読売新聞2022/08/16 05:00
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220815-OYT1T50285/

第2次世界大戦の日本の敗戦を機に、当時のソ連軍が北海道全島をはじめ、対馬や朝鮮半島南部の港など広範囲の占領を検討していたことが、ロシア連邦外交政策文書館がオンラインで公開している公文書に記録されていた。記載内容を、岩手大の麻田雅文准教授(東アジア国際政治史)が確認した。

確認されたのは、1945年8月16日にソ連首相のスターリンが、北海道北半分をソ連軍の占領地域とするよう米側に要求した内容の基になった草案。ソ連の赤軍参謀総長アレクセイ・アントーノフらが同日にモロトフ外務人民委員に提出したもので、「日本の主要な島々を、連合国のための占領地域に分割し、特にソ連には北海道を割り当てる」と、北海道全島占領を求める内容が記されていた。

トルーマン米大統領は要求を拒否したが、麻田准教授は「北海道北半分の要求は、スターリンの欲深さを示すとされてきたが、見つかった草案ではソ連軍部が大きな野心を持ち、スターリンはそのうちの一部をアメリカ側に伝えたにすぎないことが分かった」と話す。

一方、同8月27日、海軍軍令部国際法部長ニコライ・ボロゴフが作成した文書では、「海軍としては日本の以下の地域の管理に関心を抱く」として南樺太、千島列島、北海道、朝鮮半島北部、釜山港、対馬が挙がっていた。北海道全島がソ連の占領地域となれば、宗谷海峡と津軽海峡に加え、函館、小樽、室蘭などの港を自由に利用できるとも記載されていた。

また、赤軍参謀本部特別部長ニコライ・スラヴィンが同8月29日に作成した報告書は、朝鮮半島はソ連が北緯38度から北を占領する形で連合国で二分し、個別の占領地域として対馬や済州島も含めるべきだと提言していた。

こうした点について麻田准教授は「ソ連軍部は太平洋の出入り口となる海域で、航行の自由につながる戦略的拠点は全て押さえたかった」と分析する。

ロシア政治外交史が専門の防衛省防衛研究所の花田智之主任研究官は「ソ連の対日戦後構想を理解する上で、目覚ましい発見だ」と評価している。史料は10月末に開催される日本国際政治学会で発表される予定。