 >>7
本州から海の外なら北海道とか四国、九州がある
外国に行きたいなら関所でも復活させたらいいんじゃないかな >>215
野岩鉄道に乗る計画を立てようと思って時刻表見たらめちゃくちゃ減ってるのな。 >>131
小型機用飛行場作れるような真っ平らな用地買収が困難
民間人の飛行機操縦免許取得が困難
民間用の小型機価格が高価で中古市場もなく購入が困難
カリフォルニアとかその辺の農場のおっさんが小型セスナで農薬散布したり離れた町外れの牧場兼業のレストランにステーキ食うために専用滑走路使って飛んでくが
日本じゃ無理 >>148
そりゃ各地の客車区の操車場を埋め尽くすように客車がたまってたからなあ
品川とか尾久とか宮原とか隔世の感がある >>131
国鉄保護の為
あと航空産業が育たなかった >>131
簡単なこと
・航空禁止期間が長くて飛行機産業が壊滅した
・だから飛行機ないし飛行機部品は輸入で、当時は固定為替。つまりすんげー高かった
・空港自体が少なく、また主要空港の大半は米軍兼用。その上、横田空域が邪魔すぎ
・ということでペイするためには運賃が高くなり、支払える客はごくわずか。そんな少ない客の争奪戦をして航空会社が共倒れしそうになっていた じいちゃんが九州から東京まで2日近く掛けて鉄道で上京、職を得て
都心近くに家を建てたそうだ
親ガチャならぬ爺ガチャで当たりを引けてホントにラッキーw 贅沢としか言いようがない
東京から鹿児島に24時間かけて行って、食事は長い停車時間を利用して駅弁でとか 今の新幹線ももはや庶民には高嶺の花だろう
庶民は夜行バスで旅情溢れる旅路だぞ >>205
全く嘆かわしい
俺なんかケイブンシャの南正時の著作を貪り読んだものだ >>224
移動に丸一日以上かけるほうが新幹線や飛行機で移動するより贅沢な気がするがな 東京鹿児島を急行でとか広島あたりで泣きだしてるだろうな 昔のトワイライトエクスプレスはマジで良かった。
大阪からゆっくり時間をかけて、列車降りたら別世界の北海道は札幌に到着できる。
今の瑞風は駄目、あれは大阪で乗って大阪で降りるから旅情も何もない。 かつての長距離旅客列車の後継者は、長距離フェリーだな。
寝台列車亡き今、名古屋~苫小牧の長距離航路で疑似体験するしかない。 銀河鉄道999とか実際に乗ったら地獄だろうな
ずっと椅子で寝てるし >>230
だから停車駅ではその惑星の1日となってる。
なお滞在用のホテル代は運賃に含まれる模様(999号だけかも知れないが)
ちなみに寝台車も連結している
昔の夜行で驚くのは長距離よりも短距離で存在する所。
例えば、上野-仙台とか長崎ー門司港とか名古屋-長野とか むかしPC用電車でgoリアルタイム版・寝台特急富士 東京発西鹿児島行ってのがあったな、途中でセーブが出来ない超絶難易度のゲームだった しかし、昭和とか平成に時代をつけるのいつになってもなれんな 上野→青森まで寝台、青森→連絡船で函館に渡ったことがある
当時、「寝台列車を四つん這いで追いかけて来るババァがいる」という
都市伝説があって、それを期待したわけじゃないが
青森まで一睡もせず窓の外を見ていたw >>212
在来線なんか使わない事の証明になってるだけだが
新幹線なら飛躍的に需要が伸びる もう夜行でのんびりした旅は出来んのかねえ
シベリアまで繋げてくれ >>232
鹿児島←→沖縄
の夕飯はカレーかうどんしかなかったぞ! 船はコロナ監禁が怖いが
長距離列車には乗りたいなぁ
JR九州のななつ星とか憧れ 博多から東京に進学した貧乏学生だったから、2度ほど
高千穂・桜島にお世話になって帰省したわ。
普通急行列車だったから途中の停車駅も多く、楽しかったけど
2等座席だったからクタクタになってね。 宮崎→鹿児島の急行があったけど
博多経由だからほぼ九州1周していた。 >>243
ネームドに限れば、その「山陰」の他、「ながさき」「はやたま」「からまつ」だね。 映画「張込み」のタイトルが出るまでの10分超は邦画史に残るイントロ 長時間長距離輸送といえば今や
国際航空便 とか
カーフェリーとか >>244
そういう名前のある列車だったのか、夜中に京都府内のどこかの駅で自分が乗っている列車と行き違ったんだったかな
ドアの上に内側から蛍光灯でぼんやりと照明された「B寝台」の表示を見た覚えがある
俺が乗っていた列車も旧型客車で、左右の扉が開けっ放しで連結部の貫通扉がない最後部のデッキに立っていると
リズミカルなジョイント音の合間に「シャーーーン、、、シャーーーン」というレールと車輪がこすれる音が聞こえて来たっけなあ 座席で24時間越えとかもう想像できない
旅行で臨時時代の八甲田に乗ったことあるけど、東北北部あたりになるともうどんな座り方をしても
すぐ疲れて体のどこか痛くなる状態で、青森着く頃には生気無くしてぐったりだったな
その倍ともなったら、途中でリタイアする人いても不思議じゃないな >>239
あそこの会社はやる気ないので
カップスターしか売ってないし風呂もないし 新幹線で東京ー博多に乗った時も
腰、背中が痛くてヘロヘロだった
コミケ専用夜行列車とか地獄だろうなあw 運行速度も大したことないしな
平均で50km/hとかだろ
寝れるくらいで丁度いい時代 平成元年春に寝台特急で大宮から金沢まで行ったな。
受験に必死で列車旅を楽しむ所ではなかったが。 >>145
アボイダブルコストの言い訳できなくなるから旅客参入は無い もう「上野発の夜行列車~」とか意味わからない人も居るんだろうな 「上野発の夜行列車〜」
15M 「ゆうづる(下り)3号」583系(1年半間だけ寝台転換要員不足で座席形態にて運転)
↓ 青森着0705・青森出港0730
5便 >>256
旅客からの委託なら可能だろう
一部区間にてJR貨物の機関車と運転士が旅客ブルトレ牽引していたこともあるから >>261
関門間であったっけか。
あとイベント列車でカシオペアを引いたこともあった。
EF510 300番台は貨物機だけどヘッドマークステーをつけてるんだよね。 ムーンライトながら復活しないかな
停車駅は東京~品川~横浜~豊橋~名古屋~岐阜~大垣だけ、下りは京浜地区は乗車のみ、東海地区は降車のみで、上りはその逆でいいから
指定券は当日発売で乗車区間に有効な乗車券を所持してないと購入できない(18きっぷ不可)で >>197
まぁ、特急が発着する駅の駅前にはコンビニがあるし、駅中コンビニある場合も多いから
無くても大きな影響がないのは事実なんだよな。旅情は完全にスポイルされたけど。 >>264
旅情あまりない東海道新幹線は車内販売やめる気なさそうだ >>264
そして数万人規模の街の駅前には必ずビジホがあるからな
寝台列車はビジホが少なくしかも高かった時代の物
宿泊+交通と考えれば当時なら割に合った でも、夜行高速バスがあれだけ走っている現象は無視できない笑えない話だよ
だからこそリニアを作る必要があるけど、初めから言われていた静岡問題で頓挫
葛西あの世へ逝ったんだから、南迂回ルートで妥協しい >>266
スゴイカタイアイスなくなったら困る人多い(笑) >>269
コロナで移動と言う行為が完全にオワコンになった今高速鉄道の必要性が失われつつある
リニア建設費で新幹線まで値上げされちゃ本末転倒 >>269
夜行バス使う層はリニア使わないと思うの 下り富士の水了軒の幕の内を買いに、積み込み3〜40分前から並んで待機した思い出
勿論瞬殺で売り切れた >>259
おそらく最終列車のことだと思って、津軽海峡と何の関連あるのかと混乱 >>197
単純に高いから。
車販なんてコンビニなんてなかった時代の産物。
今じゃJR各社がコンビニを運営or加盟してるからな。 >>233
急行で5~6時間かかってたからな。
なので、23時に出発すればちゃんと早朝に着く。 寝台列車が滅びた理由
●儲からない。座席が寝台だから、場所を多くとるので、車両定員が少ないとか
(その割にはバカ高い寝台料金取ってるのに?)
●国鉄が大幅値上げして、客が離れた
●高速道路網の発展で、安い高速バスに客が奪われた
●清掃とか人手もコストもかかる
●機関車の引っ張る客車は、推進運転、機回しなど、面倒
●大都市の通勤時間帯に、特急寝台車の走れる余地がなかった
●高級寝台車で、座席の転売屋が出現。
転売屋が、売れなかったらキャンセル料とられないよう直前にキャンセルするので、
空席ばっかりだった。
●最終新幹線が行った後の輸送手段として残して、車両の耐用年数が来るのを待って、その後廃止 >>205
真っ先に「特急「白鳥」十四時間」のタイトルが浮かんだわ >>29
あの年の夏休みに2429Dに乗って釧路か北海道新幹線に乗って青函観光かで迷って新幹線を選んだらそのまま罹災運休→廃止決定
新幹線なんていつでも乗れるのにとえらく後悔した >>280
空路が安くなって、寝台料金(正確には運賃+特急料金+寝台料金)と変わらなくなった ヨーロッパでは環境関係で夜行列車が復活しつつあるらしいけどな >>282
ブルーフィルム知ってるのって60歳以上だろ。
このスレ民のほとんどがそうだろうが。 あれば一度乗ってみたいってだけなんだから要らないよ
それより新幹線 いま酷い時代だと皆言うけれど
こんな時代に戻りたいなんて
誰が言うの >>288
懐古というのは昔のいい部分だけつぎはぎして悪い部分は無かったことにして成立するもんだからな
停車中に車内和式トイレでウンコするとボテンと塊でホーム前に落ちるから駄目だけど
走行中なら着地の衝撃で飛び散るから垂れ流しても大丈夫なんて今の洋式水洗トイレに慣れた人間にはまず耐えられない 夏はB寝台の1番上の横に冷房の吹き出し口があったのでカーテンで自分のところに冷風入れると天国だった 青春18夜行快速なんて企画してくれたらなあ。
静岡県が長いのなんの。次行くなら熱海で1泊しないと体力保たん。
スピードが旅をつまらなくする事も有る。
雪景色の関ヶ原とかキレイに冠雪した富士山とか、休憩兼ねて降りた熱海の商店街。
デカイ金目鯛の干物が激安価格だったり、地物中心のネタで安いランチの寿司屋。
食べログじゃ見付けられないだろうな。 昔はね
ユーロ→あすかを使った「コミケットトレイン」という列車を有志が走らせていたんだよ
上りがほぼ満席で、下りはガラガラなのが珠傷だったけど 電車に興味ないけど子どもの頃にブルートレインに乗った経験はまあ良かったかな
飛行機のほうが安くて速いけど手続きとエアポケットが嫌 旅客JRがカートレインをする場合、積み降ろし場所はもう大船駅北側しか残っていない
クソ川崎市にうん小杉の補償を求めれば、浜川崎駅貨物駅部分が使える程度
貨物に任せた方がマシ 111、112レとか511~514レを復活させたら乗る人いるかな 長崎→京都を昔の向かい合わせの垂直背もたれの夜行で行った
子供だったので床に新聞紙敷いて寝かされた
他の子もそうだった
大人になってあかつきの寝台にお世話になった
隣席の人から缶ビールもらったりしたな >>296
雲仙/西海かな?それなら子供の頃に乗った。
殆ど利用者の居ないホーム、出発時にガチャン!と派手な音の連結器。
中学生の兄貴と二人だったからちょっとした冒険気分だった。 夜行に乗りたいだけの奴は現存する唯一のサンライズ乗っとけ >>7
海底トンネルを誰が掘るかという難題が
民間がやるのなら自由だけど公共事業でやるとなったら100年経っても完成しないぞ、相手国が金渋ったら工事できないし基本相手の領土に入ったら相手国の金が必要になるからな おい、スレを立てる板間違えてねーか?
鉄ちゃん関連の板(スレッド)なら星の数ほどある。ここはN速スレだ! 子供の頃ブルートレインはやぶさとか言うのがあった記憶。中学の頃鉄の友達が東海道本線で撮ってたような。 >>280
>●儲からない。座席が寝台だから、場所を多くとるので、車両定員が少ないとか
>(その割にはバカ高い寝台料金取ってるのに?)
払う側から見れば高いかもしれないけど、会社側から見ると、
定員を減らした分を補填するには見合わないかな、と。 >>280
>>305
寝台は座席と違って一度使われると再販売できないことが辛い。
短距離で下車された日にはそこから先はずっと空気輸送になる。
効率が悪すぎるんだ。 >>307
高い金出して短距離で寝台乗る奴なんかおるか? >>7
大陸とJRで鉄道の規格がちがうから連結メリットが少ない。ロシアは広軌、韓国は標準軌。でも新幹線は乗り入れ不能。
やっても赤字確実。無駄でしょう。 >>311
あーゴロンと座席ならありうるか
確か鉄子の旅で南田がやってたわ >>308
短距離は言い過ぎにしても、例えば新幹線とあさかぜで比較するとよく分かる。
ある客が名古屋から広島まで利用する場合、新幹線なら東京-名古屋と岡山-博多で指定券・乗車券を販売できる。
しかし寝台だと空気輸送。
ちなみに時刻はあさかぜだと23:46-06:31
そして寝台列車ってのは意外とこういう使い方する客が多いんだよ。 まあ一応、補足すると岩国からヒルネ客を見込めるけど指定券収入はない。
立ち席特急券と運賃だけ。 >>312
動画のネタとして個室寝台を短区間で使う奴がいるよ >>312
ゴロンとやノビノビは指定席扱い
全線1区間控除ではないから出雲だと米子や岡山で入れ替わりもあるし、空席照会の結果も異なる 寝台が空気輸送だとしても寝台料金は距離に関係なく徴収できてるんだから良いだろ
新幹線で途中駅から指定で乗ったら前客の飲み食い残骸が放置されてたりシートが汚れてたりするよりマシ
ゴミ捨て場みたいな座席で指定料金取るやり方が列車存続に必須とは到底思えないな >>305
一番の闇はベッドメイキングの手間と、リネンの洗濯
ここにコストがのしかかる。
のびのびシートやサウナの仮眠室が格安提供できるのは、
そこが簡略化されてるから。 中国の新幹線には寝台車があるって聞いたけどなどうなんだろ 東京か品川から小田原までは停車してはだめだね
あ、少し前まではごろんは短距離客排除設定がされていて、3日前にならないと短距離客は購入できなかった ウンコ垂れ流しを未だにやってるJR
新幹線すら走行中に客のウンコを外に捨てて走ってるんだぜ! >>318
ダブルブッキングのお客様は、膝の上でお願い致します。 >>323
ウンコとか普通に毒だぞ
保線と沿線住民がブーブー文句言うだろ
いつの時代の話だ? >>307
始発から終点までの切符だけ販売すれば良い
東京発で札幌とか博多とかなら成り立つでしょう >>323
たしかにチョン新幹線はいまだに垂れ流し
でも、日本は東海道新幹線が開業した時からすでにタンク溜め・車両基地抜き取りをしていたんだよ
なぜかわかる?
ウンコが主食のチョンとは違い、日本人はウンコ食べないから 三四郎が食い終わった弁当の箱を窓の外へ投げる下りはちと衝撃的 >>1
乗ってる人が眠りこけていつのまにか食われる列車とかあった
あとSLなのに宇宙にでかけて煙がみえるやつとか チョンはウンコ大好きだから、レイプしまくり
まだ容姿がウサギならよいけど、あんな今の容姿でレイプしたい人間なんかいねーよ >>331
横須賀線の窓から「みかん」投げるぞ~~!! >>333
もっとこわい幽霊列車と言うものがあってだな ガイジの中ではチョンと戦ってる事になってるんだろうな >>45
東海道新幹線開業時点で京都発山陰線廻り門司行きはあったけど、
大阪発のはなかった。
また、下関方面から門司港行きというのは
門司でスイッチバックに
なるから、そんな列車は設定されていなかった。 >>333
船が宇宙を飛ぶのはまだ分かる。宇宙「船」って言うくらいだし。
でも鉄道が宇宙を走るってのはチンプンカンプンだった。銀河鉄道999。 >>344訂正
ガイジチョンの中では日本より劣っていてくやしーって事になってるんだろうな 寝台車、食堂車、車内販売まで消えて鉄道が短時間に移動するための手段にすぎなくなったのかと言うとそうでもなくて
逆に観光列車なる鉄道が全国に増えている
短い区域内ながらゆったり車窓風景が楽しめるような内装や豪華な食事を用意してたりカフェを併設していたりする >>26
去年正式に廃止されたムーンライトながらは座席車だったよ >>127
汽車の場合はそういう意味ではないようだ 3年前まで日本最長鈍行がJR西日本にあったよな、なぜか1年ぐらいで消えたけど
確か岡山発下関行き
>>351
庶民の為に作ったサービスが今ではお金持ってる富裕層向けのサービスになってしまったな、優雅にワイン飲みながら観光を楽しむビッヘ車両
食堂車なんて庶民の食堂レベルだったのに 訂正
ガイジの中では日本より劣っていてくやしーって思ってる事になってるんだろうな >>355
途中区間で保安装置が新型に変更されてしまったから
全駅停車に限りれば高尾→塩尻→長野の441Mの245kmが最長 昔は山陰本線を延々と走る客車鈍行もあったな
駅で1時間停車とかその間なにをしろとw 寝台特急は目的地に着くことが目的では無い
列車内で過ごすことが目的だからな 夜行列車で、朝に目的地は効率的だったな
宿泊費も浮くし >>361
それは無い
新幹線が無かったから仕方なく車中泊せざるを得なかっただけ。
大昔の寝台列車は24時間以上、車内に居ないといけないものもあったから、
横になって寝られるサービスをカネ取って提供してたに過ぎない。
寝台列車並みに長時間座ってる集団就職列車は最悪の乗り心地だったらしいし。 車両幅3mがネックなんだよね。
そのせいで輸送効率が悪い
今の日本人の平均的な体格を寝台車のベッドに詰め込むには中途半端、
ベッドを縦横いずれにしてもデッドスペースが多く不効率
新幹線と同じ3.4mあれば効率的なレイアウトができるのに >>364
狭軌で幅3mはかなり頑張ってる方
欧州規格だと標準軌なのに最大幅2.8mしかないんだから
鉄道黎明期の改軌論争で標準軌派が負けたのが全部悪い 台湾なんかナローゲージの寝台車があったんだから日本の寝台車は全然マシ >>365
例え標準軌でも車体の大きさは変わらんと思う >>365
アメリカの鉄道車両の規格は欧州より大きいの? >>364
新幹線が東京ー鹿児島とか東京ー函館の夜行出せば需要あるとは思うが難しいかもな >>365
そういえばオリエント急行が日本へ来たとき
全長は日本の客車よりやや長いが、全幅は狭いって聞いた 京都発下関行きの829レとか京都発門司行きの811レとか 友人と東北新幹線のビュッフェで食事したのが懐かしい >>368
縦方向が広がっている
>>371
10cmほど日本側が広い >>369
線路点検と保守があるから厳しいと思う。
点検も歩きだし(10年前の話だけど) 旅客鉄道会社を地域毎に分割してしまったから長距離旅客列車の設定は困難になった。
貨物は全国1社なので長距離の貨物列車の設定ができる。 >>7
どっかのゼネコンがハワイまでの地下トンネル費用を計算してた
1000兆円だったか >>21
JRになってからも結構残ってた
上野〜青森や東京〜大垣、新宿〜上諏訪、天王寺〜新宮とか 「上野発の夜行列車」と「8時ちょうどのあずさ2号」しかわからん >>365
標準軌だと当然その分土地が必要になるから(幅が広がる分)
もっと大事なのがトンネルももっと広げないといけないから
とにかく鉄道網を広げるためには狭軌で正解だったんだよ。 >>378
ただそうしないと労組を弱体化できなかったからしかたない。
単なる民営化でなく分割も施された理由はそれ。 >>332
これは当時の習慣で終点駅では清掃の人がゴミを集めやすいようにみんな通路にゴミを置いたんだよ 大隈より原の方が悪いけど、大隈は佐賀出身だから佐賀叩きのために大隈を使うバカがとても多い >>384
貨物も各社で持たせるつもりだったけど、少し前に故人となったやつが猛反発して、貨物だけは1つの別会社へ分離された
結果、機関車の貨客共用ができなくなり、10年程度で普通列車はほとんど電車・気動車に置き換えられ、20年程度でブルトレもほとんど廃止となった
単純に3社以上またがる列車を1つの別会社(貨物)へ委託する条項を作ればよかったけど、そもそも分割民営化自体在来線鉄道網の破壊の布石だからどうしょうもなかった >>388
×このスレ
○5ちゃん自体が
|彡サッ 「ムーンライトながら」になる前の大垣行の東海道線はよく使ったな。
デッキに新聞ひいて寝てたわ。 >>229
フェリーで旅に出たいけど、和歌山〜徳島の南海フェリーで酔ったから心配。 >>387
再再編統合分割できる可能性はゼロなのだろうか。JR貨物を分割して貨客共用を復活させるとか、旅客会社を再統合するとか。
人口減少のせいで鉄道会社の経営は本州三社ですらだんだん苦しくなっていく。時代の変化に対応する新しい方向性が必要になるのではないかと。 >>387
赤字路線をさぅさと潰して赤字減らしていれば分割民営化されなかったのに被害者面するなよ。
幾ら赤字作っても親方日の丸だから関係無い、ストやってゴネれば幾らでも賃金上がるって舐め腐ってたのが悪い。
こと赤字潰しに関しては葛西の方が正しい。 >>393
それ政治
鉄道敷設法(大正期の改正側)を廃止にしてどうにか止められた
そもそもカネ不足以外で建設しないようしていた時期もあったけど、
滋賀県が東海道新幹線建設時に国鉄へたかったため生じた莫大な建設資金不足の穴埋めと引き換えに日本鉄道建設公団が作られた経緯を知らねーガキはすっこんでろ >>392
本州3社と九州は民間企業になって株式上場しちゃったからね
不利益を押しつけるのは無理筋 >>393
ボク中学生?もうちょっと歴史を勉強してから出直しておいで 電車の中に灰皿があって走行中に隣の人が普通にタバコ吸ってたって今では衝撃的だな >>400
最後に乗ったのは禁煙車が空いてなくて仕方なく乗った正月の700系ひかりだな
そのあと一昨年の近鉄特急の喫煙車廃止記念にちょっとだけ乗ったけど、ひとりぼっちで煙はなかった
一応サンライズ瀬戸・出雲で喫煙車はまだ現役なんだけど、個室車なので煙モクモクな車両というのはもう見られないね 湘南電車で東京都出て神奈川県に入るとタバコ吸っていいみたいな規則の時期があった。1979年頃だったかなあ 内田百閒「ボイに下関で起こしてもらうように頼んでおいた」 >>403
「平塚までは喫煙禁止」みたいな札が貼ってあったな >>99
これはこれで楽しかったんじゃないの?
スマホなんかも無いから一人の世界を構築することもできないし
当時の価値観では悪いことが一切ないんだから
文句言う筋合いも無いな 20年前辺りまでは長距離列車の終点駅には必ずホームに水飲み場みたいなものがあったよな、顔を洗ったり水飲んだりする、今はどこも廃止されたね
長距離列車消滅で衰退した都市、青森 下関
15両対応の長ーいホームが今では4両編成の普通列車だけしか来ない寂しーい駅になった。特急や夜行列車がもたらす影響は凄かったんだ。 >>399
お前みたいな無能は具体的にレス返せないから、いつもそれだよな。
国鉄の赤字は地方の国会議員や鉄建公団だけの責任じゃ無いよ。
赤字路線潰す為の民営化だから今のブロック分けは正しいし、葛西の考え方も正しい。
赤字路線を黒字路線の利用者が負担する理由が無い。勿論、JR各社も。 >>410
鉄建公団にはそれなりの責任あるだろ
まあ一番デカいのは通勤五方面作戦だが
中央線は失敗してるし >>412
通勤五方面作戦をやったおかげでJR東日本は黒字化出来てた。
未だに需要に対して貧弱だし。特に中央線が。
左巻きが多くて煩い杉並区住民や武蔵野市住民が反対しなけりゃ中央線は複々線化出来たのに。
地方の赤字路線は採算取れないから残す価値は無い。
3セクにして成り立たない時点で論外。 >>415
バカは黙れよ
事実だろうが
黒字が見込める路線にカネかけるのは当たり前。
営業係数は非公表だけど65円くらいと言われててJR東日本の路線で乗降客数1位の中央線に投資しない理由が無い。
100円稼ぐのに1000円必要とかバカすぎ。
廃線すればカネ浮くじゃねーか。
鉄オタは、そんな簡単な算数も分からないのか? >>416
国鉄が傾いたの五方面作戦やったせいだぞ?
赤字は清算事業団が引き受けてJRはウマウマ出来たけど
本来ならこんな投資は国の予算でやるべきだった >>417
赤字路線残して通勤五方面作戦やったからだろ
営業係数300円以上の赤字路線は全て廃止してれば投資に必要な資金は足りてたわ。
選択と集中をやらなきゃいけない時に労組は経営陣困らせるタイミングでストやってバカじゃねーかと。
国鉄なんか無くなって良かったよ。
駅員とかクソしか居なかったからな。駅は汚いし駅員は態度悪いし。 地方ローカル線 営業係数300(赤字5000万円)
都会の通勤路線 営業係数105(赤字10億円) >>409
新幹線乗り換え1回で5時間ちょっとで東京から下関着いちゃうし青森に至っては東京から3時間ちょっと。
在来線の長い編成なんか必要無いし、おまけに新幹線は本数多いから融通効くし。
新幹線のお陰で時間的には近くて便利になった。これに勝る鉄路の運用は無い。 >>419
東京近郊路線は八高線、相模線、五日市線みたいなローカル線を除けば営業係数は100円以下の優良路線ばかり。
営業係数100円以上の赤字路線ですら営業係数200円未満。 >>419
フィーダー路線の概念も理解できない文系ヴァカ >>418
>経営陣困らせるタイミングでストやってバカじゃねーかと
ストライキってそういうものだろ
労働者が経営側に物申す手段だからな
労働者という立場なら同じであるサラリーマンが国鉄のストライキを非難していたなんて政府や自民党に見事に洗脳されてる証明
この光景見て海外では「日本の労働者はストライキを非難して墓穴掘ってる」と思ったとか
実際問題国鉄のストライキが日本において労働運動を否定的に捉えるようになって経営側が絶対有利になって昨今のブラック企業が跋扈することに繋がった >>181
筑波万博のドリームトレインで乗ったよ。
別に指定したわけじゃなく、たまたまだったのかJTBの姉ちゃんが気利かせたのか乗ってみてびっくり。
確かにゆったり上段で快適な一夜だった。
じいさん駅員が回って来て、表紙開くと音が鳴る記念乗車券買ったっけ。 >>424
国労がストライキを頻発させたのは、社会主義革命実行のためだろ。 >>427
連結して走っていた1つの列車が途中駅で分割して、別の路線を走っていた2つ以上の列車が、また先の駅で連結する列車のこと。
むかしむかしに聞いたことはあるけど、鉄オタでもないし実際に乗車したことがない。 >>426
だとしても労働者の権利であるストライキを労働者が否定、拒絶した国なんて日本だけだと思う >>428
ちょっと違うな。ただ別れたり繋がったりするだけならただの分割併合列車とか多層建列車と呼ばれる。
離婚再婚列車というのは途中で別れたのに再び一つに繋がる列車のこと。有名なのはさんべかな。
益田で二つに別れて別ルートに向かったのに下関で再会して連結。また一つの列車に戻って終点まで行くと。 >>430
西村京太郎で読んだな。
離婚するか、分割区間でお互い一人になって考えたあと、
併合して一緒になったら結論を出そう、と。
そうしたら、分割区間のどこかで相手が死んでいた、と。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています